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「アーティスト・ファイル2010-現代の作家たち」 国立新美術館

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国立新美術館で5月5日(水・祝)まで開催中の「アーティスト・ファイル2010-現代の作家たち」に行って来ました。

出展作家は次の6名。
・南野 馨 (陶芸)
・桑久保 徹 (絵画)
・福田 尚代 (ミクストメディア?)
・アーノウト・ミック (映像)
・O JUN (絵画)
・斎藤ちさと (写真・シルクスクリーン・映像)
・石田尚志 (映像)

福田尚代の展示の素晴らしさに感動。
彼女の本をテーマにした作品は、昨年うらわ美術館での展覧会「オブジェの行方」で拝見して、本展でもこの時見たうらわ美術館所蔵作品が展示されていたが、これだけ沢山の作品を集めると、一点、二点見るのとは訳が違う。
彼女の展示室は、見事に福田ワールドと言っても良い、本のオブジェによって埋められていた。
壁面上部には、福田自作の詩の一節が、彼女は詩人でもある。

中でも気に入ったのは≪浮鳥≫2002-2010年。これは本のオブジェではなく消しゴム彫刻で本筋からはちょっとそれてしまうが、言われなければとても消しゴム彫刻だとは思えない。消しゴムが生んだ漂着物たち。それは言葉がなくても言葉の影を感じさせる。

そして展示室中央の≪苔の小道から雪の窪地へ≫2003-2007年
本に刺繍した作品が長机に、まるで苔のような様子で展示されている。作品タイトルがこのインスタレーションを見事に表現している。福田尚代のタイトルこそ詩そのもので、作品の一部。
見ていると1冊欲しくなってしまう。

≪言葉の精霊≫2009年
岩波文庫にかけられているような(今はもうない?)ハトロン氏にうっすらと文庫本のタイトルや著者が写っている。
まさに精霊のようなはかない作品。
これも、本というもの視覚作品として表現した好例だと思う。

≪書物の魂 あるいは雲≫2003-2010年
おびただしい数の本のしおりを漂泊し、更に染色したものがアクリルケースの中にからまりつつ

≪書物の骨≫2003-2010年
文庫本を綴じてある中央部分だけを細長くカット。骨に見立てる。この発想がたまらない。骨に見えてくるから不思議。

やっぱり、うらわ美術館の「オブジェの行方」図録買っておけば良かったと本展を見て激しく後悔。うらわ美術館にすぐ電話したけれど、やっぱり図録は完売だった。

・石田尚志
彼の作品を初めて見たのは横須賀美術館のオープン記念展。本展にも出展されている≪海坂の絵巻≫2007年と同じような長い巻物を映像で映し出す作品だった。
その後、彼はどんどん新しい世界観を見せてくれ、今年に入り、豊田市の喜楽亭での展示作品、および展示風景に強く感動してしまった。和室空間を上手く利用して、映像作品がより効果的に見えるよう配慮されている。
そして、迎えた今回の展示。

≪REFLECTION≫2009年は、実写も交えた作品で、これまでの作品以上に実写と創作した映像とのマッチングが絶妙で、共有されていた。≪海の壁-生成する庭≫2007年でも実写映像は登場し、この作品も素晴らしいけれど、絡め方は≪REFLECTION≫の方がより境界線が分かりづらくなって、境界線のわかりにくさが逆に魅力となっていた。

・桑久保徹
お名前だけは、あちこちで見かけていたものの作品をこれだけ拝見するのは初めて。
気に入ったのは≪壺≫シリーズの9点(2009年)。
タッチは粗めだけれど、ディテールは細かい。
大きな画面の作品は、構図がどれも似通っているが、作品から物語が浮かんでくる。

斎藤ちさとの「泡」をテーマにした作品群もあり。水滴に映るオブジェの色が増幅して美を作る。

*5月5日まで開催中。
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「狩野派と名古屋城四百年」 名古屋城天守閣二階展示室

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名古屋城天守閣二階展示室で5月5日まで開催中の「狩野派と名古屋城四百年」に行って来ました。
展覧会サイト → こちら

本展は開府400年を記念し、江戸時代初期から近代まで築いた狩野派に焦点をあて、未紹介の秘蔵品を一挙に初公開するものです。

名古屋城天守閣の二階が博物館・美術館のような機能を果たしていると知ったのは数年前。最初に行った時は、桜の画家:三熊派の展覧会でした。
今回は開府400年記念の特別展示、しかも狩野派。昨年から、小さなマイブームが起きている分野です。

出展作品は約50点。前期(4/15まで)、後期(5/5まで)で5点程入れ替えあり。
狩野派といっても、江戸時代の最高派閥絵師集団なので、京狩野から江戸狩野、名古屋で活躍した狩野派絵師、狩野派を学習しつつ円山派の系譜につながる鶴澤派など出展作家の面々は多彩。
今回初めて名前を知り、作品を拝見した絵師も多い。展示は絵の画題、「吉祥」「花鳥図」「山水」などで展示分けされていた。

以下、印象に残った作品。

・≪花木渓流図屏風≫ 山本素軒 六曲一双
初夏から初秋を描く。枯葉の表現が秀逸、葉脈は金線(金泥)で描かれた華麗な屏風。

・≪孔雀図屏風≫ 森周峯 六曲一双
森周峯は大阪で活躍した狩野派絵師。京狩野でなく、大阪狩野。もちろん、初めて知った。

・≪円窓牡丹図≫ 狩野探水 一幅
名前からして、探幽の系譜につらなる画家だと思われる。江戸後期の絵師で、作品に使用されている絵具(顔料)が派手派手しいので、すぐにそれと分かる。

・≪老松双鶴図≫ 小柴守直 一幅
小柴探春斎ともいう。鶴澤探山に学んだ、江戸中期の大阪絵師。本展では鶴澤派の絵師作品がかなり出ているので要チェック。

・≪蓬莱山飛鶴図≫ 狩野永暉 1907年(明治40年) 一幅
いわゆる吉祥の画題。明治40年といえば、江戸幕府が瓦解し狩野派も失職するなど氷河期を迎えた筈。永暉は、狩野山楽につながる京狩野13代目。当時どんな暮らしぶりをしていたのだろう。これだけの筆力があるのに。。。気になる。

・≪雲龍・昇鯉図≫ 鶴澤探鯨 双幅
こちらも鶴澤派の絵師。同じく鶴澤派の鶴澤探索≪虎渓三笑図≫、鶴澤探旭≪十雪図屏風≫六曲一双が鶴澤派の絵師による印象深い作品。師である探山は≪日付寿老双鶴図≫、≪人物図巻≫が出展されていたが、器用な人だなという印象。

・≪美人琴棋書画図屏風≫ 葆光斎 六曲一双
葆光斎は大阪狩野派の画人で吉村周山の門人と解説にあり。葆光斎の名前、どこかで聞いたことがあるような気がするし作品を見たような。吉村周山は初めて聞いた名前。根付など彫刻を得意とした画家らしい。

・≪蘭亭曲水図屏風≫ 中島安泰 六曲一双
彦根藩の御用絵師。同タイトル、同画題で石田友汀(鶴澤派)の作品も出ていたが、こちらの方が良かったと思う。

・≪富士観瀑・瀧琴訪友図屏風≫ 山本探淵 六曲一双
こちらも幕末絵師。重厚かつ色彩はド派手。でも、この作品がマイベスト。

・≪雑画巻≫ 吉田元陳他 一巻
京阪神で活躍した画家たちによって共作した絵巻。

それにしても、まだまだここに挙げていない画家も沢山いて、京狩野、大阪狩野、鶴澤派、山本派と画家の系統がぐちゃぐちゃになったまま。
すっきりと画家の系統で本展をまとめていらっしゃる「Art & Bell by Tora」様のブログをご紹介します。
なお、鶴澤派の画家に焦点を絞った展覧会を兵庫県立歴史博物館で「彩 -鶴澤派から応挙まで-」を開催中。兵庫県立歴史博物館はごく最近行ったばかりですが、面白い展示をしていたので、今回も期待できそう。う~ん、行くか行けるか迷います。

さて、1階の展示室では特別出品として狩野探幽≪雪中梅竹鳥図襖≫1634年と作者不明の≪桜花雉子図襖≫1614年(いずれも重文で名古屋城本丸襖絵)が特別出品されていました。後者はいたみが激しく、胡粉の大半が取れていますが探幽作品は構図の面白い花鳥画。中央に修復の後があり、恐らく鳥でも描かれていたのではないでしょうか。鳥の尻尾だけ見えていますが、胴体・顔は消されて塗りつぶされています。
他に清野一幸≪紅白梅図屏風≫六曲一双もあり。

名古屋城は、藤の花も見ごろです(いや、もしかすると既に散ってしまった?)。

*5月5日(水)まで開催中です。エコきっぷを持参すると入館料が100円引きとなります。

「レゾナンス共鳴」 サントリーミュージアム天保山

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サントリーミュージアム天保山で6/20まで開催中の「RESONANCE 共鳴」展に行って来ました。
展覧会HP → こちら。(展示風景、作品画像一部あります。)

同館2回目となる現代アートの展覧会。1回目と同様グループ展形式の展覧会ですが、コンセプトは1回目と大きく異なります。本展の企画・構成を担当された大島氏の企画意図、構成は次の通り。

「本展は、鑑賞者が個々の作品から受けるであろう体験を事前にいろいろ想定し、会場内を歩きながら作品と次々と出会うことによって展覧会でどのような体験や思いを得ていくことになるかを逆算して全体を構成してみた。いわば鑑賞経験第一主義と言って良い方式。『レゾナンス共鳴』とは作品それぞれが伝える内容ではなく、私たちと作品との関係のあり方を示す」 
「鑑賞経験第一主義」は、通常の展覧会構成-まず知識の枠組みを作り、情報を整理しながら展覧会のセクションを設定し、最終的にそのセクションを組み合わせて展覧会を構成する-に比べると感覚的かもしれない。

~展覧会ハンドブック(図録にあたる)より

展覧会を拝見した後、この解説に目を通した時、腑に落ちるものを感じた。何パターンもの作品組み合わせや構成をシュミレーションしつつ観賞者の体験を想定して行ったからこそ、感動が味わえたのではないか。

大島氏へのインタビュー記事も「小吹隆文 アートのこぶ〆」に掲載されており、本展鑑賞の手引きになります(以下)。
http://blog.livedoor.jp/artkobujime/archives/1327034.html

何しろ、冒頭のイケムラレイコの展示方法にまず、どきりとした。
照明をかなり絞った一角にイケムラレイコの海なのか湖なのか風景画が浮かび上がる。心の中に徐々に浸食してくるかのような風景画で、じわじわと気持ちが締め付けられ、でも絵の前からなかなか離れがたく、しばらくの間暗さとイケムラ作品と不思議な対話を繰り返すことになった。

次にお馴染マルレーネ・デュマスのペインティング数点。
3番目にポール・マッカーシーのややショッキングな映像がある。幼児虐待、エロス的な側面が隠された内容で、見ていると辛くなった。

4番目はインド生まれでロンドン在住のラキブ・ショウ。本展で初めて知った作家だが、アクリル・ラメ、エナメル、模造ダイヤを使用した≪神の不在?・・・そして彼の血の涙によって民の町々は洪水となろう≫2008年は、宗教的な祭壇画のようなきらびやかさんがある一方、描かれたものは阿鼻叫喚の地獄絵図。細密緻密な線とカラフルかつ装飾的な画面は一見すると美しい。昔は仏画もこんなに絢爛出会ったに違いない。現代の宗教絵画で強い印象が残った。

更に衝撃作品が続く。小谷元彦≪SP4 the specter-What wonders around in every mind-≫2009年。実寸大の騎馬像に乗った亡霊のような武士像。大型彫刻作品で、昨年、山本現代で発表された作品だが私は初見。こんなにインパクトが強い作品、一度見たら簡単に忘れることはできない。皮膚がなく筋肉と骨格だけで造形された武士像はなぜか力強さがあり、そして不気味。馬も武士も目が怖い。そして、細部まで神経を張りめぐらせ、足の指、馬のひづめ、たて髪、前のめりな武士の身体、ディテールもゆるぎない。
こんな強烈作品が続いた後、伊藤彩のペインティングを見たら、ほっとしたのも束の間、今度は画面から感じられる不安定さから、妙に落ち着かない気分になる。
本展最若手の伊藤彩は先に見た国立国際美術館「絵画の庭」での印象とは違う。←筆者の勘違いでした。正しくは2010年「VOCA展」です。伊藤彩さんは、「絵画の庭」には出展されていません。空間的な狭さゆえか、作品から受ける感覚がよりストレート伝わる。

そして、本展のハイライトだと個人的には一推しのジャネット・カーディフ≪40声のモテット≫。この作品は、昨年エルメスのギャラリーで体験済みだったが、海に向かって大きく切りだされた窓から見える海を見つつ鑑賞するモテットは素晴らしいの一言。夕陽と夜景、2回時間を変えて堪能した。40人の聖歌による音の彫刻を一人でも多くの方に、経験していただきたい。
カーディフ作品で5階の展示作品は終了。4階へと移動。

4階最初の作品は小泉明郎の≪若き侍の肖像≫2009年(映像)。小泉明郎は昨年、森美術館のMAM Project2009で≪お母さん≫2003年という映像作品を拝見し、好感を持った作家。別作品しかも昨年制作された作品を拝見できるのはとても嬉しい。
そして、この作品も凄い。俳優が特攻隊員になりきり両親に、出陣前夜の最後の別れの挨拶をする演技をしてもらう。最初は演技でしかなかった俳優の様子が、作家によって繰り返される檄により、いつしか忘我の境地になり、感情が降り切れてしまう様子を撮影したもの。
う~ん、前回の≪お母さん≫もそうだったが、観客の心も激しく揺さぶられる。

アンドレアス・スロミンスキーの小道具のような作品、ヴォルフガング・ライプ≪ミルクストーン≫と続く。ライプの≪ミルクストーン≫は作品タイトルにあるように、真っ白な大理石にしか一見見えないのだが、実は本当のミルク(牛乳)が四角形の容器一杯に満たされているだけ。近づけば、浮いたほこりが見えて、やはり液体なのかと頭が理解してくれた。

西尾美也の洋服交換プロジェクトの後に、私の好きなアンゼルム・キーファ-の2点(大阪市立近代美術館準備室蔵)がある。荒々しい絵肌は、平面作品というより立体作品に近い。何かザラザラしたものが心理的に残る。

ライアン・ガンダーのインスタレーション。
ガンダーの作品が国内美術館で展示されるのは初だと思う。今年の東京アートフェアのトークイベントで、ガンダーのインスタレーションをアート・バーゼルで購入したコレクターの話を聞いたばかり。本展出展作品は≪ナサニエルは知っている≫(大和プレス蔵)。暗幕を抜けて中の空間に作品は・・・見えない。空間には何も置かれてはいない。あるのは壁面下部に開いた小さな穴とそこから見える雑草。そして空気通しの孔だけである。
孔から差し込まれる僅かな光の中で観賞者が何を思い何を考えるのかが狙い。

ヴァルダ・カイヴァーノのペインティングはさらりと流し、法貴信也の部屋へ移動。
法貴も今年、「絵画の庭」展や「タカ・イシイギャラリー」での個展で立て続けに作品を拝見しているが、今回の展示が一番良かった。
特に壁の上部にかけられていた大きめのペインティング(黒と灰色らしき2色のみ使用したドットが描かれている)やドローイング風の線が2本平行して走る作品。この部屋の展示は特に良かった。

伊東宣明の映像≪死者/生者≫の後、草間弥生とマーク・ロスコーの作品同士の対話がされている空間。
白のドット作品と、ロスコーの濃赤と黒のツートーンの作品、対照的でお互いに共鳴し合うものが感じられた。

金氏徹平のフィギュアを利用した作品の後、本展最期を飾るのは梅田哲也の電気製品か理科の実験を思い出す作品。
今回も風船は使用、ここでは何も起こらなくてもしばしの間じっとしていただきたい場所。突然がらりと動き始める、動く所までの辛抱。

同館の閉鎖が惜しまれる、感情が振幅させられる展覧会でした。
コンパクトな図録(840円)は展覧会の記念にぜひ。

関連イベントとして、下記日程でアーティストと学芸員によるギャラリートークが開催されます。
5月8日-伊藤彩、5月15日-法貴信也、5月22日-金氏徹平、5月29日-伊東宣明
*いずれも16時から開始。

*6月20日まで開催中。オススメです。

複合回路 vol.1 「田口行弘展」 ギャラリーαM

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馬喰町のギャラリーαMで2010年度新シリーズ「複合回路」が始まっている。
第1回は、水戸芸術館学芸員の高橋瑞木氏をキュレーターに迎え複合回路-「田口行弘展」4/17~5/26である。

高円寺にかつてあり、現在は清澄白河に移転した「無人島プロダクション」(扱ギャラリー)の最後の展覧会で、田口行弘さんの映像作品が一番印象に残っており私の記憶にしっかり刻まれた。
そして日本での個展開催。

作家プロフィールはご本人のHPに詳しい。→ こちら
作家さんご本人のブログも面白い。作家の拠点であるベルリンなどの様子が分かる。→ こちら

また、展示風景画像は、ブログ「フクヘン」に掲載されています。→ こちら

私も前述の無人島プロダクションでの映像1点しか拝見しておらず、田口さんがどんな活動をされてきたのか先入観なしの状態でふらりと出掛けた。
ギャラリーαMは地下1階にあるが、地下への階段を下りて行く途中、やけに階段の踊り場が暗く、地下1階から漏れてくる光の少なさに、ちょっぴり厭な予感が走る。まさか休みってことは・・・、今日は日曜でも月曜でもない。

ギャラリーの入口はぽっかり開いていた。
しかし、これまでのαMとは思えない程、照明が落とされている。

最初に見えたのは何かの影。
よく見たら、観葉植物の鉢の影だった。
入って右のスペースにもワイン瓶に活けられた大きな百合が1本。そして背中の壁には百合の影が・・・見える。

左を向けば、何やらガラクタと言ってしまうと失礼かもしれないが、自転車の片輪、椅子、ギター、金属製のボウルに泡だて器、水差し、マグカップ、軍手などなど実に雑多なモノたちがてんで勝手に散らばっているように見えた。
中央には大きめのスクリーンがあり、私が行った時にはこのスクリーンに「鹿」がいた。
入口近くにある段ボール箱を利用した小さなスクリーンでは、ケントリッジの≪俺は俺ではない、あの馬も俺のではない≫2008年が一瞬頭によぎる影絵の映像作品が流されている。こちらは、音付き。

入口から中央スクリーンの方を見ていたら、柱の陰で見えなかったが、一人の男性が何やら作業をしておられる。
「もしや…作家さん?」勇気を持ってお声掛けしてみたら、ビンゴ。田口さんご本人だった。
しかも、この時ギャラリーのお客は私だけ。
今回の作品など、ご本人から沢山お話を伺うことができた。

実際の会話展開順ではないが、お話の内容をかいつまんで以下にまとめてみる。

田口「今回はここ(展示場所)へ最初に来た時、洞窟みたいだなと思ったのが始まり。洞窟から浮かぶイメージを作品化していった。影絵をテーマにしようと思ったのも洞窟の暗さを利用した。モノには光を当てると必ず影ができる。それで、今回は影絵でやってみようと思った。」

私「だから、ラスコー壁画が掲載されている雑誌から動物を切り抜いて、影絵のモチーフにされている訳ですね。」

私「中央スクリーンに映っている円はコロナ(太陽)のように見えます。でも、もともとの仕掛けは白熱灯。これはどうなっている?」

田口「白熱灯の画像にエフェクトをかけることで色の変化を出している。」

私「小さな小さなスクリーンに映っているのは展示風景の早回しのようですが、これは?」(スクリーン左脇にある三脚上の映像)

田口「展示は毎日ごちゃごちゃいろいろとモノを動かして可変させている。その瞬間をカメラで納めて、1週間に1度まとめて編集し展示記録を作る。最終的には展示期間中の記録映像作品になり、観客もこの映像の一部として取り込まれる時もある。」

私「毎日動かすってことは、毎日来るとスクリーンに映し出される影絵の部分が変化しているということ?」

田口「そう。毎日、変わります。今日のは鹿じゃなくて、馬を作っているはずだった(笑)」

手前の映像作品について
私「この映像作品はメインの作品とはまた違う?」

田口「こっちは中央のとは、一応別作品になる。ここから色んなことができそうだなと思って、まだ制作途中と言っても良いかもしれない。影絵をテーマに始めたが、調べて行くと奥が深いし、光や影を扱うアーティストもボルタンスキー、エリアソンなど大勢いる。自分の味をどう出して行くか、毎日手探りで思考錯誤の連続。」

私「こちらの映像は音が入っていますが、この音は?」

田口「友人と二人で、ここに置いてあるモノを叩いてセッションした時の音を録音し使用している。」

私「今、映像に人がジャンプしながら横切ったのですが、あれはどなた?」

田口「僕です。」

私「先程拝見した、記録映像の冒頭部分でも田口さんらしき方が体操のようなポーズをして始まりますね。あれも、やっぱり田口さん?」

田口「そうなんです(ニッコリ)」

そして、お話の最中、私の斜め迎えにあるセサミストリートのキャラぬいぐるみがこちらに背中を向けているのが気になった。帰り際、確認すると「こいつには、もう少ししたら出番を与えます!」とのこと。
田口さんは、様々な所から集めたモノをいろいろ置き換えて、その影をスクリーンに映し、記録し映像化する。
制作過程もご本人によるパフォーマンスも記録映像も全て作品。

展覧会に1週間単位で来れば、どんな風に変化して行くのか、その様子も楽しめる。

作品は現在制作中で、訪れた私自身も作品の一部になったかもしれない。スクリーンに影を作って遊んでみたら、とての楽しかった。

中央スクリーンの影絵、コロナの光の諧調、展示空間自体の光の量、室内を囲む壁に投影される複数のモノたちの影。
展示空間そのものも一つの作品。
作品が幾重にも複層した空間を観客は思い思い楽しめるはず。
そして、もうひとつ。展示空間に小さな仕掛けがあります。まだ、自身で気付かれたお客さんはいないとか。。。

な田口行弘さんご本人が企画されたイベントもお楽しみのひとつです。
私もできる限り、参加したいと思います。

●会期中の主なイベント(詳細はギャラリーまでお問い合わせください)
・ワークショップ「みんなで影絵を作ろう!」5月1日(土)11時~18時
・映画鑑賞会「アクメッド王子の冒険」5月8日(土)18時~19時半
・Music Live by馬喰町バンド 5月15日(土)17時半~20時
・クロージング・パーティーby南風食堂 5月22日(土)18時~21時

*5月26日まで開催中。オススメします。

「朝鮮陶磁-柳宗悦没後50年記念」 日本民藝館

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日本民藝館で開催中の「朝鮮陶磁 -柳宗悦没後50年記念」に行って来ました。
日本民藝館HP → こちら

柳宗悦が蒐集した朝鮮陶磁のコレクション全250点が一挙に公開されるというまたとない機会。
やきもののお好きな先輩ブロガーの「Art&Bell by Tora」、「いづつや文化記号」様も早速行かれて、記事をアップされておられます。
詳細は諸先輩の方々のブログをご参照いただくことにして、私の拙い感想をば。

日本民藝館を訪れるのは今回で2度目。
あの大谷石(私は大谷石が好き!)のたたきで靴を脱ぎ、飴色になった木の床を本当なら裸足で歩いてみたい衝動にかられるが、肌寒い季節なので無理。スリッパに履き替えてまずは好きな所から探訪を始める。
企画展展示室は2階の奥にある大きな部屋なのだが、通常展示と併せて朝鮮陶磁作品はあちこちに展示されている。

民藝館の展示室内にある家具が好きで、あそこの椅子に腰を落ち着けると、なかなか椅子から離れられなくなる危険。
韓国の民画や李朝家具を愛でつつ、最初に入ったのは古陶磁の部屋。
次に入ったのは、民藝と言えばこの人、濱田庄司の作品がメインになっているお部屋だった。
後少しで読了の白崎秀雄著「北大路魯山人」(日本経済新聞社刊)によれば、魯山人は柳宗悦および民藝、そして民藝に属する作家たち(濱田庄司、河合寛次郎、バーナード・リーチら)を悉く罵倒し続けたという。

曰く「君の云ふ上手物は駄作の上手物であって、名作の上手物をまだ凝視したことが無いらしい。(中略)『用途を離れたる工芸はない』との君の持論は良い。それならば、其用途には王者適用の工芸、貴族富者の用途たる工芸、中産無産と、それぞれの生活に階級があって一律一体を許さない」、魯山人は「用」の内容は階級によって異なると明言したのだった。~白崎秀雄著「北大路魯山人」(日本経済新聞社刊)から一部抜粋。

魯山人らしいと言えばらしい発言。
しかし、人間日々名作の上手物ばかりに囲まれた暮らしをしたいのだろうか。
そういう方もいるのでしょうが、私としては駄作の上手物を愛着をもって使用する楽しみもありだと思う。
この展覧会を見ていると、ますますそのような思いが募ってきます。

数々の朝鮮陶磁のやきものは、ほぼ種類別にひと塊りに展示されている。
注目は、展覧会チラシに掲載されている白磁大壺かもしれない。けれど、私の心を大壺よりもしっかとつかんでいたのはちいさきものたち。まずは水滴。
どこから水が出てくるのかなと思うような様々な発想のもとに生み出された小さな芸術。
陶肌が柔らかく優しい白磁もあれば染付あり。
必ず欲しい1点が見つかる筈。

TV「日曜美術館」のアートシーンで取り上げられていた「にんにくおろし」。私は大根おろしだとばかり思っていたが、今にして思えば、すりおろす部分が大根おろしにしては小さすぎる。
変わり種では、デザイン多様な「餅型」や染付の化粧道具一式なんてのもあって、これは一見した時、何であるかまるで分らなかった。
決して洗練しているとは言えないけれど、無骨な形にも味わいは見いだせる。むしろ、その武骨さこそがいとおしい。

正統派(?)朝鮮陶磁の作品群。

本展を企画して図録が発行されているが、表紙は先に挙げた大壺。背表紙を飾っているのは、柳が一番最初にコレクションしたという「染付秋草文面取壺」。浅川伯教から柳へ1914年に贈られたもので、ここでの出会いがなくば、本コレクションもなかったかもしれない。それを思うと、出会いの大切さを痛感した。

白磁だけでなく15世紀から17世紀までの韓国陶磁を一同に集めている。
したがって、粉青、刷毛目、黒釉、粉引、辰砂、鉄砂、、青磁象嵌、飴柚なども揃う。

図録の誘惑に負け、またしても買い込み展覧会の余韻に浸る。
見返しつつ、この中でどれか一つ差し上げましょうと言われたら何を選ぶか、「白磁共手水注」か第1号の面取壺かなぁ。
小さな水滴もいい・・・ふぐ型のも愛らしかった・・・。

と夢を見つつ感想を終えます。

本展はやきもの好きな方にはオススメです。

*6月27日まで開催中。

「開館記念 ヤマザキマザック美術館所蔵作品展」 はじめての美術館71

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愛知県名古屋市に4月23日(金)にオープンしたヤマザキマザック美術館に行って来ました。

ヤマザキマザック株式会社は工作機械メーカーで日本のみならず世界でもトップクラスの企業で、愛知県に本社があります。とここまで書いてWikipediaを確認したら、早速美術館のあるマザックタワー画像も掲載されていました。→こちら。現館長が30年間で築き上げたコレクションだそうですが、これだけ収集されるとは、戦前ではないですから大変だった筈。
ヤマザキマザック美術館公式HP http://www.mazak-art.com/

名古屋市営地下鉄東山線の新栄駅と直結、雨でも濡れない美術館。ちなみに、新栄駅は名古屋駅から3つ目の駅です。
アクセスの良さもまた美術館の売りになることでしょう。

さて、マザックタワーの4階、5階が美術館フロアとなります。
「ヨーロッパの18世紀、19世紀のサロンの雰囲気をそのままにフランスの芸術を堪能できる日本唯一の美術館」を標榜しています(美術館案内リーフレットより抜粋)。

確かに木調の床に壁は味気もそっけもない白などではなく、赤、ゴールド系、水色と落ち着いたクロスを使用し、天井からはシャンデリアが下がるちょっとゴージャス感漂う内装でした。
受付で音声ガイドを受け取り(無料なのでいらないと言わない限り全員に貸与されるシステム)、エレベーターで展示室に向かいます。
展示風景は、内覧会に参加された方のブログ「マン・レイと余白で」様に掲載されています。

さて、肝心の展示作品について。
EVを降りて正面に相対するのは、ヤマザキマザック社の初コレクションとなったボナールの《薔薇色のローブを着た女》1918年。
えっ、これはボナールなの?ちょっと意外な感じを受ける小品の肖像作品。女性は俯き加減でやや斜め下を向いている。

で、第1室。第1室と第2室は18世紀のロココ作品を中心に展示。
・ジャン=バティスト・グルーズ 《犬と遊ぶ子供》1767年
グルーズはこれ以外にもう1点《少女の頭部像》が展示されている。国内常設でグルーズを持っている美術館って、国立西洋美術館以外にあっただろうか?ちょっと浮かばない。個人的にグルーズ大好きなので素直に嬉しい。やっぱり子供を扱う作品なのだが、グルーズ描く子供や少女は時に蠱惑的で美しすぎるゆえの危険を感じることもある。

・ニコラ・ランクレ 《からかい》1736年
頬を赤く染める女性と恋人だろうか男性が描かれる。ランクレはルイ15世のお気に入りの画家だった。

どんどん進める。
パテル《町営》《行軍》、アントワーヌ・ヴァトー《夏の木陰》と続き、おなじみシャルダンの《兎と獲物袋と火薬要れ》等で第1室終了。

第2室。ここはかなり広い。ロココだけでなくロマン主義、新古典主義へと続く。
何といっても目玉はウジェーヌ・ドラクロワ《シビュラと黄金の小枝》1838年(チラシ表)、フランソワ・ブーシェ《アウロラとケファロス》1745年であろう。
特にブーシェの1枚はヨーロッパで見るブーシェ作品と遜色ないというか、ヨーロッパの美術館にあるような大作であり、ブーシェらしいクピドのぷにゅっとした肉づきや画面の華やかさ、豪華さは見事。隣には同じくブーシェの《恋文》もある。
ブーシェの2点はいずれもポンパドゥール夫人旧蔵のものだったそうです。

ドラクロワ描くシビュラもまた忘れがたい。天井の小枝を指差しまっすぐ正面を向くシビュラの瞳は穏やかなのかうつろなのか。肩にはおるストールの赤色が効果的。

他に、ドミニク・アングル《ルイ14世の食卓のモリエール》、ビィジュ=ルブラン《リラを弾く女性》1804年他1点など、特に後者は私のお気に入り。第2室はアングルなど新古典主義の作家も加わる。

第3室。印象派の登場・・・。壁のクロスは黄金色。
ルノワールのテラコッタ作品《母の愛、あるいは息子ピエールに授乳するルノワール夫人》1916年が迎えてくれる。
ここで、クールベ《波 夕暮れにうねる海》1809年も忘れてはならない。この部屋に展示されている作品の何点かは、かつてホテル・オークラのチャリティコレクション展で拝見したような気がする。
ピサロ、モネ、シスレーとおなじみの作家が続くが、ピサロ《ルーアンの波止場・夕陽》1896年は良かった。
続いて、マルケ作品が4点≪パリ ルーブルの河岸≫1906年は割と大きめの油彩だが、私はむしろその後に続いた小品3点≪サン=ジャン=ド=リュズの港≫1927年、≪アルジェの港 ル・シャンポリオン≫1944年、≪ラ・ショームの家並み≫が気に入った。

更にフォービズムのヴラマンクへ。
ヴラマンクも複数の作品が展示されていたが、≪水車小屋≫(制作年不詳)は印象深い。セザンヌを研究していた時代の作品で青を基調とした
やはり見るからにセザンヌを意識していると分かる作品だ。そんな中にも力強さを感じさせるのはヴラマンクゆえだろう。

他にはアンドレ・ドラン、ポール・セリュジュ≪ブルターニュのアンヌ礼賛≫1922年等があり、愛知県美常設展にもあったエドゥアール・ヴァイヤール≪書斎にて≫1928-28年は、日本人好みの作品かもしれない。日常のひとコマを忠実に描いた一作で、絨毯や人物の着衣の模様まで手を抜くことなく
描いている。原色を避け、白を混ぜることでより親しみを感じさせる色合いへと工夫していたらしい(by音声ガイド)。

私の好きなモーリス・ドニも2点、≪エウリュディケ≫1906年、≪聖母月≫1907年、いずれも大画面で、ドニは1870年に生まれ、1943年に没しており、国立西洋美術館の≪踊る女たち≫1905年の翌年描いたものということになる。画面は≪踊る女たち≫ほど整理されておらず、にぎやかというか、ややゴチャゴチャした感はある。ドニ特有の明るさと光あふれた作風はより明快になっている。

第4室 ここからは水色のクロス。
この部屋は、個人的にかなり気に入っている。何しろ私の大好きなキース・ヴァン・ドンゲンが3点もあるのだった。
とりわけ≪花≫1931年はアジサイとカラーと菜の花(?)の花々が青をベースに激しいタッチでキャンバスから溢れんばかりに咲き誇っている。
青と白の対比、色彩の美しさに最初は目を奪われるが、暫くすると画面から花々の生命感のようなものが伝わってくる。

ジュール・パスキン、モイーズ・キスリングも好きな画家だが、キスリングの≪ミモザとヒヤシンス≫1946年は以前拝見したように思う。

この部屋で一番多く作品が展示されているのは、シャイム・スーティンの7点か。≪ふしのある木≫1920-21年を音声ガイドでは取り上げていたが、私は≪狩猟地の番人/祈る男≫1921年が好み。

シャガール、ルオー、モディリアニ、ユトリロなどエコール・ド・パリの作家による部屋。

第5室 4階の最終展示室。
エコパリ以後の画家たちを紹介する。アンドレ・ポーシャン、レジェ≪サンバ≫1953年、デルヴォー≪ふたりの女≫1954-56年-これは大きな作品で
サロンの壁画として発注されたものの一部。
ラウル・デュフィ≪黄色い背景の裸婦≫1930年はデュフィにしては珍しい人物像。他に≪グッドウッドの競馬場≫1930-35年がある。
ピカソ、ブラックなどキュビスム作家の作品もあるが、いかにもキュビスム的な作品ではなく、逆にこれがブラック?という感じの2点と
ピカソは晩年近くの作品1点。

なお、第3室からはロダンの彫刻が何点も展示されている。

以上で5階は終わりだが、4階にもアールヌーヴォーの家具と合わせて絵画は数点展示されている。住宅、デパートの家具売り場のような展示・・・と言ったら失礼かもしれないが近い。
4階はアールヌーヴォー一色。ファンの方にはぜひともお薦めしたい。
ウジェーヌ・ガイアールのシンプルな化粧台(1908-09年)、エミール・ガレの文函、そしてバカラ社のガラスを使用したシャンデリアが素敵だった。

他にガレのガラス作品コレクションが約50点、ドーム兄弟、ティファニーなどのガラス作品もあり。

どうも、私はアール・ヌーヴォーが苦手なのかもしれない。ガレの素晴らしいガラス作品を見ていても、美しいなぁとは思うのだが、感動するとか欲しいという気持ちは湧きあがらず。
ハイジュエリー、アール・ヌーヴォーは苦手分野だなと自分で自分がよく分かった。

ともあれ、お好きな方にはたまらない素晴らしい家具やガラスのコレクションでした。

今後展示替えの予定はあるかお尋ねしてみましたが、今のところ未定とのこと。
5階の絵画展示室には壁のクロスと同じ色のソファが中央に配置され、名画を見ながらゆっくり鑑賞の時間をお楽しみいただけます。
また、1階にはカフェ「トペ」が入っています。名古屋在住時には、トペ本店のイタリアンを何度かいただいてました。懐かしい~。

名古屋に来られることがあれば、ぜひ立ち寄っていただきたい美術館です。

2010年4月24日 鑑賞記録

2週連続の関西遠征。我ながら無茶をすると思うけれど、今回は黒川古文化研究所の杉本欣久研究員の講演と明日の名古屋の徳川美術館、芋銭の前期最終日をにらむと、行こうという選択肢しか浮かばなかった。
1日目、関西での鑑賞記録です。

1.大徳寺 真珠庵 春の特別拝観
朝一番、9時ちょっと過ぎには大徳寺に入ったまでは良いが、真珠庵までの道のりに迷う。
ここは、お庭良し、茶室良し、襖絵良しでとても楽しめる。

重文 伝長谷川等伯襖絵  「商山四皓(しょうざんしこう)図」 
重文 伝曾我蛇足筆襖絵 「真山水図」「花鳥図」「草山水図」
史跡名勝庭園「七五三の庭」侘び茶の祖である村田珠光作と伝わる枯山水の庭で、7・5・3と合わせて15個の石を配す。
重文 通遷院→ 狩野元信筆「西湖の図、伝相阿弥作「水墨四季山水襖」
庭玉軒 金森宗和好みの茶室。二重構造のような仕組みで蹲が屋内にある。
土佐光起 「松図」&花鳥画(作品名失念)

玄関入ってすぐ脇に原在中・在正親子の絵があったのに、誰も気付かず解説もなし。在中らしい鶴の絵だったけど模写なのだろうか。あまりにぞんざいな扱いで気の毒だった。

2.大徳寺 玉林院 春の特別拝観
15年ぶりの改修が完了しての久々の公開。
みどころは、簑庵(三畳中板台目切りの茶室)。霞床席(四畳半の茶室)。
詳細は「増田建築研究所」様のHPに画像入りで紹介されています。
まっすぐな松の飾り梁?が現世と浄土を分ける結界だとか。
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/orion/jap/hstj/kita/gyokurinin.html
絵画は探幽襖絵と言われていますが、南向きのため損傷著しく、絵の残っている部分が非常に少ないのが残念。他に常信、安信の襖絵もありますが同様の状態です。

3.白鶴美術館 春季展「日本人を魅了した中国美術」
ここにたどり着くまで、最寄り駅を間違えて下車するというアホなことをしたおかげで、いろいろロス。
初めて訪問できましたが、以前居宅?としていたところを美術館本館として使用しているようでした。中国美術メインですが、一番印象的なのは天目茶碗コレクション。
田野村竹田の六曲二双の 「金箋春秋山水図屏風」は上出来でした。

思ったより、展示作品数が少なく、藤田美術館と同じくらいの展示数だろうか。
別館はじゅうたん美術館でした。

4.黒川古文化研究所名品展+杉本欣久研究員の「江戸絵画を鑑定する」鑑賞講座 黒川古文化研究所
本日最大の目的。
やっと出会えた崋山の「乳狗図」、あ~この絵見られただけで満足。
詳細は別途アップします。兜山の山上にありここは絶景です。

5.サントリーミュージアム天保山 「レゾナンス 共鳴」
こちらもオススメの展覧会。
同館2度目の現代アート展であるが、展示方法も良く見ごたえあり。
特に素晴らしいのは海側に大きく開いた窓のある部屋でジャネット・カーディフの「40声のモテット」を鑑賞できること。海や夕日を眺めつつ、音の波に身も心もゆだねる気持ちよさは何者にも代えがたい。
2回連続+最期に夜景ヴァージョンで鑑賞してきました。

今日も良いもの見せていただきました。

大坂秩加 展 「シリアスとまぬけ」 シロタ画廊

銀座のシロタ画廊で本日まで開催の大坂秩加 展「シリアスとまぬけ」に行って来ました。
ギャラリーHP → http://www.gaden.jp/shirota/2010/0419/0419.htm

大坂さんのことは、昨年のスパイラル「ULTRA2」で初めて作品を拝見し、追っかけすることに決めた作家さん。
(参考)「ULTRA2」過去ログ http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-851.html

現在、東京藝大の大学院美術研究科修士課程在学中の大坂さんは、今回が初の個展開催。
藝大のお仲間なのかお若いお客様が沢山いらっしゃっており、訪問時に大坂さんは在廊されていましたが、なかなかお話する機会をつかめぬまま、結局画廊を後にしました。

今回は約27点のリトグラフと水彩作品が展示されています。
うち水彩作品は、10点程。
これだけまとめて拝見するのは勿論初めて。ULTRA2での水彩作品とはちょっと異なるイメージで、作品を見ていたら束芋さんを思い出しました。
ちょっと毒気やグロさは薄まっていますが、大坂さんの作品にもブラックユーモア的な感覚が見られます。

ギャラリーHPの大坂さんご自身のコメントによれば
「言葉をモチーフに制作しています。始めにその言葉が使われる、場所・人物・それぞれの人間関係などを考え、ひとつの物語をつくります。その想像した物語のワンシーンを作品として描いています。 [大坂秩加]

確かに、「伸ばした訳はただ触られたかっただけ」、「テレビを観ながら食べるのが好き」、「キュウリが主食」などの作品タイトルから物語が浮かんで来ます。そして、目の前にある作品を見ると物語の一場面の挿絵か表紙絵のような一場面が大坂流に紡ぎ出されている。
架空の情景なのかもしれませんが、やはり私には作家自身の日常生活を拠り所として創出された世界のように感じます。

リトグラフ、水彩とありますが、個人的には水彩の方に強い魅力を感じました。大坂さんも線の美しさ、上手さが卓越しており、線の素晴らしさは私の見る限りリトグラフより水彩の方がより明確に鮮明になっていたと思います。
また、色彩感覚も大坂さんの作品を語る上で忘れてはならない点で、特に小品の水彩作品は「花札」をイメージさせるかのようなデザイン性と色使い。

シロタ画廊の帰りにgyallery momo両国さんにお邪魔した所、大坂さんは齋藤芽生さんの教えを受けておられるそう。
なるほど、言われてみたら齋藤芽生さんの花札的世界観に共通した感じはあります。

束芋でも齋藤芽生でもない毒々しさの抜けた柔らかな世界を見たいなぁと勝手なことを思いました。

なお、今後gyallery momoさんでも個展かグループ展かの開催を予定されているそうで、これからも追っかけていきたい作家さんの1人です。

*本日17時で終了です。最終日は17時までなのでご注意ください。

「REFLECTION」リフレクション/映像が見せる“もうひとつの世界” 水戸芸術館現代美術ギャラリー

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水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催中の「REFLECTION」リフレクション/映像が見せる“もうひとつの世界”に行って来ました。

出展作家は、宇川直宏、さわひらき、ジェレミー・デラー、Chim↑Pom、藤井光、マティアス・ヴェルムカ&ミーシャ・ラインカウフ、八幡亜樹、ライアン・トゥリカーティン、ローラン・モンタロンの7名と2組。
個々の作家に関する紹介は水戸芸術館HP展覧会サイトをご覧ください。→ こちら

本展は、映像を今の社会や個人をめぐる多様な「もうひとつの世界」を反映(リフレクション)するメディアとしてとらえ、2000年以降の映像美術の中から、映像を「見えないもの/隠されたものを可視化するメディア」として用い、社会や個人の小さな物語を照らし出す国内外7名と2組の作品を紹介します。~展覧会チラシより一部引用

本展に出品されている全ての映像作品を見るのであれば220分必要です。
私はそれを140分程度で見て来たので、残念ながら見ることができなかった作家の作品もありました。
再訪しようと考えて、アップはそれからにしようと思っていましたが、どうやら再訪が難しくなって来たので、見て来た作品についての感想をアップすることにしました。

何といっても、本展で私が一番楽しみにしていたのは、さわひらきの2009年新作映像インスタレーション。
作品タイトル「0」(ゼロで良いのでしょうか)は、期待以上に素晴らしい作品で、この作品見たさに再訪しても良い程ですが、それができないのが残念。
大型スクリーン3つを部屋の奥に配置し、脇の壁にはごくごく小さなスクリーンを幾つも設置し、更に今回は音響にも凝っていました。
大型のスピーカーが2つ(?)だった大型スクリーン手前に配置してあり、他に客席後ろ側にもあったと記憶しています。視覚と聴覚がさわの新作によってフル回転させられたような感じと言えば良いのでしょうか。
映像は以下の美術館HPにある本展の展示風景を紹介する動画で少しだけ見ることができます。
http://www.reflection-alternatives.jp/view/

さわひらき特有の静謐なそしてヨーロッパ的な風景が3つのスクリーンから繰り出され、その映像だけでも十分に風景に魅了されてしまうのですが、バックに流れる効果音、こちらも自然界から取り込んだ音、波の音だったか、風の音だったか、はたまた自然の音だと感じただけで、実は人工的に作られた音だったのかもしれませんが、いずれにせよ私にはそれが波や風の音に聞こえ、自分がまさに雄大な風景の一部に座っている、その中に取り込まれた感覚を得ました。
できうるならば、このままここで作品世界に浸っていたいような、これほどまでにさわひらきの世界に誘いこまれたことはなかったかもしれません。
視覚、聴覚と揃えばあとは触覚か嗅覚が残るばかり。この残る二つの感覚まで刺激されたならば、鑑賞者たる私たちはどうなるのか、今後の作品への期待は高まります。

・CHIM↑POM “Thank You Celeb Project I'm BOKAN"
噂には聞いていたけれど、私にはこれがCHIM↑POM作品の初体験となりました。
そもそも、CHIM↑POMとはどんなアーティストなのかもよく分からなかったのだけれど、漸くここに至って理解へ至る。
詳細は水戸芸術館の出品作家紹介HPが詳しいのでご参照ください。→ こちら

途中オークションの映像作品が出てきて、そこに私の好きないとうせいこう氏が出演しているのを見て思わず座り込んで真剣に見始める。
一連の爆破作品をオークションで売り、そこでの売却資金を地雷被害者支援にあてようという試みだったと思う。
話は前後するが、そもそもカンボジアの地雷被害者とCHIM↑POMとの交流、地雷被害と各国団体の思惑、保護施設など複雑な問題が入り組んでいく。映像を見ているうちに、私はかつてのTV番組「電波少年」をなぜか思い出した。「電波少年」的な発想での活動に近い気がした。
CHIM↑POMの活動はメンバー達が意識しているかどうかは分からないが、どこか社会的で、あっけらかんと笑顔や涙を見せる紅一点メンバー・エリイがそれを中和する役割を果たしているようにも思える。
先日、清澄白川のSNACで開催されたCHIM↑POM×会田誠のトークイベントに参加したが、ここでのトークは完全に会田が主導権を握っていて、結局CHIM↑POMの発言で印象に残ったことは殆どなかった。

こんな枠にはまらないあアーティストって、これまでいなかったので、そういう意味での新鮮さとパンチ力は強烈。

・八幡亜樹 ≪circus tent Blue≫2007年
CHIM↑POMも八幡も現在、森美術館で開催されている「六本木クロッシング2010」の出品作家。森美の展覧会より先に水戸芸での展示を見たので、八幡亜樹の映像作品をじっくり見たのはこの時が初めて。
出品作家紹介によれば、「現実とも虚構とも判別がつかない世界をつくりあげ、その虚実のいかんを超えた視点から社会の周縁にある小さな物語を表現する。」
とされている。どこまでが現実で、どこからが虚構なのか、今も私には分からない。
本作品は河原の青いテントに住むピエロと周辺の人々との交流や別れまでを抒情感あふれたストーリーで見せる。ドキュメンタリータッチで自ら取材して映像化するとのことなので、全てが虚構ということでもないのだろう。

私以外に男女ひと組のお客さんが作品を見ていたが、作品終了後に女性が泣いていました。

・宇川直宏 ≪Dr.Toilet's Rapt-up Clinic≫2006年
一人ずつ個室に入って、大音響と明滅する光を見るという私にとっては拷問のような作品でした。長くいられる方もいらっしゃるそうですが、1分ともたず。
あれ以上中にいたら、おかしくなりそうでした。

・マティアス・ヴェルムカ&ミーシャ・ラインカウフ ≪in between≫2007~2008年
ドイツの2人組作家。マティアスがパフォーマンス担当で、ミーシャが映像担当。3作品ほど展示されていたが、一番良かったのは≪n between≫。
てこを使用した荷台?に乗ったマティアスが地下鉄システムに入り込む様子を映像化した作品。
これが、美しくもあり、珍しくもあり、旅しているような感覚。ちょっと単調すぎるのが難点。映像としては美しいと思う。

全く作品を見られなかったのがライアン・トゥリカーティンとローラン・モンタロン。
特にモンタロンの作品が時間不足で見られなかったのが最大の心残り。映像作品は結構好きなので、長時間でも大丈夫なのに・・・。

*5月9日まで開催中です。

「美に生きた職人たち」 海の見える杜美術館 はじめての美術館70

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広島県廿日市市にあるの見える杜美術館で開催中の海の見える杜美術館至宝展The STORY Vol.2「美に生きた職人たち」に行って来ました。

展覧会HPは⇒(非常に凝った作りで画像豊富です。)http://www.umam.jp/exhibition/thestory/index.html#/opening

まず駐車場から美術館までのアプローチはかなりの距離があります。
今回は初訪問だったので、駐車場から散策の小道をてくてくと歩いて高台にある美術館まで徒歩で登って行きました。
美しい自然、桜や小川を愛でつつ、はたと左を見ると瀟洒なレストランが。
予約制とありましたが、思い切って中に入ってみると席を用意して下さるとのこと。ランチはコースのみですが、予約してでもお食事されることをオススメします。パンは焼き立てで美味しいし、お料理(フランス料理)もこのお値段でこの質ならと満足できる内容でした。平日の昼間だというのに、中は会食のお客様で相当賑わっていたので、やはり予約された方が確実です。

お腹も膨れて、良い気分で美術館に到着。
今回の至宝展第2弾では、同館コレクションの中から浮世絵、中国版画、奈良絵本、絵巻などを中心に紹介するもの。
最初の展示室では歌川広重の花鳥画浮世絵短冊がズラリ(展示替えあり4/25まで)。
私は広重浮世絵でも花鳥画が一番好きなので、最初からテンションは上がります。
残念ながら同展図録に今回展示作品は全て掲載されていませんが、広重の浮世絵だけで30点はあったと記憶しています。作品リストが作成されていないので、確認できないのが残念。
中には、≪月に松上の木菟≫のように、これまで見たことのない作品もあり、見ごたえは十分。浮世絵と言えば、摺りの良さもポイントですが、こちらもなかなかのもの。状態は良かったです。

続いて2階の展示室へ。
最初に同館とイギリスの大英図書館(?)にのみコレクションされるという清代制作の「蘇州版画」(中国版画)が展示されていました。
「蘇州版画」確かにこれまで、中国の版画作品を目にしたことはありません。
元々、蘇州版画は民衆の印刷物、日用品の類であり、年賀で使用して、すぐに貼りかえられ破棄されてしまう性格のもので、なかなかコレクションされること自体考えられなかったということ、中国の文化大革命により多くのものは破棄されたことにより所蔵先はごく限られているとのことでした。

着彩の蘇州版画は浮世絵につながるような形式様式のものもあり、また≪瑤池献寿図≫のように水墨画かと思われるような樹木や岩や波の細かい表現が見られる、非常に精緻な彫の作品もありと見て行くと様々に発見があります。

こちらも展示替えがあり、4月29日から別の作品に入替される予定です。

次に日本の浮世絵コレクションに再び戻ります。
奥村政信の初期浮世絵から始まり、やはり目を惹くのは鈴木春信の浮世絵コレクションでしょう。
状態も良く、きめ出しの美しい作品がお好きだったのでしょうか。この技法を使用した作品が多く見られました。
そして、世界でたった1枚のみ確認されているという春信の≪今様おどり八景 布晒の帰帆≫(チラシ掲載作品)これは思っていたより一回り小さい小版サイズ。中央の女性が持つ布晒にきめ出しがしっかりと使用されています。そして、浮世絵で退色してしまうことの多い赤色がきれいに残っていることも見どころのひとつ。

他にも≪風流四季歌仙 二月・水辺梅≫の黒と緑、赤といった色の鮮明ささは非常に印象的でした。
変わり種では、あり得ないでしょうというめちゃくちゃな遠近法を使用した≪浮絵室内遊興図≫。何しろ襖の高さが人物背の高さの4倍程の所にあり、襖の引き手は2倍の高さ。これでは背伸びどころかジャンプしても襖は閉められません。ちょっと非現実的過ぎる空間が逆に面白さを増していました。

そして、ここからが凄い。
肉筆浮世絵の名品にびっくり。
・喜多川歌麿 ≪三美人図≫
これまでにも歌麿の肉筆浮世絵には数点お目にかかっていますが、この≪三美人図≫はとりわけ素晴らしい。歌麿お得意の和服の下の襦袢や間着など浴衣下などの透け感が絶妙な筆で描きこまれています。
どうやったら、こんなにシースルー感を上手く出せるのか、上村松園も凄い技量だと思いますが、江戸時代では歌麿のシースルー妙技+女性の色香を醸す技に並ぶ画家はいないのではないでしょうか。
手前に置かれた青銅の水盤も面白い小道具です。

・鳥居清長 ≪市川団十郎の“暫”≫
先日歌舞伎座の玉三郎による“女暫”を拝見したばかりの私にとって、この歌舞伎役者姿はツボでした。やはり江戸時代から続く歌舞伎の歴史と文化を浮世絵で痛切に感じるのです。まさにこの絵に描かれた役者の扮装が今の歌舞伎にもそのまま残っていました。清長と言えば、美人画が頭に浮かびますが、役者絵の肉筆画もなかなかのものでした。

ここからは絵巻・奈良絵本のコーナーへ。

・≪奈良絵本・舞の本≫ 1661~81
大分・府内藩松平家に伝来し、その後同藩の藩校に移され長く保管されたとされている作品で、特大型の47冊揃いは
奈良絵本の中でも前代未聞の最高級大作と専門家からもお墨付きをいただいている作品。
何しろ金箔、金砂子できらびやかな装飾がされているだけでなく、線描の細かさ上手さ、人物描写の卓越ぶり、繊細かつ鮮やかな着彩の妙は、素人眼で拝見しても一級品であると分かります。
現代において絵本として読んでも、十分面白さが絵からだけでも十分に伝わる。それほどまで魅力的な絵本でした。
表紙が展示では見えなかったので、学芸員さんにお尋ねしたところコピーを見せて下さって、やはり思った通り表紙も金砂子や金泥による繊細な花模様が描かれた華麗な装飾ぶりでした。1冊1冊微妙に絵の部分など違っているとのこと。
これを見るために広島まで来た甲斐がありました。教えて下さった遊行七恵さまに感謝です。

・≪村松物語絵巻≫ 江戸時代前期
岩佐又兵衛を中心とした工房で制作されたと考えられている作品。本来は18巻であったと考えられていますが、同館には12巻が所蔵されています。展示されていたのはうち6巻だったか、あまりのことにメモも取らず見入っていたため記憶が定かではありませんが。全部ではなかったはず。
前半の邸内の風景、沢山の姫や直衣姿の侍が描かれているが、姫の描き方も侍も又兵衛真筆による画風と異なっているため、この巻は工房作品かなと思ったが、金ぴか絢爛豪華さ、細密描写は「浄瑠璃物語絵巻」などと同様でした。
問題は後半部の戦絵、武者絵に場面を描く巻物。これは、どう見ても又兵衛作品ではないかと思う点がたびたび。例えば武者の裸足の足の指部分がそっくり返っている所、同じく武者の顔の顎がしゃくれている所など他の又兵衛作品で描かれている人物の特徴とよく似ています。
こんな素晴らしい作品がなぜ重要美術品にも重要文化財にも指定されていないのか(現在申請中とのことです)不思議なくらい。
なお、≪村松物語絵巻≫のうち三巻がアイルランドの「チェスタービ-ティーライブラリー」に所蔵され、残り三巻は現在も行方不明なのが残念。

他にも≪保元・平治物語絵巻≫≪十二類絵巻≫≪平家物語扇面画帖≫などどれもが、美しい優品かつ楽しい内容です。

途中でカフェを通り抜け、海が見える展望スペースもあり、ここで休憩もできます。

再び1階に戻ると、最後に屏風絵が待っていました。
今回は厳島にちなんだお題の屏風絵が何点か並んでいて、ご当地ならではの展示かつ所蔵作品だと感心することしきり。
≪厳島図≫、≪厳島祭礼図≫など、他ではなかなか見られないお題の風俗図の数々で、こちらも見ごたえがあり。

さすがに、これだけ拝見したらおなかが一杯、大満足の良い気分で美術館を後にしました。

*6月27日まで開催中。途中、4/26~28、5/7は休館日となりますのでご注意ください。
また展示替えがあり、上記作品は4月25日までのものです。

「きょう・せい」 京都市立芸術大学ギャラリー @KCUA

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京都市立芸術大学が4月2日に堀川御池に新たにギャラリーをオープンしました。
地下鉄東西線「二条城駅」徒歩1分、市バス「堀川御池」バス停下車すぐという好立地にギャラリーとは「さすが京芸」とつくづく感心する。
ギャラリーというより美術館と言っても良いほどの広さがあり驚く。本展で使用されているのは@KCUA1と@KCUA2だが、更にギャラリーA・B・Cの3つの展示スペースを用している。
同建物平面図やギャラリー情報等はこちら

ただし、内部の照明、壁など建物は味気なくそっけない。
京芸の新築建物なら、このあたりはもう少し個性的な空間でも良かったのではと思うが、どんな展示物でも合わせやすいとされる白壁の無機的空間。

こけらおとしとなる企画展は1階・2階の空間を使用して京芸の卒業生・修了生を中心としたグループ展「きょう・せい」が第1期・第2期とに分けて開催される。
本展チラシによれば、タイトルの「きょう・せい」は共に生きる/共に棲む/京に生きる/京に棲むといった複数の意味をはらんでいるのだけれど、本展に潜むもう一つのテーマは
第1期企画担当の青木加苗氏による「柔らかく生きる」という解説を一読されることをお薦めしたい。
特にポイントとなるのは青木氏が出展作家たちに課した「作家自身のテーマ性を直接的には示さず封印すること」だと思う。個々の作家がもつ作家性を封印することによって
何が見えるのか、この試みが作家自身も気づかなかった制作のヒントにつながったり、本質的な問題意識に目を向ける機会になるのではないかと同氏は述べています。
他の作家の制作をヒントとして自分の中に取り込んで行ったり、展示方法を共同で考えたりするようにとグループ展ならではの試みも行っていることにも注目しつつ展示を鑑賞していくと
非常に楽しい時間を得られる。

まずは第1期出展作家は以下13名。
Antenna、石塚源太、上田順平、岡本高幸、苅谷昌江、川野美帆、貴志真生也、田中英行、谷澤紗和子、宮永亮、矢津吉隆、若木くるみ、山下耕平(あいうえお順)

会場に入るとすぐに混沌とした世界が待っていた。
苅谷昌江≪Space Oddity_wave≫2009年に象徴されるような世界観、私には都会のいや京都のジャングルのように見えた。
特に1階の混沌ぶりはすさまじく、展示作品名・作家名と作品配置図を受付でいただいたものの、どれがどれだけ分からない状態。
谷澤沙和子の付け爪やぬいぐるみを使用した立体作品や上田順平≪ツカイノモノ≫2006年、田中英行≪Coming≫≪牛(大)≫、あちこちに小さな画面で流されている宮永亮≪地の灯について≫2010年くらいはそれと判断できるが
他の作品はどれがどの作家のものなのか分からない。


監視員の方に教えていただこうと尋ねてみると、どうもやたらとお詳しい。もしやと思ったら、出展作家の谷澤沙和子さんであった。
谷澤さんその節は本当にありがとうございました(この場を借りてお礼申し上げます。)

谷澤さんによれば、会場作りは出展作家達で相談して決めたが、釘を打ってはいけないなど会場展示での制約が多くなかなか面白い空間を生み出すのに苦労した。
結果的に、Antennaによる屋台を模した≪フクヤタイ≫2010年、≪ソソギモン≫2010年、≪ウラガワ≫2010年、貴志真生也≪ヌル≫2010年などの大きな核となる立体を先に制作し、あとを埋めて行くような展示になっていった。

驚くのは最奥にある苅谷昌江の≪Window's Shadow≫2010年で、この立体インスタレーションは冒頭に展示されている≪Space Oddity_wave≫をそのまま立体にイメージ化した作品とのことで、
説明を伺わなければインスタレーションが苅谷さん制作とは思いつかなかったと思う。

この逆の現象が2階の展示スペースにあり、個人的には2階の展示スペースはとても気に入った。
手前にある金箔張りの大画面絵画は何と谷澤さんの≪HUG≫2008年。私は谷澤さんの作品を知ったのがごく最近、京都オープンスタジオとMA2ギャラリーでの展覧会のみなので、これだけ大きな
平面を手掛けておられることを知らなかった。
この絵画の向かいにあるのが、宮永亮≪地の灯について≫で今度は壁面を目いっぱい使った大画面での展示。更にその手前には矢津吉隆の≪The Corona≫シリーズ4点(white、blue、redの3点と大型Corona)。
そして、もうひとつ矢津作品の中央あたりに位置していたのが岡本高幸≪Xマン solar≫2010年。光に反応して音声が出るというメディア系(?)電気的人体オブジェ。
これらが同時に点灯し稼働し始めた時には、本当にワクワクして一気に気分が高揚した。

また、この室内には同じくメタリックな雰囲気をもつ石塚源太の針など使った現代漆平面作品が華を添えている。

私が訪問した際、ご年配の女性が二人2階にいらっしゃって、お二人は石塚作品に大感激しておられた。更に、この2階でも熱心に解説して下さる監視員の方がおられ、この方も
作家の貴志真生也氏であった。

2階の通路には川野美帆≪ハマグリはウサギにささやくの。順番が大事なの。ハマグリは彼女に微笑んだの≫2010年の長い染色作品が川のように流れていた。
よくよく見るとこの布には沢山の吹き出し、セリフが書かれていて、全て読んでいたらこれだけで1時間はかかるのではないかと思われる。

1階と2階の吹き抜け空間には若木くるみの版画作品とオブジェ≪版木と木屑≫がぶら下がっている。若木の≪ユジノサハリンスク≫と宮永亮≪地の灯について≫の一場面が似ているということで、
展示では版画作品に宮永の映像を重ねて見せる工夫があり、これも本展ならではの発想で面白い。実際、重ねてみると本当によく似ている。
若木くるみさんは、2008年川崎の岡本太郎現代芸術賞展で大賞の「岡本太郎賞」を受賞されているが、受賞作品は彼女自身の頭部を利用したパフォーマンス的な作品であったため、実は版画作家さんだったと
今回初めて知った次第。だから、ギャラリーjinで個展開催なのかと納得した。

最後に2階から1階へと続く階段の壁に山下耕平≪Through the Looking-Glass,and What Alice Found There≫シリーズ2010年が全部で30点展示されている。ガラスにペイントした作品なのだが、
過去に私が見たINAXギャラリーと修了制作展にガラスにペイントした作品ってあっただろうか?少なくとも山下耕平は、ずっと「山」「登山」をテーマにした作品というイメージが強いため、
今回のファンタジー系、寓話的なテーマは非常に新鮮で、今後もこのテーマで作品制作にあたられるのだろうかと気になる。

思った以上に鑑賞に時間を要したので、この企画展は再訪したいところだが、4月25日(日)までとなると厳しそう。
2009年岡本太郎芸術賞展で好印象だった矢津吉隆と昨年の「ULTRA2」で知った石塚源太の新作をちゃんと見切れなかったのが心残り。

たとえ完成されていなくてもカオスならではの魅力と企画担当の青木加苗氏の意図はしっかりと見る側に伝わってきた。

なお、館内のギャラリA・B・Cでは「美工創立130周年記念展」が同時に開催されています。村上華岳、堂本印象、福田平八郎、甲斐荘楠音はじめ日本画、洋画、版画、彫刻、漆芸、陶芸、染織の各分野の卒業生作品を展観しています。

「マイ・フェイバリット-とある美術の検索目録/所蔵作品から」 京都国立近代美術館

フェイバリット

京都国立近代美術館で5月5日まで開催中の「マイ・フェイバリット-とある美術の検索目録/所蔵作品から」に行って来ました。

なかなか感想を書きづらい展覧会だったので、書き始める迄に相当逡巡してしまった。

冒頭、本展の目指すところをまずはご紹介することが必要だろう。京都国立近代美術館に本展図録の序文がそのまま掲載されているので、以下URLをご参照ください。
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2009/378intro.html

まず、京近美の所蔵作品分類に「その他」という謎めいた分類があることが、本展開催のきっかけであった。
曰く「その他」と言えば、どこにも分類不能なもの、雑多なイメージを持つ。
京近美の学芸員の皆様をしても分類できない、いや「敢えて分類しないことに意味を持たせた作品とは一体いかなる作品たちなのか」それを探ることが本展を楽しむポイントだと思う。

ただし、さすが京近美。そうやすやすと「その他」と分類されたのがどんな作品なのかを単純明快に見せてはくれない。ひっかけ問題のように、「その他」以外の分類とされている作品を資料として並存展示している。
したがって、鑑賞者は目の前にある作品が「その他」なのかそれ以外の「資料」作品なのかを考える必要がある。
もちろん、そんなことは考えず、ひたすら作品を楽しんでも全く問題はないのだが。

「その他」作品とされているもののうち、これは「写真」になぜ分類されないのか?と思う作品が何点もあった。
だからかもしれないが、「写真」としっかり分類されている作品も多かった。
例えば、ユージンスミスやエドワード・ウェストン、野島康三、東松照明らの作品は写真で、やなぎみわ、森村泰昌、澤田知子の作品は「その他」になる。
このニュアンスの差は何だろう。それを考えていくのが面白い。

以下はあるYoginiの日常版、「本展におけるマイフェイバリット」。

・クシュトフ・ヴォディチコ ≪もし不審なものを見かけたら≫
この4面の映像作品はカッコイイ。展示全体がカッコイイのだけれど、これ1作だけでもカッコ良かったと思う。
人の気配、まるでそこに実際にいるかのような、そして上からは人の声が。この声が小さいのが残念で、「過去の展示ではもっと大きい音で流していたとか」とブログ'A'holic days’さんが書かれていたので、それが小さいと分かった。確かに聞こえるか聞こえないかのかすかな音量で、この音量が作家本来の意図と同一なのだろうか?
もう少し大きい方が雑踏の中にいる感じ、不審感はより感じ得たかもしれない。鑑賞客がもう少し多ければ、かき消されそうな音だった。

・マルセル・デュシャン 一連の作品展示
デュシャンで始まり、デュシャンから進んでいないとも言われる現代美術。個人的に好きでも嫌いでもないけれど、この展示方法が素敵だった。見せ方が上手い。

・都築響一 「着倒れ方丈記」
この作品、初めて拝見した。写真というより文章で見せる。文字通り「その他」以外何物にも入り得ないだろう。
やなぎみわの「マイグランドマザーズ」も写真と文章で見せてくれたし、更にその前にソフィ・カルも写真と文章で見せる。都築響一の本作は文章量が多いが、出演者の個性が際立っており他人の私生活を覗き見る感じ、自分でもいやしいなと思う好奇心が掻き立てられた。消費は美徳かもと思えた。

・倉俣史郎 ≪光のテーブル≫
≪ガラスの椅子≫と一緒に展示されていたけれど、私は≪光のテーブル≫に圧倒された。形がまず美しい。椅子は冷たい感じがした。

・クルト・シュビッタース 一連の作品
彼のデザイン、コラージュはやたらと眼をひいた。1920年前後の作品とは思えない斬新さ。90年を経過してもなお、古臭さを感じない。

・フィオナ・タン ≪ゆりかご≫
やっと、フィオナの作品を見ることができた。至極単純な仕掛けにも関わらず、響くものがある。

・ローター・バウムガルテン
恥ずかしながら、知らない写真家(作家?)。これも「その他」に分類されているのは、仕掛けられた対象を撮影しているからか?
森村泰昌、やなぎみわも作家自身の仕掛けを撮影している。これら全て「その他」に分類されていた。

・ピピロッティ・リスト「私の空間に明るみを」 寄託作品
これも展示が上手かった。倉俣らの家具と一緒のコーナーに置かれていたが、インテリアシリーズの強いアクセントになっている。

・アリシア・フラミス 一連の作品
彼女?で良いのかな、の写真も「その他」に分類されていた。これは思わず欲しくなった。フォト・ドローイングらしい。どこからどこまでがドローイング
なのかは分からないけれど美しい。

・ウィリアム・ケントリッジ
言わずと知れたケントリッジ作品。これは、もう何度も見たけれどやっぱりいいものはいい。

・W・ユージン・スミス ≪楽園への歩み≫
ユージン・スミスの作品に自分がいかに弱いか思い知った。もちろん、これは「写真」で分類。べただけど、≪楽園への歩み≫とか泣けます。

本展で一番好きだったコーナーは、野島康三と川端龍子の日本画が共演している展示スペース。日本の古き夏の風景を野島が撮影し、川端が絵画表現している。この組み合わせは最高。
展示方法でいえば、他にもティルマンスの写真も点在させ方が上手かったし、利岡アートビル・コレクションのお札関係の作品ばかり集合させたのも面白かった。

総じて、内容的には地味かもしれないが、展示方法・見せ方・コンセプトが面白いので、見ていて楽しめる。好きな人にはたまらない世界だけれど、だからこそ「マイ・フェイバリット」なのだ。

ただし、ドミニク・ゴンザレス=フォルステルの映像作品をはじめ、映像作品のキャプションに上映時間が記載されていないのはいただけない。通常どこの美術館でもキャプションに上映時間を入れていることが多い。なぜ、京近美さんは入っていなかったのだろうか?
どの程度の上映時間かで鑑賞順序を変えることもある。来館者の誰もが時間に余裕がある訳ではないのだから。ちなみに図録の方には上映時間記載されているので、余計に納得がいかない。
また作品リストも作成されておらず、図録購入して下さいと言わんばかりの姿勢が気になった。メモを取りにくいので作品リストは希望者だけにでも配布して欲しかった。

フルクサスについて、もっと知らねば!
それにしても、本展を見てますます写真が好きになっていくなぁ。

*5月5日まで開催中。なお、所蔵作品は写真撮影可能だそうです。

2010年4月18日 鑑賞記録

広島⇒大阪⇒京都⇒奈良⇒京都遠征から帰宅。さすがに、眠いです。
本日の鑑賞記録は短めに。

1.「大遣唐使展」 奈良国立博物館 6/20まで
平城遷都1300年記念に相応しい内容。でも、新館の一方が耐震工事で閉鎖されていて、本館を使用しての特別展はちょっと辛かった。流れが途切れたのと、やはり本館は古いので照明その他の面で展示作品の見せ方はいつもの新館展示と比べてはいけないか。
海外からの里帰り品や中国から借り入れた史料は超1級。何のかんの言っても、見ておいて良かったと思える内容。
仏像、書、絵巻の類が特に好きな人にはたまらない。

2.「マイ・フェイバリット——とある美術の検索目録/所蔵作品から」京都国立近代美術館 5/5まで
これは近現代美術上級者にはたまらない内容だと思う。でも、初心者にはちとハードかもしれない。
まず、展示方法、展示順が素晴らしい。
一貫して見て行くと、ここって日本の美術館だっけ?と思う程かっこ良く、クール。
解説もなく、たんたんと作品が並んでいるが、作品自体が美しく、展示も練られているので直球勝負で作品と対面する。
私が好きだったのは野島康三と川端龍子の日本画を並べた空間。こういうのあり?いや素晴らしいです。
他にもゾロゾロ好きなものが出て来たので、詳細はもちろん別途。
フルクサス、写真、クルトシュビッタース、デュシャン、野村仁など硬派(?)好きの方には一推し。ヴォディチコの作品は初めて見たけど、これが本展マイベストかな。

3.「きょう・せい」 京都市立芸術大学ギャラリ@KCUA
ゲストトークVol.2:4/18(日)14:00~
「共有空間の獲得」
講師:小山田徹 京都市立芸術大学美術科准教授 × 第1期参加作家
なぜか、突然予定外のこのトークに参加した。途中で時間が足りず抜けましたが。
小山田徹氏は、六本木クロッシングで上映されているダムタイプに参加されていた方でした。そんなこととは露知らず。ここで話された内容を書いていると終わらなくなるので略。
小山田氏の今日までの人生を語っているような講演だった。第1期作家で出演されていたのは6名+キュレーション担当の1名。私が退出するまで、小山田氏講演で各作家のコメントはごくわずかだった。

4.「長谷川等伯」展 京都国立博物館 5/9まで 
3回目となる等伯展だが、京都展のみで展示される大絵馬を見たかった。100分待ちとかいろいろ事前情報は流れていたけど、狙いは閉館30分前と決めていた。これは予想通りで、待ち時間なし、しかも中も空いていて、一度最後までざっと眺めてから回れ右して入口にゆっくり戻りつつ気になる作品、好きな作品を鑑賞。戻れば戻る程お客さんの数は減り、最後の仏画コーナーでは私ともうおひとりいらっしゃったくらいで貸し切り状態。

係の方にも確認したが、平日も16時以後から空いてくるとのこと。むしろ朝一番の方が並んでいるらしい(これはタクシーの運転手さん情報)。

京博の方が、東博平成館より狭いので、作品数が少ないように感じた。が、無駄に動く必要がないので、疲れは少ない。
松林図屏風は京博では真っ平らに平面絵画のごとく展示されていたが、東京展はまっすぐではなかった気がする。
これも京博オリジナル?
肝心の大絵馬はやはり驚くような大きさで、あの大涅槃図と同じ空間に左に大涅槃図、右に絵馬とこの空間は凄かった。
作品展示順は東京展とかなり違うので、別の展覧会のごとく楽しめた。
大好きな波濤図の向かいには萩芒図屏風があり、ここの空間も気に入っている。
他に京都展のみで展示される作品を図録で確認し、しっかりと拝見して来たが、やはり絵馬を見ることができたのは嬉しい。

5.「M.C.エッシャー展~視覚の魔術師~」 奈良県立美術館 5/9迄
実はあまり期待していなかったのだけれど、内容はとても良かった。理由は、初期の作品から晩年まで時代を追って作品の変遷やポイントを上手くまとめて見せてくれていた。
だまし絵的なイメージの強い作家だったが、初期作品はエッシャーの美的センス、技術が如実に表れており、この才能あってこそ、後のエッシャーならではの作品群が生まれるのだと感心した。
デザイン性のあるタペストリーはじめ、かなり盛り沢山の内容。朝一番で入館したが、私以外にも開館を待つお客様が結構いたので、人気なのかな。

*後日内容は加筆予定です。

2010年4月17日 鑑賞記録

本日の鑑賞記録(訪問順)です。

早朝、広島を出発し向かうは兵庫県立美術館。

1.写真家 中山岩太「私は美しいものが好きだ。」 兵庫県立美術館 5/30日迄
第1部 甦る中山岩太 モダニズムの光と影
第2部 レトロ・モダン 神戸 中山岩太たちが遺した戦前の神戸

第1部は2008年に東京都写真美術館所蔵品展をベースにしているものの、出展作品数はぐっと増えて第1部だけで約130点。レトロプリントと「残されたガラス乾板」から新たにプリントを制作したものを比較展示する。

第2部は兵庫県美オリジナル。第2部では、中山が神戸をテーマとして撮影したヴィンテージプリントを、その撮影地を可能な限りたどりながら様々な資料とあわせて展示し、戦前のモダン都市神戸の姿を検証する。当時の神戸をテーマとしたほかの作家による作品、当時作成された資料や映像を紹介することで、懐かしき神戸風景を再構成している。

第2部の様々な資料というのは本当に様々、多種多様、何しろ第2部だけで展示作品数は259点。
中山岩太の神戸風景写真だけでなく、川西英の「神戸十二ヶ月風景」「神戸百景」に、今竹七郎の大丸関連ダイレクトメール、広告、宣伝ポスター、小磯良平の「神戸みなとの祭」ポスターに油彩、絵葉書、小松益喜。金山平三らの油彩、神戸市観光課発行のガイドブック『カウベ』、阪神電鉄のリーフレット、そして最期は岩太以外の写真家作品。田淵銀芳、川?亀太郎、椎原治、安井仲治らの「流氓ユダヤ」・・・。もう盛りだくさんで大満足です。

こうなったら、芦屋市立美術博物館で同時開催中の「モダニズムの光華 芦屋カメラクラブ」展にも行きたい(6/20まで)

2.芳木麻里絵展 サイギャラリー (肥後橋) *本日終了
京都オープンスタジオで拝見した作品が素敵で、今回の初個展を楽しみにしていたが結局最終日に駆けつけることになった。スタジオ訪問時で拝見した作品もあったが、あれから新たに作品されていたレースシリーズや染付けのお皿、板チョコ。インクで作られた立体作品もしくは絵画。
どの作品も1点ものでエディションではない。特にレース作品3点のうち1点は、レースでも極めて細い糸の部分まで正確に表現されており、とてもインクで作り上げたとは思えない。
これから、どんな方向性に進まれるのだろう?今は、元になっている物や絵の写しなのだけれど、私は芳木さんオリジナルの絵画や形も拝見してみたいと思っている。

3.「明治の万国博覧会の再現美術展」 清水三年坂美術館 5/23日迄
1873年(明治6年)明治政府として初参加したウィーン万博に工芸技術の水を結集した大型で細密な工芸作品を万博会場に並べた。特に明治20年~30年代に作られた作品を先導していたのが、白山松哉、加納夏雄、海野勝ら技芸員らの作品を一堂に並べる。

これがもう凄いのなんの。ここだけで相当時間をかけたけれど、見たこともないような金工、蒔絵、七宝、薩摩焼、刺繍絵などなど到底人間技とは思えない絶技。必見物です。
それぞれの技芸員の技量も素晴らしいですが、よくぞこれだけ集めてくださったと館長さんに感謝。さもなければ全て海外に流出しているのだから。

4.山本基 「たゆたう庭」 eN-arts 4/30迄。金・土・日のみ開廊
このeN artsの個展は2回目の訪問(1回目は内海聖史さん)だったのだけれど、今回の山本基さんの個展も素晴らしかった。
室内のライティングの良さは相変わらずだけれど、入口入ってすぐの小品ドローイング、といっても支持体はアクリルコーティングを施されていて、
表面のマチエールが素敵、小ささも程よくて素敵、そしてドローイングそのものも塩の作品にマッチしていた。

彼の塩の作品は24歳の若さで脳腫瘍により妹さんの死から始まっている。
なぜ、塩を使っているのか今まで知らなかったけれど、彼の曼荼羅のような塩の作品は文字通り曼荼羅
もしかすると亡くなった妹さんへの弔いの祈りなのかもしれない。
ちょっとセンチに過ぎるかもしれないが、いつも作品を制作した後、塩を集めて海に還す。

今回は地下の部屋を内海さんの個展と同様暗幕で囲い、壁に塩の模様が作成されているのも新しい試みだった。
さらに、奥の和室にあった細長いセットになった2点。これがまたとても良かった。こんな作品を床の間に飾るというのも
面白い。そして、とても床の間空間にマッチしている。向かって右はドライフラワーを使ったもの。左は一筋の滝を思わせる
シンプルな図。

お近くの方はぜひ。

4.星野画廊 京都近美至近
京都に行く際にはちょくちょく覗かせていただく。今回は春にちなんだ作品が並んでいた。野田英夫のコラージュや不染鉄の水墨画、秦テルヲの観音図、玉村方久斗の木蓮が気に入った。

5.「瓜生山 春の顔見世」美術工芸学科教員作品展 ギャルリ・オーブ(京都造形大人間館1階)4月23日まで
こちらも見ごたえのある内容だった。
やはり、あっと驚いたのは名和晃平さんの新作。1点はBEADSのBambi#6。ここまではふむふむ。
次に出てきたものに仰天。やたらモコモコした巨大な物体が横たわっていたのだ。これが「Swell-Deer」「Swell-Tiger」。
「Swell」には二つの液体を容器のなかで混合する液状のタイプの発砲ポリウレタンを使用。中には動物の剥製などが入っている。
表面はまんべんなく膨張し、鈍いテクスチャーで覆われ、だんだんと虚無のボリューム(SCUM)になっていく。以上解説の引用。
「Swell」のテクスチャーは見て面白い、まず気泡の模様や大きさが様々、たとえて言うならお饅頭の皮だろうか?
だから食べたくなったのか。もこもこしていて触りたくなる。

他に気になったのは、高木光司「間」半透明のポリエステルで4角中を縫い合わせる。布の立体。

神谷徹の油彩文様シリーズ8点。布のような油彩だった。
奥村美佳と佐々木るりこの作品は同じ日本画で華を扱っているのだが、対照的な作品。奥村の「いざない」は茫漠とした荒涼の地に
寂しそうにでも力強く咲く花を。佐々木は軽やかにやさしい花々が咲き乱れる。

清水博文の版画作品にも惹かれる。どこか写真に似ているのだった。版画と写真にも境界があるのかないのか疑問を覚える。

6.村林由貴 「溢れ出て止まない世界」 ギャラリーRAKU 4/25迄
スパイラルで開催された「混沌から躍り出る星たち2009」にも出展されていた作家さん。新作は過去の作品と大きく変化していた。
長く荒々しいストローク。以前はどちらかと言えば細密な描きこみを特徴としていたのに、この変化にはびっくり。
私個人の嗜好は今回の新作。どこまでも延びて行きそうな色鮮やかなライン、タッチ。私はろうけつ染を思い出した。
現在制作途中なので、25日にはきっと作品も完成しているだろう。最終日に行けないのは残念。

7.オープン記念展「きょう・せい」<第1期> 京都市立芸術大学ギャラリー(堀川御池)4/25迄
行く前からいろいろとこの展覧会の噂は聞いていた。曰くカオスだとか、混沌としているとか・・・。
やはり自分の目で見なければいけない。
私はとても楽しめた。そして、この制約が多い空間で各作家の新しい試みを幾つも拝見させていただいた。
ほとんどが知っている作家さんばかりだったこともあるけれど、過去に見てきた作品のイメージで今回の作品を見ていくと
良い意味で期待はどんどん裏切られていく。そして、出展作家たちで事前に企画打ち合わせを行った結果、見事に
「共生」というテーマを活かした展示がなされていた。
1階の展示も素晴らしいが、2階はもう圧巻と感動。
矢津吉隆と宮永亮、岡本高幸の3名による作品の共鳴、共生は単独展示とは別の魅力を引き出し作り出していた。

そして、MA2での個展の記憶も新しい谷澤沙和子の金箔絵画も驚く。元々油画専攻なのに、彼女のこんな絵画(大作)を拝見したのは初めて。1階の梱包材を見て思いついたというモービルも楽しかった。

明日14時から第1期出品作家のトークがあるので、予定変更で行く予定。先着40名。

「ウィリアム・ケントリッジによるレクチャーパフォーマンス」 広島市南区民文化センター・ホール

今朝から、広島入り。
目的は、年初に見てはまったウィリアム・ケントリッジによるレクチャー・パフォーマンスと海の見える杜美術館の展覧会(奈良絵本&鈴木晴信浮世絵他名品多数)。

海の見える杜は後日アップするとして、忘れないうちに書いておきたいケントリッジのパフォーマンス。
会場は、広島市南区民文化センター・ホール。
ちなみに私は今回初めて広島の地を踏んだので、まるで地理感覚はないが、広島駅から路面電車で約15分乗車、下車後徒歩2分の場所だった。

会場は500名入場可能だとのことだったが、突然のアクシデント(警察でいろいろと・・・)のため、予定より到着が遅れ15分前に着席。かなり来場者が多く、あせったが1人なので良い場所に席が見つかった。

パフォーマンス用のチラシ、ケントリッジ氏のパフォーマンス画像が入ったものまであったとは!これは、受付で手渡していただいた。

今回のレクチャー・パフォーマンスの内容説明がされているので、引用させていただく。
自作のテキストの朗読とケントリッジが登場する映像と本人が共演するパフォーマンスをミックスしたステージ。ゴーゴリの短編戯曲『鼻』(1836年)とこれを原作とするショスタコーヴィチ作曲の同名のオペラ(1930年)が題材となっている。
様々なテキストが引用されているが、特に1937年2月26日の党中央委員会におけるブハーリンの弁明からの引用は、体制の暴力に押しつぶされる知識人の悲劇を象徴し聴衆を深い感動に誘うものがある。

さて、会場に話を戻す。
舞台には、可動式4段程の手すり階段がひとつとスクリーンが設置されている。
階段の手すりのひとつには針金で作られたコップ受け(これが良い味を出していた)と中に水の入ったグラスが入っている。

予定開始時間を数分過ぎたところで、広島市現代美術館担当学芸員氏とケントリッジ氏が一緒に登場。
学芸員さんが関連各位にお礼を述べる中、ケントリッジ氏は、やや厚めの紙ファイルを手に持ち、舞台に設置されたスクリーンの前を右に左に歩く。
そして、歩いているとファイルの中の紙束が数枚、はらりはらりと床に落ちていく。落ちていくペーパーに一瞥くれたかどうか記憶が定かではないが、拾おうとはせず床に落ちた紙はそのまま。

既にケントリッジ本人が登場した時点でパフォーマンスは開始されていたのだった。
学芸員氏の開会挨拶もパフォーマンスの一部のように思えてくる。

本パフォーマンスは、基本的にケントリッジ作成のテキスト朗読劇と考えて良いだろう。
基本的にとしたのは、単に座って朗読するわけではないということ。
表情豊かに、しかも歩いたりはしご階段に登ったり、座ったり、映像の中のケントリッジと共演したりと忙しいのだ。

最初の方で、複数人の自分がいると語る行があり、たとえとして「昨夜泊まった広島のホテルで明日は本番だもう寝たほうが良いと言っている自分とまだまだ宵の口。バーはすぐそこ。さぁ夜の街に飲みに行こうとする自分」とアドリブが入る。
てっきり京都と同じパフォーマンスだとばかり思っていたので、アドリブもありなんだと驚く。

ケントリッジ氏は俳優業を志したこともあったはず。
その演技力、表現力は映像作品やドローイングのみならず、パフォーマンスにも十分に感じられた。
たとえば、言葉と言葉の間合い、発音の強弱などは言うまでもなく、約1時間弱観衆を引き付けておくだけの演技力はあった。

最初はゴーゴリの『鼻』の朗読のようだったが、それが終わるとどんどん難解になり、再びチラシから引用させていただくと、ケントリッジ最新作《俺は俺ではない、あの馬も俺のではない》の制作過程から本パフォーマンスは生まれた作品で、”一種の不条理劇の中に「アトリエの美術家」、「分裂した自己」(前述のホテルの複数の自分)というほかの作品に通底するテーマと同時に、弾圧され歴史から消し去られたロシア・フォーマリズムのユートピア運動への限りない共感と愛惜が込められている”。

大変だったのは、字幕を担当された京都国立近代美術館サイドだっただろう。
何しろ、ケントリッジの言葉の間合いがコロコロ変わるので、字幕を出すタイミングも本人が難しい。
ただ、以前国立西洋美術館で拝聴した同時通訳よりは、はるかに分かりやすい素晴らしい字幕で、ケントリッジ氏の英語発音が明瞭だったこともあり、両方見ながら理解していたが語り内容をきちんと把握されつつ適度な長さでまとめる訳になっていたことに感心する。

背景に流されていた映像作品は、2008年制作のもので、《俺は俺ではない・・・》作品の一部を抜粋していたり、ケントリッジ本人が何人も登場し、様々なポーズをする。
舞台上のケントリッジが映像の中のケントリッジとからむシーンが何度もあり、まさに分裂する自己そのもの。
ケントリッジが映像の中で行っていた様々なポーズは、アトリエでの日常の一場面なのかもしれない。

展覧会場で見た時には気付かなかったが《俺は俺ではない・・・》の中の影絵のようなアニメーションで、レーピンの《ヴォルガの船曳》を引用していると思うような箇所もあった。

ロシアの歴史、フォーマリズムの何たるかを知らないため理解不足は著しいが、やはり足を運んだ甲斐はあったと思う。

パフォーマンスの後に、短時間でも良いから質疑応答の時間を設けて下さったらと残念。
最後の学芸員さんによるあいさつが中途半端で、終わったのか終わってないのか分からないしまりのない終演が気になったけれど、ケントリッジ氏は至って気さくなお人柄のようで、舞台が終わった後、観客からのサインや記念撮影に快く応じておられる姿をお見かけした。


広島市立現代美術館サイドに、今回のパフォーマンス開催に合わせて展覧会閉館時間を1時間か30分遅らせるなどの融通さがなかったのは実に残念。容赦なく5時で閉館した上に、現在常設展示の展示替え中で常設展も見ることができなかったのも残念。
遠方からの来客に対してのアピールや心配りがもう少し欲しかった。

個人的には終演後、twitterでケントリッジ展への多大なる応援tweetを連続されているMomakyotoさんにご挨拶できたのが嬉しかった。生協の白石さんのように気配りのきいた、かつ機知に富んだコメントに毎回感心するばかり。
今日の来場者でMomakyotoさんのtwitter上でのtweetで背中を押された人はどの程度いたのだろうか。


なお、今回の講演は世界各地で演じられているが、都度形を少しずつ変えていて、京都展でのパフォーマンスはアドリブ部分だけでなく他にも若干違っている点はあるとのことでした。

O JUN展 「O JUNの山」 ミヅマアートギャラリー

ミヅマアートギャラリーで4月24日まで開催中のO JUN展「O JUNの山」に行って来ました。
ギャラリーHP ⇒ http://mizuma-art.co.jp/exhibition/1266490806.php

私はO JUNという作家を大きく誤解していたのかもしれない。

ギャラリーに入って正面に見える200号のキャンバスを上下2枚組み合わせた大作≪グロリア≫?(390×250)が素晴らしい。あれれ、私が知っているO JUNさんの作品と違う。こんな油彩って見たことない。

現在国立新美術館で開催中の「アーティストファイル」展にも出展されていますが、そちらは未見。最近では国立国際の「絵画の庭」展での出展作品を拝見しましたが、その時は今回のような意外感はなく、失礼ながら、印象に残らなかった。

プレスリリースによれば「過去には紙にガッシュやパステル等の素材を使った作品を多く制作してきましたが、本展ではこれまでまとめて発表する事のなかった油彩の新作を中心に展示致します。メインとなる 200号のキャンバスを上下2枚組み合わせた大作では平面へのこだわりはそのままに、絵画的手法や画材を変えるなど実験的なアプローチによって現れるモチーフの表情の変化に着目しつつ、その背後に隠された真相を暴き出します。」とある。

背後に隠された真相?とはいかに。そこまで作品を見て考えることはなかったが、大作に近寄って気付いたのは支持体のキャンバス素材。記憶に間違いがなければ通常のキャンバスに使用されているものより目がずっと粗くジュート布のようだった。支持体自体の素材感を活かすため、敢えて全てを塗りつぶすことなく塗り残して素材の色や質感を活かしている。これが、実に効果的だった。

離れてみても良い。
大ざっぱといったら語弊があるが、粗目のタッチはそのままに、でも何かいつもの作品と違う。
2枚のうち上には、海上に浮かぶタンカーの絵を、下部には地面に停まる旅客機の絵との組み合わせ。
これは風景画なんだろうか。タンカーと飛行機。海の下に地面。

何か分からないけど、感動をそのままにミヅマアートギャラリーの奥にある和室へと向かう。
ここには、展覧会タイトルに謳う柳田國男の「山の人生」の世界観が影響しているというドローイングが展示されている。靴を脱がず、座敷を見渡すだけでは後悔する。
帰り際、本展案内状になっているハガキに掲載されている油彩に目が行った。
「あれ?こんな作品あったっけ?」

慌ててギャラリストさんにお伺いすると、和室に上がらないと見えない場所、和室の入口側に展示されているとのこと。再び戻って、しっかりその小さな小さな1枚≪ゴジラ、現る≫2010年を拝見した。

ちょっと欲しくなってしまうような素敵な作品だった。小さい油彩画も良いものだなと、最初に見た大作との比較で考えると面白い展示方法だと思う。両作品の良い所を存分に堪能できた。

国立新美術館の「アーティストファイル」にも早く行かなくては。昨年ミヅマアクションで開催された森淳一(MOTアニュアル2010装飾」の超絶木彫作家)との共催展を見たかった。残念。
今回の新作のような傾向で制作が続くといいな。

*4月24日まで開催中。

美しき挑発 「レンピッカ展」 Bunkamuraザ・ミュージアム 

レンピッカ

Bunkamuraザ・ミュージアムで5月9日まで開催中の美しき挑発「レンピッカ展」に行って来ました。
展覧会公式HPはこちら
レンピッカのプロフィールや年表、作品画像を数点ご覧いただけます。

開催前から楽しみにしていたレンピッカ展。
何しろ、二つ折りチラシ表の(冒頭画像)≪緑の服の女≫1930年がカッコよすぎて、裏面には画家本人のモノクロ写真≪ロングドレスを着たタマラ≫1929年頃は、マレーネ・ディートリヒばりの超美人で、官能的な表情を浮かべ彼方を見つめている。
これほど話題性のある画家をなぜ今まで知らなかったのか不思議なくらい。

開催を待ち切れずとある古本屋で昭和56年にパルコ出版で発行された『肖像神話 迷宮の画家タマラ・ド・レンピッカ』(画集)を格安で見つけ即座に購入してしまった。
大判の画集で見るレンピッカの絵画はチラシ同様にとても力強い。

本展は、日本初公開約30点を含む油彩やデッサンなどレンピッカ作品約90点を紹介するものです。

展覧会構成は次の通り。
プロローグ ルーツと修業
第1章 狂乱の時代
第2章 危機の時代
第3章 新大陸
エピローグ 復活

作品はほぼ制作年代順に展示されている。
作品をたどって展覧会を見て行くと、無意識のうちにレンピッカの人生を共にたどっている気がした。

どの作品からも硬質かつ金属的な印象を受ける。
そして、1920年代~30年代頃の作品はグラフィック的な要素が強いように思う。
だから、ポスターやチラシ、そして会場にも展示されていたがドイツのファッション誌『ディー・ダーメ』の表紙を飾るに相応しく、見る者の心をひきつけてやまないのだろう。

特に気になるのは、背景の処理と女性像の巻き毛の描き方。
背景は幾何学的で、特にグレーのビルらしき建築物が並んで描かれていることが多い。
人物像と背景の関係性は分からないが、彼女の人物に無機的なビルの背景はとてもマッチしている。

巻き毛は最たるものだが、女性たちの髪でさえ、柔らかさではなく硬い。金属でできていると言われても納得できる感じ。

一方、女性の裸体像に描かれた乳房は、これも背景と同様に幾何学的な処理をされているが、二の腕は筋肉質と思えるほど太目で肉感的。彼女の描く女性裸体像には、同性ながらも惹かれる。色気というより、女性本来の体がもちうる何人にも媚びない美しさを感じるからだろうか。

1920年代~1930年代前半のもっともレンピッカらしい作風の肖像画の時代を終えると、第2章危機の時代の作品から絵画のサイズそのものが小さくなる。≪修道院長≫1935年や≪逃亡≫1940年頃の2点は、これまでの挑発的な肖像画とは打って変わって、彼女の強い悲しみを投影しているかのような作品へと変化していく。

更にアメリカへ渡った後のレンピッカ作品は、ますます変化を遂げていき静物画も見られる。
前後するが、レンピッカ作品にはカラーの花がよく登場する。花の中でもカラーを選択することに関心を持った。
カラーの清廉な白のイメージ、凛とした風情が好きだったのだろうか?作品を見ているとオキーフを思い出した。

裕福になろうと絶望の日々を送ろうとも、レンピッカは描くという行為を最後の最後まで捨てない。
晩年の作品は、過去の彼女の作風からは考えられないような様式に変貌する。
パレットナイフを使用した作品で、一見すると三岸節子風とでもいおうか。
そうかと思えば、クレーのような≪抽象コンポジション≫1959年頃に挑戦していたり。

晩年のレンピッカには以前のような作品を描くことができなくなっていたのだろう。
恐らく彼女自身が一番輝いていた時代、自身の繁栄や自信が彼女にあの硬質な作品を創り出す力を与えていたのではないか。
老いてしまった彼女を注目し、愛する人も亡くなった時、それでも彼女は絵筆を捨てなかった。その事実をもっとも評価したい。
この作風の変遷こそ、彼女の人生そのものを映し出している気がしてならない。

作品の展示と合わせて、レンピッカ自身が被写体になっている写真も多く展示されている。
どちらかと言えば。絵画作品よりも写真が語りかけてくる印象が強かった。
写真に見るレンピッカの人生、そして数々のエピソードはあまりに劇的でドラマティック。
一人の女性の生きざまを痛切に見せつけられ、展覧会を見終わった後に寂しくそして切なくなった。

映画以上にドラマティックな人生を歩み、フォトジェニックであったレンピッカ。
それゆえに、本人の表舞台からの退場によって、作品が時代に取り残されてしまったのかもしれない。
しかし、近年レンピッカ作品の評価が高まっているというのは嬉しいこと。

これだけ多くのレンピッカ作品が来日することは、今後ないかもしれません。またとない機会です。お見逃しないように。

*5月9日(日)まで開催中。

藤本涼 "live on air" G/P gallery

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G/P galleryで4月25日まで開催中の藤本涼 "live on air"を見て来ました。
個展HP ⇒ http://www.gptokyo.jp/gp/ex_2010/article/live_on_air

藤本涼は、少し前に記事をアップした児玉画廊で個展開催中の宮永亮と同じく、昨年の「NEW DIRECTION展 ♯1「exp.」展(@TWS本郷)で初めて知った。
その後、今年に入り東京藝術大学先端芸術卒業修了制作展で再び、藤本作品を発見、今年卒業されるんだなぁと思ったが、、この時はちょっと印象が薄かった。

(参考)
「NEW DIRECTION展 ♯1「exp.」展の「過去ログ
東京藝術大学先端芸術表現科卒業修了制作展

今回のG/P gallery個展でも、過去に拝見した作品同様"live on air" シリーズが展示されていた。
ただし、プリントサイズが大きくなっていたように感じたが、記憶が曖昧なので実際は同じなのかもしれない。

全部で12点。いずれもどんよりとした重い空気の中で「橋」「塔」「山登りする人たち」「かもめ」などがおぼろげに写されている。
特に「山登りする人たち」は初期の野口里佳作品「フジヤマ」シリーズの1枚を思い出した。

しかし、藤本涼の作品を写真という枠にあてはめることが適切なのかは悩ましい。

会場に置かれていた説明によれば「観客における想像の世界を喚起させる≪装置≫としての写真を追求し、旅先でのスナップ、セットアップ、デジタルといった作品制作の過程を通して画像を作り出している」と書かれている。

同じく、会場にある作家のステートメントには「私はあくまで”写真を撮る”のではなく、”カメラと写真を用いてイメージを獲得する”ことに執着する。カメラの前にあるものが例え白く光った平面であったとしても、それは崇高な、茫漠とした何もない彼方である、と言い切るために作品を作る」と書かれていた。

いかにもありそうでない風景を上手く撮ったと思って楽しむか、所詮作られた世界だと思うか、作りものだと分かっていても楽しめるかによって評価が分かれるのかもしれない。

私自身、彼の作り出した世界に惹かれる-特に作品集にあった旧作など-のだけれど、どこか引っかかるものがある。いっそ写真と考えず絵画として作品を見ると、優れた構図や色彩などから彼の優れたセンスは写真であっても絵画であっても評価でき、前述のひっかかかりに囚われることなどない。
絵筆とキャンバスをカメラと写真(アクリル板か印画紙)に置き換えたと思えば分かりやすいのか。

写真と絵画の狭間を行く藤本涼の作品に今後も期待したいと思う。

*4月25日まで開催中。

寺崎百合子 「音楽」 Gallery Koyanagi

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ギャラリー小柳で5月29日まで開催中の寺崎百合子「音楽」に行って来ました。
ギャラリーHP ⇒ http://www.gallerykoyanagi.com/exhibition.html 
寺崎百合子と言えば、小川百合の名前で作品を出展されていた2007年目黒美術館「線の迷宮<ラビリンス>Ⅱ」を思い出さずにはいられない。
(参考)過去ログ:「線の迷宮<ラビリンス>Ⅱ」@目黒区美術館

寺崎百合子のお名前の方が、本名で2008年から小川百合でなく寺崎百合子として作品を発表されている。

さて、目黒区美術館で展示されていた作品はオックスフォード大学内の図書館を鉛筆画とは思えない筆致で描き、モノクロ写真かと思ったほどだ。
今回の個展タイトルは「音楽」。描かれているモチーフはバイオリン。
しかし、これはただのバイオリンではない。
ギャラリストさんによれば、普段は博物館にある骨董に類する名器。ロシア人研究家、この研究家は自身もバイオリン演奏をされるそうだが、彼の協力のもと、今回の一連の古バイオリンの作品群が完成した。

ギャラリー小柳の展示は今回も良かった。照明を落とし、何より素晴らしいのは作品の配置方法と作品数。多すぎず少なすぎず。この作品が多すぎないというのが難しいように思う。
作品と作品の間も十分間があり、次の作品に移動するまで、鑑賞者は前の作品の余韻に浸る。
一番上手いと思ったのは、最奥の正面と左側にかかっていたバイオリンの一部がちょうど左と右それぞれ描かれていて、両作品の中央に立って2つの作品を見ると、2つが1つのバイオリンに見えるのだった。

鉛筆画のクォリティは相変わらず最高。
背景になっているクッションだかのファブリックの模様や質感まで鉛筆で映し出す。無論印影など造作もない。
バイオリンの弦をまく、ねじ部分など平面作品なのに、立体感がある。

バイオリンだけでなく、オックスフォード?と思われる古い建物の作品も数点あり、目黒を思い出し懐かしかった。

鉛筆画と空間が奏でる音楽を訪ねてみては。

*5月29日まで開催中。

「黒宮菜菜展-流彩の幻景-」 INAXギャラリー2

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INAXギャラリー2で4月27日まで開催中の「黒宮菜菜展-流彩の幻景-」に行って来ました。
ギャラリーHPはこちら

INAXギャラリー2での個展は毎回楽しみにしている。
今回の黒宮菜菜さんの個展も、思いがけない嬉しい作品との出会いだった。

約10点の油彩どれも、縦150㎝~200㎝の大型作品ばかり。
印刷物や画像では分からない絵肌のきらめき、つやに目が吸い寄せられる。支持体はアクリル板と木材なので、そこから黒宮さんならではの支持体作りがされているのではないかと推測。
基本は油絵なのだが、上からメディウムを使用することで、表面上のつやや煌きを生み出している。

特徴は絵具が垂れているように、幾筋も塔や木の幹のように何本も画面の上下に柱がそそり立つというべきか。
その柱の合間に円形の模様が増殖している。色彩を除けばイスラム世界の紋様のようにも見える。
全体的に薄く淡い紫やグレー緑といった色が2009年前半頃までの作品に使用されているが、2009年後半、そして最新作の「漂流」2010年では思い切った明るく強い色の赤や緑、青、黄色といった原色を使い始めていて、私はこの最新作が一番気に入った。

最初抽象画ぽいと思った作品たちもよくよく見ると女の子の姿が描かれていたり、人の顔が浮かんでいたりと摩訶不思議な魅力がある。
2008年「膿む産む♯6」などは水泡か気泡で一杯の作品で、名和晃平さんのビーズ作品を思い出した。

1980年生まれ、現在は京都市立芸術大学大学院美術研究科後期博士課程に在籍中でいらっしゃる。黒宮さんは、来年、再来年あたりのVOCA展にぜひノミネートしていただきたいなと思う作家さん。
それほどに、個性的で魅了される作品、徐々に実際の現実にもつながるような内容を描き始め、私としてはこの路線をどんどん続けていただきたいと勝手に思っている。

とにかく、今後の活動がとても楽しみな作家さん。

INAXギャラリー2のキュレーションはどなたがされているのかと気になって調べてみると、INAX文化事業部の大橋恵美氏が手がけおられるようだ。
ここでは、東京以外で活躍されている若手作家(最近一番印象的だったのは、同じ京都市芸の山下耕平、高橋治希展、河野愛展、東北芸術工科大学出身の若手作家もよく紹介されている。
前回、前々回を見逃したのは残念。きっちり予定に組み込まなければ。

+」4月27日(火)まで開催中です。
併設のセラミカでは、「伊東靖和 展 -陶 記憶の中のいきものたち-」を開催している。陶芸とは思えない巨大昆虫も必見です。
http://www.inax.co.jp/gallery/ceramic/detail/d_001576.html

「花ひらく個性、作家の時代-大正・昭和初期の美術工芸」第1期 宮内庁三の丸尚蔵館

宮内庁三の丸尚蔵館で開催中の「花ひらく個性、作家の時代-大正・昭和初期の美術工芸」第1期に行って来ました。
展覧会HPはこちら(作品リストあり)。

本展は、三の丸尚蔵館が平成5年11月開館以来、年に4階の企画展が本展で第50回目の節目となるにあたり、これまで展示する機会の少なかった大正から昭和初期に制作された日本画、彫刻、工芸の優品を選んで紹介するものです。
*会期は下記の通り3期に分かれて全作品展示替えとなります。
・第1期:3月30日(火)~4月25日(日)
・第2期:5月1日(土)~5月30日(日)
・第3期:6月5日(土)~7月4日(日)

第1期の今回展示されていた作品は尚蔵館のスペースを考えれば少数ではありますが、この機会を逃せば次はいつ見られるのか分からない文字通り優品ばかりです。

特に印象に残った作品を挙げます。

・≪古代婦人≫ 藤井浩祐 大正12年 ブロンズ彫刻
まるで、古代の婦女俑のような柔らかな曲線を描き身体をひねるポーズを取る女性。解説によれば「静かな女性の雰囲気を出したかった」。本作と似た作品で≪静かな水≫大正12年は再興院展の出品作。

・≪肇国創業絵巻≫(ちょうこくそうぎょうえまき) 昭和14年
昭和16年が神武天皇即位から2600年にあたるとされ、この年様々な記念祝賀行事が開催された。本作品は、「皇紀二千六百年奉賛展覧会」で展示され、その後秩父宮に献上された。
文字通り国を挙げての制作で、蒔絵の装幀全体、意匠、および軸の蒔絵を担当したのが松田権六。軸の蒔絵の精緻な細工(これは大注目!)、布端に取り付けられた金金具の意匠や、表紙裂(担当:龍村平蔵)、組紐:道明新兵衛、桐箱:山崎緒之助。これらは正倉院宝物に範をとった。

絵巻の絵を担当したのは、横山大観ほか9名の画家であるが、今回展示されていたのは、運良くと言って良いのか安田
靫彦が担当した部分であった。料紙自体の美しさに目を奪われつつ、安田靫彦お得意の歴史画が繊細な線描で上品に仕上げられている。

・≪飛泉≫ 横山大観 双幅 昭和3年
実はこの作品見たさに出掛けた。この双幅の滝の流れは実際に見たらさぞや・・・と思ったのである。縦が172.3?×横71.5?の大幅の双幅は、素晴らしいの一言に尽きる。
大観の作品全てが好きでは決してないが、彼には巨匠に相応しい名品があることは間違いない。本作で特に気になったのは右幅の岩の描き方。右端にほぼ真っ黒に少しだけ突き出た岩とそこにわずかばかり生えている松。そして滝の向こう側にかすんで見えるのは向かい側の岩肌だろうか。荒々しい滝の峻烈な流れからは、絵の前に立つと「気」を感じる。画家が気持ちを込めて描いた作品からは、絵の前に立った時「気」感じることがあるが、この絵はまさにその典型だった。金字の落款も他作品では見られないものだと思う。

・≪進馬図≫ 橋本関雪 六曲二双 昭和8年
こちらも縦202.5?×横435.0の大屏風。昨年開催された「皇室の名宝展」で展示されていた鏑木清方≪讃春≫1933年と同じく、三菱財閥の岩崎家から寄贈された献上屏風のひとつ。
本作制作には何と5年の歳月が費やされており、文字通り間雪、集大成と言えるだろう。当初予定していた「波濤図」に納得がいかず、全てやり直して本作品の馬を天皇に捧げる≪進馬図≫が完成した。
生きているかのような三頭の馬。これまた大画面の前に立つと見惚れる。

・≪渓澗≫ 宇田荻邨 昭和2年 二曲一双
宇田荻邨の作品もなかなかお目にかかれない。この作品は、やまと絵風様式をとりつつ写実的とのことだが、色彩が溢れているというのが第1印象。次に目を細部まで移していくと、樹木の幹の表現、鳥、葉の葉脈、川の水はねに至るまで丁寧に描きこまれ、実際の風景以上に緑溢れ生命感を感じる。

この他、竹内栖鳳や河合寛次郎の≪窯変草花文合子≫など見どころ多数です。
第二期、第三期も楽しみ。

*第1期は4月25日まで。注:毎週月曜、金曜が休館日です。

「藤本能道 命の残照のなかで」 菊池寛実記念 智美術館

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菊池寛実記念 智美術館で4月18日まで開催中の「藤本能道 命の残照のなかで」に行って来ました。
展覧会HP ⇒ こちら

本展は、藤本能道と美術館オーナーである菊池智氏との深いご縁がもとで実現した展覧会。菊池智氏は、藤本の晩年作品を展示するに相応しい空間を求めて、美術館展示室を一新。建築時に依頼していたアメリカ人デザイナー・リチャード・モリナロリ氏に依頼した。

今回は、藤本最晩年作品群(「陶火窯焔(とうかようえん)」展出品作品)が16年ぶりに公開されるとともに、1976年に菊池家への昭和天皇行幸用にオーダーしたディナーセット「幻の食器」も展示されている。

藤本能道(ふじもと・よしみち)は、1986年に人間国宝に認定された陶芸家で、過去に東近美工芸館と先月訪問した茨城県陶芸美術館常設展で作品を拝見したことがある程度。藤本能道のプロフィール詳細はこちら
故におよその作風は知っていたけれど、本展での展示は空間と展示方法全てが藤本作品のために設えてあり、作品そのものの素晴らしさが一層輝きを増していた。こんな支持者を得ることができた作家は本当に幸せだと思う。

まず、前半は生を謳歌している頃の作品。
前半部の作品で使用されている色絵の色彩は、緑や白、黄色、水色、茶といった自然を感じる爽やかな色彩が多く、モチーフもほとんどが鳥。鷺、鴨、翡翠、鶉、雀などが度々ポーズを変えて出てくる。作品は大筥がメインだが、六角筥、四角筥、八角筥や四隅をカットした四角隅切筥など、形の差異も楽しめる。

しかし、何より見どころはその色絵であろう。
制作過程は分からないが、色絵部分の下絵だけでも十分作品になるだろうという美しさ。ことに≪草白釉釉描色絵金彩蓮池白鷺図四角大筥≫1990年にはじまる草白釉シリーズはストーリー性さえ感じた。この美しさを醸し出しているのは色絵のみならず下地になっている草白釉や雪白釉などの釉肌であることも重要だろう。

後半は命の残照の中で力の限りを尽くした作品。
前半の爽やかで生命の息吹や命の動きを感じた鳥たちの作品が、燃え尽きる前の炎のように、炎の赤を主体とした作品群に変貌する。モチーフも、鳥から蝶や蛾へと変わる。

会場最奥中心にある≪雪白釉釉描色絵金彩陶火窯焔に舞ふ陶額≫1991年は、誰もが速水御舟の≪炎舞≫を思い出さずには
いられないだろう。
天才は常に炎に舞う蝶や蛾にわが身を映しこむのだろうか。
後半部の作品制作年代は1990年、1991年。この炎のような赤のシリーズを制作し、最期まで制作への情熱を捨てることの
なかった藤本も1992年5月16日に病で亡くなる。

そして、次のコーナーへ移ると川上から川下へ水が流れるようなしつらえが施され、そこに「幻の食器群」がずらりと展示されている。この展示方法はあまりに斬新で驚いた。
鑑賞者の立ち位置からは他とは違い、作品から距離があるので色絵の細かい部分を肉眼視するのは難しいが、そこは横にある解説パネルが補ってくれる。
このテーブルウェア制作を契機に、色絵技法が完成したという。

これだけ素晴らしい藤本作品を見せられるとどうしたって、初期の作品から晩年の作品までの制作変遷や過程を知りたくなる。
この続きを東京近代美術館、茨城県陶芸美術館、学長を勤めていた東京芸術大学美術館あたりで大回顧展を開催いただけないものだろうか。

智美術館までの凝った展示方法は取り得ないだろうが、作品をもっと拝見したい。

*4月18日(日)まで開催中。おすすめします。

「東北画は可能か? 其の一」 アートスペース羅針盤

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アートスペース羅針盤で本日(4/10)まで開催していた「東北画は可能か? 其の一」とトークイベント「東北画とは何か?/rootsとは何か?」に参加して来ました。
展覧会HP ⇒ http://www.tuad.ac.jp/newsevents/headline/newpage_20100324_181742/

雑駁にトークや作品などの感想を以下の通り残しておきます。本展は終了していますが、第二弾も必ずや開催されるはず。ご関心おありの方はぜひ次回開催までお待ちいただければと思います。

「東北画は可能か? 其の一」は、山形県にある東北芸術工科大学美術科准教授の三瀬夏之介氏と同大専任講師の鴻崎正武氏お二人によって本展の構想が実現した。

三瀬氏「去年の夏に思いつき、半年ちょっとで開催を迎えたので準備不足だったことは否めない。卒業制作と重なって作品制作ができなかった学生もいる。これは「プロジェクト」ではなく「旅」のイメージ。東京をスタート地点として日本いや地続きであれば荷車押して大陸にまで、作品と共に旅に出てみたい。「展示」(展示という言葉自体が自分の考えからすると適切ではないが)、基地作り、巣作りのようでビバークするイメージ。」

確かに、「基地作り」という表現がぴたりと合う状況だった。
後から分かったのだが、入口手前のコーナーにある作品は「roots」展の作品で、屏風?間じきりで仕切られた奥のスペースが「東北画は可能か?」展の作品。二つのテーマで作品が並んでいるとは一見して分からないカオス的な空間であった。何しろ、東北工科大学卒業修了制作展では、きちんと折り畳まれていた柴野緑の作品は、床にこぼれ落ちていた(飾られていた?)し、ありとあらゆる空間に作品がある。作品の裏側を除けば、作品の裏に作品があるという、どっちが裏か表か、もはやそんなことは問題ではないのだろう、あらゆるところに作品があった。
気になったのは、作品と作品の間隙を埋めるかのように置かれていた黒い鳥の木彫。あれはどなたの作品なのだろう?
あの黒い鳥たちが、土井沙織さんの絵画から抜け出て来たように見えた。

「roots」展の方は、学生さんからの企画提案だったそうだが、個人的にはテーマはひとつに絞った方が良かったように思う。「roots」展の作品であったとしても「東北画は可能か?」という投げかけに沿わないものではなく、これもまたひとつの東北画の形ではないのだろうか。

再び、三瀬氏のトークに戻る。

「東北画は可能か?」にあたり、学生さんに与えられたテーマは「東北に寄り添え。そこで見えて来たもの、描いてみたいものを12号サイズの作品にしてみる」ことだった。東北出身の学生さんもいれば、逆に初めて東北に居を移すことになった学生さんもいる。元々東北に住んでいる人にとってみれば「今更、東北って?」とあまりにも卑近な存在故、逆に難題だったかもしれないし、素直に見つめられた学生もいる。

三瀬氏「バイアスをかけられることで、自分はこれだ!という主張を見出して欲しかった。自分自身も京都での画学生時代はそうだった。放置されることほど怖いことはない。」
鴻崎氏「んんん???と思うような分からないモノの方が、自分にとってはぐ~っと来るのではないか。」
三瀬氏「東北画というテーマ性が浮かび上がってくる場合と自然に東北画浮かんでいる場合がある。作品に東北があるかないかの判断をするなら、鑑賞者にも東北というイメージがあるはず。」


ここで、会場にいらしていた東北芸術工科大学東北文化研究センター所長 赤坂憲雄(民俗学研究者)氏の発言があった。(メモに誤りがあるかもしれないので、記載内容とご発言が相違していたら遠慮なくご指摘ください。)

「18年前に芸工大に赴任した時東北学は可能かということを呟いたり、書いたりしていた。その当時東北の綴られ方は2つあった。ひとつは、東北が辺境ゆえにあるロマンティックな目線で眺める~辺境ロマン主義。もうひとつは、負のイメージの堆積~辺境からのルサンチマン。両者は東北の表と裏であったが、第3の切り口がある筈だと思っていた。気が付けば時代から遅れていて、みちのくという言葉を拒絶した。差別の感覚もみちのくの意識もない。東北から「みちのく」を解放した方が良い。「みちのく」は東北に限らず、奈良や京都、沖縄にもあるのではないか。」

三瀬氏「フォーマットを人に与えるとノイズが出る。モチベーションをどこから引き出すか。制作を続けて行くのは夢でなく現実である。制作、発表、批評、生活ができる、この流れができると人(作家)はそこに住むことができる。マーケットもにらんでいく必要がある。工科大の学生は純粋過ぎる。プロデュースする人間がいないと危険。」

赤坂氏「社会の中で自身のプロデュースができず挫折していく学生がこれまで大勢いたが、ミヤモトさんという学芸員氏が登場してから変わって来た。」


かなり端折ってしまったけれど、私が注目した発言は上記の通り。
ではトーク、そして基地とした展示や作品を見て何を考えたかであるが、三瀬氏、鴻崎氏による活動(旅)は始まったばかり。それでも大いなる一歩だと思う。「東北画」なるものの実態や定義より、東北から発信される絵画の新たな潮流を日本各地に流し込んで欲しいと心から思っている。芸術の中心は東京や京都などだけではないのだ。
そして、制作を続けて行くためのモティベーション、生活できるためには作品を売るマーケットが必要、そのためにはプロデュースが不可欠。三瀬氏と鴻崎氏はプロデューサーであり、ディレクターとしての一歩を踏み出したのではないか。これが、新たなマーケット開拓につながるかどうかは未知数だけれど、形を変えて準備期間を整えていけば必ず面白い旅ができるのではないかと思っている。

芸工大の卒業修了制作展で見た一連の作品群を私は来年も再来年も、そして卒展という形式でなく見たいと思ったからこそ、今回の企画にも参加した。東北画の可能性を一人でも多くの人に感じて欲しいと願っている。

展示作品について、もっとも印象に残っているのは金子拓氏の3点。「Roots」サイドにあった「明るい夜」、「東北画」サイドにあった屏風風になっていた緑色ベースの力強い画風は忘れられない。そう、村山槐多の作品にある強さに似ていた。
origumiという5人の女子学生のユニットでワークショップで制作された「山形肘折道中屏風」は師である三瀬氏ゆずりの水墨画。山形の温泉宿にあったボロボロの屏風を再生した作品。
他に、津田文香「atmos」、有田真季「山の色」、古田和子「黄昏に風」、特に津田さんの作品は余白が大きく取られ銀地が素敵だった。
どんどんと市場を求めて旅して欲しいし、制作を続けていただくことを願ってやまない。

なお、三瀬氏、鴻崎氏による作品が会場をしっかり引きしめていたことは申し上げるまでもないだろう。

それにしても、三瀬夏之介氏のパワーと奈良ご出身ならではの笑いを取れるトークには卒展時同様に関心した。

長くなりました。まとまらぬまま、最後までお付き合い下さった皆様に感謝いたします。
(参考)過去ログ:東北芸術工科大学卒業・修了展 http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-1022.html

*展覧会は終了しています。

「なにものかへのレクイエム」 東京都写真美術館

rekuiemu

東京都写真美術館で開催中の「なにものかへのレクイエム」に行って来ました。

現代美術に関心がある方で、森村泰昌の名前、作品を知らない人はいないだろう。
ご多分にもれず、私と森村作品の最初の出会いを思い出せない程、様々な所で作品に接して来た。
最初の頃は、そんなに好きな作家さんではなかった。

その印象が変わって来たのは、レーニンに扮した映像作品≪なにものかへのレクイエム≫(夜のウラジミール)を見てからだ。
多分、先に見たのはレーニンの方。
群衆の使い方、演説、小道具の数々、なりきりぶりもここまで来ると本物以上の本物である。エンディングは哀愁すら感じてしまった。

そんな森村氏の「20世紀の男たち」をテーマとする新作シリーズ<なにものかへのレクイエム>完全版を今回写真美術館の2フロアで約40点の写真作品・映像作品で展示している。

展覧会構成は
第一章 「烈火の季節」
第二章 「荒ぶる神々の黄昏」
この2つの章では、既に発表された前述のレーニン、毛沢東、チェ・ゲバラといった歴史上の偉人・英雄に扮した作品を展示。会場外の吹き抜け部分の壁面で三島由紀夫に扮した≪なにものかへのレクイエム≫(MISHIMA 1970.11.25-2006.4.6)2006年の映像作品が流れている。
森美術館の「六本木クロッシング」展にも出品されている映像作品もあったが、こちらは森美術館でしっかり見たので今回は軽く流した。

本展の関連イベントで、芥川賞作家の「平野啓一郎×森村泰昌対談」に参加したが、対談のほぼ全てが三島由紀夫論だった。森村氏の三島に関する研究はそれは深く、外見だけでなく思想、人となりにまでの綿密なリサーチと理解がなければ作品は生れっこないのだ。
そして、森村によるセルフポートレートは、外見上の再現ではなく精神においても再現されているからこそ、魅力的であり面白い。

平野氏も三島研究者として、作家業とは別に著名なようで、双方の三島についての解釈は興味深かった。特に、「金閣」へのこだわり、割腹自殺に至ったかについての両名の考察は、これまで三島について深く考えたことのない人間-私-であっても関心がそそられるお話だった。

第三章「創造の劇場」&第四章「1945・線上の頂上の旗」は最新作が初公開。

第三章、第四章はここ数年私が良いと思っている傾向が増幅され、作品化されていると感じた。
第三章では、男性芸術家、例えばピカソ・デュシャン・ダリ、ウォーホル・・・などの作品や簡易な映像作品があった。
今回の展覧会開催に合わせて、清澄白川にあるギャラリー・シュウゴアーツで「なにものかへのレクイエム外伝」が
開催されていて、私は先にこちらのギャラリー展示を拝見した。
「なにものかへのレクイエム外伝」詳細はこちら
大きな特色は、小型の立体作品。。。
撮影モチーフはいずれも20世紀の著名な男性アーティストの肖像画。
ギャッラリーでは4×5のポラロイドカメラで撮影した小さな画面のもの(約20点)が横一列に。小画面のレクイエムシリーズも、敢えて作り込んでいない感じ、さりげなく撮ったポートレートのようで、大画面のものより人物達に親しみがわいた。

第四章では、20世紀の中でもことに1945年にのみ焦点を絞る。その着想は報道写真。
インドのガンジーに扮した作品にはギョッとした。肉体まで改造しある人物になりきる執念とエネルギーはどこから来るのだろう。

そして、本展の最大の見どころは、新作映像≪海の幸・線上の頂上≫ではないか。
硫黄島をテーマとしたこの映像作品、最初に書いたヒトラー・レーニンの映像作品から更に一歩進んだ映像美がある。歴史を現代に森村の眼、身体を通じて甦らせ、観賞者提示する手法は、ここにきて見事な完成度を見せている。
導入での「ここはどこ?」的な疑問投げかけから海辺、旗、よく分からなかったのはマリリン・モンローと思われる女性の役割。このいかようにも解釈できる映像作品が、最後の最後まで余韻を残して忘れられない。この映像作品はもう1度見たい。

各種雑誌、図録等で森村作品への解説などじっくり読んでみたい。

*5月9日まで開催中。

宮永亮 「地の灯について」  児玉画廊 東京

miyanaga

白金アートコンプレックス最終回。
児玉画廊・東京で開催中の宮永亮「地の灯について」に行って来ました。
プレスリリース ⇒ http://www.kodamagallery.com/miyanaga201004/index.html

昨年TWS本郷で開催された「NEW DIRECTION展 ♯1「exp.」で彼の「wondjina」2009年 映像 7分に感動した。映像の美しさ、展開(これは重要!)、そして宮永自身が作った音楽が融和し、巨大画面に見事な風景を映し出していた。
<参考>過去ログ:「NEW DIRECTION展 ♯1「exp.」

今回の個展でも「wondjina」は出展されているが、TWSのような大スクリーンではなく液晶TVなので、前回のような迫力はないが、そこは致し方ないところ。
旧作を見るのが目的ではなく、あくまで新作映像を拝見したくて初日に行ったのだ。
ギャラリー入って真っ直ぐに進み暗幕をくぐると、壁の全てにどこかの街(多分京都)の道路沿いの風景が写し出されていた。そして、同時にというか外にいても聞こえてくるのだが、車が行きかう街の音も流れている。
疑似的にギャラリー内で街の一風景を見ている、いやその街を車に乗って見ているような感覚がある。

一体、プロジェクターは何台あったのだろう。数えるのを失念したけれど、恐らく4つ以上あった筈。
どこを定位置にして映像を見れば良いのか、しばし迷ってしまった。とにかく、右も左も正面も全て映像なので、少しでも動くと画面を遮ってしまうので、入ってすぐの場所から動けなくなっていた。

目が慣れてくると、左中央当たりに椅子を見つけたので、そこに陣取ってじっくり映像を鑑賞することに決めた。
中央の一番大きなスクリーンが作品の中心部。
わずか5分のループ作品「地の灯について」は車にカメラを載せて、車から見える沿道の風景を重ねて映像作品にしたもの。中央の作品は、その両脇にある映像作品をやや早回しして、画像を重ねていくという処理がされている。
両側の映像は、中央の映像の元になっている基礎部分とでも言ったらよいのか。
簡単に言うと、最初に撮影したそのままのスピードの映像を両側に配して、それらを再構成し重ねて見せたのが中央に映し出される一番大きな映像。
しばらく、じっと中央の映像に焦点を定めて眺めてみる。

やはり、ここでも「wondina」と同じく映像の起承転結が上手い。
一見何でもない工事現場やガラス張りの店内の様子など、日常にありふれた生活の一部で最初は暗く黒い導入部。最初はまだ静かな雰囲気。
音声は街の音をそのまま録音して流しているので、臨場感が強い。

新作は黒から始まり黒で終わるのだが、黒から徐々に明るい風景に移って行き、残り1分程度で小さかった光の粒が、大きな粒に変わり、更に映像のスピード感は更に増し、最後には白い光の洪水のようにだった。疾走感あるスピードと光の洪水、このラスト近くの見せ場を見るために、2回以上いやもっと新作を見つめていた。


「wondina」と比較するとあまりにも展開の違う映像インスタレーション映像で驚いた。
「wondina」が想像の世界とすれば、「地の灯について」は日常と現実そのものだ。

また、見逃してはいけないのが、プロジェクターの機械や後ろの壁に映り込んだ影の映像である。機械、装置自体の美しさにも目を向けて欲しい(by 宮永氏)。
装置への映り込みも計算ずくなのだとすれば凄い。

今回の新作「地の灯について」は、京都市立芸術大学が開設したギャラリー「きょう・せい」展にて別ヴァージョンの見せ方で同じ作品を出品されているとのこと。
見せ方というのは、本作の場合非常に重要なキーポイントになる。
「きょう・せい」展第1期で宮永さんの作品は展示されている。第1期は4月25日(日)まで。行かなければ!
詳細はこちら。イベントもあります。

*児玉画廊・東京
会期: 4月3日(土)より5月8日(土)まで
営業時間: 11時‐19時 日・月・祝休廊

「和ガラス 粋なうつわ、遊びのかたち」 サントリー美術館

wagarasu

サントリー美術館で開催中の「和ガラス 粋なうつわ、遊びのかたち」展に行って来ました。
展覧会HP ⇒ http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/10vol01/index.html

ガラスの展覧会はサントリー美術館の得意中の得意。
今回は、ガラスの中でも「和ガラス」に的を絞った展覧会となっています。記事を書くにあたり「サントリー美術館ニュース」vol228を読んでいたら、同館には現在約1000件を超えるガラスコレクションを有し、世界有数の規模なのだそう。ただし、本展ではサントリー美術館所蔵作品だけでなく、びいどろ史料庫はじめ、江戸ガラス館、神戸市立博物館など、様々な所蔵先から作品を借りて展示されていました。
コレクション展で終わらない所が、展覧会の内容をより一層充実させてくれます。

そのうち約300件は彫刻家・朝倉文夫氏のガラスコレクションが寄贈されたもので、朝倉コレクションは清朝・乾隆ガラス中心で、朝倉文夫と乾隆ガラスコレクションの取り合わせがすぐに頭に結びつきませんでした。
そう言えば、朝倉文夫のアトリエ(谷中、現在休館中)でガラス製品を見たような記憶も・・・。

話を元に戻しましょう。本展のテーマは和ガラス。それは、日本人の日本人による日本人のためのガラス。
江戸期から明治にかけて制作された美しく繊細なガラス製品が次々に観賞者を魅了します。
以下、お気に入りのガラス製品たち(所蔵先の記載がない作品はサントリー美術館)。

プロローグ 「写す」-憧れが生んだ和ガラス

・乳白色ツイスト脚付杯 18世紀 
色も良しだが、ねじれた脚のデザインがかっこいい。

・グラヴュール花卉文ガラス絵遠眼鏡 江戸後期 個人蔵
・遠眼鏡入り根付 江戸ガラス館
貴重なガラス絵付の遠眼鏡とそれにちなんだ小さな根付の遠眼鏡。いわゆるミニチュア嗜好というのだろうか。
根付の小さなガラス絵付遠眼鏡は、とてもかわいい。

第1章 「食べる・飲む」-宴の和ガラス

この章では、飲食用の器に使用されたガラス器が登場する。
お馴染の「藍色ちろり」はじめ「緑色葡萄唐草文鉢」「藍色徳利」「水色徳利」、更に衝撃的なのは「ギヤマン彫り」シリーズの6点。マーブル文様が、今で言うところのレトロモダン。

まずは、透明感ある藍色、緑色、紫色など色の美しさにとにかく惹かれる。今ってこんなに美しい色のガラスってあったかしらと思ってしまった。
よく考えると、古九谷に使用される黄色、紫、緑などの色合が似ている。ガラスでなく磁器なので、透明感は出せないが、使用色は共通する所が大きい。

そして、「ビーズ飾り四段重」「ビーズ飾徳利」など、ビーズ製品は江戸後期には既に制作されていた。古くは正倉院にまでさかのぼるのだろう。ビーズは縮小されたガラス界の結晶だと思う。

第2章 「装う」-身だしなみの和ガラス

ここでは「装う」をテーマに簪、櫛、笄や根付、印籠などが登場する。
「ビーズ飾り梅に尾長鳥文印籠、瓢形根付」は(美光びいどろ史料庫)などは、ビーズで尾長鳥を描いためでたい吉祥の印籠。「ビーズ飾り手拭い掛」(美光びいどろ庫)江戸後期などは欲しい。江戸時代の美、色の美学は生きていた。

第3章 「たしなむ」-教養と嗜好の和ガラス

教養と言えば、文房具。蓋付茶壺や煙管などガラス工芸品の数々。「薩摩切子ガラス」。以前も別の展示で見たような記憶はあるが、ガラスカットが全てというような透明クリアガラス。ガラスカットのデザインはヨーロッパにも引けを取らないと思う。「ビーズ飾り硯箱」(瓶泥舎びいどろ・ぎやまん美術館準備室)は、ここまでビーズ飾も極めたかという細かさ。こういう手仕事は日本人の得意中の得意。更にガラスの色は江戸時代から今もまるで褪せていない所が素晴らしい。

第4章 「愛でる」-遊びの和ガラス

これを遊びというのかは疑問だけれど、風鈴や灯篭、果ては鳥かご、虫かご、提重、酒杯セット、玉すだれといろんなものが出てくる。
「ビーズ飾り蝙蝠文吊灯篭」(神戸市立博物館蔵)。吊灯篭の原点は、昨年「妙心寺展」で拝見した「瑠璃天蓋」などガラス製の仏具が元祖なのではないだろうか。仏具がやがて灯篭として日常の生活用品として普及した・・・勝手な憶測が生まれてくる。

最後にあった何とも涼しげな「富士に燕文玉簾」(個人蔵)は、日本の季節を楽しむのに欠かせないアイテム。すべてガラスの丸玉を連ねて作られている玉簾。生活を彩る、楽しむという点において江戸時代の人々は、現代人以上に色彩感覚デザイン感覚いずれも優れていたのかもしれない。

上階から下の階へ降りる階段から見えるコーナーに要注目。「風鈴の森2010」と題して篠原まるよし風鈴、その数500個がが棚から吊るされている景色はお見事。空間インスタレーションとして和ガラスを飾るにこれ以上相応しいものはないように思います。
昼でも夜でも時間帯、天気によって江戸風鈴のガラスが反射する光の加減は異なることでしょう。

なお、江戸時代の人々の生活にガラス製品が日常的に使われていた様子を美しい浮世絵が説明してくれます。

展示風景、作品画像は「弐代目・青い日記帳」様のブログにアップされていますので、ご紹介させていただきます。

*4/26を前期、4/28~5/23までを後期として何点かの作品展示替えがあります。詳細は美術館HP掲載の作品リストに手ご確認ください。

松井えり菜 「ワンタッチ・タイムマシ-ーン!」 山本現代

白金アートギャラリーコンプレックスの続き。
erina

山本現代で日本では2年半ぶりとなる松井えり菜さんの個展「ワンタッチ・タイムマシ-ーン!」を見て来ました。
ギャラリーHP http://www.yamamotogendai.org/japanese/exhibition/index.html

オープニングパーティの時間に重なっていたのですが、大変なお客様で、黄色のお姫様楓ワンピを着用した松井えり菜さんは、あちこちから記念撮影のお声がかかって大忙し。

まず、入口すぐにあるのはインスタレーション&立体作品。
キノコ型のオルゴール(最初はオルゴールと気付かなかったが、えり菜さんがキノコの頭をくるりと回したらメロディを奏で始めたのでそれと知った)や大きな立体作品。お花畑というか、キャラ物の集大成というか、会場全体が松井えり菜ワールド全開。一体あの会場には何点の作品があったのだろうか?

絵画も大きな画面のものが3点ほど、更に最奥には今春卒業された東京藝大の修了制作展で発表されていた襖絵「MEKARA UROKO de MEDETAI!」がど~んと中央に。記念撮影スポットと化していました。

この襖絵は修了制作展で拝見していましたが、裏まで拝見せず。今回は後ろに回ってしっかり襖の裏側にある絵も拝見しましたが、表面とはかなり異なる趣き。う~んあれは、松井さんの作品でよく見かけるキャラ。つるつる頭のピンクの生きもの。

そして背面の壁には、羽子板が2枚。この小世界にもえり菜さんの絵が。

この作品の渦の中、私が一番足を止めたのはドローイングでした。3点あって、他の作品のような派手さあくの強さがない分、落ち着いて鑑賞できたのかもしれません。
インスタレーションがある壁の反対側には、えり菜さんがパフォーマンスされている写真も数点展示されています。あれも作品なのでしょう。

松井えり菜さんの作品を初めて見たのは、MOTのカルティエコレクション展。たまたま、私が行った日にえり菜さんも会場にいらっしゃって、ご自身による作品解説を随時行っておられました。
あの親しみやすさも人気の理由なのかと思ってしまった程です。
彼女の絵画はほとんどが自画像で、しかも自虐行為と思えるような自身をパロディ化した姿でとことんまで描ききります。通常絵画鑑賞において感じられる「美しい」とは違う方向性にあります。逆にずっと直視していられないような私にとってはそんな作品でした。

松井は自己と他者、あるいは自己内での対話が生まれ育って行くことに魅力を感じており、作品に“おかしな表情”や“ポピュラーなキャラクター”を多用して鑑賞者を刺激することで、その場にコミュニケーションが生まれることを重要だと考えています。~山本現代HP~

確かに、彼女の絵に美しさを求めるのでなくコミュニケーションツールとしてとらえれば、今回の個展は大成功でしょう。

*5月1日(土)まで開催中です。

「中谷ミチコ そこにあるイメージ」展 森岡書店

森岡書店で開催中の「中谷ミチコ そこにあるイメージ」展に行って来ました。
詳細は森岡書店HP:http://moriokashoten.com/?pid=19457041

中谷ミチコさんはつい先日まで開催されていた「VOCA展2010」奨励賞を受賞された作家さんです。
今回の個展も大変好印象を抱きました。
(参考:過去ログ http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-1013.html

そんな中谷さんの個展が開催されるとあって、初日に向かったのですが、会場は茅場町にある森岡書店。
本屋さんで個展?ちょっと意外な感じです。
事前にHPをチェックしたら、書店とはいうもののギャラリースペースがあって貸ギャラリーになっている様子。

地下鉄茅場町駅3番出口から徒歩1分程度で、川沿いの古いビル(他にタグチファインアートなどが入居)の3階に森岡書店さんはありました。
このレトロなビルは第2井上ビルといって、昭和2年に建築された戦前の建物。昭和20~40年代はセーラー万年筆の本社として使用されていたとか。
今時珍しいガラスがはめ込まれた木製ドアを開けて階段を上がります。
森岡書店は3階に上がって右側にありました。

中に入ると、白熱灯の明かりの色が合う白いペンキの塗り壁と天井はやや高めの空間が広がっていました。
古本屋さんというより、お洒落な雑貨屋さんのような雰囲気。置かれている本も洋書のビジュアル系写真集など、かなり凝ったセレクションです。瀧口修造著書が似合うお店です。
右手奥がギャラリースペースになっており、VOCA展で拝見したのと同じ手法と大きさの作品が4点と彫刻1点が展示されていました。

一番惹かれたのは魚の皮をかぶった少女の作品。
nakatanimichiko

魚のうろこ状に彫られた部分が、この作品の特徴で、中谷さんは魚のうろこのような木彫表現がお好きなのかなと。
窓辺に一羽の黒い鳥(鴉)の彫刻がちょこんと乗っかっていました。
これから行かれる方はこの彫刻もお見逃しなきように。鴉の身体も上の作品同様に鱗状になっています。

ただし、4点ともちょっと怖い雰囲気を持っています。全て少女の人物像ですが、どの女の子も赤みがなく青白い。

今回は作品集があったので、中を拝見してびっくり。
樹脂を使った彫刻と絵画を融合したような今回の作品だけでなく、石膏に水彩で彩色した彫刻など愛らしい作品が沢山沢山ありました。石膏作品も素敵で、童話風というかメルヘンチックな雰囲気を出しています。
そして、忘れられないのはドローイング。
このドローイングもはかなく繊細な少女像が描かれているものあり、余白を大きくいかした単純な線だけで構成されているにも関わらず、妙に惹かれてしまう、とにかく不思議な気持ちにさせられるドローイング。これも、とっても魅力的でした。

今回、森岡書店さんで展示を行うことになった理由はまず第2井上ビルという建物と展示空間への作家のこだわり。
中谷さんは現在ドイツ在住で夏には帰国の予定ですが、この第2井上ビルはヨーロッパ的な雰囲気があります。
レトロな壁や天井、柱に中谷さんの白を土台にした作品がマッチしていました。
作家ご本人も、こんな感じの古い建物で展示をしたかったと作家本人の希望も満たしてくれるでしょう。

もうひとつの理由は、VOCA展で中谷さんを推薦した金沢21世紀美術館の 高嶋 雄一郎氏と森岡書店オーナーとがお知り合いだったこと。

今日は中谷さんご本人も在廊されていて、少しお話することができました。ご本人は小柄でとてもチャーミングな方。
作品集の中に出てくる少女は中谷さんご本人に似ています。
「これは自画像なんでしょうか?」とお尋ねしたら「よく似てるとは言われますが、自画像として制作していません。」とのことでした。

ドイツからの帰国後は、ドローイングや石膏彫刻も含め、個展を開催していただきたいです。

*:4月10日(土)まで。時 間:13時から20時  会期中無休
  会期が短いので、ご注意ください。

ロンドンギャラリー 「根来展示」

白金アートコンプレックス4階にあるロンドンギャラリーに行って来ました。
ロンドンギャラリーHPはこちら

ロンドンギャラリーについては、ogawamaさんのブログで拝見し、いつか行ってみたいと思っていました。

今回、同じビル内の児玉画廊:宮永亮個展や山本現代の松井えり菜個展のオープニングに合わせて、出掛けることにしました。ただし、行った時間が18時半を過ぎていたため、ロンドンギャラリーに入ることは考えていなかったのです。
ところが、19時を過ぎても4階に明かりが付いていることに気付いて、行ってみることに。

すると、中には既に先客がお二人いて、男性(ロンドンギャラリーオーナーのご子息)が展示作品について語っておられる所でした。
入口はオープンになっているので、至極入りやすい雰囲気。

そして、左側にはずらりとどこかで見たようなものが並んでいます。
そう、根来の器たちでした。
対面にはガンダーラ仏の立像が。
まさか、ここに来て根来の器に出会えるとは!
1点、1点丹念に眺めていきます。どうも、私の記憶に間違いがなければこれらは昨年大倉集古館で開催された「根来展」に展示されていたものではなかろうか・・・。
<参考過去ログ>大倉集古館「根来」展 http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-877.html

時代も室町時代のものがほとんど。素人目に見ても、美術館にあるような根来作品ばかりです。

すると、接客の終わったオーナーご子息が私のそばにやって来られて、奥の檜?の大きな1枚板に乗っている根来のお椀や杓子を触っても構いませんよと仰るではないですか。
「えっ、触ってもよろしいのでしょうか?」。
おずおずと私が最初に手に取ったのは「漆絵秀衡碗鶴文」室町時代(雑誌「目の眼」2009年11月号の38ページ上段掲載)でした。
漆の器は思った以上に軽かった。でも、形や大きさがしっくり手になじみます。漆絵の部分を間近で見ると、よく絵が残っていて、やはり美しいなぁと。こんなお椀でお料理をいただいていたのかと思いをはせる。

次に杓子(恐らく「目の眼」表紙掲載)を持ってみると、持ち手の部分の持ちやすさを実感。

根来の器は用の美。

奥の窓辺には長方形の硯箱(「目の眼」2009年11月号31ページに掲載)が。
梅原龍三郎旧蔵です。
中をあけてみると(中を開けて良いなど信じられない!)箱は入れ子式の二重になっていて黒で統一。もともと外観は黒がメインで蓋部分と底の部分だけが朱の漆で塗られているもの。
台についている4つ足がかわいい。

最奥には床の間があり、この床の間、左側の床柱も古材、下枠の床材も古材を上手く利用して、根来だけでなく古美術を飾るに相応しい雰囲気を出しています。
大倉では、床の間の材が真新しい木材だったのが気になったのですが、やはり古材を用いるとしっくりきます。
正面に飾られているのは平安時代の古写経。表具がまた素晴らしい。
ご子息によれば、平安時代以後、時代を下ると紙の質が悪くなってここまで状態が良くないものが多いそうです。平安時代の写経用の紙は幾手間もかけて作られている。とすれば更に時代をさかのぼる奈良時代のものなど、もっと素晴らしい、そう言えば「紺紙金字経」「紫紙金字経」と重要文化財、国宝級の経文は奈良時代、平安時代のものがほとんど。

向かって右にかけられた花入れは一見何の素材でできているのか分かりませんでしたが、これが古木でできているとか。う~ん、これは欲しい!いや、これも欲しい。

内装は杉本博司さんが手がけられたとのことで、「歴史の歴史」で見たような雰囲気ある展示空間が完成していました。

それにしても、ガラスケースなしで見られる根来の器はまた一段と美しく、デザインの斬新なものもあり、ぐぐっと惹かれたことは申し上げるまでもないでしょう。
帰り際に、出口右側に大倉集古館での展示作品図録が置かれ、販売されていました。
当然、図版は美しかったです。

根来作品の展示は3週間ほど続くとのことです(私が訪問したのは4月3日)。

お好きな方はぜひ、白金まで足を運ばれてはいかがでしょう。

「歌川国芳-奇と笑いの木版画」 府中市美術館

kuniyoshi

府中市美術館で開催中の「歌川国芳-奇と笑いの木版画」展に行って来ました。
企画展HP(画像掲載あり) ⇒ http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/kuniyoshi/index.html

朝一番で府中に向かったのですが、府中駅からの「ちゅうバス」で府中市美術館長の井出氏が同乗されて、なぜか嬉しくなりました。それにしても「ちゅうバス」30分に1本をせめて20分に1本へ増便していただけると嬉しいのですが。

さて、府中市美術館での国芳展、本展では前期後期とほぼ総入れ替えで約230点が展示されます。
ちょうど、ロンドンのロイヤルアカデミーで国芳展の次回開催案内(昨年春にKUNIYOSHI展が開催された)を横目で見つつ、ロンドンでも国芳は人気なのか!と思った記憶が蘇ります。このロイヤル・アカデミ-での「KUNIYOSHI」展は、3月12日~6月13日までJAPAN SOCiETYで開催中です。詳細はこちら

府中市美術館ニュースによれば、欧米開催の「KUNIYOSHI」展は武者絵が中心らしいのですが、府中市美での国芳展は、武者絵に限らず、国芳の魅力を余すところなく漏れなく全て教えてくれました。

私が感じた府中市美の「歌川国芳」展の魅力をいくつかあげてみます。

1.冒頭の展示方法が絵草紙屋風。疑似江戸体験できる。
展覧会に入って最初のコーナーは、とても重要です。ここで、一気に気持ちが鷲掴みされると、次への期待が高まるのは言うまでもありません。そして、この点を府中市美は見事な展示方法で誰もを魅了してくれました。具体的には黒い台に5点程の浮世絵がまるで売り物のように置かれているのです。江戸時代にもこのような平台を使い、絵草紙屋は浮世絵を並べていたに違いありません。
お気に入りの役者のものを買おうか、ちょっと季節を感じる、今なら桜の風景画を買おうか、やっぱり色っぽい美人画だよ~などと江戸っ子たちの会話まで浮かんできます。

2.出展作品の摺、発色ともに非常に状態が良い。
浮世絵で発色や摺の良さは大変重要です。今回展示されていた作品はほぼ全て、非常に状態が良かった。特に≪魚の心≫、≪本朝武者鏡 がま仙人 天竺徳兵衛≫の雲母は良く残って、画面がキラキラしていました。

3.普段みかけない珍品も多数。
世界に数枚という作品があったかまでは確認していませんが、国芳の作品はあちこちで何度も何度も観ていますが、それでも観たことがないという作品が沢山あります。浮世絵というのは、どの作家もですが、無尽蔵のようで観ても観ても知らない作品が出てきて奥深い。本展出展作は全て、1人の個人コレクター所蔵品二千数百点から選びぬいた作品。前記の状態の良さは個人コレクター愛蔵品だったことも大きな理由だろう。

展示構成は、図録によれば大きく以下の3つ
1.国芳画業の変遷
2.国芳の筆を楽しむ
3.もうひとつの真骨頂
となっているが、実際はもう少し細かく分けられ、最後に戯画で終わっています。

中盤の大きな見どころは、何といっても国芳の肉筆画です。
前期は6点の肉筆画が出展されていましたが、≪太夫道中之図≫、≪立美人図≫、≪静御前図≫など美人画はともかくとして、≪水を呑む大蛇図≫には度肝をぬかれました。紙本墨画淡彩、基本は水墨作品で、国芳はこんな墨画も描いていたのかという驚きがひとつ、もうひとつは画面中央に最初は亀かと見まごうような恐ろしい生きものがぬらりと布を咥えているとしか思えませんでした。
しかし、タイトルを見れば、布ではなく水を飲む大蛇だったということで、上手いのか下手なのかよく分かりませんが、驚くような描写だったことは間違いありません。

3枚続きの武者絵も大きな国芳の魅力ですが、個人的には、最後の「奇と笑いと猫の画家」での作品が一番国芳らしいと思います。
国芳ほど、ユーモア溢れる作品と奇抜な発想を浮世絵に取り入れた画家はいないでしょう。
何しろ、私の浮世絵事始めは国芳の≪人かたまって人になる≫≪みかけハコハゐがとんだいい人だ≫≪猫の当字 たこ≫これが見たくて浮世絵展があれば行っていた程。

はじめて国芳の人間パズル絵を見た時の驚きと言ったら・・・。江戸時代にこんなことを考える人がいた!
その後、NHK番組「歌川国芳」で、実際にこの人で人の顔を作ることができるのかを再現していましたが、無理をすれば何とか人の顔に見えなくもない。
もしや弟子達にやらせていたのでしょうか?それとも、国芳先生の頭の中で創り上げられた?

そして、猫好きな国芳は猫を描いた作品が沢山あります。本展覧会のチケットにも登場するにゃんこは何とも愛らしい。猫や動物を擬人化するのも得意技です。

もうひとつ忘れてならないのが国芳の幕府への反骨精神。
天保の改革による締め付けに抵抗するかのように、役人や将軍を皮肉る風刺画を描くあたりが、やはり江戸っ子気質なのでしょう。

前後期を通じて展示される「むだ書」を3種類一度に見られる機会もなかなかありません。
比較するとどれも、それぞれ個性的で楽しいですが、タイポグラフィーの走りのような文字ロゴの面白さは特筆ものです。
タイポグラフィーの日本の元祖は国芳ではないのかと思ってしまいました。

お楽しみは展覧会を出た後にも続きます。

会場を出ると、私も苦手な浮世絵の旧かなづかい、江戸時代の文字の読み方を大きくパネルで解説してあり、これがとても分かりやすかった。クイズ形式になっていて、誰もが思わず考えてしまうはず。
これだけ丁寧に解説パネルを用意してくれた展覧会は過去に一度も経験したことがありません。
また、図録やポストカードを売っているコーナーも絵草紙屋風になっていて、徹頭徹尾江戸時代を感じさせる工夫で一杯でした。

この内容で入館料600円は本当にお値打ちです。
展覧会パンフレットは3つ折りの豪華版。このパンフレットも永久保存決定でしょう。
図録(2300円)は、図版は小さいですが、作品解説はぎっしり。文字と図版の量が1対2くらいで、読み物として内容が充実しています。

*前期展示は4月18日まで。後期展示は4月20日~5月9日まで。お見逃しなく!
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