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東京→金沢→名古屋→奈良・大阪・京都→三島・箱根 美術館への旅(前編)

しばらく、ブログの更新が滞ってしまいましたが、現在夏休み中につき、金沢→名古屋→奈良・大阪・京都→三島・箱根の美術館に行って来ました。

個々の美術館で観た展覧会の感想はすべてではありませんが、ボチボチ書いて行きます。
今回は、旅程と簡単なまとめで旅を振り返ります。

7月26日(火)
・朝CAMP 講師:良知暁 フリオ・コルタサル「悪魔の涎」
フリオ・コルタサルの短編集「悪魔の涎」を専門が写真の良知さんを講師に迎え精読する会に参加。私の他には主催者の方の他に2名の参加者。まだまだ自分の読み込み、それがたとえ小説であったとしても甘過ぎて恥ずかしくなる。『南都高速道路』の短編では、参加者の方が、良知さんと同じく渋滞した高速道路の車の配置を図に書いておられて驚いた。自分はまだまだだなと。

・「空海と密教美術展」 東京国立博物館 平成館
言わずと知れた大型展。詳細は別記事にするが、大型作品や仏像が多いため大味な展覧会の印象。第二会場の仏像曼荼羅は、ここまでする必要があるのかという演出ぶり。最近の東博は「ブッダ展」もそうだけれど、照明に凝り過ぎて、肝心の見えやすさが失われていることが気になる。

・「孫文と梅谷庄吉展」 東京国立博物館 本館特別5室
長崎の梅谷庄吉のひ孫である小坂文乃氏の手元で保管されてきたアルバムや関連遺品と東博が保存する当時の稀少な写真260点で構成。ただ、問題は260点を全部に一度に見せるのではなく前期後期で写真資料は総入れ替えである。「空海と密教美術展」とは別料金で800円は高い。今回は会期が重なっているのでなおさら。特別5室という1展示室だけで開催される企画展を特別展と銘打つのも気になる。内容は良かったのだが、これも東博の姿勢を疑わざるを得ない。後述する京博の「百獣の楽園」と比較すると尚更である。

・「大英博物館 古代ギリシャ展」 国立西洋美術館
この展覧会は、昨年の秋に台北の故宮博物院に行った際に観ている。世界を巡回している展覧会で、その時は日本に来ることを知らなかったので、台北で先に観ることになったが、展覧会の入場料は確か600円くらいだったと記憶している。そんなわけで、「円盤投げ」含め2回目。日本は「円盤投げ」が台の上に乗ってやや高い位置に設置してあったため、見上げることになったが、台北では観者と同じ位置に設置されていた。密教美術展で観た仏像彫刻と西洋の紀元前ギリシャ彫刻の違いをまざまざと感じる。

この日の深夜バスにて新宿より金沢へ出発。

7月27日(水)
予定通り、7時半頃に金沢駅到着。水曜日の金沢は本当は好ましくない。金沢美術工芸大学のギャラリーにかねてより行きたいと思っているが、ここは水曜日が休み。

・「ホノルル美術館所蔵 北斎展」 石川県立美術館
この展覧会は、本来東京の三井記念美術館を皮切りに国内の美術館を巡回する予定だったが、震災により東京展は来年の4月以後に最後の巡回先となる。東京で観ても良かったのだが、展示替えがあるのではないかと予想して、一度に観られる金沢で先に観ることにした。
相変わらず、石川県立美術館では企画展の作品リストの用意がない。同美術館の企画展のサイトに作品リストが掲載されているので、リストが欲しい方は印刷して持参されることをお薦めする。サイトのリストを印刷していただけないかお願いしたが、「そういうことは美術館の仕事ではありません」と担当学芸員らしき方に一蹴される。更に、私は金沢21世紀美術館の会員なので、本来は団体料金になる筈が、県立美術館では全く周知徹底されておらず、「そんな割引はありません」とチケット売りの方に一蹴。後で、21世紀美術館に確認したら、申し訳なさそうに「県立美術館には申し入れしておきます」と言われたが、入館料が戻ってくるわけでもなく。。。
これで内容が良かったらまだしも、残念ながら期待以下であった。目当ての摺物のコンディションがいまひとつで、横長でサイズはあったのだが、退色がひどく、また肌目だしなどの技法もされていないのがほとんど。1点だけ良いのがあった。
浮世絵は揃い物が並ぶ。さすがにこちらのコンディションは良い。肉筆画3点のうち1点は紙本でさらっと書いた蔬菜図、残り2点のうち「渡し船図」は初来日だがう~ん。。。

美術館の対応の悪さばかりが気になった。だから、21世紀美術館は多くの来客でにぎわっているというのに、いつも来場者が少ないのではないかな。

・「イェッペ・ハイン 360°」 金沢21世紀美術館
既に感想記事はアップ済。

しらさぎ号にて名古屋へ向かう。名古屋市博の甚目寺観音展へ向かうはずが、21世紀美術館のビュッフェランチを堪能いたら予定の電車に乗り遅れ行けなくなった。やっぱり美味しい食べ物は諦められないことがある。

・「棟方志功展」 愛知県美術館
既に既に記事はアップ済。

名古屋の自宅泊

7月28日(木)
早起きして、青春18きっぷで名古屋から京都を目指す。京都からはスルっと関西2daysきっぷで、近鉄線で奈良へ向かう。

・「天竺へ~三蔵法師3万キロの旅」 奈良国立博物館
藤田美術館が所蔵する国宝≪玄奘三蔵絵≫全12巻を前後期に分けて、一挙に展示するというもの。≪玄奘三蔵絵≫は鎌倉時代の高僧伝絵巻の最高峰と言われている。いやはや、私は多分初めて、もしくはごく一部だけは観たことがあるのかもしれないが、素晴らしいの一言に尽きる。保存状態が良いため、彩色の鮮やかさが今も残っていることに加え、精緻な描写、人物の表情、詞書の流麗な文字、みどころ満載。他にも西遊記に至るまでの関連資料など多数。お薦め。なお、図録は1800円だが、スルッと関西の切符を提示すると1割引になる。私は金銭的事情により欲しくて仕方なかったが、ひとまず見送り。

・「初瀬にますは与喜の神垣-與喜天満神社の秘宝と神像-」 奈良国立博物館
同じく奈良博で開催中の特集陳列だが、東博と違って館蔵品ではないにもかかわらず、別途の入場料金は不要。
天竺で力を使い果たし、抜け殻になっていたため、天神坐像と神楽の印象しかない。次回の後期展示でしっかり観ます。

近鉄奈良より学園前へ。ランチは大和文華館に行く途中にあるビストロにて。昼間からグラスワインをいただく。美味なり。

・「鉄斎展」 大和文華館
開館50周年の記念特別展。約50点の展観だが、軸物が多く、屏風は非常に少なかったせいか、やや物足りず。個々の作品より、鉄斎は、その精神の端々まで明治の人だなと思った。

・「森山大道展」 国立国際美術館
森山大道の写真をこれだけまとめて観たのは初めて。やっぱり個人的にはちょっと苦手かもしれない。強いモノクロのコントラストは良いのだが、これに加えてギラギラしたものが強過ぎて。構図その他、森山のカメラの目を通した世界は濃厚だった。

「WHITE 桑山忠明 大阪プロジェクト」とコレクション展も合わせて。

・堂島リバービエンナーレ2011「Ecosophia-アートと建築」 堂島リバーフォーラム
う~ん、これも何と言うかいまひとつ感が。カプーアの過去作品の展示模型が面白くアートと建築について一番考えさせられた。

・「加藤泉展」 心斎橋Six
Arataniuranoやナディッフ・アパートでの個展に続き、関西での個展。大型の木彫作品を主体に、ペインティングと組み合わせた展示。東京での個展とうってかわって、ペインティングも大きい。木彫を観ているとブッダの入滅を思い出した。

・「pet -group exhibition-」生き物ではないペットの展覧会 workroom*A 8/6(土)まで
http://workroom.co.jp/wra/exhibition/index.html

綿業会館の向かいにあるworkroomは初訪問。藤本由紀夫さんが関わっているデザイン関係のお店を併設しているギャラリー。横トリ2011に出展予定の八木良太さんの新作はじめ、藤本由紀夫さん、武田晋一さん、松元明子さん、森定のぞみさん(ご案内有難うございました!)他2名による生き物ではないペットによる展示。
これが、思わず微笑んでしまうような愛らしさで空間全体を楽しめる。平日は夜8時半までなのも嬉しい。土曜日は5時までなので注意。

京都に阪急で戻って、京都にて1泊。長くなったので続きは後編へ。  
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「棟方志功 祈りと旅」展 愛知県美術館

棟方

「棟方志功 祈りと旅」 愛知県美術館 9月4日まで
http://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/index.html

愛知県美術館では現在、東北復興支援特別企画「棟方志功 祈りと旅」が開催されています。
当初、この会期中にはプーシキン美術館展の開催が予定されていましたが、ご存知の通り作品の貸し出し中止により展覧会自体も中止になりました。
その代替として、今回の企画展が開催されたのですが、これが素晴らしかった!
私がここ最近愛知県美術館で観た企画展の中でも一番良かった。「放課後のはらっぱ」展以来のヒットだと思います。
愛知県美術館の展示室は非常に広い。天井高もかなりありますが、この空間をいつも持て余しているのです。
それが、本展では別。うってかわって、この展示空間を活かした展示によって、棟方志功の巨大な作品も余裕をもってゆったりと、じっくりと鑑賞できます。

実のところ、過去に何度か《二菩薩釈迦十大弟子》など拝見しましたが、私は彼の作品あまり好きになれませんでした。しかし、そんな私が、本展を観て棟方志功の作品に強く感動し引かれたというのはすごいことです。
たとえ、一人の観客であったとしても、好きじゃないものを好きにした、それだけで展覧会として十分成功したと言えるのではないでしょうか。

しかも、愛知県美術館の企画展では作品リストが用意されていないことが度々で、今回も期待せずに行ったら驚くなから新聞のような体裁で、作品鑑賞の3つのポイントが掲載されている上に、中をめくると棟方が日本を旅したゆかりの地とそこにまつわる作品をカラーで紹介している。その横の両面ページが作品リスト(何と作品の読み仮名付)になっているではないですか。中ひとつ折のA3サイズですが、こんなお役立ちツールが!!!
愛知県美術館も頑張っているなぁとひしひしと伝わってきます。

今回は横26mの大作《大世界の柵(さく)》をはじめ、横10mの《東北経鬼門譜》と大作ぞろい。
そのド迫力に圧倒されることしばし。
展示風景は愛知県美術館の公式ブログをご覧下さい。以下。愛知県美術館のブログの関連記事は他にも読み応えある内容が揃っています!
http://blog.aac.pref.aichi.jp/art/2011/07/000500.html

また、彼の木版画、本人は板画と書いて「はんが」と言っていたようですが、その色彩の美しさに改めて目を瞠りました。
版画にも「裏彩色」を使用しているとのこと。「墨で版を摺った後に紙の裏から彩色し、表に色をにじませる・・・以下略」(愛知県美術館作成作品リスト権、鑑賞前の3つのポイントより抜粋)。
そして、使われている色合いの背景には、棟方の故郷である青森県のねぶた祭りや青森凧の存在があるのです。

「彼は常に故郷を背負っていた。」
作品キャプションにありました。そして、生涯にわたり女性への憧憬、そして女性や母性に対して仏性、菩薩を見出していたようです。
彼が描き出すふくよかな女性像の数々はやがて、額に白毫(びゃくごう)を付け、いつしか菩薩像の姿へと変わっていく。

また、巨大な大作郡はピカソのゲルニカを思わせるとともに、どこか神話や陰陽五行、宗教的なものを感じさせます。

棟方の素晴らしい所は、引用した神話なり、古典作品を自分自身のものにし、独自の解釈を行い、そこから彼自身の創造力、と想像力を持って新たな形を生み出している所ではないでしょうか。
他の誰にも描き出せない、棟方の世界がそこには展開されているのです。

展覧会は、
・祈り
・津軽
・文人がかの多彩な芸業
・旅と文学
の4つから構成されています。

《女人観世音画巻(詩・岡本かの子》は、岡本かの子の詩を選択したという点においても興味深かったです。
志功は他にも多数の詩と自身の板画を組み合わせた作品を生み出しているのですが、彼が彫り出す字体にも魅力を覚えました。

最後のコーナーでは棟方が旅行く先での風景をカレンダーにした作品が展示されていますが、中で特に心うたれたのは《奥海道棟方板画》のうち3月「岩手 盛岡石割御桜の柵」です。
厳しい冬の時間、土中でじっと力を蓄え、春になって一気に萌えいづる桜のあふれんばかりの桃色が頭から離れません。桜の力が画中からひしひしと伝わってきます。

春が来て、この美しい桜が再び東北の地に咲くことを願ってやみません。

なお、本展開催にちなんで、東北復興支援イベントがいくつか予定されています。既に終了してしまったものがほとんどですが、7月30日(土)には版画ワークショップ、7月29日、8月6日、8月20日にはギャラリー・トークが。また、棟方志功展オリジナル・チャリティーグッズが販売され、その収益は義援金に当てられます。

愛知県内では、名古屋ボストン美術館で「ジム・ダイン」展、名古屋市美術館ではレンブラントの版画が。
特に私のオススメは「ジム・ダイン」展。まだ記事をあげていませんが、あれだけの数、ジム・ダインの版画を見られる機会はこれを逃したらないのでは。東西、今昔の版画を愛知県で楽しめます!

「イェッペ・ハイン 360°」 金沢21世紀美術館

kanazawa

「イェッペ・ハイン 360°」 金沢21世紀美術館 8月31日までhttp://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=45&d=1110

デンマークの若手作家(1974年~)の美術館における日本初の個展が金沢21世紀美術館で開催されています。

やっと、行って来れました。
出品作品は11点の予定が1点中止になり、結局10点が出展されていますが、行って良かった。
作品についての内容は上記の美術館HPで画像と解説を見る事ができるので、ご参照ください。

ただ行って分かったのですが、体験型の作品が多いので、実際に行って見る人である自分自身が作品の一部にならないと、作品は完成しないと言えるでしょう。

鏡や光を使用した作品が多いのが特徴ですが、新たな空間体験を引き起こしてくれる作品たちは非常に楽しかったです。体験しながら、知覚の不思議さを考えさせられます。

・「回転するピラミッドII」
全面鏡の四角錐がゆっくりと回転する、ただそれだけなのですが、鏡に反射した展示室や自分自身の姿が映っては消えていく、幅、奥行き、高さの三次元の要素が狂っていくような感覚を覚えます。

・「光のピラミッド」
NHKの『日曜美術館』アートシーンでも放映されていた、エクササイズバイクを観客の一人が漕ぐと、ゆっくりと滑車が動き出し、その動力で壁の向こうにある光のパビリオンが開いたり閉じたりと動き始めます。
光のパビリオンは電球が等間隔で付けられた7本のコードで構成されています。パビリオンの中に入って、ゆっくりとした動きを眺めるのもよし。ただ、一人しかいないと、監視員の方にバイクを動かしていただかないと作品が動きません。バイクを漕いでいる観客にはパビリオンの動きが見えないのは意図的なのか。

・「見えない動く壁」 ・「回転する正方形II」2011年
「見えない動く壁」の向こう側に回転する正方形II」が展示されていました。最初に展示室に入った時には、「見えない動く壁」が作品だとは気づかず、ただの壁だとばかり思っていたのですが、帰り際、何か違うなと思ったら、監視員の方が、「壁が動いているんです。」と教えて下さいました。
確かに、よく見ると入った時には左の壁に寄って隙間がなかったのに、戻る時には人が通れるだけの空間が開いているではないですか。非常にゆっくりした動きなので、注意しないと気づかない。実際に、まるで気づかず去って行かれるお客様も。。。壁の向こうに、勢いよくクルクル回る正方形。正方形と分かるのはタイトルのせいで、言われないと円形のものが回っているように見える。黒い四角の額の中で真っ白なスクエアがひたすら回り続けます。先ほどの壁とあわせて、この展示室が構成されているのを考えると、二つの作品の関係性についても考えさせられるような、面白い組み合わせでした。
空間が、時間とともに変化していく面白さ、この段階で三次元の作品が四次元を意識したものになっています。

・「見えない迷宮」
赤外線信号を使った仮想の壁(もちろん見えない)によって、展示室全体に迷路が作られている作品。
観客は、頭にヘッドセットを付けて展示室内に入場!
事前に、展示室横に貼り出されている曜日ごとに異なる迷路の図面を頭にインプットします。
一応頭に入れてさて出陣。ですが、数分経過したところで、頭に振動が来ます。見えない壁にぶち当たると、ヘッドセットから振動が送られてくる仕組み。
これは誰でも皆、楽しんでやっていました。特にお子様づれにはオススメ!
なかなか、見えない壁に当たらず、迷路をクリアするのは難しい。やっぱり私の頭では迷路図を記憶しきれなかった。

曜日ごとに迷路が変わるのも面白い工夫です。毎日行って楽しんでいる人がいたら面白い。いないかな、そんな人。

・「変化するネオン彫刻」
ガラス張りの中庭にあたる場所に設置されていたので、晴れているとネオンの光が見づらいそうです。幸い、この日は曇りだったので、まずまず光ネオン彫刻を楽しめました。27個の立方体から構成される大きな立方体をネオンで作り上げています。センサーにより、観客が近づくと、光は変化をやめて静止するそうですが、残念ながら、柵があって近づけないようになっていました。本来なら、この作品も体験型だったわけです。ちと残念。

・「籠と鏡」2011年
鉄の棒でできた籠の中に入って、中央に吊り下げられた鏡の周りを歩きます。鏡はゆっくりと回転していて、鏡と同じ方向に歩くのと、逆方向に歩くのと違った景色になるのか試してみました。展示室の壁には「360°ギャラリー、 金沢21世紀美術館」という15°ずつカメラを回転させて同じ展示室を撮影し、1回転するまでの計24枚が展示されています。
鏡には、自分が今いる展示室の写真が移り、横に回っているのか、上下に回っているのかグラグラしてきます。

・「回転する迷宮」
鏡の柱によって大小2つの円をつくり、鏡の柱は大小逆方向にゆっくりと回転しています。私たち観客は大きな円の中も、小さな円の中にも入ることができ、自分自身も台と一緒に動く。
これはまた非常に不思議な体験でした。
ちょっと、言葉で表現できない。何というか、メリーゴーラウンドに乗った時の感覚に近い、いや違う。
気持ち悪くなったりとかはありません。ただ、視覚や平衡感覚に及ぼす作用は間違いなくありました。

・「映して下さい/ 考えて下さい、」2011年
金沢21世紀美術館のスタッフが鏡を使ってアルファベットをつくりだす姿を撮影した写真。各展示室の壁面に全部で10個ほどの単語を作り出しています。「FEEL」「COMUNICATE」「PARTICIPATE」など、コミュニケーションや参加を促す言葉たち。

タイトルに「360°」が付されている意味が分かりました。
空間がぐらつくような体験を引き起こしたい、新たな空間体験を作り出す手法が見事でした。その中で、「動」の役割について考えさせられます。
また、本展のための新作では2つに写真が使用されていますが、ひとつは、インスタレーションを記録に留め、文字を作り意味を伝える表象としての使用。もうひとつは、1枚1枚が、映像の中のひとコマのように15°ずつカメラを回転させて撮影した空間の写真。加えて、中に鏡を配することで写真自体がインスタレーションの一部になっています。この写真とオブジェとを絡めた展示方法、結果生み出した効果も興味深かったです。

愛知県美術館で実験工房の山口勝弘「港 No.2」という光を使用した立体インスタレーションを観ましたが、彼が目指したものと、イェッペ・ハインの作品とは鑑賞者と作品との関係性において共通する所があるように思いました。

複数人で行けば、思わず会話がはずむこと間違いありません。

「古筆切ともに楽しむために」 根津美術館

古筆切

「古筆切ともに楽しむために」 根津美術館 8月14日迄
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html

館蔵品による古筆切を楽しむ展覧会。
古筆切の命名の由来や切断の事情に思いを馳せ、古筆そのものの多様性や各切固有の美しさを鑑賞していただきたいというのが、美術館側の趣旨となっています。

ということで、7月23日に開催された特別講演会「古筆はなぜ切られたか?」講師:根津美術館 学芸部長 松原茂氏を聴いてまいりました。松原氏は、根津美術館に移られる前、東京国立博物館美術課絵画室長をされていて、学生時代は「書」をご専門とされていたとのこと。

元々、私が古筆切の素晴らしさに感じ入ったのは、名古屋の徳川美術館で開催された「王朝美の精華 石山切」展のことでした。同展では、国内に残されたほぼすべての石山切を集めて展示するという破格の内容で、その華麗さ美しさにただただ息を飲むばかり。

講演会は、まず「古筆」とは、「古筆切」とは何かという説明から始まりました。
松原氏のお話をざっくりと。

今回の展示では超名筆はないので、書をされている方にとってはやや物足りないかもしれませんが、筆づかいだけではない書の楽しみ方があるということを知っていただきたい。料紙装飾に目を向ければ、工芸として、また書かれた内容が分かれば、文学としての楽しみ方もある。

根津嘉一郎氏は、派手な料紙装飾のある古筆切が好みではなかったらしく、一度は「貫之集」と「伊勢集」の分割の際、4組10枚を購入したにもかかわらず10年後に売却してしまった。そのため、根津美術館で今回展示されている古筆切の大半は、手鑑「翰林秀葉」(かんりんしゅうよう)の中から、40枚程度はがして、軸に仕立てたもの。

古筆には「粘葉装」(でっちょうそう)と「綴葉装」(てっちょうそう)の2種類のホンの綴り方がある。
「粘葉装」は、糊だけで綴じたものなので、はがして断簡にした時、右側か左側に糊しろの跡がることが多い。この点を注目して展示品を観ていただくと分かる。

「古筆」は数(十)巻・数(十)冊→1巻・1冊の古筆→更に1紙・1頁・数行から成り立っている。

「手鑑」とは古筆切のアルバムのようなもので、最初にあったものから、その所有者がどんどん中身を入れ替え張りかえていくもの。所有者が同じでも時期が違えば中身も違うこともある。張り替えのため、台紙ははがしやすいように雲母の粉が乗っている。配列も決まっており、大聖武(聖武天皇の筆)から始まることが多い。

「古筆見」は古筆の鑑定。「古筆家」は古筆の鑑定を専門の家業とする家柄。初代古筆了佐以下13代に至る。
「伝称筆者」とは古筆家の鑑定による筆者名だが、古筆家の鑑定では「筆者が不明」ということは許されなかったため、必ず誰かの名前が特定されている。したがって、真偽があやしいものも多い。

古筆切の由来については、展覧会の解説にも記載されているので省略。

展示品の中では、宝塔が摺りだしされている「戸隠切」(戸隠神社由来)、「東大寺切」(東大寺由来)の料紙の白雲母による摺りだしがことのほか美しかった。
「鶉切」は、今回の展示作品では見られないが、鶉の雌雄が模様として入っているものがあるため。今回の展示品では、唐子の図柄が愛らしい。

また、「とびくも」藍色と紫色を重ねて小さな雲のような模様を料紙に付ける技法だが、とびくもが配された渋目の古筆切もいくつか観られた。
書は読めないが、筆使いで好きなのは聖武天皇の格調高くどっしりとした「大聖武」と藤原行成。
伝なしの藤原行成はなかったが、「貫之集切」が美しかった。料紙では、岡寺切の紙の藍色のもつ深さに魅了される。

古筆切も観たかったが、もうひとつのお目当ては展示室2の「水のある風景」。
今回は、室町時代の水墨画名品がいくつも出展されているのだった。
中でも、芸阿弥筆「観瀑図」紙本墨画は、現存する唯一の芸阿弥真筆作品。式部輝忠「観瀑図」は迫力はないが、式部はなかなかその作品自体に出会えることがないので、貴重な機会。もうひとつ伝狩野正信「観瀑図」は縦に配置された瀧が、奥行き感を感じさせ、構図が良かった。

伝小栗宗湛筆「周茂叔愛蓮図」、梅隠「蓮池白鷲図」など9点の室町時代水墨画の展示はじっくりと。6曲1双「松鶴図屏風」は狩野派の手によるものか。筆者不明の桃山~江戸時代のもの。

展示室6・7のやきものやお茶のしつらえでは、粉青沙器にひかれ、雪村筆の文字入り茶釜などを愛でる。でも、茶釜は「利休好広口釜」が個人的には好み。
江戸時代の青銅工芸「蟹蓋置」道斎作は、明治期の金工品ほど派手さはないが、武骨で良い感じだった。

2011成層圏/風景の再起動 vol.3 「下道基行 bridge」 ギャラリーαM

下道

2011成層圏/風景の再起動 vol.3 「下道基行 bridge」 ギャラリーαM 8月13日迄
12:00~17:00 日月祝休 入場無料
アーティストトーク 8月13日(土)15時~16時
http://www.musabi.ac.jp/gallery/2011-3.html

水戸芸の高橋瑞木さんのキュレーションによる下道基行展に行って来ました。

高橋さんの著書『じぶんを切りひらくアート』フィルムアート社刊を読んで、下道さんのことを初めて知ったが、実際に作品を拝見したのは、今年の2月、大阪市立近代美術館心斎橋展示室で開催された「ブレーカープロジェクト 絶滅危惧・風景」が最初だった。
同展は、グループ展だったことも災いしたのか、あまり印象に残っていない。
その後、間があいてしまってTWS渋谷で「旅する本」のプロジェクトで開眼。私が行ったのは最終日だったので、本は既に旅立ってしまっていたが、もっと早く行っていたら参加希望出したのに。。。
残された2冊ほどの本を手に取って眺めながら、この本がどんな人の手にわたって、どんな旅をしていくのかと思いを馳せた。

そして、迎えた今回のαMでの個展。
震災前には、「戦争のかたち Re-Fort PROJECT」が予定されていたが、諸々の事情と作家の思考の変化により今回の「bridge」展となった。
この個展に行ったのは、23日土曜日、三井記念美術館の「日本美術における橋ものがたり」展の記事をアップした翌日。実は、私はあまり事前予習はしないので、下道さんの個展が「bridge」をテーマにしていることを知らなかった。前日にさんざん日本美術の橋について書いた後だったので、コンテンポラリーでの橋つながりに驚きました。

内容は、震災後に購入したオートバイに乗って、下道さんが日本を旅し、そこで見つけた「橋」をカメラにおさめて、画像をギャラリーへネットを通じて送付。ギャラリーではプリンターが配置され、1画像について2枚プリントアウトし、1枚は壁面へ、残る1枚は入口近くの台に本のように重ねていく。

日付と撮影時間が写された写真の橋。
ここでも「橋」の意味は重要だ。
昨日、日本美術でも「橋」はいろんな意味を持って描かれてきたことを書いた。
下道さんにとって撮影した「橋」は日常へと繋がる架け橋として意識されている。
一番多く写されているのは、道路から田んぼや畑に続く用水路や側溝にかけられている、小さくて短い橋。
決められた形がないので、実にいろんな表情を見せる。
形も長さも大きさも自由。

普段、視界は間違いなくそれらの橋を捉えているのに、脳はそれを意識していない。
しかし、下道さんのカメラを通じて、プリントされた「橋」によって、脳は明確に意識を始める。

「風景の見え方を変えることができるのが写真の面白さだ」と下道さんは、高橋さんのインタビューの中で語っている。
確かに、この展示を観たらしばらく、街で見かける小さな橋を意識するだろう。
橋がつないでいるもの。それらの距離間を考えてしまう。非日常から日常へ。逆もまたしかり。

そして、積み重ねられた写真1枚1枚の高さが時間軸を示す。
横に展開した壁の写真は、日本国内を旅しているその距離。
距離と時間というふたつの軸を、展示し写真の有り方を考えさせてくれた。

ギャラリーの奥の本棚に、下道さんとキュレーターの高橋さんの本棚コーナーがある。中で、下道さんが読まれただろう書籍の中で、小熊英二著『「日本人」の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』新曜社刊と青色の表紙の写真集に興味をそそられたのだけれど、写真集の方の写真家の名前を失念してしまった。
その名を聞いたことがある海外の写真家のものだった。再訪した時に確認せねば。

最終日8月13日の高橋さんとのアーティスト・トークを心待ちにしています。

「日本美術にみる橋ものがたり-天橋立から日本橋まで-」 三井記念美術館

橋

「日本美術にみる橋ものがたり-天橋立から日本橋まで-」 三井記念美術館 9月4日迄 展示替えあり。
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html

「橋」ついて、様々な視点から考え、絵画や工芸品、やきものなどから展観する内容です。
ちょうど、7月24日まで開催中のサントリー美術館「鳳凰と獅子」展の「橋」ヴァージョンと言ったら分かりやすいかもしれない。

構成は次の通り。

展示室1・2 「工芸に見る 橋の意匠」
・≪蒔絵東海道五十三次図箱≫明治時代 大阪市立美術館蔵 明治の工芸はやっぱり凄い!仰天の技
・≪住吉蒔絵硯箱≫山本春正 江戸時代 名古屋市博物館蔵
・≪八橋蒔絵硯箱≫ 桃山時代 サントリー美術館蔵
・≪志野茶碗 銘 橋姫≫ 桃山時代 東京国立博物館

特に工芸や絵画の世界で橋と言えば、伊勢物語と源氏物語に登場する橋の作品に事欠かない。いかに古来より美術と文学が密接に結びついていたかということ。そう思うと、コンテンポラリーアートと文学の結びつきって薄くなっている気がする。

展示室3 「橋にちなんだ茶道具取り合わせ」
ここでもやっぱり≪志野茶碗 銘 宇治橋≫ 桃山時代 志野茶碗が重なったのはたまたまだろうか。

展示室4 「神仏の橋、名所・文学の橋」
<神仏の橋-天界・浄土とこの世の架け橋->
展示期間は7月21日で終了してしまいましたが、雪舟の国宝≪天橋立図≫京都国立博物館が登場。何度観てもいい。
≪二河白道図≫は極楽浄土と現世の橋渡しの図。眼前に展開されるとリアルなイメージになって洗脳されそう。

<神仏の橋-聖俗境界の橋->
・≪八坂法観寺塔絵図≫室町時代 法観寺鞍 (重文)
奇妙な絵だった。八坂の塔の近くにひときわ大きな僧侶が描かれている。かつて鴨川を境に西側は聖なる地とされていたらしい。八坂の塔を中心に東西の地の役割が違っていたとは。

<名書・文学の橋>
・≪柳橋水車図屏風≫6曲1双 MOA美術館 前期(8月7日迄)は左隻、後期(8月9日から)は右隻を展示。
この作品は2つ揃ってみるのとバラバラで観るのとでは、迫力も作品価値もかなり違う。2つ揃ってはじめて1つの作品と言えるものなのに、1つずつ観るのでは魅力が半減。せっかく素晴らしい屏風絵なので、2つ一緒が良かったのに残念。

・≪奈良絵本≫俵藤太 上巻 栃木県立博物館 滋賀県の瀬田唐橋が描かれている。

展示室5 「諸国の橋」
広重「東海道五十三次」や北斎の「諸国名橋舟覧」など浮世絵を中心にして各地の橋を観ていく。

気になったのは、≪尾張名書図会 全編四 「裁断橋」≫1冊 名古屋市博物館
裁断橋ってどこにある橋だったのだろう?そして今現在も残っているのか。名古屋にいて一度も聞いたことがない。

展示室6 「橋の番付 日本大橋尽くし」
相撲番付ならぬ橋番付。何にでも順位付けしたくなるのは江戸時代からだったのですね。

嬉しかったのは、19世紀に東西あわせて日本の橋の長さ第1位は、何とわが地元愛知県岡崎市にある矢作橋だった!
矢作橋は現在ももちろん存在している。江戸時代は「岡崎矢はきのはし」という表記になっている。

展示室7 「京の橋・江戸の橋」
江戸の橋を描いた≪江戸景観図≫国立歴史民俗博物館 は見事。7月21日で展示終了。
ワイドかつ立体的に西洋画技法で描いている。
≪隅田川風物図巻≫は、昨年江戸東京博物館で開催された「隅田川」展でも出展されていた。

他に三井記念美術館がある日本橋を描いた笠松紫浪≪日本橋≫和泉市久保惣美術館が良かった。

前後期でかなりの作品が入れ替わるので、再訪します。
*ここで記載した作品も前期のみの展示作品が多いのでご注意ください。

「美しき日本の原風景-川合玉堂・奥田元宋・東山魁夷-」 山種美術館

美しき日本の原風景

「美しき日本の原風景-川合玉堂・奥田元宋・東山魁夷-」 山種美術館 7月24日(日)迄
http://www.yamatane-museum.jp/exh/doc/110611jp.pdf (pdf)


本展は、次世代に伝えていきたい日本の心の風景というものを忘れぬようにという願いを込め、川合玉堂・奥田元宋・東山魁夷・横山操ら日本画家たちの描いた美しき日本の「原風景」を紹介するものです。

不思議だったのは、サブタイトルに掲げられた日本画家の中に横山操の名前が入っていなかったこと。
本展で私が何より嬉しかったし、来て良かった!と思ったのは横山操の「越路十景」シリーズ全10点が4年ぶりに紹介されていたこと。
タイトルだけしか観ていなかったら、見逃していたかもしれない。
横山操は、自身の故郷である新潟をを中国の瀟湘八景になぞらえて、全10作を描きあげた。

すべて紙本で絹本ではない。
近づいてじっくり観てみると、絹では得られない紙の支持体の良さを存分に利用した墨や絵の具、彩色の仕方だなと感じ入った。

この景色こそ、横山にとっての原風景であり描きとめておきたい景色だったのだろう。
10点ともそれぞれ良さはあるが、個人的には≪上越暮雪≫≪佐渡秋月≫≪蒲原落雁≫≪間瀬夕照≫≪能生帰帆≫の5点がとりわけ気に入っている。
「変幻自在な表現は水墨をおいて他にない」と語ったという横山操の創意と技が感じられる作品だった。

横山操も一度にまとめて作品を観たいと思う日本画家のひとりで、もうひとりは小松均。横山操は没後100年の回顧展が2001年に、横山操は1999年に回顧展が既に開催されているので、ここ数年の開催を期待するのは無理だろう。

川合玉堂は、今回もっとも作品が多く出展されていた。
≪春風春水≫≪雨江帰漁≫≪水声雨声≫≪朝晴≫などが印象に残る。玉堂ですぐに浮かぶのは鵜飼の作品で、彼は岐阜県で生まれ育ったため、鵜飼をモチーフに多く作品を残しているが、今回もそのうちの1点が出展されている。鵜飼は、玉堂にとって故郷を思い出させる懐かしいモチーフだったに違いない。玉堂は本年10月22日~11月23日まで神奈川県立近代美術館葉山館にて「川合玉堂展 描かれた日本の原風景」同じく、日本の原風景を描いた画家として紹介されるようだ。本展と原風景で思い切りかぶっていることに、今気が付いた。

ところで先日、長野の水野美術館へ行った際も思ったが、日本画というのは観ているだけで涼を呼ぶ。
本展では、いつにも増して涼やかな気分を味わった。
それは、風景画がテーマになっていたことによるのかもしれない。日本画特有の岩絵の具の色、特に緑、青がこれらの風景画には多く用いられる。

特に、正面の壁いっぱいに広がった奥田元宋≪奥入瀬(春)≫個人蔵は、縦2m×横5mの大作。
決して好きな作品ではないが、画面いっぱいに溢れかえるような緑と水を満々と湛えた川の勢い良い流れが、とにかく目に涼しかった。画面から涼風が流れてきているのではという錯覚さえ起こる。

風景画の大御所、東山魁夷も著名な≪年暮る≫≪春静≫と、日本の四季をその美しい時間をとどめんがため絵に残している。
思えば、日本の四季は画家たちにとって、絵心を誘われる景色を様々に見せてくれる。四季があるからこそ、日本人は風景画を愛でられるのではないだろうか。

展覧会は
第1章 美しき原風景 
作品リストには掲載されていないが、橋本雅邦≪春秋田家≫や森寛斎≪京洛四季≫なども出展されている。

第2章 風景画の流れ
歌川広重の東海道五十三次3点(展示替えあり)、池大雅、野口小蘋らの作品で変遷を見せようとする試みだが、残念ながらここは作品数が7点と少な過ぎて、やや中途半端だった。いっそ、原風景だけに絞った方が良かったように思う。

第3章 富士を描く
日本の風景=富士山、まるで外国人がイメージする日本のようだが、入口左の小展示室では、小林古径はじめ8人の富士山を描いた作品を集めて展示していた。富士と言えば、横山大観、彼はもっとも沢山富士山をモチーフに描いた日本画家ってことはないのだろうか?大観が富士山を多く描いたのは、彼にとっての原風景というより、国威掲揚、戦前の大日本国のため、と別の意味もあったように思う。それもあって、大観の富士はあまり好きになれないのだった。

加藤翼展「ホーム、ホテルズ、秀吉、アウェイ」 アートエリア B1

加藤翼展

加藤翼展「ホーム、ホテルズ、秀吉、アウェイ」 アートエリアB1 7月10日で終了。
http://artarea-b1.jp/event/pickup1105.html

既に終了してしまいましたが、先日、和歌山、和泉市など関西遠征した際に、チラシを見つけ、なにわ橋の「アートエリア B1(ビーワン)」に行って来ました。

「アートエリアB1」は、大阪大学+NPO法人ダンスボックス+京阪電気鉄道(株)が共同で運営している、京阪電車なにわ駅内地下のアートスペースです。
平成 20 年 10 月 19 日、京阪電車中之島線開業とともに、なにわ橋駅に誕生したということは、間もなく3年目を迎えようとしている。
加藤翼展のようなイベントは1年に1回程度のようなので、今回はタイミングが合ってラッキーでした。

さて、加藤翼さんは、身近な人から道行く人々をも巻き込んで、屋外に設置した巨大な構造体を引っぱり立ち上げるというプロジェクトを在学中から行っています。
私が彼の作品を初めて観たのは、昨年の川崎市岡本太郎美術館か、森美術館か。

引き倒しのアーティストだと思っていたら、今回は違った。
大阪市中央公会堂前、大阪城公園、万博記念公園前の3カ所でイベントを行う中、あの3月11日の震災が発生し、加藤はプランを見直し練り直したという。
震災翌々日のイベント前に行ったスピーチ映像から展示は始まる。

そして、今回のイベントで使用した立体構造物の設計図面など、イベントまでの道のりや制作過程に関する一連の資料を展示されている。
過去2回加藤作品を観ているが、いつも結果としての映像作品だけ、もしくはイベントで使用された構造体そのもの
の展示だけで、その過程を知ることはなかったので、これは新鮮だった。

構造体は全部で3つ。
イベントで使用したものを展示用に縮小し、再構築している。
鑑賞者はこれら3つの構造体を巡っていくのだが、中では、イベントの映像を上映。最初の2つはこれまで通り、勢いよく構造体を倒す映像。
そして、最後のひとつ、震災の翌々日に行われたイベントでは、これまでのように力づくで倒すのではなく、ゆっくり静かに、そっと構造体を床に横たえ、そして再び立ち上げるものへと大きく変化していた。

今回の展示のポイントは体験エリアがあったこと!
映像だけ観ていると、自分も参加したくてムズムズしてくるが、そのムズムズをしっかり体験コーナーで解消できる。

<体験エリア>
展覧会場で出会った方々が、ともに力を合わせ構造体を立ち上げる場です。
開催日時:毎週土日 13:00/15:00/17:00(1日3回開催)
定員:各回4~8名(参加無料・申込不要)

とあったが、実際はやってみたい!という希望者が3人ほど集まると、あとはスタッフの方がその場にいる来場者に声をかけ、8名で構造体を立ち上げる場に参加できました。
私も、スタッフの方に声をかけられ、もちろんすぐに参加。

やはり、映像観ているだけなのと、実際に体験するのとでは大きな違い。
いやはや、こんなに力が入ったのは久しぶり。
そして、皆で力を合わせて、構造体をゆっくり静かに立ち上げることができた時の感動。
頭で理解するのと実体験として身体で感じるもとでは、これ程違うのかと。。。自分でも驚きました。
そして、終了後見知らぬ方々なのに、思わず声をかけあっているという不思議。
妙な連帯感が生まれていたのです。

さて、加藤翼さんは、来る7月23日(土)より、清澄白河にある無人島プロダクションにて個展が始まります。
そして、8月7日(日)には木場公園を会場に、13時半よりイベントを開催!

個展の予告動画もギャラリーのサイトにアップされています。→ http://www.mujin-to.com/index_j.htm

加藤翼展「Fukagawa,Future,Humanity」 無人島プロダクション
会期:2011年7月23日(土)ー8月27日(土)
Opening Reception:7月23日(土)18:00ー20:00
Open:火~金|12:00-20:00 土~日|11:00-19:00
Closed:月・祝日 関連イベント開催準備のため8月6日(日)・7日(日)休廊

8月7日は木場公園に行ってみようと思っています。

「没後100年 青木繁展ーよみがえる神話と芸術」 ブリヂストン美術館

青木繁

「没後100年 青木繁展ーよみがえる神話と芸術」 ブリヂストン美術館 9月4日迄
10時~18時 休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)前期:8月7日迄、後期:8月9日~9月4日
http://www.bridgestone-museum.gr.jp/exhibitions/

39年ぶりとなる青木繁(1882年-1911年)の回顧展。
28歳と8カ月でこの世を去った青木繁が遺した作品は多くないが、油彩約70点、水彩・素描約170点、手紙などの関連資料約30点という、過去にない大規模な回顧展により青木の全貌を紹介しようというもの。

昨日アップした千葉市美術館の橋口五葉展の記事でも青木繁についてかなり触れたが、昨日この展覧会を観て、久々に大きく気持ちが揺さぶられた。
観終わった後にどこかもやもやした、青木繁は何を思い、どう生きて、どんな絵を描きたかったのか、考えても分からないことを知りたくなる不思議さ。
青木繁の油彩もデッサンも強いものが多かった。
橋口五葉が、東洋と西洋の美術の融合を目指したとすれば、1歳違いの青木は、美術と文学を結びつけようとしたのか。彼の苦闘と苦悩が作品からも伝わって来て、もやもやと気持ちがかきたてられたのだろう。

青木繁、畢生の名作と言えば、≪海の幸≫1904年(重文)であるが、これだけの名作をわずか22歳で描き上げ、名声を博したことが果たして彼にとって良かったのか悪かったのか。
結局、彼はこの作品を乗り越えることができずに生涯を終えてしまった。
画壇からの評価を得られなかったが、後世において評価される作品も多々あるが、青木之場合は、やはり今現在も≪海の幸≫程評価の高い作品はないと思う。そして、私自身好き嫌いは別として、やはり≪海の幸≫の凄さを今回改めて感じた。

≪海の幸≫はひとまず脇において、個人的に彼の作品で一番興味深いのは自画像群。
1903年の背景がまだらになった自画像や東京美術学校卒業制作時の自画像、これと同じく1904年のレゲエ風の≪男の顔≫(自画像)、そして1905年制作の三重県立美術館蔵の自画像。これ以後青木の自画像作品は出展されていない。油彩は恐らく制作されていないのだろう。

1904年までの自画像は、何と言っても周囲を睥睨するような双眸がとにかく印象的で、傲岸不遜だったという(芸術新潮7月号の特集ではゴーマン画家として扱われていた)態度がそのまま現れているように思った。
ところが、1905年の自画像では、一挙に青木が老けこんでしまったようで、瞳に力がない。
この年、青木は福田たねに二人の子供である幸彦が生まれ、青木は父となる。経済的な余裕がない彼らは入籍保留、その上、青木の父親が重篤の病に倒れたという一報が届き、青木は故郷へ戻る。
力のない疲れた自画像が、1905年のいつ頃描かれた作品なのか気になるが、既にたねと幸彦を抱え、途方に暮れていた頃なのかもしれない。

私個人は彼の作品も含めて、その青木繁という人物、人間像に関心を持った。
彼は本当に天才だったのか。宮城音弥著「天才」岩波新書を久々に読み返したくなる。
そして、かの松本清張も「青木繁と坂本繁二郎 私論」新潮社を書いている位だから、青木の人間像に魅了されたひとりなのだろう。それも分かる気がする。

1896年制作≪高良大社≫のデッサン(前期展示)を観ると、既に卓越した画力を持ち、美術学校入学後制作した≪ランプ≫1901年頃、黒田清輝の昔語りのための下絵を模写したという≪舞妓≫1903年(前期展示)、たねを描いた≪おもかげ≫1903年(前期展示)など優れた描写力を見せている。

後に描く一連の神話画シリーズより、こちらがはっとするような作品は、顔だけをアップにした肖像画だった。
≪女の顔≫1904年と≪幸彦像≫1907年は、息苦しくなるように迫りくるものがあって、青木作品の中で私がとりわけ好きな2点。くしくもモデルは福田たねと息子の幸彦。

1904年は青木にとって、一番油が乗っていた時期で≪海の幸≫もこの年の作品。そして1907年は、たねの生家である福田家で描いた青木の勝負作≪わだつみのいろこの宮≫を描いた年。

東京府勧業博覧会に出展した≪わだつみのいろこの宮≫1907年(重文)は、神話:海幸彦山幸彦を題材にとって青木特有の解釈と創造力を加え、水底を舞台に神話の世界を描いたもの。この時代、極端な西洋化への反動から明治復古主義が起こり、神話や古事記などかつての日本古来の文化、宗教への懐古が美術でも見られる。
青木繁に限らず、藤島武二、原田直次郎、山本芳翠らも神話に題材を取った作品を手掛けており、昨日の橋口五葉も同じくだった。

≪海の幸≫のような荒々しさや完成された作品だが、東京府勧業博覧会での評価は二分されたという。
夏目漱石ら文化人からの評価は≪海の幸≫以上だったというが、画壇保守派からは遠ざけられ結果3位に。

本作とは別に≪旧約聖書物語挿絵≫1906年や初期の神話画も個人的には良かった。神話画を描いたと思えば、晩年の≪春郊≫、≪佐賀風景≫は全く別人が描いたかと思うほど違うが、これもまた良い。

海の幸やわだつみのいろこの宮もそうだが、海を題材にした作品が非常に多い点にも注目したい。
本展会場を出た後に、ブリヂストン美術館所蔵品の展示室があるが、≪海≫1904年や≪海景≫(布良の海)1904年などとモネの≪雨のべりール≫1903年は制作年が僅か1年違いだが、青木はモネの印象派技法を自身の作品にうまく消化している。
同じくセザンヌの塗り残し≪帽子をかぶった自画像≫他、未完成という完成ももしやセザンヌ作品を観て、それもありだと考えたか。。。

彼の絶筆≪朝日≫1910年は、私にはどうにも沈んでゆく夕日に見えて仕方なかったが、海に昇る朝日に自身の不屈の魂を視たのだろうかと考えた。

ところで、図録掲載論文(4編)を美術館の図書コーナーで熟読していたら、≪海の幸≫とスイスのフェルディナンド・ホドラーの「マリニャーノからの退却」との関連が詩的されていた。図録にはホドラーの作品画像がなかったので、帰宅後画像検索をしたら見つかった(以下リンク先アドレス)。
http://www.mural.ch/index.php?kat_id=i&sprache=ger&id2=632

う~ん、関連は本当にあるのでしょうか。

小学生の頃、通っていたピアノ教室に画集があって、待ち時間の間よく眺めていた。その画集の中で、1点忘れられない怖い絵があって、タイトルも画家の名前も分からなかったが、青木繁の≪海の幸≫を観て、「この絵だったかもしれない。」と思った。実際は、ロシアの画家:イリヤ・レーピンの≪ヴォルガの舟曳き≫(下画像)で全然違ったのだけれど、ひとり前を向く青年の白い顔が、≪海の幸≫で観る側と視線が合う白い顔の人物(たねの顔と言われている)と記憶ごちゃまぜになったのだろう。久しぶりに≪海の幸≫を観てこの勘違いを思い出した。

ヴォルガの舟曳き

*デッサンや水彩画は、前後期で大幅に入替がありますので、ご注意ください。

生誕130年「橋口五葉展」 千葉市美術館

五葉

生誕130年「橋口五葉展」 千葉市美術館 7月31日迄
http://www.ccma-net.jp/exhibition_01.html

橋口五葉の名前ですぐに思い出すのは、≪化粧の女≫≪髪梳る女≫1917年などの、大正時代に制作された新作版画だろう。
しかし、それ以外の作品、新版画といっても展覧会に頻出するのは上記2点が殆どで、他に渡邊庄三郎と組んで最初に制作された版画≪浴場の女≫1915年や、あるいはポスター展で三越呉服店が主催した懸賞広告で1等を受賞した≪此美人≫1911年、ブックデザイン関連で、夏目漱石、泉鏡花の装幀本を見かける程度。
どんな人生や画業を送った人なのか、考えることはなかった。

本展は、五葉の没後130年を記念しての開催となるが、新出資料や1912年の出展以後、行方知れずになり100年ぶりに公開される≪黄薔薇≫(絹本著色)など約400点もの作品・資料の公開となる。
いつもながら、神奈川県立歴史博物館もそうだが、千葉市美術館の回顧展は半端ないボリュームで期待にそぐわない内容で前半を観て一旦休憩しないと、集中力が持たなかった。

展覧会構成は次の通り。
Ⅰ 鹿児島から東京へ
Ⅱ 物語の時代
Ⅲ 吾輩ハ五葉デアル
Ⅳ 邪馬渓を描く-新たな主題の発見
Ⅴ 素描-裸婦たち
Ⅵ 新たなる浮世絵を求めて

展覧会と合わせて、7月16日の小林忠館長の講演「橋口五葉と浮世絵」を聴講した。
小林館長曰く「五葉は、一本の決定的な輪郭線を追い求めた画家」だという。
千葉市美術館ニュースvol.59の巻頭文「線の美しさ、心地よさ」と題して、五葉の線の美しさ、清らかさについて語っておられる。

それらのお話や図録掲載の論考を読みつつ、感想をあげてみたいと思う。

五葉は初め、当時の日本画の大家である橋本雅邦の絵を学ぶが、後に同じ鹿児島出身の黒田清輝の薦めもあり、洋画に転じる。
東京美術学校へ進む段階で、日本画の素養を身に付けた上で、洋画を学んでいることは、彼の作品を振り返る上で私は重要だと思った。

五葉は三男だが、長男の貢(外交官)は夏目漱石の教え子という経緯もあり、美術学校3年生の24歳で兄を通じて棗漱石と当時流行していた水彩画絵葉書のやりとりが始まり、それを契機に漱石の薦めにより雑誌『ホトトギス』に挿絵を発表。翌年には、『吾輩ハ猫デアル』の装幀依頼を受ける。

漱石という人物は、目利きだったのだろうか。
話はそれるが、今日ブリヂストン美術館で始まった「青木繁展」を観て来たが、青木繁もまた漱石との交流がある。
青木繁と橋口五葉とは、五葉の方が年齢は一つ上だが、美術学校の1年上級に青木がいた。
お互い、面識はあったに違いない。
この1歳違いの両者には、共通項がいくつかあるが、向かった道は大きく異なる。
<共通項>
・橋口五葉も青木繁も、当時の画壇(文展)では評価されずに青木は僅か28歳、五葉は41歳で亡くなっている。
・夏目漱石との関わり → 関わり度合いは、五葉の方が兄との関係もあり、強固であった。
・ラファエル前派の影響 

なぜ、両者ともにラファエル前派の影響を強く受けたのか、調べてみたら当時ひとつの流行だったと分かった。
青木繁は画業にも長じていたが、文才もあったようで、絵を始めると同時に詩にも非常に興味を持っていた。
明治から大正にかけて、日本の文学では『早稲田文学』『文学界』『明星』などの雑誌でラファエル前派が紹介された。これらの雑誌を手にする文化人の間で、ラファエル前派の流行が日本にあったのだろう。

時代の先を見つめていたのは、五葉も青木も同じだが、それらを自己に取り入れ、消化し自分の表現として見せた結果は大きく異なっている。
その違いの面白さ。
同タイミングで橋口五葉と青木繁の展覧会を観ることができたのは本当にラッキーだった。
両者の人生と画業を通じて、明治・大正という時代についても考えさせられた。

五葉の場合、まず特筆すべき作品は、1903年美術学校の夏休みに描いたとされる≪流水と花と蝶≫(紙本著色)という屏風絵である。右側に琳派風の花と蝶があしらわれた装飾的な画面だが、西洋画を学んでいながら、装飾的な琳派に通ずるような作品を休み中に描くあたりに、後の五葉の作品傾向が感じられる。

他にも小襖に鳥の絵を描いたり、思い出されたのはイギリスのアーツ&クラフツ運動。
五葉には図案家としての素養が既に見いだせる。
同じく青木も板戸に焼け釘で絵を描いているが、完成したそれぞれの作品の大きな違いこそ2人の方向性の差に違いない。
一方で、ラファエル前派の影響を受け浪漫主義的作品を2人は描いていることは興味深い(橋本五葉展図録より引用)。
五葉の≪古代の女≫1904年と青木の≪天平時代≫1904年、同じ年に似たような構図とモチーフで描かている。
五葉の浪漫主義作品でいかにも彼らしい作品は縦に物語を連ねた≪王朝風俗≫1904年で、この作品を観ていると聖徳太子絵伝のような、古き日本の宗教絵画を思わせる構成で、この発想はやはり日本画を学んだことが影響しているのか、それとも古画の学習の成果だろうか。


五葉は、三越の広告図案の懸賞で一等を取り、他にも広告図案の分野や装幀で大きな活躍を見せている。
それによって得た収入で、経済的には青木ほどの苦労がなかったようだ。また、経済的に困窮した時にも両兄が大きな支えになっていた。
これも、長男として家族を支える役目に押しつぶされた青木とは大きく異なる。

しかし、五葉は画家としての成功を願った。
Ⅳ章の「邪馬渓を描く-新たな主題の発見」では、五葉が本格的な画家を目指した奮闘ぶりが伺われる作品が並ぶが、南画のような水墨画画あるかと思えば、≪黄薔薇≫絹本着色、≪ペリカン≫紙本金地着色のようならドギツイ装飾風画面の作品もあり、これらが当時の保守的な画壇に受け入れれなかったのは頷ける。

五葉の絵画は、装飾的に過ぎたのか、このあたりは昨年の田中一村に通ずる所がある。時代を先取りし過ぎたのかもしれない。西洋美術と日本画を行ったり来たり。五葉は両者の融合を求めたようだが、本画制作では、結局どっちつかずの作品となり、評価を得られなかった。
画壇の評価を得られなかったことが影響したのか、浮世絵研究に拍車をかけ、版画制作のきっかけになっていく。

五葉の版画については、冒頭で述べた通り、彼の作品でもっとも有名な一連の版画は1920年に一挙10点も制作される。五葉の場合、自刻自摺ではなく、彫り職人、摺り職人に逐一指示を与え完成度の高いものを要求した。

元々五葉は身体が弱かったこともあり、1年で10点の版画制作で心身衰弱し、あっけなく41歳の生涯を終える。

版画制作のため、五葉は美しい線を追い求め、ひたすら鉛筆デッサンを重ねる。その数なんと三千枚を超える。
特にすさまじいのは、女性の長い髪や首から肩、肩から背中、背中から腰、臀部へとつながる流れるような線描。
これなくして、化粧の女も髪梳る女も日の目をみることはなかったに違いない。

鉛筆素描→墨描き→版下絵→版画

これを徹底的に完璧を求め、結果命を落とす。
表現者の孤独な戦いと飽くなき完成度の追求にただただ感心、頭を垂れるばかりだった。

なお、図録の売れ行きが好調で5人に1人の割合で購入されているとのことでした。

常設展は「ドローイングの楽しみ」と題して、木版画やペン画、木炭の作品などが並ぶ。
フランク・ブランギンと作品リストにあったが、それは西美で回顧展があったブランググィンのことではないか。
千葉市美はブラングィンの木版も所蔵していたとは。。。そういえば、五葉とブラングィンって重なるる所がある。
他にイケムラ・レイコの1989年の縦が1.5m程の木炭画≪ヴァルト(森)≫シリーズが良かった。東近美の展覧会が楽しみになってきた。

*本展は、この後、北九州市立美術館分館(8月13日~9月25日)、鹿児島市立美術館(10月4日~11月6日)へ巡回します。

「ワーグマンが見た海-洋の東西を結んだ画家-」 神奈川県立歴史博物館

ワーグマン

「ワーグマンが見た海-洋の東西を結んだ画家-」 神奈川県立歴史博物館 7月31日迄
http://ch.kanagawa-museum.jp/tenji/toku/toku.html

神奈川県立歴史博物館の特別展は、行くたびに感心させられることが多い。
展示室や展示ケース、照明が古かろうが、よく練られた展示構成と展示品の丁寧な見せ方、ツボを押さえた簡潔な解説があれば充分満足できる。

本展はチャールズ・ワーグマン来日150周年記念の特別展。同館では(神戸市立博物館にも巡回)平成2年に「没後100年チャールズ・ワーグマン」展を開催しているので、約20年ぶりのワーグマンの回顧展。
ワーグマンと言えば、彼の弟子に2人の日本近代洋画の幕開けを担った重要な画家がいる。
1人は高橋由一、そしてもう一人は五姓田義松。
五姓田派については、これも同館で平成20年に特別展が開催され、この展覧会は私も拝見し、ここで五姓田義松の画業を知り、驚きとともに拝見したことが甦る。

ワーグマンは1832年ロンドン生まれ、パリで画業を学んだというが詳細は分かっていない。
1857年『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』社の特派員兼挿絵画家として、現在の中国へ向かい、1861年初来日を果たす。

今回は大幅な展示替えにより、ワーグマンやその弟子たちの作品約250点を紹介するもの。当初の予定ではロンドンにあるワーグマンの作品を本展で公開しようと試みたが、震災により見送りとなってしまったのは残念。しかし、図録には、借用予定だった作品の画像が参考掲載されているらしい。

しかし、それを補ってあまりあるワーグマンによる大量の水彩画は圧巻。
こんなことなら、7月10日までの会期Aも観たかったと思ったが後の祭り。やはり情報収集、作品リストのチェックは大切だと改めて思う。
ワーグマンは画家というより、挿絵家、漫画家だろう。彼の油彩画や来日後に描かれた水墨画もあったが、特別画技に優れている訳ではなく、むしろ水彩画やジャパン・パンチの挿絵には彼の個性が光っていた。

展覧会の構成を振り返りつつ簡単に感想を。
Ⅰ.航海
特派員記者として旅した際に描いた水彩画は、当時の様子を活き活きと伝えてくれる。
エジプトから、インド洋をわたり、セイロン→香港、中国と旅ではせっせと筆を走らせていたのだろう。前後期あわせて約120点の水彩画は、制作年不詳のもの以外、大半が1857年に描かれている。
アロー戦争の様子を伝えるために、中国に派遣されたので、戦火や阿片喫煙の室内、広東での街の様子などが描かれる。

個人的には、≪中国の少女たち≫、≪香港の少女≫などが好み。ふっくらとした少女は、他の水彩画では見られない、史実とは別に、彼の心をとらえた対象だったのだろう。どこか、ワーグマンのあたたかな眼差しが伝わってくる。

Ⅱ.港ヨコハマ
ここからは来日後のワーグマンの作品が水彩、油彩と合わせて展示されている。
油彩は、かたいが水彩は得意の筆がよく走っている。
意外なことに、福富太郎氏のコレクションが何点かあった。福富氏と言えば、鏑木清方をはじめとする美人画のコレクターとして知られているが、なぜにワーグマンの作品に惹かれたのか。

来日後は、風景よりもむしろ人物画が多くなっているように感じた。そして、彼の作品は風景画より人物画の方が良い。

油彩の中で、1点目に留まったのは≪鳥≫栃木県立美術館蔵。高橋由一の作品に似ている、実際は逆で、由一が弟子だから、師の作品に似るのは当然。
≪鳥≫以外にも由一との共通点を見いだせる油彩画、例えば≪江ノ島≫藤沢市文書館蔵などがある。

同じく五姓田作品との類似が指摘される作品も多く、ワーグマンに入門した時、わずか10歳だった五姓田義松は、ワーグマンの教えでその才能を大きく開花させることになった。

Ⅲ.海を越えた技術、海を越えた弟子たち

この最終章がまた見ごたえがあった。
ワーグマンと直接関係があるのか分からなかったが、山本芳翠≪富士山≫は初見だがとても良かった。
同じく、いつも子供が石にくくりつけられている作品しか見たことない渡辺幽香(義松の妹)の≪大日本風俗漫画≫1887年、≪大日本帝国古今風俗 寸陰漫稿≫1886年が出展されていたのは嬉しい。

五姓田義松の作品かワーグマンの作品か、定かではない作品≪自画像≫(十三歳)1868年東京藝術大学蔵は、そもそも義松の自画像ではない可能性まで指摘されている。
十三歳は、入門後わずか2年、その年齢でこれだけの絵画を描くとは思えない、実は師のワーグマンが描いたのではなかったかと疑いをもたれているのだった。

高橋由一は38歳、義松は10歳、極端に年齢の離れたこの両者が師と仰いだワーグマン。
ワーグマンは、日本人や日本をどう思っていたのだろう?
油彩画家とは言い難い自分を慕う日本人を煩わしいとは思わなかったか?
弟子とともに成長していったのだろうか?

ワーグマンの存在により、日本の洋画の幕開けは始まり、彼の存在なくば、日本初の油彩画登場はもっと遅れていたに違いない。その一方、ワーグマンでない画家が日本にいたら、近代洋画の幕開けはまた違ったものになっていたかもしれない。
更に、その功績はジャパン・パンチ創刊へと繋がっていく。

図録は1500円、一旦は見送ったけれどやはり欲しい(ここの図録は展覧会にもよりますが、買い逃すと入手困難になる)。良い展覧会でした。

*巡回はありません。

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展 21_21 DESIGN SIGHT

倉俣

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展 21_21 DESIGN SIGHT 7月18日(月)迄
http://www.2121designsight.jp/program/krst/

会期も残り数日となってしまった「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展。

倉俣士朗さんは、私にとって非常に思い出深いデザイナーです。
今回は展覧会の感想というより、いつも以上に自分語りになってしまうことをご容赦ください。

私が美術館、博物館、ギャラリーへ頻繁に足を運ぶようになってまだ日が浅い。
多分、この7~8年から美術館へ年に数回以上行くようになり、現在の驚異のハイペースになったのは東京に転居して拍車がかかったが、その2年程前くらいから始まっている。

そして、美術館へ行き始めた頃の私は古美術にはあまり関心がなく、どちらかと言えば、現代もしくは近代の画家に関心があった。
そして、もうひとつは美術館建築もしくは美術館という空間そのものに関心があった。

美術館巡りを始めた頃、一番行きたかったの美術館のひとつに原美術館がある。
私が最初に原美術館へ行ったのはどなたの展覧会だっただろうか。
はっきりと記憶が残っているのは2004年に開催された「奈良美智-From the Depth of My Drawer」 展なので、それが初めてだったと思う。

展覧会の後にミュージアムショップに寄って、目に留まったのがピンクのアクリルと試験管が組み合わさった花瓶だった。それが、倉俣史朗さんがデザインされたものを目にした最初。
一目で気に入って買ってしまおうかと思ったが、お値段が。。。散々悩んで、名古屋の自宅に戻ってからもまだ悩んだ挙句、諦めた。そういえば、その時、倉俣士朗の花瓶を買わずに、奈良さんのパタパタ時計を買ってしまって、それだけで充分な散財だったのだ。もちろん、パタパタ時計は今もお気に入り。

ピンクのアクリル花瓶が倉俣士朗というデザイナーのものだということも、購入するかどうか迷って、色々調べていた時に知った。
そして、倉俣さんがデザインした他の作品も見つけたが、中でも「これは!」と思ったのが≪ミス・ブランチ≫という同じくアクリルを使用した椅子。

そして、何年も経過しやっと本物の≪ミス・ブランチ≫に出会えた。
それは、想像以上に洗練されていて、息を飲むほど美しかった。
アクリルと造花を素材にして、材料名だけを聞くと美しさは到底想像できないが、実際に目の前にある椅子は、時間を止めてしまったかのような永遠の美しさを保っていた。

赤のバラの造花が造花に見えない。

倉俣さんがデザインされたアクリルやアルミニウムを使用したものたちは、どれもこれも、素材の良さを最大限に活かし、その可能性を最大限に追求している。

ミス・ブランチが一脚あるだけで、部屋の雰囲気ががらりとかわることだろう。

あのピンク色の花瓶も、展示されている。

時間は流れ、今の私はあの花瓶を以前程欲しいとは思わなくなってしまった。
花瓶は相変わらず美しいのだけれど、私の住まいや居場所には相応しくないと分かるようになった。
倉俣さんのデザインしたものは、どこか生活感を排除する、そんな日常を超越しているように思う。
研ぎ澄まされたデザインと日常を共にするには、ちょっと疲れてしまうような気がした。

ソットサスは、カチーナ人形をテーマに独自のデザインを展開しているが、やはり本展では倉俣士朗デザイン製品に強くひきつけられた。

村上友晴展「孤高の軌跡」 ギャラリエアンドウ

村上友晴

村上友晴展「孤高の軌跡」 ギャラリエアンドウ 7月23日迄
渋谷区松濤1-26-23 11:30~19時 日・月休廊
http://www.ando-tokyo.jp/exhibition/ex-current/current-ex/carrent-EX.htm
<作品画像、経歴等は上記ギャラリーのサイトをご参照ください>

DMに掲載されていた作品の画像(上記)を観て、この絵画を実際に観たいと強く思った。
深い赤と黒のせめぎあい、構成は違うがマーク・ロスコのDHC川村記念美術館のロスコルームにある作品群が頭に浮かんだ。

今回は1976年の初期の油彩作品から2004年のドローイングと幅広い制作年代の作品が8点。
私は村上さんの作品を過去にどこかで観ているだろうか?

昨年名古屋市美術館で、「静けさのなかから 桑山忠明/村上友晴」展が開催されていたのに見逃したのは大失敗だった。
どういうわけか、震災以後抽象画が好ましく、逆にこまごまと画面にモチーフが描かれた絵画が苦手になって、勝手な個人の心境の変化だが、村上友晴作品ほど、今観たい絵画だったことは実際に作品を目の当たりにしてよく分かった。

同じように軽井沢のセゾン現代美術館で観たロスコの作品もまたしみじみと感じ入るものがあり。

村上友晴の絵画は一見、大胆な抽象画のようでいて、その実非常に手間がかかっている。
恐らく、下地になる色を塗った後、別の色を小さな点を埋めていく。トップ画像の支持体は驚いたことにキャンバスではなく紙だった。紙に油彩絵具を塗り重ねていくので、重みと作品の保存が大変だとオーナーから伺った。

観ていると、彼の作品は触角を刺激される。
眼でものを触ることができるのであれば、私は長い時間彼の作品を自分の両目で触っていたような感覚。
実際に、手で絵肌を触ってみたい衝動に強くかられたが、勿論そんなことはできない。

油彩と同じくドローイングも鉛筆で描いたとは思えぬ質感と点の集積、点という表現も相応しくないかもしれない。

作品に囲まれると気持ちが鎮静化するのが分かる。
名古屋市美の展覧会が「静けさのなかから」と銘打ったのも、ここに来て納得できるのものがある。
村上さんは敬虔なクリスチャン。
神への祈り、もしくは贖罪といった画家の崇高な精神が画面から立ちあがる。

今、このタイミングで村上さんの作品に出会えたことを感謝したい。

「没後100年 菱田春草展」 水野美術館

菱田春草

「没後100年 菱田春草展」 水野美術館 7月31日迄 
長野市若里6-2-20 9:30~17:30(入館は17:00まで)月曜休館 *お着物でご来館の方は半額
http://w2.avis.ne.jp/~nihonga/schedule/schedule_now.html

2011年が菱田春草(1874~1911)の没後100年にあたることは、軽井沢に向かう新幹線の車中で知った。
軽井沢では、メルシャン軽井沢美術館とセゾン現代美術館へ行くことは決めていたが、時間があれば長野に行こうかと思い立ち、最初にチェックしたのが水野美術館だった。

水野美術館は日本画のコレクションが著名で、島根県の足立美術館と並んで日本画専門美術館として著名で、訪れるのは今回で2度目。何年ぶりだろうか?

本展は、春草の没後100年を記念し、水野コレクションの中でも郷土が誇る作家として、特に力を入れ蒐集してきた初期から晩年にいたる春草作品すべてを展示。「新時代にふさわしい絵画」の創造に生涯を賭けた春草の画業を改めて見つめ直すというもの。同館の開館10周年記念の特別展です。

菱田春草は、水野美術館のある長野県飯田市の出身。この展覧会の後、9月10日~10月16日迄、長野県信濃美術館でも菱田春草展が始まる。

さて、水野コレクションの春草作品は全部で36点。展示作品リストはこちら(PDF)。
1894年の初期作品から1910年の亡くなる前年の作品まで、初期から晩年までしっかり網羅されている、見事なコレクションだった。

一昨年だったが明治神宮記念館での菱田春草展は展示替えがあったので、春草の作品変遷を考えるにはちょっと無理があったが、今回は36点を一度にまとめて年代順に観たことで、今まで気付かなかった作風の微妙な変化なども知ることができた。
特に、気になったのは朦朧体という独自の表現技法を横山大観らとともに生み出した後の作品。
朦朧体では、不安定な構図をひきしめるために前景にある樹木をやや強めの黒で描いたり、朦朧体では描かなかった輪郭線を再び復活させたり≪朝之牡丹≫1906年と、朦朧体の良さを取り入れつつ、その欠点を補おうと奮闘する姿を感じた。

前景にアクセントとなる黒っぽいモチーフを使用していた作品、例えば≪松島≫1904年、≪竹林≫1908年、≪雪夜≫1909年を観ていたら、阪本トクロウさんも似たような黒のモチーフの使い方をしていることを思い出した。更に、春草の作品も阪本トクロウさんも画面上での余白が非常に大きい、特に顕著なのは阪本さんの方だけれど、そんなことを考えつつ眺めていたら楽しくなってきた。トクロウさんの好きな画家には、春草も含まれている。

ちょうど水野美術館へ行く前に軽井沢のギャラリー桜の木で阪本さんの作品を観たばかりだったので、そんなことを考えたのだろう。

個人的には、朦朧体一辺倒でぼんやりとした淡い画面の作品より、1904年≪松島≫以後の作品の方がより好み。

以下、今回特に印象に残った作品。
・稲田姫[奇縁) 光や遠近の効果。
・旭日静波 三幅対 両脇の双幅が大観作品、中央の旭日が春草。
違和感なく三幅がマッチしており、恐らく絵具も共有して使用していたと言われている。
・双美摘草 1901年 2人の少女が摘み草をしている所を描く。特に着物の愛らしさに注目。子供を描いた春草の絵は比較的珍しいと思う。
・芦に白鷺、柳に白鶴 紙本金地彩色 1903年頃 春草の金地屏風絵はこれまた珍しい。
水面に水鳥の頭の線をうっすらと描くことで、水中に頭を突っ込む水鳥の姿を描く。
・月下波 1907年

この他、≪羅婦仙≫≪富士に龍≫≪老松双鶴≫≪朝光≫も。

最晩年の作品≪岸樹秋風之圖≫は、春草にしてはやや丁寧さに欠ける所があり、眼病の進行の影響がうかがわれた。

2階展示室では、春草以外のコレクションが展示されている。
春草と同じ「日本美術院の画家たち」と題して、橋本雅邦≪太公望≫1902年、下村観山≪弁財天≫、≪水牛≫1919年頃、特に後者はごつごつとした背中が忘れられない。

静かな環境でじっくり作品と向き合える美術館です。

「西村伊央 -symphonic photograph-展」 INAX ギャラリー2

西村
「西村伊央 -symphonic photograph-展」 INAX ギャラリー2 7月28日(木)迄
http://inax.lixil.co.jp/gallery/contemporary/detail/d_001899.html

今回のINAXギャラリー2は、写真を用いたインスタレーション作品となっている。
作家は、西村伊央(にしむら・いお)さん。
西村さんご自身のサイト → こちら。作品画像が公開されています。

暗幕をあけて、展示室に踏み込むとオーロラのような光の流れに包まれる。
何と言っても、入った瞬間の驚きと気持ち良さが忘れられない。

まばゆい光の光源は一体何だろう?と思って、近づいてみると、ハガキより少し大きいサイズの写真(インクジェットプリント)が1枚1枚パズルのようにパズルのように貼り付けられ、大画面を構成していると分かった。
テレビで眼にする画像も根源をたどれば光の粒の塊。
1071枚ものハガキサイズのプリントを、モンタージュのようにつなげていったのが今回のインスタレーション≪astral≫2011年になっている。

全体で、高さ2.3m、横13mの写真インスタレーションは横に長い壁面を上手くいかして、光が波のように色彩を変えて現れて来る。
作品タイトルのastralは「星」の意味として理解して良いのだろうか。

元々、西村さんは、高校生までピアノやオーケストラで演奏活動をされていたが、美術も好きで進路を選択する際に、音楽を聴覚表現以外で感じることができればという望みのもと、視覚表現を選んだという。~本展パンフレット掲載のインタビュー記事より引用。

私は、今回の作品を拝見して、残念ながら音を感じ取ることはできなかった。
音楽との関係性を知ったのは、本展のパンフレットインタビュー記事を読んでからのこと。
しかし前述の通り、光の波を感じた。
音にも音波という言葉がある通り、波をイメージさせるものがある。
「波」というイメージを通じて、認識できないまでも「音」を感じていたのかもしれない。

西村さんは今年の3月に東京藝大先端表現科を卒業、私はBankART Studio NYKでの先端表現科の卒業制作展でも彼女の作品を間違いなく観ているが、今回の方がインパクトが大きかった。
制作手法は変わっていないので、やはり空間の大きさに依拠するところが大きいのか。

ところで、光源のもとになっているそれぞれの写真に写されているもの、これも光。
光のプリズムはこれほどまでに豊かな色彩を湛えていたのかと改めて感じることができた。

「葛城修験の聖地 中津川行者堂の文化財」 和歌山県立博物館

図録

「葛城修験の聖地 中津川行者堂の文化財」 和歌山県立博物館 6月11日~7月18日
http://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/nakatugawa/frameset.htm

前回、和歌山県立博物館を訪れた時には、企画展「文化財」の基礎知識 「緊急アピール・文化財の盗難多発中!」を開催していたと記憶している。
和歌山県には多くの寺社があるが、近年貴重な文化財である仏像などの盗難被害が続いており、これを防ぐためにはどうすればよいか、また広く県民他の方々に文化財盗難の現状を訴える内容だった。

そして、今回の企画展は冒頭にある通り「中津川行者堂の文化財」がテーマ。
くしくも中津川行者堂も盗難被害にあっており、役行者像と前後鬼像(平成22年8月盗難)、阿弥陀如来および両脇侍像(平成2年9月盗難)、更に不動明王坐像、僧形坐像(2体)、伝韋駄天立像(いずれも平成2年9月盗難)とこんなにも多くの仏像が盗難にあっている。
下の画像は、役行者像と前後鬼像(平成22年8月盗難)。中央の役行者像が展示されている(7/18まで)

役行者


幸いにも今年の5月に昨年盗難にあった役行者像は犯人逮捕がきっかけで発見され、ちょうど私が訪れた前日から同館で急遽公開されることになった。

この役行者像、思っていたより大きく像高58.9㎝。
上記の通り、阿弥陀如来、不動明王坐像等、主だった仏像群すべて盗難被害にあっているため、この役行者像が戻ってきたことは非常に喜ばしい。
更に、役行者像は珍しい面貌をしており、通常よく見かける役行者像にある髭がない。
昨年神奈川県立歴史博物館で「天狗推参」展が開催され、この展覧会でも役行者像が展示されていた。天狗は修験道とも関わりがあったので、今回和歌山まで行くことにしたのだ。

神奈川で展示されていた役行者像を帰宅後図録で確認したが、複数体あったが、いずれも立派な髭が生えている。立体像だけでなく、絵画として描かれた役行者像にも髭はある。

そう思うと、今回戻ってきた役行者像は珍しい。
一木造だろうか?制作年代の推定が幅広く、室町時代~江戸時代と特定困難。
頭頂部の鑿跡が、武骨で、丁寧な仕上げが行われていない所が却って気に入った。
思い出したのは、橋本平八作「老子像」。表情が似ている。

発見された役行者像とは別に、役行者および前後鬼像(室町時代)こちらは、像高52.3センチ。髭はあるが、三日月形の眼が特徴的で、神像で見かける表情に似ている。しかも、この役行者像は坐像で腰かけた姿で制作されているのも面白い。
前後鬼のいずれも揃っており、その朴訥とした姿は何とも言えない魅力がある。正統派にはない亜流の美。

展覧会の康生は次の通り。
一.役行者と葛城修験
二.葛城修験の聖地・中津川
三.中津川行者堂の碑伝と護摩札
四.熊野神社の棟札
五.中津川の文化財-盗難文化財情報とともに-

葛城修験とは、役行者が修業を行った葛城山系(和泉山脈、金剛山地の総称)の峯々に設定された行場を巡る体系のこと。
中津川と言えば愛知県民の私は、岐阜の中津川市を思い出してしまうが、それとは別で、和歌山県紀の川市の粉河寺(絵巻でも著名)の約2㎞北にある集落の名前で、ここから更に山中に1㎞入ったところに、中津川行者堂と中津川の産土社である熊野神社がある。

峯入りした修験者が名前と入峯の年月日、入峯の回数や願文などを書き記し、行場におさめる。
これがおびただしい数、展示室に並んでいた。棟札は「カーン」、「カンマン」といった梵字で始まる。
これらに何が記載されているのか、徹底的な調査が同館によって行われており、本展図録に資料として掲載されている。これら棟札は中津川行者堂におさめられたものと熊野神社におさめられたものの両方がある。

前記の図録(トップ画像)は、カラー刷りでページ数14ページとはいえ僅か300円なので、入場料と思えば安いもの。しっかり購入して来ました。
葛城入峯は、近世を通じて現在も行われている。熊野の修験道の入峯は今なお続いていることに驚きとともに時間が止まったように思えた。

「アンドレ・ケルテス写真展」 メルシャン軽井沢美術館 はじめての美術館87

ケルテス

「アンドレ・ケルテス写真展」~日常が芸術にかわる瞬間~ メルシャン軽井沢美術館 7月17日(日)迄
http://www.mercian.co.jp/musee/exhibition/index.html

ハンガリーの首都ブダペストで生まれたアンドレ・ケルテスは、パリ、そして、ニューヨークと移り住み、それぞれの街を舞台に、91歳で亡くなるまで精力的な制作活動を続けました。
本展は、フランス文化・コミュニケーション省建築文化財メディアテークの特別協力のもと、パリにあるジュー・ド・ポーム(Jeu d Paume)国立ギャラリーによって企画されたもので、フランス政府が所蔵するネガの中から、189点の写真作品を通して、初期から晩年に至るまでのアンドレ・ケルテスの世界を紹介するものです。

アンドレ・ケルテスの写真を意識したのは、昨年の陰影礼賛展。思えば、この展覧会の周囲での評価はいまひとつだったが、個々の作品、特に写真をよく知らない私にとっては、先日のクーデルカ、そして今回のケルテスと未知なる作家への扉を開けてくれ、とても感謝している。

ケルテスは、陰影礼賛で≪モンドリアンの家で≫パリ1926年を観て、その絵画的な構図と影の効果的な使い方で好きになった写真家。この後、すぐに1995年に東京都写真美術館の「アンドレ・ケルテス展」の図録で他の写真も拝見し、やっぱりいいなと。
今回はモダンプリントとはいえ、プリントが189点とまとめて観ることができたのはとても嬉しかった。これを観たいがために、軽井沢に行ったのだった。ケルテスのオリジナルプリントももちろん残されているが、世界中の美術館に少数ずつ点在しているそうで、それをかき集めて展覧会を行うのは非常に困難だと伺った。

さて、展覧会は以下の4部構成で、撮影年代順になっている。最後は2階の展示室にて、彼の展覧会のオリジナルポスター、古いものでは1927年~1990年のパレ・ド・トーキョーで開催されたものまで13点も合わせて展示されている。こちらも写真を使用したグラフィックデザインとして非常に興味深かった。

第1章 ブダペスト 1894-1925
ケルテスは、ハンガリー・ブダペストでユダヤ系中流家庭に生まれ、6歳の時に見た写真雑誌がきっかけで写真撮影を開始。20歳で招集され、塹壕の中での日常を撮影するが、戦争という非日常の中での日常-すなわち、彼と同じ兵士仲間の普段の何気ない表情や出来事を捉えている。

解説には、「日常の事物を淡々と見たまま写す手法で、後のパリでのフォト・ルポルタージュにおけるスタイルへと確立される」とあったが、淡々と写されたかもしれない写真は、抒情的に見えた。また、静謐な雰囲気を湛えているものも多い。
概してケルテスの写真は、ピクチャリズムにつながるような絵画的雰囲気を湛えている。

≪ロマのこども≫、≪水面下の泳ぐ人≫、≪がちょうのひな≫、≪ボチュカイ広場≫、≪やさしく触れる≫、≪ドゥナハラスティ≫などなど。
特に、≪水面下の泳ぐ人≫は、ケルテスの写真に特徴的な俯瞰した構図と影を見せる写真になっている。
全体を通じて見ていくと、俯瞰した構図が多いことにすぐに気付く。

既に、初期作品でケルテスは生涯に通じる自作の特徴を備えた写真を撮影していたことに驚く。

第2章 パリ 1925-1936

1925年、ケルテスはパリへ向かう。当初、『ヴュ(Vu)』などいくつものグラフ雑誌に作品を発表。ここでも、ブダペスト時代と同様、好んだモチーフは同郷の仲間や友人、芸術家、パリの街並みやそこで生活する人々だった。
そして、私がケルテスに強く惹かれるきっかけとなった写真≪モンドリアンの家で≫を1927年に初個展で発表。これをきっかけに注目を集め、写真家として知られるようになる。

・幾何学的な構図
・光と影の明確なコントラスト 
・俯瞰

繰り返しになるが、これらは生涯を通じたケルテスの写真の特徴だろう。
特に、パリ時代の写真はこのいずれかの特徴を何かひとつ備えていると言って良い。
影が主役といえる写真の代表例としては≪エッフェル塔の影≫だろう。影によりその物自体を暗示することを試みた。同様に≪モンドリアンの眼鏡とパイプ≫1926年は本人不在の肖像として著名。この写真にモンドリアン本人は不在だが、彼の身の回りの品々、眼鏡やパイプを机上に乗せた写真は、本人が撮影されている以上に、その存在を強く感じさせる。

影を意識した写真として、他に印象に残ったのは≪フォーク≫、≪影を描く人≫、≪シャンゼリゼ≫、≪パリ≫。
≪シャンゼリゼ≫は並んだ椅子の影の形態が面白く、椅子そのものも橋に写っているが、ここでの主役はあくまで影だ。

俯瞰した写真としては、≪ジョリヴェ広場≫、≪サン・ジェルヴェ・レ・バン≫、≪トゥーレーヌ≫など非常に多い。これが後の、広場シリーズにつながっていくように思った。

曲線美を面白く捉えた写真は、こちらもケルテスの写真では著名だが、≪おどけた踊り子≫シリーズ。ポーズ違いで複数枚撮影。脚の描く曲線にいやでも目が行く。

また、「手」をクローズアップした写真も数点あり、これらも気になった。

第3章 ニューヨーク 1936-1962
ヨーロッパは、ヒトラーにより反ユダヤ主義が高まり、ユダヤ系のケルテスは1936年アメリカのキーストン社との契約を機にニューヨークへ渡る。
この時期、彼の本意ではない仕事、ファッション雑誌やインテリア雑誌などの仕事の依頼が続き、次第に制作意欲を失っていったという。勝手な推測だが、同胞への強い迫害も彼の心情に追い打ちをかけたかもしれない。
しかし、1954年に撮影された雪の≪ワシントン・スクエア≫から、窓という新たな視点を見出す。

ニューヨーク時代の写真では、幾何学的な構図、特に直線、曲線を強く意識した写真が目立つ。
これらは、ニューヨークという街を形態的に捉えた証だと思われるが、緩やかなカーブを描いて伸びていく鉄道の線路を撮影した≪プラットフォーム≫、摩天楼の高層ビルを垂直線で見せる≪ニューヨーク≫など、これらの写真では、ブダペスト、パリ時代の写真にあった抒情性がやや排除されている。

また、前記の≪ワシントン・スクエア≫においても、柵が描く曲線を上手くとらえていることに注目した。

≪メランコリーなチューリップ≫1939年もまた興味を惹かれる写真で、首を垂れ、花が下を向いたチューリップは、ケルテス自身ではないかとキャプションにあったが、メランコリーな気分にあったのは彼自身であったのだろうと想像する。

1951年撮影≪ソファ≫は、主不在の肖像画を思わせる。

また、第3章ではこれまで全てモノクロだった写真にカラー写真≪ビーチ・ヘブン≫、≪パーク・アベニュー≫、≪近代美術館≫(いずれも1969年前後に撮影)などが加わる。

第4章 そして、世界で 1963-1985

1963年、ヴェネツィアの国際写真ビエンナーレとパリでの回顧展開催により、ケルテスは20世紀を代表する写真家として世界的に知られる。1968年に来日、1977年に最愛の妻を亡くし、1985年9月に91歳で亡くなるが、最期まで制作意欲は衰えることがなかったという。

とはいうものの、晩年の写真はやや印象に薄い。これまでの写真同様に器楽的な構図と影を捉えた写真≪ニューヨーク≫≪ストリート・シンガー≫≪ハワード・ビーチ≫などは健在。
妻のエリザベスへの強い思いを感じる≪エリザベスへの花≫1976年と、日本で撮影された≪彫刻≫1968年、これは仏像の手と着衣の袖だけをクローズアップしているが、この1枚に強く惹かれた。

ケルテスは、渡米後亡くなるまでパリに戻ることはなかったのはなぜなのだろう。
しかし、彼のネガとスライド、そして書簡などの資料はケルテス自身の意思により、亡くなる約1年前にフランス政府に寄贈されているというのに。

私がケルテスに惹かれたのは、彼の写真に絵画的なものを感じたからだろう。そして、モノクロならではの影を強く意識した写真、構図、どれもが好ましかった。


メルシャン軽井沢美術館は、今年の11月で閉館してしまいます。
お庭の美しい美術館で併設のレストランやカフェも立派です(残念ながら時間の都合で食事できませんでした)。
前回アップした彫刻展と合わせて、お薦めします。

彫刻・林間学校「アースバウンド」 メルシャン軽井沢美術館

彫刻・林間学校「アースバウンド」 SUMMER CAMP for SCULPTURE 
メルシャン軽井沢美術館 11月6日まで
 入場無料
http://www.mercian.co.jp/musee/exhibition/2011a_event.html
【出品作家】
林 武史(東京藝術大学准教授) / 津田亜紀子(東北芸術工科大学非常勤講師) / 仙谷朋子(美術家) / 藤原彩人(東京藝術大学非常勤講師) / 森 一朗(東京藝術大学教育研究助手) / 冨井大裕(日本大学芸術学部 美術学科 助教) / 藤堂良門(彫刻家・デュッセルドルフ在住)


まずは、藤原彩人《Daydream》都会と田舎、日常と非日常、時刻と時間、外と内など「現実と逃避」という視点で現代の人間の風景を彫刻表現できないか試みた作品。とにかく、遠くからでも圧倒される存在感を放っていた。
藤原さんらしい、彫像の面貌。6体程あったが、面貌はみな微妙に異なっている。後ろに回ると頭には飛行機マークが。
藤原彩人1

藤原2

・冨井大裕 《stacked container on base》。地面を掘って埋め込まれたアルミニウム合金の板の上にプラスチックコンテナを7段積み重ねて設置。コンテナは取り替え可能。肝心のアルミニウム合金の板を注視して来なかったのは失態だった。木とプラスチックコンテナが妙に同化していた。
冨井大裕

・ 仙谷朋子 《extraitーmori no mizuー》フラスコが樹木に吊り下げられている。水の粒子のイメージをレース糸で紡ぎ、フラスコに閉じ込め、木々の幹に吊るしたもの。もう少しお天気が良ければ、もっと光が反射して美しく見えたに違いない。

穴


・森 一朗 《ファイティングポーズ》酒樽を素材として制作されたのだろうか?どこかひょうきんな愛らしさがある。

冨井

顔面アップ!
アップ

・藤堂良門 《Raum Schilder》 ミラーを空間を作る道具と考え、公共空間にある標識や看板をミラーにすることで空間の中に空間を作る試み。制作意図は言葉として理解できるが、作品からそのイメージは浮かばなかった。

電柱

・津田亜紀子 《一つの窪み》凹型の土を掘り下げ象った作品。人が横になった姿だろうか。真上から観ればよく分かっただろうが、全体の形を確かめるには少し私の身長は不足していた。
重力、重みを意識した作品とのこと。確かに宇宙から落下したらこんな穴があくかもしれない。

彫刻穴

・林 武史 《六つの石》臨場と干渉(鑑賞)。石の塊を分割し、分散させ全体を観ながら造る。
藤堂

藤堂4

庭園で見つけた本物のきのこ。

きのこ

メルシャン軽井沢美術館は初訪問でしたが、緑あふれる庭園はちょっとした林で、レストランやカフェもあります。美術館へのアプローチ画像は以下。

美術館

「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」 サントリー美術館

鳳凰と獅子

「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」 サントリー美術館 7月24日迄 休館:火曜
時間:[日・月・祝] 10:00~18:00 [水~土]10:00~20:00(入館は各閉館30分前)※7月17日(日)は20:00迄
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/11vol03/index.html

鳳凰と獅子という瑞鳥、霊獣のイメージの展開に注目し、古代中国の遺品、仏画、彫刻、近世、近代における屏風や陶磁器、染織に至る鳳凰と獅子が使用されている名品を一堂に集め、その変遷や鳳凰と獅子の図像に託した意味などを展観するもの。

相変わらず、サントリー美術館は展示替えが非常に多い。前期・後期ときっかり分かれていればまだしも全部で7期にも分けて、一部作品について入替がある。
会員になっていれば別だが、そうでない場合や遠方から来る場合、全作品を観るにはかなり厳しい。
作品リストとにらめっこして、観たい作品を絞り込むのが良いかもしれない。

私は、7月3日に開催された記念講演会「鳳凰図像の展開-東アジアの視点から」講師:板倉聖哲氏(東京大学東洋うんか研究所 准教授)に無事当選したので、これに合わせて行って来た。

個々の作品についての感想より、板倉氏のお話が興味深く1時間半はあっという間だった。
以下、簡単に講義概要を記載する。記載にあたって、当日配布された板倉氏作のレジュメから一部引用しています。

1.鳳凰とは?
麒麟・霊亀・応龍とともに四霊の一つとされる瑞鳥。

(1)鳳凰の姿勢の4類型
・両足を揃えて直立する「静止」の姿勢  → 孔雀の姿勢でよく出て来る
・片足を踏み出して歩く「歩行」の姿勢
・鳥が片足を鋭く曲げ、他の足で力強く蹴る「頡頏(けっこう、きっこう)」の姿勢
・大空を「飛翔」する姿勢

(2)鳳凰の足の2類型
 3本が前方、1本が後方を向く「三前趾足」 大多数の鳥類 
 →その後、足指が前後に2本ずつ(2本と2本というのもある)わかれた「対趾足」宋時代から登場 鸚鵡など

 *展示されている作品の中に登場する鳳凰の足(足指)や姿勢に注目。
 

2.中国における鳳凰図像の意味と展開
・宮殿壁画に鳳凰を描く
 これはかなり古い。西漢 光武帝の父(劉欽)が描かせた。
 次に古い図像は南斉 東昏候が太極東堂に鳳凰・鸞鳥を描かせる。

 とはいうものの、鳳凰は東洋美術の側面から考察する際に、やり易いテーマではない。
 有名な画家が描いた鳳凰の絵は残っておらず、文献にも出て来ない。明時代以後の作品になる。作例からみて、鳳凰は重要視されていない。
 明時代の図像が日本を含む隣国に展開したものと思われる。西に渡る鳳凰は瑞長として定着。→ラスター彩鳳凰文タイル
 
 鳳凰には様々な寓意がある。
 「鳳凰牡丹」 鳳凰が鳥の王、牡丹が花の王で富貴を表すことから富貴吉祥を寓意。
 鳳凰は、雌雄、両者が相和して飛ぶことで夫婦和合の象徴。→ 作品の中に2羽飛んでいるものは?

 女性とともに描かれる鳳凰は想像上の生き物。
 個展では、蕭史が龍、弄玉が鳳凰に乗る。
 簫の名手である蕭史は秦王の眼に留まり、その娘の弄玉を嫁として弄玉に簫を教えたため、簫の音を聞き鳳凰  が来るようになり、それに乗って飛び去ったという。
 簫を吹くと鳳凰が登場する。

 他にも天に飛ぶ鳳凰、地を行く麒麟で瑞鳥、富貴吉祥を表す。
 五倫の比喩では、「天倫の楽」を表す。→ 明時代中期の作「五倫図」

3.日本における鳳凰の需要と展開
キトラ古墳壁画 四神の朱雀 
五方の鳥である。陰陽五行との関連。

4.近世日本絵画に注目して-狩野探幽と伊東若冲
狩野探幽 「桐鳳凰図屏風」→ 五鳳図の類型

伊藤若冲 林良「墨竹鳳凰図」相国寺蔵 
水墨と思わせ、五彩(特に赤)を使っているので要注意。この作品の模写である若冲の「鳳凰図」も存在している。
また、曽我蕭白の「群仙図屏風」(本展出品なし)に、蕭史が描かれていないことにも着目。

鳳凰と獅子はある種の願望をかなえる存在に変化していった。北斎の「鳳凰図屏風」は私的な用途で描かれたのではないか。

個人的には、又兵衛の「弄玉仙図」、小野田直武「獅子図」、古鏡(特に大和文華館銀製鏡は美しかった!)、正木美術館蔵「騎士文殊図」、第9章の獅子の乱舞-芸能と獅子をめぐってに注目した。
最近、初めて能鑑賞をしたが、これまで能面を観てもピンと来なかったが、能鑑賞したことで、少し関心が持てるようになった。今回は獅子の舞が演じられる能演目「石橋」について能装束はじめ紹介されていた。

「竹川宣彰 展」 オオタファインアーツ

牛

「竹川宣彰展」 オオタファインアーツ 7月23日迄 11時~19時
東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル3F
http://www.otafinearts.com/exhibition/index.html

ギャラリーに入った瞬間、驚いた。

ギャラリーのほぼ中央に巨大で白い立体作品が存在感を放っている。
近づいて見てみると、小さな牛のイラストが無数に飛び出しているではないか。
この立体、1リットルサイズの牛乳パックを組み立てて制作されている。牛乳パックのパッケージ表面を内側にして白い部分を外側に、つまり普段見かける牛乳パックをひっくり返し、かつ、パッケージに描かれている牛のイラスト部分はきれいに切り込みを入れられ、外側に飛び出ている。立体の表面部分も三次元的。

複数のメーカーの牛乳パックを集めているので、牛のイラストも様々。
こんなに牛のイラストって牛乳パックに描かれていたっけ?
細かい部分に目が行って、全体を観る余裕がなく、少し離れて見たら、この立体そのものが「牛」であることが分かった。タイトルは「遊牧」2011年。

そして、周囲に展示されているカラフルなドローイング4点、そして、彫刻作品を平面に落とし込んだコラージュ風の平面作品「街中遊牧」2011年が1点。
いずれも、すべてモチーフは牛、牛を取り巻く風景。

ドローイングは緩いタッチで描かれているが、「群落」2011年(トップ画像)では福島原発がしっかり描かれ、手前に牛たちが、そして大地は赤と緑っぽい色とに2分割されている。空に浮かんでいるのは何だろう?
大地の赤はSOSサインのように見えてならない。
絵の中の牛は、これまで自分たちを取り巻いていた環境が激変していることに気付いているのだろうか?


福島第一原発事故はいまだ終息の目途も立たず、毎日不安や恐怖にさらされる日々。
今回の震災や原発事故を直接作品に取り入れることで、何を言わんとするのか、何をそこで表現するのか。
私個人としては、この震災を美術の分野へ迂闊に取り込むことをどこか危惧している。

竹川さんの作品は、観る者に考えることを求めていた。
これらの作品を前に、みな何を考えるのだろうと気になった。

竹川宣彰さんのサイト → こちら

「空海からのおくりもの」 印刷博物館 

空海

「空海からのおくりもの」 印刷博物館 7月18日まで
http://www.printing-museum.org/exhibition/temporary/110423/index.html
展示紹介はこちら(非常に画像が美しい!)Flash版のためご注意ください。

「山の正倉院」と例えられる高野山伝来の貴重な写本、版本、版画、版木、国宝2点、重要文化財31点含む79点(前後期一部展示替えあり)を公開。数点をのぞいて、高野山を「下山」するのは、今回初の資料が多数となっています。

印刷博物館ならではの、中世日本の印刷出版活動を探る内容で、仏教文化w抜きにして印刷出版活動が広まり、浸透していく様子がよく分かる内容でした。

展覧会構成は次の通り。
第一部 それは山の正倉院だった-古代世界の至宝
第二部 甦る文字と日本語-ことばに生命と理法を
第三部 描かれた空海-絵巻のなかの高野山
第四部 遺産を忘れない-江戸時代の印刷までも

何も知らずに行ってしまうと、経典や版木など書物中心なので、地味でがっかりしてしまうかもしれない。
そのため、鑑賞前に1階や地下1階の受付にある「印刷博物館ニュース」NO.41を一読されてから入られることをお薦めする。
表紙含めて5ページにわたり、見どころが美しい画像とともに掲載されている。
私は、何も見ずに入ってしまい版本、経典の類はそれなりに観て来たけれど、それでも経典などはどれもみな同じに見えてしまった。先にこれを一読して見ながら展示をみていけば、もっと楽しめたのにとちょっと残念。

珍しいなと思ったのは版木で、これだけ沢山の版木を一度に観たのは初めて。
「高野版 般若心経秘鍵 版木」「高野版 秘蔵宝輪 版木」

一文字一文字、とても丁寧に彫られているのが良く分かる。版段階での彫りが精緻で正確でなければ、美しい印刷物は作成できない。

版木ではないが、それに類するものとして冒頭にあったのが「板彫両界曼荼羅」(金剛界曼荼羅)で、こちらは空海が日本に請来したのとほぼ同時代の作とされていて、現存曼荼羅より古い様式とされている、現存最古の板彫曼荼羅だとのこと。

重要なハネまでしっかりと大きさ書法も一定で、版木を観ているだけでも美しさが伝わってくる。

おなじみ中尊寺経の華やかさ華麗さに目を向けつつ、「成唯識論(春日版)」は、平安期のオリジナルに近い質の高さ。。。が実はよく分からなかった。

作品番号13~15の料紙の雲母が入っているのか、紙がキラキラしていた。また、中国や韓国が中世日本の印刷物の原点として「宋版」「高麗版」が紹介されていて、こちらも貴重。

仏像を印刷した木版画が作られるようになり、折り畳んで仏像の体内に納入する。すなわち、魂を入れるに近い。
もしくは、人々が手軽に仏を持ち歩けるように仏像の木版が広まる。以前、町田市立国際版画美術館で「救いのほとけ ―観音と地蔵の美術―」でも多くの仏版画が紹介されていたことを思い出す。

初期段階では巻子本だった書物の世界が、拓本、折本、、最終的に「粘葉装」(でっちょうそう)になっていく過程を白紙のダミーで手に取って鑑賞でき、お持ち帰りもできる。

本展の後、凸版ご自慢のVRシアターで今月より東博で公開される「血曼荼羅」を鑑賞できる。
上映時間は土曜・日曜:12:30から30分単位最終4時迄、火曜~木曜:11時半と12時半の2回だけ。

東博のVRシアターは何度か行っていますが、凸版の画面の方が横に長く大きい。血曼荼羅ド迫力です。

曼荼羅

展覧会図録はさすが凸版印刷経営の博物館だけあって、印刷はもとより本展図録は綴じ方に要注目。

東博の「空海と密教美術展」公式サイト → http://kukai2011.jp/
展示作品リスト(PDF) → http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1405

児玉靖枝展 「深韻 2011-わたつみ-」 MEM 

児玉

児玉靖枝展 「深韻 2011 -わたつみ-」MEM 東京 
会期 :2011年6月11日(土)~7月10日(日) 12:00-20:00 月曜休廊
都渋谷区恵比寿1-18-4 NADiff A/P/A/R/T 2F
http://mem-inc.jp/2011/06/09/2264/

MEMに行ったのは、横須賀美術館へ行った翌日。
横須賀美術館では、既に記事をあげている川端実展と常設特集として堂本右美「いきる」も開催されていた。

今回の児玉さんの新作も、堂本右美さんの一部の新作は、いずれも海をモチーフとしている。

しかし、堂本さんの描く海は展示されている横須賀美術館を意識されたのだろう、横須賀の海を描き、児玉さんは、神奈川近代美術館葉山館の前の海を描いている。

横須賀と葉山、私は海が好き、海を観るのが好きなので両館には何回か訪れていて、各美術館から眺める、横須賀と葉山の海の色は全然違うことに早くから気付いていた。
横須賀は、深度が深く、葉山は遠浅になっているのだと思う。横須賀は透明度が高く、特によく晴れた日の横須賀の海の青さはまぶしいほど明るい、逆に葉山は、透明度が落ちて、深く重い緑になっていることが多い。

児玉さんの今回の作品「深韻」は、最初拝見した時、深緑のみ使用した色面の潔さに驚いた。
しかし、近づいて横からキャンバスを観ると、赤や黄色など何層にも絵具を塗り重ねて、深い緑ができていると分かる。また上部、中央、下部と微妙に調子が変わっているし、ストロークも変えている。
あぁ、これは海なのだと分かった。

以前ダイビングをやっていたので、すぐに浮かんだのは深度の深い海底をイメージしたのだが、描かれているのは
波打ち際なのだそう。
たまたま、児玉さんご本人が在廊されていたので、お話を伺うことができた。
3点の大作はひとつの作品としての連続性がある。
横に広がる波打ち際、上部がやや白くなっているのは波頭で、打ち寄せる波がまさに砂地に向かって落ちようとする場面なのだった。

近くから、遠く離れて再び絵を観るとよく分かる。
特に、この3点の大作脇にある、夕方の海の3点、そして、やや小さめの海1点を観た後に、振り返った時、最初観た3点シリーズの深緑のグラデーションをより実感できた。

児玉さんは、神奈川近美葉山で行われた「プライマリーフィールド2 絵画の現在―七つの〈場〉との対話」展に出展されていたと、帰宅後思い出した。
ポートフォリオにはその時展示されていた作品も含まれていた。
ポートフォリオで旧作から今回の新作に至る過程を観ていくと、具象から抽象化がどんどん進んでいるようだ。
そして、私個人の感想としては、今回拝見した「深韻」含む潔いまでの抽象画面が非常に良かった。
また、作品を拝見していてイメージするのは日本画、例えば長谷川等伯や菱田春草らの作品で、児玉さんにそのことをお伝えすると、両者ともお好きな画家だとのこと。
油彩でありながら、印刷したものを観ると、テクスチャーが分からぬこともあり、日本画のように見えたのだった。


絵画は、観る時の観る側の心境や状況で、作品の感じ方、見方が大きく変わることがある。

私が今観たいのは、児玉さんのような潔い抽象画。
ただただ、深い色に身を任せる心地よさを実感した。神奈川近美葉山館の次回展「開館60周年 現代美術の展開」にも作品が出展される予定とのこと。私が観たい別の3点が出るようなので、葉山の海と今回の新作を思い出しつつ出かけたい。

狩野哲郎 個展 「Anonymous Corridors ~あたらしい回廊~」 waitingroom

狩野1

狩野哲郎 個展 「Anonymous Corridors ~あたらしい回廊~」 waitingroom 7月9日迄
営業時間:月(17-23時)、金土(13-19時)
渋谷区恵比寿西2-8-11 渋谷百貨ビル
http://www.waitingroom.jp/japanese/exhibitions/current.html

waitingroomは初訪。恵比寿駅から徒歩5分、道に迷いつつ何とかたどりついた。
スペースとしては、それ程大きくないが、今回の狩野哲郎さんはギャラリー空間を上手く使って奥の部屋と受付のある手前のスペースにコラージュ(ドローイング)作品を展示。

手前から奥のスペースを観た時と奥の部屋から手前を観た時の、展示風景の違いを楽しめる。
まず、私は手前のスペース壁面にあるドローイングに目をやりつつも、奥のスペースを眺める。
最初に目に入ったのは、部屋の一番奥の隅にあるこんもり盛られた種子(ブレンド)に目が行った(上画像)。様々な自然の色のブレンドはそれ自体美しい。

空間の中で、その種子は強い存在感を放っていたため、まず目が行ってしまった。他の作品の中で異質な存在に感じた。
狩野さんが会場にいらっしゃったので、お話を伺ったところ、「これを置くかどうか迷った(置いたり外したり繰り返した)が、結果的に置いた方が良いと思った。」という。

今、あの空間を振り返るとこの種子を中心として、マスキングテープが壁を走り、コラージュ作品とつながり、手前のスペースの天井へ這い、そして再び、コラージュ作品と結び付く。
空間全体が、発芽し、茎や葉を伸ばしているイメージを作り上げていた。
この場合、「葉」もしくは「実」がコラージュ作品にあたる。

狩野2

次にコラージュ作品、全部で何点あるのか、コラージュ作品の並べ方そのものが山のようにこんもりとしている。
明るく軽やかな色彩が多い。このコラージュには糊が使用されていない。

まず、支持体に貼り付けたい1片を選択する。
紙を貼るためには、糊が必要だが糊は使いたくない。で、貼り付けるために既成品のシールを使用する。
止めて見た後、自筆にその紙片に線を描き足す。その行為は自然発生的で、居心地の良い形態を求めて描く、そして再び好きな形を作るのに必要なモノ、テープだったりシールだったり、線だったりを付け加える。

狩野さん曰く「もともとある可能性のようなものを拾う」行為。「好きなものだけを使うから好きなものができる。」
最終的にできあがった形は、観る側にとって様々なものを頭に思い描くだろう。もしくは、単なる不思議な形で終わってしまうかもしれない。
私個人としては、花や山、動物に見えるものが多かった。

次に天井に目をうつす。
高い位置に糸巻が2つ。そして、そこから色糸が緩く垂れ下り、空間に色を添える。糸にもマスキングテープでできた小さなオブジェが付いていて、小さな発見の繰り返し。
この行為は、植物の発芽、すなわち「新しく生まれた芽を見つけた」時の悦びに近い。

天井にもともとあった釘を利用して糸を這わせるのだが、糸とコンクリートにできた天井のひび割れも糸のように見えて来る。

受付の方に戻ると、船のような糸にくっついたオブジェが、クーラーの風にかすかに動く様はまるでどこか航海に出るような錯覚さえ感じた。

コラージュ作品も良かったが、空間全体のインスタレーションとして観た時、その面白さが2倍3倍と膨らむ。
素晴らしい展示だったと思う。

お土産に、狩野さんのZINE「New Plants」(100部限定)を購入。眺めつつ、展示を思い出すのも楽しい。

*画像はwaitingroomさんよりご提供いただきました。

「生誕100年 川端実展 東京―ニューヨーク」 横須賀美術館

川端実

「生誕100年 川端実展 東京―ニューヨーク」 横須賀美術館 7月3日迄

川端実という画家を私はこれまで知らなかった。
川端実は、1911年東京に生まれ。祖父は日本画家川端玉章、父も日本画家川端茂章という芸術一家に育つ。 1936年の文展鑑査展では《海辺》が入選して選奨となり、1939年には光風会会員に挙げられ、早くから頭角を現わす。1937年~
1939年にはパリやイタリアで学ぶ。戦後次々と作品を発表し、1950年代にはフォーヴィックな作風から、画面を構成する強い意識をもちつつキュビスム的な 作品を描くようになり、1958年以降はベティ・パーソン画廊と契約。Betty Parsons galleryは1946年開廊。バーネット・ニューマン、ロスコーを扱うアメリカ抽象芸術を代表する作家と契約している。詳細 → こちら

川端は、1958年よりニューヨークへ移住。同年、グッゲンハイム国際展個人表彰名誉賞受賞。ニューヨーク・ニュー・スクール・フォア・ソシアル・レサーチ絵画部教鞭で教鞭をとり、各国で展覧会を開く。

本展は、川端実の生誕100年を記念し、戦後の代表作を中心に力強くそして鋭く緊張をはらんだ作品の変遷を、油彩約45点、デッサン類10点で紹介する、没後初、19年ぶりとなる回顧展です。

個人的な話題で恐縮だが、先週は仕事のストレスがピークで(時間的なものでなく精神的な負荷が大きかった)、こんな時にこまごました作品を観る気持ちには到底なれず、ロスコーのような抽象絵画を観たくなった。
そして、もうひとつ私は海が観たかった。

川端実展は、チラシを観た時から気になっていたのに会期最終日前日だが、観ることができて良かったと思う。
横須賀美術館の建物と川端の作品は見事に溶けあっていた。
この美術館は、大画面の抽象絵画がよく似合う。
天窓や建物横からの丸窓から射し込む光、真っ白な壁面、床は白木。
その壁に、川端の強いコントラストの抽象絵画は非常によく映えた。気持ち良いくらい色彩のシャワーを浴びて、ただ色面に包まれる心地よさ。
何も考えたくない時に、いろいろな思いを作品が吸収してくれるような感覚がある。

展覧会構成は次の通り。
第1章 戦後の再出発 フォービスムからキュビスムへ
第2章 機械の時代 1953-1956
第3章 線と色面による抽象
第4章 絵画の実験 1961-1972
第5章 多様な抽象へ

初期作品では、ピカソの影響を受けた作品が多い。
しかし、1958年「リズム 茶」横須賀美術館、「リズム」東京国立近代美術館以後、抽象化が進む。中でも「リズム 緑」1959年個人蔵は、交錯した強い緑の線が画面を縦横に駆けるがその下にはおびただしい色が下地として塗り重ねられている。ただし、絵具を盛り上げるようなテクスチャーではなく、絵肌はフラットに近い。
そして、ここからが面白い。
同じく1959年に描かれたチラシ掲載作品「祭り」千葉市美術館蔵は、水墨画のような黒の線が走る。
この線描の形態が何をなすのかは分からないが、黒の線は人の形の輪郭だとしたら、踊り狂う線が「祭り」のイメージを表現したものなのかもしれない。

1950年代以後、川端の抽象作品では、折り紙をイメージさせるような形態が画面に見られる。「緑のなかのフォルム」1973年神奈川県立近代美術館では、画面の上下にピンクの線が横に走る。そのストライプは思わずバーネット・ニューマンの「ジップ」を想起させる。川端は、NYでいやがおうにもアメリカで流行していた抽象芸術の流行に身を置かざるを得ず、自身の作品も時代の潮流に取り込まれていったものと考えられる。
「長方形 青、緑」「長方形 赤」「長方形 緑」とは補色関係にあり、まるで一対の作品のようだった。
この頃の、川端はNYで観た「小袖」の展覧会にインスピレーションを得て、折ったり、畳んだりという着物独自の展開を絵画に取り入れた。

「絵画No.2」の黒の背景色に対して、左上から垂れるように朱色の帯が流れる作品、そして、タイトルなしの1993年の作品、2001年に亡くなるが、本展最晩年の作品「Work97-D」1997年では、これまで観られなかった白と黒のみで構成された色遣いと色も削ぎ落されていった感が強い。
麻生三郎の絶作もそうだったが、死が近づくと、作品は徐々に白の部分が多くなってくるように思うが気のせいか。

彼の作品ではその色彩も重要視すべきだが、自分が気に入る色になるまで色を使った人で、そのやり方のひとつとして、身の回りにある印刷物、雑誌に気に入った色を見つけるとそれを切り取って、画面に貼って、その色を追いかけて行ったと言います。~横須賀美術館ニュース「コリダール07」の松本武氏インタビューより。

今年は、ジャクソン・ポロックの回顧展が愛知県美術館と東京国立近代美術館で開催されるが、その前にNY在住の日本人抽象芸術家の作品を観られたことは良かったと思う。

「路上 On the Road」 東京国立近代美術館

路上

「路上 On the Road」 東京国立近代美術館2階ギャラリー4 7月31日まで
美術館サイト:http://www.momat.go.jp/Honkan/On_the_Road/index.html#outline

毎回エッジの効いた内容・企画とデザイン性の高い小冊子の無料配布が楽しみな東近美ギャラリー4の常設企画展。

今回は、あの「ヴィデオを待ちながら」をキュレーションされた同館美術課長の蔵屋美香氏のキュレーションによる「路上」をテーマとした展覧会。

ビート・ジェネレーションのバイブル、ジャック・ケルアックの小説『路上』(1957年)にタイトルを借りたこの小企画では、長い距離と長い時間という二つの要素を、いかにして圧縮し、美術作品の限られた形の中で表現するか、という課題に取り組んだ、作品の中から写真、絵画、映像の約30点を紹介。~展覧会サイトより引用。

まずは、岸田劉生「道路と土手と堀』と東山魁夷『道』に観る、道が行きつく先にある消失点の位置によって、どんな効果が生まれるのかを考えさせられる。
劉生の「道路と土手と堀』は大好きな作品であるが、なぜ彼が平坦な道路でなく上り坂を描いたのかを考えたことがなかった。
しかし、消失点の位置関係の問題についての解説を読んでいくと、劉生は敢えて鑑賞者の眼前に立ちあがる画面を見せたかったようだ。そこには、二次元世界である平面絵画の中での奥行、三次元化を試み8ようとしたのかもしれない。2点を横並びさせたことで、同じ道をモチーフにしているものの、その違いがよく分かった。

次に、野村仁の道路に描いた時刻を撮影した一連の写真群『道路上の日時』1970年。
物理的な距離感とともにもうひとつ重要なのは時間軸の問題である

本作品は道路に白墨?で日時を書き込み、その日付が観えなくなるとまた次の時間を描いた映像作家さん。

荒川修作『アルファベットの皮膚』。
画面は大きく縦に3つ、横に3つに分割される。最上段はタイヤの痕跡。
真ん中には大きな窓(思わず森美術館で開催中のフレンチウィンドウ展を思い出した。

そして、奈良原一高のピンホールカメラを使用した写真「ブロードウェイ」シリーズやラウシェンバーグ『ポテトキッズ』1971年、ラウンシェンバーグは、m道に落ちている段ボールを拾って、壁にかけることで作品化した。
荒川修作『アルファベットの皮膚』、彼の絵画はいつも理解不能だったが、今回解説によって漸く何をしたかったのかが分かった。こうして作品を読み解けるようになると、俄然鑑賞も楽しくなる。

また、本展最大の見どころは、木村荘八の著作『銀座界隈』附録として出版された『アルバム・銀座八丁』(撮影:鈴木芳一)の道路の両側を撮影し、再構成したもの「4.5メートル)とアメリカのアーティスト、エド・ルシェーが制作した『サンセット・ストリップ沿いのすべての建物』長さ7.5メートルの写真集だろう。両者がケースに仲良く並ぶ。本展の小冊子がこの写真集と同形式で横長で、途中貼り付けされている甚大な手間を考えると、一体どれだけこの小冊子にかけているのか・・・想像すると恐ろしい。
木村作品の方が、ルシェーより12年前に手がけている。

大正時代の古き良き銀座や建物。お店の名前はそのまま健在という店舗が多い。
左右が中央に立つと立ちあがってくるような感覚を平面で行おうとしたのかもしれない。

好企画で色々考えさせられるとともに、作品の観方を教わった気がします。

*7月2日加筆・修正。昨夜睡魔に負けて、間違いだらけの内容でアップしてしまいました。申し訳ございません。
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