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「大辻清司のまなざし 写真家と同時代芸術をめぐって」トークイベント 武蔵野美術大学美術館

大辻清司フォトアーカイブ展関連 トークイベント
「大辻清司のまなざし 写真家と同時代芸術をめぐって」
日 時|2012年5月21日(月)16:30~18:00 会 場|武蔵野美術大学 美術館ホール
出演者|高梨豊(写真家)、 畠山直哉(写真家) 、大日方欣一(本展監修)


はじめに:大辻清司展フォトアーカイブ展の概要について

大日向:
少年期のアルバムから始まる3部構成とした。
大辻清司を語る上で「始まりの写真」という考えは重要。
大辻自身がそういう考えを持っていたと思う。
始めにやったことが枝葉を広げていく。オブジェの考えが強くそこから写真を開始し広げていったたこともその一例。

・タケミヤ画廊での1952年の2人展
10枚の写真を「太陽の知らない時」シリーズには「新宿・夜」が含まれる。これら10枚のうち9枚をベタ焼で展示中。
都市の最下層の匂い、戦後間もない時期の物質感覚、存在感覚に触れる写真。中には拡大が憚られるようなおぞましい写真もある。
「被虐的オブジェ」と言える。

実験工房、グラフィック集団との共同作業を終えて自己表現を確立。
特に1950年代半ばから多様な仕事を展開する。

<高梨氏と大辻氏との出会いからそれ以後>
高梨豊:
1950年代末に大辻さんと出会う。
グラフィック集団の八木修の銀座のスタジオにふらっと大辻が現れ、それが初めての出会い。
日大写真科卒業後、新聞関係のグラフ誌をやりたかったが、すべて落ちた。原因は持病の若年性高血圧。
その後、方向転換し八木修のアシスタントになった。
大辻は当時、スタジオを持っていなかったのでスタジオを借りに来た。
(ここでグラフィック集団の仕事について触れる。デザイナーの増田正、村越襄らと百貨店の広告の仕事をしていた等々。)

自分(高梨)は新写真派協会展でアポリネールの詩に写真を付けた。
人が入っていない、麦わら帽子がランデブーする写真。。。
その写真を大辻に見てもらったが、これまで意見を聞いた人とは見方がかなり違っていた。それを機に大辻とのお付き合いが始まる。
自分が桑沢デザイン研究所に入ったのはその後のこと。

大日向:他の写真家と大辻との違いは?

高梨:
その頃、写真には分類ができていた。その分類にあてはめて見るということが多かったが、大辻はそこからはみ出ていた。
日大では月例写真をやっていた。スナップショット中心。
(前述の)アポリネールの詩の写真は初めて自分で造って撮った。
大辻から「カテゴリからはみ出る方がいい。それを大切にした方が良い」とアドバイスを受ける。

桑沢デザインの夜間部に入ったが学校では大辻に会わなかった。
石元は2度目のシカゴで当時は不在。
個人的に独占して写真を見てもらっていたが授業でではない。スピード・グラフィック(カメラ)を購入して撮っていた。
当時は「もの」について勉強していた。都市の片隅の「もの」を撮る。
パラレルにその頃は撮っていて、斜めに撮ると逃げられる気がした。
その頃は光が邪魔だと感じていたので、曇天や陽が差さない日にしか撮っていなかった。
1950年代に浜田浜雄は原宿にアトリエを持っていて、よくそこに通った。
瀧口修造の『近代芸術』を浜田のアトリエで見つけ、それを読んで写真以外の美術というジャンルを意識した。

大日向:大辻とのやりとりは?

高梨:
手応えがあると大辻家にすぐ帰る。
現像してプリントし、桑沢から大辻が帰るのを待っていた。
大辻は良い悪いは言わない。
(1)写真がそのまま「ナマ」であってはいけない。
(2)写真を撮る人間の考えがそのまま出てもいけない。
「これは上手く殺せたね」とか「半殺し」とか言っていた・
あの頃は写真を殺すことが自分に引き寄せることだと思っていた。
(高梨の「SOMETHIN' ELSE」制作の頃)
大辻の写真は全部殺していない。

大日向:大辻のアシスタントをしたことはあるか?

高梨:
アシスタント(助手)はツツミダニコウジ(こうちゃん)という人がちゃんといた(ツツミダニ氏も後に桑沢へ入る)。
大辻さんの所は学校だけでは終わらない。牛腸さんとか、みんな家に来る。
自分は面白そうな時だけ撮影に同行した。
土方巽を初めて撮影する『芸術新潮』の仕事がある、これについて行った。
暗黒舞踊とか訳が分からなかったけど。
三島や土方を後日撮るとは、その時思っていなかった。
『みづゑ』の仕事でヘンリー・ムアの都美初の展覧会があり、その撮影も一緒に行った。
大辻はコンタクトプリントをそのまま編集者に渡していたが、雑誌ができたら、大辻でなく自分(高梨)の写真が表紙になっていた。
失敗しても大辻は動じない。

大日向:大辻の撮影で特徴的なことは?

高梨:感情を出さない。人だろうとものだろうと、撮り終わると必ず黙礼する。

<畠山氏と大辻氏との出会い、それ以後>
畠山:
1978年に筑波大学に入学し、大辻がいた。入学前から名前だけは知っていた。
自宅にカメラ雑誌があり、大辻の連載を読んでいたので。
筑波には写真学科がなく視覚伝達デザインの教師として、基礎で写真の実技を1年生時より必修で行っていた。
フィルム現像のやり方を手書きのプリントを渡して説明してくれた。

写真に興味を持っている学生いばかりではなかったので、(大辻が)戸惑っていたという話を後で聞いた。
実は大辻は若い頃工業デザイナーになりたかった。デザイン全般に関する知識は凄かった。「間口の広さ」、学生はすぐにそれを理解し、学生からとても人気があった。

教室に入って来て「タバコ吸いで授業で毎日吸うから、皆も吸って良い」と言う。ピース缶をポンと教卓に載せたことが印象深い。
大辻の写真史の講義は特に印象的。
カメラの原理、写真の登場、海外の写真家を紹介。確かグラフィックデザインのデザイン史も担当していたと思う。*山口勝弘(実験工房)が筑波大総合造形の教授だった。

大日向:山口勝弘、篠田守男らテクノポップ系の教授陣とは違ったていた?

畠山:3人とも仲が良かった。

大日向:大辻さんと個人的に対話が始まるのはいつ頃?その様子を知りたい。

畠山:
先生自身の写真を見せることはなかった。自分の活動を披瀝するようなことはしない。
モノクロのおさらいがあり、必修だった。
その翌年、選択で写真をコースがありそれから会話が増える。
自分(畠山)が、撮った写真をテーブルに広げる。
土浦など街で写真を撮って帰って来る。
ひとつのテーマを決め、それでどの程度バリエーションが広がるかが課題の内容。
ある日「リンゴ」が主題で出た。この主題でどれだけの写真が撮れるか。
自分(畠山)は提出しなかった(?)ので、「どうしてできないのか?」と聞かれ、「課題がちょっとやる気が出ない。」と言ったらがっかりした顔をされていた。

大日向:大辻の写真観は?

畠山:未だに写真に関する根本的なことをあれだけ語れる人を見たことがない。彼にはある種の情念がある。
あおこに常に「なぜか?」という質問を挟んでいく。その質問は歴史的で数千年位の問いだったりする。
20世紀以後の思想を身につけていた(大辻は読書人)が、それ以前の思想も学生にぶつける。

例えば、「美しいって何だろうね?」「面白いのはなんで?、どういう所が面白いのか?」等々。なぜなぜ君と同じ。
多くのものを身につけた人の「なぜ」は重たい。
どうして僕たちは写真には興味があるのか。
どうして面白い写真とそうでない写真があるのか。
自分だけの問いなのか他者と共有できる問いか。
紋切り型に注意深くあれといつも言われている気がする。
写真は単純なものではない。

大辻との会話や身のこなしと関わっているうちに世間で言われている先のもっと面白い世界があると気付く。

~再び高梨との話に戻る。

大日向:デビュー当初の2人の仕事のやりとりは?

高梨:
大辻とのやりとりはあまりない。somethin’も殺すか殺さないかの話で良かったとは言わない。
浜田浜雄は「1000年に1度」とおだてて励ましてくれたのとは違う。
初個展をやる時は誰かに巻頭文を書いて貰おうということになり、阿部展也の名が出て写真(資料?)を送り依頼したが彼は無反応だった。
それで困って瀧口に書いてもらう事になる。
阿部の写真の見方は自分のと違っていたのだと思う。

そう言えば、「町」というシリーズはいいと言ってくれた。

「オツカレサマ」は広告写真をやってるなら人間撮れるだろうと言われ初めて撮った。
素朴なシュルレアリスムの援用、
日本写真批評家協会新人賞を獲ったが、それを報告しに行ったら大辻は「それはおなぐさみでしたね」と言われむっとした記憶がある。
反論があればいつでも答えはあると強い調子だった。
ものに関わる写真とかは評価しれくれた。

~畠山氏への質問~
大日向:大辻さんとの葛藤は感じたことがあるか?ものの見方の違いとか?

畠山:
卒業後は1年に1度か2度挨拶に行った程度。他の学生達としめしあわせ挨拶に行ったが、写真の話や世間話、雑談をして帰って来た。
87年にツァイトで「ライムヒルズ」の古典をやった時。「はりぼて」と言われて落ち込んでいたのを今、思い出した。
97年に「ライムヒルズ」の写真集を出したが、その時には『アサヒカメラ』に大辻さんが素晴らしい書評「現実と幻想の分水嶺」を書いてくれたので、「ハリボテ」と言われたのを忘れていた。

「これは大辻さんが見たら何て言うだろう?」と考える。彼が亡くなってもそういうことをしたいと高梨とも話をした。好き嫌いは誰にでもある。

高梨:
「ストレートフォトができるんじゃないか」と大辻から言われた。「東京人」はそれから。スナップショットの積み上げで何かできるのではと思った。
大辻のその言葉がなければ、違っていたと思う。
大辻さんはヒントをくれる。

大日向:大辻の写真家としての仕事をどう見るか?

高梨:
写真の技術の変化、時代とコミットする仕事をしていたと思う。
メイキングフォト、スナップショット、色んなことをやっているが、時代と対応している。
ある種の予感的なものがあり、深い形でそれをやっている。
大日向氏がちらっと言った宇宙的という話が良かった。
人類の写真を宇宙に展示することができれば彼の写真を是非持って行きたい。特に自分の家を壊していく写真とか。。。

畠山:
筑波大を退官された時、退官記念の展覧会を開いてくれないかと依頼した。
金子隆一氏に吹き込まれて(以下)自分が大辻さんに依頼する役回りになった。
展覧会歴がそれ程ないので、畠山から頼め、展覧会を記念にして祝おうということだった。
卒業して2、3年経過していたが、先生に依頼したら了解してくれた。
筑波大の大学会館で開催。
今、僕らが思っているアーティスト像とは違う。
大辻先生の写真の撮り方は違っていると思った。
発表目的のものもあるが、普段の好奇心から撮っている写真が多い。
その時、その時の関心で写真を撮っている総体のような内容だった。

他の手段では見えない、完全に独立している。
良し悪しで語れるものではない。
年を重ねて現れる写真の面白さを知っていた。
Leave it  .なるようになれ。

写真撮影は受動的。
時代、態度が今あのように見えている。
30年前なら写真としての意見が出て来ただろう。
新興写真の中に位置付けると別の見え方が出てくる。しかし、今では問題にならない。頭を垂れて受け取るしかない。

~話題転じる。
大日向:高梨、畠山、両氏の公式な対談は初ですよね?

畠山:
既に高梨さんは活躍されていたので、大辻先生の学生だったとは知らなかった。

高梨:
畠山に比べると自分は下世話な写真家。
(畠山氏をして)「理想の写真家かくあれ」の見本みたいで羨ましい。観念の鉄骨みたいな写真家。
ただ、血肉はどうなっているんだろうというのもある。
血肉がつかないと生態にはならないから。。。
尊敬してます。

大日向:大辻さんの写真には最後に「軽み」が出て来る。高梨さんも最近同じことを仰っていますが。

高梨:
俳句と写真に共通することがある。
芭蕉の「奥の細道」、彼の最後の理想は軽み。
辞世の句はと聞かれ、「日々辞世」と芭蕉。
撮ったはなから過去になるのが写真。
若い頃と写真との関係が変わって来た。駄洒落でなく本当の軽みに行きたい。

大日向:写真家が年を経て変化していくことにもつながっていく。

最後に畠山氏が「大辻さんにとって、どれだけ科学が大切にだったかをもっと話したかった。」と名残惜しそうな様子だったのが印象に残った。


展覧会:「大辻清司フォトアーカイブ 写真家と同時代芸術の軌跡 1940-1980」
2012年5月14日~6月23日 武蔵野美術大学美術館
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「宇佐美圭司 制動・大洪水」展 大岡信ことば館

三島駅から徒歩2分、大岡信ことば館に行ってきました。

大岡信氏は詩人、歌人の仕事と並行し美術などの評論活動もされている。

6月12日まで、大岡信ことば館で「宇佐美圭司 制動・大洪水」展が開催されている。
宇佐美氏は1940年大阪府吹田市生まれ。
東京芸大を受験するが失敗、浪人生活を送るため高校卒業以後は東京在住となる。

大岡信とは、当時日本の美術評論家御三家の1人であった東野芳明を介してであったという。
宇佐美氏は、再受験でなく独学で美術の道を進む方が早道とし受験を断念。東野芳明を日本橋の南画廊に訪れ、議論を吹っかけたのが初めての出会い。作品を見て欲しいという希望に、宇佐美を気に入ったのか、彼のアトリエに出向き作品を観る。
そして、南画廊オーナーを紹介、彼にも作品を見せ、1963年に初個展を南画廊で開催。

私が大岡信ことば館を訪問した日はたまたま、学芸員+特別に館長の岩本氏のお二人によるギャラリートークが開催され、運良く参加かすることができた。前述の東野との出会い、初個展までの道のりはトークで伺った話である。

1階は天井高8m50cmと2階天井までの吹き抜けがある。
そこに、宇佐美の《山をつくる》2004年が壁面から10cm程離れた中空に吊られていた。

キャンバスはなぜ壁面に貼りついていなければならないのか?
日頃当然と思っていた事実に突然疑問符がつく。
中空に下がるキャンバスも絵画であることには変わりない。しかし、壁面から独立することで絵画の物質性も顕著になる。
傍には座布団クッションが置かれていて、床に自由に座って作品をご覧くださいと貼り紙があった。

作品の正面には二階展示室に続く階段があり、そして、入口正面、絵画のサイド壁面には大岡信が宇佐美のために作った詩「5つのヴァリエーション 宇佐美圭司のために」の中の一節が立体文字で壁面に対して垂直に飾られている。照明によって立体文字に影が生じ、その影がもうひとつの文字を作り出していた。

階段をあがる途中で詩を眺めたり、《山をつくる》を見ると、鑑賞者の視点の高さによって作品の見え方も当然変わることに気付かされる。

今回の個展テーマである大洪水は、宇佐美が尊敬するレオナルド・ダ・ヴィンチのドローイング「洪水」から着想を得、5年程前から取り組み始めたテーマ。
《大洪水へ》と題した2010年制作の作品4点、最新作一部未完の《制動・大洪水》と続く横6m弱の巨大な作品含め6点も壁面から離れ、展示室の中央に弧を描くように配置されている。
作品の中央には異なる高さの階段が置かれていて、鑑賞者は土足でも靴を脱いでも良し、壇上に寝転んでも座っても自由な位置で作品を鑑賞することが、本展の特徴。
内側に向いた作品はそれぞれ傾斜角度も高さも微妙に変えて吊るされている。よく見ると渦を巻き込むように高さが変えられていることが分かるだろう。

円弧と人型が反復し描かれ、渦状に配された円弧の動きを強調するようなアースカラーによるグラデーションが画面での特徴。人型はマスキングテープを使うものとフリーハンドによる描線の両方が見られる。

人型のずらし→横への移動
後述する4つの人型の重なり→積層(縦に移動)
これらに加えグラデーションをエアブラシでなく手作業で作家が行なうことからも、絵の中の時間性を強く意識した構造であると分かる。
縦横に広がりを見せる時間の流れ、動きにはエネルギーの発生も同時に感じさせる。

ギャラリートークでは、時間の視覚化を宇佐美が意識したきっかけとして、道路にあった車のタイヤ痕が紹介された。車のブレーキ(制動)により、タイヤと道路が摩擦することでタイヤ痕が残される、時間の流れと制動により発生したエネルギーが摩擦となり痕跡が現れる。これを機に時間を量子化することで絵画の中で視覚化する試みが始まった。


作品内部でもキャンバスそのものによる空間自体を渦と見立てた今回の展示。
洪水に制動が起きるとそこに大きなエネルギーが生じる。
見えないエネルギーの力を可視化したい。そんな宇佐美の意思を感じた。

2.「大洪水の予感、あるいは痕跡」
ここでは、1958年宇佐美が18歳で描いた《反建物》はじめ、1959ねの《最後の大阪》、そして《大洪水》を予期するかのごとく渦のような抽象絵画《ヴィリジャン、群れをなして》No.1,No.3 No.5の3連作が特に目を引く。

3.「身体への開かれ」
ここでは、1964年以後、近代を象徴するモダニズム絵画からの脱却を図らんとする宇佐美の試行錯誤の過程を観ることができた。
《夜明けの3時に》1964年において、絵画の中に人のアウトラインが登場する。次に小品《出現》1964年、この作品は非常に興味深い。画面の中央がニューマンのZIPよろしく、縦に垂直に帯状の空間があり、両側に紙面が貼られる。両方にまたがるように人型の影がうっすらと見えている。
この頃の作品には限定的にコラージュも使用されるが、以後は使われない。
絵画の平面性を打ち崩さんと《オールド・ファッション・アーケード》1965年では中央が再び凹状に凹んでいるが、こうした支持体への加工もこの作品においてのみ試みられている。

グリーンバーグの影響は当時の画家に絶大であったのだろうか。
どこか、平面性、抽象絵画からの脱却と反グリーンバーグ的なものを感じる。

そして、宇佐美が自身の表現として見出したのが人型であることは、ポロックをも彷彿とさせこれもまた興味深い。
1965年のワッツ事件記事の走る群衆の中から「 走る、たじろぐ、かがむ、投石する」4人の人型を選び切り取ったものを円に内接させ、それぞれの輪郭線が交差するところで新たな形態を見出す。
かがむ、投石するという猿から類人猿へと進化の過程をたどるような人型を敢えて選んだのは意図的なものだったのだろうか。

宇佐美圭司の《大洪水》シリーズを前にすると、人が地球に誕生した古代から円弧を辿って未来へと繋がるような厖大な時間の流れが見える。
大極の印のような宇宙の渦の中で制動が生じ、地球が誕生したのではなかったか。


宇佐美氏は現在、癌と共存、闘いの日々。
どうか、未完の作品を完成させ、新たなる宇宙的な空間を創造していただけたらと願ってやみません。
1日も早いご快癒を祈念しています。


本展では、宇佐美氏の2011年11月25日~2012年2月21日アトリエでの制作の様子とインタビューを撮影した映像(34分)が上映されています。アトリエに流れていた音楽がビル・エバンスのJAZZであったことが忘れられません。
非常に貴重な内容です。是非お見逃しなく。

テーマ:絵画・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

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