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フランシス・ベーコン Francis Bacon Five Decades

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フランシス・ベーコン(Francis Bacon)の展覧会を日本より一足早くシドニー(Art Gallery of NSW)で開催中で、オーストラリアでは初のベーコン展ということで、会場もかなり賑わっていました。日本と違って展覧会がマス・メディア(新聞社やTV)が協賛していないせいか、市内でもほとんどポスターは見かけません。TVを見ていたら、深夜近くベーコン展のCMが入り、それにはちょっと驚いた。

Five Decadesという展覧会タイトルからも分かるように、1940年から〜1980年までの50年を10年単位で時系列で展観。油彩出品数は55点で、日本のベーコン展を企画されている保坂氏のツイートによればうち日本展との重複は約10点らしい。メモをとっていないので、朧げな記憶を頼りに展覧会の内容をざっくりと。

会場入って右手にはベーコンのアトリエの写真(ごく短い動画だったか)、これが実に混沌としており端的に言えばぐちゃぐちゃな状態。大きな円形の鏡(鏡の表面にも絵具が付着していて鏡であることが判然としない)がアトリエの主人以上に存在感がある。正面にハーバート・リードの『今日の美術』に掲載された《磔刑図》1933年が1点。

注:場内は撮影禁止。下は展示室入口。
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・1940年代
1940年代の作品はベーコン本人が破壊したため、特に1942年〜1944年に制作された油彩ではわずか10点しか現存しない(1983年日本のベーコン展図録より)らしい。1940年代の作品は8点弱だったろうか。1925年公開のエイゼンシュタインの映画『戦艦ポチョムキン』よりオデッサの大階段で悲鳴をあげる乳母の顔(この顔にベーコンは深い感銘、衝撃を受けた)が登場するあたりまで約3分程度をモニターで上映。乳母の顔からイメージを得て描いた《人物習作Ⅱ》1945〜1946年では後の作品にも繰り返し登場する黒いコウモリ傘に叫びをあげている人物の顔がオレンジもしくは大地を思わせる色を背景に描かれる。1940年代のベーコン作品はまだ筆法が定まっていない様子で粗いストローク。ピカソにも影響を受けていたことがよくわかる《A study for a figure at the base of a crucifixion 》1943-44年。《肖像画習作(Study for a portrait)1949年では早くも絵画内に透視図のような矩形枠が登場する。

・1950年代
50年代の作品を集めた展示室が本展で一番広かった。全部で何点あっただろうか。50年代以後のベーコン作品のフォーマットは顔だけのトリプティックや動物の一部作品を除き、どれも同じサイズのように見えた。日本に数点あるベーコン作品(例えば豊田市美)も同じ大きさと言えば分かりやすいか。横に長い展示室の中央にはガラスケースが続き中にベーコンのイメージソースである夥しい数の写真が展示されている。最初の展示ケースには、E・マイブリッジの連続写真やベラスケス《法王インノセント10世の肖像》1650年(モノクロ、雑誌の切り抜きか)が中心。写真も雑誌の切り抜きも全部しわしわになっていたり、一部が破れていたりとまともな状態のものが少ない。いずれもベーコンのアトリエに残されていた写真群で、無秩序なアトリエを見れば敢えてボロボロにしたとしか思えない。
写真に連動するように、《法王Ⅰ(Pope)》1951年や《裸体習作》1952年〜53年、犬の習作などがずらりと並ぶ。中でも、かがむ裸体の作品(1950年〜51年)は前記マイブリッジの写真にはハンモックの裸婦やレスリングする人物の連続写真があり、中にかがむポーズをとる姿もあった。このあたりから人物像に動きが出てくる。
次のガラスケースにはベーコンと近しい人たちの顔写真とベーコンの友人であるカメラマンが撮影したベーコン自身の顔写真が展示されている。近しい人の中にはベーコンの恋人であったジョン・ダイアーやイザベル・ロースソーンらこれらの人物を描いた油彩は1970年代のコーナーに展示されていた。
他に《Figure with meat 1954》 1954年、《ヴァン・ゴッホのための習作》1点やタイトルを失念したが、波間に半身が浮かぶ人物の作品など。50年代の作品はストロークが流れるように長く、キャンバスの目を利用、意識しているように塗り残しも多く見られる。絵肌の手の加え方は10年単位に新たな展開が見られ、これは見ていて面白かった。

・1960年代
50年代後半より徐々に色彩(特に背景色)は明るく、画面が洗練されてくる。人物はより抽象化され捻れといった動きを伴う。大画面の作品が多いが一方で顔もしくは首から上を描いた3連画もたびたび登場する。友人のルシアン・フロイドを描いた作品もあった(60年代だったか70年代だったか)。
矢印が画中に描かれるのが60年代以後か。長いストロークはなくなり画面を密に塗るが絵肌は常に単調ではなくニュアンスが付加されている。

・1970年代
1971年グラン・パレで最大規模の回顧展(108点)が開催されるが、オープニングの前日に恋人のジョン・ダイアーがホテルの部屋で自死。60年代と70年代のコーナーの間にフルサイズのトリプティックが4点(3点だったか)だけの展示室がもうけられていた。トリプティックとは別に70年代の作品は複数展示されていて、50年代に続く見所。ここは壮観、強い圧迫感があった。円弧の一部が描かれる《トリプティック》1970年他。70年代頃から、画面に新聞や雑誌の一部と思しき文字入り紙面が画面に挿入されている。

・1980年代
最後にあった作品がどうしても思い出せない。ベーコンの自画像だったか。80年代は70年代を踏襲していて大きな変化は感じられないが、絵肌にスパッタリングというのか絵具が霧吹きされたような部分が現れていた。

展示室を出ると、資料コーナーが設けられ、ベーコンの紹介映像とこれとは別にアトリエを撮影した動画(冒頭にあったものより長い)と彼のアトリエや友人たちを撮影した写真(ベーコンアトリエにあったものとは違うのでしわもなく各額装されている)を展示。また、ベーコン関連の過去の図録や作品集を閲覧できる机や小モニターで研究員?による解説をイヤホンで聴くコーナーも設けられている。

トリプティック室がすごくて記憶が抜け落ちているのと、55点(うちフルサイズのトリプティックは5点)とはいうものの、トリプティックは1点3枚組なので、展示数以上の作品を見ていて、全体を見終わるのに2時間弱かかった。

図録は日本のamazonでも予約受付中。現地では50オーストラリアドルと約5千円。図録購入をしていないため、上記のような不明瞭な内容の記録になっています。

日本の展覧会は身体を焦点にしたテーマ展とのことなので、時系列での展示を先に見る事ができたのは良かった。
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2つのアニッシュ・カプーア展

シドニー現代美術館(Museum of Contemporary Art Australia)で開催中のアニッシュ・カプーア(Anish Kapoor)展(2012年12月20日〜2013年4月1日)とソウルのリウム美術館(Leeum, Samsung Museum of Art )のカプーア展(2012年10月25日〜2013年2月8日)いずれもフラッシュなしで写真撮影可能でした。

両会場で重複する作品も一部ありましたが、建築(展示空間)構造に依拠する所が大きく、天井高が低く、細かな展示室に分かれているシドニーと2階まで吹き抜けの天井高が高く仕切りのない大空間であるメイン展示室とサブ展示室2つのソウルとで印象がかなり違いました。リウムの企画展会場はレム・コールハース(Rem Koolhaas)設計の硬質でダイナミックな空間であるため、恐らくソウルの方がやりやすかったのではないかと思います。シドニーではソウルにはなかった石彫が複数展示され、石・鉄、Wax、カーボンと多様な素材作品を一度に見る事ができたのは良かった。それにしても、建築を活かすのが巧い。美術館全体を媒介にして空間をひっくり返す、メビウスの輪にいるような錯覚を鑑賞者に与える、どこまで続くのか分からない孔は、もしかするとシドニーからソウル果ては宇宙、いや現世から来世、過去へと続くような想像さえ生じます。
両企画展では、ドローイングの類いは展示されていませんでしたが、ニューサウスウェールズ州立美術館のコレクションにカプーアの版画(アクアチント)連作が展示されていました。女性器のイメージが複数含まれ、考えてみれば妊娠、出産などカプーアのイメージソースの裏付けをはっきり認識できました。鑑賞者が見ること、見ているものに疑問を抱かせるような鏡面シリーズ、最新作の鉄を使用した巨大彫刻などスペクタクルな作品とは一線を画す、黄色、赤、白の庭を思わせるインスタレーションは静謐さと崇高さをたたえ、最も興味をひかれた作品です。宗教的なものを感じました。

分からないことだらけですが、一番分からないのは重機の存在。リウムにあったフォークリフトをワックスで封じ込めた作品Stack(2007年)やMy Red Homeland(2003年)で使われている巨大な鋼鉄ハンマー状のもの。重機より労働を意味するものなのだろうか。


*両会場で重複していた主な作品:My Red Homeland, 2003, Wax and oil-based paint, steel arm and motor, (全周)D1200cm、Sky Mirror(ソウルのは気温が低すぎて凍っていた。。。)

画像を勝手に掲載してはいけないのではないかと思いつつ。

◎シドニー現代美術館のアニッシュ・カプーア展より

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◎リウムでのアニッシュ・カプーア展(一部)

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オーストラリアの美術館への旅

新年のご挨拶もせぬまま気づけば松の内も過ぎ、昨日年明け最初の記事をあげてしまいました。
今年もどうかよろしくお願いいたします。

元旦から福岡→ソウル経由オーストラリアに行ってきました。
まずは、簡単に旅程を記録にとどめておこうと思います。相当無茶苦茶な旅程なので、決してオススメ致しません。
今回は見たい展覧会をつぶしていった結果、この旅程となりました。
福岡、ソウル経由にしたのは、福岡と帰りに寄った長崎そしてソウルで見たい展覧会があったのと、福岡経由だと名古屋発ソウルより国内線料金を加算しても安いチケットが見つかったためです。FFPはユナイテッドのマイレージプラスをメインにしていますが、同じスターアライアンスであるアシアナ航空は機内食、乗務員、サービス等々気に入っていて他の選択肢は考えませんでした。

1月1日 ANAにて中部国際空港→福岡空港 
到着ロビーで航空会社のビンテージポスター展を開催していて、これは面白かった。今はなきパンナムや007のイメージを引用したものなど時代やお国柄を反映したデザイン、航空会社のポスターは美術館のポスター展でもあまり見かけないので尚更。中に、1964年日本の海外渡航自由化すぐのポスター(JALだったか)があり、1964年ってまだ50年も経過していないではないか。。。と今更ながら驚いた。
福岡空港国際線はターミナルビルが国内線とは別でシャトルバスで5分以上かかる。これは面倒、しかも国際線ターミナルはひどく元旦だというのに閑散としていた。やむなく、選択肢の乏しいビル内でランチ。

16時頃、アシアナ航空にて福岡空港→仁川空港へ。
アシアナ航空のチェックインカウンターで、今回の旅で最大のピンチをいきなり迎える。オーストラリアでは僅か6日間の滞在であったが、6日間であろうと「ETAS」と呼ばれる査証(ビザ)が必要だと初めて知る。事前準備が不十分であること甚だしいが、チケット手配を依頼した旅行会社からは何の案内も注意もなかった(もしかすると見逃した?)し、ガイドブックは機内で読もうと思っていたので全くETASに気づかなかった。旅行行けない・・・絶望的な気分で「何とかならないでしょうか。」とおずおずと尋ねたところ、「少しお待ちください、こちらで手配可能だと思います。」と天の助けが!ということで待つ事10分程度で、無事ETASの申請をアシアナ航空が行ってくれて晴れて機上の人となれた。

20時頃、アシアナ航空にて仁川空港→シドニー国際空港へ。
ソウルは雪が舞い、空港外の駐機場は凍り付いていたが、やや遅れつつも無事飛行機は飛んだ。これしきの雪で空港閉鎖となるほど、やわではないのだろう。

1月2日 8時半 シドニー国際空港着。ソウルからのフライトはおよそ10時間。
シドニーは曇りだった。機内持込できるスーツケースだったので、そのまま空港エアポートトレインにて市内へ。向かった先はシドニー現代美術館。ここでアニッシュ・カプーア展とコレクションを拝見。ここではかなりのんびりした。

18時頃 美術館からシドニー空港国内線ターミナルへ戻り、カンタス航空にてブリスベンへ約1時間で到着。オーストラリア内の国内線はすべてカンタス航空にした。格安エアラインもあるけれど、遅延したりのリスクはできるだけ回避したかったし、そのリスクを負う程の料金差はなかった。時間帯によって航空運賃はかなり異なるので、可能な限り安い時間帯の便を利用したつもり。そのままエアトレインでブリスベン市内のホテルで宿泊。

1月3日(木) ブリスベンのギャラリー・オブ・モダンアートとクイーンズランド・アート・ギャラリーで開催中のアジアパシフィックトリエンナーレ(APT7)とコレクションを観る。ここで日程組の失敗が露呈。APT7は金・土にシネマプログラムを夜8時まで開催しており、夜間開館を利用できたが、木曜日であるためあえなく17時で閉館。ブリスベン泊。なお、APT7は無料、コレクションも無料で鑑賞できる。

1月4日(金) 早朝の便でブリスベンからメルボルンへ、フライトは約3時間。メルボルンにはエアトレインがないため、乗り合いシャトルで空港からホテルへ。途中、乗客の宿泊先を回って行くため、1時間以上かかった。チェックイン時間にはまだ早かったが、部屋に入ることができた。今回、海外ホテルの予約で利用する某サイトでなく、別のサイトを使ったがこれが大失敗。このサイトマイナス情報、ないものについての表記がない、もしくは非常に見づらい。気づいた時には予約と同時にフルキャンセルチャージのかかるホテルを予約したため、日程変更ができなかった。本当はメルボルン→ブリスベンが夜間開館を利用でき時間を有効に使えたが後の祭り。ただ、決済が予約と同時だったため、円安に戻る前に支払いが完了したのだけが救い。
部屋で少し休息した後、ヴィクトリア国立美術館とイアンポッターセンターに出かけた。ホテル近くに市内周遊シャトル(無料!)乗り場があり、美術館近くまで行くので往復シャトルを利用した。ヴィクトリア国立美術館のティールームにて昼食、ここは本格的なティールームでアフタヌーンティーも楽しめる。その後、美術館から徒歩5分のイアンポッターセンターでジェフ・ウォール展とコレクションを鑑賞。メルボルン泊。

1月5日(土) 終日ヴィクトリア国立美術館。都現美で開催されていたトーマス・デマンド展が規模を半分に縮小して開催中でジェフ・ウォール展と2つで15A&チケット(どちらか一方のチケットはなし)。デマンド展と新印象派を紹介するRadiance: The Neo-Impressionis展、コレクションを観る。メルボルン泊。

1月6日(日) 早朝の便でシドニーへ。10時頃、ホテルに到着したが部屋に入れてくれた。ここでもしばらく休憩。短時間のフライトのせいか目眩が悪化。薬を飲んでしばし眠る。少し楽になったので、ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館へ。フランシス・ベーコンFIVE DECADESとコレクションを観る。ここの現代美術のコレクションは素晴らしかった。今回訪れた中でも最高レベル。今春都現美で開催されるフランシス・アリスの作品は2点(映像とスライド投影)、ケントリッジは「潮見表」は上映されているは、昨年のドキュメンタで発表された作品のものか?ドローイング、ルゥイットはサイトスペシフィックな巨大な壁面作品を数点に立体数点、計6点はあっただろうか。。。などなどきりがない。シドニー泊。

1月7日(月) 10時頃シドニーより仁川空港へ。仁川には19時前には到着。外は零下4度だった。空港リムジンでホテルへ。ソウル泊。完全移動日。

1月8日(火) リウム美術館でアニッシュ・カプーア展とコレクション(訪問は2回目)。アニッシュ・カプーア展はシドニーのものとは別物で、開催時期が一部重複したもの。その後、地下鉄でPLATEAUへ移動。(Im)Possible Landscape展を鑑賞。地下鉄経由ソウル中央駅より空港列車で仁川空港へ。しかしここでアクシデント。ソウル中央駅では出国手続きが可能で、ここで出国審査を行うと、仁川空港ではパイロットらの乗務員用通路を利用して出国ゲートへ行けるため、ものは試しで利用した。しかし、ソウル中央駅の空港列車乗り場はめちゃめちゃ深い。しかも特別列車(仁川までノンストップ)と一般列車(各停)の2種類あり、仁川までは特別列車だと43分の筈だが、乗り場が違った!!!どうやら一般列車は地下7階ホーム、特別列車は地下6階とひとつ上の階であったらしい。気づいた時には既に遅し。やむなく15時過ぎの一般列車で仁川へ。空港駅からターミナルまでも5分以上かかる。こんなことなら、素直にリムジンにしておけば良かった。。。(料金は特別列車の方が割引が航空チケット提示で割引となるため1000W安いが一般列車だと差はもう少し開く)と思ったが後悔先に立たず。かなりギリギリで、出国ゲートを通過。結局再度、イミグレーションでパスポートを提示するため、楽なのかどうなのか。あれだけ地下深くまで行かねばならないなら、結局リムジンの方が早い気もする。おまけに、ソウルの地下鉄駅はエレベーターが少ない。

17時仁川発のアシアナ航空で福岡空港へ。ほぼ定刻通りの18時10分頃到着。国際線ターミナル→国内線へ移動し、地下鉄でそのまま中州の福岡アジア美術館へ。ここは休館日除いて毎日20時まで開館(入館は30分前迄)。渓山清遠―中国現代アート・伝統からの再出発展とガンゴー・ヴィレッジと 1980年代・ミャンマーの実験美術展、コレクションを鑑賞。どちらもアジ美ならではの企画だが、特に後者は印象深い。福岡泊。

1月9日(水) 福岡市立美術館と福岡県立美術館で「福岡現代美術クロニクル1970ー2000」とコレクションを鑑賞。14時頃、高速バスにて長崎県美術館へ向かう。長崎県美も休館日以外は20時まで開館しているため、16時頃到着したが、「手のなかの空 奈良原一高 1954−2004」とコレクションを鑑賞。バスにて長崎空港へ移動し、中部国際空港へ。帰宅。

オーストラリアでは目眩もあったため、無理せずスローペースで鑑賞したが、最後2日間は移動も多く、最終日は駆け足に。無事に帰宅できて何よりでした。初めての南半球、特にオーストラリアは入国カードが独特で、検疫が厳しかった。漢方薬も申告しないといけないし、食べ物の持込も制限があるので要注意で入国時は緊張しました。

オーストラリアに美術鑑賞目的で出かける人はあまりいないと思いますが、今回はART ITの展覧会スケジュールが非常に役立ちました。環太平洋地域の展覧会スケジュールを網羅しているので、オーストラリア、韓国と見たい展覧会が開催されているのか一目瞭然です。

ス・ドホ|パーフェクト・ホーム 金沢21世紀美術館

金沢21世紀美術館で開催中の「ス・ドホ|パーフェクト・ホーム」展に行ってきました。

ス・ドホと言えば、東京都現代美術館の常設展で見かける光を通す半透明な薄い布によるインスタレーションが浮かびます。
過去に私が拝見した彼の作品はすべて薄布によるインスタレーション。もちろん、設置場所が異なれば形状や布の色も違ってはいますが、作品イメージに大きな変化はありませんでした。

しかし、本展ではそのイメージが見事に一新され、薄布インスタレーションだけでない彼の作品に接することができます。知らなかったス・ドホの世界、そしてなぜ彼が門や階段と言ったものを作品化するのかについて分かるとは言えないまでも、背景やそこに至った過程を知ることができます。
金沢での展覧会はソウルのleeum museum、広島市現代美術館からの巡回ですが、《アメリカ合衆国ニューヨーク州 10011ニューヨーク市348西22番通りアパートA、廊下と階段(金沢版)》2011-2012年のようにソウル、広島で公開された後、2階以上の階層が金沢で初公開されていて、過去2会場とは異なる面白さを孕んでいました。
*展覧会図録も広島のものとは別でお値段も広島の倍近い5000円弱で現在予約受付中。
過去に見たス・ドホの薄布の門や階段のインスタレーション、例えばソウルのleeum museum、都現美、Tate Modernではいずれも宙吊りされていて鑑賞者はそれを下から見上げるかもしくは階上のフロアから見下ろすかのいずれかで、作品そのものに近づく経験を得ることはできませんでしたが、金沢では違います。《アメリカ合衆国・・・以下略》
は1階スペース内部に鑑賞者が実際に入り込み、その中を歩くことができる。ちょっと他人様のお宅にお邪魔しているような感覚にふと陥りました。近くで見ると、内部も外部も平面ではなく実際の建物・部屋そのままを薄布で立体的に再現。玄関の表札にはス・ドホの名前が(カタカナではない)、ガス栓やコンセント、ドアノブや窓ガラスを開けるためのレバー等細部に渡り綿密に再現されている。ただ、内部と外部をつなぐものは薄布であるため、その境界は曖昧でどちらからも見られ見る関係にあるのが非常に面白いのと同時に薄布で包まれる安心感もあり。
1階からは2階へと続く階段も設置されていて、このまま昇ることができるのでは?と錯覚を覚えますが、それはできず。

ス・ドホが育った韓国の自宅をミニチュアやアニメーションで見せ、ひっそりとこじんまりとした外界から隔絶したような庭《秘密の庭》を冒頭で展示。この生家と米国留学後に住んだロードアイランドにアパートメントの自室が衝突した瞬間を1/5スケールで再現したミニチュア作品《墜落星-1/5スケール》2008-2011年は今回もっともインパクトを受けた作品です。パラシュートが付いているのはス・ドホの生家、その家が太平洋を越え不時着したのがロードアイランドのアパートメントの自室で、アパートメントは真っ二つに真ん中で切断され、各部屋の様子を正確無比にミニチュアで再現。ス・ドホの自室だろうと思われる部屋、これは部屋の中に置かれている雑誌類にハングル文字が付されていること、棚には大量の模型キットが積まれていることなどから推測、に生家は突っ込んだようです。
ス・ドホの内部での異文化衝突、あるいは過去と現在の衝突を視覚化したのでしょうか。一見した時に、災害!と思ってしまったのは震災後だからかもしれません。

「墜落星」はパラシュートでソウル→米国へ、そして昨年の光州ビエンナーレで発表した《隙間ホテル》はいずれも移動とそこでの摩擦、コミュニケーションを問題視している印象を受けました。これまで「Home」をテーマに取り組んでいたス・ドホが「ホテル」を提示したのは新たな展開と言えます。《隙間ホテル》は光州市内の街中で建物と建物の隙間に中銀カプセルタワーの1カプセルのような(内部も似ていた)ホテルを車に載せ設置場所に運んで行くというもの。実際に宿泊可能のようで、宿泊者から外部が、外部からは窓を閉ざさない限りホテル室内を観る事ができるようでした(映像と小さな模型のみ展示)。

大がかりなインスタレーションだけでなく、会場内でモニター上映されているス・ドホのドキュメンタリー映像(約86分)は過去に彼が手がけてきたプロジェクトを紹介していて、この映像でこれまでのス・ドホの作品傾向を知ることが可能です。中で特に印象に残ったのは、家具も何もないアパートメントの一室の内側に白い紙を貼り、上から鉛筆?でフロッタージュしている映像と米国・バッファローにあるオルブライト=ノックス美術館屋外に設置されたブロンズ彫刻の制作過程の2つ。
あの薄布のス・ドホがブロンズ彫刻?!と衝撃を受けました。フロッタージュは薄布に至る前提段階、すなわち、フロッタージュしたものが薄布に転換されたように見え、建物に残る記憶をすべて写しとる行為はいずれも大変興味深かったです。

また、俵屋宗達・画、本阿弥光悦・書《鹿下絵和歌巻》や江戸時代の《烏図》屏風(考えてみれば、これら2点ともシアトル美術館蔵でサントリー美術館のシアトル美術館所蔵 日本・東洋美術名品展に出展されていた)を取り入れた映像作品《門(金沢版)》や糸を使ったドローイングを和紙に漉き込んだ平面作品、そして完成品の展示はなかったもののプリンターと共同作業で制作していた円が重なる大型の版作品は、ス・ドホの絵画的側面を知る良い機会となりました。

ス・ドホにとって「Home」は自我を支える強い記憶であり、そこから派生した一連の作品群は私たちにも「Home」の記憶を喚起させ、現在の「Home」を考えさせます。と同時に「移動」という点もス・ドホの作品にとって忘れてはならないキーワードであるように思いました。主体となる作品群の素材は薄布であるため、縫製すればどこまでも拡張可能ですが、一方で折り畳み重ねればコンパクトになり優れたポータビリティを兼ね備える。移動をキーに考えた時、布への着目は実に自然です。更に、彼の作品にしばしば登場する「門」「階段」といったものは、現在いる空間から別空間、別階層への入口となります。かつて、生家に内に内にこもっていたス・ドホもやがて門を開け外界に飛び出す。そこでのハレーションは彼にとって大きな衝撃だったと思われますが、最新作を観る限り異文化をうまく自己の中で消化し取り込んでいるように感じました。

年始早々、非常に良い展覧会を拝見できたと思います。

2012年11月23日〜2013年3月17日 金沢21世紀美術館にて開催中。
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