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明治十二年明治天皇御下命「人物写真帖」-四五〇〇余名の肖像  三の丸尚蔵館

皇居内には、皇室所蔵の絵画・工芸品など美術品を一般に公開する施設「三の丸尚蔵館」がある。
美術好き、皇室好きなら知っているだろうが、知らない方が結構多いのではないか。現在、三の丸尚蔵館では、明治十二年明治天皇御下命「人物写真帖」-四五〇〇余名の肖像展が3月10日まで開催中で、まったく未知の存在だったので大変興味深く拝見した。

展示のあらましは、以下三の丸尚蔵館の公式サイトに詳しいが、展示室では写真帖の一部が公開されている。
http://www.kunaicho.go.jp/event/sannomaru/tenrankai61.html
まず、アルバムそのものの豪華な装飾、装幀に目を見張る。写真帖は「皇族 大臣 参議」、「宮内省」、「判事」、「司法省」、「華族」、「陸軍」、「諸官省」、「警視庁」、「神官僧侶」、「陸軍軍人」、「海軍軍人」、「地方官」とう具合に若き明治天皇に仕える臣下総勢4531人の姿が全39冊の写真帖におさめられている。総革張の表紙に鳳凰や草花文、唐草文などが金で施されて、金具も金渡金で実に豪華。紋様の豪華さは写真帖により異なっていているので、それらの違いもまた面白い。大蔵省造幣局の制作で、かつては写真帖思い浮かんだのは装飾経。写真という西洋技術が見事に和様になって受容されている。
写真帖の外側だけでなく内部も同様に和様が取り入れられ、「皇族 大臣 参議」といった最重要な人物の写真帖では写真だけでなく撮影されている人物が詠じた和歌あるいは漢詩が小色紙とセットで上下に並んで1頁を構成されているものもあり、小色紙それ自体も料紙装飾をイメージさせる金泥風の装飾が施される。和歌が誰の手によるものなのかは、今後の研究を待つとして写真+和歌、文様は和様、綴じは洋綴と見事なまでの和洋折衷でいかにも明治12年という時を反映している。

写真撮影から写真帖制作までわずか1年で完成させているのも驚きで、制作にあたったのが当時の大蔵省印刷局というのも納得で、その仕事ぶりには感嘆の一言に尽きる。

写真帖におさまっている4531人すべての肖像写真は図録にも掲載されていないが、写真裏にはその人物の氏名等が記載されているため人物特定が可能(図録に写真帖掲載の4531人のうち4530人の氏名は掲載。残る1名は台紙をはがせず陸軍省の人物であることは確実だが氏名の確認はできず)。歴史的資料価値は極めて高い。史上や明治維新で活躍した人々の肖像(例えば、坂の上の雲で有名な秋山好古など)もあり、書籍で名前しか知らなかった人物が絵画でなく写真として眼前に現れると感慨深いものがあった。話を聞いて勝手にイメージしていた人物像が写真を呈示されることで、一旦クリアになり新たな人物像が脳内にインプットされる。写真=現実として迫ってくる。絵画にはない重みが写真にはあることに気づく。本当に明治という時代にこの撮影されている人物は生きていた、その事実がとても重かった。一体全体、撮影時にはどんな心境だったのだろう。

写真撮影は印刷局と全国の写真館の写真師が活躍。中には海外で撮影されたものもある。写真台紙の中には写真館の名前入りのものが494枚あり、中で注目は愛知県名古屋市の宮下欽だ。494枚のうち111枚が宮下欽でトップ。次点は石川県の吉田好二の86枚。宮下欽は横山松三郎の門人で濃尾地震の震災写真をの写真を新聞に広告を出して売り出すなど積極的な営業活動を行っていた。明治人物写真帖におさめる肖像写真の撮影も名古屋にありながら、111枚という数を撮影しおさめている事実は宮下欽への関心を募らせる。

名古屋は、江戸時代幕末に尾張藩14代藩主の徳川慶勝が無類の写真好きで現像液の調合から研究までしていたのはつとに有名。今夏に、徳川美術館で「徳川慶勝ー知られざる写真家大名の生涯」と題した企画展が開催される。1911年には愛友写真倶楽部が結成され日高長太郎らがメンバーとなり、近年では先日惜しくも亡くなった東松照明を生んだ。宮下欽は江戸から大正までの間隙を埋める存在で明治の名古屋写真状況に思いを馳せるきっかけとなった。

明治十二年明治天皇御下命「人物写真帖」-四五〇〇余名の肖像 平成25年1月12日〜3月10日まで
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生誕100年 船田玉樹展 広島県立美術館

「生誕100年 船田玉樹展―異端にして正統、孤高の画人生」を観るために広島県立美術館へ。
昨年、練馬区立美術館で開催された本展が、いよいよ船田玉樹の故郷、広島に戻ってきた。元々、この企画展は広島県立美術館の主任学芸員(永井氏)がメインで担当されているし、練馬は展示スペースが手狭で前後期ほぼ全展示替えだったこともあり、観には行ったものの釈然としない思いが残った。
船田は、2010年に東近美で開催された「日本画」の前衛展で初めて存在を知り、衝撃を受けた作家のひとり。山岡良文、山崎隆ら歴程美術協会に船田も参加していた。その翌年(2012年)が船田玉樹の生誕100年だったとは。

本展の概要や見どころは、広島県美の公式サイトおよびブログに詳しい。ここでは、感想のみにとどめたい。

船田玉種にとって速水御舟は非常に重要な存在だった。玉樹の手記(6枚だったと思う)が全頁公開されており、そこに御舟とはわずか4回しか会ってないが、その出会いこそが画家として生きる自分の支えとなった旨が綿々と書き連ねてある。絵を観ていても、特に初期の日本画では御舟の影響が濃厚に出ており、展示で並列されているため、酷似しているのがよく分かった。とりわけ、牡丹、芥子といった花は御舟のと見紛う程。

これが歴程美術協会に参加して以後、徐々に変化を見せ始める。
おなじみの《花の夕》も良いが、個人的には《雨四題》1941年の墨絵と彩色を季節で使い分けした4点が特に好みで、後に登場する1963年の《九品仏の雨》共々、ねっとりした雨の日の湿った空気が観ている方に伝わり、大げさでなく静かな雨音さえ聞こえるような風情を絵に讃えていた。
雨と同様、船田玉樹を語るのに「松」と「梅」の主題は外せない。ことに、前者の「松」は初期から晩年までほぼ一貫して登場する。なぜ、彼は松をよく描いたのだろう。玉樹は松に何を見、何が心をとらえたのか。玉樹自身の投影と考えるには無理がある。中でも印象深いのは2隻一双の《松》(制作年不詳)。画面から大きくはみ出た老松は狩野永徳の《檜図》を思い出させるような狂おしさと生への慟哭を訴える。枝はあちこちに伸び、一方には幹だけを描き両隻の構図の差異が見事だった。
思えば、玉樹の傑作のひとつ《大王松》1947年は松の葉が異常に長く、キャプションによれば多点透視図法とのことだが、そのせいなのか、絵から松の葉がせり出してくるような感覚を受ける。《暁のレモン園》はオールオーバーというか、具象と抽象の狭間のような作品で、前述の前衛展で一番好きだった作品。

画家としての転機は太平洋戦争で、玉樹も出征を余儀なくされ戦後は広島に戻るが、画家生命の危機は1974年のクモ膜下出血。手先の自由を失うが、不自由な手で新たな表現方法を生み出す。この辺りになると、画家の業を切実に感じ、泣けてくる。1960年代半ばから水墨表現に新たな展開を見せ始めていたことが、病後にも活かされたと考えて良いだろう。特に素晴らしいのは水墨実験作の扇面《山の家》12面の連作で、これが広島では何と2セット、12面×2出展されていた。並べてみると、カメラのズームイン、ズームアップのような連続写真のような様で大変面白い。扇面という同一フォーマットで描き並べていたが、これが扇面でなく方形の紙本だったらどうなったのだろう。2セット残されていることを考慮すると玉樹は扇面を意識して選択したと考えて良いのか。いずれも1984年の作品でこれ以後、作品の数が減っているのは健康上の問題なのかもしれないが惜しまれる。玉樹のガラス絵や《フェイス》を観ていると、西洋美術の動向も受容し作品に取り入れているように思えてならない。

展示最後は、屏風絵がずらりと並ぶ、梅の艶やかさが心に残った。広島県立美術館の展示室は広く、天井も比較的高いため200点超、しかも屏風絵が多数ある壮大な展示に無理がない。引いても近くで観る事もできたのは本当に嬉しく、本展関係者の皆様に心から感謝いたします。

展示室を出て、館内1階にあるレストランで昼食。美術館は広島藩主浅野長晟が別邸庭園として築成した縮景園に隣接。館内から縮景園への入口もある。レストランは縮景園に面しており、はかったように紅白の梅の莟がほころんでいた。
展覧会の開催期間は縮景園の梅の開花時期とを合わせたのかもしれない。

会期;2013年1月21日(月) ~2013年2月20日(水)

蛇足ながら、練馬区美の後、代官山ヒルサイドで開催された船田玉樹展も拝見。画室の再現は、両美術館にない試みで良かった。

津上みゆき展 一宮市三岸節子記念美術館

そういえば、来月には上野の森美術館でVOCA展が開催される。
VOCA展は近年とみに推薦制度、受賞者選定をめぐり批判的な意見を目にすることが多い。そんなVOCA展で2003年にVOCA賞を受賞した津上みゆきの個展が一宮市三岸節子記念美術館で開催されている。

2階の小さめな実習展示室では2005年に第1回ARKO(大原美術館によるアーティスト・イン・レジデンス・プログラム)にて、倉敷市に滞在制作された「Viewー-"Cycle" 26 Feb.,-10Apr., 05」の,,,4点を中心に同時制作のスケッチを展示。メイン展示室では2011年〜2013年に制作された新作、中でも「Viewー-trees on the uphill,Nov.,12-Jan.,-13」(2013年・218.2×333.3)の大作は本展のために制作されたのだろうか、ひときわ目をひいていた。

色彩バランスに優れた抽象画なのだが、一緒に並んでいるスケッチを見てからタブローに向かうと、風景の境界があいまいになり色になって溶け合い、キャンバスに拡大されていることが分かる。風景にもしも色が付いていたとすれば、こんな風に見えるのか。作品を見ていると風景の記憶がいつしか自分のそれへと追体験されるような感覚があった。
2005年の作品群はタッチも大きく色面の重なりで構成されているが、2011年の作品、特に2012年の作品からは面だけでなく線が出現しているとともに、絵肌も複雑になっていた。前述の大作は激しい色と線で私の頭に浮かんだのはカンディンスキーで、線の出現によりリズム(と言って良いのだろうか)が生まれている。ぐっと画面が面白くなっていた。

震災直後に桜の木を描いた作品は作家の心象を反映してか、生の存在を感じさせつつ淡く儚く今にも顔料が霧散消失するように見えたが、一転するのが2011年12月(作家にとって特別な日)から始まる月1枚、計13枚の連作は興味深い。風景を主体に描いてきた作家の真骨頂を13ヶ月の連作に感じた。より鮮明に各月の違いを色や形、線で表現できる。酒井抱一『十二ヶ月花鳥図』は花鳥図で四季折々の日本を表現したが、本作はこれを具体的なモチーフなしで色面、にじみ、余白とわずかな線で見せる。キャンバスサイズも116.7四方の正方形で統一。13枚にしているのは、季節一巡した後、また季節は再び巡るー生々流転を意図したのだろうか。

もう少しスケッチ類を拝見したかったけれど、見ていて気持ちの良い展覧会だった。

会期:2013年2月2日(土)〜2月24日(日)

奥村雄樹「善兵衛の目玉(宇宙編)」 愛知県美術館

愛知県美術館 APMoA Project, ARCHの奥村雄樹「善兵衛の目玉(宇宙編)」は、実際の落語を用いた映像作品(約22分)。元々、この作品のオリジナルは2010年にMISAKO&ROSENギャラリーで行われた「くうそうかいぼうがく(落語編)」で、これに大阪の在野の天文学者・岩橋善兵衛の物語の要素を加えた作品が上映されている。岩橋善兵衛は実在の人物で江戸時代(1793年頃)日本一優れた望遠鏡を作った人物で、大阪・貝塚市には貝塚市立善兵衛ランドという生涯学習施設がある。詳細:こちら。本作品の落語上演も善兵衛ランドで行われ、映像作品に内部の様子も撮影されている。

オリジナルの「くうそうかいぼうがく」はタイトルから分かるように解剖、身体への作家の関心から制作され、落語編とは別にワークショップ「くうそうかいぼうがく」もしばしば各地で行われている。愛知県でも、本展関連イベントとしてアートラボあいちで開催された。注:私自身もかつて宮本三郎記念館でのWSに参加。

本作のため奥村は、自身がかつて強いインパクトを受けた「まんが日本昔話」シリーズの「善兵衛ばなし」を元に創作落語の制作と上演を落語家・笑福亭里光に依頼。奥村が創作落語を作ったのではなく依頼したのであり、落語そのものを作り、演じているのは里光氏であるのは他作品にも通じる興味深い点だろう。依頼から落語上演に至るやりとりは、落語の枕で里光氏の口から面白おかしく語られる。この枕も注意を要す。枕は、奥村雄樹からEメールが里光氏に届いた所から始まるが、メールの差出人が「YUKI OKUMURA」と表記されていたため、YUKI=ゆきと勘違いし女性だと思ったと続く。

解剖、身体へのアプローチとは別に、奥村が近年重視しているのは字幕、翻訳、通訳の仕事で、彼はアーティストの作品やトークにおいてこれらの仕事を手がけている。既に終了したが、東京都現代美術館で開催された「風が吹けば桶屋が儲かる」展では、奥村以外のアーティスト(ジュン・ヤン、田中功起、ライアン・ガンダー、サイモン・フジワラ)の映像作品で英語字幕を手がけ、これらが奥村の作品として展示されていた。
作為の有無を判断できないが、枕で使われる英語表記の誤読や音声で語られる雄樹、ゆきの差異により、奥村の姿こそ見えないが(落語上演前の紹介で作家は少しだけ登場)、存在は鑑賞者に意識される。東京芸大で行われたジュン・ヤンのトークでも名前の誤読について語られていたのは偶然かもしれないが興味深い一致だと思う。

善兵衛の目玉(宇宙編)では、「善兵衛の目玉」の視覚冒険、経験が、映像鑑賞する中で鑑賞者自身の体験へといつの間にかすり替わる。「善兵衛の目玉」は自分の目なのか、どこにあるのかというような映像と実在空間との境界が曖昧になり錯綜する。落語の中では「善兵衛の目玉」は胃カメラ同様、患者の体内へ入りこみ、肛門から飛び出すのであるが、鑑賞者はそれを聞きつつ、あるいは字幕を見つつ、自身の体内を脳内に思い描く。「くうそうかいぼうがく」WSと同等の体験を得ることになる。落語家が鑑賞者に憑依したような感覚とも言えよう。

「くうそうかいぼうがく(落語編)」と異なるのは、善兵衛が江戸時代に作った望遠鏡が冒頭に、ラストシーンでは現代の巨大天体望遠鏡が宇宙を覗く姿が映し出され、「(宇宙編)」では、更に複雑な様相が提示される。映像だけでなく、善兵衛の作った望遠鏡が愛知県美術館の展示室廊下に展示されており、これは実際に覗くことができ、覗いた先には常設に展示中の片岡球子の画中の円窓(円窓というレンズを彷彿とさせる所にたどり着くのが心憎い)に行き着く。
人間の目だけでなくカメラアイという言葉があるように望遠鏡のレンズは言うに及ばず、本作には落語上演後の観客の様子やスタッフの姿が捉えられていて、中に落語の撮影に使用されたビデオカメラを別のカメラが入り込む。鑑賞者が見ている映像そのものを捉えるカメラの姿は目には見えないが次第に意識の端にのぼる。

一体、この作品にはいくつの目・視点があるのか。
実在の人物:岩橋善兵衛の登場により、視覚の入れ子は更に複雑な入れ子状態を生み出し、江戸時代と現在、映像と展示空間、目玉の空間移動といった時間と場所の交差が織り込まれる。

もうひとつ、展示期間最初には間に合わなかった英語字幕が本作品には付加されているが、この字幕も奥村自身が手がけたもの。英語字幕と落語の語りの差異(ズレ)は時に作家の意図的なものも含まれているので、可能であれば注視すると良い。特に落語の最後のオチには誰でも知っている英単語が使われていて、これと本作タイトル宇宙との関連を見るとより作品が、作家の意図が伝わってくる。

ところで、善兵衛の目玉は患者の肛門を抜け出た後どこに行ったのだろう。存外、私自身の目がそれではないかと思ってしまった。

落語:笑福亭里光、撮影:藤井光(藤井氏は映像作家としても活躍中)、英語字幕・映像編集:奥村雄樹
2月11日まで。
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