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「文化財受難の時代」 和歌山県立博物館

和歌山県立博物館にて企画展「文化財受難の時代」が3月9日(土)より始まっている。

2010年より和歌山県内では仏像の盗難被害が連続し、2年間で被害届60件、160点以上の文化財が被害にあっているという。この状況に危機感を感じた和歌山県立博物館では「文化財」の基礎知識 緊急アピール・文化財の盗難多発中!展(会期:2010年11月13日〜翌年1月10日)を開催。本展はこれに続く内容と言って良いだろう。また、盗難だけでなく、自然災害も文化財保護にとって危険要因のひとつだ。くしくも2年前の今日3月11日は東日本大震災が発生、多くの人命や家、家財などが喪われたが、文化財もまた同様に損害を被った。ご当地和歌山においても、2011年8月に発生した台風12号で民家や寺社は大きな被害を被り、今なお復旧が続けられている。

本展は以下の6部構成となっている。訪問時には本展担当の大河内学芸員によるミュージアムトークが開催されたため参加した。そのお話を交えつつ、振り返りたい。
(1)文化財を取り巻く厳しい環境ー破壊と盗難ー
前述の2010年の展覧会の際にも紹介されていた牛馬童子像頭部の損壊例。熊野古道に置かれ親しまれてきた牛馬童子像の頭部が2008年6月折り取られていることが判明。近隣住民や市職員の懸命な近辺捜索にも関わらず発見できなかったが、2010年8月16日、牛馬童子像のある場所から約10キロ離れたバス停のベンチに頭部が置かれているのを中学生が発見!(中学生は見つけた時に被害があった牛馬童子像頭部とすぐに分かったのだろうか?)しかし、問題は続く。破損被害があってから、牛馬童子には既に同じ石材で作られた複製頭部をボルトでつなぎ像は修復された。頭部の型取りは同博物館にあったレプリカを使用。発見された本物の頭部を再び接着するには、修復された頭部を取り外す作業が必要で、像へのダメージが懸念されたため、結局見つかった頭部はそのままとなった。しかしごく最近、この修復された頭部が再びポロリと折れていることが判明。「すわ、また破損被害か!」と騒ぎになったが、調べた結果、修復時に入った空気が凍結し亀裂が入った、自然劣化が原因だった。
破損被害にあった文化財は、簡単に元の状態に戻すことができないことを学んだ。牛馬童子の愛らしい顔つきと双眸がじっとこちらを悲しそうに見つめていたのが忘れがたい。

(2)緊急事態!文化財盗難の現状
中津川行者堂の盗難被害例を中心に、浄妙寺の十二神将立像のうち寺に保管されていた6体の盗難を解説。中津川行者堂は過去2回盗難に遭っており、現在同堂の文化財は博物館に寄託されている。中津川行者堂の文化財については、同館の企画展「葛城修験の聖地 中津川行者堂の文化財」(2011年6月開催)に詳しいが、この一連の盗難被害の犯人は検挙されたものの盗品は既に大阪市内の業者に二束三文で売り払われた後。警察の調べで業者と実行犯の共犯関係がなしとされ、業者は無罪、ただし実行犯より購入した文化財は証拠品として押収(返却?)された。中には業者から転売され、善意の第三者(コレクター)に売却され、居場所の分かっている仏像もあるが、この場合、時候が成立していることもあり、元の所有者は適正価額での買い戻しが必要だという。

盗んだ実行犯はむろん悪質極まりないが、盗品と感づいていながら安い値段で買い取っていた業者の存在も連続文化財盗難の一因であった。買う者がいなければ、何度も同じ犯行を繰り返すこともなかったかもしれない。何ともやりきれない心境になった。

(3)所蔵者不明の盗難文化財ー見おぼえがありませんか?ー
本展メインと言って良いだろう。前述の業者より戻された盗品文化財のうち、元の持ち主が分からないもの29点がずらりと並んでいる。落とし物なら同例を観た事があるが、盗品、しかも仏像、仏具の類いは初めて。中でも、平安時代に制作された阿弥陀如来坐像、室町〜江戸時代に修験者が造像したと思しき阿弥陀如来坐像は、個性的で一度見たら忘れられない風貌である。にも関わらず持ち主が見つからないとはこれいかに。
仏像の持ち主を探すため、像や台座を解体し、手がかりとなる銘文を見つける。まるで、探偵のような所業だが、現状では持ち主特定に決め手を欠いている。

ただ事ではすまない状況が目の前で展開していた。

(4)災害に遭った文化財ーいかに救うかー
冒頭の台風13号被害を受けた阿弥陀如来立像はバラバラの状態で汚泥に埋もれていたが、ボランティアの方、近隣大学の学生達の手により洗浄され、ガラスケースの中におさまっていたが原型をとどめず。災害の爪痕をまざまざと見る。自然災害に遭った文化財に関して筆者は拝見していないが昨年4月28日〜6月3日「災害と文化財―歴史を語る文化財の保全―」展が同館で開催され水害に際して行われた文化財レスキュー活動が紹介されている。

(5)文化財を守るためにー私たちの歴史を未来へ伝えるー
わたしたちはなぜ文化財を守る必要があるのか、を考える。限界集落にあり保存が危機的な状況にある像を何体か紹介。中で菩薩形坐像は平安時代の作例で、現在の所蔵先は大日講(講とはここでは同じ信仰を持つ集落の人々の集まりを指す)。地域で守ってきた仏像は本来その地で保管するのが最適ではあるが、厳しい現状を迎えている。文化財は、貴重な記録の証として、例えば役行者の修行の記録となる碑伝をはじめ過去に生きた人々ーそこには現代の我々も含まれるー生の証を後世に伝えていくための貴重な財産であり、それゆえ大切に守り伝えることの必要性が語られていた。

(6)文化財を記録に残す
盗難被害、自然災害への対策として、まずは身近な文化財の記録を残すことが第一にあげられる。正面、両横、後ろと写真は特に有効。携帯電話でも写真撮影できるご時世なのだから、すぐにでも始めることができる筈。他には像高などサイズや特徴の記録を取っておく。
しかし、もっとも大切なのは我々ひとりひとりが周囲の文化財に関心を持ち気にかけること。それが実行されれば、所蔵主の見つからない文化財はなくなるのではないだろうか。


中日WEBでは3月6日に滋賀県教育委員会が文化財の盗難対策を発表したニュースが記事にされていた。和歌山のみならず滋賀県、熊本、長崎など多くの地域で文化財盗難の被害例が報告されている。身近な問題として一人でも多くの方に足を運んでいただきたい展覧会だった。

展示の最後にはより多くの方に本展の内容を知ってもらうための移動式展示キットや視覚障害の方のための「さわって読む図録」や「さわれるレプリカ」が用意されている。こうした絶え間ない努力を見るにつけ、和歌山県立博物館の素晴らしさを再確認した。

小冊子『未来へ伝える私たちの歴史ー文化財を守るためにー』はすべての漢字にふりがながふられ、関連資料、仏像の写真も掲載され、本展内容がよくまとまっている。希望者に無料配布されています。

企画展「文化財受難の時代」 和歌山県立博物館 2013年 3月9日(土)~4月21日(日) 
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明治の傑人 岸田吟香 豊田市郷土資料館

岸田吟香を回顧する展覧会が豊田市郷土資料館で開催されている。

例によってTwitterで本展開催を知り行ってみることにした。何より、展覧会のチラシに惹かれてしまった。

岸田吟香は岸田劉生の父である。そこまでは良いのだが、なぜ豊田市郷土資料館で吟香展が開催されるのか?行ってみたらよく分かりました。
現在の豊田市は江戸時代に挙母藩だったのだが、その飛地が岡山(美作)にあった。既にこの段階で「知らなかった・・・」状態になったのだが、美作で生まれた吟香は当地で神童と呼ばれる優秀さで、飛地美作で挙母藩士となったのだった。というのは、ほんの人生のとば口に過ぎない。わずか5年で脱藩(このとき銀香28歳)。
明治時代は、吟香のような傑物にとって思う存分活躍できる土壌があった。
まさに八面六臂の大活躍で、大政奉還前の1864年5月に文字通り『新聞紙』を横浜で発刊。ヘボンと日本初の英和辞書を作ったかと思えば、東京日々新聞の記者として文筆をふるい、そうこうするうちに新潟(越後)で石油採掘!、ヘボン博士直伝の液体目薬「精錡水」を製造販売。吟香は広告戦略に優れ、販売も好調。
目薬をはじめとした薬類販売店「楽善堂」を創立し、隣国清にも進出。更には目の見えない人のために日本初の盲学校「訓盲院」設立にも一役買う。

「ままよ」(なんとでもなれ)の心意気で人生乗り切ったのは、人物もさりながらやはり明治という時代を思わざるをえない。

四男:岸田劉生や五男:岸田辰彌(宝塚少女歌劇団の演出家)に受け継がれた芸術肌は、吟香がのこした大量の日記や前述の広告戦略を観るとよくわかる。今年は岡山と都内で吟香、劉生、岸田麗子の3人展の開催も予定されている。

本展は、吟香の人生を沢山の関連資料や解説パネルで非常に丁寧かつ分かりやすく案内。其れ程大きくない資料館だが、結局全部を見終わるのに二時間以上かかったし次々に繰り出される展開に息もつかせぬ面白さがあった。
更に素晴らしいのは図録で、豊田市の助成が大きいのだろうがなんと千円でフルカラー196頁。出展されていない資料も多数掲載されていて、吟香決定版と言える内容。コラムも豊富で読み物としても資料価値も極めて高い。

もうひとつすごいのは郷土資料館で展覧会にあわせて発行された「ままよ新聞」(こちらもカラー)。吟香展の内容を新聞記事風にレイアウトし内容がうまくまとまっている。展覧会の記念として完全保存版すべき出来映えです。


閑話休題。
豊田市郷土資料館の道路を隔てた反対側にかつての豊田市中央図書館だった建物があった。最寄り駅の梅坪駅から徒歩で資料館に向かった際、間違えてそちらの建物に入ってしまった。
入った瞬間、懐かしい思い出が一気に蘇ってきた。小学生だった私は当時豊田市内に在住していた。近くの公民館には本が少なかったので、2週間に一度中央図書館に連れて行ってもらうのを楽しみにしていた。古い建物には人の記憶が宿っている。取り壊してしまうのは簡単だし経済的なことだろう。日本は地震大国で耐震性能の問題もある。しかしながら、非効率なリノベーションという手段をとって建物を活かす試みをすることも大切なのではないかと思う。


明治の傑人 岸田吟香 ~日本で初めてがいっぱい!目薬・新聞・和英辞書~ 豊田市郷土資料館 2月2日〜3月10日
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