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「シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い」 東京藝術大学美術館

シャガール

東京藝術大学美術館で10月11日まで開催中の「シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い」に行って来ました。

7月3日から開催され早3ヶ月が経過しようとしている。ロングランと思っていたが、いよいよ会期末が近づいている。
私が訪れたのは始まってすぐの7月。その感想を今から書こうというのだから、何とも怠慢なことでお恥ずかしい限り。

本展は、ポンピドー・センター所蔵のシャガール作品約70点とシャガールと同時代に活躍したロシア前衛芸術家(ロシアアヴァンギャルド)の作品約40点とを対比して紹介するものです。シャガールによる歌劇「魔笛」舞台美術シリーズ約50点をまとめて初公開するのも大きな見どころの一つとなっている。

展覧会構成は次の通り。
Ⅰ.ロシアのネオ・プリミティビスム
Ⅱ.形と光-ロシアの芸術家たちとキュビスム
Ⅲ.ロシアへの帰郷
Ⅳ.シャガール独自の世界へ
Ⅴ.歌劇「魔笛」の舞台美術

私が思う今回のシャガール展の見どころは次の3点

(1)ロシアの前衛芸術家による作品とシャガール作品を同じ室内に展示

シャガールはフランスで活躍したが、実は旧ロシア帝国のヴィテブスク(現ベラルーシ共和国)の生まれ。生涯、故郷への愛情は失われることがなく、同郷で同時代の作家たちの作品と並んで自分の作品が展示されることを望んでいたという。シャガールのためのシャガールによる展覧会のように感じた。

特に、ミハイル・ラリオーノフ≪女性の肖像≫、≪タトリンの肖像≫や初期のキュビスム作品であるジャック・リブシッツ≪ギターを持つ船乗り≫、ナタリーヤ・ゴンチャローワ≪帽子をかぶった婦人≫など無骨な力強さがある。

ただ、シャガール本人の希望とはいえ、両者の作品の横並び効果は?だった。むしろ、シャガール作品の方が特異に見え、浮いてしまっていた。シャガールはそれを承知で一緒に並べたかったのか、観る側のことなど関係なく、故郷に自分の作品はあるべきだ、帰るべきだという望郷の念、一心であったか。

(2)歌劇「魔笛」の舞台美術シリーズ

舞台美術用のデッサン(水彩・鉛筆など)など約50点。作品そのものが展示されていた訳ではないため、迫力には欠けるが、デッサンの美しさだけでも堪能できる。歌劇は苦手だが、舞台美術目当てに観劇するのも良いかもしれない。舞台美術にフリーメーソンの思想が入り込んでいたのに注目した。舞台美術だけにもっと焦点をあてて、実際に舞台再現したり、大画面の映像が欲しかった。既に終了しているが、シャガールの舞台美術の講演(島津京氏による)もあったので、参加すれば理解も深まり、展覧会を楽しめただろう。

(3)カンディンスキーの6点

シャガール展でカンディンスキーが良かったとは、些か的外れかもしれないが、今回展示されているカンディンスキーは良かった。特に気に入ったのは≪アフティルカ 池端の隣の別荘≫≪アフティルカ 別荘の入口≫≪アフティルカ 公園の池≫そして≪アフティルカ ベランダのニーナとタチアナ≫。数あるカンディンスキー作品の中でも今回来日している作品は、見ごたえがあった。

シャガール作品は、最初期の≪自画像≫1908年から最晩年90歳の≪イカルスの墜落≫1974年~77年まで幅広く網羅されている。大作は展覧会の最後に集中するので、最後までエネルギーを保持しておくことが肝要です。

でも、シャガールの展覧会だと2008年に静岡県立美術館で観た「シャガール展-色彩の詩人」とどうしても比較してしまう。あの展覧会は、シャガールってこんなに凄いのかとパンチを食らったのでどうしても忘れ難い。

*10月11日まで開催中。
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「ドガ展」 横浜美術館

doga

横浜美術館で開催中の「ドガ展」に行って来ました。
展覧会公式サイト ⇒ http://www.degas2010.com/

今年はオルセー美術館の改修の影響か、印象派やオルセー美術館がらみの展覧会が目立つ。
この展覧会もオルセー美術館の全面協力のもと、同館所蔵のドガ作品45点と国内外のコレクションから集めた約120点によって初期から晩年までを展観します。
驚いたのは、国内でのドガ展は21年ぶりとのこと。
久しくがっちり脇を固めていた画家が、いよいよ檜舞台に登場!といった感じでしょうか。

ボストン美術館展に出展されていたドガ作品が、まんま移動しているのには思わず苦笑。全体としては、油彩、素描、パステル画、ブロンズ、そして写真に至るまで、ドガの制作全般を網羅した内容だったと思います。あの名作≪エトワール≫初来日にも関わらず、踊り子関連の油彩は少なめだったせいか、コアなドガファンの知人は不満をもらしていたのには驚きでした。

展覧会の構成と印象に残った作品です。

1章:古典主義からの出発
時代を追いつつ、更にモチーフ別の展示となっている。「肖像画」⇒「競馬場」となっている。

冒頭の≪画家の肖像≫1855年(オルセー美術館)は、ドガが敬愛するアングルの影響下にあった初期作品。ドガはアングルの弟子に師事している。写実的で、かたい印象を画面から受ける。

「肖像画」コーナーで、何より目を奪われたのは≪トキと若い女≫1860-62年(メトロポリタン美術館)。若い女の両脇に描かれていた二羽の朱色のトキ。このトキは絵が完成した後、付け加えられたとのこと。女性の緑のベールとの反対色効果で、強烈な画面に見えた。残念ながら、この作品の照明のあたりが悪くて、反射のため上部がよく見えなかった。

≪マネとマネ夫人像≫1868-69年頃(北九州市立美術館)も衝撃の一作。画面の右端が大きく壁のように空白となっている。変わった構図だなと思ったら、当初、この空白部分にはマネ夫人の顔が描かれていたが、マネのお気に召さず、彼によって切断されたというドラマのような逸話が残されている。マネの気性の激しさをドガ展で感じるとは何とも皮肉。これをきっかけとして、マネとドガの関係は微妙なものになっていく。

≪画家の従姉妹の肖像≫1865-68年(ワズウォース美術館)、≪東洋風の花瓶の前の女性≫1872年、≪ロレンソ・パガンとオーギュスト・ド・ガス≫1871-72年(オルセー美術館)などドガの家族や身の回りの人物を描いた作品が多い。東洋風の花瓶などは、当時のジャポニスムの影響だろうか。

「競馬場」
1857年ブーローニュの森に客席付のロンシャン競馬場が開設され、競馬はパリにおける重要な社交イベントだった
。ドガは富裕な銀行家の家に生まれ、お金には不自由しない暮らしをしていた。そんな彼が競馬場に足を向け、絵筆を取るというのは必然の結果であった。
≪アマチュア機種のレース-出走前≫1862年(オルセー美術館)、≪障害競馬-落馬した騎手≫1866年(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)はドラマティックで劇的な一瞬を切り取っている。思えば、これらの作品は実に写真的だ。スクープ写真のようなリアリスムがある。
後半に展示されているが、ドガは写真に大変興味を持っていて、彼が撮影した写真が今でも多く残されている。絵画と写真という観点は、これまでドガのイメージとして私の中になかったものだが、本展では「ドガと写真」について考えることができたのが嬉しい。

2章:実験と革新の時代
「踊り子」⇒「近代都市の生活」と展開。

ここでは、いよいよ≪エトワール≫登場。横浜美術館は箱は大きいのに、企画展の展示室が狭いのが難。≪エトワール≫もこの作品だけ特別な照明(恐らくLED)が当てられ、他の作品と見え方がまるで違う。逆に他の照明が反射があったりと余計気になってしまった。

≪綿花取引所の人々(ニューオリンズ)≫1873年(ポー美術館)も写真のような絵画だった。こちらは、広角レンズ?で撮ったような構図。これも新聞に掲載できそうな作品。ドガはいつから写真を始めたのは、公式サイトの年表によれば61歳(1895年)の頃。とすれば、この頃ドガはまだ写真を始めていないが、写真には強い関心を持っていたようだ。写真的な絵画を描くという写真からの影響力の強さが興味深い。

≪バレエの授業≫1873-76年(オルセー美術館)も超有名な作品。踊り子の様子が実に事細かく描けている。中央に立つのがジュール・ペロー。この他、≪ダンス教師 ジュール・ペロー≫1875年、≪右を向いている踊り子≫1873年が油彩では好印象。

フランス国立図書館所蔵のリトグラフ≪アンバサドゥールのベガ嬢≫1877年頃も非常に貴重で、見逃せない。リトグラフやパステル画の踊り子も、手法を変えることで醸し出す雰囲気が異なる。これは次章で更に深く展観している。

3章 綜合とさらなる展開
「浴女」⇒「風景画」⇒「ドガと写真」⇒「ドガの彫刻」

ドガの晩年の制作を語る上で、彼自身の視力の衰えを外すことはできない。このため、パステル画への転向や写真への取り組みを開始し、できうる範囲でのドガ芸術の完遂を志した。

中でも「浴女」をテーマにした作品群には改めて驚いた。
≪浴盤(湯浴みする女)≫1886年(オルセー美術館)はロートレックを思い出したが、もうひとつ、日本の浮世絵に描かれるポーズにも似ている。ドガは非常に日本、ことに浮世絵が好きで浮世絵も所有していたという。
≪水浴≫1894年(長島美術館)、≪浴後の朝食≫1894年(トリトン財団)の濃いグレーの輪郭線と柔らかで明るい背景色、バスタブのバラ色と彼の視力は失われているのに、作品からは光が溢れている。ドガは光を求めていたに違いない。

≪浴後(身体を拭く裸婦)≫1896年(フィラデルフィア美術館)は、今回もっとも印象深い作品。
ありえないようなポーズで身体をタオルで拭く裸婦をパステルで描いている。この作品の下敷きになっている1枚の写真も同時に展示されている。両者を比較すると、ドガが写真を参考に、この作品を描いたことがよく分かる。
日常の風景そのものをやや強調したポーズで描く。

オルセー美術館、フランス国立図書館そ所蔵のドガ撮影の写真も本展の大きな見どころのひとつ。
たまたま読んでいた港千尋著『写真という出来事クロニクル1988-1994』に1988年グラン・パレで開催された「ドガ展」の記録があって、本展と同じようにドガの写真が展示され、それについての感想や考察が記載されていた。それによれば、「ドガがランプや蝋燭などの光の効果を詳しく研究していたことがうかがわれる。」とある。人物の室内撮影のために、「石油ランプを9つ使って露光時間は15分だった」と写真にメモ書き(写真をもらった詩人のヴァレリーの手書き)が残っている。

ドガは浴女の姿をいったいどこから見ていたのだろう。
≪浴盤≫は上から覗きこんだような視点から、女性を描いているとしか思えない。
ここに生涯独身を通したドガの密やかなエロティシズムを感じる。

展覧会の最後には踊り子のブロンズ像が並ぶ。ドガにとってブロンズ像は作品というより、立体的なスケッチだったと解説にあった。大昔、オルセーに行った時、この彫刻がスケッチだなんて考えもしなかった。

*12月31日まで開催中です。展覧会の巡回はありません。混雑必至。お早めに。

名和晃平 「synthesis」 SCAI THE BATHHOUSE

SCAI THE BATHHOUSEで10月30日まで開催中の名和晃平「synthesis」に行って来ました。
一部の作品画像は、ギャラリーのWebサイトからご覧いただけます(↓)。
http://www.scaithebathhouse.com/ja/exhibitions/2010/09/kohei_nawa_synthesis/

オープニング初日には、普段は見られないギャラリー2階にあるビューイングルームが公開されるという情報をtwitterで入手したので、駆けつけました。

2006年の同ギャラリーでの個展「GUSH」以来約4年ぶりの開催。

今回は、「BEADS」の≪PixCell-Double Deer≫をはじめとする、≪PixCell-Deer#23≫と「BEADS」作品に加え、新たなドローイング作品≪Dot-Fragment_Q≫で1階手前のスペース壁面を飾っているのが印象的です。

同時並行で名和さんが准教授を勤められている京都造形大学・東北芸術工科大学の神宮外苑キャンパスにて開催中の『NIPPON ARTNEXT2010』で小谷元彦氏との対談を拝聴し、制作途中にある作品も見て来ました。名和さんご本人による公開制作も行われましたが、こちらには参加せず。

≪Dot-Fragment_Q≫について、上記対談で制作方法のお話があった。

名和「SANDWICHで学生たちできるプロジェクトをを考えていた所、このドローイングを思いついた。ドローイングはPP(ポリプロピレン)で、リキテックスリキッドを点眼ボトルに詰めて濃度を決め、シートの上に落としていく。PPはプラスチックなので、水たまりができて外側に移動してティッシュでこすると輪郭だけが残る。アルコールを使用すれば完全に消えて、ホワイトボードのような感覚がある。アナログでどこかにフィジカルな要素が入っている。グリッド状にかためて乾いたら、また上に重ねていく、この繰り返し。凹凸に引っ張られる。synthesis、感覚の重複。」

スカイでの個展の前に制作過程のドローイングを見ていたので、ギャラリーでは「あぁ、外苑にあった作品はこうなるのか。」とすとんと落ちて行った。
しかし、今回発表されていた作品はまだまだ制作段階途中であるように私には見えた。きっと、この先がある。そんな印象を受けた。
名和さんの作品においてはテクスチャーが重要なのだが、このドローイングからは凸凹した感覚がそれ程伝わって来ない。

「synthesis」は、化学用語で「合成」を意味する。
とすれば、ドローイングでの複層性に加え、新作のBEADS作品≪-Double Deer≫は、一見鹿が二重にぼやけてしまったように見える。BEADSが付加されたことで、更にダブリの感覚が増幅している。

2階のビューイングルームには、新作ドローイングの一部分が額装されたものが何点も展示され、サイズが小さな「BEADS」シリーズの作品が3点程あり、うち一つは仏像だったと記憶している。
表参道で発表されたBEADS携帯電話もそっと置かれていた。
ビューイングルームは予想以上に作品が置かれていたので、これは初日に行って大正解だった。

SCAIの個展は初日に行くべしというのが今回得た教訓。

名和さんは、来年東京都現代美術館での個展開催も決定している。その時には、どんな新作が待ち受けているのか心して待ちたいと思う。

*10月30日までSCAI THE BATHHOUSEにて開催中。
日・月・祝日休廊 12:00~19:00

「アニメーションズ・フェスティバル2010」 吉祥寺バウスシアター

animations

9月18日から10月1日まで開催されている「アニメーションズ・フェスティバル2010」のAプログラムを観て来ました。
プログラムなど関連情報は下記公式サイトをご覧ください。
http://www.animations-cc.net/festival10.html

そもそも「アニメーションズ・フェスティバル」とは何ぞや?という方も多いことでしょう。

アニメーション作家山村浩二を中心に2006年に結成された「Animations Creators and Critics」がお届けする、
短編を中心とした新たなアニメーション映画祭です。


かくいう私もパンフレットをたまたま見つけなかったら、その存在体を知らなかったに違いありません。
パンフレットをどこで入手したのか記憶がないのですが、観音開きでイラストがカッコ良かったので目を引きました。更に、日本のアニメーション世界では超有名な山村浩二氏のことをほとんど知らなかった。
今夏、東京国立近代美術館フィルムセンターで開催された「アニメーションの先駆者 大藤信郎」展で、大藤の未完成作「竹取物語」のセル画を使用した動画化の監修者が山村浩二氏であったのだ。
(参考)過去ログ:「アニメーションの先駆者 大藤信郎」展

私はこの動画化した「竹取物語」を観ているので、山村氏作品の一端に触れたのは、大藤信郎を通じてとなった。
上記過去ログにも記したように、今年はアニメーションに接する機会が例年になく多い。そして、一旦面白いなと思うと、次々と観たくなるのが信条。

「世界中の映画祭から現代的な短編作品を独自に厳選した刺激的な2プログラム--
現代アニメーションの巨匠の最新作も、
若手たちの先鋭的な意欲作も、
アニメーション界の今後を担う学生作品も、
2000年代のクラシック作品もすべてひっくるめて、
「今」を物語る短編アニメーションをスクリーンで堪能できる」

の謳い文句と、やはり多彩な上映プログラムに強い関心があって、レイトショー(21時開始)にも関わらず、観に行くことにした。辛抱たまらんという、いつもの癖だ。

私が観たのはAプログラム 2010年(内的)宇宙の旅 (9作品・約99分)
たまたま、行った日に山村氏の上映前トークとサイン会もあり、しっかり『ヤマムラ月報』(↓)を買って、サインをいただいた。

yamamura

しかし、こともあろうに、サインの時に描いて下さった、山村作品『頭山』のキャラクターを「自画像でしょうか?」とご本人にお伺いしたのは、失礼千万、無礼千万、赤っ恥で、本当に申し訳ございませんでした。
直接お伝えしましたが、再度この場を借りて深くお詫び申し上げます。

それにしても、サイン1つ1つにキャラクターを描いて下さるとは!内容は、私がアニメーションに関心を強く抱くに至ったロシアのノルシュテイン訪問記などをイラストを交えたショートエッセイで、興味深く拝見した。これまた生涯の宝もの決定。

さて、本題のAプログラム感想です。

上映前のトークで山村氏は「9作品の上映順に一番頭を悩ませた。上映順序が違うだけで、作品の印象も受け取り方も変わる可能性があるので、一番個々の作品が活きる順番を考えた。」と語っておられたのが印象的で、全作品を観終わった時も、すぐにその言葉が浮かんだ。

短編作品、一番長い作品で22分、短いものだと5分。自分だったら、どんな順番にするだろうと考えてみたり。
「宇宙の旅」を99分の間、自分はしていたのだろうかと問うてみたり。確かに各作品に宇宙を感じさせる、場合によっては宇宙そのものがモチーフとして使用されていたと記憶している。
そして、劇場で観るのとTVの小さな画面で観るの場合の違い。当たり前と言えば当たり前だが、やはり優れた音響と大画面の迫力の威力は大きい。

特に印象に残った作品は次の通り。上映順。

・「頭山」2002年・10分 監督:山村浩二 (日本)
何より面白いのは、古典落語風に起承転結を語らせる点である。講談を聴いているような感覚のうちに、目の前に映像を鑑賞する不思議さ。画面のキャラクターも私の好み。9作品のうち、キャラクター描写に関しては「頭山」が一番好みだった。9作品中、すべての点でバランス良く高評価だった。最後の落ちだけ、納得いかないかな。

・「スキゼン」2008年・13分 監督:ジェレミー・クラバン (フランス)
これは、ストーリーが奇抜。なぜ、隕石とぶつかって91センチずれるのか。91センチという数字の意味が最後まで理解不能だったが、意味が分からないままの面白さもある。
すべてが仮定で成り立つのであれば、こんな生活もありかなと思わせる。

・「ルシア/ルイス」2007年/2008年・8分 監督:ヨアキン・コチナ、クリストバル・レオン、ナイルズ・アタラー(チリ)
インパクトは、9作品中NO.1。終わった後、今自分が観たものは何であったのかを反芻したかったが、すぐに次の作品が始まり余韻に浸れず。
ストーリー性はほとんどないが、自己の昔の体験が鮮明に蘇り、怖くなる。誰もが、この作品で語られるような経験をしたことがあるのではないだろうか。ストーリーがほみえないまま、映像だけで恐怖を感じさせる手法、そして、技術的にもアニメーションというより、実写風で、実際は模型?を使用しているのか。とにかく映像自体が素晴らしい出来栄え。
これは、もう1度観たい。8分はあまりにもあっという間の出来事に思えた。

・「きっとすべて大丈夫」2006年・17分、「あなたは私の誇り」2008年・22分 監督:ドン・ハーツフェルト(アメリカ)
この2作品はビルという主人公を共通とした作品シリーズ。「あなたは私の誇り」は続編として制作された。
ビルをはじめとする登場人物のキャラクターは、拍子抜けする程、簡略化された線描画。しかし、それゆえ却って
残酷でむごいことも、さらりと語れる。この2編は、ビルの決して平坦ではない、寧ろ厳しい人生を描く。
この作品の特徴は、アニメーションと実写映像が上手く組み合わさっている点、そして脚本の凄さにある。
前者の実写との組み合わせは、他の作品でもあったと思うが、ハーツフェルト監督の見せ方は実に上手い。漫画の吹き出しのように、映像を時折混ぜ込み、意図的なのかどうかは不明だが、映像は粒子が粗く、敢えて古びた感じを演出しているのか、本当に使用した画像ネタが古かったのか、どちらにしても、古びた映像が作品に深みと時間概念を追加していたと思う。
それにしても、タイトルが泣かせる。「あなたは私の誇り」って似たような台詞聞いたことありませんか?

全般的に、展開が早過ぎる作品が多かったように感じた。それに加え、海外作品は字幕を追ってしまうのに忙しく、映像に集中できなかったり、頭に会話や語りの内容が定着していないままに次の場面に進むこともあり、内容的に未消化になってしまったのが残念。その点、冒頭の「頭山」のスピードが適度に思えたのは、やはり字幕なしで内容を耳で理解できたからだろうか。もうひとつ、内容の理解が進んでいたら、更なる感動を得られたのは間違いない。この手の違和感はノルシュテイン監督作品を観た時には感じなかったので、単に言語の問題だけではないのだろう。

映像の展開方法に主眼を置いたような作品、たとえば、「愛と剽窃」2010年・7分(ドイツ)は、見ているだけでも楽しい。

Bプログラムの「雨のダイバー」2010年・25分(エストニア)と「ディアロゴス」2008年・5分(エストニア)、オライリー監督や、韓国のヂョン・ユミ作品は非常に気になる。やっぱり、何とか都合をつけて最終日に行こうか悩ましい。

短編アニメーションは長編ものにはない良さがある。アニメーションには、わずか数分の作品を制作するのに膨大な時間と作業量とコストを要する。したがって、インディペンデントで行うには、長さにもおのずと限界がある。
個人の手作業、監督の力量がより表出するのが短編アニメーションの良さではないだろうか。

それを思うとノルシュテイン監督が制作中のゴーゴリー原作の「外套」など、完成した暁には奇跡としか思えない。

*10月1日(金)まで開催中。オススメです。
連日19:30より整理番号付き当日券の受付を開始。開場時間より整理番号順で入場/自由席。
1回券 一般 1,500円 学生 1,300円  2回券 2,500円

「ヘンリー・ムア 生命のかたち」 ブリヂストン美術館

moore

ブリヂストン美術館で開催中の「ヘンリー・ムア 生命のかたち」に行って来ました。

本展では、ヘンリー・ムアの彫刻に加えて、パステルや水彩、リトグラフなど40点の紙作品を紹介している。

ヘンリー・ムアは、イギリスの彫刻家で誰しも彼の彫刻をどこかで一度は見たことがあるのではないだろうか。
代表的な作品としては≪母と子≫≪横たわる人体≫と、生涯を通じてこれらのテーマで作品を制作してきた。

私が一番興味深かったのは、ストーンヘンジへ行って制作されたというストーンヘンジシリーズのリトグラフ作品であった。
ムアは、版画であればリトグラフより細い線を描くことができるエッチングを好んだというが、ことストーンヘンジを表現するにあたっては、一旦エッチングで制作していたが、リトグラフへ変更している。ストーンヘンジの石という素材のざらざらとした面での質感を表現するには、リトグラフの方が適していると思ったという。

そして、その選択は見事に成功していた。
会場には、エッチングとリトグラフ両方のストーンヘンジシリーズ19点が展示されているので、両者の違いをよく見て感じることができるだろう。エッチングは線の本数を少なめにして輪郭をかたどろうとしているように見えたが、リトグラフへ移行すると、ストーンヘンジ全体の歴史の重みさえも紙面に表現されている。

やや暗い照明の中で一覧のストーンヘンジの作品を通して眺めて行くと、その形、石と石の空間、白で表現した光の射す風景、いずれも素晴らしい。
平面でありながら、彫刻的な版画作品で、時に宇宙的、時間観念を超越した感覚を呼び起こす。

ムアの作品は彫刻しか知らなかったけれど、こんな版画作品もあったとは驚きだった。

最初の展示室にある素描もまた非常に味がある。
特に家族の彫刻の素描は温かみがあって好きだった。

ヘンリー・ムアの別の一面を知ることができる小粒ながらピリリと味のある内容だった。

*10月17日まで開催中。

「ネイチャー・センス展」 森美術館

nature sense

森美術館で開催中の「ネイチャー・センス展」に行って来ました。

吉岡徳仁、篠田太郎、栗林隆による日本の自然知覚力を考えるインスタレーションの展覧会です。
要は、展示空間で彼ら3名の作品を通して、各位が自然について思いをはせ、何かを考えたり感じたりしてもらいたいという企画意図。

愛読させていただいているブログ「中年とオブジェ」において筆者のテツ様は『アートこそはこの世界の成り立ちを抽出して写し出す「模型」を造る営為であると思う。』と書いておられた。

すべてのアートが「模型」を創る営為とは言い切れないと思うが、本展をこの視点で眺めて行くと腑に落ちるものがあった。

作品は、吉岡⇒篠田⇒栗林と作家単位での展示順になっている。

冒頭の吉岡徳仁の「Snow」に誰もが息を飲むだろう。
作品画像は、吉岡徳仁さんの公式サイトでご覧いただけます。(↓)
http://www.tokujin.com/project/mori/

森美術館の高い天井と広い空間をフルに使用した幅15メートル巨大透明ケースの中に真っ白な雪、いや羽毛がひらひらと舞い落ちる。一定間隔でファンで風を起こして、約300kgという羽毛の山を攪拌することで、雪に見立てた羽毛を降らせるのだ。
ややファンの音が大きいのは気になる。雪はもっとシンシンと静かな中で降り積もり、吹雪くから怖いが、あれを風の音だと思えば良いのか、実際機械の音だけれど。
入口から見た時、鑑賞者が立つ場所は暗くなっていて、暗い場所から明るい羽毛雪の箱を眺める。これがポイント。そして、脇を通って、反対側に出た時、今度は鑑賞者のいる側が明るいので、光の箱の見え方が暗い場所から眺めるのとまるで違うことに気付くだろう。
暗い場所から眺めていると、羽毛の正体に気付かず、本当に雪が降っているかのような錯覚を得られるが、明るい場所に出ると、それが羽毛だと分かるが、今度はタンポポの綿帽子のようで、雪ではなくタンポポに早変わり。照明の違いで2通りの見方を楽しむことを可能にした点は素晴らしい。

次の展示室では≪Light≫2010年、≪Waterblock≫2002年、≪Waterfall≫2005-2006年。後者の2点は限りなくクリアなガラスと光を使いつつ『水』を意識させる作品。
作品だけでなくその配置、照明、光の使い方に注目したい。

篠田太郎は≪残響≫2009年を含む新作3点を出品。
≪残響≫は天井から床までの巨大3面スクリーンを三角形に配。三角の3面スクリーン手法が効果的だったが、更に良かったのは、この巨大スクリーンで映し出される映像は3面とも異なっているが、どこかで共通している点。
(1)バクと地下駐車場
(2)奥多摩のダムと貯水池
(3)川を下る風景
いつの間にか忘れていた何かが映像を観ていると思いだされる。ぼ~っといつまでも眺めていたい作品。
3つの風景は人工的な造形を含んでいるが、いつの間にかそれらも自然に溶け込んでいる。自然に人工物が凌駕されるというより、いつの間にか調和しているという過程が見えて興味深い。

≪銀河≫もまた、繊細かつセンシティブな作品。
乳白色の液体が入った円形プールの上から、50個のチューブによって一定間隔で水滴が落ちる。水滴の波紋を愛でる作品。チューブは星座のように配置され、波紋を銀河に見立てた。

≪忘却の模型≫は、2006年に釜山ビエンナーレで発表された作品だが、本展のためにスケールアップして再登場。方形の地に円形の天、赤い液体はアーティストの血液を象徴しているらしいが、これが一番分かりづらい作品だった。

栗林隆のインスタレーションにも驚く。
これまで見た彼の作品の中でもとりわけ大きく、かつ手がかかっている。
≪ヴァルト・アウス・ヴァルト≫(林による林)2010年
虫の視点から見た森を疑似体験する。森を形作っている素材は、和紙と東北地方のカラマツを伐採して型どりした。
≪インゼルン≫(島々)2010年は、水中と陸の境界を意識させる作品。
島々の上から、先に通り抜けた林を眺めると、霧に煙っていることがよくわかる。手前の作品では人工的な霧を発生させているが、その場所にいると、霧の中に自分がいることを認識できない。しかし、一旦外に出て、外からもといた場所を眺めると、その様子が認識できる。

展示最後に特設の「ネイチャー・ブックラウンジ」が設置されているのも良かった。自然の情景、四季、日本庭園などに関する約500冊の書籍、写真集を自由に手にとって眺めることができる。この空間は、俳優の伊勢谷友介氏主宰のクリエイティブ集団「REBIRTH PROJECT」によるもの。
空間自体も楽しめる。

自然を様々な手法と表現で疑似的に見せる、アーティスト各人各様の表現や捉え方、視点の差異が刺激的で考えさせられた。自然そのものでは得られない、人の手による作品そのものを楽しめる。

*11月7日まで開催中。何度も再訪したくなる展覧会です。

「MAM PROJECT 012 トロマラマ」 森美術館

トロマラマ

森美術館では11月7日まで「ネイチャー・センス展」を開催中ですが、企画展の後に「MAM PROJECT」と題して、世界各国の若手アーティストを個展形式で展観するものです。
「MAM PROJECT」の詳細は、こちら
2回目にはジュン・グエン・ハツシバ、9回目には、現在あいちトリエンナーレに参加している小泉明郎等を紹介してきた。

12回目となる今期は、インドネシアのアーティストグループ「トロマラマ」を紹介していますが、これはツボでした。上記森美術館のリンク先より作品映像もご覧いただけます。

トロマラマは、フィービー・ベビーローズ(1985~)、ハーバート・ハンス(1984~)、ルディ・ハトゥメナ(1984~)の3名によりバンドゥン工科大学在学中の2004年に結成され、現在もバンドゥンを中心に活動中。
フィービーは版画科、残る2人はデザイン科を修了しているが、これらのバックボーンを活かして身近な素材とコマ撮りの技術を用いたビデオ作品を制作している。

本展ではバティック染めを用いた新作≪違和感≫2010年をひっさげ、デビュー作含む4作品を展示している。

私が一番最初に、「お~っ!凄い、これは楽しい!」と思ったのは、≪ザーザーズー≫2007年。ボタンとビーズによるコマ撮り映像作品、R.N.R.M(ロック・ン・ロール・マフィア)というミュージシャンの『ザーザーズー』というタイトル曲へのミュージックビデオとして制作された。

音楽がまたとても良くて、聴いているとノリノリになれるのも魅力だが、色鮮やかなボタンの集積が次々と動いてアーティストを形づくったり、キーボードに変換したりとめまぐるしく変わる画面が面白い。一体この4分54秒の映像を作るために、何枚のコマを使っているのだろう。
一見すると、その画像を構成しているのが、ビーズやボタンだということに鑑賞者は気付かないかもしれない。
一つの画面から次の画面への推移の仕方もコマ撮りとは思えぬスムースさ、流れの良さ。音楽と共に、映像に身を任せる。

その横にあったのは≪ティン≫2008年(3分2秒)。こちらは磁器食器(白いマグカップ)を用いたコマ撮り映像で室内の棚からカップたちが冒険へ旅立つ所から、公園?と思われる緑あふれる場所へ移動し、そこで輪になったり、列をなして移動したりと自由を謳歌している。無機質なものに命を吹き込んだ。
これもミュージックビデオとして制作されたのだろう、バグース・バンデカの音楽がBGMになっているが、これは、水を入れた磁器製のコップを叩いた音を組み合わせて作曲、演奏されていることにも着目して欲しい。
この作品は、一旦活動を休止していたメンバーが再び再会して、制作した記念すべき作品、マグカップに自身を投影しているのではないかとキュレーターの片岡真美氏の言葉にあった。

圧巻なのは、デビュー作≪戦いの狼≫2006年(4分2秒)。
こちらも、セリンガイというインドネシアのヘビ・メタバンドの依頼で制作された初のミュージックビデオクリップ。使用されているのは、木版のベニヤ版木そのものである。
その数たるや、何と402枚にのぼる。もちろん、402枚のうち1枚として同じものはなく、すべて異なり、この402枚を撮影してつないだのが≪戦いの狼≫。

彼らのグループ名「トロマラマ」は、このデビュー作での作業がトラウマを引き起こす程大変だったため、付けられたもの。

2008年の第2回シンガポールビエンナーレで片岡氏の目にとまり、今回の企画につながった作品。展示室の壁面すべてを使用して、402枚の版木を展示しているのだが、映像と版木を同時に観る楽しさもある。映像ではあっという間にながれていく一コマを壁から探し出すのも楽しい。
版木には、例えば同一ギタリストが向きを左右に変えて彫られていたり、敬礼した姿の複数名の男性、これは徴兵の場面なのか、もしくは、狼の顔のクローズアップ、3本の腕のみの場面等々。技術というより、彫られたものから溢れる力強さ、エネルギーをひたひたと感じた。

最新作は、このデビュー作と比較すると非常に大人しく上品に仕上がっている。
210枚のバティック(ろうけつ染め)を使用して、人間の顔を創り出す。インドネシア伝統産業のバティックを取り入れ、手仕事回帰を行った。

図録を見ると、映像だけでなく、インスタレーションも手がけているようだ。ぜひ、どこかで彼らのインスタレーションと映像が組み合わさった展示を拝見したい。

*11月7日まで開催中。オススメです。

「NEW DIRECTIONS展 #2 TRANS-PLeX」 TWS本郷

direction

TWS本郷(トーキョーワンダーサイト本郷)で9月26日まで開催食うの「NEW DIRECTIONS展 #2 TRANS-PLeX」に行って来ました。詳細はこちら

昨年1回目の「NEW DIRECTIONS展 #1exp」を、私の昨年見たギャラリー展示で3位に挙げた。
参考過去ログ:「2009年私が観たギャラリーbest10」 ⇒ http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-920.html 
今年も楽しみにしていたのだけれど、今回は残念ながらやや期待ハズレだった。というのがあくまで、私的な感想であることを申し添えておきます。

今年は台北藝術大學×京都造形芸術大学から選抜された以下9名の作家によるグループ展になっている。
陳敬元、吳其育、吳思嶔、劉玗、阮永翰、小宮太郎、橋本優香子、寒川裕人、神馬啓佑

全体的な印象として、台北勢はやたら戦闘的な内容のもの、非常に賑やかしい映像が多かった。
一方で京都造形勢の作品は、台北の「動」に対してひたすら「静」。
両者対照的だった。

中で目に留まった作家さんも数名。

・吳其育
作品タイトルを失念してしまい、ネットで検索してみたがヒットせず。移動する獣的な名前だったような気がするのだけれど。
これが、とにかく面白い。映像作品の中では今回のベスト。蟻や幼虫を拡大化かつ動きを早回しすることで、ユーモラスな動きと視点で臨海地域を見せて行く。スピーディさもあって良かった。これだけ2回通しで観た。

・橋本優香子
作家さんご本人が、たまたま会場にいらっしゃった。壁からはがれてしまった作品を懸命に復旧されてました。
色の組み合わせとうねりが美しい。でも、まだまだ作品の方向性を試行錯誤中とのこと。
神宮外苑の「NIPPON ARTNEXT」でも同様の作品を出展中。

・寒川裕人
ペインティングとインスタレーションの2つを出展。インスタレーションもインパクトはあったけれど、個人的には建築図面のようなペインティングの方が好み。
同じく「NIPPON ARTNEXT」展に出展されているが、こちらにはペインティングがなかったと記憶している。インスタレーションもTWS本郷の方がよりシンプルで美しかったように思う。

・小宮太郎
この作家さんの作品はあちこちで見かけているが、都度変容し、更にブラッシュアップされているように感じる。
今回の鏡を使った作品は、不思議な感覚を呼び起こした。鏡も頻繁に使われる手法だが、もっと見せ方を工夫すれば更に感じ方も変化して行く筈。今回は、ちょっと展示スペースが狭かったし、もっと静かな環境で観賞者が自身の共鳴映像と対話させた方が良かったのではないか。
残念ながら、小宮さんの作品と同じ展示スペースにある映像がやたらと大音響なのも組み合わせとしてはイマイチ。
神宮のインスタレーションは良かったし、こちらにある作品を神宮に持って行った方が楽しめそう。

神馬さんのペインティングも同様にあちこちで見ていて、しかもどれも同じに見える。

*9月26日まで開催中。

「NIPPON ARTNEXT」 京都造形芸術大学・東北芸術工科大学 外苑キャンパス

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京都造形芸術大学・東北芸術工科大学の外苑キャンパスが明治神宮外苑に完成した「こけら落とし展」として、9月23日から1週間にわたり「NIPPON ARTNEXT」展が開催されています。
詳細はこちら ⇒ http://gakusha.jp/artnext.html

この展覧会では、京都造形芸術大学と東北芸術工科大学の「卒業生・学生精鋭」作品・約40点に加え、両大学で教鞭を取る、椿昇、ヤノベケンジ、名和晃平、三瀬夏之助ら強力なアーティストによる作品が展示されています。
また、参加無料の多彩なオープンプログラムとして毎日シンポジウム「NIPPON ARTNEXT TALKING&MEETING」も開催。

初日の今日は、浅田彰×椿昇×後藤繁雄のお三方によるシンポジウムがあったので、こちらをお目当てに早速行って来ました。
シンポジウムは約2時間、話題は様々でしたが、瀬戸内芸術祭に行く何十万人の人が、「1人5万円の作品を買えば、アーティストやアート業界は大きく変わる。」「京都造形大の卒展は、京都市美術館では来年開催しない。大学内で行う。壁に釘を打ってはいけない、5時に閉館だの保守的、閉鎖的過ぎる。今年の卒展では5万円以内で購入できるような作品も学生に準備させるつもり。プライスリストがあれば面白い。」など椿昇さんの発言が忘れられない。
後藤氏は、先日六本木で開催されていた「TOKYO PHOTO 2010」について、「ほとんどの作品が売れているギャラリーもあったけれど、実はあれは個人が購入したのではなく、同じ業者が転売目的で購入している。個人はほとんど作品を買っていない。」「美術大学の教員は、全員作品購入を義務付けるべき。それだけでも作家のモチベーションは上がる。」「作品購入者の会のようなものがあったら面白いのでは」と発言。

3名の方、それぞれがこれからの日本のアートについて日々考えておられることを、僅かでも理解できて良かった。
個人的には、アートを個人が購入するには、作品の値段が高過ぎて安直に手が出せない、ギャラリーの敷居の高さみたいなものの影響が大きいように思う。

まだまだ、興味深いトークが目白押し、特に最終日の「日本画の(NIPPON)を語ろう」などは是非聴講したいのだが、平日15時~18時とあっては無理。残念です。

展示について、ざっと一通り見た中で印象に残った作家さんを挙げて行きます。

・村林由貴(京都造形芸術大学)
彼女は今年、京都造形大学のギャラリーでの個展を拝見してからずっと気になっている。特に画風の変化が著しく、それがどんどん洗練されているので、僭越ながらまた成長されたのではと毎回新しい作品を楽しみにしている。
今回も期待に見事応えてくれている。≪騒々しくも安らかに眠れ≫は、よく体育祭のテントに使うような粗い目のテント生地を下地にしてのペインティング。描かれているのは海の様子なのか。抽象的ではあるが、どうも波やくらげが描かれているように見えた。前述の個展の作品から、また変化している。今回強調されているのは線。前回はストロークやろうけつ染めを思わせるような作品だったが、今回は線が中心。

・根本裕子 (東北芸術工科大学)

根本さんの作品を観たのはINAXガレリアセラミカだっただろうか。
今回久しぶりに作品を拝見したが、やっぱりあの質感がたまらない。思わず触りたくなる。そして、ちょっと不気味な生きもの?たちの表情。次回、もっとじっくり見てみよう。

・堀 健 (京都造形芸術大学卒業生)

≪time record≫ は、磁石とモーター、アルミを使用した彫刻。モーターが動くことで上にのっている円環の砂磁石がもぞもぞと動く。このモゾモゾした動きが、観客に注視を要求するのだ。仕掛けは簡単なのだけれど、美しい。

・小宮 太郎(京都造形芸術大学)

彼は、現在TWS本郷の展覧会にも参加している。この展覧会については、次回アップするつもり。TWS本郷では2作品出展されていたが、今回は1室まるごと使用したインスタレーション。オラファー・エリアソンばりの力の入った光の作品。これは、2方向を眺めてみると、それぞれの良さがある。もう少し、作品に大きさが欲しい。美しいのだけれど、やや迫力不。

・水原 早紀 (京都造形芸術大学卒業生)

≪天空の華≫は、巨大な蓮華をモチーフにした正統的な日本画。上手い。

・吉田恵美 (京都造形芸術大学卒業生)

≪Cosmography≫は、ボールペンによる細密画なのだが、一見すると彫ってあるように見えた。曼荼羅みたいに美しい。

・森 紗矢佳

≪脈≫は、山脈の脈なのか、人の脈なのか、彼女の作品は今年の5月に「ART AWARD TOKYO 丸の内2010」で観た記憶があるが、今回の作品の方が、迫力がある。バックの黒が、色の脈を美しく見せ、刺繍のカラフルな糸が小山を作っているような、小さなものを拡大したような印象。

・三瀬夏之助

新作は13メートル超級の巨大屏風。トークイベント雛段の上に展示されていたので、講演の最中、じっくり眺めた。今までの屏風絵の中で一番好き!
今回の屏風の印象を一言でいえば、宇宙の始まりビック・バン。
これまでの作品より、シンプルになって、より一層画面の美しさを感じる。上部のブルーが深い。星雲なのか、雲のようなもこもことした動きの表現。とても良かったです。10月末に予定されている神楽坂のイムラアートギャラリーでの個展も期待。

・名和晃平

今回はドローイングを公開制作中。初日ということでまだまだ作品は制作途中で、これからどうなっていくのかを見守りたい。名和さんご自身の公開制作ライブが26日昼頃から予定されている。

他に、ヤノベケンジさんの≪ラッキードラゴン≫(注:今回、火は吹きません)や椿昇さんの死装束をまとったマイケルの作品や巨大ペインティングあり。

会場は、JR信濃町駅から徒歩5分程度です。

*9月30日(木) 10時~18時 入場無料です。

「開館10周年企画展 印刷博物館10年のあゆみ」 印刷博物館 はじめての美術館76

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印刷博物館で9月23日まで開催中の「開館10周年企画展 印刷博物館10年のあゆみ 文字と図像による印刷美」に行って来ました。

印刷博物館は、東京文京区のトッパン小石川ビルにあり、凸版印刷株式会社が母体となって運営している博物館で、同社創立100周年を記念し、2000年す。以前から、面白そうな企画展を開催されているので、行きたいと思っていましたがなかなかその機会がありませんでしたが、漸く行って来ることができました。
地下1階に広がる広大なスペース(本当に広くて驚いた!)は常設展示コーナー、企画展示コーナー、印刷工房「印刷の家」、そして東京国立博物館でお馴染のトッパンシアターが鑑賞できるVRシアタールームまで併設されています。注意:VRシアターは土日と、土日に続く祝日のみ上映(9月23日の上映は恐らくないと思われます。

印刷博物館の公式サイトに掲載されている、活動方針は以下の3つ。
1.広く世界の印刷を視野に入れながらも、日本/アジアの印刷に重点を置いた活動を行っています。

2.「かんじる」「みつける」「わかる」「つくる」といった体験を通して、印刷との関わりを自然に発見できる博物館を目指しています。

3. いままでの技術中心の印刷研究に加え、文化的側面からのアプローチを積極的におこない、「印刷文化学」の確立を目指しています。

噂には聞いていましたが、常設展示だけでもかなりの物量と丁寧な解説機器で、いつの間にかどんどん時間は過ぎて行く。あっという間に1時間は遊んでいました。
印刷のイロハと歴史が、様々な資料によって理解と体験できます。

私がはまりにはまったのは、「活字パズル」。
多分このパズルで20分くらいは遊ばれていたと思う。モニター画面に現れる言葉の通りに、四角の積木のような活字模型を組んで行く。ただ、それだけのシンプルなパズルなのに、全然できない!
制限時間内にクリアできた数によって、初心者、中級、上級とランク分けされるのだが、多分5回はやって結局初球をクリアできない。

ポイントは、活字模型なので反転していること!

これが、やってみると上下反対になっていたり、画面モニターと全く同じ順に組んでいたり。
係の方があまりに長時間パズルと格闘する私を見かねて、「機械の調子が時々悪くなることがあります・・・。」と声をかけて下さったが、調子が悪いのは私の頭の方だと思った、いやこれが実力か。

博物館の学芸員さんのブログに模型画像があります。ご参考まで⇒http://www.printing-museum.org/blog/?p=1675

活版印刷体験で、コースターを作れるようだったが、こちらは開始時間と上手く合わなかったので諦め。

常設展示を満喫した後、企画展示へ。
10年間に開催された企画展(年に1~2回)をダイジェスト版にして、まとめて紹介している。
展示作品数はダイジェストだから少ないのが、残念だったが、展覧会の概要は十分つかめた。

すごく観たかったのは、以下の企画展。

2002年「ヴァチカン教皇庁図書館展」書物の誕生:写本から印刷へ

常設にも展示されていた聖書の装飾美とデューラー黙示録の版画、1498年の活版印刷の特大サイズ。刷りの良さと言ったらもう、ため息モノ。活字体の美しさにも心奪われる。
日本の仏経典も平家納経を代表とする、装飾経の美も素晴らしいが、西洋においても紙モノにおける宗教美術展開はすさまじいものがある。いずれも根本は宗教美術であることに変わりはないが、発露の表現方法の違いが興味深い。

2001年 「シネマ・オデッセイ-映画ポスターの20世紀

お願いだからもう1回開催して欲しい。これは観たかった。数枚のポスターしか展示されていなかったのは残念。
図録も完売(涙)。

2002年 「1960年代グラフィズム」

これも、すさまじい物量の展示だったらしい。前期後期とで総入れ替えしたとか。1960年代のグラフィックデザインに焦点を当てている。横尾忠則さんや宇野亜喜良さんのポスターなど、図録見ているだけで、涎が。。。

2003年 「ブックデザインの源流を探して チェコにみる装丁デザイン」

チェコのヨゼフ・チャペックやらチェコ・アヴァンギャルドの装丁を中心とした展覧会。どうもチェコには弱くて、やっぱり好きなんだなチェコデザイン。現物が観たかった。

2007年 「美人のつくりかた-石版から始まる広告ポスター」

先日、三菱一号館美術館で「三菱が夢見た美術」展で観たばかりのビール会社のポスターや日本郵船のポスターがぞろぞろ展示されていらしい。今回はそのうち4枚くらい。でも、赤玉ポートワインのポスターが観られて良かった。このポスター何度観ても印象に残る。当時セミヌードのポスターは型破りであっという間に街中から盗まれてなくなったというのも頷ける。肝心のワインの売れ行きは如何だったのだろう。もちろん、北野恒富のポスターも図録に掲載されている。

2008年 「デザイナー誕生:1950年代日本のグラフィック」

2002年の「1960年代グラフィズム」の続編だと思われる。50年代に焦点を当ててグラフィックデザインを回顧する。この調子で1970年代と1980年代あたりも振り返っていただきたい。開催が待ち遠しい。

図録が欲しいなと思って、1階のミュージアムショップへ向かった所、9月末まで図録が千円均一のセール中。10周年記念だから千円で設定したとサイトに記載されていた。
ここに記載した企画展のうち、既に完売の映画ポスター展以外の図録は買ってしまった。
実物を見ていただければすぐにお分かりいただけると思うが、定価の半値以下で質・量から言っても最高。
この分野に関心がおありの方なら、ぜひともご購入をオススメする。通信販売も可能で、5冊買っても送料は350円。「本当に有難うございます。」とこちらの方が御礼を申し上げたくなった。

図録についての詳細はコチラ(ミュージアムショップのサイトへ)。

図録以外にも、こだわりの封筒やお値打ちなのに丈夫なトートバック、アイディアと他では決して販売されていないオリジナルグッズが沢山ある。普段、ミュージアムグッズにはあまり関心はないが、ここだけは別。食指が動くものがいくつもあって見ているだけでも楽しい。

印刷物博物館の企画展は9月23日まで。
その後、企画展示室は9月24日(金)~2010年10月1日(金)休室になります。ご注意ください。

また、2階のカフェとレストランは日曜に完全休業するため、こちらもご注意ください。

「ナポリ・宮廷と美 カポディモンテ美術館展」 国立西洋美術館

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国立西洋美術館で9月26日まで開催中の「ナポリ・宮廷と美 カポディモンテ美術館展 ルネサンスからバロックまで」に行って来ました。
展覧会公式サイト ⇒ http://www.tbs.co.jp/capo2010/

本展は、イタリアを代表する貴族であるファルネーゼ家のコレクションを所蔵するナポリのカポディモンテ美術館(国立)の名品80点によって、ルネサンスからバロックまでのイタリア美術を展観するものです。

すっかり行くのが遅くなってしまいましたが、ナポリ・バロックの美術をまとめて展覧するのは国内初の機会だそうですが、バロック美術のドラマ性と光と影を堪能できました。やっぱり、バロック美術は濃厚です。
そして、本展が取り上げていルネサンスからバロックまでのイタリア美術はなかなか国内で鑑賞できる機会がありません。かといって、イタリアにひとっ飛びということも難しい。私個人としては、久しぶりに大作の海に溺れた感じで、作品を楽しんで来ました。

展覧会は以下の3部構成になっています。
Ⅰ.イタリアのルネサンス・バロック美術
Ⅱ.素描
Ⅲ.ナポリのバロック絵画

以下印象に残った作品です。

冒頭のマンテーニャ≪ルドヴィコ・ゴンザーガの肖像≫1470年頃が本展でもっとも古い絵画である。
続く、コレッジョ≪聖アントニウス≫1515-1517頃とかつてはダヴィンチ作と言われたこともあったルイーニ≪聖母子≫1510-1520頃。ルイーニの≪聖母子≫を観て、一気にダヴィンチへの恋しさが募る。

・パルミジャニーノ≪貴婦人の肖像(アンテア)≫1535-1537頃
今回のチラシに使用されている妖しい中にも凛とした風情の貴婦人の肖像画。モデルの女性の出自が分からぬ所もまたミステリアス。気高い感じを受け、娼婦のような崩れた所は見受けられないが、貴族の女性ではないのだろうか。女性の美しさを一番醸し出しているのは眉のカーブだと思った、細目の眉のカーブの美しさ、アーモンド型の瞳にそって、高くも低くもない、一見するとツンとした感じの美女。更に着用しているドレスや右肩から下がっている毛皮のストールの細かさ。よくよく見ると右肩がせり出していて違和感がある。実際より膨らんでいるのではないだろうか。顔に対しての身体の比率が大き過ぎる。
背景の濃緑が女性のドレスの黄金色を引き立てる。

・ティツィアーノ・ヴェチェッリオ ≪マグダラのマリア≫ 1567年
夕闇の迫る風景をバックに、充血した瞳から一滴の涙が。マグダラのマリアの悔悛の姿を描く。膝に置いた聖書の描写や背景描写など細部にわたる描写が冴える。画面から感情が伝わる。

・ジョルジョ・ヴァザーリ ≪キリストの復活≫1545年

・エル・グレコ ≪燃え木でロウソクを灯す少年≫ 1570-1572年
グレコは好きな作品とそうでないものと極端で、どちらかと言えば苦手な画家。しかし、本作品は私の好きなグレコ作品だった。ロウソクで思い出すのは、ジョルジュ・ドゥ・ラトゥールだが、本作品も小さな灯が過剰なまでに少年の顔を明るく照らす。背景は漆黒の闇。黒と白の対比が極端で、劇的な印象を一層強める。

・アンニバーレ・カラッチ ≪リナルドとアルミーダ≫ 1601-1602年
カラッチは2人(もう一人は兄のアゴスティーノ・カラッチ)いて、そのうち弟のアンニバーレ・カラッチの作品は2点出展されていた。魔法使いのアルミーダが兵士のリナルドと愛を語っている場面だが、アルミーダの真っ青なドレスの色と兵士リナルドの赤い着衣、そして魔法使いに虜にされたリナルドの表情と肉感的な身体表現が物凄い。
カポディモンテ美術館には、同じカラッチの名作≪聖カタリナの神秘の結婚≫も所蔵しているが、さすがにこちらは来日せず。

・バルトロメオ・スケドーニ ≪エッケ・ホモ≫ 1608-1610年頃

・グイド・レーニ ≪アタランテとヒッポメネス≫ 1622年頃
本展のマイベストはこれ。いやはやド迫力の大画面。こんな作品が邸内にゴロゴロ飾られていたら、落ち着かないなと呆けたように見上げていた。
ギリシア(ローマ)神話より、運動に優れた美しきアタランテと結婚するためにヴィーナスから授かった三つの黄金の林檎を競走中に投げるヒッポメネスと、走るのをやめ、林檎を取ろうとするアタランテを描いた作品。
何と言っても構図と陶器のような2人の裸身、それは人間を超越した美があった。彫刻的絵画。何とプラド美術館にも同タイトル、同構図のレーニによる作品があり、現在ではプラド美術館所蔵作品を原作とする説が有力。

なお、常設展示にレーニの≪ルクレティア≫1636-38年頃が展示されているので、そちらもお見逃しなく。

素描では、ルカ・ジョルダーノ≪マグダラのマリアの被昇天≫、ファルコーネ≪戦士の頭部とヘルメットの習作≫などが目に留まる。

最終章のナポリ・バロック絵画
ナポリのバロック絵画とそうでないバロック絵画、すなわちナポリ特有の表現が何たるか、そもそもそんな特徴があるのか分からないまま観て行く。

・アルテミジア・ジェンティレスキ ≪ユディトとホロフェルネス≫1612-13年頃
この場面は、多くの画家によって描かれているが、本作では侍女の積極的な参加が描かれている点が見どころ。
何とも凄残な光景で、江戸時代の絵金と勝負できる。二人の女性の力の入り方がこちらにも伝わる。苦悶の表情を浮かべる男。
アルテミジアは女性画家で、当時女性画家が活躍していたことにも驚くが、彼女は兄弟子に乱暴され、この作品を描くことで自らを過去のトラウマから解放しようとした・・・と解説にあった。果たして本当にそうなのだろうか。作家の周辺に起きた出来事と作品を安易に結びつけるのはどうかと思うが、兄弟子への殺意を絵に込めたのかもしれない。

・フランチェスコ・グアリーノ ≪聖アガタ≫ 1641-45年
・ベルナルド・カッヴァリーノ ≪歌手≫ 1645年頃
≪歌手≫の背景に使用されたまばゆいばかりの赤色が印象深い。やはり、ドラマティックな画面はバロック絵画の特徴。気分を高揚させる。

・マッティア・ブレーティ ≪ユディト≫ ≪聖ニコラウス≫

・ルカ・ジョルダーノ ≪眠るヴィーナス・キュービッドとサチュロス≫ 1663年
描写が甘いように思ったが、ヴィーナスの色気に一票。

*9月26日まで開催中。
2010年10月9日(土)~12月5日(日)に京都文化博物館に巡回します。

「古賀春江の全貌 新しい神話がはじまる。」 神奈川県立近代美術館葉山

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神奈川県立近代美術館葉山で開催中の「古賀春江の全貌 新しい神話がはじまる。」展に行って来ました。

約1年前に神奈川近美葉山館での開催を知り、首を長くして待っていた展覧会です。

古賀春江(1895-1933)は、福岡県久留米市の寺院の長男(春江とありますが、男性!)として生まれ、17歳で画家を志して上京し、同時代のヨーロッパ美術に学び、二科会を主として活躍。モダニズムが全盛した時代に38歳で病の末亡くなったが、その短い画業の中で「カメレオンの変貌」と言われるほど、画風を様々に展開させました。同時に文学にも傾倒し、絵画作品の解題詩をはじめとし様々な詩を残しています。
本展は、絵画と詩が古賀春江の中で、どのような関係にあったのかを辿りつつ、油彩画60点、水彩画約60点、スケッチなどの資料約60点でその生涯と芸術を紹介するものです。

タイトル通り、「古賀春江の全貌」を見せて下さったと申し上げて良いでしょう。図録で過去に開催された古賀春江の単独回顧展を調べてみましたが、2001年に石橋美術館とブリヂストン美術館での共催展、1991年~1992年にかけて東京国立近代美術館で「古賀春江-創作のプロセス」展が、更に1986年に2001年と同じく石橋美術館とブリヂストン美術館の共催展、1975年「古賀春江回顧展-生誕80周年記念-」が福岡県文化会館で開催されています。

美術館の規模を考えると、東近美で開催された内容が気になりますが、今回の展覧会の充実ぶりは、今後望めないのではと思えた程です。個人所蔵家、企業、大学など美術館以外からの借り入れ作品も非常に多く出展されていました。作品は基本的に制作年代順となっていました。もちろん、作品リストも用意されています。

以下、展覧会構成と感想です。

第一章 センチメンタルな情調 1912-1920
画家として1912年に上京した古賀は、当時流行していた水彩画を学び始める。資料に「みづゑの画家」大下藤次郎の名を発見しなんだか嬉しくなった。

・≪柳川風景≫1914年 個人蔵
第一章の水彩画中で、もっとも好きな作品。まだ絵を始めたばかりだと思われるが、基本に忠実な画面構成と筆づかい、彩色、情緒あふれる作品。やや硬いと言えば硬いけれど、この時は変に外国かぶれしていない実直な感じを受ける。

・≪自画像≫ 1915-16年 石橋美術館蔵 
後期(10/19~)出展される自画像の方が著名だが、こちらの自画像はまだ短髪で目元だけが後年の春江に似ているし、後期自画像にも共通する所。幾分ふくよかで健康的な感じ。

≪考える女≫1919年(東近美蔵)などの油彩は、印象派風であり、≪竹林≫を描いた水彩は、セザンヌからの影響が強く感じられる。この他、≪房州風景≫1919年・横須賀美術館(六曲一双)の屏風絵を描いているが、のっぺりしてメリハリがない。なぜ、屏風絵を試みたのかが不思議だった。以後屏風絵は登場しない。
むしろ、ノートに書きつけられたインク絵の方がずっと味があった。

なお、解説には古賀は青年時代より北原白秋や竹久夢二に関心があったとされているが、直接的な影響は絵画からは感じなかった。

第二章 喜ばしき船出 1921-1925
1921年に我が子の死産を体験し、制作した≪埋葬が≫1921年二科展で受賞し、一躍注目を浴びる。1920年代の古賀はキュビスムの影響を追求し、前衛グループ「アクション」に参加した。

第一章の印象派風の作品から、突然キュビスムへの転換。古賀春江の絵画を観て行くと、19~20世紀の西洋絵画の歴史を追っかけているようだ。

古賀春江のキュビスム風作品は私の好みではない。むしろ≪林檎≫制作年未詳の方が好み。しかし、この時代の作品は≪観音≫1921年(東近美蔵)をはじめ、宗教的な題材が何点かに観られる。≪母子≫など、画家の日常生活で見られた光景から着想した作品も多い。
≪海水浴の女≫1923年からはピカソの≪アビニョンの女≫を思い出したが、私だけだろうか。

-1924年には再び作風の変化が見られる。
≪手をあぶる女≫1924年、≪卓上静物≫1925年は、キュビスム特有の幾何学形はなくなり、むしろ切絵か貼り絵のようなむしろ、ピカソの古典主義時代の作風に近いように思えた。
他にも≪室内≫など、誰もいない部屋を描いた実験的な作品もあり、そうかと思えば≪庭先≫1925年、≪花≫制作年不詳のようにマティス風の作品あり。

総じて、この時代はより一層、海外からの情報を吸収し、自己の中で咀嚼し自分の絵に転換しようと試みていたと言える。古賀は生涯を通じて、常に何者かからの剽窃をしていることが、今回の展覧会で一番印象に残った。
カメレオンはすなわち、剽窃の結果であったか。
当時の多くの画家も同様に西洋画を学習していたが、古賀ほど、様々な画家の作品を追っていた画家はいないように思う。自身が満足の行く画風をなかなか得られなかったのだろう。そういう意味では気の毒な画家だったのかもしれない。

第3章 空想は羽博き 1926-1928年
いよいよ、ここからパウル・クレーの時代が始まる。1926年頃から写生に基づく表現から空想的な要素を取り入れた世界へと転換。パウル・クレーの模写などをし、彼の画風を取り込もうとした画家の姿が浮かぶ。

・≪風景≫個人蔵 1926年
・≪美しき博覧会≫ 同タイトルの作品が全部で3点もあることは今回初めて知った。前期に展示される2点はいずれも個人蔵。残る1点石橋美術館蔵は、後期に出展される。
第3章は、1章と同じく、水彩画作品が多い。水彩は長期間の展示により退色などが起こりやすいため、展示期間は限られてくる。そのため、本展では、水彩画作品はほぼすべて前後期で展示替えとなる。

お馴染の≪煙花≫川端康成記念会、≪夏山≫愛知県美術館などにまじって、≪収穫≫、≪山ノ手風景≫など個人蔵の作品は眼福。郡山市美の≪蝸牛のいる田舎≫1928年の明るい緑いっぱいの画面は、この時代の作品の中で一番好きになった。これも初見。

ただし、これらのクレー風の作品に共通して感じるのは孤独と哀愁である。この時、既に古賀春江は自分の短い生涯を悟っていたのだろうか、それゆえの哀愁なのかと勘ぐってしまった。
この時代に古賀は多くの詩作を手がけ始め、作品横に詩とともに紹介されている作品もある。
残念ながら、先日の三重県美の北園克衛の詩ほど私には訴えるものがなかった。これはあくまで個人の好みの問題だと思っている。

1926年に描かれた≪裸婦≫や≪瓶花≫などは注文に応じて描いたのか、特に裸婦は後のシュルレアリスム風作品に通じるような硬質な肌をした女性の裸体像で、クレーのかけらもない具象画である。逆に異質な感じで目を惹いた。

第4章 新しい神話 1929-1933年
1929年に古賀は再び作風を一転させ、代表作≪海≫(東近美蔵)を完成させる。
私が古賀春江の名を知ったのは、この≪海≫を東京国立近代美術館で初めて見た時だった。私の美術館原体験と言って良い、この東近美初訪問のことを今でも忘れない。カンディンスキー展を何を思ったのか見に行って、大感激し、その興奮のまま常設に入った所、目に留まったのが古賀春江の≪海≫と岸田劉生の≪切通し≫の2点。海外作品ではクレーの≪花ひらく木をめぐる抽象≫に一目惚れ。以降この3名の画家は私の追っかけ対象となる。

さて、展示室では≪海≫と同じく古賀の代表作である≪窓外の化粧≫1930年・神奈川県立近代美術館が間は開いているものの横に並んで展示されている。この2点が同時に観られるだけでファンとしては嬉しい。

いずれも最初に観た時には、大正時代にこんな油彩を描いた画家がいたとは!と驚いた。
2点の制作の秘密が分かる関連資料も必見。これは以前、過去の図録で観ていたので知っていたが、改めて見ると油彩はコラージュの結実だったのだと分かる。
当時流行のシュルレアリスムを取り入れつつ彼自身の超現実主義理論を打ち立て、絵画にも詩にも新しい表現を求めて行ったが、病(梅毒が進行)に倒れる。

≪素朴な月夜≫1929年は長年観たいと思っていた作品についに出会えて本当に嬉しかった。幾分クレー風ではあるが、この時既にシュルレアリスム的な要素が濃い。

≪超現実を切る主智的表情≫1931年、≪音楽≫1931年、≪白い貝殻≫1932年など次々に驚くような油彩画が続く。
1933年の亡くなる2年程前がもっとも制作意欲が旺盛だったようだ。
≪孔雀≫1932年は、あっと驚くような画面構成。大きく羽を広げた孔雀の間に真っ白なうねうね道が描かれている摩訶不思議な作品。

≪深海の情景≫1933年は、真っ暗な深海に潜む不気味さを漂わせつつ、船や大きな花やタツノオトシゴ、魚などが配され、賢明な生への憧憬さへ感じるのだった。
この作品を手がけていた頃、古賀は既に脳を侵され、線は引けても字が書けなかったという。
やはり、「海」というモチーフは古賀にとって非常なる魅力的な題材出会ったに違いない。

絶筆の≪サーカス≫1933年は何ともやり切れないほどに痛々しい。
病床で、心身共に思うに任せぬままひたすらに筆を握り、キャンバスにどうやって向かい、如何にして描き上げたのか、壮絶の一作だが、画面では寂寥感と変わらぬ不思議さをたたえている。
「ぼんやりと描きたかった。」は画家の言葉であるが、芸をする虎よりもここで注視したいのは、オットセイとキリンだ。いずれも中空に浮かぶ。右上には鳥が飛ぶ。
最後の最後に来て、古賀春江の作品は宙に浮かんでいるモチーフが多いことに気付いた。宙に浮くと言えば、シャガールや有元利夫が浮かぶが、いずれとも何かが違う。古賀作品に浮かぶモチーフは、常に変化を求めてさまよう古賀の魂そのものに私には見えてならなかった。

最後の展示室では、ポスターや装幀など、古賀の才能あふれる仕事を観ることもできる。個人的には、彼の装幀画が非常に良かった。

残念ながら、2周したが読めども読めども古賀の詩は私の心には訴えて来なかったのはなぜだろう。
絵画と詩は古賀春江にとって同時進行の芸術であったのに。
何とも心残りである。

図録はA4サイズより小さめのB5版だが、関連論文5本を掲載し印刷も良い。2千円なので、遠方の方は取り寄せられても良いのではないでしょうか。

*11月23日まで開催中。なお、水彩画やデッサンなどは前後期で展示替えとなります。
前期:9月18日~10月17日、後期:10月19日~11月23日
巡回はありませんので、お見逃しなく。

映画 『ANPO』 ジャック&ベティ(全国順次公開)

映画『ANPO』チラシ YOUTUBE

このブログで映画のことを取り上げることはかつてなかったと思う。

映画館で映画を鑑賞することが上京してから、皆無になってしまった。TVやDVDを通してさえ、同じく鑑賞回数が激減した。しかし、昨日から公開開始の映画『ANPO』は、映画館ですぐにでも観たいと思った映画。

何にそんなに惹かれたのか、まず1960年安保がテーマになっていること、もうひとつは、アメリカ人監督が日本のアーティストの表現活動やインタビューを通して『安保』をどう見せるかに興味があった。

映画チラシの表面掲載の強烈な緑色の顔と何も見ていないような目、この先にあるものは何か、チラシにも誘われた。
出演しているアーティストがまた凄い。
絵画、写真、映像、舞台、音楽、様々な分野で安保や日米関係をテーマにした作品制作をしている面々が揃った。出演作家の選定は、監督のリサーチによるものか。

作品映像と実写、そしてアーティストのインタビューを上手く編集して作りあげられた映画だった。
今日は横浜・黄金町のジャック&ベティの19時15分の回上映後、リンダ・ホーグランド監督と出演者のお一人である石内都さんのトークショーを目当てに黄金町で鑑賞した。

トークショーはてっきり通訳がいるかと思いきや、突然監督がバリバリの日本語で話し始めたので、びっくり。
何でも中学2年までは日本の普通中学、その後インターナショナルスクールに転校し、17歳で離日しイエール大学に入学。映像翻訳家として活躍されている中、2007年には映画『TOKKO-特攻-』では、プロデューサーを務め、旧特攻隊員の真相を追求した。

監督については映画「ANPO」公式サイトにインタビューが掲載されているのでご覧ください。以下。
http://www.uplink.co.jp/anpo/director.php

ご本人のWEBサイトもありますが、現在は英語ヴァージョンのみアップされています。
http://www.lhoaglund.com/

映画「ANPO」を作るきっかけになったのが日本映画であり、濱谷浩『怒りと悲しみの記録』という写真集と2007年に開催された東京都現代美術館の「中村宏・図画事件 1953-2007」であったとは恐れ入る。
中村宏の同展は私も観ているが、この時、安保について強い感慨を抱いた記憶はない。つい戦時t9月5日まで開催された練馬区立美術館で開催された『タブロオ・マシン[図画機械]中村宏の絵画と模型』展は行かなかった。
濱谷浩は、『裏日本』1957年という写真集をごく最近実見して強く記憶に残った写真家。

安保についてまったく知らない訳ではない。
しかし、この映画を観て実にいろいろなことを考えさせられた。特にこうだ!というメッセージ性がなく、鑑賞者の自由に任せる姿勢がホーグランド監督の姿勢。監督がこの映画で訴えたかったのは、日本にも「抵抗」の歴史があり、その「抵抗」を世階級のアートとして表現し続けているアーティストたちの存在を世界に、そして若い世代にもっと知ってもらうこと。

映画には、様々な作品が登場するが、美術館で観るのとはまた違った印象があった。目の前に実写で提供される安保運動や米軍基地、戦後の焼け跡、それと作品との対比。
こと、作品に関して言えば、山下菊二、石井茂雄、池田龍雄、中村宏らの作品は本当に強烈だった。
作品を舐めるようなカメラワークと自作を前に語るアーティストもしくは故人の親族のインタビューがないまぜになって脳内炸裂した感じ。
石内都さんの映画で果たされた役割は大きく、横尾忠則さんも予想以上に出番が多かった。

幸いにも池田龍雄さんの展覧会は10月9日より川崎市岡本太郎記念美術館にて「池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡」展が間もなく開催される。これは行ってみようと思った。

しかし、このテーマで映画ができて、展覧会ができないということはないだろうに。
現在、国内で常時戦争画を鑑賞できるのは、私が知る限り東近美の常設展だけ。
「安保」で映画ができるなら、展覧会も可能なはず。これをぜひ、本土の美術館で開催して欲しい。

戦前、戦中、戦後を通して、日本に民主主義政治はあるのか?ということをずっと映画を観ながら考えていた。
あれだけの強い反対運動が起きながら、日米安全保障条約が更新されたのはなぜなのか。なぜ止められなかったのか。一人の政治家を原因ではなく、国会が、国民が選出した筈の議員も賛成したから更新された。
ここに、更なる政治的な無気力を来す要因が始まったようにも思う。

結局誰を選んでも変わらない。個人という枠組みを超えた何か、それが組織なのか国家なのか。
マイナスのベクトルには一直線に進んで行くが、プラスのベクトルには遅々として進まない。そんな現状に厭いてしまうのは自分ばかりではない筈。

この映画が、少しでもプラスのベクトルに、日本だけでなく世界中が向く一つのきっかけになれば嬉しい。

TOKYO PHOTO 2010 六本木アカデミーヒルズ40

六本木のアカデミーヒルズ40(六本木ヒルズ森タワー40会)で9月20日(月・祝)まで開催中の東京フォト2010に行って来ました。
公式サイトはこちら

東京フォト2010は今年で2回目を迎える写真作品の国際アートイベントです。
国内外のギャラリーが一同に会し、写真作品の展示・販売を行うのと並行して、サンディエゴ写真美術館による写真展や写真関係者によるレクチャーが開催されます。

昨年の東京フォト2009にも行っていますが、その時の記事はこちら
読み返してみて驚いたが、ツァイト・フォト・サロンのブースで奈良原一高「スペイン・マドリード」に出会っているではないか。ツァイトのブースで凄く良い写真に出会ったことは覚えていたけれど、奈良原さんの写真だったのか。あの時から、奈良原さんの写真が好きだったと、やはり好きな作品は、いつ、どこでどんな出会い方をしても良いと思う。それが好きだってことなんだと今更ながら分かった。
無理をしてでも買っておけば良かったが後の祭り。その時の私は、奈良原一高という名写真家を認識してなかったのだろう。

話を戻す。
今年は、会場をアカデミーヒルズに移したことで、昨年より広々として、見やすくなったように思う。休憩には、同じ階にあるアカデミーヒルズ利用者向けのカフェを利用できる。ただ、40階からの眺望が素晴らしく、観客は時として展示されている写真ではなく、眼下に広がる風景や真っ青な空に向かっていた。写真のイベントだけあって、カメラを持参している来場者が多く、窓からファインダーを外に向けて、シャッターを切る様子を幾度も目にした。

昨年と比べ出展ギャラリーは増えているが、国内でも後藤繁雄氏のG/P Galleryなど、昨年出展していたのに、今年は不参加になっているギャラリーもあるのは残念。そして残念なことは他にもあった。昨年かなり充実していたサンディエゴ写真美術館の「PHOTO AMERICA」展の続編「PHOTO AMERICA Ⅱ」展は、ちょっと規模が縮小されたように感じた。出展数が昨年より少なかったのではないか。そして、配置ももろに通路に沿った展示だったので、落ち着いて見ることができない。
また、出版社のブースがまだまだ少ない。『NUMERO TOKYO』と雑誌『PEN』と青幻社がブースを出していたが、赤々舎は出版社ではなくギャラリーとして出展していたし、町口覚氏のマッチアンドカンパニーも出展はなし。
町口氏は、パリフォトには出展されているそうなので、東京フォトは彼にとってまだ魅力あるイベント、市場ではないのだろう。

さて、私のお目当ては本日開催されたトークイベントにあった。

・吉野弘章(東京工芸大学准教授) 「世界の写真市場の成立まで:アメリカ、ヨーロッパ、そして日本」
・菅付雅信(リバティーンズ編集長)×ジェイムズ・ダンジガ―(元マグナムフォト・アメリカディレクター)

吉野氏は写真がいかにして、芸術として認められて行ったか、また市場価値が認められてきたかを各国の例を出して解説。パリフォトの存在は認知していたが、NYには、AIPAD Photographu Showなる、マニア向け、かつ敷居の高い写真フェアがあり、こちらが、世界で初めて1979年に写真のみのアートフェアとして開催された。パリフォトは1997年開始だから、まだ歴史は浅いが、こちらの方が間口は広い。
アルフレッド・スティーグリッツ⇒アンセル・アダムスへと写真史をたどりつつ、昨今のサザビーズでの写真の落札事例などを踏まえたお話は私の知らないことばかりで興味深く拝聴した。

菅付氏とダンジガ―氏の対談は、対談というより菅付氏がインタビュアーの役割で、ダンジガ―氏が自身の推薦する世界の10名の写真家を紹介。また、2010年代の写真業界が生き残って行く上で重要なことは何かについて大いに語って下さった。
10名の写真家については、
・Ryan McGinley
・The Sartorialist
・Massimo Vitale
・Juergen Teller
・Alex Soth
・Richard Learoyd
・Idris Khan
・Tim Walker
・Sze Tsung Leong
・Susan Derges

ダンジガ―氏のブログ(↓)にも早速更新されています。数か月以内に、日本の気になる写真家10名をリストアップされるとコメントされていました。これは楽しみです。
http://pictureyear.blogspot.com/

10名の中では、Ryan McGinleyの写真が一番印象的。Susan Dergesのフォトグラムも美しかった。Susanの写真は、ダンジガ―氏のブース「DANZIGER PROJECTS」でもご覧いただけます。The Sartorialistの写真集もあって、これは都築響一の「着倒れ方丈記」のアメリカ高級版テキストなし風で面白い。

ダンジガ―氏は実に興味深いお話をされていて、日本とアメリカのギャラリーが共同で仕事をする上で困難な問題として、日本のギャラリーのフィーをディスカウントしないと挙げておられた。これに対して日本のギャラリストからの反論もなく、一方的に終わってしまったのは残念。
また、デジタル化に対しては前向きに受け止めていると、デジタルであろうとアナログであろうと、その作家のもつクォリティによって良い作品は作られるはず。
デジタルかということでは、アップル社のiPadに期待していて、画像を楽しみ、プリントが欲しければギャラリーに行き、そして写真集は、部屋のインテリアの一部に変わって行くだろうと思っている。

商業写真と芸術写真の垣根はないと思っているし、むしろ美術館側でギリギリの試みを多くされてきたのではないか。
これからの時代において生き残るには、(1)クオリティー(2)individuality(3)originality(4)be modernの4点が大切。
自分が作品を選ぶポイントは、自分の部屋に飾りたい作品かどうか。

最後に印象に残ったブース。
・ツァイト・フォト・サロン 
1点を除き完売。その1点がオノデラユキさんだったのは悲しい。ここは、欲しいと思う写真が目白押し。かなりレアな昔のプリントなどもあって眼福。

・タカイシイギャラリー
テーマは60年代闘争?安井仲治のモダンプリント3点(実はこれが一番見たかった)、北井一夫、東松照明、森山大道。今更だけど、森山大道っていいなと思った。

・ミヅマアートギャラリー 山本昌男 「川」シリーズ 
ちょっとマットが大き過ぎるようにも思ったが。

・赤々舎
澁谷征司、旗手浩、藤岡亜弥、黒田光一、山内悠、浅田政志らに注目。
特に、澁谷さん、端手さんの作品が私の好みだった。澁谷さんの写真集「BIRTH」はその後とある所で確保した。

・SCAI THE BATH HOUSE
個展を拝見できなかった長島有里枝さんの写真にようやく対面。やっぱり良いです。

・Taro Nasu
春木麻衣子さんのみ。同ギャラリーでの個展の時は、ピンと来なかったけれど、今回はおっと思った。特に奥の4点縦並びと白のシリーズがかっこいい。同展のスカイラインプロジェクトに出展されている写真も抜群だった。

・Yossi Milo Gallery
SZE TSUNG LEONG とMyoung Holee の写真が良かった。

・ROBERT MANN GALLERY
Robert Frank、Mary Mattinngly Aaron Siskind 海外ギャラリーではここが一番好み。

他にもROSE GALLERYや前述のダンジガ―・プロジェクツのブースのケイト・モス作品など、見ごたえはある。最速のオランダのギャラリーTen Haaf Projectsも良かった。

先日表参道で拝見した花代さんの作品が会場の隅にポツンとあったが、これは表参道で見た方が断然よろしい。フェア向きではない。
ギャラリー21の菅原一剛の「椿」と「白神」に目が釘付け。菅原さんも私好みの写真家なのだった。

*9月20日まで開催中。前売りはまだ購入できます。

「諸国畸人伝」 板橋区立美術館

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板橋区立美術館で開催中の江戸文化シリーズ No.26「諸国畸人伝」に行って来ました。

板橋区立美術館の今や名物企画と申し上げても良いでしょう。恒例の江戸文化シリーズです。
今回は「諸国畸人伝」(しょこくきじんでん)と題して、18世紀後半から19世紀にかけて国内各地で活動した10人の絵師を選りすぐり、48点の作品を紹介するもの。本展は、1790年にあらゆる階層の有名無名の人々の奇異な行状を伝える人物伝『近世畸人伝』(著:伴蒿蹊)に倣っています。

選りすぐられた10名の絵師は以下。
菅井梅関(すがい・ばいかん)、林十江(はやし・じっこう)、佐竹蓬平(さたけ・ほうへい)、加藤信清(かとう・のぶきよ)、狩野一信(かのう・かずのぶ)、白隠(はくいん)、曽我蕭白(そが・しょうはく)、祇園井特(ぎおん・せいとく)、中村芳中(なかむら・ほうちゅう)、絵金(えきん)

この10名の中で、未知の絵師は菅井梅関と佐竹蓬平。佐竹蓬平の作品は、観たことがあるような気がするが、印象が残っていない。既にその名を知っていても絵金に至っては今回初めて、実作と対面、祇園井特も観る機会の少ない絵師です。

10人の個性豊かな絵師による作品群の中で、私の心をぐぐっと惹きつけたのは、やはりこの人、曽我蕭白。
もう、ダントツだった。
曽我蕭白≪群童遊戯図屏風≫六曲一双(九州国立博物館蔵)は、本展パンフレットにも見開き両面を使って紹介されているが、この1点だけでも足を運ぶ価値はあり。蕭白はこれ1点だが、1点でも大きさ、迫力十分である。
銀箔の豪華で巨大な画面に、摩訶不思議な世界が描かれている。左隻の端には大木の一部が、その根元近くからは、小川が流れ、川辺には童子たちが、魚を釣ったり、亀の取り合いをしたり、逃げる川うなぎを必死につかもうとしたりと実に楽しげ。中央付近には粋な姉ごが2人、うちわを片手に涼を求めて散歩をする夏の一場面。右隻は春の場面で、のんびると巨大な牛が2頭、1頭は正面を向いているが、もう1頭は見事にこちらに背を向けている。そして、こちらも童子が鶏(闘鶏?)、や相撲を取ったりと、賑やかに遊ぶ。

ただし、着彩も蕭白の手によるものなのか?と首を傾げてしまった。塗り方が雑で縦横無尽、後補によるものなのだろうか。

もう一人、加藤信清の文字絵も凄かった。以前、五百羅漢図を1点拝見したことがあるが、今回は1点の館蔵品含め計5点が展示されている。彼は生涯にわずか1点以外、全作品を文字絵で制作したというが、逆に文字絵以外の1点というのも気になる。
単眼鏡なしでは、到底あの線がすべて漢字(経文)であるとは肉眼視できないだろう。何という細かさ、尋常ではない根気のいる作業。どの作品も信心ゆえに文字絵をはじめた信清に相応しく≪阿弥陀三尊図≫高崎不動尊金剛寺、≪法華観音図≫相国寺など大きな作品も多く、これも必見。

絵金は、熊本市現代美術館で9月5日まで開催されていた展覧会のために同館に貸し出しされていたが、運送業者により梱包(こんぽう)したまま薬剤でいぶす薫蒸作業を行った結果、緑色の絵具が薬剤と化学反応を起こし、黒く変色したとニュースで流れたばかり。
そんな悲しいニュースはさておき、辻惟雄著「奇想の系譜」(ちくま文庫)にも紹介されている、奇想の絵師。岩佐又兵衛よろしく血みどろ絵で有名であるが、絵金の屏風は、香南市の絵金蔵に所蔵され、年に1度7月第三週の土日に開催される絵金祭りにて、蔵の中から目覚め、商店街の闇に姿をあらわし、蝋燭の灯に照らされ、闇の中で一層不気味さを増すのである。

今回は、美術館の中での鑑賞ということで、蝋燭の灯で鑑賞することは叶わなかったが、漸く実検する機会に恵まれた。芝居の一場面を絵にしているせいか、思い出したのは明治の浮世絵。芳年、芳幾などの血みどろ浮世絵に似た、凄残な状況が極彩色の色で塗られている。どことなく、近代の芝居の看板絵にも同じ雰囲気があるような。上手さはないが、迫力はある。

狩野一信の五百羅漢図はあまりにも有名で、来年江戸東京博物館で、この五百羅漢図、全100幅を一挙に公開するというから、楽しみ。今回は、十二頭陀・露地常坐、神通、籠供の3点が出展されている。

変わり種では、祇園井特。彼が描く美人画というのは、肉筆美人画に描かれる美人の範疇は、西国特有のものと言って良いのか、明らかにどこか異質。美人と言っても良いのか正直憚られるような雰囲気の顔立ちをしている。
≪手あぶり美人図≫京都府総合資料館蔵に描かれる美人の着物の図柄の鹿が愛嬌があって、面白い。

佐竹蓬平の虎図は、愛嬌があって、朝鮮絵画に似ている。
菅井梅関の「のびのび絵画」と勝手に命名したくなる、自由闊達な筆さばきは、のんびりしていいなぁと。菅井の作品は仙台市博物館所蔵だが、彼の展覧会は観てみたい。お気に入りは≪鵞鳥図≫。

我が道を行く作品群!と銘打った通りの内容で楽しめます。

*10月11日まで開催中。

「誇り高きデザイン 鍋島」 サントリー美術館

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サントリー美術館で開催中の「誇り高きデザイン 鍋島」展に行って来ました。

「鍋島」とは現在の佐賀県を統治していた鍋島藩の藩窯で作られた磁器製品で、主に将軍家をはじめとする献上品として焼かれたもの。
これまで幾度も「鍋島焼」の磁器を観て来たが、「鍋島」だけを扱った本展でズラリと並ぶ鍋島の意匠と技をこれでもかという程見せつけられた。いや魅せられたと訂正すべきか。

「鍋島」で忘れられないのは、昨年(平成21年)1月から3月にかけて茨城県立陶芸美術館で開催された「九州古陶磁の精華 田中丸コレクションのすべて」展である。
鍋島はもちろん、伊万里、唐津、高取、薩摩などなど九州には名高い陶窯が多く、日本陶磁史における九州陶磁の地位は確固としている。田中丸コレクションはそれら全てを俯瞰できる素晴らしい作品ばかりであった。これ程九州が陶磁で有名になったのは、豊臣秀吉の朝鮮出兵に伴い、大陸の陶工が日本に渡って来たことが考えられるという。
「田中丸コレクション」の鍋島に接した時、私はその洗練された意匠に圧倒されることとなった。
今回の展覧会でも田中丸コレクションから合計3点出展されているが、他館所蔵となっていても田中丸コレクションに含まれていたのと同じものも何点かある。

約100点にも及ぶ鍋島のお皿を拝見するにつけ、一体全体、誰がこんな意匠を考え出したのだろうと疑問に思った。
その人物の名前も正体も明らかになっていないのは、ミステリアスで興味を掻き立てられるが、芸術としてでなくインダストリアルとしての側面が強かった証とも言える。

そうして見て行くと、はっとするような美しい意匠や色、無駄を排除した洗練度、格調の高さ、上品さは評価するが、その一方で形に自由度がなく、突拍子のなさや破天荒さは感じられず、やや堅苦しい感じも受ける。
献上品という性格ゆえに、将軍の代替わりに伴い、お好み(嗜好)も変わり、鍋島も時代によって時の君主のオーダーに即したデザインに変貌することもあった。
しかし、希望の範囲内での限定された自由度であっただろうが、限られた枠の中でも懸命に工夫やアイディアを凝らした意匠や色味と、名前も知らぬ陶工たち関係者の賢明な美への探究の姿勢に頭が下がる。彼らが生み出した意匠は、江戸時代から平成と時を経ても、まるで古くさくなく現代においても通用する時代を超越する美であった。

「鍋島」については『サントリー美術館ニュース』vol.230に分かりやすく、かつ、丁寧に紹介されているので、美術館に行ったらぜひお手にとって読んでいただきたいと思う。

展覧会構成と印象に残った作品は次の通り。

Ⅰ.鍋島藩窯の歴史
・「色絵山水花鳥文大皿」2点
一つが、景徳鎮窯のもの、もう1点は肥前有田のもの。鍋島藩窯ではないが、そのルーツをたどる上で、この2点の存在と比較は非常に興味深いものがあった。
個人的には、やはり景徳鎮かと、中国陶芸を久々に見に行きたくなってしまった。他館の展示に来てそんなことを思うのも不思議な話だが、静嘉堂文庫美術館で9/25から「中国陶磁の名品展」が開催されるが、「鍋島」を観た後に景徳鎮などを愛でるのもまた楽しかろう。

・「色絵群馬文皿」 五客 岩谷川内藩窯
・「瑠璃釉色絵唐花文皿」鍋島藩窯 (以下、鍋島藩窯のものは窯名省略)
鍋島と一口に言っても、色絵、染付、青磁の3種類がある。
多いのは、染付、色絵で、青磁はやや少ない。上記の瑠璃釉の色は極め付けの色の美しさ。
・「染付枝垂桜文三足大皿」
薄い瑠璃釉と少し濃いめの瑠璃釉の2色使いが素敵。どうも瑠璃釉に滅法弱い。均一な瑠璃釉の出来栄えに、意匠だけでなく、磁器製造技術力の高さも感じる。

Ⅱ.構図の魅力
心惹かれるデザインのお皿がズラズラと登場するが、ここでは特に構図に着目して鑑賞する。
・「色絵更紗文皿」
鍋島藩では磁器の他に染織品の生産も盛んで、更紗染めはその代表格。鍋島藩により保護奨励され発展していたため、更紗紋様の着想と磁器への取り入れが進んだのだろう。織物でなく、磁器で更紗紋様の美しさを愛でるとは、何とも贅沢。

・「青磁染付雪輪文皿」
・「薄瑠璃染付花文皿」
後者の「薄瑠璃染付花文皿」はサントリー美術館所蔵品で、「藍色ちろり」と並んで、サントリー美術館と言えばこの作品を思い浮かべてしまう程、お馴染の作品。他のお皿と比較しても、モダンさは群を抜いている。

・「色絵巻軸文皿」
・「染付月菟文皿」
どちらかと言えば、花や吉祥のモチーフが多い中、兎の登場は斬新に見えた。

Ⅲ.鍋島の色と技
前章で構図に注目したら、今度は色と「墨はじき」という白抜きの技法に注目する。と言いつつ、やっぱり素人はどうしても技術云々よりデザインや色の組み合わせに目が行ってしまう。
・「青磁染付笹文皿」
・「青磁染付七壺文皿」
・「染付蜘蛛巣文葉形皿」
・「染付柵流水文皿」

蜘蛛の巣や柵を流れる水さえも上品な美を醸し出すという、鍋島ならではのデザイン。

・「瑠璃釉露文三壺形皿」
3つの小さな壺を組み合わせた形。鍋島には珍しい形。
・「色絵椿繋文皿」
ここに「墨はじき」の技で白い椿を見事に見込みに表す。

Ⅳ.尺皿と組皿
・「染付雪景山水文皿」
・「染付岩滝文皿」
・「染付童子雪合戦文三足大皿」
最後の童子の雪合戦の大皿はどの殿さまのもとに嫁いだのだろう。こんな愛らしいものをお好みの将軍がいたのだろうか。

・「鏽絵色絵縞丸文皿」 五客
愛用するならこんな丸皿も楽しそう。

Ⅴ.鍋島の主題 四季と吉祥
最後は、四季と吉祥にちなんだモチーフの製品を展観する。
「色絵宝尽文大皿」、「色絵柳燕文皿」「色絵萩文向付」五客、「色絵三瓢文皿」などが好み。

参考作品として、狩野晴川院養信筆「波濤図屏風」サントリー美術館蔵が絵画作品として唯一展示されていた。こちらは9月20日までの展示。

鍋島の特徴的かたちである盃のような木盃形について、きちんと確認しなかったのは心残り。高台が高いのが特徴だが、時代によってその高さは微妙に違う。また、田中丸コレクションでは皿以外に花入などの鍋島製品も出展されていたが、これらは希少なものだったのだろう。

お気に入りの一点を探してみると、きっと楽しくなる筈です。

*10月11日まで開催中。

「橋本平八と北園克衛展」 三重県立美術館

HASHIMOTO

三重県立美術館で開催中の異色の芸術家兄弟「橋本平八と北園克衛展」に行って来ました。

橋本平八と北園克衛(本名:橋本健吉)は、実の兄弟。彼らは、現在の三重県伊勢市出身の芸術家兄弟なのだが、二人の名前をご存知ない方も多いのではないか。
かくいう私も、橋本平八はもっとも好きな木彫作家。
初めて彼の作品を意識したのは、昨年4月東京藝術大学美術館で開催されたコレクション展だった。その時、展示されていたのは≪或る日の少女≫1934年で、鑿跡を残した彫りと熱心に両手を重ねて祈る少女の表情と姿に心打たれたのだった。この時代に、鑿跡を残した木彫作品は少なかったのではないだろうか。平櫛田中などの作品の表面は、磨きをかけているのか滑らかなものばかり。

そう思うと、橋本平八の素朴な中に力がぎゅっとこもった木彫作品がとても気になったのだった。
そして、彼の作品が醸し出す表情や雰囲気は人物であれ動物であれ、高邁で崇高な感じを受けた。

残念なことに、平八は39歳で早逝してしまったため、遺された作品はそれ程多くない。前述の東京藝大美術館や東近美と出身地の三重県立美術館で1点ずつ拝見していくしかなかった。
そんな折、今回の回顧展開催。まとめて、平八の木彫を拝見できる。嬉しくて、待ち遠しくてならなかった。
本展では、平八の木彫作品は大小合わせて87点も出展されている。平八の代表作である≪花園に遊ぶ天女≫
1930年、≪少女立像≫1925年などなど好きな作品は枚挙に暇がないが、今回、作品を前に感動で涙ぐんだのは≪石に就て≫1928年であった。

一体全体、なぜ自然「石」そのものを木彫写し取ろうと思ったのだろう。自然の石を木で表現することにどんな意義を見出したのか。
三重県立美術館友の会ニュース84号の表紙に≪石に就て≫が掲載され、同館副館長の毛利伊知郎氏による解説は次の通り。勝手ながら、以下原文をそのまま引用させていただく。
橋本は、この作品について「仙を表現するもの」と記している。橋本がいう「仙」とは何だろうか。「仙」について平八は様々に説明しているが、それは「自然界に潜む人智が及ばない聖なるもの」といえるようだ。そうした聖なる力を橋本は彫刻で表現したという。(中略)
≪石に就て≫には石の「仙」だけではなく、用材である楠の「仙」も表現されていると見ることもできる。ここでは主題と素材とが不可分に融合している。しかも、この作品に投影されているのは橋本のアニミズム的な自然観だけではない。彼の仏教信仰もこの作品に影をおとしている可能性が高い。

橋本平八は、円空仏に強く感化されたという。
彼のいう「仙」が「人智の及ばぬ聖なるもの」なのだとしたら、私が作品を前に感じたあの強烈な一種の「気」がまさしく「仙」なのではないか。
≪石に就て≫は図版で観るのと、実際に接したのとでは、大変な違いがあった。写真を前に「気」を感ずることはなかった。作品を取り巻くオーラのようなものを図版では感じられないのだ。
作品のそばに、この作品のモデルとなった平八が大切にしていた自然石が置かれていた。石にも木にも気は宿る。

私の好む木彫作品には、巧拙ではなく内に秘めたる「気」や「力」を感じられるかどうかが重要で、橋本平八の大半の作品には強弱はあるもののこの両者が備わっていた。

また、彼の描く絵画も多数展示されており、こちらも魅力的な作品で、木彫ともども好きになった。橋本平八の著書『純粋彫刻論』は彼を知る上で、一読してみたいが、難解かつ入手困難かもしれない。

弟の北園克衛に移る。
展覧会の構成は、前半に橋本平八の作品を展示しつつ弟との交流についても若干ふれ、後半は北園克衛作品中心の展開になっている。

本展開催の趣旨は、両者の全体像を紹介するとともに、兄弟の様々な交流が各人の芸術世界形成にどのように作用したかを検証することにある。

北園克衛は、1902年(明治35年)に生まれ、兄を追うように1920年4月に上京。前衛詩の分野で活動を開始し、1935年には機関紙『VOU』を発行。戦後は、写真によるプラスティック・ポエム(造形詩)の制作や書籍装幀なども行い、1978年(昭和53年)に亡くなる。

北園克衛の才能をいち早く見抜き賞賛し、彼の作品をコレクションしてきたのは、ジョン・ソルト氏(ハーバード大学 エドウィン・O・ライシャワー日本研究所研究員)であった。
今回、ジョン・ソルト氏が長年集めて来た貴重なコレクションが日本初公開で一挙に公開されている。

北園克衛の存在すら知らなかった私にとって、北園の遺した詩、雑誌、装幀、そして写真に映像!のすべてが刺激的で、衝撃的だった。
展示作品の中に、雑誌「マヴォ」があったのだが、これは以前、岡崎市美術博物館の展覧会で観ている。北園はこの時、本名の橋本健吉の名でマヴォに文章を寄せていた。
マヴォにも参画していたのかと、益々興味がわいてきた。

彼の詩がまた素晴らしく、心にしみた。
心地よいリズム、韻を踏んでいる。

一見、別の分野に進んだかに見える兄弟の絆や交流についても資料で紹介されているので要注目。

あまりにも、大量の情報、しかも飛び切り素晴らしいものばかりだったので、1度では飽和状態になってしまった。
この展覧会は、10月11日まで三重県立美術館で開催され、その後、10月23日(土)~12月12日(日)まで世田谷美術館に巡回する。
再訪、再々訪して、稀有な才能ある兄弟の仕事を少しでも長く味わっていたいと思う。

なお、本展開催にともなって臨時創刊された雑誌『伊勢人』は二人の地元、伊勢を紹介。こちらも充実した図録ともども気になります。

ISEJIN


一人でも多くの方にご覧いただきたい展覧会です。三重県立美術館のレストランは、公立美術館に併設するレストランでは一推しです。今回も特別ランチがとっても美味でした。

「田中一村展」 千葉市美術館

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千葉市美術館で開催中の「田中一村展」に行って来ました。

田中一村(1908-1977)は、栃木県に生まれ、千葉市に20年住んだ後に奄美大島へ移住。奄美大島の亜熱帯植物や鳥などを題材にした日本画を描き、それらの作品を公表する機会もなく無名のまま亡くなった画家です。
1980年代にテレビの美術番組で紹介され反響を呼び、全国にその名を知られるようになったとのことだが、残念ながら私はその当時まだ中学か高校生だったのか、番組のことも田中一村の名前も知らず今日に至る。

本展は、一村ゆかりの田中一村記念美術館、鹿児島市立美術館、千葉市美術館が共同で取り組む初の回顧展。近年の調査で新たに発見された資料を多数含む約250点の作品により過去最大の規模で一村の画家としての実像を明らかにしようとするものです。

個々の作品云々について述べる前に、全体の感想を挙げておきたい。
一村の構想画、写生図、スケッチブックを含め展示作品の量は非常に多い。しかし、これだけの作品、資料類を展示していただいたおかげで、一村の画業を初期から晩年に至るまで、劇的とも言える変遷の過程や制作方法まで展観できる。と同時に作品を観て行く過程で、一村の気持ちや状況に思いを巡らせ考えることもできた。
結果、自分の命と引き換えに仕事を2年休職し制作だけに集中し完成させた2点≪アダンの海辺>≪不喰芋と蘇鐵≫を前に、思わず涙がこぼれるほど、すっかり一村の世界に没入したが、作品もさることながら、本展関連各位の皆様の企画意図や一人でも多くの来場者に観て欲しいという思いが伝わったからではないか。

先日訪れた栃木県立美術館の常設にも一村の作品が3点程並んでいたが、その時は特段の感慨はなかった。本展チラシを手にした時も、掲載作品について心惹かれることはなかったことを考えると、やはり実作品の持つ力の凄さ、そして一村の場合は、個々の作品について観るよりも、やはり作風の変遷を観ることで魅力が倍増するように思った。

展覧会構成は次の通り。
第一章 東京時代(1908-1938)
第二章 千葉時代(1938-1958)
第三章 奄美時代(1958-1977)

第一章
冒頭、8歳の時に描いた色紙2点から始まる。11歳の作品≪蛤図≫を観ても、既に相当の腕前を持っており才能の片鱗を感じる。明治以後、大正時代は南画全盛の時代で、小室翠雲を師として南画家の道を歩み始める。
この時代の一村の作品は、呉昌碩、趙之謙らの中国(上海)画壇の様式が色濃く、まさに彼らの作品かと思った。絵だけでなく絵に寄せる讃にも一村の学習の成果が観られる。ここでは墨の扱いに注目したい。中学生とは思えぬ伸びやかで大胆な筆づかいと墨の扱い。しかし、先人の書風に追随するため個性に欠ける。≪石榴の花≫、≪藤花図≫≪蘭竹図≫が良かった。

昭和6年(1931年)≪水辺にめだかと枯蓮と蕗の蕾≫。
これまでの作品と大きく趣を変え、一村の趣意を新たに打ち出した転換期となる重要な作品。一村に作品を発注していた支援者から賛同を得られず。しかし、一村は孤立無援であっても独自の画風への道を歩み始める。

第二章 千葉時代
千葉時代の作品はまさしく疾風怒涛の時代と言えようか。自身の画風を追い求める一村のたゆまぬ努力と苦悩が様々に変化する作風から感じられる。精神的に苦しかったのではないかと勝手に想像してしまった。

昭和13年千葉に移住。千葉市近郊の風景を描き始めるが、これらの制作時期は特定できないようで、作品リストの制作年代もブランクになっている。
≪南天図≫≪白梅に群鶏図≫≪桐葉に尾長鳥≫≪秋日村路≫などが印象深い。

戦時中、戦後まもなくは金銭を得るため、依頼して肖像画なども手掛けていたことが資料からわかる。

戦前に依頼を受けたが実現せず、戦後取り組むこととなった個人宅の襖絵や石川県の聖徳太子殿の天井画を再現した展示が素晴らしい。前半のハイライトだと言える。
ここでの一村の画風というのを語るのは難しい。個性をたどれないのが個性というべきか。時に琳派風であったり、木米の水墨画風だったりと、どちらかと言えば精緻な画風。

戦後昭和22年にこれまで使用していた米邨から「一村」へ改号。展覧会へも出品するようになる。
青龍展で≪白い花≫昭和22年(1947年)が初入選。緑の竹や葉とと白い花々の清澄な画面の中に、一羽の鳥が配される。一村の描く鳥はどれも忠実な写生結果により精緻である。
続く≪梨花≫昭和23年(1948年)はやや暗い画面が嫌われたか落選。個人的にはこの作品とても好きなのだが、画壇には認められない。更に本人にとって手ごたえのあった≪秋晴≫が落選したことで、もう1点≪波≫(出展されていない)の入選も辞退する。青龍展だけでなく院展、日展への出品も行っていたが、いずれも落選。

当時の中央画壇に認められなかったことに対して一村の言葉や手記が見つかっていないようだが、本人の心境を鑑みるに、奄美移住への決意の発端になったのではないかと推測される。

千葉時代の最後に描かれた≪忍冬に尾長鳥≫をはじめ、鳥をモチーフにした作品が多く見られる、これらの中には特に鳥の描き方に後の奄美における画風の一端が感じられた。
≪ずしの花≫≪山村六月≫は構図の面白さが目を惹く。植物を大きく前面に持ってくるなどグラフィックデザイン的要素が強いように思った。

第三章 奄美時代
相次ぐ落選、特に満を持して描いた作品が落選したこともあり、ついに一村は50歳で過去の自分との決別とも言える奄美への移住を決める。
移住後の一村は、鳥や植物を写真におさめては絵に転換していく。人物をまったく描かない訳ではないが、それらは、奄美の人々に依頼された遺影だったりと請われて描いたものが多い。そういった肖像画も展示され彼の生活や人となりが伺われる。
そういったものを除けば、スケッチでもとにかく植物や鳥のものが多い。
奄美に移住して後、ここでしか観られないような鳥や植物に接し、しかも奄美が抱く神聖さに打たれ心が湧き立ったことは想像に難くない。
奄美の島の人々と助け合い交流しながら、更なる独自の画風を追求していく姿に強く心打たれた。

「日本画」とう枠組みの中で、常に格闘し続けていた人、そんなイメージが一村にはある。
ありきたりの日本画ではなく、最後に見せた新境地は紛れもない一村だけの絵であり、その形であった。
千葉時代の最後に見せたようなグラフィカルな要素がより強くなり、日本画というより西洋絵画のようにも見える。しかし、蘇鉄の葉の針の一本一本まで色彩を変え描き分けるなど、細部に渡る丁寧な仕事と大胆奇抜な画面構成が混在となり、これまでの作品にはなかった圧倒的な力強さを感じた。濃い溢れんばかりに湿潤な香さえ感じられる。

これが一村の画業の到達点で日本画に対する一村が見出した最後の回答だったのだろう。

なお、展示会場の途中で常設展が配置されているが、これは後回しにして余力があれば鑑賞した方が良いと思います。途中で違うものを観ると、一村展の流れが分断し悉く印象が崩れる可能性があるため、くれぐれもご注意ください。
また、展示作品、資料共に膨大なので途中で休憩しても良いかもしれません。2時間超みっちり作品と対峙した私は精魂尽きた感じがありました。

先程、NHK『日曜美術館』の「田中一村」特集を拝見したが、展示会場では得られなかった奄美大島の様子や『聖地』が映像として紹介され、新たな視点で≪不喰芋と蘇鐵≫を見直すことができました。いかに通り一片の見方や上記感想しか書けなかったかを痛感し、反省しました。ご覧いただけなかった方は、来週夜20時から再放送もあるので、こちらも併せてご覧になることを強くオススメします。

*9月26日まで開催中。今年度必見の展覧会だと思います。

「手探りのドローイング」 東京国立近代美術館(ギャラリー4)

東京国立近代美術館2階にあるギャラリー4で開催中の小企画展「手探りのドローイング」がとても良かった。
会期は1階企画展示室で開催中の「上村松園展」と同じく10月17日まで。
詳細はこちら

ギャラリー4では、毎回楽しみな小企画展が行われ、前回の「いみありげなしみ」展もその前の「水浴考」と好企画を連発している。そして、毎回楽しみにしているのは、この小企画展のために作成される小冊子。
今回も驚くようなデザインと大胆な紙のカッティングで一目でカッコイイ!と気に入った。これは保存決定。

他の階に置かれていたリーフレットも紙の特性を活かし、エンボス加工というのかな、ドローイングの線の部分だけちょっと浮き上がっていて、触るとデコボコして触覚が刺激される。

「触覚」この小企画において「触覚」はひとつのテーマになっている。
本展は「触覚」「光」「ドローイング(性)」をテーマに、3人の作品を紹介している。そして今回は、展示空間の照明を1分ごとに変化させ、明るい所から薄闇へと展示空間の照明を変化させることで、「触覚」「手探り」の感覚を味わってもらおうという試みを行っている。

・アブラハム・ダヴィット・クリスティアン(1952~)ドイツ
彼の作品はドローイングというより、私にとって彫刻のように感じられた。展示作品「Hayama」は、葉山のアトリエで植物に紙が破れるのも構わず、強い筆圧をかけて植物の姿を型どりしている。
明るい所では微妙な陰影もはっきり分かったが、薄闇になると薄い線が見えなくなって、濃い線だけが浮かび上がっているように見えた。平面なのに立体的に見える。普段彫刻を制作しているとのことだが、ドローイングさえも彫刻化しているのが興味深い。

・吉田克朗(1949~1999)
こちらも何か大きな塊がもぞもぞと動きそうな作品。沸き上がるイメージを黒鉛の粉を指に付け、紙面に落とす。
展示作品「触」のシリーズは、このドローイングをリトグラフにしたもの。
指で積み上げられた黒鉛の粉は線というより、面になって紙面を覆い、伸長していく。まるで命を持ったもののように。時に男女が抱き合っているようにも見え、そうかと思えば立ち上がる炎のようにも見える。モコモコとした感覚。

・小林正人(1957~)
「artist」は火の付いた蝋燭が何本も黒い紙面に白のチョークで描かれる。「artist」は2点あるが、ちょうど一番奥にあった作品の前に椅子が一脚置かれている。暫くの間、そこに座って蝋燭を眺めていたら、徐々に照明が暗くなっていくのが分かった。この椅子に座るまで、照明の変化に気付かなかったのだ。一番暗くなった状態で蝋燭を眺めると、蝋燭の灯が浮かび上がって来て、こちら画面から飛び出して来るような感覚があった。

照明の変化に気付いて、もう1度会場をゆっくりと照明の変化を感じながら作品を観て上記のような感想を持った。
作品に触ることはできないが、目で感じる触覚、私にとってそれは立体感のようなものだったけれど、単純な平面における線とは違った感覚を得られたことは間違いない。

所蔵作品をこんな視点で見せて下さった企画者の保坂健二朗氏(東京国立近代美術館・研究員)に感謝したい。
なお、折り畳み式リスト兼解説蒹図版デザインは、森大志郎氏によるもの。

*10月17日まで開催中。上村松園展と合わせてお楽しみください。

「上村松園展」 東京国立近代美術館

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東京国立近代美術館で開催中の「上村松園展」に行って来ました。
展覧会公式HPはこちら

本展では、松園の画業を大きく3期に分け、代表作を含む約100点の作品によってその軌跡をたどるとともに、松園芸術の本質を改めて探るものです。チラシに謳っている「珠玉の決定版」かは分かりませんが、展示替え作品を含めると代表作の大半を網羅した展覧会と言えるでしょう。

1章 画風の模索、対象へのあたたかな眼差し
2章 情念の表出、方向性の転換へ
3章 円熟と深化
3章-1 古典に学び、古典を超える
3章-2 日々のくらし、母と子の情愛
3章-3 静止した時間、内面への眼差し
附章 写生に見る松園芸術のエッセンス

作品は、ほぼ制作年代にしたがって展示されている。一通りすべての作品を観てから、Uターン。一往復で約1時間ちょっとの鑑賞時間となった。金曜の夜間開館を狙って行ったが、この時点での混雑はそれ程でもないので、自分のペースでじっくり鑑賞することもできる。

自宅に戻り、村松梢風「本朝画人傳」巻八の上村松園の章を読み返してみた。松園の生きざまと今観て来た作品群を思い返し、得心の行く心持になっている。展覧会を一巡した時は思った程の感動が得られる、楽しみにしていたのにどうしたのだろうと思ったが、彼女の作品を鑑賞するにあたっては、作品のみならず、松園の生い立ちや人生をも振り返る必要があったのだ。本展ではそこまでの追求がなかったのが残念。もう少し踏み込んだ展示や解説が欲しかったが、恐らく図録にはそのあたりについて詳細が記されているのだろう。

印象に残った作品は次の通り。

・「清女褰簾之図」 1895(明治28)年
松園20歳の作品でモデルは清少納言。紫式部でなく清少納言を選んだ所が松園らしいと思う。
幼い頃より絵が好きな娘だったという。特に幼い頃から人物画が好きで、人物ばかり描いていたといのは特筆すべきエピソードである。
14歳で京都府画学校に入学し、鈴木松年に指導を仰ぐが、松年と退職により結果的に1年で画学校は退学。鈴木松年の私塾に入り、ひたすら古画や浮世絵などの縮図を描きまくっていたという。東京で浮世絵の展示があると知り、寝食を忘れ、博物館に通い模写を続けたという大変な努力家。
≪清女褰簾之図≫は、松園の古画学習の成果を伺い知ることができる作品。本展では、17歳の時に描いた≪四季美人≫もあるが、これらの作品は、非常に上手いけれど、まだ松園らしさ、松園の人物画表現は見えてこない。

・「人生の花」  1899(明治32)年
24歳で既にこの域に達していることが恐ろしい。前期(9月26日まで)は、名都美術館所蔵作品(前期のみ)と京都市美所蔵の同タイトル、構図、サイズの2点が横に並ぶ。京都市美には2点の≪人生の花≫があるようで、残る1点は東京会場に出展されず京都会場のみ。
この2点の違い探しをするのも楽しいが、女性の着物や帯の家紋や紋様が違っているのでチェック。若き日の松園作品の着物や帯の描写は精緻を極めるが、3章以後の作品では着物に細かな紋様がほとんど入らなくなることにも注目して欲しい。

・「長夜」 1907(明治40)年
1章でもっとも好きな作品。夜っぴいて書物を読みふける娘と行燈に灯をともす女。まるで、観て来たような光景で、時代と情緒が感じられる。

なお、1章の≪四季美人図≫は第三回内国勧業博覧会に応募し、一等を取った作品とは異なるのだろうか?受賞した作品は1幅に季節に応じて4名の美人が描かれているようだったが、この作品は4幅に分かれている。

・「花がたみ」 1915(大正4)年
松園が習っていた謡曲に着想を得たもの。何も前提を知らずとも、花かごを腕にかける女が正気を失っていると分かる。説明なしで、それを醸し出すあたりがさすが。どこか虚ろな焦点の定まらぬ瞳とぽかんと半びらきになった口許。中盤で、この作品のための習作、下絵が何点か展示されているが、人物のポーズはいろいろと思考錯誤していたのだろう、下絵では横を向いて何かに取りすがるポーズがいくつか描かれていた。

・「焰」  1918(大正7)年
狂女の傑作2点が揃い踏み。こちらは『源氏物語』の葵の上の生き霊を描いたもので、糸のような長い髪の一部を口に咥え、着物の蜘蛛の巣の紋様がすべてを象徴している。画人傳によれば、能で美人の嫉妬を表すには白目に金を入れることから、本作も裏から白目に金泥をさしているとのこと。生憎、単眼鏡を持参しなかったので、その点については確認できなかった。般若を思い出した。

・「伊勢大輔」 1929(昭和4)年
たおやかで、これまた漆黒の糸のような黒髪が印象深い。相変わらず精緻な装束の表現も素晴らしい上に、大輔のきりっとした雰囲気が素敵だった。

・「草紙洗小町」 1937(昭和12)年
天井から真っ直ぐ吊り下げられない程の大幅。小野小町を描いたもの。人物からは気合いが感じられた。62歳の作品であるが、既にこの頃には着物に細かな紋様はなく、画面背景もすっきりし、人物をクローズアップした構図。

・「母子」 1937(昭和12)年
チケットや『本朝画人傳』巻八(中公文庫)の表紙にも採用されている。松園59歳の作品。抱かれている赤ん坊が背中を向けていて、頭髪の青々とした剃り跡が清廉な感じ。母と子の静かなひとときと愛情を感じる。

・「鴛鴦髷」  1935(昭和10)年
こちらも小品だが素晴らしい出来栄え。娘の髷に要注目。髷がまるで生きもののように見え、立体的な感じがした。髪飾りの紅珊瑚がたまらない魅力。松園描く女性は数多いが、髪飾に珊瑚を使用しているのは本作だけではないだろうか。白い小花の飾の組み合わせも良し。

・「夕暮」  1941(昭和16)年
松園66歳の作品で、京都府立鴨沂高等学校が所蔵している。公立高校でこんな名作を観られるとは羨ましい限り。恐らく女性は松園が若き日に観た母をモデルとしたもの。松園は父と早くに生き別れ、姉と母の3人家族だったが、後に母との2人暮らしが長く続く。母は昭和9年に86歳で亡くなるが、それ以後母への思慕を感じさせる作品制作が続く。夕陽に明かりを取ろうとする市井の生活の一端を感じさせるとともに、何とも情緒ある作品に仕上がっている。続く≪晩秋≫1943(昭和18)年も見事だった。

・「鼓の音」  1938(昭和13)年、1940(昭和15)年
松園は同じ構図、ポーズ、大きさの作品を何度か描いているようだ。その理由は何だったのだろう。着物と帯の紋様や色が違っているだけ。請われて再び絵筆を取ったか、松園自身が再挑戦したくなったのか。鼓を打つ前の緊張感が漂う。

本展鑑賞後、常設展で鏑木清方はじめ他の日本画家による美人画を観ると、松園が求めたものは何だったのかが感じられる。松園の美人画に描かれる女性たちは、時に艶やかで、気品があれば、狂おしいばかりの感情を内に秘めていることもある。しかし、後年になればなるほど作品中の女性は内に強さを秘めているように見えてならなかった。後期に展示される≪序の舞≫はその最たる作品だと思う。

自身もそうありたいと願った松園の女の生き様が伝わって来る。松園は、鈴木松年⇒幸野楳嶺⇒竹内栖鳳を師とするが、若き頃、松年の愛を受け未婚の母となるのだ。当時ではまだ珍しかった才能ある美人画家は、周囲から羨望や嫉妬によるいじめも受けたという。それをものともせず、自身の画道を貫いた松年やその母に、明治の女の強さを痛感した。

*10月17日まで開催中。途中展示替えがあるのでご注意ください。
宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の≪雪月花≫1937年のみ10月5日~10月17日の展示です。
この後、11月2日より京都国立近代美術館に巡回します。

「ポーランドの至宝 レンブラントと珠玉の王室コレクション」 東京富士美術館

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東京富士美術館で開催中の「ポーランドの至宝 レンブラントと珠玉の王室コレクション」展に行って来ました。
展覧会についての詳細はこちら

日曜日の午後4時頃に美術館に到着しましたが、あまりの混雑ぶりにビックリ。
こんなに人気があるとは。。。。大変失礼ながら思っていませんでしたが、1周してみて、なるほど人気があるのも納得。
目玉は、展覧会のサブタイトルにもある通り、日本初公開となるレンブラントの2作品≪額縁の中の少女≫と≪机の前の学者≫でしょう。前者は「レンブラントのモナリザ」と呼ばれる名画です。

いや、いずれ劣らぬ名画だと思いましたが、個人的には≪机の前の学者≫1641年が実に良かった。学者の顔の瞳がまるで生きているかのようで怖ささえ感じました。更に学者が広げている本のページが1枚1枚立体感ある描写で、画面から飛び出しているように見えます。唯一気になる点は学者の左手で、握った手の指がやや不自然に太い気がしました。帽子の影、毛皮のマント、髭に至るまで細部にわたり綿密な表現がされている。学者のやや俯いた表情の前にしばし立ちすくみました。

≪額縁の中の少女≫1641年は、額縁に両手を置いていますが、その手が額縁から飛び出していることに注目。だまし絵風の表現は、≪机の前の学者≫で見られたように本のページが画面から飛び出している感覚を受けるのと同じ効果を出している。隣にいた観客の方が「どの位置にたっても、少女と眼が合うよね。」と子供に話しかけているのを聞いて、あちこち移動して作品を観てみると、確かにどこにいても絵の中の少女と眼が合う。モナリザ程、微笑んでいるように見えないが、小さな赤い唇、瞳、こちらは人間というより、人形っぽく見えた。
彼女が来ているドレスがやや粗い描写になっているのと顔の表現の甘さも気になる。

本展は、ポーランドのワルシャワ王宮と歴代国王の居城であった王宮ヴァヴェル城の全面協力のもと、これらの王宮に伝わる絵画、工芸、彫刻などをはじめワルシャワとクラクフ(旧都)の2つの国立美術館のコレクションより19世紀のポーランド絵画を展観するものです。あわせて、ポーランドの偉人であるコペルニクス、ショパン、キュリー夫人に関する資料も展示し、全作品約140点で構成されています。

さて、展覧会の構成と各章の感想は次の通り。
なお会場内に、作品リストの準備はされていませんが、監視の方にメモ用の白い紙をお願いしたら、リストがいただけました。1~2部程しか用意していないようだったので、必ずいただけるのかは不明です。

ポーランドと言えば、国家分断、ポーランド移民など歴史的に厳しい状況に常にさらされていた国という印象がある。本展では、未知の国、ポーランドの文化の一端を垣間見る機会を得ることができた。

第1章 珠玉のポーランド王室コレクション
前述のレンブラント2作品は第1章に展示されている。他に印象に残った作品は次の通りだが、見ごたえある作品が揃っていたと思う。少なくとも、1500年代、1600年代の西洋絵画を日本で観られる機会はそれ程ないことは確か。
・≪ユピテル、メルクリウスとウィルトゥス≫ ドッソ・ドッシ 1524年頃 ・≪絵画のアレゴリ
ー≫ 通称グエルチーノ周辺画家 17世紀後半
・≪王太子ヴワディスワフ・ジグムント・ヴァーザの美術蒐集室≫ アントワープ派 1626年
この作品は、ワルシャワ王のコレクションが散逸する前の状態を描いた貴重な作品。それ程、大きくない画面に重なるようにして絵画が沢山描かれている。きっとここに描かれているのはコレクションのごく一部なのだろう。

・≪ヴァイオリン、画材、自画像のだまし絵≫ コルネリス・ノベルティス・ヘイスブレヒツ 1675年
・≪窓辺で洗濯する女≫ ガブリエル・メツー 17世紀後半
・≪ヴィオラ・ダ・ガンバを持つ若者≫ ヤン・フェルコリエ
・≪リール周辺の眺め≫ ヘンドリック・フランス・デ・コルト
・≪サビニ女たちの略奪≫ ウジェーヌ・ドラクロワ
他にラ・ペーニャやテオドール・ルソーの風景画もあり。ルソーの「風景」は、レンブラントの「三本の木」に着想を得た作品。私がレンブラントを好きになったのも「三本の木」の版画作品に出会ったのがきっかけだったと思い出した。

この中では、個人的に好きなメツーもお目当てだった。相変わらず小さな画面のメツーらしい風俗画。ドラクロワの≪サビニ女たちの略奪≫は習作だけれど、躍動的で線を色で表現するドラクロワの新しい表現方法がよく分かった。
後半はヴァヴェル城、ワルシャワ王宮に伝わる燭台、コーヒーセット、勲章などなど調度品や憲法まで出展されているが、注目はヴァヴェル城を飾る1550年から1560年制作のタペストリーの数々。ポーランドの紋章や国王のモノグラムなど王家の覇権を示すために制作されたのだろう。

第2章 19世紀ポーランド絵画
この章に出ている画家は一人も知らなかった。19世紀ポーランド絵画を観たこと自体初めて。前半は肖像画が続き、後半は風景や家族を題材とする作品が並んでいる。

・≪エミリア・ヴオォトコフスカの肖像≫ ユゼフ・シムラー
第2章では、マイベスト。貴族のような身なりをしている娘が描かれているが、実は裕福な商家の女性。当時、商人の中にも貴族のような暮らしぶりをしているものがあったことが分かる。それにしても、ドレスの豪華さ、室内の壁や装飾、真っ赤なカーペットとゴージャス。

・≪ユゼフ・ヤブウォノフスカの肖像≫ アロイジ・レイハン
・≪マクシミリアン・ロダコフスキの肖像≫ ヘンリク・ロダコフスキ
・≪自画像≫ ヤン・マティコ
・≪バニェンスキエ・スカウィ(処女の岩)≫ ヘンリク・グラビンスキ
・≪泉のほとり≫ ヘンリク・シュミラツキ
・≪ローマの田園風景≫ ヘンリク・シュミラツキ
ヘンリク・シュミラツキは古代史に興味があり、古代のモチーフを取り入れたり、人間を神話化した作品を制作。≪泉のほとり≫に描かれている女性の頭の上にある黒い壺に要注目。黒い壺に描かれた紋様を見ると、ローマ時代かそれ以前の壺を彷彿とさせる。

・≪3頭立てのトロイカ≫ ユゼフ・ヘウモンスキ
・≪雪≫ ユリアン・ファワト
・≪オーデルフェルト夫人と娘≫ ユゼフ・パンキェヴィチ
≪オーデルフェルト夫人と娘≫は、1900年のパリ万博で銀賞を受賞した作品。娘の愛らしさと手に持ったオレンジが目を引く。

第3章 ポーランドが生んだ偉人たち
・コペルニクスが観測に使用した天球儀
・ショパンとジョルジュ・サンドの直筆原稿
そして一番展示数が多かったのはキュリー夫人関連資料。当時の写真なども併せて展示されている。

この展覧会については、ブログ「Art&Bell by Tora」様が素晴らしい記事をアップされていますのでご紹介します。⇒ http://cardiac.exblog.jp/13896839/

また、展覧会のチラシをチケット売場で提示すると大人の場合、入館料1200円⇒1000円になります。
*展覧会ホームページにPDFでチラシ画像あり。

東京富士美術館まで足を運んだら、常設展も必ず観て欲しい。
こちらも、監視の方にお願いすれば作品リストをいただけます。
何度観ても好きなミレーの≪男の肖像≫≪鵞鳥番の娘≫をはじめ、ブーシェやフラゴナール≪豊饒な恵み≫、ゴルディジャーニ≪シルクのソファ≫、ブーグロー≪漁師の娘≫、フランス・ハルスにブリューゲル父子、クラーナハ(父)、モネ、ピサロ、シスレーらの印象派作品、ボナール≪若い女≫、ヴュイヤール≪夫人と子供≫、マグリット≪再開≫などなど時代を網羅した西洋絵画を鑑賞できる。
ちょうど「マン・レイ展」を観たばかりだったので、マン・レイの油彩が2点出ていたのが良かった。

*9月26日まで開催中。会期が短めなのでお見逃しなく!
なお、この展覧会は以下の通り巡回します。
サントリーミュージアム[天保山] 10月6日(水)~10月31日(日)
北九州市立美術館・分館     11月10日(水)~12月5日(日)
広島県立美術館     12月15日(水)~2011年1月12日(水)

「三菱が夢見た美術館 岩崎家と三菱ゆかりのコレクション」 三菱一号館美術館

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三菱一号館美術館で開催中の「三菱が夢見た美術館 岩崎家と三菱ゆかりのコレクション」展に行って来ました。

好評を博したマネ展に続いて、開館記念展第二弾です。
今回は110余年前に構想された「丸の内美術館」に思いを馳せつつ。三菱創始者の岩崎家や三菱ゆかりの諸施設が所蔵する名品を集め展観するもの。

構想段階で終わってしまった美術館の話って、国立西洋美術館の「フランク・ブラングィン」展の松方幸次郎正義と「共楽美術館」を思い出す。
「丸の内美術館」は、三菱二代目社長の岩崎彌之助(1851-1908)が、お雇い外国人の英国人建築家・ジョサイア・コンドルに設計を任せる。

冒頭にあるのは「丸の内美術館」計画のコンドルがひいた設計図面、1~2階の平面図と第一、二、三号館断面図など。明治20年代(1890年前後)に三菱は、政府により払い下げられた丸の内一帯を堅牢な事務所街にすると共に文化的な街にせんと美術館設立を企図した。前述の「共楽美術館」構想は大正5年(1916年)頃に始まっていることを考えると、それより約25年前に既に日本に美術館計画が持ち上がっていたことになる。

コンドルの図面(平面図)を観ると、展示室のほか、レクチャールーム、図書室、学芸員室、といった今日の美術館としての機能を十分に備えた計画となっていることに驚く。
これが、実現していたらさぞかし・・・と思うのだが、計画は実現せずに終わる。なぜ、実現しなかったのか展覧会では触れていなかったように記憶している。美術館の展覧会サイトを見ても理由についての記載がない。結局、実利に走ったということなのだろうか。
「共楽美術館」が幻に終わったのは、世界的な金融恐慌が引き金になっており、当時の社会情勢、経済情勢の影響をモロに受けたと結果なのだが、序章「丸の内美術館計画」では、そのあたりの事情がよく分からなかった。立派な図録に記載されていたのかもしれないが、購入せず館内でちらちらと目を通した時には見つからなかった。

第一章からの展覧会構成は次の通り。

第一章 三菱のコレクション:日本近代美術
第二章 岩崎家と文化:静嘉堂
第三章 岩崎家と文化:東洋文庫
第四章 人の中へ街の中へ:日本郵船と麒麟麦酒のデザイン
第五章 三菱のコレクション:西洋近代美術
終章  世紀を超えて:三菱が夢見た美術館

第一章
ここでは日本の近代洋画を中心とした三菱グループ企業および岩崎家ゆかりの個人所蔵作品が展示されている。展示替え作品が多いので、お目当ての作品がある方は要注意。

・山本芳翠 十二支シリーズ「牽牛星」(丑)、「殿中幼君の春駒」(午)、「祇王」(戌)の3点
十二支であるから、本来十二枚組であるが現存するのは「辰」と「卯」以外の10点で三菱重工業株式会社が所蔵している。その中から3点が出展。どうせなら全部出してくれれば良いのにと思った。
なかなか世の中に出てこない作品らしいので、レア度は高い。
二代目彌之助が三代目の誕生を喜んで山本芳翠に発注し、シリーズ化されたらしい。

・坂本繁二郎 「二仔馬」個人蔵
今回の企画展開催にあたり、新出された作品。同じく坂本作品で出展されている「うすれ日」と共に、1941年に画廊で発表された作品だと考えられている。
坂本のこの二点はとても良かった。

・岸田劉生 「童女像」(麗子花持てる」個人蔵 *チラシ掲載作品
これは過去に拝見したことがあると思う。麗子像は実に沢山描かれているが、この麗子はとても愛らしい。

第二章
静嘉堂には、ここ2年ほど通いつめたので何点かの作品は観たことがあった。未見作で印象深かった作品は次の通り。
・「龍虎図屏風」 橋本雅邦 明治28年
今回の私的ベスト1。ただでさえ、雅邦は好きなのにこの「龍虎図屏風」は中でも最高傑作ではないだろうか。そもそも雅邦の屏風絵というのを初めて見た。「皇室の名宝展」や東京藝術大学のコレクション展で巨大な掛幅作品は拝見したが、ド迫力の龍虎図屏風。虎の表情、口を半開きにした龍、そして特筆すべきは波の描き方。ダイナミックかつ明治時代という時代を象徴するように劇画調の作品であった。波の描写にも注目。

・「羅生門」奈良絵本
・「付喪茄子茶入」
いずれも10月3日までの展示。
全機関を通じて展示されている「周礼」の南宋の古典籍が素晴らしかった。

既に何度か拝見している作品では有名な国宝「曜変天目」や仁清の壺など出展あり。*展示期間要注意。

第三章
東洋文庫自体の存在を本展で初めて知った。元々静嘉堂も「静嘉堂文庫」として美術館とは別棟に文庫(書庫)が併設されているのに、更に東洋文庫もあったとは。もちろん、第三章での展示作品はほぼ全展初見。古典籍マニアにはたまらないコレクションであるが、古典籍に関心のない方だと、ここは早足で通り過ぎることになるかもしれない。

・「毛詩」
見かえしの黄色の小花や唐時代に書写されたとは思えない状態の良い書物、そして唐風の筆跡と見どころが多い。
・「論語集解」 
こちらも、美しい楷書に惚れ惚れした。

この他、赫本や東方見聞録、義経記、徒然草、コーラン、古地図など貴重な書物や文献が展示されている。同類のものを大阪の美術館他で拝見したことがあるので感慨は薄い。

第四章も日本郵船歴史博物館に行った際に観たものと同じでこちらも感動があまりない。キリンビールのポスターで「多田北島」がデザインしたものが多く、多田北島という人物とその仕事は気になった。

第五章 西洋近代美術
・ジャン=フランソワ・ミレー 「ミルク缶に水を注ぐ農婦」 個人蔵
この作品が個人蔵というから嫌になる。「格差社会」という四文字が頭に浮かんだ。

・カミーユ・ピサロ 「窓から見たエラニーの通り、ナナカマドの木」 個人蔵

*上記2点は9月26日までのみの展示。

・エドガー・ドガ 「ラファエルロの模写」 個人蔵
絵としてより、最初期作品として貴重。

・梅原龍三郎 「パリスの審判」 個人蔵
・ピエール・ボナール 「双心詩集」 三菱一号館美術館
・エドモン=フランソワ・アマン=ジャン 「婦人・秋」 個人蔵
・アルベール・マルケ 「トリエル・晴れた日」 個人蔵

全体としては物足りなかった。むしろ三菱グループの広告的側面を強く感じた。

*11月3日まで開催中。

「日本美術のヴィーナス-」 出光美術館

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出光美術館で9月12日まで開催中の「日本美術のヴィーナス-」に行って来ました。

出光美術館には毎回企画展の度に欠かさず行っているのに、ここ最近忙しさにかまけ、鑑賞記事をさぼっていました。毎回充実した内容の丁寧な展覧会をされていて、いつも楽しませていただいているのに反省しきり。

さて「日本美術のビーナス」展、サブタイトルは「浮世絵と近代美人画」とありますが、浮世絵というからてっきり版画の方かと思いきや、肉筆浮世絵てんこ盛りで版画の浮世絵はなし。さすがは出光美術館!これ程沢山の肉筆浮世絵のコレクションをお持ちとは。
何しろ、菱川師宣から安田雷州まで、江戸時代の絵師による肉筆美人画や風俗画が約30点ですから驚きました。
続く最終章では明治以後の近代日本画による美人画の競演。こちらは出光美術館所蔵作品だけでなく、京近美や東近美から貸し出された作品もあり、所蔵品だけでは物足りない所をしっかり補う所に毎回のことながら関心します。私立美術館は、どうしても自館の所蔵品だけでの展覧会だとマンネリ化してしまいますが、出光、サントリーあたりはこれを見事にクリアしているなと思います。

第一章 清涼の美人
・「普賢菩薩騎象図」 鎌倉時代 
鎌倉期の仏画だが、状態良く普賢菩薩の表情や着色がしっかりと残っている。細くカーブした眉、小さく赤い唇、わずかな微笑み、美貌の普賢。

・「更衣美人図」 喜多川歌麿 重文
歌麿の肉筆。匂い立つような色香。やっぱり、この人の絵は、女性の表情や仕草を描かせたら右にでるものはいないのではないか。これは着物を脱いでいる途中だろうか。左手を胸の前から右肩にかけて伸ばす、敢えて右手でなく左手を使わせている所が心憎いのだ。こういうクロス技が女っぽく見えることを知りつくしているように思う。

・「柳下納涼美人図」 勝川春章
・「蚊帳美人図」 鳥文斎栄之
これらは特にお気に入り。納涼美人図などに観る美人の着物が夏らしく薄物で、季節感にあふれている。こういう美人図を観ていると、つくづく日本の季節というのを感じさせられる。最近の酷暑続きを思うに、日本の季節感、いや地球自体がどこか狂い出しているようで怖い。

第二章 古雅の幻影
・「石橋図」 礒田湖龍斎
ししがしらと牡丹を手に舞う女。

・「娘と童子図」 喜多川歌麿
ここでまた歌麿さまの肉筆画が登場。娘の着物の緑のグラデーションがあまりにも美しい。それだけではない。この作品は醍醐寺の「訶梨帝母像」に着想を得ているのではないかと解説にありましたが、言われてみれば、なるほどと納得できる点が多々あり。歌麿作品と仏画の関連性は非常に興味深いテーマ。

・「月下歩行美人図」葛飾北斎
北斎は何を描かせても上手い。この肉筆画は月を大きく背にして、下に行くほどボリュームを出した美人を描く。構図が絶妙。

ここでは、以前、たばこと塩の博物館で開催された「近世初期風俗画 躍動と快楽」で観て好きになった「桜下断弦図屏風」も出ていて嬉しい。

第三章 美人たちの遊宴
・「遊楽人物図貼付屏風」 菱川師宣 六曲一双
菱川師宣の初期風俗図も良いですね。あのちまちまっとした所とそれでいて細部もしっかり描けていて。

・「傾城舟遊図」蹄斎北馬 
・「五節句図」 蹄斎北馬
北斎の弟子の中ではこの蹄斎北馬と魚屋北渓、娘の応為が好き。

「江戸風俗図巻」は菱川師宣の工房作とあったが、やはり、こちらとしては工房作なのか師宣単独の仕事なのか見て取ることはできず。同じ手によるものとしか見えないのだった。

第四章 伝統美と革新のあいだ

上村松園の美人画が3点並ぶ。「艶容」「静かなる夜」「青葉」。いずれも個人蔵なのか作品リストに所蔵先の記載がない。いずれも、他で観たことはなく初見。明日から東京国立近代美術館で「上村松園」展が開催されるが、これらの作品の出展は恐らくないのだろう。

北野恒富 「いとさん こいさん」京都市美術館、「戯れ」東京国立近代美術館
北野恒富の作品はなかなか拝見する機会がない。
「いとさん こいさん」は北野の第1回帝国美術院展作品として著名。しかし、個人的には「戯れ」の清々しい楓の緑葉と深い緑の鹿の子絞り着物、そして半襟の赤色との対比が見事。すっかりやられてしまった。絵の前でぼ~っと立ち尽くすこと数分。印刷では味わえない絵具の美しさ、実作品に会えてこその感動。

この後は鏑木清方「隅田川舟遊」東京国立近代美術館、小杉放菴の出光所蔵作品が並ぶ。

美人は涼を呼ぶのか。観終わった後、幾分暑さが和らいだ気がしたのは私だけではないだろう。

*9月12日(日)まで開催中。

「高島野十郎と同時代作家展」 銀座美術館

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銀座美術館と聞いてピンと来る方は相当な美術通かもしれません。

かくいう私も銀座に美術館があるなんて今回の展覧会で初めて知りました。
場所は、銀座和光の裏手、シネスイッチの道を挟んだ向かいに入口があります。
NPO法人文化芸術機構が主催しておられるようです。銀座美術館についての詳細はこちら

現在、この銀座美術館で「高島野十郎と同時代作家展」が9月11日(土)まで開催されています。
高島野十郎(1890-1975)は、福岡県出身の画家でろうそくを描いた絵などの写実的な絵画で知られたのは没後のこと。東京大学農学部水産学科を首席で卒業し、数年後、もとより望んだ道であった絵画の制作に専念します。独学で学習するも1929年に兄の援助もあり渡欧しルネサンス期の画家の作品に影響を受け、帰国。85歳で亡くなるまで、終生家族を持たず、画壇とも一切関わらず隠者のような孤高の人生を送りました。

2003年に柏市(柏市にアトリエを構えていた)、2006年に三鷹市で回顧展が開催されましたが、私はいずれも拝見できておらず、福岡県立美術館や国内の展覧会で出品される作品を数回拝見しただけです。

今回は高島野十郎作品の作品約30点と同時代作家として藤田嗣治、児島善三郎、梅原龍三郎、中川一政、岸田劉生、荻須高徳らの作品と紹介するものです。
しかしながら、銀座会場はやや手狭なため、上記の同時代作家の作品は通常スペースにはなく、奥の執務室に展示されていたため入りづらく、こちらは拝見しませんでした。

30点もの野十郎の作品を観るのは初めてですが、終始一貫して作風に変化がないように思われました。
「蝋燭」の絵だけでも4点程あったでしょうか。
モチーフとしているものにも偏りがあり、蝋燭の他には月や静物主題、例えばリンゴやブドウといったものが多く扱われています。

以下印象に残った作品タイトルを挙げます。
・「林辺太陽」1967年
・「流」1965年
☆「からすうり」
☆「静物」1955年
・「雨-法隆寺塔」
・「夕方」1961年
・「満月」1963年
・「パイプ」
・「リンゴとぶどう」
☆「静物」
・「柿」
・「山辺の春」1949年
☆「月」
・「雪景」

☆印は特にお気に入りです。

「月」は、画面半分を覆う黒い木々の上にぽっかりと白い月が光をたたえています。
辺りの空気や静けさがこちらにまで伝わる静謐な画面でした。
「雪景」はスーラの点描を思わせるような細かな筆致で、雪が白い小さな丸で延々と描き連ねられており、非常に緻密な描き込み、それはどの作品にも言えますが、本作品でも人影はなくただただ静かに降り積もる雪景色。

高島野十郎の作品には禅的な要素や抑制のきいた「静」を感じます。
作品を観ていると、いつの間にか自分の心も静まってくる、そんな力が作品にありました。

なお、作品リストはありませんが展示作品の図録(1000円)が販売されています。

*9月11日(土)まで開催中。入場無料。会期中 日・祝無休 18時閉館です。

「城戸 保 展」 ギャルリー東京ユマニテ

ギャルリー東京ユマニテで開催されていた「城戸 保 展」の最終日(9/4)に行って来ました。
詳細はこちら(ギャラリーHP)。

城戸保さん、お名前だけを聞いた時にはピンと来なかったが、昨年、愛知県美術館で開催された「放課後のはらっぱ-櫃田伸也とその教え子たち-」に写真を出展されていた方と聞いて、すぐに思い出した。
はらっぱ展で出展されていた写真作品が好印象だったことは、しっかりと私の記憶に残っていたのである。

個展開催を知ったのは最終日。何を見て個展開催を知ったのか思い出せないがとにかく駆け付ける。
城戸保(敬称略)は1974年三重県生まれ、2002年に愛知県立芸術大学大学院美術研修科修了とまだ若い。
そして、ギャラリーのサイトにあるように、写真は独学で学んだ。

ユマニテは過去に1度しか入ったことがないが、かなり広いスペースを持っている。
その白い壁に、ゼラチンシルバープリントの写真が30点並んでいた。

1点、1点丹念に追っていく。
サイズは様々、どうやら日常で見かけたものにカメラを向けているようなのだが、その実、作品としては非日常的であることにまず驚く。
これは「絵画なのか写真なのか」と思った作品が何点もあった。
縁なしで焼き付けたプリントは、白と黒のみで構成されているが、こんなにも黒に表情があったのかと痛感させられる。それは、単なる光と影の対比というものではなかった。

「fall」という一筋の滝の写真に釘付けになった。
那智の滝だろうか?
背景をギリギリまで黒く落とし込み、滝壺から落ちる水の様子を白で鮮明に表出。
これ以上でもこれ以下であってもいけない黒の色だ。
この黒があるからこそ、滝の白さが光って眼前に迫る。

逆に白の背景に黒の対象、鶏だったかを捉えた写真もあったり。

どの写真にも言えるのは非常に絵画的な写真だということだろうか。

私が写真に近頃はまり始めたきっかけは、1920年代頃の写真家による作品だった。中山岩太や安井仲治、福原路草に福原信三は大好き、野島康三はやや苦手だが、彼らの写真にすっかり引き込まれている現在。
好きが嵩じて、9/3の夜に吉祥寺の「百年」という古書店で開催された光田由里(松涛美術館学芸員)×町口覚(グラフィックデザイナー)の「写真、芸術との界面に」と題した対談を聴講して来た折も折、今回の個展と出会えたことは非常な幸運だったと思う。

一昨晩の対談で、過去の写真家や作品を吸収して自ら新しいものを生み出していく。バトンを受け渡すかのように時間軸の中でバトンを繋いで行って欲しいという話があった。

1974年生まれの城戸の写真を見ていると、私の大好きな上記1920年代の写真家たちのバトンを見事に繋いでくれている。。
印画紙の問題などもあって、ゼラチンシルバープリントも危機を迎える昨今、1920年代の写真芸術を彷彿とさせるようなそれでいて、新しい表現を見せていただいた。

黒と白の際限ない美しさに感動しただけでなく、被写体の捉え方、構図が見事。絵画のような写真、いやむしろ絵画では表現できない写真ならではの色合いとマテリアルの美しさも加わっていたように思う。

最終日だったこともあり、城戸さんが在廊されていたので少しだけお話を伺った。

写真は高校生の頃から好きだったが、愛知芸大油画専攻に入学し、時間もできたため好きな写真に取り組み始めた。
何枚も何枚も写真を焼いて、今回の黒を見つけたという。
写真は自分にとって魔術。

唯一、フラッシュをたいて撮ったというヤモリの小さな写真も忘れられない。あの1枚だけ諧調が違っていた。

*本展は既に終了しています。

「水木しげる妖怪図鑑」 兵庫県立美術館

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兵庫県立美術館で10月3日まで開催中の「水木しげる妖怪図鑑」に行って来ました。

現在NHK朝の連続ドラマで『ゲゲゲの女房』放映中で、今年は水木しげるは画業60周年で米寿を迎える。これを記念して、彼とそのヒット作『ゲゲゲの鬼太郎』関係の展覧会が各地でいくつか開かれている。

本展は、水木プロダクションの全面協力のもと、長年描き続けた妖怪画にスポットを当て、原画の中から妖怪88種
(米寿=88歳だからだろう)と鬼太郎を描いたものを精選し、脅威と幻想に満ちた水木ワールドの神髄を見せるというものです。
春先に「東京アートアンティーク」関連の講演で兵庫県立美術館の蓑館長が「今年一番オススメなのは、水木しげる妖怪図鑑」とおっしゃっていた展覧会。

室町時代から江戸時代の絵巻物を見ていると、実に様々な妖怪が登場し、しかも怖い筈の妖怪たちは絵巻物の中でどこか愛嬌があり、憎めない存在だ。
小さい時は、『ゲゲゲの鬼太郎』は苦手で怖いからあまり観ないようにしていたのに、古典に登場する妖怪や京極夏彦の「百鬼夜行シリーズ」長編推理小説を愛読するうちに、いつの間にか妖怪好きになっていた。

展覧会構成と感想は次の通り。

第1章 水木しげるの妖怪図鑑
88種の厳選された妖怪の原画や立体(ブロンズ)がミッチリ展示されている。全ての妖怪について、特徴を簡単にキャプションで説明しているため、全てをしっかり読んでいるとかなりの時間を要す。混雑していると聞くが、キャプションを読んでいるため、列がなかなか進まないのだろう。

お馴染の「一つ目小僧」「提灯お岩」「百目」などや懐かしの「口裂け女」などの妖怪もあれば、知らない妖怪も沢山。「コロボックル」が妖怪として登場していたのは意外だった。あれは妖怪だったの?私はてっきり妖精だと思っていたのだが。。。佐藤さとるさんのコロボックルシリーズ愛読者としては、ショックだった。イメージがやや崩壊。

第2章 鬼太郎の秘密

この章では人気漫画『ゲゲゲの鬼太郎』が生まれたきっかけを原画やパネルで紹介。当時の出版物も展示されていたと記憶しているが、作品リストには掲載されていない。

この展覧会では作品リストだけでなく「観賞用ワークシート」(A3二つ折り)が用意されているが、ワークシートの出来栄えがすこぶる良い。
それによれば、第2章は『ゲゲゲの鬼太郎』に登場するキャラクターにせまろう!!と記され。登場キャラが紹介されている。
冒頭に書いた通り、私はTV版はもちろんマンガ連載中のものも読んでいないため、鬼太郎についてそれ程詳しくない。それでも、鬼太郎のお父さんやお母さんのキャラを見て、「そういえば、このキャラを見たことがある」と思いだした。目玉おやじやねずみ男、子泣き爺、ねこ娘あたりは、さすがに知ってたけど、目玉おやじが鬼太郎の生まれる直前に死んだ父親の死体からこぼれ落ちた目玉だったとは。
更に、連載マンガではラストシーンで南の国で鬼太郎は、現地の女性と結婚する。えっ、そうだったの的な私にとっては鬼太郎トリビアなコーナーだった。
南の島に行くあたりは、水木しげるが戦時中南洋諸島で従軍していた経験によることから発想されたのではないかと解説にあった。

傷痍軍人であった水木しげるの人生についても年表などと共に若干紹介されている。

第3章 江戸時代の妖怪たち

ここでは、江戸時代に描かれた妖怪の作品、浮世絵や絵巻が紹介されている。
3期に分けて、期間限定展示の作品が多いので、お目当ての作品があれば、その展示期間に注意が必要。私はA期間(7/31~8/29)の展示作品を鑑賞した。

浮世絵は、国芳や北斎の「百物語」シリーズなど何度か目にした作品も多かったが、月岡芳年「百鬼夜行」川崎市民ミュージアムや小布施の高井鴻山「酒宴妖怪図」「雨中妖怪図」小布施町高井鴻山記念館、「もののけ図」中右瑛氏蔵、は初見。

絵巻は「神農絵巻」「付喪神絵巻(非情成仏絵)」岐阜・崇福寺や西尾の岩瀬文庫蔵「百夜行之図」など出、版本と合わせて展されているが、こちらは既に観たことがある作品も多くちょっと物足りなかった。
Bの展示期間(8/31~10/3)には、伊藤若冲「付喪神図」が展示される。

これで一旦展覧会は終了だが、この後に待ち構えるのは模型展示「ゲゲゲの森の大冒険」コーナーで、水木原画を立体化した妖怪たちがオバケ屋敷宜しく登場する。
子供たちは大騒ぎで大人気のコーナー。と言いつつ私もかなり楽しんだ。


常設展示では、関西では初お目見え?束芋の「dollhullouse」や金氏徹平展「GHOST IN THE MUSEUM」の特集展示もあり。後者は、作品を触って鑑賞するという試みを行っている。
私の一番のお気に入りは、金山平三《夏の海》だった。この季節に相応しい作品。

*10月3日まで開催中。

「石上純也展 建築はどこまで小さく、あるいは、どこまで大きくひろがっていくのだろうか?」 資生堂ギャラリー

資生堂ギャラリーで開催中の「石上純也展 建築はどこまで小さく、あるいは、どこまで大きくひろがっていくのだろうか?」に行って来ました。

私が行ったのは、8月28日の夕方頃。
ちょうどその日の深夜、日付をまたぐ頃、今年の第12回ベネチアビエンナーレ国際建築展・企画展示部門で最優秀賞の金獅子賞に選ばれるというビッグニュースが流れたのだった。
今回の展覧会は、模型を使って石上氏の建築に対する考えのうち主要なもの60を伝えるというもの。

今からさかのぼること5ヶ月ほど前、今年の3月21日に資生堂ギャラリーにて
90周年記念対談「建築の可能性」
石上純也(建築家)×山田章一(物理学者)
モデレーター:五十嵐太郎(建築家・建築史家)
を聴講していた。

対談の内容については、元BRUTUS副編集長の鈴木氏のブログ「フクヘン」で紹介されている。以下。
http://fukuhen.lammfromm.jp/?p=4358

再度その対談の内容を振り返ってみる。石上氏が語られた内容を自分のメモを元に適宜表現を簡略し、以下の通り書き連ねてみた。

石上:自分が見たことのない世界を切り開くひとつの道具として建築をやっている。

・2007年の東京都現代美術館での四角い風船
金属の内側にヘリウムで浮かせる。浮くという条件を考えた時に、どういう形が見えてくるかに興味がある。1tもあるのに浮く。光を反射して場を変える。
四角いものを四角い空間に浮かせて、何が見えてくるか、存在感により空間を切り替える。抽象性と新しい自然さを考えて行きながら建築を捉える。

・山田氏との対談で。
石上:想像できてしまうのは面白くない。物理的に新しい空間を創り出すことに興味がある。

山田:同じ現象を違うdisciplineで学習して来た人が見ると違う。

石上:法則が見えないように作ることに関心がある。ヨーロッパの剪定の仕方は人工的で、日本の植栽や剪定は自然に見える。非対称や敢えて自然に見えるようにする方が逆に人工的ではないか。
建築の構造は非常に重要な役割を果たし。構造そのものが空間として成り立つようなもの。
物理は何かの現象を数式に置き換える。どういうところから数式のイメージが湧いてくるのか?
見えないもやもやとしたものを数式にするのか?

山田:自然界の法則はひとつ。与えられた空間で条件を考える。コップは端っこで起こることを端的に表す⇒現象論。
宇宙物理学は、地球上で知られている物理法則が宇宙でも成り立つと仮定し、宇宙で起こる様々な現象を理解するとともに、あわよくば地球上では知られていない物理法則を見つけることを究極の目的としている。
物理法則を極めるとなのが起こるかをやっているのが自分の研究。

五十嵐:条件の限界値を超える。ルールに則って行けば、どこまでも広がって行けると思っている。

石上:物理で言う「空間」の大きい小さいはどこまでか?

山田:物理では大きい方は極限がない。小さい方はプランクスケール(時空の概念がなくなる所)。つまり、0から無限大。

石上:境界線をどこでとらえるのか?

山田:137億プラスマイナス1(?メモが怪しい)。宇宙は光速と寿命の間の距離。100億光年。
星と星の間は満たされていない。暗黒エネルギーが70%でこれは押す方向に働く。暗黒物質30%、光っていなくて見えない。宇宙に隙間はなく、宇宙の外側はない。暗黒エネルギー=真空エネルギー。

石上:宇宙空間に水族館を作ったらどうなる?宇宙の中に水たまりを作るとしたら?どういう条件で作れるか。

石上:今一番興味があるのはschale。flameを考える。
建築のフィールドを超える所はあるが、そこを超えるとどうなるかに興味がある。建築の境界線はどこにあるのか?
式を設定するのと同じレベル。仮説をもとに大きなものを作り上げていく。自分の生活感が変わるような建築のflameも変えていかなければならない。共に変わって行く。拡張した建築とミニマムな建築。

単語の羅列になってしまったが、単語だけでも今回の資生堂ギャラリーにおける展示内容を対談内容に即したものであることが十分にわかる。
私にとって、展示されていた小さな模型は、この「建築の可能性」対談内容を様々なケースをもとに見せてもらったという印象だった。「こういうことだったのか」と対談の中身を思い出しつつ合点が行った。対談を聴いた時には、あまりにスケールの大きな話でピンと来なかったり、頭の遠くで聴いていたような気がするが、こうして模型を観て行くことで、対談時のお話の意図が明確になった。

特に建築の境界線はどこにあるのか?

この問いについての試みは、例えば「地平線を考える」という範囲にまで及び、建築というフィールドの無限性に挑戦する姿勢の現れであった。
至近な所で、振り返ってみると「毎日雨が降っている家」のプランが気になった。そんな家があったらどうなるんだろう?我が身において考えてしまった。確かにしとしと降る雨音は嫌いじゃないけれど、たまにだから良いんじゃないかとか、自分の家の敷地内だけ雨で、一歩外に出たらピーカン天気っていうのも楽しいかなとか。

極端過ぎるんだけれど、可能性を考えるのであれば、極端にならざるを得ないのか。

模型も手描きのデッサンも繊細でとても儚げ。展示台と展示台のスペースが狭いので、要注意。模型ごとのキャプションも小さいので、混雑してくるとなかなか前に進めないと思う。

豊田市美術館でも「石上純也展」が9月18日~12月26日まで開催される。こちらでは、ベネチア国際建築展で出展した作品を縮小したものが再現されるとのこと。どんな内容になるのか楽しみ。

*10月17日まで開催中。

「時の遊園地」展・「ザ・風景」展 名古屋ボストン美術館

遊園地

名古屋ボストン美術館で9月12日まで開催中の「時の遊園地」展と「ザ・風景」展に行って来ました。

あいちトリエンナーレ2010も良いのですが、愛知県内、近郊の美術館をこの機会に回られるというのもオススメです。
名古屋ボストン美術館は、アメリカのボストン美術館所蔵作品が貸出され、展示されている国内では貴重な美術館。今期、9月12日までは「風景」をテーマにしたアメリカの現代絵画の「ザ・風景」展と今回ご紹介する「時の遊園地」展が開催されています。なお、この後はボストン美術館所蔵の浮世絵展が開催されます(現在、神戸市立博物館で開催されている。)。

さて、「時の遊園地」展は、櫃田伸也氏をアドバイザーに迎え、今名古屋で紹介したい作家6名による展覧会となっている。出品作家6名は次の通り。
大庭大介、川見俊、小島久弥、鈴木敦子、櫃田伸也、村上綾 (アイウエオ順)
展覧会の詳細はこちら

櫃田氏と言えば、あいちトリエンナーレプレ企画として愛知県美術館で開催された「放課後のはらっぱ展」での記憶が新しい。
今回も、監修者の裁量が功を奏したか、6名の作家の作品が上手く調和した居心地の良い展示空間が出来上がっていた。
各作家の個性が、対立せず微妙なバランスで調和するということは簡単なようでいて、実は難しい。どこかで互いの個性が拮抗してしまったり、主張し過ぎてしまったりといったケースは結構ある。

村上綾は、コラージュ技法を使って、≪Vanished Landscape≫2010年を制作。彼女の場合、作風自体がまだまだ未完成な部分もあるかもしれないが、自分に任された展示壁一面を使って、はかなげな彼女の世界を創出していた。

鈴木敦子の絵画にも惹かれた。抑えた淡いトーンの色彩で、和服の紋様が思い浮かぶような同じパターンのモチーフが繰り返しされる画面。単調でありながら、テキスタイルで感じるような心地よいリズム感がある。

大庭大介は、今年のVOCA展にも入選し、今や人気作家のひとりと言える。今回は新作2点(左右1対でキャンバスは合計4つ)。≪SPIRAL≫シリーズで、大きな画面のものは過去にも観ているが、ここでは小さいサイズ(48×48)を展示していたのが新鮮だった。
キャプションにあった彼の言葉が素敵だった。
 「水を掬すれば月、手にあり
 花を弄すれば、香衣に満つ」
何かと何かの関係で生かされている。
 
川見俊も同じく2009年のVOCA展に入選、今年は大活躍で現在東京では初台のオペラシティで「project N」(詳細以下)でも個展が、あいちトリエンナーレ2010:長者町会場にも参加している。
http://www.operacity.jp/ag/exh122.php
本展でも4点の新作を展示。《石仏31》2010年の後ろ姿?のような仏像がペンキで描かれている。ペンキ!

最後を締めるのは小島久弥(1957年生まれ)。
出品作家の中では櫃田伸也に続くベテラン。しかし、彼の作品はとても良かった。小学生の頃に描いたクレヨン画を再度再生(描き起こした)作品。
そして、展示室最奥にあった≪World≫2008年は、とても美しいオブジェで、今回の展覧会を見事に締めくくっていた。

「ザ・風景」展ではアメリカ現代作家の描く風景にもマッチした内容でした。

*9月12日まで開催中。

「横尾忠則 全ポスター」展  国立国際美術館

yokoo

国立国際美術館で9月12日まで開催中の「横尾忠則 全ポスター」展に行って来ました。

横尾忠則(1936年生まれ)がポスター制作を始めたのは、彼が兵庫県の西脇高校に在学していた頃だという。
それから、現在に至るまで作ったポスターは何と800点を超える。

本展覧会は国内で初めてとなる、横尾忠則半世紀にわたる全ポスターを網羅した展覧会です。

800点を超えるポスターが展示されている空間を想像できるだろうか。
私も国立国際美術館の地下3階展示室に入るまで、思い描くことができなかった。
ブログ「Art&The City」さんの情報によれば、「めまいがするような空間」だったと聞いて覚悟はしていたが、まさかこれ程とは!

私の場合、強い興奮を覚え、興奮のあまりくらくらするより、目の前にガンガン現れる極彩色のポスターに食いついて行ったというところだろうか。
以前は横尾さんの作品が苦手だったのに、昨年、金沢21世紀美術館で「未完の横尾忠則-君のものは僕のもの、僕のものは僕のもの」展を観て突如開眼。続く、日本橋の西村画廊で開催された個展「東京y字路」を拝見して、ますます思いは募る。
遅咲きの開眼でお恥ずかしい限りだが、今回の全ポスター展もまた素晴らしかった。
作品もさることながら、展示の方法も上手く、例えば、階段状にポスターがぶら下がっていて両面で楽しめたりと、観ていてワクワクする。
観ていて高揚してくる展覧会というのは本当に嬉しい。

最初の展示室は1960年代のポスターから展示されている。
まず、これがツボにはまった理由。1960年代生まれとしては、このポスター展=自分が生きてきた時代そのものだったのだ。
1960年代から始まってくれたおかげで、生まれおちてから現在に至るまで、社会、世相、流行、文化、風俗、生活などが、ポスター1点1点に凝縮されていた。
懐かしい気持ちにさせられることが何度もあり、横尾さんのポスターをそれと知らずに、小さい頃から見かけていたのだと知る。結構そういうポスターが沢山あった。これも観たことある、あ、これも~と。

横尾さんのポスターは、そうした時代を背に受けて制作されているだけではなく、そのエキスをポスターデザインに如何に上手く取り入れてきたかを痛感し、またその才能に魅了されてしまったのだ。

以前はドギツイと思っていたものが、今ではそう感じなくなっているのが不思議。
特に感動したのは、古典作品の引用の巧みさ。
背景に使用されている波文様は北斎の浮世絵「富嶽三十六景・ 神奈川沖 浪裏 」から触発されたイメージなのかなと思ったり、イメージをデザイン化する手法は実に様々で、それが最大の魅力だった。

「画家宣言」を行って以後の作品の一部は、ポスターと本画を並列して展示されていたため、印刷物としてのポスターと本画を自分の目で比較することもできる。

最後の展示室では、小川のせせらぎの音が聞こえてきた。
監視員の方に音の正体を確認したら、冒頭にも書いた横尾さんの故郷:西脇に流れる川の音なのだそう。
作家の意向で川の音をBGMに流している最後の展示室には、高校時代から、すなわち1950年代に制作したポスターが展示されている。
1960年代から始まった横尾忠則のポスターによる旅は、原点である1950年代にラストで戻って来るのだ。
この構成の粋なこと!

1950年代のポスターは、これまで観てきたものとは大きく異なる。
当時の流行だったのだろうか、ロシアアヴァンギャルド風というか、バウハウス風というか、モダニスム名残を留めていた。
すべてはここから始まったのか。

800点を超える作品に翻弄、感動した展覧会だった。

*9月12日まで開催中。オススメします。
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