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APMoA Project, ARCH vol.11 末永史尚「ミュージアムピース」アーティストトーク

9月13日(土)14時より開催されたAPMoA Project, ARCH vol.11 末永史尚「ミュージアムピース」アーティストトーク、司会・進行:副田一穂学芸員をテキスト化しました。聞き取りづらかった箇所には(?)を入れています。当日はスライドを使用したトークでしたが、画像は省略します。末永史尚氏の公式サイトにこれまでの作品画像は掲載されていますので、合わせて参照しつつ読まれると良いでしょう。冒頭にあった作家の紹介は省略しています。(敬称略)

副:今回元々私はタングラムとかそういうイメージで話を持ちかけたて、今回も旧作を交えながらやるかなと思ってお願いしていたのですが、良い意味で予想を裏切る新しい展開を見せてくれましたので今日はその辺の裏話も含めてじっくりお話を伺えたらなと思っています。

末:今日は来ていただいてありがとうございました。名古屋でこういうレクチャーをする機会がないので、一番最初の僕の制作のスタートからお見せして、後半に今回の展覧会の話ができたらなと思っています。
僕は、東京造形大学の卒業なんですがその時の卒業制作の作品なんですが、これを作った時考えていたのは、元々絵画専攻で絵を描く勉強をしていたのですが、油彩をやっていたのですが油彩画事態に馴染めなくて油彩画絵を描く時の色彩が表に立つ。三次元のものを二次元にするプロットに馴染めなくて自分にとって絵を描くことはどういうことなんだろうと考えて小さい頃の絵を描くときの原体験を思い出して二次元のものを二次元に描き写す方が馴染むことに気がついて自分が絵を見ている経験すらも画集を見ていたりということが多いということから、これがこの真ん中のはリキテンシュタインの画集の図版ですが、ずっと見ているとこれを拡大すると隣のこの絵はフェルメールなんですけれど、真ん中の端っこに光っている光がきらっと見えているくらいなんですが、こんなことをしていました。

副:これはアクリルで描いているんですか?
末:そうです。真ん中の絵は下地を塗っていない生のキャンバスに描いていますね。
点で型を作って行く。これほんとは一番最初に紙に描いたドローイングであまり見せることはないんですが。これもリキテンシュタインモチーフですね。そうこうするうちに画集、絵のモチーフを拡大してこうやって写真の斑点だけ描いていたり。印刷の中のグレーの状態をシアンタイエローが等しい状態を拡大して絵を描いていた。そういう制作を2000年くらいまでやっていた。
それを続けているうちに二次元のものを二次元に引き写す延長線上で漫画をモチーフにした制作を始めた。これは漫画の吹き出しを漫画から直接切り抜いてキャンバスに貼付けたもの。これは2003年か。これは漫画の中から巻き髪の部分、これはスクリーントーンですね。分かりますか。
副:巻き髪って具体的に何の漫画から? 
末:これがですね。デカスロンですね。
副:あぁ、デカスロン。デカスロンと言っても分からない方が多いと思いますが(笑)。こんな巻き髪が出て来ましたかね。
末:これがワンユニットで微妙に重なって、巻き髪の中のくるっていう丸くなっている部分だけを抽出してつなげてつなげて。
副:最初から基本的に元々二次元だった絵を絵として描き直すんだけれども、それが極端に一部だったり極端に拡大しされたりたりしているんですけど。描く時のモチーフの選択。リキテンシュタインはよく分かるんです。元々彼は漫画をコピーしたり拡大したりして重ね描きしているわけでコンセプト的によくわかるんですが、じゃ例えばフェルメールを選んだのはなぜなんでしょう?
末:一番最初に選んだのはリキテンシュタインで網点で絵を描くことの可能性をどこまで引き受けられるかなと考えたとき、対局にあるのがフェルメールだったんです。
副:あーなるほど。光、明暗の表現で。最終的にアウトプットとしては違うかもしれませんが、問題意識としてはつながっている気は何となくしますね。目に見えているものと実際に見えているものとの違うわけじゃないんですが、極端に変な見方をすると全然違うものに見えちゃうというのが、何となく繋がっているのかなという気がするんですが。
末:なぜこういうわかりにくいことをするかというと漫画を使っていることをシンボリックに使いたくなかったんです。ちょうどこの頃村上隆さんが華々しく発表された頃で、それはそれでよく分かったんですけど、引用した時点で完成している気がして、そうじゃなくて引用しつつ引用したことが伝わりつつ、あくまで抽象的な絵でありたいという思いがあったんで、だから何となく分かるけれども分からないみたいな、そういう状態にどうやったら絵を留められるかをずっと考えていました。スピード表現ノブ分だけを抽出して色を変えて層にしている状態ですね。漫画の中の小石(?)を拾い集めて色を変えて層状にして重ねている。これはサザエさんから来ている。
副:へぇ、確かに言われないと元ネタが全然想像できないないですね。
末:長谷川町子はやっぱり上手いですよね。描き分けとか。(ずっと初期の作品が続く。)
副田さんから最初それでやってみたいと話されていた「タングラムペインティング」というシリーズなんですけど、それを作り始めたのが2008年ですね。
明確にきっかけになった展覧会があって、「ニューバランス展」という自主企画展だったんですけど、僕と冨井大裕さんと村林基の3人でグループ展をやった時の写真ですね。結構変な展示になっちゃったんですけど。
これは展示のディレクションを知り合いの建築家の田中洋之さんという方に頼んだんですが、最初はディレクションを頼む作りはなくて展示をやってもらいたかったんです。
副:作家として参加して欲しかった?
末:いや、作品を託すので自由に展示してみてくださいというのをやってみたかった。
それはなんでかというと展示の方法自体は美術的な方法の当たり前なやり方にどうしても頼ってしまっていることに気がついたので別概念だったら崩してくれるんじゃないかなという期待を持って、だったら建築家さんだったら何かやってくれるだろうと思って依頼したんですが、思いのほか深く関わりたいというような返事で制作の前にお題を出すからそれにそって作ってくれと言われた。そのときは特に崩壊しなかったんですけど、お題というのが「与えられた展示空間の丁度半分の高さに透明の水平な面があると思って制作してください。」と言われた。
副:この辺に透明なフラットな面があると仮定してつくりなさいと。  
末:ものを作って配置してくださいとも言われない。
副:なるほど。
末:それを言われてそれぞれ作ったんですが、冨井さんはこれはストローでできているんですけど、会場に橋のような造形物を作り水平の面が水面であるような見立てをしたんですけど、村林さんがどういうアプローチしたかよく覚えていない。僕は、水平な面があるのだったらそれが会場を高さで区切っているので、どんな高さでも展示できるような絵を作ってみようと思ってそれでできたのがタングラムの絵。低い天井の高さでも展示できる絵。ただ小さい絵だけができてしまうのも面白くないし、分化されてしまうのができてしまうのも面白くないし。
低いところでも展示できる絵なんだけれども、状況が変わればどこでも展示できるもの。そういう絵を作りました。これはどういう仕組みなのかというと1枚はこういう形ですね。1辺は60センチ×60センチ。この形が何の形かというとタングラムパズルというシルエットパズルで、本来はお題で形が組んであってそれをどうやったら7つのピースで作れるかとかを考えて遊ぶパズルなんですけど。その形でパズルを作って絵を描いて展示する状況に組み替えて使うと。
ただこの時はいきなり建築家の田中さんに展示をしてもらったら、結構立体的に展示された。床に置いて立てるとか角を使うとか床置きとか。いきなりこう僕としてはイレギュラーな使い方だったんですけど。
本来は、この次の個展でやったような、これが同じ年の個展で東京のスイッチポイントで展示の時のですね。これは形を組んでいるんですけど壁面を水平的に平面でギミックに組変えられるというような作品です。

副:ちなみに話それるかもしれないんですがタングラムの世界共通でこの切り方なんですか?切り方が決まっているんですか?正方形の切り方は決まっている?かなり古くからあるんですか?
末:そうです。元々は中国のパズルです。100年前だか300年前だか忘れちゃったんですが、昔からあってそれが19世紀にヨーローッパに渡って大流行してそれが日本に入って来た。
副:私、実家の冷蔵庫にマグネットにして貼ってあったんで、魚にしたり兎にしたりやってましたけどして遊んでいた。なかなか意識的にタングラム買ってやるという人はいないですけど。すいません。話がそれました。
末:壁画っぽい洞窟っぽい洞窟壁画のような壁に付けた時にそういうイメージがあったのでイメージをふくらませられないかと思って作っていた。その後いろんなところでタングラムで展示させていただいていて。これは名古屋のシーソーギャラリーで2011年ですね。ちょっと変わったた空間なので遊びがいがあったというか。カフェ・ギャラリーで、カウンターもあるし奥の部屋もあるし、とはいえ大きい窓があって、普通のギャラリーとは様子は違うんですが。こういう展示をしていました。(展示風景のスライド)

副:必ず意味のあるというかイメージの形にするわけでもないんですか?場所と合わせながらなんですが、例えば階段状だったり狐みたいなものもあれば。よくわからないけど、どうにでもできるわけじゃないですか。
末:中にある図が結構影響していて中の絵によっては組めないものも出て来るんですよ。木の形が多いんですけど中が緑一色なんで基本的には、この外の形を使いやすいんですよ。

副:はっきりと見えてこない。
これは猫のつもりで組んだんですが、中に点形があるので、ここが目になるなと思って。
これは正方形の状態だと斜めのストライプだったんですけど、組み替えるとちょうど縦の線があるので、形が生まれたんでこの形を選んだ。会場の条件と中に描いてある部分の関係で形の組み方が決まって来る。
副:元々の中に描いてある絵と言うのは柄のようなものはどういう風に考えているんですか?
末:この頃は、後々の自分に対する問いかけみたいな。組み方に影響するんだけれども、あまり答えが読みやすくないような図を描く。組み替えた時にこことここの線がつながるだろうと思いつつ、もう少し分かりにくくする。伝わってます?
副:いや分かります。じゃあこの時はいったん何かからの引用とは離れるんですね
末:その後一昨年くらいからまだタングラムペインティングは続けているんですけど明確にモチーフを用意し始めて、それが去年の春のVOCA展に出品したんですけれど、その時の絵です。東京の上野の森美術館で毎年春にやっているVOCA展に出展したんですが、そのときは衣服の柄をモチーフに制作していまして、これがタータンチェックでこれふぁアーガイルで、これがストライプ、肩の所(?)ストライプを使うところを描いたんですけど。展示の時はこういう状態。これが迷彩柄。
副:やっぱりこう柄を活かした形にするということはは引き続きいきているんですね。
末:そうですね。特にこのストライプのはそうですね。このアーガイルのはこの形にすると蛇の鱗っぽいかなみたいな。なんでこの分け方にしたかというと、明確にこう人が見たことのあるものが形が組変わることによって別のものに見えて来る状態に関心が移って行ったんです。画像を用意してないんですけど、直前にタングラムの絵を使った子供用のワークショップをやって、それぞれに絵を描かせてタングラムの形に切ってもらい別の形にしてみようというのをやったら、その時にやったものが非常に面白かったので何かに使えるなと思った。だから、実はここでタングラムは変わってきつつある。
その間にまた別の作品があって、これも見てもらってましたよね。これもシーソーでさっきのタングラムは前期でこっちが後期だったんですけど、この時に初めて発表したんですが、1個1個がバーネット・ニューマンというアメリカのペインターの作品がずらずらずらっと並んでいる状態なんですけれども、これが何をモチーフにしたかというとインターネットで画像検索をして、関連した画像が出てくるんですが、それで画家の名前で検索した時の検索結果画面を描いたのがこのシリーズですね。これはアド・ラインンハートかな、これはエルズワースケリー、これもニューマン、これはマーク・ロスコ、これはラインハートか。
副:このシリーズはシーソーでの発表が初?
末:そうですね。
副:これがすごく面白くて、本当は今回はこれでお願いしてみようかと思ったのですが、紆余曲折があり、実際に今バーネットニューマンで検索してみるとこんな小さい感じになる。
末:最初に見せた卒業制作を作った時の動機とちょっと関係してきていて、自分の絵を見る関係、経験みたいなものが、ふっと気がつくと卒業制作の時は画集だったんですけど、ネット上で見る経験がかなり増えて来ていて画像検索の視覚経験が記憶されていないなと思って、この経験をそのまま絵にできないかなと思って作り始めた。
副:そういう意味では卒制の場合は複製図版の拡大で、デジタルというのは縮小されている。抽象表現主義の絵画は巨大な画面であることがが多くこうやって整然と並んでいることは現実的にはあり得ないし、大金持ちで沢山買って並べたとしてもスペース的にこんな風に並べて見ることができない。これって特異な経験と言うかインターネットでしか見ることができない。
末:それぞれ3メートルとか4メートルとか。
副:色見本帳みたい。
末:あと、マケットシリーズ。これもシーソーが初めて、いや違うかな。これがシーソーのですね。これは何をやったかというと展覧会の前に、必ず会場のマケットを作るんですね。会場のサイズ(?)と同じ六面体を作って、各面にそのマケット通りの図を書き込んで塗り分ける。そうすると会場の六面体の縮小版みたいなのができて来る。これはさっきのスイッチポイントのですね。
副:原画状の模様はどうなんですか。現実には。
末:天井にパネルが付いてるんですよね。ちょっと分かりにくい。
副:今回の展示でもこういう形ではないですけど三次元、立体的なものが出てて、普通に考えれば彫刻に見える んですが、タングラムを一番最初にたてているのを見て行くと六面体は組んだだけなのであくまでペインティングとして作られている。こうやってみていくと腑に落ちる。ペインティングとして意識してつながっているんですね。
末:そうなんです。一面一面描いていて、かといって独立しているわけではないので。
更に、違うものが出て来たのがこの時でこれは去年か。去年、所沢市にある旧給食工場今は使ってないんですけど。去年の引込線、昔は所沢ビエンナーレと言っていたんですが、去年から改称して「引込線」。そこの給食工場の休憩室で展示したときの写真で、日用品と同じサイズでパネルを作り着彩する。これはチョコレートですが、ガーナですね。これはイレギュラーなんですが牛乳パック、これはカップヌードル。
名刺500枚、名刺注文して届いた状態はビニールの帯が付いてるんですが、それを描いている、会場自体はタングラムのペインティングを展示しつつ、新作も作った。
副:マケットの延長線上に出て来たような感じですか。
末:それは確実にそうだと思います。これは今回も展示しているのですが、これも去年、これは日本大学の芸術学部の彫刻科のアトリエの廊下。掲示板を使って5人で展覧会をの企画をし、それに参加した時の展示です。今回も美術館の掲示板、ポスタースペースにこれをそのまま使プラス枚数はちょっと追加してますが、何をしているかというといろんな所のポスター掲示スペースに行って、ポスターを止めてある部分を写真におさめ、それをポスターサイズに出力してポスター掲示板に貼る。
副:注目しているのは止め方なんですよね?止め方と中身と色味の関係ですか?
末:両方。
副:一番分かりやすい内容は瀬戸内のポスターなんか。はためいている内容で、実際ポスターもぴらっとはためいている。中の画像と外側の矩形がなんとなく響き合って馴染んでいる。必ずしもそういう関係にある訳でもない?
末:1個1個関心の持ちようが違うのかなという気はします。これもやっぱり止め方なので。でも止め方、その場所によって止め方の個性みたいなのがどうしてもあるので、それが分かりやすく伝わるような部分を切り取っているつもりではいる。これだと絶対パネルの継ぎ目にあわせなければいけないんだなとか。
副:暗黙のルールみたいなのが多分どこの掲示板でもあって、暗黙じゃなくてマグネット式だったら画鋲を押せないとか物理的制約もあるわけですが、この作品を見てから私うちの10階の掲示板にポスターを貼る係なんですが、すごい無意識に今迄貼っていたのが気になっちゃって、これを見てから自分が何をルール化して貼っていたのかと貼りづらかったです。
末:混乱はないですか?
副:混乱はないですが、気づかないお客さんが多いですね。ぱっと一瞥しただけだと多分自然に見えるんだと思います。ポスターなんて誰も見てないということなんですけど悲しいことに。何でもつなげて考えちゃうんですけど、検索結果の描いたのもそうですが、ぱっと見た時の印象ってそんなもんなのかなと思って。ちゃんとしたポスターが同じように貼られていたとしても、よほど関心を持っていないと、ポスター掲示板だなと思ってすっと行っちゃう。そのときの持ってるイメージって断片的な色がぱぱぱとあるなとか、知ってるアーティストがいればそこだけ少し強い印象があるとか。そのくらいのことなんだろうなと今回の反応なんかを見ていて思いました。
末:僕の場合1個1個の作品のシリーズって結構ばらつきはあるんですけど、作った後の経験が他の作品に引き継がれているので、それで広がった視覚みたいなものが次の作品につながっていて1個1個は直接関係していなくても一個の線につながっているんですけど。作ることによって別の細かい部分が気になって次へ育っていくんで。
副:だからすごく流れるように展開している感じがして、確かにひとことでこういうルールで作ってますというわけではもちろんないんですけど。
末;それは最初から結構考えていたというか一つのスタイルに自分のすべてを押し込むことはできないなと出発時点で考えていたので、ほんと今は理想的な状態ではあります。もう1個これが去年スイッチポイントで個展を開催した時の会場。この時に段ボールを出品しています。展覧会タイトルを「目の端」と付けたんですけど、自分的にはすごい苦労したんです。
副:今回私リーフレットのテキスト書かせていただいたんですが、必要ないのにわざわざ「目の端」を引用したんですが、すごく言い得てるなと。末永さんのそういう関心をさっき一言で言えないと言いましたが、象徴的な言葉で言うとすると「目の端」というのはすごくぴんとくるなと。目の正面に捉えて焦点化してしっかり見てる以外のものの見方というのが常に出てくるような気がして。目の端っこって見えてるんだけれど、見えてない。けどやっぱり見えてる。光は入って来てなんとなく意識の中に入ってきているんだけれどもしっかりと焦点化はされていないようなものが何となく作品の中に常に出てくるような気がしていて。

末:ちょっとここで目の端はカットして。これはスイッチポイントでやったもの。DMの束のような作品を置いいたり、会場の隅に段ボールを置いていたり、壁には絵も描けていたりしていたんですけども。逆にこれがあるたことによって脇にあるものも簡単に焦点化されないというか、これを端っこに置くためにこっち置くような状態だったんですけど。
で、今回の展覧会の話にしましょうか。
これが今回の展覧会の会場です。皆さんもうリーフレットとかお持ちなんで大体のことはご承知だと思うんですけど、美術館にある備品なり美術館にあっておかしくないものを選び焦点をあてて作品にした。メインは、コレクションが付いている額縁ですね。 
副:今回額縁で行こうというきっかけってどの時点で何だったんですか?
末:元々いつか描こうと思ってたモチーフに額サンプルというのがあったんですよ。額屋さんに行くと額の隅だけ三角形の額サンプルがずらずらっとあって、これは面白いのでいつか描けたらいいなと思っていて。聞きましたよね、額サンプルがないかとでもなくて。よく考えたら美術館の作品って全部額が付いているよなと気づいて、だったらこれそのまんま同じサイズで描いて絵はつぶしてしまえば額だけの絵ができるんじゃないかなと思ったのがこの作品です。
さっき目の端のお話をしたんですけど、これこそまさに目の端にあるものなんで。とりあえず1点2点描いてみて判断しようと思って、描いてみたら思いのほか納得できる状態だったんで、これでいきましょうという話になった。
副:うちの所蔵作品から結局10点でしたっけ。
末:うーん、もうちょっとあるかな。
副:ピックアップしていただいて採寸して全部実物通りに作っていただいて。採寸が結構大変で。
末;申し訳ないことに僕、東京にいるんでこの辺にいれば僕が採寸したんですが、採寸の方は副田さんいお願いしてしまって。
副:本物の額もフラットだったら楽なんですけど、本物は結構でこぼこしてるじゃないですか。柔らかいメジャーを使ってこう(はかるポーズをする)。装飾が結構こまかくて。どこまで末永さんこのデータ使ってるのかなと思って送って。
末:結構使ってないんですよね。
副:結構省略してるんですよね(笑)。
末;(副田氏が送った採寸の結果のスライド)ここまで用意してもらって。額の仕様書っていうのが残っているものもあって。
副:ちょっと話それていいですか。作品を購入した時に額が付いているんですけど、状態が悪いと付け替えたりするんです。パウル・クレーの蛾の踊りという作品とジョアン・ミロの額は愛知県美術館が発注して新たに作った額なんで、デザインも今はもうどちらの学芸員も別の職場に移ってしまいましたが、それそれ別の学芸員がデザインを考えてこの絵にはこんな感じだろうと他の額もリサーチしながら作ったもの。そういうものだとバチッと仕様書が残っている。結構、額ってただ木枠でしょみたいに思っているかもしれませんが、結構複雑な形をしていて。購入時に付いた額のままだと当然額の仕様書なんてないんで作り始めないといけない。
末:いろんな経緯で額がついているんだなというのも今回結構面白かったんですよ。元々付いている額、買った人が付けた額、美術館で付けた額。
副:それこそ目の端で焦点化されないから、その来歴なはんかに普通は意識が向かないわけなんですよ。クリムトの額は派手だなと思う人はいっぱいいらっしゃるんですが、じゃあいつの段階ででどういう経緯で付けたのかまで考えないんです。なかなか追えない場合も多いんですけど、みんながみんな関心を持つ訳ではないので作品のデータは受け継がれて文献に残ってたりするんですけど、額についてはほとんど記述がないことが多いんで。
末:これは絵にはあってますよね。
副:基本的には描かれた絵の時代の様式の、額も様式の変遷があって、その地域の様式の額がしっくりくるんです
末:そういうデータは結構残っているものなんですか?額が元々どういうものだったかというのは購入時点でわかるものは残してある?
副:調べてわかるものは残っています。状態が悪くて保存に向かない額は付け替えるんですが、画家が明らかにオリジナルで自分で作った額もあるので、そういう場合はそれ自体が作品と一体化しているようなものなので、そういう場合は外してしまわず別の保存方法を考えますね。
末:そういう経緯も含めて結構今回は面白かったんです。ちなみにせっかくなんで、ほぼ全部の元作品ネタばれ。これです。絵を入れた画像を紹介。これだけはちょっと並べた写真なんですけど。
副:展示作業の途中でちょうど良い機会があったのでぱっと並べて写真を撮ったんですよ。感動しましたよね。当然現物を見ながら描いている訳ではないので色もイメージで描いていることが多い。
末;写真と実際見て描いてるわけなんですけど。
副:もちろんきっちり現物に合わせようという意図はないですよね。光らせ方なんかも。
末:それは無理ですよね。元々立体物なんでそれを同じ平面状にするわけなんで光るなんてのはあり得ない。
これは苦労したんですよね。金色って普段使わないんですよ。計測不可能なところは拡大写真を送ってもらって。これは熊谷守一ですね。今、ちょうど岐阜県美の熊谷守一に出品されてましたけど。
副:今回選んだ10数点はミュージアムピースというだけに、うちが持ってる中ではトップクラスというかいわゆる名画なんですが。熊谷だけが結構地味なんですが、実はうちのコレクションの熊谷のほとんどいいのが持って行かれちゃってなかったんですよ。これだけあんまりミュージアムピースじゃないんですけど。
末:でも額は同じでしたよね。
副:額はいつも同じ仕様でいくつも作ってるんで。
末:そして額だけじゃないな。油彩画だけに偏るのもどうかなということはもちろん考えたので、表装も描いてみようと思って描いた。これが白隠ですね。これにあわせて今回は表装特集の展示も。
副:私はいつもアプモアプロジェクトをやるときはコレクションと何らかの形で絡めるという裏テーマを持っていて、別にそんなこと決まってるわけじゃないんですけど。最初今回の展示は仮面にしようと考えたのですが、末永さんの作品の後に仮面を見るのかと思ってなんか全然うまく結びついてこなくて、で、面白い表装のやつを探して出してくれと担当者にお願いして実現しました。結構わがままというか無茶を言っている。
末:額の時には思わなかったんですけど、表装、絵としてうーんていうものでも表装がいいっていうのも結構あるんだなと(笑)。
副:禅画なんかだと、絵の善し悪しは別として労力的にいうと、圧倒的に表具の方が手はこんでるわけなんですよね。禅画はぱっと3秒くらいで描いちゃってるみたいなのもあるわけで、表装の方が時間がかかっている。
額縁は絵の本画部分に比べて影響の少ないものなんですが、日本画の場合、軸に仕立てちゃうとこれなんか本紙より表具の方が面積的に計ると絵より大きいんじゃないかなと、目の端におさまりきらず、視覚の中にもっと入りこんでくるんじゃないかな。だから影響は大きいんじゃないかなと今回思った。
末:最初すごく違和感はあったんですけど、これもいつの間にか見ないことになっている。鑑賞体験のかなりの部分を占めている筈なんですけど。この作品を作るまではそんなに意識してなかったんですけど。これは『蛾の踊り』ですね。これなんか最初に仕様書を送ってもらったんですけど。
副:なんか違いますよね。仕様が変わったのかな(笑)。
末:幅がもうちょっと段々になっていたのが二段減ってたんですよね。次は表装。これはもう完全に表装だけで選んでますよ。
副:でも絵もいいですよね。
末:いやもちろんいいんですけど。いやほんとこれはほんとにかわいいですよね。
副:このセンスというのは自分でいざやろうと思ってもなかなかこんな組み合わせはできないですよね。
末:これは計測は大変でしたよね。
副:これは面倒くさい形をしてましたね。でもこの額って何額っていうんだったかな割とよくあるヨーローッパの額のタイプのひとつらしくて。同時期のこれも多分当時からある額だと思うんですけど。
末:そりゃそうですよね。でも絵にはあってましたよ。
副:そうですね。
末:まわりの(かちぬき?)が気になって目を引いたんで選んだんですけど。出てましたっけ?これは誰がネタもとがわからないですよね。
副:これはマットの付き方が。
末:油彩額だけじゃと思って表装もやったんですけど、マットが大きいのと思って気になって描いたのがこれだったんですよ。
で、あとキャプションか。人によっては全然気づいてもらえないというか、なんなのか分からないと言われることもあるんですけど、作品は木製パネルの色付なんです。これが実はキャプションモチーフだったんです。これも最後の最後に作るの決めたんですけど。一番最初、副田さんから何かできないかなみたいな話があったんですよね。
副:そうです。額縁で考えた時にキャプションをそのまま付けるより、キャプションも含めて作品にできないかと相談をしてずっと放りっぱなしにしてたんですけど。だからキャプションもさっきの掲示板と同じで各館で統一のフォーマットを館で定めてるわけなんですよ。うちの場合は15センチ×15センチ。何の根拠もないんですよね。15センチなきゃいけないわけでもないしある程度文字大きくないと見えないんで範囲というのはあるんですけど。根拠ないけど決まってるものというのはさっきの掲示板のルールみたいなもので、あぁこのキャプション15センチなんだなと思って見る人なんて絶対いないわけなんですよ。そういうものも目の端にならないかなと思ったのがきっかけです。

末:展示の中でも置いてるんですけど、アクリルケースの中に入れて展示している。
副:あまりおしゃれじゃないので、普段はアプモアアーチだと担当の学芸員が自分で板手で作ってすっきりしたキャプションを付けることが多くて、私もこれまで2回別の作家のアーチのときは自分で作った。今回はこうしちゃったんでこれを本物のキャプションとして使わないと意味がないわけですよ。ださいなと思いながらこれを敢えて付けるという変な気持ちになりながら作業しました。
末:でも実際付けるルール自体は常設展示のルール自体に則ってるんでしょ?
副:そうですね。高さや基本何センチなんていうのは決まってますね。
末:それを守りながらこういう違うことができたんで、このキャプションの付け方自体はすごく満足している。色付キャプション。さっきなんでキャプションを色付にしたのか聞かれたんですけど、過去にキャプションにアプローチしたことは1回やってるんです。秋吉台国際芸術村というレジデンス兼音楽ホールみたいなのがあるんです。山口県なんですけど、その時、色付キャプション展をやってるんです。こんな感じで。
副:実際に文字も入っていてキャプションとして機能するもの?
末:会場は音楽ホールで、あちこちに作品を隠していて見つからないような所に作品を置いていてそれを見つけるために目立つキャプションを置いて、キャプションがあるところを目指していけば作品を見つけられる仕掛けにしていろんなところに設置していて。
副:だから目立たないといけないわけですね。目印として。
末:そうそう、赤青黄緑(?)の4色、特に色に意味はなく会場のあちこちに色付のキャプションがあって作品を探す目印になる。キャプションに情報以外の目的を含めるということでやったんですけど。それもあってキャプションに色をつけることに抵抗はなかったんで、一度赤青黄でやってみたんですが、強すぎる。強すぎたんで額絵の色にあわせてやりなおしたわけです。キャプションを模したパネルではあるんですけど横にある絵をきれいに見せられたらなと思って色を考えて設置した。質問はないですか?
副:うーん特にないですね。色の組み合わせの基準みたいなものは聞かれたのかな。でも感覚的な部分ですよね。何色だから何色という決まりがあるわけではない。
末:でも一応こう合わせて。
副:違和感のない調子には。ああでもないこうでもないというのはある。
末:これはスポットライト。
副:これは伝わらないんです。Twitterでどなたかがトイレットペーパーと仰っていましたけど(笑)
末:これは元を見ないと分からないかもしれませんね。最初ここに何があるかなと見に来たときの写真なんですけど、裏を通って作品にできるものはないかなとうろうろしている時にスポットライトを見つけた。
副:愛知県美術館のオリジナル仕様で、20数年前に開館した時に当時いた学芸員たちでこうしてくれと特別発注したんですよ。これすんごく重くて首もすぐへたってしまうし、意外に現場の学芸員から評判の悪いスポットライトです。だましだまし使ってる。
末:この状態がすごいかわいらしく見えたんでこれは絶対作りたいなと思って作ったんです。これは普段の状態の掲示板(スライド)
副:一番右にうちの友の会のポスターがあって一番左にうちの館のものがあって、その間に他館のものがある。
もう少しこの展示の話をすると、元ネタ探しゲームみたいになるのは嫌だなと思ったんですよ。末永さんの意図はそこにある訳ではないですよね。ただもちろんやりたくなる気持ちは分かるし私自身もそう。展示作業中にみんな学芸員は覗きにくるんですよ。「これ全部うちの所蔵品だから当ててみろ」というと大体みんな半分当たれば良い方かなと。学芸員でもみんな額は見てないんですよ。学芸員ですら意識してないんですけど、さすがに館長は一点外したけど、すごくほっとしてましたね。後で私がこういうところで言うのが分かりきってるので。その時に館長が3点しか分からないと面目が立たないということらしく。そういうところを意識的に見ようとしている人は見るんですけど、それを意識化してないとどうしても意識からはずれちゃうところにある。僕自身もそう。
Twitterなんか見ていると具体的な感想があまりあがらなくて、難しいだろうと思うんですよね。結局額を描いた絵なので額だねでとしか言いようがないわけですよ。色んな鑑賞体験を引き出せると思うんですけど、私もリーフでは小難しく書きましたけどシンプルな言葉でこの絵の面白さを一言で言えというと一言で説明しづらいなと思って。
例えばぱっと見た時に、特にミロの絵なんてそうなんですが、単純にだまし絵的にでもあるんですよ。ぱっと見てすごく立体的に見えるんですよ。知らないで来たお客さんはあれ?立体だと思って見るんですが平面に気づく。まず単純にだまし絵になっているというのはひとつあるし。それが平面化しているのもそうなんですけど、表装の作品だと、額って立体的なものだから、絵って額の向こう側にあるんですね。表具はフラットなんで、もちろん0.何ミリぐらいの差はなんですけど、普段意識しないんですけど言われてみれば表装はフラットだなと。そういう鑑賞体験の違いもあるし。額縁は一歩前に出て来ているので窓枠なんですね。その向こう側に景色がある。再現的な風景画だとすごくしっくりくるわけですよ。
額があるとその向こう側に画家が描きたかった風景が、リアルな風景でも心象風景でもいいんですけど、リアルな奥行きが見えてくる。じゃ表装の場合、山水画の場合、風景であるわけですが、表具の裏側にある世界って考え方は確かにあんまりしないなと思う。上下の一文字に挟まれていてその裏側にあるという感覚はしないんです。西洋のペインティングって、窓で切り取っているんだけど、その向こう奥行きに何かあるっていう、そういう体験が出て来る。要するにフィードバックされるんですよね。普段の絵の見方に対して。末永さんの絵を見た時に違う違和感を普段の感覚にフィードバックして考えると、今まで見えなかったものが見えるみたいな。ただ、それは末永さんの絵の感想にならないんですよね。だから面白さを言うのが難しい。
末:だから装置みたいな。
副:そうですね。
末:僕もTwitterの感想は一応見るようにしているので、あまり反応がないなと思ってて、しばらく会場にいれないわけじゃないですか。初日来た以来来たんですけど、自分の絵が悪いのかなと思い始めて今日会場に来たんですが、いや全然悪くないと思ったし、ただちょっと絵の質が違うんだろうなとは思いました。ただちょっと変なものを作っちゃったなという気はしています。かなり納得しつつ作ったんですけど質の違うものを作った。
副:絵自体を楽しむこともできるんだけど視覚をチューニングするような。これを見てから普段の絵を見てみようみたいな構造になっている気がして。これが感想の少なさ難しさみたいな。逆にいうとしばらくたってから何か出て来ると面白いんですけど。
末:かといって、これが絵でないかというと絵なんですよね。
副:絵なんですよね。
末:機能的な問題だけを扱うなら写真にしてもいいわけで。
副:遠目に見えてもベタ塗りではないという明らかに絵画であることそこかしこに出てますよね。その体験をもう少しうまくすくいとれるといいなと思いつつなかなか語れてないことでもあるんですが。

(会場からの質問)
問1:作品の側面に液垂れのようなものがあるんですが、あれは敢えて残したんですか?
末:残っているとしたらそれを残したんです。
副:表面の色と違うんですよね。層になっていてわかんないやつもあるし、うっすらと見えているものもある。その辺の描き方みたいな、どういう風に色を選んで決めて行く?
末:なんとなく自分の中で色の作り方の定型みたいなものはあるので、それを使いつつ慣れすぎるとそれを外して使いつつ。やっぱり絵を描いているとしか言いようがないんですけど。この絵をどうやったら作れるかなと思った時に、絶対下にピンクが入った薄いグレーグリーンが出て来るんです。でその通り塗ったんです。
副:元のものを見てそれが何かの層でできているか分解して、それを組み立てて実際に再現する。
末:自分の中で見えたらそこからは一直線。何度も塗り直したりはしない。
副:じゃあ、あんまり行き当たりばったりに塗って行くということはそんなにない?
末:そうですね。自分の中でヴィジョンができたら進む。最終的におかしいなと思ったらそこは修正する。変えますが。こっちの段階では黄色だったんですけど、結構強かったんで、今黄土色になっている部分は合わなかったので最終的に変えました。
副:細かい風体の部分はラフなブラッシュストローク。横の部分は丁寧に塗られていて。風体は本物は少し下がってるんですよね。風体は細かく見るとすごく面白いし、模様のチェックもマスキングテープを明らかに使ってるだろうというところと、手技の部分の対比とかお客さんにこうもう少しじっくり見て欲しいなという思いはあります。

問2:絵画っていわゆるフィニッシュの仕方に対していわゆる抽象表現主義に対してご自身はどんな立ち位置にあるんですか?
末:最初に僕が言ったことと関係してくるんですけど、僕なりの絵の作り方をしたいんですよ。その時に伝統的な油彩画の質にたよらず日本画の質にもたよらない絵を作りたい。そのためにいろんな方法を描いている状態です。それで伝わりますか?
副:そういう意味では動機として、画家として絵を描くという前提条件があるんですよ。三次元的なものを再現するわけでなく、どこまで絵であれるかみたいな。
末:そこが伝わりにくさではあるとは思うんですけど。

問3:観る側に知識を求めているんですか?
末:見る人に求めているというより、自分がそこを基準にして作って行くしか仕方がない。
いろんなものを見てしまっているので、既にあるものになるべく頼らずに、かつ、いいものを作りたい。難しいこと言ってますかね。
副:コメントしづらいですね。ぱっと見て、そうですね。タングラムのシリーズは前提的な知識は要求されないですよね。タングラム知ってるかは別として。アウトプットのされ方が元の参照されているものがあれば、どうしてもそれに関する知識が鑑賞体験に大きく影響してくるんですが、全部が全部そういうアウトプットではないので。確かにそういう意味では揺れ幅振れ幅がありますよね。掲示板の作品なんていうのは誰が見ても同じ面白さを享受できる。

副:ここで末永さんに展示をお願いするにあたって、私が意識したことのもうひとつは、ここでしかできない展示他では見れないものをやって欲しいというのはあって、そういう中で、所蔵品の。ただ、常連さんにとって楽しくなってないかなというのが少し不安で、初めてうちに来たお客さんて、何回か来られていたらクリムトはピンとくるんじゃないかなと思うんですけど、初めて来たお客さんはわからないんじゃないかなとそこで鑑賞に差が出てしまうし実際悩みどころだったり、実際解決できてないですけれども。
末:なんでこれをやろうと思ったかと思い出したことでいうと、タングラムにしても引用したペインティングにしてもここに置くことに違和感があった。よそで組み立てた文脈のものをここで置くのに違和感があった。
副:流れはすごく意識しましたよね?常設展の一連の流れみたいな。末永さんの作品のを見てのフィードバックみたいな。すぐ出た廊下で表具が来て、その次に志賀さんのが来て。志賀さんのあれは愛知トリエンナーレで別の状態で2回出てたんですけど収蔵するのに額装したんですよ。
すぐにフィードバックして他のものに帰っていくような展示は心がけたつもりで、ただそれがうまくできているかどうかは別として。
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フォートリエ展 関連講演 林道郎氏『層状絵画の不安』 豊田市美術館

8月10日(日)台風11号が中部地方にも迫り来る中、豊田市美術館で林道郎氏(上智大学教授、美術史家、批評家)のフォートリエ展講演「層状絵画の不安」が開催されました。以下、林氏の講演概要です。不完全なものですが当日台風により参加できなかった方、フォートリエに関心がある方のご参考になれば幸いです。文体が揃っていない点はご容赦ください。

なお、当日の事前予習資料として東京都現代美術館での林道郎氏の講演「アレゴリーとしての『人質』:アンフォルメルと 『具体』についての話」の案内がありました。以下、東京都現代美術館研究紀要2011(PDF)のリンク。
http://www.mot-art-museum.jp/others/docs/report2011_02.pdf
*前置き等は省略し本論より始めます。なお、講演では多数の画像や写真等を用いたスライドトークでしたが、掲載は割愛しています。

層状絵画の不安というタイトルを付けたが、フォートリエの絵は非常に複雑な構造によって成り立っている。しかも地層が何層も塗り重ねられているような構造を層状絵画といっている。
そこに読み込まれる不安というか最初は動揺という言葉を考えていた。いろんな意味でフォートリエの絵画が揺れ動くという話をしたい。それは構造的に揺れ動くだけでなく我々の記憶の問題や現実との関係、いろんな意味に揺れ動く、不安を抱える、動揺する構造をもった絵画を彼は作っていると思うので、そこを中心に話を進めていきたい。

フォートリエは人質の画家として知られているが、人質の連作が集められた部屋を見て分かるように圧縮度の高いシリーズが展開されていて、それを彼は45年の個展で一挙に見せることで現代美術の世界に名を馳せ認められることになった。
アンフォルメルの問題は後で詳しく話すが、画面に今出ているのは大原美術館蔵の人質の作品。人質の連作の中でもとりわけ大きい絵画で、カンバスの上に紙を貼って、その上に石膏で下地を作って、その上にグアッシュをつけていく。いろんな素材で厚塗りの絵画を作っている。塗りだけでやっているわけでなく、グアッシュで簡単な輪郭線を作り、顔の映像を二重化するということもやっている。したがって、イメージも二重化、イメージそのものも多重化されているのが人質の連作。45年に人質の連作が個展で開催されたのはパリのルネ・ドゥルーアン画廊。20点あまりの連作が展示され、ちょうど今人質がかかっている部屋と同じ位の点数がかかったんだと思う。
これで神話的名声を得るようになる。神話的名声を得る時代背景は第1次世界大戦で、フォートリエはレジスタンス運動に関連したため、一旦ゲシュタポに拘束されたこともある歴史も持っている。戦時中彼は身の危険を感じ、パリの郊外のシャトネー=マラブリという一画に秘密のアトリエ・すみかを持ちそこで制作を続ける。その時、近くにドイツ軍の捕虜収容所があり、パリのレジスタンス運動にかかわっていた人が拷問されたり処刑されていた。一説によると、そこから聞こえた様々な音によって反応して人質を描き始めたと言う話になっているが、音が実際どこまで聞こえていたのか分からず、その話の信憑性には疑問をもっているが、アトリエの近くに捕虜収容所があり、そこでフランス人の捕虜が処刑されていたのは事実。

首だけの顔だけの連作なので、殺された人間のイメージが投影されていると解釈するのが自然なことなのかもしれない。まだ戦争の記憶が非常にが生々しい時に発表されて一気に名を馳せた。
人質の連作をもう少し見せますが、油彩、紙、そしてカンバス。紙の上に直接、石膏塗ったりやグアッシュを塗ったりするのは20年代からその技法を発見したという記述がありましたが、30年代から紙に直接描くことで油が絵具が染み込みやすい。それによってこの技法を使い始める。ある意味で切断された首というものだけでなく、顔の像がデフォルメされて肉の塊のようなものに変換されているので、戦争がもたらした心理的トラウマが生起されていると人質の連作がレファレンスというか語られることが多い。実際トラウマ的イメージにだとは思う。しかしその時に忘れてならないのは、フォートリエが戦前からやっていた仕事との関係性、連続性が見失われて行くということ。例えば、今回の展示には出ていないが20年代に女性像をモチーフにした連作が沢山あるが、人間像は非常に単純なフォルムに還元されている。この場合は横たわる裸体で、例外的だが横たわる裸体が上から見下ろされた肉体が横たわっていて、白い・・・。 暴力的にデフォルメされた暴力的と言って良いかわからないが、デフォルメされた人間像、ことに女性像が戦前に多く描かれているのを見ると人質は突然出て来たものではなく戦前の仕事との連続性として考えるべきではないかと思う。
実際、人質だけでなく殺された兵士の像というだけでなくヌード、手のある裸婦、青いドローイングで描かれた形象は手で、ピンクの絵具の塊は女性像というか人間の肉体、肉を感じさせる。その上に記号的に手や身体の一部のような曲線が描きこまれている。
これは裸婦であってそれが非常にデフォルメされた形で人質の連作と関係してくる。実際に戦争の中で人質ー「
otage」を人質と訳すのが正解なのか捕虜と訳すべきではないかという説もあるが、捕虜を描いた連作の中にこういうヌードの女性像がある。
それともうひとつ面白いというか気をつけて考えないといけない問題は、人質の連作の中に顔を描いたものと肉のようなもの、顔ではないものと両方入っていること。
フォートリエの人体に関する関心は基本的に女性の身体に関する関心。男性の身体、裸体はほとんど出て来ない。裸の身体がデフォルメされた時のタイトルは「女性」とか「少女」とかになっている。顔の方は捕虜なので一義的には判断できないかもしれないが、ジェンダーレスというか男のイメージを思い浮かべる。顔をもった男性と顔のない女性。ジェンダーレス感を受けるアンバランスさがあり、その両者の間を揺れ動いているというのが人質シリーズ。
女性身体への関心は戦前から続いているのは戦前から続いている問題で、更に大きなコンテクストで言うと、肖像への関心も初期から一貫してある。しかもその肖像は顔を大体中心に描かれて成り立っている。フォートリエの画家としての資質の一貫したところだが、彼は構図にほとんど気を配らない。ほとんどすべてのモチーフは画面の中心に置かれている。それは肖像の時代からそう。構図に重きを置くある種の近代絵画の伝統から切れたところに彼はいるのかもしれないという気がする。

もうひとつ大きなコンテクストとして言っておくべきは、風景がまずないこと。フォートリエの作品には風景画が1点もないと言ってもよいかもしれない。後期に《草》とか《雨》とかいうタイトルのものがあるが、あるのは肖像画か静物。肖像と静物の間を揺れ動きながら仕事をしているのがフォートリエという画家。女性の身体への関心は、彼のなかで今回のキャプションの仲にもあったがプリミティズムへの関心につながる。原始美術への関心が20世紀頭からいろんな形で出て来て、ピカソやマティスがアフリカの芸術にインスパイアされ仕事をしている。その伝統の仲でフォートリエもプリミティズムに非常に関心を持っていた画家のひとり。

ところがここは重要かもしれないがフォートリエが見ていたプリミティズムはどういうものだったか。20世紀の頭に旧石器時代のヴィーナス像があいついで発見される。1908年に発見されたヴィレンドルフのヴィーナス。公にイメージとして共有されるのは少し後のことだが、それからこれの後に同じような発見が続く。これらはピカソやマティスが見ていたものとは違う。彼らが見ていたものは仮面や木彫の人間像。そうではなく20世紀に旧石器時代に石で作られた非常に量塊性の高い女性像が発見され、フォートリエはそちらにインスパイアされている。塊としての人体、ボリュームとしての人体に彼はすごく強い関心を持っていた。それがプリミティズムへの関心と直結するのがよくわかる。彼はその関心そのものは資質的にもっていたという気がする。女性の身体の量塊性というかmassとしての女性像、肉の塊としての女性像にずっと関心を持っていた。量塊性ということはもう一方では触覚性にも非常に通じる。したがって彫刻と絵画の間に連続性が出て来るが、触れるものとしての人体。触覚性がフォートリエの絵と彫刻を結んでいて彼の中で保持されている問題。因にピカソの例(《アヴィニヨンの娘たち》1907年では、右側の2人の人物の顔はピカソが当時見ていたアフリカの仮面、左端の人物はオセアニアの仮面にインスパイアされていると言われている。身体はフラットでぺたんとした形になっているのがよくわかる。こういうものとフォートリエの関心は恐らく対極的というものだったという確認が必要。

身体の量塊性に関心をもったのは同時代の画家のなかでフォートリエはとりわけそれが強かった人かもしれない。
同じような厚塗りのテクニックでパリの画壇をわかすことになった画家が2人いる。ひとりはジャン・デュビュッフェで46年にパリで厚塗りの作品で美術界を席巻する。右側の作品は線を刻み込んでへらのようなもので刻み込んで成り立ち、それだけで厚みがあることがよくわかる、人体蔵を何層もある壁のようなものとして描いたが、人体はぺたんとした鯵のひらきのような形でイメージとしてはフラット。もうひとりはヴォルスでドイツ人の画家。ヴォルスの最初の個展も45年。45年46年と戦後直後にこの3人がほぼ同時に画壇に衝撃的なデビューを飾る。

それに強く反応したのがミッシェル・タピエという批評家。フォートリエ=アンフォルメルという神話を作ったのはミシェル・タピエという批評家。1951年にタピエがシニフィアン・ドゥ・ランフォルメルという展覧会をパリで組織する。新しい絵画の体系を代表する作家を集めて近現代の美学はアンフォルメルだということを示そうとしたマニュフェスト的な展覧会として組織したのがシニフィアン・ドゥ・ランフォルメル。その翌年に彼は「別の美学」というテキストを書いてマニュフェストを発表する。それがアンフォルメルという運動の起点になっていく。基本的に彼は戦争以前の美術を捨てなければならない。戦後の美術はグランドゼロから始めなければならないんだ。グランドゼロはアンフォルメルという美学的概念によってとらえられるものだ。その出発点にいるのがフォートリエ、デュビュッフェ、ヴォルスの3人だとタピエは主張した。タピエの文章『別の美学について』を瀧口修造が訳して『みずゑ』(56年12月号)に発表されたアンフォルメルについての一説を引く。
アンフォルメルはアンフォルムという不定形な・・・消極的な意味と・・・以下略。


何を言っているか基本的には分からない。
タピエは別の美学や新しい美学が必要だといった時に、別の美学が内示しているものをこういうものが必要だということがついに言えない批評家だった。ただ、こうではない、ああではないということだけは言っていた。近代的なノンフォルマリズムではないし表現主義的な抽象を意識しているものでもないし、考えられる可能なすべてのフォルムの体系を予想し抱合するものがいろんな要素を吸収し新しい美学として出すのがアンフォルメルだと言っていた。それは単なる不定形ではない。そういうことを言って一大ブームを作った。そういう言い方、コンテキストが熱気をもって受け入れられたのは考察に値する問題だと思う。戦後美術で何をしなければならなかったという時にそれまでの近代美術が第一次世界大戦では何もできなかったので、それに対して別の美学が必要だという関心は共有されていた。そういう中でタピエが批評界のスターとしてデビューした。

タピエの来日が1957年(タピエと吉原治郎の写真)。タピエは具体を発見し非常に感激する。アンフォルメルで私がパリでやろうとしていたことが日本ですでに起こっていた。具体の作家たちは私が目指していたものを既にやっていると非常に感激し、タピエと吉原は共同戦線を張る。
具体は雑誌を発行していたのでそれにタピエが寄稿したり、タピエがパリの画廊に具体の作家を積極的に売り出すようなことを始めた。

具体にはどういう人たちがいたかというと、アンフォルメルを代表する画家としてパリにいた堂本尚郎、同時にパリに行った今井俊満。堂本さんも今井さんも非常にサイズが大きくて、もうひとつには絵具をぶちまけて、アクションペインティング的な要素を持った絵画が堂本・今井の共通点。パリを代表するアンフォルメルを代表する画家ジョルジュ・マチューも同じような特徴を持っていた。マチューは1957年にタピエと一緒に日本にやって来て日本中で公開制作をする。何回か百貨店に行って、東京では白木屋、大阪では大丸。このときできたのが豊臣秀吉などの作品。マチューの格好は浴衣を着て、恐らくカツラをつけ侍的な格好をして公開制作をする。見せ物的な興行的なやり方で日本の人々を驚かす。全身を使って左右に動きながら腕を大きく動かし作品を作る。タピエの興行者的なやり方に対してフォートリエはよく思っていなかった。初期は仲が良かったこともあるが、57年58年あたりから関係が瓦解していく。興行者的なやり方にフォートリエは批判的になっていく。元々アンフォルメルに含められることに抵抗をもっていて、アンフォルメルに対して懐疑的で、ヴォルスもデュビュッフェもしかりで、タピエのいうアンフォルメルの運動に3人は組み込まれたくないと言っている。

58年に日本の批評家瀬木慎一さんはパリに行きフォートリエを訪ねる。フォートリエはアンフォルメルの大家だと思ってアンフォルメルの話を聞こうとして行くのだが、フォートリエはいきなりタピエを罵倒し始める。瀬木さんは驚いて、フォートリエはアンフォルメルのことをよく思ってないのだと帰国後そのことを記事に書く。それから瀬木さんのアンフォルメル批判が始める。そういうエピソードがあった。
59年に南画廊でフォートリエは個展を開く。個展に寄せた文章の中でもタピエを批判と読み取れる発言をしている。

では日本の具体の人たちはどうだったか。例えば白髪一雄は具体の中心人物だったが、大画面、とりわけフットペインティングの手法で作品を作った人。183×203cm非常に大きく全身のアクションが、画面上に刻印された作品を作る。嶋本昭三さんはボトルに入った絵具を画面上に投げつけて、それが割れて絵具が散乱していく様子をそのまま絵画にして使っている。非常にダイナミックな作品だということがわかる。そこからフォートリエの人質に戻ると、いかにこれらの作品が小さいかということを改めて認識せざるをえない。
 
フォートリエとタピエのアンフォルメルの作家の違いはひとつにはサイズ。フォートリエの場合、50年代後半からあと一番最後の部屋にくると多少大きな作品になっていくが、それ以前の作品はほとんど小さないわゆるイーゼル絵画の標準的なものより小さな作品になっている。したがってアンフォルメルの画家たちのように全身的なアクションの痕跡が残されているものはない。むしろ2番目に非常に重要なことは、フォートリエの画面を見ていると図工的、図工をしているような、手で遊んでいるような特徴を持った作品が多い。カンバスとか石膏、石灰の重なりにより凹凸のある画面を作る。いろいろなものをこねて画面を作り、インクや水彩やグアッシュを使ってその上に形象を描いていく。その中には全身のアクションの痕跡はない。むしろテーブルトップ、デスクトップで図工をしているような感覚。手、触覚との関係は、彫刻と図工的なもの、手でこね回す、あるいはひっくり返して作って行くことで成り立っている。彫刻と絵画を連続性させている重要なポイント。フォートリエの彫刻はあまり知られていなくて、かなり早い時期にフォートリエの友人だったアンドレ・マルローが指摘している。45年の人質の展覧会の実現にはマルローの力があるが、マルローは文章の中でフォートリエのあれらの形態はタブローより彫刻からきていると指摘している。もう一方で触覚的なものとかかわるが、サイズが小さい、図工的、工作的、触覚的、手と目の関係でいうと手的であって目(め)的ではない。

それとかかわる3番目の問題として、見えないものの周囲に組織されている。ものを触っていると、ものとものの間の襞とか裏側とか見えないものに対する感覚がフォートリエには非常に強く一貫して存在する印象を受ける。
西洋美術の歴史において、絵画のサイズが極端に小さくなるのは基本的に印象派以後。印象派以前クールベまでは大画面の絵を描くことがが画家にとって重要だった。そうでなくなるのが印象派以後。
フォートリエは印象派のサイズ、モンドリアンやキュビスムの画面のサイズそういったものとの連続の中で人質のサイズがある。ただし小画面のイーゼル絵画の伝統は基本的には視覚中心主義により成り立っている。目に見えるものをどれだけ忠実に色として再現して行くか。印象派の特徴、モンドリアンもクリアに明瞭に視覚的な実態として捉えるのものもそうだが、基本的には視覚伝統主義の中にある。フォートリエはそうでなく小画面だが彫刻的な手触りの感覚が強く、視覚からはみ出す、あるいは視覚から排除されている何者かにそって組織されている感覚が仕事の中に常にある。彫刻を見てもそうだし左の裸婦もそうだが、乳房と乳房の間、手と身体の間とか非常に強い黒で陰影・影を刻みつけていくフォートリエの資質が初期から一貫してあることがわかる。乳房と乳房の間の谷間がある。見えない量塊性に関する彼の関心が強くあると言えるのではないかと思う。
右側の彫刻は遠くから見た時には後ろから見た女性像にも見える。背中とお尻に見える。目と鼻と口があって正面から見た女性像としてわかるが形としては反転可能。形の多義性のような見えないものが突然見えるようになってしまう感じ、図工的な関心が強くあるのではないか。

図工性についていうと、非常に雄弁に語るのがフォートリエの製作中の写真でよくわかる。イーゼルの上に置かれて描かれていることはほとんどなく、大体が水平のデスクトップに置いて描かれる、その上で絵具あるいは石膏をこねまわして乗っけて広げて厚くして刻み付けて図工的な作業で成り立っているのが彼の絵画。このことはまた別の重要なことを考えさせる。それは垂直面として成り立っている絵画と水平面として成り立っている絵画という問題。従来、西洋絵画は基本的にルネサンス以後の絵画は垂直面としてイメージされる。基本的に我々は直立していて、正面に見える風景を絵画の中に描いて行く。絵画表面は垂直面として我々日相対する。つまり垂直のポジションが絵画の原理的なポジションとして推移していた。それが変わるのが20世紀。垂直面だった絵画が水平面となって現れる出す現象が起こる。それが顕著にあらわれるのがキュビスムの時代やキュビズムの中で出て来るコラージュ。これらは水平面にあるデスクトップの作業で紙を貼付けたり動かしたりするので、垂直に展示されるが垂直なイメージが水平な場面でやられていた作業を思いおこす。
展示する時には垂直の壁にかけられるが、水平的な場面の中で作業を思い起こす。更に嶋本や白髪、ポロックの取り組みもそうだが、水平にキャンバスを床に置いて描画を行う。これは20世紀におこった絵画史上の重要な転換。中世にもそういうことがたくさんありそういうことが回帰したという言いかたもできる。この間にあるのがセザンヌ。セザンヌは垂直に成り立つ風景もたくさん描いているが、同時にこんな絵も描いている。静物というものが上から見下ろされる(《キューピッドのある静物》コートルード研究所蔵を紹介)。テーブルの上に置かれたお皿やテーブルが上から見下ろされた格好で描かれている。それにより水平面が強調される。正面より斜めに見下ろしている視覚により水平面が立ち上がる構造になっている。さらにいうとこれはコラージュ的な手法により成り立っている。背景に見えている3枚のキャンバスの絵。とりわけ左端に見えている画中画は自分の作品を自己引用している。ワシントンナショナルギャラリーにある絵を自分でもう1度画面の中に描いている。画中画の布が外に出て来て前景のテーブルの上にある布と一体化している奇妙な構造。キューピット像は後ろの背景にあるキャンパスによってフレーミングされている。更にいうと彫刻を描いているセザンヌ自身が描かれている。構造的にはコラージュ的。こういうものを経て、ピカソのような人たちはキュビスムの経験からコラージュの実践を始めている。セザンヌを超えてレディメイドで存在している壁紙や色紙、新聞紙を切って貼付けることによって成り立たせている仕事。こうなると画面の奥行きの問題は存在せず、むしろ画面の上にいろいろと紙を動かしながらこうでもない、ああでもないと作業するピカソの姿が思い浮かぶが、水平面的なロジックで成り立っている。
こういうことが20世紀には当たり前になってくる。クレーも下地を非常に丁寧に作って行く作家で、油彩を使い水彩、いろんなメディウムを混ぜてひとつの画面の中で作って行くことを始める。こういうものが20世紀に入ると沢山つくられる。

キュビスム以後絵画の空間の成り立ちが変わっていく。コラージュ以後、絵画はむしろ外に飛び出しどんどん厚みをもち初めていくのが20世紀頭の絵画の状況。
フォートリエの小画面だが厚みがあって何層にも塗り重ねて行く画面は、こうした美術史的な記憶と切り離せないと考えている。タピエは戦前を切り捨てグランドゼロから始まったと言っているが、きちんとこういう伝統から考えないといけないかなと思う。
更に付け加えて行くと先程フォートリエの仕事は基本的に静物と肖像によって成り立っていると言ったが、振り返ると静物と肖像はキュビスムの重要なジャンル。フォートリエの仕事はキュビスムと共通している。そういうものとの連続性の中にフォートリエの仕事はある。
美術史的な記憶の問題が、フォートリエの作品を見ていると読み出されて来る感覚を持つ。もう一方でフォートリエの多層化された絵画には行為の時間というものが刻印されている。厚みのある層を作った後にドローイングをちょろちょろっと付け加えることで、制作の時間が何層にも塗りこまれていることにより見出せるし、ある種の厚みをもったものとして読み出せる。ポロックや白髪さんや嶋本さんにはは全身的なアクションの痕跡があるが、フォートリエの作業にはそういったものはない。
むしろフォートリエの作品を見ていると、たとえは悪いがお好み焼きやハンバーグを作っているのに近い感じがある。速度性やダイナミズムという言葉で捉えられる感覚はフォートリエの絵画にはない。それにはフォートリエ自身も感じていたのではないかと思う。塗り重ねられた層の上に弱々しい輪郭線で人の顔らしきものを描いて行く。かわいい少女という作品もそんなテクニックによって成り立っている。これは今日見ていて気づいたが、層状に下地をつくりその上に弱々しい輪郭線でイメージを描く、つまりイメージと素材・物質が乖離して行く。ある種の乖離、分裂を起こすのは30年代の後半から。そこで一連の静物画を作っているがそこで初めて出て来る問題だと今日気づいた。その問題はそこから始まる。それ自体重要なことだと思う。
この作品に特徴的なのは左上の余白、右側の余白の部分に黒い点々があるがこれはフォートリエの指紋。見えない空間、触知性、触覚性によってイメージと物質の乖離により見えなくなる部分が生じている。見えなくなる部分をもう1度、彫刻的につかまえようとしている。指紋が残っているのはそういう問題に対して示唆的だと感じる。茫洋とした空間が広がるというのもある種触れるものとして描いている。

アンフォルメルについてもう1度言うと、南画廊の展覧会でフォートリエが書いた文章の中に、こういう一説がある。
自らの・・略・気障な遊びは、マチエールや化粧漆喰・・略・・・最後にはたまたま掘り出した模倣。お互いに模倣しあうことしかできなくなってしまう。現実は作品の中でも生き続けなければならない。・・・略

これも示唆的な文章だが、アンフォルメルと自分は違うと言いたい。アンフォルメルは気障な遊びだ。結局、ある種のヴァリエーションを差し出すのが落ちでお互い模倣しあうことしかできない。アクションペインティング的にある自由が絵画のモチーフになるとすれば、マンネリになるだろうというのが彼の見解。彼が大事にしたのは現実。現実は作品の中でも生き続けなければならない。逆にいうとアンフォルメルは現実から乖離していると言いたい。自分は現実を作品のモチベーションとして意識し続ける。ここで現実と言っているのは人質の場合は、戦争時の過酷な悲劇を現実の体験としてモチベーションとなっている。そこから全く新しいものができるわけではなく美術を考える時は常にそうだが、グランドゼロから何かができるわけではない。
やはり画家は手持ちの方法を使うしかないが、手持ちの方法を解体して作らざるを得ない。そういうものの拮抗。
同じようなアンフォルメルに対するマンネリ化・自動化に対する疑義の念は同時代に多くの人が言っていた。岡本太郎もタピエの来日時のアンフォルメルブームに懐疑的だったひとり。
タピエと瀬木慎一と岡本太郎の対談からの文章の引用。略

太郎は一貫して絵画の自己目的化に懐疑的で彼自身の戦争中の体験が大きい。
日本においてなぜモダニズムが定着しなかったのかにも通じるが、20年代30年代に幾何学的抽象をやった人は沢山いるが、続かない。それは戦時中に抽象絵画をやっていた人たちの美学がファシズムに無力だったことにつながっているところがある。太郎はアヴァンギャルドだ前衛だと言っている。太郎の絵が良かったかは別として思想としてはそう。
こういうこととフォートリエの実在を中心として浸透を与える、さっきの言葉で実在とか現実というのを表現ではなく推進力として作品としての機動力となっていく。実在や現実を表現することではなくやってくるのは推進力で、フォルムが解体され作品としての機動力になっていくということ。
フォートリエの来日時に、アンフォルメルの関係の中で紋切型化した受容が一般的になった。富永惣一氏のフォートリエを迎えてという文章の中でこういうことを言っている。一つの無垢な現象・・・・。略
文学的に無垢な発言や慟哭であったという言い方をすると人質という連作がヒューマニズム的なロマンティックな読み方になってしまう。戦争の悲惨さを人質によって表現したんだという語りが出て来る。

フォートリエの方法は似ているようだが微妙に違うと思う。作品の中に生き続けなければならないことが重要なポイントで。紋切り型のヒューマニズム的な語りの中で取り逃がして来たものがフォートリエには色々あると思う。
図工的といったのがそういうもの。
カリカチュア的とさっき言ったが、あるいは図工的、お好み焼き、ハンバーグ的といったもの。連作を繰り返し見ていると、ほとんど子供の遊びのようなある種、泥をこねる時の喜びのような、原初的な快楽のようなものが登録されている感じがする。そういう作品の中に起こっていることは、ヒューマニズム的な読みだけでは捉えきれない複雑なものだという気がする。同時に人質の連作の中ではピンクとか緑とか明るい色が使われたり、漫画的形象が出て来るが、こういうものに対して初期のフランスのフォートリエの同僚たちはかなり的確に反応している。盟友ジャン・ポーランの言葉だと、拷問され・・・略・・・このような恐怖のまっただ中から・・・にたち現れる優しさがある。フォートリエの絵の中にある両義性を言い当てている。アンドレ・マルロー:我々はこれらの作品に納得するだろう。ほとんど柔和といった困惑するだろう。別の側(政治的、ヒューマニズム的ではない)に落ち込むこともあるのではないか。この世の価値の体系を超えた別の場にに落ち込むことがあるだろうと言っている。

更に面白いのは1959年の南画廊のパンフレットに東野芳明が文章を寄せている。彼は人質のシリーズをしわくちゃ性という言葉で言っている。同時にシンパシー悲劇的に理解するのが危険であると言っている。東野さんらしい慧眼だと思う。同時にフロイト理論を研究しながら、子供がうんこをこねるような、とも言っている。フォートリエの絵がそういうものとどこかで通底するのではないかと初期のテキストですが、むしろ初期であるが故にきちんと見ていたのではないかと思う。そういう言葉をきいて見ると確かにそういう気がしてくる。

痛みと喜びの間を作品として動揺している。喜劇でありながら悲劇。そういうものの間を層状の絵画として出現している。我々の世俗的な分別を無効化するような過剰な 同時に物質と記号としてのイメージ。物質としての下地と記号としての顔が乖離しているその間に変な動揺が生じている。
例えば3つの作品、この目が沢山出ているが、30年代の静物が2枚あって、54番と56番。葡萄の真ん中に・・・ホリゾンタルなものが垂直に置き直されている。様々な記号とイメージが物質の中で多義性を出来させている。

もう一方で肉、痛み、暴力に関して言うと、フォートリエの中には一貫して食べることに対する暴力性に関心がある気がする。山鶉や吊るされた兎の作品、イノシシの作品もある。同時に一番面白かったのは《羊の頭部》34番の作品。羊の頭部は、人間がものを食べる中で無意識のうちに実行してしまっている暴力、凶暴性、それらに最初から関心があったんだろう。食への関心は静物の世界の中では基本的にはブルジョワ的な富の象徴や洗練の象徴として描かれるが、食べることは根源的には暴力とつながっていると意識していたのがフォートリエ。羊の頭部はとりわけ重要な作品だと思うが、これは見下ろされる視点で描かれている。白いテーブルクロスの上に羊の頭部があって、肉の塊であると同時に顔でもある。人質の中にある構造の基本は既にあの絵の中にあると言って良い。白いクレイの中にぼんと置かれた顔。しかも顔は動物、生け贄にされた動物と人質は地続きのイメージだと感じる。捧げもの、供犠の捧げものとしての食、あるいは動物の死体、それを食べる。ある種のプリミティズムにもつながるような感覚が静物の中に一貫してある。同じようなことは女性像にも通じて、プリミティズムの文脈の中ででてきた女性像にインスパイアされた女性像を描く。祈り、豊穣的なもの、宗教的なものに使われた女性像。そういうこともフォートリエはどこかで意識していた。
ジェンダーに非対称性があり、肉としての女性像、顔はむしろ男性が多い。フェミニズム的に女性の身体だけが暴力の対象ではないということも可能だがむしろそれだけでは片付かないような匿名性、呪術性、宗教性、聖性を帯びたものとした印象を受ける。
ジェンダー的な観点と言うと、人質になった兵士を浮かべるが、よく見るとどうもそれだけとは言い切れないような気がする。ピンク色とか頻繁に出てくるので決定不能性みたいなものを感じる。

基本的にフォートリエは構図に無関心という話をしたが、顔は中心に置かれ、静物画も大体中心にモチーフが置かれている。それは女性像を描いていても同じ。いわゆる構図によって表現されるような個人的な趣味、美的センスといったものを芸術で表現するのはフォートリエの意図ではなかった。それまでの絵画はそうでなかった。モンドリアンは象徴的だがモンドリアンは垂直線、水平線の3色だけで成り立っている。そういうものを支えていたのは微妙なミリ単位で調整している。最終的にこれしかないという構図で作品として出している。フォートリエはそういうこととは無縁。自分の美的判断に従った構図にするのではなく、与えられた画面はお皿のようにその上だけで何かを作業するイメージ。そういった感覚と通底するのかと思うが、フォートリエは50年代から今回の展覧会には触れられてない部分だが「オリジナル・マルティプル」という考え方を全面に押し出している。
版画のテクニックで同じものを何枚も作り、その上に手で色をつけ、ヴァリエーションを付けて行く。55年にはこのシリーズで個展を開催している。オリジナルマルティプルの考え方を提唱していく。実際に50年のカタログには作品はもはや単一でなくマルティプルになっていくと言っている。以下引用略。油彩にこだわると小手先の作品しか作られないだろう。略・・・
手を使って1枚の絵を描くなんてことはやめるべきだ。メカニカルな方法で絵を作ることを考えるべきだ。版画の手法で描かねばならない。もう2度と私の作品を見ることはない。

それでもいっぱい作り続けて全然やめてない(笑)。でも、基本的には同じ構図でやっぱり作り続けている。50年代以降の作品も画面の中心にモチーフを置いている点は変わらない。
そういうことをフォートリエが言っている背景には、テクノロジーの変化がある。50年代に大衆社会が非常な速度で進展していって、1点ものの美術が古くさいものとして認識される。新しい技術を使って広く大衆にアピール、伝播する方法はないかという問題意識からそういう考え方が出て来る。同じモチーフを版画で作り、手技でバリエーションを作る、構図はやはり中心にモチーフがありそれのヴァリエーションによって成り立っている。ジャン・ポーランが書いたフォートリエのモノグラフにフォートリエは自分の自画像を提出する。本に差し込まれた絵は自分の肖像画を繰り返した自画像。ウォーホルに先立つこと40年前にこういうことをやっている。写真複製が非常に簡単にできるようになり本にも挿絵が挿入されるようになる。複製技術に対して新しい回答をしようとしていたのがフォートリエという画家。こういうものと同時に図工的な手技で作って行くことを彼はやめようとしてもやめられなかった。その感覚は残り続ける。
ただし絵画の構造にはより意識的になったと思う。《四辺画》と言っているのには訳があって、画面の4つのコーナーに全部サインがあって、つまりどの方向でかけてもいいようになっている。垂直にかけると垂直性が強調されるので、横長の方が水平性が強調されしっくりする。地の部分を更にその上にグリッドを描いている。フレームと中心性によって成り立っている。水平面の作業に自覚的に意識しながら作っている。

フォートリエのマンネリ化しやすいというアンフォルメルへの批判が、彼自身の作品にも当てはまるかという問題が出て来る。人質の連作の反復はトラウマ的な反復の痕跡として出て来たように見えるところがある。トラウマ的な経験は何度も何度も抑制しようとしてもよみがえる。そういうものに対して50年代の反復が意味のあるものかどうか単なる自己反復かどうか微妙なところにあり、明瞭な答えを持っていない。絵画の構造について後半は自覚的になっていくのは事実。色調がずいぶん変わって、明るい色調は人質の時代まではほとんど出て来ない。50年代後半からは青とか紫とかグリーンとか明るい色調が主になる。それによりある開放感みたいなものがあるのは確か。トラウマ的なものは感じさせずむしろ幸福感のようなものを感じる。メタファーでいうとバースデーケーキのような。

余談だが、オリジナル・マルティプルに関していうとフォートリエと同じことを日本で考えていたのが河原温。1959年の記事「印刷絵画の発想と提案」。印刷物で複製を作りそれにある種のヴァリエーションを付けていくのが現代の絵のあり方ではないかと言っている。(東近美の展覧会「実験場」で展示された河原温の印刷絵画の展示写真を紹介。)現代的な、大衆社会の中でありうべき芸術の姿はこうなんだよと言っているのはフォートリエの問題意識としては通底する。河原温は先日亡くなられたが、渡米以後はこの頃の作品は河原本人がなかったことにして展示することを拒んだ。この頃の自分の仕事を河原温は否定した。河原温「原画一点への基本」美術手帖より引用 略 

これを読んでいるとほとんど写真論に見えて来る。写真は複製で雑誌という媒体で読者に届けられる。1点ものの絵画が時代遅れになっているという問題意識は共通している。

フォートリエの絵画を層状絵画といったが、フォートリエの中にどういう層が編み込まれているかを簡単に図式化したのがこの図。
水平性、記号化されたイメージが出現していた。水平性には両方の極を持っている。思い出して欲しいのは水平面は落書きの表面。子供はまず水平面で絵を描き始める。絵画は垂直的なものと思いがちだが、最初に絵を描き始めるときは水平面を相手にしている。水平面を相手にする時は必ず記号化されたイメージが出て来る。巨大化された太陽や友達などすべてもが記号化されている。両者の記号かされたものが発現の場が出て来る水平面と、重層する物質としての平面の両方がフォートリエにはある。もう一方で様々な時間を意識せざるをえない。ひとつには長い肖像画の伝統を意識せざるを得ない。構図の中心性の問題は肖像画の中心性は当たり前。そういう伝統の中で仕事をしている。静物も印象派以後重要になってきてそういう静物との関係性。コラージュから生じて来た画面の重層性との関係性を考えさせる。もう一方で行為の痕跡としての時間を読み取ることができる。そういった二つの時間制がフォートリエの絵画には刻印されてる。欲動性という言葉が良いのかわからないが、過酷な現実を経験した絵画の外側からやってくる刺激をどうやって絵画に翻訳していくのか。その一方である種の快楽や絵画の遊戯性が同時に混在している。プリミティズムといったが人間の持つ暴力性、供犠とエロス、食べることにおける暴力性と神聖性が両義的に絡まり合っているようなものが絵の中に存在する。同時に反ブルジョワ性、構図というものを大切にする近代絵画の伝統に対してそうではない。オリジナルに対して複製、いわゆるブルジョワの文化が大事にしてきたオリジナルの神話を解体するような方向にいくような反復的、複製的、匿名的な感覚がフォートリエには色濃くあったのではないかと、いろんな極の中にフォートリエの絵がひとつの結節点として存在するような印象を受ける。多元的な重層的なレファレンスの中で今後フォートリエの絵をどう考えて行くかが重要になってくると思う。

「ぬぐ絵画」 蔵屋美香 氏 講演 東京国立近代美術館

「ぬぐ絵画」展 蔵屋美香 氏(本展企画者、美術課長)講演 12月10日 東京国立近代美術館
展覧会特設サイト:http://www.momat.go.jp/Honkan/Undressing_Paintings/highlight/index.html

東京国立近代美術館で来年1月15日まで開催中の「ぬぐ絵画―日本のヌード 1880-1945」の企画者である東近美の蔵屋美香氏の講演に行って来ました。
展覧会も常設展示と合わせて講演前に拝見しましたが、感想よりまずはざっくりと講演の内容をまとめました。

本論からは外れますが、講演は地下1階の講堂で開催されたのですが、蔵屋氏は講演中、聴衆をどんどんあてて、質問され、授業のような緊張感を味わいました。眠気は吹っ飛びです。では、以下講演内容抜粋。メモをもとにまとめているので、間違いなどがあればご指摘くださいますようお願い致します。

・「今」「なぜ」この展覧会をするのか?

(1)東京都の東京都青少年健全育成条例改正に関わるマンガ論争、明治期(100年前)にも猥褻か芸術かという同じような論争があった。

(2)人の裸にはいつの時代でも興味があるのではないか。
自分の身体と比べて他人の身体を比較する。→ 自分の身体や経験と比較して、絵画に描かれた身体を見る。
この結果、裸体に対して誰でもが高い鑑賞眼を持っている筈。

(3)出展作品の9割が女性の裸体。男性の裸体画が少ないのは、裸婦は男性がみるものであり、男性のため、男性目線で描かれている。

しかし、現代では女性誌「アンアン」のヌード特集が人気を博すように、女性が男性のヌードを見る時代に変わりつつある。
女性が新しい視点で女性の裸身を見るのではないか、女性が女性ヌードを見るとどうなるのかに興味があった。
女性を意識して、キャプションなど会場のテーマカラーにピンクを採用してみたが、蓋を開ければ観客の9割は男性。

(4)個人的理由として、蔵屋氏の大学生時代の話題が出される。
蔵屋氏は、女子美術大学の油絵科に在籍されており、学生時代は美大生なら当然の裸婦モデルのヌードデッサンをされたご経験もある。
今でも忘れられない出来事として、4階にある大学アトリエで80人の女学生と3人の裸婦モデルによりデッサンを行っていた。そこは、暗黙の了解の中で裸であることが了解され、成り立っている世界だったが、突然モデルさんの悲鳴が。
窓を見ると、外には電柱工事をしている男性がしっかと中を覗いている姿があったという。
この事件を機に、裸は芸術の目か、エッチな目で観るかいずれかであり、両者の共存は困難だと感じた。

→ ここで、明治期の女子美術大学の裸婦デッサン風景の古写真のスライドが登場

他にも学生時代の思い出として、20歳の時、男性モデルのヌードデッサンを行う授業があったが、学生のうち3名の女子が「恥ずかしくて描けません」「と泣き出した。そこで先生が苦肉の策として、モデルに後ろ向きのポーズを取ってもらうことにしたが、男性モデルも慣れていなかったのか、突然自分も恥ずかしいと言ってサングラスをかけ始めた。
裸にサングラスという奇妙な姿。
芸術と言う約束事が崩れると羞恥が生まれると言える。

今でも美大で基礎訓練として行われているヌードデッサンも、かつてモデルは匿名だったが、最近ではモデルが自己紹介し対話して人間性を知ってから描くように変わっている。また、デッサンに入る前に学生がモデルの写真を撮影するのを防ぐため携帯電話の類は預けさせる。これによって、個人の裸身がネット上に氾濫しないように学校側が留意している。

→ 同じく明治期の女子美術大学の男性裸体デッサンの古写真が登場
→ 次に安井曾太郎の木炭裸婦デッサンのスライドへ

同じ技法で100年前も現在も描く。なぜ、裸を描く授業があるのか?疑問に思っていた。
蔵屋氏は大学院に進み、そこでは美術史専攻となり、この疑問を解明するために色々調べた。
どうやら1988年頃、西洋から輸入された学習法で、この頃の学生も疑問に思っていたことが分かった。

西欧の裸体表現は、ギリシャ・ローマに起源があり、例えば今年国立西洋美術館で開催された「古代ギリシャ展」の円盤投げの彫刻がその好例。ギリシャ時代は裸礼讃の文化だった。
古代オリンピックの再現映像が上映されていたが、そこでは如何にして性器を隠すか編集の苦労が感じられた。

しかし、その後キリスト教により美しい裸礼讃は一旦すたれる。

次にルネサンス文化が隆盛し、人間の姿に関心が向かうようになる。
ルネサンス期にベネチアで活躍したジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」の画像とともに裸婦の元祖として紹介される。

次にフランスのジャック=ルイ・ダヴィッド「テルモピュライのレオニダス」1799~1814年ルーブル美術館蔵画像がスライドに。↓

Louis_David_20111213001816.jpg

ペルシャ人によるギリシャ侵攻を防御している様子を描いているのだが、なぜ戦っているのに彼らは皆、裸なのか?
この作品が描かれた時代では、崇高な歴史的場面は裸で描くのが一番良いと考えられていた。

そして、ここからいよいよ日本洋画へと話題は入って行く。

・黒田清輝 
1860~1880年頃、猛々しい男を裸で描く流行は終わり、なまめかしい女性を描く流行へとパリは変わっていた。ヨーロッパ文化はヌードを更に助長。
黒田清輝は1884年法律の勉強のため渡仏。途中で画家を志し、1886年にはラファエル・コランに学ぶ。
黒田は、日本で裸を描いて鑑賞するという使命感に燃えていた人。
彼は、ヨーロッパ芸術=ヌード、これを日本に伝えようとした。

浮世絵は人間の身体のプロポーションが西欧のものとは全然違う。ただし、浮世絵裸婦は写実ではないが、洗練したものとして日本に定着してきた。

・狩野芳崖
西洋の裸体の描き方を学ぶ。冒頭展示資料にもあるように、当時の日本人にとって、解剖学的な西洋風の画法は非常に難しいことだったことが分かる。

(1)日本人は裸でいるべき状況を設定してから描いた。

・五姓田義松 「銭湯」
意味なく裸(西洋)でなく、銭湯をモチーフに意味ある裸を描いている。

常設にも本展関連作品として90点の裸にまつわる作品を展示した。
・土田麦遷 「湯女」 常設
風呂を流した後に男性に性的サービスをする。その翌朝を描いた作品。
・小倉遊亀 「浴女」 → 銭湯
日本画では、お風呂に入っているから裸を描いている。

(2)裸をどこで見るか。西欧と日本の違い
日本ではこっそり見る。ヨーロッパでは人が大勢いる中で見る。

黒田清輝の「朝粧」(ちょうしょう)は、須磨の住友別邸にあったが第二次世界大戦で焼失。
黒田派1894年の明治美術会第6回展とその翌年に第4回内国勧業博覧会に出展。
意味なく裸で等身大の裸が登場した記念すべき作品。この作品を出展したことにより様々な議論が生じ、騒ぎとなったが、黒田はこれに負けないと誓う。
黒田の功績は裸を通して考えると分かりやすい。
ここから「智」「感」「情」の解説が始まる。
背景やタイトルから、聖なる存在として現実的なことから切り離す工夫をした。
背景の金地はどこにいるのか分からないようにしているし、金色という色が精神世界、聖なる存在感を高めている。
プロポーションの修正が行われ、8頭身、脚の付け根がちょうど四頭身、160センチくらいの女性。明治時代の女性の平均身長が143センチ。本作品を描くにあたり姉妹モデルを使ったことが分かっているが彼女たちは6.5頭身くらいで、8頭身まで引きのばしている。

下絵、デッサン何も残っておらず、キャンバスにいきなり木炭デッサンを行った。
1枚1ヶ月で制作。赤外線調査によれば、胸や脚のゆがみを修正していることが分かる。
8頭身のすらりとした女性を作り上げた黒田。この作品を見ていると、現実が追いついて行く。ある理想的なヴィジュアルイメージが現実を変える。

村上隆が「智」「感」「情」を制作したが、サイボーグのような黒田の美化の意味、意義を村上隆が読み取ったもの。
アニメの女の子はデフォルメされている。
黒田のやったことは、「理想像」が頭にあり、現実離れしたイメージを創り出した。
村上作品は、アニメもマンガも黒田のしたことと同じなのではないかという問題提起だった。

・黒田清輝 「野辺」
野外で裸になっている→ 嘘の情景
アトリエで素描モデルをして後ろで背景を合成。当時のモデルは貧しい子供モデルが多かった。
野辺で描こうとしたのは、春の妖精、ラファエル・コランの「フロレアル」の影響がある。

この後、萬鉄五郎の「裸体美人」の解釈と黒田との関わりについての解説があるが、それらは図録に詳しいので割愛する。
裸体美人の脇毛と大きな黒い鼻の穴を消して、黒田の「野辺」に脇毛を移植した2つの蔵屋氏作の画像がスライドで上映。
確かに脇毛と鼻の穴がなくなった「裸体美人」からは色っぽさが失われ、迫力ないつるんとしたヌードになり、逆に「野辺」は妖精ではなく女になっていた。

以後は上記の作品解説中心で終了となった。これらは会場内の解説パネル図録に詳細記載されています。
・熊谷守一 「轢死」
・古賀春江 「涯しなき逃避」
・安井曾太郎 「画室」
・小出楢重 「立てる裸婦」
甲斐圧楠音と梅原龍三郎ともに美青年で、特に梅原は息子に「ナルシ」と名付ける程のナルシストであったらしい。

なお、本展図録は1600円のハンディサイズ。図録と言いつつ、大半が文章で、文章の合間に出展作品の図版が掲載されている読み物と言えます。森大志郎デザイン。

やはり、企画者意図にしたがって是非一度ご覧いただくことをオススメします。特に女性の方こそ足を運んでみませんか。
そこから何を見つけて感じるかは鑑賞者次第でしょう。

「ジム・ダイン」展 名古屋ボストン美術館

ジムダイン

「ジム・ダイン 主題と変奏:版画制作の半世紀」展 名古屋ボストン美術館 8月28日迄
http://www.nagoya-boston.or.jp/jimdine/index.html

個人的に今イチオシの展覧会「ジム・ダイン 主題と変装:版画制作の半世紀」展の感想です。この展覧会は巡回がありません。名古屋ボストン美術館のみでの開催です。
アメリカのボストン美術館所蔵のジム・ダイン版画コレクションより主要な153点を展示し、ダインの版画制作の軌跡をたどるものです。

この展覧会には2度行きました。1回目は会期が始まって間もなく5月だったかと思いますが、全153点をなめてました。
1時間では到底足りずに時間切れ。最後は駆け足になってしまったので、再訪したのは6月だったか。

ジム・ダインは本展開催のために、震災直後の4月に来名し、4月24日(日)に講演会「ジム・ダインが語るジム・ダインの現在(いま)」を愛知県立芸術大学で行っています。
講演会の様子(美術館のサイトへリンク)→ http://www.nagoya-boston.or.jp/event/report/lecture/post-90.html
私もこの講演会に参加し、ジム・ダイン本人のお話を伺うことができました。

私のへぼい展覧会感想より、講演会のまとめの方がお役に立つのではないかと思い、メモをもとに書いてみました。内容については私自身のメモが頼りなので、間違い等あるかもしれませんが、発見されたら直ちに修正致しますので適宜ご指摘いただければ幸いです。

講演会は、ボストン美術館の版画・素描・写真部 部長クリフォード・S.アクレー氏との対談形式で行われました。以下、ジム・ダイン氏をD、アクレー氏をAとして表記します。

ボストン美術館では1960年代にダインの作品を初めて購入。2006年には、ダインのアーカイブが創設され、作家自身より寄贈された版画作品約800点を収蔵。

A:なぜ、版画だったのか?
D:自分は自然に版画を刷ると反転したイメージが浮かぶ。刷り上がった同じ版を使用しても、刷りにより出来上がりは異なる。これは有機的過程だと思う。手にペンキを付けてスタンプのように、紙に手形を付けることをやっていた。

A:ダインの最初の版画が世に出たのは1960年頃。いつから版画を始めたのか?
D:小さい頃から版画家だったと思っている。ペンキを塗った紙を白い紙に写したり。版画が何かということに気付いたのは、8歳の頃だったと思う。シンシナティにある母の家には北斎の浮世絵があった。中流階級の家なら北斎が2つ、3つあった。
ティーンエイジャーになってかえあ木板を彫って、版画制作をするようになった。キルシュナーやムンクが好き。

A:版画以外の表現形式との関わりがある(版画だけでなく様々な表現をしていた)アーティストとしては、レンブラントやピカソがいる。1960年代はアメリカの版画界にとって、転換期であった。今回のダイン展のサブタイトルは「主題と変装」だが、ひとつだけ独立しているというより連作になっている作品は、ひとつの版からイメージが変容している。例えば、レンブラントの≪3本の十字架≫など、同じ版から色やムードを全く変えて別作品を作る。≪ピカソの闘牛≫について、多くのインスピレーションを得たか?
D:ピカソの11の連作リトグラフは手を加えることにより、削減していく方法。そしてそれをどんどん発展させていく。最初に何かを消したり書いたり、ピカソの作品を観てからグラインダーやドリルといった電動工具を使うようになった。
それにより、早く活き活きとした手を加えることができる。人に託すのではなく、自分で息を作品に吹き込みたいと思った。

A:アメリカの抽象表現主義との関係は?
D:沢山の影響を受けている。デ・クーニングは祖父より2世代前。ジョルジュ・マチューは公の場で制作することで知られていて、その行動、描くことドラマに引き付けられた。
モップと硝酸、スタジオでできずに外で制作した。アクティブな活動もやっているが、こればかりやっている訳ではない。ニードルや手を使って色々なやり方を試みている。ロマンティックな表現主義と言える。

A:≪カークラッシュ≫(最初の作品)は、ハプニングという考え方で制作されている。もし作者が望めば色々な工程で版画に仕上がっていく。エネルギーや自発性、身振りなど、抽象表現主義に基づいたものではないかと思っている。他のビジュアリスト同様、難読症というハンデがあった。それが逆にイメージとして言葉が使用されている。
D:できるだけ自分のイメージから最大限パワーを作品の中に入れたい。その中でイメージを説明したい。言葉を入れることで、力を加えることができると思う。靴という言葉を靴の絵の下に入れることで、多様な表現と言葉のパワーが加わり強いイメージとなる。
左利きであることが障害に影響があるのかもしれない。言葉を沢山読んでいったことが、言葉に対するつながりができたようにも思う。
ひとつの単語を大切に考える。ひとつの単語を入れるのは赤い線や立体を入れるのと同じくらい強いと思っている。
自分はミニマルアーティストではない。ひとつのイメージでできるだけ多くのことを伝えたいと思っている。見るための視覚的寛大さを出したい。
詩人と知り合って、自分も詩を書くようになった。意味だけでなく単語の見かけにも関心がある。カリグラフィが分かりやすいだろう。

A:自身で版画だけでなく絵画やドローイングを行っているのか?
D:当時ロンドンで作品を切ってシルクスクリーンで再現していたが、それが流行だった。大量生産からハンドメイドへシフト。ハンドメイド作品は得意でなかったが、クレーターと≪道具箱≫という作品を作った。シルクスクリーンの完成品より元々のコラージュの方が良かった。機械的なイメージが好きでないことに気付いた。

例えば、デジタル画像をスキャンして印刷しエッチングを加えるという作品を作っているが、そうすると作品が自分のものになる。自分のものは自分でコントロールしたいと思う性格。

A:≪道具箱≫という連作からは今回4点が出展されている。その頃から、機械全盛の時代にも関わらず、手で彩色することを始めているがそれについてはどう思っているか?
D:版画は私にとって、生きている有機的行動。彩色やブラシを塗って色を付けたり、グラインダーで紙に加工する。
時には12枚手で同じものを試しに作ったりすることもある。ただ刷るだけより、パーソナルなものにするのが好き。エディションを沢山作るのは好きではない。ひとつのイメージを作って満足すれば、充分自分は満足。

A:何かを消去するのが前向きな姿勢。消去に電動工具を技法のひとつとして使用している。例えば、70年代の自画像作品。暫くして全く違うものに変える。
作品を選択する際に、同じ版から全く違った自画像が見つかりわくわくした。イメージを版に刷るがその紙も色々な紙を使用している。質感や色のパターンが違っている。紙、特に和紙についてはどう思う?
D:特定の紙を選んで刷る訳ではない。そこにある紙を使用している。
漉きこまれたフランスの紙や和紙には魅了される。紙を選ぶ基準は強度が重要。アイスピックが刺さってもそのまま維持できるような紙。茶色のラッピングペーパーでも美しく仕上がる。ブーツの作品はラッピングペーパーに刷られている。

A:ジムダインは一人で籠るタイプではないと思っているが、それについてどう思う?
D:グリッターとの関係。
画家というのは孤独な専門職だと思っている。版画を制作している時は、友人と一緒に制作。30年来の友人はクロムリング氏の弟子がほとんど。プリンター達との活動は社交性も必要だが、コラボができれば、協力する姿勢を見せれば非常に良い関係になる。
若い人から熟練者まで様々な人と制作してきた。最終的には、私が作りたいと思っている作品に協力してくれる人が残る。そのような人が制作活動には必要。

A:クリムリングはピカソの晩年の版画の刷りを担当していた。作品の対象が自分自身をオブジェクトとしているのが特筆すべき点だと思うがそれについては?
D:これまでの人生と関わっている。祖父が金物店をやっていたので、電動工具が自分の周囲にいつもあり、それで遊んでいた。そういった環境にいたのでカラーチャートも幼少期にあった。水道管のパイプを切ったり、大きくなると機械を使わせてくれたり、削りくずが散りばめられたり。。。
オブジェクトはモノ以上の意味を持っていた。
・ねじを打ちつける金槌
・形が変わる点にも引き付けられる。
道具を見てインスピレーションを得た。道具は人間の状況を象徴していると思う。

A:今、どんな作品を手掛けているのか?
D:まだ完成していないが、リトグラフとエッチングを組み合わせて「共産主義の歴史」、東欧の1950年代のノスタルジックなイメージを自分のスタジオにあるものに似せて制作する大きなプロジェクトに取り組んでいる。
同様に写真や膨張剤?を作っている。

以上で会場からの質疑応答へ。

Q.版画とペインティングの決定的な違いは?
D:質の違い。ペインティング→完成するものはひとつ。版画→2つかそれ以上でもできるイメージを作る行為だと思う。プリンターとペインたーの上下については全くないと思っている。

Q.1点しかないのと同じ版からの連作とでは制作時の気持ちの持ち方は違うか?
D:特に違いはないが、後からの制作に影響を与えることが多いと思う。ナンシーシリーズについては、主題の方が意図を持っていたので、それに私が支配された。結果的に25枚制作。2年半経過し、私から見たナンシーの精神状態だったので、これでいいのかと疑問に思いやめた。

Q.高校生の頃、ダイン氏の素描を見て感銘を受けた。あなたにとって素描とは?
D:素描、ドローイングは重要。
アートの骨組み、構造だと思っている。それが一番明確にあらわれるものだと思うし最も重要なこと。

Q.あなたにとって評価できるアーティストは?
D:私の両親。
自分の考え方として、沢山のアーティストのおかげで育てられ、アーティストの歴史を歩んで来られた。
古代の彫刻や彫像を沢山持っている。

Q.パソコンで絵を描く人が増えているが、手で描くことの強みがあれば教えて下さい。
D:コンピュータ世代ではないので分からない。Good Luckとしか言えない。

Q:作品の保存方法は?
D:乾燥を維持すること。光があまり当たらないように。作品と作品の間に中性紙を挟んでいるが、人に依頼している。


長くなりました。読んでいただいて有難うございます。
版画技法のデパートとも言えるダイン氏の版画作品には驚くことばかり。特に文字を使った初期作品やエナメルを使用した版画、最後の方に出て来る≪歴史的なワンダースブルグ≫の3枚ものは特に好きです。

愛知県美術館の棟方志功や名古屋市美術館のレンブラント展での版画作品と合わせてご覧になると、更に楽しめると思います。

*2011年8月3日、誤植修正。

「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」 サントリー美術館

鳳凰と獅子

「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」 サントリー美術館 7月24日迄 休館:火曜
時間:[日・月・祝] 10:00~18:00 [水~土]10:00~20:00(入館は各閉館30分前)※7月17日(日)は20:00迄
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/11vol03/index.html

鳳凰と獅子という瑞鳥、霊獣のイメージの展開に注目し、古代中国の遺品、仏画、彫刻、近世、近代における屏風や陶磁器、染織に至る鳳凰と獅子が使用されている名品を一堂に集め、その変遷や鳳凰と獅子の図像に託した意味などを展観するもの。

相変わらず、サントリー美術館は展示替えが非常に多い。前期・後期ときっかり分かれていればまだしも全部で7期にも分けて、一部作品について入替がある。
会員になっていれば別だが、そうでない場合や遠方から来る場合、全作品を観るにはかなり厳しい。
作品リストとにらめっこして、観たい作品を絞り込むのが良いかもしれない。

私は、7月3日に開催された記念講演会「鳳凰図像の展開-東アジアの視点から」講師:板倉聖哲氏(東京大学東洋うんか研究所 准教授)に無事当選したので、これに合わせて行って来た。

個々の作品についての感想より、板倉氏のお話が興味深く1時間半はあっという間だった。
以下、簡単に講義概要を記載する。記載にあたって、当日配布された板倉氏作のレジュメから一部引用しています。

1.鳳凰とは?
麒麟・霊亀・応龍とともに四霊の一つとされる瑞鳥。

(1)鳳凰の姿勢の4類型
・両足を揃えて直立する「静止」の姿勢  → 孔雀の姿勢でよく出て来る
・片足を踏み出して歩く「歩行」の姿勢
・鳥が片足を鋭く曲げ、他の足で力強く蹴る「頡頏(けっこう、きっこう)」の姿勢
・大空を「飛翔」する姿勢

(2)鳳凰の足の2類型
 3本が前方、1本が後方を向く「三前趾足」 大多数の鳥類 
 →その後、足指が前後に2本ずつ(2本と2本というのもある)わかれた「対趾足」宋時代から登場 鸚鵡など

 *展示されている作品の中に登場する鳳凰の足(足指)や姿勢に注目。
 

2.中国における鳳凰図像の意味と展開
・宮殿壁画に鳳凰を描く
 これはかなり古い。西漢 光武帝の父(劉欽)が描かせた。
 次に古い図像は南斉 東昏候が太極東堂に鳳凰・鸞鳥を描かせる。

 とはいうものの、鳳凰は東洋美術の側面から考察する際に、やり易いテーマではない。
 有名な画家が描いた鳳凰の絵は残っておらず、文献にも出て来ない。明時代以後の作品になる。作例からみて、鳳凰は重要視されていない。
 明時代の図像が日本を含む隣国に展開したものと思われる。西に渡る鳳凰は瑞長として定着。→ラスター彩鳳凰文タイル
 
 鳳凰には様々な寓意がある。
 「鳳凰牡丹」 鳳凰が鳥の王、牡丹が花の王で富貴を表すことから富貴吉祥を寓意。
 鳳凰は、雌雄、両者が相和して飛ぶことで夫婦和合の象徴。→ 作品の中に2羽飛んでいるものは?

 女性とともに描かれる鳳凰は想像上の生き物。
 個展では、蕭史が龍、弄玉が鳳凰に乗る。
 簫の名手である蕭史は秦王の眼に留まり、その娘の弄玉を嫁として弄玉に簫を教えたため、簫の音を聞き鳳凰  が来るようになり、それに乗って飛び去ったという。
 簫を吹くと鳳凰が登場する。

 他にも天に飛ぶ鳳凰、地を行く麒麟で瑞鳥、富貴吉祥を表す。
 五倫の比喩では、「天倫の楽」を表す。→ 明時代中期の作「五倫図」

3.日本における鳳凰の需要と展開
キトラ古墳壁画 四神の朱雀 
五方の鳥である。陰陽五行との関連。

4.近世日本絵画に注目して-狩野探幽と伊東若冲
狩野探幽 「桐鳳凰図屏風」→ 五鳳図の類型

伊藤若冲 林良「墨竹鳳凰図」相国寺蔵 
水墨と思わせ、五彩(特に赤)を使っているので要注意。この作品の模写である若冲の「鳳凰図」も存在している。
また、曽我蕭白の「群仙図屏風」(本展出品なし)に、蕭史が描かれていないことにも着目。

鳳凰と獅子はある種の願望をかなえる存在に変化していった。北斎の「鳳凰図屏風」は私的な用途で描かれたのではないか。

個人的には、又兵衛の「弄玉仙図」、小野田直武「獅子図」、古鏡(特に大和文華館銀製鏡は美しかった!)、正木美術館蔵「騎士文殊図」、第9章の獅子の乱舞-芸能と獅子をめぐってに注目した。
最近、初めて能鑑賞をしたが、これまで能面を観てもピンと来なかったが、能鑑賞したことで、少し関心が持てるようになった。今回は獅子の舞が演じられる能演目「石橋」について能装束はじめ紹介されていた。

「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」開催記念トーク 「映像作品《Trails》を語る」 東京オペラシティ

trails

「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」開催記念トーク「映像作品《Trails》を語る」6月23日20:00~21:45
出演:ホンマタカシ、阿部海太郎(音楽家)
http://www.operacity.jp/ag/topics/110615.php

6月26日(日)まで東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」の関連企画として6月15日に急遽上記イベントの案内が届いた。

同展を拝見した感想はアップ済だが、そこで書いたように私が一番印象に残りかつ興味深かったのは、展覧会最後の中平卓馬がショートホープにマッチで火を付けるまでを追った短編映像「Short Hope」だった。

ホンマタカシの写真はよく分からないが、彼の映像作品には興味がある。
このイベントでは、展覧会では上映されておらず写真やペインティングの展示がされている《Trails》の映像が上映されるとのこと。
これは観たい!
彼の映像において音が果たす役割は重要なキーとなる。その音を担当されているのが阿部海太郎(あべ・うみたろう)氏。
ということで、行って来た。

最初に上映されたのは2003年に横浜美術館で開催された「中平卓馬展」で上映されたホンマタカシ監修・撮影の『きわめてよいふうけい』のダイジェスト版。
(参考)『きわめてよいふうけい』→http://www.movienet.co.jp/movie/opus01/kiwameteyoifukei/index.html

全編は40分の映像だが、今回は15分程に再編集されていたが、それでも十分内容を知ることはできた。
冒頭は、中平氏の日記、これがみっちりびっちり何月何日何時何分単位でノートに書き付けられた画面から始まる。バックには、それを読み上げていると思われる中平氏の声が。しかし、何を言っているのかはよく分からない。ろれつが回っていないというのか、くぐもった声、呟きが聴こえるだけだが、却ってそれがリアルな現実を伝える。

次に場面展開し、2002年に沖縄で開催された東松照明展「沖縄マンダラ」関連シンポジウムの映像が流れる。
このシンポジウムの様子は、先日入手した『photographer's press no.2』の記事を読んでいたばかりだったので、参加者5名:中平卓馬、荒木経惟、東松照明、森山大道、港千尋らがどんな状況でシンポジウムを行っていたのか、紙面では伝わってこなかったものが、映像で分かった。
ここで、中平は活発に動く。最後はマイクを奪っている。
今年開催された名古屋市美の東松照明展のトークでは、一言も話さなかった中平の10年前の姿がそこにあった。

上映後、ホンマ氏は語る。
「この映像を観ていると、今撮影しておかねばならないという必要性を強く感じる。中平氏は現在ではほとんど離すことはない。しかし、10年前は話もしていたし、これだけ動いていた。この事実記録することの重要性。これこそ、ドキュメンタリーだ。」
写真や映像とメディウムの記録性をホンマ氏は重要視されている。
また、ホンマ氏が映像制作の際、重視しているのは「映像と音の拮抗」。
どちらが勝ってもいけないという。
映像と音のバランスに留意しつつ、その後の映像を観ることにした。

少し前にとある若手の映像作家さんから「映像は音楽に左右されやすいので、自分は敢えて音を排除し映像だけで見せたい」というお話を伺ってなるほどと思った。
更に音楽を使用して映像を作品化する際には、著作権についても留意せねばならない。

次に上映されたのは≪Short Hope≫の別バージョン2つ。
会場で最終的に上映されたものを含め、全部で3バージョンある。それらがすべて上映された。
音の使い方、映像の始まり方、間合いなど異なる3編。
どの作品も甲乙つけがたいが、最終どれを上映するかは、オペラシティの会場で決めたそうだ。
ホンマ氏は事前に事務所のメンバーにどれが一番良いかを尋ねたが、皆、それぞれ回答が違ったという。

この作品ではマッチを擦る音が非常に重要で、この音を採取するために阿部氏の苦労が語られる。
中平氏がいつ煙草を吸うか分からない、彼は撮影のために煙草を吸ってくれるような人物ではない。よって、彼が煙草を吸いたくなるのをじっと待つしかない。

阿部氏の映像に付ける音楽が他にも紹介されたが、これがとても良かった。
オルゴールのオリジナルというべき、紙に穴をあけたもの、このランダムに開いた穴の紙自体の造形性についても興味を惹かれる所ではあるが、それを手回しのオルゴールで音を鳴らすと、想像できないような美しいメロディが流れる。メロディだけでなく音質の良さも特筆すべき。
たまたま、今回の会場となった展示室は音の響きが非常に良かったことも幸いした。

最後の展示室で観た≪SHORT HOPE≫より、今回の展示室で観た作品の方が音の良さが際立っていた。

そして、ホンマ氏、阿部氏が知床で撮影、録音した《Video + Sound Elements for Trails》についてのお話を伺った後、最後に同作品が上映され、イベントは終了。
映像≪Trails≫は素晴らしかった。
冒頭シーンは知床の流氷。これは写真では出展されていない。
流氷シーンと暗転が繰り返される。そして、暗転した時、視覚は何もとらえていない、ただスクリーンの闇を見詰めているだけだが、その際に流れる音に聴覚は敏感に反応する。
人間の習性。
音によって、私たちは実際に視覚が捉えていない情景を脳裏に描いている。
つまり、音が視えないものを視せる、そこまで狙って制作されていたのだろうか。
流氷が流れる際、ぶつかる際の音なのか、創作された音楽ではない自然から採取した音源は何にも増して強かった。
映像→音→映像と繰り返される。

少し長い暗転の後、映像は流氷から真っ白な雪景色、そして白い雪に点々と落ちる血液と思しき赤い染み。
鹿狩りを追ったというから、恐らく鹿の血液だと思われるが、血液なのか、顔料なのか、そんなことはどうでもいいような気がする。
ここでも、白と赤のコントラストが眼前に広がり、雪山の枯れた樹木が原風景として呈示される。

BGMはピアノだろうか?
音楽と効果音の組み合わせが絶妙で、ぐいぐい映像に引きこまれていく。

ラストシーン、暗転の後、長く響く銃砲が流れて映像は終わった。
あの銃砲の先に、鹿は倒れたのだろうか。

「小谷元彦展 幽体の知覚」 アーティストトーク続編

昨日の森美術館で開催中の「小谷元彦展 幽体の知覚」の続編です。
今回のアーティストトークは、最初にキュレーターの荒木夏実氏より、挨拶と小谷氏の紹介などがあり、1時間弱は小谷さんによる幽体についての考察などの解説。その後、荒木氏から小谷氏への質問、そして観客からの質疑応答という構成になっていました。

前回は、この質疑応答を中心にまとめた(*全ての質問について記載しておらず一部割愛している。)のですが、今回は、前半部分について記憶をたどって纏めてみました。スライドを使用し、特に文章のスライドは写しきれなかったので、分からなかった所は省略し、前回と一部重複する箇所があることをご容赦ください。


今後の作品の方向性のとっかかり、気になったフレーズを集めつつ話して行く。
幽体はファントムと置き換える。
古典的題材の中でのファントム。自分は古典的考え方があり、それを踏まえて進めていて、今後は更に複雑になって行く。

例1:シェイクスピア作品『マクベス』からの引用 第2幕第1場インヴァネス、マクベスの城の中庭
目の前に見えるのは短剣ではないか
柄が私の方に向いている
よし、掴んでみよう。いや、できない、それでも、まだ見えている。
おそろしい短剣の幻よ、おまえは目には見えるが、手に取ることはできないのか?

⇒ 目には見えない幻の短剣

例2:クラシックバレエ 「ジゼル」 アドルフ アダン作
クラシックバレエに興味がある。第二幕では処女の精霊たちが踊る。
人間が求める厳格なフォルムをバレエでは求めている。
自分を超えることへの憧れがファントムの形。日本では耳なし芳一なども範疇に入る。

ここで、バレエ:ジゼル第二幕の映像(群舞シーン)がスライド上映される。

古典的な方法で亡霊を現す。
ファントムとはゴーストではない。

例3:ヌミノース
絶対他者との遭遇
ルドルフオットーは著書『聖なるもの』でヌミノースを「戦慄的な神秘」と「魅力的な神秘」二つの切り口に分けて説明している。

以下は私個人が勝手にWikipediaよりヌミノースについて引用。
『たとえそれが予期していたものであっても、絶対他者との遭遇は逃げ出したくなるような恐怖を伴うものである。それと同時に、恐ろしい、身の毛もよだつような体験とは、「こわいもの見たさ」と言われるようにしばし魅惑を含んだものとなる。このようにヌミノースは戦慄と魅了という二律背反的な要素を内包する。オットーは聖なるもの、あるいは神そのものを議論の俎上に載せるのではなく、それが人間の感覚にどのように影響するかを重要視した。このような価値観は、その後の宗教学や文化史に大きな影響を与えた。』

霊4:ニーチェ 『善悪の彼岸』146節より
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。
おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

怪物で考えるのではなく、どんな人にも深遠な部分があると思う。それを掻き出し彫って行って、到達したいという意思がある。
これを分かりやすい例でいうと、ハンニバルレクター『羊たちの沈黙』に出て来るクラリス。殺人犯のプロファイリングをする役がジョディ・フォスター。
こをの映画のレクターのキャラクター作りに参考にされたと言われているが連続殺人犯のテッド・バンディ。
FBIの捜査官によれば連続殺人犯を類型化できる。
バンディは二度脱獄していたり変わっている。自分で自分の弁護を行たり。
プロファイルする捜査官に、ニーチェの言葉が出てくる。
連続殺人犯には思えないような力を持った人物で、見た目はスマートで外見は連続殺人犯には見えないような人物。
こういう人物と接見するのは怖いが、それを深く掘り下げて行作業が具象なのではないかという考え。

彫刻は不可能性のあるメディアだと思っている。
アニミズムや魂をこめるということもあるが、生命体に近いものもできるかもしれないが、恐らくそこには到達しない。生命体まで作れないが、逆にそれが面白いメディア。

実体≠存在という考え方。

具体例として仏像を考えてみる。
聖林寺十一面観音像が好き。
矛盾した中で偶像崇拝の存在を作らざるを得なかった。宗教上の理由のために像が必要になる。それを表すものとして、人を超えたエネルギーを持ったもの、仏教のエフェクト。
藤井寺の国宝千手観音菩薩坐像は幼少時含めに二回観に行っている。手の形は残像に見える。

三十三間堂も好き。寺のつくりや配置の仕方がエフェクティブにできている。当時の人々の知覚に効果を与える。
直線的に並んでいることによって、正面性の強さがある。正面性の強さは西洋の空間にはない。

同時に日本古来のものの中でファントムを感じるのが養源院の血天井。養源だけでなく京都には血天井はいくつかあるが、養源院は小さい時に観て、養源院の美意識は一筋縄ではくくれないと思っている。切腹した武士の血だと思うが 天井に血が飛び散る。
身体の軌跡が残っている。日本的な美意識を感じる。
ファントムの存在が定着している場だと思う。

実体が存在ではなく、存在はエフェクトではないかと考えている。
エフェクトという考え方ににファントムという概念をあてはめた考え方。

絶対他者の出現。認めたくない自分。
影の概念には無意識の全体が反映されているのではないか。
影という概念に興味を持っている。

ユング
影にも興味を持っている。
二重身にドッペルベンガー
影法師などがその例で、これもひとつのファントムだろう。
分かりやすく考えると、あしたのジョー。 二重身の例
自分自身を他者を鏡として映し出す。
最終的にホセメンドーサは、俺は幻影と闘っているのではないかという台詞がある。さっきのシェイクスピアと同じような台詞を言っている。
ジョーとは真逆の存在として描かれる。ラストでは真っ白になる。メンドーサとは鏡の裏表の関係で同一化しているように思う。

鏡や影で具象彫刻を考えると、ジャコメッティが挙げられる。
正面から対象物までの距離を測定し制作している。距離を彫刻化し。正面性も強い。鏡や二重身を考える時外せない。
ジャコメッティのあり方は具象彫刻として正しいように思う。切実なアプローチに見える。
空間に出現して来た形状、純粋的なアプローチに共感する。

・鏡像段階論
初期ラカンを代表する発達的論点からの理論。
例? ファイトクラブ、スタンリーキュービックのシャイニング。
シャイニングは顔面映画だと思っている。
キューブリックの映画舞台であるホテル内部を描き起こした。この映画には何かあると気になり過ぎた。
ジャックニコルソンは小説家の役。
田舎にあるホテルに家族と自分だけ。小説を書き続けるニコルソンが狂って行く。ホテルにはニコルソンしかいなかった、もしくはファントムしかいなかったと考えられる。観れば観るほど顔面映画だと思った。、

映画の中で迷路の表札に書かれている図。迷路の俯瞰図。
脳の抽象化されているものに見える。
ニコルソンがホテルの模型を見つつ、俯瞰すると脳の中を見ているという入れ子構造。テレビにトレーシングペーパーを貼りつける描き写した。⇒実際に写した小谷氏の図がスライドで上映。
迷路模型を見ているうちに複雑化していく。
ファントムという概念を彫刻に入れて行く例としてこれまで話をしてきた。

*本展はこの後、静岡県立美術館、高松市美術館、熊本市現代美術館に巡回します。

「複合回路」Vol.5 青山悟展 <トークイベント 青山悟×森村泰昌> ギャラリーαM

aoyama

ギャラリーαMで開催中の「複合回路」Vol.5 青山悟展 に行って来ました。
開始後すぐに観に行って、12月8日に開催されたトークイベント:青山悟×森村泰昌も拝聴したので、簡単にその様子を以下まとめてみます。内容に誤り等ございましたら、遠慮なくコメント欄にてご指摘いただければ幸いです。
また、トークの内容についての記載に際し、敬称は省略させていただきます。

まず、本展キュレーターの高橋瑞木氏による今回の展覧会の説明。
詳細は、ギャラリーの以下公式サイトに掲載されていますのでご参照ください。
http://www.musabi.ac.jp/gallery/aoyama.html

高橋:今回誰とトークしたいかと聞いたら森村さんだった。なぜ、森村さんと対談したかったのか?

青山:2010年は十年経過し、社会的にも芸術的な意味でも時代の変わり目で模索の時代だと思っている。その中で森村さんは過去から未来まで言葉にして説明するのと同時に展覧会で「レクイエム」や「まねぶ美術史」では学ぶ所が多かった。特にまねぶの方には私的なアートヒストリーが語られていて自分のアプローチと重なる部分画あると思ってお願いした。まさか本当に森村さんが来て下さるとは思っていなかった。

「六本木クロッシング」でもご一緒させていただいたが、森村さんはヒトラーや三島を出しておられて、自分はウィリアム・モリスと言う19世紀の社会主義者かつ芸術家を登場させ労働について語らせた。そこでも、個人的には森村さんと重なる所があったと思っていた。


高橋:「まねぶ美術史」について説明すると、森村さんが高松市美術館のコレクションのキュレーションを依頼され、ご自身が学生時代に練習した作品と高松市美のコレクションを並べて展示した。(赤々舎刊行の図録を掲示しながら解説。)非常に見ごたえのある内容で、若い時の作品なので恥ずかしかったのではないかと思ったり。

森村:展覧会もさることながら、一冊の本にしたかった。今年出した本の中では非常に気に入った1冊。
中学時代に高校入学後は油絵をやりたいと思っていた。高校1年生から絵を描くようになって10代からの試行錯誤の結果現在に至るが、かなりの私事で人に見せるものではなかった。カンディンスキー風の絵を描いていたりしたが、とても恥ずかしいし見せることは全くなかった。。しかし捨てずに残していて、なぜかサインをしていた。
サインをするのがいい。作品を作っている気分になる。サインの練習を一生懸命その頃したという1人遊び。自分は展覧会などできる人間だと思っていなかったので画家遊びしていた。授業中に1人で小さな絵を描き切って並べたりして、1人展覧会をしていた。

そんなことから始まったが、最近、かつての作品をもう一度引っ張り出して見たくなる心境になった。
スポーツもそうだが、自分が好きなものに出会った時の出会いのフレッシュな喜びはピュアなものだと思う。へたくそとは別に、それをやっている喜び。
1人遊びの頃の精神の在り方が、そこに出ている気がして、自分にとって大事なものだし、再評価できるようになった。最終的にそこに戻りたいために、これまでやってきたのではないか。

なぜなら、展覧会を行ったり芸術家としての形があってその美術家の森村が、やった作品として皆が見てくれる。
10代から後のプロセス抜きにして戻れなかった。ゴーギャンの遺作の「我々は…どこへ行くのか・・・」というタイトルの作品のどこは、後戻りできない時間のように思えるが、実は未来を目指していて時間はループしている実感がある。過去の作品だが未来の作品にくっつく気がする。
そこに青山さんが興味を持ってくれているのと、自分のおじい様の小さい時に知っている祖父の作品と自分の絵、
入口の作品は小学校四年の絵だそうで、青山さん曰く、「彼の油彩としてピークの絵」だそうだが。
青山さんは祖父の作品と自分の絵を結び付けたが、自分と少し重なるかなと思った。

青山:「まねぶ美術史を出すのは恥ずかしい」という森村さんの言葉があったが、自分もこれは恥ずかしかった。家族の絆を見せる展覧会ではないし。祖父は90歳代まで描きで同じような絵を描いていた。
幼少期は憧れの存在だった。毎年二科展に連れて行かれるのが家族行事だが、似たようなテイストの作品が多く飽きてくる。その家族行事が苦痛になり、そうこうするうちに新しい情報が入って来た。例えば、高校時代にステラやニューマン、ウォーホルが、入って来る。森村:結構、アメリカだね。それは何年代か?

青山:80年代後半から90年代。そういうのが入ってくると祖父の絵がかっこ悪いものに見えて来た。イギリスに行っていて、日本に帰国したのは五年前だが、今回の展覧会まで祖父の絵と向き合おうとしていなかった。

森村:なぜ、そんな心境になったのか? 割と唐突ですよね。冒険的で思い切った展示だから。

青山 :この風景画はロンドン時代の作品で叙情的なものが多かった。この頃、ホームシック状態になっていた。だんだん抒情的なものがなくなり血も涙もない作品になっていて、元々ミシンで機械的だし。このままやっていると行きつく所が見えなくなりつつあって、過去作から現在に至るまでの作品を同時に眺める展覧会をしようとした時、祖父の絵がその装置にならないかと思った。

高橋:この展覧会の話をした時、最近のペインティングについて批判的で抒情的じゃだめ。ナイーブで、そこと祖父の絵が重なっているから、それと自分は戦うという話だったが、最終的に青山さんは変わった。

青山:絵画に対するいらつきがある。ペインターの話は、独特だと思うし、空間が色がと語る時、排他的に思えることがある。ペインティングとそうじゃないものが二極化している。それが自分では気持ち悪いと思っている。

高橋:ペインティングを嫌いだとは言ってなかった。好きだと言っていた。

森村: 青山さんは絵が好きな感じを受ける。自分は青山さんの祖父のような絵を描く人を優しい目で見られるようになった。
今、みんな何をやっているんだろうということに興味があり、油絵みたいなのは「何やこれ」と思っていた。一方で日本画専攻、京都画壇が京都にはあり、ひたすら日本画を描く学生がいた。疑わずにこの道に進んでいる。自分は日本人であり、日本の伝統的な芸術をやっていくんだという正しさを認めていた。そういう人たちを疑いつつも羨ましいと思っていた。土台は疑いようもなく日本画であり、そこでスタートさせる。洋画でもそう。最近では、
銀座のBLDギャラリーで辰野さんの絵を観たが無茶苦茶良い絵だった。ある種羨ましさを感じた。自分が油絵を描くということについて疑わずに追求して行く。まさに画家。

私なら、まず油絵って西洋の絵じゃないのと思ってしまう。日本の文化の中で育った自分にとっては、油絵は憧れて絵を描いてきたが、外国のボキャブラリーではないのかと絵を描くことの土台を揺るがされる疑問を持ってしまう。かといって、日本画にすればというと、日本画は自分と江戸時代は切れてるしと疑いが出てしまう。日本文化を大切にしますという精神的状態に真摯にもなれず自分はその土台がグラグラしている。疑わなくていいから、他の人は突き進めるが、自分はとりあえず写真という、メディアを使った。グローバルで二十世紀型のメディアを使った。
青山さんはそれをミシン刺繍に置き換えたのかと。ミシン刺繍の芸術史などないから、何処の国の誰がやっているのかは問題にならず、ミシン刺繍のメディアの発見は面白い。その手法を使えば結構何でもできる。
写真をミシン刺繍しても良いし。
もの作りの喜びは油絵は駄目でもミシン刺繍ならOKなんじゃないか。祖父の絵とやはりどこか似ている。似ているから、祖父の絵は嫌だったのかもしれないが、嫌いではなかったのだと思う。

青山: 刺繍の場合はすぐに気を抜くと工芸だと言われてしまう。自分は芸術をやっているつもりなのだが、油断するとアートですらなくなってしまうという危機感があるが、ペインターには危機感がないように思える。そこに特権的なものをふるまわれている気がする。なぜなら自分には、画家としての才能がないと気づいてしまった。
小学性四年頃までは神童だった。

森村:どうして小学校の絵が続かなかったの?

青山:父も絵を描いていてキュビスム風の絵を描いていた。小学校2・3年の時にキュビスムが入って、ある日、父親の影響で画面分割をした絵を描いたたら、友達に「馬鹿じゃないの」と苛められ突っ伏して泣いた。感性が違うと気付いた。
それを契機に、絵が描けなくなってしまった。立体的にものが見られなくなってしまった。その頃の絵がうまいという評価にあった柔らかい線も石膏デッサンもできなくなった。

森村:それはキュビスムやったからじゃないよね?立体的に戻れなくなったということではなく、自分の中にある感受性が平面だと気付いてしまった。

青山:その頃、父がヌードを描いていt、家庭訪問で担任がそれを見てクラスに言いふらした。

森村:美術的な家庭にあって、それが良い方向にいかずネガティブに入って行く面があった。それで美術から離れた?高校の時は何をしていた?

青山:高校時代にはイギリスで寮生活をしていた。駐在員の息子がいたり、教育方針やシステムは日本的で、英語が話せるかと思って行ったが、日本人の先生しかいないし、外出禁止で親の許可がいる。勉強も全然しないし、毎日どうやって楽しく過ごすかを考えないとやってられない。500人全員が日本人のイギリスにある高校で、今はない。

森村:それはいつのこと?(80年代)間違ってそこに行ってしまったのか?

青山:刑務所と同じで、友達とは今でも仲が良い。スポーツや音楽、その日その日の楽しさを見つけるながら生活してたが勉強は全然しなかった。高校は3年間。絵はやっていなかった。
イギリスの美術学校は入るのは簡単だが、出るのは難しい。とりあえず、そこに入ろうと思った。とりあえずロンドンでもう少し遊んでいたかった。

森村:ゴールドスミスを選んだ理由は?

青山:ゴールドスミスはそんな良い大学とは思わなかったが、大学に入る前に外国人向けの準備コースがあり、当初は彫刻家志望だった。美術離れしていて絵は描けないと思ったが、ドナルドジャッドなら自分にもできると思い、ジャッド的なものを準備期間中に作っていた。ゆがみまくっていたりとか。

森村:工房はあるのか?

青山:工房はあった。本学部の生徒と一緒にやらせてくれる。

高橋:ジャッドがどうしてあの形態だったかは知らないで?

青山:知らない。形態だけ真似した。気に入ったのもある。シュッとしてるなと想った。ジャッドの具象っぽい感じ。ピアノのキーボードをジャッド風に作ってみた。

準備コースは終了したが、上がれなかった。「テキスタイルなら空いている。」と言われたので、そこに入った。

森村:他に定員が空いている学科はなかったのか?

青山:ポップミュージック科はあって、見学に行ったが楽譜がかけないのは駄目だと言われた。

森村:その頃はロンドンにいたいという気持ちが大きかったのか?

青山:テキスタイルの学科でもアートヒストリーとかある授業があって、全くついていけず一年留年し、そこからこのままでは駄目だと思い、生まれ変わったように勉強を始めた。今ではもうその学科はない。それで、漸く美術に気持ちが戻って来た。

森村:テキスタイル学科では他の人は何をやっている?

青山:学生はみんな女性で男性は僕一人。機織り、手織り、ニット、タフティング、シルクスクリーンとか。
自分の髪をおってみたり。かなりコンテンポラリー。


森村:一般的には、京都市芸などではメインは伝統工芸。ファイバーアートとか。ちょっと変わった人が時々出てくるけど。
そこはコンテンポラリー的な意識を持っている学校だった?そこで自分の意識が明確になったの?

青山:女性と言う表現が強い。女性ばかりの中で日本人男性ただ1人のマイノリティ。その時代はアイデンティティーと言われていて、自分は男性のアイデンティティーでなく日本人のアイデンティティーを貫こうとした。
そこで、漫画的なものを考えた。シルクスクリーンでマンガの自分とミッキーを対峙させたり。ポップアートに目覚めていて。そういう表現をしていた。卒業したのは98年で1年間準備期間を置いて、99年にアメリカに行った。

森村:アメリカに行ったのはなぜ?

青山:習いたい先生がアメリカに行った。シカゴに行ったがそこもファイバーマテリアルの学科。憧れの先生は髪の毛を縫うゴッドマザーみたいな人だった。ずっとシカゴにいるアーティスト。
テキスタイル系アートで現代美術の評価を得ているのはその女性しかいなかった。

森村:その時にペインティングの先生がいたのか?

青山:いました。ペインティングの先生や授業も受けられたが、議論が多かった。言っていることがバラバラで、その時もペインターたちは何を言っているのかと馬鹿にしていた。

森村:その時もペインティングいいなとは思わなかったんだ。その後、改めてペインティングいいなと思ったのは?

青山:その頃、ルシアン・フロイドが良いと思い始めた。そうするとそこから見えてくる面白いペインティングがあると思い始めた。

森村:このスタイルはいつから?

青山:イギリスの二年目位から今のスタイルになり、シカゴの頃には確立されていた。最初はパッチワーク風のものが凝り始めて今のようになった。最初は額縁にも入れていなかったし、絵を描いている気分はなかった。

森村:絵を描いている気分はいつごろから?

青山:風景の作品の頃にあった。初期作品。近作は絵だという意識を持たないで作っている。

森村:絵を描いているような絵的な感覚はあると思うが、風景の頃の作品と今の作品、金糸、銀糸の作品との違いは?

青山:風景の頃は自分で写真を撮って刺繍にしていた。最近は、ニュースなどからイメージを取り出す。現在のテクノロジーとの関係性との繋がりで銀の糸で光らせている。自分としてはイメージの墓場。イメージが溢れかえる。

森村:金と銀、特に銀は葬式をイメージさせる。イメージの墓場というイメージに銀糸は近いね。

青山:クロッシングの作品は表は任意を色で選んで、裏は紙媒体を切り抜いて刺繍している。それでモノクロ。何も意味がない物が残ってしまう。

森村:労働という言葉の意味は?

青山:単純にミシンでの作業は身体的な苦痛を伴う作業だと思っているし、女性の労働のシンボルでもある。リーマンショック以後、景気が悪くなり、明らかに自分の美術家としての生活も危ういとを思った瞬間がある。ウィリアム・モリスを引用したのも、資本主義システムへの疑いがあり、モリスの言葉で「労働の無駄は終わるであろう」というのをエディットしてひたすら労働の無駄を繰り返す作品を作った。

森村:刺繍に出会ったのは大きいですね。作業のプロセスは働いている感じがある。モノづくりの気分と重なり、自分の問題としても、これからどうなるのかということにつながっている。面白いのは、政治問題、本来芸術問題ではない。どう感動するかは金銭に関係のないもの。売れる売れないに関係なく良いものを創る。もしかしたら油絵を描いていたかもしれない。自分が油絵を好きだったのは油絵の匂いだった。
水彩画は、あまり良い匂いはしないが、夏休みに1人だけ油絵を出した子がいて、良い匂いで憧れで大人の匂いがした。
芸術は特殊なことをしている位置付けになってくるが、青山さんの家庭環境はものすごく芸術的だったが、ミシン刺繍は芸術的でない労働。本来は非常に安い賃金で売る。
自分も、随分昔に作品を刺繍にして売りませんかという話が出た。それをやっていたら青山悟はなかったかも。ちょっとぐらっとしたけど。今から思えば、実際に刺繍をする人にとっては労働。

青山さんの場合、テキスタイルに行ったのも刺繍で芸術をやろうと思うのもたまたまだったんだろうね。

危うい。自分の作品が芸術作品でなく労働になってしまう。一方で労働としての刺繍にリアリティを感じている。その間で揺らいでいるように感じる。
裏表はいささか分かりやすくなりすぎる展示だが、青山さんの思いが正直に出ている展覧会だと思う。コンセプチュアルではなく、思いが正直に伝わる展覧会。

青山:高橋さんと話し合っていくなかでコンセプチュアルすぎるのは避けたくて、危険性をずっと感じていて、最終的には正直にベタな展示になってしまった。

高橋:この展覧会はおじいさんの絵がいいねと展覧会を観て言っている人が多い。祖父の絵からの絵への抵抗感もきっかけだったが、結果的に祖父の絵も再評価できて良かったと思う。
青山さんは、美術家になるのを諦めてしまうきっかけは何回もあったが、結局芸術家の道を進んだ。古いのを出してきたのが新しいのにつながる。逆に新しい感じが生まれたり。

青山:「まねぶ美術史」展は大型のビエンナーレに対抗する手段になるという発言があったが、今の美術を森村さんはどう見ている?

森村: 芸術は1人でコツコツやるもんじゃないかなと思っている。個人の話。他の人はよく分からない。
芸術はそんなに簡単に理解できないものというひとはいるが、人と人より芸術とのコミュニケーションは可能。
個々人が好きに解釈すればいい。自分達の思いを一人一人表すのが芸術領域。

大型のイベントは集客力が評価になる。
イベントと表現はどこかで線を引くべきではないか。

万博のあった年。 三島由起夫のクーデタ事件があった。
どの位人々の心に影響力があるかを考えると、三島のクーデタはある種の芸術活動だった。一枚の絵を二三千万で作って、小さくても人の心に残るのが表現力。

長谷川りんじろうの画文集を祖父の絵を見て思い出した。
りんじろうの文章の中で、それは安保闘争の年だった。(神宮外苑でのエッセイを朗読)

この非常時に絵を描いている人物がいるとは。
自分も安保の時はイロイロ自己追求した、そんな時代に長谷川さんはもくもくと絵を描いていた。なんやこいつ?と思われても絵を描いていた。

警官とデモ隊と長谷川さんの誰の肩を持つのか。
自分に引きつけていうなら、許してもいいかな、裏表の関係だけど確実にくっついているからね。ある種の和解を感じさせる展覧会。クリスマスシーズンにぴったりだと思った。


*12月18日まで開催中。なお、最終日にも以下の通りトークイベントが開催されます。
■トークイベント 青山悟 x 眞島竜男(アーティスト)■
日時:2010年12月18日(土)18時~
予約不要、参加無料
会場:gallery αM

写真家中藤毅彦による「写真集をみる」ワークショップ PIPPO

浅草のPIPPOという小さな写真ギャラリーにて、写真家中藤毅彦による「写真集をみる」ワークショップに参加しました。

第1回目は、ウィリアム・クライン、エド・ファン・デア・エルスケン、ロバート・フランクの3名について略歴等の解説を拝聴しつつ、貴重な写真集(初版)を手にとって見ることができます。

いやはや、3名の写真集素晴らしかったです。

特に、クラインの著名な4都市シリーズの中でも「NEW YORK」は写真集のレイアウトや大きさ、造本、装丁デザイン、中にはさまれたリーフレット、もうあらゆるところにクラインのアーティスティックな精神が貫かれている。
これは、真剣に欲しい。
彼は、パリでレジェに師事し、バウハウスデザインも学んでいるが、それが初期写真集『NEW YORK』から感じとれる。
しかし、今や古書店でも20万程度するという超希少かつ高価本。

ROMA、TOKYOも良いけれど、私は「MOSCOW」も好きだった。

次はエルスケン。
彼は『セーヌ左岸の恋』(Love on the Left Bank、1954)で一躍有名になったが、個人的には『Sweet Life』(1964)がめちゃ好み。とにかくグラビア印刷が素晴らしい。
クラインのもそうだけれど、復刻版であの印刷や黒の感じはあらわれていない。

フランクは上記2名に比べると優等生的でかつ品のある写真だったし、写真集も同様。

このワークショップ11月13日(土)にも開催されます。
まだ人数に余裕があるようだったので、関心がある方は是非PIPPOにお問い合わせください。

森村泰昌 アーティスト・トーク 豊田市美術館

requiem

豊田市美術館で開催中の「森村泰昌ーなにものかへのレクイエム」展関連イベント、森村泰昌アーティスト・トークに行って来ました。

豊田市美術館での同展は、東京都写真美術館で既に終了した展覧会の巡回ですが、写真美術館での展示をよりパワーアップした内容になっています。
第一部:戦場の頂上の芸術(オトコ達へ)
第二部:全女優(おんな達へ)
の二部構成で、特に第二部展示作品は東京展では出展されていなかった女優シリーズが未公開作品含め多数展示されています。

東京展でも関連イベントで森村氏と作家の平野啓一郎氏との対談が行われ、こちらも参加しましたが、平野氏が三島由紀夫の研究家でもあることが幸い(災い?)して、終始濃厚な三島論が展開され、三島由紀夫に思い入れのない当方としては呆然と聞き入るばかりとなりました。

今回は、森村氏の未公開作を含む映像作品を作家自身による解説付きで特別上映するという企画。
私は森村氏の映像に強い関心を持っているので、これは行かねばと豊田市美に向かったのでした。

午後12時より整理券配布。定員172名であったため、15分前に到着したが、既に長蛇の列。何とか134番目の整理券を入手してホッとする。
入場まで時間があったので、早速展覧会を観て回ったが、ここでも見どころは二階の高い天井を活かした巨大2面スクリーンで映し出される《なにものかへのレクイエム(独裁者を笑え/スキゾフレニック)》だろう。恐らく写真美術館で観たスクリーンの6倍程度のサイズではないだろうか?ド迫力で、臨場感抜群。演説に酔いしれた。これだけ大きいスクリーンだと二つのスクリーンの動と静がより明確に感じられる。

第二部では、往年の名女優たちを演じた写真がモノクロ、カラーとズラリと並ぶ。イヤが応でも「女」たりえること、「女」という性について考えさせられた。

前置きが長くなったが、本題のアーティスト・トークについて。
担当学芸員の都筑氏(ヤノベケンジ展の担当して記憶に残る)の進行、司会でトーク開始。開始前には森村氏の手だろうか?両手をバチンと鳴らす短い映像がリピートされていた。

以下の7作品が森村氏の解説と共に上映された。
(1)《炎のピアニスト》2002年 13分
森村氏自身によるピアノ演奏を映す。赤坂の草月会館内・草月ホールでロケ。草月ホールにはベーゼンドルファーの赤いピアノがあるが、草月会館はオノヨーコ、ベーゼンドルファーのピアノは、ヨーゼフ・ボイス来日の際、彼はピアノが堪能だったにも関わらず敢えて弾くことがなかったとして曰く付きのもの。戦後の美術を考える上で非常に重要な位置付けをされる場所でありピアノ。
ベーゼンドルファーのピアノは草月会館の他に、日本では川崎市民ミュージアムにあり、通常のピアノより更に低音を出す4つの黒鍵が特徴的。
森村氏は楽譜を読むことはできないが、1999年にピアノと出会い我流で弾き始める。2002年に自身の演奏に行き詰ったが、最新作の映像《海の幸・戦場の頂上の簱》で久しぶりにピアノを演奏した。

ピアノは叩けば音が出る。音の残響に浸り、音の生成の現場に出会うと、楽譜は後付け。音の美しさを残すために編み出された技法が楽譜であって、本来は音が先にあった。即興演奏⇒楽譜。

炎のピアニストでの演奏は、とても即興とは思えぬ適当に弾いていても立派なメロディーを奏でていた。

(2)《フリーダとの対話3》2001年 13分
この作品では「演技する」という要素について、森村氏が会得した頃に制作された。原美術館で展示された作品の抜粋。
森村氏は1999年シアターコクーンで野田秀樹作「パンドラの函」に出演。大竹しのぶ等名だたる名優たちとの共演により、演技の技術を学んだ。
本作品では、1人の人間の中にいくつもの個性があることを表現して見せる。

(3)《星男》1991年 ;13分
パフォーマンス現場をフィルムで撮影した作品。デュシャンとマン・レイへのオマージュに見えた。星型を自身の頭髪を剃り込んで何故か、京都見物に繰り出す。写真を撮影している現場自体がパフォーマンス的要素を含む。

(4)《銃をもつ私》1998年 3分
映画の絵画化を目指した作品。精神的な3Dを実現しようとした。
アニメーション的であり、実験的作品のように思えた。

(5)《夢の家》1995年
今回上映された作品の中で一番印象的だった作品である。8ミリビデオで長回しで撮影されている。
上野の池の端にかつてあったフブラー氏の個人宅をロケ場所として使用。登場人物は森村氏と成山画廊のオーナー、そしてフブラー氏の娘さんの3名。広大な屋敷を使って、あちこちに同じ人間が登場するという遊びをした。長回ししているので、カメラが向いているのと逆方向で、次の出没先目指して出演者は走る。
この作品の映像美が凄い。出演者3名の怪演ぶりも忘れ難い。都筑氏曰く「シュール」とのことだが、私は最新作の映像美をこの作品に観た。
フブラー邸は、女優シリーズのエリザベス・テーラーになった時の撮影に使われた。後で、同写真作品を見直してみたが、なるほどと納得。

(6)寺田園
最新作に登場するお茶屋さんの映像。実は森村氏のご実家。これは写真美術館のトークでも上映されていたので今回で2回目。
自然音だけのシンプルな作りだが、それゆえ余計に情緒的でしんみりとする。

(7)《京都での路上ライブ》
ミレニアムを迎えた京都での路上ライブを撮影した作品。過去の森村作品が次々と映し出され、最後を締め括るに相応しい内容だった。

以上の7作品により、本展覧会に観る映像作品のルーツをたどることができる。
それにしても、ひとつとして同じ傾向の作品が見られないことに関心した。常に実験的であり、新しい試みを行う姿勢に感服した。

*展覧会は9月5日まで開催中。
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