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「向井潤吉展~わかちがたい風景とともに~」 日本橋高島屋 

mukai

日本橋高島屋で3月22日まで開催中の「向井潤吉展~わかちがたい風景とともに~」に行って来ました。

向井潤吉は1901年京都生まれ。1914年、日本画を学ぶために京都市立美術工芸学校に入学するが、どうしても油絵を描きたいと周囲の反対を押し切り退学。関西美術院で油絵を4年間学んだ後、20代半ばに渡欧し、ルーブル美術館で模写、夜はアカデミー・ド・ラ・ショーミエールで素描を学ぶ。1930年に帰国、1937年に従軍し、戦争記録画を制作する。終戦直後の1945年に描いた「雨」以後、1995年に93歳で亡くなるまで一貫して日本にある民家の風景を描き続けた。
向井潤吉のプロフィールについては、Wikipediaをご参照ください。 ⇒ こちら

本展では、没後15年を記念して代表作100点と素描30点を一堂に展観するものです。

向井潤吉の作品は、世田谷美術館へ行くたびに常設コーナーや館内で数点見かけていて、気になっていた。世田谷美術館分館である向井潤吉アトリエ館へいつか行こうと思っていたが、なかなか行けず、そうこうするうちに耐震工事のために休館になってしまった。長い工事期間を終え、いよいよ来月4月27日から再開されるとのこと。

再開を前に、本展で100点以上もの油彩を一度に見られるということで、勇んで出かけて行った。

向井潤吉に限らず、こうした回顧展で興味があるのは作風の変遷である。初期の作品から、画家の個性、オリジナリティがどのあたりで出てくるのか、著名アーティストとしての評価を得るに至った画風はどのタイミングで現れているのか、そんなことを考えながら作品を追っていくのが楽しい。

向井潤吉の画風変遷は、ある意味ドラマティックだと思う。
初期の作品では、1920年の「舞妓の顔」は萬鉄五郎の作品かと思うような大胆な色使いとタッチで、到底後の民家風景を描いた作家と思えない。どうやら、若き日の向井はフォービズムに関心があったようで、1930年頃まではフォービスム風の作品を何点も描いていた。

渡欧後の向井の模写技術も秀でている。例えば「模写 老人の顔デューラー」1929年、「ミレーの模写 裁縫をする若き女」1928年、そして、模写回数、後世への影響が一番感じられるコロ―の作品などが目に付いた。
従軍後に描いた作品では「影」1938年(中国・蘇州上空にて)など空中から俯瞰したような広大な中国大陸を描いた作品がとても気になった。戦争の影が濃厚になった世情を反映するかのように、空も街も川でさえもどこか黒ずんで、濃厚な影に取り巻かれているようだ。よく見ると、陰りを帯びた大地に更に真っ黒な飛行機の影が描かれていることに気付く。この飛行機こそ、まさしく戦闘機に違いない。「坑底の人々」1941年は開戦時に描かれた炭坑夫だろうか。これもまた重く暗く、心にずしんと来る作品であった。

これをた時、ある種のショックに襲われた。私が見てきた向井潤吉の風景画とは全く趣のことなる画風、構図であったという驚き。そして、もうひとつの理由は、所蔵者があの福富太郎氏だったこと。福富氏は本作品のどこに惹かれてコレクションに至ったのかが気になる。美人画だけでなく戦争画もコレクションされていたのか。
作品リストがないためはっきりとしたことは言えないが、「影」以外にも福富氏のコレクション作品が数点展示されていた記憶がある。向井潤吉という作家を福富氏は評価していたのだろう。

向井の画風が大きく変化するのは終戦後である。戦争体験を通じ向井潤吉の心境に大きな変化があったのだろうと推測される。
そんな終戦直後の1945年に新潟県の北魚沼群川口町を描いた作品が「雨」。この作品ではまだ後のコロ―風な民家風景の繊細で精緻な作風は感じられない。むしろ、日本の原風景を描き始めたという対象そのものと事実こそが、大きな転換点して評価されているのだろう。どんよりとした空の重苦しい灰色。雨に打たれた家々は沈んで見える。それは天気のせいだけでなく、終戦を迎えた当時の日本全体に通底した状況であっただろう。この時期のやや粗いタッチにも注目したい。

「ある厨房長の像」1949年は向井の作品にしては珍しい人物像で、小出楢重の作品に似ているかなと感じた。

晩年の民家作品の作風が確立してきたのは1950年後半から1960年代に入ってからだろうか。戦後に再度渡欧した1960年に描いた「トレド新春」は、向井作品において、更なるステップとなった作品だと思う。ここで描かれている空は、かつて見たことなないような真っ青な青。

日本中を旅して、滅びてしまいそうな農村や山の民家と周囲の自然を丹念にスケッチし油彩で描いた。
ここからは、よくぞこれだけと感心してしまう程全国各地、特に長野県、岐阜県、新潟県などの寒い地方の作品が多かったように思う。
茅葺屋根の民家を見ていると、日本が置き去りにしてしまった大切な何かを否応にも感ぜずにはおられず、ノスタルジーと言える感傷と共に一抹の寂しさ、そして意図的なのか桜の季節、早春の季節を描いた作品が多かったので、一足先に展覧会場で日本の春を満喫できた。

なお、日本美術史家の辻惟雄氏は著作「日本美術の歴史」の中で、今後も評価される画家として向井の名を挙げている点は興味深い。

*3月22日(月)まで開催中。最終日は午後5時半まで入場(18時閉場)です。

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日本橋高島屋で「向井潤吉展」を観た!

向井潤吉アトリエ館は2009年3月16日より休館していましたが、 2010年4月27日(火)より、再開いたします。 「世田谷美術館分館向井潤吉アトリエ館」のホームページを見たら、上のような文章がトップに載っていました。休館していたのは耐震対策の工事のためと聞いてい

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