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「DOMANI・明日展2010」 国立新美術館

1月最後の日。この展覧会について鑑賞記録にも書いていないことを思い出した。
東京藝大の卒展・修了制作展やら他にも書いていないものが僅かにあるけれど、既に1月23日に終了した「DOMANI・明日展2010」について振り返ります。

文化庁が実施する若手芸術家を海外に派遣し、その専門とする分野について研修の機会を提供する「在外研修(新進芸術家海外研修制度)」を終えた作家の中から毎年数名選抜され、その成果や現在の作品についてを披露する展覧会。今年は12名の作家が選ばれているが、派遣された年はまちまちで、若手からベテランまで幅広い。

印象に残った作家のみ感想を続ける。
・三好耕三
昨年のVACANTでの展示が素晴らしかった三好さん。これまで中堅と言っては失礼かもしれないが、主に海外の美術館が彼の写真を収蔵していたりと国内で大きく取り上げられることがなかったように思う。私はまだ写真を見始めるようになって日が浅いので、間違っていたらご容赦ください。

今回は、サボテンや桜のモチーフのゼラチンシルバープリントが並ぶ。
サボテンの写真が良かった。

・流麻二果
彼女も昨年、東京ユマニテで個展を拝見した。今回の展示もその延長線上にあるように感じた。流さんに関しては、私個人としては油彩より、インクや紙、糸、毛糸などを使用したドローイング風ミクストメディアが好み。本展では特大サイズでつなげたものを拝見できたのが良かった。ギャラリーではその一部、パーツを観ただけだったので、あのようにつなげていくとどれだけでもサイズは広がる。

・神戸智行
若手の日本画家。今ではかなりの人気で作品のお値段もうなぎのぼり。
今回は空間を上手く利用した日本画インスタレーションを展開。壁の使い方が上手かった。
作品はお馴染の水辺のいきものを描いた作品やら。生きものモチーフが特色。そう、ピンクの花びらも散っていた。

・近藤聡乃
本展での一番の収穫は彼女の存在を知ったこと。お名前は何度か耳にしてはいたが、作品は初めて拝見した。
アニメーション「てんとうむしのおとむらい」が1本だったのはさびしかったが、奥に大量のスケッチがあって、映像とその過程の一部を一度に見ることができたのは良かった。
アニメーションは2005円~2006年の作品だったので、最新作がもう1本欲しかった。

・町田久美
西村画廊での個展を拝見したばかり。今回は旧作中心。一点だけ新作があったのかな。

・山口紀子
知らない作家さんだったが、美しいペーパークラフト。こういった作品には久々に巡り合った気がする。

・古郷秀一
どっしりとした存在感ある木彫と鉄のオブジェ。
圧倒的な力強さ。もう少しゆったりしたスペースで彼の作品世界に浸りたいと思った。鉄と木が上手く共鳴しそうな気がする。

*既に展覧会は終了しています。
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「暴力と宇宙」 island ATRIUM

暴力と宇宙

千葉県柏市のisland ATRIUMで2月6日まで開催中の「暴力と宇宙」に行って来ました。

詳細はこちら。(ギャラリーサイトへ)

泉太郎、遠藤一郎、遠藤利克、水谷一の4名による展示。

各作家の紹介は上記ギャラリーサイトに委ねるとして、感想を。

今回の展示は、各作家に「暴力と宇宙」というお題で作品制作を依頼した訳ではないので、私が一番悩んだのは展覧会タイトルと作品との関連性だった。
それが、上手く結びつかなくてたまたまキュレーションをされた水谷氏が在廊されていたので、お話を伺ったが、特にこの作家の作品が暴力的で、とか宇宙的でとか決めて鑑賞する必要はない。むしろ、そういう見方からの解放を目指した展示なのかなとお話を伺っていて感じました。

見るものを突き放すような作品であるようにも思えるし、一旦馴染んでしまえばどこまでも・・・といった展覧会だった。

なので、暴力も宇宙も忘れて、好き勝手に感想を書いてみようと。

遠藤利克の作品は、粘土を使ったオブジェ。
私にとって一番難解だったのは彼の作品でした。作品は1階に1つ、2階最奥に1つ。
「空洞説2011-island」と「鏡像段階説-器」。
火や水を使用した作品をこれまで手がけてきた遠藤利克が今回使用したのは土。クレイ。
彼は四元素に挑戦するのだろうか。
1階の作品は、うらわ美術館で昨年拝見した作品にやや似通っているものの、2階の器はまさしく弥生土器のような大きな壺が鏡の前にある。
はたして、この前で何を思うか。

泉太郎は相変わらず上手い。
映像の見せ方と構成は特に秀逸。今回は映し出された映像は一見ラフなんだけれど、実は非常によく考えられている作品であることが観ているうちに分かってくる。
5つのスクリーンの連鎖。時間軸、空間の増幅感みたいなものを感じた。
天井のペインティングは、展示が終わったら消すのだろうな。ランダムだし、雑だし。、色もバラバラなのに、でも真っ白な天井よりあのハードな空間に合っている。

水谷一さんの作品は初めて拝見、いや体験した。
今回の新作は「告白」2011年。
展示は1人ずつしか観ることができない。約10分間程度必要。ネタばれになってしまうので、これ以上は書かないけれど、彼の作品と泉太郎の作品は特に良かった。

見ること、見えないこと、聴こえないこと、音のない世界。「消失」ではなく「告白」新たに何かが始まる予感。
そう、新しいものが生まれてくるような印象を受けた作品だった。

遠藤一郎は、現在秋葉原や今日まで吉祥寺のon goingでも作品の展示をしていて、スタンプラリーカードが作品の横に置かれていたが、既に展示を終了しているものもあるため、全てのスタンプを集めることは今日の時点では不可能だった。

彼の作品も初めて接した。高橋瑞木さんの著書で、遠藤氏とのインタビュー記事を拝見してどんな作家さんなのかおぼろげながら分かったような気がしていたが、やっぱり分からず。
今回の「アナザーライン」は、過去のパフォーマンスの記録を静止した作品で見せていると思ったが、果たしてその読み取り方で良いのか。

中身のない抜け殻のような作業着の連続は、元の身体、主を探しているような危うさがあった。浮遊しているというのか。遠藤一郎さんのパフォーマンスは一度観たい。
秋葉原3331の展示も忘れずに行かなければ。

2月6日まで開催中。

2011年1月11日~1月29日 鑑賞記録 ギャラリー編

1月も残りあと数日。あけましておめでとうございます・・・と交わしたのは遠い過去のことのように感じる。
約1週間前に鑑賞記録<美術館・博物館編>をアップしたが、ギャラリーの鑑賞記録をまるで書いていないことに気付いた。

記事にしていないギャラリーの展示をまとめて振り返ります。順不同。

・世界のブックデザイン 2009-10 印刷物博物館 P&Pギャラリー 1/23に終了
毎年恒例で開催されているようだが、私は今年初めて行った。毎年3月のライプツィヒで公開される「世界で最も美しい本」コンクールの入選と書とともに、上位入賞の常連である日本、ドイツ、オランダ、スイス、フランス、オーストラリア、中国を加えた7カ国の優れたデザインの書籍約240冊!を紹介している。
実際に本を手にとって眺めることができるので、全てのページを確かめることができるのが素晴らしい。ケースにおさまってしまうと、開かれた部分しか観ることができないからだ。

最初に置かれていた金賞?大賞?をとったドイツ(だったと思う)の書籍は素晴らしかった。印刷も装丁も内容も、あれは写真集とは違ったと思うが、写真がふんだん入っていたと記憶している。
日本では、町口覚氏がデザインした北野謙 写真集 「溶游する都市」と慶應義塾大学出版会「瀧口修造1958-旅する眼差し」が気になった。というか欲しい。
この展覧会は危険であった、手にとって触れるのは大きな魅力だが欲しくなってしまうのである。物欲に要注意。
あと、中国の本の装丁や使用されている紙の特質が印象深い。
お国柄というものが、かなり強く反映するなと思った。

・金村修写真展「アンクル・チアノーゼ・ミート」ギャラリーメスタージャ 2/5まで
水道橋と神保町のちょうど中間あたりにあるギャラリー。初めて行った。そして、金村修さんのオリジナルプリントも初めて拝見した。
大判の額装されていない写真が縦に2枚ずつつずらりと並ぶ。圧倒的なモノクロの世界で、撮影地は東京だろうか?何気ない風景、ピント、構図、この1枚!という写真はなかったけれど、一連のシリーズとして観て行くと一貫した視点というものを感じた。

・ミノリ/minori 「ふんでいい色」 MEGUMI OGITA GALLERY Showcase  1/29に終了
愛知県芸の出身若手画家で今回が初個展となる。新作、旧作約5点程展示されていたが、まだ方向性が定まっておらず、何をしたいのかが伝わって来なかった。個人的には旧作のDMで使用されている作品が好きだったけれど、真作は層を重ねたような抽象画になっていた。

・町田久美 「Stories from a Cold Country」西村画廊 2/5まで
文化庁在外研修(デンマーク、2008-09)後初となる個展。ドローイングや版画含めて28点程の作品を展示。最後の大作はまだ完成していないようで、今日か来週頭には展示されている筈とのことだった。
これまでに雲肌麻紙に墨を使用した作品だけでなく、今回は通常のキャンバスに日本画の画材を使用して描いた小品、本当に小さい作品が何点かあって、それらは、これまでに町田さんの作風と大いに変化していて驚く。これまでのちょっと毒っぽさが好きだった人には物足りないかもしれないが、徐々に以前あった怖さが薄まっていっているように感じた。
支持体への関心が強いとのことで、今後もどんどん変化を見せてくることは間違いない。あの小品は大作へつなげるための試作なのではないだろうか。

・山上渡「エデン/ Eden」 Maki Fine Arts 2/19まで
2009年の川崎市岡本太郎美術館主催の「岡本太郎現代芸術賞」特別賞を受賞。間違いなく2009年なら岡本太郎賞での展示作品を拝見している筈だが、受賞作品を観ても思い出せなかった。
今回は新作の油彩10点を中心に展示しており、コマーシャルギャラリーでの初個展。
彼が描いているのは「山」の一部なのだろうか。空間に奥行きを出している作品、特に大作の油彩もあれば、デザイン画のようなドットを使用した作品もあり。私の好みではないが、入口正面に展示されている3角形のボードに描かれた作品が一番良かった。

・大沼茂一写真展 「八色(やしき)」Foil Gallery  1/29で終了
大沼さんの写真も初めて拝見する。写真そのものより、展示の仕方の方に目が行った。
スナップショットを壁に虫ピンでバラバラな方向に留めてある。中にはわざと下向きにして留めてあったりと面白い。ただ、これ!という1枚が見つからなかった。スナップの中に1点発色の良い赤の花の写真があった、その1枚が印象に残った。

・中平卓馬写真展「Documentary」 2/27まで
これは別記事を書いた方が良かったかもしれない。とりあえず先に書いておく。中平さんの新作含むカラー作品約150点、71年撮影のネガよりモダン・プリント約10点を展示。
私個人は71年撮影のネガからとったモダン・プリントの作品にとても強く惹かれた。1点1点どれもが、この瞬間でなければならない必然性を感じたし、ひどく惹きつけられるものがあった。
一方カラー写真は、いかにもありがちな日常の風景を撮影しているにもかかわらず、やはり中平卓馬がシャッターを押した、彼のファインダー越しに捉えたものたちが容赦なく、美しく時には儚く、もろく現実を捉えているのだった。カラーの方は額装なし。でも、今も思い出せるぐらい1枚1枚が鮮明に記憶に残っているのはこの人の写真だけだな。
月曜社から新たに出版された雑誌に掲載された中平卓馬のマガジンワークをおさめた『都市 風景 図鑑』(中平卓馬マガジンワーク1964-1982)は素晴らしい。これは、Nadiffで先週、即買いしてしまった。今回展示されているカラー写真の写真集も発売されているが、印刷の出来栄えが良い。

・「青木千絵 -URUSHI BODY-展」INAXギャラリー2 1/28に修了
金沢美術工芸大学工芸科出身の29歳。漆の作家さん。漆工芸に強い関心を持っている私としては本展は見逃すことのできない展覧会で、最終日に駆け込んだ。
人体を漆で造形した作品。漆彫刻であるが、滑らかな曲線、脚先の細かく美しい表現は、工芸というより彫刻そのもので、その素材に漆を使用して黒と言っても漆の黒はニュアンスがあり、見る角度によって表面の見え方が違う。
まるで妊婦のような人体彫刻群は、古代彫刻のようでもあった。

この作家さんの作品はもっと観てみたい。

・「高柳むつみ 展 -くうきをうつす 磁器/やまびこのアロー-」 INAXギャラリーセラミカ 2/1まで
中国のやきものによく見られる金彩を使用した作品。曼荼羅風の派手なものもあるが、造形的な工夫が凝らされている。

・「野田裕示 -収穫の試み-」 東京ユマニテ 1/29で終了
野田裕示(のだ・ひろじ)は1952年和歌山県生まれ。この展覧会は良かった。野田氏の作品は恐らく初見であるが、特にアクリル絵具を使用した絵画は小品、大作ともに、抽象と具象のはざまにあるというか、モチーフを極端に単純化したため、抽象的に見えるだけで実際は具象なのだが、色のバランスといい圧倒的に上手い。

・「リニューアルオープン展 再生 -Regenerate-」part1 ギャラリーmomo両国 2/5まで
以前のスペースからほんの数十メートル。大通りから少し中に入った所に移転したが、JRの両国駅からだと歩道橋を渡ればすぐ。大江戸線からだとちょっとだけ遠くなった。ちょっとだけ。以前より少し狭くなったとのことだが、ほとんど狭さは感じられない。
part1は、大坂秩加・大谷有花・奥田文子・小橋陽介・坂本真澄・佐藤栄輔・篠原愛・中矢篤志・早川知加子・人見元基・平子雄一・福島淑子・吉田和夏らの作品による取扱作家によるグループ展。
実はオープニングに行って、お目当ての大坂秩加さんと作品を前に初めてお話することができた。今回、大阪さんはリトグラフ1点のみ出展しているが、うどん屋さんの娘シリーズで今後も同シリーズが続いて行く。
前に観た作品はおどろおどろしさがあったけれど、今回は明るく楽しい作品で、私はコチラの方が好き。婚活がテーマになっているそうで、現代事情を風刺した作品ともいえる。
他には、坂本真澄さん、彼女は以前両目を描いていたのに最近の作品はどれも片目が白目でちょっと怖い。完全ではないということを表現したいから塗っていないらしいが、う~ん。

吉田和夏さんのミクストメディアがやたら愛らしくて良かったな。

part2は2月8日(火)-2月26日までで、阪本トクロウさんはじめ小野さおりさんらの作品が登場するので見逃せない。

・笹本晃 / Strange Attractors TAKE NINAGAWA 1/29で終了
上京3年目にして、漸くTAKE NINAGAWAに行くことができた。麻布十番はめったに行かないし、六本木には直接出ることが多いので、なかなか脚が向かなかったが、今日(1/29)に笹本さんの最後のパフォーマンスがあり、twitter上で「観た方が良い」という呟きを見つけ、行ってみることにした。
結果、観ることができて本当に良かった。
数学的なアプローチをしたパフォーマンスであり展示作品のようだが、通して彼女の話や動きを観ているだけでは何?という感じかもしれない。でも、とても面白かった。
こういうパフォーマンスは好きだなぁ。
最終日の最終回ということもあって狭い展示室は観客で身動きできないほど、それでも、笹本さんの「ていうか動いてる?!」の声とともに、ぞろぞろ動く観客(私含む)。観客とパフォーマーが一体になったような、それだけ作品に取り込まれた。

・青木野枝 「流れ、落ち続ける」 ギャラリー・ハシモト 1/29で終了
瀬戸内芸術祭以来、久々に青木さんの作品を拝見する。瀬戸内にあったのと同種の円環を繋げた鉄のオブジェ。大きい物数点、小さい作品が多数あった。奥の事務スペースにはドローイング?も数点あり。
オブジェの中に入って外を眺めてみたら、風景は違って見えただろうか。

・「ignore your perspective 11」児玉画廊東京 2/12まで
関口正浩、杉本圭助、田中秀和、堀川すなお、八木修平、和田真由子の6名のアーティストによるグループ展。特に気になったのは、堀川すなおの作品。支持体そのものを作品とするような彫刻的な平面作品。テクスチャーと視覚的な歪みやひずみの生み出すアンパランスさに目が釘付け。面白い。

・リナス・ファンデ・ヴェルデ/五木田智央/佃弘樹 NANZUKA UNDERGROUND  2/5まで
NANZUKA UNDERGROUNDは、私の苦手とするギャラリー。白金のコンプレックスに行く時には必ず立ち寄るが、早々に退散することが多い。しかし、今回は過去最長滞在時間となった。ベルギーのリナス・ファンデ・ヴェルデがとても気に入ったのだ。ウィリアム・ケントリッジのドローイングや同じく南アフリカ出身のマルレーネ・ヂュマスに若干似た作風だが、モノトーンで描かれた大作3点に惚れた。
カッコイイ。他の2名とのマッチングも良かったと思う。

・立石大河亞個展「音雷韻走査」山本現代 2/5まで
立石の94年作「音雷韻走査」、「大地球運河」、「情報守護神」を中心に、立石のポートレートが描き込まれた「富士のDNA」、故郷が描かれた「昭和二十一年筑豊之図」という大変貴重な作品を展示している。「音雷韻走査」、「大地球運河」、「情報守護神」は長く企業が所蔵していたため、公開される機会がなかったとのこと。
現代における宗教絵画のように私には見えた。かつ岡本太郎の作品を思い出させる。
古代に回帰し、縄文土器や青銅器文様のようなモチーフが登場する。そして極端な遠近技法。
これは美術館でもなかなか観られない大作ばかりだった。

・ロンドンギャラリー
最後はロンドンギャラリー。今回は古陶磁中心のしつらえ。中でも池大雅の書「祇園」を観ることができて幸せだった。春日の曼荼羅が最初あったが、絵画作品の展示替えの真っ最中で、別作品も両方拝見することができた。
猿投窯の焼物や鼠志野、縄文の土面などあり。眼福。


他に、TARONASUのライアン・ガンダー展とギャッライーαMの「複合回路」石井友人展は別記事にする。特に、石井友人展は素晴らしかった。必見だと思う。

「所蔵作品展 現代の人形 珠玉の人形コレクション」 東京国立近代美術館工芸館

人形


東京国立近代美術館工芸館で開催中の「所蔵作品展 現代の人形 珠玉の人形コレクション」に行って来ました。

ちょうど2年前の1月に愛知県にある碧南市藤井達吉現代美術館で「東京国立近代美術館所蔵 人形展」を観たことがある。実に様々な人形があるものだとその時に初めて知った。
過去ログ:「東京国立近代美術館所蔵 人形展」

本展は、この時に観た人形の多くが重複していたが、未見作品も多く、2009年5月に新橋の旧新橋停車場 鉄道歴史展示室で開催された「人間国宝 鹿児島寿蔵展」以来人形の美や愛らしさを堪能した。

今回印象に残った作品は次の通り。
工芸館らしく、ショーケースの後ろの壁面には、稲垣稔次郎の型染の壁掛けや木村雨山の加賀友禅壁掛が配され、展示に華を添えている。こういう演出はとても好きだし、工芸館ならではだと思う。

<1室>
・竹久夢二:「少年」、「ピエロ」 2体。
碧南でも夢二の人形は観ているが何度観ても夢二らしくて素敵。ちょっと夢見がちな甘い手作り感覚の残る人形。

・高浜かの子 「騎馬戦」他、計5体
高浜の作品では、やはりこの「騎馬戦」1940年が図抜けているように思う。他にあった2体は1970年代以後の作品だが、戦前の作品とは趣を大きく変えて、甘い雰囲気がない。

・平田郷陽 「童子人形」
話題の平田郷陽である。先日の山種美術館での山下裕二教授による講演の中でいきなり郷陽が登場して来た。既に記事に書いたが、今年平田郷陽の回顧展が佐野市と佐倉市で予定されているので楽しみ。
端正な伝統的な日本人形を踏襲している。彼の人形の特徴は面差の優美さだろうか。

<2室>
・鹿児島寿蔵
先にも紹介したが、彼は人形工芸での人間国宝指定を受けている。その作品の素晴らしさは今更申し上げるまでもないし、私も大好きで、今回は3体出展されていたが、いずれも既に観たことがある作品だったと思う。特に「なかよし」は碧南で最初に観た中で気に入った作品の一つ。

他にここでは野口光彦、川上南甫らの作品が紹介されているが、2003年制作の大島和代「夏の雨」は何とも言えない表情が、どこを観ているのか分からない瞳と共に忘れられない。

<3室>
・大林蘇乃 「西銀座昼の月」1962年
人形はどうしても顔にまず目が行く。本作品は桐塑で制作されているが、表情の優しさが印象的。

ここで、再び平田郷陽、川上南甫が登場。
郷陽の作品では「虫の音」1952年木彫、胡粉仕上げが素晴らしかった。

<4室>
懐かしい人形たちとの再会。
碧南で拝見した作品が4室には多かった。一番は川崎プッペの「女」1959年。布帛で制作されたこの人形を一目見たら忘れることはできない。それほどまでに強い印象を遺す、他の作品とは大きく異なる個性がある。
プッペの他の作品を観たことがないのだが、他の作品はないのだろうか?

ニューオータニ美術館で見逃した友永詔三の木彫2点。堀柳女の「瀞」は袖口の細かい透かしが凄い。どうやってあんなに細かい模様を創り出すのだろう。
他に、前田金彌「慈母」「さすらいびと」が気に入った。

<5室>
ここは、碧南で観た作品がほとんどだったが、吉田良の「すぐり」は初見だと思う。
あれだけの妖艶さとおどろおどろしさがある人形であれば、恐らく記憶しているに違いない。

*2月20日まで開催中。

「日本画」の前衛 1938-1949」 東京国立近代美術館

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今年に入って観た展覧会の中で、もっとも感銘を受けた展覧会は、現在東京国立近代美術館で開催中の「日本画」の前衛 1938-1949」展である。

この展覧会は、昨年の9月~10月にかけて京都国立近代美術館で開催され、この1月8日から東京へ巡回して来た。昨秋、京都市美で「京都日本画の誕生 巨匠たちの挑戦-」という、京都日本画壇の名品の数々となぜ京都日本画が一大潮流を築きあげたかについて京都美術学校の設立他、様々な資料をもとに展観する素晴らしい内容だった。
この展覧会では、1939年作の上野松篁の作品で締めくくっていたが、その後京都の日本画はどうなっていったのかが疑問として残った。

その一つの答えを本展が教えてくれた。もちろん、ここで紹介されている画家や彼らが参画した歴程美術協会が全てではない、むしろこれまであまりスポットが当たらなかった点を考慮すると亜流の位置づけになるのかもしれない。しかし、1938年から1949年という第二次世界大戦前後に、このような前衛日本画の活動や制作が行われていたとは!!!驚嘆に値する。これまで、戦前戦後の美術と言えば、戦争画など限られた作品の紹介が多かったように思う。本展では、もちろん戦争画や前線に赴いた影響下から描かれた作品も紹介されているが、しかし、戦争の影を感じさせないような前衛表現の方が圧倒的に多い。

たまたま、日本橋の西村画廊に行った際、オーナーの西村氏も本展について「こんな日本画の世界があったのか」と本展を非常にお薦めされていた。
西村画廊と言えば、日本で最初にオットーディックスの個展を開催するなど、海外の芸術作品を数多く日本に紹介してきた老舗画廊。そのオーナーをして感動させるのだから、如何に本展が稀有で貴重な展覧会であるかを改めて感じた。

私自身、既に2回観に行った。1回目も相当時間をかけ約2時間じっくり作品と対して来たが、どうしても再訪したくなったので。

展覧会の構成は次の通り。
Ⅰ.「日本画」前衛の登場
Ⅱ.前衛集団「歴程美術協会」の軌跡
Ⅲ.「洋画」との交錯、「日本画と洋画」のはざまに
Ⅳ.戦禍の記憶
Ⅴ.戦後の再生、「パンリアル」結成への道

冒頭に展示されている山崎隆≪象≫1938年。
この作品を観た時の衝撃と言ったら・・・言葉に尽くしがたいものがある。
バウハウス的な要素をもつ幾何学風抽象画であるが、モチーフの形態にも驚いたが、黒と赤と白のコントラストの使い方、そして何より目を奪われたのは、赤色のリボンのような部分のテクスチャーだ。これは絵具で描いたのか?画材は岩絵具なのか、まるでビロードのような質感を湛えているのだ。更に驚くのは下地である。
通常の日本画では見られない、蝋で固めたような質感が、赤のビロードや黒のモチーフを平面でありながら立体的に見せている。

この絵を描いた山崎隆は、本展で初めて知ったが、今回圧倒的な印象を私に植え付けた。
彼の画風はこの後、様々に変遷していくが、特に後半のⅣ.戦禍の記憶以後の大作では、シュルレアリスム風絵画へと推移している。その一方で、山崎は出征したが、負傷したため召集が解除された。しかし、戦地での鮮烈な記憶を多くの絵画に残している。
特に、≪戦地の印象≫シリーズが其五まで、ズラリと並ぶ展示風景は、まるで私自身が戦地に赴いたような疑似体験をしたような感覚を味わった。
何もない。ただ、空と荒れた大地があるだけの作品。しかし、これ程までに強く惹きつけられるものは一体何であったのだろう。
本展での出展はないが、香月泰男のシベリアシリーズとはまた違う、日本画で描いた戦地は、何とも茫漠とししかし絵の中に山崎の思いがすべて塗りこめられているかのような印象を受ける。

彼の作品は戦後、ますます新しい表現へと向かう。
最終章では、≪ダイアナの森≫1946年、続く1949年の≪森≫と妖しさがどんどん増していく。1948年、1949年に描いた≪海浜≫は明らかにシュルレアリスム的手法を見せている。

順序が逆になってしまったが、山崎隆(1916-2004)とつい7年前まで存命されている画家で、京都市に生まれ、1933年京都市立絵画専門学校(いわゆる絵専)に入学。在学中に、これも後述するが田口壮らと新日本画研究会の結成に参加。1937年に応召され、翌年負傷により解除。そしてその1年後の1939年に第2回歴程美術協会展に出品し会友となる。戦後、1948年の「パンリアル」結成に際しては三上誠らと中心的役割を果たす。1958年にパンリアル美術協会を離れ、以後無所属で活動を続けた。

この展覧会は山崎の足跡と作品の変遷に焦点を当てて観て行くのも面白いと思う。

歴程美術協会についての詳細はここでは長くなるので割愛する。関心がある方は展覧会に行って、更に図録にその成立過程の詳細な論文が掲載されているので、一読をお薦めする。

歴程美術協会の歴程は、やはりこの時代の思想家である批評家であった瀧口修造が命名したもの。
シュルレアリスムがアンドレ・ブルトンの思想に基づくのであれば、瀧口の存在や活動もブルトンに等しいものがある。この歴程美術協会において重要な画家は、山岡良文と船田玉樹であろう。
船田の作品は、本展チラシ(トップ画象)にも使用されているが、私はこの≪花の夕≫1938年より、≪暁のレモン園≫1949年、本作は第2回歴程美術協会展に出品した作品を加筆したものである。元々の作品≪檸檬樹≫は右隻が戦争で焼失し、遺された左隻がこの≪暁のレモンの園≫であった。
まだ薄暗闇の中で、ぼうっと光をもらす黄色い檸檬が何とも言えない幻想的な雰囲気を醸し出す。

また、山岡良文の初期作品はカンディンスキーを彷彿とさせるようなとにかく斬新なデザインと構図。
しかし、彼は前衛表現に取り組みつつも日本画の伝統も忘れてはいない。その一端が≪矢叫び≫1940年。本作とよく似た作品を以前、藤井達吉の絵画で見たことがある。
藤井と山岡にはどこかで接点があったのだろうか。
会場には歴程美術協会展の芳名録まで遺されていたので、如何にこの時代の文化人知識人に、歴程の活動が注目されていたかが良く分かった。知った名前では柳宗理や寺田政明などのも展覧会を訪れている。

山岡作品では、≪放鳥≫1938年である。

そして、田口壮。彼の作品も忘れられない。まるでマティスのドローイングのような線描が特徴的。

他には丸木位里の独特の絵画世界、今回出てい場≪馬(部分)≫1939年。

もうひとつこの展覧会で重要な点は、如何にして西洋絵画が日本画へ影響を与えていったか。特にシュルレアリスムの取り入れ方における顕著な事例が第Ⅲ章では国内西洋画、日本画と並行して観て行くことができる。この時代を通り抜けた結果、現在へと至る。ちょうど戦前戦後とすっぽり抜けていたパズルがしっかりはまったような感じを受けた展覧会です。

*1月31日まで開催中。お見逃しなく。なお、本展はこの後広島県室美術館に巡回する。

「歴代沈壽官展」 日本橋三越

日本橋三越新館7階ギャラリーにて1月31日まで開催中の「歴代沈壽官展」に行って来ました。

既にNHKの『日曜美術館』で放映されたので、内容についてご存知の方も多いことだと思います。

薩摩焼に私が出会ったのは、まだほんの数年前のこと。美術鑑賞を本格的にはじめてまだ10年も経過していないので仕方ないことだろう。最初に観たのは江戸博ではなかっただろうか。
その精細で精緻な絵付けに最初は目を奪われたが、今回の展覧会を拝見し、薩摩焼の魅力はあの乳白色の美しい下地の色だと改めて思った。

あの下地の得も言われぬ優しい白色があればこそ、細かい絵付け、例えば群れなす鶴や花鳥、更には虫までもが活き活きとこちらに語りかけて来るような風情を生み出すのだろう。

そして、いまひとつ、薩摩焼の魅力で忘れてはならないものがある。
ちりめんのように細かい貫入である。
前述の乳白色の下地によくよく眼を凝らしてみると、細かい線のようなものが見えて来るはず。それが貫入なのだが、薩摩焼の貫入は他のやきもの、例えば青磁などと比較すると、圧倒的に細かい。
貫入とは分からない程の細かさで、この結果何もない状態よりもニュアンスが付加されてより美しい下地ができあがっている。

展覧会は初代が作成した、てらいのない、しかしこれぞ薩摩焼という白の茶碗≪伝火計手≫17世紀初頭が展示されている。
これこそ、冒頭に相応し作品だ。
この白を出すために、土をあちこちで探したという。この初代、沈当吉は、他の陶工同様に豊臣秀吉の挑戦出兵の際に朝鮮半島から連れてこられた陶工のひとり。
九州地方にはやきものの盛んな土地柄であるが、すべてこれを紀元としていると考えて良い。
苦難の末、20年あまりもかけて白薩摩の陶土を発見したというから凄い。

あとは、もう華麗な技術、絵付けに身をゆだねるだけで良い。

薩摩焼は分業制になっていて、絵付けは絵付け、彫り師は彫り師と担当が決まっており高度な専門技術が伝承されていく。繊細な彫りを観ていると、昨年台湾の故宮博物院で見た牙彫を思い出した。あちらの技術も驚異的だが、薩摩焼は焼き物でそれを実現しているのだ。

人気のある絵付け師や練り物師には指名が入ることもある。
今回は1明治期に活躍した12代の作品が多く出展されていたが、それはもう素晴らしいものばかり。

当代十五代の新たな挑戦作品も現代の息吹を感じる。

この展覧会はこの後、福岡三越、名古屋三越に巡回するが、関西方面への巡回はない。そして、各巡回先では展示期間が1週間足らずと非常に短い。
本当にそれだけで終わるのが勿体ないような展覧会です。

*1月31日まで。最終日は17時までに入館必要なのでご注意ください。お薦めです。

没後40年「路傍の聖者-宮芳平展」 練馬区立美術館

練馬区立美術館の実力を侮ってはならない。
前回の「芸術家の家 大沢昌助と父 三之助展」を会期末ぎりぎりに駆け込みで行って、観られたから良かったようなものの、もっと早く行けば良かったと、この時激しく後悔した。

その苦い経験があったので、今回は優先順位をあげて「宮芳平展」に行って来ました。

宮芳平i

常設展扱いではあるが所蔵作品だけでなく個人蔵の作品も半分以上ある。にもかかわらず、1階だけの展示であるせいか入場無料。
それでも、約80点の作品や関連する資料で紹介する、非常に中身の濃い展覧会でした。パンフレットかと思いきや、良く見るとほぼ全作品の画像が掲載された2つ折りのパンフレットが素晴らしい。
学芸員の解説まで掲載されていて、ちょっとした小カタログになっている。

宮芳平(1893~1971)はほぼ無名のまま亡くなってしまった画家であるが、彼を取り巻く芸術家の顔ぶれを見ればただならぬ人物、例えば、森鴎外、中村彜、高村光太郎などそうそうたる面々。
分けても、森鴎外の短編小説『天寵』(1915年作)の主人公として登場する「M君」は宮その人だという。

今回はエッチングとインクで描いた作品が大半であるが、油彩も数点あり、そのどれも作風が一貫しておらず、時代の流行を追って、自身の作品に取り入れようとした姿が見られる。
むしろ、その点ではエッチングやインクでの作品の方が、宮芳平らしさ、彼のオリジナリティを創り出しているように感じた。

例えば≪若きLの像≫1917年は、青木繁の描くたねを思い出させるし、そうかと思えば、≪聖夜≫1916年は、モーリス・ドニ風である。

それらに比べると、宮のペン画は実に興味深い。
まず、作品タイトルがほぼ全ての作品で下方の中央部に位置していて、しかも装飾文字。時代はちょうど大正時代。背景の非常に細かい升目やある一定の短い線描など、特に水彩で着彩されている作品は升目の色をところどころ変えて、色彩の小さなパッチワークのようだった。
その代表的な作品は≪湖の乙女≫1922年、同じく≪憂鬱≫1922年は象徴的。

晩年に向かうにつれて、作風が変化し、具象から抽象へと変貌を遂げる。
戦後の油彩作品≪秋紅葉≫1957年は初期のカンディンスキーのように面で線を捉えていた。
また、展覧会のチラシ表に記載されている≪自画像≫1916年こそが、一番宮らしい油彩であるように思った。他にも数点自画像はあったが、この表紙の絵は一度この目で見たいと思う。

そして、彼の画業の中でもうひとつ重要視すべきことがある。
自身でガリ版刷りで作成した自伝的≪AYUMI≫。
これも実際に印刷されたものが展示され、全ページ見ることはできなかったが、味のある文章と絵画作品がまざりあった新しい文芸誌のように見える。ここに宮の思いや生活、人生が詰まっているのだろう。

*2月15日まで開催中

2011年1月11日~1月23日の観賞記録 美術館・博物館編

年初に、今年は観に行った展覧会やギャラリーの記録を漏らさず書くと自分に誓ったが、わずか一ヶ月も経過せぬうちに、既に崩壊の兆しがある。

ということで、既に書いていない展覧会、個展の感想を一気に纏めます。観た順番の記憶が曖昧なので、思い出した順に。

・「プライマリー・フォールドⅡ 絵画の現在-七つの<場>との対話」神奈川県立近代美術館葉山 1/23終了
twitter上では、好意的な評価、中には既に今年度ベスト入りの予感・・・などの呟きがあるかと思えば、そうでもなさそうな呟きもあったり。同じ神奈川近美鎌倉別館の山下菊二コラージュ展と合わせて鎌倉方面に行きたかったので、それを待って行って来た。
展覧会の作りとしては不親切。出展作家は7名、高橋信行、小西真奈、保坂毅、三輪美津子、東島毅、伊藤存、児玉靖枝の7名なのだが、なぜこの7名を選択したのか、少なくとも会場だけでは分からない。図録を読めば分かるのかもしれないが、いちいち図録を読まないと分からないような展覧会は公立美術館の展覧会としてどうなのだろう?と思ってしまった。作家名のみしかパネルはない。
チラシによれば見るたびに初めて見るような形に出会える展覧会とのこと。
既に知っていたのは、小西、伊藤、児玉の3名(敬称略)。伊藤存は、昨年大山崎山荘美術館での展覧会がとても良かったし、彼の作品はホワイトキューブより、庭園美術館や大山崎山荘美術館のような一種独特の空間の方がマッチしている。その記憶があるため、今回の展示は物足りない。
他の6名も然り。保坂は出展作家中最若手で、不定形の半立体の支持体を使用した抽象絵画。あくまで、好みの問題だが、強いインパクトはなかった。
中では東島のインスタレーションのような巨大な抽象絵画とガラスを使用したミクストメディアの組み合わせが一番強く印象に残っている。
三輪美津子の≪床下の死体≫はミステリー小説の一部のようだった。

・「ひと/HITO」展 神奈川県立近代美術館鎌倉館 既に終了
こちらは、展覧会の主旨が明確で、所蔵作品展とは言えさすがの名作揃い。東近美に負けるとも劣らぬコレクションを披露、「ひと」のイメージの諸相を以下の5つに分けて探るテーマと展示作品に一貫性がありとても良い内容だった。
第1 部:かお
第2 部:からだ
第3 部:生きているひと
第4 部:死と向き合う
第5 部:HITOとは
印象に残った作品としては、関根正二「村岡みんの肖像」、中川一政「青山二郎像」、松岡壽「童児」、三岸好太郎「横向きの進化」、松本竣介じゃ全部で4点、麻生三郎「寝ている男」シリーズ、高松次郎「世界の壁」、ジャコメッティの裸婦小像など。ジャコメッティの像は、ミニチュア並の小ささなのに存在感があって、古代の土偶を思い出した。
展示品70点で、企画展と言っても良いような充実度だった。

・「山下菊二 コラージュ展」 神奈川県立近代美術館 鎌倉別館 3月27日迄
2009年度に寄贈された山下菊二のコラージュを中心に紹介。展示作品の中心は《戦争と狭山差別裁判≫シリーズ。冤罪という非常に重たい社会的な問題を絵画化する仕事は、山下の中に宿る正義感ゆえだろうか。
文字と絵画で画面構成されたコラージュは、見ていると恐怖を感じる。来て良かった。

・「歴史を描く-松園・古径・靫彦・青邨-」 山種美術館 2/17まで
山下裕二教授による解説付きの特別観賞会に参加。見どころは松岡映丘≪山科の宿≫という縦幅の長い、長大な絵巻、しかも詞書は、当時東京美術学校(現東京藝術大学)の第五代校長の正木直彦であるが、非常に達筆。
しかし、もう1点展示される予定の合作絵巻≪伊勢物語≫は松岡映丘の描いた部分は後期の展示替えで出展されるそうでがっかり。ごく最近、佐倉市立美術館で予定されている人形作家の平田郷陽の調査の中で、松岡が平田に自分の人形制作を依頼していることが判明。写真が発見されたが、肝心の人形はいまだ見つかっていないらしい。佐倉市立美術館の展覧会までに何とか発見されて欲しい。チラシの小堀鞆音≪那須宗隆射扇図≫は、日本のヤマトタケル信仰の一端として紹介されていた。
上村松園の「砧」が出ているが、いつ見ても美しい作品。

・「みえないちから」 ICC 2月27日まで
オスカー・フィッシンガー、エキソニモ、小金沢健人、志水児玉、堀尾寛太、フォルマント兄弟の出展。
ここのギャラリーAは入場料一般500円だが、ここでは小金沢の映像≪ほこり≫が良かった。
堀尾寛太は私の好きな梅田哲也さんや毛利悠子さんもそうだけれど、最近こういった電池や既存の日用品を使用し、偶発的に動きを見せたり音を出させたりする作品がやたら多い。

無料ゾーンのクワクボリョウタの作品が一番良かった。プラレールのように模型列車を走らせ、影を使用したインスタレーション。列車の動く速さに緩急があり、影の形も様々に変化させる。

・プロジェクトN 吉田夏奈 東京オペラシティアートギャラリー 3/27まで
吉田の作品は「TWSエマージング」で昨年拝見したと思う。今回は全長40mにも及ぶ長大な山の風景画を中心とした構成。ワンダーウォールでの作品と同じ技法だが、何しろ大きい。今後100mまで延長させていくらしい。
幾何学的な面で構成された山の表現が特徴的。

・100かいだてのいえのひみつ 岩井利夫がこともたちと作る絵本と遊びの世界展 武蔵野市立吉祥寺美術館 2/20迄
岩井俊雄は、メディア・アーティストとして活躍していたが、自身の子どもの誕生と武蔵野市での生活の中で、絵本作成を思い立った。
彼が作る絵本は縦に伸びる絵本。本展では、原画を含め、岩井自身の言葉による解説で展覧会をまわる。
中央に絵本の世界を立体化した家ができていた。
小さなお子さんと一緒なら、必ず楽しめます。

・「木村伊兵衛賞」 川崎市民ミュージアム 既に終了
楽しみにしていた展覧会だが、全体の感想としては物足りず。歴代の木村伊兵衛賞作家の作品を展示するとのことだったが、特に過去の作家になる程展示作品が少なかった。
会場の大きさの都合なのか、途中で受賞者の順序が飛んで別の展示室になっているので、流れがうまくつかみきれない。
むしろ、同時に展示されていたデュシャンの映像作品の方が面白かった。

・「室町三井家の名品」 三井記念美術館 1/29迄
さすがの室町三井家。茶道具の名品の数々にうっとり。
国宝:志野茶碗:卯花墻は何度か観ているが、今回一番目を惹いたのは特別出品されている国宝「古今和歌集 元永本 下帖」(東京国立博物館蔵)。料紙の美しさは全部のページをめくりたくなる衝動にかられる。

「古銅桃底花入 伝利休所持」、大井戸茶碗銘須弥(別銘 十文字)朝鮮王朝時代にとりわけ熱いまなざしを送ってしまった。この他「紅花梨木地秋草蒔絵茶箱」は中身も含めて、ちいさきものはみなうつくしの世界。
ハッとしたのは、墨蹟「清拙正澄墨蹟」や「愚極智慧墨跡」などを拝見すると背筋がピンと伸びる。カツを入れられたような心持がする。
この展覧会は、かなりのお客さまで賑わっていた。会期末にはまた混雑しそう。

・「三代徳田八十吉展~きらめく色彩の世界」 そごう美術館 2/13まで
TVでも紹介されていたと思うが、まさにきらめく赤を除く黄色、青色、緑色、紫色の世界。組み合わせによって、今では200色以上の色を作り出せるという。
伝統的な初代の所有していた古九谷の名品も展示されており、新旧の名品を一堂に会し眼福に尽きる。
そごう美術館のやきもの関連の展示方法は、いつもながら見やすいし、作品をより美しくみせる気配りがされている。
三代のモダンかつ斬新なデザインの美しさと色の選択に素晴らしいセンスを感じた。
元々、九谷焼の窯元の家に生まれながら、九谷が嫌いだと言ったら、それなら新しい九谷焼を創り出す才能があると有名作家(誰だったか失念)言われ、この道に進んだらしい。
デパート系の美術館の中では最高峰だと思っている。来年度は蕗谷紅児の展覧会も予定されているし、これからも楽しみ。

東京藝大先端の卒業修了制作展と練馬区立美術館「宮芳平展」は別記事予定。

「運慶-中世密教と鎌倉幕府」 神奈川県立金沢文庫

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神奈川県立金沢文庫で開催中の「運慶-中世密教と鎌倉幕府」に行って来ました。

本展は、神奈川県の光明院から運慶作の「大威徳明王像」が近年新たに発見されたのが、本展開催のきっかけ。
今回は、数少ない運慶の仏像を6点(伝を除く)一堂に展示し、密教と鎌倉幕府との関係から、運慶作品の制作背景の秘密に迫ります。監修は、仏像ブームの火付け役となった著書『仏像のひみつ』著者の山本勉氏が特別監修されています。

金沢文庫の企画展示室は2階になっているが、スペースとしては広くない。
前述の「大威徳明王像」は発見され、修復完了し初公開で同館で拝見しているが、非常に小さい。しかしながら、その相貌たるや鬼気迫るものがある。

本日現在今回公開されている運慶像(伝を含めて)は他に次の通り。
・奈良・円成寺  大日如来坐像 
・栃木・光得寺  厨子入大日如来坐像 
・神奈川・浄楽寺 不動明王立像 (2/27まで)
・同       毘沙門天立像 (2/27まで)
・愛知・滝山寺  帝釈天立像(伝運慶・湛慶作)

なお、2月8日~3月6日までは真如苑所蔵「大日如来坐像」が登場する。

ここで、極めて重要なのは、運慶作の大日如来坐像が3体同時に展示されることである。三体の共通点など同時に展示することで比較分析することも可能。

なお、展示作品の中には、なぜその仏像が作られたのか、誰が何のために依頼したのかなどの詳説や関連資料、所蔵されている寺の縁起などの重要な文書や像内納入品も併せて展示されている。

個人的には、光得寺の「厨子入大日如来坐像」と伝運慶となっているが、滝山寺の衣紋表現が素晴らしい「帝釈天立像」そして、浄楽寺の「不動明王立像」の動かない像であるにもかかわらず、わずかな腕の表現に力のこもり具合が分かる動的表現を可能にした運慶に脱帽した。
帝釈天立像は東寺蔵のものを模倣したと解説にあったが、着物の袖口が蓮の葉っぱのように花開いた様子で、この時代の仏像に類似の作例があっただろうかと考えてしまった。

図録を観ると、今回出展されなかった他の運慶仏の画像も掲載されており、滝山寺には他に2体所蔵しているが、私の観る限り、この帝釈天立像が一番美しい像だと思った。
滝山寺は愛知県の岡崎市内にあるので、以前から行かねばと思っていたが、今回を機にその思いが強くなった。

展覧会の終了を見計らって、やはり一度滝山寺に行ってみようと思う。

ただし、私は鎌倉物より、平安、更には奈良、飛鳥仏の方が好きなのでした。
運慶の仏像では、興福寺の無著像、世親像が最高傑作だと思う。

*3月6日まで開催中です。

高嶺格 「とおくてよくみえない」 横浜美術館

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高嶺格(たかみね・ただす)は、2005年の横浜トリエンナーレの「鹿児島エスペラント」に感銘を受けて、以来ずっと気になって、追いかけている作家さん。

05年の横トリは奈良さんの展示が目的だったのだけれど、頭の中はすっかり高嶺さんの作品で一杯になってしまった。それくらい衝撃を受けた。

ただ、ARATANIURANOで拝見した「スーパーキャパシタ」は何のことやらよく分からない作品で、そうかと思えば、あいトリの七ツ寺共同スタジオのパフォーマンスと映像と音楽を絡めた観客参加型作品は、美術に馴染のない人でも楽しめる内容。ごく最近では金沢21世紀美術館で行われていた「Good House, Nice Body ~いい家・よい体」は、面白くて、そのノリで今回の横浜美術館での個展を楽しみにしていた。

本展は作品リストありません。図録はフィルムアート社から出版されているので、書展などで購入可能ですが、図録というより作品集であって、今回の展示がオープニング直前にやっと完成したため、展覧会風景などが掲載されている訳ではないようです。テキスト(日本語・英語併記)が半分、作品画像半分。私は今回購入見送りました。

さて、展覧会ですが、今日は三木あき子氏(2011年横浜トリエンナーレ・アーティスティックディレクター)×高嶺格氏によるクロストークが開催されたので、そちらにも参加しましたので、適宜織り交ぜながら感想を。

展覧会タイトル「とおくてよくみえない」については、CINRA.NETに掲載されている高嶺氏へのインタビューに掲載されています。⇒ http://www.cinra.net/interview/2011/01/13/000000.php

まず館内に入ると狼の遠吠えのような「わお~ん」という咆哮が耳に飛び込んで来ます。これも企画展の演出の一部であると思いますが、咆哮を耳にしつつ2階展示室へ向かう。途中、2004年に同館で展示する予定ができなくなってしまった『木村さん』についてのビデオについての話題から始まるようなのですが、これは完全に見落としました。
この辺りの詳細はzaikabouさんのブログ(↓)に触れられています。本展レビューとしてとても参考になります。
横浜美術館 高嶺格『とおくてよくみえない』の不穏さ - 日毎に敵と懶惰に戦う
(1/23追記)

まず、本展の展覧会は順序が非常に重要で、高嶺氏しては指定された通りに観て欲しいという意図がありますので要注意。

最初の展示室。
前述のトークでは、高嶺氏がこの展覧会の構成を音で表現しておられたのですが、それが一番適切でごちゃごちゃ言葉で説明するより、この音でイメージをつかんだ方が良いくらい。
確か、最初の部屋は「ポカーン」だった筈。
そう、ポカーンとしてしまうのです。

なぜなら額装された一見作品に見えるものは全て既製の毛布やらタオルやら刺繍製品。
それらに、いかにもというタイトルを付け、キャプションが付けられている作品もあり。
ネタばれですが、このキャプションは横浜美術館の学芸員3名の方が、高嶺氏による以来でできるだけ難解に解説を書いて下さい。」と依頼されたそうです。

これが、結構しつこいくらい長く続きます。最初の展示室ほぼずっとで最後に作品のない額縁だけの作品が2点。

次の展示室では、前述の≪鹿児島エスペラント≫を思わせる映像作品。
タイトルや制作年をメモしなかったので、曖昧な記憶ですが2004年の旧作だったかと。
これは、皆楽しんでいたようで、かなり長時間観ておられる方も多かった。

この部屋を出ると、展示室をつなぐ広いスペースに出て、ご当地横浜で明治期に活躍した五姓田芳松の張りぼて(?)を両脇に置いて、真ん中に映像作品が。
この2つの張りぼてが交互に話す。映像は何だったか、かなり古い作品のようで海外でパフォーマンスしている映像について五姓田張りぼてが実況中継していると私には見えた。

次に入ると真っ赤な色彩が飛び込んでくる。
この展示室の基本色は赤。
ここでもスクリーンが中央にあり、映像作品、この映像は面白かった。早送りで、どんどん粘土像の彫像が早変わりして行く。どうやらこれはアメリカの9.11直後に制作された作品らしいのだが、途中ブランクーシの彫刻『接吻』の形になっていなかったか?作って行く男女の生活シーンも背景に写されているが、早送りなので、それはそれで気にならず、却ってリアルな制作過程のような風景が楽しめる。

その隣にある映像が不穏。
これも旧作品で、高嶺さんがイスラエルに行った時に知り合った知人が、半年後にパレスチナ解放戦線の一員となっており、壮絶な話をはじめ、ただただ聴くしかなかったという。
小さな3つのスクリーンには、恐らくその知人の映像が流れていて、作品横には観客に問いかけるように「あなたは、こんな時どうしますか?」他2つ程質問が並んでいる。

トークの中で、三木氏は「高嶺作品と対峙すると、どの作品でも共通するが居心地の悪さを感じる。」とコメントされた。高嶺氏は、それにひっかかって「居心地が悪いとはどういうことか?」と質問され、三木氏が例にあげたのが本作品。
すなわち、高嶺氏の作品を観ると「自分は今、何をしたらよいか、こんな時どうすれば良いのか、このままで良いのか」と自問してしまう、それを居心地が悪いと表現しておられた。
個人的にはそれだけではないようにも思ったが、それについては、後述する。

赤い部屋の次には、≪ベイビー・インサドン≫がある。
高嶺氏と在日韓国人の妻との結婚式の様子を270枚の写真とビデオ、そしてテキストで構成する作品。
これは、過去少なくとも2回は観ているので、今回は流しました。

最後の作品、これは新作映像作品。
トークによれば、作品集を制作するにあたって、インタビューを担当学芸員の方としているうちに思いついたアイディアを視覚化した作品。
高嶺氏が本作品でもっとも伝えたかったことは、映像のある展示室から出た壁面に書かれている。
セクシャルな内容なので、それを極力排除するために、複数人登場させたりと工夫を凝らしたが、この作品に関しては今後、更に改良していくとのことでした。

それにしても、この展覧会のクロストークだが、出演者のお三方3名とも寝不足。三木氏は時差ぼけ、残るお二人は連日の徹夜の展示作業及び高嶺氏は飲み過ぎとのことだったが、トーク中も途中で寝落ちするんじゃないかと思うような沈黙があったり。
展示作業が大変だった事情は理解できるが、観客に対して失礼ではないかと思った。
更に、トーク前半で作品集の話題が出て、先に進められることから進めるということで作品集の制作も同時進行で行ったが、高嶺氏曰く「エネルギーの半分は作品集に費やされた」とのこと。
この展覧会は、作品集発刊のためのものなのでしょうか。
横浜美術館の後、広島市立現代美術館に巡回するそうですが、広島の方が、楽しめるかもしれません。
三木氏のお話で印象的だったのは、「同じ展覧会でも会場が違うと、それだけでサイトスペシフィックな要素が出て来る」という言葉。
私も同じ展覧会を別の美術館で観た経験が、何度かありますが確かに、会場によって展覧会の印象が変わることもありました。

三木氏は高嶺氏の作品をまとめて今回拝見したことで、こういうことをやりたいんだなと見えて来たものがあるとおっしゃっておられたが、私個人の感想としては、そこまでには至らず。
何か、肩透かしをくらったようなそんな印象を覚えた展覧会でした。しかしながら、高嶺ファンとしては旧作含めて作品をまとめて観られる貴重な機会であったことは間違いありません。こちらが期待したような新作は観られなかったのが肩透かしの一因です。(1/23一部修正追記)。

なお、常設展では、奈良美智さんの同館コレクション全点が展示されており、エルンストのコラージュ作品がツボでした。日本画の御舟も良かったな。

*3月20日まで開催中。

「TWS-Emerging 153 池田衆 /154 江口綾音 /155 坂根輝美」 TWS本郷

いよいよTWS-Emergingシリーズも今回が本年度の最終回。

・池田衆 「trivial today, transient tomorrow」
ikeda
池田衆≪a faint smell of memory≫ 2009, 写真、コラージュ

池田は「トーキョーワンダーウォール公募2009 審査員長を受賞している。昨年開催された「ULTRA003」で馬喰町にあるマキファインアーツのブースに3点出展されていた。
お名前と作品が一致していなかったのだけれど、会場に行って、この作品はどこかで見た記憶が・・・と思ってポートフォリオを確認したら、ULTRAだったという訳です。
2階の展示室小さい部屋と大きい部屋をフルに使用した展示。
照明も小さい部屋は明るく、大きい部屋は暗くと明暗を付けた展示ですが、彼の作品の特徴は撮影した写真を切り抜いたり、コラージュしたり、モザイクのようにカッティングしてイメージを再構成したりと写真を大胆に加工しているのが大きな特徴。モザイクの方は2007年制作の横長の風景写真作品が、展示されていて、パズルのように果てしなく続く気が遠くなりそうな作業だったろうなと推測。

現在はモザイク風でなく、切り絵のように写真を部分的に切り抜いて、切り抜いた部分も図像の新たな一部であるかのような作品が主体。
額装された作品が壁にあったが、それらよりもむしろ、額に入れずラミネートを印画紙に裏打ちして、しっかりとした支持体に手を加え、上から吊り下げた作品2点が素晴らしかった。うち一点は桜をモチーフにした≪Withuot time blinking your eyes≫2010年。もう1点は≪Over and over again≫2009年
正面から見れば桜。枝垂れ桜だろうか・・・は、向う側にスポット照明によって作られた影が桜をかたどっている。
切絵としての写真の真っ白な裏側を観るのも、また楽しい。白い切絵のすぐそばには影絵がある。
幾通りかの楽しみ方ができる作品で、これを写真と言うより、写真を素材に使用した別の作品と考えた方が良いのではないだろうか。

作家さんのブログを見つけた。⇒ こちら
*展示風景や一部作品の画像を拝見できます。

なお、個展タイトルは、「些細な日常や当たり前のような今日という1日は壊れやすく、気付けば一瞬にして明日には変わってしまう。つなぎとめておくことのできない時間のはかなさを意味している」とのこと。
そのタイトルと作品との関連性を紐づけるのは、やや難しい気もしますが、桜の作品を例にすれば、ちょうど散りゆく桜の花びらの部分が切り抜かれていたり、その切り抜いた破片が床に散らばっていて、まるで花弁が落ちた後のようで、この作品に関しては、タイトルと一致していたと感じ入りました。


・江口綾音 「フワ・モコ・サラサ・ラ」
彼女の作品は今回が初見。非常に不思議な技法で大画面に挑戦している。塗り方、タッチというのか、が一つの画面に複数混在していて、フワ・モコという触感が画面から感じられる。
ただし、モチーフが甘過ぎて、私の好みではなかったが、これまでにない画風で新鮮だった。

・坂根輝美「Schizophrenia」
ある意味、隣の展示室の江口と対照的な作品。写実を極めた作品群で、グロテスクかつ画面は暗い。しかし、非常に技術的に高い。
でも、こんな感じの作品をあちこちで見かけるような、もっとモチーフなりで個性を出した方が良いのになと、素人感想ですが思いました。

*1月30日まで開催中。

「カンディンスキーと青騎士展」 三菱一号館美術館

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カンディンスキー(1866-1944)には、並々ならぬ思い入れがある。
パウル・クレーへの思い入れもかなりのものだが、展覧会として先に体験したのはカンディンスキーだ。

思えば、2002年に東近美の50周年記念およびリニューアル記念で開催された「カンディンスキー展」が東京で初めての美術館巡りとなった。
(参考)東近美カンディンスキー展概要:http://www.momat.go.jp/kandinsky/index.html
この時は、カンディンスキー展が目的というより、雑誌てみた所蔵品のパウル・クレー≪花ひらく木をめぐる抽象≫がどうしても観たくて、東近美に行ってみようと思い立ったという記憶がある。
そして、たまたま開催されていたカンディンスキー展を観たのではなかったか。

この時の衝撃と感動は今でも忘れない。
美術館や美術とはほとんど縁のなかった私に、カウンターパンチを見事にくらったというべきか。
何なのだ、この大画面の抽象絵画とそして色彩の美しさは。。。
あまりにも感動して、大作2点の前で呆けたように立ち尽くした記憶がある。
美術館の図録やポストカードも初めて購入したのは、このカンディンスキー展だった。
蛇足だが、その後観た常設展がまた素晴らしくて、ここで岸田劉生と運良くクレーの目当ての作品を観て、現在の私があると言っても良いだろう。
劉生、クレー、カンディンスキーは、私の目を開かせてくれた大恩人のような画家なのだ。

さて、本題に戻る。
本展は、昨年末の大晦日に観に行った。
日中に三菱一号館美術館に行ったのは初めてで(いつも夜間に行っていた)、昼と夜ではまた美術館の建物や内部の風情もまるで変わるなぁと改めて感動してしまった。併設のカフェも初めて利用したが、天井も高くレトロな雰囲気でとても落ち着く。明治時代にタイムスリップしたような感覚も味わえた。

展覧会は、ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館の所蔵品より、カンディンスキーはじめ、ガブリエル・ミュンター、フランツ・マルク等の油彩60点で構成され、カンディンスキーを中心として、「青騎士」の名のもと展開した20世紀初頭の革新的芸術活動を振り返ります。

展覧会の構成と感想は次の通り。

序章 フランツ・フォン・レンバッハ、フランツ・フォン・シュトゥックと芸術の都ミュンヘン
ここでは、カンディンスキー以前の画家と彼が師事したシュトゥックの作品を振り返る。
レンバッハの硬い画面はいかにもそれまでの伝統を踏襲して来た重々しさがあり、シュトゥック≪戦うアマゾン≫1897年の作品はミュンヘン分離派として、新しい方向性を模索している動きが観られる。例えば額の絵にも注目。

第1章 ファーランクスの時代-旅の時代 1901-1907年
ここからいよいよ、カンディンスキーの登場。初期作品はここ最近観ていないので、それだけで貴重な機会。
・≪ミュンヘン-イーザル川≫1901年
・≪コッヘル-シュレードルフ≫1902年
ペインティングナイフを使用した表現方法と力強い色彩は既に健在。

中でも≪花嫁≫1903年は、後のカンディンスキーの作品につながる記念碑的な作品。大きめの点描と言うか、面を用いた画面構成はまだ具象性を保っているが、その実、既に単なる具象から離れ、線と面と色の微妙なバランスを保った作品。

≪ガブリエル・ミュンターの肖像≫1905年は、そんな新しい絵画の手法を探っていたカンディンスキーにしては珍しく写実的に描いた肖像画。
いかにミュンターがカンディンスキーに特別な女性であったということか。

≪サン・クルー講演-秋Ⅱ≫1906年
この頃、カンディンスキーは支持体にボードをよく使用している。本作品もカードボードに油彩。後年の抽象画への移行を想起させる色遣い、黄色、赤、緑、青。
カンディンスキーは、モスクワに生まれ、モスクワ大学にて法律と政治経済を学んだ後、1896年にミュンヘンに移り絵画の勉強を始める。ロシア生まれの画家と言えば、シャガールを思い出すが、シャガールもカンディンスキーも黄色、赤、緑、青とこれらの4色を使用する色彩あふれる画面がどこか共通しているように思う。
彼らの祖国ロシアとこれらの色彩は、どこかに関係があるのだろうか。


第2章 ムルナウの発見-芸術的総合に向かって1908年-1910年
カンディンスキーは美術学校の教え子であったミュンターと恋に落ちるが、彼には既に妻があり、ロシア正教会では離婚は許されなかった。
許されぬ恋と感情をとめることはできず、二人はミュンヘン郊外のムルナウを訪れ、1909年にはミュンターに小さな家を購入させ二人で生活を共にする。
第2章ではこのムルナウ時代の作品が紹介される。

・≪ムルナウ-家並み≫1908年
ムルナウ滞在の最も早い時期の作品でやや写実的。
・≪ムルナウ-グリュン小路≫1909年、≪ムルナウ金工の鉄道≫1909年、≪オリエント風≫1909年、≪山≫1909年と制作に励むカンディンスキー。
ミュンターの作品は個人的にはぱっとせず、印象に残らなかったが≪マリアンネ・フォン・ヴェレフキンの肖像≫1909年が強いて言えば良いかなと思った。
寧ろ、同じくムルナウに集まって来た青騎士メンバーとなるフランツ・マルク≪薄明のなかの鹿≫1909年、ヤウレンスキー≪ムルナウの風景≫1909年の方が個性的で面白い。
アウグスト・マッケは次章以後にも作品が登場するが、彼はマネを賞賛し、画面構成がやや幾何学的ではあるが奥行き感のある作品≪遊歩道≫1913年を遺している。

第3章 抽象絵画の誕生-青騎士展開催へ 1911-1913年

・カンディンスキー≪印象Ⅲ(コンサート)≫1911年
本展のマイベスト。サイズはそれ程大きくない(77.5×100.0cm)であるが、音楽のリズム印象をそのまま視覚化した表現は見事。目の覚めるような黄色が画面の大半を彩る。
後のコンポジションへつながる大きな一歩。
同じくカンディンスキーの≪コンポジションⅦのための習作2≫。これはあくまで修作。コンポジションシリーズは前述の東近美には展示されていた。

・ガブリエル・ミュンター≪テーブルの男(カンディンスキー)≫1911年
黒の縁取り線が印象的。どこかカンディンスキーの影響下から脱したような感がある。

最終章の第3章は青騎士メンバーの才能が開花した見事な作品が並ぶ。
・フランツ・マルク≪牛、黄-赤―緑≫1911年 ≪虎≫1912年 ⇒ キュビスム風
・アレクセイ・ヤウレンスキー ≪成熟≫1912年頃 ≪スペインの女≫1913年
ヤウレンスキーの成熟は「クロワニゾニスム」(暗い輪郭線によって分けられたくっきりしたフォルムで描かれた、ポスト印象派の様式)で描かれている。

全体として作品は小粒なものが多い。
また。青騎士年間の表紙絵のブルーと黒のデザイン(↓)がとても美しかった。

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ミュンターがナチスの迫害から青騎士メンバーの作品を守り、レンバッハハウス美術館に寄贈。
カンディンスキーを愛していたと共に、芸術を心から愛していた一人の女性に敬意を表したい。

*2月6日まで開催中。
本展はこの後、以下に巡回します。
2011年2月15日(火)~4月17日(日)愛知県美術館
2011年4月26日(火)~6月26日(日)兵庫県立美術館
2011年7月5日(火)~9月4日(日)山口県立美術館

愛知県美のあの高い天井だと、更に作品が小さく見えるのではないかと危惧・・・。

土屋仁応 「私的な神話」 MEGUMI OGITA GALLERY

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「麒麟」2010年

銀座2丁目メグミオギタギャラリーで2月12日まで開催中の土屋仁応「私的な神話」展オープニングに行って来ました。オープニングは海外からのコレクターらしき方々も参加されていて賑やかな雰囲気。

土屋仁応さんの木彫と言えば、あの生まれたての胎児のような小動物や日本人形を思わせるような表情の半人の木彫が頭に浮かびます。

私個人としては、睡蓮などの植物の木彫も好きでしたが、やはり今回の個展を拝見し、動物や半人半獣のモチーフがより、土屋さんの作風を活かせるのではないかと改めて感じます。

今回のテーマは「私的な神話」。
ギャラリーには古今東西神獣とされた動物たちが並びます。作品数は8点全て2010年制作の新作です。
今回もっとも大きな作品は「麒麟」H114cm W74cm D32cmで、過去に拝見した土屋さんの作品の中でも一番大きいかもしれません。
この大作の前に制作した「麒麟」言ってみれば試作のようなものですが、H22.5 W16、D6.7と小さいですが、ディテールは同じです。
またしっぽや脚にふさのようなものが付されていますが、これは風にたなびく麒麟をイメージし、動かない彫刻ではありますが、動きがでるよう空間を跳躍している様子を出すために付けられたようです。

もう1点見逃せないのは、本展タイトルが付いた作品「私的な神話」。
上半身が人間で下半身が馬でしょうか。
神話に出て来る半獣ですが、土屋さんの手にかかると、馬の胴体と脚が違和感なく、まるで必然であるかのような美しいフォルム。
もちろん、うっすらと白っぽい彩色は相変わらずの土屋琉で、今回はどの作品でも脚には白だけでなくうっすらと別の色例えば青っぽい色などが彩色されています。
表情の端正さは、博多人形を思わせる切れ長で奥深い目が印象的です。
また、この作品は上半身は檜、下半身(主として馬の部分)は樟が使用され、よく観ないと気付かないですが、人間像の身体の途中に線が入っていて、二つの材料で作ったパーツを最終的には接着し完成させています。
檜は表情をしっかり出したい時に使われるそうで、硬い木材が適している。だから2つの部分に分けているとか。

動物たちも真っ正面から観た時と、斜め方向から観た時では表情の見え方が変わります。
斜め方向からだと、やや冷たい表情なのですが、真っ正面からみると、口元が「ニッ」となっていて、とにかく愛らしい。

最後に最新作「羊」お身体に就いた紋様に要注目。
「象徴的な意味合いで付けた模様であり、毛並みや鰭のようなものとは意味が違う」そうで、私は中国の青銅器を思い出すような唐草文が金色で配されていました。金泥化と思いきやそうではなく、金パールだそうです。

唐草文を付された羊は、不思議なことにより霊的な感じを受けました。

誰もいないギャラリーで、神獣たちと対峙したいです。

*2月12日まで。

「大正イマジュリィの世界」 松涛美術館

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松涛美術館で1月23日まで開催中の「大正イマジュリィの世界」に行って来ました。

イマジュリィ=imagerieとはイメージ図像を意味するフランス語で、装幀、挿絵、ポスター、絵ハガキ、広告、漫画など大衆的な複製としての印刷・版画の総称だと本展チラシを読んで知りました。

本展は、このイマジュリィの世界を大正時代のものに絞って約300点もの作品により展観するものです。

東京に来てからこの3月で3年が過ぎようとしている。こちらに住むようになったおかげで、これまで行けなかった美術館や博物館、ギャラリーにも行くことができるようになった。
その中のひとつに、東京大学本郷キャンパスのすぐそばにある弥生美術館・竹久夢二美術館がある。
名古屋にいた時から気になっていたのに、行けなかった美術館。
上京しすぐに訪れて、驚き感動した。こんなに楽しい世界があったのかと。
以来、余程興味のない内容でない限り、企画展の度に足しげく通う美術館になった。

弥生美術館のおかげで、私は挿絵芸術、装幀、ポスター、絵ハガキ、マンガなど従来の美術館や美術の世界から重視されなかった分野に、一挙に開眼した。
行くたびに、見知らぬ画家の挿絵や絵に関心すること仕切りで、なぜもっと早く来なかったのだろうと後悔した。

本展は、そんな楽しい世界を一挙にまとめて見せてしまおうという意欲的な展示内容。
地下1階の展示室は「第Ⅰ部大正イマジュリィの13人」と題し作家単位で、その作品世界を紹介している。
13人は次の通り。
藤島武二、杉浦非水、橋口五葉、坂本繁二郎、竹久夢二、富本健吉、高畠華宵、広川松五郎、岸田劉生、橘小夢、古賀春江、小林かいち、蕗谷紅児

この中で、私が唯一知らなかったのは広川松五郎。
広川松五郎(1889-1952)は、昭和初期から中央で活躍した三条市出身の染色工芸家で特に、友禅蝋染めを得意とした。東京美術学校図案化を卒業し、1935年には母校東京藝術大学工芸科の教授に就任する。装幀の仕事葉、親交のあった与謝野鉄幹、晶子夫妻と白井は友人を通じて親交をかわし、彼らの装丁を手がけるようになった。
そして、何と言う偶然。
この広川の回顧展が13年ぶりに新潟県三条市歴史民俗産業資料館で1月30日まで開催されている。観たい、しかし、新潟三条は大雪だろうなぁ。。。
(参考)http://www.kenoh.com/2011/01/10matsugorou.html

上記13人の中には、挿絵画家を専門としてやっている作家はあまりいない。
古賀春江しかり、藤島武二。富本健吉、坂本繁二郎である。いくつも候補が上がっている

どの作家の作品も良いが、やはりお気に入りは蕗谷紅児、小林かいち、橘小夢である。
茨城県天心記念五浦近近代美術館で「大正ロマン・昭和モダン」と題した展覧会で彼らの作品をいいなぁとつくづく思った。それまでにも拝見していたが、ここではかなりの点数を展示してくれていた。
(過去ログ)http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/bde025f63eed7d193fcfc84c7363e4ab/a8

というわけで、地下1階の第Ⅰ部はそれ程珍しいものはなかったが、やはり好きな分野なので、気分は高揚する。特に劉生の装丁は大好き。

2階では第二部「さまざまな意匠」エラン・ヴィダルのイマジュリィ
「浮世絵のイマジュリィ」
「震災のイマジュリィ」
「子ども・乙女のイマジュリィ」
「怪奇美のイマジュリィ」
「京都アールデコのイマジュリィ」
「尖端都市のイマジュリィ」
「新興デザインのイマジュリィ」
「大衆文化のイマジュリィ」

とテーマごにセレクトされた雑誌や装幀本、絵ハガキの数々。かつて、私はこれだけたくさんの装幀が並ぶのを観たことがない。地下は軽目で見知ったものも多かったが、2階で目が覚めた。

前述の広川もそうだが、この時代挿絵文化全盛時代であったのだろう。広川の本業は染織だったが、挿絵を手がけているし、斉藤佳三など図案家、建築に携わっている作家も数多く表紙絵などを手がけている。

これほど重要な作品群であるにも関わらず、唯一残念なのは図録である。
版が小さくて、通常のハードカバーの小説本のようなサイズ。当然、図像もめちゃくちゃ小さい。小さ過ぎて、せっかくの挿絵がよく見えない。ということで、一端購入は見送った。

なぜ、いつもの大版で制作してくださらなかったのか。今回は書籍でも購入できるがその分お値段は割高。

以前購入した天心五浦記念美術館での展覧会図録を取り出し嬉々として、挿絵の美を思い出している。
やはり、2階だけでももう1度観ておきたい。
私の関心は、柳瀬正夢や村山知義らのプロレタリアートにあるが、本当に他に知らない作家の作品が豊富にあった。
この機会を見逃したら、次に観られる機会がなさそうな装丁本も多いように感じた。

*1月23にまでです。お見逃しなく。

「小谷元彦展 幽体の知覚」 アーティストトーク続編

昨日の森美術館で開催中の「小谷元彦展 幽体の知覚」の続編です。
今回のアーティストトークは、最初にキュレーターの荒木夏実氏より、挨拶と小谷氏の紹介などがあり、1時間弱は小谷さんによる幽体についての考察などの解説。その後、荒木氏から小谷氏への質問、そして観客からの質疑応答という構成になっていました。

前回は、この質疑応答を中心にまとめた(*全ての質問について記載しておらず一部割愛している。)のですが、今回は、前半部分について記憶をたどって纏めてみました。スライドを使用し、特に文章のスライドは写しきれなかったので、分からなかった所は省略し、前回と一部重複する箇所があることをご容赦ください。


今後の作品の方向性のとっかかり、気になったフレーズを集めつつ話して行く。
幽体はファントムと置き換える。
古典的題材の中でのファントム。自分は古典的考え方があり、それを踏まえて進めていて、今後は更に複雑になって行く。

例1:シェイクスピア作品『マクベス』からの引用 第2幕第1場インヴァネス、マクベスの城の中庭
目の前に見えるのは短剣ではないか
柄が私の方に向いている
よし、掴んでみよう。いや、できない、それでも、まだ見えている。
おそろしい短剣の幻よ、おまえは目には見えるが、手に取ることはできないのか?

⇒ 目には見えない幻の短剣

例2:クラシックバレエ 「ジゼル」 アドルフ アダン作
クラシックバレエに興味がある。第二幕では処女の精霊たちが踊る。
人間が求める厳格なフォルムをバレエでは求めている。
自分を超えることへの憧れがファントムの形。日本では耳なし芳一なども範疇に入る。

ここで、バレエ:ジゼル第二幕の映像(群舞シーン)がスライド上映される。

古典的な方法で亡霊を現す。
ファントムとはゴーストではない。

例3:ヌミノース
絶対他者との遭遇
ルドルフオットーは著書『聖なるもの』でヌミノースを「戦慄的な神秘」と「魅力的な神秘」二つの切り口に分けて説明している。

以下は私個人が勝手にWikipediaよりヌミノースについて引用。
『たとえそれが予期していたものであっても、絶対他者との遭遇は逃げ出したくなるような恐怖を伴うものである。それと同時に、恐ろしい、身の毛もよだつような体験とは、「こわいもの見たさ」と言われるようにしばし魅惑を含んだものとなる。このようにヌミノースは戦慄と魅了という二律背反的な要素を内包する。オットーは聖なるもの、あるいは神そのものを議論の俎上に載せるのではなく、それが人間の感覚にどのように影響するかを重要視した。このような価値観は、その後の宗教学や文化史に大きな影響を与えた。』

霊4:ニーチェ 『善悪の彼岸』146節より
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。
おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

怪物で考えるのではなく、どんな人にも深遠な部分があると思う。それを掻き出し彫って行って、到達したいという意思がある。
これを分かりやすい例でいうと、ハンニバルレクター『羊たちの沈黙』に出て来るクラリス。殺人犯のプロファイリングをする役がジョディ・フォスター。
こをの映画のレクターのキャラクター作りに参考にされたと言われているが連続殺人犯のテッド・バンディ。
FBIの捜査官によれば連続殺人犯を類型化できる。
バンディは二度脱獄していたり変わっている。自分で自分の弁護を行たり。
プロファイルする捜査官に、ニーチェの言葉が出てくる。
連続殺人犯には思えないような力を持った人物で、見た目はスマートで外見は連続殺人犯には見えないような人物。
こういう人物と接見するのは怖いが、それを深く掘り下げて行作業が具象なのではないかという考え。

彫刻は不可能性のあるメディアだと思っている。
アニミズムや魂をこめるということもあるが、生命体に近いものもできるかもしれないが、恐らくそこには到達しない。生命体まで作れないが、逆にそれが面白いメディア。

実体≠存在という考え方。

具体例として仏像を考えてみる。
聖林寺十一面観音像が好き。
矛盾した中で偶像崇拝の存在を作らざるを得なかった。宗教上の理由のために像が必要になる。それを表すものとして、人を超えたエネルギーを持ったもの、仏教のエフェクト。
藤井寺の国宝千手観音菩薩坐像は幼少時含めに二回観に行っている。手の形は残像に見える。

三十三間堂も好き。寺のつくりや配置の仕方がエフェクティブにできている。当時の人々の知覚に効果を与える。
直線的に並んでいることによって、正面性の強さがある。正面性の強さは西洋の空間にはない。

同時に日本古来のものの中でファントムを感じるのが養源院の血天井。養源だけでなく京都には血天井はいくつかあるが、養源院は小さい時に観て、養源院の美意識は一筋縄ではくくれないと思っている。切腹した武士の血だと思うが 天井に血が飛び散る。
身体の軌跡が残っている。日本的な美意識を感じる。
ファントムの存在が定着している場だと思う。

実体が存在ではなく、存在はエフェクトではないかと考えている。
エフェクトという考え方ににファントムという概念をあてはめた考え方。

絶対他者の出現。認めたくない自分。
影の概念には無意識の全体が反映されているのではないか。
影という概念に興味を持っている。

ユング
影にも興味を持っている。
二重身にドッペルベンガー
影法師などがその例で、これもひとつのファントムだろう。
分かりやすく考えると、あしたのジョー。 二重身の例
自分自身を他者を鏡として映し出す。
最終的にホセメンドーサは、俺は幻影と闘っているのではないかという台詞がある。さっきのシェイクスピアと同じような台詞を言っている。
ジョーとは真逆の存在として描かれる。ラストでは真っ白になる。メンドーサとは鏡の裏表の関係で同一化しているように思う。

鏡や影で具象彫刻を考えると、ジャコメッティが挙げられる。
正面から対象物までの距離を測定し制作している。距離を彫刻化し。正面性も強い。鏡や二重身を考える時外せない。
ジャコメッティのあり方は具象彫刻として正しいように思う。切実なアプローチに見える。
空間に出現して来た形状、純粋的なアプローチに共感する。

・鏡像段階論
初期ラカンを代表する発達的論点からの理論。
例? ファイトクラブ、スタンリーキュービックのシャイニング。
シャイニングは顔面映画だと思っている。
キューブリックの映画舞台であるホテル内部を描き起こした。この映画には何かあると気になり過ぎた。
ジャックニコルソンは小説家の役。
田舎にあるホテルに家族と自分だけ。小説を書き続けるニコルソンが狂って行く。ホテルにはニコルソンしかいなかった、もしくはファントムしかいなかったと考えられる。観れば観るほど顔面映画だと思った。、

映画の中で迷路の表札に書かれている図。迷路の俯瞰図。
脳の抽象化されているものに見える。
ニコルソンがホテルの模型を見つつ、俯瞰すると脳の中を見ているという入れ子構造。テレビにトレーシングペーパーを貼りつける描き写した。⇒実際に写した小谷氏の図がスライドで上映。
迷路模型を見ているうちに複雑化していく。
ファントムという概念を彫刻に入れて行く例としてこれまで話をしてきた。

*本展はこの後、静岡県立美術館、高松市美術館、熊本市現代美術館に巡回します。

「小谷元彦展 幽体の知覚」 森美術館

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森美術館で開催中の「小谷元彦展 幽体の知覚」に行って来ました。

私が小谷元彦の名前と作品を初めて接したのは、岡山県の大原美術館での≪ロンパース≫2003年だった。
最初に観たのが映像作品であったため、まさか彫刻科出身の方だとは夢にも思わず。しかし、不気味なんだけれど、全く目が離せない面白い映像であの初見の印象は今でも忘れられない。

その後しばらくの間、彼の名前を忘れていたが、ここ数年とても気になる作品や展覧会を拝見し、再び映像の記憶と共にその名前が蘇って来た。

そして、彼の作品についての思いや考え、背景にあるものに関心を持ち、昨年は京都造形大学神宮キャンパスでの小谷元彦×名和晃平対談や本展イベントである小谷元彦アーティストトークに参加し、本人の言葉で語られるものを伺って、小谷元彦が創り出そうとしている世界が漸く少し分かって来たような気がしている。

六本木ヒルズのフリーペーパー『HILLS LIFE』46号が小谷元彦特集で、小谷本人へのインタビュー記事も掲載され内容が充実しているので、見つけたら読んでみることをお薦めする。

以下、アーティストトークの内容、特に後半の質疑応答を中心にまとめてみました。
上記フリーペーパーや他の媒体にも記載されているように、展覧会サブタイトルの「幽体」とはファントムと置き換える。
ここで小谷の言うファントムとは
1.不可視なるもの 感覚領域 目には見えないけれど存在しているもの
2.怪人、異物、変異体
3.脳化 デジタル環境により身体と脳のバランスが崩れ遊離していく現象。感覚器官の分断麻痺。
4.自分自身にとって認めたくない私 自分の中の他者性 絶対他者

彫刻は不可能性のあるメディアで、魂を込めるということもでき、生命体に近いものもできるかもしれないが、恐らくそこには到達しない。生命体までは作れないが、逆にそれが面白い。

彼にとって実体≠存在であり、実態はエフェクトではないかと考えている。そのエフェクトにファントムという概念をあてはめた。
これだけだと何を言っているのか皆目分からないが、小谷の言うエフェクトとは、例えば仏像。仏像に金箔を貼るのもエフェクトのひとつ。直訳すれば効果。
前半トークは、バレエのジゼルの映像が紹介されたり(小谷はバレエが好きだとのこと)、ニーチェにドッペルベンガー、ハンニバルのレクター、鏡像段階論など、非常にアカデミックな内容だった。

展覧会構成として考えたのは、なるべく具象的でないものから始まり、具象化し、再び解体して行く、循環していくように組み立てた。マクロからミクロ、広角から狭角。

後半1時間は本展キュレーターの荒木氏による質問や会場の観客からの質問に小谷が答えるという形式をとった。

荒木:拘束具を使用して表現しようとしたきっかけは?
小谷:バレエか拷問器具に関心があった。自分の身体を痛みつける純粋性、そこから見えて来る風景に関心があった。彫刻作業自体にサドマゾ的なものがある。バレエは姉がやっていたこともあって影響を受けた。

荒木:≪Dying Slave:タービュランス≫≪ラッフル≫2010年について解説して欲しい。
小谷:タービュランスは等身大の人間を作った。ラッフルは真ん中に身体がない。同じ展示室に2点を置いたが、手前に体があり、向う側には身体がない状態。更に、向う(ラッフル)は水がないと浮かない状態、手前は滝業や水責めのように、頭上から水が落ちて来る、そんな拷問的なものと精神修養的なものを組み合わせ、更に両作品を対極的な位置づけで組み合わせた。
頭蓋骨を使用するのは、分かりやすい大きさだから。実際の頭部の形状に近い大きさで単位として設定しやすい。身体を再構成する意味合いで設置した。

この展覧会では聴覚的なものも仕込んでいる。インフェルノ(滝の鏡面を利用した映像)、チェーンソーの音、最後にNo44(小谷自身の血液を利用した映像)とどこにいても3つのいずれかの作品の音が耳に入るようにした。

木彫作品が置かれている展示室だが、直線的な並びが勿体ないという人もいるが、自分としては像を直線的に並べて正解だと思っている。三十三間堂もそうだが、古来より日本人は直線的に並べるのが好き。

Q.コンセプトは、どうやって思いつくのか?
小谷:作品のアイディアが降りた時、1日か2日でぱっと描く。数日後それを眺めてK点を超えているかどうかは分かる。作っている時はテンションが低い。作業は地獄のような、特に今回の木彫作品はきつかった。
作るまでのテンションが最高潮でアイディアを実現しようとすると、大体無理が出て来て気分が悪くなる。
常に裏切られたいので、追いかけて自分の思った設計図通りにしかならなかったらダメ。現場で見つける発見や可能性を常に放射状にあるような状況にしたい。制作過程でイメージが変わることもあり、二回、三回とイメージが変わって行く方が上手く行く。造形化する一方向の過程は苦手。

騎馬の作品は実体と存在を象徴。死んでいるのに生きている。生きているのに死んでいる、ゾンビのつもり。
仏像の保存修復は、延命行為、ゾンビ的なものとしても考えられる。死をそのまま見せるのは危険。
生と死は反転していると思う。自分自身の生地は三条河原町だが、かつては処刑場で今は繁華街になっていて、そんなことからイメージの反転を経験した。

Q.制作は同時進行か?
小谷:同時進行で制作している。木彫ばかりやっていると苦しくなるし、一方のアイディアがもう一方の作品に役立つこともある。同時進行の方が新鮮だし、作品と対面する時にクリアになる。

Q.木彫の並んだ部屋は、最初の話の中で、近代彫刻に小谷印を押してやろうと思ったとのことだが、そのあたりをもう少し詳しく教えて欲しい。
*木彫のある部屋の最初に金印を模した作品があるが、良く観ると印影は「小谷元彦」になっている。
小谷:今回あの部屋では降霊術をやろうと思った。平櫛田中もロダンを模した作品を遺している。一種の冗談も交じっている。これで近代彫刻についての引用は終わるつもりで、もうやらない。

Q.≪インフェルノ≫(滝の映像)について詳しく意図などを教えて欲しい。
小谷:映像の方が自分にとって彫刻に近い気がしている。具象彫刻で、あの作品を制作した時には、死の問題を考えていた。作品はちょっと先の未来を暗示している所があり、インフェルノはまさに死の問題と直面するような感じで制作した。


以上だが、近代彫刻作品を引用している展示室は、私にとってもっとも興味深い作品群が並んでいた。
前述の昨年開催された名和氏との対談の中でも、近代彫刻についての話題が出ている。

名和:近代彫刻史を捉えなおそうとしているのは、東京藝大(小谷氏が卒業)のスピリットを感じる。造形を愛でるという探求はされている。それをひっくり返して、現代美術の文脈に読み直すことをやった方が良い。京芸にはその歴史がないので素材だけが出て来る。
小谷:近代彫刻をどこかでまとめなければいけない、残そうと思っている。近代彫刻を誤解されたままなのが嫌だ。言語化しようと思えば出来るが今は話せない。

また、この時の両名の対談で対照的だったのはフィギュアに対する考え方の相違。
小谷は、当初フィギュアを作らないつもりでいたが、仏像の保存修復に関心を持ち始め調べるうちに、フィギュアを作らなければいけない状況になったと語り、名和は、フィギュアをなぜ作るのだとドイツ留学時代に師から言われ、トラウマが残った。今は観に来る観客をフィギュアに出来ないかと思う。

最後に個人的な感想として、やはり1人のアーティストが写真に映像から木彫、FRP、液体を使用したミクストメディアとメディウムの異なるアプローチで一つの幽体をテーマとする展覧会を作り上げたことは驚くべきこと。
手法は違っても、一貫したテーマ性は貫かれていることもすごい。
私は木彫のある近代彫刻を模した部屋の作品に一番関心を持った。
基本的な彫刻技術の素晴らしさは、たとえ、パロディー化しようとも作品の強度、完成度としてのレベルは非常に高い。
また、各展示室ごとのメリハリの良さ。黒から白、更にはトークを聴いて知ったが聴覚的な仕掛けまで仕組んでいたとは。
目に見えない感覚、それを「エフェクト」とするのであれば、存分にそれが伝わってくる展示だった。
また、いいなぁと思う作品の大半が高橋コレクションであることにもちょっと驚いた。

*2月27日まで開催中。

重野克明展 「バラ色の生活」 日本橋高島屋美術画廊X

日本橋高島屋美術画廊Xで1月24日まで開催中の重野克明展「バラ色の生活」に行って来ました。
展示風景は日本橋高島屋ブログをご参照ください。以下。
http://blog-tokyo.takashimaya.co.jp/art/201101/article_1.html
重野克明は1975年千葉県生まれ。2003年に東京藝術大学大学院美術研究科版画専攻修了。
これまで銅版画を主に表現媒体として作品を発表しているが、今展では、「描く」という行為に焦点を絞り和紙や絹本に墨やコンテ、鉛筆などで描かれた新作を一堂に発表しています。

彼の作品は初見だが、最初に案内状を観た時からこれは実作を拝見したいと思った。
往々にして、その勘は当たることが多く、今回も見ごたえある作品の連続で、河井寛次郎展の後に立ち寄ったが、もっと時間をかけて拝見したかった。

私が特に気になったのは、絹本に墨と僅かに着彩された作品群。
・≪乾杯≫2010年
・≪昔の女優≫2010年
この2点は、古写真のような味わいとやはり版画的な要素が加味されたような、ソフトフォーカスな雰囲気が何とも言えない。上記2点は、いずれも人物画であるが、この人物の描き方もかつてどこかで見たような。
でも、どうしても誰の作品だったか思い出せない。

そして、もうひとつは様々な和紙を利用した作品で、鳥の子紙、みつまた紙、雁皮紙など紙そのものの風合いを活かして、墨や木炭、鉛筆で描く。

≪タイガース≫2010年は、先程挙げた人物画とは違って、はっきりとした黒と白のメリハリある画面で迫力がある。小品になると絵コンテ風の画面になって、また違った作風。

そして、≪ファミリア≫2010年などでは、ややメルヘンチックかつフランス版画のような雰囲気を醸した作品もあり。

どの系統の作品を好むかは個々人の好みで分かれる所。
日本橋高島屋美術画廊Xは、毎回展示方法も素晴らしく、今回も作家の意図に違いないが、敢えて和紙のニュアンスがより感じられるように額装されていない作品が多く、裏を観ると白の発砲スチロールに作品を貼って展示しているようだった。

紙の端まで和紙の風合いが感じられ、墨や鉛筆との相性も良く、モノクロのノスタルジックな雰囲気に浸ることができる。

最後に展示室中央にガラスケースがひとつ。中を覗くと桐箱に入った小片の一杯つまった作品≪インテリア≫が。
こんな小技を効かされてはたまりませんね。
宝箱のように楽しめそうな作品でした。

また、作家本人の言葉も添えられており、絵と言葉と合わせて楽しむことができます。

「河井寛次郎 生命の歓喜」 日本橋高島屋

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日本橋高島屋で1月17日まで開催中の「河井寛次郎 生命の歓喜」に行って来ました。

河井寛次郎は私にとって、思い出多き陶芸家である。
かれこれ10年程前、本当に美術館巡りをはじめて間もない頃、京都にある河井寛次郎記念館に興味を持って行ってみた。
この時の驚きと感動は今でも克明に私の中に残っている。
家の中は寛次郎の精神がそこかしこに息づいており、主がいなくなった今も、その帰りをずっと待っているようなそんな佇まいだった。
また、お庭も広くはないが素敵で、球形の石や窯場跡が残されており、寛次郎はここで作陶していたのかとどこかに、寛次郎がいるのではないか、そんな気配が残っている場所だった。京都にありがちな間口は狭いが、奥行きの広い空間。

あれから約10年経過し、その後記念館には行っていないが、今回、河井寛次郎の生誕120年記念の回顧展が開催されると知り駆け付けた。寛次郎の作品は民藝がらみの展覧会や京都のアサヒビール大山崎山荘美術館など、あちこちで見かけることは多いが、初期から晩年まで、また陶芸だけでなく木彫、書、家具など多様な作品を一堂に集めた展覧会を観るのは初めてのこと。

展覧会は、デパート開催とは思えない程、充実していた。
構成は以下の6つのキーワードによって作品を展観する。
第1章 技 美へ美へと無かふいのち-人間
寛次郎初期の作品がまずは並ぶ。彼の初期作品はなかなか観る機会が少ない。美術館でよく見かけるのは50代以後の作品であることが多い。
寛次郎は、1890年に島根県に生まれ、東京高等工業学校窯業科を卒業後、京都市立陶磁器試験場で釉薬を研究。
当初は、中国や朝鮮の古陶器の手法を駆使した作品を制作し、1921年に初めて高島屋で初個展を行っている。

冒頭の第1章にある初期作品に今回一番惹かれた。
・結晶釉壺 1921年 31歳作
・鳥注   1924年 34歳作
・愛染鳥子 1921年
この作品は、前述の高島屋での初個展に出品された作品で。菩薩を模した男女が鳥を手にして優しく寄りそう風情を陶彫したものであるが、これら、初期作品を観るに付け、当初より非凡な才能を発揮していることが素人目にも良く分かる。

第2章 暮らし 「暮らしが仕事 仕事が暮らし」
「暮らしが仕事 仕事が暮らし」とは、まさにその通り。寛次郎は初期作品で人気を博した後、同じ手法に留まることなく、用の美に惹かれ民藝運動に参加して行く。
寛次郎は陶芸家として著名であるが、自宅(現在の河井寛次郎記念館)も昭和12年自身が設計し、建設したのは、島根の兄弟である大工だったとか。
寛次郎の応接間や書斎が展示室内に再現されていて、棚や小箪笥、果ては文机もデザインしてしまう。マルチな作家だったのである。

ここでは、炉は切ってある茶室も兼ねた部屋を再現していたが、家具にせよやきものにせよ、寛次郎らしさがよく出ている。
特に後半に登場する寛次郎デザインの木彫作品、これがまるで岡本太郎のように前衛的で、常に新しいことに朝鮮していこうとするアグレッシブさがある。

・流し描壺 40歳
浜田庄司の持ち帰ったスリップウェアの技法に相当のめりこんだのか、まるで太陽のような紋様が当季の側面にあがきだされている。

第3章 交わり 
高島屋の川勝堅一、毎日新聞の岩井武敏、井上靖、棟形志功ら、河井寛次郎ゆかりの人とその作品を紹介。
中で印象的なのは、芹沢介の作品。河井邸の再現にも登場し、河井が愛用していたという風炉先屏風や敷物などどれも良かった。河井邸には人が絶えることがないほど、河井を訪ねて来るものが多かったらしい。魅力的な人物だったに違いない。

第4章 生命 生命の正体-歓喜 
哲学的思索から生まれた生命讃歌の作品群。幼少の頃からファーブル昆虫記やシートン動物記が大好きな少年だったそうだが、生命、いきものへの優しい眼差しを感じる作品が多い。
・白磁人物文壺 、誕生歓喜の作品など観ていると、生命の大切さを自身の作品に封じ込めているように見えた。

第5章 造形 仕事の旅行 未知ノ旅行
戦後の寛次郎は、これまでのスタイルをまた変化させる。時代は機械化。彼は美しい機械に魅せられたようだ・
機械の重なりの中に見出した美など、彼の周囲すべてのものが後には全部顔に見えてしまう。

台6章 祈り 祈らない祈り 仕事は祈り
彼の精神性を強く表す作品を集めて展開している。
書や木彫。特に注目すべきは木彫で、デザインは河井が手がけ、下彫りは京仏師匠」にお願いし、最後の仕上げは再び寛次郎の手が使われる。
そして、木彫以後は木面へと移行し、常に作品や作風に新しい風を吹き込んだ・

特に木彫はじめ陶芸作品は晩年であっても衰えることなく、プリミティブでありつつどこか縄文的であり、木喰作品にも似ている気がした。そうかと思えば、メカニック的な幾何学面を多用した焼物などその制作意欲は留まる事がなかった。
会場に12分の河井寛次郎を紹介する映像が上映されているが、とてもよくできているのでぜひご覧ください。

*1月17日まで開催中。
この後、京都、大阪、名古屋高島屋各店に巡回します。

「筆墨精神 中国書画の世界」 京都国立博物館

hituboku

京博の常設は建て替え中、同じく東博の東洋館も工事中と、現在国内で一定数の中国書画を常時観られる美術館は国公立ではないのではないだろうか。
書では、都内の台東区立書道博物館、今回も書道博物館所蔵作品が何点か出展されているが、中国絵画を常時観られる美術館は三重県四日市市の澄懐堂美術館くらいしかすぐに浮かばない。

そんな状況の中、中国書画好きとしては待ちに待った展覧会。
明時代はともかく、清時代の書画はそれ程好きではないが、書聖王義之の草書を今に伝える法帖として「宋拓十七帖」などの名品が出展されることもあり、楽しみにしていた。

そして、やっぱり京博は凄かった。
特別展だけで2時間コース。その後更に特集陳列:篆刻家「園田湖城」まで続いていて、休憩なしで2時間半。最後の特集陳列はさすがに集中力に欠け、やや流し気味になってしまった。

書は真剣に最初から最後まで追って行くと非常に鑑賞に時間がかかる。個人差も大きいと思うが、じっくり書を堪能されたい向きには今回は法帖や典籍の素晴らしい優品が揃っているので、時間に余裕を持ってお出かけ下さい。

展覧会の構成は次の通り。
・典籍の世界-テキストを写す-
・法帖の世界-名筆をめでる-
・文人の世界
・名品と収集余光

私が初めて書に関心を持ったのは、2006年に東博で開催された「書の至宝」展で、そのあまりの美しさにひれ伏したくなった。自分の字にコンプレックスを強く持っていたので尚更、美しい書に対しての憧れが強まる。
が、これは書に限った話ではなく私が美術鑑賞を始めたのも、強い美術コンプレックスが根底にある。自分の苦手とする分野に対する憧れが、常に私の背中を押し続ける。

さて、話を戻す。

今回の展覧会の見どころは、何と言っても典籍と法帖に尽きるだろう。
「典籍の世界」では、展示作品20点のうち重文と国宝以外は僅かに2点のみ。しかし、指定されていない2点のうち1点も近々充分指定間違いなさそう。
大体、中国の南北朝時代(およそ386年~589年、隋時代の前)の紙本墨書など、そうそう観られるものではないのだ。それが、今回一気に4点(うち2点が前述の書道博物館所蔵)、唐時代の典籍が7点、うち国宝4点。

ため息ものの名品である。
ここで、食い入るように典籍を眺めていると様々な筆跡、しかしそれぞれに秩序美を感じ、気持ちが落ち着いてくる。が、あまりにも名品が続くため気持ちは落ち着くよりテンションがどんどん上がって行く。

続いて、法帖。
このコーナーに入った時、ほのかに墨の香りがしたのは気のせいだろうか。
実は、法帖が好きで、東博の東洋館があった頃は常設の展示替えの度に法帖を観に行った。
王義之はじめ、欧陽詢、褚遂良、顔真卿、虞世南など私でも知っているような名筆家の拓本の数々。
法帖は墨色の味わいもまた見どころ。
ここは前期、後期(2/1~2/20)で展示替えが数点ある。

「文人の世界」では書だけでなく絵画も登場する。

明清時代が中心であはあるが、南宋時代の絵画、牧谿「遠浦帰帆図」(前期のみ)と元時代の絵画も数点出ている。
明時代の≪九段錦画冊≫沈周筆や、黄道周≪山水図≫、王時敏≪江山粛寺図巻≫(文化庁)など、私好みの山水図が複数点出展されている。
呉昌硯≪松竹梅図≫など、中国山水の名品が揃っていた。

最後の「名品と収集余光」、についてはかなりエネルギーを消耗した後だったのに、目を見張るような名品逸品揃い。
例えば国宝≪山越阿弥陀図≫、≪法華経絵巻残闕≫は、前日に受講した金沢百枝さんの「イタリア古寺をめぐる」講座のスライド画像を見せていただいた天子の光琳の4色対応とほぼ同じ大きさに等しくされていりる。


そして、お待ちかねの≪山越阿弥陀図≫(京博)こちらも作者は不明だが、切がねの美しさ。

後期の僅かな点数の展示替えのために行くのはどうかと悩んでいたが、やはりこれは再訪してもう一度堪能したい。

また、市民講座「関西中国書画コレクションと京都大学」で3つの講義が、品川にある京都大学東京オフィスで1月29日に開催されます。
詳細はこちら

*前期は1月30日まで、後期は2月1日~2月20日まで

「木村友紀 無題」 IZU PHOTO MUSEUM

KIMURA

IZU PHOTO MUSEUMで明日1月11日まで開催中の「木村友紀 無題」に行って来ました。

前評判通り、やはり観て良かったとつくづく思える内容だった。

まず、一番最初に「???」がやってくる。
目の前に現れたのはアルミニウムの脚をもつ四角のテーブルがひとつ、ぽつんと置かれている。
テーブルの上は白い。ただただ白い。
写真がない。見えない。
よくよく観ると、白いと思ったのは綿布で、恐らく綿布の下にプリントされた写真があるのだが、残念ながら極僅かに色の感触が感じられる程度で何が写っているの、まるで分からない。
いっそ、綿布をめくってみたいという強い衝動にかられるが、ぐっと堪える。衝動は帰り際にも、襲われるのでかなりの忍耐を要する。

壁の向こう側の展示室には、これまで写真展として観たことのない景色があった。
通常、写真は壁面に飾られることが多い。しかし、今回壁面に展示されていたのはわずか2点。
他はすべて、最初に観た作品と同様にテーブルに直接プリントされている(?)。
鑑賞者は、上からテーブルに写ったものを見下ろすことになる。
この上下での視点、かつ写真だけでなく、その上にはブツ、「もの」「物質」が乗せられている。

写真と物との関係を鑑賞者に問いかける。

例えば冒頭にあった、神社のお社らしきものが写った写真の上にはいくつもの石が置かれている。
ここから私が想起するのは、神社によくある参道の砂利石。
石には、霊性を感じる。それは、神社の写真の上にあるからなのか、はたまた置かれた石そのものが持つ力なのか。
写真から抜け出たような石達に気持ちが揺さぶられた。

近くの壁面にある写真も同様に、写真に写っている観賞植物が、そのまま写真に触れるように置かれている。
敢えて、写真に触れるように置いているのも木村の意図する所なのだろう。

別のテーブルには古びた木材が。そして傍には木製の椅子がある。
椅子やテーブルの素材となっている木が、同じように木材が写っている写真の上に置かれ、ダブルイメージ。
イメージは繰り返し繰り返し、鑑賞者に重複され、強く印象に残る。
写真+物質。
この両者が生み出す重複したイメージは、どちらか一方だけを観るよりも、一層強く鑑賞者に視覚的、感覚的に訴えるものがあった。

また、スナップショットのようなサイズのクリアアクリルが写真テーブルの上に置かれていたと思えば、本当にポラロイドで撮影した写真1葉が置かれていたり。
だまし効果という仕掛けまで孕んでいるではないか。

抜群に面白い。

杉本博司による中庭に面したコーナーには2枚の飛行機の写真が壁に展示されている(展覧会チラシに採用されている2枚)。このうち、セピアは海外で木村が買い求めた古写真、そしてもうひとつのモノクロ写真は彼女の祖父による飛行機の張りぼてを撮影した写真。カラーと白黒、西洋と東洋など並べておくことで、この2枚の相反する要素を比較する。解説によれば、2枚の写真を並べることで、異なる次元で起きた事柄がひとつの像を結ぶという作品。
この説明を読んで浮かんだのは、アンリ・カルティエ・ブレッソンの「決定的瞬間」であった。
彼の撮影した写真にも重複あるいは相反するイメージが1枚の写真におさまっていたが、木村は2枚を並べることで、時間軸、空間軸での対比を見せてくれた。

最後の展示室にはドイツ国旗を思わせる写真がプリントされたテーブルが。
実際に写っているモチーフは「海」なのだが、黒・赤・黄の順に色が付されている。そして、テーブルの上には赤色のガラスチューブから絞った銀色の絵具、を思わせる蝋燭がぽつりとひとつ置かれている。
ここまで来ると、謎解きのようだ。
この蝋燭は、何のためにここに置かれているのだろう。
逆サイドに一艘の船影が見えた。あの舟に対する、オブジェなのか。

最後の作品は、木製椅子の座面と背面に置かれた写真2枚。座面におかれた写真には黒コショウの粒が沢山点在している。
背面にある写真は、かなり散らかった室内で、胡椒が置かれている写真はタイルのようなものが写っている。

さて、これはどう読むか。
座面の写真は、室内空間の延長なのか。
背面の写真に、木製椅子は写っていたか。

中庭を臨む一木の椅子の上に、本展に関する専門家の皆さんの展評がファイルされていたので、ざっと目を通してみた。は調文明(しらべ・ぶんめい)氏や藪前知子(東京都現代美術館学芸員)とのインタビュー記事で、木村の意図した所がおぼろげに分かった。

木村にとって、写真は「写真」であり、それが自身の撮影さいものであろうとなかろうと、撮影という行為や撮影者は重要ではないのだろう。
彼女が表現したいのは「写真」という表現手段そのものであり、写真から生まれるもの、写真表現で何ができるのかそれが命題なのだ。

そういう点を鑑みると、木村友紀の写真集は記録としての価値はあるが、結局展示を観ないことには話にならない作家なのだとよく分かった。
本展においても、どれが木村自身が撮影した写真なのかは分からない。そして、それはこの展覧会にとって重要ではない。

強烈な印象を残した写真を使用したインスタレーションで、今後の写真を使用した新たな表現の可能性を探る。次回は水戸芸術館で何を見せてくれるか、とても期待している。

明日までですが、強くお薦めします。

2011-01-14

池田学展 「焦点」 Mizuma Art Gallery

Mizuma Art Galleryで1月15日まで開催中の池田学展「焦点」に行って来ました。

「ネオテニー japan 高橋コレクション展」で彼の作品を初めて観て衝撃を受け、2009年にはおぶせミュージアム・中島千波館まで美術館初個展だというので、足を運んだ。
過去ログ:http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-819.html

これまで、拝見したのは大作中心。

しかし、今回の個展では全て22×27cmという小さな画面の作品を20点出展されている。

大作にはない面白さが小画面にも渦巻いていました。
結局、池田学の場合、画面の大小は関係なく大きくても小さくても、それぞれの楽しみ方が可能だというのが今回の結論。特に、3Dのような視覚効果さえ感じた。平面なのに、立体感ある作品、構図の妙であの3次元的効果が生まれているのだろうか。

20点のうち、私が最も好きだったのは、最奥にあった「波/Wave」だが、なぜかこの作品だけnot for sale(非売品)になっていた。

緻密な作品に描かれているのは全て空想世界だが、モチーフとして多いのは虫や魚にヘビなどの生きもの。
そう言えば、私がなぜ彼の作品が気になったかを思い出した。
海中を克明に描いていた作品を観たからだ。

数年前までスキューバダイビングに頻繁に行っていた私にとって、海中風景はとても懐かしい世界。
残念ながら足を怪我してから、ダイビングから遠ざかってしまった。
そんな私に楽しい海の風景を久々に絵画で見せてくれて、何より海藻の動きがリアルだなと。

画中に人物は白で描かれていることが多い。
あれは、後から白で描いていると思って良いのか?あまりに、基本的な質問過ぎて聞けなかった。
一見、塗り残したのか?とも思ったけれど、あまりにも線が細いので下地を活かしてとは考え難い。

この個展の後、池田学は文化庁海外研修制度によりカナダへ留学する。
そして、今週の1月14日(金)19時~ 於:紀伊國屋サザンシアター(紀伊國屋書店新宿南店7F)にて、池田学×三瀬夏之介トークショーが両画家の作品集刊行記念として開催される。
■電話予約・お問合せ 紀伊國屋サザンシアター(03-5361-3321/10:00~18:30)

ikeda

このお2人の対談は面白そうです。

2011-01-G2

2011年 1月7日~9日の鑑賞記録

まだ記事を書いていない展覧会、個展、グループ展の鑑賞記録です。

・「モネとジヴェルニーの画家たち」       bunkamura museum
ジヴェルニー村をテーマにモネだけでなくアメリカ人の印象派画家とその作品を紹介。以前、名古屋ボストン美術館で似たような内容の展覧会を観たような。
最後には、どの作品も全部同じように見えて来た。

・「ネオリアリズム-新たな時代の空気-展」     bunkamura  gallery
超写実派というのがあるのか不明だが、写実派の現代作家の作品が中心。やはり、1番好みなのは山口英紀さんの作品。一点だけだったが、これまでより背景に何か手を施しているのか、古びた写真のようでもあるが、やはり絵画。石黒賢一郎の作品も絵肌の質感が気になった。

・「福沢一郎研究所」    板橋区立美術館    1/10迄
福沢一郎の作品は群馬県立近代美術館リニューアル展だったかの時に沢山出展されていて、群馬縁の画家であること、そしてその存在を初めて知った。
しかし、元々福沢の絵画は私の好みではないので、他の美術館で見かけることはあってもそれ以上深くその画業を知ることはなかった。本展は日本近代絵画のシュルレアリスムを知る上で非常に重要な内容であり、またピンスポットで福沢一郎が開設した絵画研究所とそこで学んだ画家たちを丁寧に紹介している。
極めて良質な展覧会だった。

・「油絵の魅力    イズムを超えて」     和歌山県立近代美術館   2/13迄
開館40周年記念最終回となる第三弾。ちなみに第二弾は、宇都宮美術館に巡回中の創作版画展。彫刻、版画と続き最後は絵画で締める。

それにしても和歌山近美のコレクションは素晴らしい。
最初、企画展と思っていたのが常設展で、二階が企画展と知った時には驚いた。既に一階の常設だけでもかなりの量。
企画展と常設が一連の流れのようになっていたが、マーク・ロスコやベン・シャーン、そして松本竣介の「三人」を観られただけで十分嬉しかった。

・「保田春彦展   近作デッサンを中心に」    和歌山県立近代美術館   1/30迄
この展覧会は神奈川県立近代美術館鎌倉分館でかいさいされていてものの巡回だと思う。鎌倉で観られなかったので、こちらで観ることができたのはラッキー。
こちらも、非常に良かった。彫刻家の裸婦デッサンがあれだけ美しいとは!!!これはオススメ。

・「緊急アピール    文化財の盗難多発中」   和歌山県立博物館   1/10迄
ここ数年和歌山県では文化財の盗難が多発している。文化財の重要性、盗難から大切な文化財を守るにはどうしたら良いか、まずは近隣の人々への警鐘と注意喚起を丁寧な解説と実際の作品によって解説する。
本当に基本の基本からの説明で、彫刻とは?掛軸とは?、金工、絵巻物、書跡、典籍等文化財の種類もパネルで解説されている。
これだけ丁寧なキャプションや解説パネルを作るのはさぞや大変だろうと担当学芸員氏の奮闘が推しはかられる。

盗まれてしまった文化財、牛頭童子像頭部や浄妙寺の十二神将立像を観ていると痛ましく、本展が少しでも盗難防止に役立つことを願うばかり。

・「筆墨精神」     京都国立博物館
別記事あげますが、これも流石の物量質。最後は集中力が尽きたので後期に再訪する。

・「京都市立芸術大学大学院美術研究科博士過程展第1期」   1/10迄
樫木知子(油画)、上原徹(版画)、佐野暁(漆工)
こちらもオススメ。樫木知子の作品が目当てだったが、樫木は勿論期待通り、いやそれ以上だが、漆工の佐野の展示が衝撃的だった。
クマさんを乾漆でしかも漆の様々な装飾技法を駆使して、漆のクマさんワールドを作り出していた。
余りにも面白いので、彼の博士論文も通読させていただいたが、これまた面白い。
各章の繋がりにやや無理があるようにも思ったが、個人的に漆とは何かから始まり、なぜ漆のクマさんを作るに至ったかはよく分かった。
論文コピーが欲しい。

・星野画廊
京都に行ったら必ず立ち寄る。今回も稲垣仲静、秦テルヲ、里見勝蔵、他多数。美術館でも観られないような名画が然程広くない空間にみっしり。
眼福。

・「伊吹  拓   あるがままにひかる」   neutron kyoto 1/23迄
実は京都のneutronは初めて。先日、再スタート宣言が出てtwitterのTLが賑わっていた。
今回は、伊吹拓のペインティング。
DMを観て行ってみることにした。線を重ねる抽象作品。再奥のパステルの小品三点が好み。

2011-01-8~13 2011-01-G3~G6

「鉄を叩く-多和圭三」展 目黒区美術館

tawa

目黒区美術館で明日1月9日(日)まで開催中の「鉄を叩く-多和圭三」展に行って来ました。

最近、つとに様々な情報を入手しているtwitter上での評判には上がって来なかったが、年末の専門家が選ぶ2010年展覧会ベスト3などに本展を挙げておられる方がいたので、やはり観ておこうと会期末ギリギリになってしまったが駆け込んだ。

そして、予想通り観に行って良かった。

多和圭三は1952年に今治市に生まれ、日本大学芸術学部で彫刻を学ぶ。その時に師は、柳原義達(カラスの彫刻などで著名)、土谷武である。現在の彼の作品により強い影響を与えたのは土谷のように感じたがどうなのだろう。
そして、当初より鉄を素材にした彫刻を制作。

初個展は1981年神田の真木画廊で、初個展で出展された作品≪弛緩≫1981年も展示されている。20㎝弱四方の正方形の鉄板112枚を敷き詰めた作品。
今回、この112ピースのうち1枚を付けた特装版図録が限定20部用意されている。お値段36,000円で、通常版図録は2,000円である。

1階の作品では、鉄彫刻よりむしろ壁面を飾っていた平面作品≪景色≫のシリーズが気になった。
画面を二つに分けた作品。
極めて単純であるが、紙でしかも平面であるのに、どこか鉄彫刻に似たものを醸し出している。
紙のニュアンスも素敵で、更に素晴らしい作品が2階にあった。

2階は通常あるカーペットをはがしてむき出しのコンクリートの上に作品を展示。
確かにカーペットの上に、多和の彫刻作品は似つかわしくない。
むしろ、屋外スペースの方がもっともっと魅力を発揮できるのではないかと思った。
彼の作品が大地と一体となった時、一体どんなことを感じるだろう。

持ち上げるだけでも重いハンマーによって鉄を叩き作品制作を行ってきたが、近年では石や鉛などの彫刻も手がけているという。

そして、ここで私の大好きな大谷石の彫刻≪景色-蠢動≫2008年がうっすらとブルーの色を湛えて、待っていてくれた。
タイトルからも分かるように、多和はこの作品で、春を生み出すような作品を作りたかったという。
この作品があるコーナーでは鉄彫刻4点あるのだが、全体で見てみると、雨は降っていないのにまるで雨が降っているような、見えない水の姿が浮かんでくる。
それは大きくえぐった大谷石の彫刻のせいなのか、同様に、水がたまるような器のような彫刻作品を敢えて並べていたせいなのかもしれない。平たい作品もあったが、水に濡れたような光沢を放っており、そんなに光っていた作品は他になかったように思う。

多和の作品の多くは、鉄の表面を叩くことで鉄塊に微妙なニュアンス<凹凸>を付け、鉄という重さ、存在感だけを表出するのではなく、鉄が見せる表面の表情を創出することを行っていた。

1階から中央の階段を上がって右側奥の展示室にはついになった≪景色-境界-≫2008年がある。
これは非常に良かった。
前述の紙にもニュアンスを作った平面作品も2点≪景色≫2010年ある。一方は黒、もうひとつは白。
この両者の対比。
黒と白の平面の対比だけでなく、先端がギザギザになったまるで草のような四角の1対の鉄枠作品。一つはやや厚みが大きく、もうひとつはそれよりやや薄めに作られている。

この中で静かに佇んでみると、調和した空間、静かで静謐な雰囲気をたたえた空間だった。

大谷石の作品があるコーナーの反対側のコーナーもとても良かった。
≪黒色-伝承≫2010年。
最新作では、これまでの凹凸で四角の鉄塊でなく、寧ろ逆の方向にある作品を生み出していた。
一つはギザギザの先端、先程の作品と似ているがこちらは真っ黒の鉄枠。
ついになっているのは、山の先端が切り取られてしまったような筒型のオブジェ。
中を除くと内側の鉄の表情が何とも言えない。

もの言わぬ鉄が、これ程語りかけて来るとは、予想外だった。
恐らく、美術館に1点鉄塊の作品があるだけでは感じなかったものが、これだけ一堂に多和の作品を集め、展示したことで、全ての作品が共鳴しあい、それぞれが語り始めたようだった。
一階のカフェ奥にて、多和の制作映像が上映されている。静かな美術館に多和がハンマーを振り下ろし、鉄を叩く音が谺する。

蛇足だが、ちょうど私が訪れた時間帯に、非常に有名な日本人男性写真家が展示を観に観て来ていたので驚いた。
しかも、イメージ的には意外な感じ。彼と多和さんとは、どこかで繋がりがあるのかもしれない。

鉄彫刻もだが、ドローイングの平面作品にも注目して欲しい。
目黒区美術館は最後の巡回先です。未見の方はお見逃しなく。

2011-01-7

[第5回 shiseido art egg」 藤本涼展 <かすみをたべて幻視する。> 資生堂ギャラリー

hujimoto
「live on air (airplane)」 2010年

「第5回shiseido art egg 展」の3名<藤本涼、今村遼佑、川辺ナホ>の入選者が決定した。
藤本涼展<かすみをたべて幻視する。>1/7(金)~1/30(日)に行って来ました。

彼の作品を最初に観たのは、2年前のTWS本郷の「New Direction」展。この企画展では、藤本涼と宮永亮の2人が強く私の印象に残った。
その後は可能な限り追いかける。

藤本の場合、昨年の東京芸術大学卒先端芸術表現選考修了制作展、BankArt、G/P galleryでの個展「live on air」と観ている。ちなみに彼は今回の入選者3名の中で最若手1984年生まれ。
という訳で、「第5回shiseido art egg 展入選の報を聞いて我がことのように嬉しかった。
藤本涼のWebpage ⇒ http://members3.jcom.home.ne.jp/moryo/

あの天井の高い空間をどうやって使用するのか、新作は出ているのか、私の関心はそこにあった。

本展では、手前の大展示室で従来から続いているモノクロ「live on air」のシリーズから14点、小展示室で初公開の新シリーズ「planet」6点を展観する。

1階の階段を降りる手前の踊り場にまずはモノクロ2点。黒っぽいモヤが画面を覆い下部に人の姿がうっすらと。霧が立ち込める中での山登りのような光景。

さて、大展示室左手の壁面には大作が上部に1点「live on air (airplane)」2010年(上画像)が、存在感を放っている。 展示室にこの1枚が非常に有効に配されていて、おかしな例えだが、教会で言えばキリストのような存在となっていた1枚。
しかも、モチーフは上昇する1機の飛行機の機影。

上へ上へと上昇するそんなアーティストになって下さると応援の甲斐もある。

壁単位に写真の大きさを変えて展示されている。
既に観たことのある作品も多かったが、モチーフは同じでも構図などを再構成した作品も数点あった。
藤本の作品は実際に見ることのできないイメージを獲得するためにカメラ、写真というメディウムを用いて作品を制作する。
元になっているモチーフはデジタルカメラで撮影し、それを別の素材と組み合わせて構図、構成、イメージを作りだし再びポジフィルムで撮影する手法。

確かにカメラ、写真を使用しているが、イメージを創出するのであれば絵画と同類項で、彼の作品を写真の枠に安直にはめこみたくない。

そんな制作意図が如実に現れているのが、奥の小展示室にある新シリーズ「planet」。
こちらは、より一層絵画を観ているような感覚を抱かせる。

特に最奥にあった大画面の2点「planet(aircraft)」2010年「planet(fly)」2010年は、丸山直文の絵画の背景を思わせるようなにじみやぼかしがカラフルな色彩で背景に使用されている。
色づかいを観ているだけで、抜群の色彩センスの持主であるように思った。
これまで、カラー作品は学生時代に制作した2点しか実作は拝見していないが、これまでにない新境地を見せている。

作品は全てアクリルにダイレクトプリント。全体を通してサイズの小さな作品より、大作の方がより彼の作品の魅力がダイレクトに伝わって来ると感じた。
個人的には、新シリーズの方が好みで「live on air 」シリーズはモチーフそのものにぼかしが強く出ていない(tower)(bridge)などが良かった。

今後の新シリーズの行方にも大きな期待を寄せている。

2011-1g-1

「山口晃展 東京旅ノ介」&山口晃 版画展 「日清日露戦役擬畫」 銀座三越8階

yamaguchi

2010年も押し迫った大晦日。
この2010年の最後に観たのが、銀座三越で1月10日(月)まで開催中の「山口晃展 東京旅ノ介」。

デパート自体はお正月準備の買い物客でそこそこ賑わっていましたが、展覧会自体はさほどの混雑もなく、のんびり拝見できました。

その前に同展が開催されている8階催物会場とは反対側に美術ギャラリーがあり、そちらでは山口晃 版画展「日清日露戦役擬畫」も同時開催されています。

美術ギャラリーは見過ごしがちですので、催物会場だけでなくギャラリーも必ずお立ち寄り下さい。

私は、まずは美術ギャラリーの版画展から拝見。
昨年12月は、NHKで3年連続ドラマ「坂の上の雲」が放映されており、昨年度は広瀬武夫少佐(死亡後に中佐昇格)が日露戦争閉塞作戦で戦死した所で終了した記憶がまだ強く残っていた、ちょうどそんな時に、山口晃の日清日露の版画連作である。

もうたまりませんでしたね。
特に私のツボにはまったのは大山巌陸軍元帥の肖像。本人の写真も観ていたので、あまりのソックリ加減に思わず笑みがこぼれました。しかも、なんだかチャーミングで、私の中にあった大山巌元帥のイメージにピタリと一致した。
そして、馬に乗ったコサック兵の凛々しいこと。正岡子規もTVドラマの香川演じるイメージそのままだった。
案の定、山口さんも『坂の上の雲』に影響を受けて、この版画シリーズを制作したと説明書きがあった。
このシリーズだけで作品集を出していただきたい。そしたら即買いします。
版画の方がさすがに、かなり良いお値段していました。いや、ファンであれば、むしろお値打ちなのかもしれませんが。

版画にのぼせた頭で催物会場の「東京旅ノ介」展の方に向かう。
まずは、「東京百景シリーズ」から。
旅の案内役は山口画伯ご本人。墨?で似顔絵と台詞付きで観客を旅へと誘います。こういう演出が山口さんらしい。
昨年の「山口晃 いのち丸」展も勿論、拝見させていただいたが、あちらも遊び心があって楽しい個展でした。

「東京百景」では、≪谷中雨宿り≫、≪東京タワー≫、≪上野桜が丘≫、≪湾岸の景≫など2010年の新作が並ぶ。
そして、ご存知≪百貨店圖≫シリーズが。日本橋三越本店を描いた作品が3点(いや2点だったか)、三越だけにさすがに所蔵先も三越本店になっていた。

次に「東京旅ノ介」
(1)みずべ
≪水辺に関する腹案≫2010年

(2)露電
この露電のコーナーが非常に面白かった。想像上の乗り物なのに、実際に再現された露電が一台会場内に展示されている。こんなのが、街中、例えば谷中や根津あたりを走っていたら、さぞかし楽しいことだろう。
実に様々な電車の種類があって、それがまた面白いのだ。
≪都市交通腹案≫2010年、これらは制作の苦しみもあるだろうが、山口画伯ご自身も楽しんでおられるように感じる。だから観ていてこちらも楽しくなってくる。

(3)屋上の街
ここは過去の作品の中から≪東京圖 六本木昼圖≫2002年など、現代の洛中洛外図戸しか思えない緻密な作品が再び登場。

間にこれまでの主要な作品が展示され、ちょっと旅から脇道に逸れる。

≪五武人図≫2003年、大山崎山荘美術館で展示されていた≪最後の晩さん≫2008年など。他に前述の版画の原画がこちらには展示されている。

再び旅に戻る。
「街の中の美のよりしろ」、これは確か日経朝刊に連載されていた。
①ビデオカメラの内部
②波板
③電柱
④赤と白の鉄塔
⑤寺にある小屋 
⑥モノレール車内 ⇒ 桂離宮の桂棚をイメージ
⑦鞘堂 ⇒ 足場を組んで仮設されるもの

最後に、自由研究(柱華道)。
これも大山崎山荘美術館での展覧会で発表されていたものも一部あったが、寧ろ、今回は更にバージョンアップしていた。しかし、あの巨大な電信柱のオブジェは個人蔵になっていたが、普段どうしているのだろう。
せっかくだから、建てておいて欲しかったりする。

今日、twitterのタイムラインを追っかけていたら、デザインの藤崎さんかアーティストの方が電信柱が美しいと呟きに画像を掲載されていた。
やはり、電信柱や電線は、感性に何か残るものがあるのだろう。

山口晃 トークショー 9階銀座テラス/テラスコート
1月8日(土)正午~
その後14時~ サイン会 先着 100名限定
※サイン会当日、会場内で対象書籍・ポスターをお買い上げいただいた方には、先着で「サイン会」参加整理券配布。

会社の同じ職場の方にチケットを差し上げたら、何と1時間半も会場にいたとのこと。
彼女もはまったのは、露電と電信柱だったそう。
普段、美術に関心がない方でも楽しめます。
気楽にふらっと立ち寄ってみてはいかがでしょう。

「これは本ではない-ブック・アートの広がり」 うらわ美術館 

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注:チラシ下部が切れているのは、元々こういうデザインによるものです。

埼玉県立近代美術館を訪れたら、ぜひお薦めしたい展覧会がもうひとつ。
1月23日(日)までうらわ美術館で開催中の「これは本ではない-ブック・アートの広がり」展です。

埼玉県立近代美術館は北浦和駅から徒歩3分、うらわ美術館はお隣の浦和駅から徒歩5分程度。
浦和ロイヤルパインズホテルが入っている浦和センチュリーシティ3階にあります。

うらわ美術館は、「本をめぐるアート」を収集の柱としており、現在本に関する作品のコレクションは1,000件を超えているそうです。
本展では、収蔵作品に加え、ブック・オブジェの数々や中堅・若手作家のインスタレーション作品を紹介しています。
これらを通して「本ということ」の見えない側面に迫ろうとするものです。~チラシより引用。

昨年の同館で開催された開館10周年記念「オブジェの方へ-変貌する「本」の世界」展で、目を見張るようなブックコレクションの数々が紹介されており、この図録はあっという間に完売。図録もさすが「本」にこだわる美術館だけあって、ビジュアル的に優れた大版サイズ。訪問時には完成していなかったので、後で買おうと思ったら完売と言われ呆然。漸く、昨年末に古書店で見つけた時は驚喜した。ちなみに値段はプレミア付いてましたが入手できたことが嬉しかった。

そして、迎えた今年は一体どんな「本をめぐるアート」が飛び出すのか期待で一杯。
出品作家は、荒木高子、遠藤利克、柏原えつとむ、河口龍夫、カン・アイラン、長沢明、西村陽平、福本浩子、三島喜美代、村岡三郎、八木一夫、吉増剛造、若林奮、渡辺英司(50音順)。

荒木高子、遠藤利克は昨年の展覧会にも出展、特に遠藤の本を燃やした真っ黒なコールタールのようなオブジェは忘れられない。

今年、私が一番印象深かったのは、カン・アイランの部屋。
カン・アイランはヴァンジ彫刻庭園美術館でも昨年個展が開催されたが、今回の方が展示室1部屋に作品が凝縮されており、カン・アイランの世界を展示室全体に作り上げていたように思う。
≪Open Book-Holly Bible≫2010年、≪The Sublime≫2009年、そして≪TV Book-般若心経≫2008年など。
いずれも韓国のポシャギをモチーフとして使用されている美しい色で発光する本は、本と私たちの関係を再度問いかけて来るようだ。
美しく光るTVモニターに映し出される僧侶の姿は、文字ではなく映像で般若心経の精神を伝える。

・長沢明
彼は日本画家として著名で、個人的には長沢の日本画も好きだが、木を素材としたブックオブジェを制作しているとは全く知らなかった。
日本画家による木製ブックオブジェや本にコラージュした作品は1997年の1年間のロンドン留学の際に見た大英博物館での書物の堆積圧倒され、本の存在感を表現したかったようだ。
特に、本にコラージュした作品は、全部持って帰りたくなる誘惑にかられる。
それほどまでに素敵だった。瀧口修造がこれを観たら果たして何と言っただろう。
これらの作品は全て、作家蔵になっていたのも気になる。

・柏原えつとむ
未知のアーティスト。≪THIS IS A BOOK.≫1970年は、本に本への問いかけがシルクスクリーンで刷られており、限定100部で発行された。1973年に改訂版として発行されたものはオフセット印刷で本文の用紙も黒から灰色に変更されているそうだが、改訂版の展示はない。
が、観ずとも初版のビジュアル的美しさは改訂版の比ではないだろう。

全頁にわたって「これは本である」と様々なフォント、デザインでシルクスクリーンが施されていて、展示されているのは見開き2ページ分だけだが、図録に派16種類の見開きが掲載されている。

・三島喜美代
≪20世紀の記録≫2010年は新聞や雑誌をそのまま陶土に印刷したようなレンガブロックの山。他には、少年・少女漫画雑誌、サンデーやコミック、果ては折り畳まれた新聞紙を陶芸作品でまんま制作した作品≪Comic Book≫1976年、≪WORK-96A≫1996年。
本物そっくりで紙を陶で表現する限界に挑戦している。

・福本浩子
彼女のインスタレーションも圧巻である。≪THE LIBRARY OF BABEL≫2010年は情報を観念的なものでなく、<場>として存在していることを表現するために今回の作品を制作。本や印刷物から作られたブロックを塔に仕立て上げt組み上げている。

・渡辺英司
≪蝶瞰図 うらわ美術館 ウォールケースインスタレーション≫2010年は、うらわ美術館の長さ28mもの壁際にあるガラスケースに蝶の図像が等間隔に貼られている。
あいちトリエンナーレ2010でも長者町会場で彼のインスタレーションは大きな話題をさらったが、本展においてもガラスケースという与えられた空間を存分に発揮し、図鑑と合わせて切り抜いた蝶を並べるが、まるで本物の蝶が標本のように、いやガラスケースに閉じ込められてしまったかのようだ。

遠藤利克、河口龍夫もお馴染の作品で新たなインスタレーションを展開。こちらも見ごたえがある。

今回は忘れずにしっかり図録を予約し、年末に届いたがやはり今年も同じく大判でビジュアルブックのような美しさ。行かれた方はぜひ図録もお手を取ってご覧ください。 

*巡回はありません。お見逃しなく!

「植田正治写真展 写真とボク」 埼玉県立近代美術館

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前回の続き。
宇都宮美術館を後にして、帰りは大宮経由北浦和で下車。埼玉県立近代美術館で1月23日まで開催中の「植田正治写真展 写真とボク」に行って来ました。

この展覧会は行こうか迷っていたが、ブログ「関東近辺の美術館めぐり」さんの記事を拝見して、やっぱり行こうと決めた。
植田正治は私にとって実に思い出深い写真家である。まだ美術館めぐりを始めた頃、2005年に初めて東京都写真美術館で「写真の作法」展で植田正治の写真を観て衝撃を受けた。
ここで、初めて写真のポストカードを購入。それが植田の「童暦」シリーズの乳母車を押している影絵のような1枚。
この写真は本展にも出展されていたし、名古屋の家の冷蔵庫に今もしっかり貼られている。
更に、その後鳥取県の植田正治写真美術館(設計:高松伸)に建築を観に行く目的もあり、2007年8月に訪れた。
過去ログ:http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-150.html
植田正治が亡くなったのは2000年で、2010年は没後10年記念ということで大規模な巡回展が開催され、今回は最終巡回先の郡山市立美術館の前で埼玉での開催である。
初期から晩年までの代表作約200点を鳥取県の植田正治写真美術館のコレクションによって構成、更に没後発見された未整理未発表のネガによる初公開作品も10点展示されている。

また、昨年はミュゼ浜口陽三コレクションでも、浜口陽三と植田正治の二人展が開催され、記事は書いていないが、こちらも拝見した。が、展示数が極めて少なかったので物足りず。
しかし、本展は違う。200点でしっかり植田の仕事を振り返る内容となっていてとても満足できた。1993年に東京ステーションギャラリーで開催された「植田正治の写真展」の映像(45分)も会場の最後に上映されている。

構成は次の通り。
Ⅰ.初期作品
Ⅱ.砂丘劇場
Ⅲ.家族
Ⅳ.風景、「かたち」・・・1950年代の作品より
Ⅴ.童暦
Ⅵ.風景の光景
Ⅶ.小さい伝記
Ⅷ.音のない記憶
Ⅸ.オブジェなど
Ⅹ.砂丘モード

植田と言えば、「植田調」という言葉が海外にも広く知られ、当時、日本の写真界では木村伊兵衛、土門拳らの絶対リアリズム重視の写真が主流派となっており、演出、芸術写真の植田は自ら生涯アマチュア写真家を標榜し、鳥取県で写真活動を続けていた。
たとえ、主流でなくても自己流を貫き通した植田の写真は絵画、美術から写真を観ることを始めた私にとって、リアリズム追求写真より自分の中にするすると入って行った。
よくよく作品を追って行くと、マン・レイ風のソラリゼーション作品あり、シュルレアリスム風の作品あり、アンドレ・ケルテスを思わせる作品あり。
やはり、植田ならでは!と思わせるのは砂丘シリーズからであろう。

私は、彼の構図が好き。後述の童暦シリーズはちょっと別として、他のシリーズ作品の大体は構図に強く惹かれる。

絵画とは違う、写真の魅力。
それを最初に私に教えてくれたのが、植田正治であったと思う。

今回初期作品から砂丘⇒童暦⇒風景の光景⇒音のない記憶と順を追って観て行くと、常に写真に対して一貫した姿勢を通していることが良く分かる。
思い出深い童暦シリーズを前に、2005年に最初にこのプリントを観た時のことを思い出し、ぐっと来るものがあった。
先日写真美術館で、ニュースナップショット展を拝見したが、あそこで展示されていた写真は全てインクジェットプリントだったが、今回はごく一部を除いてオリジナルプリント(ゼラチンシルバープリント)だと思われる。作品リストにもキャプションにも記載がなかったが複写プリントだけ注記されていた。
やはり、プリントの質がまるで違う。

これがプリントの良さかと改めて、特に好きな写真は舐めるように眺めて観て来た。
本展図録は高精細印刷で現代の印刷技術の粋を活かした内容だが、やはりオリジナルには敵わない。
写真集でも良い写真家とオリジナルでないとという写真家両方あっても良いし、それぞれで作品の魅力が出せれば良いと思うが、植田の場合は、プリントが美しいように思った。
と言っても、何しろド素人のいうことなのであてにはならない・・・のが悲しい。

音のない記憶シリーズは今回初めて観たかもしれない。こんな重要なシリーズをプリントで見たことがないとは何とも恥ずかしい限りだが、写真集『植田正治小旅行写真帖 音のない記憶』1974年をどこかで観ることはできないだろうか。モノクロ180点からなる写真集というから、探してみよう。
今回展示されていたのは、同シリーズからは僅か10点。

また、未公開の10点は「特別展示 僕のアルバム」と題し、主に植田の妻である紀枝婦人のポートレート中心に家族や身の回りのもの、猫とか、植田の温かなまなざしが感じられる作品群。
1935年から1960年の間に撮影されたものと推定されている。

この展覧会を機に、埼玉県立近代美術館の会員に入会。
次回展がまた楽しみなのである。これで企画展は何度行っても無料。植田正治写真展もできれば再訪したい所。

2010-1-6

「日本近代の青春 創作版画の名品」 宇都宮美術館

創作版画

青春18きっぷの3回券を予定通り入手できたので、宇都宮まで行って来た。
目当ては、1月10日まで開催中の「日本近代の青春 創作版画の名品」。昨秋、和歌山県立近代美術館で開催された企画展の巡回である。和歌山まで行けなかったので、宇都宮で観ることができて本当に良かった。

本展は、国内有数の質と量を誇る創作版画コレクションを有する和歌山県立近代美術館の所蔵品に貴重な個人コレクションを交え、1900年代から1940年代までの名品約400点を一堂に展観するものです。

残念ながら、宇都宮美術館の企画展には毎回作品リストがない。
今回も係の方にお尋ねしてみたが、「今回はお作りしていません。」とのこと。「今回は」ではなく「今回も」とか「いつも」の間違いではないかと思ったが仕方ない。
考えてみれば、作品リストがちゃんと用意されているのは日本くらいかもしれない。
台湾もソウルにも、ヨーロッパもアメリカも作品リストなどなかった。
台湾とソウルはリストの代わりに、図録のダイジェスト版が日本円で400円~600円で販売されていて、それを購入している方を多く見かけた。

話を戻す。
時間もなかったので、展覧会構成をメモすることもできなかったが、年代順の構成で展示されている。
版画作品だけでなく、版画雑誌「方寸」これが冒頭にずらりと創刊号から並んでいたのは壮観(シャレではない)な光景で、版画好きにはたまらない。

全体として、以前千葉市美術館他で開催された「日本の版画」シリーズを一気にまとめたような内容。しかし、近年の研究成果「版画の素材、主として紙の構成などの分析」が壁に展示されており、図録掲載論文と合わせて読んでみたが面白い内容だった。それによれば、楮やパルプ紙、みつまたなど版画を摺る素材に工夫が観られる。

見どころとして
1.創作版画の成り立ちから戦後昭和の版画に至る過程を名品と辿れる。

2.代表作だけでなく、有名な版画家の珍品も出展されている。
  特に、個人蔵のものなどは、なかなかお目にかかれない作品が何点もあった。

3.主要作家だけでなくそれほど有名ではない作家の作品も取り上げていること。
  すなわち、作家の名前でなく作品そのものの重要性や質で出展作品が決定されていると思った。
  よって、知らない作家が何人も出て来たがそれが非常に興味深かった。

4.版画作品だけでなく、絵ハガキ、雑誌、蔵書票など版画にまつわる様々な資料も展示。

創作版画とは、浮世絵のように摺りは摺り師、彫りは彫り師という分業制ではなく、「自画、自刻、自摺」にこだわった動きで、1920年代頃から始まった。
創作版画は複製芸術を目的とせず、自刻、自摺を旨とするといった宣言は、なかなか海外では評価されずジレンマになっていく。

そんな中、大正新版画では、彫りだけを専門とするものに任せた作品が登場してくる。
これは、江戸東京博物館で開催された「よみがえる浮世絵 大正新版画展」に詳しい。本展でも竹久夢二や橋口五葉に加え、意外だったのは、川端龍子≪月夜のヨット≫1916年、また、橋口五葉が彫り専門に任せて最初に制作したという≪邪馬渓≫1918年は風景を描いた大型版画で色鮮やか、線も美しく見事だった。

個人的には、何点の出ていた織田一麿の東京風景、木場雪景等の版画などにやっぱり惹かれる。織田の版画だけでなく絵画も好きなので、一度どこかで織田一麿の回顧展を開催してくださらないものだろうか。

以下気に入りの作品、印章に残った作品。
・岡本帰一 ≪花≫1914年
・広島新太郎 ≪夕暮小景≫1916年
・バーナード・リーチ≪天檀≫1916年
・清宮彬 ≪花≫1915年
・寺崎武男 ≪運河≫
・藤森静雄 ≪路傍の子猫≫
・大田三郎 ≪銭湯≫1914年
他に徳力富吉郎、高羽敏は未知の版画家、確か図録を確かめたらいずれも川端画学校出身だったように記憶している。。冒頭にあった藤島武二『毒草』、石井柏亭、戸張狐雁(戸張の作品は思いのほか沢山出ていて嬉しかった)、川西英などはお馴染の作家。

あと、恩地孝四郎の写真も数葉出展されていたのが、目を惹いた。
恩地が写真を版画制作に使用していたというのは、2009年の豊田市美術館で開催された「近代の東アジアイメージ」で初めて知った。上記展覧会で恩地の写真と全く同構図の版画≪円波≫1939年が展示されていて、驚いたが、今回は別の写真が展示されていたのは興味深い。

和歌山県立近代美術館で開催された同展の感想は「遊行七恵の日々是遊行」をご紹介致します。以下。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-1998.html

常設展示では、件の恩地孝四郎の自画像(油彩)をはじめ、マグリット、クレーの水彩2点≪舞台稽古≫1925年、≪尊大≫1926年、カンディンスキー≪鎮められたコントラスト≫1941年、≪横切る赤≫1931年、モホリ=ナギのリトグラフをはじめ、デザインに関する展示品がいつも通り充実している。

2011-1-5

「トランスフォーメーション」 展  東京都現代美術館

transfomation

東京都現代美術館で1月30日まで開催中の「トランスフォーメーション展」に行ってきました。

この展覧会のテーマは「変身・変容」をテーマに人間とそうでないものとの境界を探るものです。

「近代芸術が人間の思想をもとに進められている。近代芸術に対する批判。無意識を無視しているのではないか。
日本では変身の話が多い。大きな文化の違い。創造力の幅の違い。
自分の考えがどこまで広がるか。」
以上は丸の内カフェでキュレーターの長谷川裕子氏が本展に関する講演を行った際にお話されていたことです。

出品作家は、実に多彩な顔ぶれで21組  15カ国。
出品作品の8割が映像なので、まともに観ると時間がとてもかかる。
映像苦手な方は最初から覚悟して行かれた方が良いです。更に、ヘッドホンが必要な作品がいくつかあるのに、肝心のヘッドホンが1つしかないとか。今日は空いていたので良いですが、もう少し混雑していたら、まともに観賞できる展示状態ではない箇所も多数あり。特にひどいのは、マシュー・バーニーの展示室で詳細は後述します。

・パトリシア ピッチニーニ  1965年生まれ  オーストラリア
非常に精巧な生きものを彫刻で作るアーティスト。
《sandman》溺れているうちにエラができる。日常の延長。気付いたらエラができる。あの映像でエラが首に出来始めたのに気づかなかった。後で思い出したが後の祭り。

・及川潤耶  1983年生まれ 
サウンドパフォーマンスで真っ暗な部屋で聴く出品作《transfomation》2010年は、これまで聴いたことのない音の流れ。
立体的でもある。思い出したのは、ジャネット・カーディフらの作品
及川の声が電子音によって変容するが、彼と山川冬樹のパフォーマンスをはやっぱり観たかった。

・トゥンガ  ブラジル  1952年生まれ
猫と一体になってヒゲをそる。《キメラ》2004年は少し観てもういいやと思った。私には面白くなく退屈。

・パールティ・ケール 1969年生まれ インド ニューデリー在住
変容というテーマをもっとも表現できていたかもしれない。
・ジャガンナート・バンダ 1970年 インド在住
《叙事詩》にはヒンズー教の古代神がモチーフとして登場する。布を使用して絵画と組み合わせるコラージュ風作品は非常にインドのアーティストらしさが現れていた。動物と神々との寓意的使用にも注目。

「悪業を重ねる度に変容していく。動物や鳥の中に人間の姿はない。インドのアーティストには宗教的なものからなのか変容の考えが根底にあるとのことだった。変身の願望。ある意味野生的なものが内在。
人体彫刻がどんな意味を持つのか。木に変身していく様子。
トランスフォーメーションは一瞬をとらえている。」これも長谷川氏の講演でのお言葉。

・小谷元彦
本展出品作は東京芸大在学中の作品。《僕がお医者さんに行くとき》1994年は自分の体の一部のイメージが拡大し変容。自分の体についた吹出物を表現している。それにしても、可愛らしい作品タイトル。

・フランチェスコ クレメンテ  1952年生まれ
以前ある古本屋でクレメンテ展の図録が素敵だったので買ってしまった。実作品を観たのは初めて。体の一部が動物と合体した自画像を多く制作しているそうだが、図録を観てみると身体に言及した作品が多い。その中の一部に動物が登場しているようだ。

・ジャジア・シカンダー  1969年生まれ パキスタン生まれ
「ドローイング。様々なものが合体する。アニメーション。ミニアチュールペインティングは細密画。脱構築 コンストラクション。
アニメーション、線が得意、時間性。イマジネーションの緩急。固定した形としてとどまらない。」というのが長谷川氏の解説。
イメージの増幅が凄かった。

・マシューバーニー 1967年生まれ  アメリカ
医学で身体変容。映画《クレマスター3》2002年(180分)に関する写真と彫刻も併せて展示しているが、肝心の映画を観ないことには何のこっちゃではなかろうか。
バーニー最新作は再生をテーマに作る。
この展示室は最悪な状況。3時間もの映像は作品を上映しているというのに椅子ひとつないどころか、スクリーンではなくテレビモニター2つが上に吊るされているだけ。
バーニーの映画を目当てに来場している人がいたら愕然とするような状況。それでも観始めたらやめられなくなって、つまり面白いのだ。座り込んで観るしかなかった。今日はジーンズで良かった。カバンを座布団代わりに。
でも、今日観た映像では一番インパクトが強かったし、展開が読めずスリリングかつスリラー。しかし何より気持ち悪いものを映していても映像が美しかった。

・石川直樹  1977年生まれ
文化人類学的視点で写真を撮影。今回は、エベレスト登頂の映像と写真。

・ヤン ファーブル
映像は意味不明。後半の自画像彫刻くの変容性はファーブルらしい。

・高木正勝  1979年生まれ
鳥は四原色で観た世界。恐竜が先祖。鳥の目で観た映像《イネメ:1、イヅミ》《イネメ:0、エウラン》を本展のために制作。
これは良かった。四原色の世界がこれだけ多様に繰り広げられているのか、鳥の目も悪くないかも。視覚世界に吸い込まれるような印象を
受けるた。

・マーカスコーツ  
病気で来日できず。作品は音声を介した変容の試み。しかし、ヘッドホンの数が1つか2つ?しかない。混雑したら、まるで鑑賞できない。この展示方法も不満。

・AES+F  ロシア  1950年代生まれの4人グループ
《last  riot  最後の暴動》2007年  どこにもない場所の実現。CGを使用したアニメーションだが、3面スクリーンとこちらはスペースも音響もバッチリ。でも内容は今ひとつ。

・スプツニ子  1985年生まれ  現在ロンドン在住
3つの映像作品。これは面白かった。彼女のこれからの作品は非常に楽しみ。ジェンダーを扱いつつ、テンポ良い音楽とともに見せてくれる。実際に撮影に使用したと思われる小道具も併せて展示。《 生理マシーンタカシ》の場合  女性にとってエッセンシャルなものを男性に体験させる。他に《寿司ボーグ☆ユカリ》《カラスボット☆ジェニー》いずれも2010年制作、特に前者は人間とサイボーグの関係以前に海外における寿司=日本の図式化に意識が向いた。

・ガブリエラ ・フリドリクスドッティ 1974年  アイスランド在住
《バーセイションズー四部作》は東西南北をテーマに4編の映像。北をイメージした作品が一番凄かった。自然と人間の一体化。

・ヤナ・スターバック  1955年生まれ カナダ  
  犬の視点で見たヴェニスの映像。こちらも3面スクリーン。映像としては美しいがインパクトはなし。解説がなければ犬の視点で観た映像とは分からず。

・アピチャッポン・ウィーラセクタン  1970年生まれ チェンマイ在住
あいちトリエンナーレの映像プログラムでも彼の作品は数本観てそのいずれもが異なる雰囲気で、作品の方向性が見つけづらかったが、その分興味を惹かれる映像作家であった。今回は、新作2010年《木を丸ごと飲み込んだ男》2010年はジャングルに繁茂するツタと戦う森のレンジャーがテーマ。シダの繁殖とドラッグの関連性。
これは難解。

・サラジー   アメリカ
通路にサラらしいインスタレーション(ミクストメディア)。この作品と変容の関係性は見えない。

・イ・ブル   韓国
今年個展が開催医される予定のイ・ブル。
植物と昆虫が合体した様なオブジェがアトリウムに釣られている。透明なビーズのようなものを使用した作品はキラキラ光って、白のオブジェよりこちらの方が好き。

・サイモン・バーチ 香港
間もなく広島市立現代美術館で個展が開催医される予定されるサイモン・バーチ。展示室内の中央に立つと四面に映写される虎が周辺を回る。結構この作品は気にいった。トラに観られている自分。いつもの動物園のトラの立場との逆転の体験。

ところで、1月3日は浅井裕介による描き初めのパフォーマンスが開催された。
13時から始まって14時10分過ぎに完成。縦は何メートル、10メートルくらいあったか?の和紙に墨汁で大胆にいつものようなドローイング描き初め。他に2人のパフォーマーが和紙の周囲をダンスしつつパフォーマンスして花を添える。この企画、観客みんな大喜びで盛り上がりました。

完成した作品は、私が帰る頃、ドライヤーを使用して必死に皆さんで墨を乾かしておられました。せっかくなので館内にぶらさげて展示していただきたいなと思います。

今回は常設のピピロッティ・リストの特集が凄かった。
MOTの常設は侮れない。3階のアンデパンダンの特集も良かったし。常設だけ再訪しよう。
「オランダのアート&デザイン新・言語」は入場料と内容が比例していないように思った。30分足らずで退出。
こちらも1月30日まで。

2011年1月2日 鑑賞記録

本当は、朝一番で東近美のお年玉(図録プレゼント)を狙おうと思ったのですが、やはり起きられず。最近、やや夜型に移行しているので、生活の立て直しを図らねば。

ということで、11時頃家を出て、夕方頭痛の症状が始まったので帰宅。手短に鑑賞記録です。

1.「江~姫たちの戦国~」展 江戸東京博物館 2月20日まで

今年のNHK大河ドラマは「江~姫たちの戦国~」で上野樹里が江姫役とか。水川あさみが姉の初姫役、この配役で「のだめカンタービレ」を思い出すのは私だけではないだろう。
展覧会はまさに、この大河ドラマのために作られた内容。いわゆる番宣。
1月11日からオンエアの初回を観てから行くも良し、観る前に予習で行くも良し。
人間関係が分かりやすく解説されているので、そのあたりをしっかり押さえてドラマに臨むと良いと思います。
個人的には、今更感が強かった。

なぜか、一番印象に残ったのは秀吉が側室松の丸の腹痛を心配して送った消息(手紙)。過剰なまでの心遣い。秀吉の人物像の一端を垣間見る。むしろ、松の丸のそっけない返事と比較すると尚面白い。

2.「林芙美子と東京放浪」 江戸東京博物館常設 1月10日まで。
<展示構成>
1.『放浪記』以前
2.東京放浪
3.職業放浪
4.放浪の終わり

先日職場で、なぜ5千円札は樋口一葉なのかという話題が出て、林芙美子の名前もその時挙がった。『放浪記』が有名だけれど未読。
今回は、林芙美子の放浪人生を辿りつつ、当時の世相や風俗に関する展示も併せて紹介している。
華麗なる男性遍歴、しかし最後には画家である夫:手塚縁敏をしっかりGETし、『放浪記』も売れたため、最後は裕福な人生を送ったようだ。
東京放浪中に様々な職業を転々とし、自らの経験を小説化するという。バイタリティ溢れる大正のモダンガールの生きざまをみた。彼女の遺品であるヨシノヤ製のパンプスは今でも履けそうなデザインだったな。

織田一麿の絵画、版画?も複数枚出ていたり、山名文夫の「カフェバー広告図案集」、今和次郎の「新宿飲食店分布図」「銀座のカフェ―女給さん服装」、平塚運一「仲見世」、そして最後には林芙美子自身が描いた自画像もあって、さすがに上手くはないが、絵が好きだったんだなぁと。そして、負けん気強そうな人だなと自画像を観ながら思った。

3.特集「明治流行 うさぎづくし」 江戸東京博物館常設 2月13日まで
今回の江戸東京博物館での一番の驚きはこれ。
明治時代に、江戸時代には外来種で日本にはいなかったウサギが入って来て、俄かにウサギブームがやってくる。
特に人気があったのは白地に黒の斑点の「黒更紗」と呼ばれたうさぎ。
このウサギブームによって、ウサギの売買が盛んに行われ、「兎番付」やら売買をめぐって、殺人事件や詐欺事件が起こるなど、明治時代は大変なことになっていたようだ。
諸々の事件のエピソードが展示されているので、展示資料と合わせて読むと面白い。これも明治という時代を象徴している。


この後、写真美術館に「ニュー・スナップショット」展とスナップショット展を観に行く。2回目。今日は新進作家のニュースナップショット展のアーティストトーク(小畑雄嗣と池田宏彦)があったので拝聴。一応、メモは取ったが、池田宏彦さんの映像作品の音楽は気になっていたので、あれが誰のどんな曲でなぜその曲を選択したのかが分かったのは良かった。
彼の場合、イスラエルというモチーフそのもので目を惹く。写真より私はむしろ映像の方が良いと思っていて、トークを聴いて、どこから観ても良いけれど、最初から順を追って観るように制作されたと聞いて、頭から観て良かったと納得。


3階の「スナップショットの魅力」展は、2回目だともろに個人的な好き嫌いがはっきりする。
1回目では、それ程でもなかった写真家の作品が気になったり、逆もまた然り。
でも、ライアン・マッギンリーが良いと思ったのは変わらず。
むしろ、2回目で面白いと思ったのは、ポール・フスコのロバート・ケネディ大統領の葬送列車を見送る写真シリーズ。これは、じっくり観た。
今回の「スナップショットの魅力」展出展作家の中で、ザ・サートリアリストとライアン・マッギンレーの2名は昨年の東京フォト2010でジェイムズ・ダンジガ―(元マグナムフォト・アメリカディレクター)が推薦する世界の10名の写真家に含まれていた。過去ログ ⇒ こちら

ウォーカー・エヴァンズ。リチャード・アヴェドン、特にアヴェドンのディオールの新作を撮影した1枚はドレスをあれだけ美しく、造形重視で撮影できるのは神業。アヴェドンは他の作品をもっと見たい。

鷹野隆大の男性ヌード以外の写真は今回初めて観た。初公開だった筈。「カスバ」と名付けられたごくどこにでもあるような日本の街の風景。鷹野によれば「どうしようもなく退屈な場所をかすみたいな場所として、カスバと名付けたが、嫌なんだけどイイ感じがある。カスバは自分を生み出した土壌であり、自画像みたいなもの」。
このシリーズの中に、どこかで見た風景がと思ったら、愛知県・豊田市小阪本町だった。私は昔、この辺りによく行っていたので妙に懐かしかった。
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