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「宇田川 愛」展 人形町三日月座

宇田川愛

「宇田川 愛」展 人形町三日月座 7月3日迄
http://mikazukiza.com/news/?p=643

約2年ぶりとなる都内での宇田川愛さんの個展に行って来ました。
前回の個展は2009年3月、清澄白河のキドプレスでの開催。
(参考)過去ログ:http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-566.html

今回の個展会場は人形町にあるカフェ。
サイフォンで一杯ずつ丁寧にいれて下さるコーヒーと夜にはjazzをBGMにお酒も楽しめるお店です。

宇田川愛さんは、学生時代に版画を制作されていましたが、現在は主体となるのはシルクの支持体を染め、その上から描いて行く作品を制作されています。
今回は前回の個展にはなかった版画作品やドローイングも各2点展示されていて、シルクの作品と合わせて合計10点程の作品を拝見することができました。

<プロフィール>
1979年 東京生まれ
1999-2003年   東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻
2003-2004年   東京芸術大学大学院版画研究科
2005-2008年   国立カールスルーエ芸術大学絵画科(ドイツ)
<<受賞歴>>
2003年 (株)セプティーニ エディション賞受賞
    町田市立国際版画美術館所蔵賞受賞
2005年 高知国際版画トリエンナーレ入選
2007年 国立カールスルーエ芸術大学学内展示“middltec”展 優秀賞受賞

宇田川さんの表現したいものは、一貫しており今回も揺るいではいませんでした。
刹那の美というべき、すぐに消えてしまう、観えなくなってしまうものを作品に留めておきたいという意思が感じられます。
此岸(しがん)に対して彼岸、すなわち仏教でいう川の向こう側、その境界を描きたいのかもしれません。
自分が表現したいものを突き詰めていくと、怖い世界になってしまう・・・とお話されていましたが、もしかするとそれは彼岸に行く時に現れる三途の川のことだったのかもしれません。
前回の個展タイトルは「developing Utopia」。ユートピア=現実には存在しない理想郷ですが、それは彼岸の世界にどこか共通する所を感じます。

「Ice bridge」シリーズは、年に数回、川が完全に凍り、橋のような状態になる現象「Ice bridge」をモチーフにしていて、背景色は支持体のグラデーションなどの美しさが何と言っても目を引きます。更に今までにない試みとしては、一部に糸による刺繍が使われています。銀糸を使って画面にアクセントとなるよう、ごくごく控えめに入っています。

「sign」2010年では、雹なのか、それとも雪なのか銀糸で入った小さな印。

sign

そして、この作品では、奥に1枚、手前に1枚、合計2枚のシルクが木枠に張られており、特に素晴らしいのはどこまで続くのかと思われるような奥行き感。深く深く分け入って行けば、もう2度と戻れなくなるような、そんな静かな恐怖も湛えている画面です。
「sign」は予兆という意味で使われたタイトルなのでしょうか。
森の奥にある水辺に浮かんだ小船はどこへ行くのか。
ナラティブ、物語性のある作品は、2年経っても健在でした。

「つきあかり」では、赤ずきんちゃんを思わせるような画面で、少女が森の中に佇んでいる、迷子になっているのでしょうか、こちらも二重にシルクが使われていて、版画のように層を重ねる作業をシルクそのもので行っている。
シルクスクリーンという版画技法がありますが、紙を支持体にして版を重ねるのではなく、シルクという支持体をレイヤーとして重ねる手法は、作品に深みを与えています。

ドローイングで注目したのは、黒をベースに前回の個展でも登場していた鳥かごがモチーフに入っています。

drawing

小品でしたが、木炭と僅かな着彩?刺繍?の組み合わせがとても絶妙で、これも私が今回気に入った作品でした。
水墨画風の画面に惹かれます。


今後も継続して、作品を制作し発表し続けて欲しいと思う作家さんです。
これからの作品も大いに期待しています。

*作品画像は、許可を得て撮影しました。

人形町 三日月座 *会場はカフェのため、来店時にはオーダーが必要です。また18時以後はチャージ300円です。
東京都中央区人形町1-15-5柏原ビル2F 営業時間 11:00~23:00 注:日曜日は18時閉店
東京メトロ地下鉄半蔵門線
水天宮前8番出口より徒歩70歩位(1分)
東京メトロ地下鉄日比谷線
人形町駅A2番出口より徒歩90歩位(1分)
都営地下鉄浅草線人形町駅徒歩5分位
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保井智貴 「Tranquil Reflection」  MEGUMI OGITA GALLERY

保井展

保井智貴 「Tranquil Reflection」  MEGUMI OGITA GALLERY 7月2日迄
http://www.megumiogita.com/exhibition/2011/1106yasui/index.html
作家さんの公式サイト:http://www.yasuitomotaka.com/

昨年の音楽家、ファッションデザイナー、建築家らとコラボレーションしたグループ展「Calm」に続き、いよいよ待望の保井智貴の個展開催。

今回は半貴石、螺鈿、色漆、蒔絵、日本画の材料である岩絵具などで装飾された無国籍な衣服を纏った3体の乾漆像を見せてくれています。

うち2体は大人の等身大の像ですが、表情はどこかうつろで中性的。保井さんが制作される等身大の大人の人物像は女性が多いのですが、いずれも中性的であることが特徴であるように思います。
それは、実際のモデルがいる訳でなく、想像上の人物であるからかもしれません。

もう1点は、少年の像ですが、こちらはモデルになった身内のお子さんがいらっしゃるそうで、かわいいとは俄かに言い難い、何とも言えない表情を湛えています。

物言わぬ像たちの存在感はただならぬものがあり、殊に私は子供の像が気になりました。

乾漆像と言えば、興福寺の阿修羅像の彫刻技法として著名ですが、非常に手のかかる技法で、3体で1年弱の制作期間。前回メグミオギタギャラリーの「毘堂」展のオープニングでお目にかかった保井さんと、本展オープニングでの保井さんは僅か1ヶ月とは思えない程、やつれておられ、制作に集中した表現者の姿、まるで抜け殻になったかのような姿に驚きました。

保井さんはtwitterもされており(アカウント:@YASUMAN)、個展開催前の6月9日の呟きを以下に引用させていただきます。
「やっぱり展示は何回やっても怖い。精神的にも肉体的にもボロボロになる。自分の魂みたいなものを空間に置き換えようとしてるわけだからね。まあ自分が選んでやってんだからしゃあないけど。」
「どんな表現でもその人が生きて来た痕跡みたいなものが出てると、見てて嬉しくなるし素直に感動しますよね。」

その後、作品完成後メグミオギタギャラリーでの作品設置にかなりご苦労されたようで、何が一番問題になったのかをお聞きしたら、「ギャラリーの照明が蛍光灯で照明位置も難しい場所にあったので・・・」とのこと。

他に伺ったお話は、「大人の像と子供の像を制作する場合、コンセプトも表現したいものも違う。だから子供はモデルがいるのだけれど、大人はそうではない。ただ、今後は大人も実際にいる人物をモデルにして掘り下げてみたい。」

これまで特定のモデルがいなかったらしい大人の人物像が特定の人物をモチーフにするとすれば、そしてそれが乾漆像なら・・・私が思い浮かべたのは、やはり興福寺の八部衆像をはじめとする仏像群。

しかし、保井さんの人物像は乾漆像の上に、螺鈿や蒔絵、色漆などの伝統工芸技法を駆使した衣服、靴を身につけていること。その華麗さは、実際に作品に接すれば複数の技が組み合わされているかを実感できます。

今回私は、人物像の白い腕、これはレース模様がうっすらと見えていること、衣装の紋様の蒔絵が気になりました。腕のレースは実際にレースを埋め込んでそこに岩絵の具を重ねているんだったか?(実際のレースが貼られているのは間違いない)

個々の像に関しての感想より、更に重要なのは空間をどれだけ支配しているかだろう。
昨年のグループ展2つ(ひとつはbookshopで開催)を観ていても、ご自身が制作されている像を使用して空間そのものを作り上げようとされていた。
彫刻を使用した空間インスタレーションのようなものと言えば良いのか。

オープニングは来客がひっきりなしだったので、会期末の7月2日までに、できるだけ静かな状態で3つの像の位置、そして場の空気、保井さんの魂を吹き込まれた彫像が生み出した空間を堪能したい。

なお、雑誌『正論』7月号の表紙に保井智貴さんの少女像が採用されています。この凛とした表情が雑誌タイトルにピタリと来ます。

正論


この作品は初めて拝見しましたが、白いタイツに桜の花びらが舞う柄タイツ。表紙をめくって数ページ後に保井さんのコメントと少女の全身像が掲載されています。
タイツに描かれた桜の花びらは、学生時代に住んでいらっしゃった善福寺川沿いの桜を思い出されたのでしょうか。

「森と芸術-私たちの中にひそむ森の記憶をたどってみよう-」 東京都庭園美術館

森と芸術

「森と芸術-私たちの中にひそむ森の記憶をたどってみよう-」 東京都庭園美術館 7月3日まで
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/mori/index.html

美術評論家であり仏文学者の巌谷國士による監修のもと約180点の美術作品、写真、工芸品、絵本などから「森」そのものを新しい視点からとらえなおし、その美と悦び、意味と重要性について展観しています。

しかしながら、私が行ったタイミングが悪かった。
先週の日曜日13時過ぎに行ったのですが、予想通り来場者がいっぱいで、更に運悪くグループで来ていた来場者とかちあったこともあり、いや、そうでなくても全部の展示室混んでいた。。。とにかく狭い展示室に人がひしめき、出入り口もすれ違うのがやっと。

とても、落ち着いて作品鑑賞できる状況ではありませんでした。
まだしも1階と2階の入ってすぐの広間は良かったのですが、庭園美術館は元々朝香宮家の邸宅であったため、各展示室のスペースは狭い。すぐに人で一杯になってしまいます。

ということで、評判は良いも分かる展示構成でしたが、混雑に嫌気がさして駆け足で観てしまいました。実に勿体ない。

展覧会構成は次の通り。この構成を観るだけでも、いかに多様な観点から「森」を捉え考察しているか分かります。森と一口に行っても、どういった観点で絵画や写真、版画に落とし込んでいくかを観ていくのが面白い筈。
時代とともに、「森」の意味合いが変化していく。それを実際の作品で現代の私たちが追いかけていく。最後は、日本列島の森と題して、岡本太郎の沖縄や出羽三山などの写真とともに、もののけ姫の背景画も。
そして、美術館入ってすぐの左側には、東大総合研究博物館のモバイルミュージアム、森のカメラ・オブスクラが。これが、一番インパクトがありました。

ところで、現代の私たちが観る「森」のイメージについて触れられていなかったのが残念。あくまで、日本列島の森としての表象を捉えていたのですが、実際、東京という大都市に住む人々は森について何を考え、どう観ているのか。庭園美術館のお庭は森とは違うように思います。
数多くの来場者は、今の環境においてどんな「森」のイメージを持ち、それを写真や絵画・版画で表現するとどうなるのかが気になりました。

第1章 楽園としての森
第2章 神話と伝説の森
第3章 風景画のなかの森
第4章 アール・ヌーヴォーと象徴の森
第5章 庭園と「聖なる森」
第6章 メルヘンと絵本の森
第7章 シュルレアリスムの森
第8章 日本列島の森

個人的に良かったのは、
第1章:ギュスターブ・ドレの版画、ミルトン著『失楽園』より。メゾチント2点。

第2章:ヘンリー・フューズリ 森:「真夏の夜の夢」第四幕第一場、アンリ・ファンタンラトゥール「二人のオンディーヌ」

第3章:ディアズ・ド・ラ・ペーニャの2点、特に「フォンテーヌブローの森の小径」、クールベ「オルナンの渓谷」全て、山寺後藤美術館蔵。恐らく過去にも観ていると思うが、やっぱり良いと思う作品は何度観ても同じ。

第4章:ギュスタブ・モロー「恋するライオン」

第5章:川田喜久治「聖なる森」シリーズ。川田のこのシリーズは初めて観たので、もっとじっくり観たかったのだけれど、生憎この部屋は凄く狭くて、とてもじゃないけれど、立ち止まってゆっくり観られる状況ではなかった。

第6章:第6章が一番気に入った。本展は、主として町田市立国際版画美術館所蔵の版画作品が一番多く出展されているが、このコーナーでは多色石版や多色刷木口木版の貴重で美しい挿絵本がずらりと並んでいた。
どれもこれも甲乙つけがたく中でも、アーサー・ラッカム、カイ・ニールセン、エドモン・デュラックの童話挿絵が良かった。

第7章:シュルレアリスムで森と言えば、やはりマックス・エルンストをすぐに思い浮かべる。ということで、彼の作品が最も多く出展されている。他には、ヴィフレド・ラム「秘密の儀式」宮崎県立美術館が気になった。

本展主旨とは関係ないが、庭園美術館には会期早目に行った方が良い。分かっていながらいつも遅くなってしまって結局、混雑に巻き込まれ辟易するというパターンを何とか変えたい。
次回展覧会「皇帝の愛したガラス」展の後、建物公開を行い、11月より同館は改修工事に入るため休館となります。リニューアルオープン時期は現段階では発表されていません。→ http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/index.html

「ジョゼフ・クーデルカ プラハ 1968」 東京都写真美術館

プラハ

「ジョゼフ・クーデルカ プラハ 1968」 東京都写真美術館 5月14日~7月18日
http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1353.html

ジョゼフ・クーデルカ、この著名な写真家の名を知り関心を持ったのは、港千尋著『写真という出来事クロニクル1988-1994』だった。
自分のブログを検索してみたら、国立新美術館で開催された「陰影礼讃」展で初めてクーデルカの写真を彼の写真として認識した上で観ているようだ。

その後、本展が開催されると知りあまりのタイミングの良さに嬉しくなったが、諸々の事情で出かけるのが遅れてしまった。幸いなことに、東京都写真美術館の木曜・金曜夜間開館が復活したので、漸く行って来ることができた。
夜間開館は静かな環境でじっくり写真と対峙できる。

会場構成がまずは目をひく。
出入口側の壁面がアジテート、ビラで覆われている。チェコ語?で書かれていると思われ、意味は理解できないが、グラフィック的効果は抜群。今回の会場展示では、事件性を強調するもので、写真自体の質(プリント面含め)をじっくり見せることに主眼を置いていないように感じた。
これはクーデルカ自身と担当学芸員の方が打ち合わせた結果であるのだろう。

およそ、10年以上前にクーデルカは「写真家が人生の流れのなかで、そのプリントの調子を変えてゆくのは自然なことだと思うよ」と答えている。また「良い写真とは時が経てば経つほど良くなる写真のことだ」と語る。

このビラの壁とクーデルカが撮影したプラハ侵攻「チェコ事件」の写真約170点が展示された空間に身を置くと、否が応でもその場の臨場感に立ちすくむことになる。
後述する社会学者の小熊氏はビラは現代のブログやツイッターのようなものとたとえておられ納得した。

写真美術館が発行している機関誌『eyes』2011vol.69に、クーデルカのインタビューが掲載されているが、この中で、『「僕は言葉より写真の方が饒舌だから、写真を選んだんだ」と力強くつぶやいた』という行がある。
まさに、その通りでチェコ事件についての文献を1冊読むより、彼の写真で観る史実の重みは、計り知れない。

最近、写真の魅力について常に頭の中でまとまらず、もやもやとしているが、ドキュメンタリー、時間軸を越え、記録を残す優位性と、一見して誰もが撮影されている対象、被写体が言わんとする所を理解できるのではないか。
その伝達力のスピード感は、写真から映像に繋がっていく。
*映像といえば、会場に写真をスライド形式で見せるコーナーがあった。

クーデルカはチェコ出身の写真家であるが、彼はプラハ侵攻以前に、既に「ジプシー」の連作で写真家として売り出していた。
同館の4階には図書室があり、クーデルカ関連の写真集等が特集コーナーに置かれているので、ジプシーシリーズや近作などの写真集を観ることにした。
ジプシーシリーズはもとより、他のシリーズのどの作品ともこの「プラハ侵攻 1968」とは大きく異なっている。
明らかに「プラハ侵攻 1068」において、クーデルカの立ち位置は当事者側、時には被写体自身になる。

撮影者は、被写体にどれだけ心的にも物理的にも距離を置くのかが気になるところだが、この時クーデルカは、目の前に起きている現実にカメラを構えずにはいられなかったのだろう。
記録として残しておきたいという意識があったのか、それとも写真家としての習性なのか、命の危険も顧みず、彼は非常に冷静に、ソ連軍によって軍事侵攻されていくプラハの様子と、抵抗する人々をフィルムにおさめた。

人気のない広場の様子、そこには腕時計をしたクーデルカ自身の腕が写される。
人々の恐怖や苦悶を浮かべた表情、そして最後まで諦めないという強い意志を持ち、国旗を掲げる若者2人。
マスメディアを制圧する攻防は中でも激しかったようだ。
チェコスロヴァキア・ラジオ局の防衛では、破壊された建物の様子、攻防の犠牲者の無残な死体は、今の日本の状況にも置き換えられるのではないか。

これらの写真が、チェコの関係者から国外に流れたことは奇跡的で、当時の社会主義体制を考慮すると家族に危険が及ぶことを憂慮し、名乗りでることもままならなかったクーデルカの心情が慮られる。
ところで、気になるのは前述の『eyes』インタビュー記事の中で、彼に1968年当時の話題をふった際、それまで饒舌だったクーデルカがかたくなに口を閉ざしたという点だ。
同じ質問には答えたくないというのがその理由だが、40年以上前の写真を2008年に再編集し出版した背景には、「この記録写真は過去のことではなく、現在も侵略され圧政に苦しんでいる人々に関することだ。」という思いがあるのだろう。

1968年とはどんな時代であったか、当時の日本の状況について、小熊英二氏(社会学者、慶應義塾大学教授)の講義を拝聴したが、全共闘と直ちに結び付く流れではなかったが、与えられたテーマを見事にきっかり1時間で解説された。曰く、第2世代の体制への見方、フォーディズムと言われる大規模労働組合の設立・・・(ここ後日、加筆します)。

再び、クーデルカの写真に戻るが、国家と現政治体制における反発などは、取り巻く状況は違えど、未曾有の大震災と原子力発電所問題という危機を迎え、現代に生きる私たちは彼の写真を観て再び何ができるのかを問い直されているように感じた。それは、圧政や侵略と次元は別かもしれないが、現在の私たちにも置き換えられはしないだろうか。
冒頭の言葉で語るより写真が語るものは、想像以上に大きかった。
これが写真の力なのだろうか。

クーデルカは、ジプシーシリーズやプラハ以外にも静謐で美しいモノクロ風景写真を数多く撮影している。
できれば、4階図書室やNadiffなどで、彼の他のシリーズも観て欲しい。

「五百羅漢 増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」展 江戸東京博物館

狩野一信

「五百羅漢 増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」展 江戸東京博物館 7月3日まで
公式サイト → http://500rakan.exhn.jp/top.html

千載一遇のチャンスとはまさにこのこと。
まさか、全100幅+新発見の成田山新勝寺の「釈迦文殊普賢四天王十大弟子図」を一挙に拝見できる機会を得ようとは!

そもそも、狩野一信の「五百羅漢図」が全部で100幅もあること自体、本展開催のアナウンスがあって初めて知ったくらいで、過去に一信の「五百羅漢図」は観ているものの、展示されているのが1幅とか有名な第55幅「神通」他でバラバラとは観ていた。

しかし、100幅通しで観た時の感動と驚きは生涯忘れられないのではないかと思う。日本古美術の展覧会でありがちな展示替えが一切ない!いつ行っても会期中に全作品を観ることができる喜びと有り難さに感謝してもしきれない。
まず、2幅一対(後半はそうではなくなってくるが)で描かれていたことさえ初めて知った。
その特徴を活かすために、展示方法はよく練られており、展示ケースは2幅1セットになるように特注されていて、更に素晴らしいのは、この展示ケース、作品とガラス?アクリル?との距離が非常に短いため、単眼鏡なしで裸眼で細部まで確認することができる。
しかも、一番気になる照明の反射が殆ど気にならない。よく作品を観ようと思って、展示ケースにブタ鼻覚悟で近づいても、観えてくるのは自分の顔ばかりということがあるが、今回は最小限の反射に留まっているのが素晴らしい。

twitter上での呟きで、100幅横一列で観たかったという呟きを目にしたが、私はそう思わなかった。
寧ろ、一信の描く羅漢の想像の森を奥深く探検していくようなスリリングな展示方法で楽しめる。ただ、「神通」だけ、半円形に囲んで見せたのは良かったけれど、ここの展示だけ全体照明が暗く、ケース内に仕込まれたスポットだけだと、作品全体を均等に照らすことができず、端っこの方に照明が不足していたように思う。
個人的には、作品への照明はフラットなものが好みなので、それだけが気になった。

動線が分かりづらくなりがちだが、床にしっかり白い→テープが貼られているし、自然な流れで歩いても順番を間違えそうな個所は、通常の展示ケースを使用していた奥の横一列の個所だけである。
あそこだけは、真ん中から観れば良いのか、左奥から観れば良いのか竣順した。

2回目の訪問時には普段借りない音声ガイドも借りてみた。
理由は大滝秀治さんが起用されているからで、大滝さんは幼少の頃、TVの再放送で大変お世話になった(なぜか、彼が出演すると泣けて来る。)ためで、久々にお声を聴いてみたくなった。しかし、大滝さんは羅漢に扮しておられたようで、思ったより出番が少なく、これにはがっかりした。

さて、100幅もある作品について、1点1点感想をあげる訳にもいかないので、全体としての感想をとどめておきたい。
本展に関しては、芸術新潮はじめ『美術の窓』などで特集が組まれていたが、中で私が注目したのは『美術の窓』4月号掲載の本展監修者:山下裕二氏と板倉聖哲氏(東京大学東洋文化研究所准教授)の五百羅漢を巡る対談である。
中国絵画においても五百羅漢図は東福寺本、円覚寺本、大徳寺本と日本国内に残るものだけで3系統あるが、テーマ例えば「浴室」などは共通すれど。同じ図様であるものはないという。
すなわち、一信オリジナルの図様展開がなされているという点は非常に評価すべき点だろう。

何しろ、普通に観ていて面白いのだ。
私は2回本展を観に行ったが、隣で観ている方々が口々に思わず漏らす感想が面白くて仕方がなかった。
皆さん、ご自身の視点で私の気付かぬ点を指摘されている。曰く「あの背景描写は、水墨画を学んだ人だよね。」とか、第29幅:畜生では「あんなところに、亀が!」とか。。。

恐るべし独創性かつ、活き活きとした表情の羅漢は、最高位の修行者というより彼らもまた人であるかのごとく親近感を覚える。
無論、絵の中のシチュエーションは到底、人間界ではありえない状態なのだがど、その生活の様子(足の爪を切っていたり)や態度、表情がことごとく人間味あふれている。

そして、彩色の美しさもまた特筆すべきだろう。
今回の展覧会のために、全幅修復に出したとはいえ、元々の絵が持つ顔料や彩色方法が良くなければ、如何に修復したとはいっても、これ程の発色は出せない。
伊藤若冲も裏彩色の技法で有名だが、本作も裏彩色が使用されているため、あの奥深い色味を出していると知った。

彩色技法のみならず、西洋絵画の陰影法や透視法、たとえその使用方法に違和感があるにせよ、や前述の山下氏・板倉氏対談では、第33幅~36幅に李郭派風の山水画の技法、枯木や山のもこもことした表現も取り入れているのではないかと指摘されている。
個人的には、第34幅の橋の色調が西洋絵画のようだなと思ったり、この色遣いは普通の日本画では使用しないのではと思った。

そんなこんなで、細密描写を続けた一信は神経衰弱になり、100幅完成の志半ばで亡くなる。
後を受けたのは養子と妻の妙庵だというが確証はない。何幅まで一信の真筆なのかということも、美術史では今後更に研究されていくだろう。

個人的に好きな羅漢図は、第1幅、第2幅「名相」と第21幅~24幅「地獄」、第37幅~38幅「天」。
第1幅、第2幅は図様としての面白見は少ないが、やはり100幅の構想ができて描き始めの最初であるから、一信の気力の充実ぶりが絵からにじみ出ている。着物の紋様や樹木表現など、細部にわたり実に丁寧かつ緻密。
この1対だけを観ていて15分は経過した。

「地獄」は1回目に観に行った時から、とにかく凄いと思った。落下する人や氷地獄にあっている人々が夢に出てきそうだった。第22幅の墨でさっと刷くような描写は、第83幅、84幅の「七難 風」に使用されても良さそうだが、あの軽やかな筆さばきは、既に83幅、84幅には観られない。

地獄に対して「天」を描いた37幅、38幅は束の間、休息と安らぎを与えてくれる。画面の至る所に天女が舞う、華麗な画面。
また、共通して私は彼の描くご飯の描写が好き。胡粉なのか、小さな粒粒が実に美しい。特に第25幅「鬼趣」の羅漢がもつ山盛り御飯の粒粒が気になって仕方なかった。

五百羅漢だけではない。
新発見の成田山新勝寺の大幅「釈迦文殊普賢四天王十大弟子図」もあまりの大きさに、最初びっくりした。
思わず後ずさりしそうな神々しさを湛えていて、水墨に金泥が加えられ、この金泥を美しく見せるため、調光がかけられている。暗転して徐々に明るくなっていく時、またその逆の際の金泥の見え方に要注目。
いつまで観ていても観あきない美しさと迫力である。

若冲も一信も、根底にあるのは寄進、仏を敬う宗教心と、絵師としての性を強く感じる作品群。
彼らを突き動かしたのは、仏のためでもあり、自身の絵師としての性、いずれが欠けても成立し得なかった作品。
時を越えて、現代に相対することができたことを幸せに思う。

そして、震災という不慮の惨事にも関わらず、このような展覧会を開催して下さった増上寺はじめ、関係者御一同さまに心より感謝を申し上げたいと思います。

「アンフォルメルとは何か? ―20世紀フランス絵画の挑戦」 ブリヂストン美術館

アンフォルメル

「アンフォルメルとは何か? ―20世紀フランス絵画の挑戦」 ブリヂストン美術館 7月6日(水)迄
http://www.bridgestone-museum.gr.jp/exhibitions/

前評判の高い展覧会で、早く観に行きたかったのだが、この展覧会に行く前にどうしても『アンフォルム 無形なものの事典』イブ=アラン・ボワ+ロザリンド・E・クラウス著(月曜社刊)を読み終えてからにしたかったので遅くなってしまった。
しかし、遅く行って良かったこともある。
6月7日から、パリのポンピドゥーセンターフランス国立近代美術館所蔵のピエール・スーラージュ《絵画》が新たに出展された。
震災の影響で、本展には海外の美術館からの貸し出し作品も予定されていたが貸し出し見合わせ。そんな中、ポンピドゥー・センターが、本展開催の意義を認め、スーラージュの作品が特別に出品されることになった。
作品画像等詳細はブリヂストン美術館ブログをご参照ください。 → こちら

さて、展覧会は前評判通りの素晴らしい内容だった。
展覧会コンセプトが明確、かつ、構成が素晴らしいので満足度は非常に高かった。
こんな展覧会ばかりだと嬉しいのだけれど。

1章 抽象絵画の萌芽と展開は、序章の位置づけとして問題は第2章以後である。
2章 「不定形な」絵画の登場-フォートリエ、デビュッフェ、ヴォルス
いずれも、国内美術館の常設などで1点~2点を見かけるが、これだけまとめて観たのは初めて。

個人的には、フォートリエとヴォルスにはまった。
フォートリエはこれまで見かけても軽く流していたけれど、読み解きの面白い作家である。
そして、画面の作り方、石膏や紙を貼ったカンヴァスは、厚みを帯び、平面でありながら彫刻のような三次元性を持つテクスチャー。
しかも、色もよく観れば下地を何層にも重ねていることが良く分かる。
「不定形」について語ると長くなるので、ここでは割愛し作品についての感想のみにとどめる。
フォートリエの不定形は、当初エッチングにおいて試み始められたのだろうか?
今回展示されていたのは1942年制作の版画、油彩で一番古いもので≪人質≫1944年・大原美術館蔵。
この作品では、まだ人の顔だということが認識できるが、以後の油彩はもはやそれが何であるか分からない。不定形なるものと化している。

ヴォルスで一番驚いたのは彼の写真2点だった。
≪海の水面の反映、カシスの滝≫1941年、≪雲・・・・・・≫1937年、いずれもゼラチン・シルバープリントの絵画的な写真は、形が定まっていないものをモチーフとして選択している。これが、彼の絵画につながっていくのか。
ヴォルスの作品は、DNP川村記念美術館で初めて観て、以来好きな画家のひとりだが、≪構成≫1947年・国立国際美術館やクレーのような音楽を想起させる作品≪いいようもなくやわらかな色彩≫1949-51年など、溶けていくような色彩と不定形なる線の集積が画面をうまく構成している。
裕福な家庭に育ちながら、なぜ最後は腐った馬肉を食し食中毒で30代で死亡してしまったのか。

ジャン・デビュッフェは、≪草の茂る壁際≫1956年・東近美蔵に驚いた。こんな作品を持っていたとは。常設には何度も行っているが、過去に観た記憶はない。

3章 戦後フランス絵画の抽象的傾向と「アンフォルメルの芸術」
冒頭は、これまた私の好きなアンリ・ミショーの作品から始まる。
以前、東近美でミショーの特集展示があり彼の作品≪ムーブマン≫1950年、≪メスカリン素描≫1956年など、実験的な作品とオートマティスム的な作品。

これに一層拍車がかかるのが、ピエール・スーラージュ。
本展会場では、スーラージュに6つの制作について、以下のようなインタビューを行っている。
それによれば、彼は「黒」を多用するが光の反射を表現する手段として「黒」を使用する。黒で線を描くことでより白く見せる、それが光の反射であり、黒から光が生まれる。
幼少の頃から、黒が好きで、それが現在にまで至る。
画家と絵画、そして観る人の3つの関係によって成立するのが絵画芸術。

スーラージュは日本の漆技法に感心し、自身の絵画に取り入れる。画面のテクスチャーは光沢のある漆のを思わせる表情で、特別出品されているポンピドゥーセンターの≪絵画≫195x130cm・1956年は特に強い黒、そして光沢を放って存在感抜群だった。

ジャン=ポール・リオベル≪絵画≫1955年、リオベル自体の存在を初めて知った。

ピエール・アレシンスキーセルジュ・ポリアコフの面で構成された画面、ニコラ・ド・スタール等これまで見過ごしてきた作品達の魅力を再発見。

この海外からの流行が、日本に伝わるのも早かった。
堂本尚郎、今井俊満、ザオ・ウーキーーへと継承される。ザオ・ウーキーは、スーラージュと共にブリヂストン美術館を訪問したことがあるとのこと。
今回、ブリヂストン美術館が所蔵する全てのザオ・ウーキーが出ていたのではなかろうか。
この作家も好きなのだが、水彩、エッチングはあまり観たことがなかったので新鮮だった。彼もまたアンフォルメルの継承者だったとは。。。この流れで観ていくとごく自然に納得できる。

本当に良い展覧会でした。

「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」開催記念トーク 「映像作品《Trails》を語る」 東京オペラシティ

trails

「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」開催記念トーク「映像作品《Trails》を語る」6月23日20:00~21:45
出演:ホンマタカシ、阿部海太郎(音楽家)
http://www.operacity.jp/ag/topics/110615.php

6月26日(日)まで東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」の関連企画として6月15日に急遽上記イベントの案内が届いた。

同展を拝見した感想はアップ済だが、そこで書いたように私が一番印象に残りかつ興味深かったのは、展覧会最後の中平卓馬がショートホープにマッチで火を付けるまでを追った短編映像「Short Hope」だった。

ホンマタカシの写真はよく分からないが、彼の映像作品には興味がある。
このイベントでは、展覧会では上映されておらず写真やペインティングの展示がされている《Trails》の映像が上映されるとのこと。
これは観たい!
彼の映像において音が果たす役割は重要なキーとなる。その音を担当されているのが阿部海太郎(あべ・うみたろう)氏。
ということで、行って来た。

最初に上映されたのは2003年に横浜美術館で開催された「中平卓馬展」で上映されたホンマタカシ監修・撮影の『きわめてよいふうけい』のダイジェスト版。
(参考)『きわめてよいふうけい』→http://www.movienet.co.jp/movie/opus01/kiwameteyoifukei/index.html

全編は40分の映像だが、今回は15分程に再編集されていたが、それでも十分内容を知ることはできた。
冒頭は、中平氏の日記、これがみっちりびっちり何月何日何時何分単位でノートに書き付けられた画面から始まる。バックには、それを読み上げていると思われる中平氏の声が。しかし、何を言っているのかはよく分からない。ろれつが回っていないというのか、くぐもった声、呟きが聴こえるだけだが、却ってそれがリアルな現実を伝える。

次に場面展開し、2002年に沖縄で開催された東松照明展「沖縄マンダラ」関連シンポジウムの映像が流れる。
このシンポジウムの様子は、先日入手した『photographer's press no.2』の記事を読んでいたばかりだったので、参加者5名:中平卓馬、荒木経惟、東松照明、森山大道、港千尋らがどんな状況でシンポジウムを行っていたのか、紙面では伝わってこなかったものが、映像で分かった。
ここで、中平は活発に動く。最後はマイクを奪っている。
今年開催された名古屋市美の東松照明展のトークでは、一言も話さなかった中平の10年前の姿がそこにあった。

上映後、ホンマ氏は語る。
「この映像を観ていると、今撮影しておかねばならないという必要性を強く感じる。中平氏は現在ではほとんど離すことはない。しかし、10年前は話もしていたし、これだけ動いていた。この事実記録することの重要性。これこそ、ドキュメンタリーだ。」
写真や映像とメディウムの記録性をホンマ氏は重要視されている。
また、ホンマ氏が映像制作の際、重視しているのは「映像と音の拮抗」。
どちらが勝ってもいけないという。
映像と音のバランスに留意しつつ、その後の映像を観ることにした。

少し前にとある若手の映像作家さんから「映像は音楽に左右されやすいので、自分は敢えて音を排除し映像だけで見せたい」というお話を伺ってなるほどと思った。
更に音楽を使用して映像を作品化する際には、著作権についても留意せねばならない。

次に上映されたのは≪Short Hope≫の別バージョン2つ。
会場で最終的に上映されたものを含め、全部で3バージョンある。それらがすべて上映された。
音の使い方、映像の始まり方、間合いなど異なる3編。
どの作品も甲乙つけがたいが、最終どれを上映するかは、オペラシティの会場で決めたそうだ。
ホンマ氏は事前に事務所のメンバーにどれが一番良いかを尋ねたが、皆、それぞれ回答が違ったという。

この作品ではマッチを擦る音が非常に重要で、この音を採取するために阿部氏の苦労が語られる。
中平氏がいつ煙草を吸うか分からない、彼は撮影のために煙草を吸ってくれるような人物ではない。よって、彼が煙草を吸いたくなるのをじっと待つしかない。

阿部氏の映像に付ける音楽が他にも紹介されたが、これがとても良かった。
オルゴールのオリジナルというべき、紙に穴をあけたもの、このランダムに開いた穴の紙自体の造形性についても興味を惹かれる所ではあるが、それを手回しのオルゴールで音を鳴らすと、想像できないような美しいメロディが流れる。メロディだけでなく音質の良さも特筆すべき。
たまたま、今回の会場となった展示室は音の響きが非常に良かったことも幸いした。

最後の展示室で観た≪SHORT HOPE≫より、今回の展示室で観た作品の方が音の良さが際立っていた。

そして、ホンマ氏、阿部氏が知床で撮影、録音した《Video + Sound Elements for Trails》についてのお話を伺った後、最後に同作品が上映され、イベントは終了。
映像≪Trails≫は素晴らしかった。
冒頭シーンは知床の流氷。これは写真では出展されていない。
流氷シーンと暗転が繰り返される。そして、暗転した時、視覚は何もとらえていない、ただスクリーンの闇を見詰めているだけだが、その際に流れる音に聴覚は敏感に反応する。
人間の習性。
音によって、私たちは実際に視覚が捉えていない情景を脳裏に描いている。
つまり、音が視えないものを視せる、そこまで狙って制作されていたのだろうか。
流氷が流れる際、ぶつかる際の音なのか、創作された音楽ではない自然から採取した音源は何にも増して強かった。
映像→音→映像と繰り返される。

少し長い暗転の後、映像は流氷から真っ白な雪景色、そして白い雪に点々と落ちる血液と思しき赤い染み。
鹿狩りを追ったというから、恐らく鹿の血液だと思われるが、血液なのか、顔料なのか、そんなことはどうでもいいような気がする。
ここでも、白と赤のコントラストが眼前に広がり、雪山の枯れた樹木が原風景として呈示される。

BGMはピアノだろうか?
音楽と効果音の組み合わせが絶妙で、ぐいぐい映像に引きこまれていく。

ラストシーン、暗転の後、長く響く銃砲が流れて映像は終わった。
あの銃砲の先に、鹿は倒れたのだろうか。

「TWS-EMERGING 2011」156のびアニキ~159 TWS本郷

「TWS-EMERGING 2011」156のびアニキ~159 TWS本郷 6月4日~6月26日
TWS-Emerging 156 金子良/のびアニキ [のびアニキのザッツエンターテイメント!] / 157 Takiguchi [クリスタル] / 158 宮田智加子 [増殖ストーリー] / 159 鈴木紗也香 [another scenery -半透明の薄い膜と耳障りな沈黙達-]

http://www.tokyo-ws.org/archive/2011/04/tws-emerging-156157158159.shtml

毎年恒例「TWS-EMERGING」が始まった。
先週の日曜日までMOTにて開催されていた「トーキョーワンダーサイト(TWS)」の昨年の入選者から選抜された20名を各回4名ずつ、計5回で紹介する。

1回目の今回は冒頭に揚げた4名の展示。

●156 金子良/のびアニキ
このうち、既に知っていたのは金子良/のびアニキのみ。彼は、今年の「第14回岡本太郎現代芸術賞展」にも入選している。同展の展示も、観に行ったのだがこの日は、篠原有司男のボクシングペインティングのライブパフォーマンスがあったので、のびアニキのパフォーマンスは中止で、ご本人も、うっしーのパフォーマンスを嬉々としてご覧になっており、終了後着用されていたTシャツだったかにサインを貰い、これまた満面の笑みを浮かべておられた。・・・という一連の彼の様子を私は羨ましく眺めていたのだった。

さて、TWS本郷で漸く彼の作品に入り込み、端的に言えば、私はのびアニキさんに遊んでいただいた。
訪れたのは、平日の閉館30分前だっただろうか。
来館者は私一人だった。
1階の展示室は、2つの相対する壁面に玄関ドアに付いているドアホンが沢山設置されている。そして両壁面のドアホンは本来、室内と室外を結ぶものだが、ここでは1部屋に両方が設置され、これらを結ぶ配線が空間を交錯し蜘蛛の巣のようになっていた。

のびアニキさんがいつものスタイル、すなわち漫画『ドラえもん』のコスチュームを着用して会場にいらっしゃった。早速、お声がかかる「こんにちは!そこにあるインターホンをどれでもいいから押してみてください。」。

言われるまま、適当なドアホンをひとつ押してみる。
ピンポン、ピンポ~ン。耳慣れたドアホンの音が室内に響くと、のびアニキさんが素早く動く。
大量にある壁のドアホンのうち、鳴っているのがどれなのかを選別し、その受話器をがしっとつかみ、応答する。
「もしもし~」のびアニキさんの声。
ここから、2人の会話が始まる。
さえぎる物の何もない空間、両者の間はおよそ10メートルあるだろうか。にも関わらず、私たちはドアホン越しに会話をするという不思議。
しかし、相対して会話するより、ドアホン越しの方が話やすかった。
意地の悪い私は、のびアニキさんを困らせたくなった。
すぐに、話していたドアホンを置いて、別のドアホンを鳴らす、そして、また次のドアホンへ。
次々に鳴りだすドアホンに、のびアニキさんは必死に追いついて壁面を右往、左往。
身体張ってる・・・。

そこまで底意地が悪くない私は適当な所で大人に戻り、ドアホンを鳴らす間合いをあけ、十分お話を楽しんだ後、このパフォーマンスを終了した。
この作品は、のびアニキさん一人では成り立たない。必ず参加者が必要だ。そして、コミュニケーションを苦手とする人である程、この作品に参加すると普段感じる自分と他人を隔てる目に見えない壁が小さくなっているように感じるのではないか。
いつしか、私はのびアニキさんとお話しやすくなっていた。

ポートフォリオによれば、彼は小さい頃からひどい劣等感に悩んでいたようだ。
そんな彼が岩手県の高校生だった頃、深夜番組でアート番組がTVで放映されていて、そこで初めて「カッコいい!」と強い感動を覚えたそうで、自分もアーティストになりたい!と憧れたそうだ。
その番組では、ヤノベケンジさんらが紹介されていたそうで、彼はその後ヤノベさんのアシスタントを経験している。

のびアニキに扮してから、彼は生きていくのが楽になったという。
ポートフォリオでのびアニキさんが東京都内を歩いた時に周囲が発するtwitter上の呟きが集められた資料が興味深かった。普段見掛けないものを目にした人たちの驚きの言葉の数々。
「のび太を発見!新宿駅なう。」など・・・。彼の存在自体が作品となっている。

少しずつ彼を覆っていた劣等感から解放されている様子が浮かぶ。今回の作品では、小学生の来館もあるそうで、彼らは2時間も遊んで、そのうちのびアニキさんもお疲れになるので、後は小学生達同士で遊ばせるらしい。
確かに、子供たちにとって、いや大人であってもこの装置は遊べる。

帰り際、のびアニキさんのサイン入りブロマイド(生写真)を1葉いただいた。
しっかり、ポーズを取られたその写真は、今私の机上に置かれている。
館を出て帰り際、外壁にも1つドアホンがあることに気付いたので、ついついボタンを押してしまった。
すると、だだっとのびアニキさんが走り寄られ応対して下さった。御礼を申し上げて、お別れをした。

●157 Takiguchi 「クリスタル」
Takiguchiは、2人組のユニット。
今回は22点の2008年~2011年制作の平面作品が展示されている。
2人で1つの平面作品を作り上げる場合、その役割分担はどうなっているのか?
彼らの作品では、線と淡い色調が特徴。人物は鼻や口は描かれず、茫洋とした風情を湛える。どの作品も「茫洋」という言葉が似合う。
決して悪くはないが、強くも惹かれるものも私自身は感じなかった。
ただ、今後どうなっていくのかという関心は残る。

●158 宮田智加子
アップリケを使用したミクストメディア。
こういった作品を近頃多く見かける。彼女はアップリケを何枚も何枚も重ねてひとつのイメージを作り上げる。
完成されたそのイメージが何であるのかは分からないが、大きな抽象画もしくは水たまりが壁面にぶら下がったような感じ。

●159 鈴木紗也香 「another scenery-半透明の薄い膜と耳障りな沈黙達-」
DMに掲載された作品が、なぜか会場にはなく、他の作品が並んでいた。
ちょっと頑張り過ぎてしまったのではないか。彼女のコーナーは壁面自体も作家によって色が変更され作り込まれていたが、鑑賞側としてはフラットな空間で作品を拝見したかった。
あまりにも自己の世界に入り込み過ぎて、表装だけを細かく描き込む作品群。特に最近女性作家で、表現が良くないのは承知の上で書いてしまうと、いわゆる「少女趣味」的な作品を多く見かける。
DMの作品は、そうした装飾性や細かい描き込みが排除されていただけに、一番観たかった作品がなかったのは残念。

「椛田ちひろ-目をあけたまま閉じる」 アートフロントギャラリー

椛田ちひろ

「椛田ちひろ-目をあけたまま閉じる」 アートフロントギャラリー 6月17日~7月10日
http://artfrontgallery.com/exhibition/archive/2011_06/655.html

東京都現代美術館で開催された「MOTアニュアル2011」、馬喰町のギャラリーαMでの「成層圏Vol.1:椛田ちひろ『「私」のゆくえ』」と、今年に入って立て続けに、椛田ちひろの作品を拝見した。

MOTではボールペンでカーテンのような白布(素材はテトロン)にひたすら線の痕跡を付け塗りつぶさんとするようなインスタレーションを。ギャラリーαMでは樹脂やアルミを使用した極端に削ぎ落された平面作品を展開。また、一見コールタールかと見まごうような真っ黒な絵画もαMでは、唐突に見え、彼女の作品の方向性が私にはよく分からなかった。

あまりにも分からないと、感想もまとめられず、ただただ両会場で拝見した作品の大きな相違だけが、強く記憶に残った。そして、分からないものは追いかけたり知りたくなるのが常。

上記2つのグループ展、個展に続き、代官山のアートフロントギャラリーでの個展を観て来た。
そして、漸く私の中で彼女の作品が結びつけられた。
アートフロントギャラリーは、ギャラリーとしては広い展示スペースを持っている。

手前にあるガラス張りの展示室では、MOTで見せたカーテンのような布にボールペンドローイングを施した作品に姿見程の大きさの鏡を等間隔に配した≪星がうるさくて眠れない≫2011年がインスタレーションとして展示されている。
今回はMOTの時と違って、布がうねうねと迷路のように吊り下げられているため、鑑賞者はその中に入って、ドローイングに囲まれるという体験をすることが可能。
外から観た時と、内側に入り込んで作品を観た時とでは、感じ方が異なる。
鏡を置いた効果は、あまり感じられなかったが、空間としての拡張性を狙ったのだろうか。寧ろ、照明の方が気になった。ギャラリーの方のお話によれば、この展示室では照明が一番悩ましかったそうで、今現在もこれで良いのかと思っているとのことだった。
季節は6月、明日は夏至。
個人的には、照明に頼らず、自然光でこの作品を観たいと思った。雨の時、晴れた時、夕方から夜にかけてと昼まではこの作品は様々に表情を変えるように思う。

一方、メインスペースは奥の展示スペースへ入る通路を境界≪不確かな地点≫2011年として、空間構成を2分している。
≪不確かな地点≫は、昼間と夜、もしくは時間軸を仕切る役割を果たしており、鏡を支持体にアクリルで黒の線を走らせる。

特に素晴らしかったのは≪不確かな地点≫を越えた奥の展示スペースで、こちらは「闇」の世界を構築している。
入って正面にあるのは≪井戸の中の月≫2011年。ボウルの内側に墨を使用してペイント、中にはたっぷりと水がたたえられている。墨色が水に溶けだし、水自体が黒っぽくなっている。
そして周囲には油彩≪この星降る闇≫が大きさや支持体(カンバスとタイル)を変えて展示されているが、こちらも黒が主体で一部に流れ星のような白の痕跡が描かれる。
この白の痕跡は筆でなく、作家自身の手を使って描いているとのこと。

中でも≪15のメトリック≫2011年と題された、15枚の727×530mmサイズのペインティングは全体で一つの作品として観るべき作品ではないだろうか。縦に3列、横に5点の計15点で1枚の大きなカンバスのような連続性を感じた。

カウンターのある昼?をイメージした空間では、αMにも展示されていた鏡に熱した樹脂をドロッピングした偶発的な作品≪目をあけたまま閉じる≫2011年が2点。
こちらも、αMに展示されていた作品より、樹脂のかかり方の出来栄えが良く非常に美しかった。
制作に際して、樹脂がすぐに固まってしまうため、失敗作品も多いとのこと。身体の痕跡を残すという点は、奥のペインティングも樹脂作品もボールペンドローイングでも共通していることにやっと気付いた。

また、グレー、白などの色を重ねた油彩は、これまで観たことのない色合いとニュアンス、テクスチャーで、今後の展開が楽しみな作品であった。

立体作品は合計3点。
野球ボール大のアクリル球形にボールペンで線描を描きつくした≪シュバルツヴァルトマトリクス-スフィア≫2011年は、万華鏡のような楽しさがある。手袋をして手にとって見せていただいた所、光を透過して反対側の紋様が拡大し、透けて見える。
こちらも照明でなく、自然光のもとに置いたらどんな影を作るのか、幾通りもの楽しみ方ができそうな作品。
タイトルの≪シュバルツヴァルトマトリクス-スフィア≫は、ガルシア・マルケスの短編からの引用で、ここで作家は量子論を意識した制作を行っていることが分かる。本展ちらしに掲載されている作品はアクリル板を積み重ねているが、「重ね合わせ」行為が量子論のスーパーポジシオンを念頭に置いた作品であるとポートフォリオや本人のステートメントで分かってきた。

残る2点はカウンターの片隅にそっと置かれている。タイトルもまだない、できたての試作品。
漆とアクリルと樹脂で制作された直方体で、側面に恐らく爪でひっかいたような痕跡がある作品が1つ、もう一つは上面が噴火口を思わせるような凸凹がある作品。
こちらも、今後の展開を期待できるもので、非常に興味深かった。

描くべき対象とは視えないものと語る椛田は本展で、目を閉じた時にしか視えない世界を目をあけたまま視せたかったのかもしれない。

*以下の日程で作家が在廊されています。念のため、ギャラリーに問い合わせると確実です。
6月25日(土)、7月3日(日)、10日(日)14:00~

「ワシントン ナショナル・ギャラリー」 国立新美術館

ワシントン

「ワシントン ナショナル・ギャラリー」展 国立新美術館 6月8日~9月5日
展覧会公式サイト → http://www.ntv.co.jp/washington/index.html

ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵の約12万点のコレクションの中から、印象派とポスト印象派の作品全83点、うち日本初公開約50点を展観するもの。

展覧会は4部構成で、「3.紙の上の印象派」では版画および水彩、ドローイングなど27点が出展されている。したがって、全83店のうち、油彩は56点となる。

以下展示構成順に印象に残った作品。
1.印象派登場まで

・ギュスターブ・クールベ 「ルー川の洞窟」1864年
クールベ好きとしては、実に嬉しい1点だった。オルナの洞窟を描いた作品。深い奥行きと川の水面の静けさが伝わる。

・ウジェーヌ・ブーダン 「温不ルールの港の祭」1858年
華やかな各国の国旗が船の帆にはためく。もう1点「トゥーヴィル近郊の洗濯女」いずれもブーダンらしい作品。

・エドゥアール・マネ 「オペラ座の仮面舞踏会」1873年、「鉄道」1873年
マネは全部で5点出展されていたが、上記2点は素晴らしかった。特に後者の「鉄道」は鉄格子向こうに鉄道を眺める少女とその傍らに座る母、そして少女の横にはなぜか葡萄の房。
三菱一号館美術館のマネ展から、すっかりマネ作品が好きになってしまった。
「オペラ座の仮面舞踏会」は上下2分割で途中で人物をカットしてしまう構図。これゆえ、逆に広がりと鑑賞者に想像領域を与える。黒と白の中に上手く配される色づかいが上手い。

ここで、フレデリック・バジールの作品が3点出ていたが、生憎私はバジールを初めて本展で知った。29歳の若さで普仏戦争で戦死。「若い女性と牡丹」など人物画の方が良かった。

2.印象派
・カミーユ・ピサロ 「麦わら帽子をかぶる農家の少女」1881年
・エドガー・ドガ 「アイロンをかける女性」はピカソの「アイロンをかける女」を思い出させる。ピカソへのオマージュ作品なのだろうか。「生涯競馬-落馬した騎手」は、横浜美術館のドガ展にも出展されていなかったか。

同じくモネの「日傘の女性、モネ夫人と息子」1875年も何度か来日している。

・ベルト・モリゾ 「姉妹」1869年
・オーギュスト・ルノワール「踊り子」1874年
肖像写真のような1点。黒のリボン、ピンクのトゥシューズ、溶けるような背景。ルノワールらしい1点。「アンリオ夫人」もルノワールの特徴がよく出ている。

・メアリー・カサット「青いひじ掛け椅子の少女」1878年
本展でも目玉作品のひとつ。何と言っても青いひじ掛けいすの青が鮮烈なのと、椅子に座る少女のしどけない姿が何とも言えない。傍らのもう一つの椅子に丸くなる犬も愛らしい。今回出展されているカサット作品は3点あるが、いずれも子供をモデルにした作品。

3.紙の上の印象派
・エドガー・ドガ 「ディエ=モナン夫人」1879年
パステルで描かれていて、私から観ると人物の個性がよく出ていて良い絵だなと思うのだが、依頼したご本人のモナン夫人は不満だったようで、受け取り拒否をしたという。

・ルノワール 「画家の息子、クロード」1906年
赤と白のチョークだけで描かれているが、ルノワールの息子に注ぐまなざしが感じられる。

・メアリー・カサット 「浴女」「入浴」「果物狩り」など、これらのカラードライポイント作品はいずれも浮世絵など、日本の版画の影響が感じられるのだが私の勘違いか。鶯色と桜色の組み合わせなど色遣いも実に和的な組み合わせ。大正新版画を思い出した。

・セザンヌ「ゼラニウム」1888/1890年
水彩のゼラニウムは三角形のような構図を成していた。白く抜けている所は光の通る所だとか。

・ロートレック 「アンバサドゥールの粋な人々」1893年
ロートレックは最終章で「犬を抱く女性」1891年 厚紙に油彩だが、この2点は頗る良かった。ロートレックは好きな画家で、この2点は未見作。特に「犬を抱く女性」は良かった。

4.ポスト印象派以降
あっという間の最終章。
ここの目玉というか本展の最大の目玉はセザンヌの油彩6点だろう。
中でも、「赤いチョッキの少年」、初期作品の『レヴェヌマン』紙を読む画家の父」1866年、「水辺にて」1890年頃、「りんごと桃のある静物」1905年頃などなど。
「赤いチョッキの少年」など、今度いつ来日するやら、本当にこの作品は素晴らしい。背景のカーテンと少年の下半身にまとう布(ズボンではないような)の形態、色、赤いチョッキ、ブルーのネクタイ。。。
構成、色、少年のポーズ、表情、チョッキ、背景、見どころだらけ。

その横に未完成であるのか「水辺にて」の塗り残しの多い風景画は、抜けが多いせいか、緊張感から解き放たれたような、しかし描かれている部分の配色は絶妙でどこかほっとする。

・スーラ 「オンフルールの灯台」1886年「ノルマンディのポール=アン=ベッサンの海景」1888年
スーラも好きなのだけれど、今回来日した作品は、ちょっとインパクトに欠ける。

ゴッホの「自画像」はあまり好きになれないが、この作品はとにかくブルーが嫌というほど多用されている。顔は青ざめるというよりやや緑がかっており、背景は青が渦を巻いていて、陰鬱な気持ちを象徴しているかのようだった。

点数は少ないけれど、ワシントンまで行くことを思えば、やはり貴重な作品と出会えたのではないかと思う。
16時半過ぎから空いて来たが、開幕してまだ日も浅いというのに既に結構混雑しています。お早めに。

*本展は京都市美術館に巡回します。2011年9月13日(火)-11月27日(日)

「枝史織-自然、人、不自然-」 Gallery Suchi

枝史織

「枝史織-自然、人、不自然-」 Gallery Suchi 6月3日(金)―6月25日(土)
http://www.gallerysuchi.com/exhibition/

昨年、東京藝術大学大学院を卒業した枝史織の初個展。
プロフィールはこちら。ここには掲載されていないが、久米賞、安宅賞も受賞されている。

昨年のアートアワードトーキョー丸の内で初めて彼女の作品を観た。
入選作品の中で一番印象に残ったのが枝さんの作品だったので、投票は彼女に一票を投じた。

そして、今回初個展。
アートアワードトーキョー丸の内では、ガラスケース越しだったため、作品のテクスチャーがよく分からず、描かれているものの奇妙な大小のバランスと不穏な背景色に興味を覚えた。

今回は、アートアワードトーキョーでも出展されていた作品も含め大作4点と小品約15点を加えての展示構成。

制作の方法をご本人が在廊されていたので、直接伺うことができた。
最初にマケットを作ることから始める。
このマケットを組み立ててからでないと描けないと言う。
マケットと言っても、かなり大掛かりなものから、紙片を折り曲げたものまで、実に様々。
それでも裸婦達と戯れているのは、どれもマケットから描き起こしている点は共通している。

思わず、山田純嗣さんの石膏立体からの展開を思い出すが、彼女の場合は、そのマケットを忠実に平面に落とし込む。
言わば舞台装置になっている。
平面に描かれた舞台には、どの作品にも小さな裸婦が数名描かれており、マケットの中で自在な動きを見せていた。
人物だけは、彼女が想像して描き加えているのだが、舞台装置を活かして寝そべったり、プールで浮かんだり、様々なポーズを取る。非常に細かく繊細な線は筆で丁寧に描きこまれたもの。

人物に対して、舞台がかなり大きく、人間が卑小に見える。
それは、あたかも自然の前での人間の無力さを描いているかのように見える。

絵の中で作家は、自身が描く世界の創造主であるかのようだ。
下地に胡粉を使用しているため、アートアワードでは日本画かと思ったが、下地が胡粉であるだけで、他は油彩。
近づいて、テクスチャーをしっかりと確かめる。
胡粉の白がモノトーン調の背景に非常に効果的で、特に雲や空を大きく描いた作品が今回は多かったが、サイズは小さくとも空間への広がりを感じるのはこの胡粉の影響が大きいように思う。

支持体は和紙。
当初はキャンバスを使用していたそうだが、目が粗いので和紙に変更し以後、継続している。
この点も胡粉との相性の良さ、日本画と見間違えた理由だろう。

ポートフォリオを拝見したが、一貫して重い色調の作品を制作している。今後、どんな変化を見せるのか。
まずは、初めての個展で実作をじっくり拝見できたのは嬉しかった。

2011年6月19日 鑑賞記録

本日終了する展覧会で観ていないものがいくつかあったので、それを観てから国立新美術館の「ワシントン ナショナル・ギャラリー」展へ。大型展かつ印象派と来たら、会期末になると混雑必至、早目に行っておくことにした。

では、本日の鑑賞記録です。

1.「トーキョーワンダーウォール公募2011入選作品展」東京都現代美術館 本日終了
2011年は、平面作品86名、立体・インスタレーション作品6名入選。
このうち、12名の入賞作家の作品が1年間順次都庁の壁に展示され、別途、上記入選者の中から選考があり、「TWS-EMERGING」で展示の機会を与えられる。

1人1点だし、ポートフォリオもないので、1点だけで判断するのは危険だし厳しいけれど、特に気になった作家さんは次の通り(私がリストに☆を付けた皆さま)。
稲垣遊、間瀬朋成、遠山裕崇、岸雪絵、宮崎雄樹、木下令子
次に、気になった作家さん(私がリストに○を付けた皆さま)
有馬莉菜、安藤文也、杉田悠介、鈴木明日香、酒井龍一、森智弘、久保ひかる、佐々木かなえ、森糸沙樹、村上佳苗、江川純太、小林利充

さて、来年のTWS-EMERGINGが楽しみです。

2.「花鳥の美-珠玉の日本・東洋美術」 出光美術館 本日終了
Ⅰ.花鳥が出会う水辺
のっけから、明代の邉楚善「夏景聚禽図」が登場して眼福。さすが、出光美術館。良いものをお持ちです。
水紋の表現、雀達が戯れ遊ぶ姿がとても愛らしい。状態も良く堪能。

青銅銀象嵌柳水禽文浄瓶、朝鮮・高麗時代のものという。近頃、銅の浄瓶の姿に背中がすっと伸びるような感覚を得る。青磁象嵌蒲柳鷺唐子文浄瓶、こちらも同じく高麗時代のものだが、青磁象嵌の優品。
以下印象に残った作品。
・四季花鳥図屏風 伝雪舟等揚 室町時代 右隻 枯淡の風情が絶妙。これに限らず室町時代の屏風絵が一番好き。
・四季花鳥図屏風 山本梅逸 同じ四季花鳥図屏風でも江戸絵画になると全く様相が変わる。梅逸お得意の花鳥図。華麗でありつつ墨とアクセントに藍や赤の使い方が抜群にうまい。

・日月四季花鳥図屏風 室町時代
昨日拝見した三井記念の室町時代の屏風絵と合わせ、日月四季花鳥図屏風を拝む。これは過去にも数回観ていると思う。

Ⅱ.文様の美を競う
・金銅蓮唐草文透彫経箱 室町時代
文様の美を一番感じたのは、この仏具の経箱だった。華曼でもよくこういった文様は観られる。

Ⅲ.富貴花の展開
ここはほとんどが、陶芸作品。田能村竹田の1点の絵画「春園富貴図」が目を引く。

Ⅳ.幻想世界に迎えられた鳥たち
・鳳凰図 サントリー美術館で開催中の「鳳凰と獅子」に出陳しても良さそうな作品。どこか朝鮮絵画には素朴感が漂う。

・「理趣経種子曼荼羅」 勝覚
黄雲母で孔雀と瓜唐草文を描いた料紙装飾が非常に珍しくかつ美しかった。
・色絵鳳凰文共蓋壺 野々村仁清

Ⅴ.人々に愛された花鳥の主題
・谷文晁 「枯木山鳩図」
緑青の美しい山鳩がバランス良く配されている。

・吉野龍田図屏風 桃山時代
左隻に紅葉、右隻に満開の桜。豪華な屏風は桃山時代らしい。四季の花々を愛でる人々の心持が伝わる。

3.「表象とかたち-伊藤熹朔と昭和の舞台美術-」早稲田大学演劇博物館 本日終了
http://www.waseda.jp/enpaku/special/2011butai.html

伊藤熹朔(いとう・きさく)の存在は本展で初めて知る。以下、本展のチラシが素敵な出来栄えで手に取った時から行こうと決めていたのに、最終日になってしまった。
昭和を代表する舞台美術家伊藤熹朔(1899-1967)の舞台美術デッサンやメモ、舞台写真など豊富な資料で、彼の手がけた芝居や音楽劇などの舞台美術の成果を展観する。
伊藤が影響を受けた明治時代の美術思潮、伊藤熹朔の活躍の足跡、伊藤熹朔以後の時代の舞台美術の三部構成。

1967年に満67歳の生涯を閉じるまで、演劇、バレエ、ミュージカル、新派、歌舞伎、映画と幅広い分野で舞台美術家、美術監督として活躍。弟がかの新劇の巨匠:千田是也だから驚く。

舞台衣装デザインも素敵だったが、舞台美術デッサンの緻密さ、そして実際に演じられている様子が撮影されている写真との組み合わせ展示が非常に良かった。更に、ポスターデザインまで手掛けていたらしく、もう目から鱗がボロボロ落ちる。これまで舞台美術と言えば小村雪岱しか知らなかったが、伊藤と小村雪岱、田中良の3名が昭和の舞台美術に残した足跡は非常に大きい。

どれもこれも貴重な作品ばかりで、言葉にならずメモを取るのも忘れて熟視。
こんなに凄い内容で入場無料、しかオールカラーで80ページもある図録が、何と500円!即買い。
村山知義も関係する築地小劇場とか、舞台美術は興味深々。田中良についても、いずれ展覧会があるだろうか。
伊藤と田中、小村はみな、東京美術学校卒業、伊藤と田中2名の卒業制作の自画像が展示されていた。

これは今日のイチオシでした。行って良かった。

この後、ワシントンナショナル・ギャラリー展へ向かったが別記事。16時半頃から空いてくる。

4.白須純『エントランス・オブ・ザ・ワールド』eitoeiko 7月16日迄
http://eitoeiko.com/exhibition.html

大理石にエッチングを施すストーン・エッチング作品を展示。モチーフ別に、蝶類、鳥類、魚類、神話や仏、動物などに展示。色も赤、青、緑、金、銀、オレンジと様々。
5グラム50円だったかな、グラム単位で販売しているのが面白い。
一番小さい作品だと600円位だそう。気軽に購入できるアート作品。プレゼントにしても良さそう。
eitoeikoは初訪問。漸く、行けました。矢来能楽堂とあんなに近いとは!


5.宇田川愛 個展 人形町三日月座 7月3日迄 水曜定休 11時~23時(日曜は18時まで)

宇田川さんは、シルクに版画を施す美しい作品を紡ぎだす方。2009年のキドプレスでの個展以後、作品を発表されておらず、ご自身のサイトも閉鎖してしまわれたので、作家活動を辞めてしまわれたのかと心配していた。
過去ログ:http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-566.html

ところが、突然久々の個展の案内が届き、とっても嬉しくなって初日に行ったが、日曜は18時まで。
宇田川さんは日曜に在廊されるとのことだったが、既に帰られた後で残念。
この人形町三日月座はカフェスペースなのだが、既に閉店していて作品だけささっと拝見させていただいた。
久々に拝見する宇田川さんの世界観はやはり変わっておらず、特にブルーに銀を配した作品は非常に良かった。

来週もう1度行ってみようと思う。
彼女はとてもセンスのある作家さんなのに、制作を辞めてしまうのは余りにも惜しい。女性が作家活動を継続するのは色々とハードルがあるかもしれないけれど、マイペースで良いので、これからも美しくかつ繊細な作品を見せていただけたらと思っている。

2011年6月18日鑑賞記録

本日も曇天→小雨→曇天とど真ん中の梅雨模様。
そして、3日連続の頭痛に悩まされ連日投薬で凌ぎつつ、本日も適度に徘徊。
以下、簡単な鑑賞記録です。

1.特集陳列 「海外の日本美術品の修復」 東京藝術大学美術館 6月19日まで
http://www.tobunken.go.jp/info/info110607/info110607j.html
海外の美術館・博物館が所蔵する絵画4点と漆工品4点を所蔵機関に返却する前に一般公開。入場無料で、海外に出て行ってしまったお宝を拝めるのだから非常に貴重な機会。二度と再び見えることのない作品もあるだろう。
中で、気に入ったのは、
・四季花鳥図 狩野松栄筆 6曲1双 ブルックリン美術館(アメリカ)蔵
・源平合戦図 6曲1双 ベルン歴史博物館(スイス)蔵
・竹に雀図 6曲1双 荒木寛一筆 ベルン歴史博物館(スイス)蔵
特に「竹に雀図」は「源平合戦図」の裏に貼られていて、今回別作品として表具・表装を付け直し修復している。
狩野松栄の「四季花鳥図」も様々な草花が散りばめられ、修復したばかりなのでとても美しい。
・花鳥螺鈿枕 1基 ライデン国立民族学博物館(オランダ)蔵
枕に引き出しが付いているのに目が釘付け。しかも、螺鈿細工の美しいことと言ったら。枕が高すぎるのは気になるが、一夜を共にしたい。

2.「伝統・現代・発生」ドローイング展 東京藝術大学美術館陳列館 6月19日まで
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/current_exhibitions_ja.htm
東京藝大と中国中央美術学院の教員などによる伝統を現代表現として展開したドローイング約50点による展覧会。
目に留まったのは、臼井英之、松下徹、西山大基、廣川惠乙、大石雪野、原真一、大西博。そして、お目当ての興梠優護。今回の興梠さんの作品は、背景の下地と下の茶の組み合わせにメリハリあり。いつもの溶けていくような裸婦像が比較的しっかりと形態を留めている。この人はどんどん上手くなっていく。

3.「Beyond」SCAI THE BATH HOUSE 7月2日まで
http://www.scaithebathhouse.com/ja/exhibitions/2011/06/beyond/
中西夏之、名和晃平、イェッペ・ハイン、川上幸之介、ブライアン・アルフレッド、嵯峨篤によるグループ展。
名和晃平と、イェッペ・ハインはそれぞれ、MOTと金沢21世紀美術館で個展開催中。
中西夏之の1960年制作の作品と2000年の作品2点の対比が面白かった。40年経過しても、基本はぶれていない。
イェッペ・ハインのオブジェも良かった。やはり金沢には行こう。
名和さんのドローイングは、今回ピンと来なかった。

4.東博本館 総合文化展
月例講演会「関東大震災からの復興本館ものがたり-国産技術に裏付けられた建築デザイン」
・・・木下史青氏(東博デザイン室長)、加藤雅久氏(居住技術研究所)

総合文化展では、国宝室の「和歌体十種」の料紙装飾の美しさにやられる。他、1階の近代日本画、洋画のコーナーで岡田三郎助「傾く日影(雑草)」、中村彜「海辺の村(白壁の家)」、吉田博「精華」の普段あまり見かけない作品を拝見。日本画では速水御舟の「比叡山」の青に梅雨の鬱陶しさが吹き飛ぶよう。

月例講演会では、関東大震災から、現在の本館建物建築にまつわる数々の逸話や史実を画像や資料を交えて聴講。純国産の建築物だったとは!小屋組み鉄骨、柱は鉄筋コンクリート造。しかも外光を取り入れんとする照明への朝鮮。タイル、銅金具。設計は渡辺仁だが、コンペ2位以下の図面は見つかっているのに、なぜか1等の渡辺の図面だけが見つかっていないという怪。

5.三井記念美術館 館蔵品展 6月19日まで
展示室1では、茶道具の名品の数々。展示室2では長次郎の黒楽名椀 銘「俊寛」
展示室4では、「日月松鶴図屏風」室町時代(重文)をじっくりと。室町時代のやまと絵風屏風はやはり桃山時代の豪華絢爛金ぴか屏風より私の好み。
「源氏物語画帖」醍醐冬基も線の美しい華麗な源氏物語帖だった。
最後の展示室7では江戸末期~明治にかけての作品が。狩野栄信「四季山水図」が断然良かった。縦に観る遠近法描写。離れて見るとより雄大さが分かる。

6.「三井美幸展」6月25日迄、「窪愛美展」7月2日迄、「凝縮の美学 名車模型のモデラーたち 展」8月20日迄 INAXギャラリー
http://inax.lixil.co.jp/gallery/

一番良かったのは、「凝縮の美学 名車模型のモデラーたち 展」。
ブガッティに萌えた。ブガッティと言えば、かつて夢中になって読んだ『鋼鉄の騎士』著:藤田 宜永を思い出す。厚かった、暑かったあの冒険小説は、傑作。

7.松尾高弘 インタラクティブアート展 ポーラミュージアムアネックス 7月10日迄
http://www.pola.co.jp/m-annex/exhibition/

新作「White Rain」2011年、「Aquatic Colors」2009年は、いずれも体験型のインスタレーション作品。
「White Rain」は光だけでなく、音楽も楽しめる。自分の動きに従って光も移動し、音楽も変化する。
そして、「Aquatic Colors」は元ダイバーにとっては海中を思い出させるような、久々に海に沈んでいく感覚を思い出した。鑑賞者が曲面の壁に近寄ったり、触ったりするとそこにクラゲがどこからともなく映像として発生し近寄ってくる。深海にいるような、気持ちが落ち着く。

8.「showcaseshow」第2回 MEGUMI OGITA GALLERY SHOW CASE 6月25日迄
入選:: 高井和夫・冨塚大樹・中井伸治・沼田月光
http://showcaseshow.org/thisweek
個人的には、富塚大樹の作品が一番インパクトがあったと思う。ただ、1名1点のグループ賞では、各作家の個性を発揮させるのは難しい局面がある。個性を相殺しあってしまう危険性をはらんでいる。
できるだけ、ポートフォリオを提出して、他の作品や作品傾向を来場者に知って貰うことが重要だと思う。

1回目の矢野耕市郎さんの陶芸作品は良かった。http://showcaseshow.org/yano 映像学科のご出身で、徳島県の窯元を継承されている若き陶芸家。


9.北野謙「深海 ー世界があることへー」 日本橋高島屋美術画廊X 7月4日迄
「our face 」、「one day 」、「Flow And Fusion」3つのシリーズからセレクトして展示。「One Day」シリーズのラージサイズは日本初公開。
北野さんご本人のサイトで各シリーズの作品画像を観ることができます。このサイト良くできている(以下)。
http://www.ourface.com/japanese/

どのシリーズも良いのですが、どうも私にはぐっと来るものがありませんでした。なぜだろう。客観的には評価できるけれど、主観的判断での好みとは違う。


この後、茅場町のギャラリーSUCHIにて枝史織「-自然、人、不自然-」へ。
こちらは、別記事にします。

『絵と彫刻』加藤泉作品集出版記念展 ARATANIURANO

加藤泉

『絵と彫刻』加藤泉作品集出版記念展 ARATANIURANO 6月11日(土) - 7月16日(土)
http://www.arataniurano.com/pre/press025.pdf(プレスリリース:pdf)

加藤泉さんの作品は実のところ、最初ひどく苦手だった。
どこか不気味で、グロテスクな感じがどうにも受け入れがたかったが、昨年のARATANIURANOでの個展「SOUL UNION」くらいから徐々にちょっといいかも、と印象が変化して来た。

そして、迷った挙句に結局見逃してしまったが、同じく昨年開催された箱根彫刻の森美術館での個展「日々に問う」図録を観た時、やっぱり行けば良かった。。。と後悔がどっと押し寄せて来た。彫刻の森美術館にはまだ一度も行ったことがないのだが、図録で見る限り、空間と展示方法、そして加藤泉の作品がマッチしていて、そこに最初からあるような自然さが感じられた。

そして、今回の個展では、ドローイングとごくごく小品の木彫が主体となった内容になっている。

元々加藤泉はペインたーだったのに、ドローイング作品をこれまで観たことがなかったのか。記憶にあるのは大きな木彫作品ばかり。
ドローイングが、実に良かった。コラージュを使用したり、平面作品でありながらどこか立体を意識したような内容。
そして、木彫はいつもの大きな存在感ある作品はなく、三輪車のようなお遊び用の木彫が一番大きく、他はひざ下位の高さのものが数点。そして個人的にツボだったのは、ビーカーの上に乗っかった顔だけの木彫作品で、真ん中がくりぬかれているのか、花瓶のようにお花を挿して使用できる。
受付カウンター奥の事務スペースにある大きな本棚の上にちょこんと乗っかった、ビーカー+花瓶作品は、妙に愛らしく、小さい癖にやっぱり存在感がある。

加藤泉の創り出す像は、アフリカのプリミティブアートを思わせる。
目に石(玉石)を使用し始めた頃から、徐々にグロテスクな形が消えて来たように思う。
○○人形といったような、素朴な人形のような木彫。

木彫はウェイティングリストに並んでいる人から優先的に購入されるようで、ドローイングと合わせて8割弱は売れていた。
プライスリストを見ていて気になったのは、ドローイングに対して木彫のお値段がかなり安い。このプライスはなぜ、これ程乖離してしまったのか。
ギャッライ-の方曰く、元々ペインティングを主体とする画家だったので、絵画の方が高くなっているとのこと。
木彫作家のイメージを勝手に持っていたが、実はペインターだったとは。。。

小さい作品ばかりの個展も楽しめました。あの三輪車?乗ってみたかった。

なお、同展は恵比寿のNADiff a/p/a/r/tとの同時開催をしているので、お見逃しなく。
発売された作品集は手彩色のソフトビニール製彫刻作品(エディション付限定120個)の特装版もあり。
詳細はこちら。NADiff a/p/a/r/tでもARATANIURANOでも取り扱っています。

「シュテーデル美術館所蔵 フェルメール≪地理学者≫とオランダ・フランドル絵画展」 豊田市美術館

フェルメール


「シュテーデル美術館所蔵 フェルメール≪地理学者≫とオランダ・フランドル絵画展」 豊田市美術館 6月11日~8月28日
http://www.vermeer2011.com/index.html

豊田市制60周年記念の本展は、地元中京テレビの協賛で広報効果絶大なせいか、私が行ったのは開幕2日目にも関わらず大盛況。初日は記念講演会で1600人の入場者、2日目も開館以来の入場者レコードを更新したとか。。。

展覧会の見どころや主要作品の解説は上記公式サイトや以下の中京テレビの展覧会サイトにも詳しいので省略。
http://www.ctv.co.jp/event/vermeer/

この展覧会は、豊田市美に巡回する前3月3日~5月22日の期間、東京渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催され、本展は巡回先になっている。
Bunkamura で先に本展を観ていたが、震災の影響もあり東京で観た時の方が観客が少なくゆっくりと鑑賞できた。
そして、豊田市美とBunkamuraでは箱、展示空間がまったく異なる。
豊田市美は元々、近代現代美術のコレクションを中心にした設計と聞いているが、1階の展示室の天井はかなり高く、照明も比較的高い位置に設置されている。
そして、今回出展されている作品はサイズの小さなものが多い。大空間に小作品。そしてフラットな照明。
国立新美術館の開館記念の展覧会を思い出させるような照明による反射のため、作品の見えづらい個所がいくつもあった。手で照明をさえぎって反射を防ごうとしたけれど効果なし。

また、この時代の室内画は黒っぽい色調の作品が多いが、照明の影響でより黒く沈んで何が描いてあるのか相当近寄らないと見えなかったり。。。

展示に関しては、Bunkamuraの方が観やすかったし、落ち着いた雰囲気で良かった。ここは天井高が低いので、今回出展されているような作品の展示にはマッチした箱だと思う。

シュテーデル美術館はドイツ・フランクフルトにある美術館だが、今回90点が初来日ということだが、主要作家のほとんどの作品が出展されているのがすごい。

ニコラス・マース、オスタード、コルネリス・ド・ヘーム、フェルディナント・ボル、カスパール・ネッチェル、アールベルト・カイプ、ヘンドリク・ファン・フリートなどオランダやロンドンのナショナルギャラリーでオランダ絵画のコーナーに必ず出ているような作家の作品がほぼ出そろっている。

呼び物のフェルメール以外で、これはと思ったのはヤン・ステーン「岩を打つモーセ」1648~53年、フランス・ハルス「男の肖像」1638年、ヤン・ブリューゲル(子)「楽園でのエヴァの創造」1630年代頃、レンブラント「サウル王の前で竪琴を弾くダヴィデ王」1616年頃~40年代後半。

そして、中で一番見ごたえがあったのは、オランダ風景画と言えばこの人ロイスダール(ライスダールとも言ったり)の風景画が何と6点も来日していること!

東京でも豊田でも、ライスダールのこの6点はやっぱり何度観ても良かった。
特に「2羽の白鳥のいる森の湖」「海のある森の風景と接近する嵐」、「滝のあるノルウェーの風景」。

まさに教科書で観るようなオランダ・フランドル絵画の作品群である。

フェルメールの地理学者は、今回の来日で初めて観ることができた。
現在、京都市立美術館の「フェルメールからのラブレター展」において、「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」「手紙を書く女と召使」の一挙3作品が来日している。
本展の地理学者と合わせて4点が来日中ということになる。

上記3点中、未見なのはワシントン・ナショナルギャラリー所蔵「手紙を書く女」なので、今年は「地理学者」と合わせて2点も未見作が国内で拝見できるのはやっぱり嬉しい!
そして、≪地理学者≫は男性半身像を描いたわずか2点のうちの1点。
もう1点は、ルーブル美術館蔵の≪天文学者≫で、両者は対の作品と言われている。

≪地理学者≫では、地理学者の上着の色は青で、襟元は赤。明暗は、この作品以後簡略化されていると言われている。ゴブラン織りの緻密な描写や壁のデルフト焼きのタイルなど、当時の工芸品が画中に盛り込まれている。
地図や地球儀は大航海時代を迎えたオランダの当時の様子を象徴し、唯一の登場人物である地理学者はコンパスを手にする。

会場には絵画に描かれている1695年頃の地図Gファルク≪ファルク ヨーロッパ図≫神戸市立博物館蔵や≪ファルク地球儀≫、≪ファルク天球儀≫が一緒に展示されているので、実際のものと描かれているものを見比べたり、ディテールを確認しても楽しめる。

平日もお客さんがかなり来場しているようなので、できるだけ早目のお出かけをお薦めします。

そういえば、美術館裏手にフェルメールタクシーの待機所ができていたのには驚いた。
西三河地方は車がないと生活に不便なので、大半の方がマイカーで来館されているせいか、タクシーは暇そうでした。最寄りの豊田市駅まで歩いても15分かからないと思うので、なかなか使う方がいないのかも。

「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」 東京オペラシティアートギャラリー

ホンマタカシ

「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」 東京オペラシティアートギャラリー 4月9日~6月26日
http://www.operacity.jp/ag/exh129/


ホンマタカシの人気については、twitterやネット上、ワークショップ開催などで耳にしていた。初めて彼の作品を意識したのは、彼の写真集「trails」 マッチアンドカンパニー 2009年である。

この時、大森克巳の写真集「encounter」と「trails」どちらを購入するか迷って、結局前者を買った。ただ、悩んだだけのことはあり、ホンマタカシの名前は失念したのに、「trails」の雪景色に残された赤い痕跡の記憶だけは明確に残っていたので、本展のチラシを観た時、あの時の写真集!と思い出すことができた。

写真展を観るようになって、日が浅いため、80年代後半から活動を開始し、1999年、写真集『東京郊外 TOKYO SUBURBIA』(光琳社出版)で第24回木村伊兵衛写真賞を受賞しているというのに、名前を聴いたことがある程度というのは何とも情けない限り。

ホンマタカシは一貫して、雑誌や広告、写真集など「紙」媒体で作品を発表してきた。
であれば、私も気付いていないだけで、雑誌で彼が撮影した写真を目にすることもあっただろう。
そんなホンマタカシの、美術館での初個展。紙から、「空間」での自作の発表である。

展覧会はいつもと違った入口から始まる。
以下シリーズ単位での展示構成となっていた。
・Tokyo and My Daughter 1999~2010年 47点
・Widows 2009年 35点
・re-construction 2011年 本展のためにこれまで発表してきた写真を再撮影再編集した本を使ったインスタレーション
・M 2000年~2009年、2010年~2011年 37点
・Together:Wildlife Corridors in Los Angeles 2006年~2008年 15点 
・Trails 2010年~2011年 10点
・Short Hope(ポートレイトとして) 2011年 ヴィデオ・インスタレーション

さすがに、過去より紙媒体での発表を継続してきた写真家らしく「e-construction」のコーナーは面白い試みだった。そして、彼の写真を一番身近に、至近に感じられたのはこのコーナーだった。
真っ白な装丁の冊子はかなりの厚みで、図録かと最初思ったがそうではない。写真集のようでもある。何百冊もの冊子が段ボール箱に入ってうず高く積まれている。

パラパラとめくって、彼が撮影した過去の写真を眺めていると、アルバムを繰っているような気持ちになってくる。特段、惹かれる写真があるという訳ではなく、淡々と、例えていうなら車窓の風景が流れて行くような感じか。

Mシリーズは、写真を貼ったパネルを床置きして展示。大きさも版の形も様々。
上から見下ろす距離感が通常よりかなり長いが、自分がしゃがんでしまえば近くなる。

「Together: Wildlife Corridors in Los Angeles」では、映像作家マイク・ミルズとともに、ロサンゼルス近郊の野生動物の生態を調査するプロジェクトを2006年に開始し、実際にマウンテンライオンが通った場所で撮影されている。
ホンマタカシの写真の個性は一体どこにあるのだろう?と思いつつ観て行く。単に美しく風景を撮影する写真家ならいくらでもいる。ホンマタカシだからこの写真!というのがどれなのかが最後まで分からずじまいだった。

「Trails」では、大きく伸ばした写真も展示したうえで、四つ切?サイズの写真を隙間なくびっしり貼り合わせたものと並行して展示されている。同じシリーズのドローイングのような絵画も併置してあった。
この展示室は、もう少し照明に工夫が欲しかった。白い壁に白の雪景色を通常の照度で観ると、白の美しさが際立たない。
もう少し照明を落として、他の部屋とメリハリを付けて欲しかった。
いずれにせよ、ホンマタカシの写真は、もう少し枚数を観てみないと、何とも評価が難しい。

最後の展示室では、本展で一番印象に残った映像作品「Short Hope」が上映されている。
敬愛する写真家・中平卓馬がタバコに火をつける様子をとらえた短い映像が反復される。中平へのオマージュだが、シュッとマッチをする音がして、暗闇から徐々に明るさを増し、人物(中平卓馬)の顔がクローズアップされる。
人生の酸いも甘いも踏み越えてきた男の顔がそこにある。その表情を切り取る精度は素晴らしいと思った。

映像作品はいいなと思った矢先、急遽緊急開催でホンマタカシとゲストに阿部海太郎(音楽家)との
ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー関連トーク「映像作品《Trails》を語る」開催。6/23(木)20:00 - 21:45 出演:ホンマタカシ、阿部海太郎(音楽家)@東京オペラシティ アートギャラリー 事前申込制 定員120名
詳細と申し込み(インターネットで可能)は、以下に記載記載の通り。

http://www.operacity.jp/ag/topics/110615.php

「松井紫朗-亀がアキレスに言ったこと 新しい世界の測定法」 豊田市美術館

松井

「松井紫朗-亀がアキレスに言ったこと 新しい世界の測定法」 豊田市美術館 6月11日(土) ~ 8月28日(日)
http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2011/temporary/matsui.html

松井紫朗と言えば、昨年のあいちトリエンナーレの愛知県美術館会場で、外からも中からもつながる巨大なバルーン作品を思い出さずにはいられない。というか、恥ずかしながら私はその作品で初めて松井の名を知った。
あいトリのバルーン作品は、会期始まってすぐであれば、中に入ることもそれ程難しくなかったのに、タイミングを逃し、結局中には入れずじまいで終わってしまった。

そんなこともあり、松井紫朗のことをそれ以上知ろうとはしなかった。

今回、豊田市美術館で松井の企画展が開催されると知った時も、ピンと来なかった私。しかし、行ってみたら、これがとても面白くて最近拝見した現代美術展の中では一番ストレートにツボにはまった。

面白いと思ったら、調べようというのは必然。
松井紫朗は、1960年、奈良県生まれで、1986年に京都市芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了し、「関西ニューウェーブ」の担い手として注目され、現在は同大学美術学部准教授をされている。

展示室1(2階の最も天井高の高い展示室)で、あいトリで見せたものよりは小規模だが水色のバルーンを使用したインスタレーションが登場。やっと、私も中に入ることができた。靴を脱いで中に入り、作品保存のためもあり一度に入場できる人数が制限されている。青色の世界、素材はポリエチレンシート?を進んでいくと、行き止まりの手前に結界となる置き石が1つ置かれていた。

中から出た後、再び靴を履いて、いつもは使わない(というかそんなドア存在していただろうか?)ドアが出口脇にあり、今度はそのドアから中に入って、外側からバルーンを眺める。
3階へ向かうための階段を上がって、上からもバルーンの形を俯瞰できる。
そして、次の展示室に向かうため、またドアがある!
このドアが作品の重要な鍵を握っていた。バルーンが浮いて膨らんでいるのは、気圧を利用しているとのこと。あいトリの作品では巨大扇風機で風を起こして膨らませていたそうなので、より物理的な仕組みを使って作品を成立させているのが、本展での大きなポイントになっている。
ドアを閉めていることによって、一定の気圧を維持するため、開けたらすぐにドアを閉めなければならない。

3階展示室では、旧作品が並ぶ。
最初の展示室では鉄パイプを使用した作品が展示されている。
一番驚くのはラッパ状の作品で、ヘルメットのように上からラッパの口が、ちょうど鑑賞者の頭上にくるように設置されており、ラッパに向かって、「お~い」など声をあげると、遠くパイプでつながった次の展示室にあるラッパから、声が聴こえてくる仕組み。タイトルの確認を失念したが、1994年にドイツで展示された≪Voice Scope≫(本展チラシ中面に掲載)の縮小版かな。
残念ながら、声を出している本人だけ、自分の声を次の展示室で聴くことは叶わない。

ガラス張りの展示室3は、緩やかな外光が入る展示室。ここでは、80年代の初期作品が並ぶ。
一番初期の作品は木彫だが、他の作品は異素材を組み合わせたもので、どれも非常に大きい。現実にあるものをクローズアップしたような作品、例えば熊の爪やタオル掛けみたいなものもあれば、≪Hanasakazizi≫のような土と真鍮を組み合わせ、ねじれた円環に土鈴のような球形をいくつもぶら下げた作品もある。

ちょうど、展示室3に入る頃、11時から開始されたボランティアガイドによるギャラリーツアーに追いついたので、参加させていただくことにした。お仲間は30代と思しきご夫婦だった。
「展示室3にある彫刻作品の中で一番好きな作品と、その理由、そして名前を付けるなら?」とガイドさんに質問される。
豊田市美のボランティアガイドツアーは基本的に対話型形式なので、解説型とは違う。日本では人前で感想や思ったことを話すのを苦手とする人が多いが、楽しいので是非一度参加されることをお薦めする。ただ、ガイドさんによって巧拙あることは否定できないが、今回担当して下さった方は非常に慣れていらっしゃった。

皆さんの感想を伺いつつ私も好きな作品について語る。
この時、初めてガイドさんから松井紫朗が、京芸出身で中原浩大と同世代の作家であることを知った。
京芸と東京藝大彫刻科出身の作家の方向性の違いが、かねてから気になっている私としては、松井が京芸彫刻出身と分かり、やはり…と思う。
ちなみに若手では、東京藝大彫刻出身が小谷元彦、京芸彫刻出身が名和晃平である。両者の対談を過去に拝聴したが、真逆の方向性に驚いた。そして、両大学の卒展に行くと、その差はもっと歴然と見えて来る。

さて、展示室3を抜けて、展示室4に入る手前で、再び、2階のバルーン彫刻を上から眺めることができる。青を目に焼き付けて、振り返ると展示室全体が黄色っぽく見える。
これも作家の意図したこと、人間の視覚と補色効果で黄色っぽく見せるしかけ。この手法で思い出すのはジェームス・タレルだろう。

展示室4では90年代から2000年にかけて制作されたカラフルなシリコン・ラバーを使用した造形作品とともに、水を使用した作品が登場する。
ガラス管を真空にして、水槽に浮かせて見せる作品や、松井の出生地である奈良ゆかりのお水とり儀式をイメージした水を使った彫刻作品が1点。
ここに来て、徐々に松井の手法が、物理的視点に立って構築されていることに気付く。
お水とりの作品では、見方によっては地球規模で地下水が土壌へとわき出て来るようなイメージが浮かんだ。

そうなると、シリコン・ラバーの作品で見せていた穴の行方も気になる。あの穴は一体どこへ繋がって行くのか?

最後の展示室では、その方向性が更に進み、国際宇宙ステーション「きぼう」で実施された最新パイロットミッション「手に取る宇宙~Massage in a bottle~」を公開。
宇宙からガラス管を運び、そのガラス管に宇宙の大気?を入れて持ち帰る計画を実施。ガラス管は残念ながら輸送中に口の部分が欠けてしまった。その欠けたガラス管が水の中に入ったもう一回り大きなガラスの中で斜めに身を寄せる。

後半からは松井紫朗と野村仁とに共通性を感じた。野村もまた、宇宙的な視野に立った作品を制作している。しかし、ガイドの方によれば、松井が実際に大学時代に指導を仰いでいたのは小清水漸だとのこと。
小清水の作品が、頭に浮かばなかったので、ここではその名前だけしっかり記憶に留めた。

展示室を出て、2階に降りる階段スペース脇に、今回一番お気に入りの金魚を使った作品≪Aqua-Lung Mountain≫が展示されている。
水槽に大きな金魚が5~6匹いて、中央に雪だるまのようなガラスの器が置かれている。
観ているうちに、水槽を泳いでいた金魚が、するっとガラス容器の中に入り込み、ダンスを踊るかのごとく華麗に舞い、少しずつ上に上昇していくではないか。
この予測不可能な作品は、観ていてとても楽しいこの作品は、無重力という状態を視覚化して呈示している。
ご一緒したご夫婦のご主人曰く「自宅に欲しい」とまで言わしめた作品。こんな水槽で金魚を飼育と思わず、本筋から離れた発想をしてしまう。

無重力、気圧、比重、宇宙、真空・・・。

全体を通して観た時、80年代の作品から現在のバルーンに至った過程にとても興味を持った。
今回、展示はなかったが、大きな川に水が落下する「滝」を出現させるプロジェクト「Hole in the river」も行っている。この映像が、今は閉郎してしまった名古屋の白土舎(ギャラリー)のサイトにYou Tubeの画像がアップされている。以下。
http://www.youtube.com/watch?v=qpIT0TW-uBQ&feature=player_embedded

ツアー終了後、彼の師であった小清水漸の図録を図書室でチェックしてみた。
初期作品の異素材による組み合わせは小清水の影響を受け継いでいるように思った。そして、水の使用も、小清水が試みていることからその影響を否定できない。ただし、小清水作品には工芸的要素があるが、松井の作品は工芸要素より、物理学的視点や試みを強く感じるのが相違している。

旧作から最新作まで、展観することで、近代から現代へ至る彫刻史を考える良いきっかけとなった。

ところで、本展タイトル「亀がアキレスに言ったこと 新しい世界の測定法」について考えてみた。
「アキレスと亀」はエレア派の哲学者ゼノンのパラドックスとしてつとに有名で、かの北野武はこのパラドックスを使って「アキレスと亀」と題した映画を制作している。
*「アキレスと亀」のパラドックスについてはこちら
そして、『アキレスが亀にいったこと』はルイス・キャロルがゼノンのパラドックスを引用したルイス・キャロルが書いた対話篇の短編。詳細はこちら。⇒ http://page.freett.com/rionag/carroll/achilles.html

俊足で知られるアキレスだが、亀にアドバンテージを与え、先にスタートさせるが、なぜか両者の距離は縮まらないという。
どこまで行っても終わりが見えない、追いつけない。
この深遠なるタイトルの意味をふまえて、本展を鑑賞するのも楽しいと思う。

「西山裕希子展  室内模様」 STANDING PINEーcube

室内模様


「西山裕希子 室内模様」 STANDING PINE-cube 6月12日~7月3日 火・水休廊(6/20休廊)
http://jp.standingpine.jp/current/index.htm

西山裕希子の名古屋で初個展となる「室内模様」に行って来た。
本日がオープニングで、名古屋のギャラリーのオープニングパーティーに初めて参加したが、東京では観たことないお料理の数々(しかも美味)で驚く。
作家さんご本人もいらっしゃったので、直接お話を伺うことができた。

西山さんは、1978年生まれ、2003年に京芸大学院美術研究科染織専攻を修了し、現在同大大学院美術研究科博士課程(後期)油画領域在籍中。

私が、彼女の作品を初めて観たのは、東京のMEGUMI OGITA GALLERYのSHOWCASEだった。
DMを観た時から例によって、これは行かねばと思い出かけたが、線の美しさは印象に残ったものの、点数が少なかったせいもあり、それ以上のことを語ることはできなかった。

西山さんは、日本の伝統的な染織技法である「ろうけつ染め」を使用し、染料によりろうによって僅かに残された細い溝(線)を染料によって細筆で埋めていく平面作品を制作されている。
*ろうけつ染めについてはこちら
その一方、今回もSHOWCASEでも見せていた鏡と写真を組み合わせた作品や、映像作品(未見)も手がけているとのこと。

次に先月開催されたアートフェア京都にて、今回個展が開催されているSTANDING PINE-cubeとMEGUMI OGITA GALLERYの両ギャラリーで作品が展示されており、両ブースである程度の作品数を拝見することができた。

さて、今回の個展では7点のろうけつ染めによる平面作品と写真と鏡を組み合わせた作品。そして冒頭にドローイング集(スケッチブック)が展示されている。

一番好きなのは、「飾結」(染料、蝋による防染、綿布、パネル)横が約183センチの大作。(上記ギャラリーサイトでご覧いただけます。)

女性らしいポーズとして、まず思い浮かぶのはどんなポーズだろうか?
作品制作にあたって、「物語性」、作家のステートメントでは「ナラティブ(narrative)」という言葉が使われているが、絵画の中で、現実の女性像と物語や歴史の中での女性像を結びつけ、イメージ化、再構成化したものを表現したいのではないかと私は解釈した。

そうであるとすれば、「飾結」は、うなじを見せて髪をかきあげる女性とその髪にぶら下がる神社や祭事で使用される「結び」の模様との関連性も見えてくる。
彼女の作品では、髪をモチーフとして扱っている作品が多い。「飾結」では、これまで髪だけで終わっていた部分が、更に延長し、ヒモ「結び」の図柄と繋がれていて、その繋がり方が不思議なことに違和感を感じさせない。

ヒモの「結び」部分では、紅、濃紺の色の染料の特有の色と滲みとグラデーションが大変美しい。

ろうけつ染めが、こんな風に現代絵画に溶け込む様子を観ていると、日本の伝統技法の可能性はまだまだ未知数なのではないかと思える。更に、かなり作品から離れた場所で引いて作品を眺めていると白布の向うに、かつて染織作業をになっていた女性達のイメージが浮かんでくる。古代的なモチーフとの組み合わせで、時間軸を超えて女性像の姿をイメージさせることにこの作品は成功しているように思える。

「髪」と「神」という同音意義語を意識しての組み合わせであるならば、読み解きの面白味は更に増すのだが、実際はどうなのだろう。


今回初めて、西山さんご本人にお会いし、描かれている女性が、ご自身に似ていることに気付く。
直接お伺いしたところ、やはりご自身がモデルであることも多いとのこと。
西山さんは絵に描かれているような長い黒髪の美しい女性なので、さもありなんと納得した。

「Portrait Royal Blue」も好きな作品で、これも自画像らしき女性が、濃紺の線で描かれた作品。白布に細い濃紺線が映える。

個人的には、白布ベースの作品が好み。白地に染料による手彩色は色の美しさや線の美しさが際立つ。余白の白が、潔いくらい大きく抜けているのも良い。単色の線描より、「飾結」のように紺と赤を組み合わせたような作品の場合は、線の色に深みが出ていて、線を彩る色を辿るのが楽しい。

一方、VOCA展に出されていたような、プリント地の方は、鑑賞者の視線が、プリントの方に行きがちなので、せっかくの美しい線描が相殺されてしまっているように感じた。2010年VOCA展に入選されていたのに、記憶が残っていなかったのは、そのせいかと思う。

プリントという点では、応接コーナーに置かれていた「ガラス」ガラスコップの写真を一部に転写+ろうけつ+線描の作品の方が、線と馴染んで共存できていた。このシリーズは今後に期待したい。

ろうけつ染めの作品とは異質な鏡の作品についても触れておく必要がある。
鏡のごく一部を削り、写真をはさんだ作品「支度」は、作家にとって、観る、観られるの関係を考えた時に生まれた作品だという。写真の存在は、傷痕のようでもあり、鏡の奥を覗きこむ自分と逆に鏡の中の写真から観られているような相対する関係性が作品鑑賞する際に生まれる。
すなわち、鑑賞者が鏡を覗きこむこと(鑑賞者の存在)により、初めて作品として成立するのかもしれない。
女性はお化粧をしたり、鏡を覗くことが多く、女性像の一部を作品化した点において、平面作品との共通項を見出す。

私自身は、彼女の描く女性の腕の太さや足の指、手の指、背中の肩胛骨部分に取り分ける何とも言えない清楚な色香を感じて、それが彼女の作品に惹かれる理由になっている。

冒頭に置かれていたドローイング集を最後にじっくりと拝見した。思っていた以上にドローイングの線がか細い。
興味をひいたのは、ドローイングに描かれた様々な女性のポーズである。
髪にまつわるポーズがある一方で、女性が緊張感から解放されて放心したようなしどけない仕草の作品が何点かあった。出かける前の支度や髪を結ぶ行為は、女性にとって緊張感を強いられる行為だと私は思うが、その一方で、緊張感から解放され素のまま、弛緩した姿にとても共感が持てた。

凡庸だがひとつのストーリーが浮かぶ。
好きな男性との外出前に、美しく見せよう見せたいとする女性像と、彼との外出が終わり、緊張から解放されてくたっとした女性像。どちらも真の女性の姿に違いない。

今後どんな変化をされるのか楽しみな作家さんである。

注:昨日アップ時点で時間がなかったため、日本語として甚だ不完全な文章となっていたことをお詫び申し上げます。6月13日に大幅に加筆修正しましたので、ご了承ください。

「戦争と日本近代美術展」 板橋区立美術館

板橋

「戦争と日本近代美術展」 板橋区立美術館 5月14日~6月19日 入場無料

太平洋戦争前後の日本近代美術を館蔵品で見せる展覧会。戦争を主題にした作品(いわゆる戦争画)は思ったより少なかった。
展覧会の構成と印象に残った作品など。

<地平線のある絵画>
知らない作家が殆どの中、唯一知っていたのが昨年練馬区美術館で回顧展が開催された大沢昌助。出展作品は「岩と花」1940年。岩が人面のようになっている。
他に気になったのは、難波香久三(架空像)、「蒋介石よ何処へ行く」1939年や「地方行政官A氏の像」1938年など、その時の社会情勢を風刺した作品に時代を読むことができる。
浜田浜雄「サマリアの女」1937年は宗教絵画のようだった。

シュルレアリスムに影響を受けたと思われる作品が何点かあったのが印象深い。

<描かれたアジア>
ここでは、1939年~1944年まで主として戦前戦中のアジアを描いた作品を集めている。
何と言っても、柳瀬正夢の作品を一度に6点見られたのは嬉しかった。
柳瀬正夢は「日本漫画史」という本を読んでからずっと気になっていて、彼は画家でもあり漫画も描いていたが、共産主義者で、治安維持法により検挙され、拷問を受け、結局1945年空襲で亡くなるが、実に惜しい人材。
今回は水彩と油彩が出展されていた。

清水登之「長城」は清水らしからぬ作風で、誰のものか最初は分からなかった。

山本日子士良「一機還らず」1941年は戦争に題材をとった作品。出征したまま戻らぬ味方機の帰りを待つ兵士の姿を描く。

<戦時下の表現 新人画会>
新人画会が登場する。
現在愛知県美で開催中の麻生三郎をはじめ、鶴岡政男、寺田政明、松本竣介など。
松本の「鉄橋近く」1943年、「りんご」1944年では、戦争の影響はほとんど感じられない。彼は敢えて戦争を避けようとしていたのか。しかし、神奈川近美所蔵の「立てる像」では、空襲で丸焼けになった跡地を背景に、しっかりと大地を踏みしめ、生きる意志を示した青年像を観た時、あの時期さすがに、戦争を避けずにはいられない心境になったのだろうか。

<戦後問題と戦後の戦争表現>
戦後の戦争表現を描いた作品で構成される。

池田龍雄、石井茂雄、中村宏の作品を観ていると、映画「ANPO」を思い出さずにはいられない。
今回印象に残ったのは、古沢岩美のエッチング作品だった。シリーズ「修羅餓鬼」は壮絶である。
古沢にとって、戦争体験はあまりに強烈で、そのまま残虐性を表現している。

山下菊二、桂川寛、井上長三郎・・・とここはかなり見ごたえがあった。

映画「ブラック・スワン」 TOHOシネマズ日劇

今年のアカデミー主演女優賞を獲得したナタリー・ポートマン主演の映画「ブラック・スワン」をTOHOシネマズ日劇に観に行った。

せっかくなので、大スクリーンで観たかったのだが、水曜レディースデイだったこともあり、上映30分前に行ったが既に前の方の列しか座席が開いていなかった。恐らく、上映時間にはほぼ満席だったと思う。

この映画、ナタリーポートマンがバレリーナの役を体当たりで熱演し、バレエシーンもかなり自身がこなしたという。
あらすじは公式サイト、wikipediaでは詳細なストーリーが記載されていますので、ご参照ください。

以下、ネタばれになります。あしからず。

とにかく怖い映画だった。主人公の精神が崩壊していく過程で、主役に感情移入するとこちらまで追い詰められてしまう。

この映画で気になったのは、母親と娘の関係。
「白鳥の湖」は悪魔の呪いにかけられたオデットが白鳥に姿を変えられてしまうというお話だが、映画において、悪魔の呪い=母親の呪縛なのではないかという思いが離れなかった。母親の呪縛は、母と娘の間で生じやすい。だから、男性にとって、この女性同士だから起こりえる関係というのは想像しにくいかもしれない。

ナタリー・ポートマン演じる主人公のニナは、幼少期より無意識のうちに背中を爪で掻く癖がある。
そして、彼女は母親と二人暮らし。母親も元バレリーナだが、ニナを妊娠したため、バレエの道を捨て、現在は絵を描いて暮らしている。
母は、娘を溺愛し、自身がなしえなかった夢を娘に託す。娘は母の思いを知り、その夢をかなえようと努力する。既にこの時、囚われの身となっていることに気付かない。
映画中の母親の台詞「あなたを妊娠したから諦めたのよ。」は親が子供に対して言ってはならない禁句だと思うが、世の親は「あなたのために・・・」「あなたのためを思って・・・」を娘に繰り返す。
ニナは、母親の言いつけを守る優等生だったのだろう。いつも、どこか不安げで繊細な様子をしている。
彼女は母親の夢を自分の夢としていたのか、もしくは、群舞の踊り手だった母を乗り越えんとしたのか、とにかくベテランプリマの引退を契機に新しい主役の座を狙う。

紆余曲折はありながら、思わぬ主役の座が転がり込むが、そこからが自我の解放と狂気の始まりとなる。

主役を射止めて最初に電話した相手はやはり母親。
そして、虎視眈眈と主役を狙う野性的なライバルのリリーの存在が、常に彼女を脅かす。

上品でかよわい白鳥は演じられるが、魔性のブラック・スワン(黒鳥)を思うように踊れないニナは苦しむ。
引退したベテランプリマ・ベス(ウィノナ・ライダー)からの中傷、彼女の事故、リリーの甘い罠。
そして、官能に目覚め始めるあたりから、これまで抑制されてきたニナの自我が解放を始めると同時に狂気の世界へと進む。

親離れする時には、精神的な嵐が吹き荒れる。
心理学用語でいう「疾風怒涛の時代」が、ニナに遅れてやってきたとしか見えない。

リリーの誘いに乗って、ニナは服従し続けて来た母親に反抗し、抵抗する。
しかし、同時に幻覚や幻聴が出始めていることに彼女自身が気付かない。
自分自身に病識がない段階で、精神を病み始めていることになるのだが、彼女は主役の座を諦めず、母親の「あなたには無理。役に殺される。」という言葉に耳を傾けず、舞台に立つ。

自分との戦いに敗れたニナが手に入れたのは、望み通り完璧な踊りだった。完璧な踊り=王子の愛への置き換え。
憧れのプリマだったベスに対して「あなたは完璧だった。」と伝えるニナ。これに対して事故後のベスは「完璧なんかじゃない。私の中身は空っぽ」という言葉が印象深い。

ニナは、最後に狂気から覚めたのか、いや最後まで狂気と役に取り付かれていたのか。
母親の呪縛を自ら解き放ったが、白鳥の湖のオデット同様に、悪魔の呪いが解けた暁に待ち受けていたのは・・・。

バレエ界の主役を巡る争い、孤独なプリマドンナ、それだけではなく、この映画では母親と娘の関係について注目すると、また違った見方ができると思う。

「アウトレンジ2011」 文房堂ギャラリー

アウトレンジ

「アウトレンジ2011」 文房堂ギャラリー(神保町) 6月8日~6月21日 10時~18時半 会期中無休
http://www.bumpodo.co.jp/gallery/2011/2011_outrange.html

「アウトレンジ2011」、2004年から始まり今年で5回目の開催となる。ギャラリーの方によれば年を追うごとにレベルが高くなっているとか。
アウトレンジは学校対抗の展覧会で、美術大学の教員である作家の推薦によって選ばれた学生と教職員による展覧会。

選抜された学生は大学別に次の通り。(  )内の推薦者である教員の方も出展している。
・松村かおり  愛知県立芸術大学(井出創太郎先生) ・八重樫ゆい 東京造形大学(西島直紀先生)
・深谷昂弘   東京造形大学 (末永史尚先生)   ・宇吹新   武蔵野美術大学(島伸彦先生)
・宮下さゆり  武蔵野美術大学(島伸彦先生)

行くまでは、どんな感じかなぁと思っていたが、各作家さん個性的で見ごたえのある内容でした。

入って正面に八重樫ゆいさんの「Manyual」が。シリーズなのか、小品が一見ランダムに見えるが、面で構成された油彩画の小品が壁を覆っている。一体、全部で何点あったのだろう。20点以上あったかもしれない。
私が一巡している間に、1点売れて行った。

次に、末永史尚さんの「17Rothko(Seagram)」。
川村記念美術館(現在は名称変更でDIC川村記念美術館)でのロスコー展に出展されていたシーグラム絵画の連作を1画面に落とし込み。
末永さんの作品に、ロスコー壁画がおさまると、記号化されてしまう印象を受ける。もしくは、1枚の絵画がパズルのひとつのピースのような。
名古屋で拝見した個展で観た時と、グループ展の中での1点で観た時とでは、他の方の作品と交わる時、より個性が発揮され作品の楽しみ方が見えて来た。
個人的には、もう1点、私の好きな建物のマケット作品も拝見したかった。

入口に戻って、西島直紀さんの作品。白のトーンで制作された抽象作品。造形大の方のペインティングは八重樫さん、西島さんと共通する所がある。

もう一人の造形大からの参加者、宇部新のインスタレーション「New Face」は楽しい。
階段を上がったり降りたりすると、、、いろんなことが起こります。これで何回か遊ばせていただきました。最近この手の機械インスタレーション作品をよく目にしますが、今後いかに個性を出していくかが課題でしょうか。彼の作品は電気を使用するため、作品脇に、「この展示で使用した電気代を日本赤十字に寄付します。」と書かれていた。更に、プライスリストに(作家生存中保証付)と敢えて謳っているのも良心的。

島伸彦さん(教員)は、愛知県立芸術大学ともご縁の深い作家さん。今回は「anthem」という立体まで登場していて、そのモチーフが平面に送り込まれていました。

愛知県芸の版画領域の教員をされている井出創太郎さんの版画作品が、凝っていた。緑青刷りって、過去に観たことがあっただろうか。浅間山をモチーフにした<系譜の山-浅間>では、鈴木春信の浮世絵でよく使用されるエンボスが取り入れられている。黒の線は、鉛粉を使っているのか。技法では、活版エンボスに鉛粉とある。
版画技法は実に多様で、いずれも興味深い作品だった。

深谷昂弘さんの油彩は、疾走感を表現していると言って良いのか。通り過ぎる風景、ぼんやりとした光、普段何気なく観ている光景の中で、より強調したいものを引きだして作品に転換している。

そして、松村かおりさん。愛知県芸の版画科在籍中とのことですが、版画作品ではなくインクを使った絵画。
彼女の作品には惹かれるものがあった。技法が何か分からなかったが、紙にインク。
あのカラフルな流れるような線の集積はインクだったか。
染織、織物のようにも見える。

もう一人、宮下さゆりさんの鉛筆画。これはぐっと来ました。最初観た時は、水墨画かと思ったけれど、キャプションを見ると、紙に鉛筆とある。
鉛筆画とは思えないような黒の諧調の中で白だけが鮮明に浮かび上がる。しかも構図がとても良かった。

最後に、OJUNさんの作品がないなぁと思ったら、EVのある出入口真上に、木炭・パステルのドローイング「空と皿」を発見。1点だけですが、これがまた良いのです。

このギャラリーは空間も広く、居心地が良いので、会期末までに再訪したい。

「成層圏 vol.2 増山士郎」 ギャラリーαM

増山士郎
The Heart Rocker 2011 ベルファスト、北アイルランド

「成層圏 vol.2 増山士郎」 ギャラリーαM 5月21日(土)~6月25日(土)12時~17時 日月祝休
http://www.musabi.ac.jp/gallery/2011-2.html

2011年度の新シリーズ「成層圏」の第2弾は、鈴木勝雄キュレーションによる増山士郎の個展。
増山士郎については、今回初めて知った。1971年生まれ、現在ベルリンから北アイルランドのベルファスト在住の作家。作家本人のサイト → http://shiromasuyama.net/index.html

今回は、映像を使用したインスタレーションを1点と、別の映像作品1点を紹介いている。

まず、映像作品≪crossing the border≫2010年。
オランダ・アムステルダムのスキポール空港を舞台に、増山自身が輪ゴムを空港内から入出国ゲートから更にセキュリティーフロアに入る隙間に輪ゴムを飛ばす行為を映像化した作品。
私も海外旅行をする時、常々思うが空港は実に不思議な空間だと思う。
空港のある国に属しているようで属していない。国と国との窓口で、入出国ゲートを抜けるとそこは、もうどこの国にも属さない空間になる。
あのボーダーレスな空間が私は好きだったりする。

≪crossing the border≫は、このボーダーレスな空間に、輪ゴムを侵入させる(輪ゴムを飛ばして中に入れる)というイタズラめいた行為を増山自身が行っている。
この行為によって、輪ゴムは越えてはならないセキュリティをやすやすと誰のチェックにもかからず乗り越えた。
ここに空港という厳しいボーダーがあるようでない、目に見えない境界を私たちは意識するのだ。

もうひとつの新作映像インスタレーション「The Heart Rocker」では、現在在住している北アイルランドのベルファストを舞台に、日本人のマイノリティを日々経験させられ、そこで生まれる感情や日常の日々、そして、ベルファストという常に死や紛争の危険と隣り合わせになっている街の様子や緊迫感を疑似体験する試みが行われていた。

目の前に広がっていたのは、街のミニチュア模型。看板や建物の壁画まで忠実に再現されている。一見すると、ゲーム盤のようでもあるが、精巧に作られたその模型に感嘆する。
小さいため、壁に双眼鏡が3つほどかけられていて、鑑賞者は双眼鏡を使用して、ミニチュアの街を探る。
ベルファストは宗教間、領土問題のため、常に紛争が絶えず、街のあちこちに地雷が埋め込まれているという。パトロールが地雷を探すのと同じような行為を知らず知らずの上に、鑑賞者である私も体験していた。
模型の脇の壁2面には映像がふたつ。
ひとつは、ベルファストの街の風景や人々がスライドのように展開していくもの。
そして、もうひとつが「The Heart Rocker」そのもので、本来は、「Heart」でなく「Hurt」が正しい。日本人は「Heart」と「Hurt」の発音の聞きわけが難しいため、それを揶揄するようなタイトルを敢えて付けている。

彼が住んでいる自宅らしき庭には、日々、犬の糞がいやがらせのように残されていて、それに怒った増山が、垂れ幕(犬の糞を置くな・・・というような意味)を庭の塀に貼ったり、最後には、爆弾駆除班の紛争をして、犬の糞を除去する行為までが映像化されている。

国境を越え、世界の中の日本人というマイノリティと日本人であることのアイデンティティを強く考えさせられる作品で、これが双眼鏡を覗くという行為によって、更に疑似行為として身体にここで考えたこと感じたことが強く刻み込まれた感じがあった。

ベルファスト程ではないが、1人で海外に出かける私は、国外に出るとどうしても日本人である自分を意識させられるが、この作品では、更にそれを強くそして、ベルファストという紛争の絶えない街や国家というものを改めて呈示してくれた。

非常に興味深く、また強く印象に残る内容だった。

なお、同ギャラリーで5月21日に開催された増山士郎×鈴木勝雄のトークの様子は、ユーストリームで観ることができます。ギャラリーブログに掲載されています。→ http://www.musabi.ac.jp/gallery/2011/05/post-68.html

「画家たちの二十歳の原点」 平塚市美術館

原点


「画家たちの二十歳の原点」 平塚市美術館 4月16日~6月12日
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/2011201.htm

油彩画(一部創作版画)に焦点をしぼり、明治、大正、昭和そして現代までの画家たちの54人の二十歳前後の作品と彼らの言葉によって、その創作の原点を探る。

<出品作家>
黒田清輝、熊谷守一、青木繁、坂本繁二郎、萬鐡五郎、中村彜、安井曾太郎、梅原龍三郎、高島野十郎、岸田劉生恩地孝四郎、藤森静雄、田中恭吉、牧島如鳩、木村荘八、中川一政、河野通勢、林倭衛、村山槐多、佐伯祐三、関根正二、柳瀬正夢、尾形亀之助、猪熊弦一郎、三岸好太郎、海老原喜之助、長谷川潾二郎、吉原治良、三岸節子、靉光 筧忠治、 桜井浜江、佐藤哲三、藤牧義夫、松本竣介、オノサト・トシノブ、桂ゆき、加藤太郎、野見山暁治 鴨居玲  草間彌生、靉嘔、池田満寿夫、横尾忠則、神田日勝、難波田史男、高畑正、森村泰昌、大竹伸明、O JUN、野村昭嘉、会田誠、山口晃、石田徹也 以上54名


創作の原点まで鑑賞しただけでは行きつかなかったが、明治~現代に生きる画家たちの20代の作品ばかりを集めた非常に貴重な機会。
名前を知っている作家が殆どなのだが、彼らの20代前後の作品は回顧展はともかく、普段はなかなか観ることのできない作品が多かった。実際、未見作品が結構あったのも嬉しく、こんな絵を描いていたのかという驚きと喜びが錯綜したために、展覧会で彼らの創作の原点を探求するには至らなかったという言い訳。。。

展覧会構成は確か4部構成だったと記憶しているが、メモを取らずに観ていたので、確かなことは言えないが、時代ごとに構成され、近代日本洋画史を踏まえ、当時の時代背景や美術運動などに触れながら構成されていた。
平塚市美の場合、作品リストは作家別→制作年代順になっているが、展示順序とは一致していない。

ただ、全体的な印象として、54名もの作家の20代前後の作品を集めて何か見えて来たものがあったかと言えば、私にはそれが感じられなかった。
好きな作家の若描きの作品を興味深く拝見することは確かに楽しかったが、残るものがなかった。

時代背景も、個々人の性格も、育ってきた環境も異なる作家の20代の作品に共通するものなどあるのだろうか?
あるとすれば、各作家の表現における格闘、情熱、描かずにはおられない憑かれたような情熱、焦燥あるいは思うにまかせぬいらだちか。
ただ、画面だけを観ていてもそれらの感情を感じ取ることはできない。絵とともに添えられた画家たちの言葉からの想像にすぎない。

いわゆる夭折の画家と言われる早逝した天才画家、例えば、関根正二、村山塊多、青木繁、難破田史男らの作品は20代前後で既に頂点に達している。なぜなら、その後に彼らの作品は描かれることがなかったから。
早熟の天才たちは、早々と画業の頂に登りつめたかに、はたからは見えるが、本人達にとっては頂点でも何でもなく、生きて来た証をただただ描き残していたに過ぎないのだろう。

やはり、20歳前後の作品というのは、1人の作家の全人生の通過点の初期、もしくはスタートとして鑑賞したい。
その後、彼らの作品がどう変化したのか、または、前述の夭折の画家たちのように、早くもそこで画業は潰えてしまったのか。そうした全画業を観ていく中で、作家の背負ってきたもの、背負わざるを得なかったものが見えて来る。

時代順に並んでいたため、画家たちの横もしくは縦のつながりが僅かだが感じられたのは良かった。特に、気になったのは、河野通勢の存在である。岸田劉生率いる草土社のメンバーだった河野は、牧島如鳩(河野の葬儀は神田駿河台のニコライ大聖堂で行われ弔電朗読をしたのが牧島だった)はともかく、関根正二は16歳の時、河野と出会い、彼に傾倒し、その作品や河野からデューラー、ダヴィンチの画集等を見せ、多大な影響を与えたという。
2008年に平塚市美術館にも巡回した「河野通勢展」図録に詳しい。

関根正二は、松本竣介、岸田劉生と並んで私の好きな画家の一人だが、関根が当初日本画科の伊東深水の門下にいたとは知らなかった。河野通勢と出会う前のことである。

本展の一番の収穫は、関根正二の「死を思う日」1915年、「姉弟」1918年(いずれも福島県立美術館所蔵、寄託)、「子供」1918年(個人蔵)を観ることができたことだろう。同じく松本竣介「少女」1930年、「赤い建物」1936年、「少年像」1936年(すべて岩手県立美術館蔵)も未見作で、しかも既に松本竣介の個性が出ている作品群だった。
こうした20代前後の作品の多くは、画家の出生地にある美術館が所蔵していることが多い。同様に、柳瀬正夢の「自画像」「運河」「川と橋」1920年頃の3点は、彼の生地である愛媛県美術館の所蔵である。

難波田史男もまた、好きな画家だが、彼は船から転落死したが、今回添えられた画家の言葉は「海で死ぬことへの憧憬」であったのは、否がおうにもその死因が事故であったのかどうかと考えさせられる。目の前の作品「自己とのたたかいの日々」シリーズ2点は、そんな彼の自我との戦いを絵画で表現していて、この事実とタイトルを前にして、迂闊に美しいだのクレーっぽいだのとは言えなくなった。

現代の作家たちに目を向ける。
興味深かったのは、森村泰昌の「漁村風景」2点1971年頃とO JUNの岸田劉生と関根正二の作風を真似て自身の自画像を描いた2点。
いずれも、現在の2人の作品からは到底想像できない作品だった。


本展は、以下の美術館に巡回しますが、各美術館によって展示作品が若干異なります。

下関市立美術館(2011年6月18日~7月31日)、碧南市藤井達吉現代美術館(2011年8月9日~9月19日)、足利市立美術館(2011年9月25日~11月13日)

「駒井哲郎1920-1976-こころの造形物語-」 町田市立国際版画美術館

駒井哲郎


「駒井哲郎1920-1976-こころの造形物語-」 町田市立国際版画美術館 6月12日まで
http://hanga-museum.jp/exhibition/index/2011-5

駒井哲郎(1920-1976)は、私の最も好きな銅版画家の一人。
彼の作品に魅了されたのは、名古屋ボストン美術館での展覧会だった。現在も館長でいらっしゃる馬場駿吉氏は、元耳鼻咽喉科医でもあり、俳人でもある。その馬場氏が駒井の版画を購入し知遇を得、その後ご自身の処女句集「断面」(1964年)の装丁を依頼。革張りの限定50部には銅版画が埋め込まれた。
その馬場館長のコレクション約50点をもとに「駒井哲郎版画展」が名古屋ボストン美術館で開催されたのは2008年のことだった。

あれから3年。
今回は、資生堂名誉会長の福原義春氏が蒐集した約500点!という大コレクション(世田谷美術館寄託)によって、全作品総入れ替えのⅡ部構成で駒井の初期から晩年までの創造の軌跡をたどります。

この展覧会は来年、世田谷美術館に巡回するが私は町田市立国際版画美術館で観たかった。本展の巡回はここが最初なので、他の巡回先ではどうなるのか分からないが、版画専門の美術館だけあって、福原コレクションだけではなく同館所蔵の版画作品も特別出展が多数されていて、同じ版画でも刷り違いを何点も観られるのがとても良かった。この特別出展は1点2点でなく、相当数出ていたのでボリューム満点。

展示室も広くゆったり観ることができるのもポイント。また常設展示では、「西洋版画の世界―駒井哲郎の視点」と題して駒井が影響を受けた西洋版画家の作品(除くブレスダンとルドン→その前の常設で展示されたため)を合わせて展示している。これまた、版画専門だけあって、実に良い作品が揃っていた。

展示構成は次の通り。
【第Ⅰ部】1~4 章を中心に構成
第1章 銅版画への道(1935-1948 頃)
第 2 章 夢の開花(1948-1953)
第 3 章 夢の瓦解そして再生(1954-1958)
第 4 章 充実する制作:詩画集「からんどりえ」まで(1959-1960)

【第Ⅱ部 5~8 章を中心に構成
第 5 章 新たな表現を求めて(1961-1966)
第 6 章 充実の刻(1967-1970)、
第 7 章 未だ見果てぬ夢、色彩の開花(1971-1973)
第 8 章 白と黒の心象風景と乱舞する色彩(1974-1976)

500点もの作品を第1部第2部と2回にわたり観たが、個々の作品について触れるにはあまりに量が多すぎるためやめ、全体を通しての感想に留める。

版画と詩というのは、セットのように調和をなす。
なぜ、詩と合わせるのは水彩やパステル画、ドローイングでなく版画なのか。
ここに、それに対する答えになるかのような駒井の言葉があった。
「版画には、時間的、音楽的要素がある。版画制作は、一種の独善的な孤独な遊戯」だと彼は言っている。

時間的・音楽的要素、殊に後者については詩作と共通するものがある。

私が駒井哲郎の版画が好きな理由が、今回分かった。
彼が影響を受けている西洋版画家や画家がほぼ全て私の好きな版画家と画家に共通しているのだった。
初期の黒白エッチングでは、メリヨンの影響が強い。15歳の作品「滞舟」「河岸」いずれも1935年作は、15歳とは思えぬ出来栄え。「丸の内風景」1938年は既にメリヨン風で丸の内が外国のように見える。

その後も生涯、カラーを使用しないエッチャーとしての版画制作からは離れないが、1964年以後、ルドンのような色彩に憧れ多色のモノタイプにパステル粉を使用した作品や、手彩色の作品を制作し始める。
駒井がカラーの作品を制作している時は実に楽しそうだったという。
カラー作品への取り組みを開始した背景には1963年の交通事故画あると思われる。両下肢を骨折し、1年間の療養を余儀なくされた時、彼は何を思っただろう。
運良く、命拾いしたことに感謝しつつ、生ある今、やりたいことをやらねばという焦燥にかられたのではあるまいか。
駒井の多色版画は、ルドンの影響が強い花束のものが実に美しい、更に技法を凝らして、古地図に版を刷るというコラージュのような作品まで登場する。
その一方、同じく彼が好きだったクレーのような作品≪時間の玩具≫1970年など赤いハートや黄色の渦巻など、モチーフが浮遊する作品もあり、様々な海外の作家からの影響を受けているのがよく分かる。
他に、当時流行したアンフォルメルを取り入れんとしたか、ジョアン・ミロのような作品も登場する。

モノクロの銅版画といえど、駒井が使った技法は実に多様だ。
エッチングは言うまでもなく、ソフトグラント・エッチング、ドライポイント、晩年の作品では浮世絵に観られるようなエンボスも使用。
その多才な技から繰り出される版画の黒の諧調や線は実に美しく、そして詩韻のようなリズムを画面から醸し出していた。
どういう訳か、観ているだけで心打たれる作品の数々。
そこには孤独な一人の版画家の精神が端々に表出されていたのだと思う。

舌ガンが発見され、いよいよ死を意識した時、彼の最後の作品が≪帽子とビン≫1975年の銅版画だったことに深い感慨を覚えた。
愛用の帽子は、作品の傍に一緒に展示されている。
デッサンの時にいつもかぶっていたのか、頭頂部の部分に汚れがあるけれど、愛着を持っていたであろうことは見れば分かる。その帽子と瓶の取り合わせ。
これ程、静謐な画面はあろうか。

療養中に舌ガン治療のため顎の骨を削っても制作は続いていた。自身の横顔をもとに制作したと思われる≪岩礁≫1975年、そして、色彩へのあこがれもやまず≪Fruits≫1975年(多色、手彩色パステル)と果物を記号化したような黒をベースにした作品も手掛けた。
駒井は、もう少し長く生きていたのなら、憧れていたルドンのように油彩やパステル画を始めたに違いない。
数点だが、版画でなくグアッシュや鉛筆で描いたドローイングも展示されていたが、それはそれとして味わいがあった。この先をもっともっと観たい版画家であり、56歳の早すぎる死が惜しまれる。

駒井の人生を駆けた制作活動を追う素晴らしい内容でした。

下記の通り本展は巡回します。
山口県立萩美術館・浦上記念館 2011年7月5日(火)~8月7日(日)
伊丹市立美術館 2011年10月 29 日(土)~12月18日(日)
郡山市立美術館        2012年1月5 日(木)~2月12日(日)
新潟市美術館   2012年2月18日(土)~4月15日(日)
世田谷美術館   2012年4月28日(土)~7月1日(日)

「アーティスト・ファイル2011-現代の作家たち」 国立新美術館

artistfile2011

「アーティスト・ファイル2011-現代の作家たち」 国立新美術館 6月6日(月)まで
特設サイト → http://www3.nact.jp/af2011/

毎年恒例のアーティストファイル。
今年は、以下8組のアーティストを紹介している(ABC順)。
クリスティン・ベイカー、バードヘッド、タラ・ドノヴァン、岩熊力也、鬼頭健吾、松江泰治、ビョルン・メルフス、中井川由季

一番、印象に残ったのは・・・う~んこれが難しい。
特に好みのアーティストはいなかったというのが正直な感想。すごく感動したというのもない。

鬼頭健吾さんはかねてより注目していて、海外留学されてから作風が一段と変化を見せている。一昨年だったかギャラリーαMでの展示を更にシンプルかつダイナミックにした布をつなぎあわせて、扇風機で浮かせて見せるインスタレーション。

中井川由季さんの作品は、最初石彫に見えたけれど実は違って陶芸作品だった。彼女の作品が一番好みだった。陶芸も石も同じ大地から培われたものを材にしている。その熱ようのなものを作品から感じた。

タラ・ドノヴァンは、ストローを使った巨大インスタレーション≪霞≫2003年と金属化ポリエステルフィルムを使った作品。日常のものを使用して巨大なオブジェを作り上げる。増殖し肥大化するような感じ。

ビョルン・メルフスは2つの作品を展示していたが、≪マーフィ≫2008/2011年のチカチカするような閃光のはさすがに生理的に閉口したが、もうひとつの≪夜番/ナイトウォッチ≫2011年のインスタレーション+映像は面白かった。こちらだけにした方が良かったんじゃないか。
この作家の映像作品は、他にもう少し観てみたかった。当初は上映会も予定されていたようなので残念。

岩熊力也、クリスティン・ベイカー、バードヘッド、それぞれ個性ある平面作品だったが、流してしまいました。

最後、松江泰治さん。
馬喰町のギャラリー、TARO NASUさんでの個展を踏襲するような作品が多かったので新鮮味はなかった。写真集『セル(cell)』のシリーズ作品の展示方法は面白かった。観客も上から見下ろすような展示で俯瞰する感覚が体験できる。
松江さんは、元々理学部地理学科で航空写真を撮っていた方。
近年は、今回発表されたような動画の映像(静止画のようだが、実は微妙に動いているのが面白い)にも取り組んでいる。

会場を出たショップで松江さんの写真集「in between 7松江泰治 イギリス、スロバキア」が販売されていたので入手。既にNadiffではプレミア価格が付いている。今回は定価だったので、迷わず買っておいた。『in between』シリーズを少しずつ集めているのだが、全部揃えるのは厳しそう。

2011年6月4日 鑑賞記録

久しぶりの好天に恵まれたものの、始動は遅く11時頃より本日の鑑賞開始。行った順。

1.秋吉風人 榎本耕一 TARO NASU 6月18日迄
秋吉風人のペインティングはより抽象化され、全面単一色で塗られたものが数点。榎本耕一の映像作品はなかなか面白かった。手前にあったペインティングは、映像作品と関連していたのか。

ギャラリーαMの増山士郎展は、別記事に。

2.フォイル・ギャラリー「NAZE?」6月21日迄
ゴミかアートかをテーマに、ストリート系アートな内容。奥のグラフィティ絵画は気になった。

3.「掌10」ラディウム・レントゲンヴェルケ 6月28日
内海聖史さんの「惜色」は、十方視野を回転させて見せるという新展開。回すとまた違った風景が呈示される。田安規子・政子の小品やあるがせいじさんの手のひらサイズの作品が愛らしかった。

4.「Group Show IV」CASHI°6月25日迄
興梠優護さんの旧作4点をじっくりと。「soul wax」の爆発時の閃光と他の溶けるような描画について考える。セクシャルなモチーフを取り上げるのはなぜなのか。
助田徹臣さんの絵画と見まごうような人物の表情のクローズアップ写真も忘れ難い。またも、写真と絵画の境界について思い出した。

5.「奇想の自然-レンブラント以前の北方版画」 国立西洋美術館 版画素描展示室 6月12日迄
版画作品そのものについては、惹かれる作品はなかったが、「恋人たち(抱擁)」の左上端に登場する馬の寓意について関心を持つ。当時の西洋もしくは北方ヨーロッパでは馬は性欲の象徴だったとのこと。仏教美術での天馬の意味の違い、オリエントでの馬の意味合いとの違いは興味深い。

6.金村修「White Rabbit Opium Dream」 Broiler Space 6月4日で終了
金村氏ご本人のステートメントは意味不明だったが、写真展示を観た後では、おぼろげながら言わんとすることが分かったような。東京を中心として盛り場のネオンサインや街の風景をモノクロで撮影。
日本ってこんなに電線が多かったっけと思うほど、電線が目だった。金村さんの写真の街を撮る角度、焦点の当て方、息が詰まるくらい濃厚で密な展示だった。この展示は、本日一番心に強く残った。
ヒートアップした頭を休めるのにしばし休憩。

ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリーは別記事。同時に開催されている「李禹煥と韓国の作家たち」は良かった。昨年行ったleeum museumでも韓国の作家の現代美術作品を沢山観たけれど、強い精神性を感じる作品が多かった。
クサナギシンペイの作品は初見。う~ん、私の好みではないなということで省略。

7.渡辺英司新作展 Kenji Taki Gallery 東京 7月16日迄
渡辺英司と言えば、図鑑から切り取った蝶のインスタレーションでお馴染みだが、今回はペインティングに立体に写真とこれまでの作品とは異なる手法で作品を展開。現在に至るまでの軌跡を過去作品で見せつつ、新作の布を使った作品などを合わせて展示。とても、興味深い内容で、渡辺英司ファンは必見だと思う。国旗を使ったインスタレーション、布の新作、そして「石の目」と題された石彫や鉱石を使った作品が気に入った。

8.野村佐紀子写真展「野村佐紀子 4」「Requiem」photographers' gallery&Kula photogallery 6月17日迄
モノクロ中心の作品。私小説を写真というメディウムを使用し文字なしで見る感じを受けた。モチーフはバラバラだが、一貫して感じるのはセクシャルさ。ご本人が在廊されていたこと+笹岡啓子さんもいらっしゃって、暫くお話をする。レクイエムの方は既に他界してしまった男性モデルのスナップ写真が中心。彼が亡くなったという事実を知らなければ、あの写真は見え方が違ってくるだろう。
プリントされたベッドシーツが販売されていたけれど、まさしく体感的なエロティシズムを経験できそうなグッズだった。

9.「皮膚と地図Ⅱ」 新宿眼科画廊 6月8日まで
利部志穂 / 白木麻子 / 村上郁 / DIG&BURY / TOLTAによるグループ展。
やっぱり、利部志穂の作品が一番面白い。今回は映像とインスタレーション。ごちゃっとしてないで、シンプルに仕上げているのが好感を持てた。村上郁の電球を付けたり消したりする作品「伝達の軌跡」(?)も面白い。ただ、「皮膚と地図」というテーマについての関連性を作品と結び付けるのは難しい。

10.照屋勇賢・グオ イーチェン「OKINAWA / TAIWAN」Maki Fine Arts 6月18日迄
照屋勇賢の作品は、いつものブランド紙袋を使用したペーパーワーク。紙は木から生まれ、木に帰る。3点はちょっとさびしい。奥のスペースに紅型を使った平面作品もあるので、お見逃しなく。
グオ・イーチェンは映像作品で、恐らく人種差別をテーマにした作品。

福岡から熊本への美術館の日帰り旅行

たまには、旅の写真でも。
あまりにも写真撮影が下手なので、到底公開できるような代物ではなく普段はアップしませんが、今回はJR九州の列車や熊本城に惚れたので。

最初に行ったのは久しぶりの九州国立博物館。今年は秋の企画展も楽しみ。

九博

大宰府からは西鉄に乗って、JR九州の鹿児島本線に乗車。近未来的な車両に驚く。若干、鉄子の血が騒ぎ思わずシャッターを押す。

鹿児島本線

車両の中

熊本城は私の予想を遥かに超えた壮大さで驚きました。しかも、芝生や緑豊富な公園の広いこと。皆さんのんびりと五月晴れの1日を公園で過ごしていたのが印象的。

熊本城

熊本城公園から

公園内にある熊本県美。レンガの外壁仕上げに注目。敷地に溶け込む建築。

熊本県美5

熊本県美2


熊本県美から熊本市現代美術館まで歩いて行けるよ!と教えられたのは良かったが、案の定、道に迷い30分も歩いた。迷わず行っても15分はかかると思う。。。

アプローチ

熊本市現美は繁華街のビルにあります。夕暮れ時に美術館を出て、路面電車の向こうに見えるのが熊本城。良い街です。

熊本市内

今度は熊本に宿泊し、熊本市現美でピアノ演奏を聴きつつ、タレルの天井プログラムを楽しみたいです。

生誕100年 坂本善三展─「グレーの画家」への道─ 熊本県立美術館 はじめての美術館86

阪本
「生誕100年 坂本善三展─「グレーの画家」への道─」 熊本県立美術館 5月14日~6月26日

細川家
「細川コレクション 永青文庫の知られざる名品展」 熊本県立美術館 5月14日~6月26日

熊本に赴いた目的は、熊本市現代美術館の「水・火・大地 創造の源を求めて」展ともうひとつ。熊本県立美術館の建物にあった。
建築史家の藤森照信著「特選美術館三昧」掲載の美術館全訪問を目指していて、未訪の美術館もいよいよ残り少なくなってきた。その未訪美術館のひとつが、前川國男設計の熊本県立美術館。

熊本県美4

熊本県美3


熊本にはなかなか行けないと思っていたが、ついにチャンスが巡ってきた。前川國男の建築と言えば、都内だと現在改修中の東京都美術館や東京文化会館を思い浮かべる。
藤森氏によれば、熊本県美の建築での見どころは仕上げに使用されている打ちこみタイル。前川が手がけた中では、この熊本県美と埼玉県立博物館の打ち込みタイルの出来栄えがベストなんだとか。

玄関でも中に入っても、ワッフルスラブ(twitterで教えていただいた)の天井にまず目が行った。竣工は昭和51年(1976年)なのだが、その古さを感じさせないのは件のタイルのおかげかもしれない。

熊本ワッフル

熊本県美


熊本城公園の一角にあるこの美術館は、敷地が傾斜しているため、その傾斜を利用し周囲の緑と調和させた建築になっている。遅めのランチはこの美術館のレストランでいただいた。

展覧会は、熊本を代表する洋画家の一人として知られる坂本善三の色彩豊かな初期作品や、戦後間もない頃の静物画、そして、抽象画へと向かう過程の作品により「グレーの画家」と呼ばれる変遷をたどる内容。
初期の具象画が、徐々に抽象へと向かう過程は非常に興味深かった。戦前、戦中、戦後と戦争を挟んではいるが、彼の作品に大きな戦争の影響を見つけることはできなかった。
1点、観たいと思った作品が展示されていなかったが、この1点はこの後行った熊本市現代美術館の「パブリックアートから見た坂本善三」展で展示されていた。、県内の美術館で連携しての展覧会開催は珍しい試み。

もうひとつは、細川コレクション永青文庫展示室で開催されている「細川コレクション 永青文庫の知られざる名品展」。展示作品数は少ないながらも、初公開作品がいくつかあり、うさぎの立体前立てが付いた兜に仰天した。かわいい・・・。細川護立は、日本画家や洋画家のパトロンでもあったので、こちらでも日本画のめったと観られない珍品名品に出会えて嬉しい。永世文庫展示室へは、いったん本館建物から外に出て、離れのような併設の別棟入口から入るのは、晴れの日は良いが、雨の日はちょっと面倒。それとも、中でつながっているが敢えて、外からでないと入れないようにしているのだろうか。

細川コレクションと言えば、京都文化会館で今後年2回、細川コレクションを展示する企画展を開催する提携が決まった。熊本でなく京都というのは意外だが、一人でも多くの方にこの素晴らしいコレクションを見せていただけるなら、喜ばしいことだと思う。

地下には、考古展示室もあって熊本県内の遺跡が展示されていたり、ご当地熊本出身の版画家、浜田知明展示室もある。浜田知明展示室では、ご本人によるコメントが作品キャプションになっていたり、インタビューがパネル展示されていて、熊本ならではの展示を楽しめた。

釘宮由衣  「Cat and Bird Paintings」 タカ・イシイギャラリー京都

釘宮
Yellow Eye Bird, 2011年 紙にガッシュ, 水彩 36 x 28 cm / 14 x 11 inches

釘宮由衣 「Cat and Bird Paintings」 タカ・イシイギャラリー京都 5月14日(土) ~ 6月18日(土)
http://www.takaishiigallery.com/jp/exhibitions/2011/yui_k/

釘宮由衣(1981年 東京生まれ)は、2007年にイェール大学を卒業後、ブルックリンを制作の拠点として活動中。これまでアメリカ、メキシコ、ヨーロッパなど海外での発表が多かった釘宮にとって、今回が日本で初個展となります。

タカ・イシイギャラリー京都は、東京の清澄白河のギャラリーと比較すると若手作家の個展開催頻度が高い。ベテランや海外アーティストの個展ももちろん楽しみだが、見知らぬ若手作家と出会う喜びもまた大きく、できるだけ土曜日に京都にいる時は立ち寄るようにしている。

今回も、目的はMOVINGという映像イベントにあったが、京都到着後最初に行ったのはこのギャラリー。
2階に上がると、ここ最近なかなかお目にかかれない色彩感覚と絵具を厚く塗り重ねた骨太のペインティングに衝撃を受ける。
大胆な構成と絵具の盛り上げによるテクスチャーの味わい。近づいて観るのと離れて観るのとではまた違う。
油彩では、厚く色を塗り重ねるのに対し、水彩では、にじみやぼかしを利用して色や線の境界を曖昧にし、激しさはないが、油彩の重苦しさ、暗さはなく、明るく楽しい印象を受ける。この水彩作品を絵本の挿絵に使ったらぴったりだろうなと思った。

奥の部屋には、コマ撮りで制作された短編アニメーション作品が上映されているが、これがまた実に良かった。
彼女の絵は、アニメーションによく活かされていた。
そして、何よりリズムが良い。映像作品は、映像の美しさもしくはリズムが重要だと思っているが、彼女の映像はリズムとメリハリが効いていた。
映像作品の中に使用されている蝋燭の作品が会場に展示されている。

油彩作品に観られる奇抜な色の組み合わせに、最初は驚くがしばらくするとしっくり自分の中に消化されていくのが分かる。

今回のモチーフは展覧会タイトル通り、猫と鳥が中心だが、抽象的な渦を巻くような抽象画もある。また、フォルムの単純化と強調も、色彩と合わせて惹きつけられる要因だろう。
油彩、水彩、映像、版画(1点)と手法は様々だが、それぞれ個性的でかつ魅力的で、何より私の好みだった。
もう少しお値段がこなれていれば、買っていたかも。。。

日本での作品発表の機会は少なそうだが、今後どんな作品を制作していくのか非常に楽しみ。是非、日本で再び個展を開催していただけたらと思う。

鎌田友介個展「After the Destruction」 児玉画廊京都

鎌田友介個展「After the Destruction」 児玉画廊京都 5月14日~6月11日
プレスリリース → http://www.kodamagallery.com/kamata201105/index.html
インスタレーションビュー → http://gallery.me.com/kodamagallery#100811&view=null&bgcolor=black&sel=70

kamata1
*写真はギャラリーの許可を得て撮影しています。

鎌田友介は1984年生まれ、今年の3月に東京藝術大学美術学部先端芸術表現科を卒業。
昨年は、記事を書きそびれたが、TWS本郷で開催された「TWS-Emerging 147 鎌田友介「OTHER PERSPECTIVES」をはじめその後の卒展などで彼の作品を観て来た。
TWS本郷での展示については、以下幕内氏のブログex-chamber museumに詳しい。
http://ex-chamber.seesaa.net/article/169784623.html

エッジの効いた造形が、歪み、拡張し、錯視といおうか、見えているものと実際の造形は異なるのではないかという疑問を抱かせる。そして、何より好きなのはその造形のあり方のカッコよさ。

今回はプレスリリースにあるように、
新たな空間認識を獲得する為の、言うなれば破壊でありリセットであると言えます。建築や風景を平面上で模する為に作られた絵画的方法論に裏付けられた空間認識によってではなく、「多数の消失点」ここでは個々の人間の主観に基づいた視点に立ち返り、それを視覚化するための試み
であるという。

特にTWS本郷では、極めて直線的なものを追求し、彼の言う消失点の乱立を表現していたが、今回は、そのストレートさそしてシンプルさを僅かに排除し、カオティックな造形を生み出した。
使用されているのは、アルミフレームのドア枠や窓枠?などの廃材である。

児玉画廊京都は1階と2階が吹き抜け構造になっており、2階から1階の様子が俯瞰できる。
上から観た場合、階下で造形と平行になり、横から1周ぐるりと観た場合で、この作品は表情を変化させる。
kamata2

どうしても、3月11日の震災を想起させずにはいられない、圧倒的な力と破壊の痕跡の様子を感じた。

奥には、直線の四角の枠を利用した壁面展示の作品がある。
kamata3

歪みと連続性が加わると、真っ白な壁に描かれたドローイングのようで三次元の立体でありながら二次元かされた平面作品のように見える。そして、その白と黒(枠は黒)のモノトーンが観る者に強さを訴えて来るのだった。

児玉画廊京都の空間を活かした見事な作品。この場所で観られたことが嬉しかった。
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