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「絵金とその時代展」  香美市立美術館

高知県立美術館の大絵金展を一旦後にして、向かった先は香美市立美術館。

今回の旅程は後日まとめるつもりだが、大阪の伊丹空港から高知龍馬空港に到着。絵金蔵へは空港から車で10分程度。絵金蔵から香美市立美術館にも10分程度だったので、当初は高知県美より先に訪問するつもりだったが、私が行った日(11/10)が香美市立美術館での展覧会オープニングで14時半から高知県美の大絵金展担当学芸員の方のギャラリートークが開催されると知り急遽予定を変更し、先に高知県美に回ったのだった。距離的、時間的なことを考えるとロスだがトークを優先。おかげで高知県美では土佐派特集の担当学芸員氏のトークも拝聴でき、結果的には良かったと思う。

さて、香美市立美術館でも絵金生誕200年を祝した企画展が12月16日まで開催されている。高知県下では絵金生誕200年を祝し様々なイベントや展覧会が企画されている。本展もそのひとつ。

この美術館では高知県南国市の片山公民館に香美市土佐山田町町内会に所蔵されている芝居絵と高知県美寄託の絵金芝居絵約20点を露出展示。展示スペースは展示室ひとつと決して大きくないが、高知県内ではこうして町内会や公民館で芝居絵が今も大切に保存されていることが伺われた。
絵師・金蔵の手が入った芝居絵より、絵金に学んだ後世の絵師たちによる芝居絵が中心。したがって、キャプションには絵金でなく「絵金派」と記載されているものが特徴(河田小龍など作者が特定できるものは除く)。制作年代がある程度絞られる芝居絵が中にはあり、例えば、絵の中に「会津負けた」と書かれている箇所があり、これは戊辰戦争後に描かれたのだろうと推測できる。また、明治以後に描かれたものは特に構図に面白みがあり、より現代の漫画のコマ割りに近い表現も見られ興味深いものがあった。

後藤学芸員のお話では、芝居絵が流行した背景、天保の改革で倹約が厳しくなり芝居、歌舞伎などが禁止され、その鬱憤をはらすではないが、元々地芝居の盛んだった土佐では芝居絵にそのはけ口を求めたのではないかとのこと。地芝居もできることならあわせて鑑賞したかったが、時間の余裕がなさすぎた。この翌日に、絵金関係のイベントで「土佐絵金歌舞伎」も開催されていたのに・・・。残念。
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「大絵金展 極彩の闇」展 高知県立美術館

高知県立美術館で開催中の「絵師・金蔵 生誕200年記念 大絵金展 極彩の闇」展に行ってきました。
高知県立美術館 公式サイト → こちら

今回の高知・愛媛の旅のもうひとつの目的は、高知県美の「生誕200年記念・大絵金展」でした。
絵金の存在は辻惟雄氏の著書(だったと思う)で初めて知り、絵金の芝居絵を見たときの驚きと言ったらもう。
「絵金」は、絵師金蔵の略。それがいつしか名前のように通称となり今でも絵金さんと高知県では親しまれているという。江戸幕末から明治初めに活躍した絵師で、もとは狩野派(駿河台)で修行し、通常10年かかると言われる修行を3年で認められ師匠の一字をもらった。土佐に戻り、土佐藩家老家の御用をつとめ注文の絶えない人気絵師だったが、ある日贋作事件にまきこまれ、城下追放。以後の10年間、どこで何をしていたのか分からない。一説には上方にいたなど諸説あるが、確かな証拠はなく今も謎のままである。そして、再び土佐に舞い戻った時、叔母を頼りに高知県香南市赤岡町に定住。町絵師として、酒蔵をアトリエに絵を描いた。その酒蔵を参考にしつつ建てられたのが現在の「絵金蔵」である。
狩野派の絵師としての技量を存分に発揮し、奉納絵馬、奉納芝居絵などの注文が集まり腕をふるう。絵金のもとには多くの弟子が集まり、彼が指導した弟子が絵金の死後も芝居絵を描き伝えて行った。

これが絵師・金蔵のあらましです。身長180センチもある大男、そんな絵金の姿が脳裏に浮かんでは消えて行く。

鮮烈な赤、黄、青などで着彩された屏風はおどろおどろしく、毒々しいのですが、眼が離せない、実際に作品を見たいと思っていたところ、板橋区美術館の「諸国畸人伝」展(2010年開催)で数点拝見する機会を得ました。鮮烈な色彩は強烈でしたが、線はいまひとつかな(偉そうですが)と思った記憶があります。

しかし本展はそんな第1印象を見事に吹き飛ばし、絵金の魅力を余すところなく伝えてくれました。

本展のみどころをまとめると次の通りです。
1.絵金の現存する芝居絵の大をはじめ約200点が集結!
2.実際に祭礼時に使用する絵馬台を2つ神社より借用し、祭礼時の様子を再現!
3.芝居絵だけでなく下絵やお手本に使用した白描を大量展示!
4.絵巻、絵本、掛軸、幟など芝居絵にとどまらない絵師・金蔵の仕事を紹介!
5.絵金の弟子たちの芝居絵も数多く展示。絵金以後の芝居絵を紹介!

高知の芝居絵が昭和にまで続いた伝承文化の一端を担っているとわかり、地元で見ること、お膝元だからできる重要な内容だと痛感。

芝居絵の鮮烈な色彩を除いた白描からは絵金の線がひときわ際立ちます。色彩だけでない、墨の使い方、線の強弱、肥痩の使い分けを十分心得ている腕前が素人目にも分かりました。白描には落款が入っていない、入っていたとしてもそれが本人によるものだという証拠はないが、学芸員氏によれば、今回展示されている白描は絵師金蔵の手が入っているもの、そうでないものと元々保存されている時から分かれていたとのこと。ある程度の信憑性をもとに展示作品を選別したそうです。また、どれが金蔵でどれが弟子のものか、そんな議論があっても面白いと思います。展示室の監視員の方は「金蔵のものと弟子のものは、やっぱり違う。何度も見ていると分かる。」と仰っていました。

また、金蔵から弟子へと受け継がれた芝居絵は後年になるにつれ、現在の漫画のような構図、画面になっているのがとても面白かったです。高知県美の後に行った香美市立美術館の「絵金せいたん200年記念 絵金とその時代展 闇からの伝承」では、「絵金派」として紹介されている芝居絵が多く出展されていて、それらに顕著に現れていたと思います。

真ん中ひとつ折の屏風形式は絵馬台に設置するのに最適なサイズ、今で言えばユニット方式とでも言うのか。同時代の絵画で一つ折屏風というのはそんなに多く見かけません。これも金蔵の生み出した絵画様式として評価できます。
金蔵が住んだ赤岡町では現在も7月第3土曜日・日曜日に開催される「土佐赤岡 絵金祭り」では屏風と絵馬提灯が軒先に並ぶ。ろうそくの灯りで見ると、強烈な色彩が最適なものだと鑑賞者の眼をもって理解できると思う。

構図面では、絵中画のような形態を使い「異時同図法」が多く見られる。浄瑠璃や歌舞伎の今で言えばポスターやスチール写真のような役割も果たしていたのかもしれない。
絵自体は浮世絵の役者絵がまず浮かんだが、それに狩野派の技が加わっているが、四条派風の表現も見られる。「國華」掲載されていた論考によれば「江戸でも四条派の画風は伝わっていた」そうなので、あるいは最初の修行時代に四条派風の表現を見つけ会得した可能性もある。

そして、血赤と呼ばれる程の出血大サービスの画面は絵金の少し後に活躍した浮世絵師月岡芳年の血みどろ絵を彷彿とさせますが、芳年との大きな違いは「笑い」でしょう。絵金の芝居絵はたとえ血まみれでも例えば人物の羽織紋に男女の交合の様子がプリントマークのようにこっそり隠されていたり、同じく落款も商店の看板や幟、屏風に書かれていたりと遊び心が潜んでいます。

美術館では提灯がぶらさがった絵馬台に実際に金蔵の芝居絵が展示され、思わず「あれはレプリカでしょうか?」と聞いてしまった。絵馬台そ素晴らしく彫刻が施されているものもあり、これも見逃せません。

まだまだ書き足りないところですが、ひとまず一旦終えます。後日書き足りない点は追記します。
大絵金展は12月16日(日)まで。絵金を体験できるチャンスです!

本展図録は一般書籍として販売されているため、一般書店・Amazonなどで購入可能ですが、高知県立美術館ミュージアムショップでは展覧会会期中(12/16迄)に限り、定価3,990円→展覧会特別価格3,150円(税込)で販売中。通信販売も可能です。詳細→こちら

「松本俊夫の世界 白昼夢」展 町立久万美術館

気がつけば季節は晩秋。11月も半ばになろうとしています。
9月にひとつ記事をあげ、続きを思わせておきながら結局書かずじまいの体たらく。

そんな状況下、記事を書こう、書きたいと思わせてくれる展覧会に出会いました。
町立久万美術館で11月17日(土曜日までなのでお間違いなく!)まで開催中の映像作家「松本俊夫の世界 白昼夢」展を見に愛媛県まで出かけてきました。

あちこち出歩いてはあるいものの愛媛県は未訪の地のひとつでした。
今回の旅は久万美術館と高知県立美術館で開催中の大絵金展を見るために高知→愛媛の旅を企画しました。

久万美術館の存在は、2009年に同館で開催された「– 歸去來兮(かへりなんいざ)-」に出展されていた写真家の高橋あいさんの東京芸大先端芸術科修了制作展でした。高橋さんの久万の風景と町の子供たちを撮影した写真に惹かれ、受付にあった図録を買い求めました。この写真展には高橋さんの他に萱原里砂さん、笹岡啓子さんの女性写真家3名が出展。その後、私が写真に関心を強く持ち始めるきっかけのひとつとなり宝物の図録(現在完売)です。
3名の方の写真で見る久万の景色はそれぞれに美しく違った表情を見せていました。いつか、久万美術館に行ってみたい、図録を見ながらそう思っていました。

そして今回の松本俊夫展の開催。
同館では1989年の開館以来、年1回の自主企画展を開催しています。前述の「– 歸去來兮(かへりなんいざ)-」もそのひとつでした。久万美術館の詳細については同館の公式サイトに詳しいのでぜひそちらをご覧ください。
町立久万美術館公式サイト:http://www.kumakogen.jp/culture/muse/
山に抱かれた高台にある杉や檜、漆喰を使った最高に居心地の良い美術館です。私がこれまで訪れた美術館の中でも居心地の良さはベスト5に入ります。展示室も予想していたより広く驚きました。

この山間の美術館で前衛映像作家の松本俊夫展開催が、同館にとって大きなチャレンジであったことは想像に難くありません。しかし、この展覧会は私に心躍る体験を与えてくれました。朝9時半の開館から17時の閉館まで滞在していましたが、それでも見切れない松本の映像作品、手書き原稿や映像作成のための絵コンテ、シナリオ、スコアなど貴重な資料がわんさと出ていて、松本俊夫を知らずとも誰でも心に残る作品がひとつは見つけられたのではないかと思います。ひとりでも多くの人々に松本俊夫の名前と映像が刻まれれば展覧会は大成功だと言えるのではないでしょうか。

私自身、松本俊夫の名前を認識してまだ1年も経過していないと思います。
今年の4月だったか愛知芸術文化センターで実験映画特集が開催され、その中の1日が松本俊夫特集だったのですが、平日の夜開催であったこと、異動したばかりだったことが重なり会場に行くことができませんでした。同じく芸文センター主催の「はじめてアート講座」のひとコマに「実験映画」紹介があり、確かそこで2本の短編を見たのが初めて松本作品に接した機会ではなかったかと記憶しています。

そして漸く本展開催を知り、松本俊夫の全貌を知る絶好のチャンス!しかも開催館はあの久万美術館!!!
見事にその期待に応えてくれる素晴らしい展覧会でした。
展示室単位に「虚」、「想」、「偽」、「覗」、「罠」の5つのテーマを設け、テーマに沿った映像36本と関連資料を紹介。長尺、短編と様々ですが、Twitterを通じて全部見たらどれだけ時間がかかるかを確認しましたが、まる2日で何とか全部というレベルですからすごい。これが入館料800円で見放題、2回目からはリピーター割引もあり、もう1日腰を据えて見ても良かったかなぁと今更後悔しています。
大画面を使用した映像プロジェクションは普段、日本画の展示で使用されていると思しきガラスケースの奥をスクリーンに仕立てていたりと展示の工夫が凝らされていますが、2つの大きな鏡を使用したプロジェクションは二重に正面スクリーンだけでなく展示室仕切り壁にも映像が投影され、空間全体に迫力を与え見応え充分!この展示方法に即した映像作品が選択されているのは言うまでもないでしょう。
展覧会風景は、本展Twitterアカウント:@MatsumotoToshio さんのつぶやきが非常に充実しています。
そのつぶやきがTogetterでまとめられていますので、ぜひご参照ください。→ http://togetter.com/li/405161

テーマが漢字一文字になっているのは、松本作品の「色即是空」から採用したと思われますが、彼の作品にマッチしています。1本見ただけでは1文字テーマとの関連性を理解するのに厳しいですが何本も見ていくと、言わんとするところ、テーマ単位の作品の共通性が朧げながら見えてきました。

展示作品をすべて見られなかったので、見ることができた作品の中で特に印象深かったのは「銀輪」、「わたしはナイロン」、「白い長い線の記録」、「色即是空」、「つぶれかかった右眼のために」。
特に「銀輪」は美術面で実験工房の山口勝弘、北代省三が担当、特撮はあの円谷英二、音楽は武満徹+黛 敏郎と超豪華な布陣で自転車の海外宣伝映画として1956年に制作された。メルヘンチックなオープニングからラストまで幻想的なストーリーと特殊技術による画面は圧巻としか言いようがありません。砂丘を舞台にしているシーンは、植田正治の砂丘シリーズを彷彿とさせます。更に拍車がかかったのは「わたしはナイロン」で山口勝弘のオブジェや湯浅譲二作曲のジャズをBGMに使用した見事なまでに前衛の東洋レーヨンのナイロン宣伝映画でした。こうした50年代〜60年代に制作されたPR映画の随所に実験精神にあふれ、「わたしはナイロン」に至っては試写の後、2006年の川崎市民ミュージアムで開催された松本俊夫展で上映されるまでお蔵入りしていたのも頷けます。

そうかと思えば、ガチな記録映画も撮影されていたりと八面六臂の活躍ぶり奮闘ぶりがあまたの作品を見ていく中で強烈に体感できます。江口浩氏(川崎市民ミュージアム)の図録論考「松本俊夫、その限りなき挑戦」によれば、「糊口をしのぐために引き受けた”芸のない¨仕事について冷淡」だというが、果たして客観的評価はどうなのかは気になるところです。

松本俊夫さんは高校生の頃には絵描きになりたかったそうですが、ご両親の反対もあり精神医学を学ぶために一旦は当時の東大理二(医学部)に入学するものの、美術を諦めきれず内緒で文学部美術史学科に転学。高校生の頃に描いたセザンヌばりの油彩も残っているそうで、残念ながら展覧会には出展されていませんが絵コンテからも絵達者であることは伺われます。

最新作の「蟷螂の斧」はオムニバス映画3部作で、松本俊夫は構成を手がけています。
渋谷のイメージフォーラムで第二部第三部と松本氏ご本人のトークを、第一部は久万美術館で見ましたが、第一部→第二部→第三部とオムニバスでもどんどん複雑な構成へと推移。

以下、イメージフォーラムでの本作についての松本氏コメント(青字箇所)をメモできた限りで記載します。

各作家の作品が解体、取り替えられたりし、関係が変化する。
足し算でなくもっと複雑な関係が生み出されるように作った。
三部はひとつの大きなかたまりになっていく。

第一部はオーソドックスだが、順番を変えると別の作品になるように。
これらの相違を見終わった後に考えて欲しい。

作りながら出て来る問題を深める。関係の構成が生み出す世界。要素としては異質なもの。
だからお互いが相互作用し膨らんで行く。
構成というタイトルで自分を位置付けした。同種の作品に「石の詩」があった。
アーネスト佐藤の写真で庵治石の石工を中心に撮った写真が前提に話が出た。
写真をもとに映像制作を試みたがうまくいかなかったので自分に手伝いの依頼が来た。
自分以外のものとの格闘は面白い経験だった。

他の作家とは違う個性に価値がある。それを立ち上がらせることが大切。
理念の純化、理想化によりアウラを帯びる。
ひとつの探求が共同作業により、他なるものとの組み替え組み合わせが何を生み出すか分からないという一端が、この作品にみられる。

問い:「震災後の変化は?」
人類の文化のあり方を問われると思った。
素材を取り上げるだけでなく、人間の根源的なものを考える。これが避けられない。
見終わった後に何を言おうとしたのか、ある意味で危機的に膨らませる作り方をしてみた。
記憶がいま見ている作品に影響する。


これからも良い作品をひとつでも多く残してくださることを切に願います。

本展とあわせて5点ほど久万美術館所蔵品も会場に展示されています。村山槐多のコレクションはつとに著名で近年開催された村山槐多展にも出展されその存在を知っていましたが、それだけではありません。
海老原喜之助「2人の女」、浅井忠など国内近代洋画の名品に思わず「すごい」と声が出た程。
海老原や村山槐多の作品と並んで松本俊夫の「モナ・リザ」「アンディ・ウォーホル=複々製」が額縁を使って展示される様はかなりシュールな光景で忘れられません。

なお、本展図録(2500円)も優れもの。7本の批評家、映像研究者らによる論考は松本作品を様々な角度から評し分析しています。各作品のスチール写真の掲載も多く、作品リスト、同時代の主要な出来事(特に映像関連のものを掲載しているのが嬉しい)付き年表と充実。装幀デザインもスタイリッシュです。美術館で通信販売または東京のナディッフでも取り扱っています。早晩に完売必至と思われますのでお早めに。
美術館の展覧会図録通信販売 → http://www.kumakogen.jp/culture/muse/book.html

今後も久万美術館での熱い自主企画展の開催を心待ちにしています。そして、次回もきっと新たな体験を供してくれるに違いないと信じています。

帰路、山を下って行く途中に見た眼下の景色は吸い込まれそうな程美しく、靄に包まれた久万美術館と松本俊夫展はまさに「白日夢」そのものでした。
展覧会関係各位の皆様には心より感謝申し上げます。

*11月13日加筆
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