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「福沢一郎と山下菊二 子弟は時代とどう向き合ったか」 福沢一郎記念館

世田谷の祖師谷大蔵駅から徒歩5分、閑静な住宅街の一角に福沢一郎記念館はある。今回の企画展をTwitterで知るまで恥ずかしながらその存在を知らなかった。

福沢一郎と山下菊二、特に後者の山下菊二に関心があり早速訪問。出迎えてくれたのは普通の民家のような個人美術館であった。元々福沢一郎がアトリエ、書斎、居室として使用していた建物だという。こあがりで靴を脱ぎスリッパに履き替えて鑑賞。天井の高い展示室が何とも心地よく個人宅にお邪魔して絵を拝見しているような心持ちにさせられる。

開館20周年記念の特別企画、同記念館で福沢一郎以外の作家の作品が展示されるのは初めてだという。かくいう自分も山下菊二との師弟関係に興味をひかれ初訪問となったわけで大変ありがたい企画だった。
展覧会はメモをとるのを失念したので、記念館発行のNEWS-NO.40の記事を参考にしつつ以下のような構成だったと記憶している。
1.はじまりは「福沢絵画研究所」
(山下菊二は福沢一郎主宰の福沢絵画研究所に19歳で入門。福沢を師として絵画を学ぶ。)
2.戦争の暗い影
3.それぞれの道程
4.師弟の絆
5.?
時系列順に両者の作品がそれぞれ5点と関連資料が展示されている。

1940年代よりシュルレアリスムの共鳴者が共産主義者と結びつけられ瀧口修造はじめ日本のシュルレアリスム関係者が次々と当局に逮捕、収監される。厳しい拷問も加えられたが福沢一郎も例外ではなかった。彼の場合は8ヶ月もの間、拘置所に勾留され後に釈放。しかし、ここで意外なのは釈放後も旺盛な精力で絵画制作を続けていることだ。福沢の場合、時系列に展示された作品を見ていると作風変化が大きいことに気づく。先般、神奈川県立近代美術館葉山館や愛媛県美術館で開催された柳瀬正夢は勾留釈放後も絵は描いていたが、釈放後の作品には生気も持ち前のユーモアもが感じられない、何とも特徴のない風景画が並んでいたことを思い出す。柳瀬の場合、シュルレアリスム画家とは違い、バリバリの共産主義者でプロレタリアアートの先鋭だったため、拷問の激しさはや拘留中の厳しさは恐らく福沢の比ではなかったと推測されるが、それでも釈放後の福沢の絵画は新たな創意が見られ、それまでの作品とは別の魅力、絵肌への工夫や抽象的な作風への転換が見られ非常に興味深かった。

対して山下菊二も戦況の厳しい戦地に送り込まれ、奇跡的にも生還し復員後は、福沢夫妻の紹介で東宝内の「航空教育資料製作所」に勤務することで一時的に徴兵を免れる。
確か、山下の東宝時代の作品が昨年だったか徳島県立近代美術館で展示され気になっていたが見逃してしまった。
山下の場合、戦前戦後も作風変化に大きな変化は感じられず、戦後はより社会的なルポルタージュ絵画と言える作品を描いている。最たる例は、東近美に新収蔵された《あけぼの村物語》だろう。
東宝時代に作った映像作品は来年の世田谷美術館での企画展もしくは徳島近美で再度展示されないだろうか。

本展での一番の収穫は両者の関係と福沢一郎の絵画変遷であった。群馬県立近代美術館などで福沢一郎の作品はたびたび目にしていたが、時系列で見たのが初めてであったため、作風変化の面白さにやっと気づくことができた。富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵《寡婦と誘惑》1930年、初期作品と戦後の絵画の振れ幅の大きさは注目に値する。しばらくこの両者の作品は追ってみたいと思った。

鑑賞後は奥の元書斎で館主の方からコーヒーを頂戴してお話など伺うこともできるのだが、この日はどうしても時間が取れずコーヒーをいただくことなく失礼した。
次回展では必ずコーヒーをいただきつつゆっくりしたいと思う。

なお、本展の前に開催された企画展「福沢一郎の“写真” 画家のレンズが捉えたもの」の開催を前述のニュースで初めて知ったが、これも画家が撮影する写真は自分の興味の範疇にあり、見逃したのが惜しまれた。

11月30日迄
福沢一郎記念館公式サイト
https://fukuzmm.wordpress.com/category/展覧会情報/
福沢一郎記念館フェイスブック(登録なしで閲覧可能)
https://www.facebook.com/fukuzmuseum
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「雪舟 花鳥を描く 花鳥図屏風の系譜」 島根県立石見美術館 はじめての美術館93

雪舟

「雪舟 花鳥を描く 花鳥図屏風の系譜」 島根県立石見美術館 10月22日~11月23日 会期中無休
http://www.grandtoit.jp/museum/exhibition/special/sesshu-kacho/index.html

旅の順序と記事の順序が齟齬して申し訳ないのですが、いきなり山口県から島根県に飛びます。
島根県立石見美術館は、旅の最後、3日目の朝に訪問しました。
まず、会期中毎日先着20名にいただけるという雪舟展オリジナル「ミニふろしき」をGET!
恐らく、梅の花をイメージしたと思われる紅色と白の大きな花模様のふろしきです。これは嬉しいプレゼント。

会場構成、展示もテーマカラーは赤と白で統一されていました。
島根県立石見美術館は、グラントワと呼ばれる島根県芸術文化センターと同美術館の複合施設で、内藤廣が設計。
外観は鱗のような瓦が壁面にもびっしり貼られていて、非常に目立ちます。
中に入るとシックな内装、茶褐色で統一された館内には、本展のテーマカラーである紅と白はよく映えます。

グラントワ

さて、本展は雪舟作品の中でも、特に花鳥図屏風をメインにその系譜を考察するものです。
2002年に京博・東博で開催された「雪舟展」、2006年に山口県立美術館で開催された「雪舟への旅」展、この2つの重要な雪舟展を観ていない(2002年はまだ美術ファンではなかったし、2006年は仕事で忙殺されていた。)のですが、2002年の「雪舟展」の図録は持っていて、なるほど図録を見ると花鳥画は出展作品も少なく、本展は、先に開催された大きな雪舟展の間隙を縫うような内容だと思われます。

第1章 雪舟と室町時代の花鳥画
冒頭、雪舟真筆と唯一認められている(2002年では可能性が非常に高い、になっているが、いつ確定したのか?)≪四季花鳥図屏風≫京都国立博物館蔵(小坂本・小坂家本)がお出まし。
いきなり、お手本のような作品がど~んと広々とした空間に配され、反対側には長椅子が置かれ、鑑賞者はじっくり椅子に座って屏風を眺めることができます。
この屏風を見たことがあっただろうか?京博には何度も行っているけれど、常設で見ていなければ、恐らく初見。
何しろ、鳥の縦のライン、立ち姿が真っ先に目に入ります。
鶴をこんな風に縦長に捉えたのは雪舟が初めてではないでしょうか、実際に鶴はこんなポーズをしているのか、その生態さえも気になって来ます。
右隻から、春夏、左隻は、秋冬とのことだが、私の目には2つの季節しか描かれていないように見える。
特に好ましいのは左隻。雪をかぶった大樹や薄?らしき枯れ草の風情が、あたり一面雪景色となった時の静けさが感じられ、凛とした空気が伝わって来るようです。
左隻には梅鶯が描かれており、だから展覧会のテーマは紅白梅カラーなのか!と納得。

一方右隻は、右端に描かれた奇妙に曲がりくねった大樹に引き付けられつつ、ほぼ中央に上方から伸びた松の細枝がするりと画面をさえぎるように垂れているのも面白い。
中央寄りの左隻に、はらりと舞い降りる白鷺が一羽。

花鳥画を観ていると、画中でバードウォッチングしているような気がする。どこに鳥がいるのかな、とあちこち探す時の楽しさ。思わぬところに見つけると嬉しくなったり。特にこの作品では画面背景と鳥の色が馴染んでいるものがいたり。
本作の最大の見どころは、やはり構図ではないでしょうか。
鶴のポーズもそうですが、モチーフの配置と描き方の妙は他の追随を許しません。不思議と奥行き感も感じられる。

本作品の所蔵について、1483年に益田宗兼の就禄祝いとして描かれたという通説が一般であるが、図録解説ではこれに疑問を呈している。室町時代にまでさかのぼって石見国益田の益田家にこの屏風があったという物的証拠は、現時点で何もないとしている。ご関心があれば、図録をご一読ください。

また、個人的な関心として、小坂本の小坂とは誰のことかが気になって、さる方に伺ったところ、政治家とのこと。
調べて見たら長野市の名士、政治家でもあり実業家でもあった小坂順造氏が旧蔵されていたと分かった。京博所蔵品になったのは平成14年度。

次は、同じく雪舟落款の≪四季花鳥図屏風≫前田行徳会蔵と永青文庫蔵(11月4日迄展示)のもの、2点。
並べて見ると、構図や画面に登場するもののなど違いがよく分かる。

更にこの後、(伝)狩野正信筆≪竹石白鶴図屏風≫真珠庵蔵、藝愛筆≪四季花鳥図屏風≫京都国立博物館蔵、狩野松栄≪四季花鳥図屏風≫山口県立美術館蔵、と並びます。

こうして、花鳥図屏風の系譜を狩野派まで辿って行くと、徐々に画面が平坦にかつ装飾的になって行くのが分かります。
冒頭にあった雪舟の四季花鳥図屏風のような緊迫感、緊張感は消え、豪奢で華やかな花鳥図へと変遷している。

これは時代が、時の権力者が求めた故なのでしょう。
権力者のお抱え絵師ともあれば、将の欲するものを望み通りに描くのが仕事。
今回展示替えで拝見できませんでしたが、11月5日~23日まで展示の可能松栄≪四季花鳥図屏風≫白鶴美術館蔵の絢爛豪華さたるや描かれている鳥も、もはや鶴のような地味な鳥は選ばれず孔雀や鳳凰となっているのも面白い。
四季の違いもより明瞭に分かりやすくなっている。

藝愛筆≪四季花鳥図屏風≫京都国立博物館蔵(重文)、藝愛も室町時代の絵師とのことだが、あまり名前をきかない。狩野派の屏風よりあっさり仕上げていて、雪舟に比較すると明らかにひ弱い。

第二章 中国(元・明)の花鳥画
第二章では、雪舟が学び参照したであろう中国花鳥画を紹介。
雪舟筆≪梅花寿老図≫東京国立博物館蔵は、雪舟の数少ない着色画のひとつ、真筆ではなく模写の可能性も高い。

根津美術館から伝馬遠≪林和靖図≫、伝銭選筆≪梨花小禽図≫はじめ他1点の中国画が、また東博からは名品、呂紀≪四季花鳥図≫(春)が出展されている。ただし、呂紀は、雪舟より20歳も年下とのこと、両者の接点を見出すのは難しいだろう。また、参考となる中国花鳥画から類似の表現、例えば植物の描き方など部分部分を導入し、独自の構図を編み出したということか。

第三章 雪舟と江戸時代の花鳥画
最後に室町時代から江戸時代へと時代を移して、花鳥画の日本への伝播を探る。
狩野探幽、雲谷派の絵画である。
確か、昨年だったか雲谷派の展覧会があったと思うが、一度まとめて大規模な展覧会を観てみたい、と本展で改めて感じた。
探幽は縮図で雪舟の≪四季花鳥図屏風≫らしき作品を写し、雲谷等益もまた同作品をもとに描いた≪春冬花鳥図屏風≫東福寺蔵。後者はことに巧みで、これはこれで良いのではないか、幾分もっさりしてはいるが。
特に雲谷派≪四季花鳥図屏風≫菊屋家住宅保存会蔵は、形式ばってはいるもののダイナミックな水流を配した力強い景観を描き出している。


さて、図録は2000円の横大型で掲載論文1本はちと寂しい。
本展は綿田稔氏(東京文化財研究所 広領域研究室長)が手がけられたようで、冒頭論文から作品解説まですべて綿田氏が手がけられています。
すなわち、綿田氏の研究成果のお披露目のような企画展だったのではないかと思われ、他の研究者の意見も論文掲載していただきたかったです。

*会場に作品リストの用意がないため、必要な方は事前に上記サイトの「出品作品」下部の出品リストを持参されると良いです。本展の巡回はありません。

YCAM 山口情報芸術センター はじめての美術館92

YCAMこと山口情報芸術センターへ行って来ました。
公式サイトはこちら

かねてよりこの施設については気になっていたものの、情報芸術センターとは?美術館とは違うの?と疑問に思っていました。

今回、伺うきっかけになったのはYCAMシネマと呼ばれる映画館で、情報芸術センター内にある公共施設。
http://www.ycam.jp/cinema/index.html
ここでは毎月特集映画を中心として、YCAMの映画担当の方が厳選した映画の上映を行っています。
そして、10月はハルーン・ファロッキ特集!

ハルーン・ファロッキ(ハルン・ファロッキともいう)監督(Harun Farocki)特集はこの夏、東京のアテネ・フランセで開催されたのですが、この時期ちょうど仕事が多忙で、土日も他の展覧会を優先させたり、遠征したりで結局1本も観ることができませんでした。
twitterでの評判も良かったので、あいち芸術文化センターの映像ライブラリにないのか探してみましたがなし。
かなりコアな監督で一般受けするような映画ではないからか、恐らくレンタルDVDも期待できないと諦めていたのです。

ところが、山口県内の美術館をあれこれ調べていたら、YCAMでの特集を知り急遽1泊追加。山口県まで行って、何も映画を観なくても他に観光する所はいくらでもあるでしょう、と言われたらそれまでですが、何を重視するかは本人の価値観の問題。名所旧跡は逃げませんが、ファロッキ特集は次にいつ観られるのか、しかもお値段がファロッキ作品9本で1000円+本人が出演しているストローブ=ユイレ監督『アメリカ(階級関係)』1本(無料)と格安。期間中、1000円ですから曜日が違っても1度買ったチケットは使用できると知り再び驚きました。
更に、10月29日(土)にはキュレーターの阿部一直氏によるレクチャー「ハルーン・ファロッキへの視点」が開催され、こちらも非常に楽しみで、実際にファロッキの育った環境、思想から始まり、影響を受けた映画監督、例えば前述のストローブ=ユイレやロベール・ブレッソンだったり、ニュー・ジャーマン・シネマを代表する監督(ヘルツォーク、ファスミンダー、フォルカー・シュレンドルフ、ヴィム。ベンダースらの紹介とファロッキとの共通項、ギー・ドゥボールやゴダール映画との違い、などなど関係映画の上映も含めて、2時間を超える素晴らしいレクチャーでした。

あいトリの映像プログラムで漸く、ストローブ=ユイレやロシアのアレクサンドル・ソクーロフの映画を初めて観た私にとって、今回のレクチャーは願ってもない貴重なものでした。
これから観ておくべき映画監督や興味を持った監督やあいトリ以後少しずつ観て来た映画がつながってきて、それが何より嬉しかった。やはり映画を観るだけでなく体系的な知識やファロッキ作品であれば、特にどんな点に注目して観るとより作品を楽しめるのか、これがあるのとないのとでは違うなと改めて感じた次第です。

あいちトリエンナーレの映像プログラムは本当に有意義な内容でしたが、今回のようなレクチャーがあればもっと楽しめた筈。
しっかり、ノートを取ったので。これからも紹介のあった映画など、コツコツ観て行こうと思います。

ファロッキ9作品のうち、今回鑑賞したのは
・「この世界を覗く-戦争の資料から(世界の映像と戦争の刻銘)」1988年
・「ルーマニア革命ビデオグラム(ある革命のビデオグラム)」1992年
・「労働者は工場を去って行く」1995年
・「監獄の情景」2000年
・「隔てられた戦争(識別と追跡)」2003年
他にダニエル=ストローブ「アメリカ(階級関係)」
この中では最初の「この世界を覗く-戦争の資料から(世界の映像と戦争の刻銘)」、「ルーマニア革命ビデオグラム(ある革命のビデオグラム)」、「監獄の情景」が忘れがたい。
過去の膨大な映像から取り出したショットをモンタージュし、特徴的なのはスクリーンンに同時に4画面が登場したり、ひとつの画面に二つのスクリーンが登場したりします。
音楽は使用されず、淡々とナレーションだけが流れる。
何より、ファロッキは「手フェチ」とレクチャーで教えていただき、「手」の使用を注視すると、出るわ出るわ、手のアップシーンが非常に多いことがよく分かりました。
「手「」がクローズアップされると、こちら側は何かしら「触る」「触れる」イメージを想起させます。
ファロッキの「手」が記号的に用いられている、これは無意識か意識的なのかは分からないが興味深い点でした。

ひとつ難点を言えば、この映画施設の椅子の傾斜はほとんどなく、長時間座っていると疲れてくること。贅沢は言えません。クッションは良かったし、個人の好みの問題でしょうか。

なお、11月は『エッセンシャル・キリング』のイエジー・スコリモフスキ監督特集。12月はワイズマン監督特集と観たい作品がぞろぞろ続きます。
『エッセンシャル・キリング』は私も観たのですが、これまた衝撃作品で台詞なしでたんたんと人間の本能、野性について考えさせられた映画。旧作4本と合わせての上映で、山口にいたら間違いなく通っています。

YCAMシネマのようなものが、なぜ愛知県芸術文化センター内にないのか、残念でなりません。
首都圏ではない地方都市ではどんどん映画館が減少し、中でも娯楽映画以外の作品上映の機会は得られません。
娯楽映画ももちろん楽しめますが、映画の魅力はそれだけではない、ことを知る場所が必要です。
「民間」ができないことを「公」が行うことこそ、文化行政の一つのあり方ではないのでしょうか。
YCAMは地方の文化行政事業として、市民の教育的側面、文化育成において非常に有意義な存在であると感じました。

*展示作品については次回へ続く。

「円空 こころを刻む-埼玉の諸像を中心に-」 埼玉県立歴史と民俗の博物館 はじめての美術館91

円空

「円空 こころを刻む-埼玉の諸像を中心に-」 埼玉県立歴史と民俗の博物館 10月8日~11月27日
http://www.saitama-rekimin.spec.ed.jp/index.php?page_id=232

埼玉県は、岐阜県、愛知県の次に円空仏が多く残されている県だと本展開催を機に知りました。

円空仏をこれだけ沢山拝見したのは初めてかもしれません。円空単独の企画展も私にとって初体験です。
そして、会場となる埼玉県立歴史と民俗の博物館も初訪問。関東近隣の県立博物館はほぼ全て行ったと思っていましたが、こちらだけはどういう訳かチェックが漏れておりました。
建物は、熊本県立美術館の佇まいに似ており、打ち込みレンガの外壁もそっくり。中に入って、やはり熊本県美に似ていると確信し設計者を尋ねたら前川國男氏でした。やっぱり。
内部空間の広さには驚きましたが、広さを十分活かせていないのも熊本県美と似ているように思います。1970年竣工、1971年開館の美術館ですが、堅牢で風格がある建築は落ち着きます。

本展は昭和63年に開催した「さいたまの円空」展以来、23年ぶりの同館での円空展となります。
ふだん公開されていない埼玉県の円空仏とまみえる貴重な機会です。
展示構成は次の通り。
冒頭、円空仏の展示の前に、通常(というのもおかしいですが)円空仏以外の仏像が並び、円空が登場する古い文献『近世畸人伝』などが紹介されています。実際、円空の人となり、人物像はいまだによく分かっていないというから不思議で、日本全国を巡り、当時としては珍しく北海道に渡っている記録があるというからスゴイ人物です。

以後下記構成で、円空仏が像種別を基本に並んでいます。
・円空怒る
・円空の雲文
・円空、笑う

大小様々な円空仏が並んでいますが、ひとつとして同じ像はありません。
円空は最初、神像を制作していましたが、その後仏像制作へと移行します。
同じ像はないものの特徴をいくつか挙げることができます。

木材を2つ割して、木表もしくは木割面に彫刻を施す。
手のひらに縦の線があり。
糸のような細い目と三角の鼻、厚めの唇、そして驚いたことに仏像の微笑みの下には上下に牙のような歯を1本だけ見せている像も何点かありました。

また、≪聖観音菩薩立像≫春日部市観音院(チラシ表面に掲載)などは、身体の正面に雲文を施すものもあり。仏像の頭頂部には松ぼっくりのような羅髪がぽっこり乗っているものも。

木割や使用されている木材を見ていると、丸太だけでなく建築物の一部の材を使用しているのも何点かあり、材となる木自体に何らかの聖性を感じていたのだろうことが推測されました。
この木の神性に魅せられたのか、円空は彫ることに愉悦を感じていたのか、木を見ると自然に彫り始めていたのか、彫っている時の円空の状態は恍惚感のようなものがあったのか、などと様々に疑問がわいてきます。

間もなく東京藝大美術館で始まる「彫刻の時間 継承と展開」展に出展される橋本平八は円空仏に魅せられた一人です。橋本平八の作る仏像も円空仏にどこか似たものがあり、影響の強さを感じることができました。

材となる木の性質や形、そりなど材そのものを活かした仏像を円空は作り続けていたようです。埼玉に円空仏が多く残るのは、日光街道筋だったことが大きかったのではないかとされています。

≪善財童子像≫の三角頭とやや傾いた姿、表情にすっかり虜になってしまいました。どの像にも言えますが、粗い鑿跡も私の好みです。

図録はオールカラーで145ページ1000円。

*本展の巡回はありません。

「アルプスの画家 セガンティーニ-光と山-」 静岡市美術館 はじめての美術館90

セガンティーニ

「アルプスの画家 セガンティーニ-光と山-」 静岡市美術館 9月3日~10月23日
http://www.shizubi.jp/exhibition/future_110903.php

開館1周年を迎えた静岡市美術館に行って来ました。
かつて南口側にあった静岡アートギャラリーには数回行ったことはありますが、静岡市美術館開館後は初めて。

静岡アートギャラリーも駅近でしたが、静岡市美術館も静岡駅と地下で直結。雨が降ってもぬれずに行ける美術館です。静岡駅から徒歩3~5分程度の複合ビル「葵タワー」3階にあります。

広々とした玄関、玄関はオープン展示スペースになっていて、現在は袴田京太朗「人と煙と消えるかたち」展が開催されています。ここは写真撮影可能。
新作、旧作が壁面や床、あちこちに置かれ来館者を出迎えてくれました。

メイン企画展は「アルプスの画家 セガンティーニ-光と山-」。
セガンティーニの名前を聞いたことのない方も多いことでしょう。
日本国内では国立西洋美術館、大原美術館が彼の作品を所蔵しています。

展覧会冒頭の開催の辞を読み進むにつれ、まず気になったのはセガンティーニがどこの国の画家とされているかでした。
彼はアルプスの山や自然を多く描いています。てっきりスイスの画家かと思ったら、そうとも言い切れないようで、イタリア(イタリアで生まれた、更に、生地アルコは現在はイタリア領だが、セガンティーニ誕生時はオーストリア領だったためオーストリアも絡んでくるという、国と国のしがらみを目の当たりにするという。

展覧会構成は、静岡市美術館のサイトに詳しいのでご参照ください。→ こちら

17歳でブレア美術学校に入学し、若き日の作品は非常に沈鬱で画面は暗い。しかし、暗い画面の中で必ずどこかひとつ光の差す場面を作り出している。明暗の対比は若い頃の作品でも顕著。
加えて、ミレーに影響を受けているため、羊飼いをはじめ農村、農民の日常の風景をモチーフとしている。
羊を描いた作品では《羊たちへの祝福》1884年、《羊たちの剪毛》1883-1884年が初期作品では印象深い。
ただし、日常風景を描きつつ宗教的な内容を描いていることも見逃せない。生涯、セガンティーニにとって信仰や宗教は関心事であったが、彼が信じていたのは教会ではなく、自然神であったようだ。
教会に対しては寧ろ懐疑的、批判的立場をとっていたようで、彼の4人の子供たちには洗礼を受けさせていない。

28歳でサヴォニンに移住してから、彼の画面はがらりと変わる。
この頃からセガンティーニ独自の色彩分割技法を用いて、光と色彩あふれる画面へと移行を果たす。
本展チラシ表面に採用されている《アルプスの真昼》《水を飲む茶色い雌牛》など代表作が並ぶ。

同時期にフランスでは点描法で有名なスーラもその技法によって作品を発表していたが、スーラとセガンティーニの間に交流はなく、セガンティーニは当時スーラの作品も見ていないとされている(図録解説による)。

線を重ねてその隙間を補色で埋めるのがセガンティーニの分割技法だが、少し離れたところからみると視覚の中で色は混ざり合い、画面ではなく自らの鑑賞者の脳内で色彩はひとつになる。
彼の描く山々や草、そして岩や山肌の質感と色は、近くで見ると刺繍にも似ていた。

36歳でスイスのマロヤに移住し、この頃ウィーン分離派との交流を始めた。→セガンティーニ略年譜

ウィーン分離派の影響を受け、自然を描いていた画面の中に、象徴主義的な構想画面へとシフトしていく。
《生の天使》では、中央に聖母子と思われる母子の姿を描く。
また、《虚栄》1897年では、裸婦が水に映る自分の姿を見ている。すなわちナルシズム批判の場面を描く。
この裸婦の髪をかきあげるポーズが当時流行したジャポニスムを取り入れているのではないかという論もあるようだが、果たしてどうか。

カロヤ移住後に、セガンティーニの名声は高まり、第1回ベネツィア・ビエンナーレでイタリア政府賞を受賞する。

そして、40歳前後にアルプス3部作に取り組む。
アルプス3部作は《生》《自然》《死》と最初題されたが、後にウィーン分離派により《生成》《存在》《消滅》
として発表された。
この3部作はセガンティーニ美術館蔵で門外不出といわれており、本展への出品はないが、下図が来日している。

3部作といえば、黒田清輝の「智」「感」「情」を思い出す。
黒田は観念を絵画化せんと試み、セガンティーニは自己哲学、もしくは人生観を絵画化しようとしたのではあるまいか。

セガンティーニ作品を語る上で欠かせないのは、彼の不幸な生い立ちである。
幼い頃に両親をなくした彼は、少年院で育ち、基本教育を受けぬまま美術学校に入学した。
母への思いは生涯尽きぬようで、たびたび絵の中に聖母子や母子が登場するのはそれゆえだろう。
女性への崇拝は母への思いでもあった。
また、両親の死の衝撃ゆえかセガンティーの作品には生きているものの死を描いた作品も散見される。本展でも初期の作品で何点か紹介されているが、中で《白いガチョウ》1886年は優れた技量を示している。
セガンティーニは生と死を自然の中に見出し、結果、アルプス三部作への結実をみせた。

セガンティーニは山でアルプス3部作《自然》制作中に腹膜炎を起こし亡くなる。最期の言葉は「我が山をもう1度見たい」だった。
前々回記事をあげた犬塚勉もまた、山や自然に魅入られ山で遭難し亡くなってしまった。
犬塚の最期の言葉とセガンティーニの最期の言葉が重なった。

「VERY BEST OF SMMA COLLECTION」 セゾン現代美術館 はじめての美術館89

セゾン

「VERY BEST OF SMMA COLLECTION」 セゾン現代美術館 7月8日~10月2日
http://www.smma.or.jp/exhibitions/2011_summer.html

軽井沢へ行ってから早1ヶ月半を経過しようとしています。もう、夏も終わり。
すっかり、遅くなってしまいましたが軽井沢のセゾン現代美術館へ行って来ました!(7月に)
セゾン現代美術館もかねてより一度は行ってみたいと思っていた美術館で、JR東日本のおかげでやっと行けました。あの1万円きっぷもう1度やってくれないだろうか。。。

1981年にセゾングループの総帥、故堤康次郎氏の収集品を一般に公開するため、当時高輪に高輪美術館を開館(品川のプリンスホテルがある場所かな)。その後、1981年に高輪美術館が軽井沢の地に移転し、1991年にセゾン現代美術館と改称して、現在に至る。
菊竹清訓氏設計による美術館と若林奮氏の基本プランによる庭園という素晴らしい環境の中で、まさに国内外の現代美術の歴史を作品とともに辿れるコレクションを展開している。

噂には聞いていたけれど、こんなに凄いとは・・・。とにかく、コレクションの質の高さに圧倒されまくった。
名だたる作家の作品と言っても、その作家を代表するような名品や大型作品を揃えている。
ことに、海外の現代美術コレクションは、国内有数の質の高さと言って良いだろう。

入口までのアプローチ。
approach


入ってすぐに出迎えてくれるのは、篠原有司男のオートバイに、アニッシュ・カプーアの≪天使≫、そして天井からはお馴染みカルダーの≪錆びたボトル≫。
そして、マルセル・デュシャン≪トランクの箱(ヴァリース)≫が、68点の複製入りで中身とともにガラスケース2鎮座していた。

さて、いよいよ長めの回廊から展示室に向かう。
回廊には、マン・レイの作品が7点ずらりと並ぶがこれだけだと思ったら大間違い。1階展示室にも10点弱のマン・レイ作品がずらり。一体どれだけあるのだろう。

1階展示室に入る前に、左脇に進むと、そこには2つの展示室が。
ここでしか見られない、この作品のために造られたとしか思えない2つの展示室。
手前は私の好きなアンゼルム・キーファ≪革命の女たち≫1992年。
ずらりと14台のスチールベッドが並ぶ。まるで墓標のような光景で背筋が寒くなる。
そして、更に奥へ進むと、マグダレーナ・アバカノヴィッチ≪ワルシャワ - 40体の背中≫1990年が。
アバカノヴィッチの辛い過去の戦争の果てのようなボロボロの背中を向けた立体作品が並ぶ光景に戦慄が走る。
この2つの部屋で、思いっきり寒くなった。すごい、すごすぎる。。。この段階で早満腹感があった。

しかし、まだまだ先は長い。
1960年代~1970年の作家たちの作品を紹介。ジャスパー・ジョーンズ(5点)、リキテンスタイン、イブ・クラインなど。
カンディンスキー≪軟らかな中に硬く≫1927年と≪分割-統一≫1934年、このカンディンスキーは素晴らしかった。
そして、カンディンスキーがあると思えばパウル・クレーまでも2点登場!≪北極の露≫1920年、≪木の精≫1923年。何気なく、セルジュ・ポリアコフ≪コンポジション≫が置かれているあたりも渋い。
ジャン・デュビュッフェに、アントニ・タピエス、とアンフォルメル関係の画家たち(タピエス自身はアンフォルメルの画家に影響を受けた)。
イブ・クライン≪海綿レリーフ(RE)≫、久しぶりにクラインブルーを見る。

ここまでに、ミロもエルンストもある。

ブリジット・ライリーの≪礁―2≫は、ライリーの回顧展の際に作家本人に請われて出品された、ライリーの代表作と言って良い。私がこれまで見たライリーの作品の中で一番良かった。

中2階へ進むスロープの正面に出ました!マーク・ロスコ≪ナンバー7≫1960年。実は、最大の目的はここのロスコ絵画だった。≪ナンバー7≫は、高村薫の小説『太陽を曳く馬』上巻、新潮社の表紙カバーに使用されている。
ちなみに下巻はDIC川村記念美術館所蔵作品。
想像以上に大きな作品で、266.7cm×236.2cmの迫力。光を放つようなその画面の前で、しばし立ちすくむ幸せ。
スロープ横には荒川修作特集なのか、意味のメカニズムシリーズ6点が並ぶ。

もう、これで帰っても良いほど満足していたが、中2階展示室もまた凄かった。

年内に愛知県美術館で始まるジャクソン・ポロック≪ナンバー9≫1950年。エナメルに蜜ろう、これは間違いなく出展されるだろう。
今年亡くなられたばかりのサイ・トゥオンブリー≪ディアナが通る≫に、ジャスパー・ジョーンズが何と4点、サム・フランシスにステラとアメリカ抽象表現主義とその後、というタイトルが浮かぶ。

文中に記載していない名品も多数あることを中記しておきます。
全部は到底書ききれないので、かなり抜粋していて、実際はこの2倍くらいの作品が展示されている。

2階展示室。
やっと見られた、フランチェスコ・クレメンテ!パステル画1点だけど、なかなか国内では見られないので嬉しい。
そして、再びアンフォルメルで、ピエール・スーラージュ。

更に、最近関心が出て来た中西夏之のたとえば波打ち際にてシリーズ2点、宇佐美圭司、ヤン・フォス他。。。横尾忠則、大竹伸朗と続く。


この建物、別荘のような雰囲気を湛えているのも特徴。
サロンスペースでは、ジャン・ティンゲリーの巨大なミクストメディア≪地獄の首都 No.1≫、時間になると演奏が始まる。キーファの≪オーストリア皇妃エリザベート≫、セザール≪TOKYO圧縮≫のバリバリの現代美術作品の中に、重要文化財≪「厨子入木造大黒天立像」≫南北朝時代。これはちょっと異質な存在だった。

屋外の広大な庭園・・というにはあまりに広い-に、イサムノグチや安田侃、アルマンらの野外彫刻がある。
彫刻を探しつつ散策するのも楽しい。

イサム

彫刻2

屋外1

とにかく、その系統だったコレクションの質の高さに脱帽。
これは、次の展示替えに是非再訪したい。軽井沢に行ったら、必ず立ち寄りたい美術館です。

なお、1階にカフェスペースはありますが、軽食程度しかありません。がっつり食べたい場合はどこかで食事をして、ゆったりお茶するのが良いと思います。

「山本基 しろきもりへ-現世の杜・常世の杜-」 箱根彫刻の森美術館 はじめての美術館88

山本基

「山本基 しろきもりへ-現世の杜・常世の杜-」 箱根彫刻の森美術館 7月30日~2012年3月11日
展覧会HP→http://www.hakone-oam.or.jp/yamamoto_motoi/

山本基さんの作品を初めて接したのは、2004年の金沢21世紀美術館開館記念展。
床に広がる白の網目が美しくてはかなくて、それがお塩で作られていると聞いて驚いた。
その後しばらく、山本さんの作品を国内で観る機会がなかったが、2009年の金沢21世紀美術家、そして昨年のMOTアニュアル、京都のeN-artsギャラリーでの個展、そして今回とグループ展、個展が続いている。

箱根彫刻の森美術館での本展は、恐らく私がこれまで観た中で一番その力をフルに見せてくれたと思う。
当初会期は4月16日~9月4日の予定だったが、震災により開催が遅れ、7月30日からの開催となった。

私はオープニング初日の土曜日、アーティストトークを狙って出かけた。
箱根の森美術館は今回初めて訪れたが、広大な敷地の中、野外彫刻を楽しめるとともに、本展が開催されている本館の他、ピカソ館、マンズールームなど見どころが沢山。1日のんびりするのも良いと思う。

さて、本題に戻る。
本館ギャラリーは、1階展示場、中2階展示場、2階展示場と3つのスペースに分かれている。
受付は、中2階レベルにあるため、最初の1階展示場に行くために階段を下る。そして、中2階、2階と階段を少しずつ上がっていく。こうした展示室の特性をうまくいかしたのが、今回の展示だろう。
少し下って、上がって、上がって行く、これを中国の故事「登竜門」に見立てた。

1階展示場:現世(うつしよ)の杜
ここは、塩でできた枯山水。岩のかわりに、チベットやパキスタンの岩塩の塊を使用している。粒が粗い塩が白砂かわり。
「鑑賞の手引き」によれば、岩塩が登竜門の瀧のぼりをする鯉らしい。
アーティストトークでのお話では、庭師をされている友人の方にお手伝いを頼んだとのことだが、その出来栄えはまさに枯山水そのもの。

中2階展示場:魔展(まてん)の杜
ここでは、漬物などで使用する粗塩を焼き固めて、直方体のブロックを作る。この塩ブロックを約1000個!使用したお塩の量は3.5トン、によって天井まで届くばかりの塔を作り上げた。
塔高、3m60㎝。
周囲の小石のようなものは、お塩ではなく、お塩が溶けだすのを防ぐための本物の白石。建物を防ぐにはこうした塩止めが必須アイテムなんだそうです。

塩ブロックでできた塔は、これまで高さのない平面への広がりを見せている作品の印象が強かったので、とても新鮮だった。

この部屋には、他にドローイングの小品や写真も展示されている。
いずれも、輪廻、生死の循環を意図した作品。何かに似ていると思ったら「陰陽魚太極図」に似ている。陰陽魚、第1展示室の鯉が、ここでは陰陽魚へと転じたか。

2階展示場。
私がこれまで観た中では、最大級クラスの波打ち際に似た模様を創り出している。
これはもう神技レベル。
ここでは、サラサラの精製塩を油さしで使うプラスチック容器に入れて、少しずつ塩を絞り出していく。使用した塩の量は200キロ。
制作風景は、You Tubeでアップされています。(上記公式サイトよりご覧いただけます。)

MOTアニュアルもそうでしたが、見はらし台が用意されており、上から俯瞰して見ることができます。
上から見た時の感動といったら。
分かっていながらも、美しい光景が広がっていました。

塩は海水から採取できます。
そして、本展終了後、使用されたお塩は海に戻されます。
塩は生まれ、再び還っていく。

作品コンセプトが生死の循環であるならば、使用されている材料もコンセプトそのものを象徴しているのです。

8月11日(木)の日本経済新聞朝刊の最終面に、山本基さんのインタビューが掲載されていました。
山本さんは、妹さんの脳腫瘍による死がきっかけで、お塩によるインスタレーションを開始。
お清めの塩、そして、私が最初に金沢で観たような、網上の模様は、脳をイメージした形態だった、つまり妹さんの辛い死の記憶を昇華しようとされたと言っても良いだろうか。

海にお塩を還すプロジェクトはまだ数年前に始められたようですが、作品を壊すことへの辛さが薄らいだと記事にも書かれていました。


アーティストトークでは、震災前後で何か変化があったか?という問いに対し、
「特に、今回の作品についての変化はない。展示プランは震災前に決まっていた。」
「制作過程では、継続している余震もだが、寧ろ長く続いた雨や台風の方が厳しかった。塩は湿気に弱いので。制作している中で、限られた予算で準備した塩の量が不足しないかどうかが、気になった。」と山本さん。

作品を通して、死生観を見つめ、しばし自身と対峙するきっかけになりました。

<関連イベント>
*アーティスト・トークは
2011年11月19日(土)、2012年3月10日(土)13時半~1時間 本館ギャラリー
*作家と来館者による“海に還る・プロジェクト”
2012年3月11日(日)15:00―(本館ギャラリー2階) 

「アンドレ・ケルテス写真展」 メルシャン軽井沢美術館 はじめての美術館87

ケルテス

「アンドレ・ケルテス写真展」~日常が芸術にかわる瞬間~ メルシャン軽井沢美術館 7月17日(日)迄
http://www.mercian.co.jp/musee/exhibition/index.html

ハンガリーの首都ブダペストで生まれたアンドレ・ケルテスは、パリ、そして、ニューヨークと移り住み、それぞれの街を舞台に、91歳で亡くなるまで精力的な制作活動を続けました。
本展は、フランス文化・コミュニケーション省建築文化財メディアテークの特別協力のもと、パリにあるジュー・ド・ポーム(Jeu d Paume)国立ギャラリーによって企画されたもので、フランス政府が所蔵するネガの中から、189点の写真作品を通して、初期から晩年に至るまでのアンドレ・ケルテスの世界を紹介するものです。

アンドレ・ケルテスの写真を意識したのは、昨年の陰影礼賛展。思えば、この展覧会の周囲での評価はいまひとつだったが、個々の作品、特に写真をよく知らない私にとっては、先日のクーデルカ、そして今回のケルテスと未知なる作家への扉を開けてくれ、とても感謝している。

ケルテスは、陰影礼賛で≪モンドリアンの家で≫パリ1926年を観て、その絵画的な構図と影の効果的な使い方で好きになった写真家。この後、すぐに1995年に東京都写真美術館の「アンドレ・ケルテス展」の図録で他の写真も拝見し、やっぱりいいなと。
今回はモダンプリントとはいえ、プリントが189点とまとめて観ることができたのはとても嬉しかった。これを観たいがために、軽井沢に行ったのだった。ケルテスのオリジナルプリントももちろん残されているが、世界中の美術館に少数ずつ点在しているそうで、それをかき集めて展覧会を行うのは非常に困難だと伺った。

さて、展覧会は以下の4部構成で、撮影年代順になっている。最後は2階の展示室にて、彼の展覧会のオリジナルポスター、古いものでは1927年~1990年のパレ・ド・トーキョーで開催されたものまで13点も合わせて展示されている。こちらも写真を使用したグラフィックデザインとして非常に興味深かった。

第1章 ブダペスト 1894-1925
ケルテスは、ハンガリー・ブダペストでユダヤ系中流家庭に生まれ、6歳の時に見た写真雑誌がきっかけで写真撮影を開始。20歳で招集され、塹壕の中での日常を撮影するが、戦争という非日常の中での日常-すなわち、彼と同じ兵士仲間の普段の何気ない表情や出来事を捉えている。

解説には、「日常の事物を淡々と見たまま写す手法で、後のパリでのフォト・ルポルタージュにおけるスタイルへと確立される」とあったが、淡々と写されたかもしれない写真は、抒情的に見えた。また、静謐な雰囲気を湛えているものも多い。
概してケルテスの写真は、ピクチャリズムにつながるような絵画的雰囲気を湛えている。

≪ロマのこども≫、≪水面下の泳ぐ人≫、≪がちょうのひな≫、≪ボチュカイ広場≫、≪やさしく触れる≫、≪ドゥナハラスティ≫などなど。
特に、≪水面下の泳ぐ人≫は、ケルテスの写真に特徴的な俯瞰した構図と影を見せる写真になっている。
全体を通じて見ていくと、俯瞰した構図が多いことにすぐに気付く。

既に、初期作品でケルテスは生涯に通じる自作の特徴を備えた写真を撮影していたことに驚く。

第2章 パリ 1925-1936

1925年、ケルテスはパリへ向かう。当初、『ヴュ(Vu)』などいくつものグラフ雑誌に作品を発表。ここでも、ブダペスト時代と同様、好んだモチーフは同郷の仲間や友人、芸術家、パリの街並みやそこで生活する人々だった。
そして、私がケルテスに強く惹かれるきっかけとなった写真≪モンドリアンの家で≫を1927年に初個展で発表。これをきっかけに注目を集め、写真家として知られるようになる。

・幾何学的な構図
・光と影の明確なコントラスト 
・俯瞰

繰り返しになるが、これらは生涯を通じたケルテスの写真の特徴だろう。
特に、パリ時代の写真はこのいずれかの特徴を何かひとつ備えていると言って良い。
影が主役といえる写真の代表例としては≪エッフェル塔の影≫だろう。影によりその物自体を暗示することを試みた。同様に≪モンドリアンの眼鏡とパイプ≫1926年は本人不在の肖像として著名。この写真にモンドリアン本人は不在だが、彼の身の回りの品々、眼鏡やパイプを机上に乗せた写真は、本人が撮影されている以上に、その存在を強く感じさせる。

影を意識した写真として、他に印象に残ったのは≪フォーク≫、≪影を描く人≫、≪シャンゼリゼ≫、≪パリ≫。
≪シャンゼリゼ≫は並んだ椅子の影の形態が面白く、椅子そのものも橋に写っているが、ここでの主役はあくまで影だ。

俯瞰した写真としては、≪ジョリヴェ広場≫、≪サン・ジェルヴェ・レ・バン≫、≪トゥーレーヌ≫など非常に多い。これが後の、広場シリーズにつながっていくように思った。

曲線美を面白く捉えた写真は、こちらもケルテスの写真では著名だが、≪おどけた踊り子≫シリーズ。ポーズ違いで複数枚撮影。脚の描く曲線にいやでも目が行く。

また、「手」をクローズアップした写真も数点あり、これらも気になった。

第3章 ニューヨーク 1936-1962
ヨーロッパは、ヒトラーにより反ユダヤ主義が高まり、ユダヤ系のケルテスは1936年アメリカのキーストン社との契約を機にニューヨークへ渡る。
この時期、彼の本意ではない仕事、ファッション雑誌やインテリア雑誌などの仕事の依頼が続き、次第に制作意欲を失っていったという。勝手な推測だが、同胞への強い迫害も彼の心情に追い打ちをかけたかもしれない。
しかし、1954年に撮影された雪の≪ワシントン・スクエア≫から、窓という新たな視点を見出す。

ニューヨーク時代の写真では、幾何学的な構図、特に直線、曲線を強く意識した写真が目立つ。
これらは、ニューヨークという街を形態的に捉えた証だと思われるが、緩やかなカーブを描いて伸びていく鉄道の線路を撮影した≪プラットフォーム≫、摩天楼の高層ビルを垂直線で見せる≪ニューヨーク≫など、これらの写真では、ブダペスト、パリ時代の写真にあった抒情性がやや排除されている。

また、前記の≪ワシントン・スクエア≫においても、柵が描く曲線を上手くとらえていることに注目した。

≪メランコリーなチューリップ≫1939年もまた興味を惹かれる写真で、首を垂れ、花が下を向いたチューリップは、ケルテス自身ではないかとキャプションにあったが、メランコリーな気分にあったのは彼自身であったのだろうと想像する。

1951年撮影≪ソファ≫は、主不在の肖像画を思わせる。

また、第3章ではこれまで全てモノクロだった写真にカラー写真≪ビーチ・ヘブン≫、≪パーク・アベニュー≫、≪近代美術館≫(いずれも1969年前後に撮影)などが加わる。

第4章 そして、世界で 1963-1985

1963年、ヴェネツィアの国際写真ビエンナーレとパリでの回顧展開催により、ケルテスは20世紀を代表する写真家として世界的に知られる。1968年に来日、1977年に最愛の妻を亡くし、1985年9月に91歳で亡くなるが、最期まで制作意欲は衰えることがなかったという。

とはいうものの、晩年の写真はやや印象に薄い。これまでの写真同様に器楽的な構図と影を捉えた写真≪ニューヨーク≫≪ストリート・シンガー≫≪ハワード・ビーチ≫などは健在。
妻のエリザベスへの強い思いを感じる≪エリザベスへの花≫1976年と、日本で撮影された≪彫刻≫1968年、これは仏像の手と着衣の袖だけをクローズアップしているが、この1枚に強く惹かれた。

ケルテスは、渡米後亡くなるまでパリに戻ることはなかったのはなぜなのだろう。
しかし、彼のネガとスライド、そして書簡などの資料はケルテス自身の意思により、亡くなる約1年前にフランス政府に寄贈されているというのに。

私がケルテスに惹かれたのは、彼の写真に絵画的なものを感じたからだろう。そして、モノクロならではの影を強く意識した写真、構図、どれもが好ましかった。


メルシャン軽井沢美術館は、今年の11月で閉館してしまいます。
お庭の美しい美術館で併設のレストランやカフェも立派です(残念ながら時間の都合で食事できませんでした)。
前回アップした彫刻展と合わせて、お薦めします。

生誕100年 坂本善三展─「グレーの画家」への道─ 熊本県立美術館 はじめての美術館86

阪本
「生誕100年 坂本善三展─「グレーの画家」への道─」 熊本県立美術館 5月14日~6月26日

細川家
「細川コレクション 永青文庫の知られざる名品展」 熊本県立美術館 5月14日~6月26日

熊本に赴いた目的は、熊本市現代美術館の「水・火・大地 創造の源を求めて」展ともうひとつ。熊本県立美術館の建物にあった。
建築史家の藤森照信著「特選美術館三昧」掲載の美術館全訪問を目指していて、未訪の美術館もいよいよ残り少なくなってきた。その未訪美術館のひとつが、前川國男設計の熊本県立美術館。

熊本県美4

熊本県美3


熊本にはなかなか行けないと思っていたが、ついにチャンスが巡ってきた。前川國男の建築と言えば、都内だと現在改修中の東京都美術館や東京文化会館を思い浮かべる。
藤森氏によれば、熊本県美の建築での見どころは仕上げに使用されている打ちこみタイル。前川が手がけた中では、この熊本県美と埼玉県立博物館の打ち込みタイルの出来栄えがベストなんだとか。

玄関でも中に入っても、ワッフルスラブ(twitterで教えていただいた)の天井にまず目が行った。竣工は昭和51年(1976年)なのだが、その古さを感じさせないのは件のタイルのおかげかもしれない。

熊本ワッフル

熊本県美


熊本城公園の一角にあるこの美術館は、敷地が傾斜しているため、その傾斜を利用し周囲の緑と調和させた建築になっている。遅めのランチはこの美術館のレストランでいただいた。

展覧会は、熊本を代表する洋画家の一人として知られる坂本善三の色彩豊かな初期作品や、戦後間もない頃の静物画、そして、抽象画へと向かう過程の作品により「グレーの画家」と呼ばれる変遷をたどる内容。
初期の具象画が、徐々に抽象へと向かう過程は非常に興味深かった。戦前、戦中、戦後と戦争を挟んではいるが、彼の作品に大きな戦争の影響を見つけることはできなかった。
1点、観たいと思った作品が展示されていなかったが、この1点はこの後行った熊本市現代美術館の「パブリックアートから見た坂本善三」展で展示されていた。、県内の美術館で連携しての展覧会開催は珍しい試み。

もうひとつは、細川コレクション永青文庫展示室で開催されている「細川コレクション 永青文庫の知られざる名品展」。展示作品数は少ないながらも、初公開作品がいくつかあり、うさぎの立体前立てが付いた兜に仰天した。かわいい・・・。細川護立は、日本画家や洋画家のパトロンでもあったので、こちらでも日本画のめったと観られない珍品名品に出会えて嬉しい。永世文庫展示室へは、いったん本館建物から外に出て、離れのような併設の別棟入口から入るのは、晴れの日は良いが、雨の日はちょっと面倒。それとも、中でつながっているが敢えて、外からでないと入れないようにしているのだろうか。

細川コレクションと言えば、京都文化会館で今後年2回、細川コレクションを展示する企画展を開催する提携が決まった。熊本でなく京都というのは意外だが、一人でも多くの方にこの素晴らしいコレクションを見せていただけるなら、喜ばしいことだと思う。

地下には、考古展示室もあって熊本県内の遺跡が展示されていたり、ご当地熊本出身の版画家、浜田知明展示室もある。浜田知明展示室では、ご本人によるコメントが作品キャプションになっていたり、インタビューがパネル展示されていて、熊本ならではの展示を楽しめた。

「水・火・大地 創造の源を求めて」展 熊本市現代美術館 はじめての美術館85

水火大地

「水・火・大地 創造の源を求めて」展 熊本市現代美術館 4月9日~6月12日 10時~20時 火曜休館
http://www.camk.or.jp/event/exhibition/water-fire-earth/

九博の「黄檗展」についての記事を書いてから、日が経過してしまった。
大宰府を後に、西鉄で大牟田にて鹿児島本線に乗り継ぎ、人生初の熊本入り。到着した葉いいが、JR熊本駅前にはめぼしい大きな建物もなく、かなりさびしい風景が。熊本市って県庁所在地の筈。街がない・・・と思いきや、熊本中心部はJR熊本駅からバスか路面電車で10~15分程行った熊本城下が繁華街なのだった。
さすが、細川家の熊本藩、熊本城はこれまで観たお城の中でも国内有数の立派さ。熊本城近隣には熊本県立美術館もあり、芝生の広がる広大な公園も併設している。

熊本市現代美術館は開館時間が夜8時と遅い。毎晩8時まで開館している公立美術館は全国でここだけに違いない。その理由は、熊本市現美の図書室にある。この図書室中央部天井には光の天蓋、J.タレルの「MILK RUN SKY」2002年があり、その真下にはマリーナ・アブラモヴィッチ作の木製ベッドが十字に4台置かれている。枕にあたる部分は大理石。アブラモヴィッチは図書室本棚を作品化しており「Library for Human Use」2002年、棚の一角にベッドを組み込んだり洗面コーナーがあったりする。中央には彼女の絵画もある。
毎晩19時にはピアノボランティアの方が来られて、図書室でピアノの生演奏を聴きつつ、タレルの光の天蓋の色が刻々と変化していくのを眺めるというすごい趣向。
これ、すべて無料です。
館内は撮影禁止。以下は、玄関から中を撮影したもので、右手奥がホテルロビーのような図書室。

熊本館内

熊本館内2



他にも階段下に、草間弥生の鏡のアートワーク「早春の雨」2002年や、エントランスホールには宮島達男「Opposite Vertical On Pillar」2002年もあり。
http://www.camk.or.jp/information/facilities/artwork/index.html

これらは恒久作品として、美術館開設にあたって制作されたもの。特に図書室を堪能するだけで足を運ぶ価値はある。

さて、企画展「水・火・大地 創造の源を求めて」は、九州新幹線全線開通記念事業の一環として企画された。
熊本にゆかりのある水(豊かな地下水)・火(阿蘇・不知火)・大地を8名の出品作家による作品で展観する。
<出品作家>
杉本博司 Hiroshi Sugimoto、遠藤利克 Toshikatsu Endo、千住博 Hiroshi Senju
淺井裕介 Yusuke Asai、蔡國強 Cai Guo-Qiang、リチャード・ロング Richard Long
ディヴィッド・ナッシュ David Nash、アンディー・ゴールズワージー Andy Goldsworthy

実は、この展覧会、アンディー・ゴールズワージーが一番のお目当て。遠藤利克も気になるし・・・と好きな作家さんが多かったので、行っておきたかった。

まず、「水」。
千住博の「四季瀧図」「フォーリングカラー」2006年と杉本博司は「Sea Scape」シリーズが並ぶが、後に続くイギリスの自然派作家の作品と比較すると浮いていた。彼らの作品を観ても一向に熊本の地下水や水をイメージすることなどできない。
千住博や杉本博司の作品を批判している訳ではなく、ここで見せるには適していなかったということ。
杉本作品に至っては、豊田市美所蔵作品が6点ほど並んでいるだけで、見せ方も漫然としてメリハリなし。

しかし、次のディヴィッド・ナッシュ、アンディー・ゴールズワージーから俄然良くなってくる。
といっても、国内美術館から、主に栃木県立美術館からの貸し出し作品中心。
ナッシュは、「日光における彫刻制作写真」や実際の木彫が出ていたが、彼の場合、「火」が関係する。
彫刻に使用する木材をバーナーなどで加工し表情を創出する。

ゴールズワージーに至っては、好き過ぎて、展覧会テーマ以前に作品を観るのに必死。
これだけの数をまとめて観られたのは初めて。
前述の栃木県美はじめ、世田谷美術館などの所蔵品が出展されていた。
中で忘れられないのは「トーン・ストーンズ」1990年。
イギリスで集めた石を陶芸用の釜に入れ、強い熱を当てて作られた石を枯山水よろしく並べる。
内部が熱によって溶けだし、表面に亀裂が入る、熱エネルギーが外へとあふれ出、自然に冷えて固まるのを待つ。。
この作品の壁の向こうからなぜか、水音がして来たのだが、その理由は最後に分かった。

ゴールズワージー曰く「色彩は彫刻的である。目を見張る鮮やかな色彩。自然の有する色を開放し自律性を持たせる。」そして「自らを風景の中の変化の媒体」と語る。
葉脈の間を裂いて、松葉で縫合した葉は、一見すると蛇の紋様を描いているような、自然の一部を使用し再構成、もしくは僅かに手を加え、視点を変えて見せる手法に魅せられる。

リチャード・ロングは、花崗岩を使用した円環、粘板岩を使用した作品。大地や火の存在を意識させる。

浅井裕介は、阿蘇、熊本城、天草の土を採集し、他の土地の土と混ぜて巨大な泥絵による壁画を本展のために描いた。「泥絵・土のこだま 阿蘇-天草」2011年。
この他、箱型の作品にペイントした作品もいくつかあって、彼の作品も本展主旨によくマッチしていたと思う。

圧巻だったのは、遠藤利克「空洞説2011-KUMAMOTO」。
これは素晴らしかった。
縦に長い展示室をフルに使用したインスタレーション。最奥のコーナーは鉄板で仕切られ、向こう側を観ることはできない。聴こえるのは瀧のような流水の大きな音。
ゴールズワージーの作品があった壁の向こうから聴こえて来た水音は、これであった。
見えない水の存在は、まさに地下水の表現に相応しい。
そして、鉄板を挟んで水と反対側には、木を燃やして完全に炭化した長舟が一隻、ノアの方舟よろしく置かれている。
川から流れついたのか、ユートピア目指して漂流するのか。

遠藤利克の作品解説に興味深い記述があった。「インドの経典リグ・ヴェーダでは、火は自ら発生し、水に住む」。
まさしく遠藤の作品にはこのリグ・ヴェーダの教えが具現化されているように思えた。

冒頭の2人の展示は、若手作家に任せた方が良かったのではないか。熊本出身の若手アーティストは多数いるのに。
観客を呼び込もうとするために、作家のネームバリューだけに頼っていては、観客を唸らせるような展覧会はできないと思う。中盤以後が良かっただけに、尚更残念。

今回は、日帰りだったので次回は是非ピアノ生演奏とタレルのプログラムを体験したい。

帰り際の熊本市現代美術館の写真。熊本城を臨む繁華街にある。

熊本現代1

熊本現代2
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