スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「手塚治虫のブッダ展」 東京国立博物館本館特別5室

ブッダ展

「手塚治虫のブッダ展」 東京国立博物館本館特別5室 4月26日~6月26日
公式サイト → http://www.budda-tezuka.com/index2.html

国立博物館や国立美術館が独立行政法人化してからというもの、特に国立博物館は大きな変化を見せている。
もっとも顕著なのが東京国立博物館。
私は、京博、奈良博、九博(まだ2回)にも行くけれど、商業ベースに強く傾いているのを感じるのは東博だ。
これまでにない宣伝や広告の大々的な展開。年に何本もある特別展。

今回の特別展「手塚治虫のブッダ展」など、商業ベースに乗った最たる例と言えるだろう。
会場は東博本館特別5室。
ここでは、今年の3月21日までロングランで「仏像の道-インドから日本へ」と仏像がアジアから日本へ入ってきた変遷をたどる展示を無料で行っていた。→ http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=708

「手塚治虫のブッダ展」は、手塚治虫が晩年に制作した『ブッダ』の原画と仏像そのものを同じ空間に展示することで、手塚が追及したブッダの世界を間近に鑑賞するものだと東博のホームページで知った。
すると、メインテーマはあくまでも手塚治虫の『ブッダ』である、私は『ブッダ』を読んだことがないのだが、実際の史実とは異なり、“釈迦”の生涯(仏伝)を手塚治虫独自の解釈で描いたものらしい。

観終わって思ったのは、この内容で800円というのがあまりに虚しく、確かに漫画を紹介しつつ釈迦の生涯をたどる内容にはなっていたが、展示されている仏像の大半は館蔵品である上にそれ程数も多くない。
肝心の手塚の原画も、中途半端な数の展示。
にもかかわらず、照明だけはやけに凝っていて、天井には紫色の光線がひかりスペクタクル的な会場作りとなっていたが、照明だけ頑張っても中身が入場料に追いついてない。
手塚の原画を観るのにそれだけの価値があるのか。

映画「手塚治虫のブッダ-赤い砂漠よ!美しく-」が5月28日から全国で公開されているが、この映画の宣伝のための展覧会としか思えないではないか。

確かに漫画を使って、仏像に関心のない人や子供たちにも来館し楽しんでもらおうという意図もあるし、そういう意味では成功していたとは思うが、あまりに商業的過ぎて辟易した。
そこまでして、入場者数、入館料を稼がねばならぬのかと。

過剰な照明は、中身の乏しさを補う要素としか私には思えなかった。
エンターテイメント的な要素はあるかもしれないが、私は国立博物館に過剰なエンターテイメント性を求めていない。作品を美しく細部まで見せる照明や快適な展示環境があればそれで十分だと思っている。

本展の白眉は、ジュニアガイドだろう。
非常に分かりやすくブッダの生涯や実際に展示されている仏像の画像や見どころがまとめてあって分かりやすい。
仏伝と手塚漫画との違いも登場人物をベースに説明されている。

会場が狭いので、今後混雑が予想される。
特に漫画の原画は並びそう。
手塚の原画を持ち出しただけで800円とは・・・割り切れない思いで会場を後にした。
スポンサーサイト

「リヒターとトゥオンブリー 新作エディション展」 ワコウ・ワークス・オブ・アート

richter
ABDALLAH (917-32), 2010, lacquer behind glass, 33 x 33 cm (frame size)

「リヒターとトゥオンブリー 新作エディション展」 WAKO WORKS OF ART 5月7日~6月4日
http://www.wako-art.jp/top.php

ゲルハルト・リヒターの、ガラスとラッカーを用いた作品「アブダラ」のシリーズと、サイ・トゥオンブリーのドライプリント作品「チューリップ」のシリーズが展示されている。
初台から六本木に移転して、初めて行ってみたがスペースも初台の2~3倍はあるだろう。
同時に二人展が余裕で開催できる広さはやっぱり嬉しい。

トゥオンブリーの方が作品数も多く、スペースも広かったけれど、やはりぐっと来たのはゲルハルト・リヒター。
ガラスにラッカーで描いたガラス絵のシリーズは今回初めて見たが、色彩の魔術師(使い古された言葉で申し訳ない)というべき、ストロークと波を打った色面の美しさ。
彼は完全にラッカーとその色を掌握していた。

一見すると適当にぐにゃっとラッカーをひねり出したかに見えるが、その実、計算しているに違いない。日本にも幕末から明治にかけてガラス絵が長崎あたりから入ってきた。
まさか、リヒターが日本のガラス絵にヒントを得たとは思えないが、手法としては同じで、ラッカーという画材、あちらは風景などの具象画で、リヒターは抽象絵画という違い。

5点程ガラス絵のシリーズが並んでいる中、私の一番好きな作品が本展のDMにも採用されていて嬉しかった。タイトル「ABDALLAH(917-32)2010年。
そして、これらのガラス絵と垂直に、グレートーンの抽象画が1点展示され、このコーナーをしっかりと引き締めていた。実に上手い展示。

トゥオンブリーのチューリップ作品はみな黄色だが、Dry print(ドライプリント)という技法に注目。
他ではあまり目にしない手法で、写真を版画のようにするのだろうか?
ギャラリーの方にお尋ねしてみたが、ちゃんとした説明が戻って来なかった。

ぼかしやゆらぎの入った画面はかさっとした紙面で、植物、お花という瑞々しい対象が、乾いた状態になっているのには惹かれない。ビビッドな画面の方が個人的には好み。

この二人展、私の中では断然リヒター。
そして、観るたびに全く趣向の異なる絵画なり写真を繰り出すゲルハルト・リヒターにこれまでになく強い関心を持った。
本人の公式サイト → http://www.gerhard-richter.com/
来年2月に80歳を迎えるリヒターは今秋10月にロンドンのTate Modernで展覧会が開催される。パリとベルリンでも回顧展が予定されているようだが、そちらについての案内はまだ出ていない。
Gerhard Richter: Panorama
Tate Modern, London, UK
October 06, 2011 – January 08, 2012
回顧展のようなものなのか、単なる個展なのか。全貌が分からないがリヒターを一度まとめて観る機会となるなら行ってみたい。

「百花繚乱-桜・牡丹・菊・椿-」 山種美術館

百花繚乱

「百花繚乱-桜・牡丹・菊・椿-」 山種美術館 4月27日~6月5日
開催概要:http://www.yamatane-museum.jp/doc/exh/110427jp.pdf

移転後初となる「花」をテーマとした館蔵品による企画展。
それにしても、山種美術館の企画展は回を重ねるたびに良くなっていく。

今回の「百花繚乱」も、お馴染みの作品ばかりだろうし・・・と高をくくっていたが展示構成がしっかりしていることもあり、最後まできっちり日本画で描かれた美しい花々を楽しむことができた。

以下、構成順に展覧会を振りかえってみる。
【1:春の花】
・酒井抱一「月梅図」 
何度も観ているはずだけど、やっぱり風流で優雅。特に外隈で描かれた月に注目。
抱一は、今回全部で3点出展されている。同じく琳派の鈴木其一「四季花鳥図」も出展されているので、琳派ファンも楽しめる。

・速水御舟「紅梅・白梅」1929年
こちらも既に何度か観ている。しかし、何度観ても良いものは良い。胡粉の白梅、朱を使った紅梅、そして中央には金泥のめしべが若干盛り上がりを見せる。山崎種二氏が、自室によくかけられていたというのも頷ける。どこか妖しさもある梅。
今回、御舟の作品も複数出展されていて、「桃花」はじめ他4点は見ごたえあり。

・山本梅逸 「桃花源図」1844-48年頃
先日、岡崎市美術博物館で「桃源万歳!」を観たばかり。この作品も「桃源万歳!」に相応しい、桃源郷を描いた作品。梅逸らしい色彩と繊細で緻密な描写。名古屋南画の代表者。

【2:取り合わせの妙】
・作者不詳「竹垣紅白梅椿図」(重要美術品)17世紀
竹と梅は夫婦和合の象徴だったとは、これだけ沢山観ていながら今頃知るってどうなんだろう。中国徽宗の頃より花の作品は吉祥の願いを込めて描かれることが多い。
花言葉のように、人々の幸せをこめて画家に発注したのだろう。

【3:西洋原産の花】
ここでは、古径や奥村土牛らの西洋の花を題材にした作品を3点展示。古径は古九谷の花瓶と花を合わせた作品が非常に多いことに気付く。

【4:初夏から夏の花】
・小林古径「白華小禽」1935年
白の泰山木の花と葉の肉厚な感じがたまらない。元々、木蓮や泰山木が好きなので、この古径の平面でありながら立体感のある泰山木の花はこちらに迫ってくるものがあった。

・竹内栖鳳 画帖「5月 葱坊主」
色紙十二ヶ月のうち五月の葱坊主。栖鳳らしからぬ、ちょっと気の抜けた感じが逆に良かった。

・川端龍子 「花の袖」1936年 、「八ツ橋」1945年
特に後者の「八ツ橋」は、尾形光琳の杜若図屏風を明らかに意識した作品。元々琳派の中でも光琳が好きだったという龍子、会心の大作。

【5:秋の草花、冬の彩り】
・酒井抱一「秋草図」
・速水御舟「和蘭陀菊図」1931年
御舟の菊図の紫色の濃厚さに怯んだ。何やら狂気をはらんだような色。菊は次に登場する西郷狐月「陶淵明」にも描かれるが、陶淵明とセットされる花。
そして、陶淵明と言えば、再び桃源郷のお話が登場するのだった。
やはり、あの展覧会はテーマ性としては非常に良いものだと今更ながらに感じる。

【6:四季繚乱】
ここで、前述の鈴木其一「四季花鳥図」が登場する。右隻は春夏、左隻は秋冬。其一らしい、独特の面での表現が観られる。

【7:花の王様、牡丹】注:第2会場
著名な日本画家による牡丹の競演は見事というしかない。

・福田平八郎「牡丹」1924年 32歳の頃
同じく平八郎の牡丹で56歳の作品が出展されているが、まるで違う。年を経過していくにつれ、平八郎の作品はよりデザイン的に形態を簡略化していく。
32歳の屏風絵は、裏彩色を多用し、ぼんやりとした霞がかかったような雰囲気を醸し出す写実的な牡丹の作品。
これが平八郎の作品とは、一見して分からなかったのは、これまでのイメージが後年のものだったからだろう。

・速水御舟「牡丹花(墨牡丹)」1934年
墨画彩色の紙本。こちらも何度か観ているがやはり美しい。しかし、その裏には驚くべき技法が隠されているのだった。特に葉の部分などぼかしの部分ではにじみ止めを使いつつ、にじませたい所だけにじませるという秘法を使用しているらしい。

・川端龍子「牡丹」1961年
こちらもめしべの盛り上がりが独特。龍子76歳、円熟期の作品で豪奢で優美な牡丹を描く。

日本画の花々ですっかり、雨にも関わらず楽しい気持ちになった。
しかし、来場者に中高年女性が多い。香水の匂が充満しているのには辟易した。

中平卓馬 「キリカエ」 心斎橋Six

中平卓馬「キリカエ」 心斎橋Six 2011年3月19日(土)~5月29日(日) 12時~19時
住所=大阪市中央区南船場3-12-22心斎橋フジビル2F
(地下鉄御堂筋線心斎橋1出口徒歩2分、コム デ ギャルソン大阪店2階)
http://osirisnews.blogspot.com/2011/03/blog-post.html

BLDギャラリーで中平卓馬の写真展「ドキュメンタリー」を観た時にはそれほど強い感慨はなかった。
しかし、名古屋市美術館で現在開催されている東松照明展を観て、心斎橋のSixでの中平卓馬「キリカエ」を観たら、私の中で観方が変わってしまった。

昨日も、白金のMISA SHIN GALLERYで東松照明「新宿騒乱」(6/11迄)で彼のモノクロ写真を約25点観た後、急に中平のカラー写真が観たくなった。
名古屋市美の時も同様で、なぜか東松照明の写真を観ると、中平の写真が観たくなるのだ。

強いモノクロ写真を観た後、強烈な色彩と被写体がクローズアップされた中平の写真を欲するのはなぜなのだろう。

黒を観た後、中平のカラーを観るとその強さにドキドキする。
彼の写真を観ていると、生きることへの執着を感じずにはいられない。
「キリカエ」には都合3回足を運んだ。
最初は、BLDギャラリーでの展示と同じ写真で、サイズが大きいものとBLDで見せていたのと同じ小さいサイズの2種類が左右両方の壁に展示されていて、会期中の中平卓馬が大阪で撮影した写真を随時増やしていく趣向。

2回目に訪れた時、半分くらいまで壁は埋まっていた。
そして、3回目最後の30点弱が追加され、壁面はほぼ彼の写真で覆い尽くされていた。

そして、3回目には入口のカウンター上に、中平が大阪で撮影する様子を写真家の金村修氏がビデオカメラにおさめた動画が流れている。確か約30分くらいの長さ。
この映像を観ていると、彼が1ショットしか撮影しないことがよく分かる。
カメラを構えてからシャッターを押すまでの時間は短く迷いがない。

寧ろ何を撮影するかを決めるまでの時間が果てしなく長い。
本人は大坂に来ているという認識があるのかさえも分からない。
会話もなくただただ淡々と、中平卓馬の背中や撮影シーンをおさめる動画は、飽きそうで飽きず、やはり編集と撮影者である金村氏の実力によるものだろう。

中平の写真を眺めていると、お気に入りのモチーフが重複していることに気付く。
亀、猫、浮浪者、植物。。。好きな物を選んでカメラを構える。ごく自然な行為の継続。
空の青さ、植物の緑や花の赤。中途半端さや曖昧な色彩は観られない。
そして、抜群にうまいのは構図と被写体を捉える角度で、これは彼特有のものがある。
通常、こういう角度で撮影するかなという視点でモチーフをおさめる。

写真集買ってしまおうか。

大橋文男展「しっぽをだいてねむるようにまぶたをだいてねむる」 INAXギャラリー

大橋文男

大橋文男展「しっぽをだいてねむるようにまぶたをだいてねむる」 INAXギャラリー 5月28日で終了
http://inax.lixil.co.jp/gallery/contemporary/detail/d_001856.html

INAXギャラリーの現代美術展は毎回楽しみにしていて、欠かさず行くようにしているが、先月はギャラリーの開館時間も短縮されたり、体調不良もあったりとスケジュールが合わず見逃してしまった。
今回の大橋文男展も最終日に駆け込み。
しかし、これは行って良かった。

大橋文男さんのポロフィールは上記ギャラリーのサイトに展示作品画像とともに掲載されていますが、1963年生まれ。2010年に東京藝大美術学部油画専攻卒業し、現在同大学大学院美術研究科絵画専攻在学中。

まず、展示室に入って、タンポポの綿毛が溢れているのに驚いた。そして、入った時に感じた香りはこのタンポポの綿帽子の香りであったかと気付く。

今回は、映像作品が5点とタンポポを使用したインスタレーション。
森の中に遊びに来たような感覚を味わえる。
映像作品にも登場する切絵の人形は、目には見えない風にゆらゆらと揺れている。正面の映像ではミツバチが巣作りをせっせと行う。巣作りしているものをよくよく眺めてみると、それは切絵で作った住宅だった。

展示室入口近くの床には、細かいレースのような紋様を象った切紙で作られたドレスと人型をタンポポの綿毛で見立てた作品が床にそっと置かれている。

どの映像作品にも共通するのは、色彩の妙。
緑の草、植物や青い空を背景に、白い切絵が幻のように登場する。
展覧会タイトル「しっぽをだいてねむるように」「まぶたをだいてねむる」はそれぞれ作品タイトル。
やや詩的過ぎるのではないかという気もするが、実際に作品と接してみると許されてしまう。

今回は、ナチュラルな配色でまとめていたが、ポートフォリオにある作品では、ヴィヴィッドな色彩の作品も制作されている。
今後の活動に注目したいアーティストである。

宮永愛子展 「景色のはじまり-金木犀-」 ミヅマアートギャラリー

金木犀

宮永愛子展 「景色のはじまり-金木犀-」 ミヅマアートギャラリー 5月28日で終了しています。
http://mizuma-art.co.jp/exhibition/1301319419.php

今回の宮永愛子展では、宮永と言えばナフタリン作品というイメージがあるのだが、それを打ち破る新作を展示。

日本国内各地で採集した金木犀の葉を脱色し、葉脈だけに手作業で加工し和糊で1葉1葉を繋ぎ、金木犀葉でできた布を作り上げていた。

金木犀の布は、天井から波打つように床に広がり、中央を鑑賞者は通り抜けできる。
この時、金木犀の葉の微香を感じる。何度か行ったり来たり。

白く色が抜けてしまった金木犀の葉は、時間も空間も飛び越えて市ヶ谷のギャラリーにやってきた。訪れる人々を包みこむために。
1枚1枚の葉は、それまでどこかの誰かの庭にあったもの。
想い出を全て消して、ひとつになった。

奥のコーナーでは、あいちトリエンナーレなどでも使用していた古い家具を使って、金木犀の布になる前の状態、緑の残った状態の葉っぱと脱色し葉脈の輪郭だけ残された葉っぱがそれぞれガラスケースの奥に入っている。
3つの引き出しには、あの2011年3月11日の震災をまたぐ日付が書かれていて、中を開けても何もないようだったけれど、何かの音だけが聴こえて来た。

畳みの部屋では、ナフタリンの作品が1点と、貫入の入ったやきものが幾つか置かれていて、こちらも音を楽しむ作品と言って良いだろう。

彼女の作った世界で何を感じるか、作家から問いかけられているように感じた。

「水・火・大地 創造の源を求めて」展 熊本市現代美術館 はじめての美術館85

水火大地

「水・火・大地 創造の源を求めて」展 熊本市現代美術館 4月9日~6月12日 10時~20時 火曜休館
http://www.camk.or.jp/event/exhibition/water-fire-earth/

九博の「黄檗展」についての記事を書いてから、日が経過してしまった。
大宰府を後に、西鉄で大牟田にて鹿児島本線に乗り継ぎ、人生初の熊本入り。到着した葉いいが、JR熊本駅前にはめぼしい大きな建物もなく、かなりさびしい風景が。熊本市って県庁所在地の筈。街がない・・・と思いきや、熊本中心部はJR熊本駅からバスか路面電車で10~15分程行った熊本城下が繁華街なのだった。
さすが、細川家の熊本藩、熊本城はこれまで観たお城の中でも国内有数の立派さ。熊本城近隣には熊本県立美術館もあり、芝生の広がる広大な公園も併設している。

熊本市現代美術館は開館時間が夜8時と遅い。毎晩8時まで開館している公立美術館は全国でここだけに違いない。その理由は、熊本市現美の図書室にある。この図書室中央部天井には光の天蓋、J.タレルの「MILK RUN SKY」2002年があり、その真下にはマリーナ・アブラモヴィッチ作の木製ベッドが十字に4台置かれている。枕にあたる部分は大理石。アブラモヴィッチは図書室本棚を作品化しており「Library for Human Use」2002年、棚の一角にベッドを組み込んだり洗面コーナーがあったりする。中央には彼女の絵画もある。
毎晩19時にはピアノボランティアの方が来られて、図書室でピアノの生演奏を聴きつつ、タレルの光の天蓋の色が刻々と変化していくのを眺めるというすごい趣向。
これ、すべて無料です。
館内は撮影禁止。以下は、玄関から中を撮影したもので、右手奥がホテルロビーのような図書室。

熊本館内

熊本館内2



他にも階段下に、草間弥生の鏡のアートワーク「早春の雨」2002年や、エントランスホールには宮島達男「Opposite Vertical On Pillar」2002年もあり。
http://www.camk.or.jp/information/facilities/artwork/index.html

これらは恒久作品として、美術館開設にあたって制作されたもの。特に図書室を堪能するだけで足を運ぶ価値はある。

さて、企画展「水・火・大地 創造の源を求めて」は、九州新幹線全線開通記念事業の一環として企画された。
熊本にゆかりのある水(豊かな地下水)・火(阿蘇・不知火)・大地を8名の出品作家による作品で展観する。
<出品作家>
杉本博司 Hiroshi Sugimoto、遠藤利克 Toshikatsu Endo、千住博 Hiroshi Senju
淺井裕介 Yusuke Asai、蔡國強 Cai Guo-Qiang、リチャード・ロング Richard Long
ディヴィッド・ナッシュ David Nash、アンディー・ゴールズワージー Andy Goldsworthy

実は、この展覧会、アンディー・ゴールズワージーが一番のお目当て。遠藤利克も気になるし・・・と好きな作家さんが多かったので、行っておきたかった。

まず、「水」。
千住博の「四季瀧図」「フォーリングカラー」2006年と杉本博司は「Sea Scape」シリーズが並ぶが、後に続くイギリスの自然派作家の作品と比較すると浮いていた。彼らの作品を観ても一向に熊本の地下水や水をイメージすることなどできない。
千住博や杉本博司の作品を批判している訳ではなく、ここで見せるには適していなかったということ。
杉本作品に至っては、豊田市美所蔵作品が6点ほど並んでいるだけで、見せ方も漫然としてメリハリなし。

しかし、次のディヴィッド・ナッシュ、アンディー・ゴールズワージーから俄然良くなってくる。
といっても、国内美術館から、主に栃木県立美術館からの貸し出し作品中心。
ナッシュは、「日光における彫刻制作写真」や実際の木彫が出ていたが、彼の場合、「火」が関係する。
彫刻に使用する木材をバーナーなどで加工し表情を創出する。

ゴールズワージーに至っては、好き過ぎて、展覧会テーマ以前に作品を観るのに必死。
これだけの数をまとめて観られたのは初めて。
前述の栃木県美はじめ、世田谷美術館などの所蔵品が出展されていた。
中で忘れられないのは「トーン・ストーンズ」1990年。
イギリスで集めた石を陶芸用の釜に入れ、強い熱を当てて作られた石を枯山水よろしく並べる。
内部が熱によって溶けだし、表面に亀裂が入る、熱エネルギーが外へとあふれ出、自然に冷えて固まるのを待つ。。
この作品の壁の向こうからなぜか、水音がして来たのだが、その理由は最後に分かった。

ゴールズワージー曰く「色彩は彫刻的である。目を見張る鮮やかな色彩。自然の有する色を開放し自律性を持たせる。」そして「自らを風景の中の変化の媒体」と語る。
葉脈の間を裂いて、松葉で縫合した葉は、一見すると蛇の紋様を描いているような、自然の一部を使用し再構成、もしくは僅かに手を加え、視点を変えて見せる手法に魅せられる。

リチャード・ロングは、花崗岩を使用した円環、粘板岩を使用した作品。大地や火の存在を意識させる。

浅井裕介は、阿蘇、熊本城、天草の土を採集し、他の土地の土と混ぜて巨大な泥絵による壁画を本展のために描いた。「泥絵・土のこだま 阿蘇-天草」2011年。
この他、箱型の作品にペイントした作品もいくつかあって、彼の作品も本展主旨によくマッチしていたと思う。

圧巻だったのは、遠藤利克「空洞説2011-KUMAMOTO」。
これは素晴らしかった。
縦に長い展示室をフルに使用したインスタレーション。最奥のコーナーは鉄板で仕切られ、向こう側を観ることはできない。聴こえるのは瀧のような流水の大きな音。
ゴールズワージーの作品があった壁の向こうから聴こえて来た水音は、これであった。
見えない水の存在は、まさに地下水の表現に相応しい。
そして、鉄板を挟んで水と反対側には、木を燃やして完全に炭化した長舟が一隻、ノアの方舟よろしく置かれている。
川から流れついたのか、ユートピア目指して漂流するのか。

遠藤利克の作品解説に興味深い記述があった。「インドの経典リグ・ヴェーダでは、火は自ら発生し、水に住む」。
まさしく遠藤の作品にはこのリグ・ヴェーダの教えが具現化されているように思えた。

冒頭の2人の展示は、若手作家に任せた方が良かったのではないか。熊本出身の若手アーティストは多数いるのに。
観客を呼び込もうとするために、作家のネームバリューだけに頼っていては、観客を唸らせるような展覧会はできないと思う。中盤以後が良かっただけに、尚更残念。

今回は、日帰りだったので次回は是非ピアノ生演奏とタレルのプログラムを体験したい。

帰り際の熊本市現代美術館の写真。熊本城を臨む繁華街にある。

熊本現代1

熊本現代2

藤本由紀夫「n / t -phonography / photography-」 Shugo Arts

藤本由紀夫
左)PHONOGRAPH – P, 2011albumen print 右)PHOTOGRAPH – P, 2011 albumen print

藤本由紀夫「n / t -phonography / photography-」Shugo Arts 4月 9日(土)~5月28日(土)12:00~18:00


私が現代美術を観はじめてまだ間もない頃、名古屋在住のK様が私に藤本由紀夫氏のことを教えて下さった。
藤本氏は愛知県のご出身で現在は京都在住のアーティスト。
2006年の名古屋市美術館での個展を見逃した私は翌2007年に西宮市大谷記念美術館、国立国際美術館、和歌山県立近代美術館の3館同時開催の個展で初めて作品に接することができた。

私のブログ中の検索欄に「藤本由紀夫」と入れると相当数の記事がヒットする。

ShugoArtsでの個展に先立ち、大阪のdddギャラリーで開催された「-phono/graph-音・文字・グラフィック-」には行けなかったが、本展では、その時配布された小冊子を入手することができた。dddギャラリーでのグループ展を踏まえての個展となっている。

私たちは今、目で音を聞き、耳で絵をみている。
藤本由紀夫

これが作家のステイトメントだが、なぞなぞのようだ。

しかし、藤本氏の作品を知っている方であれば、すぐにその意図がつかめるのではないだろうか。

本展では、photograph(写真)とphonograph(蓄音機)が、nとtの一文字違いという点に作家は着目し、写真とは何かに注目し、視覚と聴覚情報の境界を探るような内容を提示している。

瞠目すべきは、「THE MUSIC」(FRAMES)2011年。
2枚の透明アクリルの両面にオルゴールを取り付け、空間を開けて2枚を並列に置く。鑑賞者はこの2枚のアクリル板の間を通り抜ける。
ギャラリーの方の説明によれば、これまでもオルゴールを取り付けたアクリル板の作品はあった[西宮市大谷記念美術館でも展示されていた。)が、本作品はその集大成と言える作品とのこと。
2枚のアクリル板は順行と逆行を示す。
更に、一見ランダムに配置されたようなオルゴールは、楽譜の音階に従った位置に設置されている・・・・。
お話が難しすぎて途中から理解不能に陥った軟弱な私の頭。
オルゴールは音を奏でつつ、その配置により視覚的にも聴覚情報を示し、更に順行、逆行により時空をも体験できる作品になっているらしい。

全部のオルゴールを回し真ん中を通ると、音が反響しあって、不思議な感覚を呼び起こす。

もうひとつ、私が面白いと思ったのは手作りの鶏卵紙を使用して文字を日光写真の方法で印画紙に写した作品。
卵白の塗り方にムラがあったのだろう。
鶏卵紙自体も日光によりムラ焼けし、それがニュアンスになって絵画的な魅力を放つ。

他に旧作2008年作「WITH HIDDEN NOISE BY MARCEL DUCHAMP」も面白かった。
デュシャンの作品の複製が京近美に所蔵されていて、藤本氏はその作品を振った時に出る音を録音。
本作品では、デュシャン作品同様、箱を振ると、当時録音されたデュシャンの作品の音がする仕組み。デュシャンへのオマージュと読み解くか、はたまた藤本ならではの解釈で見せる音ともうひとつ時間の概念を感じさせる。

聴覚情報と視覚情報の交錯、変換は認知心理学的視点から考えても興味深い。果たして、我々は視覚情報で音を感じることができたのだろうか?

「あるべきようわ 三嶋りつ惠展」 SHISEIDO GALLERY

三嶋

「あるべきようわ 三嶋りつ惠展」 SHISEIDO GALLERY 4月12日~6月19日(日) 
http://www.shiseido.co.jp/gallery/exhibition/

ベネチアのムラーノ島の工房で熟練職人とのコラボレーションでガラス作品を制作している三嶋りつ惠の個展。
代表作と新作をあわせて約25点を展示しているが、何と言っても今回の個展の面白さは建築家の青木淳氏が手掛けた会場作りにあるだろう。
「神殿」をイメージしたという空間は、三嶋のガラス作品と見事に調和し、彼女の作品を引き立て、美しく生きているかのように見せていた。鑑賞空間の大切さを痛感した個展だった。

まず、入ってすぐの1階フロアで、かぐや姫の生まれた筍のように光る棒「AORORA」2011年が隅に立っているのを見つける。材料はホネケーキ!ホネケーキと言えば、資生堂の石鹸ではなかったか。

これも作品なんだろうな・・・と思いつつ、地下の空間を見下ろすとガラスの作品が見えて来る。
階段を下りて突き当りには「OAGODA」2010年、「SPECCHIO MITOLOGICO 神話の鏡」2011年、鏡を使用したガラス作品の展示。

更に進むと、ガラス製品のために設えた、一段高くなった舞台の上に、晴れやかな様子で様々なガラスのオブジェが置かれている。その数、20点。

受付は、今回は最右奥に設置されていて、そこで、本展のために調香された(?)という香りが2種類用意されている。私はセダーウッドの香りを選んだ。
良い心持になって、会場をふわふわと回る。
「SACRO SOLID 聖なる立体」2011年、「RITMO DELLA FORME 形のリズム」2011年が、下からの光でガラスの美しさをまた別の形で表現し展開していた。
私はこの2つの作品が一番好きだった。

そして、青木淳氏の試みは続く。
わずかなスリットから覗いて鑑賞する「CORONA 数珠」。光源氏が美しい女性達を垣から覗き観る行為を思い出す。細いスリットから覗くという行為は何か淫靡な感じが伴う。

美しいフォルムと透き通るような透明感を極上の舞台演出で楽しめる空間となっていた。

「桃源万歳!―東アジア理想郷の系譜-」 岡崎市美術博物館

桃源万歳

「桃源万歳!―東アジア理想郷の系譜-」 岡崎市美術博物館 5月22日(日)で終了

陶淵明の創作よる桃源郷の世界をテーマに、中国絵画から現代作家6名による新たな桃源郷への挑戦、そして小説や諸星大二郎の漫画における独自の桃源郷世界などを多面的に展観する内容。

前期、後期と2度行った。特に後期は、震災によるガソリン不足で全会期を通じて出展予定だった三瀬夏之助氏の作品が後期のみ展示となったため前後期と足を運んだが、結果的に2度とも同じ印象-近代以後から桃源郷を描いた絵画様変わりし、これらの作品を桃源郷的世界を描いたと言いきるには無理があるのではと、しっくり来ないのだ。

展覧会の構成は次の通り。
Ⅰ.陶淵明 
Ⅱ.描かれた桃源郷 
①中国・韓国の桃源郷絵画 ②-1近世日本の桃源郷絵画 ②-2蕪村における桃源郷
③近世から近代へ-鉄斎の桃源郷絵画
i 西洋ユートピア思想の系譜  近代日本のユートピア
Ⅲ.近代における桃源郷的世界 
①新南画における桃源郷絵画-芋銭、放菴、竹喬の桃源郷
②桃源郷的世界-田園、島、故郷
③近代文学における桃源郷
Ⅳ.現代の桃源郷
このうち、「現代の桃源郷」は展覧会の冒頭に、今村哲、奥村美佳の桃源郷をイメージした新作が展示されているので、作品展示順序は、構成と若干異なる。

現代美術の桃源郷に関して言えば、奥村美佳の3点「桃花の谷」「洞窟」「隠れ里」2011年が一番ストレートに桃源郷の創作世界を表現していた。
展覧会のラスト、細い通路のような場所に展示された現代美術の作品は、一見しただけでは桃源郷と結びつけるのはかなり苦しい。4月に開催された、奥村美佳、関智生、三瀬夏之介の3名によるアーティストトークを拝聴したが、三瀬夏之助「山ツツジを探して」は、本展に出展されている富岡鉄斎の「武陵桃源図」へのオマージュとのことだった。堂々とした水墨の大屏風は、いつものような箔の使用がなく、墨と胡粉勝負でもくもくとした山なみ(Ⅱ見えた)に埋まりそう。あれだけの屏風絵なので、離れた位置で引いて観たかったが、通路が展示スペースでは狭過ぎて残念。

中国絵画好きとしては、やはり前半から中盤あたりが一番萌えた。
・伝仇英「桃花源図巻」17世紀 セントルイス美術館
・査士標「桃源図巻」1665年 ネルソン・アトキンス美術館
・袁江「桃花源図」プリンストン大学美術館
・黄晴湖「武陵桃源図」 長崎歴史博物館
このあたりは、アドレナリンが全開になっていたと思う。
特に、査士標の「桃源図巻」、伝仇英「桃花源図巻」、董其昌「武陵桃源図」の巻物は微に入り細に入り、じっくりと。彩色のものは、緑が美しい。中国絵画と言えば、やはり大幅な掛軸も観たい。そして、出会ったのは袁江「桃花源図」。これらはセントルイス美術館、ネルソン・アトキンス美術館、プリンストン大学美術館とアメリカの美術館所蔵品なので、めったに観ることはできない貴重な作品。これが最後かもしれない。

近世日本、江戸期の桃源図では、松村呉春「武陵桃源図」が抜きん出ていた。池大雅は好きなのだが「桃花流水」はちょっと迫力不足。先日、千葉市美術館で拝見した鈴木鵞湖「武陵桃源図」も今まで観た鈴木鵞湖の中では最高。山元春挙「武陵桃源図」滋賀県立近代美術館蔵は、目が覚めるような色彩の美しさと緻密さ。結局、春挙が好きなんだな、私は。どうしても彼の絵の前で必ず立ち止まる。コレクションを持っているのに常設のない、岡崎市美術博物館蔵の橋本関雪「帰去来図・武陵桃源図」も艶やかな六曲一双。

近世までの桃源図は、


同じく「武陵桃源図」を描いた與謝蕪村、富岡鉄斎あたりは流石。特に後者、鉄斎の「武陵桃源図」「蓬莱仙境図」京博蔵の六曲一双は、座ってじ~っと眺めていた。陶淵明の創作イメージを作家なりに咀嚼しつつも忠実にストレートにイメージ化されているので、観ている方としては分かりやすかったし、桃源郷世界へ入り込みやすかった。

しかし、近代以後次第に状況は変化してくる。
小川芋銭や小杉放庵、小野竹喬までは良かったのだが、今村紫紅、森田恒友、小川千甕、酒井三良、野口謙蔵らの作品を「桃源郷的世界」として紹介するのは何度行っても違和感があった。
恐らく、彼ら作家自身もそんな意識はなかったのではないか。ちょっとこじつけ感があって、近世までの流れが、近代で、ぷっつり途絶えた印象を持った。

そして、次に続く現代の作家による桃源郷は前述の通り。

図録は、展覧会より充実している。
掲載論文はいくつあったか、、、秋田県立美術館長であり日本美術史家の河野元昭氏はじめとする、豪華な執筆者を迎え、桃源郷について、ユートピアとの違い等、様々な視点で論じられている。

良い作品はいくつも出ていたが、後半だけが消化不良となってしまった。

本展は、長きにわたり同館の館長であった芳賀徹氏の退官記念展にもなっている。アーティストトークにも客席最前列から、様々な突っ込みを入れられ、本展への意気込みを感じた。長きにわたり、素晴らしい展覧会の数々、心から感謝致します。

「帝室技芸員シリーズⅡ 蒔絵 白山松哉とその弟子たち」 清水三年坂美術館

「帝室技芸員シリーズⅡ 蒔絵 白山松哉とその弟子たち」 清水三年坂美術館 5/22で終了しています。
http://www.sannenzaka-museum.co.jp/kikaku.html

白山松哉(1853年~1923年)は、1906年明治39年に蒔絵師としては4人目の帝室技芸員に任命された。ちなみに最初の3人は、ご存知柴田是真と川之辺一朝、池田泰真。
今回の展覧会では松哉の作品を中心に弟子達の作品も合わせて展示することで、その共通点や相違点、そして画家として活躍した松哉の息子、白山春邦の作品も展示する。

ここに来ると、2階の企画展コーナーに行く前に常設展示で足止めされる。
今晩のNHKハイビジョンで放送された明治の金工家、正阿弥正義はじめ海野勝、先週放送された並河靖之の七宝作品など明治時代の超絶技巧工芸の数々を楽しむことができ。
そうして、信じられないような技術の冴え、作品の緊張感や美を愛でるうちに時間は過ぎていく。

今回の特集は蒔絵師、白山松哉。
本展チラシによれば「松哉は、その全ての作品に気品があり完璧なのである。しかも独創性に富み、他の作家の作品とは容易に区別がつく。」
「本当だろうか・・・と観ていくと、本当だった。」という、いつも通りこちらが脱帽すべき工芸品の数々が並んでいる。
松哉は技術も素晴らしいが、その前段階であるデザインが斬新。
ありきたりのものであったとしても、そこに調和の取れた美しさを保ち続け、また他の誰もやっていないような凝ったデザインの作品はまず松哉が手掛けていた。

・武蔵野図棗
・カンドリ香炉
・忍草香合
・切段模様蒔絵印籠 → モダンなデザインかつ優れた技術。
明治の人はなぜ、これ程までに技を追求できるのか?

息子の白山春邦の「葛図屏風」4曲1隻は見事だった。小さな蒔絵の工芸と違い、この屏風絵だけがどんと構えて私たちを迎え見送ってくれた。彼は親である松哉のような蒔絵師にならず、画家の道を歩んで良かったと思う。こんなに凄い親を持った子供への影響は計り知れない。

「MEET THE ANIMALS!」 京都芸術センター

「MEET THE ANIMALS!」 京都芸術センター 4/10~5/22

京都出身の動物木彫作家の三沢厚彦が、ついに京都で初個展。
え、まだやってなかったんだ・・・と驚いた。
会場は旧明倫小学校をリノベーションした京都芸術センターで、何とも初個展に相応しい場所。

予想通り、三沢厚彦が生み出した動物達が、会場のあちこちに出没。

特に、良かったのは南館2階の教室内の展示。
教壇に立っている先生は熊。
観客は大勢いたが、敢えて教室内の机や椅子に腰掛け、熊先生の授業を受けているような光景が自然発生的に生まれている。

教室の後ろには、紙製の動物達がわんさと控えており、楽しい空間。ここには、ドローイングも何点か展示されている。

南館4階には、和室「明倫」があるが、ここではいきなり、猫が獲物を捕まえる寸前のポーズ、頭を低くしてお尻を上げるポーズをしてお出迎え。
全部で5匹の動物が待っている。和室空間の動物彫刻は、まるで家の中のペットのようだった。

北側ギャラリーには、どでかい、もしかすると過去最大級かもしれないユニコーンとそのユニコーンを見下ろす位置にヤモリとモモンガが壁と天井にいる。
この北側ギャラリーは天井高も高いので、毎回どう使うか楽しみにしているが、この潔さは気持ち良かった。

そして、珍しい試みとして、木彫動物の屋外展示がされていた。メルシャン軽井沢や鹿児島県の霧島アートの森では既に行われていたのかもしれない。
どこにいるかは、行ってみてのお楽しみ。
ギャラリー北から戻る時によく見える。目があったりするから、ドキドキしたり。

最終日の明日は、三沢氏ご本人によるツアートークが14時からと18時からの2回開催されることになっている。事前申込不要、参加料無料です。

映像作品上映会 「MOVING」 京都シネマ

映像作品上映会「Moving」 京都シネマ 5/20,21,22

本日から、京都ではホテルモントレ京都を会場にアートフェア京都が開催されている。
これにあわせて、京都シネマ(地下鉄烏丸線 四条駅すぐ上のCOCON烏丸3F)で、全国から新進の映像作家9組を招いて実写、アニメーション、ドキュメンタリーなど、様々な技法で制作された短編映像作品9本を上映するイベント“MOVING”が開催されている。
“MOVING”の公式サイト→ http://www.andart.jp/moving/
参加している映像作家9組の顔ぶれは以下の通り。
かなもりゆうこ、トーチカ、林勇気、平川祐樹、松本力、水野勝規、宮永亮、村川拓也、八木良太(アイウエオ順)
*各作家さんのプロフィールは上記公式サイトをご覧ください。

ウェブサイト / アートプロジェクト“&ART”と、京都を拠点とする映像作家(実行委員は水野勝規、林勇気、宮永亮の3名)が企画する新しい試みだが、何と言っても私を惹きつけたのは参加作家の顔ぶれ。
個人的に好きな映像作家さんが名前を連ねていて、これが行かずにおれようか。
しかも、ホテルモントレ京都の“株式会社フィールド / &ART”としてブース内では、200枚限定生産オリジナルDVD(5,000円)を販売中。DVDに収録されている作品と上映される作品は違うらしい(同じ作品もあるのかも?)ので、二度お楽しみがある。*Movingとアートフェア京都で500円の相互割引あり。

さて、上映順は、林勇気→平川祐樹、八木良太→宮永亮→かなもりゆうこ→トーチカ→水野勝規→村川拓也→松本力。この順番は実行委員の面々と関係者の方とで作品が出揃ってから検討し決定したとのこと。

この中で、私が過去に作品を一度も拝見したことがなかったのは、かなもりゆう、村川拓也。以下敬称略。

村川は、今回ウィーンから生中継を使用した映像作品を上映するという、実験的なアプローチで作品を見せる。
逆に、過去に同じ作品を観ていたのが、宮永亮「Wondjina」2009年、トーチカ「STEPS」2010年(あいトリの長者町会場で上映されていた作品)。八木良太「Lento-Presto(Coridor)」2008年は、確かあざみ野市民ギャラリーでの個展で上映されていたような記憶が。。。

全作品を通じて、映画館での上映に適した作品とそうでない作品、そして容赦なく連続して9つの映像作品が流れると、作品の完成度や個性が明確になる。

個人的に良かったのは、平川祐樹「ささやきの奥に」2011年。
この作品は、先月名古屋の長者町でOne Day Cafeで3面スクリーンを使用して上映された作品をリバイズし新しい画像を追加し再構成し直したもの。私にはまるで別作品のように思えた。

このイベントでは上映後、約1時間毎日交代で出品作家3組+ゲストによるアフタートークがある。初日は、平川、八木、宮永の3名によるトーク。私はこの組み合わせのトークを拝聴したかったので、初日に行くことにした。
トークの中で、平川さんは以前は映画を撮影していたこと、そしてお金を取って上映した経験もあったが、その経験の中で違和感を感じ、映画でなく映像作家を目指すことにしたと語っていた。
確かに、映画館という強制的な場(ゲストの南氏の発言による)で、映像を観た時、もっともその雰囲気にマッチしていたのは彼の作品だった。
彼の映像には、観る者に何らかのストーリー性を想起させる力がある。
立ち込める不穏さ、言ってみればミステリー映画の一場面のような画像を観ると、次は一体どんな展開があるのかと知らず知らずのうちに考えていることに気付くだろう。
更に、映像の質においても非常に美しかったことを追記しておく必要がある。映画館のスクリーン、大画面に映し出された時の映像の美しさは、映像を語る上で重要な要素だと思う。

次に、トップに上映された林勇気の新作「The layers of everything」2011年。
林さんに関しては、兵庫県立美術館ギャラリーで開催された個展が記憶に新しいところ。
今回も上記個展作品でも使用されていたように、写真のデータをPC画面で切り抜き重ねて作り上げている。
彼の作品に特徴的なリズム感、軽やかさは、今回のイベントのトップを飾るのに相応しかった。
また、ジャスト5分という上映時間も長くもなく短くもなく、もう少し観ていたいなと思わせる適切さがあった。

ラストの松本力「halo/grow glow」2011年も非常に完成度の高い作品だった。
松本力は今年の恵比寿映像祭で、インスタレーションとして映像作品を展開。この時は、私の好みではないなと思ったのだが、今回の上映で印象が大きく変わった。彼の作品は映画館での上映に適しており、観る側にとっての環境において、立ったまま作品を観るのと逃げづらい映画館でじっくり腰を据えて作品と対峙することの違いを一番感じたのはこの作品。紙に描かれたドローイングが生き物のように自在に動き、そして背景の光や色彩の組み合わせと音楽は心地良かった。

音楽と言えば、サイレントで12分の映像を見せた水野勝規「graphite」2010年も忘れがたい。
恐らく、12分が長過ぎると思った観客も多かったのではないか。
しかし、冒頭の山水水墨画を思わせる画像が出た瞬間を私は忘れることができない。
目の前に現れたのは映像というより、山水画そのものだった。しかも、ずっと眺めていてもまるで動きがない。
機械の不調?と思ったが、しばらくしたら、別の画像が登場し、そして何度か拝見しているおびただしい水量の滝の映像が。
上映会の後、水野さんご本人にお話を伺うことができた。
私:「なぜ、いつもサイレントなのですか?」
水野さん:「映像において音楽が与える影響、印象が大き過ぎる。自分としてはそれを排除したい。映像を制作しているつもりはなく、絵画を描いているつもりで作品を制作している。」
私:「水を使用したモチーフが多いように思いますが、それについて教えてください。」
水野さん:「元々デザイン専攻だったが、ある日、水に反射した像の美しさに気付いた。これをビデオカメラで撮影し反転させ、カラーでなくモノクロで見せたら面白いかもと思ったのが映像制作の始まり。水の表情といったものが好きなんだと思う。」

今回の上映では、もう少し映像と映像の切り替えタイミングを短くした方が良かったのではないかと思った。あまりにも静止時間が長過ぎる。そういえば、昨年だったか心斎橋SIXでデビット・リンチの映画特集を観に行った時、まるで動かない画像が延々と続く作品があったことを思い出す。ただし、ご本人は自作上映中に寝てもらっても構わないと笑っておられた。

未見の作家お二人の作品は、私にはちょっとピンと来なかった。村川さんのネット空間や時差を超えてオーストリアからのネット画像をそのままスクリーンに映し出すアプローチは今後の展開によって面白くなるかもしれない。

宮永亮「Wondjina」2009年、八木良太「Lento-Presto(Coridor)」2008年はスクリーンで観てもその個性は失われることはなかった。特に「Wondjina」を私が初めて観たのは、TWS本郷の大きなスクリーンだったので、久しぶりに、同じような状況で観られたのは嬉しい。
宮永亮「Wondjina」は、TWS本郷の上映では9分と私の過去ログに記載されているが、今回は14分34秒針のフルバージョン。改めて、「Wondjina」のタイトルと作品との関連性を考えさせられた。この作品を観ていると、太古、人類が地球に生命体として誕生した時、目にしたものではないか。「Wondjina」はオーストラリアの先住民アボリジニに伝わる神話を意味する。彼らは古の生活や伝統を現在においても受け継いでいる。(参考)http://en.wikipedia.org/wiki/Wondjina

なお、上映作品について実行委員3名による作品解説が掲載されたパンフレットが配布されるが、この解説が秀逸。
そして、アフタートークでの各作家による上映作品についての感想を拝聴すると、さすがに映像作家同士、目の付け所が素人とはまるで違う。
が、美術館やギャラリー、映画館に来場する人の多くはプロフェッショナルではない。
一般の人たちが楽しめ、感動し、新たな発見があるような映像を私は期待したい。

この企画をプレイイベントとして、来年開催に向け準備中の「MOVING-京都芸術祭-」へと活動をつなげて行く予定とのこと。1人の映像ファンとして、この新しい活動に敬意を評すると共に、このプレイベントを足がかりとし、作品の更なる高次化と映像作品の普及を切に願っている。

特別展「黄檗―OBAKU 京都宇治・萬福寺の名宝と禅の新風」 九州国立博物館

黄檗

特別展「黄檗―OBAKU 京都宇治・萬福寺の名宝と禅の新風」九州国立博物館 3/15(火)~5/22(日)
展覧会公式サイト:http://obakuten.jp/index.html

日帰りで約3年ぶりの九州国立博物館。前回初めて訪れたのは2008年に開催された「国宝 大絵巻展」のためだった。
今回は、この特別展「黄檗―OBAKU 京都宇治・萬福寺の名宝と禅の新風」がどうにも気になって、4月頭くらいに計画を練り始めた。何しろ、本展のパンフレットの強烈な黄色と「熱烈歓迎!隠元和尚」という中国的なキャッチコピーが頭から離れない。

東京⇔九州は距離もあるので費用もかかる。如何にして安く交通費をあげるかが課題だったが、スカイマークのバーゲンチケットを熊本→羽田5800円のチケットが取れ、往路は羽田→福岡が9800円の早割で合計航空運賃15600円と大阪へ行く新幹線代片道と左程変わらない金額となった。

さて、展覧会の概要や主要な作品画像は上記公式サイトに詳しいため、ぜひ九州までは無理という方はそちらをご覧ください。
結論から言えば、今年のマイベスト10入り間違いなしの非常に興味深い内容で会場を進む度に新しい発見と驚きがあり、ワクワクした。展覧会でこんなにワクワクしたのは久しぶり。
冒頭から最後まで、一瞬たりとも気が抜けない展覧会だった。

隠元禅師が来日した当時、中国は明の時代。
宋時代から明時代までの中国美術に関心がある私にとって本展がツボにはまったのは、当然の帰結と言える。
実は黄檗宗については、伊藤若冲が晩年身を寄せその門前前に自宅を建て生涯を終えたという石峯寺が黄檗宗の寺院ということしか浮かばなかった。

しかし、案外前知識のない方が楽しめるかもしれない。

冒頭で「弥勒菩薩(布袋)坐像」江戸時代(18世紀) 長崎・聖福寺に満面の笑みで迎えられ、朝一番に入館した時、少し離れた所から高らかな読経が聞こえて来る。てっきり録音で流しているのかと思いきや、「巡照朝課(じゅんしょうちょうか)」という会期中毎日9:30~9:40に隠元禅師倚像前で唐韻で読まれる朝のお勤めであった。
実際の佐賀県と福岡県の黄檗宗のお寺さんから僧侶の方数名が朝課をされているとのこと。観ることは叶わなかったが、高らかで清らかな唐韻のお勤めは、こちらの気持ちまでも清らかになるような清澄さがあった。

しかし、目の前に続くのは濃厚な仏像群の数々。
本展で一番驚きかつ感動したのは、中国人渡来仏師范道生(はんどうせい)によって制作された仏像だろう。
特に、光背と台座を合わせると4.9mと巨大な「白衣観音坐像」范道生作(1662年)は、恐らく長崎で作られ、その後、萬福寺に運ばれたとされる。普段は萬福寺禅堂に安置され、本展初出陳。
予習なしに行ったので、その後ろにあった同じく范道生作の「跋陀羅尊者」(十八羅漢像のうち)の背中の衣の絵柄を凝視しするあまり、巨大な「白衣観音坐像」の存在にまるで気付いていなった。振りかえった時、何を観たのか一瞬目の前のもののあまりの大きさと壮大さ華麗さに声を失う。

范道生作の仏像で注目すべきは中国式の衣の表現。この観音は、頭上に百衣を被っている。もう一つは台座に作られた細工の数々。これは現在、奈良博に巡回中の「誕生!中国文明展」で観た楼閣にあった動物やら鳥やらの細かい木彫に目を奪われる。観れば観るほどいろんな生き物が出て来るので観飽きることがない。
肝心の観音像の御顔は、日本の仏像とそれほど大きな違いはないように思った。しかし、江戸時代にも関わらず、この「白衣観音像」は脱活乾漆造で観た目に比べて実は軽い。脱活乾漆造の仏像と言えば、阿修羅像が国内ではつとに有名だが、あちらは時代が大きく隔たる。江戸時代に日本人仏師によってつくられた脱活乾漆造の仏像を私は残念ながら知らない。

范道生作の仏像は前述の十八羅漢像のうち2体をはじめ、本展の大きな見どころで、日本様式とは異なる中国式の仏像彫刻を観るまたとない機会である。
前半にあった、誕生仏が唐子の姿をしているのもまた驚きだった。中国式の誕生仏は前掛けと帯をたすき状にかけた唐子の姿を取っているらしい。所変われば何とやら・・・。

黄檗は日本に様々な文化をもたらした。
例えば、木魚。
通常、木魚といって浮かぶのはおまんじゅう型の丸いものだが、黄檗では木製の魚、文字通り木魚を打ち鳴らす。
魚は夜も目を開けていることから眠らず修業に精進せよという教えで、黄檗宗のものには魚のモチーフがよく登場する。本展で展示されている萬福寺蔵の木魚の原型「飯ぼう」1805年全長2m30㎝のもの。

次に絵画に目を向けよう。
同じく明後期~清時代初めの絵画作品「百衣観音図」陳賢作を中心とし、左右に「嘗瓜菓羅漢図」「倚杖羅漢図」を配するこの巨大な三幅にも驚いた。三幅とも紙本墨画淡彩。
太く濃淡でアクセントを付ける描線は後の江戸の日本人画家に、多大な影響を与えたのではないだろうか。
陳賢は来日したことはなく、明~清に黄檗寺院で活躍した中国の画家。

後半最後は絵画作品が続く。
中でも、河村若芝筆「群仙星祭図」や「十八羅漢図」(18幅のうち2幅)の岩や虎の表現は珍しく、後の若冲や蕭白に影響を与えたというのもうなずける。

そして、もうひとつ私の好きな池大雅「五百羅漢図」(全8幅)重文・萬福寺(前期・後期4幅ずつ展示替え)を観られたのは実に嬉しかった。
池大雅のちょっと緩い大幅は私の最も好むところ。
五百羅漢図と言えば、現在江戸東京博物館で、狩野一信の五百羅漢図全100幅を公開中で、今年は羅漢ブームが起きそうな勢いだが、大雅の五百羅漢図に描かれた羅漢達は実に楽しげな様子である。
画面のうち、羅漢の衣が黄色や茶色っぽいのは金泥などを使い指やこよりを使って描かれているらしい。

池大雅が本図を作成するに際し、参考にしたのが「五百羅漢図巻」伝王振鵬筆・明時代・萬福寺。
こちらも墨のみで細い線で描かれた巻物は何と長さ13メートル。展示で見せていたのは、そのうち1メートルにも満たないかもしれない。全部見せて欲しかった・・・というのは贅沢過ぎるだろうな。
大雅より線も内容も堅い。

他にも語り尽くせぬ程、貴重な黄檗宗関連の作品や、黄檗宗が如何なる経路や経緯を通じて日本にもたらされたかが分かりやすくパネルで説明されていた。
本展図録にも掲載されている、会場入口にあった黄色が背景の愛らしいイラスト入り解説は、分かりやすいうえに、観客に読む、観る気持ちを喚起させる。

隠元が最初に辿りついた長崎や福岡など九州地方で所蔵している作品と京都の萬福寺所蔵の黄檗文化名宝の数々。本当に堪能し、益々黄檗宗に興味が湧いてきた。
来年あたり、京都宇治にある萬福寺には是非行ってみようと思う。

「転置-Displacement-」 @KCUA

転置

「転置-Displacement-」京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA 4/9(土)~5/22(日)11時~19時(入館は18時45分迄)
http://www.kcua.ac.jp/gallery/exihibition/1208.html

2010年の開館記念展に続いて京都市芸大を近年卒業・修了した作家5名によるグループ展。
出展作家:寺田就子、野原健司、森末由美子、吉村熊象、寄神くり

印象に残っているのは、寺田就子、野原健司、森末由美子

特に、寺田就子(1973年生まれ)は本展を観る前に岐阜市のGallery Captionで開催された「通奏低音」(こちらもグループ展で水野勝規さんの作品を目当てに行ったが、生憎以前、京都芸術センターで拝見した作品だった・・・)でご本人が在廊されていてお話を伺うことができたのだった。
そして、いいなと思った彼女の作品はすべて売却済で妙に納得した。

Gallery Captionでの作品も繊細で版画科ご出身とは思えない、敢えて分類するならば彫刻か。大学の専攻など関係なくご自身の表現したいものを突き詰めたら、あの形になったとしか考えられない。
小さな小さな作品に美は宿る。
1階には≪オレンジに灯る影≫2011年、スーパーボールやガラス、本を組み合わせた作品。2階にはボタンを使用した≪つらなる色≫2010年、≪舞い上がる風々≫2009年ではたんぽぽの綿毛を使用。

身近なもの、例えばガラスやビーズなどを組み合わせて、宝箱からそっと取り出したような造形作品を生み出す。
「かそけきもの」そんな言葉がぴったり。
どこか今村遼佑の作品を思わせないでもないが、今後、どれだけ寺田就子らしさを発揮できるか、非常に楽しみな作家である。

野原健司(1975年生まれ)は、2階のスペースに小屋を作り上げていた。様々なものを組み合わせて作られ、中も外も小屋を飾るものたちすべてが作品。
若干のカオス的な空間であったが、無人島にたどり着いて発見した小屋を探検するような気持ちで楽しんだ。
後で児玉画廊が取扱ギャラリーと知って、妙に納得。オープニング展に出展していた貴志真生也も同じく児玉画廊の取扱作家である。非常にダイナミックで型破り。

森末由美子(1982年生まれ)は、以前大阪のART COURT GALLERYで拝見した記憶があって、その時は本を使用した作品にとても惹かれた。寺田就子と同じく版画科の卒業。
今回も本をした作品が1点あったが、≪名刺≫、≪レシート≫など既存のものを何度も刷り重ねることによって、平面から僅かな立体感を生み出す。

しかし、いずれの作家にも言えるが、どこか既視感があることは否めない。
個人的にはやはり昨年のオープニング、特にあの大混乱の第1期の「きょう・せい」のインパクトはなかった。

あおひー「NIJIMASS」展 GALLERY ART POINT

あおひー

あおひー「NIJIMASS」展 GALLERY ART POINT 5/16(月)~5/21(土)12:30~19:30 ※最終日のみ17:00まで
http://art-point.jp/

作家さんのブログはこちら

前回のグループ展と同じ銀座8丁目のギャラリーART POINTでの個展。

今回は新作、旧作合わせて15点のオールカラーでアクリルで見せている。
グループ展の時に一番良いなと思った作品が、一番凡庸に見える程、今回の個展では進化していた。

特に私が気になったのは以下の四点。
・「SHYNESS」
・「NMIYOU ♯2」
・「RED」
・「DEPARTURE」
ソフトフォーカスの写真はよく見かける。肝心なのはそこからどうやって個性、オリジナリティを発揮するかだと私は思う。

今回はまず展覧会の冒頭にあった作家のステータスに、自身の写真表現スタイルへの決意が強く現れていた。
詳細はこちら

個展タイトルの「NIJIMASS」と作品との関係性は上記の通りだが、元々のモチーフは街の中や日常生活で見かけるものと決して特異なものではない。
しかし、それが彼の写真を通すと実際の被写体が何であるのかは分からず、寧ろそんなことはどうでもいいような気さえしてくる。
特に、「SHYNESS」は抽象画のような色彩溢れる1点で写真と絵画の境界を漂っているように感じた。
個人的には、いっそ「SHYNESS」ぐらい被写体の存在感を消してくれた方が好みだが、今後作家さんはどうされるのだろう。

会場入口に、種明かしというか被写体が何であるかを明かしたリストが置かれている。
それを読んでから再び作品と向き合うと、被写体の存在がしかと脳に像を結ぶ。
これを明かした方が良いのかどうかも今後の課題のように思う。

今回は、15点同サイズになっていたと記憶しているが、1点だけでも大きいパネルで観たかった。作家さんの意図で同サイズの方がバランスが取れると判断されたのかもしれないし、パネルが大きいとそれだけ費用もかかるので、実現困難かもしれないが、大きくしたものを1度拝見したい。

「香り かぐわしき名宝展」 東京藝術大学大学美術館

香り

「香り かぐわしき名宝展」 東京藝術大学大学美術館 4月7日~5月29日
展覧会公式サイト:http://kaori.exhn.jp/top.html

美術館に入ってすぐ、通常ではない芳香が漂っていることに気付く。
日本の「香り」をテーマにその歴史や関連する美術品を集めた展覧会だけになるほどと思う。
この美術館は展覧会関連グッズを2階で販売しているが、今回は2階だけでなく1階の入口にもブースが出ていた。

さて、展覧会構成は次の通り。展示作品は絵画を中心に前期後期で入れ替えあり。私が訪れたのは後期展示(5/10~5/29)。
序 香りの源
Ⅰ 香りの日本文化1 聖徳太子から王朝貴族へ
Ⅱ 香道と香りの道具
Ⅲ 香りの日本文化2 武家から庶民へ
Ⅳ 絵画の香り

Ⅰ 香りの日本文化1 聖徳太子から王朝貴族へ
ここでは、様々な仏画から香りが生まれ使用されるに至った情景を主に仏画で見せる。
・尊勝曼荼羅図 鎌倉時代 宝寿院 重文
鎌倉時代の仏画でも状態が良く、戴金も美しい。香炉が中央に描かれる。
ところで、日本の香りはシルクロードを通じ、大陸より仏教とともに伝来したと考えて良いのか。解説をしっかり読まずに流したのだが、正倉院宝物にも香木があり、著名な香木を所持することが権力の象徴だったりと、香りを巡る歴史は美しいだけではない。
日本の文化には木に対する信仰、例えば御神木がその好例だろう。民俗学的信仰があり、仏像なども香木、白檀や榧、樟などで作られた。昨年、東京藝大彫刻科の深井隆教授の日本の木彫に関する講座に参加したが、その際、木の香りを種類別に体験した。削ったばかりの木屑の香はそれはそれは芳しく、樹種によってももちろん異なっていた。

完成したばかりの一木造の仏像は、あたり一年に芳香を放っていたに違いない。

・十一面観音立像 奈良~平安時代 重文 白檀
今回拝見した仏像の中では、造作が美しく最も印象に残った。

仏をかぐわしい香りで祀るという、仏教の中での使用が主であり日常生活にまで香りの文化が普及するのは平安時代だろうか。
源氏絵では嫉妬した妻が香を使って、夫を燻す場面も見られる。

Ⅱ 香道と香りの道具
香道というのも、日本独自のもので王朝文化の名残。何とも雅な遊びである。
ここで使用する道具がまた凝りに凝っている。この辺りは、様々な展覧会や美術館で見かけるので省略。

印象に残ったのは金工ものが中心。
・自在蟹香合 江戸時代 東京藝術大学
・飴釉獅子香炉 初代大樋長佐衛門 ⇒ 陶なのに、銅製かと見まごう。
・暦文字文蒔絵香合 小川松民 江戸~明治時代
・銀秋草に虫図釣香炉 村田盛久、村上盛之 明治時代 清水三年坂美術館 
⇒これはどこかで観たことがあるような。香炉がぶれないような工夫がされた上で銀細工の精緻な細工が目を引く。
・干柿香合 磯矢完山 明治~昭和時代 東京藝術大学 ⇒ 枯れっぷりは最高。なぜ干柿なのか。乾漆造とは思えぬ。隣に銅製の柿香炉があったので、柿というモチーフと香りに何か関連があるのか。

Ⅲ 香りの日本文化2 武家から庶民へ
いよいよ、香りの文化が貴族や武家から庶民の生活へ浸透し始める様子を絵画を中心に紹介。

まずは浮世絵。
・伝菱川師宣 「美人聞香図」
・宮川長春 「遊女聞香図」
・摺物 葛飾北斎「五歌仙 美人聞香図」 北斎は人気絵師だったため、摺物も多い。そして摺物好きにはたまらない美しさや工芸のような匠の技が見える。

明治時代の香水の広告「花香水」も珍しい。

Ⅳ 絵画の香り
ここが一番のお目当て。
後期には島成園、北野恒富ら関西画壇の作品が出展されている。
・島成園「伽羅の香」1920年 大坂市立美術館
老いた遊女のすさまじい妖艶さを表現したというが、着物の帯下、裾の赤のグラデーションが深紅の炎のようにギラリと光る。めらめらと美への執念をこの赤に託したか。
他人事とは思えぬような、遊女の気持ちが伝わる名作。しばしここで固まる。

北野恒富「羅婦仙」京都国立近代美術館蔵は、いつになくあっさりとした表現で拍子抜けする。むしろ中村大三郎「婦女図」1925年(前後期展示)の方が清楚で良かった。

・小茂田青樹 「緑雨」五島美術館 1926年
この作品も後期のみ展示だが、これを観ることができて本当に良かった。小茂田好きとしては、嬉しい限り。しかも彼の作品の中でも比較的サイズが大きく、また溢れんばかりの緑で覆われた画面に圧倒され、眼に染みるような岩絵具特有の緑にひたすら感動した。

御舟の「夜梅」1930年の方が一般的な評価は高いのだろうが、私は小茂田の「緑雨」の方が好き。
この他、古径や鏑木清方の作品と日本画で華を添えていた。

会場半ばに、香道で使用されるお道具が香席で、どのように使われるかを再現したコーナーがあり、これは興味深かったが、堅苦しそうでもっと気楽に楽しめたら良いのにと思った。

「開館30周年記念特別展 牛島憲之 ―至高なる静謐― 」 渋谷区立松涛美術館

牛島

「開館30周年記念特別展 牛島憲之 ―至高なる静謐― 」 渋谷区立松涛美術館 4/5(火)~5/29(日)
http://www.shoto-museum.jp/05_exhibition/index.html

牛島憲之(1900-1997)の展覧会に早く行きたいと思っていた。
震災があって、福島原発の問題がますます深刻化するという不穏な状況で、なんとなく気持ちが落ち着かない日々。
そんな時、一番観たいなと思ったのは、牛島の作品だった。

展覧会のタイトル「-至高なる静謐-」とあるように、彼の絵を観ていると気持ちが落ち着いて静かな心持になれる。元々、府中市美術館の常設に「牛島憲之展示室」があり、彼の絵は府中市美へ行くたび必ず観に行くようにしている。

今回出展されているのは全部で65点。当初66点の予定だったが、1点が出展中止になっていたため。
残念ながら作品リストがなかったので、印象に残った作品は必死にメモ。
65点のうち、府中市美術館所蔵作品はわずか。大半は個人蔵と府中市美術館以外の他館からの貸し出し作品が中心。中には、東京美術学校卒業制作と思われる「自画像」1927年(東京藝術大学蔵)もあり。

最初期作品は「風景」1922年(個人蔵)で、初期作品から絶筆の「道一筋」まで、制作順に辿る構成。

特に初期作品には注目した。
既に画風が確立した頃の作品は何度も目にしていたが、最初期作品は今回初めて拝見した。
22歳から27歳の自画像まで、画風は堅い。
徐々に、クレーのような抽象的な画風に変化する。この時代の特徴的な作品として「赤坂見附」1940年(福岡市美術館蔵)具象と抽象の間をさまようような、宙に浮いたような感覚。しかし、この頃から既に、色彩の使い方が後年の作品の傾向を感じさせる。
熊本、福岡の所蔵品が目についたので、よくよく略歴を見れば熊本県熊本市生まれ。熊本県出身だったとは、これまで意識していなかったが、彼の緑には高校時代まで育った熊本県の緑のイメージがあるのやもしれない。

1943年の「雨」個人蔵あたりが転機になるだろうか。
これより後の作品は、明らかに牛島の作風を示している。
溶けるような、青の使い方。そして、「残夏」1946年(個人蔵)では見事に緑のグラデーションを使って、輪郭線をぼかしたしっとりした夏を表現している。
「炎昼」1946年、「青陽」など、彼は緑と青の使い方が実に上手い。

そして、「タンクの風景」(1955年)神奈川県近代美術館、「まるいタンク」(1957年)熊本県立美術館をはじめ「煙突の風景」「煙突」と構築物が画面に登場する。
彼は、なぜこれらの構築物に惹かれたのだろう。
10年程前に、大規模な回顧展が開催されているようなので、この辺りはその時の図録を探してみようと思う。
突如現れる、タンクの形を観て私が思い出したのは、ベッヒャー夫妻の写真。
2006年開催の「ドイツ写真の現在」展の図録を観ていると、給水塔やらガスタンクが被写体として現れるが、時代が違い過ぎる。

画家や写真家を惹きつける何かがこれらの構築物にはあるのだろうか。

そして、牛島憲之と言えば、岡鹿之助との関係も忘れてはならない。
作品を観て行く中で、色の使い方やタッチがどこか共通しているように感じた。岡鹿之助の方が点描のような細やかさがあるので、共通しているのは絵具の置き方という点であるが。

2階の展示室に上がると、中央にあるソファでくつろぐ人々の数がいつもより多く感じた。
皆さん牛島作品を堪能し、のんびりと絵に囲まれているように見える。
彼の作品には、人をくつろがせる、落ち着かせるものがあるのだ。
私のようにいつも急いでいる人間には、特に今、牛島作品が必要だった。

晩年になっても作風は大きな変化はないが、樹木や道などは牛島特有の形態を見せている。
「白い昼」1974年個人蔵、「雨明る」1982年個人蔵、「暗日」1987年など好きな作品をあげるときりがない。

入館料は一般:300円。
図録は今回、破格の1300円でフルカラー。しかも彼の作品に重要な質感がよく印刷に現れていて非常に美しい。
美術館の方に伺った所、図録のお値段がお値打ちなので、買って行かれる方が多いとのこと。分かる気がしました。

「三田村光土里 - I'm standing beside the water」 Bambinart Gallery

三田村

「三田村光土里 - I'm standing beside the water」Bambinart Gallery 4月16日~5月15日 月曜火曜休廊
http://www.bambinart.jp/exhibitions/20110416_exhibition.html

三田村光土里さんの作品は2009年のDOMANI展で拝見している。その時は映像作品を展示されていたと記憶している。

今年に入って読んだ水戸芸術館学芸員である高橋瑞木著『自分を切りひらくアート』(フィルムアート社刊)で紹介されており改めて関心を持った。

高橋


著者である高橋学芸員がキュレーションした水戸芸術館の「クワイエットアテンションズ」に、三田村さんが参加されており、作品を拝見する機会を得られたのは嬉しかった。しかし、その後震災が発生し、展覧会は中止、今ではこの展覧会を観ることができて本当に良かったとつくづく思う。
同展の感想過去ログ:「クワイエットアテンションズ」その1

彼女のインスタレーション空間は、クワイエット展でも強く印象に残った。
今回の個展開催を知り、楽しみに足を運んだ。
ギャラリー展示室では、インスタレーションでなく海外での展覧会や滞在制作に向かう道中や旅先で撮影された水辺の写真が約20点程展示されている。
サイズは大きなものが2点、この2点はアクリルでなく紙プリント。他はサイズは小さめのものでアクリル。
水モチーフが好きな私としては今回の個展は完全にツボだった。

2点で1対になったものもあれば、1点だけのものもあり、人物がぼんやりと写っているももあれば、人物なしの風景だけのものもある。
どの写真も私の心をつかんで離さない。

クワイエット展のインスタレーションが、今回の個展にも続いているような連続性を覚えた。
水戸芸での展示室で感じた一緒に旅しているような感覚がここにもある。

はっとするような美しい水辺の風景、目が覚めるような緑の木立と池に浮かぶボート、闇に沈む直前の海景、2羽の白鳥が被写体になった1対の写真。
1対の写真は時間の経過を静止画である写真で追いかける。
この2枚の間にあった時間に私は思いを馳せた。

ふと、過去を振り返った時、自分も何度か心にしみる水辺の風景を観たことを思い出す。
彼女の写真とともに、私自身の過去をさかのぼり体験していた。

この写真プリントでなく、ゆっくりとスライドショーで観たらどうなるだろう。
プリントも素敵だが、スライドショーで観るとまた違った感情が生まれて来るように思う。

「魅惑のモダニスト 蕗谷紅児展」 刈谷市美術館

蕗谷

「魅惑のモダニスト 蕗谷紅児展」 刈谷市美術館 4月16日(土)~5月29日(日)
http://www.city.kariya.lg.jp/museum/exhibition_2011_fukiya.html

大正から昭和にかけて人気を博した挿絵画家・蕗谷紅児の回顧展。少年時代の習作から、パリ留学時代の作品、アニメーション、晩年の絵画作品まで、何と約600点を展示し、蕗谷の制作活動を紹介。

蕗谷紅児展は1991年に東京・小田急グランドギャラリー、福岡天神・大丸、大阪・三越、京都大丸ミュージアム、新潟・三越を約400点で展観。今回の展覧会の出品数は600点と1991年を凌ぐ大回顧展である。

蕗谷を知ったのは、弥生美術館だったと思う。
抒情性豊かな挿絵やペン画に惹かれて、古本屋で1991年の図録を見つけた時は即買いした。

刈谷市美術館は作品リストがないことが多いのだけれど、今回は約600点の展示数にも関わらずしっかり全作品のタイトル、制作年、サイズ、技法・材質・所蔵先まで記載された作品リストが作成されていて、非常に嬉しかった。
おかげで、メモを取るのがとても楽だった。

展覧会の構成は次の通り。
第Ⅰ章 人気挿絵画家としてデビュー 苦難の生い立ちを乗り越えて
・日本画の修業時代
・『少女画報』でのデビュー
・『令女界』の看板スターに
・創刊号から登場した『少女倶楽部』
・珠玉の詩画集
・装幀の仕事
・関東大震災

第Ⅱ章 芸術の都パリへ タブロー制作と日本へのパリ画信
・パリで制作されたタブローとデザイン
・パリの最新ファッションを日本へ -『令女界』での表紙絵、口絵、挿絵
・日本へ紹介されたパリの少女たち -『少女画報』『小令女』『少女倶楽部』

第Ⅲ章 人気挿絵画家として 絶頂の1930年代から戦争期の苦悩へ
・人気挿絵画家として-帰国後の隆盛、『令女界』の花形に
・広がる創作の場-様々な雑誌の仕事
・『詩画集 花嫁人形』
・様々な装幀-書籍の表紙と挿絵 レコードジャケット
・絵本と童話の仕事
・戦争期-少女雑誌における制作の苦悩と、時流のなかでの模索

第Ⅳ章 子どもたちへ向けて 少女雑誌から絵本への転進
・雑誌への復帰
・世界名作童話全集
・絵本の仕事
・短編アニメーション「夢見童子」
・自画伝『花嫁人形』
・書籍の装幀-少女小説や詩集
・個展出品作-晩年のさらなる展開

とにかく凄いボリュームだった。刈谷市美術館の展示室は1階と2階だが、フル活用して全600点を見せる展示は素晴らしい。毎回ここは来るたびに展示室の空間構成が変わるので、同じ美術館とは思えない時がある。
今回もかなり展示室に仕切りを置いて作品を多く見せる工夫をしており、順路が分かりやすいように壁面に番号が付されている工夫があった。

印象に残った作品を挙げようにも、どの作品も好きなので到底絞ることはできない。
パリ時代の絹本に彩色の一連の作品とデッサンがとりわけ強く心に残った。
唯一、震災の影響でお茶の水図書館所蔵「ヴェトゥイユの風景」のみ出展中止になっていた。なぜ東京なのに出品中止になったのだろう?
個人的にはパリ時代(1926~1927年)の「パリの散歩」「幼子」「混血児とその父母」、『ファンタジオの切り抜き』が良かった。

更に最晩年の個展出品作。
ここで、蕗谷はパリ時代の作品を思わせるような自分の意のままに絹本に彩色画に立ち戻っている。
この最晩年の作品は、彼の最後の命を尽くした作品のようで「ガラスの靴」1968年、「西堀通り」1973年など、挿絵画家からの脱却を図ろうとする姿勢が強く感じられた。

勿論、彼の挿絵はニーズに応じて変化する。
非常に器用で上手い画家だった。その多才な作風ゆえに、これが蕗谷紅児の作品!と指定できるものもあれば、えっ、これも?と思うような強い黒の線を使用したインク画などもあり、単調でないところが魅力的。

他に、レコードジャケットを飾った原画作品は素敵だった。TangoやWeber Album Waltzを飾った作品は戦前の1937年頃の作品。大正から昭和初期にかけての華やかな一時代を飾るハイカラさとカラフルさは、パリ留学の賜物だろう。

会場では、蕗谷が手掛けたアニメーション「夢見童子」1958年頃(15分28秒)の上映も行っている。
また、彼がもっとも人気を博した雑誌や本の表紙や挿絵はおびただしい数並んでいる。

文字通りの大回顧展で、これだけの蕗谷作品を観られたことを幸せに思った。

この展覧会は、横浜のそごう美術館に巡回予定だが、夏場なので無事開催されることを切に願っている。

「指定文化財等 中国書画特別展」藤井斉成会有鄰館 はじめての美術館84

「指定文化財等 中国書画特別展」藤井斉成会有鄰館 5月1日(日)と5月15日(日)12時~15時半のみ
http://www.kansai-chinese-art.net/fu03.html
美術館公式サイト→ http://www.yurinkan-museum.jp/index.html

今年は、中国書画コレクションを所蔵する関西の9館が、約1年にわたり関連展示をリレー式で行う「関西中国書画コレクション展」を開催している。
「関西中国書画コレクション展」の公式サイト→http://www.kansai-chinese-art.net/

先達を担ったのが、京博で開催された「上野コレクション寄贈50周年記念 筆墨精神-中国書画の世界-」と「中国近代絵画」展だった。
そして、この5月第1、第3日曜日藤井斉成会有鄰館で「指定文化財等 中国書画特別展」を知り、第3日曜日は予定が既に入っていたため、狙うは5月の第1日曜日と、3連続の関西・名古屋方面の遠征となったが行って来た。

藤井斉成会有鄰館の存在はかねてより知っていたが、何しろ2月と8月を除く第1、第3日曜日の12時~15時半までと極めて開館回数と時間が短いため、なかなか行けず。
今回の関西遠征は、藤井斉成会有鄰館のために出かけたようなもの。場所は、京都国立近代美術館から徒歩3分程度。地下鉄五条駅から京近美に向かって歩くと、左手に屋上に朱塗りの八角堂を乗せた東洋風の建物が見えて来る。
ほぼ12時ちょうどに到着し、受付で本館と第2館の共通券かバラ券どちらにするかを尋ねられた。もちろん、初めてなので、共通券を購入(一般:1,400円)。

まず、本館から。本館の中国様式の建物を設計したのは武田五一で、1926年建築当時のまま。
1階~3階までが展示室になっているが、入ってビックリ。まさに中国美術のヴンダーカマー!
1階:仏像・彫刻、画像磚石・瓦当、石経・経石を展示。
2階:青銅器、銅仏、玉器、漆器
3階:陶磁器・玉器、寝台・衣裳、書蹟・古文書、絵画 

3階の書蹟、絵画は常設展示ではなく、5月と11月に中国書画指定文化財等が公開されるようだ。
何しろ、大半の展示物はケースに入っておらず、ゴロゴロと部屋に所狭しと置かれている。

絵画も巻物は別だが、掛軸はケースなし。

1階~3階まで、仰天しながら見て回る。
2階にあった科挙試験の際に使用されたとされる、カンニング用の下着。肉眼視できるかできないかという程、極小漢字で埋め尽くされている。科挙試験に対していかに必死であったか、そして古の他国においてもカンニングはあったということが妙に感慨深い。

3階でいよいよお目当ての中国書画に対面。
何と言っても一番感動したのは、黄庭堅「草書李太白憶旧遊詩」北宋。黄庭堅の行書は、永世文庫所蔵の「伏波神祠詩巻」がつとに有名。
しかし、今回の黄庭堅は草書体。2006年に東博で開催された「書の至宝展」図録を確認したが、有鄰館所蔵の本書は出展されていない。草書であっても、黄庭堅のものと分かる書風である。あの美しく長いハライ。踊るような流れるような書風である。墨色も美しい。
この書の前を行ったり来たり、他の絵画を観て再び戻ることを繰り返す。
書巻であるが、最後の4行を除き一挙に展示されている。最後の4行は、展示ケースのサイズが足りないため、本物を展示できず巻かれたまま。代わりに、コピーがケースの外に貼られていた。
館長らしき男性の説明によれば、「この最後の4行が今回公開されるのか?」というマニアックな問い合わせもあったとのこと。でも、その気持ち分かる気がした。

そして、日本ではめったと観られない北宋山水画、許道寧 「秋山蕭寺図」(重文)こちらはそれ程大きいものではないが、樹木の様式が北宋山水画の特徴、蟹爪樹を示す。2008年、私が中国北宋絵画にはまるきっかけとなった展覧会「崇高なる山水」大和文華館で一度観ている。許道寧は北宋画家、李成の作品を学んだという。

作品リストがなく、メモを取る時間も惜しいので、他にも大幅な山水画がいくつかあったし、小品の画冊なども展示されていて満足。

次回の11月には、季節の作品だけを春から秋ヴァージョンに変えて展示する予定とのこと。こちらも楽しみ。

中国絵画だけでなく、青銅器や清の乾隆帝龍袍やら寝台やらとにかく、中国美術満載の館であった。
収集したのは、近江商人だった藤井善助(4代目)、詳細は美術館やWikipedia等に記載されている。

第2館は、金沢より移築されたフランス人の設計によるアールヌーボーやアールデコ様式の建物で、中には日本美術が無造作に展示されている。登録有形文化財に指定されている。

中国美術も日本美術も保存方法にやや難あり。第2館の円山応挙作品、鶴の図が真筆だとすれば、気の毒な感じがした。

藤井有鄰館 京都市左京区岡崎円勝寺町44番地 
開館日:・一月、八月を除く毎月第一、第三日曜日の正午~午後三時半まで。

毘堂 「i-con」 MEGUMI OGITA GALLERY

モナリザ

毘堂 「i-con」MEGUMI OGITA GALLERY  5月10日~5月28日 日祝・月休廊
ギャラリーサイト → http://www.megumiogita.com/exhibition/2011/1105bidou/index.html

毘堂、その名前を目にした時、このアーティストは日本人なのか、果たして何者なのだろうと思った。
DMに描かれていたのは、真っ黒な背景にお面のような西洋人のレトロな肖像画、だと思っていたのだが。。。

私は通常あまり事前情報を得ずに個展や展覧会に行くことが多い。
事前情報なしに、最初に作品を目にした時の感動を大切にしたいと思っている。

今回、オープニングには行こうと決めていた。それは、このアーティストの謎めいた名前と一体どんな作品なのかを早く確かめたかったからだ。
ギャラリーのドアを開けて目にしたのは、絵画ではなかった!
私が絵画だと思っていたのは「面」。
この「面」が西洋画を飾るような装飾的な額縁と織物をベースにして面が11点展示されている。

毘堂は、正真正銘の能面師で、能面の師である能面師小川玄洞氏により拝命した名前であるそうだ。
能面と言えば、直近は世田谷美術館の「白洲正子」展で観たばかり。
いや、日曜日に東博でも観たような記憶が。
そして、現代美術の世界では、広島市立現代美術館で開催されていた「サイモン・スターリング―仮面劇のためのプロジェクト(ヒロシマ)」に映像作品中にそして、実際に使用された面も展示されていたのを真っ先に思い出す。

能面師は、お能で決められた役者の能面を作るお仕事、彼らの存在は伝統芸能を支える重要なもの。しかし、その反面、決められた面しか作ることがないので、表現の自由は認められない。
そんなことから、2004年に毘堂は自由な表現を面作りに求め始めた。
手始めに、子供の頃から観ていた西洋の名画の中の顔を面として再現することを思いついたのだ。
絵画という二次元の世界から、彼によって三次元の面貌、立体表現として再生された名画の人物たち。

1点ずつ観ていくと、面それぞれに、細かいひび割れが入っているのが分かる。「古色」という能面特有のエイジング技法を使って、絵画作品に見られるひび割れや傷なども再現している。

しかし、私にはただ単に、絵画を酷似させただけではない、彼なりの解釈が付加されているように思った。
確かに、ひび割れや傷を再現していたとしても、どこかそっくりそのままという訳ではない所が面白いのだ。
実は、DMに使用されていた人物像は「モナ・リザ」だったのに、私はすぐにそれと気付かなかった。
確かに表情は似ているが、面にした時、モナ・リザの長い髪は消え前髪だけになってしまっている。

顔の特徴を彼なりに捉え、やや強調して見せる。この個性も魅力の一つだろう。先にあったサイモン・スターリングで使用されていた能面は、本来の顔に酷似させることに主眼を置いていた点が、毘堂作品との相違点だろう。

なお、面の素材は古来の能面と同じで、檜、胡粉、顔料、漆他、まさに伝統工芸の技法を駆使して制作されている。

11点のうち、最後にぎりぎりオープニング当日完成したのが、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」。
連続5日間徹夜で漸く完成したとのこと。
bidou1
≪Girl with a Pearl Earing≫2011年 
20.5×18.2×11.5cm

この他、ムンクの「マドンナ」、ジョルジュ・ドゥ・ラトゥールの「女占い師」、極めつけは長谷川等伯の「枯木猿候図」の猿までいる。これは、何の面かをあてっこするのも楽しい。

なお、11面の面とは別に、従来の能面も展示されているので見逃さないように。


ところで、ギャラリーオーナーの荻田氏に毘堂との出会いをお尋ねしたところ、シカゴ在住の知人からの紹介とのこと。余談になるが、メグミオギタギャラリーのshowcaseの方では、新しい選抜型グループショーを5月31日よりスタートさせるとのこと。我こそはというアーティストは経歴、年齢その他を問わず募集可能。グループ展の後には、海外のアートフェアへの出展も待っているそうです。
詳細はこちら

荻田氏のギャラリー活動からも目が離せない。

STEPHEN GILL   「OUTSIDE IN」 G/P gallery

STEPHEN GILL 「OUTSIDE IN」 G/P gallery 3月26日~5月22日 12:00 - 20:00 月休
ギャラリーサイト→ http://www.gptokyo.jp/gp/ex_2010/article/STEPHEN_GILL___OUTSIDE_IN_141


Stephen Gill(スティーヴン・ギル)は1971年イギリス・ブリストル生まれ、1993年よりロンドン在住の写真家。

写真にはまだ馴染みが薄いので、できるだけ展示を観に行くよう心がけているけれど、今回の 「OUTSIDE IN」はギャラリーに入った時から「わっ!」と惹かれた。

展示には2回行ったが、1回目は小サイズのプリント、現在は大判のプリントで展示替えが途中された。
この 「OUTSIDE IN」シリーズには2つの楽しみがある。

一見して、すぐ分かるのは写真に撮影されている様々な形をした黒い影、染みのようなもの。
しかし、その向こうに広がるのは実に美しい田園風景だったりする。

黒い染みと思ったのは、実はこのシリーズの撮影地ブライトン(Brighton)で集めたもの、魚の尻尾や花、虫の死骸などのかけらをカメラの中に入れて、ブライトンを撮影する(2010年)という手法を行っている。

町で拾ったものと町の風景の二重画像は、偶然の産物で、写真家の意図があるとしたら、それはこの特殊な撮影方法と撮影地とカメラに入れる物の組み合わせだけだ。

コントロールの効かない偶然性により、不思議な美が生まれている。

前面にある異物が街の風景に、強いアクセントが付加され、結果見事に功を奏したと言えるだろう。

拾い集めたかけら、通常であればゴミであっても、カメラを通した時、新たな姿に生まれ変わるのが面白い。
ギャラリーで イギリスで出版された写真集「OUTSIDE IN」(Nobody/Archive of Modern Conflict)は絶版と伺ったが、海外でネットから購入できた。1週間程度で到着して、飽きずに眺めている毎日。送料(エア)で2700円位だったが、今観たらついに在庫ゼロ。完売だったので、間に合って良かった。善は急げとはこのことか。

G/P galleryで、Special Charity Book「OUTSIDE IN」は発売中ですが、ページ数は減ってます。
オリジナルプリント2種類(各50枚)1点:15000円なり。

特別展「写楽」 東京国立博物館

写楽


特別展「写楽」 東京国立博物館 5月11日~6月12日 *東日本大震災により会期変更
特別展「写楽」公式ホームページ→ http://www.tokyo-np.co.jp/sharaku/index.html

昨晩21時から、NHK総合で「浮世絵ミステリー 写楽~天才絵師の正体を追う~」というスペシャル番組が放送された。事前にこの番組の放送について知っていたため、連休最後の日曜日、閉館間際が空いているだろうと、昨日は上野三昧。

その前に「ブッダ展」(これも映画上映前に行かないとと思った)と総合文化展(いわゆる常設)でぐるぐる遊んで、4時頃に平成館へ向かった。
事前に東京国立博物館ニュース4・5月号で「写楽展」の概要をざっと予習。

今回の見どころは、写楽作とされてきた版画全146図のうち142図、いや正確にはドイツ・ブレーメン美術館所蔵≪六代目市川団十郎の行成の息男みまな行教≫の出展はかなわなかったようなので、141図なのか、が勢ぞろい。
海外美術館からの日本への作品貸出が中止になる中、相当数海外美術館から貸し出しされており、本展開催に対してに東博の本気と底力、そして関係者の執念を感じた。

展覧会構成は
1.写楽以前の役者絵
2.写楽を生み出した蔦谷重三郎
3.写楽の全貌
4.写楽とライバルたち
5.写楽の残影
となっているが、作品リストと展示順序はバラバラなので要注意。

先日、千葉市美術館の「ボストン美術館浮世絵名品展」の前に千葉市美術館の田辺学芸員(昨夜のTV番組にもご出演!)によるレクチャーで写楽についての極めて的確なまとめを伺っていたので、レクチャーの復習を実作品を観ながら行う。写楽は阿波の能役者:斉藤十郎兵衛が濃厚とその際にもお話されていた。昨夜のTVでその検証過程が紹介された通り。

展示は写楽作品を4期+歌舞伎の内容別に展示しているので、歌舞伎ファンならまずまず楽しめる筈。「まずまず」と書いたのは、写楽の好きさ加減にもよるだろうし。
歌舞伎の演目単位に並べたのは、第二期以後どんどん単調になっていく写楽作品を見せる工夫としてよくできていた。

そして、最大の売りは、海外美術館所蔵や個人蔵の大変状態の良い第1期の大首絵。
雲母(きら)は黒雲母、白雲母、そして僅かにピンクがかった雲母もあったけれど、あれは写楽じゃなくて、歌麿の≪新撰恋之部 深く忍恋≫だった。歌麿の≪新撰恋之部≫シリーズは、3点、うち2点はフランスのギメ東洋美術館。歌麿は、全部で10点あり。雲母は少し屈んで、下方から観ると載り具合がよく分かる。

写楽は同じ図像で版を改変したものや摺りや状態が違うものが並んで、それらを比較するのも良いが、私はちょっと飽きてしまった。

最終章の「写楽の残影」ではたと目が覚めたのは、好きな歌川国政、歌舞伎堂艶鏡が1点あったから。しかし観たことないのは国政≪六代目市川団十郎≫かな。いや、国政の現存作品は少ないので、これも観たことあったかも。

最後に忘れてならないのは、一番最初に登場する菱川師宣≪歌舞伎図屏風≫と作者不明だが文化庁所蔵の≪歌舞伎遊楽図屏風≫の存在。
この2つの屏風を観るだけでも行った甲斐はあった。

それにしても僅か10ヶ月で消え去った写楽。新人浮世絵師としては異例の華やかな大判雲母摺りで、版元はかの有名な蔦屋重三郎によりデビュー。にもかかわらず、真実の姿を描こうとしたばかりに役者に嫌われ人気を落とす。
浮世絵は絵師だけでなく彫師、摺師の技術レベルによって仕上がりが大きく左右される。
写楽の3期以後の作品は、お金をかけることができなくなり、彫師のレベルも落ち、線も活かせず、摺りムラも出ていると前述の田辺学芸員からのお話を浮かべつつ、会場を出た。

ギリシャのマノスコレクション写楽の肉筆画や新発見の版下絵は本展での出品はなかったのは、ちと残念だった。

春木麻衣子  「photographs, whatever they are」 1223現代絵画

春木麻衣子 「photographs, whatever they are」 1223現代絵画 2月26日~5月8日(本日終了)

1223現代絵画は広尾にあるコレクションルーム。
ギャラリーではなく個人コレクション中心の展示とのことで、入るのに500円必要。
以前から存在は知っていたけれど、広尾近辺にはあまり行かないので足が向かなかった。
というか、広尾、恵比寿、中目黒、代官山地域の土地勘がなさすぎて。

でも、4月にスパイラルで開催された「行商」で『ART WALK MAP 2011』が無料配布されていて、広尾、恵比寿、中目黒、代官山、白金に絞って、ギャラリーや美術館、アートブックショップなどを紹介。そして、嬉しいことにMAP付。

『話を聴けない男と地図を読めない女』の本じゃないけれど、どうも方向音痴なのでよく道に迷う私には非常に有り難いコンパクトな冊子。これをお供に、迷わず1223現代絵画に到着した。

いきなり、ハラーの白いキャビネット登場。
確か、表参道のRAT HOLE GALLERYもハラーのキャビネット使用していなかったか。

春木麻衣子は、馬喰町のTARO NASUでの個展で初めて知った。黒を強調した、いや、ほぼ全面漆黒で非常に印象的だった。更に昨年のTOKYO PHOTOで一気に花開いたか、最初の印象よりぐっと写真が洗練され、黒と白の対比、思い切りの良さが気に入った。

今回は、2009 年と 2010 年に制作されたポートレート作品を中心に2011年の新作と合わせて展示されている。
本展に合わせて、新しく作品集[↓)『possibility in portraiture』発行:1223現代絵画も刊行されている。
定価 2,800円+税 112ページ/ 47作品カラー掲載 一般発売日:2011年5月10日 A4変形(225x273mm)

春木

今までの漆黒画面に加えて2010年の「neither portrait nor landscape」シリーズでは覗き窓から人の気配が撮影されている。誰なのか、判然としないが、ギャラリーのサイト紹介文にあるように写真を凝視させることが狙いなのか?

ギャラリー最奥にある「selfish portrait to you and me and the others」2011年は新展開で、これは白は白でもスクリーン越しに人影がある。

徹底的に白と黒で見せてくるが、その潔さの中に徐々に現れて来る変化が実に興味深い。

このギャラリーはちょっと不思議な形で奥まった個所に非常に小さい(283×235mm)のゼラチンシルバープリントが1点。最初写真ではなくてドローイングかと思った。

写真配置が上手い。
帰り際、新しい写真集を手に撮ったが、私が一番好きだなと思った写真(写真集の表紙に使用されているシリーズ)は今回展示されていないのが残念。展示されていた中では、サイズはやや小さいが「traffic sign」2011年が私好みだった。

春木麻衣子はこれからも黒白のカラーで勝負するのだろうか。

「東北画は可能か?-方舟計画-」 イムラアートギャラリー東京

東北画

「東北画は可能か?-方舟計画-」 イムラアートギャラリー東京 5月7日(土)~5月21日(土)日・月休

ギャラリーサイト → http://www.imuraart.com/ja_ex1104_tohokuga_exhibition.html

「東北画は可能か?」プロジェクトは、三瀬夏之介(2009年~東北芸術工科大学美術科日本画コース准教授)が同大学洋画コース講師の鴻崎正武とともに企画運営している、日本画・洋画・総合美術などの様々なコースの学生を交えた活動。

2010年4月を皮切りに開始された同プロジェクト。
11月に気仙沼のリアスアーク美術館で開催を予定されていた「方舟計画」がこのたびの震災により、急遽、神楽坂のイムラアートギャラリー東京での開催となった。

ここでは、2点の作品について感想をあげたい。
1点は震災前に共同制作された≪東北山重山景≫。
そして隣に並んでいたのが震災後、完成したばかりの≪方舟計画≫。

前者は1年前に描かれたものだが、非常に不穏なものが画面から立ち上っている。
特に全体の最下部に描かれた紅蓮の炎。
そして、中央上部には、キリストのようなものが。天国と地獄を表現したかったとメンバーの方が教えてくれた。
まるで、1年後の災害が予期されたものであるかのような、むしろこちらの作品の方が震災後の作品であるように感じた。

そして、震災後、メンバーで集まって制作されたのが≪方舟計画≫だが、こちらの下絵は何と震災の1日前に描かれていた。下絵の段階の画像が、完成作品の横に貼られている。
完成した≪方舟計画≫の方舟は、山形の土地もろともとりあえず脱出するような作品に仕上がっている。
メンバーの方にお伺いしたら、一時避難であって、再び戻ってくるストーリーとのこと。
左側に両親役で方舟の帰りを待つキャラクターが配され、方舟には、とりあえず持っていきたいもの全部乗っけたてんこ盛り状態になっている。
この作品は、皆の祈りの象徴、シンボリックな形であるように見えた。

ディテールにはビニールハウスや実際に山形にある街並みが描かれている。
制作にあたって、どんどんメンバーが好きなように描き込んでいくスタイルを取っているので、手が違うため、いかにも合作と分かる。

三瀬さん、鴻崎さん含め、メンバーの作品が会場を埋め尽くす。震災前と後に描かれた作品が分かるようにハンコが押されている。
その中で、久しぶりに土井沙織さんの作品を観られたのは嬉しかった。

土井さんをはじめとして、メンバーの皆さんの心的状況および環境面での不自由さによる打撃が大きいと知る。
いわゆるPTSDの一歩手前か、実際にPTSDで苦しんでいらっしゃる方も多いようだった。

ただ、辛く苦しい気持ちを描くことで少しでも癒されたら、昇華できたら、僅かでも苦境から脱却したことになるのではないか。
実際にお亡くなりになった方、失われたものがあまりにも多過ぎて、お見舞いの言葉ひとつ浮かばなかった。
ただただ、足を運んで東北をモチーフとした作品があるということを確認し、今回の展覧会を知っていただければと思う。


話はそれるが、現在、岡崎市美術博物館で開催中の「桃源万歳」展に三瀬氏の作品が5月3日から展示が開催されている。本来、会期最初から展示される予定だったが、震災によるガソリン不足により作品搬送が困難になったため、展示開始が後期の5月3日からとなってしまった。

この「桃源万歳」展の関連イベントにおいてアーティストトークがあり、三瀬氏も参加されていたので聴講。本展から脇にそれるがその際に、今回のイムラアートギャラリーでの展覧会の開催告知が発表されたのだった。
以下、三瀬氏のお話の抜粋。

震災の後、桃源郷で描けないと思った。それ程までに震災の影響は大きい。

桃源郷とユートピアは違う。
桃源郷は過去のこと。進歩、進化には近づけない。ユートピアは未来。
(1)過去との対比のイメージ
(2)どこか未開の地にあるんじゃないか?
富岡鉄斎の「武陵桃源図」へのオマージュであり、胎内くぐりのイメージが浮かぶ。
実際の場所、山形を桃源郷に見立てた。山形は空気が澄んで乾いている、そんな空気感が描きたかった。(これは現在展示中の作品について。)

震災前から「方舟」の制作を開始していたのだが、震災を機にメンバーが集まり「方舟計画」を完成させる。
ぜひ東北画を観て欲しい。

そんな話を伺っていたので、初日に伺ったのだった。

「江戸KIMONOアート」 日本橋高島屋

江戸KIMONO

「江戸KIMONOアート」 日本橋高島屋 4月27日(水)~5月9日(月)

女子美術大学美術館、澤乃井櫛かんざし美術館、高島屋史料館に所蔵されている江戸時代の着物約100点を展観。

以下4つのテーマで構成されていて、とても観やすい。
Ⅰ.江戸のアヴァンギャルド
Ⅱ.浮世のエレガンス
Ⅲ.装いのセレブレーション
Ⅳ.風姿のスペクタクル

実のところ、ある展覧会を観るまで染織関係には興味がなかった。意識が変わったのは、2008年~2009年に名古屋市博物館、サントリー美術館、大阪市立美術館に巡回した「小袖」展。
「小袖」展は、松坂屋京都染織参考館所蔵品を集めた、物凄い展覧会だった。

刺繍、絞り、友禅染と染織技法の高さ、豪華さもさることながら、圧倒的だったのはデザイン性、絵画性。
布という支持体に描かれた絵画が日本の着物だと、認識を改めた。
そして、松坂屋京都染織参考館所蔵の小袖は保存状態も非常に良かった。

今回は女子美術大学美術館の所蔵品が主体。第4章に登場する能衣装などはすべて高島屋史料館蔵のものだった。

本展で最初に学んだのは「寛文小袖」の特徴で、左に余白を残すというもの。
確かに、観ていくと寛文小袖は左側には何も描かれておらず生地のまま、刺繍その他はすべて右側に配置されている。
なるほど、時代によって流行や形式が存在するのは、今も昔も変わらないのだ。

次に着物の絵柄を観ていくと、文学に関わるもの、恋に関わるものが多いことに気付く。
先に観た「小袖」展ではそこまで頭が回らなかったが、今回一番気になったのは「杜若と燕」の配された着物の多いこと。
伊勢物語からの引用だと思うが、他にも源氏物語の一場面を取り入れた絵柄も多く、文学と衣装文化の結びつきの深さがこれ程強いというのは、日本だけではないだろうか。

遊女もしくは、裕福な商家や武家の娘は着物を注文する時思い描くのは、恋する殿方のこと。
「あの方の気持ちを惹くには・・・そう!伊勢物語の八橋の場面」
・・・と着物を観て行くうちに、私の頭の中で江戸時代の女性たちの様子が浮かんでは消えていく。

浮世絵や風俗図にもこれらの小袖はしばしば登場するので、絵の中から実際に現れた着物を観るのはリアルで楽しい。

私のお気に入りは
・亀戸天神描絵単衣 → これはウコン色をベースに渋く黒の細い線で描絵がされているだけ。墨絵そのもの。
・干支模様帯 → 十二支が刺繍で配された帯。横一列と丸く配された十二支の中央には朱色のガラス板がある。
         十二支の動物たちもかわいいが、そこにガラス板が加わるという細工に感動。
・流水杜若模様打掛
・流水萩模様振袖
・流水杜若燕模様打掛
・吉原細見模様小袖
・鬱金地源氏車秋草霞模様縫箔
・几帳秋草模様振袖
・御簾扇桜模様小袖 → 御簾が刺繍で施され、御簾の向こうには桜の模様が透けて見える。

元々、水モチーフに弱いので、どうしても流水ばかりに目が行くが、流水でも表現は実に様々。
大胆に流れだけを刺繍したものもあれば、絞りを使って表現しているものもある。

最後に、日本の色について。
染織史家・京都の「染司よしおか」主宰吉岡幸雄氏が日本古来の色について研究、著書も多くあるが、江戸時代の着物には日本古来の色、「浅葱色」「鬱金色」、基本的に植物などから取れるこれらの色の美しさもまた着物を楽しむ喜びだと思う。

この展覧会は、京都、大阪と巡回し、日本橋高島屋の後に横浜高島屋に巡回する。
澤乃井のかんざしや鬘は同じだが、東京展と横浜展では着物の展示の殆どが入れ替わるので、2つ行ってすべてを観ることになるが、11月9日~11月30日に女子美術大学美術館でも関連展が開催される予定。

「芸術写真の精華」 東京都写真美術館

芸術写真
「芸術写真の精華」-日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展 東京都写真美術館 3月8日~5月8日


私の芸術写真ことはじめは、掛川にある資生堂アートハウスで福原信三、福原路草の展覧会を観た時に遡る。

今回も展示されていたが福原信三の「西湖風景」の美しさ、そして信三とはまた違った構図とトリミングで撮影された福原路草、私は殊に路草の写真にメロメロだった。

そして芸術写真を語る上で忘れ難いのは、2009年に神奈川県立近代美術館葉山で開催された「画家の眼差し、レンズの眼 近代日本の写真と絵画」展だろう。
この展覧会では、芸術写真と絵画、同時代に流行していた「みずゑ」(水彩画)などと絡めた内容で両者の関連性を展観。両者には共通点が数多く見いだせ、芸術写真の出発点を見出す内容だった。
昨夜も、この展覧会の図録を取り出し、再度読み返してみたがやはり面白い。

「芸術写真の精華」は展覧会主旨としては名品を並べるという形式を取っていて、詳細な論考は図録(2400円)に4本の掲載されているが、図版が小さすぎるのが気に入らず、今回購入は見送った。
中でもゴム印画やプロムオイル印画の写真は、写真自体のマチエールも魅力なのに、写真集や画像ではその魅力が伝わらない。これだけはオリジナルで楽しみたいと思う。

葉山での展覧会と本展で重複している作品もいくつかあったが、私がもっとも注目したのは小関庄太郎の写真。
葉山では1点しか展示されていなかったが、今回は全部で5点。
どう見ても写真ではなく、絵画にしか見えない。

そして小関の写真を観ているうちに、「はっと」閃くものがあった。
今年、日本橋高島屋美術画廊Xとメグミオギタギャラリーのショーケースで個展があった重野克明の絹本墨画の作品に諧調がとても似ている。
重野の墨画作品を観た時、どこか懐かしい大正から昭和初期のノスタルジーや孤独・哀愁を感じていたのだが、小関の写真にも同様の印象を受けた。

小関の写真は「雑巾がけ」という日本の独自のレタッチ技法が駆使されている。
ツイッターでの呟きで見つけた所によれば、雑巾をかけるように焼き付けた印画紙の上に油と油絵の具をかけて「雑巾がけ」して任意の黒の深みを出すという技法らしい。
4月に写真美術館で「雑巾がけ」のワークショップが開催されていた。
参加資格は私にはなかったけれど、見学だけでもさせていただきたかった。
言葉で説明されても、実際のイメージがわかない。

ということで、小関庄太郎の作品は福島県立美術館から出展されていたので、検索してみると見つかりました。
小関庄太郎の展覧会が2001年に福島県美で開催されているではないですか。
図録も現在半額の1000円で発売中。
現金書留代と送料で約1000円は飛んで行ったけれど、図録を取り寄せることにした。

我が地元、愛知県には愛友写真倶楽部があり、当時はゴム印画技法が流行していたようだ。
やがて、そこから独自の表現を見つけ出す写真家が現れる。

この当時の芸術写真を観ていると、絵画と写真の境界って何だろうと考えてしまった。

「チェルノブイリから見えるもの/追悼 針生一郎」、原爆の図 丸木美術館 はじめての美術館83

「チェルノブイリから見えるもの/追悼 針生一郎」 丸木美術館 5月3日(火)~6月11日(土)
 美術家公式サイト → http://www.aya.or.jp/~marukimsn/index.htm

丸木美術館は、5月5日の今日が開館記念日。
この美術館は、丸木位里、俊夫妻による「原爆の図」連作であまりにも有名。

もちろん、私も存在は知っていたが、埼玉県東松山市と交通の便があまり良くないせいもあり、なかなか足を運べずにいた。しかし、今年の年明け東近美で開催された「日本画」の前衛 1938-1949展で丸木位里の作品を何点か拝見し、やはり丸木美術館に行かねばという思いが強くなった。

そして、開館記念美の今日は記念イベントで、4月から目黒区美術館で開催が予定されていた「原爆を視る」展担当の正木基学芸員による講演とその後、チェルノブイリに訪れたことのあるフォーク歌手・小室等さんのコンサートが開催されると知り、いよいよ訪れることとなった。

その前に、埼玉県近美のアールブリュット展に寄ったため、大宮→川越→森林公園に行く筈が、逆に向かってしまい、なぜか気付いたら赤羽という大失態。
今日は記念美ということで無料送迎が12時半にあったのに、間に合わない~と半ば諦めモードで南浦和→朝霞→森林公園へ。12時45分に到着したのに、送迎車は待っていてくれた。

東武東上線森林公園駅より車で10分。本当に周囲には何もない場所に丸木美術館はあった。
開館記念美は通常900円の入館料が800円。
シールが入場チケット替わりで、着衣の見えるところにペタンと貼る。
間口は狭いが奥に長い建物で、1階と2階に「原爆の図」連作や丸木スマ(丸木位里の実母)の作品がある。そして、新館棟とホールには晩年の大作4点「水俣の図」270×1490(cm)「南京大虐殺の図」400×800(cm)「アウシュビッツの図」340×1610(cm)「水俣・原発・三里塚」の4作品が壁面を全て覆い尽くす。

「原爆の図」もさることながら、私は最初に講演会が開催されるホールに向かったので、いきなり晩年の4大作と向かい合うことになった。
これが、すさまじかった。筆舌に尽くしがたいとはこのことか。
特に、横16メートルにも及ぶ「アウシュビッツの図」、同じく横約15メートル「南京大虐殺の図」は高さも4メートルと超大作。
背筋が思わず寒くなったのは、今日の東京が季節外れの寒さだったからというのもあるが、その大きさ、迫力、そして墨の力強さ、線の確かさ、全てが私を包みこんで離さなかったからだと思う。

今まで、私がここに来れなかったのは、これらの作品、過去の歴史と向き合うのが怖かったから。
交通が不便というのは実は単なる言い訳にすぎず、原爆の図や大量殺りくを描いた作品に向き合うのに怯えていたのだろう。

しかし、やっと史実にそして丸木夫妻の作品と対面した時、畏怖ではなく戦慄の方が先に立った。と同時にこれだけの大作を描き上げた丸木夫妻の画力にほとほと感心した。

紅蓮の炎だけ赤を取り入れ、晩年の4作品は基本的に墨一色で描かれている。

「原爆の図」連作15点は、日本画らしく多色作品も数点(9部~11部)あるが、基本は墨と赤のみ。
これら屏風仕立ての15連作は縦1.8m×横7.2mと前述のホールにあった超大作よりサイズは小さい。第1部の「幽霊」は1950年制作、最後の第15部「長崎」は1982年制作と実に30年あまりをかけて完成させたシリーズは、1点1点胸を打つ。

特に、忘れがたいのは第8部 「救出」。たロシアのイリヤ・レーピン「ヴォルガの舟曳き」はたまた青木繁の「海の幸」が頭をよぎったが、いやまさに地獄絵図のような作品。


常設展示だけで、完全にノックアウトされたが、企画展が2つ開催されていた。

「チェルノブイリから見えるもの」
ここでは、本橋成一のチェルノブイリ写真、広河隆一の福島原発事故写真、チェルノブイリ写真の展示、そして貝原浩『風下の村 チェルノブイリ・スケッチ』などが展示されていた。

貝原浩のデッサンとスケッチはまさに叙事詩と言っても良い。写真は、広河のチェルノブイリの村をカラーで撮影したものが印象深かった。はっとするシーンが何枚も続いた。

また、昨年急逝された針生一郎氏は、丸木美術館の元館長であったことを私は知らなかった。
館長追悼企画としてゆかりの芸術家による30点の作品展示だったが、これがまた秀逸。小品主体だが、これまで観たことのない作品ばかりで驚いた。
特に、長谷川利行「題名制作年不明」の赤い籠に盛られた草花の作品、瀧口修三「壊れやすい夜か、または・・・」、小山田二郎「顔」、難波田龍起の作品など、どれもこれも、思わず足を止めさせる。


目黒区美術館の正木学芸員による講演は、「原爆を視る」展開催に至る経緯や出展予定作品をスライドを交えながら解説。
同展は、現在のところ、来年6月以後の開催を目標に動いているとのこと。
恐らく、来年には同展を観ることが可能のようです。

小室等さんの楽しいお話を交えた歌を聴きつつ、開館記念イベントは盛況に終わった。

美術館のすぐわきに、休憩棟があったので、のんびりおにぎりを食べていると、眼下には都幾川のせせらぎと小鳥の鳴き声、そして河原の菜の花、丸木夫妻がここをアトリエに選んだ理由が分かったような気がした。

これからブログを続けるにあたって

5月に入って、少しの間ブログの更新をお休みさせていただいておりました。

ツイッターが盛んになり、ブログとツイッターの両方での発信に時間を取られるあまり、本を読む時間も、ゆっくり考え事をする時間もなくなって行く。追いまくられるような日々が続き、それが次第に辛くなり、このままで良いのだろうかと思うようになったのは、いつのことだったか。

少し前に、非公開コメントが入ったのを機に、ブログを続ける意味と時間を取らない方法はないのかと立ち止まることにした次第です。
同時に持病の頭痛が再発し、書くという行為自体、身体的に辛くなったことも拍車をかけ、少しだけお休みすることになってしまいました。

お休みしている間に考えてみたのですが、私の場合、ツイッターで感想を書くのは向いておらず、結局ブログという媒体をこれまで通り選択することにしました。

そして、継続にあたってもっとも重要な目的は、私自身のためです。
自分の観たこと、感じたことをやはりどこかに記録しておきたい。
自分のためだけであれば、他人様に公開する必要はないのでしょうが、ブログには次のようなメリットがあります。

1.画像を文章と合わせて保存できる。特にチラシの保存には有効。
2.過去のログからキーワード検索が可能。
3.継続の動機付けになる。

ただ、今までの文章構成だと時間がかかりすぎるので、今後は展覧会概要は省略し、感想や必要な情報は絞って記載するように形式を変えることにしました。
暫く、試行錯誤が続く予定です。体調や本業(仕事)次第では、毎日更新できない日もあると思いますが、できるだけ観たものは早く書いて行きたいと思っています。悲しいかな、あまり日が経つと忘れてしまうので。。。

僅かでもこのブログを読んでいただいていた方に、これまでの感謝とお詫びをこめて。
そして、お休み中にコメント下さった皆様、本当に有難うございました。

拙い素人の感想文ですが、少しでも、読んで下さる方々のお役に立てれば幸いです。
カレンダー
04 | 2011/05 | 06
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
ブログ内検索
twitter
最近のエントリ
カテゴリー
最近のコメント
最近のトラックバック
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。