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高橋耕平 「史と詩と私と」 京都芸術センター

この1ヶ月に見た中で、忘れられず心にひっかかっている作品がある。
京都芸術センターで開催中の作家ドラフト2014の高橋耕平《史と詩と私と》(しとしとしと)だ。

《史と詩と私と》は約60分(正確には58分56秒)の映像作品で、配布されている解説によれば、2010年に閉校となった作家の母校の姿でグラウンドを整備する男性、音楽室で遊ぶこども、合唱する近隣の高齢者たち(同校OBか)、町長の視察などをカメラで追っている。筋書きのないドキュメンタリなのだが、1時間という長尺を感じさせず最後まで映像を追った。

解説は作品を見た後に読んだので、舞台となっている学校が作家の母校であることや、登場人物の中に作家の両親の姿をとらえていることは後で知った。

そうして解説を読むとタイトルの《史と詩と私と》の意味が分かってくる。
展示会場の京都芸術センターも閉校となった小学校(*)の跡地と校舎をアートスペースとして活用したもので、映像の中の小学校と観賞者である私がいる旧明倫小学校が脳内で重なりあう。京都芸術センターが廃校となった小学校であることは解説を読む前から知っていたので、観賞中に映像中の小学校がどこなのか、自分がいる場所も元は小学校であることは認識しつつ観賞していたし、その意味も考えて映像を見ていた。
*『明治2年(1869年)に下京第三番組小学校として開校した明倫小学校は、平成5年(1993 年に124年の歴史をもって閉校』(京都芸術センター公式サイトより引用)

映像を見ていると否応無しに自分の小学校の記憶が立ち上がってきた。小学校というのは、どこもそれほど違いはないのかもしれない。小さな机、音楽室、木の床(自分の小学校は木であっただろうか、中学は木の床だった)など記憶をたぐりよせるのだ。
考えてみれば学校、特に義務教育の小学校・中学校ほど多くの人が共有する場所はないかもしれない。卒業生と思しき高齢者は幼き頃、在校生として通っていて、卒業後に再び同校に戻り教室で歌を唄う。どれだけ多くの個人の時間が積層しているのだろう。しかし、個人の経験は舞台は同じでもそれぞれ固有の自分史がある。同じようでいて微妙にあるいは大きな差異があるだろう。

画面を見ているうちに、スクリーンが気になってきた。映像前半の一瞬に、スクリーンと映像に写った建物のレンガ壁が重なりスクリーンがレンガ壁でできているような錯覚を覚えた。よくよく見てみるとスクリーンは通常のフラットな状態でないことに気づく。レンガのような長方形と同じ形状が積み重なっているのだった。このスクリーンは一体どうなっているのか?蛇足ながら、観賞者が座る椅子は小学校でよく用いられている木製(風?)のスクールチェアで、身体の大きい人は座面からお尻がはみ出してしまう恐れがある。映像が終わった後、近づいてスクリーンを側面から見ると、こちらも小学校で用いられる机の上面をスクリーンとして横倒しにしたものが積み重なっているのだった。

映像と上映されている展示空間が入れ子になり、更に観賞者や作家、そして映像中の登場人物たちの個人史が層をなしていることに気づくと目眩がしそうになった。まるで、何層も版を重ねた版画のような映像インスタレーション。

「史」と「私」は上記の通りその意図がつかめるのだが、残る「詩」はどこにヒントがあるのだろう。
勝手な想像だが、漢字でなく「ひらがな」でタイトルを読み下すと「しとしとしと」これらも全て同じ音韻の積層である。存外「詩」には意味がなく、この音遊びをしたかっただけなのか。あるいは、映像中にしとしとしと雨の場面があっただろうか。


作家の高橋耕平(敬称略)の作品は過去何度か拝見しているが、本作のような公共/個人と歴史の相互作用を扱い始めたのは最近で、直近では惜しくも見逃してしまったが、同じく京都のギャラリーPARCで発表した「 HARADA-san 」も実在のはらだ氏を撮影取材した約1時間のドキュメンタリー映像だった。関心の変化は母校の閉校が契機になったのか、どんな経緯があるのか知りたい。入れ子構造という魅力的なおまけは失うが、展示場所が映画館で見てもドキュメンタリとして観賞者を引き込む内容だったと思う。ドキュメンタリとして見た時に、音声の問題、冒頭から最後まで音声がやや聞き取りづらかったという点は気になったので今後改善を望みたい。

作家の今後に目が離せなくなってきた。

3月9日まで開催中。
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建築の皮膚と体温―イタリアモダンデザインの父、ジオ・ポンティの世界 INAXライブミュージアム

INAXライブミュージアム(愛知県常滑市)で開催中の「建築の皮膚と体温―イタリアモダンデザインの父、ジオ・ポンティの世界」に行ってきました。

ジオ・ポンティ。。。名前は聞いたことあるけど、どんな建築家だっけと思い巡らせて美術館のサイトで展覧会についてチェックしたもののピンと来ず。行ってみて、ようやくはたと思い出しました。私の記憶の中では建築家というよりデザイナーとして認識されていたようです。ポンティの作品で私が唯一知っていたのは名作椅子で名高い《スーパーレッジェーラ》。敢えてリンクは貼りませんが、検索するとすぐに画像は確認できます。
デザイナーの名前を忘れてもスーパーレッジェーラは見てすぐに思い出しました。本展では上からぶら下がっていたり、実際に座れたりします。

が、この展覧会はポンティの椅子に限らず、建築を中心とに彼の活動をとらえ展観するものです。
「イタリアモダンデザインの父」と言われるポンティですが、私も彼の建築の仕事をこれまで知りませんでした。プレスリリースを改めて読み返してみると、ポンティの建築は薄さ軽さを追求していたとあります。薄さ、軽さと言えば、前述の椅子スーパーレッジェーラも同じ。彼のデザイン哲学は薄さ・軽さで透徹されていたようです。
展示で薄さ・軽さを理解するのはちょっと難しいものがありましたが、写真が一番よく分かった、INAXでの開催ゆえ、ポンティがデザインしたタイルが本展の見どころと言って良いでしょう。実際にポンティが建築した教会やホテルで使用しているタイルをリクシル(旧社名:INAX)が
復原。
ポンティのデザインしたタイルは、トラフ建築設計事務所による展示空間で魅力を発揮し彼の哲学について考えさせます。

建築の皮膚ー建築の表面を覆うものーは何もタイルには限りませんが、デザインを活かすことが可能なのはタイルに勝るものはないと思います。
本展が開催されているのは、ライブミュージアム内の「土・どろんこ館」ですが、敷地内の「世界タイル博物館」のタイルコレクションを見ると多種多様なタイルのデザイン・色に驚くばかりです。古来より人類はタイルを建築に使用していたことがよくわかります。企画展の続きと思ってタイル博物館にも足を運ぶことをオススメします。

そしてもうひとつの目玉は、ジオ・ポンティ アーカイヴスの協力により、ポンティのデザイン画やスケッチです。
会場の展示物はすべて撮影可能なので、建築に限らず衣装デザイン画もあり、こちらも楽しめました。

ポンティのタイルデザインや復原タイルを見ていると、東京・清澄白河のアルマスギャラリーで開催中の保坂毅さんの作品を思い出しました。保坂さんの作品も立体と平面、そして絵画の問題を深く考察したアプローチですが、ポンティのタイルとの共通項は何だろとうまく答えが出せないでいます。

3月18日まで開催中です。

「定窯ー窯址発掘成果展」 大阪市立東洋陶磁美術館

大阪市立東洋陶磁美術館で開催中の「定窯ー窯址発掘成果展」に行ってきました。中国との国際交流企画展第4弾です。第1回は忘れもしない「北宋汝窯青磁 - 考古発掘成果展」、2回目は「幻の名窯 南宋修内司官窯-杭州老虎洞窯址発掘成果展」、3回目は「明代龍泉窯青磁(みんだいりゅうせんようせいじ)-大窯楓洞岩窯址(だいようふうどうがんようし)発掘成果展」そして700年の歴史「定窯ー窯址発掘成果展」です。

汝窯の展覧会も良かったですが、本展もまた定窯の白磁の色あいの変化や歴史を探る新知見が沢山の素晴らしい内容でした。陶片といって侮ることなかれ、失敗作と判断され廃棄された欠片でも色味や文様は当時のまま。特に宋代以前の完品は残存数が少なく、かけらであっても当時の作品の状態を知る上では貴重なもの。

展示は時系列に唐時代のものから金代のものまで約66点(リストは同館の展覧会サイトに掲載)。
最初定窯の白磁の色味は青色を帯びていた。青磁→白磁の流れがわかる。
元々定窯の近辺では高アルミニウムの粘土を豊富に産出、可塑性強く、鉄分少なく白磁に適す。釉薬の原料である長石、石英、白雲石も豊富だった。
やや青みを帯びた白があの乳白色になるのは、焼成方法の革新による。釉薬の材料が豊富だっただけでなく、焼成に必要な燃料の石炭を豊富に埋蔵している土地。五代までは燃料に薪を使用する還元焼成であったが、宋代より石炭を焼成に使用することで熱効率が上昇し、酸化焼成が可能になった。酸化焼成により釉薬は黄身がかった牙白色(アイボリーホワイト)になる。還元焼成は青味を帯び、酸化は黄身がかる。この青みがかった白が乳白色に変わりゆく様を目で確認できるのが本展の素晴らしいところ。
北宋中期に伏せ焼きによる重ね焼きが開始。金代では環形支圏を用いた覆焼法が盛んになり生産量は増大する。模子と呼ばれた陶範を用いた印花文も大量生産に適した施文技法として盛んに用いられた。展示では、定窯で使用された支圏も数点展示されている。腕形支圏、還形支圏、盤状の盤形あり。一回限りの使い捨て。窯址には廃棄された無数の支圏片が出土されている。支圏の形状も多種あることから、定窯では様々な種類の器が制作されたことが伺われる。

出展された窯址は既に土を盛り穴は封じられてしまっているが、現在の様子が動画(3分)で紹介されていた。古墳のようにこんもりと盛り上がる小山が物原で窯道具の破片の堆積されたものだそう。

形状は青銅器に範をとったものが幾つか見られた。文様も同様で吉祥を表す獅子や牡丹などもあるが蓮花文、唐草文が多い。その中で、これはと思うのはユーモラスな顔をした白磁亀はいったいどんな目的で作られたものなのか。水滴?水差し?胴部も丸っこい形状でこの愛らしい顔を作り出したのが名もない陶工たちかと思うと、このセンスはどこから生み出されたものかと首を傾げる。
北宋代の作品に心惹かれるものが多かったが、《白磁仏像》の一部は顔面のわずか四分の1しか残っていないがそれでも十分に美しさが伝わる。菩薩だろうか。図録論考によれば、こうした白磁仏が出土は仏教との密な関係を示す証拠として研究成果が述べられていた。

北宋代の出土片では徽宗帝の代に設置され金代にも設置された尚食局(しょうしょくきょく)の銘が入ったものが発見されていて、時代をある程度特定できる点、皇帝が使用する器類が定窯で制作されていることを示す。尚食局(しょうしょくきょく)は皇帝の膳食を掌る役所で尚薬局というのもあって、北宋の帝の司政制度をここで知ることができたのも興味深い。

陶片ばかりでは少しさびしい、完品も見たいと思ったら、最後に東洋陶磁美術館所蔵の白磁コレクションがしっかり出迎えてくれた。

定窯が常に技法の革新に積極的でかつ大量生産をも可能にしていた高い技術がよくわかる展覧会。大変勉強になりました。

本展チラシのデザインも素敵で、保存必須。3月23日まで巡回はありません。

「岡田謙三&目黒界隈のモダンな住人たち展-所蔵品を中心に」 目黒区美術館

目黒区美術館で「岡田謙三&目黒界隈のモダンな住人たち展-所蔵品を中心に」を見てきました。

目黒区にアトリエを構えていたり、住んでいた作家達を作品とともに紹介。加えて、目黒区が文化的にどんな特色をもったかを展観する。そういえば、目黒区美術館は2年前の同じ2月に「メグロアドレスー都会に生きる作家」展を開催したことを思い出す。メグロアドレスは目黒区にゆかりのある作家たちを集めた現代美術+(建築)の展覧会だったが、今回の展覧会ほど「目黒」を探る内容ではなかった。しかし関連イベントは区内のギャラリーをまわるツアーなどが企画されていたので、結果として「目黒」を知るきっかけにはなったと思う。本展は、現代作家や分野にこだわらず3章に分けて「目黒」の作家を紹介している。
1章:岡田謙三と目黒界隈
2章:目黒・モダンダンス
3章:デザインの街・目黒

1章は絵画・工芸・彫刻とややごった煮感はあるが、岡田謙三を核に据えたことで見応えがあった。岡田謙三は油彩が9点、エスキース5点だったが、色彩面で構成された《雲と子供》1966年など色紙のコラージュのような作品がとても良い。色面と色面がわずかに重なり見え隠れする細いラインが効果的。もっと見たいと思わせる作品群だった。本格的な回顧展が開催されることを待ち望みたい。

他に注目したのは須山計一。
目黒区美術館の前に神奈川県立近代美術館葉山で柳瀬正夢展を見たところだったので、両者は大正・昭和にかけてプロレタリア文化形成に活躍しており、興味深く眺めた。1章では須山の作品は油彩1点のみだが、続く2章でモダンダンスの石井漠らと共に数点作品が展示されていた。

2章の「目黒・モダンダンス」では石井漠舞踊団および石井漠のダンス映像『グロテスク』と『マスク』(島田市立島田図書館・清水文庫蔵)が上映されており、パフォーミングアーツに関心がある方はぜひ。関連資料として石井漠舞踊研究所のパンフレット類や『舞踊日本』、また石井漠以後の江口隆哉・宮操子、土方巽関連の雑誌、書籍類を借用して展示されているのも良かった。
石井漠、須山計一は自由ヶ丘を活動拠点としていた、自由ヶ丘とモダンダンス、現在そのイメージはないので意外だった。

3章:デザインの街・目黒
目黒と言えば、インテリアショップという程、デザイン・インテリアのショップが充実した印象がある。
3章で紹介しているのは、同時開催で特集展示されている秋岡芳夫、柳宗理、山田正吾と作品数は少ないが、こうしてひとまとめで見ると、デザインの街としての礎を気づいた作家が多いことに気づく。

出品リストには各作家の活動(居住?)地の詳細も並べて記載されているのも一工夫されている。例えば、1章の岡田謙三も自由ヶ丘、駒井哲郎は不動前、飯田善國は中目黒・・・という具合。

本展に関連して自由ヶ丘駅が最寄りの世田美術館分館区宮本三郎記念美術館においても「宮本三郎と奥沢の作家たち」と題した展覧会を開催中でこちらにも足を運んでみた。宮本三郎記念美術館の展覧会でも石井漠の映像が上映されているが、上映内容が同じであったかどうか(リストをなくして確認できず)。宮本三郎記念美術館では自由ヶ丘の名付け親とされる石坂洋次郎の小説が並んでいた。相当前に石坂洋次郎に入れこんだ時期があったので懐かしい。

世田谷区奥沢近隣地域には大田区、目黒区にあたる田園調布、玉川、等々力、上野毛、自由が丘等があり、目黒区美術館の本展からも察するように一大文化圏を形成していた。目黒区に限定せず奥沢近隣地域全体で概観することで、日本のモダン形成に同地がいかに重要な拠点であったかを知ることができるだろう。

「黒田辰秋の世界〜目利きと匠の邂逅」 そごう美術館

長い休みを取れたので東京で美術館三昧をしてきました。生憎の大雪でスケジュールは狂ったもののほぼ予定通りの鑑賞。

予定していなかったけれど東横線に乗っていて何度も目にしたポスターに惹かれて行ったのが「黒田辰秋の世界〜目利きと匠の邂逅」でした。ポスターに掲載されていた貝を使用した朱漆の小箱があまりにも愛らしく美しく、どうしても見たくなって行ったのですが展覧会の善し悪しというよりとにかく作品にただただ見惚れました。理屈云々抜きでため息が出るような漆の美と匠の美に魅了され何度も会場を往復。「美」とはいったいなんだろうとかんがえさせられた次第です。

思えば漆は昨年のMIHO MUSEUMで開催された根来展以来、より一層その美しさ奥深さに傾倒している。何層漆が塗り重ねられているのか、そもそも漆という原料自体が膨大な時間の集積で、それを重ね乾かす時間、作品として呈示される時間、膨大な時間の集積が目の前の1点1点なのだ。僅かに隠れて見える朱色に惹かれる一方で、黒田辰秋の作品は色だけでなくフォルムも文句なしに美しい。「美しい」という言葉以外に表現できないかと考えると「端正」「三次元的」が浮かぶがそれでもまだ言い表せないものが作品にある。

例えば棗や振出などは、蓋と胴が寸分の狂いなく収まってきつからずゆるからず、目で愛でるだけでなく触れてみたい掌で賞玩したい衝動に強くかられる。本展ではこうした黒田辰秋の作品に魅了された著名人と黒田との関係やエピソードが綴られる。目利きで知られる白州正子、川端康成、小林秀雄、柳宗悦、黒沢明などなど錚々たる面々。
黒田は最初、河合寛次郎の作品に魅了され民藝に飛び込んだというが、彼の作品は民藝なのだろうか。日本民藝館に黒田の作品はむろんあるが、初期の作品から晩年作まで辿って行くと民藝の作家という枠におさまらない作風であると思う。

拭漆、朱漆、乾漆、螺鈿と多岐にわたる技法に習熟することは勿論だが、彼はオーダーした人によって技法を変え好みにそうようなものを完璧に仕上げる様が本展ではよくわかる。黒沢明監督発注の拭漆の家具、京都の「鍵喜良房」の箪笥や器(ポスターに使用されていたのは鍵善良房の螺鈿使用の卍文様小箱)を見ていると所有者好みを知り尽くしている。

庶民には手の届かない黒田作品と思いきや、庶民でも黒田作品を体感できる場所がある。京大近くの進々堂では黒田が人間国宝になる前に主人が発注した机と椅子(拭漆だろうか?)が今も客を迎える。この椅子と机が好きで京都へ行くと進々堂でカレー&パンセットをいただきつつのんびりするのが常だった。
単なる木製長椅子・長机ではない、下部の彫形の黒田らしいデザインが見られる。

本展は世界文化社から今月刊行された青木正弘監修『黒田辰秋の世界〜目利きと匠の邂逅』がベースになっている。青木正弘氏といえば、地元豊田市美術館に開館準備時以来勤務され副館長として定年まで在職されており、同館コレクション形成にあたり中心となって活躍された人物。過去に豊田市美術館で黒田辰秋展が開催されているが、その頃私は美術とへ無縁であったため未見。今になって惜しいことをしたと歯がみするしかないが、幸いにも青木氏によって同館には黒田作品が複数あり、本展にも出展されている。
ただ、本展に関して言えば美術館コレクションより、目利きたちが旧蔵していた作品の方が所有者の人となりをあらわしていて面白い。

自分もようやくこれが美しいと思えることが嬉しかった。

3月10日まで開催中。旭川美術館に巡回予定だが公式発表なし

「円山応挙展」<後期> 相国寺承天閣美術館

相国寺承天閣美術館の開館30周年を記念する「円山応挙展」が開催されています。

前期は円山応挙の《七難七福図巻》が全巻公開されていましたが、2年前だったかに全巻公開された際に見ていたので前期は行かずじまい。後期は初公開の障壁画が出るというので、見逃さないように行ってきました。

第1展示室、入って正面。のっけから応挙の浮絵が実際に後ろから照明をあてて提灯や星空が明るく見えるようなしかけを施し応挙が描いているのを紹介。
まずは、応挙や四条派をはじめ京都の絵師たちが学んできた中国の元・明時代の掛軸7点!がずらりと並ぶ。中でも元の銭舜挙《鶉虫図》。銭舜挙は応挙の名の由来になっている画家。銭舜挙に応ずとして応挙と祐常門主が名付けたそうです。
そして個人的に好きな山水図が。大幅《春景山水琴棋書画図》謝時臣画賛、応挙の山水にこの絵がどれだけ参考にされているのだろうと思いつつ眺める。
そして大幅をもう1点《百鳥図》辺文進、これはちょっと若冲に詳しい人ならあっと思うのではないでしょうか。旭日鳳凰図などで描かれている鳳凰のお手本が!どう見てもこれを参考にしているとしか思えない。
応挙に限らず、日本の絵師たちはみな中国絵画を手本としていたことがまざまざとわかる好例。《百鳥図》百いるかどうかは分かりませんが、あちこちに美しい鳥たちが。同じく若冲の《百獣図》などが思い浮かぶ。

いや持ってますね、相国寺は。驚きました。とびきりの中国絵画によってまだ4分の1しか見ていない状態で満腹感が。

その後は虚脱状態のまま柴田是真の2幅に。是真はなぜここに出ているのだろう?思考停止になりつつ、描表装の是真の技が発揮された滝桜小禽図を眺めたが、是真は四条派と関係しているのだった。

蕪村の方丈障壁画やら原在中やら四条派関係の絵師が次々と紹介され、ガラスケースの中には三井南家伝来の応挙の真筆画出やら、相国寺蔵の祐常門主の《萬誌》中でも秘密の奥義が書かれている巻は資料価値が高い。

第2展示室。
目玉の応挙の障壁画はこの部屋に。初出陳の相国寺開山堂の《雪中山水図》十面は墨の退色が大きいが、奥行きある応挙の山水図の特徴は伺われる。見事な出来映えだったのは《山渓樵蘇図》(5面)。応挙の写生は周囲の景色まで取り込むようなパノラミックさが最大の魅力ではないかと思っているが、それがよく分かるのが《山渓樵蘇図》だった。
息子の円山応瑞の障壁画(開山堂)も応挙の障壁画と続きで展示されているが、奥行き、横と空間の広がりは明らかに応挙に歩がある。

愛知県美術館の円山応挙展にも出展されていた相国寺蔵の作品ももちろん展示されている。この他、愛知県美では出展されていなかった《大瀑布図》ももちろん出展。《七難七幅図》(天災の巻)の下絵や三井南家伝来の写生帖、写生図も大量に出展。応挙が群鶴を絵付けした楽了入とのコラボ赤楽茶碗も良い。

おまけと言っては失礼だが、応挙の弟子と言えばこの人、長沢蘆雪の《象と狗子図》他1点も。

図録はてっきり第1展示室の中国絵画も掲載されていると思って買ってしまったが、帰宅後見たら中国絵画は掲載なく応挙の作品メインで本展の出展品すべてが掲載されていないので注意。《七難七福図》全3巻が拡大図も含めて端から端まで掲載されているので、貴重な図録ではある。2500円。

後期展示は3月23日まで会期中無休

新知恩院 木造涅槃像とミニ企画展「獅子・狛犬」 大津市歴史博物館

先日、新聞やニュースで快慶一派作可能性も報道された新発見の新知恩院蔵「木造涅槃仏」とミニ企画展「獅子・狛犬」を見てきました。

木造涅槃仏のニュースは詳細に読んでおらず、ミニサイズという見出しだけが記憶に残っていました。
実際にガラスケースに入った涅槃仏と対面してみると、本当に手のひらサイズ。
しかし、この涅槃仏今まで見たことのない形状をしている。。。なんと胸に水晶がはめ込まれているではないか。
胎内納入物としての水晶はよくあるのですが、胸上部を覆うようなサイズの水晶がぴたっとはまっているのには驚きました。木造の涅槃仏というだけでも珍しい(よく見かけるのは大体金銅仏)のに、造作が細部にわたって細やかで、特に手や足の指先はしっかり5本の指が彫られている。また、左の衣の袖は、かなりの薄さで彫り上げられていて極めて出来が良い。また、身体には戴金も施されており金はよく残っていたので、大切に保存されてきたことがよくわかります。

詳細な解説(大津市歴史博物館の公式サイトに掲載されています)を読むと、右手が屈臂してやや頭部の方に近づけているのは珍しく古様式とのこと。

また、この涅槃仏様を乗せる台座には4方を12面、迦陵頻伽、獅子、虎、白像、龍、鳳。兎、猿、牛、馬などの動物が彩色され精緻に描かれています。これは江戸時代作と涅槃仏と制作時期は異なります。涅槃仏にはちっちゃな枕も付いてます。
これらを入れるための桐箱や袋も付随しており、解説ではポータブルできるミニ涅槃仏とあり、こんなに愛らしい涅槃仏を持ち運んで拝んでいたのだろうか。。。と古に思いを馳せたのでした。

涅槃仏の隣にケースからがミニ企画展「獅子・狛犬」が登場。涅槃仏にあわせたのか、小さい順に並んでいるのが面白かったです。室町時代の獅子・狛犬から始まっていたので時代順ではないし、所蔵寺社順でもありますが、出入口に立つと、見事に小さいものから大きなものに並んでいたのが分かります。

所蔵先や来歴はキャプションで触れられていますが、ワンポイント解説で獅子・狛犬の形状についてのアドバイスがありこれがまた面白かった。例えば、狛犬・獅子の雌雄の見分けは?→ 回答「ちらっと股を見ましょう」・・・とか。
これまで、狛犬・獅子のオスかメスかを気にしたことがなかったのですが、このワンポイントを見て早速、ちらっと彼らの股間を見やると、ついているものとついてないもの、色々ある。

平安時代後期の狛犬の特徴は胸部がふくらみがあり、下半身が小さい。
桃山時代になると形状の大きなダイナミックな造形の狛犬・獅子が登場してきます。狛犬・獅子が時代を表象しているのも興味深かったです。
狛犬は角がある方で獅子は角がない。恥ずかしいことに、ずっと逆だと思ってました。

常設展示ではこの他、紀媒亭の大津移住の前に描いた屏風が出ていてこれも満足。大津市歴博は毎回楽しませてくれます。

大津歴博の2014年度スケジュールも公開されていますが、中でも「戦争と大津」は必ず行かねばと思っています。

木造涅槃仏とミニ企画展「獅子・狛犬」は3月16日まで。

「モダニズムと民藝 北欧のやきもの:1950's-1970's デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド 」 愛知県陶磁美術館

愛知県陶磁美術館の「モダニズムと民藝 北欧のやきもの」展へ行ってきました。

展覧会は4部構成。
第1章から第3章は1階の企画展示室、第4章のみ2階の廊下のようなところに展示されていたため、1階から2階へあがるまで右往左往し迷ってしまった。通常の特別展ならそのまま奥の特別展示室で最終章も展示されるケースが多いが、今回は2月15日から別のテーマ展で使用されるため2階へとなったようだ。

1950年代から1970年代の北欧のやきものを日本で紹介する初の試みらしい。
デンマーク→スウェーデン→ノルウェー→フィンランドと国別に時系列を追って名品とやきものの歴史を紹介していて、この流れは理解しやすく好印象だった。
4つの国の中でもデンマーク、フィンランドは個人的に好みの作品が多かった。
特にデンマークの冒頭にあった中世風のキリスト教のモチーフが4面?に使用されたやきものは、国内やアジアではまず見られない発想でインパクトがあった。本展は北欧やきものと民藝との関係を照射しようと試みていたが、展示内容だけでは鑑賞者に十分な理解を得難かったのは残念。冒頭のデンマークのやきものをはじめ北欧4カ国のやきものは各国の個性が出ており名品揃い、どれも見応えがあったので尚更である。作品総数も160点と充分だが、陶器だけでなく磁器も相当数展示したことで焦点がぼけた感は否めない。

ノルウェーは後発で北欧隣国からの影響も大きかったようだが、デンマーク、スウェーデン、フィンランドは特に中国陶磁、日本の陶芸をよく研究し自作に取り入れ昇華していた。釉薬や形を見ながら参照元の中国陶磁を思い浮かべるとより楽しめる。民藝との関係も同じだが、北欧やきものとあわせて参考出品で同じ釉薬を使用している中国陶磁を並べるもしくはパネルで紹介するなど、もう一工夫が欲しかった。解説だけでは参照元を理解できない鑑賞者も多いのではないか。

同様に民藝との関係性、北欧の陶芸家たちがどれだけ民藝の作家たちの作品を受容していたかをもっと知りたかったし、参照元の民藝の作家の作品も並べて見たかった。

民藝の中でも濱田庄司は、筆者が昨年オーストラリアに行った際にもビクトリア美術館だったか、オーストラリアの陶芸コーナーで、濱田庄司の作品が展示されていて驚いた。濱田は北欧だけでなく渡豪し現地の陶芸家の指導も行っていたと美術館の解説パネルで知ったのだった。イギリスとの関係性も深いオーストラリアなので、同じく民藝のバーナード・リーチを念頭に置けば頷ける活動だ。

オーストラリアだけでなく北欧も。。。民藝の作家は世界規模で双方の文化を摂取、伝授していたのだと改めて感心する。
濱田庄司旧蔵の作品や民藝がらみで訪日した北欧の陶芸家の作品も並ぶ。

中で、本展の目玉のひとつ初公開の宮内庁三の丸尚蔵館蔵(秩父宮家旧蔵作品)「カイ・フランクの部屋」(人間国宝・故加藤土師萌が北欧へ視察に行った折、フィンランドのデザイナー、カイ・フランクの部屋をスケッチしたインク画)は陶芸作品でなく人間国宝直筆のインク画で、これが実に良い味を醸し出していた。やはり人間国宝ともなると陶芸だけでなく絵のセンスも並々ならぬ力量であるとじっくり眺めた(本作品のみ2月9日で展示終了)。

北欧4カ国の中でも磁器の名門、ロイヤルコペンハーゲン(デンマーク)、アラビア製陶所(フィンランド)がある2カ国は作品が洗練されたフォルムと色調でハイレベルだったように思う。才能ある人材を集め、研究・教育の場を提供していたことが作品から伝わってきた。陶器で培った研究成果がやがて磁器へと発展していく流れも理解できた。

こうして感想を書きつつ振り返ってみると、図録の論考(巻頭は民藝との関わりの論考だったが未読)を読み、再度展示をじっくり鑑賞したい気持ちがわき起こる。モダニズムに関しては理解不十分でここで書くことができなかった。常設展示の第6展示室では特集展示「北欧のやきものとガラス」も開催していたようだが、館内で案内を見つけられず帰宅後、公式サイトで開催を知るという失態ぶりなので、やはり再訪せねば。

本展は関連の講演会も充実している。
生憎、2月8日に予定されていた「北欧のくらしと生活デザイン」は大雪のため中止となり3月22日に開催日が変更された。2月15日、2月22日、3月8日、3月22日と講演会を開催、またこれとは別に学芸員によるギャラリートークも開催されている。
詳細はこちら


県民茶室には北欧チェアが1脚置かれていた。好きな作家の茶碗で一服する至福のひとときでした。

「井上洋介図鑑展-漫画、タブロー、絵本-」 刈谷市美術館

刈谷市美術館で2月23日まで開催中の「井上洋介図鑑展-漫画、タブロー、絵本-」に行ってきました。

井上洋介ってどんな作家さんだっけ?と記憶を探ってみたものの手がかりなし。でも、この展覧会のチラシにぐいぐい惹かれて、刈谷市美術館の公式サイトで情報収集したところ、何やら面白そうな気配が濃厚でこれは見逃してはならないと早速出かけた。

刈谷市美術館は2階建で展示は2階の展示室を使用することもあるけれど、今回は1階の展示室のみ。ただ、スペースが不足していて、展示室外にも展示が溢れ出していて、1階はほぼすべて展示会場と関連グッズ売場のみと化していました。
入ってすぐカオス。なんだ、これはすごいすごいすごい・・・(絶句)。

本展は井上洋介の多岐にわたる活動を「漫画」「タブロー」「絵本」「さまざまな仕事」の4つに分けて全貌を紹介する。各コーナーは基本的に時系列になっている。
最初の展示室では井上の出発点である「タブロー」と「漫画」の作品および大量の関連資料が展示されていて、特に資料の多さに気圧される。壁一面に1950年代の新聞記事や漫画新聞などが貼られていて、全文に目を通していたらいくら時間があっても足りない。そうは言っても面白そうなので新聞記事や雑誌などは詠みたい。目を引いたものだけ急いで目を通しつつ、井上洋介が何者であるかを確認していく時間は実に楽しかった。1950年読売新聞に投稿した漫画が小島功や長新太らの評価を受けて1951年に独立漫画派に参加して以後、漫画家としての道を歩み始める。が、並行してタブローも制作していた。
新制作展に出品し、猪熊弦一郎の好評価を得て、その後「読売アンデパンダン展」にも出展している。

初の漫画集『サドの卵』を出版、1965年(昭和40)には一連のナンセンス漫画で第11回文藝春秋漫画賞を受賞。その一方で、井上本人のインタビューで語られている通り「漫画では食えなかった」ため、徐々に絵本の挿絵を開始する。

タブローと漫画の仕事は1950年代の国内美術界において前衛美術と漫画がシンクロする状況にあり、瀧口修造は「黒い漫画」「白い漫画」論を1956年2月に読売新聞で論考を発表。井上の漫画は前者の黒い漫画の系統に属すといえ、読売アンデパンダン展では河原温の印刷絵画、池田龍雄のペン画と自作を並べたという。池田龍雄や河原温に関しては、本展図録(河出書房新社刊)に井上のインタビューで語っているがこれがまた面白い。図録は一般書籍として販売されているため、ご関心のある方にはぜひ一読をおすすめする。

これでまだ前半生しか紹介していない。1960年代には寺山修司劇団の舞台美術を担当と活動領域を更に広げ、挿絵に関しては、それまで武蔵野美術学校洋画科出身で洋画一辺倒であったのが、墨の世界に入り込み、日本美術→東洋美術へと関心を広げ、中でも白隠や仙厓の墨使いに注目し自作に取り込む。
墨を使い始めてからの作品はより不気味さを増していて、洋画では見られないおどろおどろしさが溢れていた。

彼の作品群、特にタブローを見ていると今もなお戦争(第二次世界大戦・太平洋戦争)の記憶が消えず、作品に昇華しているように見受けられる。群像は千葉に向かって歩く戦渦を逃れんとした人々の記憶が、飢えは戦後の食糧難の記憶、井上の濃厚なタブローを見ていると私自身は未体験の戦争の記憶がこちらに乗り移るような気がしてくる。
本展では再開されたタブローの近作と旧作を暗室にびっしり展示しているので、ぜひこちらも体験していただきたい。
目が暗闇に慣れて来た頃、周囲に浮かびあがる井上のタブローに圧倒されるが、過去でなく現在にも通底するような作品だと思えてきた。

そして忘れてならないのは木版画の制作。対象を簡略化する術に優れた方法と井上は版画について語っている(図録インタビュー)、骨太な線と東京の街シリーズの木版画は藤巻義夫の作品を思い起こさせる。

絵本の仕事では代表作「くまの子ウーフ」は最初パンツをはいていなかったが、途中まで描いて、ストーリー中でウーフのズボンのポケットが出てくるため、慌てて最初に戻ってパンツだけはかせたというエピソードも井上らしい。昨日アップした大橋歩は、本の挿絵を依頼されるとどの場面を挿絵にするかだけを考えて詠み進めるので内容が頭に入らないと語っていた。読まずにどんどん描く井上ときっちり読んで練る大橋、挿絵の仕事でも両者の相違が面白い。

エログロナンセンスだけでは片付けられない、井上洋介の実力を展示で紹介している素晴らしい企画展だった。これで300円とは恐れ入る。刈谷市美術館のショップで図録を購入すると井上洋介のオリジナル木版画がもれなくおまけでついてくる。木版画の種類はそれぞれ違っていて選ぶことはできない。何が入っているかはあけてからのお楽しみ!です。

私が幼少だった昭和を井上の漫画やペン画から想起しとても懐かしくなった。まだまだ言い足りないことが沢山あるのだけれど、多岐にわたる彼の活動をうまくまとめることができないので、ひとまずしめとしたい。
後日、書き直しするかもしれません。

「大橋歩の想像力」 三重県立美術館

特集展示 福井県立美術館所蔵 岩佐又兵衛を見に三重県立美術館へ出かけたところ、企画展の「大橋歩の想像力」が思いのほか良かったので感想を。

三重県美では2009年10月24日(土)~12月6日(日)にかけて「大橋歩展」、2011年にも「大橋歩-Fashion as Life/ Life as Fashion-展」を開催し、2009年の企画展には私も足を運んだ。そのため、今回の「大橋歩の想像力」はまた大橋さん。。。と正直思った。作品も重複するものが一部あったものの、ほとんどは2009年の企画展未出品の作品で作品数と展示方法に驚いた。今回の「大橋歩の想像力」では「言葉」と大橋歩作品の関係を探るもので、絵本やエッセイの挿絵類がメインであった。
第1室 絵本、こどもむけに
第2室 『村上ラヂオ』の世界
第3室 ことばから / ことばをこえて
の3部構成。第1室ではクレヨン画が中心、第2室はドライポイント技法の版画、第3室は大橋自身のエッセイを挿絵とともに紹介。詳細はこちら(三重県美のサイトにリンクします)。

特に私が気に入ったのが第2室のドライポイントだった。クレヨン画も良かったが、ドライポイントで表出された線の美しさ、インクの紙への滲み具合はペン画やクレヨン画では決して出せない味わいがある。ドライポイントに使用された版画の道具一式やオリジナルの銅板(原版)も出展されていて良かった。

会場は女性を中心として皆、楽しそうに大橋さんの作品を眺めている。第3室にあったエッセイで、昔、私が小学校の頃はやった遊びを思い出させる挿絵があり大変懐かしかった。右手(左手でも良い)の指の1本1本に「爺」「ババ」「殿」「姫」とあてはめ、これに自分や友達の名前をあてはめ、爺なのか姫なのかを占う他愛もないお遊び。
さすがにファッションに関するエッセイは今見ると懐かしいより古くさいが先に立つのは否めないがそれもまた良いのかもしれない。


お目当ての特集「岩佐又兵衛」はまずまず満足。「堀江物語絵巻」はあの巻ひとつだけが個人蔵で三重県美に寄託されているのだろうか。残りは熱海のMOA美術館所蔵ではなかったか?と思いつつ1場面に目を凝らす。絵巻の地に雲母が使われているのか、金地だけではない光を放っていた。
常設の現代国内作家の作品に嬉しくなり帰路に着く。小林研三のクレー風の作品《虫の行列》や館勝生や浅野弥衛はやっぱりいいなと何度もその並びを往復してしまった。

大橋歩の想像力は2月16日まで、特集岩佐又兵衛は前期は終了、後期は3月2日まで

「愛・知のリアリズム 宮脇晴の周辺」 豊田市美術館

豊田市美術館で開催中の「愛・知のリアリズム 宮脇晴の周辺」展へ行ってきました。

常設特別展の位置付けですが、所蔵品を使用した立派な企画展で東近美や近隣他館、個人蔵を借用し約120点で宮脇晴をキーとしつつフュウザン会、草土社、愛美社の作家たちを紹介している。

草土社、愛美社と言えば思い出すのは刈谷市美術館で2007年に開催された「岸田劉生の軌跡」展と同時開催の「岸田劉生と愛美社の画家たち」で本展で紹介している作家はこれとほぼ重複していた。自身のブログで検索をかけたところ、岸田劉生の軌跡に感動するあまり文中で「岸田劉生と愛美社の画家たち」にまるで触れていないが、しっかり記憶に残っている。

さて、今日のお題は宮脇晴だ。
私の場合、宮脇晴よりもその宮脇晴と妻でアップリケ作家の宮脇綾子との次男であった故・宮脇檀を先に知った。宮脇檀は住宅を主に手がけた建築家でエッセイも数多く残している。宮脇檀のエッセイが好きでほぼ読んでいた(美術好きになる前)が、ある日豊田市美術館で宮脇晴の作品と経歴を見て、宮脇檀の父と知って驚いた。
宮脇晴は、本展チラシにも採用されている名古屋市美蔵《夜の自画像》1919年が際立つ。細密描写で描き込んだ麦わら帽子や着用している衣服の質感と背景の黒、顔にかかる陰影。晴の真摯な熱い志が自画像の瞳と固く結んだ口元から伝わってくる。宮脇晴の代表作と言って良いだろう。

第1部では、大正時代の美術界を席巻した岸田劉生の登場、フュウザン会、草土社、草土社の名古屋展の影響力、愛美社設立といった流れが代表作家の作品や展示風景の写真など資料とあわせて紹介されている。

刈谷市美術館の公式サイト「岸田劉生と愛美社の画家たち」から引用します。
「草土社名古屋展は大正6年に愛知県商品陳列館で、大正10年には十一屋呉服展で開かれ、同年名古屋を訪れた劉生は草土社美術講演会(現椙山女学園講堂)で「装飾と模倣」について話しました。そして大正12年の関東大震災で鵜沼の家を失った劉生が京都に転居する前、約半月間身を寄せるために滞在し、震災後初めて絵筆を取ることになった地が名古屋でした。
 また、名古屋生まれの大澤鉦一郎(1893-1973年)は、大正6年の草土社第1回名古屋展にわずか3日間の開催ながら、毎日足を運びました。自らの精神性と近い世界観を感じたであろう大澤は、劉生に対抗するように、同年、萬代比佐志、森馨之助、鵜城繁、藤井外喜雄、山田睦三郎、宮脇晴、水野正一(1921年には参加)と「愛美社」を結成しました。大正10年の第3回展を最後に愛美社は自然解散してしまいますが、細密描写による作風を深化させました。」

十一屋呉服は現在の名古屋市内栄にある丸栄の前身。東京以外で初めて開催された草土社展は名古屋だった。これに関しては愛知県美術館が2001年に開催した岸田劉生展(未見)関連の同館サイトに詳細が掲載されている。長いため以下リンク。
http://www.aac.pref.aichi.jp/aac/aac32/aac32-6-3.html
第1回草土社名古屋展の出品作リストが今回の展示でも出展されているが、目録を見ると岸田劉生がいかに名古屋展に注力していたかがよくわかる。既に芝川コレクションとなっていた「切通之写生」をはじめとする優品を多数出展。背景にどんな目論見があったのかは分からないが、この力作を見て影響を受けた大澤鉦一郎なくしては宮脇晴の画業もなし得なかったやもしれない。

大澤との出会いによって宮脇は大澤に師事、徐々に才能を開花させる。両者は草土社で活躍していた劉生の画風をより一層緻密で写実的であくが強い。愛美社なる団体まで新興させる劉生の影響力の強さを思い知らされる。当時は写実表現が席巻していたのだろう、日本画では速水御舟が日本画とは思えぬような細密濃密描写で静物画や《京の舞妓》など人物画を描いた例もある。

第1部で驚いたのは宮脇晴が能面を打っていたという事実。晴が能面を制作している様子(1927年頃)や晴の打った能面を名古屋能楽堂でシテが付けている様子などの写真が展示されていた。実際に晴が打った能面2点《喝食》《痩女》1934年(いずれも名古屋市美蔵)も展示。第41回春陽会展目録1964年5月号には「亡母の面影を能面に打たむとして詠める歌三首」として晴は歌を寄せている。能との関わりは能面制作に関する写真と面しかなくそれ以上の解説がなかったがもう少し詳しく知りたかった。

第2部は宮脇晴の戦後の作品を紹介。
第1部の晴のもっとも遅い制作時期の作品が1928年《赤椅子の裸婦》であるが、この絵は既に写実一辺倒のあの密なものからかなり離れている。劉生よりも中村彝の作品に近しい印象を受けた。
第2部は1928年から3年飛んで1931年《母が結核と判って悲しかった日》、1932年が1点、そしてここから一気に10年後の1942年《子供たちと母》に続く。以後、10年単位で2〜3点の作品が並ぶが、1920年代の作風はどこへ?という程、画風が変化している。戦後の作品には脇田和を思い出した。

第2部の作品で「形の単純化」、「色遣い」、「画面構成」において新しい作風の萌芽を感じたのが《月と雲と山》1967年。家族など人物画でなく風景、想像上なのか写生をもとにしているかは不明。本作の類作は他にはなかったのは惜しまれる。

1930年代と戦時中の宮脇晴に関しての解説がなく、いきなり画風が変わった作品が第2部で登場するので、ここを埋めるものが欲しかった。劉生の死や社会動向の変化だけでは説明できない変化の大きさだ。劉生は4度来名したそうだが、愛美社のメンバー作品からは細密描写時代の劉生作の強い影響は見られたが、劉生のその後の作風の変化には感化されていないようだ。デロリや和様への転換が宮脇晴含め彼らの作品には登場しない。

リアリズムは写実表現のことを指しているのだろうか。企画展と同時開催の常設展でも「手探りのリアリズム」とリアリズムがキーワードになっているが、常設では新たなリアリズム表現を問う作品を紹介。「リアリズム」とは、あえてリアリズムを問うたのはなぜなのかは展覧会を見ただけでは理解できなかった。ウェブ媒体の「artscape」の美術用語辞典で「リアリズム」を検索してみたら腑に落ちるところがあった。

本展関連イベント
講演会「岸田劉生と愛美社」 山田 諭(名古屋市美術館学芸員)2月23日 14時〜15時半
スライドトーク 吉田 俊英(豊田市美術館館長) 2月8日 14時〜15時半
学芸員による作品解説 3月1日、3月16日、4月5日 午後2時〜

東近美では「泥とジェリー」、世田谷美術館で「岸田吟香・劉生・麗子 知られざる精神の系譜」展が開催中なので見に行く予定。



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