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「佐藤忠良展 ある造形家の足跡」 世田谷美術館

佐藤忠良

世田谷美術館で3月6日まで開催中の「佐藤忠良展 ある造形家の足跡」に行って来ました。

佐藤忠良は、宮城県に1912年に生まれ、北海道で育ち、20歳で上京、その後東京美術学校彫刻科に入学。以来80年近くの歳月を具象彫刻に費やした彫刻家で、白寿になられたとのこと。

本展は、宮城県立美術館と世田谷美術館、各館コレクションの交換展として企画開催されたものです。
展示品の中心は、宮城県立美術館所蔵作品になっていますが、この機会に、佐藤忠良の仕事を徹底的に調べて検証され、まさに同氏の仕事を網羅して検証するまたとない展覧会。
出品作品は、ブロンズ彫刻約80点をはじめ、素描・約70点、絵本・挿絵原画・約70点、初期作品や関連資料合わせて約250点で展観します。

今回、とても気持ちよく作品鑑賞ができたのは、絵画作品の展覧会では閉じられている窓のシェードが開放され、外光が差し込み、外部と一体化したような空間で、佐藤忠良の彫刻作品を鑑賞できたことが大きい。
そして、壁面は白で統一。
ブロンズ彫刻が映える空間になっていた。

また、作品とともに添えられた佐藤忠良の言葉(文章で発表されたものの引用)が添えられているのも好ましい。
下手な(失礼をご容赦)解説より、作家本人の言葉の方が説得力があり、また作家の考えていることが分かるので、鑑賞の助けになる。

・「冬」
冒頭は、佐藤が育った北海道や冬にちなんだ彫刻作品が並ぶ。
チラシに採用されている≪ラップ帽≫1982年もそのひとつ。他に≪蝦夷鹿≫1971年のダイナミックな動物彫刻、これは佐藤にしては珍しい作品例だと思うも、忘れがたい。

・「頭像および初期女性小像」
注目すべきは、戦後取り組んだ≪群馬の人≫1952年。
佐藤は、終戦を迎えた時、満州にいたため、そのままシベリアに抑留を余儀なくされた。
辛く厳しいシベリアでの生活が、運よく帰国できた後に、どのような影響を与えるのか、先日観た東近美の「日本画の前衛」展での山崎隆や香月泰男など、絵画の場合は、影響度合いが直接的に表出しやすいように思う。しかし、彫刻の場合、それはどうなるのか。
昨年、版画家:浜田知明展で、彼の版画でなく彫刻作品を観たが、見事に戦争の記憶が彫刻化されていた。戦後の風景や兵士の姿がそのまま立体になっていて、これは分かりやすかった。むしろ、立体に形を変えてはいるが、平面の延長線上にある作品ととらえて良いだろう。

一方、佐藤はその点が異なる。
彼の場合、戦争や抑留の記憶が直接的な表現に表れていないことが特徴。
最後まで、シベリア抑留時代を物語る作品が少ないなと感じた。素描で何点かと、抑留時代に制作した線刻で表面に絵を描いた小さなケースくらいだ。
いずれも、平面的な仕事である。

彼は、戦争体験で得た経験が、思想の変化から始まったようだ。
社会の末端で働く人々に目を向けた。モデルに農民や個人的に親交が厚かった人たちが、なぜか偶然群馬県出身者が多かったため、本作≪群馬の人≫の制作契機になっている。

・女性像 1970年以前
・女性像 1970年以後
ここでは、1970年を境に、佐藤の女性像がどのように変化していったかを観ていくと楽しめる。
当初、いわゆる近代彫刻の象徴ともいえる女性裸婦像であった彫刻が、徐々に変化を見せる。
彼の女性像には面白いポーズが多く、どうやらそれは、佐藤本人が希望してとらせたものではなく、モデル本人の奔放さに任せているような所があり、それがまた興味深かった。

佐藤の代表作≪帽子・夏≫や≪帽子・冬≫は制作期間が半年以上にも及んだという。
彼が、この作品で目指したものは、帽子を頭に軽くのせた感じを如何に彫刻で表現するかであった。本人の言によれば「できれば、無常緑状態にまで持っていきたかった。随分苦心したが、それは所詮無理であった。」から、思いが伝わる。

足の指先の位置から腕の角度、手の組み方、細部に亘り何度も繰り返し試行錯誤を重ねた結果が、この作品である。やはり、他作品を圧するような完成度の高さを感じた。

・子供の像

佐藤の彫刻を考えていく上で、とても重要な柱の一つであると思う。そして、私は彼の子供の像が一番好きである。
≪オリエ≫1949年は、実の娘の彫刻作品。現在は、ご存知女優の佐藤オリエさんである。この像を観ていると、彼女の面影がよくあらわれていて、子供の頃から現在とあまり変わっていないような、それ程までによく特徴を捉えている証ではないか。

他に、朝倉摂の娘をモデルとした作品も多く手掛けているが、子供の像では、動きがついたポーズの作品も数点登場する。どれも生き生きとして、彼の子供への眼差しを感じさせる作品ばかりだった。
中では、≪風の子≫が私の好み。

そして、奥のコーナーに非常に面白い作品があるので見逃さないように。
メダル型の彫刻小品で「動物」24点、「人物」29点、「鳥」24点。
いずれも小品ならではの味わい深さ、そして愛らしさ。
こんな小品も作っていたのかという驚きとともに、むしろこれが欲しくなってしまった。
これらの商品は残念ながら図録に掲載されていない。

・油画
自画像をはじめとし、若き頃画家志望だった時の作品群。佐藤は上京して川端画学校に通っていた。
しかし、油画には失礼ながら魅力を感じない。

・素描
ここからが、佐藤の絵画における真骨頂発揮。
彼の彫刻のためのエスキスや水彩などによるスケッチ類は実に素晴らしい。
油彩では出し切れなかった才能が、水彩や素描で発揮される。

これだけ魅力ある線を描けたからこそ、戦後金銭を得るための挿絵画家としての仕事も依頼があったに違いない。

・挿絵、絵本原画
彫刻作品とは別にもうひとつの本展ハイライトと言って良いだろう。
ロシア民話『おおきなかぶ』、『ゆきむすめ』、またモノクロ(墨と水彩)で描いた中村草田男原作の絵本『ビーバーの星』などは、前述の素描から更に進んだ作品で、彫刻家佐藤のまた別の素晴らしい一面を見せて貰った。

また戦中に発刊された初期絵本4冊『ウシヲカフムラ』『マキバ』『リンゴ』『ウミヘ』は必見。
北海道出身の詩人、吉田一穂が幼児教育のために必要だと企画し、挿絵、と言っても単なる文章の挿絵にとどまらない程、ページの大部分を占める絵に、佐藤を指名して実現した絵本である。
物資のない時代に、これだけのものを作ったのだから、その先見性は驚異としか言いようがない。
また、佐藤自身も子供の美術教育に強い考えと信念を持っていたことが良く分かる。

このあたりの詳細は、図録(1300円)の学芸員氏による論文に詳しいので是非、ご一読ください。

佐藤忠良が小学校美術教科書の企画編集に携わっていたこともまるで知らなかった。

*3月6日まで開催中で巡回はありません。お薦めします。
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「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」 東京国立博物館 

平山

東京国立博物館 で3月6日まで開催中の「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」に行って来ました。

本展は、日本画家の故・平山郁夫氏の文化財保護に関わる活動を紹介。同氏が文化財保護活動の集大成として制作し、奈良・薬師寺に奉納された大唐西域壁画を全店展示し、その業績を通じて文化財午後の重要性や課題を改めて問う展覧会です。

「東博の特別展は早く行くに限る!」を常々肝に命じていたが、2月頭にインフルエンザになり、そのしわ寄せもあり、仕事(本業は美術とまるで関係ない)が多忙になる等の諸事情により、結局会期終了1週間前の訪問になってしまった。

朝一番で開門前の列に並ぶ。並んでる・・・それ程混んでいないと思っていたが、どうやらそれは会期初めの頃の話だったようだ。
しっかり4列に並ばされて、数分後漸く正門を抜ける。

本展は以下の2部構成になっている。
第1部 文化財保護の継承-仏教伝来の道
第2部 文化財保護活動の結実-「大唐西域壁画」

開館と同時に人が入場していったため、いつもの逆回り作戦を決行することにした。
第2部から入ったのである。
ということで、私が観た順序、すなわち第2部→第1部の順で感想を書いていきます。なお、この展覧会は第2部から観ても問題はありません。空いている方から観て行かれた方が良いかと思います。

第2部は前述の通り、平山氏の畢生の大作、制作期間20年以上、7点の壁画は全体で37mにも及びます。
この7面の「大唐西域壁画」は薬師寺に2000年大晦日に奉納されました。
私は過去に1度、薬師寺でこの壁画が公開された際に観ています。
しかし、会場に入った瞬間、何か違うすさまじい神聖なオーラのようなものが空間に漂っているように感じました。全体の照明は落として、壁画に下から?あてられたスポット照明のせいか、平面絵画であるにも関わらず、眼前に迫ってくるような立体感奥行き感があります。壁から浮かび上がっているように見えたのです。

薬師寺での展示との大きな違いは、この照明と壁画の展示の位置、特に高さがポイントでした。
薬師寺では低い位置に展示されていたと記憶していますが、東博ではもう少し高め女性の腰高と同じか少し下あたりでしょうか。
この高さが非常に観やすかった。
しかも壁画だけ、背後は関連資料の展示にとどめたことで、作品を引いた位置からも近づいた位置からも鑑賞できます。ちょうど中間の壁面には私がもっとも好きな≪西方浄土 須弥山≫が展示されちますが、その目の覚めるような空の青と山の残雪の白が対照的でヒマラヤ山脈をモデルとした本作品の迫力にはただただ圧倒されます。
自分自身が、ヒマラヤ山脈を臨んでいるかのような錯覚がありました。
本作品を描くにあたり、ヒマラヤまで出かけたとNHKの『日曜美術館』の特集でも放送されていたのをご存じの方も多いことでしょう。平山氏の並々ならぬ本作制作への意気込みと心意気を感じる傑作です。

もう1点私が好きだったのは≪デカン高原の夕べ・インド≫です。
広大なインドの高原地帯。何もない砂漠のような黄色の大地に包まれる、いや吸い込まれそうな感覚があります。
この作品は後半に登場しますが、後半部には壁画の正面にずらりとソファが配されているので、大勢のお客様が腰かけてゆったりと、壁画を鑑賞されていたのも、いつもと違った光景でした(いつもは疲れてぼ~っと休憩している方が多いのです)。

壁画は玄奘三蔵の求法の旅をなぞり、東から西へと展開し、同時に日の出から月夜まで壁画全体で1日の時間の経過を追うと2つの意味合いで構成されています。

東西の旅、1日の流れを終えた時、画伯の祈りの気持ちが、誰にでも伝わってくるのではないでしょうか。

この後、壁画制作のための大下図、そして平山氏のスケッチブックが展示されています。

第1部へと向かいます。
こちらは、比較的小さめの作品が多いこともあり、どうしても混雑しがちなので要注意。

序章 平山郁夫 取材の軌跡
ここでは「高句麗古墳の壁画」や「高松塚古墳西壁 女子群像」山梨・平山郁夫シルクロード美術館蔵が印象に残る。後半にも通ずるが、古墳や石窟の壁画が多数展示されているのも第1部のみどころのひつといえます。
以後第1章から仏教の代表的な拠点に焦点をあて、平山氏が強く保護を願った仏教文化の精華を展観します。

第1章 インド・パキスタン マトゥーラー・ガンダーラ
紀元前1世紀~1世紀「ラクシュミー女神像奉納板」が3点。いずれも小品ながら精緻極まる技巧。
「菩薩立像」「仏陀坐像」2~3世紀、クシャン朝の最初期の仏像の姿を示すガンダーラ仏の優品。

第2章 アフガニスタン バーミヤン
イスラム過激派タリバンによるバームヤン大仏の破壊は2001年、あれから既に9年経過したとは思えない。まだつい先日のことのようだ。
破壊もまた歴史の中で言えば、点のひとつ。
貴重な文化財だと思う立場の人間もいれば、他宗教による許しがたい偶像として暴力的な破壊行為に及ぶ人もいる。
日本においても、明治期には急激な神道復興による廃仏運動が起こり、多くの貴重な仏像が破壊、捨てられるという行為があったのだ。他国のことを言える立場にはないだろう。

だからと言って、私は文化財保護が不要だと言っている訳ではない。自国の文化を自国で守れぬようなら、他国から手を差し伸べることも必要だろう。
第2章の展示作品は、大半が流出文化財保護日本委員会保管とされている。これらはいつか、アフガニスタンの政情が落ち着いたら、かの地へ返還するのだろうか。

第2章では先に述べたバーミヤン石窟の天井壁画の一部(かけら)が多数展示されている。
中には、非常に美しく発色しているものもあったが、これらは東京藝大において修復を行ったためであろう。

第3章 中国 西域

ここでも注目すべきは壁画である、新疆ウイグル自治区キジル石窟の「菩薩像」7世紀「人物像」7~8世紀、同じく自治区ミーランの「有翼天使像」3~4世紀は素晴らしい。特に「有翼天使像」の右斜めを見つめる姿が何とも言えない。

これらも、山梨・平山郁夫シルクロード美術館所蔵であるが、私財を投じて購入したものと考えて良いのだろうか。
他に特筆すべきは東博所蔵の「舎利容器」6~7世紀。
大谷探検隊将来の作品で前面に総額などの場面や天使の姿が細かく、かつ美しく彩色された西域美術の傑作。正倉院宝物ともつながるよう図像である。

第4章 中国 敦煌
敦煌と言えば、敦煌莫高窟の存在は欠かせない。
「二菩薩立像」「地蔵菩薩立像幡」など貴重かつ珍しい敦煌仏教美術作品を堪能。
また、則天皇后が使用した則天文字が記された経典「大方広仏華厳経 巻第八」京都国立博物館蔵で、その文字の特異さとなぜ、その文字を使用したかの不思議に思いをはせる。呪術的な意味合いがあったのだろうか。

第5章 中国 西安・洛陽・大同
まずは仏頭。山西省雲崗石窟のものだが、いずれも北魏時代の仏像の特徴的な微笑みと表情、顔の表現を観ることができる。

「四面物」東博蔵、は四面に全て石彫が施される佳品。いずれ、東洋館完成後、再びお目見えするだろう。

第6章 カンボジア アンコールワット

プノンペン国立博物館蔵「観音菩薩立像」をはじめ、同館から貸し出されたカンボジアの仏像が5点あるので必見。

個人的には地味であるが、非常に高い技術できっちりと寸分の狂いなく制作された「合子」が気に入った。
隣のお客様が「合子って何?」とおっしゃっていたが、確かにそういう基本的な解説はないなぁと思った次第。
ちなみに、蓋つきの小さな入れ物のこと。

第1部の照明は2部に比べて全体に明るい。
特色は展示ケースが山並みをかたどっていること。
ケースを回っていると山の間を歩いているような、気分の盛り上げが上手いな~とひたすら展示の妙に感心しました。

「Gーtokyo 2011」 森アーツセンターギャラリー

森アーツセンターギャラリーで2月27日まで開催中の「Gーtokyo 2011」に行って来ました。

昨年に引き続いて森アーツセンターギャラリーでの開催。
本年度は国内15のギャラリーが参加し、各ギャラリー取扱作家による特色ある展示を行っていました。

以下、私が気になったギャラリーや作家について書いてみます。
なお、アートフェア期間は2月19日、20日で終了し、27日まではエキシビジョン期間として展示だけが行われていますのでご注意ください。

A.ギャラリーSIDE2

このギャラリーにはまだ一度も足を運んだことがない。今年中に必ず行っておきたいギャラリーのひとつ。
私はイザベル・ノーランの作品に目がとまった。比較的小品が多かったけれど、余白の大きなドローイングに癒される。どちらかと言えば淡白な画面であるが、そこがまた良かった。
対照的に、ウドムサック・クリスナミスは、草間弥生?と見まごうような黄色と黒の大画面の抽象画が印象的。タイ人のアーティストで、ポートフォリオと年齢を確認したら、かなりの年齢で私は知らなかったけれど、タイではベテランアーティストの一人なのかもしれない。

B.タカ・イシイギャラリー

私のtwitterのタイムラインでは、しばしば名前を見かけたが、私個人としてはあまり好みの写真ではなかった。
印象が薄い。写真集を観てみたい気がした。

C.シュウゴアーツ

このギャラリーでは現在、千葉正也さんの個展を開催中で拙ブログでも記事をアップしているが、ここでは戸谷成雄1人の大作メインでの展示。
戸谷さんの作品は豊田市美術館をはじめ、あちこちで見かけているが、今回の作品は小屋のような形で、今までの作品に比べ「モノ性」が強くなったように感じた。
木肌の彫りは変わらず健在。

D.SCAI THE BATHHOUSE

「The Light Field-光の場-」と題して大庭大介キュレーションで展示を構成。昨年同ギャラリーは名和晃平さんのキュレーションで、その展示は今でもよく覚えている。

出品作家は、ベテランの中西夏之、アニッシュ・カプーア、宮島達男と錚々たる面々に加え、若手で山本努、上村陽一、小牟田悠介、そしてご本人の大庭大介以上8名による作家の展示となっていた。
個人的には、どうしても大好きなカプーアの雫のような赤のオブジェに惹かれるのであるが、上村陽一の音楽を」視覚的聴覚的に見せる作品は、アートフェアでなく、もっと静かな展示空間で鑑賞したい作品であった。東京藝大の先端卒業で、他に山本努の作品も面白かったが、残念なことに肝心の月の映像になっておらず、作品展示として中途半端な状態になっていた。小牟田については、既に何度も同じ作品を観ているのでやや食傷気味。平面は2回目だが、私は立体の方が良いと思っている。

F.山本現代 アナザー・コンストラクション

エドガー・マーティンズ、村山留理子の2名による作品展示。G-tokyoの前に白金のオープニングで山本現代の展示を観ており、そこに同様の村山によるカラフルなパッチワーク作品を観たばかり。
むしろ、twitterで呟かれていた高嶺格さんをモデルとしたビーズを使用したお面とお面をかぶった人の写真の組み合わせ(お面と写真はセットで販売)が印象的。色合いといい、緑っぽいお面が素敵だった。

G。ギャラリー小柳-肖像

肖像をテーマにミヒャエル・ボレマンス、ソフィ・カル、デュマス、花代、増田佳江、野口里佳、杉本博司ほか。
個人的には、久々にデュマスの作品が見られてラッキーだった。そして、そのお値段の高さにビビる。信じられない程,高価だった。

H.ワコウ・ワークス・オブ・アート ヴォルフガング・ティルマンス個展

ここの展示は今回のマイベスト。正面に廃された光の色面写真とその正面ブース外の壁面にあった風景写真の組み合わせ。組み合わせが非常にうまい。
この人の写真は実に様々で、全部を一人の写真家が撮影したものとは思えない。でも全てティルマンスなんだよな~と妙に納得してしまった。人気の秘密はこのあたりにあるのかもしれない。
大きな風景写真のプリントは、とりわけ美しかった。

I.オオタファインアーツ

樫木知子とさわひらきの2人の作品を展示。樫木さんの方は、つい先ごろ京都市立芸術大学の博士課程修了制作展で作品を観たばかりで、同展と同じ作品が出展されていた。違うのはしっかりとお値段が設定されていること。
博士課程を終えたばかりの若手であるが、作品サイズが大きいということもあってか、これまたお値段に驚く。
人気に比例しているのだろう。既に完売だった。

一方さわひらきさんも、先日大山崎山荘美術館で展覧会「山荘美学」を拝見したばかり。同展で展示されていた「エイト・ミニッツ」もあったが、「0」2009年など、またしても知らない作品が登場していて、これは嬉しかった。

途中、ホールではフェアスポンサーのボンベイ・サファイアの協賛で、無料でジン・トニックなどのドリンクサービスがある。すっかりホロ酔い気分になれる。
また、お酒をちびちび味わいつつ、幻影のマティーニというグラス主体の会場設計はカッコ良かった。ジンというお酒にマッチしていたと思う。

M.アラタニウラノ 加藤泉個展

ここがマイベスト2。
加藤泉さんはつい先ごろまで箱根彫刻の森美術館で長期に亘る個展を開催されていた。行きたかったのだけれど、最後の最後まで迷って結局行かなかった。しかし、同展に出品されていた超大作、ブロックのように加藤泉と言えばすぐに思い出す木製の原始人のような人体彫刻が4つほど積み上げられている。この作品が、強烈なエネルギーを放っており、加藤さんの作品はどんどん良くなっているなと改めて思った。
以前は、グロテスクな感じがあって、苦手だったけれど徐々にそのグロさが薄まってきて、いや慣れたのか。気にならなくなってきた。
箱根彫刻の美術館での個展図録は、500円というお手頃な値段のため同美術館では既に完売。残部はナディッフにあるかもとのことだった。中を観たが、人と加藤の木彫が共存しており、やはり観に行けば良かったかなと微かに後悔。

O.TARO NASU ジョージェ・オズボルト個展

ちょうどジンのお酒のコーナーがある手前だったかに、小品で10万円程度で購入できる作品が各ギャラリーから展示されていて、そのコーナーがとても良かった。
そこで、いいなと思ったのがジョージェ・オズボルト。
最初に観たのはドローイングだったが、油彩?アクリル?作品にしてしまうと、一気にどぎつくなり過ぎて、最初の印象が変わってしまった。

この他、ヒロミヨシイからは細江英公の写真、薔薇刑シリーズを久々に鑑賞。
児玉画廊は、貴志真生也さんが、自身で陶芸に取り組み、一部陶芸作品が取り込まれたオブジェや、振動吸収材量のようなスポンジがもう少し堅くなったものを天井からぶら下げて、相変わらず派手な展示をされていました。

期待以上でも期待以下でもなかったけれど、ティルマンスと加藤泉の彫刻を観られただけでも良かったかな。

20世紀のポスター[タイポグラフィー] 東京都庭園美術館

ポスター

東京都庭園美術館で開催中の「20世紀のポスター[タイポグラフィー]-デザインのちから・文字のちから-」に行って来ました。

昨年、大阪のサントリー美術館の最後の展覧会となったポスター展を観たばかりだったので、ポスター展が続くな~とやや足取りは重かった。しかし、重複した作品も僅かにあったものの未見のポスターも多く、なかなか楽しめました。。本展では、特に「文字による表現」に焦点を絞ったポスターを紹介しています。
出展されているポスターは用紙メーカーの竹尾株式会社が所蔵する3200点もの「竹尾ポスターコレクション」から、文字による表現<タイポグラフィー>に焦点を当て絞り込んだ110点が展示されています。

庭園美術館の建築と20世紀のポスターはマッチするのだろうか?という不安は杞憂で、特に違和感なく鑑賞できました。
展覧会は4部構成になっています。
庭園美術館での展覧会には作品リストが用意されていないことが多いのですが、本展ではリストが作成されておりとても嬉しかったです。

第1部 1900s-1930s 読む文字から見る文字へ:タイポグラフィーの革新

やっぱりカッサンドルのデザインが大好きなので、まず目に飛び込んで来たのが、彼の≪キナ入り食前酒デュボネ≫。
リトグラフによる印刷。これは初見。先日古書店でカッサンドルの作品集(洋書)があり、思わず手にとって食い入るように眺めてしまった。よく「買ってしまえ!」という誘惑に打ち勝てたものだ。
文字を配してもカッサンドルのデザインと分かる。

・ホードラーのオーストリア造形芸術協会第19回分離派展:ヴェール・サクルム(聖なる春)
スイスのホードラーのポスター作品。ウィンタートゥールコレクション展で彼の作品を観て好きになってしまった。
ポスターもやはり絵画同様、私の好み。
他に、マックス・エルンストの「シュルレアリスム国際展」やルツィアン・ベルンハルトの「ドイツ工作連盟ケルン展」のポスターが印象に残る。

第2部 1940s/1950s タイポグラフィの国際化:モダンデザインの展開と商業広告の拡大

ここで、注目したのはベン・シャーン「我々フランス人労働者は警告する。敗北は奴隷になり、飢え、死ぬことだ。」オフセット。
ベン・シャーンの回顧展は来年度に神奈川県立近代美術館葉山で開催される予定になっている。彼のポスターは文字よりやはりデザイン全体にその特徴が強くあらわれている。
本展に出展されているポスターの中には、文字表現に焦点?とやや首をひねりたくなるような絵画やデザイン要素が強いポスターもあったように思う。

他にマックス・ビル、ヘルベルト・ロイピン、レイモン・サヴィニャック、カルロ・ヴィヴァレリ、リヒャルト・パウル・ローゼらの作品が良かった。特にサヴィニャックのダンロップ社の企業広告は秀逸。
第1部では企業広告はまだ一部で、政治的、または展覧会告知を伝えるポスターが主体だったが、第2部では商業広告が徐々に盛んになっていく様子が伝わってくる。

第3部 1960s/1970s 躍動する文字と図像 大衆社会とタイポグラフィーの連結

第3部では、杉浦康平のポスター「第八回東京国際版画ビエンナーレ展」、横尾忠則「大山デブコの犯罪」、アンドレ・フランソワ、アンディ・ウォーホルの「ニューヨーク映画祭」のポスターが目立つ。
ただ、文字のチカラに焦点を当てた内容という展覧会主旨は既に頭から抜け出て、漫然とポスターデザインを見始めていた。文字は確かにポスターにおいて重要だし、そのデザインにおいても注目すべきものだが、やはりポスターは総体的なデザインの方が重要なのではないかと思う。
カッコいい書体、実に様々な書体が印刷世界にあり、表現したいこと、伝えたいことに最も適した書体は何であるのか、それをデザイナーは常に考慮し作品制作を行っているのだろう。
しかし、その力作を甘受する方としては、果たしてポスターにおける文字デザインにどれだけ注意を払っているのだろう。
ポスターを観て、この文字デザインかっこいい~と思うことは個人的にはあまりないのが率直な感想。

第4部 1980s/1990s 電子時代のタイポグラフィ:ポストモダンとDTP革命

ここでいきなり、DTPという耳慣れない言葉が登場する。
DTPは「Desktop publishing」の略で、日本語で卓上出版を意味し、書籍、新聞などの編集に際して行う割り付けなどの作業をコンピュータ上で行い、プリンターで出力を行うことだと知った。~Wikipediaより引用。
詳細はこちら(Wikipediaへ)。

第4部では、木村恒久、私は常々彼の作品を観たいと思っていて漸く出会えた。「シネマ・プラセット 1980 (映画:ツィゴイネルワイゼン)。想像以上に濃厚なデザインだったような記憶が。。。観に行ったのがかなり前で図録を買わなかったので確かめられず。

文字デザインという側面でいえば、作者不詳のk「ポスター、印刷物、図書館展」のものが目をひいた。
その点では、アラン・フレッチャーは2点出ていたが、いずれも目立っていたし、斬新だったのはウィリィ・クンツのコロンビア大学の秋季・春季レクチャーのポスターは忘れられない。

本展ではデザインや文字のちからに焦点を当てつつ、印刷技法についても分かりやすく解説された「印刷技法解説」がある。
普段専門的で分かりづらい凸版印刷、平版印刷(リトグラフ・オフセット印刷)、凹版印刷(グラビア印刷)、孔版印刷(シルクスクリーン)の違いが説明されている。ポスターに限らず、版画作品を鑑賞する上でも役に立ちそう。
です。
ただ、気になるのはタイポグラフィーやデザインをメインにした展覧会なのに、チラシは地味でインパクトないなぁというのが残念。手に取った時、その展覧会に行こうと思わせるものは表面には感じられず、裏面の展示作品を観てじゃぁ行ってみようかと思った次第。
展覧会に行こうかどうかと思う時に、そのチラシはかなり重要なのに、ちょっと残念な気がしました。


*3月27日まで開催中。

「矢津吉隆 umbra」 Takuro Someya Contemporary Art

umbra

TSCA(Takuro Someya Contemporary Art)で開催中の「矢津吉隆 umbra」に行って来ました。

本来ならばオープニングに馳せ参じるつもりが、思いもよらぬインフルエンザの襲撃に遭い撃沈。早く観たいと平日を狙ったが、3日間も休んでそう簡単に定時退社などできる筈もなく、結局土曜日になってしまった。

が、天は私を見放さず。
幸いにも、ギャラリーに伺った際に矢津さんが在廊されており、初めてご本人とお会いしお話することができました。
矢津さんのプロフィールおよび作品は以下ご本人のサイトをご参照ください。
http://www.yazuyoshitaka.com/

矢津さんを知ったのは昨年のちょうど今頃開催された「第13回岡本太郎現代芸術賞展」でのこと。
(参考)過去ログ:http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-1024.html

以来追いかけ作家さんの一人となり、自分のブログで検索したら、前述の「岡本太郎現代芸術賞展」含め4回記事を書いている。
中でも印象深かったのは、何度も登場して申し訳ないのですが京都の@KCUAオープニングの「きょう・せい」展第1期の展示でした。太郎賞の作品もとても好きだったけれど、最初に≪コロナ≫を拝見したのが「きょう・せい」展。
この時は、宮永亮さんや岡本高幸さん、石塚源太さんらの作品との共演がぴたりとはまって、近未来的な宇宙空間のようになっていたのが強く記憶に残っている。

さて、本展は最新作が披露されるということで、とても楽しみにしていた。
TSCAに入ると、どっかと巨大なオブジェが鎮座している。
TSCAに入ってすぐに展示されている作品には驚かされることが多いが、今回もまた「何なのだ、これは!」という驚きに包まれた。

ガラスの入口ドアから立体作品が見えるため、ギャラリーの前を通る小学生に既に好評を博しているというのも納得。私の第一印象は「海鼠」である。
少し前に日本橋高島屋で「河井寛次郎展」を観た折に、海鼠釉の器が何点か展示されていた。
その海鼠釉の風合いに、似ていたのだ。
元々ベースは木の枝であるが、そうした自然の素材と、ピンク色の丸いプラスチックの色板や、海鼠釉のようなどろりとした液状体固形物を組み合わせた立体。
不思議な存在感がある。

丸のピンクの色板や木からは、祭祀的なイメージが浮かんできた。

その奥正面、他壁面には、≪unknown vibrations≫のシリーズが数点。非常に大きな作品もあり。今回は黒白のモノトーンだけで制作されている。

奥のスペースに行こうとしたら暗幕がかかっていた。
中を覗くとスクリーンで映像作品が上映されている。
これが今回のハイライト3D映像彫刻≪umbra≫であった。
3Dを観る際にお馴染みのメガネをかけて早速鑑賞。前述の作家のサイトトップページ画像である木の枝と石を組み合わせた映像作品。
この映像は奥から鑑賞者の方へ向かうという動きをするのが面白い。自分に迫ってくるような動きが、より映像を実際に目の前にあるかのような錯覚を更に助長させるような気がした。

元々、私は石や木という素材が好きで、それらを使用した彫刻作品には特に注目してしまうのだが、≪umbra≫はそんな私の好みにぴったりだった。
積み上げられた石がひとつひとつ、ごろんと落ちていくゆっくりとした感覚。そして効果音。実際に石が目の前で転がり落ちているかのごとく、観ていると、いつか石は全部落ちていくというラストを迎えるのかとひたすら映像を見続けた。

実際は約3分の作品のループが4回?だったか、で画面が真っ白になる。
しかし、その真っ白になった瞬間さえ、意図的な演出であるように思われ、結局20分は見続けていただろうか。

最奥にも入口にあった立体作品の小型版が置かれており、これらの立体と映像がリンクしているのが分かる。
≪umbra≫とはラテン語で「影」を意味する。
一体、実際の立体作品と3D映像、どちらが影なのだろう。

私の目の前にあったと言わざるを得ない映像彫刻は「物」としてそこにあったのか。
私の脳には、存在していたことは間違いない。
しかし、メガネをはずし、映像から離れればその姿は消えているし、観ることはできない。

この他、ドローイング作品≪ictorial cosmos≫のシリーズが良かった。
抽象的な絵画≪unknown vibrations≫ではよく分からなかったが、絵画についても素晴らしい技術(私のようなものが言うのも気がひけるが・・・)をお持ちだということは一目瞭然。

矢津さんの作品に共通して感じられるのは宇宙的、祭祀的、宗教的なイメージである。
そういった眼には見えないイメージを具現化されているのだろうと私には思えた。

また、琵琶湖ビエンナーレでの作品についてお話を伺った所、あの作品は本来動く予定だったが展示会場の電力が微弱だったため、動かない作品になってしまったとのこと。
できれば、他の場所で動く姿を観たいと思う。
岡本太郎美術館で観た作品≪Rotating phantom≫についても、今後進化した作品を制作される予定があるとのこと。

ますます楽しみな作家さんである。
5月には京都オープンスタジオで矢津さんの淀スタジオも参加されるようなので、ぜひスタジオ訪問もしてみたい。

展覧会のチラシ(トップ)が素晴らしい印刷でとてもカッコいい!!!
1枚1枚微妙に異なっている1点物のようなチラシ(A3)で、印刷会社の方にお願いして特別な印刷を施しているとのこと。特に背景のぼかしに注目!
アクリルケースに入れて部屋に飾ろうと思っている。

*3月12日(土)まで会期延長となっています。是非お出かけください。
なお、映像作品は1度に2名しか鑑賞できないので、お待ちいただく場合があるかもしれません。

「クワイエット・アテンションズ 彼女からの出発」その2 水戸芸術館

昨日の続きです。

7.ツェ・スーメイ ≪Personal Times≫2003-2009年、≪White Noise≫2009年

ルクセンブルク生まれ、ベルリン在住のツェ・スーメイは、2009年に同館で日本初個展が開催されたばかり。
≪Personal Times≫はガラスでできた砂時計が壁に3つ展示されている。それぞれの砂時計の長さは異なっていて、作家の友人に瞑想に入るまでの時間を計ってもらいそれを作品化したもの。
各人によって同じ1分でもその長さのとらえ方は異なる。それを視覚化表現した作品。

≪White Noise≫は、レコード盤に白い雪粒のようなものが乗っている作品。レコードに針を落として、音楽が鳴り始めるまでのかすかな雑音を「スノー」とヨーロッパでは言うのだそう。
それを立体で表現、すなわち雑音「スノー」を目に見える形で表現している点は≪Personal Times≫と共通している。

8.Sachiko M ≪I'm Here..re-tirn..≫2011年

彼女はサインウェイブを奏でる音楽家で、演奏活動を行いながらサウンドインスタレーションを発表。日常生活で聴き過ごしてしまうような音に注目している作家さん。言わば、音による空間彫刻作品。
今回は「純音」、例えば危篤状態になった方の心音が聞こえるペースメーカー(?)が臨終を迎えた時になる「ピー」という音。これが展示室で微かに流れている。
この作品は、私にとってはやや難解だった。

9.アン・カヒョン ≪Throwing a Dice≫2011年

ソウル生まれソウル在住。
展示室がプレイランドと化していた。この部屋はお子さんと一緒なら必ず楽しめる。アン・カヒョンは元々パフォーマンスを行う一方、映像や平面でコミュニケーションとその切断の両方を内包するような活動を行っているそうだが(作品解説より)、本展では初めて展示だけの作品を制作した。

高橋さんのお薦めは、スカッシュのようにテニスボールが壁からぶら下がり、傍にはテニスラケットが2つ。ストレス発散に最適だとか。この他ボードゲーム、大量のクッション、箱庭みたいな枠にフィギュアのようなおもちゃが入っていたり。
自分が行った場所で起こることを作品化してる。遊びに没頭する感覚を共有できるのが作品の意図。

10.ランジャニ・シェター ≪Sun-sneezers blow light bubbles≫2007-2008年

インドのバンガロール生まれ同在住。
本展では哲を曲げてモチーフを作り、その周りに布を貼る。若干色が変色している部分は布を貼り付けた時の糊の色が変色したもの。大型の立体作品だが、鑑賞のポイントは影。
天井からぶら下がっているので一見重さを感じないが、もとの素材が鉄なので重い。このオブジェの影を一緒に楽しむ。

11.ラウラ・ベレン ≪Sky Notes≫2011年

ブラジル生まれ同在住。
この作品は1階のパイプオルガン手前に楽譜のように並んでいる。
2階から眺めると一望できるのでおすすめだが、ブルーの楽譜は飛行機の窓から撮影した氷が溶けた状態の海の写真。去年の7月に水戸芸術館に来てリサーチした結果、パイプオルガンに注目し、オルガン前に楽譜のような写真のインスタレーションを展示することになった。

12.スーザン・フィリップス ≪Did I Dream You Dreamed About Me≫2007/2011

ご存知、イギリスのターナー賞を受賞したばかりのアーティスト。現在はベルリン在住。
アカペラでsポップソングを自ら歌うサイトスペシフィックなサウンドインスタレーションを発表。
今回は芸術館の2階から彼女の歌声を鑑賞したが、外の1階からも歌声は聴こえて来ると思う。
歌の内容は、「男性が恋しい女性に会いたい、会いたい」というラブソング。セイレーンの伝説がもとになっている。
水戸芸術館前の芝生スペースや噴水近辺は、水戸市内の中・高校生のデートスポットになっているそうで、若きカップルにぴったりのラブソングをスーザンは提供した。

一人で聴いていると寂しくなるか、癒されるかは自分次第か。


ツェ・スーメイ、Sachiko M、スーザン・フィリップスは茨城県美の「耳をすまして」展にもリンクするような作品だったと思う。
この2つの展覧会を同時に楽しむと、水戸芸での展覧会趣旨とは異なるけれど、日本国内だけでなく海外作家の音楽に関連した作品を楽しむことができる。

なお、本展では今後も多数のイベントが予定されています。
詳細は、水戸芸術館のサイトをご参照ください。→ http://www.arttowermito.or.jp/art/modules/tinyd1/index.php?id=14

個人的には、3月27日の木村友紀+ユタ・クータ+荒川医のパフォーマンスもしくは、最終日5月8日のクロージングパーティなどには再訪したいなと思っています。

「クワイエット・アテンションズ 彼女からの出発」その1 水戸芸術館

quiet 

水戸芸術館で5月8日まで開催中の「クワイエット・アテンションズ 彼女からの出発」に行って来ました。

今回の水戸行きのタイミングを決めかねていて、昨日アップした茨城県近美の「耳をすまして」展の会期中かつ水戸芸または茨城県近美でイベントの開催日で絞り込みをしたが、結局来週26日、27日の両日に予定が入り水戸まで行くことが難しくなり、2月20日の本展キュレーターである高橋瑞木学芸員によるキュレーター・トークを目当てに水戸芸へ向かった。

今回は、私自身の感想は少なめにしてキュレーター・トークの内容について以下書きます。今後の作品鑑賞のお役に立てば幸いです。

展覧会のタイトル「クワイエット・アテンションズ」は静かに注視するの意であるが、開催企図としては大きく二点が挙げられる。
ひとつは、社会変化に伴う女性アーティストの表現の多様化、活躍は活発化しているが、女性キュレーターとして、いかにして女性アーティストをキュレーションをしていくかを本展を通じて考えてみたかった。これは鑑賞者側というよりキュレーターとしての立場に立っての企図であるが、その結果として敢えて女性アーティストに的を絞った展覧会を開催し、彼女たちの関心の移り変わりやそれぞれの表現の違いを紹介するもの。出展作の大半が本展のための新作で、まさに現在進行形の作品を鑑賞、体験できる。

もうひとつは、展覧会タイトルにちなみ「静かに注意して、作品を通じて音や気配、そして時間の流れなど眼には見えないものを感じる美の世界を感じること。

出展作家は9カ国14名で、うち男性は木村友紀が本展作品のために是非一緒に参加したいと申し出て来た荒川医(パフォーマンス主体に活動)のみである。

以下展示順(解説順)にしたがって、本展を振り返ります。

1.小林史子 ≪Node Point≫2011年

作品を発表する土地についてリサーチし、その場所で蒐集した不用品と、作家が所有する日用品とを組み合わせた立体インスタレーションを制作。昨年の8月に京都のeN-artsで彼女の個展を拝見したばかり。その時の感想<過去ログ>はこちら
水戸では自転車が多く目に付いたようで、今回の作品では52台もの自転車が使用された立体作品を制作。自転車通しは、ゴムホースのような線でつながっているのだが、線をたどっていくとあるものが見えて来る筈。
2つのまったく異なる場所にあったものを結びつけ見えて来るものは何か、考えつつ鑑賞すると楽しいと思う。
自転車を結んだホース上の線は星座に見えてくる、いや他の何かになぞらえても構わない。土地性、時間制が両者を結びつけることで、その違いや境界が曖昧になるのが面白い。

2.タチアナ・トゥルーヴェ ≪「無題-不穏」シリーズより≫2006年~2009年と無題の2007年の作品。

彼女は昨年のあいちトリエンナーレにも出品していたが、今回はドローイング主体で立体作品1点。
ドローイングの方が好みだった。彼女の父親は建築学科の教授で幼い頃から建築図面などに馴染みがある。幼少期の体験が楽しかったのだろう。立体葉電機のケーブル照明が一定間隔で変更できる作業を行っていた・

3.三田村美土里 ≪夜明けまえ≫2011部年

彼女については、本展キュレーターの高橋さんのご著書を読んでおくと良いだろう。
旅先などで自ら撮影した写真もあるが、一番気になったのは映像作品。三田村の今回の映像作品は、イタリアにあるバッカス像を夜から夜明け前まで撮影したもの。
そして、映像作品のある展示室には、アンティークショップで見つけた雑貨をはじめ、表紙と立派な裏表紙で中身は現在真っ白(販売時には掲載されている筈)が展示されている。
非常に興味深い空間で、アンティークな雑貨や」映像作品を観ていると時間の流れを忘れてしまう。

中身の記載がない本を埋めていくのは鑑賞者自身。私たちの物語を感じたままに書けば良い(注:実際にはその本に書くことはできない)。
映像の流れによって見えて来るものと消えゆくものがあるとのこと。私は見つけられなかったが、行かれた方は是非探して観て下さい。!
彼女の展示空間は、まるごと一緒に旅しているように感じられる、そして想い出を共有できるような空間だった。

4.土屋信子 ≪宇宙11次元計画≫2011年

金属やシリコンなどを異素材を組み合わせた立体作品を作る。
物からどういうものが聞こえて来るかに要注意。

5.ナム・ファヨン ≪Atomic≫2011年

ソウル生まれのベルリン在住。
一見ポップでかわいいデザイン画風の絵を壁に描いている。戦時下で用いられたコードネームや原子から分子の過程を表現するような課題をだされているとは。。。

6.木村友紀+ユタ・クータ+荒川医

ユタ・クータはベルリン在住の画家。会場には木村自身が横たわった大きな写真が1枚。ストレスで眠り病になってしまった所を友人に撮影された1枚だそう。
中央には足場が組まれており、そこには作家3名が用意したテキスト文が置かれている。
ユタ・クータは支持体に関心を持っていて、キャンバス以外であったも色を塗っていけばペインティングという考えの持ち主で、今回は長い鉄パイプらしきものに着彩し、それがユタ・クータが考え実現できる形だったのだろう。
荒川医と木村、クータの3名によるパフォーマンス「管理企画のファンタジー」が3月27日(日)14時から開催される。このパフォーマンスがあってこそ、作品は完成する。

なお、展示室外に9個所彼らのポスター作品が展示されていて、一般の観客はそのうち7か所のものだけを見つけることができる。

ここまで書いて力尽きてしまった。続きは明日。

「耳をすまして-美術と音楽の交差点」 茨城県近代美術館

耳をすまして

茨城県近代美術館で3月6日まで開催中の「耳をすまして-美術と音楽の交差点」に行って来ました。

本展は、美術と音楽の関係について、美術の側からの様々な試みを紹介するものです。
展覧会構成は次の通りです。

第1部「音楽にあこがれる美術」→温雅のある情景を描いた作品や、音楽の抽象性や理論を造形芸術に取り入れようとした作品など、近現代における美術の音楽に対する多様な“あこがれ”の形を紹介。

第2部「音と交差する美術」→音楽や音に関心を抱く現代美術家の作品を中心に、視覚だけではなく聴覚にも訴えかける作品を展示。

前年に同館では「目をとじて-見ることの現在」展が開催され、好評だったのに不覚にも私はこれを見逃してしまった。今回の音や音楽、聴覚に焦点を当てた続編ともいえる企画展はどうしても観たかった。
結果、第1部の最初の6点の展示で既にカウンターパンチをもらったような、ありていに言えば、この6点を観られただけでも水戸まで来て良かったと思える展覧会の始まりだったのである。

第1部は国内の美術館から音楽にイメージさせたり、関連する名品を集めて展示。特に、関東地区の方ではなかなか観ることのできない、愛知県や岐阜県、京都、いわき市など関東圏外から借用した作品群が素晴らしい。
第2部は、これほどの美術オタクになる以前から好きだった藤本由紀夫さんや、若手の注目株、先日京都市立芸術大学の制作展での展示を拝見したばかりの八木良太さんらの作品を中心に体験型の作品も多く楽しめる。

以下、印象に残った作品を振り返る。
第1部 音楽にあこがれる美術
まず目にするのは三木富雄 ≪耳≫ 徳島県立近代美術館
作品から「耳を傾けよ!」と問いかけられたような気がした。「耳をすませ!」と頭で囁かれたというべきか。

続いて、ルドンの≪天上の芸術≫、マックル・クリンガーの大理石彫像≪ミューズの頭部≫、ブランクーシ≪ミューズ≫、オシップ・ザツキン≪チェロのトルソ≫、マン・レイ≪アングルのヴァイオリン≫の組み合わせである。
何ともはや、カッコいい組み合わせで、この展示空間にいるだけでドキドキしてしまった。
特に秀逸なのはクリンガーの≪ミューズの頭部≫なのだが、所蔵先が豊田市美術館だったので更に驚く。豊田市美はこんな彫像まで所蔵していたのか・・・。何度も行っているのに一度も見かけた記憶がない。

そして、次に待っていたのは大好きな小林古径の≪琴≫京都国立近代美術館蔵。
古径の作品の中でも佳作と言えるのではないか。少女が琴の前で、今まさにつまびかんと佇む。美しく、これから始まるであろう琴の練習の情景が目に浮かぶ。

更に、これまた私の大好きな小杉未醒≪楽人と踊子≫二曲一双の屏風で、同館所蔵作品であるが私は初見。未醒らしからぬと言っては失礼かもしれないが、日本画でありながら西洋画の雰囲気をたたえた作品で最初は未醒の作品だと分からなかった。

ルドンの版画は冒頭の作品以外にも展示されており、彼が音楽に影響された作品を多く制作していると本展で改めて分かった。

そして、収穫だったのはマックス・クリンガー「ブラームス幻想 作品12より」21点組のエッチング、アクアチント、エングレービング等を組み合わせた版画の連作である。所蔵先は高知県立美術館。
クリンガーの連作版画は初めて観たが、素晴らしいの一言に尽きる。ブラームスの『幻想 作品12』は大きく3部に分かれて構成されているそうだが、その音楽世界を絵画で表現した作品群。
残念ながらブラームスには詳しくないので、一度この曲を聴きつつ、図録でクリンガー作品をたどりたいと思う。
21点すべてが、多様で、彩色のある作品もあれば黒の多いモノクロ版画あり、写実で精緻な画面ありと様々に楽しめる。

「音楽をめざす絵画」として紹介されているのは、ご存知カンディンスキーとマティス、クレー、ハンス・リヒター、ブリじっと・ライリーら海外作家と国内作家では恩地孝四郎、難波田龍起、駒井哲郎らの作品。
中で、国内作家で私が初めて知った作家がいた。神原泰である。彼はロシアの作曲家であるスクリピン作曲の「エクスタシーの詩」という曲にインスパイアされ、赤、青、黄、緑、ピンクなどの原色を使用した抽象的な絵画を描いた。作品の隣に、ゲルギエフの指揮による「エクスタシーの詩」を試聴できるので、是非、音楽を聴きつつ神原の作品を鑑賞していただきたい。
彼がこの曲を聴いて、画面に描いた色、そしてストローク音が色と線による揺らぎで表現されている。

揺らぎで思い出すのは、ブリジット・ライリー≪オルフェウス悲歌Ⅰ≫で、画面を観ていると色彩は軽やかであるにも関わらず悲しみが伝わってくるのが不思議だった。

第2部 「音と交差する美術」

最初にあったのはジョン・ケージ。名前はどこかで耳にした記憶があるがその作品となると?である。
ジョン・ケージについてはウィキペディアで調べてみた。→ こちら

彼は禅に傾倒していたそうで、今回出展されている作品はモノクロの版画作品(ドライポイント)。一見すると水墨画のように見える。
≪WITHOUT HORIZON ♯5≫が特に良かった。ケージの作品もすべて高知県立美術館。ここは良い版画のコレクションを持っている。

そして、2007年以来久々に藤本由紀夫さんの作品を楽しむ。感無量。
自分のブログで「藤本由紀夫」で検索したら、ヒット件数の多いこと。特に2007年は彼の展覧会が西宮、大阪、和歌山で行われ、私はすべて行っていたようだ。藤本さんは愛知県出身で現在は京都造形大学の教授をされている。
藤本由紀夫展に関する過去ログ:
http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-134.html
http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-135.html
http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-151.html

と言う訳で、西宮市大谷記念美術館蔵の作品は既に一度観ているもしくは体験しているものに再会し、懐かしくなった。私はオルゴールの作品が好きで、第1部の作品を観ている間も微かに聞こえるオルゴールの音色に藤本さんの作品だなと耳が捉えていた。

今回は≪TIME Ⅱ≫作家像 平成9年の作品で、砂時計が分針になっている作品が気に入った。赤色の砂がゆっくりと時計の分針として回る。二重の時を刻むようだ。

八木良太は、藤本由紀夫に影響を受けた作家さん、確か教え子さんではなかったか。
アプローチの仕方は異なるが、今回は特に音がテーマなので、関連する作品を展示している。
昨年のあざみ野ギャラリーでの個展で拝見した≪SKY/SEA≫や≪机の下の海≫もあったが、砂時計を使った≪Timer≫、砂時計の音をとらえてイヤホンで試聴する。砂時計が違うと、砂の劣る音も違うという当たり前と言えば当たり前のことを体験できる。

そして圧巻は≪VINYL≫2005年、これはあざみ野では展示されていなかったと記憶している。レコードを樹脂でかたどりしてそこに水を入れて凍らして、氷のレコードを制作。レコード盤で氷のレコードを試聴するとさて、どんな音が聞こえるか。
ぜひとも体験してみて下さい。毎日午後2時半より実際に実演あり!

どうしても行けない方は、本展図録(1700円)に先着限定300部まで特別に本展出展作品の一部の音が録音されたCDが付いています。このCDに氷のレコードの音も録音されています。なお、CDは残り100部とのこと。お早めに。
*CDが付いても1700円でお値段変わらず。非常に懐に優しい値段設定になっています。

金沢健一の作品もまた楽しめる。
特に、≪音のかけら-取り出された542の音たち≫は楽しかった。哲のかけらがあれだけ様々な音色を奏でるとは。久しぶりに鉄琴を思い出す。

1階には、、藤枝守≪宙づりのモノコード≫2009年が展示されているが、こちらはインスタレーションとしても楽しめる。ピアノ線が振動し小さな音を立てている。耳を傾けてこの微かな音を見つけて欲しい。

なお、石田尚志≪フーガの技法≫はもう何度もあちこちで観ているので今回は飛ばしましたが、未見の方はぜひ。
バッハのフーガの技法をアニメーション化した作品。1枚1枚の原画をコマ撮りしてつなげた作品。膨大な量の原画も展示されている。


そして、茨城近美で忘れてならないのは1階の常設である。
今回も、菱田春草、横山大観、下村観山、木村武山、小川芋銭らの日本画の名品が並ぶ。中に、奥原晴湖が1点あったのが非常に嬉しかった。かねてより1度見たいと思っていた女性画家である。

また、ウジェーヌ・カリエールの作品も印象深い。

この美術館はいつ来ても落ち着くし、格調高いなと思い、受付の方にどなたが設計されたのか尋ねてみたら吉村順三とのこと。非常に驚くと共に納得した。
なるほど、落ち着く訳です。吉村順三の名建築で観る音と音楽を美術の側から紹介する展覧会、おすすめです。

なお、2月26日(土)には八木 良太【パフォーマンス&アーティストトーク】午前11時~,午後2時~
内 容:「氷のレコード《VINYL》実演」
2月27日(日)には藤本 由紀夫【アーティスト・トーク】午前11時~,午後2時~
2つのイベントが開催されます。

水戸駅南口でレンタサイクルがあるようです。水戸芸術館と合わせて回るならレンタサイクルがお薦めかも。私も次回借りてみようと思います。

*3月6日まで開催中。

「針生卓治 展」 アートスペース羅針盤

昨年、東京都美術館で開催された東北芸術工科大学の卒業制作展で、私が一番好きだった日本画を描いていたのが、針生卓治さんだった。
その時の感想<過去ログ>はこちら

卒業後どうされているのだろうと思っていたら、銀座にあるアートスペース羅針盤(ここで以前、東北画とは?展が開催されていたギャラリー)で個展が開催されると知り、もっと早く行く予定が平日は想定外のアクシデントがあり早い時間で退社できず、結局最終日ぎりぎりに駆け込んだ次第。
展示風景はギャラリーのサイトにアップされていますので、ご参照ください(以下)。
http://www.rashin.net/2011/01/index000477.php


しかし、運良くご本人は在廊されていたし、久々にご挨拶ができ、しかもやはり卒業されて少し大人っぽくなっていらっしゃった針生さんにお目にかかれてとても嬉しくなった。

さて、作品は驚く程、卒業制作で拝見したものと変化している。
事前に、サイトをチェックしていたので変わっているとは知っていたが、実際に作品を目の前にすると、確かに真逆と言って良いほど方向転換していて、知っていたこととはいえ驚きだった。

以前の重厚感ある作品が好きだった私には、かつての作品をどうしても懐かしく思ってしまうが、気持ちを切り替え新作を拝見させていただく。
まず、色彩。
黒など重々しい色が多かったモチーフが一気に華やかにカラフルになった。
ハガキサイズの作品の試作であるような小品が壁に沢山並んでいて、それとは別に大作が4点程、小品やドローイングを含めるとかなりたくさんの作品を観ることができた。

色だけでなくモチーフにも変化が生じている。
以前は具象的な作品だったものが、一挙に抽象化が進んでいる。また、もうひとつ忘れてはならない特徴が「コラージュ」技法の導入である。

現在針生さんは、かつて指導を受けておられた教授のつてで山梨県に在住し制作に励んでおられるという。
今は、いろいろな方向性で作品制作をしていきたいとのこと。1984年宮城県生まれの若き日本画家はこれからどんな方向に進んで行くのだろう。

今は、やりたい方向に向かって、自身の表現を探って行く時期、つまりやがて結実する花をさかせるための根であり、茎であり枝を丈夫にする時期なのではないだろうか。

個人的には、≪空虚≫と花瓶に一輪の青い花が活けられ花瓶も背景も白の縦長の1点が気になった。展示されていた作品の中では、モチーフがはっきりと分かる数少ない作品のうちの1点。
好みは、作品を観るときの心理状態にも影響する。この時の私はどこか空虚で、その空隙を青い花が埋めてくれるような思いを抱いたのかもしれない。

針生さんには、これからも新しいことにチャレンジし、自分自身が納得できるように様々な主題や絵肌、質感、色を求めて行って欲しいと心から願っています。

*本展は2月19日(土)に終了していますのでご注意ください。

「サイモン・スターリング 仮面劇のためのプロジェクト(ヒロシマ) 広島市現代美術館

simon

広島市現代美術館で開催中の「サイモン・スターリング 仮面劇のためのプロジェクト(ヒロシマ)に行って来ました。

サイモン・スターリングは1967年イギリス生まれ、現在デンマーク在住。2005年イギリスでターナー賞を受賞したアーティスト。物事の裏側に秘められた歴史やエピソードを丹念なリサーチから見つけ出し、異なる文化との出会いや衝突、近代化がもたらす伝統との摩擦、人やものの移動が引き起こす様々な変化などを浮き彫りにしながらmその変遷をたどり再考する作品を生み出す。
本展は、スターリングの活動を本格的に紹介するアジアでの初めての個展です。
詳細は、展覧会の公式サイトをご参照ください。→ http://www.hcmca.cf.city.hiroshima.jp/web/simon/index.html


私はそもそもサイモン・スターリングがどんなアーティストであるかをまるで知らなかった。恥ずかしながら、先日までMOTで開催されていた「トランスフォーメーション展」に出展していたサイモン・バーチと勘違いしていたくらい。

未知なるものへの関心から、どうしても今回の展覧会を観たくて、広島まで行くことにした。
余談ながら過去何十年も行ったことがなかった広島に昨年から今回にかけて既に3回目となることは我ながら驚きで、一度垣根を突破すると、広島を遠いと思う感覚がなくなってくるのが不思議だ。

さて、本題。今回はスターリングの新作2点を含む6点が展示されている。一巡目の途中で、ボランティアの方による作品解説ツアーがあったので参加した。

まず1階入ってすぐの展示室には2003年制作の≪雑草の島(プロトタイプ)≫
巨大な船のようなものの上に、植物が植わっている。船底には大きくて長いパイプとボンベ状のものがくっついている。これはいかなる意図があって作られたのだろう?一見しただけでは到底分からないが、展覧会チラシに、次のような記載があった。「18世紀園芸用としてスコットランドに持ち込まれたシャクナゲが、在来種の生態系を脅かすとして近年は雑草とみなされ、排除される時代の変化を受け、シャクナゲ専用の地、浮島を作った」

要するに社会風刺的が多分にあるのだが、一見するだけではよく分からない。
浮船構造ではあるが、実際には反対運動などがあり、池に浮かべたことはないそうだ。せっかくなので、日本国内で浮かべるようなイベントができなかったのかなというのがやや疑問。
浮いている姿を観る方が実感がわくのだが、静止してしまっているとピンと来ない感じはあった。それは後半の作品にも同じk路とが言える・

2.≪カーボン<広島>≫201年
本展のための新作。自転車のチェーンがチェーンソーのチェーンに入れ替わっていることがポイント・
チェーンソーのモーターを動力源にして自走する。チェーンソーで切り落とした木を薪にして、チェーンソーを素美した自転車に積み込み旅をする。

この時点で、ビジュアル的な面白さのある作家ではなく、寧ろコンセプト重視の作家さんであるように思えた。

3.≪オートザイロパイロサイクロボロス≫2006年
スライドショー形式の作品。しかし、これは面白かった。できればスライドショーでなく、実際にこのパフォーマンス(?)を行っている所をそのまま見たかったが、それはさすがに無理。
作家が行ったのは、小さな汽船が水面を進み、船体その物を切り取り、それを燃料にして船を動かす。それを続けていくと何が起きるか想像がつくでしょう。そう、船はやがて沈んでいく。
沈んでばらばらになった部品が湖に浮かぶ場面でスライドは終了します。

舞台になっているのはスコットランドのロング湖。ここが汽船発祥の風光明媚な土地でありながら、実はイギリス海軍の原子力潜水艦の本拠地であるため、平和団体などから講義の運動が続いているという、内実は騒がしい場所。そしてそれを風刺するかのような作品をスターリングはここで見せている。自らを食いつくす無限性、永続性を表す空想の蛇「うろボロス」におちなんで付けられたのが、本作品タイトル。作家の造語である。

ちなみにこの作品に使用されている船は、湖に元々沈んでいた船で、それを再生して、破壊して沈めるという、まさしく「ウロボロス」を象徴するような作品だった。

4.≪仮面劇のためのプロジェクト(ヒロシマ)≫2010-11年
本展のメインとなる作品。
これは広島現代美術館の所蔵作品であるイギリスの彫刻家ヘンリー・ムーアの≪アトム・ピース≫というブロンズ彫刻について作家が注目し、作家独自のリサーチから紡ぎだされたストーリーを日本の伝統的な仮面劇である能の演目のひとつ『烏帽子折』になぞらえて紹介。
手前には、ヘンリームーアやアトム・ピース、核爆弾、核分裂連鎖反応の実験に成功した科学者の面など、合計9つの能面が本作品のために面うち師によって制作された。

鏡を隔てた向こう側にはこのお面を前述の『烏帽子折』の登場人物になぞらえ、これらの人物紹介と面作りの工房での作業の様子が映像化されている。

広島と美術館所蔵作品と核、それらが絡み合った、かなり難解な作品ではあるが、美術館側が制作した作品亜kン省のための解説プリントや子供向けの解説などを読んでいると、何を作家が狙っているのかが分かり、9つの面の意味合いも理解しやすい。

残る2作品、≪出会いのためのプロジェクト(シカゴ)は件のヘンリー・ムアの≪アトム・ピース≫について、もう1点は≪オンタリオ湖のためのプロポーザル-蔓延作品≫2005年。≪蔓延作品(マケット)≫を展示。

総じて、スターリングがどんな作家で、過去にどんな作品を作ってきたか。そして本展の開催地である広島についてのリサーチと場所や歴史を踏まえた展示であったことは間違いない。
しかし、観終わった後に何か物足りなさを感じた。

この後、コレクション展を観たが、こちらは、森村泰昌、やなぎみわの大型作品他、貴重な現代美術作品が数多く展示されている。個人的にはこちらの方が好みだった。

*4月10日(日)まで開催中。

「千葉正也 生きていたから素晴らしい世界」 ShugoArts

千葉正也
≪タートルズ・ライフ≫2010年 oil on canvas 76.7×116.7cm

ShugoArtsで3月12日まで開催中の「千葉正也 生きていたから素晴らしい世界」に行って来ました。
詳細はShugoArtsのサイトをご参照ください。
http://www.shugoarts.com/jp/current.html

千葉正也は1980年生まれ。ギャラリーのサイトで経歴を拝見すると、2009年越後妻有トリエンナーレの福武ハウス、2010年「ネオテニージャパン高橋コレクション」など、間違いなく過去に彼の作品を目にしているのだけれど、なぜか名前も作品も私の印象に残っていなかった。

しかし、今回の個展では大小合わせて最新作が約10点展示されていたが、展示方法も面白く、更にこれまでなぜ記憶に残らなかったのか我ながら不思議なくらいインパクトのある絵画作品だった。

画面の中に、多くの情報、モチーフがひしめいているけれど、決して雑多な感じはなく不思議なくらい調和している。時に非現実的な画面構成であったとしても、なぜか違和感なくおさまっているのは、画家の力量ゆえだろうか。
更に、非常に技術的にも高いものを持っている(と、素人の私の眼にはそう捉えた)。いかにもという写実ではないのだが、リアルな画面。実際画中に写真や絵画が描かれていて、画中画の面白さまで含んでいる。

サイズが大きくても小さくても、見どころが多く、平面でありながら立体的な印象を受け、鑑賞者の視覚作用に強く訴えかけて来る。

そうかと思えば、画家の頭の中での想像を表現化したような作品もあり、そちらはやや嫌悪感を催したのだが、やはり同様に刺激的な強さがあることには変わりない。

ここまで、面白いとは。。。
受付カウンターの向こうに展示されていた中サイズの作品が一番気に入っている。

できれば再訪したいが、ちょっと時間が取れそうにないのは残念。

*3月12日まで。お薦めです。

「半農半アート-水ありて-」 東広島市立美術館 はじめての美術館82

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東広島市立美術館で3月21日まで開催中の「半農半アート-水ありて-」に行って来ました。

今回の旅は、夜行バスで京都入りし、京芸の卒展や大山崎山荘美術館、京都芸術センター、@KCUAなどをまわって(鑑賞記録にアップ済み)、19時前には再びバスで高松に向かい1泊。翌朝、高松→丸亀→広島→東広島→広島空港→羽田という旅でした。

東広島市立美術館は、丸亀→広島の移動がスムーズに行くか、広島市現代美術館のサイモン・スターリング展にどの程度時間がかかるかで行けるかどうかが微妙な状態でしたが、広島駅から広島空港へ向かう途中にあるため、これなら行ける!とスケジュールに組み込みました。
今回の企画展では、笹岡啓子さんの写真が出展されているとのことで、例によってtwitterで本展の情報を発見し、これは行かねばと思った次第ですが結果は大正解でした!

同館は広島駅から岡山方面へ向かうJR山陽本線(在来線)で30分、八本松駅で下車し、まっすぐに南下徒歩10分程度の場所にあります。駅から案内板が見つからず、建物が見えないので途中不安になり道を確認しましたが、間違いなし。程なく看板と美術館らしき建物が見えてきました。
この日は、小雪が舞い散る非常に寒い1日で、美術館までの道のりが寒かった!

閉館が17時で到着したのは16時20分頃だったでしょうか。
展示室は1階と2階、そして別棟に八本松歴史民俗資料館があり、そちらにも作品が館内に1点、屋外に1点あります。

「半農半アート-水ありて-」というタイトルは、東広島の営みに主眼を据えて「農(農業)」と「水」をテーマに展開。以下、同館ホームページの本展概要を引用させていただきます。

東広島市は、往古より稲作を基幹とした「農」を営んできました。市内では、古墳時代の水田遺構が見つかっており、現在でも、県内最大の水田地帯となっています。三大銘醸地として名高い酒造業をはじめ、産業も「農」を基盤として発達してきました。「農」は古代より続く本市の根源的な営みなのです。
また、本市は、国土交通省によって水の郷100選に認定されるなど、親水都市として知られていますが、全国有数の溜池群があり雨乞い慣行が伝わるなど、水不足に悩まされた土地でもあります。水に事欠く土地でありながら、稲作や酒造業など水に立脚した産業を営むこの地にあって、人々は水を希い、水と葛藤し、豊かな水への創造(想像)力を常に抱きながら暮らしてきました。「水」は本市を象徴するエレメントなのです。


同市を象徴する「農」と「水」を出品作家が、それぞれの表現方法や作品を通して生活と郷土と美術の関連を見せる内容で、まさしくこの東広島美術館ならではの展覧会となっていました。
私は、まずそのことに深い感銘を覚えたのです。
ただの通りすがりの旅行者である私が、本展の作品を通じて、いつしか東広島市がどんな土地でどんな歴史を持ってどういう生活が営まれているのかが、何かしら見えて来たのには感動しました。
市内を回ることはできなかったけれど、作品を通して東広島市がどんな土地柄なのか、それが感じられたのです。

また、各作家が本展テーマを自身で解釈し、その結果生み出した表現であり作品であったことが伝わって来て、会場を出た後もじわじわと私の中で旅の良い思い出としてじんわりと残っているのでした。

出品作家は次の15名、地元広島にゆかりのある作家さんや広島市立芸術大学の教授・学生の作品中心に構成されています。
石丸 勝三、伊東 敏光、川崎 義博、黒田 大祐、久保田 辰男、腰本 悦二、桜田 知文、笹岡 啓子、鹿田 義彦、
増田 純、松尾 真由美、丸橋 光生、宮岡 秀行、祐源 紘史、吉村 芳生 アイウエオ順
各作家さんの紹介は同館のサイトをご参照ください。→ こちら

どの作品も楽しめましたが、特に印象に残った作品について振り返ってみます。

・川崎義博 ≪伏流/quiet underflow≫2011年
川崎は、東広島の「水」に注目した映像と音(川のせせらぎなど)を使ったインスタレーションを展開。映像を見せる映像ディスプレイを置く台に使用していたのは、映像と音を採取した市内の川にあった石だと思われる。
ディスプレイは全部で5つか6つはあったと思う。
各ディスプレイでは全て水の映像が映し出されているが、それらは全て市内の別の場所で撮影され、ディスプレイに映し出された水音が展示室内にまるで、私がそこにいるかのような錯覚を覚えさせるほどリアルに迫る。
展示室内に創り出された、疑似的水場であったが、美しい水の映像にしばし見とれ流れる水音に耳をすまして佇んだ。

・伊東敏光 ≪流体女神-初見≫、≪水源-奥行き12000m-≫、≪流体女神-偶然≫ すべて2010年制作
≪流体女神≫2点は、御影石の彫刻で、石彫に彩色が施され、石造りの神像のように祈りの姿勢を取っているように見えた。着彩が、かなりしっかりとされていたが、寧ろそれが自然な感じがして、こけが生えた石のようにも見える。
≪水源≫は、木彫であるが、一木造とは逆に、小さな木片をパッチワークしたような木彫と言えば一番分かりやすいだろうか。パッチワークの布を1枚の木片にたとえ、それをつなげて山の形体を生み出す。
色や質感も木片の種類を変えることで、山として平面的な木彫であるにも関わらず、奥行きの感じられる作品になっている点が素晴らしい。

・吉村芳生 ≪未知なる世界からの視点≫2010年
吉村と言えば、新聞シリーズで著名だが、本作品は色鉛筆で描かれた風景画である。
描かれたいるのは東広島ではなく、山口市仁保川の川べりに咲く菜の花。
6月になると田んぼに水がはられ、水面に風景が映り込むために天地がなくなる状況を絵画化している。この作品は天地逆に展示してあるので、もちろんそのまま観ても良いが、股のぞきして天地逆さまに見ると、また違った風景がみえてくる。
吉村の色鉛筆絵による風景画は初見、しかも本作品は非常に大きく202cm×1022cmで迫力十分。

・笹岡啓子 ≪風水里山≫2011年 ピグメント・プリント 20sm×30cmサイズの写真が15点。
この東広島市美に行った翌日、私は笹岡さんの写真を考察する「Researching photography」に参加した。そこで本作品についての笹岡さんご自身のコメントも拝聴することができたのだが、撮影期間は5日間。予算の関係上、今回の作品はデジカメの一眼レフを使用し、インクジェットプリントで出力したため、これまでの作品よりサイズが小さくなったとのこと。
5日間で700枚~800枚の画像を撮影し、15枚をピックアップしたとのこと。
私はこれらの15点を眺めつつ、なぜこの15点を選択したのかを考えながら1点1点追っていった。

笹岡さんお写真と出合ったのは愛媛県の久万美術館での図録だったのだが、今回の企画も久万美術館の展示を観た学芸の方から声掛けがあって参加に至ったとおっしゃっていた。里山と言えば、久万もそうなのだが、同じ里山でも東広島は農業が盛んなのか、大きな農家が多く久万町との違いを踏まえつつ撮影したのだそうです。
私は、彼女の風景写真を観るとき、いつも大地の質感に注目する。皮膚のように触角を刺激する。

・桜田知文 ≪MINORIの雫≫2011年
鉄、鋳金のオブジェ作品。四角い鉄板を「田」に見立て、その板の上には水のようなアルミニウムの造形物が乗せられている。これがとても美しかった。
アルミニウムが輝くと水の輝きのように見える。

・増田純 ≪豊作≫2011年
人体より大きなサイズの米袋を肥大化させたオブジェが1階ロビーに発見。ご丁寧に米袋には、それらしく文字が描かれている。

・鹿田義彦 ≪Shortage/Filling Namings≫2011年
この方も写真作品を展示。笹岡さんの写真と比較してみると面白い。同じ東広島を撮影した写真であるにも関わらず、切り取り方、写真メディアでの表現化がまるで違う。
彼の場合は、地元の中心産業の一つである日本酒作りに目を向けた。
市内にある酒蔵を訪ねて、土地ならではの日本酒をコップに少しずつ量を変えて横に並べている。
そしてご当地の日本酒の銘柄の名前にちなんだモチーフ(鶴なら鶴を選ぶなど)を1点、1点関連付けて撮影していた。

他に祐源 紘史の小さな昆虫彫刻が愛らしかった。

*3月21日まで開催中。お近くの方はぜひ!お薦めです。

「建築家 白井晟一 精神と空間展」 パナソニック電工汐留ミュージアム

白井

パナソニック電工汐留ミュージアムで3月27日まで開催中の「建築家 白井晟一 精神と空間展」に行って来ました。

白井晟一(1905-1983)は、哲人あるいは詩人と呼ばれ、孤高あるいは異端と形容され、生前から神話化されていた建築家とされている(展覧会チラシより)。
私が、この建築家の存在を知ったのは我がバイブル『藤森照信の特選美術館三昧』TOTO出版刊で、白井が設計した松涛美術館が紹介されていたからだった。
同著によれば、松涛美術館は「濃厚美術館」として藤森氏に評されている。
藤塚光政氏の美しい写真で、私の目に訴えかけたのは美術館正面のファサードであった。軒の長いこと、そして壁面に使用されている花崗岩の重厚感。
ペラペラな某市の美術館とはえらい違いだなとつくづく思った。
更に驚くべきは、2階のカフェミュゼの存在。残念ながら、かつては2階の黒革のソファで極上の紅茶やコーヒー、そして飛び切り美味しいクロックムッシュをいただくというのが、上京時の楽しみであったが、今現在喫茶室は閉鎖され、お茶を飲みつつ名画を楽しむことはできなくなってしまった。

藤森氏は、白井のロマネスク様式を模した建築にクササを感じて、その建築から遠ざかったと記しているが、私は逆にそのクササを愛していて、松涛美術館は都内でも好きな美術館の3指に入る建築で、ましてその設計者たる白井晟一への関心も強かった。

彼は単なる建築家であっただけでなく、書もし詩も書き、そして様々な文章を遺している。
本展では、その一部ではあるが、彼の多面的な足跡をたどることができる。あの狭い空間に約150点もの関連資料が展示されており、通常より解説パネルの文章も長めなので、時間には余裕を持って出かけた方が良い。

展覧会の構成は次の通り。
■序
冒頭に、小さな窓がたった一つ、しかもめったと開けられないという白井の自邸虚白庵の書斎が再現されている。その薄暗さは日本人が好まない、寧ろ西欧の人々が愛する暗さのように思う。とかく日本人は外光を求める。住宅に置いても必要以上に日当たりや外光を求める傾向が強い。そんな中、白井晟一は真逆を行く書斎を求め、そこを愛していたのだ。それは彼のヨーロッパ滞在によるものなのかどうか。
しかし、彼にはその暗さ、重厚さが似つかわしく思えてならなかった。
書斎が白井そのものをあらわしているように感じた。

■虚白庵 エッセイ:「めがね」「無塵無窓」
この虚白庵を撮影した6点の写真は野村佐紀子撮影である。

■書 エッセイ:「書について」
白井の書は、展示室のあちこちに点在している。北魏の石碑や拓本を倣ったと最後の方で解説にあったが、北魏様式の書には見えなかった。展覧会チラシでは顔真卿や黄庭堅の書を学んだとあるが、寧ろ後者の影響を強く感じる。
二文字の書より、手書きの長い原稿の達筆さが目を惹いた。

■住 エッセイ:「箸」
白井の手がけた住宅建築を設計図や模型などで紹介。
白井の義兄はあの日本画家の近藤浩一路である。私の好きな画家の一人でもあり、この関係性は興味深い。
彼の住宅建築で印象深いのは切妻屋根。

■塔 エッセイ:「聴書 歴史へのオマージュ(部分)」
親和銀行(現存しないものがほとんど)やこちらは現存する都内のNOAビルなど、塔を作った建築例を紹介。
銀行という金融業界の社屋とは思えない精神性を内部の写真から見てとれる。内観的と言ったらよいのだろうか。サロンや客室の重厚さは、ちょっと通常の企業建築ではお目にかかれないような存在感がある。

外に開かれず、内に内に籠るといった感じ。彼の書斎に通じるものがあった。

■原爆堂 エッセイ:「原爆堂について」
丸木位里、赤松俊子の≪原爆の図≫にインスパイアされて計画された原爆堂。強い祈りの精神を感じる造形である。

■幻 エッセイ:「思索の空間」
ここでは、計画段階で終わってしまった建築計画プランや現存しない建築などが紹介されている。
中でも、横手興生病院の写真4点は、畠山直哉氏の撮影なので、要チェック。

■共 エッセイ:「秋の宮村役場」
ここでは、白井が手がけた公共建築を紹介。
件の松涛美術館をはじめ、秋の宮村役場、松井田町役場、個人的にはこの松井田町役場は一度観てみたいと思う建物だった。この役場の写真は石元泰博による撮影。

そして、白井が手がけた美術館がもうひとつ国内にあった。
静岡市の芹沢介美術館石水館である。静岡県内の美術館は、大半訪問しているが、この芹沢介美術館は未訪。石を使った白井らしい建築で、これは是非早目に行ってみようと思った。

■祈 エッセイ:「サンタ・キアラ館」
茨城県日立市の茨城キリスト教学園, サンタキアラ館を紹介。ここも、一度行ってみたい建築のひとつ。
日立市であれば、行けないことはない。精神性の強い白井の建築がキリスト教という宗教、祈りの場を作り出したその成果を空間として味わってみたい。
私のような素人には図面や模型だけでは、その建築の持つ力や造形美、建築家の思いはその建物に入る、外観を実際に眺めるという体験を通してしか感じ取れないのだ。

■装丁
最後に、白井晟一が手がけた本の装丁デザインが紹介されている。

会場内には、白井の愛聴盤であったベートーヴェン弦楽四重奏曲第12番変ホ長調作品ブダペスト弦楽四重奏団が低く流れている。

*3月27日まで開催中。

「山荘美学 日高理恵子とさわひらき」 アサヒビール大山崎山荘美術館

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アサヒビール大山崎山荘美術館で3月13日まで開催中の「山荘美学 日高理恵子とさわひらき」に行って来ました。

生憎当日は、関西、中国、四国と積雪に見舞われ、大山崎一帯も銀世界になっていた。時折、舞い散る雪の中の山荘は初めてでしたが、2階の喫茶室やバルコニーから眺める雪景色はまた格別。
さわひらきの静謐な映像作品に、真っ白な雪景色は似合っているように思いました。

何を隠そう私は、さわひらきさんの映像作品が大好きで、最初に拝見したのは森美術館、愛知県美どこだっただろう?愛知県美が1点コレクションしているのは間違いなく、その作品ばかり何度も観ていて、直近では水戸芸術館で拝見した新作が衝撃的な素晴らしさだった。更にその前には、東京都写真美術館で極小スクリーンを使用した作品などを観ている。

さて、そんなさわひらきさんが、大山崎山荘美術館でどんな展示をするのか、私の関心はその1点に尽きた。もう1人の出品作家である日高理恵子さんの絵画はモネ作品との共演になるだろうことは予め予測できたし、彼女の場合は、確固たる作風があるので、そこからはみ出すような予想外の内容というのは想定できなかった。

大山崎山荘美術館は、別荘として使用していた建物を美術館にしたもので、いわゆるホワイトキューブとは全く様相が異なる。しかも同館のコレクションは、河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチをはじめとする民藝作家の陶芸作品が多く、その場所で映像作品をどう見せるのか、作品自体と展示方法の2つに大きな関心があった。

そして、結論から言えば、さわひらきの映像は大山崎山荘美術館にとてもマッチしていた。
部屋の使い方、映像の見せ方、どれもが建築と見事に共存を果たし、更には前述のコレクション陶芸との関連性も見せたり、これは学芸員氏のセンスによるものなのだろうが、展示されていたやきもののモチーフが、さわの映像によく登場する鳥であったりと、どこか関連性が見られて、その取り合わせが絶妙で感心してしまった。

さわひらきの映像作品は全部で8点、うち1点が新作。
1階のマントルピースがある展示室は、入ってすぐを一番大きなスクリーンに仕立て、≪trail≫2005年を上映。暖炉上の壁には額縁に入った絵であるような見せ方で映像≪in here≫2005年、そして入口に一番近くで小さなモニターに≪eight minutes≫2005年の3作品を見せている。
さわの映像作品はサイレントもしくは僅かな音のみのBGMが配されるだけなので、1部屋に3作品を同時に上映しても、各作品がぶつかりあったり、邪魔をすることがない。

私の今回の一番のお気に入りはこの1階の部屋にある3作品全て。
≪trail≫はモノクロの映像で、作家がイスラエルのエルサレムに1ヶ月滞在した体験から制作した作品。ラクダが作家自宅のアパート内を旅する映像。さわの映像には、彼自身のアパートが度々登場する。
今回も洗面所の排水口の周りをラクダが行進していたり、窓の盞の所にラクダがゆっくりと歩いていたり、はては、象までがのっそりと窓の向こうを歩いているシルエットがゆっくりと映し出される。窓の曇りが和紙のような質感に見えて、モノクロ映像の中に包みこまれるような感覚や柔らかな質感、水の感触といった感覚を刺激するような工夫があちこちに見られる。あのゆっくりとした動きが、ラクダと象にはピッタリくる。

対して≪in here≫は、珍しくカラー作品。これがまた実に楽しい作品になっていた。ロンドンのヘイワードギャラリーで子ども向けのワークショップを行った際に制作した作品。「これが飛べばいいな」というものを子どもが描き、それらのバスや階段などが飛んでいる映像。
ロケーションは、ドラム式洗濯機、台所の食器棚、金魚蜂の3つ。これらを飛び立った羽の生えたバスが飛ぶ様は実に微笑ましく夢がある。実際に、洗濯機や金魚蜂からバスが羽を生やして富んで行ったらどんなにか楽しいだろう。

さわひらきさんの映像はDVD化されないのだろうか?特に上記2作品は何度でも観たくなる。

同じく1階の池の前にある展示室では、新作≪record≫2010年、≪murmuring≫2006年、≪spotter≫2003年。
このうち、既に観たことがあったのは≪spotter≫のみ。

≪murmuring≫は、1つ折りの屏風のような2画面で別々の映像が同時に流れる。小さな屏風絵のような見せ方。
この作品は置いてある場所が窓際だったせいもあって、外光の反射があり、やや見づらかったのは残念。
マーマリングはぼそぼそ言っているという意味。ヤギ、木、鳥といった作家が好きなモチーフが手描きの平面から立ちあがって動きを見せる。

≪record≫は、香合などのやきものと一緒に大きな楕円のガラスケースに置かれた小さなモニターで上映。
音が保存されているレコード盤とオルゴールの突起のある盤を指でなぞると同時に記憶を辿る。水に浮かぶ船、月などが登場する。モノクロで水墨画のような静謐な映像。この映像では珍しく1度だけ字幕が出る。「月の僕をこすり消してください」と。・・・感想を書いていたらもう1度この作品を見たくなってきた。
まさに大山崎山荘美術館に相応しい作品だった。李朝の鳥型水滴が一緒に置かれていたのがまた実に良かった。

2階には喫茶室にひっそりと2作品を展示。

≪elsewhere≫2003年は引き出しの中にスクリーンが仕込まれていて、引き出しを覗く形で鑑賞する。
これは、例によって自宅アパートに置かれているやかんやコーヒーカップなどの日用品から脚が出て動き回り部屋を徘徊する映像。住人が留守の間に何が起きているかは分からない。
そんな風に想像すると、部屋に帰ってくるのが楽しくなるかも。

もう1点は≪airliner≫2003年、ある意味原点のような作品で、決して終わりのないぱらぱらマンガを作りたくて制作した作品だとか。

作品解説は、受付で紙面で手渡しして下さるので、とても分かりやすい。

モネの展示室では、やはり日高理恵子の≪Dance for the sky≫シリーズが3点、廊下側にあるショーケースに≪百日紅≫のドローイングが2点。
個人的には百日紅のドローイングが好み。
ただ、美術館からの帰路、木立を見上げてみたら、少し前に観た日高のモノクロの樹木の作品とそっくりな景色を見つけた。

さわひらきさんのファンなら必見の展覧会です。

*3月13日まで開催中。

「杉本博司 アートの紀元|科学」 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

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丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で2月20日(日)まで開催中の「杉本博司 アートの紀元|科学」に行って来ました。

既にご存知の方も多いことと思いますが、同館では1年を通して杉本博司を「科学」「建築」「歴史」「宗教」のテーマでその作品世界を通じて、杉本がもっとも重要と考える人間の意識を辿るものです。

第1回目は「科学」。

1階のエントランスでは、≪放電場構成001≫2007ー2008年を6点、縦に繋げて、美術館の1階吹き抜け空間を上手く利用した展示をしています。傍には、≪概念の形011 負の定曲率曲面、回転面≫2008年、アルミ削り出し、鏡で作られた幾何学的オブジェ。
この取り合わせを観ると、昨年秋に行ったベネッセハウスパーク棟の中庭や中にあった放電場の作品が、脳裏によみがえって来ました。
冒頭、来客を迎えるにあたって、相応しい展示内容だと思います。

階段を上がって2階へ。
これもご存知の方は多いと思いますが、猪熊弦一郎現代美術館(以下MIMOCA)は、かの谷口吉生設計のJR丸亀駅前美術館として、建築の世界ではつとに有名な建物。
ここでは、アーティストの作品がいかに谷口建築と調和するのかも見どころのひとつと個人的には訪問する度に楽しみになっていることの一つです。

2階、ここが今回の一番のオススメ。
横浜美術館の1階ギャラリーで昨年「さよならポラロイド展」が開催され、杉本博司も参加しその際に出展していたポラロイド写真≪偏光色≫2010年を今回は50点展示。
件のポラロイド展では、確か2、3点しか出ておらず、もう少し観たいなと思っていたので念願叶う。

光を光学ガラスを通して、偏光させた所をポラロイドでパチリが制作方法だと思われるが、50点の色の様々な組み合わせの妙は光の多様さ不思議さ、偶然性様々なことを考えさせられる。
しかし、何よりも美しい発色と半ば企図した通り、半ば偶然の産物であろう色の組み合わせの美しさに魅せられる。もう少し、大きな画面で観たいと思ったが、7.7×7.9サイズに封じ込められた色彩世界は、時に宇宙から見た地球の一部のようであったり。画面を2分割したようなものや、横しまに色相が作られた画面、虹の一部を切り取ったようだった。

なお、関連資料としてアイザック・ニュートンの『自然哲学の数学的諸原理』1739-42年初版2冊、『光学』1704年初版が展示されていた。ニュートン以来の光学を現代で辿った作品ということだろうか。

2階には猪熊弦一郎コレクションの展示もあるが、それは後回しにして3階へ。

3階の展示室の使い方、これが今回は驚いた。実に杉本博司らしい使い方である。過去、何度かここへは来ているが、空間の開口部を閉じて、入口を細くひとつに、しかも曲がらないと中に入れないので、観客はまず必然的に行き止まりの壁面に投影される映像を観ることになる。
この映像作品は1階にあったのと同じ≪放電場≫シリーズをスライドで見せる。

中に入ると、大きな木製の雛段がまず目に飛び込んでくる。これより前に青山ブックセンター本店で開催された杉本博司トークにて、この会場の映像が紹介されたので内容は事前に分かっていたが、それでも実際に目の当たりにすると、さすがにその大きさに驚く。
階段を登りきった所には(観客は登れません!)、杉本博司の「歴史の歴史」展に展示されていた同氏所蔵の≪雷神像≫鎌倉時代の木彫が遠くを睥睨している。
雷神の頭上にも≪放電場≫2009年が1点。

この空間は壁面にも≪放電場≫シリーズを電飾で見せたり、はてはなぜか垂れ幕に放電場をプリントしたもので、壁面を覆っていたりと、ちょっとやり過ぎ感、遊んでいるなという感じが強く好感が持てなかった。
特に垂れ幕は、せっかくの放電場のちょっと神秘的な雰囲気が、安っぽく見えてしまった。

長い衝立となる壁面の向う側にも1つだけ作品≪ファラデーケージ≫2010年がある。
展示室に入った時から、時折壁の向こう側から聴こえて来る電気がスパークする音が気になっていたのだが、その正体が分かった。

ヤノベケンジが昨夏、富山県の入善町立発電所美術館そしてその前に豊田市美で≪放電≫を起こす作品を発表したが、その縮小版と言えば分かりやすいか。
仕組みは分からないが、恐らくヤノベケンジの作品と今回の≪ファラデーケージ≫は同じ仕組みなのではないだろうか。

≪ファラデーケージ≫では鳥かごの前後に古い写真が貼られていた。
せっかくだから、放電の際に写真が何か変化したら面白いのにと思って眺めていたが、変化なし。
不定期感覚で起こる放電の放つ光の閃光は、稲光にも似ていて、隣にある雷神像が関連した存在として理解できた。

次回展のテーマは「建築」で会期は3月6日(日)~5月15日(日)。
関連イベントとして、何と建築家:谷口吉生×杉本博司の対談が4月1日(金)19時より同館で開催される。
先着順で200名定員。当日14時より1階にて整理券配布。
他の日なら何としても馳せ参じるのだが、さすがに年度始めの平日に休みは取れない。

ユーストリームで中継していただけないものでしょうか。

*2月20日(日)まで開催中。

2011年2月11日 鑑賞記録

夜行バスで東京から早朝に京都到着。短い旅の始まり。朝食はやっぱり、イノダコーヒー三条本店、朝7時からオープンしていますが、七時前でも寒いからと中で待たせていただけたのは有難い。しかも、既にかなりの来客があり、人気なんだなぁーと改めて思う。

さて、京都での鑑賞記録です。

・京都市立芸術大学作品展   京都市立芸術大学&京都市美術館
朝一番で向かったのは、京都市立芸術大学。桂は前の晩から降った雪が積もり、到着した時もまだ降り続いていた。
大学の会場では院生、博士課程の方の作品が多い。
黒宮菜菜さんの三点は、INAXで拝見した作品とまた作風が変化している。
八木良太さんのボーリングのような球形に磁気テープを巻き付け、機材の上に置くと不定期にノイズを立てる仕組み。これは、MOTアニュアルにヴァージョンアップして展示されるそうです。
八木さんと同室で展示されていた水木塁さんの写真がとても良かった。単に写真を置くだけでなく撮影時点を鑑賞者が追体験できるような舞台づくりがされている。例えば池に浮かぶボートの写真では船着場が作られ、そこに写真が一枚。デジタルではなくフィルムで写真を撮影することを重視されている。

他に伊藤彩さんのはじけた展示、尾家杏奈、彫刻では池田精堂さんの「見えない壁」に強い力を感じる。中島彩さんのフォトエッセイ集も丁寧な作りと何げない日常の中のものを被写体にした写真の美しさが印象に残る。

京都市美術館では私自身の集中力が不足していたこともあり、今一つ楽しめず。
日本画科の院生、四年生の方の作品がいくつか気になる。

・「山荘美学」日高理恵子とさわひらき アサヒビール大山崎山荘美術館
別記事にしますが、さわひらきさんのファンにはお薦め。新作一点含めた作品八点だが未見作が多く山荘での見せ方も工夫されている。

・TRANS COMPLEX   情報技術時代の絵画   京都芸術センター
村山悟郎による自身の作品展示とキュレーション。参加作家のもう一名は彦坂敏昭。展覧会の狙いと作品は合っていると思うが、京都芸術センターの展示室は南北二つは離れている。両者の作品を一つの展示室に一緒に展示した方が違いや共通点が見出しやすかったのではないか。特に彦坂の作品は展示室全部を使用しておらず、一つの壁だけでものたり無さを感じた。これは東京のギャラリーAISHO MIURAに巡回するが、東京の会場の方が今回の展示には適しているように思う。

・三瀬夏之介  だから僕はこの一瞬を永遠のものにしてみせる    @KCUA
三瀬さんの個展は昨年から追いかけ続け、今回の個展タイトルになっている巨大な屏風絵も何度か拝見しているが、やはり行って良かった。
「奇景」も昨年から取り組まれている長い作品だが、倍近く長さが延びているではないか。あまりに長いため、壁に上下二段で展示されている。
日本を超え世界いや宇宙を時空を旅する景色。
様々なモチーフが破綻することなく、画面に流れるように繋がって行く。三瀬さんご自身の体験した景色もあるだろうし、想像のなかの場面もあり。それでも作家と一緒に旅しているような気持ちになる。


京都国立近代美術館の常設と麻生展、京博の筆墨精神と内藤湖南の篆刻を再訪して、高松行きの高速バスに乗車した。

「曽根裕展 Perfect Moment」 東京オペラシティ アートギャラリー

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東京オペラシティ アートギャラリーで3月27日まで開催中の「曽根裕展 Perfect Moment」に行って来ました。

1月15日(土)に開催された「開催記念スペシャル・トーク」を拝聴後、展示を観て参りましたのでトークの内容をざっと振り返りつつ簡単に感想を書いておこうと思います。

「開催記念スペシャル・トーク」は曽根裕氏、フィリップ・ピロット氏(クンストハレ・ベルン館長)のお二人によるQ&A方式+曽根氏による歌あり、踊りありのパフォーマンス性の高い内容でした。曽根氏のハイテンションぶりに圧倒されまくりの2時間。

曽根:年をとると考えていることを伝えていくことも重要になってきたと思っている。

Q.Perfect Momentというタイトルを展覧会に付けたのはなぜ?

曽根:映画のように作りたかった。
94年頃(98年頃?)映画を作ろうとして、ストーリーボードを作り始めた。絵としては半分ぐらいできていたが、彫刻はなかった。
このPerfect Momentという言葉は、自分が考えた言葉。ゲストキュレーターの遠藤水城氏が中国のスタジオに来てタイトルや展覧会方針をなかなか決めないでいるうちに3つの作品をスタジオに並べてみたら、3つのサブジェクトのずれを感じた。遠藤との意見交換の中でサブジェクトのずれ、ストーリーとして対になっているタイトルを遠藤氏に提案したら気に入られて決まった。
何かを意味するのではなく、キュレーターとの体験や過去の作品との連続性から選ばれたのであり、ゼネラルな意味を持たせるつもりはない。

ここで、曽根氏は「Living in the ocean」と歌を歌い始める。

Q.熱帯と北極の極端に差があるものをなぜ同居させるのか?雪に覆われたジャングルとか。

曽根:好きだからというのもあるが、まだプロセス。
(1)Pure Clear Straight
混沌としながらも答えの作れない現実をそのまま見せて行くのが好き。混沌と矛盾の中で生きている気がする。それをシンプル化しないで見せたい。
強度を付けるとシンプルにはならない。カオティック(カオス的な)形をしている。

(2)Conflict Confusion
2つのプロジェクトが交差して自分が分からなくなるような状態がもっと好き。

Q.いつから、どのようにして光そのものを彫刻に刻みだしたのか?光そのものを立体化させていく、クレージーとも見える。

曽根:身近なきっかけという意味では友人と遊んでいる時。
Light No.1は雪の木、これがとても重要ですべての始まり。
Light No.2は夏の木。

最初にペイント。プロセスはドローイングから。
模型はゼロから始まり、石は彫りから。人間の手はゼロから作り、大理石はマスから削られ、やがて両者がぴたりと一致する時がある。作品を作る上での全体感が必要。
大理石はとてもSEXYでエキサイティングな素材。

Q.中国の工房とメキシコの工房との関係について聴きたい。(曽根氏は中国とメキシコに工房を持っている)

曽根:意図的に注得やメキシコにスタジオがないといけないと思っているが、作ることに関しては人との流れで結果的にこういう結果になった。
メキシコでは、現在サポートしてくれるホセ氏(トーク会場に来場されていた)がNYのギャラリーで私の作品を観て気に入りコレクションしてくれた。
彼はセラミック工場の社長でアーティストを支援するメキシカンパッションの持ち主。
日本から見れば彼は大らかで、ヨーロッパから見ればPOETIC。
6年前にバナナを初めて作った。
セラミックで何か作って欲しそうだったが、石とセラミックは違う。石の持つ失敗したら終わりというSexyさがない。
それでも彼は仲良くしてくれて、ある日バザールでラタンのウェービング(古い伝統的テクニック)を見た。
それをホセ氏にプロデュースしてもらえばと思い、ドローイング⇒小さい模型から作り始めた。
経済不況で2年間停止してしまったが、ホセ氏が枝の長さを調節してスタジオに届けてくれた。

バナナは全く初めてで、アートだという気持ちはあるが、自分としては新たな産業を興しているようなつもり。
メゾアメリカの植物をキャンバスに見立て、10年くらい様々な植物を作って緑を少しでも増やそうと思っている。
大理石を見せるジャングルだけど、いずれは大理石のないジャングルを見せるためのジャングルを作りたい。

Q.あなたにとっての展覧会の意味は?

曽根:以前はギャラリーの個展が好きだった。
ギャラリーの個展は、ショーと言う形式をシンプルに理解できる場所だと思っているが。違う角度で行う展覧会はいろいろある。パブリックとプライベート。

例えば、キュレーターによって作られたショーでは、アーティストが選ばれ、そこに作品があり展覧会となる。
順番があって作らないと展覧会はできないから、作品を作った後の話になるが、展覧会がないと作らないのでは7年、10年先のことをOrganizeできない。
時にはキュレーターの新しい概念をあける作品と言っても良いし、グループショーの中で、アーティストの強弱を見せるようなK1グランプリのようなイメージもある。
展覧会というのは非常に難しいことを考えたり、その作品をみることでアートへのきっかけにもなりうる。開かれた交流点にもなる。
自分としてはコラボレーションして作っているという自覚を持っているし、エンターテイメントの一部なのではないか。


これからの10年どういう計画をしているかという最後の問いかけに対しては、映画を作りたいと熱く語っていた曽根氏。今回も映像作品が2点展示作品に含まれているが、特に入って左側の作品は、曽根氏のディレクターぶりを想像させる展開。ロードムービーのコンビネーション。各人の体験がオムニバスのように繰り広げられる。
もう1点は曽根氏の誕生日を祝うシーンが次々に繰り出される。

そして、前述した通り、バナナのジャングルが登場し、数点の大きな大理石彫刻や光を模した彫刻が展示されている。正直ちょっと拍子抜けするような大味な展示であるようにも思えるが、曽根氏の話を伺っていると、当初の思惑通りであると分かる。
エルメスのギャラリーでの展示と合わせて、彼の作品世界を2つの場所で楽しむのが良いと思う。個人的にはエルメスの大理石や水晶彫刻の方が好み。

なお、常設展示やprojectN44 吉田夏奈の作品が非常に良い。吉田は昨年TWS本郷での展示もあったが、オペラシティの作品は大作である。常設コーナーもお見逃しなく。

*3月27日まで開催中。

複合回路 認識の境界 第六回 石井友人」 ギャラリーαM

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石井友人 複眼(block noise image) 2010 oil on canvas 150×150cm

ギャラリーαMのαMプロジェクト2010複合回路もいよいよ最終回。

ラストはキュレーター田中正之による石井友人(いしい・ともひと)展である。お馴染になったギャラリーの受付の方が、純粋に平面絵画のみを壁面展示するのは久しぶりとおっしゃっていたが、確かにそうかもしれない。
青山悟さんも平面ではあったが、展示の仕方がインスタレーション風でしかも両面が刺繍になった作品が天井からぶら下がっていたりしたので、壁面だけを利用したシンプルな展示は、このαMでは珍しい。

そして、今回の展示とても良かった。
石井友人さんは1981年生まれ、2006年に武蔵野美術大学大学院油絵コース修了。私は彼の作品を初めて拝見した。

ご本人の弁によれば本展のテーマは「複眼」。
・「光と色彩から来る瞬発的な反応に属する視覚性」をシグナル、「映像認識から空間の構造へと向かう視覚性」をイメージと位置づけ、視覚的データ⇒イメージへの変換を絵画表現で試みたものが今回の作品であるようだ。

作品は全部で13点、うちタイトルがない作品も何点かあるが、タイトルに「image」と「signal」が含まれた作品もはUntitled以外の作品ほぼすべて。
私の好みは、くしくも「image」とされた作品ばかりになった。
きっと、私とは逆に「signal」が含まれた作品を好む方もいらっしゃったのではないだろうか。
自分の嗜好がシグナルよりイメージ化されたものに振幅されると分かって、ちょっと面白かった。

彼の作品、まずimageがタイトルに含まれた作品は写真的絵画、もしくは写真の粒子を拡大して絵画化したような作品で、その粒子が大きくなるほど、印象派の点描画に似ているように思った。
粒子と分からないような作品ほど、写実性が高く、ちょっとぼけた写真風の作品といったら分かりやすいだろうか。

好きな作品は、最奥にあった≪Dyptich Image/Signak:Image(park)≫2010年、入口入って正面の≪Compound Eye(block noise image)≫2010年、その左隣にあった≪Window(plant)≫2010年。

特に最初にあげたDyptich Image/Signak:Image≫は259×181.8cmの大作。

視覚イメージをほぼ3タイプの作品で絵画化されたようで、脳がどうやってイメージを捉えるか分解して見せてくれた、そんな印象を持った。
そして、自分の好みは一番最後に画像として残るイメージに近い作品とその一つ手前までだったようで、シグナルに近い、抽象絵画のような作品ほど苦手であると分かった。

こうした異なる3タイプの描き分けを実現している所に、石井の技量の高さを認識した。
今後は、イメージをバラバラにして再構築して行く過程をもっともっと様々なモチーフで見せてくれるような気がする。


なお、3月5日(土)16時~18時にシンポジウム「複合回路について:関係性の中の美術」が開催されます。
パネリスト:パネリスト:キュレーター・高橋瑞木、鈴木勝雄、田中正之
      作家・青山悟、丹羽良徳、石井友人
会場:gallery αM 予約不要


*2月19日(土)まで開催中。

「墨宝 常盤山文庫名品展」 根津美術館

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根津美術館で2月13日まで開催中の「墨宝 常盤山文庫名品展」に行って来ました。

何はさておき、東近美の「日本画の前衛」展に次いで楽しみにしていた展覧会。今回の失敗は、1月22日に開催された正木美術館主席学芸員の高橋範子氏による講演「墨の魅力 禅寂の境地にひたる」に申し込まなかったこと。
参加された方によれば、禅画の流れなどを分かりやすく解説されたとのこと。てっきり、こちらは墨蹟についてのお話で絵画についてとは想像せず、後で悔やんでも時既に遅し。貴重な機会を逃しました。

さて、常盤山文庫、日本美術をよくご覧になる方であれば作品所蔵先にこの名前を目にしたことが何度かあるに違いありません。かくいう私もその一人。一度、これはどこにあるのかとぐぐって調べたこともありました。
実業界の粋人(・・・と展覧会チラシにはありますが、フィクサーとしての顔もあり)により昭和18年に創設。以後60年以上にわたり形成されたコレクションは墨で表現された優品が多数含まれています。

本展では、両国の禅宗寺院を背景に生み出された常盤山文庫の墨宝を中心に初公開の工芸品、特別出陳を加え、日本の中世における中国文化受容の一端を紹介しようとするものです。~美術館チラシより一部抜粋

冒頭いきなり、今回一番のお気に入りの一対の絵画が。
≪捨得図≫(常盤山文庫蔵)、≪寒山図≫(静嘉堂文庫蔵)虎巌浄伏賛 元時代 の対面。
元々寒山捨得の一対の作品なのに、今は所蔵先も異なるので、本来であれば向かい合った形の寒山捨得が、そうならない。
静嘉堂文庫の≪寒山図≫は、既に拝見していて、非常に特徴のある頭髪の表現があるため、すぐに過去に観た作品と分かった。あの頭髪表現は忘れようにもなかなか忘れられないものがある。一体、筆をどうやって使うとあんなに自然なアフロができるのだろうか。
仲間の≪捨得図≫も同様の頭髪表現で同じ書き手であることはそれ以外、墨線でも分かる。
あぁ、良いものを見せていただいているなぁと感動。

根津美術館は、近頃来るたびに展示の方法がグレードアップしているような気がしてならない。
今回も墨宝を堪能するには、足利義満の時代のごとく君台観左右帳記に倣ったしつらいを少しでも感じてもらえるようにとの配慮で、ガラスケース内でできうる限りの努力をした展示を行っていた。

例えば、棚飾りを作って、そこに南宋青磁の茶碗や文琳茶入を置いたり。それだけではない。一番、気に入ったのは、あの根来のお盆や黒漆、朱漆の輪花盆を台にして、青磁杯や青磁袴香炉と心憎いばかりの取り合わせ。
まさに室町時代を思わせる取り合わせ。これがまた名品揃いで美しい。

工芸品の白眉と言えば、初公開の≪彫漆雲文水注 犀皮≫・南宋は凄かった。
文様が仏像の羅髪のように渦巻いている。解説の読み違いでなければ元は金属製の水柱に漆を何層も塗り重ねそれを彫ってあの雲文(渦巻き)を創り出しているという。持ち手にも要注目。何ともいえぬ味わい深いまるでべっ甲のような光沢があった。

そして、貴重な南宋絵画≪送海東上人帰国図≫、あとは根津美の国宝≪鶉図≫が。
絵画では他に以下の作品が印象に残る(所蔵先の記載がないものは常盤山文庫)。
・龍図 李筆 明時代 
・楊柳観音図 伝 可翁筆 一山一寧賛 室町時代
・瀟湘八景図 雲渓永怡筆 室町時代
・帰郷省親図 卾隠恵奯ほか12僧賛 室町時代
・白衣観音図 能阿弥筆 室町時代
・月に兎図 蔵三筆 室町時代
・張果老・鉄拐・呂洞賓図 啓孫筆 室町時代
・花籠図 雲渓永怡筆 室町時代

中でも、最後の花籠図は同時代の中国宮廷画家の作品を模したものではないかと解説にあった通り、他の作品とは一線を画す緻密な画法だった。

また、墨蹟にいたっては、ほぼ全て名品と言っても過言ではない。
中では、非常に単純明快ではあるが、無準師範墨蹟 ≪巡堂二大字≫は強烈だった。

文字に精神が宿るっていうのはこういう文字のことなのかと観惚れてしまった。

私は書を鑑賞するのは好きだけれど、墨蹟は苦手。好きなのは明時代ごろまでの中国書なのだけれど、今回に限って言えば、墨蹟も良いなと少し魅力が分かったような。
ミュージアムショップをちらりと覗いたら、正木美術館編の『水墨画・墨蹟の魅力』・吉川弘文館刊という本を発見。
やや気になっている。

なお、3階展示室では鍋島焼の展示と初春を祝う茶と題した展示も開催。特に後者は菟のモチーフを集めた茶器など季節や干支を取り入れた遊び心のある展示となっています。

*2月13日まで開催中。

第5回 「shiseido art egg」 今村遼佑「ひるのまをながめる」 資生堂ギャラリー

第5回shiseido art eggの2番手は、今村遼佑「ひるのまをながめる」。

今村さんの作品を私は一度、京都市芸大ギャラリー@KCUAのオープニング「きょうせい」展で見ていた。
しかし、それが今村さんの作品をだったと気付いたのはまだ1ヶ月程前のこと。
@KCUAを再訪したら「きょう・せい」展の図録が販売されていて、あのカオス的第1部の作品はいったい誰のものであったかを確認する意味も含め購入したが、今村さんは第2期に出展されていて、お名前と作品がしっかと結び付いた。

「きょう・せい」展第2期での彼の作品は階段や2階通路にあった蛍光灯スタンド。この時の鑑賞記録を読み返したら、今村さんの作品ではなく別の作家さんの作品だと大いなる勘違いをしていた(大変失礼しました。)。
と言っても、今でもあの作品の意味がよく分からないでいる。
何の変哲もない蛍光灯スタンドとしか認識できなかったのだが、実は何か深い意味や裏があったりしたのだろうか?

さて、話を戻す。

資生堂ギャラリーの空間を使用して、今回は如何なる作品を見せてくれるのか。

そう、彼は私に久し振りに音や気配、視覚を研ぎ澄ます貴重な機会を与えてくれた。

入口近くにあるのは小さなオルゴールの機械部分だけが3つ。
ここで、かそけき音を感じる。
決して急いではならない。
「急がない」ということは今回の展示を十分楽しむのに一番必要なこと。

続くもう1点も音を感じる作品。
いや、感じるというのは正確ではない。音を見つける作品と言う方がしっくり来る。

そうしてまた先に進む。
今度は、天井から細い糸が、床には糸巻が転がっている。
これがじわじわじわじわとゆっくりとした動きを見せ、やがて突然かたんと倒れ、その瞬間、糸は緩む。

糸を見ていたら、床にきらりと点滅する光を発見。
まるで宝探し、いや作品探しのゲームのようだ。

他にないか、どこかに作品は落ちてないか、知らず知らずのうちに床をなめるように見渡している。

するとやや中央より入口方向の壁に近いあたりに段ボールを繰り抜いたような小さな円環が落ちていると思ったその矢先、その円環はゆっくりと上昇して行く。
ここでも糸が登場し、円環をぶら下げ恐らく天井近くの梁に仕掛けられた滑車?のような機械に巻き取られ、一定の所まで来ると緩む。

同様に別の壁下の床にも小さな光。

奥の展示空間もう同じような状況が作られている。

緩い風になびく細い糸。
細い糸がきりきりと捩じられ紙縒りのようによられて行く姿を追う。


懸案材料としては最初の音の作品が、ギャラリーに出入りするための階段を上り下りする人々の足音でかき消されてしまうこと。
入口近くに一番繊細な音を見つける作品をなぜ配置したのだろう?
奥の部屋の方が、階段を鳴らす足音に邪魔されないように思ったが。

そして、もう一つ。
私は今村さんの作品を楽しみつつ同時に複数名のアーティストの方を思い出していた。すなわち、どこか他の作家さんの作品を彷彿とさせるものがあった。
私はまだ僅かに今回と「きょうせい」の2つしか作品を拝見していない。
今後、どんな作品を見せてくださるのか、今村さんらしさを見つけたい。だから、今月下旬から開始される京都のstudio90での展示:今村遼佑「ながめるとみつめるのあいだVol.01」も、拝見させていただく予定でいる。
studio90のサイトはこちら

*2月27日まで開催中

「琳派芸術-光悦・宗達から江戸琳派」第1部 出光美術館

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出光美術館で2月6日まで開催中の「琳派芸術-光悦・宗達から江戸琳派」第1部「煌めく金の世界」に行って来ました。

日本人は印象派と琳派がとても好きなのだろうか。気が付けば毎年のようにどこかで琳派の展覧会が開催されているように思う。今回の出光美術館での展覧会は酒井抱一生誕250年を記念してで、同時期畠山記念館では抱一に焦点を絞った展覧会を開催中でそちらはまだ未見だが、やはりまた琳派かという思いはある。

実のところ、私はそれほど琳派好きではない。寧ろ室町時代の水墨画の方に強い関心があるが、それでも宗達&本阿弥光悦この2人のコンビで生み出した作品には脱帽し、これぞ日本の美の象徴ではないかと思うこともしばしば。
続く、尾形光琳⇒酒井抱一⇒鈴木其一あたりは、この流れをより洗練したデザインとし、継承していったその系譜は言わずもがな美しいが、ひどく心惹かれることはなぜかない。
寧ろ機をてらったような其一あたりまで来ると面白いかなと思うが、彼単独でスポットが当たることも今のところないのは残念。

さて、出光お得意の琳派。私は、ここでかつて風神雷神図屏風3点ズラリと並んだのを観に来た印象が強い。今回はどんなものを見せてくれるだろう。

第1章 美麗の世界

冒頭の第1章が、個人的には一番ツボだった。
何しろ、最初に書いた通り、最強タッグの下絵を宗達、書を本阿弥光悦画描いた、「蓮下絵百人一首和歌巻断簡」や「月梅下絵和歌書扇面」「萩薄下絵和歌書扇面」(左記2点は細見美術館蔵)が並ぶ。

そして、花月帖(春・秋)書は伝・本阿弥光悦とされているが、金泥と金砂子ときらびやかな料紙に並んだ書の美。

宗達の下絵だけではやはり寂しいし、光悦の書がその下絵を活かして、流麗にまるで絵の一部であるかのごとく文字を連ねる。
光悦の書の余白にも注目したい。
ここぞというところに、ちゃんと大きな余白がとられている。
日本美術というのは「余白の美」を知り尽くしたものこそ極められるのではないか、そんな思いがよぎる。

それにしても本阿弥光悦という人物は書も焼物もこなす当時の風流人という私の理解で良いのだろうか。
宗達との出会いやこの両者の合作が非常に多いのはなぜなのか、光悦がもちかけているのか、このあたりが興味深い。

宗達と言えば、「扇面散貼付屏風」六曲一双 屏風は紙本金銀泥下絵、扇面、紙本金地着色は「伝」なしの宗達だったが、彼の扇面図というのはやはり単独だとどこか間が抜けて見えるといったら怒られだろうか。

2章 金屏風の競演
・「月に秋草図屏風」 伝俵屋宗達 六曲一双
こちらは、先程の「伝」なしの扇面屏風に比べ、ぐっと大胆なデザイン、構図で非常に興味深い1点。
巻頭に銀泥の満月が配されている。ここで、既にやられた感がある。後はお得意の秋草図。

・「西行物語絵巻」 絵:俵屋宗達 詞:烏丸光広
原本別の西行物語絵巻の写本であるが、さすが宗達、上手いです。詞書も当代一流の書き手烏丸光広ですから、どこかやんごとなき所からの発注だったのでしょうか。

この後「四季草花図屏風」など「伊年」印の作品がずらりと並ぶ、華麗な装飾世界を展開。

3章 光琳の絵画
・「燕子花図」大阪市立美術館蔵 尾形光琳
近年の出光美術館の展覧会では自館所蔵作品だけにこだわらず、他館からの借り入れ作品も含めて展示しているので、内容が充実している。一観客としては嬉しい限り。

・紅白梅図屏風 伝尾形光琳 六曲一双
光琳の「紅白梅図屏風」と言えば、熱海のMOA美術館所蔵品を思い出す。
あちらとは構図も梅の姿も違うが、かの国宝「紅白梅図屏風」で例えられているようにこの紅梅図と白梅図を男女に例えて、今回の作品を鑑賞してみることにした。
見ようによっては、そう見えなくもない。何か紅梅が白梅に言い寄って手を大きく伸ばしているような姿にも見えなくはない。
そんな風に妄想してみるのもまた楽しい。

3章は光琳の名画が次々に登場する。
中でも「太公望図屏風」京都国立博物館蔵 二曲一双、こちらが重要文化財に指定されているのに、個人蔵の「白楽天図屏風」個人蔵・六曲一双が無指定なのはなぜなのか。

素人目には「白楽天図屏風」も太公望図屏風に優るとも劣らぬ作品のように見えるのだが。。。

・「禊図屏風」伝尾形光琳 重要美術品
禊を行うための川の極端なカーブがとにかく目を引く。右端から川は内側に大きく曲がっている。そして人物は川に比べてやや大きくないだろうか。アンバランスさが気になる。

4章 琳派の水墨画
琳派と言えば、金銀華やかな装飾的なイメージであるが、彼らの水墨画を展観するのが最終章。

ここでは酒井抱一(抱一生誕250周年というのに漸くここで初めて登場する)「白蓮図」(細見美術館蔵)これは何度観ても美しい。其一「雑画巻」、光琳の「深省(尾形乾山)茶碗絵手本」などが珍しい。

会場には、乾山の焼き物が各所に配されていて琳派の展覧会に華を添える。

第2部転生する美の世界は2月11日~3月21日まで。いよいよ、抱一の風神雷神図屏風が登場します。

「笹本晃 / Strange Attractors」 TAKE NINAGAWA

今週火曜日(2/1)からインフルエンザに罹患して、丸々3日間昏々と眠り続け、漸く37前後を行ったり来たりまでになった。
火曜は出社していたので、水曜から今日まで3日間も仕事を休んでしまって、ブログなど更新している場合ではないのですが、どうしても書いておきたい「笹本晃 / Strange Attractors」だけを今日は短めに。

注:1月29日(土)をもって、本展は終了しています。

TAKE NINAGAWAは、東京に来て早3年になろうというのに、今回初訪問。麻布十番から若干歩くけれど、迷うことはない。

さて、笹本晃(ささもと・あき)さん。
私は彼女のことを何も知らなかった。
例によって、twitterでの情報から彼女のパフォーマンスは見ておいた方が良いという呟きを観て、行ってみようと思った次第。
アーティストプロフィールや展覧会の詳細はギャラリーのサイトをご参照ください。以下。
http://www.takeninagawa.com/past/2010/StrangeAttractors/AS_SA_jp.html

事前情報を何も入れずにこのパフォーマンスを観た私には衝撃的だった。
これは今年のギャラリーベスト10入り確実かもしれない。それくらい、インパクトが強烈で自分が今見ているものは、参加しているものは果たして何なのか、よく分からないが面白い、ぐいぐいと引き込まれるあの感覚が身体に残っているのだった。

今回のパフォーマンスはホイットニー・ビエンナーレで行われたものに、日本語を取り入れ再演されたもの。
とにかく笹本さんは語る・歩き回る・描く・時に転がると常に動きまくっている。
そのしゃべりのスピードも彼女なりに計算されているのだろう、よくよく聞いていると緩急使い分けている。

どこまで本当か分からないが、NYで一番美味しいドーナツの店を調べるために、しらみつぶしに街中のドーナツ店のドーナツを食べる。
その店の名前は忘れたけれど、日本にも出店しているらしい。
そして、観客に「外を食べないで中心からドーナツを味わう食べ方」を問うてみたり。
実際にドーナツが手渡されたが、多分の食べ方は正解だった筈。

更に私たち観客はじっとしていられない。
時折笹本さんの「ねぇ、動いてる!?」という厳しいお言葉が飛んでくるので、既に大入り満員の狭いギャラリー展示室をぞろぞろと移動する。私も最初にいた場所から合計4箇所くらいは移動した。
ちなみにパフォーマンス時間は約40分。

そう、天井からはみかんがよく入れられている網ネット袋に入った樹脂で満たされたグラスや数式模型のような鉄の円形風のオブジェがいくつもいくつもぶら下がっている。更に、痔の患者さん用のドーナツ型座布団も多数。テーブルがいくつか。全てのインスタレーションがパフォーマンスに関係してくることは最後になって分かる。

ドーナツの話が終わったと思ったら、いつの間にか壁の紙に3つの人間を分類したような図形を描きだす。心理学的な話のようであり、想像上の話のようでもあり、でも妙に説得力があるのは、あの図式化が図られた時からだろうか。

段ボールでできた土管の中に入り込んで、床を転がり始める。

どの動き、どの語りひとつとっても無駄がない。そして、バラバラな内容であるはずなのに、なぜか切れ目なく集中力をとぎらせることなく次へ次へとめまぐるしく展開していく。
エイトトレインの物語が私的にはとても楽しかった。
125丁目まで一気に走る列車。その加速度の話。
NYに一度でも行ったことがあれば、なんとなくイメージがわく。

後でプロフィールを観たら、笹本さんは高校を中退し渡英し、その後渡米。コロンビア大学を卒業しているが、そこで美術やダンスや数学!を学んでいらっしゃた。

どおりで、内容が数学的要素を含んでいると思った。

しかし、美術と数学って一見相いれない関係のように思っていたが、こうやって表現化されると、ある意味数学模型も演算式も美しいカタチであるように見えた。

彼女のパフォーマンスは最高でした。
また、機会があれば是非。国内でこのパフォーマンスを観ることができて本当にラッキーだった。
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