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あいちトリエンナーレ2010 中央広小路ビル&ボリス・シャルマッツ編

漸く、最後の展示場所中央広小路ビル編へ。
中央広小路ビルは、愛知文化芸術センターと長者町会場の中間、やや長者町会場の方が近い場所に位置しています。名古屋市営地下鉄栄駅から徒歩5分もかかるか、かからないか。栄は地下街がのびているので、地下街を歩いて行けば、炎天下を歩く距離は少ないです。

長者町会場から愛知芸術文化センター間の移動には、草間プリウス(当日予約要、平日は割と空いてました。)や、ベロタクシー(電動モーター付自転車)なども利用できます。

ベロタクシーは、各会場への移動にとても便利!
各会場にベロタクシー乗り場があり、乗車はそこから、下車も次の会場のベロタクシー乗り場と決まっています。
また、例えば「納屋橋会場」からは、名古屋市美術館と長者町会場には行けますが、愛知芸術文化センターへの直行はできません。各会場の乗り場から行ける行き先は2会場に指定されています。
トリエンナーレのチケットを呈示すれば、無料で乗車できます。こちらも空いていれば乗車できますが、発車時間が決まっているたようで、土日で利用客が多い場合は、事前に予約しておいてから、鑑賞に行くなどした方が良いかもしれません。平日の昼間に乗車しましたが、それでも乗車時間まで5分ちょっと待ち時間がありました。思った以上に、風が気持ち良く歩くより全然楽です。これはオススメ!

■中央広小路ビル
ここでは、4つの作品を展示していますが、どれもなかなか面白かったので、忘れずに必ず行って欲しいです。
・ピップ&ポップ
1981年シドニー生まれのニコル・アンドリヤヴィチと1972年パース生まれのタニヤ・シュルツの二人によるアーティストユニットだそうだが、今回初めて知った。このファンシーさ、ラブリーさは、あいちトリエンナーレでNO.1間違いなし。近寄ってみると、極小の布袋とか小技が沢山あるので、要チェック。ピンクや蛍光グリーンに、蛍光イエローなど、まるでお菓子の国かおとぎの国気分を味わえる。
靴を脱いでの鑑賞になるので、じっくり腰を据えて鑑賞してください。写真撮影可能ですが、思わずシャッターを切りたくなる。
タイトルは「ハッピースカイ ドリーム」。材料もスイーツで、「砂糖、菓子、モデリングメディウム、ミクストメディア、愛情」とキャプションに謳われ、最後に『愛情』って書いてあるのが心憎い所。近寄ると甘い香がするのは、お菓子やお砂糖の香だったのだと納得した。

・アーヒム・シュティーアマン&ローランド・ラウシュマイアー
映像作品。10分位の長さだっただろうか。結構面白くて最初から最後まで通して観た。パソコン上の出来事を映像で実写化したと言えば良いのか。コミカルでテンポが良く、いかにも国内の作家ではまず観られない発想と内容だったように思った。

・ジム・オヴェルメン
彼の作品は8月22日に開催された音楽パフォーマンスに合わせて鑑賞。通常は映像単体での上映だが、パフォーマンスの日は、映像に合わせて、合唱隊が登場し実際にコーラスするという楽しいイベント。映像だけの時とパフォーマンス付では、当然後者の方が良かった。ただ、映像作品単体として観た時、それ程個性的とは思えなかった。

木村崇人の作品は、広島市立現代美術館で今年観たものと同じだった。星を作る作品。こちらは、先日名古屋城で≪木もれ陽プロジェクト 星の回廊≫が開催された。

なお、中央広小路ビルには、愛知県立芸術大学のサテライトギャラリーが入っており、私が行った時もグループ展「CIRCLE2」が開催されていた。かなり広いスペースを持っているので、是非立ち寄って欲しい。もちろん、入場無料です。展示スケジュールはこちら

■ボリス・シャルマッツ 納屋橋会場
前回、触れたように予約制の映像パフォーマンスで、鑑賞料は千円。「チケットぴあ」で予約可能だし、当日でも空いていれば会場で予約できる。

ピアノの上にベッドのようなスペースがあり、たった一人で室内に寝転んで右上方に釣り下がるモニターの映像を鑑賞するもの。最初に係の方に案内され、室内を1分程見学する。その後、台の上によじ登り、枕の位置に仰向けで寝る。部屋が暗くなり、係の方も退出され、映像開始。
映像作品は、いきなり舌を出したダンサーたちが登場するというもの。私は途中から映像鑑賞というより、激しい睡魔との闘いになった。まどろんでは、何かの音ではっと目が覚め、画面を見やると映像が変わっている。この繰り返し。これが約50分続く。
最後の最後に物凄いピアノの演奏があり、そこではっきりと覚醒した。枕の両脇にスピーカーがあり、サラウンドシステムによる音響効果は凄かった。

夢か現か幻か。自分が観ていたものは、まさにそんな感じ。

なぜか、終了後ペットボトルのお茶をいただけますが、会場内では飲んではいけないそうです。
ボリス・シャルマッツは今度の土日(9/4・5)に実演パフォーマンスが開催される。詳細は以下をご参照ください。
http://aichitriennale.jp/news/post-335.html

納屋橋会場には草間彌生のソファセットなど、くつろげる設備が整っています。
体験してみたい方はぜひ。また、当日券を購入されて、一度納屋橋会場に入場し、再度納屋橋会場だけを別の日に観たければ、この映像パフォーマンスチケットで他の作品も鑑賞できるとのこと。

ヤン・フードン作品と9月28日~10月10日まで開催される映像プログラムを楽しみにしているので、地元でもあり再訪します。
記事を書いていて気付きましたが、愛知芸術文化センターの12階と地下2階に現代美術企画コンペの作品や「西京人」の人形劇映像、実際に劇を行う日(9/11、18・19・20など)もあるので、そちらもお忘れなく。私は、地下2階の作品は見逃してしまいました。次回は欠かさず観て来ます。
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あいちトリエンナーレ2010 長者町&納屋橋会場編

徐々に記憶が薄れつつあるので、長者町と納屋橋会場編についての感想を。
ただし、納屋橋会場では3階フロアをフルに使用して見せる映像作品が映写機の不調により鑑賞できず、また同じく納屋橋会場のスン・ユァン+ポン・ユゥの作品が機械不調のため、本来紙が上部から降り注ぐ筈が降り注ぐことなく紙の小山を観るに終わったのは残念です。

私は前売りの当日券で回っていましたが、納屋橋会場の日付印は押されず再度入場はできます。でも、遠方から来られた場合、交通費、宿泊費を考えれば何度も名古屋に足を運べる訳でもなく、観客泣かせとしか言いようがありません。
また、スン・ユァン+ポン・ユゥの作品の不調については会場に行くまでまったく情報の入手ができず、マイナス情報の告知が欠けているというのが実感。僭越ながら、プラス情報だけでなく、マイナス情報もしっかり公式HP、公式Twitterで案内すべきではないのかと、観客のための情報伝達対応を迅速かつ十分に手配していただきたいものです。

■長者町会場
8月の名古屋は熱いでなく暑い!例年、名古屋の夏は暑いが、今年は一層厳しかった。
愛知芸術文化センターや名古屋市美術館のように冷房のきいた空間ばかりではないので要注意。むしろ、冷房のきいてない空間の方が多いと思った方が良いです。全部観て回っても、各展示場所の距離は大したことはないので、徒歩でも十分可能だが、問題は暑さ。炎天下の鑑賞はオススメしない。私は16時過ぎ頃に回り始めたが、閉場時間までに一通り観ることはできた。通常19時閉場だが金曜は20時までとなっている。
また、長者町会場で入場券の提示が必要は場所は、以下の4つで他は無料拝観可(壁面絵画など屋外設置作品も多い)。
・万勝S館
・長者町繊維会館
・中愛株式会社地下
・スターネットジャパンビル

印象に残った作品です。
・渡辺英司 スターネットジャパンビル
スターネットジャパンビルをほぼ全部使用してのインスタレーション。完成度の高さは群を抜いていた。
いつものように図鑑から切り取った蝶が部屋中に飾られているだけではなく、見せ方も上手かった。他の方の紹介記事を拝見していたら3階の展示が云々とあったけれど、私が行った時、3階への階段は補修中とかで封鎖されていました。中に作品があったのかな。

・ナゥイン・ラワンチャイクン 長者町繊維会館
ナゥインの作品は、長者町の歴史そのものだった。長者町は繊維卸業者の街。実家の家業の関係で、小学生の頃からこの街を見て来た。絵画も良かったけれど、映像に思わず見入ってしまった。そこでは、長者町を拠点としている会社の社長さんや喫茶店のママさん、お茶屋さんなどが登場し、長者町の歴史を語っている。第二次世界大戦時に名古屋が大空襲に遭った時の話までされている方もいて。徳川美術館で名古屋大空襲で炎上している名古屋城やその周辺の写真を観た後だったので、余計リアルだった。
堀田商事のビル壁面作品もお見逃しなく。

・浅井裕介 長者町繊維会館
9/4まで東京のARATANIURANOで個展開催中の浅井裕介さん。部屋一室だけでなくビル入口から階段脇まで例によってドローイングで良いのかな。古いビルの一室に彼の泥絵はよく噛み合っていた。なお、同じく長者町会場にある喫茶クラウンでコーヒーをオーダーして「浅井さんので」とお願いすると浅井さんの作品入りのカップでコーヒーが供されるとか。私は行きませんでしたが。行かれた方があれば、ぜひ教えてください。

長者町繊維会館はナゥインや浅井の他に、一番最初にあった北川貴好の電球を使った球形のインスタレーション(9/12までの展示)も良かったし、ジュー・チュンリンのアニメ映像と映像を空間に出現させたインスタレーションの組み合わせもまずまず。

長者町繊維会館とARTISANビルの現代美術展企画コンペの作品は、3期に分かれて展示されます。A日程は9/12まで。B日程:9/15~10/3、C日程:10/6~10/31ですので、ご注意ください。

・トーチカ エルメ長者町ビル
彼らの映像は楽しくてかわいい。特に今回は映像インスタレーションで、壁に空いた穴から覗き見る方法。室内展示のものとあいまって現実と映像が錯綜する感覚があった。トーチカの作品は、エルメ長者町ビル1階、無料なので、再訪したい。なお、栄にあるアーバンリサーチというブティックの3階がギャラリーになっていて、8月31日までトーチカの映像作品流しています。私はこちらも拝見して来ました。

・マーク・ボスウィック 万勝S館
写真&植物などを使用したインスタレーション。摩訶不思議な空間を創り出していた。一言でいえば、スピリチュアル的なものを出そうとしていたのか。

・山本高之
こちらも無料拝観可能な旧玉屋ビルにある。子供を主役にした映像作品が2本とその際子供たちが制作した作品が展示されている。動物園の動物を主役に「これが私の1日♪ラララ~」の合唱が、調子っぱずれだったり歌い手が変わる時の変化が楽しくて、ついつい長居。

・戸井田雄 中愛株式会社地下
伏見地下街とポケットマップには掲載されているが、会場が変更になり、中愛ビル地下での展示になっているので要注意。真っ暗な部屋に入ってしばらくすると、コトが起こります。あの瞬間を生み出すために会場変更したのではないか。

・西野達
こちらは、期間限定の展示作品。私は8月22日に夜空に高く明滅する「愛」の文字を観ました!9月以後の展示スケジュールは公式ガイドやHP等でご確認ください。

・ナタリヤ・リボヴィッチ&藤田央
これも無料拝観可能な吉田商事株式会社1階での展示。室内に巨大な赤のウサギのバルーンが横たわる。ペインティングやドローイングが楽しかった。カオスなんだけど、雑然としているのも、このユニットの場合は成功していた。

他に大山エンリコイサムの壁画およびドローイング作品などもあり。大山さんの作品は9/12までの期間限定です(壁画はそのままかもしれません)。

■納屋橋会場
こちらは、映像作品を中心に構成されている。
・小泉明郎
彼の映像作品は、毎回楽しみにしている。今回の作品は、第三者の様子に注目。突如泣き始めた男に戸惑う電車内の人々。どうやって撮影したのだろう。周囲の人々の戸惑いやおびえの表情を引き出すためのアプローチ方法が冴えている。2画面並列で、まったく別の状況にあるが、実は左画面の女性と、右画面の電車の男性は会話をしているように見えるのだ。この人は今後も要注目の作家だと思う。森美術館、サントリー天保山と毎回興味深い作品を発表し続けている。

・梅田宏明
一度に4名しか体験できない、体験型の作品。目をつぶって鑑賞する。白黒2台、カラー2台とあるが、両方鑑賞するとその違いがよく分かる。

・小金沢健人
通路の奥まった所にが展示室になっているので、見逃さないように。黒い絵具でストロークを連続させた場面を映像化したものなのか?4~5面をスクリーンにして映像を流す。

この他、クラウンホテルのある方の屋外に出ると、牛が2頭描かれていて、作家さんの名前を失念してしまったが、この牛が実に良かった。こちらも、お見逃しなく。

もうひとつ、納屋橋会場のボリス・シャルマッツの映像パフォーマンス?作品は予約が必要です。当日空きがあればその場で予約可能。11時から毎時定時スタートで1時間に一人しか体験できませんので、ご注意ください。鑑賞料は1回千円。こちらも鑑賞して来たので、感想は残る中央広小路ビル会場編と合わせてアップします。

*9月1日加筆修正。

高橋あい写真展「ヤマ・ムラ・ノラ 子どもたちの 未来の子どもへ」 新宿ニコンサロン

新宿ニコンサロンで8月30日まで開催中の高橋あい「ヤマ・ムラ・ノラ 子どもたちの 未来の子どもへ」に行って来ました。

高橋さんの「ヤマ・ムラ・ノラ 子どもたちの 未来の子どもへ」シリーズを初めて拝見したのは、今年1月の東京藝大先端芸術表現科卒業・修了制作展でのこと。
<過去ログ> ↓
http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-942.html

今回は、35点の作品中点の大半が同シリーズ新作とのこと。
そして、高橋さんの作品の合間合間に、面河小学校のワークショップに参加した3年生から6年生の児童による「昔の写真と今の写真」が展示されている。
修了展の時のも展示されていたそうだが、どうにも記憶が抜けているが、改めて拝見すると、小学生の作品もよく撮れている。昔の写真を見つけて来て、同じ場所で今の写真を撮影するという課題であったらしい。
上下に配置された新旧の写真を観ると、時の移りかわりを感じるが、その実、あまり変わっていないようにも思えた。

高橋さんの写真1点、1点観て行くと、風景も人物-特に子供-、いずれもハッとするような美しさがあったり、一瞬の子供の「ここ!」という表情を捉えていたり、やはり修了制作展の時同様に、いやそれ以上に今回は惹かれる作品が多かった。例えば、木の幹に焦点を当てた写真。ブナの木なんだと後から教えていただいたが、巨木のため、全容をカメラで納めることはできずとも、ブナに籠った木の魂のようなものが写真から伝わって来る。

それらが可能になったのは、高橋さんの土地や子供たちをはじめとする地元の方々への共感、寄り添い方が反映しているからなのではないだろうか。
一体写真の魅力とは何だろうか。私が心惹かれる写真には何があるのか?観ていても心の動かない写真とは何が違うのか?そんなことを最近よく考えるが、なかなか答えが見つからない。

個展タイトルの通り、「ヤマ・ムラ・ノラ」私がかつて見た懐かしい記憶がよみがえる。
母の実家は徳島県の山里。
帰省の度に連れられて、小さい頃は高橋さんの写真で観るような家や山里の風景があったなと。。。しかし、被写体やモチーフに懐かしさがあっただけでは決して、心の動きはなかった。では、何なのかとまた自問を繰り返す。

プリントサイズは左程大きくない。
次回は、ぜひ大きくしたプリントサイズの作品を拝見したい。このシリーズ、写真集刊行を強く希望。図録だけでは物足りなくなってきました。
余談になるが、高橋さんが写真に関心を持ったきっかけが、畠山直哉氏の多摩美での講義だったというのは畠山さんファンとしては嬉しかった。

*8月30日(月)まで開催中。最終日は、16時まで。
なお、本展は11月25日~12月1日まで大阪ニコンサロンに巡回します。

「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」 パナソニック電工 汐留ミュージアム 

コパー

汐留ミュージアムで9月5日まで開催中の「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」に行って来ました。

先に国立新美術館での開催(既に終了)をはじめ巡回中の「ルーシー・リー展」においても、ルーシーの助手をしていたとしてハンス・コパーは紹介されていた。
ルーシーと同じくユダヤ人であり、ナチ台頭の時代であったがため、出生国ドイツより亡命、イギリスに渡るも敵国からの亡命者として収容所にて強制労働に従事。

しかし、運命の神は彼に手をさしのべた。
ルーシーとの出会い。
「ルーシー・リー」展の感想をアップしていなかったが、私は彼女の器よりボタンに惹かれた。まるで、小さな宝石のようだ。
コパーは最初、ルーシーのもとでボタン制作の助手を務め、才能をすぐに認められ、陶芸の指南をルーシーから受ける。

汐留ミュージアムは、展示方法がとても上手い。以前はそれ程でもなかったように記憶しているが、木田安彦あたりから、作品に合った背景や展示ケース、そして分かりやすい解説パネルと随所に工夫が感じられ、観ていてそれがとても心地よい。
今回も、入った時から「ハンス・コパーの世界に入った!」と感じた。壁の色がコパー作品の特徴である焦げ茶色。すんなり作品に溶け込める展示というのは、高揚感もある。
更に、ここでは作品リストにメモなど取っていると、すぐに係の方が下敷きバインダーを差し出して下さって有難いことこの上ない。

肝心のコパーの作品について。
彼は陶芸という手段を持ちつつ、当初夢見ていた彫刻を作っていたのではないか。
コパーの作品では、釉薬や紋様と言った装飾に対しての探求は、ルーシー程ではなく、むしろその関心は、形態にあったように思う。また一見すると石を思わせるような陶肌を観ていると、テクスチュアに対しても、やはり彫刻的なもの、見せ方を求めたのではなかろうか。

一番興味深かったのは、ブロンズと陶、同じ形の作品を比較したコーナー。
明らかに、エッジの切れは陶が際立っていた。
コパーは、陶でしか成し得ない形というものに、目覚めたに違いない。
そう思ってみて行くと、どの作品も特に形に注目し、彫刻作品として鑑賞して行った。

二つの異なる形・パーツをくっつけて、一つの美しい形態に仕上げるセンス。
個人的には、スコップ型<スペード・フォーム>や球形に封筒をくっつけたような作品、そして、球の膨らんだ箇所にアンモナイトの化石を思わせるニュアンスを施した作品。
そして、ダイナミックな穴を開け、陶のオブジェをはめ込んだ装飾壁≪ウォール・ディスク≫。

コパーは大英博物館で古代キクラデス彫刻に魅せられた。
ルーシーもしかり、やはり古代、古典作品には時代を問わずに通じる美があるのだろう。
その美は、いつの時代にも継承者が現れ、また違った時代に合った表現に変換され、再生され、繋がれていく。
そんな縦の美の流れを感じる内容だった。

*9月5日まで開催中。

あいちトリエンナーレ2010 愛知芸術文化センター8階編

記事があっちこっち飛んでしまって、恐縮です。あいちトリエンナーレの続編で、愛知芸術文化センター8階。

普段、8階はギャラリーとして活用されているが、今回はトリエンナーレで全室使用。私が行ったのは開幕2日目だったけれど、混乱があったため、現在回る方向が逆になったと聞いている。最初にあった宮永愛子さんの作品が最後になったらしい。

ということなのだが、今回は私が観た順番で印象に残った作品。多分現在とは逆だと思われます。

・宮永愛子
今回のテーマは名古屋市内を流れる堀川。堀川から製塩された塩を使い、天井から床まで糸を垂らし塩を付着させる。これが全部で6本位あったと思う。
手前には古びた郵便受け、これはパリで作家が入手したらしい、その1箇所、1箇所にナフタリン製の鍵が入っている。会期終了近くに行ったら、鍵は溶け、最初に観た状態ではなくなっているだろう。
お塩でできた糸の柱の向う側にはこれも古い小舟が一艘。
この宮永さんのコーナーは、靴を脱いでの鑑賞になる。そして、ちょっと部屋が狭い。2日目は大勢のお客さんが押し寄せ、繊細な作品を触ったりするお客さんが出て、作品の一部が破壊されてしまった。twutter情報では鍵が盗難にあったとか。
この部屋に限らず、愛知県芸術センターは監視員の数が少な過ぎて、作品を守ることに対して準備が不十分であった。その点が、名古屋市美術館とは異なっていた。

なお、この会場だけではなく、納屋橋のたもと(屋外)にもうひとつ、同じ堀川の塩シリーズの作品が展示されているので、お見逃しなく。

・タチアナ・トゥルーヴェ
突如展示空間に、室内が設置され、それがまた摩訶不思議な作品だった。コンセプチュアルな空間インスタレーション作品。空間の見え方が面白い。人がいないのに、いるかのような気配を感じる。

・ヤコブ・キルケゴール
砂漠の映像と、砂の中にマイクを入れて集音し、同時に流す。最初、バックに流れる音が何であるかが分からなかったが、ガイドを後で(名古屋市美で借りて)聞いて知った。
巨大な画面に砂が崩れ落ちて行く様子が流れるが、様々な形に変わって行く。勅使河原宏監督の映画「砂の女」からインスパイアされた作品だとのこと。私も観ていて、安部公房の小説を頭に浮かべていたので納得。いや、凄いです、この砂地獄は、ぜひ体験していただきたい作品のひとつ。
東京で、9月4日(土)Misako&Rosen(ギャラリー)で、キルケゴールの音楽パフォーマンスが開催される。これには、是非行ってみたいと思っている。

・ソニア・クーラナ
彼女は、パフォーマンスも行う。いきなり路上に横たわる。彼女自身が作品の一部。ひたすら横たわって何もしない。じ~っとじ~っと。その様子を捉えた映像や写真を展示しているが、ご本人が来名し9月4日(土)に同じ芸術文化センター8階のギャラリーGでパフォーマンスを行う。名古屋にいたら、行ってました。
鳩が猛烈な勢いで、ソニアの顔を攻撃していた。ある種哲学的作品だと思う。

・ツァン・キンワ
映像インスタレーション。これは面白かった。数種類の英単語が大きさを変化させて、文字が生きもののようにくねりながら床を這いまわる。まるで蛇か、むかでのように。スピーディーで文字を追いかけて行くのも楽しいと思う。会場にいた子供たちにとても人気のある作品だった。タイポグラフィカルな面白さもある。

・ズリカ・ブアブデラ
複数カ国にわたって、生活経験のある作家。今回はアラビア文字を使用してのインスタレーション。まるで読めないが、ガイドを聴いたら「愛」という意味なんだとか。愛知県の愛。やるな~。
小窓から覗いて鑑賞する映像も、変化があって面白い。空間全体の活かし方が上手い作家だった。」

・ツァイ・ミンリャン
こちらも映像。映画のセットに模した椅子が4客並んでいて、実際に自分が映画の一部になったかのような体験を味わえる。映像は、家族で映画を観る場面から始まる。そして過去の記憶をたどる。会話はほとんどなかったが、リンゴを齧る女とそれを後ろの席の男に食べさせる場面が妙にリアルでついつい全部観てしまった。ツァイの作品は、台詞はないが、ストーリーが感じられる。

・アマル・カンワル
これも映像。単に「映像」とある作品と「映像インスタレーション」となっている作品の違いがイマイチ分からない。これは、シンプルに映像。だけど、飛び切り美しい作品だった。あまりに美しいので、これも全部観た。風景を撮っているだけなのに、切り取り方と見せ方が上手い。私と同様に、最後までご覧になっていらっしゃる方が何人かいた。写真を連続させ、途切れなくさせたというのだろうか。これはもう1度観たい。

映像作品は、最初の数分間が勝負。私は割とすぐに出ず、最低でも30秒間は留まり、最後まで観るか否かを決める。

ミケランジェロ・コンサーニの大がかりな映像も印象的だったけど、意味する所が分からなかったのがもどかしい。

8階は映像作品が多いので、映像に関心がない方は、さっさと通り過ぎてしまえるかも。私は8階だけで約2時間(閉館時間の18時まで)いたが、大半の映像をじっくり観るとこの位はかかる。飛ばせば1時間もかからないだろう。
個人的には映像好きなので、8階も楽しめた。外国人アーティストの知名度は不明だけれど、文字が躍ったツァン・キンワは今年のシドニービエンナーレ2010の出展作家だとのこと。普段、なかなか作品を観る機会のない国外作家の作品を名古屋で観られる意義は大きい。

*月曜休館。木・金・土は20時までなので、ゆっくり落ち着いて鑑賞したい方には夜間がお薦め。

「ボストン美術館展」 京都市立美術館

boston

京都市立美術館で8月29日まで開催中の「ボストン美術館展」に行って来ました。

既に、東京展の森アーツミュージアムで同展拝見していますが、たまたま関西にいてもう1度ボストン所蔵の西洋絵画をじっくり観たくなった。そして、東京での記事を忙しさにかまけて書いてなかったので、遅まきながら感想を。

会期間際の展覧会は混雑必至ですが、閉館45分前だったので、待ち時間もなくすぐに入館。さすがに中は大勢のお客さまで賑わっていましたが、展示空間が結構広いこともあり、左程混雑は気にならない。そして、森アーツにはなかった作品リストが用意されていた。森アーツでも終盤に作品リストが準備されたのでしょうか。
ちなみに、作品リストの順序と展示順は違っていたので要注意。

ここでは、リスト順でなく京都展での展示順で振り返ってみます。展示順は東京会場と異なっていました。
<宗教画の運命>
・エル・グレコ ≪祈る聖ドミニクス≫
いきなり、エル・グレコ登場。東京展でのメモによると晩年にドガが購入したとか。背景の処理が上手い。グレコの基準作と言って良いのではないか。

・ヤコブ・バッサーノ ≪キリストの嘲弄≫
東京展でも京都展でもやっぱり、この絵に吸い寄せられた。

・パオロ・ヴェロネーゼ ≪天使に支えられた死せるキリスト≫
1500年代後半の宗教画自体、それほど日本にない。小品だったけれど、やっぱり画家の名前でしっかと観てしまった。

・ジャン・フランソワ・ミレー ≪刈入れ人たちの休息≫
昔はミレーって良いと思わなかったのに、ここ数年あちこちで観るミレーの作品どれもが好き。今回の作品は、宗教的な主題を扱いながらも、後年のテーマとなる労働者たちの群像を描く。荘厳な雰囲気が良いのだろうか。

他にブーグローのラファエロの母子像を引用した作品や、フランチェスコ・デル・カイロのカルヴァッジョ風のものも良かった。ムリーリョは好きなのだけれど、今回の作品≪苔打ち後のキリスト≫は物足りない感じだった。

<多彩なる肖像画>
この肖像画のコーナーは凄かった。次々と名だたる作家のしかも、見ごたえのある作品が揃っていた。以下。
・レンブラント・ファン・レイン ≪ヨハネス・エリソン師≫
以前、聴いたトークで「レンブラントは偽物作品もとても多いが、本物を観ると戦慄が走る」と聞いた。今回の作品、戦慄は走らなかったものの思わずう~むと足を止めさせるものがあった。実父に面影が似ていたからか。

・エドガー・ドガ ≪エドモンドとテレーズとモルビッリ夫妻≫
ドガと言えば、踊り子やバレエの作品がすぐに浮かぶけれど、この夫妻の肖像画は衝撃的。妻の方の驚いたような表情が忘れられない。彼は瞬間を切り取るのが凄く上手い。オルセーの階段を上がる踊り子の作品も同様だった。

・エドゥアール・マネ ≪ヴィクトリーヌ・ムーラン≫
東京展に行ったのは、マネ展の前だった。今回はマネ展の後で、すっかりマネが好きになっていたので、別物のように観える。極端とも言える陰影表現。平坦なタッチがマネらしい。これをもう1度見られただけでも来て良かった。

・ロートレック ≪画家のアトリエのカルマン・ゴーダン≫
小品だけれど、実によく描き込まれている画中画、そして中央の女性カルマン?、どこか気だるい感じ、この疲れた感じが好き。

・ジョゼフ・フロンタン・レオン・ボナ ≪メアリー・シアーズ≫
今もありありと蘇る茶褐色の背景に、青の濃いドレス、真っ白なブラウス。青白い顔と身体の正面で軽く組まれた両手。凛とした空気が画面に流れて、観る者を惹きつける。女性の真摯な瞳と視線の向うに何があるのか。

<オランダの室内>
ピーレル・デ・ホーホ、エマニュエル・デ・ウィッテなど。全部で4点。もう少し作品が欲しかった。

<風景画の系譜>強調文・ライスダール ≪森林の眺め≫
・ギュスターヴ・クールベ ≪森の小川≫
クールベの森の小川はとても大きな風景画。同じ室内に並んでいた他の風景画と明らかに異なる力強さが漲る。木すべて画面に封じ込めず、はみ出させてより大きさを感じさせる手法。水への映り込みも美しい。

・ナルシス・ヴィルジル・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ ≪祭りに向かうジプシーたち≫≪森の中の池≫
ペーニャの作品をかつて自分は観たことがあっただろうか。ジプシーの群像、風景画の中に、ドラマティカルな場面を取り入れる。実際に観た風景なのか。

<印象派の風景画>
時代は移り、1870年代以後の風景画。
・ピサロ
4点出展されていたが、≪エラニー、自宅の窓からの眺め≫が一番良かった。

・シスレー
シスレーは3点、いずれも佳作。中でも≪サン=マメスの曇りの日≫≪サン=マメス、朝≫がお気に入り。
曇りの日の空を粗めのタッチで仕上げているが、雰囲気がよく出ている。

・ゴッホ ≪オーヴェールの家々≫
・セザンヌ ≪池≫
・シニャック ≪サン=カの港≫、ルノワール≪レスタックの険しい岩山≫と並び壮観。

<モネの冒険>
以前、名古屋ボストン美術館での「モネ展」で同館のモネコレクションの素晴らしさに感動した、今回の出展作は恐らくその時にも観ていると思う。
ボストンにあるモネ作品は、睡蓮、積みわら、ルーアン大聖堂とシリーズを占める名品が必ず1点ある。中でも一番のお気に入りは、≪ジヴェルニー近郊のセーヌ川の朝≫。この絵をちょっと引いて観ると、あたりの喧騒も忘れてしまう。

<描かれた日常生活>
・コロ― ≪鎌を持つ草刈り人≫≪花輪を編む娘≫
風景画コーナーとここの両方に作品あり。花輪を編む娘はいくらなんでも脚が長過ぎると思う。

・ミレー ≪馬鈴薯植え≫
ここにもミレーが。そして、やっぱり素敵だ。1861年の作品なので、最初にあった作品よりかなり時代を下っている。

・マネ ≪音楽の授業≫
マネも再び。こちらはかなりの大画面。サロンへの出品作の1点。

・ドガ ≪田舎の競馬場にて≫
第1回印象派展への出品作。後年のドガの作風とはかなり異なるが、競馬場と言いつつ、描かれているのは競馬場でくつろぐ人たち。

他にモネ、ルノワールと印象派を代表する画家の作品あり。このコーナーも見ごたえあり。

<静物と近代絵画>
最後は、マティス、ファン・グリス、ジョルジュ・ブラックらの作品4点で〆。

やっぱり、見ごたえのある内容。テーマ別に時代を追って作品を観て行く展示内容も良かった。
それにしても、京都市美術館は金曜日でもどれだけお客が入っていようと、容赦なく5時に閉館。せめて、1時間は延長して欲しかった。コレクション展も良さそうだったので観たかったのに、時間が足りず断念。

*8月29日まで開催中。

京都藝術2010 わくわくKYOTO プロジェクト 旧立誠小学校

この夏、京都で「京都藝術宣言」が発せられた。
「私たちは、一生懸命、京都の藝術を発信することを誓います。」平成22年8月1日 京都藝術実行委員会一同

2010年8月の1ヶ月間、京都市内の様々な会場にて行われる展覧会やイベントに対して全体の連携をはかり、ジャンルや世代をまたいで豊かにひろがる「京都藝術」を一覧できる機会をつくるのが、具体的な概要。

これに伴い、様々なイベントが用意されているが、8月29日(日)まで開催中の「わくわくKYOTO プロジェクト」の一つ「わくわく立誠小学校」の展示を観て来ました。

旧立誠小学校は、阪急河原町駅から程近い、高瀬川のすぐ脇・木屋町にあります。
京都には何度も行っているのに、ちょうど私がよく行く場所の中間点で死角とでもいうのでしょうか。あれだけ大きい小学校なのに、これまでその存在にまったく気付きませんでした。
1928(昭和3)年に建築されたという昭和初期の建築様式をそのまま残した、何とも味のある建物。京都には他にもこうした昭和初期の建築がありますが、これもそのひとつ。平成5年に廃校になったそうです。

会場は1階~3階の建物と1階の中庭を使用し、例えて言えば、藝大の卒展をお祭り風にした展示風景とでもいいましょうか。
卒展と異なるのは、参加作家各人が自身で選択したのか、自分のスペースで思う存分好きなことをやっているなという所。
前口上はこのくらいにして、気になった作家さんの作品などをあげていきます。

1階の中庭。
・奥中章人
針金でできた大きな球体。「押してみて下さい~。」と作家さんが仰るので、触ってみたら、針金なのに押したら、妙に柔らかな動きをして、そうまるで「プニュン」とした感触。
何だろうこれ???面白い。思わず、身体を預けた瞬間に「危ないので倒れ込まないでくださいね~」。
既に手遅れでした・・・。
でも、しっかり起き上がって、ぷるぷる球体も無事に元通り。
しかし、針金なのに何であんな動きをするのか?このありそうで、かつて観たことのない立体彫刻(と言ってよいでしょう)に感心しました。とにかく楽しい。

この作家さんはもう1点作品があって、そちらも好み。実にいい形をした土人形に、BBガンで植物の種子を入れて打ち込む。どんどん緑化していく活動。銃と言えば、思い浮かべるのは殺戮、死。しかし、弾でなく種子を入れれば武器は武器でなくなるのです。

・林勇気
映像作品。立体が幾つも画面に出て展開。もう少し涼しくて椅子があったら、もっと長く観ていたと思う。

・Hyon Gyon
この方の作品は、どこかで観たことがあるかもしれない。髑髏をモチーフにした巨大ミクストメディア。カラフルで画面に迫力があり。壁画ですが、立体に近いのでミクストメディアとしました。

講堂では、先日埼玉で個展があったAntennaの作品が。ジャッピーも3体揃ってお出迎え。若木くるみさんの「自殺を止めるための空気椅子」という発想力勝負の版画あり。

2階へ。
・糸川知佐
階段を上がりきった所に、素敵な暖簾が。誰の作品と思ったら、糸川知佐さんの刺繍もの。ステッチでドローイングという手法ですが、とにかく絵が上手い。ぱっと見ステッチで描いているとは思えない。

・村上滋郎
TWS本郷で拝見した「おこたでタワーでキャンピング」と桂のオープンスタジオ以来の作品。今回のは、とても良かった。2階で観た中では一番のヒット。彼の作品を言葉にするのは非常に難しい。立体と言えば立体で、カラー電球が点いたり消えたりって・・・全然説明になってない。あの作品、夜見たらきっと、もっと素敵だったと思う。

・賀門利誓、松原成孝
二人で作りあげた空間。教室1つまるごとを使用しての空間インスタレーションは見ごたえあり。
暗闇で白く光る塗料を使用する手法はあいちトリエンナーレ2010のコンペ入選作でもあったけれど、こちらはかなり手が込んでいた。ただ、手が込み過ぎていたようにも思う。どうして床にある本と壁のペインティングがつながっているのか。描かれた人物の頭の中ってことなのか?

・森絵実子
ペインティングあり、ろう染めの作品もあり。彼女の平面はもう1度じっくり観たい。ファンタジックな作風。

同じく平面では、幸田千依、厚地朋子さんが気になった。厚地さんは、今回小品だったけれど、キャンバスの使い方に工夫あり。いずれ大作で使うための試験作品だったのか。

3階
・ヤノベケンジ
最奥に突如、怪しげな部屋が出現。こんな所が、文化祭、学園祭のノリなのだ。ミラーボウル輝くその部屋には壁の上からヤノベケンジさんのトらやんが。先日、大洪水観たばかりですが、こんな所でも仕事されてました。お部屋はキャバクラで、発案はヤノベさん。壁にはトらやんだけでなく、ジャッピーのお面も並んでいて、かわいいキャバ嬢もいらっしゃった。なぜか、妙に落ち着く空間。

・福森創
この方の作品も、どこかで観たことがある。ステンレス?に穴をあけたオブジェ。単純なんだけれど、過剰を廃した美しさがある。

入場無料。小学校の雰囲気に展示がマッチしてました。
29日(日)には豪華ゲスト陣を迎えてトークが開催されます。
詳細↓
http://www.kyotoarts.com/event.html

デヴィッド・リンチ展"DARKENED ROOM" Comme des Garçons ギャラリー Six (心斎橋)

夏休みも早や4日目。
名古屋を離れ、今日は三重県の津から大阪入り。
暑いし、バテ気味だったので今日は大人しく映画でも観ようと向かった先は心斎橋。
心斎橋の地下鉄1番出口を出てすぐにComme des Garçonsを目印に、お店には入らず脇の入口から2階に上がるとギャラリーSixがあります。

大阪で何かと話題を呼んでいるギャラリーですが、訪れるのは今回が初めて。
10月9日まで開催中のデヴィッド・リンチ展 "DARKENED ROOM"(短編映画+最新絵画作品)を観て来ました。
映画監督として著名なデヴィッド・リンチですが、ツイン・ピークスくらいしか知らない。
そんなんで、大丈夫なのか?と自問自答しつつ中に入ると、ペインティングいやミクストメディアか、とにかく平面作品が左右に4点、3点の計7点。

中に黒の暗幕がはった仮設の上映スペースが拵えてあって、折りたたみ椅子席全部で30席程度あり。
平日の夕方に入ったのですが、お客さんは私を含めて数名程度。

平面は、絵具をチューブからひねり出してそのままくっつけたのか?と思うような厚盛りなものやら、全体的に
トーンは暗め。描かれていたのは人の顔?
この後、映画を観たら平面作品とつながる所があって、やはり一緒に観た方が良いです。

さて、映画ですが短編ばかり全部で12本。
数えていないので分かりませんが、2時間ちょっとはいたので大体全部観たのではないでしょうか。
限界だと思ったのは、最初いいぞいいぞと思った工場のパーツをフォトショップでつなげ合わせた映像で、これが延々と同じ場面の繰り返し。
後でしったのですが、10分間同じ映像が流れていたらしい。
もう少し待っていれば何かあるのでは?と思って待っていたが、結局何も起こらなかった。呆然・・・。

いや、でもこんな映画もありますが2時間鑑賞しうるだけのものはありました。
さすがに、つまらなかったら2時間も座ってられない。
12本全部、みんな傾向がバラバラ。
鬼才と言われるだけのことはある、と妙に納得しました。
個人的に興味深かったのは、白塗りの少年が両親に虐待されつつ夢の中で種をまいてそこから女性が生まれるという、書いているだけで「はぁ???」と思うような奇想天外なストーリーの作品。これがホラーかと思うような怖さもあるが、決してホラーでも何でもなく、深層心理を抉るような内容で、強弱の違いはあれど、誰しもこんな妄想を描くことってあるんじゃないかと思った。

他にはリンチ本人が電気スタンドを作ると言い出して、延々色の配合から塗りまでを撮影したドキュメント。
結構、几帳面な完璧主義者のように見えましたね。

牛乳が欲しい~と言って玄関ベルを鳴らす影のお化けの話も面白かった。
そうかと思えば、美しい森林の映像があったり。

何だか分からないままに時を過ごせましたが、感動とかそういうのとは違う。好奇心が満たされたって所です。

受付に置いてある個展のチラシがめちゃカッコいいです。紙ではなくて、あれは何ていう素材なんだろう。プラスティックみたいにしっかりしてます。

*10月9日(土)まで開催中
12:00~19:00  月曜日休廊 (月曜日が祝日の場合は営業)
Comme des Garçons ギャラリー Six
大阪市中央区南船場3-12-22フジビル2F

あいちトリエンナーレ2010 名古屋市美術館編

愛知芸術センター8階の前に、名古屋市美術館編を先にアップします。
後程、あいちトリエンナーレ2010の注意事項や鑑賞に際して気付いたことをまとめますが、音声ガイドは借りることをオススメします。500円払うと音声ガイドチケットをいただけて、愛知芸術センター2カ所、名古屋市美術館の計3会場で利用可能です。てっきり、各会場で500円だと思っていました。アーティストとその作品について、コンパクトにまとまっていて、丁度良い長さなのも魅力。音声ガイドは解説が長過ぎるのも多いのですが、これは個人的に最適な長さでした。

こちらは、通常の企画展同様に1階2階の企画展示室を使用しての展示で、常設コーナーは通常通りです。

ここで、印象に残った作品は次の通り。
・オー・インファン
線香そのものを使用したアート作品。
床にお線香で文字を描き、開催初日に点火。美術館閉館時には火を消して、開館時に再点灯を繰り返す作品。私が行ったのはちょうど4日目。右端の方から徐々にお線香が灰になっていたが、よく仏壇やお墓参りの際に使用するお線香とは違うのか、灰の状態は白ではなく寧ろ貴褐色になっていて、線香の色と灰の色がマッチしていて、観た目も美しい上に、お線香の香りがまた良い。高級なお線香だからこそ、強過ぎず弱過ぎず、万人皆が好みの香りかどうかは分かりませんが、ずっとそこにいたくなるような空間だった。
描かれている文字は、名古屋にあるゲイバーの名前。一見意味のない言葉の羅列も見る人が見れば・・・。これも、開催地に関連しての作品。

・ホアン・スー・チエ
日用品を光らせるアート。ペットボトルに蛍光液を入れてみたり、薄暗い照明の中では、日用品もそれとは見えない。

・塩田千春
巨大なドレスに赤色の液体が入ったビニール管を絡ませる作品。
液体は心臓から流れる血液よろしく拍動によって動いている。
前々回アップした近隣のケンジタキギャラリーでの個展と合わせて見るのと更に良い。

・ジェラティン
小山登美夫ギャラリーでの龍安寺石庭を模したインスタレーションの衝撃と比較すると今回のはインパクトが小さい。
これには、仕掛けがあるがその鍵を握っているのは作品を監視されている方が握っている。

・島袋道浩
個人的な好みだけれど、ここ名古屋市美での展示は最初と最後(本作品)に尽きる。
まさか、シマブク作品であの安井仲治(やすい・なかじ)のプリント写真を観ることができるとは!干物の写真がたまりません!!!
なぜ、島袋が安井の写真に着目くしたのか。これを知りたい。
安井仲治の回顧展が、ここ名古屋市美術館で過去に開催されたことを知っていたのだろうか?
タコや干物の写真を撮影した写真家って他にいそうだけれど。

愛知県の篠島を舞台に繰り広げられる映像や写真のインスタレーション。篠島はタコで有名。やっぱり、この作家はタコなのね、と妙に納得してしまうが、今回はタコに留まらず、篠島で見かけた景色を抽象画家のデ・クーニングの作品に見立てた。
路上観察隊よろしく、あちこちのデ・クーニングらしい景色をスライドで見せる。確かに、抽象表現主義に見えて来るから不思議。
展示室の外では「あなたは魚をさばけますか?」と数台のモニターで様々な魚を捌く映像が流れている。
篠島をテーマにここまで作品化できるシマブクの本領に酔いしれました。

なお、名古屋市美術館から徒歩すぐにある二葉ビルでは、梅田哲也の作品があります。*11:00~19:00(金曜は20時まで)
今年、豊田市の喜楽亭の作品に惚れ込んで以来、追っかけしてる作家さん。今回はお水を利用。
入ってすぐに出ずにしばらく待っていて下さい。ここにも仕掛けがありすので、お見逃しなきように。
与えられた空間を最大限に活用する手腕は見事でした。

「大名古屋城展」 徳川美術館

徳川美術館で開催中の「大名古屋城展」に行って来ました。

2010年は、名古屋築城が開始されてちょうど400年目の節目にあたります。
本展では、蓬左文庫展示室において徳川家による尾張領有・築城の過程と、城と城下との関わりを展示し、徳川美術館本館展示室では、障壁画を中心に御殿空間の彩りや、広大な庭園の様相、城内に保管された尾張徳川家伝来の名品の数々を紹介すると同時に、尾張徳川家14代慶勝によって幕末に撮影された古写真より往時の景観をしのびます。
~展覧会チラシより

私のお目当ては14尾張藩主慶勝が撮影した古写真。過去に同館の展覧会で慶勝が写真好きであったことが紹介されていて関心を持った。
幕末に写真についての研究を行っていた慶勝という人物に、興味をそそられたのだ。
今回は最終章で、過去に観た時より更に詳しく慶勝関連の史料が沢山出展されていた。
中でも彼が着用した大礼服は、リアルに慶勝の存在を私に示してくれた。洋服サイズから察するに、身長は150センチちょっとだったという。当時としても上背は小さい方だったのではないか。
しかし、日本に入って来たばかりの写真技術について研究し、現像のための薬剤の配合など事細かに書物に残しているあたり、殿様というより研究者肌の人物だったようだ。
さすがに、大藩の藩主であったため、市井に撮影に出る訳にもいかなかったのだろう、彼が撮影していたのは名古屋城の城内。
慶勝の写真のおかげで、現在に至るまで炎上前の名古屋城の様子を誰もが知ることができる。しかも、殿様でないと撮影できないような場所をあちこち撮影しているので、史料価値は極めて高い。

絵画の出展は殆どないが、旧本丸御殿黒木書院二之間東入側西側襖絵「梅花雉子小禽図」(展示替えあり・重文)は、江戸城、大阪城炎上後、日本一の面積を誇ったという名古屋城の栄華を感じさせる。
他に天井を飾っていた本丸御殿天井板絵(重文)も素晴らしい。
出展されていた4枚の中では「萩桔梗図」「桜花雉子図」が良かった。

本展で初めて知ったのだが、名古屋城でも御庭焼が行われていたという事実。
特に、「御深井焼」がもっとも出来が良いようで、手付花生や、俵形茶碗など姿の良い作品もあり驚いた。
当時使用されていた焼印も残っている。

名古屋城と言えば、やっぱろ「金のシャチホコ」。
以前、東京国立博物館でも名古屋城の金のシャチホコについて特集陳列がされていて(本館1階)その時、改めてシャチホコの歴史を学んだが、今回更に深く掘り下げてシャチホコにまつわる様々な史実を明示していた。
江戸時代に藩財政が苦しくなってきたため、シャチホコの金の純度を下げざるを得ず、それを隠すために鳥よけの金網をかけたというのは面白い。昔も今もやることは変わらない。
過去に何度かシャチホコ盗難を目論んだ人々がいたことなど、話題に事欠かない存在。
残念ながら昭和20年の米軍空襲により、名古屋城炎上の際、シャチホコも溶けて金の塊になってしまった。
空襲時の爆風で飛んだシャチホコの鱗が数枚、展示されていて思わず拝みそうになってしまった。思ったより薄く作られていて、これが身体にびっしりついていたのか~と在りし日の姿がよみがえるようだった。
また、上記米軍空襲時に名古屋城天守焼失の現場を撮影していた人物がいたとは!なお、空襲でお城が燃えている写真が残っているのも名古屋城だけなんだそうです。

愛知県に長く住んでいながら知らないことばかり。
夏休みということもあり「大名古屋城展」早わかりシートが美術館側で制作されており、これがよくまとまっていて分かりやすい。
2つのシャチホコは北側と南側にあるのとで、鱗の枚数が違う!とか名古屋城トリビアができそう。
最終面には「大名古屋城クイズ」もあり、大人も子供も楽しめます。
これは、保存決定!

なお、いつものように常設展示も盛り沢山。
今回は、「鶏卵皮研出塗の刀拵」、一休宗純筆・賛「雨中漁舟図」室町時代、唐物茶壼銘 松花(大名物・重文)南宋~元、盆石 銘 夢の浮橋、純金葵紋散蜀江文硯箱(重文)、銀檜垣に梅図香盆飾り(重文)などが心に残りました。

*9月26日まで開催中。

塩田千春 「WALL」 ケンジタキギャラリー名古屋

ケンジタキギャラリー(名古屋)で9月22日まで開催中の塩田千春新作展「WALL」に行って来ました。

名古屋の同ギャラリーの1階・2階をフルに使用した塩田の新作展。
すぐ近くにある(徒歩で数分)名古屋市美術館でもあいちトリエンナーレ2010の出品作品が展示されているので、できれば併せて観るのが吉。
名古屋市美での作品とギャラリーでの作品、両者に関連性があるので、一連の展示として観ても楽しめると思う。

1階では、昨年の発電所美術館での個展で見せたような古いトランクを使用し、更にあの時の作品から一歩進めたようなトランクの使い方をしている。
古びたそれらのトランクはベルリンで集めたもの、大小大きさは様々。トランクを開けて、その上部分の内側をキャンバスに見たててドローイングが描かれている。
それぞれに描かれているものは異なるが、ほぼ共通しているのは人の体があって、そこから赤だったり黒だったりの糸や線が伸びている。
体が2つ描かれている場合、それは母子像のように私には見えたが、切っても切り離せない臍の緒のようであり、同じく切っても切れない血縁関係の象徴のようだった。

2階の最奥には、例の集めた古トランクが壁のように積まれていて、まさにベルリンの壁を彷彿とさせる。
手前には壁を象徴するようなコラージュ作品や写真(塩田が撮影)が展示され、特に写真の美しさには感じ入った。

中央には、塩田本人が裸で身体中に赤い液体の入ったビニール管を幾重にも巻き付け、横たわっている映像がある。
赤い液体のビニール管は、名古屋市美術館の巨大インスタレーション作品にも使用されている。あちらでは、塩田本人ではなく、真っ白な巨大なドレスが天井からぶら下がり、そこに赤い管が巻かれ、拍動しているのだった。

展覧会タイトル「WALL」には様々な意味がある。
物理的な壁、例えばベルリンの壁といったものと、もう一つ精神的な壁、性的なもの、血縁、親子、社会、国、生きて行く上で、人は幾つもの壁を迎える。

今回の作品を観ていると、作者が足掻いても足掻いても乗り越えられない壁の前で乗り越えようとしているのか、諦めようとしているのか逡巡し、がんじがらめになっているように感じた。

古いトランクの中に、生きて行く上でのしがらみをすべて閉じ込め、封印できてしまえば、自由になれるのだろうか。
そんなことをトランクの壁を前に考えたのだった。

*9月22日まで開催中。オススメです。
ケンジタキギャラリー(名古屋)
日・月・祝休廊  11:00~13:00  14:00~18:00
東京より1時間クローズが早いのでご注意を!
名古屋市中区栄3ー20ー25
TEL:052ー264ー7747

10月31日~11月9日まで京都精華大学(塩田千春が卒業)主催で京都・建仁寺でも個展が開催されます。こちらも楽しみです。

「ヤン・ファーブル×舟越桂ー新たなる精神のかたち」 金沢21世紀美術館

金沢21世紀美術館で8月31日まで開催中の「ヤン・ファーブル×舟越桂ー新たなる精神のかたち」に行って来ました。

同展は、近年ルーブル美術館で開催された『変貌の天使』展を参照して行われるルーブルとの共同企画展。ゲストキュレーターとして、ルーブル美術館学芸員のマリー=ロール・ベルナダックを招き、企画アドバイザーには、美術史研究の第一人者・高階秀爾氏と日本近代美術史の研究者・古田亮を向かえ、ファーブルと舟越の初期から新作までの作品を、歴史的絵画とともに国内ではかつてないスケールで展示するもの。

と、鳴物入りの前評判の高い展覧会。目玉の展示作品であった河鍋暁斎「釈迦如来図」(フランス国立ギメ東洋美術館蔵)や「慈母観音像」(財団法人日本浮世絵博物館蔵)などは既に展示替えにより、帰られた後。来るのがいささか遅きに失したかもと、分かっていながら行けなかっのだから仕方ないねと、自分に言い聞かせた。

主催者意図としては、ファーブル・舟越、両者の作品に東西の宗教、
精神性が背景にあることを見せたかったのだと思う。
しかし、音声ガイドや図録解説を読まなければ、その意図を掴めた一般の観客は、どれだけいたのか甚だ疑問を感じた。
玄人受けする展覧会であったことは認めるが、個人的には期待した程、楽しむことはできなかった。

音声ガイドや図録解説を読まなくても、主催者意図が伝わるような解説が全般に不足していたように思う。

個人的な関心は、ヤン・ファーブルの作品に集中した。
彼の作品は、金沢21世紀美術館のオープニング展で初めて観て、衝撃を受けた。一つは、現在も同館の屋上に設置されている金色の「雲を測る男」(彫刻)、そしてもう一つは、本展にも出展されている「昇りゆく天使たちの壁」である。こちらは、スカラベ(フンコロガシ)を使ったドレス。観た人は大抵ギョッとするけれど、よくよく考えてみれば、同じく昆虫を使用したものに法隆寺の玉虫厨子をすぐに思い出した。
人類は、古今東西を問わず昆虫の持つ自然美に魅せられたと言えよう。

ヤン・ファーブルについて調べていたら、2001年に国内で早くも「ヤン・ファーブル展」を開催した丸亀市猪熊弦一郎現代美術館のMIMOCAニュースを発見。分かりやすく書かれているので、関心がある方は以下をご参照ください。
http://www.mimoca.org/petit/news/003/next/next.html

ファーブルの作品には、彼の曾祖父である『ファーブル昆虫記』著者ジャン=アンリ・ファーブルに影響を受けたものが少なからずある。今回初めて目にする作品ばかりであったが、中で印象に残った作品は「青の時間」シリーズのドローイング。
青色のペンでひたすら線描が描かれたものだが、タイトルの「青の時間」が前述の昆虫記からの引用。
闇を思わせるような青色が忘れられない。
他にも、マリーナ・アブラモヴィッチとのパフォーマンス映像「聖母/戦士」における鎧や兜は何を意味していたのか。タイトルから朧げに推測するしかなかったのは残念。

他に、キリスト教的宗教観や精神に源を発したと思われる作品が、フランドル絵画等と並列することで、両者の関連性を提示され、これは自分の中で消化できた。

一方の舟越の方が難解で、彼の木彫作品から観音を結び付けていたが、いや実際に舟越氏が観音を意識して作品制作にあたっていたとしても、個人的にはそのような印象や感覚を持てないので、どこか一方的な押し付け感、すなわち、「こうやって作品を観るんだよ」といった強制力のようなものを覚え、共感できなかった。

アーティストの意図が別にあったとしても、それはそれとして、鑑賞者に自由な見方があって良い筈。本展においては、鑑賞方法、いや作品解釈の仕方を提示してくれ、有意義ではあったが、その見方だけに固執したくないなと思った。

あいちトリエンナーレ2010 ロボット版 『森の奥』 平田オリザ+石黒浩研究室

あいちトリエンナーレ2010の話題が続きます。
ちなみに、今週は遅い夏期休暇を取得しており名古屋に帰ってきました。

あいちトリエンナーレ2010の特色の一つとして、愛知芸術文化センターという演劇、ダンス、音楽など複層的なジャンルを楽しめる施設を利用できる点が挙げられる。

これまで、私は専ら美術(コンテンポラリーから古美術まで)を主として鑑賞して来たが、年初に横浜で高山明氏によるportBの『赤い靴クロニクル』で初めてパフォーマンスと演劇の境界線上にある作品と出会って、大変な衝撃を受けた。
以後、徐々に演劇にも関心領域を広げたものの、高山明氏の作品のように参加型ではない、いわゆる舞台で観る演劇やダンスにはもう一歩踏み出せないでいた。

そんな時、地元愛知県で、パフォーミングアーツにも力点を置いたトリエンナーレが開催されることになった。
事前に前売券を購入しようかと思ったが、必ず名古屋にいるという保証もなく、縛られるのも嫌で結局前売りは見送った。
しかし、一昨日からtwitterであいちトリエンナーレ情報を探していたら、平田オリザ+石黒浩研究室(大阪大学)によるロボット演劇『森の奥』がとても良かった「新幹線代を払った甲斐があった・・・云々」という呟きを発見。それを呟いていた方も、私と同様に演劇にこれまで馴染みがないとのこと。同様の状況下にある方の感想を拝見するにつけ、むくむくと抑えていた好奇心が沸き上がり、観に行くことを決意。幸いにも日曜のチケットは完売だったようだが、月曜と火曜は当日券が出るという情報も入手した。

念のため、18時から販売開始だったが、17時過ぎには列につく。
恐らく並んでいた方は皆さん当日券の購入が可能だったと思う。

こうして、ロボット演劇を初体験することになった。
粗筋は次の通り(チラシからの引用)。
中央アフリカ・コンゴに生息する類人猿「ボノボ」を飼育する研究室で、サルと人間の違いを研究するロボットと人間たち。その会話から「サル/人間/ロボット」のあやうい境界線が浮かび上がる。

ここから先は私のごく個人的な感想です。
登場人物は、人間6名、ロボット2体。
舞台は研究室で、ここを中心に登場人物とロボットが会話を展開していく。話題は、遺伝子研究、クローン、自閉症など生物科学と心理学を扱いつつ、ロボットと人間、そして猿⇒類人猿⇒ヒトへの進化の過程とその違いを探って行く、実に科学的なテーマをはらんだ演劇だった。

その中で一番印象深かったのは、やはりロボットと人間が演劇しているという現実だろう。私にとって科学的な問題は、さほど重要ではなく、恐らくまったく別のテーマであったとしてもそれなりに楽しめたのではないかと思う。しかし、サブテーマの中でも「ロボットと人間」の関係性について、様々な問題提起がなされ、私自身の中にモヤモヤとした形にならないものが今も渦巻いているのは、やはり平田オリザ氏の脚本・演出によるところが大きい。

猿と人間とロボット、セクシャル的、生物学的、道着的、心理学的、それらのアプローチを劇中で登場人物と一緒に知らず知らずのうちに考えている自分に気がつく。

統合失調症の研究者が胸をボカボカ叩き始めた時(あの行為は何というのだっけ)、ロボットも一緒にそれまでの機械的な音声を捨て、猿のような叫びをあげ始めた。
ロボットは人間になれないのか、なりたいのか、彼等に感情は備わっていないはずなのに、まるで感情があるかのような錯覚を覚える。観客がそんな感想を持つようにプログラミングされていることは重々承知しているが、承知した上で、敢えて用意された掌に乗っても良いのではないか。

講演終了後の平田オリザ氏のトークで制作の裏話をお伺いすることができた。以下、平田氏の談話。
ロボットは、
(1)プログラミング
(2)センサー
(3)リモートコントロール
の3要素から操作が行われている。特に、演劇においてはプログラミングとリモートコントロールによって演技を可能にした。
センサーだと僅かな音、例えば、観客の咳ひとつにも反応してしまい、誤動作発生の危険性が高く現実的ではない。

1時間半という今回の演劇時間は予算から考えて最高のパフォーマンスを達成した場合から逆算した。
充電が少なくなってくる後半に、誤動作が発生する確率が高くなる。初日、二日目と最後までロボットは演じ切ることができなかった。
ラストシーンの胸を叩き雄叫びをあげるシーンは、今回初めて成功した。ロボットが動かなくなった時のことも考慮して、シナリオはもうひとつ準備されており、危急の時は人間がロボットの代わりに演じる。

演劇において間合いは重要だが、ロボットの間合いは0.01秒の単位で操作が可能。苦手なのは、同時多発の動作で、これはプログラミングが非常に難しく、それが人間の役者と一番異なる所。その代わりに、セリフは決して間違えないし、忘れることがないのは利点。
稽古は、ある一定水準まで達すれば後は、ひたすら同じパフォーマンスを得られるため、動作やセリフが決まった後は稽古しないでも良い。稽古の時間の流れは人とまったく違う。
予算の制約もあるため、ロボットが話すスピードは、微調整できない。今のスピードより一段階上げると、早くなり過ぎてしまう。文脈単位での操作なら可能。

ロボットは、誤動作発生の可能性を考えて予備にもう2体準備している。バッテリーがなくなる後半に誤動作が発生する確率が高くなると言ったが、交換してもその発生の危険性が高まるため、結局今回のように各1台がフルに1時間半演じるというのがベストな現在とり得る方法だった。

ロボットと人間が1時間半話していることを観客に見せたかった。劇作家にとって、ロボット演劇は刺激的。

また、自分は都市に祝祭は要らないと思っているので、「都市と祝祭」をテーマにしたトリエンナーレで自分の演劇が招致されたことで喧嘩を売っているのかと思ったが、今回のロボット演劇をオープニングに持って来たことで、新聞一面、TVでも「あいちトリエンナーレ2010」は大きく採りあげられ、芸術監督として建畠氏の仕事は成功したのだと思っている。

ロボット演劇は今回が世界初演!
ロボット「wakamaru」2体の愛くるしい動きに魅了され、共に生活したくなります。ロボットデザインは、喜多俊之氏でした。

長くなりました。最後まで読んで下さった方に感謝です。

あいちトリエンナーレ2010 愛知芸術文化センター編

待望の「あいちトリエンナーレ2010」が、いよいよ昨日から始まっている。
初日は逃したけれど、今日は愛知芸術文化センターの展示を観て来た。
トリエンナーレの会場は大きく4つに別れているが、各会場間の移動距離はそれ程でもないし、公共交通機関の便も良い。それでも、1日ですべてを観て回るのは難しいと思った。
メイン会場と思われる愛知芸術文化センターに入ったのは11時頃。途中二時間強シンポジウムに参加したため、18時の閉場までずっとここにいた。ラ・リボットのパフォーマンス映像は、時間切れで少ししか観ることができなかった。

私の予想以上に見応えがある。海外の旬?かどうかは不明だが未知の作家による新作が、バンバン出展されているではないか。

芸文センター会場の作品は映像が多く全部観るとかなりの時間を要するので、時間には余裕を持って来場された方が良い。

まずは、10階の愛知県美術館会場から。
全部で12名の作家(コンビ)による作品を展示。
もっとも好印象だったのは、ハンス・オブ・デ・ピークの映像「staging Silence」2009年。ハンス・オブ・デ・ピークは、1969年生まれ、ブリュッセル出身。20分も観ていたとは思えないくらい映像の美しさと次々に移り行くモチーフ。まるで、魔法にかけられているかのようだった。
特にラストの荒涼たる雪と木々のシーンはその出現過程からして秀逸。敢えて制作小さな模型を置き換えて行くという行為を見せつつストーリー展開していく所がポイント。
モノクロ画面は抑制がきいていて、こちらの想像力を掻き立てる。
さわひらきの映像と似た雰囲気を持っているが、モチーフの見せ方が大きく異なる。
巨大なゴリラの親子?「HERO」を展示空間に出現させたのは、ジャン・ホァン。彼は2008年から2009年にかけて巡回した「アヴァンギャルド・チャイナ」展に参加していたが、あまりに不気味な作品で正視できなかった。
今日はあいちトリエンナーレ2010のキュレーター4名によるシンポジウムにも参加したが、ピエル・ルイジ・タッツィ氏は、本トリエンナーレ作品の中で印象に残った作品として、ジャン・ホァンを挙げていた。
牛の皮革よく観ると革だけではないを全面に使用した巨大な動物の母子と思しきぬいぐるみは、動物愛護か虐待へのメッセージなのか。存在もメッセージ性に関しても、もっともショッキングな作品だったと思う。そういえば、アヴァンギャルド・チャイナ展も建畠氏が監修されていた。


ツァイ・グオチャンは、開催3日前から制作を開始したトリエンナーレのための新作「美人魚」2010年と「Day and night」2009年を披露。
特に前者は制作過程を映像で同時に流して、いかにして巨大な平面作品が完成したのかを知ることができる。
大勢の観客が足を止めて制作映像を観ていたのが印象深い。
巨大な水槽に全裸の泳ぎ手が、水と戯れ、作家は水槽に貼りつけた和紙にその影を木炭で写し取る。
最後にいつものように、火薬で和紙を爆破し、ニュアンスを付加していく。

ファン・アラウホは、「フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル」と題した本を自身の絵画(油彩)で再現する。一見地味だが、よく観ると手のこんだ作品。帝国ホテルという所に、意味がある。愛知県犬山市にある明治村に帝国ホテルの遺構が展示されているのだが、ファン・アラウホはそれを意識した上で作品を制作しているのだ。

日本人では、志賀理江子による写真が面白いと思った。つい先日終了した森美術館の企画展で初めてプリントを拝見したが、今回の展示の方がより彼女の写真の個性や特徴を感じとることができた。
ちょっと、幻想的で時に怪異的な加工が施されている。

三沢厚彦の動物彫刻も螺旋状の衝立の影に動物達が次々に出現するという趣向。ここは、子供たちが走り回るははしゃぐはで大変なことになっていた。しかも、どういう訳か今日から手前にある4頭の白熊だけ撮影許可がおりたらしいのだが、どこにもその案内はなく、観客は白熊だけでなく他の動物も構わずバシバシ撮影していて、完全に無法地帯と化していた。
子供たちが鑑賞するのは良いのだけれど、会場を走り回るのだけは勘弁して欲しい。なぜ、親は注意しないのか。親の姿がまるで見えないのも怖い。このコーナーに限らず、会場のあちこちに小さな怪獣くんたちが、跋扈していたのには閉口した。
あの調子だと、近々作品が破壊される日も近いのではないか。事実、8階の宮永愛子さんの作品は、既に一部最初の状態ではなくなっていた。誰かが触ったり引っ張たりしたのだろう。
現に、私の目の前でお母さんに抱かれた赤ちゃんが、堀川ゆかりの塩粒が付着した天井から下がる糸を引っ張る瞬間を係の方に寸止めされていたが、監視の方の数が少なすぎて到底、秩序を保つことは難しそうに思えた。

松井紫朗は、グリーンの巨大なバルーンを制作。会場の中と外をバルーンでつなぐ。これは、中に入ることもできるが、私は未体験で、外から、上から眺めただけ。

フィロズ・マハムドの作品も社会的で政治的メッセージ性に富む。
軍国主義の象徴として戦闘機を穀物で覆い尽くした。
国民の生活、生命の源が戦闘機にとって変わる。世界には、戦争が戦闘機がごく身近なものとなっている国も存在するのだ。

8階の展示については、次回に続く。

ヤノベケンジ×ウルトラファクトリー「MYTHOS ミュトス」展 発電所美術館

発電所美術館で開催中のヤノベケンジ×ウルトラファクトリー「MYTHOS ミュトス」展に行って来ました。

発電所美術館は、富山県入善町にある元々水力発電所として使用されていた建物を美術館はとしてリノベーション。特に毎年夏の企画展は現代作家を招致して、発電所美術館ならではの内容を展開している。

内藤礼、塩田千春に続いて、今回で3回目の訪問となる。

今年はジャイアントトらやんで著名なヤノベケンジの登場。
神話世界に基づき、4部構成で天地創造を表現するというもの。
Mutosは「神話世界」を意味する。

さすがの私もすべての章を観に富山までは出向けないが、特に本日8月22日(日)までの第3章「大洪水」はどうしても観ておきたかった。入善町のあたりは、水資源が豊富で水道料の徴収がない特別区域。この豊富な水資源をどう活かすのかに関心があった。

折しも、今年の7月にパキスタンで洪水被害があったりと、迂闊に「大洪水」を再現するなどと言えない現実があるのは承知しているが、お叱りを承知の上でやはり感想記事を書き残しておくことにした。

同館ホームページに大洪水の様子が画像アップされているが、高い天井を利用し、巨大な水瓶(あれは鉄?)に水を満々と貯水し、小さなトらやんに付いているガイガーカウンターが999から0になった時、高々と警報サイレンが轟き、あれよあれよという間に水瓶がひっくり返り5tもの大量の水が床めがけて真っ逆さまに落下する趣向。

観客は最初、ナイアガラの滝見物よろしく、2階の踊り場スペースから眺める。確かに、そのスペースだと水瓶の様子は近くに見えるのだが、水瓶がひっくり返る方向は観ている場所とは反対の出口側であるため、瓶から水がこぼれ落ちる様子はちょっと物足りない。

というか、私は基本的に自分が行くと決めている展覧会の画像や情報は極力見ないようにしている(そうしないと最初に観た感動が薄れるから)ので、瓶が逆さになって水が落下することを知らなかった。
てっきり底がパカッと割れて水が落ちてくるのだと思っていたので、眼前で起きたことが、あっという間で驚いたので、我に返った時にはひっくり返った瓶がブラブラと天井から揺れているばかりであった。

あれだけあった大量の水もいつの間にか潮がひくように消えて行き、係の方が長いモップで水をかき集める外に出す作業を開始している。

今のは何だったの、う~ん、1回ではもの足りない。
水が流れて行く出口側から眺めてみたい。

ちょうどお昼時間だったので、入善駅近辺のお食事処で昼食をとり時間を潰した。大体1時間に1回発生するが、時間を決めて行っている訳ではないので注意。
まだ、大丈夫だろうと思って美術館に戻ったら、ちょうど5分前に終わったばっかりで、残念な思いをした。
今度は、前章までのDVD映像などを観て次の開始を待つ。

この間に、ひっくり返った瓶を元の位置に戻す作業があり、もちろん機械制御されているが、その様子も眺めた。お水は天井のパイプからドンドンと放水している。

そうこうするうちに、次の放水が開始する合図があった。
いつの間にか、かなりのお客さんが集まっている。
上からと下からの二手に別れて「大洪水」の瞬間を見守る。
けたたましく鳴り響くサイレンと係の方のカウントダウンの声。
そして、今度こそこの目でしっかりと大量ののお水が自分に向かって物凄い勢いで流れてくる瞬間を観た。
知らず知らずのうちに叫んでいたが、何を叫んだのか覚えていない。
あっという間に水が自分のいる方向に飛んで来て慌てて逃げ出す。

これは、擬似洪水だから逃げることはできるけれど、実際に大洪水になれば逃げ場はないのだ。
いや、これが現実のものだったら生命の危機を感じる間もなく飲み込まれてしまうだろう。

1階には河原にあるような大き目の石や鉄製の小さな家々が岩に乗り上げている様子が作られている。
細かい所も手を抜かない。

洪水の後には最終章で「虹」を人工的に作り出すという。
最後もこの目で見届けたい。

本日最終日に行かれる方は、最低でも2回ご覧いただくことをお勧めします。万一、どうしても時間がなければ、放水の時には出口側の下から鑑賞の方が水が向かって来る瞬間をより強く感じる体験ができます。

「没後200年記念 上田秋成」 京都国立博物館

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京都国立博物館で8月29日まで開催中の「没後200年記念 上田秋成」に行って来ました。

上田秋成(うえだ・あきなり)は、江戸時代後期の読本作者、歌人、茶人、国学者、俳人で、怪異小説「雨月物語」の作者として有名。
人物詳細はWikipediaをご参照ください。⇒ こちら

・・・と知ったかぶりをして書いてはみたものの、彼の著書「雨月物語」を読んだこともなく、映画化もされているがそちらも未見。
本展開催前に、東京・神田にある天理ギャラリーでも没後200年を記念して企画展が開催されていたので、予習のつもりで行ってみたが、ピンと来なかった。京博も天理ギャラリーでの展示も文学者の文学・芸術世界をたどるものなので、文学館での企画展のようだった。こうした展覧会の場合、肝心の主役となる作家の文学作品を読んでいないことは致命的で、展覧会を楽しめないのは企画ではなく鑑賞する私自身の方に原因があったのだと思う。

いつもの特別展の半分のスペースを使用しているので、規模は小さい。残る半分のスペースでは、特集陳列「新収品展」とこれら2つの展覧会のちょうど間に挟まれた中央室では、研究成果「古代の輝きを求めて」~デジタル計測でよみがえった古代青銅鏡の世界~を開催している。この古代青銅鏡の研究成果は面白かった。普段、青銅鏡は緑青がふいてしまって錆も出ているが、デジタル復元されたものは、白銅色をしていた。しかも裏面は鏡そのもの。カーブの違いによって、微妙に写される側の表情も変わるのが実体験で来て面白い。

展覧会構成は以下の8章から成っている。
第一章 秋成像
第二章 大坂、俳諧、小説
第三章 国学
第四章 京都、歌文
第五章 画文の競演
第六章 神医谷川家と秋成
第七章 最晩年
第八章 秋成ゆかりの京の画家

上記構成を見ていただければお分かりのように、絵画に関しては第五章と最終章に出てくるが、他ではひたすら冊子や書状、和歌の短冊などが並ぶ。
分からぬものは書けないので、以下絵画を中心に感想を。
冒頭に登場する上田秋成像は掛軸、上田秋成坐像ともに、温和で小作りな好々爺ぶり。初代高橋道八作の坐像に観られる額の何本もの皺に思慮深さが感じ取れるか。

秋成は与謝蕪村の内弟子である呉春と生涯にわたる友人関係にあった。よって、呉春の絵画に上田秋成の賛が添えられた作品がいくつも現存している。
≪七夕図≫、≪柳図≫はじめ4点が出展され、この他、秋成から呉春にあてた手紙も残されており、交流の深さを示す内容がしたためられていた。
≪やすらい祭絵巻≫は松村景文・川村文鳳筆、上田秋成賛は、円山派の画家とのつながりもあったことが分かる。

最終章は、京博所蔵の名品を中心に展開。
呉春筆≪与謝蕪村像≫、与謝蕪村≪揚柳青々・一路寒山図屏風≫京都国立博物館蔵(六曲一双・重文)は素晴らしい作品だった。近年、滋賀県のMIHO MUSEUMで開催された与謝蕪村展に出展されていただろうか?金地の屏風にしっとりとした抒情性のある水墨画。これまで観たことのある蕪村作品の中でもベスト3に挙げても良さそう。

円山応挙も忘れてはならない。≪龍門図≫京都国立博物館蔵、≪深山大澤図屏風≫、≪波に鶴・氷図≫は静と動の対比が明確。
他に、多能村竹田≪煙霞帖≫京都国立博物館蔵、伊藤若冲≪鶏頭に蟷螂図≫、そして、池大雅は第二期(8/8まで)では3点。≪漁楽図≫京都国立博物館蔵、≪陶淵明・山水図≫、後者は文字が良かった。池大雅は絵も良いが、私は彼の書が好き。

「新収品展」では以下京都狩野派の作品が素晴らしかった。
・「耕作図屏風」 伝狩野元信筆 六曲一双 室町時代
・「明皇・貴妃図屏風」 狩野山雪筆 六曲一双 江戸時代初期
・「すヽか」(奈良絵本改装絵巻) 三巻 江戸時代前期
・「蹴鞠図屏風」 曽我蕭白筆 江戸時代中期
特に「蹴毬寿老図」じゃ何気ないようで実に墨の濃淡の使い分けと構図、人物ポーズが上手い蕭白の実力を見せてもらった。
他には、中国・清時代~中華民国の近代における作品を中心に展示。清時代の壁画断片「美人群像(楊貴妃)」は状態が良かった。中に壁画断片が何点かあったが、宋時代のものが一点まぎれていたので注視。書跡は今回、ピンと来る作品に出会えなかった。

*8月29日まで開催中。

「小村雪岱の世界」 清水三年坂美術館

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清水三年坂美術館で8月22日まで開催中の「小村雪岱の世界-知られざる天才画家の美意識と感性-」に行って来ました。

京都に行くたびに必ず訪れたくなる掌中の珠のような美術館で、私の好きな京都のスポットの一つになっている。
1階は、明治期の工芸作品-七宝、京薩摩、金工、蒔絵、刀装具などの逸品が並ぶ。
こんなにも素晴らしい世界があったのか、と最初にこちらを訪れた時に驚いた。明治期の工芸は日本のコレクターには人気が低く、海外コレクターの間で逆に人気が高いため、どんどん海外に名品が流出しているという。そこに待ったをかけたのが、同館館長の村田理如氏である。

訪れる度に、明治期の工芸技術の卓抜さに目を見張るが、現代において再現不可能な作品も多い。江戸期より元来世襲制でこうした工芸技術は伝えられていたが、明治以後は世襲制度が徐々に崩れ、技術の伝承が困難になっていたという。

2階は企画展会場になっており、通常は常設展同様に、明治時代の工芸作品をテーマを決めて特集展示されていることが多いが、今回は違う。
絵画、しかも小村雪岱のコレクションを披露している。
小村雪岱は昨年、埼玉県立近代美術館で回顧展が開催されたばかりだが、本展では埼玉に出展されていない作品を多数展示。雪岱の唯一の弟子であった、故山本武夫氏より譲り受けたコレクションを中心に、数少ない肉筆画を収集してきたというから見識の高さに恐れ入る。
舞台装置や小説の挿絵原画も含め、未発表の肉筆画を中心に公開しているのである。

私も出かけてみて、未見でこれだけの数の肉筆画を拝見できるとは思ってもみなかった。特に雪岱の肉筆画はなかなかお目にかかれないのだ。
残念ながら作品リストは作成されていないが、版画や挿絵も含めて20点強はあった筈で、うち肉筆画は5~6点いやもっとか?はあったように思う。行ったのは数ヶ月前なので記憶が曖昧。作品画像は以下美術館HPよりご覧いただけます。
http://www.sannenzaka-museum.co.jp/kikaku.html

雪岱ファン必見の垂涎ものコレクションであることは間違いなし。
できるなら、終了前にもう1度観たかった。やっぱり肉筆画の粋で静謐な世界観に魅了される。

次回展「帝室技芸員 series Ⅰ 蒔絵-柴田是真と池田泰真-」も楽しみ。こちらは初日に行けるかも。

*8月22日まで開催中。オススメです。

束芋 「ててて」 ギャラリー小柳

銀座のギャラリー小柳で9月11日まで開催中の束芋「ててて」に行って来ました。

・アーティストブック「惡人」出版
・第54回 ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館出展決定
を記念して今回の個展は開催されている。同時に大阪の国立国際美術館においても束芋「断面の世代」展を開催中。

今回の個展では前回2008年に同ギャラリーで開催された「house」と異なり、新たな挑戦に対しての成果を披露してくれた。
まず、目につくのは大きな和紙を使用した作品≪deep forest≫や≪in-inner≫。
映像作品ではなく平面作品で新境地を見せているのが特徴。

平面作品とひとことに言っても表現の幅は広い。私が一番気になったのは「紙」への執着というべき作家の思い入れ。いや「紙」だけでなく、支持体そのものに対して、どんなアプローチができるか、自分自身に問いかけ、その可能性をフルに探っていた格闘の証を観た。
一見、普通の和紙かなと思いきや実は10枚以上の和紙を重ねて作られたものだったり、紙の上にあったモコモコした白い塊は胡粉だったのだろうか。ギャラリーの方にお尋ねしてみたが、分からないとのことだった。
キャプションはすべてMixed Mediaになっているので、そこはもう少し種あかしして欲しかった。
黒く美しい線描は版画?
平面に束芋の世界をぎゅっと凝縮し、煮詰めて見せてくれている。

豚革に人毛を配した作品も不気味。不気味で怪奇的、グロい感じが束芋ならでは。

長台に展示されていたのが、吉田修一の小説『惡人』(朝日新聞連載)の特装本(エディションあり)。エディション作品といっても、そこは束芋さんのこと。中に差し込まれているドローイングは1点ずつ違っているので、エディション作品と言っても実質1点ものと言っても良い。
私は大変恥ずかしながら、まだ件の小説『惡人』を読んでいない。それゆえ『惡人』がらみの感想を書くのが憚られる。なので、出版されたアーティストブック「惡人」についても、小説も読んでいないのに・・・と購入するのを控えた。その代わりに、本展出展作の大半を作り上げたシンガポールの工房SINGAPORE TYLER PRINT INSTITUTE(以下STPI)での個展「emerge as」の図録(サイン入り)を購入した。
サインは名前だけでなく、簡単な挿絵も描いてくれるのが嬉しい。私のは、昆虫の脚の部分が描かれていた。

束芋へのインタビューや田名網敬一による同展解説など、なかなか読みごたえがある。
中に、展示されていない作品で「おっ!」と思ったシリーズがあった。≪wall paper≫壁紙を破った向うに見えたものは・・・と想像力溢れ、造形的にも平面でありながら立体的でもある。紙を破いたり、燃やしたりいろんな加工をした上に、緻密な線描を重ねる。
残念ながらこのシリーズは既に売れ所蔵家のもとにあるために、展示されなかった。

最奥のスペースで映像作品≪ててて≫が上映。
「手」は束芋にとって、彼女の過去、ひどいアトピー性皮膚炎に罹患していた頃、よくじっと手を見つめていたと大学時代の師であった田名網氏は述懐している。
言われてみれば、束芋作品には「手」が何度も登場する。
肌表面で感じている痒みの奥に、何が起こっているのか。
その中に蝶がいたり、虫が蠢いていたり、想像はさまざまに膨らむ。
毛細血管は網のように伸び、内臓へとつながり、脳へ痒みの信号を送る。

くねくねと手は動く。まるでそれ単独で身体とは別個の存在感を示す。
毛細血管が観ている側にもからみついてくるような感覚を呼び起こしたら、すっかり束芋世界に入り込んだ証拠だ。

今回の新作を足がかりに、ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館で見事な作品を展開して欲しい。その成果を携えて日本に凱旋帰国する日を楽しみにしたい。

上記STPIの図録は限定40冊の販売。まだギャラリーに残部はあるだろうか?

*9月11日まで開催中。

「時の宙づり-生と死のあわいで」 IZU PHOTO MUSEUM

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IZU PHOTO MUSEUMで8月20日(金)まで開催中の時の宙づり-生と死のあわいで」に行って来ました。
展覧会詳細 ⇒ http://www.izuphoto-museum.jp/exhibition/5337331.html

といっても訪れたのは確か5月2日。鑑賞記録では、たった6行でまとめてしまったが、今にして思い返すと今年観た写真展の中でもとりわけ忘れ難い内容だった。それにしても今年は、いつになく素晴らしい写真展が多いように思うけれど、以前より自分の関心が写真に向いているせいなのだろうか。

当初、この展覧会を観た時は何やら非常に珍しいものを実に興味深いテーマでまとめていると、本展キュレーター
の写真史家、ジェフリー・バッチェンの力量に脱帽し、凄いものを観たようだが未消化という状態で記事を書けずにいた。
数ヶ月を経て、展覧会の内容を振り返ってみると写真というもののありようについて様々に問いかけられた気がする。

展覧会の趣旨は「忘れられた写真」の意義を考察し、家庭や人々の心の中に存在していた写真の展示によって、被写体を生と死の間で宙づりにする能力に焦点を当てることにある。

もちろん、日本初公開となる300点以上もの写真や写真付きアクセサリー、写真彫刻などを観て行く中で、言わんとすることを感じとることができるのも魅力の一つではある。
しかし、個人的には、モノとしての存在感を発するヴァナキュラー(ある土地に固有)写真の魅力に強く惹き付けられた。
言わば、民俗学、人類学的視点において楽しめることがもう一つの魅力なのだった。
これほどまでに、写真に土地固有色があるとは思っていなかった。

ここでは、いわゆる芸術写真ではなく、もっと人生に身近な写真を展観していくことになる。

写真の取り扱いの民族間における差異は、非常に興味深いものがあった。
例えば、メキシコの写真彫刻(フォトエスクトゥーラ)では、写真を飾る額そのものに装飾的彫刻をあしらっているし、日本では
骨壺に写真が使用されているものまであった。共通しているのは死者に対する遺された家族や身近な人々の思いの強さ。
遺された人々は亡き人の肖像写真を眺めることで、故人を偲ぶだけでなく、来るべき死をも身近に感じていたのではないだろうか。

本展の最後に展示されているスナップ写真は撮影者自身の「影」をテーマとしたものであった。
ここでは森山大道「青森」1982年、リー・フリードランダー「キャニオン・ド・シェリー、アリゾナ」1983年(前期のみ)他1点に
加え多数の撮影者による90点の「撮影者の影が入ったスナップ写真」(1910年-80年代に撮影)がズラリと並ぶ。
撮影者自身の影が入ったスナップ写真に何を見てとるか。バッチェン氏のいう「時を宙づりにする」力を感じ取れるか、やはり再訪したかった。

本展カタログ(以下)も発売中。amazonなどでも購入できます。

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*8月20日(金)まで。写真に関心がある方にはオススメします。

「ザ・コレクション・ヴィンタートゥール」 世田谷美術館

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世田谷美術館で開催中の「ザ・コレクション・ヴィンタートゥール」展に行って来ました。
展覧会公式HP ⇒ こちら

本展は、スイスの小都市にあるヴィンタートゥール美術館のコレクションから全点日本初公開となる90点を紹介。
近代美術を幅広い視野から展観するものです。

本展開催にあたって、猛暑の夏ということもあってか通常とは異なるサービスが2つあった。
1.最寄駅の東急・用賀駅から美術館への臨時直行バス(210円)が運航。
2.美術館玄関手前に冷たいお水のウォーターサーバーを2台設置。

ささいなことでも、来館者向けのサービスを講じて下さるのは大変ありがたい。
いずれもしっかり利用させていただいた。

さて、展覧会の方も楽しめる。
特に本展で気に入ったのは、展示方法であった。
以前開催されたメキシコ絵画の展覧会に比べると、名画の庭を散歩しているような気分になれる。
ふらふらと回遊できるのが魅力的。
ただ、彫刻に関しては設置スペースの問題もあってか各章の他作品と別にあったりで、リストを追っていると分かりにくい面もあったが、それはやむを得ないことだろう。

展覧会は次の8章から構成されている。
第1章 フランス近代Ⅰ:ドラクロワから印象派まで
第2章 フランス近代Ⅱ:印象派以後の時代
第3章 ドイツとスイスの近代絵画
第4章 ナビ派から20世紀へ
第5章 ヴァロットンとスイスの具象絵画
第6章 20世紀Ⅰ:表現主義的傾向
第7章 20世紀Ⅱ:キュビスムから抽象へ
第8章 20世紀Ⅲ:素朴派から新たなリアリズムへ

第1章のドラクロワの小品≪グレーハウンド犬を伴うアルジェの女≫1854年から始まる1章はお馴染みの印象派画家の作品が並ぶ。
シスレー≪朝日を浴びるモレ教会≫、ヴーダン≪ラレ=ヴェルトの運河、ブリュッセル≫が目にとまる。

第2章での人気者はゴッホ≪郵便配達人≫1888年。ゴッホは相変わらず人気が高く人だかりができていた。今回は目が覚めるような黄色の背景色が印象的な作品。郵便配達人の濃紺色の制服が映える。
他に、ルドン≪野の花≫、≪アルザスまたは読書する修道僧≫の2点がルドン好きには嬉しかった。

第3章は、ヴィンタートゥルならではの作品が紹介されており、特に気になった作品が多かった。
中でも、ホードラーが好み。ホードラーの作品は全部で3点出展されているが、≪ジュネーブ湖畔の柳≫と死の2年前に描かれた
≪自画像≫は忘れがたい。黒の輪郭線のせいかどこか日本的な雰囲気を醸し出している。ホードラー展の開催を強く希望!
日本では国立西洋美術館で1975年に開催されたのが最後だが、ベルンで2008年に大規模なホドラー展(162点のホドラー作品が出展)が開催されている。

国内で彼の作品にお目にかかることはまずないが、作品を所蔵している美術館が国内にはないのでは?検索してみたが、ヒットしなかった。

他にジョバンニ・ジャコメッティの油彩やクーノ・アミエ≪秋の太陽≫が気になった。アミエは初めてその名を聞いた。

第4章で、先に閉幕したオルセー美術館展でも話題になったナビ派の画家が紹介されている。
ボナール、ヴュイヤールと続く中、私はアルベール・マルケ≪ラ・ヴァレンヌ=サン=ティレール≫1913年にすっかり惹かれてしまった。
深い深い緑と湖面に映る緑の影が美しい。

続く第5章は第3章、第6章と並んで見どころが多かった。
何といってもヴァロットン。再びオルセー美術館展の話題になるが、同展で紹介されていたヴァロットンの不思議な作品≪ボール≫は記憶に新しい。もう少しヴァロットンの作品を観たいと思っていたところに今回の展覧会である。
願ったり、叶ったり。
ここではヴァロットンが5点も登場。観れば観るほど個性的な作品が多い。大作≪5人の画家≫は描かれた5人の手のしぐさが特徴的でみな違う。
そうかと思えば≪日没、オレンジ色の空≫では、具象から抽象絵画への過渡期となるような画面構成。
一番のお気に入りは≪彼女のいる風景≫1913年。取ってつけたような浴女数名。平坦な画面。帽子が裸の女性たちにとって代わったかのようであった。
≪水差しとキズイセン≫1915年は、静物画だがオレンジ色の水差しと黄色の水仙の配列が美しい。

第6章はブリュッケの画家、青騎士のカンディンスキー、クレーが登場。
カンディンスキー≪はしごの形≫1929年、クレー≪水脈占いのいる風景≫1923年はもちろん未見作で、いずれも両画家の画風を明瞭に示す佳作であった。特にカンディンスキーは1点だけだったけれど、1点でも十分に魅了されてしまった。
はしごは、「明確なもの」「とらえがたいもの」を結ぶ役目をしているのだそう。

マックス・ベックマン≪ストレリチアと黄色いランのある静物≫1937年も迫力があった。ベックマンとヘッケルはもっと作品を観たい。
ドイツ表現主義をテーマとした展覧会にもまだお目にかかっていない。

7章はレジェとマックス・ビルの白い大理石による潔い彫刻に尽きる。

最終章では、目玉作品の一つであるアンリ・ルソー≪赤ん坊のお祝い!≫1903年に対面。これって、金沢21世紀美術館の横尾忠則さんの展覧会で横尾さんヴァージョンになっている作品を観たような気がする。

マグリットの≪失われた世界≫1928年やお馴染みアルベルト・ジャコメッティの彫刻と絵画≪座って新聞を読むディエゴ≫も忘れ難い。
ジャコメッティの絵画は彫刻に負けず劣らず素敵だった。黒い線の走り方がとにかくカッコイイ。

ジョルジオ・モランディの何気ない2点の≪静物≫も静謐さを感じて本展の終わりに相応しい作品だった。


なお、本展図録は要チェック。
装丁・デザイン・印刷いずれも出来栄えが良い。マグネットで綴じる方式とシンプルな白と赤のデザインが気に入った。

まだ今ならストレスなくご覧いただける状況でしたが、いずれ混雑しそうな気がします。お早めに。

*10月11日(月・祝)まで開催中。

栃木県の美術館と温泉の日帰り旅

一昨日の旅の行程を簡単にまとめておく。今回は青春18きっぷを利用した。

東京から京浜東北線で赤羽駅にて湘南新宿ラインに乗り換えるつもりが、ipadに夢中で赤羽駅を通過。
結局、浦和駅で東北本線の乗り換え、最初の目的地となる間々田に向かう。

間々田駅で下車し、小山市立車屋美術館へ徒歩で向かう。
感想記事は前回アップしたので、ご参照ください。小川家住宅がツボでした。



間々田駅で宇都宮行きがわずか3分前に出た後で、結局次の列車で小山まで向かい駅の待合室で休憩。
約20分待って、宇都宮行きに乗り込む。
宇都宮駅でトヨタレンタカーでVitzを借りる。やはり、レンタカーでいろんな車に出会ったが、この車は乗りやすくて好き。
途中、宇都宮パルコにて所要を済ませ、栃木県立美術館で開催中の「イノセンス」を鑑賞する。奈良さんの陶芸作品はギャラリーで観たのより良かったな。特に、ちっちゃいサイズのがかわいかった。「イノセンス」というテーマでの作家さん選定が良かったと思う。
これも、別記事にしたいけれど書く時間が取れるだろうか。



栃木県美から宇都宮ICより東北道にて那須へ向かう。途中、SA近辺でお盆渋滞らしきものにはまるが、SAで昼食を取っていたら、渋滞が緩和されていた。


那須高原のレントゲンヴェルケ・藝術倉庫へ。
佐藤好彦の個展。
那須ICからが遠かった。地図だとすぐ近くに見えたけれど。しかし災い転じて福となす。藝術倉庫への道は渋滞していなかったし、途中の眺望が抜群だった。
芳名録にて、見知った作家さんの名前が一番上にあるのを発見。
さすがに、那須まで来るお客さんは少ないらしい。
既存のものを使用して全く別のオブジェを作り上げている作家さんでした。



ニキ美術館へ。
こちらも前々回記事をアップしたので、そちらをご参照ください。こちらは今年の8月末までの期間限定オープンです。オススメ。



今回のもう一つの目的は温泉。7世紀に開湯したとかいう元湯・鹿の湯に入湯。こちらは、明治時代に建築された湯屋がそのまま残る、レトロ感満載の天然温泉。宿泊施設はなく、日帰り入浴専門。入湯料は400円(タオルが必要な場合は別途400円だったかな)。貴重品を預けるロッカー代がノーリターン式で100円。
これは、面白かった。硫黄のにおいが若干あって、お風呂から出た後もその香が残っていた。
温度の低い浴槽から46度くらいの高温まで2度ずつ温度の違う浴槽にぬるい⇒熱い順に入る。
44度以上のお湯には、とてもじゃないが浸かれませんでした。熱過ぎです。
一番大きな湯船は42.5度でしたが、これは大丈夫。ただし、長湯は禁物。
湯ざめしにくく、長時間ほかほかしてました。
石鹸やシャンプーは使用禁止。昔ながらの温泉です。



黒磯駅にてレンタカーを返却し、再び東北本線に乗車。
途中、宇都宮駅で下車し、餃子の手土産を購入し、上野行きのアーバン・グリーン席を奮発。ビールも買って、車内で餃子とビールで夕食。これが、美味。

ビールですぐに酔って、うとうとするうちに上野に到着。再び乗り換え自宅に戻る。

楽しい夏旅でした。

「タムラサトル 小山マシーン」 小山市立車屋美術館

昨日の旅の続きです。
最初に向かったのは、栃木県の小山市立車屋美術館で、目的は「タムラサトル 小山マシーン」展(9/5まで)。
チラシがカッコよくて、黒地にオレンジのサメが何とも印象的だった。

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アクセスは、東北本線の間々田駅西口から徒歩5分。駅に到着したのは9時半前でしたが、たった5分で到着する筈が、道に迷って炎天下10分以上さ迷った。小山市立博物館の道案内はあちこちで見かけたのに、車屋美術館の案内板が見つからなかった。帰路に駅を出てすぐに道案内があったのですが、改札から出て来る人にとっては背後に位置する場所なので、気付かなかった。もう少し、案内板を増やして欲しいなと思う。

さて、行ってみて初めて知ったのだが、こちらの美術館は2001年4月に開館したばかり。
美術館のある敷地は、江戸時代より思川の乙女河岸で肥料問屋「車屋」を営んでいた豪商で、小川家のもの。現存する五棟の建築物は、乙女河岸の繁栄を伝える貴重な遺産であると同時に近代和風住宅としての価値も高く、平成19年8月国登録有形文化財に登録されている。

美術館は、小川家住宅が登録有形文化財に指定されたことをきっかけに、旧米蔵を改築したもの。細く長い平屋造で、確かに言われてみれば外観は米蔵っぽいかもしれない。小川家住宅と美術館の入館料は別々なのだが、小川家住宅鑑賞料はわずか100円。これは、絶対見た方が良いです。詳細は後述。

タムラサトルは、2年前の川崎市岡本太郎美術館で拝見した「 第12回 岡本太郎現代芸術賞 展 」特別賞受賞作品:“ 50の白熱灯のための接点 ”が忘れられず。他の作品を観てみたいなとかねてより思っていたので、今回行ってみることにした。
“ 50の白熱灯のための接点” 画像はこちら

受付で、手作りの作品リストや作家プロフィールを頂戴する。こういう丁寧な仕事をして下さることが、美術ファンには嬉しかった。
出迎えてくれたのは、新作≪小山マシーン≫2010年。最初、何だかよく分からなかったが、ちょっと離れてみたらしっかと分かった。チェーンとモータなどを使用して「小山」の文字を作っているのだ。文字の部分がチェーンで作られていて、それがモーターでゆっくりと回転している。
これが、一番今回好きだった。

その後、旧作が約20点、新作3点が展示されている。

中で忘れられないのは、≪catch and release≫2010年。これは釣り竿が獲物を釣り上げ、リリースするまでをゆっくりとモータを使って再現している。竿のしなり具合に作家の関心があって、制作された。
ゆるゆると竿が獲物ならぬ錘を持ちあげる様がいい。よくできているなぁと感心。
延々と繰り返される動作をなぜか見守ってしまう。

そして、最奥の展示室では本展チラシ掲載の≪モータヘッドシャーク≫2010年がお待ちかね。
まさか、本当にサメがいるとは思ってもみなかった。しかも、1720×4800×2025mmと部屋一杯の大きさは、近くで観るにつけ、なぜ、こんなでかいサメを作ってしまったのかと素朴な疑問が浮かんだり・・・。
???はまだ続く。巨大なサメは不思議なことに微振動を続けているのだった。
私は、以前スキューバをやっていて、幸いにもシュモクサメに出くわしたことはなかったように記憶しているが、別種のサメなら、何度も海中でお目にかかっている。
そう言えば、アメリカ人ダイバーはサメ大好きで、彼らのためにサメ狙いのダイビングもしたような気がする(余談)。
サメが揺れてる。。。不思議な気持ちを抱いたまま、美術館を出て、小山家住宅に向かった。

さすが、文化財に指定されただけのことはある。ここは古建築がお好きな方にはオススメしたい。私はこの明治期の建物を本業の観点から眺めてしまった。
1階和室のガラスも当時のままの古ガラス。雨戸も付いていないので、台風などの天災によくぞ持ち堪えたものだと思う。襖は沖縄の芭蕉布が使用されていたり、長い縁側の梁には、立派な一本柱が通っている。壁は珪藻土。
建築の専門家ではないため、案内して下さった監視員の方のご説明を傾聴。

和室以外に7畳の茶室も設えられていて、行った時は風炉が供えられていたし、生花もあちこちにあり、このお家を大切にしていることが実感された。床の間に活けられていたガマの穂がはるか昔を思い出させた。懐かしい気持ちでいっぱいになる。

トイレのつやつやした板は桑だったか。和室にぶら下がっているガラス照明も明治のまま。
そして、この住宅の特筆すべき点は2階にあった。
純和風の京都宮大工が手がけたという1階に対して、2階に突如、濃厚な洋風装飾を持つ洋室が現れる。ここだけ、絨毯。天井にも内壁にも装飾的彫刻が施されている。これも当時の日本人の仕事なんだそうで、明治という時代、急激な西洋化の一端をこんな所で実感できるとは!
室内にある、テーブルや椅子3脚、室内を飾る数点の洋画は、海外から明治時代に輸入したそのままが展示されている。
テーブルに置かれている煙草入れも洒落ているのでお見逃しなく。

なお、残念ながらこの洋室に入ることはできず、廊下から障子がわりのガラス窓を通して中を覗くことになっている。

住宅を出て、お庭をまわる。入口から見ていた以上に中に入ると庭が広いことが分かった。1周すると、小さな神社が2つあるし、細長い蹲やら、ハート型が彫られた石灯籠など、面白いものがいくつか見つかる。
入口近くにある巨大な土蔵には、番頭さんのための小部屋も設置されている。こちらも、外から中を覗くことは可能。

タムラサトル展を見に行ったはずが、小川家住宅にすっかり魅了されてしまったのでした。

小山家住宅詳細については同館ホームページをご覧ください。
http://www.city.oyama.tochigi.jp/contents/7d9318133038000/7d931813303800012.html

「わたしのニキ」 ニキ美術館

2009年8月末をもって閉館した栃木県那須高原にあるニキ美術館が、7月1日~8月31日まで期間限定で再開しています(除く水曜日休館日)。

ニキ美術館は1994年、極彩色の豊満な女性像で知られるフランスの女性彫刻家ニキ・ド・サンファル(1930~2002)の作品を紹介する施設としてオープンした。200点余りのコレクションは、ニキ作品に魅せられた館長の故・増田静江さんが収集したもの。ニキの作品をまとまって見ることができる世界唯一の美術館として知られていたが、増田さんが昨年亡くなり、惜しまれながら閉館した。 ~毎日jpより引用

2006年7月に名古屋市美術館に巡回した「ニキ・ド・サンファル」展は、今でも忘れられません。あの展覧会ではじめてニキ・ド・サンファルの世界を実体験したのでした。以下、その時の感想(こういう時、ブログ書いてて良かったと思う)。
http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-45.html

当時の私にとって、那須高原は海外に行くより遠く感じていましたが、東京へ移って来ても那須へ行くことのないままニキ美術館は閉館。twitterで、「ニキ美術館が今夏だけ再開される」との報を知り、栃木県アートと温泉を巡る日帰り旅行を決行し、漸く本日(2010年8月15日)行って参りました。

まず、入口。
予想だにしなかった「黒門」が迎えてくれます。
普段から、自分が行く美術館の場所や交通手段やは調べても、画像は見ない性質なので、まさかの黒門出現に驚く。門をくぐると、ニキの描く巨万の女性像(ナナ?)をかたどった入口を示す小さな標識が。
見渡す限りの樹木。根津美術館の庭園を思い出していただくと良いかもしれません。庭内にはせせらぎが流れ、ちょうど到着する前に通り雨が来たばかりだったので、池から水蒸気が立ち上り、幽玄さがあたり一面に漂っています。細い小道を奥に辿って行くと、池の向うにはっきりと白い美術館が見えて来ました。

臨時開館の特別展「わたしのニキ」では、ニキ・ド・サンファルの作品を心から愛し、彼女を崇拝していた同館創立者:増田静江さんとニキとの交流から展示が始まります。
1980年に増田館長がニキに出会う最初のきっかけとなった作品≪恋人からのラブレター≫ はじめ、ニキからの手紙
が何点も展示されており、両者の友情を強く感じます。
増田静江さんご自身も数年間、絵を描いていたとは知りませんでした。増田さんの絵画も20点ほど展示されていますが、徐々に作風がニキっぽく変わって行く、影響度合いの強さが伺えます。

そこから先は、ニキの世界を満喫。
極彩色の彫刻作品の数々、もちろん名古屋で未見の作品も何点も拝見し、やはりここはニキの作品を鑑賞するためのベストな環境が整っている美術館なのだと思いました。
初期の射撃絵画の作品からは、名古屋市美で強い印象を受けた「赤い魔女」とも再会を果たし、2006年の展覧会が脳裏に蘇ります。ニキがライフル銃を携えた写真を見て、美女とライフルというのは実に様になると、映画「ニキータ」や「アサシン(暗殺者)」(あちらはライフルでなく短銃でしたが)を思い出したり・・・。
実は、初期の作品が一番好きだったりするのです。

大きく切り取られた窓辺には、木製長椅子が置かれ、ぼ~っとニキの作品を見つつ、庭の緑や小川の流れを愛でることも可能で、緑あふれる環境に囲まれて、ニキの鮮やかな彫刻がより一層映えるように思います。

そして、丁寧な作品解説にも関心しました。受付で無料の観賞用シートを貸していただける上に、ニキ作品には多くのメッセージが描かれていますが、全て和訳のキャプションが付いています。

彼女は美人モデルとして活躍後、アートの世界に入ります。
女性という性や幼少期の抑圧からの解放、彼女の鬱屈とした内部を看破する手段が射撃絵画の始まりだったのでしょう。以後、絵画、彫刻、いずれにおいても、色彩や大胆な形状に潜んだ強いメッセージを忘れることはできません。
晩年、初来日したニキは、京都で仏閣を観光し、強い感化を受けたといいます。
来日後に手がけた≪ブッダ≫1999年は、彼女は仏の姿に一体何を観たのでしょう。
正面からは分かりませんが、後ろに回ると背中に大きな空洞があり、豊満な大腿部、一つ目、金銀をはじめ多色な仏像は静かな瞑想の境地とは大きく異なっているようでした。

隣にあった、≪ギルガメッシュ≫も古代神話に登場する生きもの。こちらは主に青色で統一され、彼女の作品にしては珍しく細い腕や身体や脚で、私はこちらの作品にも惹かれました。

個々の作品やニキ・ド・サンファルの紹介は、ニキ美術館のサイト(以下)に詳細が掲載されていますので、関心がある方はご参照ください。
http://www.niki-museum.jp/index.htm

館内では、スコーンセットはじめカフェがあって、ゆっくりくつろぐこともできます。そして、迎えて下さったスタッフの皆さんの温かさにも感謝です。

今後の美術館再開の見通しは立っておらず、寧ろ移転の方向を探っているとのことですが、移転先も見つからず。
このお庭と建物は一体どうなってしまうのか。当面、作品収蔵庫としての機能を果たしていくそうです。
一人でも多くの方に足を運んでいただけたらと心から願っています。

*8月31日まで(注:水曜休館)。9:30~17:00
ニキ美術館での最後の展覧会になるかもしれません。

桑久保徹「海の話し 画家の話し」 TWS渋谷

kuwakubo

トーキョーワンダーサイト渋谷にて9月26日まで開催中の桑久保徹「海の話し 画家の話し」に行って来ました。

国立新美術館で今年開催された「アーティストファイル2010」でとても気になった作家さん。

来年10周年を迎えるトーキョーワンダーサイト。それにあたり、ワンダーサイトにゆかりがあり現在充実した活動をしている作家をもう一度展示をしたい、とのことで桑久保徹さんの個展が開催されることになったもの。
2002年にトーキョーワンダーサイト入選後、2003年「TWS Emerging038 うみべたの画家」、2年「BLOOMFIELD」(TWS渋谷)など、作家の原点ともいうべきTWSで行われる、記念に相応しい個展となっている。実際、その内容を拝見し、過去に私が観たTWS渋谷開催の展覧会で、一番良いように感じた。

1階の3つの展示室、2階1室の空間を埋め尽くす作品群。その大半が本展のために描かれた新作である。

SPACE Aには、ポートレートの小品が並ぶ。
「デュシャンの姪」、「波止場のギター弾き」、「読む女-地球の歩き方」など、ブラックユーモア、シュールな作品。ちょっと変な人たちである。
入口手前にある2003年「穴」に注目。この作品こそ、今につながる海辺のシリーズのルーツとも言える。
作家が哀しみを現実のものと実感できなかった時、海辺でひたすら穴を掘るという行為から描かれた作品である。

SPACE Cの一番広い展示室には、5点の大作が(新作)が並ぶ。
桑久保は、自らの中に仮想の画家クウォード・ボネを設定し、その対話の中から作品を海お出している。
対話の果てに生み出された水平線と海岸の背景に砂浜に広がる宴や想像世界は実に魅力的で不可思議な桑久保の世界観を鑑賞者に呈示している。

彼が描く水平線は、幾重かのカラフルな水平線が縦に連なる。そして、海の上にある空や雲も様々な色をしている。
手前の海岸では、「彫刻室」2010年、「独裁者の庭」、「共同アトリエ」など多様な世界が作られる。
「VESSEL」は窯場だろう。噴煙を上げる窯場や煙突の数々。どうして、こんな色遣いができるのか。
これは、平面による箱庭なのではないのだろうか。

小さなアイテム(玩具)を箱の中に自由に置き並べる心理療法「箱庭療法」を思い出す。
過去に黙々と穴を掘り続ける桑久保の姿を絵筆をもって、淡々と砂場にアイテムを描く行為は同じだと思う。

彼の技法にも注目すべき。
2階にある初期作品2点「THE COMPANY」2001年、「Flip」2003年は薄塗りで単一の色調で彩色されているのに対し、前述の「カーネーション」2004年あたりから、厚く絵具を重ねる画風に変化。
以後、最新作では益々厚塗り化に拍車がかかっている。
時にゴッホのタッチを感じさせる。

一番奥の部屋では、大作5点の下絵となるデッサン(素描)を合わせて観ることができるので、こちらもお見逃しなく。完成作からはなかなか伺い知ることができない、作家の線描を確認するチャンス。

9月11日(土)には作家本人によるギャラリートークが開催される。

展示の様子は、桑久保徹作品の取扱画廊である以下TOMIO KOYAMA GALLERYのブログにアップされている。
http://tkgallery.exblog.jp/13726343/


*9月26日(日)まで開催中。オススメします。

「via art 2009 prize exhibition」 シンワアートミュージアム

携帯電話を紛失して、代替機を泣く泣く購入し、やっと携帯でのメール受信が復活し、すぐに見知らぬアドレスのメールが届いた。

もしや、ヤフオクで購入した白ロム携帯だったのが、まずかった?と恐る恐るメールを確認してみた。
「お久しぶりです、引き籠りアーティストの蔭山忠臣です。
お盆に行う展示のお知らせです。
皆さんお忙しい時期かと思いますが、お時間がございましたらお越しいただけると幸いです。」

引き籠りアーティストと言えば、頭に浮かぶのはただ一人。
今年見た川崎の岡本太郎美術館の「TARO賞」の入選作家さんである。あの時、彼は箱に籠り外部と携帯メールを通してだけつながっていた。
う~ん、引き籠りアーティストの新作は気になる。

閉場ギリギリに駆け込んだ。

まずは、観賞順に参加作家さんを紹介しよう。

・吉野もも
彼女の作品は、立体を平面に、平面を立体に見せる作品。今回は、後者の作品の方が私の好み。ちょっと3D感覚で楽しめる。ポートフォリオを拝見していると、果物の皮を作品にしたものなどがあった。ご本人曰く、だまし絵風の作品を目指しているとのこと。素直に面白いと思った。
多摩美の油画専攻3年生。まだまだこれからが楽しみ。

・奥天昌樹
確か4点大きめの作品を出展されていた。4点のうち3点は子供がモチーフに登場しているが、その数はたった独り。複数名でなく単独な子供に焦点を当てていることに注目した。技法的にはそうとう凝っていて、フォトコラージュ風な作品と最新作の油彩1点。この最新作には子供は出てこない。顔と腕が描かれていない女性がテーブルに座っている。背景は森なのか、しかし、右上に木蓮が配され、私は木蓮が好きなので、とても気になったのだ。
ずっとその1枚を見ていると、先日感想を書いた鴨居玲の初期作品を思い出した。他の安井賞受賞作家の作品も浮かんだ。
最初に目に留まったのは、ベトコンを象徴するような1点で、これは色鉛筆で色を重ねていたり、複数の画法、技法を使用していても、ミクストメディアとしなかったのも作家のこだわり。少しだけご本人とお話した。子供をモチーフにしたことには彼なりの理論や思いがあるようだ。でも、私はそんな彼の思いを他所に、実は幼少時代の作家ご本人だったりしないのかななどと考えていた。

現在、武蔵野美術大学3年生。新たな試みと可能性に期待。
なお、作家さんご本人のWebサイトを発見するも最新作はアップされていない。
⇒ http://okutenmasaki.6.ql.bz/set.html

・菅 亮平(かん・りょうへい)
1983 愛媛県生まれ 現在、東京藝術大学大学院 美術研究科 絵画専攻前期課程在籍中。

彼は既にYokoi Fine Art で個展開催が決定しており、同ギャラリーHPにて取扱アーティストとして紹介されている。
本展出展作品のうち何点かは同ギャラリーのサイトで確認できる。
驚くべき写実絵画。写真を絵画にしたような。画材は油彩で良いのか。確認するのを失念してしまった。エアブラシを使用しているとか。
山梨県立美術館所蔵のミレーの名品《ポーリーヌ・V・オノの肖像》をモチーフにした作品。これは模写?
とにかく陰影表現が素晴らしい。
ひたすら黒の背景に対象物がぼーっと浮かび上がる。
作品サイズは奥出昌樹同様、大きめのものばかり、5点あったかな。
近々、開催される個展ではまた趣向の違った作品も出るとか。これは行かなければ。

・樽井英樹
彼もペインティング。細かいのだけれど荒々しいタッチ、カオスぶり。ひたすらに色を重ねるその作風はとても新鮮だったし力を感じた。小品ではその筆さばきがやや落ち着きを見せ、抽象でなく具象の形が顔を見せてなぜかほっとした。
未完成の中にこそ、魅力がある。
彼も多摩美術大学3年生。

・蔭山忠臣
今回は箱に入るのでなく、頭に箱をかぶっていた。本日は出展作家によるアーティスト・トークがあったため、出展作家の知人・友人など学生さんがわんさか。
本来のコンセプトによれば、中に入った蔭山さんは耳栓をして外部と言葉も交わさない設定であったが、その試みはもろくも破壊されていた。私が行った時は、女子3名に囲まれ手をいじられていたのだが、ついに、箱をはずしてご対面。

壁には今回のアイディアデッサンが何枚も並んでいたが、これが面白い。言葉にするより描いた方が具現化するのだとか。言わんとすることは分かる。
彼は今後パフォーマンス・アーティストとして活躍するのだろうか?テーマはコミュニケーションだけじゃない!と敢然と主張するその姿に今後を期待。また、メールくださいね。

*明日8月15日は午後3時で閉場です。お早めに。

2010年8月14日 鑑賞記録

今日は、朝から写真展を中心にギャラリーなどをはしご。
美術館は、世田谷美術館の「「ザ・コレクション・ヴィンタートゥール スイス発―知られざるヨーロピアン・モダンの殿堂」ひとつだけ。これとTWS渋谷の桑久保徹展は別記事にします。

朝一番は渋谷の東急百貨店前のVIRONで朝食。以前から一度行ってみたかったので漸く。9時ちょっと過ぎだったけど、並ばずすぐに入店。パンは美味しいけれど、パンばかり5つはちと厳しい。あっさりして口当たりの良いコーヒーがおかわり自由なのは嬉しいけど、今度はイートインしてみよう。

・ロストジェネレーション「僕たちのわすれもの」 Bunkamura Gallery 8/25まで

ブリューゲル版画展(まだ感想書いてない・・・)ではなく、このグループ展が目的。ART Osaka2010に行った時、興梠優護(こおろぎ・ゆうご)さんの新作が出ると聞いていたので、観ておきたかった。
大阪ではヌード作品だったけれど、それもアンニュイな雰囲気で気になっていたので。新作は、≪Smoke sp≫など、線香や炎、火で燃やすという行為を扱っていた。なぜか、映画「バックドラフト」を思い浮かべたが、全く関係ない。本日最後の徘徊先でお目にかかった、さるお方によれば、興梠さんの近親が最近お亡くなりになったそうで、火葬からイメージを膨らませたのだとか。それにしても、素晴らしい画面作りをする作家さんである。まだまだお若いので、これからも要注目。
もうひとつのお目当ては、池島康輔の木彫だったが、私の中では、今春拝見した東京藝大修了制作展の作品を超えず。あの時観た「メメント・モリ」の表現力は今でも忘れられない。それを思うと、ちょっと作品に躍動感がないように感じた。
他に、佐藤令奈のほくろのある裸体の絵画、山田啓貴のテンペラ絵画が良かった。

・「colpoesne」 hanayo 表参道・ユトレヒト 8/15まで

内容は観てのお楽しみ。展示空間、写真自体、そして和綴じのような製本仕様の写真集も出来栄えが良い。花代さんは、こういう展示をするのか。新たな写真の可能性を見せてもらったような気がする。行って良かった。

・梅佳代写真展「ウメップ」 表参道ヒルズ地下3階 スペース オー 8月22日まで

昨日たまたまTVを観ていたら、この展覧会をとりあげていたので、行ってみることにした。梅佳代は第32回木村伊兵衛写真賞を受賞。
これ、面白いです。とにかく楽しくてちょっとペーソスと毒がある。ただし、土日日中は混雑必至。きっと、夜(21時まで)や平日ならもう少しゆっくり観られるのではないかな。
写真を貼っているパネルのイラストも梅佳代さんによるもの。可愛い。おまけに照明も凝っていて、イケメン男子(梅佳代さんの彼?)にはハート型のスポットが当てられている上に、ボード上にハートが書き加えられているのでやたら目立つ。子供からおじいちゃん、おばあちゃんまで、巷にいる様々な人たちの「決定的瞬間」を見事にとらえている。たまたま、森村泰昌著「美術の解剖学講義」ちくま学芸文庫を読んでいる最中で、アンリ・カルティエ・ブレッソンの『決定的瞬間』についての解説を読んだばかり。

梅佳代さんの視線は常に優しい。シャッターを切る時、彼女はどんなことを考えているのだろう。

膨大なスナップ写真の中に、タカ・イシイギャラリーのギャラリストさんの顔を見つけた。複数で写っているのと単独スナップ。ご本人はご存知なのだろうか?もしかしたら、他にも知ってる身近な誰かが梅佳代さんのカメラにおさまっているかもしれない。

20分の映像作品もあるので、そちらもご覧になる方は時間に余裕を持ってお出かけ下さい。

・綿谷修展「Juvenile」 RAT HOLE GALLERY 8/25まで(月休)

綿谷修は1963年生まれで、1989年よりアートディレクターとしてヒステリックグラマーやラットホールギャラリー発行の写真集ディレクションを数多く手がける。
「Juvenile」は「年少」の意味だけでなく「幼鳥」の意味も込められている。まさにタイトルを写真で具現化した内容。青い果実のような大人の世界に一歩足を踏み込む手前の境界線。境界線上にいる少年、少女の複雑な表情と肉体をみていると、なぜか痛々しさを感じてしまった。

・大森 博写真展 「端景II」 蒼穹舎 8/22まで

バリバリの硬派な写真展。実は私はこういうモノクロでアナログな写真の方が好みなのだ。どこかの下水?で撮ったアメリカザリガニの写真が忘れられない。展示されていた写真はちょっと黒が強く出過ぎていたように思う。
でも、同時に発行された写真集「端景Ⅱ」の方が、落ち着いた感じの写真になっていたような。
モノクロの対比にギラリとするものを強く感じた。

蒼穹舎は初めて行ったけれど、丸ノ内線新宿御苑駅から徒歩ですぐ。エレベーターのない古いビルの3階にあるこのギャラリーは藤原伊織のミステリー小説に出て来そうな雰囲気があった。
奥には絶版写真集や写真関連の古本が沢山。今日は時間がなかったので、ざっと見て終わったけれど、また行ってみたい。ここでは、名古屋発信のアート評論誌「REAR」の最新号を購入した。都内で「REAR」24号を購入できる店舗は恵比寿とオペラシティのNadiff(とココとphotographers' gallery(8/19まで休み)だけ。文化村のNadiffには売れてしまって在庫なしでした。

photographers' galleryもまだ行ったことないので、8月20日~の次回展にでも行ってみたい。

「オノデラユキ 写真の迷宮へ」 東京都写真美術館

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東京都写真美術館で9月26日まで開催中の「オノデラユキ 写真の迷宮へ」に行って来ました。

オノデラユキ(1962年生まれ)は、現在パリを拠点に活動する写真家。
2003年に写真集『カメラキメラ』で第28回木村伊兵衛写真賞を受賞し、2006年にはフランスにおける最も権威ある写真賞「ニエプス賞」を受賞した。

個人的にオノデラユキの写真ですぐに浮かぶのは「古着のポートレート」シリーズ。
本展でも冒頭を飾るのはこのシリーズ9点。
ボルタンスキーの展覧会で展示されていた古着を買い求め、自分のアパートの窓辺に古着を立たせて撮影したもの。ボルタンスキーはこの古着で「死」や「死者への思い」を表現したが、オノデラは窓辺に立たせることで死者を蘇らせようとしたのか。

本展では、以下の全9シリーズ全60点で展観する。
・「古着のポートレート」
・「真珠のつくり方」
・「12 Speed」
・「Roma-Roma」
・「11番目の指」
・「窓の外を見よ」
・「Transvest」
・「オルフェウスの下方へ」
・「Annular Eclipse」

これら9シリーズのすべてが異なる制作技法を使用していることにまず驚く。
いわゆる、古典的な写真とは大きく異なっている。どの作品も極めて実験的で、常に新しい写真を目指す、写真表現の可能性をとことん追求する作家の姿勢を感じた。

中でも一番驚いたのが「Roma-Roma」シリーズ。
一見するとポラロイドで撮影した街の風景スナップが2つずつセットになって額装されているだけ。
まさか、これが実はモノクロ写真に油絵具で手彩色したものだとは、到底想像できない。
何度も何度も見直したけれど、本当に手彩色なの?といまだに信じがたい。
作品解説によれば、19世紀の観光ブームで量産された土産用写真の模倣なのだそう。
仕掛けはそれだけではなかった。
この並んだ2枚はスウェーデンのバルト海の島にあるローマの風景を108枚撮影したあと、フィルムを巻き戻し、今度は反対のレンズを塞いで、スペインにあるローマに移動してさらに108枚を写したもの。
実に手間暇かかっている。
解説を読まなければ、誰がそんな「移動」をテーマにした作品だと分かるだろう。後に出て来る「オルフェウスの下方へ」も移動、時間軸は隠しテーマになっていて、両者を見ていると彼女の関心ある所が浮かび上がって来る。

「真珠のつくり方」はカメラにビー玉を仕込み、日中の街頭で群衆を撮影した作品。
しかし、これとて作品上部に写っている白い球の正体がビー玉だとは、素人には想像すら及ばないしかけ。
ビー玉1個で、写真の画面上にエッチングなどで見られるような斑紋が生まれている。この斑紋がより作品を魅力的なものにしていた。

現在も続く「Transvest」シリーズは、フォトモンタージュを使用した2メートルもの大型作品で、謎めいたシルエットが浮かぶ。
被写体は雑誌や新聞の切り抜いた人型で、どれもポーズやシルエットが面白い。
最初見た時、昔のTVドラマシリーズ「チャーリーズ・エンジェル」のタイトルバックアニメを思い出した。
「Annular Eclipse」は、初めて手掛けた版画作品(シルクスクリーン)。「Transvest」との対比すると、ベースがモノクロとカラーという違いはあるものの、色彩を抜きにして考えても素人には版画とフォトモンタージュの差は理解しがたい。

次々と魔法のように繰り出される仕掛けとコンセプトにただただ圧倒されるばかり。彼女の作品の場合、一見しただけでは分からないコンセプトが作品鑑賞には欠かせない。
そして、一見何でもない写真に見えて、実はものすごく手間や技術が駆使されていることも忘れてはならない。

コンセプトを忘れ、全く解説を読まずに写真だけを眺めて行った時、どのシリーズが一番心に残るかを最後に考えてみた。「真珠のつくり方」、次に「窓の外を見よ」「Transvest」「Annular Eclipse」の順番か。

なお、京橋のツァイト・フォト・サロンで「オノデラユキ 写真の迷宮へ partⅡ 『プライベート・ルーム』」も開催されている。
こちらは9月11日(土)までだが、残念ながら明日8月14日~8月23日(月)まで夏季休廊なのでご注意ください。
詳細 ⇒ http://www.zeit-foto.com/exhibition/index.html

本展のための「鑑賞ワークシート」が、Q&A方式で作品の鑑賞ポイントが分かりやすく助かった。
夏休み期間中ということもあってか、子供にも読めるように全部の漢字にふり仮名がふられている。
アーティストトークは既に終了したが、スライドレクチャー「初公開!アートな写真のひみつ」は9月4日(土)午後2時~定員70名。
これは、行ってみようかと気になっている。

*9月26日(日)まで開催中。

「版画と彫刻による哀しみとユーモア 浜田知明の世界展」 神奈川県立近代美術館 葉山

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神奈川県立近代美術館 葉山で開催中の「版画と彫刻による哀しみとユーモア 浜田知明の世界展」に行って来ました。

浜田知明(はまだ・ちめい)と言えば、最近では2007年にあのウフィッツィ美術館に版画作品が収蔵されたことで、一躍その名を轟かせた版画家・彫刻家。
92歳になる今も作品制作を続けているが、現在は1983年から取り組み始めた彫刻に取り組み、版画は開店休業状態になっている。

本展は、版画173点、彫刻73点、油彩画4点のほか、デッサンやスケッチ、資料など約80点、総計約330点によって浜田知明の世界を展観するもの。

著名な≪初年兵哀歌≫シリーズは他館でも観ているし、葉山まで足を伸ばすか迷ったけれど、330点という展示作品数に惹かれて行ってみることにした。

浜田知明は、熊本県出身で今も熊本在住。
それなのに、なぜ神奈川県立近代美術館での展覧会開催、しかも同館単独開催なのだろうと不思議に思っていた。
本展開催前、いつだったか神奈川県立近代美術館の鎌倉館の方で浜田の小特集が開催されていたように記憶している。この時、私は初めて彼のブロンズ彫刻作品を観たはず。版画家としてのイメージが強すぎたので、彫刻を観て驚いたのだった。

元々、過去に同館で浜田の回顧展を開催するなど、浜田作品を高く評価し作家との縁も深いことから、今回は浜田知明より同館に作品寄贈があり、その記念として開催されていると図録を読んで分かった。

今回は、作品リストの作成はもちろん、切り取るとポストカードとしても使える展覧会の鑑賞ガイドが作成されていて、これが分かりやすい。
ちょっとした工夫だけれど、こんな鑑賞ガイドなら大歓迎。

版画作品を鑑賞ガイドに従って、カテゴライズすると次の4つになる。
・「戦争・命」
・「都市・孤独」
・「不安・ユーモア」
・「愛・孤独」

私の中での浜田作品は、戦争や不安を呼び覚ますようなイメージだったが、もっと人間の根底にあるものを深く追求し、作品化しているのだと思いを新たにすることができた。

特に個人的に感銘を受けたのは「愛・孤独」に関する作品たち。
≪月夜≫1977年は砂漠のような原風景の中、裸でしっかりと横たわって抱き合う男女の全身像。右上に三日月が。そして、作品全体が3つの三角面で構成されているという構図デザインの妙。更には、淡いグリーンを使用して空気感を漂わせる。
≪江上昭三氏年賀状のための作品≫1975年は、父親の中にすっぽり母親と娘が入って、安心している様子を版画にした。母と娘は微かに微笑みを見せ、モノクロ作品ながらどこか温かみを感じる。

20代を戦地で兵として過ごした浜田にとって、戦争、死、命、不安といったテーマは切っても切り離せない。
だからこそ、家族や愛といった生命の根源になるテーマにも取り組んでいるのではないだろうか。

浜田が彫刻を始めたきっかけは、「人体がどのようになっているのか三次元で確認するため粘土で試してみた」ことだったという。
本展では、版画と版画作品を彫刻にした作家を並列して展示することで、両者の比較をすることもできる。
本展チラシ表面に掲載されている≪アレレ・・・≫1974年(エッチング、アクアチント)も彫刻≪アレレ・・・≫1989年にすると、版画とは右手の位置を変えたりと、意図的な変化を見せているのが興味深い。
≪水≫2005年、≪ボール≫2005年、≪チャックを閉じた男≫2009年などの最新作も旺盛な制作意欲を感じさせ、尽きることない創造力に脱帽するばかり。

彫刻作品では、焼け野原に一人佇む少女の作品≪風景≫1997年が忘れがたい。版画という平面を立体化することで、より現実味が強まって見えた。

また、いつもは壁で隠されている海側の展示室の窓が本展では覆われていない。彫刻作品を中心に展示している展示室からは海を臨みつつ作品鑑賞ができるという、この上なく幸せな展示環境になっていた。

最後の展示室では、かつて東京藝術大学陳列館で拝見した「藝大生の自画像」展に出展された浜田の卒業制作≪自画像≫1939年(東京藝術大学大学美術館蔵)に再会。
この自画像で私は浜田知明の名前を忘れられなくなったのだ。
彼の強いまなざしは意志の強さの象徴だろうか。そんな浜田をもってさえ、時に自死を考えさせたという戦争、軍隊制度とはいかにすさまじいものだったか。

≪自画像≫だけでなく≪静物≫1933年、≪外房風景≫1934年(いずれも熊本県立美術館蔵)という最初期の油彩も展示。
戦地でのおびただしいスケッチには圧倒された。
やはり、描くことを忘れることはできなかったのだろう。戦地や戦友の顔のスケッチによって、ともすれば過去を忘れがちになる自分に強い鉄槌を打ち込まれるような感覚を受けた。
こうした一連の資料や私信、年賀状など資料の数々も本展の見どころの一つだと思う。

*9月5日まで開催中。スケッチなど一部の作品に展示替えがあります。

「アニメーションの先駆者 大藤信郎」 東京国立近代美術館フィルムセンター

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東京国立近代美術館フィルムセンターで開催中の「アニメーションの先駆者 大藤信郎」伝説の動画作家-国産アート・アニメーションの源流に迫る」に行って来ました。

大藤信郎(おおふじ・のぶろう)は1900年、東京浅草に生まれ、国産動画の創始者のひとり寺内純一の助手を経て、江戸千代紙を素材に
用いた「千代紙映画」を考案。1927年には「千代紙映画社」を旗揚げし、当時「漫画映画」と呼ばれたこの分野で短編を次々発表し、注目される。
大藤は戦後さらに独自の表現を求め、色彩セロファンを用いた影絵映画の製作に着手し『くじら』1952年、『幽霊船』1956年はカンヌやヴェネチア
などの国際映画祭でも激賞される。

1961年『ガリバー旅行記』と『竹取物語』という2つの長編に取り組んでいたが61歳でこの世を去る。

本展では、大藤とともに自宅スタジオで作品制作にあたっていた姉の八重氏から1970年のフィルムセンター開館に伴って寄贈された資料を一般公開する初めての機会。独特の技法を支えた機材や道具、切絵によるグラフィック作品、海外との書簡や、未完成作品『竹取物語』のセル画の一部を世界的アニメーション作家・山村浩二氏の監修により動画化した映像を公開し、大藤のなしえなかった最後の仕事が甦ります。

今年は、刈谷市美術館の「チェコ・アニメ もうひとりの巨匠カレル・ゼマン展」、神奈川県立近代美術館・葉山館の「ロシア・アニメーションの
巨匠 ノルシュテイン&ヤールブソワ」とアニメーションの世界的巨匠の展覧会を拝見した。
そして、いよいよ日本のアニメーションの先駆者登場である。
孤高の天才作家と言われる大藤信郎のことは、本展開催まで知らなかった。

海外からの評価は高かったものの、当時の国内では同様の評価を得ることができなかったことも影響しているかもしれない。

しかし、本展で紹介されている大藤の仕事は、文字通り日本の天才アニメーション作家であることを間違いなく証明している。
チェコでもなくロシアでもない。
純粋に日本的なアニメーションは江戸千代紙を使用することで生まれた。

大藤の手掛けたアニメーションキャラクターの愛らしさ。
団子兵衛(だんごべえ)は切り抜きキャラクターだが、その顔・表情といい着物姿といい、実に愛すべき存在だと思う。着物で使用されている千代紙は、江戸千代紙と言えばここ「いせ辰」のもの。
会場内に、「いせ辰」から大藤宛の封筒も展示されている。

今回のコーナーに入るとすぐに聞こえて来るのは「きょうは、た~のしい村まつり~♪」の音楽。
大藤のアニメ『村祭』1931年がビデオ上映されているのだった。1926年の最初期作『馬具田城の盗賊』の方が一番最初に出て来るが『村祭』の音楽に惹かれて、ついついそちらから見始めてしまった。馬具田城はバグダットのもじりだろう。

驚いたのは、映画『エノケンの近藤勇』1935年でエノケンと大藤のアニメキャラが共演していること。実写映画にもアニメが取り入れられていて面白い。
大藤の作るアニメーションの台本も手作り。表紙に千代紙が使われていたりでひとつひとつ丁寧に制作していた姿勢を感じる。

戦後は、ロッテ・ライニガー『アクメッド王子の冒険』1926年など海外の影絵アニメーションに強い影響を受け、同じような作品制作を試みる。そこで使用したのが色セロハン。
安価で製作費もかさまないとセロハン紙を使った影絵アニメを独自の制作技法で編み出した。
幸いなことに、今年『アクメッド王子の冒険』を田口行弘さんの個展関連イベントで拝見したばかりで、記憶に新しい。

芥川龍之介の小説をモチーフにした『蜘蛛の絲』1946年を皮切りに、『くじら』1952年、『幽霊船』1956年と海外からの高い評価を得る
アニメーションを制作。特に、『くじら』は第6回カンヌ国際映画祭に出品され、あのパブロ・ピカソが激賞するコメントを残している。
会場では『幽霊船』1956年が上映されている。どの作品も3分程度と短時間なので、物足りない感があったが、ライニガーの影絵アニメーションに遜色ない出来栄えのように思った。

しかし、その一方で大藤は戦後、宗教的な作品も手掛けている。戦意向上に自身のアニメーションで協力したことによる後ろめたさか反省からか、宗教によりどころを求めたという推測もあるが、本展でそれらの事情は紹介されていない。

彼が生涯弟子を取らず、姉と姪の3名で家内制手工業のような制作を続けたのはなぜなのか?
いずれにせよ、謎の多い作家であることは間違いない。

8月20日~9月5日までの金・土・日に現存作品と関連作品が、計6プログラムにまとめて連続上映される。

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場所は、京橋のフィルムセンター地下1階の小ホール
料金:一般500円、高・大学生・シニア300円、小・中学生100円

彼のアニメーションをもっと観たい。

*9月9日まで開催中。

「没後25年 鴨居玲 終わらない旅」 そごう美術館

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そごう美術館で8月31日まで開催中の「没後25年 鴨居玲 終わらない旅」に行って来ました。

鴨居玲の作品は、私が美術館というものに行き始めた頃-平成16年に石川県立美術館の「没後30年 香月泰男展」を観に行った時出会った。常設コーナーに1点あって、何とも暗い作品だなと思った記憶がある。その時既に、姉の鴨居羊子の著書を読んでいたため、実弟である鴨居玲の名前や画家であったことも知っていた。

それから約6年が経過し、やっとまとまった数の作品を拝見する機会に恵まれた。本展は、首都圏で15年ぶりとなる鴨居玲の展覧会で油彩、素描合わせて80点で画業を展観する。先日姉の鴨居羊子の回顧展が同じ神奈川県の川崎市岡本太郎美術館で開催され、拝見したばかりで、こちらも非常に良い内容だった。
(参考)過去ログ「前衛下着道 鴨居羊子とその時代」http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-1079.html

鴨居玲は、金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)に入学し、宮本三郎に師事する。初期の作品はマチスっぽいカラフルな色調を使った丁寧な油彩を描いている。それが一転したのは、1968年に描いた安井賞受賞作≪静止した刻≫だろう。この年、鴨居は転機のきっかけとなる作品を多く描いている。
≪静止した刻≫を観て、ジョルジュ・ラトゥールの≪いかさま師≫を思い出した。
他にも≪かるた≫など、トランプに独り興じる男の作品もあり、一層ラ・トゥールが頭によぎったのだ。≪静止した刻≫では、左に多く余白を取り、人物達は右に寄せる構図が特徴。後年の作品でもこうした構図の作品が登場するが、余白を多く取ることで背景で場の空気感を表現することに長けている。
本作も白っぽい壁なのか?背景の白に黒く渦巻くものがあり、不穏さを掻き立てる。右最奥のストーブは真っ黒。白と黒のコントラストが一層画面をひきしめる。私にはストーブが4人に刑をくだす処刑人のように見えた。

1点紹介するのにこれだけかけていては、最後まで行きつかない。先を急ぐ。

≪ボリビア・インディオの娘≫1970年も忘れ難い作品。本作がこの後の鴨居作品の特徴を明確に示している。暗色の背景、登場人物は一人。娘とタイトルにはあるが、実際その性別は画面から定かではない。褐色の帽子を被り、真っ赤な上着を着用。両目に瞳は描かれていない。

本展冒頭に≪夜≫(自画像)1947年が展示されている。鴨居が19歳の時の作品だが、この自画像も右目の焦点はどこを漂っているか分からず、左目に至ってはやはり瞳が描かれていない。
彼が終生描き続ける作品の多くに、瞳は描かれていない。落ちくぼんだ眼窩に彼は一体何を見ていたのか。

安井賞受賞後、評価は高まり個展も多く開催されるが、鴨居自身は満足せず、むしろ題材・モティーフに行き詰まりを焦燥していたという。

≪酔っ払い≫シリーズ。本展では8点の≪酔っ払い≫と題した作品が展示されている。スペイン滞在中に村人や老人を題材にしつつ、実際に描く時は鏡を置いて画家自身がポーズを取って作品化していた。その様子が作品と共に写真展示されている。

酔っ払い達の表情、ポーズは8点どれも皆違う。大きな頭部、モサモサした白髪、赤く染まった鼻。
≪酔い候え≫、≪おっかさん≫1973年、≪石(教会)≫1974年と不穏さを一層増した作品が続く。
≪石(教会)≫は、一見シュルレアリスムを感じさせる画面構成だが、その実鴨居の内面、宗教心を反映した作品であるように思う。宙に浮かぶ大きな石の尖端はとがっており、その先にあるのは教会建物。彼にとって信仰は常に壊れてしまう不安を内在化したものだったのか。信仰を絶対化できなかったことが早すぎる死につながったのか。
黒く深い背景と静かに破壊される時を待っているような教会に様々な思いが浮かぶ。

≪酔い候え≫で、酔った男が見つめるのは自身の身体の一部であるのだが、真っ暗な闇。自身の闇を覗いているようで、空恐ろしさが漂う。
鴨居の描く人物は、ほとんどが自身をモデルとしているのだが、これ程までに自分自身と相対したのはなぜなのだろう。自分自身と対話を続ける事ほど辛く厳しいものはないように思う。鴨居は一瞬として、画家としての自分との対話を止めることはなかったのではないか。

最終章では、ヨーロッパから帰国し、神戸にアトリエを構え制作した作品が並ぶ。
驚くべき作品が次々に並んでいる。
≪蜘蛛の糸≫1982年とこの作品制作のために描かれた小品、中品3点は凄い。特に完成作の≪蜘蛛の糸≫は阿鼻叫喚の地獄絵。煮えたぎる紅蓮の炎の中を無数の屍が山をなし、我も我もと天上に続く白い1本の糸を追い求める。ちょうど白い糸が人々の手に届くあたりだけが白っぽくスポットライトを当てたように輝いている。この作品は離れて観ていただきたい。画面のハイライトが抜群に作品のドラマ性を高めていることが分かる。
図録解説を書かれていた神奈川県立近代美術館館長の言葉によれば、カラヴァッジョ風な作品。光と影を巧みに操る。
これぞまさしく現代の宗教絵画だと思った。
生への執着、死への恐怖。

続く≪望郷を歌う≫1981年にも強い衝撃を受ける。
この作品では、珍しく背景色が緑青で、青く幻想的な湖にチマチョゴリを着た女性歌手が両手を掲げ、大きな口を開けて熱唱する姿を描く。
女性歌手の力強さ、崇高さ、精神性の高さは、他の作品の追随を見ない。鴨居が遺した傑作のひとつ。

≪1982年私≫1982年は、死の直3年前に描いた大作。
鴨居がこれまで描いた酔っ払い、老人、老婆、犬、裸婦など様々な人物たちが、一人の初老の画家を取り巻く。画家は真っ白で何も描かれていない
キャンバスから顔をそむけ正面を向いている。彼の口は半開きで手には絵筆もパレットもない。描くことを忘れ、これ以上どうすれば良いのだと途方に暮れる。
画面中央のキャンバスの白さが背景の暗さと好対照で、悲哀と絶望を煽っているのだった。
もうこの作品を見たら何も言えない。ただただ、絵の前で立ちすくすのみ。

1985年の死を迎える年に≪勲章≫を描く。ここで、鴨居はやや緩んだポーズを取って立っているが、表情は先に記した≪1982年私≫と同様に口を軽く開いて茫然としているように見えた。上着のポケットに描いた勲章に見立てた4つの王冠が痛々しい。

終生描くこと、何を描くかを追い求め、自分自身と向き合い続けた画家は、自身の手で57歳の短く激しい生涯を終える。
画集では、絵の迫力を感じられない。足を運び、自身の眼で作品から漲る画家の精神を感じ取って欲しい。

*8月31日まで開催中。オススメです。
本展は、この後9/11~10/24まで、北九州市立美術館・分館に巡回します。
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