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森村泰昌 アーティスト・トーク 豊田市美術館

requiem

豊田市美術館で開催中の「森村泰昌ーなにものかへのレクイエム」展関連イベント、森村泰昌アーティスト・トークに行って来ました。

豊田市美術館での同展は、東京都写真美術館で既に終了した展覧会の巡回ですが、写真美術館での展示をよりパワーアップした内容になっています。
第一部:戦場の頂上の芸術(オトコ達へ)
第二部:全女優(おんな達へ)
の二部構成で、特に第二部展示作品は東京展では出展されていなかった女優シリーズが未公開作品含め多数展示されています。

東京展でも関連イベントで森村氏と作家の平野啓一郎氏との対談が行われ、こちらも参加しましたが、平野氏が三島由紀夫の研究家でもあることが幸い(災い?)して、終始濃厚な三島論が展開され、三島由紀夫に思い入れのない当方としては呆然と聞き入るばかりとなりました。

今回は、森村氏の未公開作を含む映像作品を作家自身による解説付きで特別上映するという企画。
私は森村氏の映像に強い関心を持っているので、これは行かねばと豊田市美に向かったのでした。

午後12時より整理券配布。定員172名であったため、15分前に到着したが、既に長蛇の列。何とか134番目の整理券を入手してホッとする。
入場まで時間があったので、早速展覧会を観て回ったが、ここでも見どころは二階の高い天井を活かした巨大2面スクリーンで映し出される《なにものかへのレクイエム(独裁者を笑え/スキゾフレニック)》だろう。恐らく写真美術館で観たスクリーンの6倍程度のサイズではないだろうか?ド迫力で、臨場感抜群。演説に酔いしれた。これだけ大きいスクリーンだと二つのスクリーンの動と静がより明確に感じられる。

第二部では、往年の名女優たちを演じた写真がモノクロ、カラーとズラリと並ぶ。イヤが応でも「女」たりえること、「女」という性について考えさせられた。

前置きが長くなったが、本題のアーティスト・トークについて。
担当学芸員の都筑氏(ヤノベケンジ展の担当して記憶に残る)の進行、司会でトーク開始。開始前には森村氏の手だろうか?両手をバチンと鳴らす短い映像がリピートされていた。

以下の7作品が森村氏の解説と共に上映された。
(1)《炎のピアニスト》2002年 13分
森村氏自身によるピアノ演奏を映す。赤坂の草月会館内・草月ホールでロケ。草月ホールにはベーゼンドルファーの赤いピアノがあるが、草月会館はオノヨーコ、ベーゼンドルファーのピアノは、ヨーゼフ・ボイス来日の際、彼はピアノが堪能だったにも関わらず敢えて弾くことがなかったとして曰く付きのもの。戦後の美術を考える上で非常に重要な位置付けをされる場所でありピアノ。
ベーゼンドルファーのピアノは草月会館の他に、日本では川崎市民ミュージアムにあり、通常のピアノより更に低音を出す4つの黒鍵が特徴的。
森村氏は楽譜を読むことはできないが、1999年にピアノと出会い我流で弾き始める。2002年に自身の演奏に行き詰ったが、最新作の映像《海の幸・戦場の頂上の簱》で久しぶりにピアノを演奏した。

ピアノは叩けば音が出る。音の残響に浸り、音の生成の現場に出会うと、楽譜は後付け。音の美しさを残すために編み出された技法が楽譜であって、本来は音が先にあった。即興演奏⇒楽譜。

炎のピアニストでの演奏は、とても即興とは思えぬ適当に弾いていても立派なメロディーを奏でていた。

(2)《フリーダとの対話3》2001年 13分
この作品では「演技する」という要素について、森村氏が会得した頃に制作された。原美術館で展示された作品の抜粋。
森村氏は1999年シアターコクーンで野田秀樹作「パンドラの函」に出演。大竹しのぶ等名だたる名優たちとの共演により、演技の技術を学んだ。
本作品では、1人の人間の中にいくつもの個性があることを表現して見せる。

(3)《星男》1991年 ;13分
パフォーマンス現場をフィルムで撮影した作品。デュシャンとマン・レイへのオマージュに見えた。星型を自身の頭髪を剃り込んで何故か、京都見物に繰り出す。写真を撮影している現場自体がパフォーマンス的要素を含む。

(4)《銃をもつ私》1998年 3分
映画の絵画化を目指した作品。精神的な3Dを実現しようとした。
アニメーション的であり、実験的作品のように思えた。

(5)《夢の家》1995年
今回上映された作品の中で一番印象的だった作品である。8ミリビデオで長回しで撮影されている。
上野の池の端にかつてあったフブラー氏の個人宅をロケ場所として使用。登場人物は森村氏と成山画廊のオーナー、そしてフブラー氏の娘さんの3名。広大な屋敷を使って、あちこちに同じ人間が登場するという遊びをした。長回ししているので、カメラが向いているのと逆方向で、次の出没先目指して出演者は走る。
この作品の映像美が凄い。出演者3名の怪演ぶりも忘れ難い。都筑氏曰く「シュール」とのことだが、私は最新作の映像美をこの作品に観た。
フブラー邸は、女優シリーズのエリザベス・テーラーになった時の撮影に使われた。後で、同写真作品を見直してみたが、なるほどと納得。

(6)寺田園
最新作に登場するお茶屋さんの映像。実は森村氏のご実家。これは写真美術館のトークでも上映されていたので今回で2回目。
自然音だけのシンプルな作りだが、それゆえ余計に情緒的でしんみりとする。

(7)《京都での路上ライブ》
ミレニアムを迎えた京都での路上ライブを撮影した作品。過去の森村作品が次々と映し出され、最後を締め括るに相応しい内容だった。

以上の7作品により、本展覧会に観る映像作品のルーツをたどることができる。
それにしても、ひとつとして同じ傾向の作品が見られないことに関心した。常に実験的であり、新しい試みを行う姿勢に感服した。

*展覧会は9月5日まで開催中。
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富田 菜摘 「こんなアートもある。」  日本橋高島屋美術画廊X

tomita

日本橋高島屋美術画廊Xで8月2日(月)まで開催中の富田 菜摘 「こんなアートもある。」に行って来ました。

ここ最近、平日のギャラリー巡りは皆無になっていて、夜8時までやっている日本橋高島屋にさえ行っていない。
そう言えば、美術画廊Xは何の展示をやっているのだろうと思った矢先に、ブログ「子連れアート鑑賞日記」さんが紹介記事(以下)をアップされているではないか。
http://orinchan55.blog120.fc2.com/blog-entry-447.html#comment366
しかも、これが面白そう。
閉店間際の高島屋に駆け込み、早速展示を拝見。

まず目に入るのは、壁の至る所にしがみつくカラフルなヤモリたちであった。
ヤモリには、個人的に深い思い入れがある。
幼少の頃、遊んでいた街のある家にヤモリがごく稀に出没した。
じ~っと動かないのに、ここぞという時の動きの速さといったらもう。蝙蝠とヤモリは黒くて怖い。小さい時にすり込まれた記憶。
しかし、富田さんが作るヤモリ達は皆、ポップでカラフルで、黒くて怖いヤモリのイメージなど微塵も感じさせない。よく見ると、ヤモリたちは日用品、指先はマチ針で、胴体はプラスチックの食器や紙コップなどなどを実にうまく活用している。
しかも、1点1点表情や動きも微妙に異なる。

そのまま進んで行くと、角のコーナーにはブリキ(缶製品)の廃材を利用して作られた熱帯魚が宙にぶら下がり、巨大なカメが床にどしんと鎮座しているではないか。
そのままいると、自分が海の底にいるような気がして、束の間スキューバダイビング感覚を味わった。
作品も素敵だが、展示の仕方が上手い。

そして、亀や鳥など富田さんの作る動物や生きものの名前がまた面白い。
亀が「諭吉」、ワニは「龍治」?(漢字が違うかも)人名が付されている。
無論名前の付け方にも、ご本人の理由があるのだろうが、今回ご本人はいらっしゃらなかったので、詳細は伺えず。
今は動物たちがあちこちに並んでいるのだけれど、ストーリー性を持たせるような展示も、彼女ならお手のものだろう。絵本の中にいるような立体作品の世界が生まれたら是非とも体験してみたい。

廃材も使い方によってはこんなに立派な作品に生まれ変わるのだと、ほらごらん、と私に問いかけてくる。

お値段もお手頃(ヤモリは6千円前後)なせいか、私が行った時点でヤモリは残り1点、熱帯魚もほとんどが売約済。木材とのセットになった大きめの作品も売れていた。
相当な人気ぶりである。

富田さんは、1986年生まれで、2009年に多摩美術大学絵画学科油画専攻を卒業されたばかり。
1点だけ、立体作品に混じってペインティングがあったが、そちらも新聞紙を下地にコラージュしていて、やっぱり廃材が使用されているのだった。

会場の一角に週末開催された子供たちとのワークショップで制作された子供たちの力作も並んでいて、一生懸命作った様子がよく分かる。

なお、京橋のギャルリー東京ユマニテにて、画廊からの発言 新世代への視点2010・富田菜摘 「さんざん待たせてごめんなさい」が8/7(土)まで開催されている。
こちらは、日曜休廊で 10:30-19:00と平日行くのは厳しそうだが、新聞紙や雑誌を利用した人物作品が出展されているようなので拝見したいのだが。。。
詳細はこちら

*8月2日まで開催中。

TWS-Emerging 140 佐藤翠 「Blissful moments」 TWS本郷

7月25日で終了してしまったけれど、TWS本郷で開催されていたTWS-Emerging 140 佐藤翠 「Blissful moments」を最終日に行って来ました。

今年のART AWARD TOKYO(AAT)で、初めて作品(大学院修了制作作品のペインティング1点・下画像)を拝見し気になっていた作家さん。

satomidori

今回は、最奥の3階展示スペースを上手く使った、絵画やテキスタイル(カーテン)、鏡など小物を使用し、全体でインスタレーション空間として仕上げされていた。

この空間全体が、女の子の部屋になっていて女子ならば、思わず心惹かれてしまうに違いない。たまたま同じ時間に一緒に展示を見ていた女性が、感想ノートに「すごく素敵でした・・・」と書きこむのを見て思わず「良かったですよね~」と見知らぬ人なのに話かけてしまった程。誰かと気持ちを共有したかったのだ。

まず目に入るのは、横長の壁一面を覆う大作。
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クローゼットシリーズだが、ここではドローイングがクローゼットのあちこちに飾られ、絵画と現物がミックスされている。ドローイングは、マジックの一種で描かれ、ファッション雑誌から切り抜いたグラビアみたい。実際、ファッション雑誌から想像を膨らませて、作品化されるとのことなのだが、雑誌の写真以上におしゃれなドローイングに仕上がっていた。
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個人的には、クローゼット以外の小品で見せた、水分の多いさっと刷くような筆づかいのペインティングがお気に入り。アクリルがぼかされた状態を見ているとロウケツ染めみたいで、グラデーションが美しい。画面全部を塗りつぶさず、余白があるのも効果的であるように思った。

試験的な試みなのか、薄い白地のカーテンやキャンバスにスパンコールをあしらったり、手芸っぽい技も見せている。
最初のクローゼット作品の向かって右のやや下方に1カ所、絵画でないものが飾られている、実は写真立ての台紙をひっくり返したもの。台紙の黒が使いたかったとのこと。
こんな小技にも彼女のセンスを感じる。

ごちゃごちゃしているようで、実は色遣いも全体のバランスもよく計算されている。過剰の一歩手前で、作品に手を加えないことに成功していた。

鏡やトランク、立体も効果的に配置され空間を彩る。
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元々名古屋のご出身で、名古屋芸術大学卒業後東京造形大学大学院に入学し今春卒業された若手作家さん。
これからの活動も目が離せません。

他の2人、138大小島真木「オレンジ色の月とみずいろの太陽」 / 139中田有美「おばけもの」も、それぞれ個性的で楽しめた。特に大小島さんの一連の物語は緻密な描きこみによって空想世界が広がる。絵本を空間で観ているようん印象を受けた。映像の方は、美しいのだけれど、もうひとひねり欲しかったかな。

*7月25日で終了していますので、ご注意ください。
展示風景は、作家さんの許可を得て撮影しています。

「Domain of Art 5 - Antenna展 ウツ世ノ祝宴~Utsuyo no Shuen」 さいたま市プラザノース

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さいたま市プラザノースで8月15日まで開催中の「Domain of Art 5 - Antenna展 ウツ世ノ祝宴~Utsuyo no Shuen」(以後、ウツ世の祝宴)に行って来ました。
展覧会詳細はこちら

Antennaはアーティストグループの名前。プロフィールは以下。
京都を拠点に活動するアーティストグループ。メンバー各々が、映像、立体、ペインティング、建築、デザイン等ジャンルを越え横断的に関わり、その可能性によって生み出される新たな表現をめざす。メンバーは写真右から田中英行、市村恵介、古川きくみの3人。
詳細はAntennaのWebサイトをご覧ください。http://www.antennakyoto.com/japanese/japanese.html

彼らを知ってまだ日が浅い。今年の京都市立芸術大学ギャラリー@CUAのオープニング展「きょうせい」ではっきりと認識したが、それ以前に名前だけは知っていたように思う。続く「らくらくフェスティバル」京都造形芸術大学 ギャラリーRAKUで再度作品を発見。この時、メンバーの一人である田中英行さんのペインティングも拝見している。

私の中でAntennaの制作活動は断片的でまとまりなく、彼らが何をやろうとしているのか掴めないでいたが、本展は過去に開催されたAntennaの個展で最大規模となっており、一連の作品、インスタレーションを拝見し、やっと彼らの目指す所が分かったような気がする。

展覧会タイトルの「ウツ世の祝宴」のウツとは、『現』(うつつ)の意で、祝宴は終焉の意味もひっかけている。現世とあの世を行ったり来たり。
本展会場に設置された「ウツ世の門」をくぐれば、まずは現世に束の間の別れを告げることになる。
その前に、忘れてならないのは黒漆パネルの≪ウツ世の祝宴≫2010年と対峙する必要がある。黒漆に映った自身の姿と背景に蜃気楼のように浮かぶあちら側の世界を見つつ何を感じるだろうか。

木製のがっしりした門をくぐれば、Antennaが2003年から展開している「YAMATOPIA PROJECT」マスコットキャラクター・ジャッピー(JAPPY)が待っている。JAPPYはJAPAN+HAPPYの造語で、アタマは太陽!ハナは梅干!オナカは富士山!というゆるキャラ。日本をHAPPYに日夜活動を続けており、その一貫としてtwiiterにアカウント
@Jappy_も持っている。

展示されているのは≪マツリヤタイ≫2006年、≪現代御札都市巡幸≫2010年、≪蓮華苑≫2007年、≪日出ズル天ノ蓋≫2009年、≪連面立札≫2010年、≪祠テレビ≫2006年(映像)、≪ジャッピー神輿≫2007年などなど。

最奥の正面にある墨絵≪日出ズル富士ノ神極楽涅槃祭絵図≫2010年(2000×1036cm)が凄かった。
仏画-涅槃図や地獄絵を全部ごっちゃにした阿鼻叫喚の様を呈している。しかし、線描は美しい。聞けば、コンセプトは全員で話し合って決めたが、実際に描いているのは絵師:コテツ(漢字不明のためカタカナ表記)さん。Antennaの活動をサポートし、保存修復の勉強を京芸在学中からされていた方だとか。本作は、墨絵だが本展終了後んは、彩色されやまと絵になる予定。
≪現代御札都市巡幸≫に使用されている御札をよく見ると、極楽遊戯の村「ヤマトビア遊戯券」、日本歴史文化保存造園発行となっている。中央にはもちろんジャッピーが、そして裏にはなぜか歌麿の浮世絵図柄があったり。細かい所も欠かさずチェックすると、遊び心満載なのが分かる。

一連の作品を観て、私たちが忘れかけている日本の風俗行事や伝統文化を現代美術に置き換えた表現をしていることに気付く。お祭りの日の高揚感、神仏の前での敬虔な気持ち、それらの記憶が少しずつ手繰り寄せられてくる。

同じく最奥の左壁には木枠の額だけの作品≪トコ世の絵画≫2010年がある。「黒漆」対「白のクロス」両者の対比で何を浮かべるのかは鑑賞者次第だろう。

彼らは今回、人の「しあわせ」とは何かを問いかける。ジャッピーしあわせぷろじぇくと「みんなのしあわせ展覧会」をプラザノース1階・ユーモアスクエア他で展開中。「しあわせひとこと」を来場者に記入してもらい、壁に展示されているが、それらを観て行くと実に様々な「しあわせ」があることに気付く。臆面もなく「しあわせ」を真っ向正面から問いかける姿勢に、ひねた大人は感心してしまう。

各人、各様のしあわせのひとこと。
中に1点ぐっと来たものがある。『好きなひとと同じ出席番号になる』。幼い子供の手によるものだ。
遠い記憶と体験が私自身の中に蘇ると同時に、そのイメージが幸せな気持ちを呼び起こしてくれた。

子供も大人もみんなで楽しめる展覧会。普通でない何か、「あなたにとってのしあわせって?」が、きっと見つかる筈。

会場はJR大宮駅から東武バス(バス停:北区役所下車)が便利です。

*8月15日まで開催中。

「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」 茅野市美術館への旅

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7月24日から茅野市美術館で開催中の「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」に行って来ました。
展覧会詳細はこちら

いつもなら展覧会の概要から始めたりするのですが、せっかく茅野まで行くならばと諏訪や岡谷まで足をのばし、以前から行ってみたかった武井武雄作品が常設展示されている「イルフ童画館」とサンリツ服部美術館に行ったので、「美術館への旅」としてまとめます。

7月23日(金)
通常通り勤務して、いつもより2時間早く退社し中央本線に乗車。特急を使わなかったので、八王子あたりまで座れなかった。レール&レンタカーでこの日は甲府のドーミーイン・甲府に1泊。最近は、ドーミーインの露天風呂と部屋の広さ、夜泣きそばサービス、作務衣に惹かれてご愛用。
今回も弱炭酸水素泉だったかの天然温泉(加温だろうが詳細未確認だが、そのあたりにこだわりはない)にどっぷり浸かって、束の間の休息。そういえば、なぜか鶯の鳴き声がBGMとして使用されていた。

7月24日(土)
頑張って早起きして、朝風呂。甲府駅から茅野駅まで鈍行で向かう。朝9時から、この日開催される「路上観察学会
in 茅野」の整理券配布待ちの列に並ぶ。なぜか、路上観察学会メンバーと同じ中高年男性が多い。無事、34番の整理券を入手し茅野駅に戻る。美術館の茅野駅と反対側の芝生に本展開催に伴い造られた構築物「空飛ぶ泥舟(2010年)」(下画像)に目は釘付け。飛行船のような形状をしたこの泥舟は、後述する「高過庵」と同じく中に浮かんでいる。藤森氏の卒業設計で考えた空想的計画を実現したのだそう。
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下から入口を見上げた様子(写真見づらくてごめんなさい)。はしごを取りつけて登る。
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茅野市美術館は、茅野駅直結の茅野市民館に入っているので、非常に便利。なお、茅野市民館は、2007年に日本建築学会賞はじめ数々の建築、デザイン等の賞を受賞。設計は古谷誠章(NASCA)+茅野市設計事務所協会だが、これがまた素晴らしい建築で驚いた。中でもスロープ横にある図書室は羨ましいの一言で、こんな駅近図書室があったら毎日通ってしまいそう。ただし、本が異常に日焼けしてたのは気になったけど。
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お手洗いのマークもこんなの初めて見た。面白い。
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詳細はこちら

茅野駅からレンタカーで、まずは藤森氏が建築史家でなく建築家としてデビューした作品「神長官守矢史料館(1991年)」を目指す。駅から車で10分くらいだろうか。
諏訪大社の筆頭神官である守谷家の歴史的資料を展示・所蔵する施設で、近隣一帯で藤森氏は生まれ育った。以前訪れた靴を脱ぎスリッパに履き替えて展示品と建物内部を拝見する(入館料100円)。広さはないけれど、後に続く藤森氏の建築の息吹を感じる。
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この史料館の裏手、徒歩5分程度に藤森氏がご自身のために設計した「高過庵(2004年)」がある。畑の中に突如、生えてきたような空中に浮かぶ茶室。
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こちらは内部を公開されていないが、明日(7/25)は、史料館と高過庵を藤森氏が案内して下さるツアーが展覧会イベントとして開催される。私は抽選でハズレたので、外から見上げるしかなかった。

「玄庵」をちらりと拝見しつつ、再び車に戻って諏訪大社本宮へ。
御柱祭で有名な日本最古の神社のひとつに挙げられる。本宮の尚旧殿の拝殿は嘉永二年(1849)に郡内の富士見町乙事の諏訪神社へ移築され、桃山時代の代表的建造物として重要文化財に指定されている。
詳細はこちら
今回の旅で、茅野市民館と諏訪大社本宮に一番感動した。御柱もすごいけれど、神社内の御神木の太さは過去観た中でも最大級かもしれない。神楽殿の巨大な2つの太鼓に、拝殿までの長く真っ直ぐな回廊、不思議な体験だった。
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太鼓の側面には絵が描かれている。
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諏訪大社を後に、岡谷市のイルフ童画館へ向かう。茅野から約30分。
3階が童画家として有名な武井武雄の作品を3つの展示室で紹介している。現在は「武井武雄~夏の風景」と題した作品を展示。ここでの一番のオススメは武井の刊本作品の数々。自らのライフワークとして生涯をかけて制作し、
「本の宝石」 とも呼ばれているが、これらを通常他館では、なかなか目にすることがない。しかも、1階の受付に申し出れば、5冊の刊本を実際に手にして頁を繰りつつ楽しむこともできる。
2階は他の童画家たちの作品展示をしており、今回は馬場のぼるとアメリカのモーリス・センダックの作品展示が行われていた。

次に向かったのは、サンリツ服部美術館。こちらは、本阿弥光悦の国宝・白楽茶碗(銘不二山)(江戸時代)を所蔵していることで有名。他館に貸し出すことはめったにないようで、まだ一度も拝見したことがない。
銘不二山は、8月5日~12月23日に出展されるようだが、展示替えの有無などはお出かけ前に美術館に確認した方が良いと思う。今回は、「屏風-絵のなかに遊ぶ-」と服部一郎コレクション「パリに集まった画家たち」を鑑賞。久しぶりにキース・ヴァン・ドンゲンやキスリングの作品を観たような気がする。作品リストも用意され、丁寧な展示をされていた。

再び、茅野に戻る。サンリツ服部美術館から茅野駅は15分程度。車を返して、近くのお店でお蕎麦をいただき市民館へ。
路上観察学会の現メンバーである赤瀬川原平氏、藤森照信氏、南伸坊氏、松田哲夫氏、林丈二氏のお話を間近で聴きたい一心で茅野まで来てしまった。赤瀬川さんは、私が日本美術に関心を持つきっかけを作って下さった方なのでかねてより、講演会が開催される機会をチェックしていたが、漸くこの日を迎えることができた。

14時から過去の路上観察の映像(恐らくオペラシティの2007年開催の展覧会で観たのと同じ)を30分流れて後、いよいよ5名の皆さんが登場。
各メンバーが茅野市で路上観察を行った成果発表を2時間。10分休憩をはさみ、一般の方からの公募発見作品(50点)の発表と展評を行い、メンバーそれぞれの名前を付けた賞の受賞者を決定した。

終了したのは17時過ぎ。17時50分の特急で帰るため、急いで「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」を観てまわる。図録1800円の出来映えが素晴らしいので購入。オペラシティーの時は購入しなかったしと自分に言い訳。

予定通りの列車に乗って帰路へ着いた。
展覧会は、美術館だけでなく茅野市の全部が展示作品だと思ってあちこち歩いたり、建築や諏訪大社などを見学すると、藤森建築のルーツを感じ取れることと思う。

久しぶりに見た山々の緑が目に染みた。

*「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」は、8月29日まで。巡回はありません。
まだまだイベントは沢山あるので、行かれる方は何かのイベントと絡めると良いと思います。

「暗がりのあかり チェコ写真の現在展」 資生堂ギャラリー

資生堂ギャラリーで8月8日まで開催中の「暗がりのあかり チェコ写真の現在展」に行って来ました。

今年に入ってから、「チェコ・アニメもうひとりの巨匠 カレル・ゼマン展」(刈谷市美術館)、チェコ舞台遺書デッサン展(早稲田大学坪内博士記念演劇博物館)と立て続けにチェコ関連の展覧会を観て来た。
今年は、チェコ共和国記念の年?
いや、そういう訳ではないだろうが、以前にも増してチェコ芸術文化への静かな人気が高まりを感じる。

本展は、その独特な表現と作品水準の高さで世界的に注目を集めるチェコ写真の現在を紹介する、日本初の展覧会。モノクローム写真を主流に、独自の発展を続けてきたチェコ写真を、現在最も注目を集める10名の写真家の作品約50点を通して紹介するものです。

出展写真家は次の10名。作品画像の一部を、資生堂ギャラリーのホームページ(↓)0でご覧いただけます。
http://www.shiseido.co.jp/gallery/exhibition/index.html
ウラジミール・ビルグス、 ヴァーツラフ・イラセック、 アントニーン・クラトフヴィール、
ミハル・マツクー、 ディタ・ペペ、 イヴァン・ピンカヴァ、 ルド・プレコップ、トノ・スタノ、
インドジヒ・シュトライト、テレザ・ヴルチュコヴァー

・・・と挙げてみたが、写真に相当詳しい方、もしくはお好きな方でなければ、名前と作風が一致しないのではないだろうか。もちろん、私も上記10名の方のお名前も今回初めて知り、過去に作品を拝見したことも恐らくないt思う。

フラットな気持ちで約50点を楽しんだが、特に好みの写真家が数名いた。以下。

・テレザ・ヴルチュコヴァー Tereza Vlčková 1983年生まれ

出展写真家中、最若手。1946年生まれの写真家からテレザの1983年生まれと出展写真家の年代は幅広いが、1960年代生まれの写真家が中心で、むしろ飛びぬけてテレザのみが若い。
それだけ期待されているのかもしれないが、今回展示されている作品シリーズ「Two」にはぐっと惹き込まれた。
被写体になっている双子たちは、人形なのか本当の人間モデルなのか、一見だけでは判断しかねた。まるで作り物のような表情で、気が付くと、双子たちの間違い探しをやっている自分がいて思わず苦笑してしまった。
1人を双子であるかのように見せて、撮影しているのではあるまいか。
そんな疑問もわいてくる。

お人形のように愛らしく、時に怖い双子の少女たちを見て欲しい。

・トノ・スタノ Tono Stano 1960年生まれ

女性の身体をモチーフにしたモノクロ写真が数点展示されているが、驚くべきは女性の身体の捉え方である。人体も物質のひとつなのか、と女性の身体のラインを極限まで美しく芸術的に見せる術を知っている写真家であるように思った。
こちらも今年になって拝見した「ジャンルー・シーフ」とはまた違った崇高な芸術性を持った写真を展開している。≪Sence≫1992年、≪Art Nouveau Too Late ≫1986年などは目が釘付けになってしまった。

上記2人の写真家が強く印象に残ったが、私自身の好みによる所も大きい。
他に、イヴァン・ピンカヴァIvan Pinkava のモノクロ写真が気になった。彼の写真では、人物でなく、静物画のような物を被写体にした作品に惹かれた。これらは、とても抒情的であったと思う。
また、ヴァーツラフ・イラセックVáclav Jirásekは、4点で一連の写真となる"The narcis II”など、美しい風景はいのだが、中に必ず裸体の女性がいる必要性はあるのかと疑問に思った。だから、分かってないな~というお叱りをいただきそうだが、率直な感想です。

なお、図録も黒の表紙と装丁デザインがカッコよく、写真印刷も良いのでお手にとって見られることをオススメする。
チェコらしさというものは一部の作品に感じられたが、特にチェコを意識しない方が楽しめるように思った。

*8月8日まで開催中。

「没後25年 有元利夫展 天空の音楽」 東京都庭園美術館

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東京都庭園美術館で9月5日まで開催中の「没後25年 有元利夫展 天空の音楽」に行って来ました。
展覧会ホームページ⇒ http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/arimoto/index.html

有元利夫(1946~1985)は「画壇のシンデレラボーイ」と呼ばれるなど鮮烈なデビューを果たしましたが、38歳の若さで世を去りました(1985年に肝臓癌で逝去)。西洋のフレスコ画や二本の仏画に共通点を見出し、研ぎ澄まされた普遍の美を岩絵具や箔などを用いて表現を試みた画家でした。本展は、没後25年となる今年、有元利夫の約10年にわたる画業を、絵画のほか、版画、彫刻などとあわせて振り返ります。~展覧会チラシより一部引用。
有元利夫のプロフィール等詳細はこちら(Wikipediaに飛びます)。
本展では絵画70点弱、版画と立体作品がそれぞれ約20点ずつ出展されている、大半の作品所蔵先は、先日「三谷龍二展」を観に行ったばかりの三番町小川美術館で、他は個人像(除く卒業制作と特別出品)になっている。

有元利夫のことは、美術ファンになって間もない頃、当時の後輩から教えてもらって知った。彼女(後輩)は、有元利夫の大ファンで、「早逝してしまったのがとても残念な素晴らしい画家」だと私に熱く語ってくれたのだ。
それからかなりの時間が経過したが、なかなか絵画にお目にかかる機会を得られなかった。若くして亡くなられたので、遺された絵画がそれ程多くないのかもしれない。残念ながら最初に観た時のことが思い出せないが、郡山市立美術館かどこかのギャラリーだっただろうか、「あぁ、これが有元利夫の作品」と感慨深かったことだけは記憶している。本画とはなかなか出会えなかったが、それ以前に本や雑誌の表紙絵(下画像のような)として観ているのだろう、初めて観たという気がしなかったのは恐らくそのせいだ。
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彼の作品は、画風が個性的なので一目で有元利夫の絵画だということが分かる。
まず、描かれている人物の表情やふっくらとした体つき、これらはどの作品にも共通している。そしてこれらの人物には皆一様に脚がない。有元曰く「脚を描くと何をしているかが分かってしまうから」、人物が身に付けている裾の長いドレスも脚を隠すための道具だったのでしょうか。
私は彼の作品を観ていると、中世の西洋にタイムスリップしたような、ただしそれは非現実的空間で、むしろ古い宗教画の中に自分が入り込んだような気がした。展示空間は東京都庭園美術館。自分が画中の人物になったかのように感じたのも無理はありません。

作品の色調も似たようなものが多く、レンガ色や漆喰壁のような色、本展チラシに採用されているようなブルーを多用している。これらの色を観ていたら、なぜかボッティチェリの「春」や「ヴィーナスの誕生」を思い出した。

【絵画】
注目すべきは、絵肌である。ちょっとざらつきのある風合いは版画では決して味わえないもの。
絵肌については、東京藝術大学卒業制作の≪私にとってのピエロ・デ・フランチェスカ≫(10点連作のうち5点)が最初の実験的な試みであった。1971年に学生だった有元はイタリアを旅し、ピエロ・デ・フランチェスカ≪聖十字架物語≫。下画像は、≪聖十字架物語≫の中の一部≪聖十字架伝説 コンスタンティヌス帝の夢≫1455~1465年(Fresco, 329 x 190 cm・イタリア アレッツォ サン・フランチェスコ聖堂)。
seijyujika

残念ながらアレッツォに行ったことはないだが、どこかピエロ・デ・フランチェスカの作品に雰囲気は共通しているように思う。有元はこのフランチェスカの作品から仏画との共通点を見出し、岩絵具や箔を用いた作品制作に取り組むようになった。しかし、後年の作品を観て行くと仏教とキリスト教の両方を合わせもったような作品、例えば≪出現≫1984年が出てくる。≪出現≫では、中央に一人の人物(これが聖母マリアのように見えた)が、手をかざすポーズは「キリストの洗礼」もしくは阿弥陀如来像など、様々に想像が膨らむ。

彼の描く作品中人物には脚がないと前述したが、それらの人物は宙に浮いていることも多い。なぜ、宙に浮かんだ人を描くのか。
彼自身の言葉も展覧会では作品と共に紹介されているので、一部引用させていただく。
「音楽を聴いているとその陶酔感は浮遊に結びつく。エクスタシー(恍惚感)を絵として表現した時、人間や花を天に昇らせる。」
彼のエクシタシ―の発露が中空に浮かぶ人や舞い散る花であったとは。舞い散る花は仏画でいう散華を思い出す。

「音楽」を絵画化した作品としては≪ソナタ≫1980年、≪ロンド≫1982年、≪7つの音≫1984年など何点も描いている。有元利夫はバロック音楽、ことにビバルディが好きだった。
バロック音楽好きというのは、同じくバロックファンとしては嬉しい。私はバッハの方が好きだけれど。会場でそれを知ってから、頭の中に勝手にバッハのフーガを流して作品を観て回った。彼はバロック音楽の持つ反リアリズム、様式性、シンメトリカル、簡素でいて典雅である点を愛した。

【立体】
塑像、木彫などの彫刻作品と陶芸が並ぶ。
最近、アーティストの奈良美智さんも陶芸作品を発表して話題を呼んだが、有元もまた陶芸を行っていたのは興味深い。絵を描く人が、陶芸に求めるものは何なのだろう。

個人的にはどうしても好きな木彫や乾漆像に目が行く。
彼の木彫や乾漆像はどこかプリミティブな所があり、絵画とはまた違った魅力がある。

最後は有元自身の言葉で締めくくりたい。
「有無を言わせず、人間を捉えて刺激してしまう要素、いい絵、いい物とはその要素の大きさで決まる。」

*9月5日まで開催中。

「マン・レイ展 知られざる創作の秘密」 国立新美術館

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国立新美術館で開催中の「マン・レイ展 知られざる創作の秘密」に行って来ました。
非常に充実した展覧会専用サイト:http://www.man-ray.com/と同展コミュイティサイト:http://www.man-ray.com/blog/まで別に用意されているので、展覧会の詳細は各サイトをご覧ください。

マン・レイ財団所蔵の写真、絵画、彫刻、デッサンおよびマン・レイ自身の所持品を一堂に集めて、2007年から欧州を巡回している展覧会の日本巡回展となっている。日本展だけに出品される約70点を含む約400点が紹介されている。
会場はマン・レイの生涯を四つ「ニューヨーク(1890-1921)/パリ(1921-1940)/ロサンゼルス(1940-1951)/パリ(1951-1976)に区切り、時代に沿ってマン・レイの作品とその発送源となったものやイメージを対置させます。 ~展覧会チラシより


本展で、マン・レイの著名な写真作品を期待して行くと肩透かしされるかもしれません。
むしろ、これまで評価されてきた写真作品以外の「知られざるマン・レイの世界」を垣間見ることができるという点で楽しめます。

New York(1890-1921)
展覧会の最初を飾るのは、真っ二つに割れたブルーのハートを描いた作品。ミクストメディアとなっているが、コラージュみたいになってるのかも。中央に「Man」のサインが入ってます。
たったこれだけなのにカッコイイ。そう、マン・レイは写真もですが、非常に優れたデザイナーでもあった。例えば、『回転扉』(青いパンのついた冊子)で見せるセンスの良さ。そういえば、これも「青」を使用。マン・レイはブルーが好きだったのだろうか。

若い頃、彼は製図を学ぶが、その学習が後の作品に活きてくることが後半に明らかになってくる。
この章では、ごく初期のドローイングやリトグラフが写真と共に展示されているが、作品リストにはない「インデックス・カードファイル」4種類が面白かった。彼は自身の作品を写真で複製しファイルしていた。本展ではパウチを使用して4種類のカードファイルが台に置かれている。ペラペラめくっていくと、マン・レイのデッサンや考え、言葉が溢れていて、4種類とも興味深かった。並んでも良いので、マン・レイがお好きな方はぜひ4種類制覇していただけたらと思う。

全体を通して、写真作品はどれも小サイズのものが多い。基本的に作品は線の外(遵守されていない・・・)から眺めるため、単眼鏡を持参した方が良い。極めて小さいものもあるので、要注意。
ここでは、≪二重の肖像≫1913年が良かった。

Paris(1921-1940)
写真家としてマン・レイが人気を博した時代。この時代の作品を過去の展覧会でよく見かけていたのだと思う。

マン・レイにとって重要なのは「モノとしての概念でなく、生み出すためのアイディアや概念。写真は概念を流布させる有効な手段であった。」に過ぎなかった。
彼は、様々な実験を経て写真を芸術にまで高める工夫を編みだした。
それがレイヨグラフとソラリゼーションと呼ばれる方法。ここから先は、大量の肖像画写真が登場する。パリで彼の身近にいた人々をとにかくカメラにおさめていた。それらを自家装幀本としてまとめていたというから恐れ入る。
先日TV東京「美の巨人」で紹介されていた≪黒と白≫1926年/2010年の復刻も、この時代、技法を象徴する作品。≪キキ・ド・モンパルナス≫、≪リー・ミラー≫最初のパリ時代のマン・レイと関係があった女性たち。彼の女性遍歴も、作品を追って行く上で欠かせない要素のひとつだろう。

この章では、写真だけでなく映像作品が4本上映されている。2本+1本の途中まで観て敢え無く時間切れとなったのが残念。
・理性への回帰 1923年
・エマク・バキア 1926年
・ひとで 1928年 15分
・さいころ城の秘密 1929年 

1本を除き上映時間は1本あたり20分弱なので、全てを観ようとすると1時間では足りない。私は全体で2時間を考えていたけれど、展覧会最後の映像(23分)もあり、結局時間が足りなくなってしまった。この映像は、できれば全てを観たほうが良いと思う。彼の作品を考える上で、様々な要素が網羅されている。ごく初期の作品では、映画として成り立っていない単なる画像に近いが、『ひとで』あたりから僅かにストーリー性が現れる。この『ひとで』がこのコーナーで観た中では一番良かった。

Los Angeles(1940-1951)⇒ Paris(1951-1976)
アメリカに再び戻ったマン・レイだが、この頃彼は写真家として評価されることを嫌ったという。自身が芸術化した写真の芸術性を否定してしまったのだ。写真は芸術ではない。
映画の盛んなロスならではなのか、それまでの作品では見かけなかった女優のポートレート写真が沢山出てくる。エバ・ガードナーの完璧な気高い美しさ、カトリーヌ・ドヌーブのちょっとコケティッシュな美。カトリーヌが身に付けているイヤリング≪未解決の耳飾り≫1960年代は、マン・レイのデザインんによるもの。

彼は生涯を通じて、何度か同じモチーフを繰り返し制作しているは、デザインものではチェスの駒やボードが素敵だった、メタリックな赤とシルバーが彼らしい。

そして、運命の女性ジュリエット・ブラウナーの写真。彼女はNY出身で画家のモデルをしていた。ジュリエットは30年もの間彼と共に暮らし、最期を看取った。
モノクロ写真のジュリエットも美しいが、初公開というマン・レイ考案の色彩定着技法によるカラー写真のジュリエットも素敵です。会場には、このジュリエット・ブラウナーの写真とフランスの歌手・俳優のジュリエット・グレコの写真もあるので、お間違いのないように。私は両者がごっちゃになってました。

展覧会最後に、抜群に面白い映画が上映されている。しかし、マン・レイの作品ではないためか、作品リストには掲載されていない。以下。

フランソワ・レヴィ=クエンツ制作・監督
映画 『マン・レイ、フェルー街2番地の2』 1989年(約23分)

いろいろ検索しましたが、「弐代目・青い日記帳」様のブログには、ちゃんと映画の監督名とタイトルが掲載されていました。さすがです!
この映画、先に挙げた4本とは全く趣を異にしたドキュメンタリー風作品。
冒頭にマン・レイのアトリエの鍵を取りだすジュリエットが。その鍵の大きいことと言ったら!!!
必ず最初から最後まで観ることを強く強くオススメします。
ジュリエットのマン・レイについての独り語りですが、あれは本当にジュリエット本人なのか?と思う程、芸達者でいらっしゃる。次々と取り換えられるメガネのデザインに驚くあまり、思わずお話を聴き逃しそうに。
咥え煙草に、BGMはちょっと気だるいジャズ。
完璧なシチュエーションとメガネのミスマッチが何ともいい味出してました。

知られざるマン・レイの世界を堪能しました。個人的には、マックス・エルンストとの交流とParis時代の映像作品、インデックス・カードファイルなどが印象深かったです。

時間には余裕をもって、会場の冷房が非常に強いため女性の方など冷えの気になる方は、冷房対策を万全に!
私は会場を出た時に、寒さで凍ってました。

*9月13日まで開催中。
この展覧会は、大阪の国立国際美術館に巡回します。

<お詫び>
記事をアップした際に、ジュリエット・ブラウナーさんのお名前をジュリエット・グレコと誤った記載となっていましたことを深くお詫び申し上げます。現在(7/20・12時半以後)は修正済みの状態です。

「MASKS-仮の面」 千葉市美術館

masks

千葉市美術館で8月15日まで開催中の「MASKS-仮の面」に行って来ました。
千葉市美術館では美術館ホームページ上に「こどものページ」を制作されています。これが分かりやすい。

本展覧会は、日本をはじめとするアジア、オセアニア、アフリカの仮面を中心に、普遍的な精神と造形の美を求めて、選りすぐられた仮面約150点により構成されるものです。貴重な古面が豊富に残される日本、そのユニークで力強い造形が魅力的なアフリカなど、様々な地域の仮面が一堂に会します。地域の特色を検証する一方で、国境や民族の境を越えて共通する心の造形に注目しながら、仮面の美の本質を探ります。~展覧会チラシより

5月に千葉市美術館で開催された市民美術講座「池大雅と文人画」で講師をつとめられた小林忠館長(以後、小林先生とさせていただく)から、直々にご説明があった本展。小林先生はかねてより、仮面がお好きだそうで本展図録の序文に開催の経緯が記されているので、ここで一部引用させていただく。
「美術史の研究に身を置いていると海外に調査に出かける機会が多い。そうしたときの余暇に、美術館や博物館を訪れて仮面の展示を探しては楽しんできた。スイスのチューリッヒ市にリートベルク美術館という素晴らしい市立美術館があるが、そこを初めて訪れたとき、目的とした日本・東洋の美術品のほかに、仮面ギャラリーの充実に驚かされた。単に民族学的な関心から世界中の仮面を集めたとは思えない。造形的に優れた質の面が数多く展示されていたのである。(中略)素朴で、表情に素直な感情がこもっている面には、どこか日本の地方に伝わる土俗的な仮面にも通い合うものを感じて、親しみを覚えたものだった。」
小林先生は、その後リートベルク美術館と交渉し同館の仮面コレクション展の実現を模索されたが、輸送や費用などの問題で断念せざるを得なかった。次善の策として、日本国内に所在している世界の仮面を集め、人が仮の面を作りかぶって何を祈り、願い、思いをこめてきたかを考える展観にと切り替え、本展実現となった。

美術展で能面の展示はよく行われるが、これほど多種多様、国も地域も幅広い所から集めた仮面の展覧会は後にも先にも今回が最初で最後かもしれない。
それほどまでに強烈だ。前置きが長くなってしまったが、展覧会の構成と共に振り返る。

・序いにしえ-祈りの顔
序章では、土偶、しかも私の好きなミミズク型土偶やらハート型土偶やら縄文後期の小さな土偶たちをお披露目。
仮面の展覧会で最初に土偶を持ってくるあたりが心憎い。精霊や魂などの精神世界を象徴する人型と観た時、異形の顔は仮面に通ずるのではないかと問いかけられる。

・第一章 にらみ-守護する面
一木造で彫り上げた「鬼神面(奉納面)」静岡市立芹沢介美術館蔵はご神体を守護する役割で作られた。素朴な彫りだがにらんでいる表情は良く分かる。にらみをきかせて神様を守っていた。
東北の竈面は、文字通り火を守り、造形的には角ばった顔つき。奄美の奉納面は、卵型で非常にユニークな顔をしている。そして、どこか異国の香がする。後に出てくるアフリカの仮面にどこか通じる所があると思った。
この段階で土偶好きには、たまらない内容で、仮面の顔つきにぐいぐい惹き込まれる。

第二章 わらい・・・いかり-面の表情と精神
にらみの次はわらいといかり。超個性的なお面が続々と登場。やはり世界は広かったと感じる。スリランカのコーラムの面「ラクシャ」仮面舞踏劇コーラムに用いられるもの。耳はお花のようなものが2つ飛び出して差し込まれているし、歯はむき出し。思わず笑ってしまう面様。各仮面のキャプションを読んで行くと、悪魔払いや精霊を宿したとか、精神世界と深く結びついているものが多く、また舞踏劇(能もその一つ)で使用されているものが多かった。

第三章 おかしみ-ユニークな造形の展開
日本の狂言のお面はまだついていけるが、ここではついにとんでもないお面が登場する。「鶏冠のついた仮面」ブルキナ・ファソ・静岡市立芹沢介美術館蔵。ブルキナ・ファソってどこだろう?知らない名前の国もいくつか出てくる。鶏のとさかというより、ブーメランの方が近いか。江戸時代の鎧兜の装飾にも似ている。口は菱形。
コートジボワールの仮面「プレプレ」は、キャラクター化している。村が禍に見舞われた時に行うダンスで使用されるそうだが、涙型の瞳、長方形の口、バッファローのような角。妙に可愛い。

第四章 けもの・・・とり-聖獣たちの面
日本のものでは烏天狗のお面、海外のものでは鳥の仮面が多かった。舞踊で使用されると説明のある仮面が大半だったが、到底かぶって踊ることなど不可能なのではないかと思う程、大きくまたかぶった時のバランスが心配になる仮面「アヴィコ」パプアニューギニア・武蔵野美術大学美術館・図書館蔵もいくつか。

第五章 まつり・いのり・とむらい-舞と儀式の面
第六章 ゆがみ-異形の面
日本やアジアの少数民族には、わざとゆがませた顔の造形が見られる。例えば「ひょっとこ面」がその代表例。ムンクの叫びも真っ青な「二の舞面」千葉県・いすみ市(円蔵律寺蔵)をはじめ、この章に出てくるお面たちの面貌は観ているこちらまで歪んで来そうだった。

第七章 ととのい
歪んだ後は整えてくれる。能の小面、菩薩面などが日本の作例として紹介されているが、驚いたのはナイジェリアの王の面「オバルフォン」ギャラリーかんかん蔵。ブロンズ製で12~15世紀のものだというが、美しく整って滑らかな肌は、本展造形部門でNO1の美しさ。

展覧会最後は、戦後を代表する彫刻家、若林奮の「面」5点でしめくくる。非常にプリミティブかつ単純な造形で冒頭に観た縄文後期の土偶面に再び戻ってきたかとさえ思った。

これらのお面は今もなお各地で伝承されているのだろうか。仮面の持つ意味と精神世界、そして造形の多様性と美しさに彫刻作品としての魅力も見出すことができた。

*8月15日まで開催中。
この後、足利市立美術館に巡回します。2010年9月4日~10月17日

「奈良の古寺と仏像 會津八一のうたにのせて」 三井記念美術館

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三井記念美術館で開催中の「奈良の古寺と仏像 會津八一のうたにのせて」に行って来ました。

7月7日から開幕し10日を経過。ナイトミュージアム狙いで土曜の夜17時過ぎに美術館入りしましたが、館内は漸く観客が帰り始めた所。ロッカーの空きは2つだけだったので、これは混んでいるなと予感が当たりました。ただ、私の後に続くお客様は少なかったので、こちらも予想通りこの後は空いて行くだろうとプラプラ空いている所から観て行くことにしました。

本展は、平城遷都1300年記念し法隆寺、東大寺、薬師寺、唐招提寺、興福寺、西大寺、大安寺、室生寺など奈良の古寺20寺院に伝わる飛鳥時代から室町時代の仏像46点、仏教工芸品19点(うち国宝3点、重要文化財45点)が一堂に展示される仏教美術の展覧会です。~チラシより引用

チラシに掲載されているように、法隆寺夢違観音像、室生寺釈迦如来坐像、西大寺塔本四仏像、唐招提寺如来形立像などの名品を東京で真近に、しかも程良い照明環境の中で鑑賞できるまたとない機会。

私のお目当ては東大寺の「五劫思惟阿弥陀如来坐像」鎌倉時代。以前、いとうせいこう・みうらじゅんの共著「見仏記」シリーズで紹介されていた時から非常に気になっていた。
阿弥陀如来坐像には申し訳ないけれど、鬘をかぶっているかのような異形に驚いたのだ。東大寺・勧進所八幡殿の秘仏。毎年10月5日に開扉だが、本展開催がなければ一生お目にかかれなかった仏像だろう。
詳細は東大寺のホームページをご覧ください。→ こちら
初対面を果たした「五劫思惟阿弥陀如来坐像」の四角いお顔と膨らんでしまったアフロヘアのような螺髪。しかし、頭頂部の異形はさておき、体部ことに衣紋線は流麗で非常に美しい。このアンバランスさが何ともたまらない。坐像なのだが、果たして立ち上がれるのだろうか?と想像してしまう。檜の一木造で、等間隔の衣紋線と真っ直ぐな姿勢で合掌する姿に造形美を感じた。

元々飛鳥仏が好みなのだが、本展を拝見して好きな仏像のほとんどが一木造であることに気付いた。
現在の木彫好きは仏像に端を発したのか、はたまた逆なのか。
何はともあれ、本展でのお気に入り仏像は次の通り。

<展示室1> 金銅仏
・観音菩薩立像(伝月光菩薩) 奈良時代前期 法隆寺 重文
ふくよかなお顔、丸顔の童顔が愛らしい。過去に法隆寺に行った際観ているのではないだろうか。

・薬師如来倚像 奈良時代 正暦寺 重文
正暦寺というのは今回初めて知ったが、何と奈良駅からタクシーで25分、最寄バス停より徒歩30分!と車なしでは行かれない山のお寺。薬師如来倚像は秘仏のご本尊なので、年に1回、今年の特別開帳は10月10日~10月31日。日本では稀な両足をおろして椅子に座っており、瞼は二重。パキスタンの仏像などに倚像は見られるが、こちらの仏像も渡来仏師の手によるものか。
 
<展示室2> 金銅仏
・菩薩立像 飛鳥時代 法隆寺 重文
像高は低いが、気品は本展出展仏の中で最高だと思う。金銅仏であるが、頭と体、台座までを含めて一鋳とする。当時の技術水準の高さを感じる。

<展示室4> (東大寺・西大寺・唐招提寺・薬師寺)
奈良の中でも人気の高いお寺からの出展。
冒頭にご紹介した東大寺の五劫思惟阿弥陀如来坐像もこちらで観仏。

・帝釈天立像 平安時代・9世紀 唐招提寺 7/25まで展示
桂の一木造。桂も使用されると教えを受けたばかりで、いきなりその好作例が現れた。体に比べ頭が大きいのだけれど、素朴な一木造の姿は木彫の神髄を見せてくれている。お顔も個性的。

・吉祥天立像 平安時代・11世紀 薬師寺 重文
吉祥天とはいうものの、一見すると女性像には見えず、キャプションにあるように若々しい青年のよう。
どっしりと両足を踏ん張って立つ姿に惹かれる。左手がないのが痛々しい。こちらは檜の一木造。この他同じ薬師寺の厳しいお顔立ちの地蔵菩薩立像(重文)、十一面観音菩薩立像(これは檜の一木割矧造)も良かった。

<展示室7> (長谷寺・室生寺・當麻寺・橘寺・法隆寺・大安寺・秋篠寺・元興寺)
當麻寺・橘寺・大安寺・元興寺には行ったことがない。當麻寺は仏像だけでなく曼荼羅でつとに有名なので、一度訪れたいと思っている。

・釈迦如来坐像 平安時代・9世紀 室生寺 国宝 7/25まで展示
昨年室生寺に行ったばかりなので、恐らく拝見しているであろう釈迦如来坐像。しかし、まるで記憶にない。室生寺での拝観は近づけるといっても、鑑賞位置から仏像までの距離は2メートル程度あるため、必然双眼鏡を使用する。今回はガラスケース越しとは言え、鑑賞に適した照明で1メートルにも満たない距離間で鑑賞できるのは嬉しい。もちろん、一木造。平安時代の仏像のほとんどは一木造で寄木造は鎌倉以後。仏像制作において分業が可能になり、ある程度量産できるようになった。鎌倉期の仏像の特徴のひとつは玉眼なので、気を付けて観て行くと制作時代が分かるようになる。本像は水かき付の大きな手も印象深い。

・吉祥天立像 平安時代・11世紀 當麻寺 重文
普段東京国立博物館に寄託されている仏像。

・伝日羅立像 平安時代・9世紀 橘寺 重文
橘寺は聖徳太子ゆかりのお寺。カヤの一木造でふくよかなお顔とどっしりとした体躯。顔がとても良い。

・広目天立像 奈良時代後期・8世紀 大安寺 重文
・地蔵菩薩立像 平安時代・9世紀 秋篠寺 重文
木目の美しさが際立っている。
・聖徳太子立像 鎌倉時代 元興寺 重文

お寺で鑑賞する仏像も良いけれど、お寺では見過ごしてしまいそうな小さめの仏像が多く出展されているのも特徴。じっくり、鑑賞したい。
會津八一の歌に寄せてとのことだが、彼は古寺をまわりながら短歌に目覚めたのだという。関連の書や歌集なども展示されている。

ナイトミュージアムは毎週土曜日の他、8/10(火)~8/15(日)、9/10~9/20(月・祝)に開催。入館は18時半までで閉館が19時まで延長されます。
既に仏像ブームのせいか混雑していますので、お早目の鑑賞をお薦めします。なお、作品の一部が展示替えされますので、ご注意ください。詳細は展覧会ホームページをどうぞ。⇒ こちら

なお出展されている仏像の開帳日は、平城遷都秘宝・秘仏開帳のホームページが分かりやすいです。⇒ こちら

【関連企画】
・入江泰吉写真展~奈良・大和路巡礼の旅 7/20まで 日本橋三越本店1階中央ホール
・仏像写真家・小川晴暘没後50周年記念写真展「祈りのかたち」 日本橋三井タワー 1Fアトリウム

*9月20日まで開催中。
この後、奈良県立美術館に巡回します。11/20~12/19

「都築響一と巡るHEAVEN 社会の窓から見たニッポン」 広島市現代美術館

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仕事が加速度的に忙しくなり、予想通り絶賛放置中ブログになってしまった。言い訳にしかならないけれど、山は越えることなく当分ズルズルとこんな調子が続きそう。書ける時だけ書くしかないかなと、あまり無理をしないことにしました。

ということで、会期末まで今日を含めてあと3日の広島市現代美術館で開催中の「都築響一と巡るHEAVEN 社会の窓から見たニッポン」を観て来た感想です。昨夜、青山ブックセンター本店で開催された同展覧会図録(青幻社刊・2500円)出版記念をかねての都築響一トークショーにも参加。展覧会を巡る裏話や都築氏による解説は抱腹絶倒。漫談を聴いているかのようでした。

本展は、都築響一がこれまでに展開してきた活動を包括的に紹介する初の本格的な個展であり、彼が日本各地で取材し、撮影した写真と映像、それらの対象について語る言葉、さらには対象の実物などにより構成されます。広範にわたる関心領域がダイナミックに交錯する、めくるめく都築ワールドを堪能できます。~展覧会チラシより一部抜粋

まず、この展覧会も写真撮影可能。西宮市大谷記念美術館の「パラモデルは世界のプラモデル」や三重県立美術館「浅田政志展」など近頃現代美術の展覧会で写真撮影可能なものが増えている。都築氏が今回の個展でやりたかったことにひとつが、これまでの展覧会で「どうして?」「こうすれば?」と思ってきたことを実現化すること。
曰く「立体を使って美術館全体を一つの本と見立て、進んで行くと本のページをめくるような構成にしたかった。更に写真やキャプションもなるべく大きいものを使用し、通常キャプションの文字は小さくできるだけ文字数も少なめにすることを要求されるが、その逆をしたかった。しかし、実際やってみるとそれは大変な作業だった。椅子も沢山用意し、1日美術館でゆっくりできるように配慮した。全部の作品キャプションを読んで行ったら多分6時間位必要。」。

この言葉に、本展で都築氏がやってみたかったことが凝縮されている。
更に広島開催のため、広島の独自性を出すために、同地でのみ有名な伝説的人物「広島太郎」(住所不定の方・展覧会チラシに撮影されている人物)さんを美術館にお呼びしてインタビューと撮影を行い、デコラティブなオートバイ(暴走族が使用するような)を本展で展示するため、千葉の秘密工場で制作。どっか~んと地下1階の展示室にこの装飾過多な単車が展示されている。現在広島市では暴走族撲滅キャンペーンを展開中で、いやしくも市の美術館にこれを展示することは問題になったらしいが、実現可能になった。広島太郎氏にインタビューと撮影を申し込んだのは、本展を担当した若き学芸員の松岡氏とのことで、逢いたいと思ってもなかなか逢える相手ではなく大変だったと図録にコメントを寄せている。

美術館側の協力姿勢は並大抵のものではなく、驚くべきは地下1階にある秘宝館の完全再現コーナーでここは18歳未満入場禁止。このため18歳未満と以上でチケットの色を分けたりと工夫されたそうだが、ちょうどこの展覧会から同美術館入場料は小中学生無料化が始まったのに、18歳未満不可って・・・と都築氏ご自身も苦笑。秘宝館再現は2001年の横浜トリエンナーレでも展示されたが、今回はその時よりスペースも広く完全再現を行い、今後こんな機会はないとのと。オートバイや秘宝館はじめ、よく美術館が展示を許してくれた、これが東京都内の美術館であれば不可能だったとトークで都築氏は美術館側への感謝の気持ちと今回の例をはじめとして、東京より地方の方が風通しが良いと感じることが多いと語っておられたのが印象的だった。

展覧会の構成は、次のような章単位になっている。順番に進んで行く。
・遊行するこころ   ⇒ 『ROADSAIDE JAPAN 珍日本紀行』、『ニッポン国世界村』
・巣ごもりするこころ ⇒ 『賃貸宇宙』、『TOKYO STYLE』、『着倒れ方丈記』『当世とりかえばや物語』他
・我が道を行くこころ ⇒ 『巡礼』シリーズ
・歌い踊るこころ   ⇒ ≪カラオケ・ネイション≫、レーザーカラオケ
・かぶくこころ    ⇒ アート・トラックシリーズ、デコレーションオートバイ、オレサマ商店建築他
・闇に向かうこころ  ⇒ 『見世物小屋絵看板』、≪Sperm Palace 精子宮≫ 

個人的には見世物小屋の絵看板に一番驚いた。実際観たのは初めてかもしれない。カリスマ的な絵師がお二人いらっしゃって、いずれも北九州市の方ということだが、絵画としてフラットに観て評価できると思う。これらはすべて都築氏が買い集めたコレクションで、今後披露されることはないかもしれない。映画のポスター展などはあちこちの美術展で開催されるのに、これらの存在は日の目に当たることなく、むしろ隠してなかったものにしてしまいたいくらいの状態。
絵看板だけでなく、「かぶくこころ」で展示されているものなど皆同じ。どれも日本固有の文化でありながら、そのベクトルが性的だったり、非合法であったりするために失われつつある。
都築氏はデコトラやオートバイ、商店建築、ラブホテルなどそこには日本人固有の飾りの美学があると説く。日本美術史家の辻惟雄氏が提唱する「かざりの美」そのもの。
以前辻氏の「美術とかざり」の講演会に参加したが、辻氏は現代におけるかぶく心の例として「パラパラ」?だったかを挙げておられたが、両氏が提唱されているのは「日本人のかざりに対する姿勢」への言及は同じだと思った。
ここで、辻氏による講演内容から一部引用させていただく。「かざりとは目を楽しませ、生きる喜びにつながる本性に根ざした大切な行為で、日本のかざりはまさにそう」。

こうした生命の表現である「かざり」がメジャーなものより、むしろ誰も注目しないような人や場所から驚くような技をもって発現すると都築氏は指摘していた。

なんだか展覧会の感想というより講演の感想になってしまったが、本展通じてそんなことを一番感じた。普段見ないように目をそむけているものも見方を変えれば感じ方も変わるそんなことを教えてくれた貴重な展覧会だった。
お薦めします。

*7月19日まで開催中。
なお、最終日の19日は終日、都築響一氏が美術館にいらっしゃるそうなので解説付き作品観賞ツアーもありかも。とても気さくなお人柄なので、どんどん展覧会の感想や質問をしても、お答えしてくれると思います。

(注)後日画像追加する予定です。

宮永亮 「making」 児玉画廊/京都

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児玉画廊/京都で8月14日まで開催中の宮永亮「making」に行って来ました。

今回の京都・児玉画廊での個展は、今春(4/3~5/8)東京・白金の児玉画廊での個展で披露された新作「地の灯について」をフルヴァージョンで公開。
東京では場所の制約上、フルヴァージョンでの公開ができず、その後、京都市立芸術大学ギャラリー(@cua)で開催された「きょうせい展」においても、同作品は公開されていたが、こちらはグループ展であったこともあり、作品を一部解体して展示されていた。

本展では個展タイトルも「making」とし、東京での個展名「地の灯について」を変更ている。
まずこの個展タイトルが気になった。
なぜ、「making」で「地の灯について」ではないのか?
答えは行ってみて納得。

完成映像をフルヴァージョンで公開するだけでなく、その制作過程をも見てもらおうという企図。
空間全体のインスタレーションとして考えた時、明らかに東京展よりステップアップしている。

会場の様子は下記にて画像をご覧いただけます。85もの画像あり、京都まで行けない方はぜひ。
http://gallery.me.com/kodamagallery#100537

最初に目に入ったのは車。ローバーのミニである。
この車、実際に「地の灯について」で必要な映像を撮影するのに使用した。車の屋根の上には撮影用カメラなどの機材が当時のままに設置されている。
車の中を覗いてみると、灰皿に溢れ出んばかりの煙草の吸殻がぎっしり。それはそれで、造形的に妙に美しかった。後部座席の後ろ、リヤウィンドウとの間にはなぜかニット製のお茶目なぬいぐるみが置いてあったり。
実際に使用していた状態そのままとのこと。
本展終了後廃車される予定だが、登録ナンバーは付いた状態で展示され、宮永さんのご出身である札幌ナンバー。画廊の方のお話では、元々宮永さんのご両親の愛車だった。

ミニとはいえ、車一台を楽に収容できる広~いスペースが京都の児玉画廊にはある。横に広いだけではなく、ここは1階2階が中央で吹き抜けになっていて、天井も高い。
これだけ広大なスペースだと、作品に力が無い場合、場所に負けてしまう。
その点、宮永さんは見事にこのスペースを活かしきった展示を行っていた。逆に言えば、ここでしかできない展示を行っていた。

映像のフルヴァージョン上映とは、特大・大・中・小と異なるサイズのスクリーンを8面使用。
1階で5面、2階で3面。ちなみに、東京では6面スクリーンの展示だったが、スクリーンサイズも今回変更されていた筈(サイズは未確認)。東京の個展でも感じたのだが、作品映像が正面から見るだけでなく、後ろから回り込んで壁やスクリーン自体に光が透過して、裏からもスクリーン映像を鑑賞できる。映り込んだ映像もまた美しい。

スクリーンに使用しているのは、トレーシングペーパーの一種であるディフュージョンペーパーと撮影用に使用されるバック紙の2種類を使い分け。後ろに光が透過していたのは、ディフュージョンペーパーを使用したスクリーンだったのかも。
京都の街を車で走って道路沿いの風景を撮影して加工。8面のスクリーンのうち特大サイズのものに、完成作品が、他の7つはその映像パーツ、すなわち7つのスクリーンに映し出されたものを重ねていって、最終的に完成作品ができあがる。
私たちは、映像ができる制作過程を目の当たりにしていたのだ。

だから「making」なのかなと思っている。

宮永さんの作品を最初に拝見した時の感想を過去記事をたどって読んでみた。最後に、「どんな風に作っているのか知りたい」などと書いている。この時拝見したのは「wondjina」なので、今回とは趣向も作風も全く異なっているが、制作過程への興味は少なからずあったのだ。技術的なことは抜きにして、その制作過程の一端を知ることができたのはとても嬉しかった。

そして、東京での展示とのもう一つの大きな違い、これはとても重要なのだが「音」だった。
白金という場所柄、大音量を流すことにも制約があったが、今回はその制約がないためサラウンド効果満点の重厚な背景音を聞くことができる。作曲した訳でもない、実際に撮影した際に拾って来た音であるにも関わらず、その音だけ聞いていても、街の様子、灯が目に浮かんでくるようだった。

1階だけでなく、2階に上って映像と重厚なサウンドをぜひ満喫して欲しい。2階の吹き抜け部分から見る1階スクリーン・2階スクリーンの縦に連なる映像空間というのは、めったと味わえるものではない。児玉画廊・京都だからこそ可能な展示であり、その空間を見事に活かしきった宮永さんは、未知数の力を持つ映像アーティストだと改めて感じた。

なお、本展は月中心に京都の大学ギャラリー、画廊、オルタナティブスペースや作家・大学の制作スタジオ等が京都の芸術の形を発信してゆく『京都藝術』関連の最初の展覧会にもなっている。
そして、宮永さんは今日7月13日に京都・三条のカフェアンデパンダンでのnight cruising presents『radiosonde release "monsoon" tour』(下チラシ)にも参加されている。ギターサウンドと宮永さんの映像とのコラボライブってどんなのだろう。。。こちらは残念ながら行けず。さぞかし!と想像するしかできないのが残念でならない。

miyanagalive

*8月14日まで開催中。

「パラモデルの世界はプラモデル」 西宮市大谷記念美術館

paramodel

西宮市大谷記念美術館で8月1日まで開催中の「パラモデルの世界はプラモデル」に行って来ました。
展覧会の一部画像は美術館のホームページでご覧いただけます。http://www9.ocn.ne.jp/~otanimus/

パラモデルは、林泰彦と中野裕介の2人組アーティスト・ユニット。
ともに東大阪市に生まれ、京都市立芸術大学で学ぶも、林さんは構想設計、中野さんは日本画を専攻された。2001年に結成し、2003年から「パラモデル」と名乗るようになった。~はてなキーワードより引用。

私がパラモデルを初めて知ったのは、2008年の赤坂サカスというアートイベントだった。会場の一つとなっていた体育館の天井に制作された「プラレール」を用いたインスタレーションで、巨大天井画に驚嘆し、いかにして天井にレールを貼り付けて行ったのかと制作過程に関心をもった。
その後、mori yu gallery(東京)で個展も拝見したが、この時の作品はペインティング主体であまり印象に残っていない。

そんな訳で、「プラレール」を使用した作品を制作するアーティストというイメージしか持っていなかった。
しかし、本展チラシを見た時、「これは行った方がいい。行かねばならない。」と頭の奥からお告げ(?)があり、久しぶりに西宮市大谷記念美術館を訪れた。藤本由紀夫展以来の訪問だと思う。

会場内は撮影自由。
本展では、新作絵画やインスタレーションを中心に、様々な作品を館内各所に設置。会期中も継続して公開制作を行うことにより、無限に変化しながら拡張し、観客を日常の隙間へと誘う、パラモデル・ワールド全開!的内容となっている。
パラモデルの作品が設置されていない、いや浸食されていない場所はないのではと思う程、館内に留まらず、和室の庭園にまでプラレールが増殖中だった(画像下)。

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入口正面の大きな↑に導かれ、中を進んで行く。
まだ、あちこちに段ボールが積まれていて、作品そのものなのか、制作のための材料なのかどちらか判別がつかない。
入って左手奥の1階第1展示室は、赤坂で観たのと同様の「プラレール」をメインにしたインスタレーションで室内が装飾されていた。
まだ完成しておらず、訪問時にもユニットの一人である中野さんが、山となる白い発砲スチロールの大きな塊を3つ手にして、室内に入って来られる所だった。下の画像で青い上着の方が中野さん。

para1

ちょっとだけ、お話を伺ったけれど、「作品テーマはなく、自由に好きなようにお客さんに観てもらえればいい。」とのこと。制作をするにあたって、大量の図面を見せていただいたが、設計図そのもの。ラフなものでなく直線曲線の秩序ある美しさ。綿密な図面で驚いた。
前述の発砲スチロールの山が立体感も出しており、赤坂の時は天井だけだったのが、今回は天井、壁面、床とどこを向いてもプラレールでできた触手が伸びている。真っ白な壁面にプラレールの青色やゴルフ場で見かけるような人工芝の緑、そしてポイントに赤色が効果的に配置されている。

部屋を出て、あたりを見回すと階段下や和室のある離れへと続く廊下も全て、作品作品作品。
本展に作品リストはいただいたが、リストを見る余裕などまるでなく、一歩歩くたびに作品発見の繰り返しでただただ、驚き感心するばかり。それにしてもすごい量だ。和室に入るまでにそんな印象を受けたのに、和室に行って更にびっくり。

絵画やインスタレーションしか拝見していなかった私は、まずキャラ物のオブジェ(立体彫塑)を鴨居の上にちょこんと一体乗っかっている。
そして、大きなお座敷で目にしたものは、大量の回転してないお寿司≪回転トミ寿司≫の列。これがまた、等間隔でお行儀よく並んでいて、パラモデルの直線嗜好をここでも感じるのだった。
よくよく見ると、丸いお皿の上に乗っているのはシャリではなく、ミニカー。ミニカーの上に寿司ネタ見本(ロウ細工)が乗っかっていて、これらは全て凧糸でぐるぐると巻かれていた。
仕事が細かい!!!

床の間には、≪テナシイヌ≫というキャラ物が飛行機を創り出し溶け出していく過程を時系列に立体で表現。
隣の和室の押し入れを利用して、アニメーション≪テナシイヌ≫(3分)が上映されていた。押し入れに入って鑑賞したかった。この他、絵馬はぶら下がってるし、廊下のあちこちに作品が点在し、もう作品が無い所を探す方が困難。和室の2階には写真作品≪残存と消失の風景≫が6点。

次に2階。第2、第3、第4展示室。いずれもパラモデル作品増殖中。

水道管で良く見かけるプラスチック製の継手を使用し立体作品制作に燃えるスタッフ氏。防塵マスクをし、天井にせっせと穴をあけ継手を取りつけていく作業を熱心にされていて、そこまで念入りにこまめに設置しなくても・・・と言いたくなるような、いやあれは完成への欲求というより、制作過程そのものを楽しんでいないと続かないだろうと思った。
同様のことを第4展示室で作業中のスタッフ氏2にも感じて、ついつい話しかけてしまった。
なぜなら、スタッフ氏2が行っていた作業は気の遠くなるような細かい作業だったのだ。それは水道管ゲーム(ボードゲームのひとつで、一時大流行)のカードを1枚1枚壁に貼り付けている。貼付方法にも、いろいろあると思うが、彼が行っていたのは上部2ヶ所を細い針で止めるというもの。針を刺すための穴を、特殊なそれ専用の穴開け機によって一つ一つ開けてカードを下にし針を埋め込んで行く。
NEC_0121.jpg

私「どうして、針で、しかも上だけ2ヶ所止めてらっしゃるんでしょうか?」
スタッフ氏2「やっぱり、見栄えが良いからでしょうね。」
私「こういう作業がお好きなんですか?」
スタッフ氏2「好きじゃなければ拷問ですね(笑)」
私「これ、全部貼り付けるまでに展覧会終わってしまいますね~。」
スタッフ氏2「完成はないでしょうね。」

くだらないことをお聞きして申し訳なかったです。でも聞かないではいられなかった。この作業効率度外視、ひたすら秩序美を目指す姿勢こそパラモデルの世界。

作品ひとつひとつが建築的要素を持っていて、工事現場を想像せずにはいられない。本展の帰路、工事中の看板や継手を見るとこの展覧会のことを思い出した。

会場の2階右手奥には木製の作業机がいくつか置かれているが、何だかやけにトロピカルなシャツを来た男性が黙々とパソコンに向かって作業されていた。美術館ではご法度のBGMまで流れている。曲は楽しいポップなものだった。この方がもう一人の作家さん?と思いきや本展担当学芸員の方でびっくり。
何でも、パラモデルからこの場所で普段の仕事をするよう言われ、そのための作業机まで制作されたのだとか。
トロピカルなのは、学芸員さんご本人の個人的趣味でした。

今回パラモデルの展覧会を決定したのは今から1年半ほど前。
関西在住の若手で、ここ数年勢いがある作家ということでノミネートされた。
彼らの作品は制作過程そのものも作品の一部であり、お客さんも一緒に参加できるような展示をしたかったとのこと。会期が6月26日から8月1日と短いのは、実際5月から作業を開始していたが、実際に会場で制作を進めるため、オープニング迄の準備段階に1ヶ月の時間を要した。本当は5月上旬から美術館の2階で制作を開始。しかし、制作するのも大変ですが、作品の撤去も大変だろうなぁ。。。考えただけで涙が出そう。

いやはや、それにしても映像、写真、絵画、立体、ありとあらゆる表現方法を駆使して独自の世界観を創出。大人も子供も誰でもが楽しめる素晴らしい展覧会でした。
今、一番のオススメです。
8月1日の最終日にははたして、会場はどんな風に変貌しているのでしょうか。できることなら再訪したい!
なお、リピーターには耳より情報。
本展入館料500円(一般)が、受付で配布されているチラシを提示すれば200円になります。

また、来る7月17日(土)午後2時より、パラモデルによるギャラリートークが開催されます。
展覧会図録は現在制作中で7月下旬に全国書店で青幻社刊行により発売!帯には伊藤存さん、名和晃平さんのメッセージが入るそうです。
詳細はこちら

zuroku

*8月1日まで開催中。写真が下手でゴメンナサイ。

2010年7月11日・12日 観賞記録

7月10日(金)の夜から広島入りして、広島市現代美術館で開催中の「都築響一と巡るHEAVEN」を皮切りに関西方面の美術館、ギャラリーなど回って来ました。

以下、明朝早いので簡単に記録のみ。後日、改めて書きなおしします(多分)。

<美術館・博物館>
1.「都築響一と巡るHEAVEN」 広島市現代美術館 7月19日まで
これは、もう気になって気になって仕方がなく、ついに好奇心に負け広島詣で。しかし行った甲斐がありました。
やっと、都築響一さんの作品世界が見えて来ました。恵比寿映像祭に出展されていた「カラオケ」を拝見した時は、「なぜ、これがここに???」と訳が分かりませんでしたが、やっと分かりました。って遅すぎますね。
7月16日に青山ブックセンター本店にてトークショーがあるため、こちらも参加したいと思っています。
詳細別途。

2.「パラモデルは世界のプラモデル」 西宮市立大谷記念美術館 8月1日まで
こちらも、都築響一さん同様、これまで断片的に作品を拝見してはいたものの、ぼんやりとプラレールの作家さんというイメージしかありませんでした。ところが、本展ではその世界観を一挙公開。映像、立体、写真、平面絵画など多岐にわたった作品表現を展開。美術館の庭から建物(本館、離れとも)全てがパラモデル作品に制圧されようとしています。現在も作家さん+お手伝いの方々で作品制作中です。これは必見。
詳細は、必ず別記事にします。

3.「長沢芦雪の動物画」展 和歌山県立博物館 7月19日まで
長澤芦雪が好きなので、和歌山まで行くことにしました。同館で芦雪絵画を多数委託収蔵されています。当分、芦雪展の開催は見込めないので、地道に作品を追っかけるしかありません。
今回は、全部で13点うち重要文化財は10点、残る3点も県指定文化財と少数精鋭。
いずれも初見の作品ばかり。しかもどれもこれも芦雪が動物を見るやさしい視線が伝わって来る愛らしさを感じます。描かれている動物たちの眼が何とも言えません。
「眼は口ほどにものを言い」という諺を思い出しました。

国立国際美術館で7月10日より始まったばかりの束芋「断面の世代」は昨日アップしたので省略。

<ギャラリー>
1.櫛下町祥吾「月と梯子と虹の」 ギャラリーすずき 7月11日で終了
この方は独学で木彫をされてらっしゃるのでしょうか?時間が押せ押せで、作家さんが在廊されていたにも関わらず詳しいお話を伺えなかったのは残念。
個人的には好みの木彫でした。作品からほのぼのとした愛を感じます。癒されました。

2.増田敏也展 Galleryはねうさぎ room4 7月11日で終了
セラミックの作品+作家さん初挑戦のペインティングが1点。展示スペースと出展作品で「人の気配を伝えたい」というテーマを見せてくれます。これが土製品?と驚くような出来栄え。一見すると素材が陶磁器とはとても思えません。櫛下町さん同様、別記事にしたいです。

3.宮永亮 「making」 児玉画廊(京都)8月14日まで
本拠地京都での個展開催。東京白金の児玉画廊で披露した「地の灯について」をフルスペックバージョンで公開。
大迫力!
更に、児玉画廊(京都)の特殊な空間を活かしきった映像インスタレーションとして楽しめます。もちろん、別記事。

4.「GALLERY'S RECOMMENDED YOUNG ARTISTS」 TEZUKAYAMA GALLERY 7月24日まで
岩田小龍、大江慶之、小松孝英、後藤靖香、住吉明子、添野郁、戸井裕之、山下耕平、以上8名の若手アーティストによるグループ展。
お目当ては、後藤靖香さんと山下耕平さん。
後藤さんの新作≪うどんの湯気≫は良かった。この作品があったからこそ、会場が引き締まってました。次の個展が楽しみ。山下耕平さんは、コラージュとペインティング2点で、こちらはやや物足りず。

5.「Art Court Frontier 2010 #8」 アートコートギャラリー 7月24日まで
出展作家:入谷葉子、埋橋幸広、内田文武、大西康明、木内貴志、キスヒサタカ、黒宮菜菜、佐川好弘、佐藤 貢、田中朝子、宮本博史、森末由美子
関西在住あるいはゆかりの若手を中心に、気鋭作家が競演するアニュアル企画「Art Court Frontier(アートコートフロンティア)」の8回目。
本展は、美術界で活躍中のアーティスト、キュレーター、ジャーナリストや愛好家らが推薦者となり、出展作家を1名ずつ推挙し、ともにつくり上げる展覧会として2003年に始まったグループ展で、私は初めて拝見しました。記念すべき第1回は名和晃平さん(田中恒子氏推薦)らを選出しています。
ギャラリーとは思えないような広い空間での展示。見ごたえがありました。こちらも別記事って大丈夫かな。

6.ART OSAKA 2010 堂島ホテル 7月11日で終了。
7月9日~3日間開催されたアートフェア。最悪だったのは、荷物を預ける所がなかったこと。
今回の遠征最後に行ったので、荷物をピックアップしていたのが失敗でした。おかげでメモも取れず、飛んだ邪魔者。そんなこんなで、あまり落ち着いて鑑賞できませんでしたが、坂本真澄さん、山野千里さんら気になる作家さんはしっかり観たかな。これは後日加筆します。

結局、大雨にもたたられず助かりました。2日目の宿泊先はドーミーインを利用しましたが、都会の露天風呂もオツで、久隅守景の「納涼図屏風」を彷彿とさせる光景でのひとっ風呂は最高でした。

「束芋 断面の世代」 国立国際美術館

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国立国際美術館で9月12日まで開催中の「束芋 断面の世代」に行って来ました。

束芋さんと言えば、昨日来年開催の「第54回ベネチア・ビエンナーレ」日本館出展作家に選ばれるというニュースも飛び込んで来たばかり。本展開催に合せて発表したのかな。展示担当のコミッショナーには、国立国際美術館主任研究員の植松由佳氏が選ばれています。

本展は、先に開催された横浜美術館での同展の巡回となりますが、会場が違うとこれ程変わるのかと、改めて束芋さんの映像を別のインスタレーションとして楽しむことができます。

横浜ではなかった束芋さんご自身による?作品解説入りの作品図像入り作品リストが素晴らしい。これは、展覧会のチラシしと一緒にしっかり保存しないと。
いよいよ会場内へ。入口は狭目で、中に入ると足下も見えない程の暗さにびっくりします。入ってすぐは、何も見えずどちらに向かって歩いて良いものかさえ迷ってしまいました。
目が慣れるまで、しばらくじっとしていた方がいいかもしれません。

少しし進んで左に向かうと、何やら寝転がって天井の映像を眺めている観客が見えて来ます。同じ様に寝そべりたいのですが、この段階でもまだ暗さに慣れず床がどうなっているのかわからない。手探りで、床を触ってみたら、ビーズクッションらしきものを発見。カーペット敷かと思いきや、クッションでした。肝心の映像作品は、<団地層>2009年。横浜では正面入口の大壁面に映し出されていた作品。
正面から見るのと、寝転んで下から見上げるのとで、こんなにも違うのかなと思ったら、この作品は横浜での展示後、手を加えられたそうです。

これが、導入部で次に<団断>2009年へ。地下2階展示室全体を使用した展示は、横浜と比較すると閉塞感が少なくくなっています。更に、作品と作品の展示空間の中でのつながりが、切れ切れではなく、観客は好きなところから回遊しながら鑑賞することも可能。展示室全体が全て照明を落とし、暗闇の中で要所にスポット照明を使用しているだけなので、映画館やお化け屋敷のような、束芋さんの世界観にどっぷり浸ることができます。
私は2周したが、1回目は吉田修一氏による新聞小説「悪人」(本来は旧漢字を使用)挿絵原画を飛ばして、<ちぎれちぎれ>や<BLOW>を見ました。

新たなもう一つの見所は、<悪人>コーナーの手前にある壁画でしょうか。
これは、新たに今回の展示用に描きおろしされています。

全体としてゆったりした展示とはいうものの、鏡を使用した<ちぎれちぎれ>は横浜同様、一度に鑑賞できる人数は限られているため、今回も観客が増えて来たら、行列をなすこと間違いなしでしょう。
冒頭のクッション数も限られており、こちらは混雑してくるとやや危険(寝転がっている観客やクッションに気付かずつまずいたり、転んだりしないでしょうか・・・)なのではないかと懸念しています。

そんな訳で、できれば混雑する会期末間際ではなく、早目のご鑑賞をおすすめします。
横浜での展示をご覧になった方は、作品を再度楽しむもよし、展示空間全体を一つのインスタレーション作品として考えれば新たな楽しみを発見できるように思いました。

展覧会初日は、束芋さんのアーティストトークが開催され、16時頃入館した時には図録や7/7に出版されたばかりのアーティストブック『惡人』(朝日新聞出版社刊・1890円)へのサインを求める行列ができていました。残念ながら、ミュージアムショップに馳せ参じましたが、既に『惡人』は完売。≪BLOW≫の一場面に出てくる片足をサインに入れてらっしゃる様子を羨ましそうに横目に見つつ通り過ぎるしかありませんでした。

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この新刊出版記念として、ギャラリー小柳で8月5日~9月11日まで「束芋 ててて」が開催されます。更なる新作登場か!こちらも楽しみです。

今月13日から始まる「横尾忠則全ポスター展」の観覧料金で本展を併せてご覧いただけます。単独拝観の場合、一般420円。無料観覧日が毎月設定されていて、8月7日(土)、9月4日(土)となっています。9月4日は絶対混むだろうなぁ。。。

*9月12日まで開催中。

<お詫び>展覧会タイトルが誤っていました。(正)断面の世代 7/11 23時加筆・修正

「智恵子抄 高村光太郎と智恵子その愛」 菊池寛実 智美術館

菊池寛実 智美術館で開催中の「智恵子抄 高村光太郎と智恵子その愛」に行って来ました。
智恵子抄と言えば、忘れられないのは「あどけない話」の~智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。~で始まる高村光太郎の詩作です。

中学だったかの国語の教科書に掲載されたその詩は、私の中でいつまでもくすぶり続け、それは今でも忘れられない一節。国語の授業で習った沢山の詩の中で、高村光太郎の「智恵子抄・あどけない話」と三好達治の「大阿蘇」(雨は降つてゐる 蕭蕭と降つてゐる )は、今でも空を見上げた時、静かに降る雨を見た時ふっと頭に浮かびます。


本展は、高村光太郎と妻・智恵子の「紙絵」など二人の作品を展観するものです。

展示室は光太郎の彫刻と詩の直筆原稿を集めた光太郎コーナーと智恵子の「紙絵」を展示したコーナー、2つに
分かれています。新宿の中村屋を巡る人々を明治から昭和初期まで追い続けた小説「安曇野」に高村光太郎は登場する。小説の中の光太郎は、若き頃は無頼の人であった。

光太郎の彫刻作品として有名なのは「手」や十和田湖岬に立つ「2人の少女の立像」であるが、彫刻家の光太郎より、詩人の光太郎の方が俄然魅力的に見えた。
彼が紡ぎ出す言葉のひとつひとつが、美術作品以上の力を持ってして、読む者に揺さぶりをかけるのだった。

光太郎の詩作に気持ちがすっかり傾いて、どっぷりとその世界に入ってしまう頃、智恵子のコーナーへと誘われる。

智恵子が精神を病んでしまったのは、必然であったのかもしれない。生来の気質に加えて、光太郎との生活が拍車をかけ、智恵子自身の芸術活動の行き詰りから、精神が逃げ出した。

しかし、彼女が突然折り鶴から紙絵作品を作り始めたという事実は、智恵子の精神の奥深いところで芸術家としての本能と光太郎への激しい愛を感じずにはいられない。

彼女が紙絵の制作を行っていたという事実は、本展で初めて知ることとなったが、復元されたその作品たちは、愛らしく、色彩感覚の優れた切り絵であった。
ロールシャッハテストで使用されるような左右対称の文様あり、お花のシリーズ(これが一番多かったか)、花や果物の籠など、智恵子の言葉にならない想いが一点一点に溢れ出て、観ていて何
しかし、二人の作品は展示室内でも見事に調和し、立ち入る隙のないような濃密な愛の交歓を見ているような、時に息苦しさを覚える程でした。

高村光太郎は、明治期の彫刻家・高村光雲の長男で生まれながらにして彫刻家になる道が定まっていて、本人もそれをごく自然なことと捉えていたようです。光太郎とほぼ同時代の彫刻家で早逝した荻原守衛や新宿の中村屋を巡る人々を明治から昭和初期まで追い続けた小説「安曇野」に高村光太郎は登場する。小説の中の光太郎は、若き頃、無頼の人であった。

光太郎の彫刻作品として有名なのは「手」や十和田湖岬に立つ「2人の少女の立像」であるが、彫刻家の光太郎より、詩人の光太郎の方が俄然魅力的に見えた。
彼が紡ぎ出す言葉のひとつひとつが、美術作品以上の力を持っていて、こちらに揺さぶりをかけるのだった。

光太郎の詩作に気持ちがすっかり傾いて、どっぷりとその世界に入ってしまう頃、智恵子のコーナーへと誘われる。

智恵子が精神を病んでしまったのは、必然であったのかもしれない。生来の気質に加えて、光太郎との生活が拍車をかけ、智恵子自身の芸術活動の行き詰りから、精神が逃げ出した。

しかし、彼女が突然折り鶴から紙絵作品を作り始めたという事実は、智恵子の精神の奥深いところで芸術家としての本能と光太郎への一途な愛の発露であったのだろう。智恵子は、光太郎以外に紙絵作品を見せるのを嫌がったという。少女の羞じらいのようで何ともいじらしい。
彼女が紙絵の制作を行っていたという事実は、本展で初めて知ったが、復元されたその作品たちは、愛らしく、色彩感覚の優れた切り絵であった。
ロールシャッハテストで使用されるような左右対称の模様あり、花のシリーズ(これが一番多かったか)、花や果物の籠など、智恵子の言葉にならない想いが一点一点に溢れ出て、観ていて何とも切なくなる。

最後に奥のスペースで光太郎自身による詩の朗読くと彼を紹介する映像が合計15分流れていた。光太郎の肉声は、想像していたより、やや高い声であったが、彼は生きていたのだという当たり前のことを今更実感した。
光太郎にとっての智恵子は、時に母であり娘であったのだろうか。
彼女にとっての光太郎は、どんなだったのだろう?

*7月11日まで開催中。

αMプロジェクト2010「複合回路 vol.2 早川祐太」展 galleryαM

hayakawa
apple,2009 PET bottle water and string 6.15×6.15×18cm

gallery αMで7月10日まで開催中の「複合回路 vol.2 早川祐太」展に行って来ました。
個展の詳細はこちら(ギャラリーのサイトに飛びます)。

複合回路シリーズ2回目となる今回は、田中正之氏(武蔵野美術大学教授)による「認識の境界」をテーマに早川祐太による個展が行われている。

早川祐太の作家プロフィールは次の通り。今春、武蔵美の大学院彫刻コースを終えたばかりの若手作家さん。
1984年岐阜県生まれ。
2008年武蔵野美術大学彫刻学科卒業。
2010年武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻彫刻コース修了。
<主な展示>
2010年「5th Dimension」フランス大使館旧庁舎
   「スチューデントナイト」blanClass 
2009年「from/to#5」WAKO WORKS OF ART
   「 NO FUTURE, NO FUTURE」Art Center Ongoing
   「Re:Membering - The Next of Japan」Alternative Space LOOP(ソウル、韓国)
2008年「アートプログロラム青梅 ポストシアター」青梅市街  など

今回初めて作品を拝見するが、それもその筈。早川さんご本人にとって初めての個展なのだそう。
展示が行われる前のgallery αMは、こんな空間(下)。

割と広い地下空間なので、このスペースを作家さんがどう活かすか。それが昨年来からの楽しみになっている。

中に入った途端、いつもの白い空間がより白く、そしてまぶしく感じられた。
受付のあるカウンターから奥行きのある展示空間を見渡す。
結構長時間、じっと展示空間を見つめていた。
何だろう、この感覚は。
最初の印象は、石庭。京都で見られるようなお寺の石庭のような禅的、哲学的な感覚を覚えた。

その理由は、個々の展示作品にある。

床には白い石膏で作られた膨らんだ風船上の彫刻≪I am you≫がほぼ等間隔に置かれている。風船状の彫刻の大きさや形は微妙に異なる。この彫刻が、石庭に点在する石のように見えた。
手前に配置されているのは、水の入った直方体のアクリル水槽品《The moon is a big rock》。中には2つの白い輪ゴムが、透明チューブから創り出される水泡の間でプカリと浮いている。
長い透明チューブから送りだされる水泡は小さくて、推定不能な動きをする。泡の動きを見ているだけでも飽きないが、そこに輪ゴムがあることで、何らかの意味があるのだろうかと考える。
昨年銀座エルメスで拝見した名和晃平「L_B_S」展のLiquidの泡ブクにも惹かれたことを思い出した。
名和さんが創り出していた泡より、今回の水泡はごくごく小さい。

そろそろと展示空間の方へ移動する。
入口から向かって左の宙には≪apple≫と題した水入りのペットボトルがくるくると勢いよく回転。
そして、最奥には恐らくFRPで造られた白く平たいボートのようなものが絶妙なバランスで浮いている。作品タイトルは≪about us≫。
そのそばには天井によくある細長い蛍光灯が左右に3本ずつ配されている。

そして、やや入口近くの中央には真っ白な直方体の立体が展示されているが、これも透明チューブがつながっている。立体の表面には小さな穴があいていて、透明チューブから送りだされる水滴(多分)がまっすぐにその穴をめがけて立体の表面を滑り落ちて行くのだった。
ただ、それだけなのにとても美しい動き。
水滴と思われるものは本当に液体なのだろうか?もう少し粘着性のある水以外の液状物質なのか?と疑いたくなるくらいチューブから送りだされる粒の形は等しい。
作品タイトルは≪if the ground were round≫。

再び水槽に戻ると、「もしや水槽に浮かぶ水泡が、この水滴に生まれ変わったのではないのか」と思った。
水槽につながっている透明チューブと≪if the ground were round≫の透明チューブが、実はつながっているのではないか、よくよく確かめてみたが、それらはつながっていない。
結果的に、作品それぞれのチューブがつながっていようがいまいが、私の脳はそれらがつながっているように認識した。


展示空間全体をじっくり眺めるという行為に戻る。
「輪廻転生」「宇宙(Cosmos)」そんな言葉が浮かんでくる。

見れば見るほど不思議な感覚に囚われ、そこから離れがたい気持ちにさせられた。
小さくて美しい水滴と水泡は今も忘れ難い。
視点を絞っても、全体を俯瞰しても楽しませてくれる素晴らしい展示だった。

*7月10日まで開催中。オススメします。

「没後180年 良寛遺墨展」 何必館・京都現代美術館

良寛

何必館(かひつかん)・京都現代美術館で7月19日まで開催中の「没後180年 良寛遺墨展」に行って来ました。

ちょうど美術館を訪れた日は、書家石川九楊氏の「書史講義」を聴講する目的で京都に来ていたため、聴講前に良寛の書を拝見するという我ながら上出来なプランではないかとホクホクしながら中に入った。

何必館は私が美術館にようやく行き始めた頃、十年程前に行ったのが初めて。
雑誌「クロワッサン」の全国の美術館特集の中で関西にあるおすすめ美術館の一つとして掲載されていた。
コレクション作品として紹介されていた山口薫の作品に惹かれて出掛けたのだった。

何必館は1981年に開館。館長である梶川芳友氏は21歳で村上華岳の「太子樹下禅那」に出会い、生涯を美術にかけることを決意し、作品にふさわしい空間を作るべく、自ら設計し、何必館・京都現代美術館を40歳にして開設し
た。
定説を「何ぞ、必ずしも」と疑い、既成の枠組みを越えて常に自由でありたいという願いから命名された何必館・京都現代美術館に収められた名品ひとつひとつに、梶川館長の芸術への限りない共感と、名品との出会いの物語
がある。
~2008年3月号京都画廊連合会ニュースより引用

作品にふさわしい空間づくり。これこそ、何必館の魅力の一つであり、そしてここ最近、展示方法が益々グレードアップしているように思える。
前々回の「美の異端児 魯山人を使う」展は、観賞用道具としてでなく用の美学で魯山人作品を見せてくれた。

そして、今回の「良寛遺墨展」。
何必館に良寛コレクションがあることにこれまで気が付かなかった。美術館のサイトで過去の主な展覧会を辿ってみたが、良寛展はこれまで開催されていないようだ。
本展は、比叡山延暦寺にて行われる、180年忌法要を記念し同館コレクションを中心に約50点で良寛の書を展観するものです。

本ブログで「良寛」をキーワードに検索すると、いくつか過去のログが出て来た。しかし、私が良寛の書を意識し、いいなと思うようになったのは、昨年拝見した千葉市美術館の「大和し美し 川端康成と安田靫彦」展である。過去ログ ⇒ こちら
安田靫彦が良寛作品のコレクターであり、この展覧会では1章まるごと良寛の書を見せてくれた。
今振り返ってみると、本展に匹敵するレベルでの作品展観だったように思う。

そうして、俄か良寛ファンになった私は、古書店で1989年初版の新潮社とんぼの本『良寛さん』(絶版)をたまたま古書市で入手した。
本展を鑑賞後、帰宅してから『良寛さん』を読んでみたら、梶川氏による「何必をめぐる良寛書」と題した文章が目に留まった。
本展でも紹介されていたが、梶川氏と良寛書との出会いのきっかけになったのは新潟に在住されていたコレクターの故藤井恒雄氏だった。既に梶川氏と知遇のあった藤井氏は、同館開館の際に駆け付け、館名の「何必」という言葉が良寛の書にあると梶川氏に伝えたのだ。そして、その書「土波後作」と題した良寛71歳の詩文を藤井氏は所蔵され、新潟まで訪れた梶川氏に書を見せてくれたという。
「土波後作」との出会いで、本当の意味で良寛を識り、書の美しさを感じたのではないかと梶川氏は振り返る。
良寛の書は、眼に見えないものを眼に見えるようにしてくれるような心象の表出であり、亡き藤井氏との交流が良寛の奥深い世界を自分の内部に創ってくれたのだと締めくくる。

本展は良寛の書を展観しつつ、梶川氏と藤井氏への思い、そして良寛を巡る旅と館長自らの思いが溢れている。

前置きが異常に長くなってしまったが、展示作品を簡単に振り返る。
1階には、良寛作と言われる手毬や書簡、そしてそれらと一緒に魯山人の備前大甕が巨大な古板に置かれて共演。

2階
≪手毬屏風≫六曲一双、自画像、≪草庵雷夜≫をはじめとする短詩3点、双幅1点。そしてここでも魯山人の備前の手桶に古枝を添えたものが一緒に展示されている。

3階
≪自然≫の2文字を大書した作品。大書といっても良寛の場合、書体は細く伸びやかな風なので圧迫感はまるで感じられない。むしろ一陣の風のよう。
同じく≪無我≫。二文字の書は誰でも読めるし読みやすい。そして、意味も理解しやすい。
≪閑閑堂≫、短歌≪長き夜に≫などなど。
そして、自然や無我などと同じく私にもっとも響いた戒語≪こころよからぬものは≫。
≪こころよからぬものは≫に沢山の心良くない例が詩のように書かれているが、そのほとんどが我が身にあてはまっていて、とても悲しい気持ちになった。
戒語なのだから、それを識ったことで心改まれば良いのだが。「れば」でなく心改めようと誓う。

そして名書≪いろは≫≪一二三≫が並ぶ。

5階の半屋外、茶室スペースには≪法華讃≫、≪余家有竹林≫が展示され、緑がまぶしい苔の内庭とともに、心安らぐ空間となっていた。

地下1階
魯山人の展示室では、絵瀬戸など魯山人の器と書が良寛の作品と共に展示。魯山人も書をする人であったが、彼は古の書家の作品をたどっていった結果、良寛の書を非常に評価し手本としていた。
そんな魯山人と良寛の共演は何必館ならではの展示といえるだろう。

*7月19日まで開催中。

「猪熊弦一郎展 いのくまさん」 東京オペラシティアートギャラリー

inokumasan

東京オペラシティアートギャラリーで本日終了する「猪熊弦一郎展 いのくまさん」に行って来ました。

展覧会終了前日の会場は、予想以上に大勢の観客で賑わっている。
どうやら人気がある展覧会なのだと会場で知る。

猪熊弦一郎は、私が美術というものに関心を持ち始めたごくごく初期の頃(約8年前?)に知った作家さん。元々は谷口吉生の美術館建築が好きで、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(以下MIMOCA)をネットで見つけ、館名にもなっている猪熊弦一郎という画家の作品もネットを通して初めて見た。
ピカソやマティスを思わせる画風は私の好みで、こんな絵を描く人が日本にもいたのかという驚きと、実際の作品を見てみたいという思いからMIMOCAに向かう。それから、何度かMIMOCAには行っているし、猪熊作品や彼のおもちゃコレクションも拝見しているが、本展で観た猪熊作品は何か違ったもののように見えた。

この展覧会は小学館から刊行された絵本『いのくまさん』(下画像)を絵本から飛び出し、実際に作品や絵本にも綴られている谷川俊太郎氏の詞を空間に見せている。つまり、展覧会それ自体が、絵本『いのくまさん』なのであった。絵本
絵本を展示空間化する試みというのは、とても面白い。実際に、会場に配置されていた絵本『いのくまさん』を展覧会を鑑賞した後に見たが、今自分が見て来たものたちが紙面にそのままあって、なるほど~と感心。

本展は、横田歴男建築設計事務所による展示デザインが行われているが、それがとても良かった。
段ボールを使用した展示ケースや玩具を入れた透明カプセル。
そして、章と章を区切るのは透明のビニールシートの大きな幕。そのシートに谷川俊太郎氏の詞文がプリントされている。

展覧会チラシにも使用されている大島依提亜氏デザインによる文字書体が、大幕に踊る。
「こどもの ころから えが すきだった いのくまさん
おもしろい えを いっぱい かいた」
~展覧会チラシより抜粋。

本展は11の章で構成されている。
第1章は前述の「こどもの ころから・・・」で始まる。
第2章「いのくまさんは じぶんで じぶんの かおを かく」
第3章「ほかの ひとの かおも かく」
第4章「たくさん たくさん かおを かく」
第5章「いのくまさんは とりが すき」
第6章「いのくまさんは ねこも すき いっぱい いっぱい ねこを かく」
第7章「いのくまさんは おもちゃが すき」
第8章「いのくまさんは かたちが すき こんな かたち あんな かたち 
かたちはのびる かたちは まがる かたちは つながる かたちは かぎりない」
第9章「いのくまさんは いろも すき こんな いろ あんな いろ
いろが うまれる いろが ささやく いろが さけぶ いろがうたう」
第10章「ぬりえをしよう」
第11章「いのくまさんは たのしいな」

・・・とこんな具合。
作品として印象深かったのは第2章の自画像コーナー。
1920年代の自画像はほぼ1年単位で近い年代にもかかわらず、画風がまるで違う。1921年、1924年、1925年の自画像の変遷を見ているととても面白くて、技術的にはどの画風であってもその時既に確立していて、気分で描き分けていたのかなと勝手に推測した。

そして、スケッチ帖。
スケッチ帖の類は、冊子のためどうしても1度に見られる頁が限定されてしまう。猪熊弦一郎のスケッチ帖はとても魅力的で、楽しさが中にぎっしり詰まっている。これを約15分の映像化して見せる試みはとても良かった。
そして、その後に続く第5章のとりや第6章のねこのコーナーでは、鑑賞しているお客さんの顔が皆ニコニコしているのだった。もちろん、私も愛らしいトリやねこのドローイング類にすっかり引き込まれた。

こんなに観客がニコニコしている展覧会は本当に初めて。
誰の気持ちも楽しくさせてしまう魅力が猪熊作品には、間違いなくある。そして、その力を谷川俊太郎氏の詩文、横田歴男の展示デザイン、大島依提亜氏のグラフィックデザインが見事に引き出したのだった。

なお、絵本『いのくまさん』は既に出版元にも在庫なく、ミュージアムショップでも完売になっているのでご注意ください。
本日最終日。未見の方はぜひ。おすすめです。

いつも楽しみにしている若手作家紹介コーナーのプロジェクトNは喜多順子。
ずっと、気になっていて先ごろ行われたTake Ninagawaでの個展も見逃してしまったので、漸く作品を見ることができた。大判の布に描かれた水彩は、とても新鮮。個人的には近作の≪WH水原≫(木炭・布)2009年や≪WH水原2009ブレンド≫(水彩、布)の山岳風景を描いた風景作品がとても好き。
支持体の布によって、描かれている風景が伸びやかなものに見え、やさしく迫って来る。
布という素材を上手く使って、絵画表現する作家なのだと知る。
以前の作品では板を支持体に使用し「バラ」を描いた作品も何点か展示されていた。

冒頭にあった≪鯉シーツ≫2002年。
水彩だからあり得ない行為だろうけど、こんな鯉のプリントがしてあるシーツの上で眠ったら、どんな夢が見られるのだろうと思った。
次回の個展は必ず行こう。

*7月4日まで開催中。

小泉悟  "リレーション" Showcase 

koizumi

銀座5丁目Showcase/MEGUMI OGITA GALLERYにて開催中の小泉悟  "リレーション"に行って来ました。

本展が初個展となる小泉悟は、1983年生まれ沖縄県立芸術大学彫刻科を卒業し、現在同大学彫刻科助手として勤務。まだ20代の若き彫刻科である。

何しろ木彫大好きなので、本展のDMの作品画像(上)を見た時から気になっていた。

動物のかぶりものをした人の顔。
何よりまず、その表情に惹かれる。子供なのか、大人になる前の若き人なのか。
ちょっとおどおどしたそのつぶらな瞳が、こちらをじっと見つめている。

やはり実物を見なければ。
作品と対峙した時、最初に視線が向かったのはやはり人物の瞳だった。
技法のことはよく分からないが、アクリル樹脂を使っているという瞳は微かに光沢を放ち、人肌となる木(全て樟)の表面も滑らかで、思わずなでなでしたくなってしまった。

作品は全部で5点。うち3点は既に売約済だった。大きさには若干の違いがあるが、壁にずらりと並んだ展示が面白い。顔の違いがより明らかになる。ちょっと拗ねた顔の子や一重で切れ長の瞳をした子。どの表情も顔も微妙に違う。
羊、狼、北極クマ、ヤギ(最後のひとつがどうしても思い出せない・・・)など、5点とも動物を頭にかぶっている。ギャラリーのプレスリリースからの以下引用させていただく。
「小泉の作品に登場する、荒々しく削られた動物の中に不安そうに潜む現代人の顔からは、自然界から遠く隔たった「人」という動物を認識させられます。様々な文明の高度化により失われていく動物的な身体感覚と、それでも自然の一部として存在しようと願う私達の思いを具現化し、矛盾を孕んだ時代のリレーションの形が小泉によって彫りおこされます。」

私が訪問した時、運良く作家さんご本人がギャラリーにいらっしゃったので少しだけお話を伺うことができた。
動物でなく人間に関心があると仰っていた。
だから、今後も動物でなく「人」を彫っていきたいと。

Showcaseで個展を開催することになったきっかけは、小泉さんが上京しギャラリー巡りをした中で、「この場所で是非作品を展示したい!」と強く希望され、お見合い成立となったそう。「これも縁だね。」とオーナーの荻田氏が笑ってお話して下さった。

過去のアーカイブ、卒業制作の作品写真を拝見したら、今回の作品と瞳の仕上げ方法が全く異なっていて、明らかに技術的に向上していた。ただ、卒業制作作品の中に1点上を向いたとぼけた表情の作品があって、これはこれで面白い。そういえば、卒業制作作品も動物のかぶりものをしていたな。

今回は壁にひっかけ式になっている作品(卒業制作は木の台座に据え付け)だったが、できれば壁掛け式でなく置いて鑑賞できる作品そして動物のかぶりものを取った人物の顔を見てみたい。
スペースの大きいMGEUMI OGITA GALLERYで次回個展の開催も予定されているそう。次回も楽しみです。

*7月17日まで開催中。

矢津吉隆 「Sculptures and Paintings」 TSCA-Tokyo

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TSCA-Tokyoで7月17日(土)まで開催中の矢津吉隆「Sculptures and Paintings」に行って来ました。

矢津さんの作品を初めて見たのはいつだったのか、自身のブログで検索してみた所、今年の3月「第13回 岡本太郎現代芸術賞展」の入選作品だった。その時の鑑賞記事はこちら
そして、その翌月に京都市芸のギャラリー@ACUAの「きょうせい」展第1期で、鮮烈な印象として残った≪The Corona≫シリーズ作品を拝見したのだった。
更にその後、京都造形大学ギャラリーRAKUの「RAKURAKU FESTIVAL」展にも参加されていた。

もう少し作品を拝見したいなと思っていた所、TSCAからのメルマガによって本展開催を知り、わくわくしながら出掛けた。

今回は展覧会のタイトル通り、Sculptures(彫刻)とペインティングで構成されている。
矢津さんのプロフィールや作品画像はご本人のWebページよりご覧いただけます(以下)。
http://www.yazuyoshitaka.com/
昨年開催された矢津吉隆×山下耕平「ヨルヤマ-night wacthing-」/Antenna AAS(京都)を見逃したのは残念。しかし、開催当時、お二人は私にとっては未知の作家さんだったのだから仕方ない。今ではお二人とももっとも注目している作家さんなのに。。。

今回の個展に話を戻す。
Sculpturesは≪The Corona≫シリーズ大小2作品。いずれも、既に見たことのある作品(小さい方は京都造形大ギャラリーになかったか?)だと思うが、paintingは初見。

いずれも宇宙や天体がモチーフになっている。
ギャラリーオーナーの染谷氏によれば、矢津さんの関心が宇宙、信仰、神といったものに向いているからだそうで、確かにご本人のサイトにもそれを感じさせるコメントが記載されているのを見つけた。

2度目となる≪The Corona≫は次のような作品である。以下勝手ながら、作品解説を矢津さんご本人のサイトから引用させていただく。
「鉄製のフェンスの中に直径約140cmのファンが高速で回転している。ファンの羽根のうち一枚には計12個のLEDが取り付けられている。点灯したLEDが回転する事によって軌跡が円となる。フルカラーのLEDはRGBの三色を混合することにより様々な色を表現する事ができる。プログラミングによって制御し、1000分の1秒単位で点滅させることで100種類以上のパターンをつくりだし、それを自由に組み合わせている。10分間のプログラムが再生されたのち回転と点灯がとまり、照明が連動して点くことで全体像が見える。」

100種類以上のパターン!!!
つまり、1度見たけど見てないパターンが間違いなくある筈。
そして、今回様々な形と色の組み合わせを見せる光の造形に見事にしてやられたのであった。
簡単に言ってしまえば、何度見ても飽きることなどない。

円形のはずが、なぜか時折楕円に見えたりと羽が描く孤形まで変化している。どんな風に見えるのかは、人によって違うらしい。
10分間など、光のパターンを見ているとあっという間に過ぎていく。

「きょうせい展」の時は、この作品に宮永亮さんの映像や岡本高幸さんのエレクトロニックな人体オブジェなどが加わり、メタリックで硬質な空間がとても素敵だった。

初見のペインティング。
こちらも、やはり色使いが印象的。≪The Corona≫にも言えることだが、配色と形の組み合わせがポイントになっている。かなり小さめの黒っぽいペインティングが私の好み。
ちょっと野村仁さんを思い出した。

来年1月には待望の新作による、個展が開催されるとのこと。
更に、その前に来月より京都一円のギャラリー&美術館が参加する「京都藝術2010」の実行委員にも名前を連ねていらっしゃる。「京都藝術2010」では各種イベントが開催される予定だが、詳細はまだ明らかになっていない。何はともあれ、京都の動きから目が離せない。
「京都藝術2010」公式サイト:http://www.kyotoarts.com/top.html

*7月17日まで開催中。
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