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「ウィリアム・ケントリッジによるレクチャーパフォーマンス」 広島市南区民文化センター・ホール

今朝から、広島入り。
目的は、年初に見てはまったウィリアム・ケントリッジによるレクチャー・パフォーマンスと海の見える杜美術館の展覧会(奈良絵本&鈴木晴信浮世絵他名品多数)。

海の見える杜は後日アップするとして、忘れないうちに書いておきたいケントリッジのパフォーマンス。
会場は、広島市南区民文化センター・ホール。
ちなみに私は今回初めて広島の地を踏んだので、まるで地理感覚はないが、広島駅から路面電車で約15分乗車、下車後徒歩2分の場所だった。

会場は500名入場可能だとのことだったが、突然のアクシデント(警察でいろいろと・・・)のため、予定より到着が遅れ15分前に着席。かなり来場者が多く、あせったが1人なので良い場所に席が見つかった。

パフォーマンス用のチラシ、ケントリッジ氏のパフォーマンス画像が入ったものまであったとは!これは、受付で手渡していただいた。

今回のレクチャー・パフォーマンスの内容説明がされているので、引用させていただく。
自作のテキストの朗読とケントリッジが登場する映像と本人が共演するパフォーマンスをミックスしたステージ。ゴーゴリの短編戯曲『鼻』(1836年)とこれを原作とするショスタコーヴィチ作曲の同名のオペラ(1930年)が題材となっている。
様々なテキストが引用されているが、特に1937年2月26日の党中央委員会におけるブハーリンの弁明からの引用は、体制の暴力に押しつぶされる知識人の悲劇を象徴し聴衆を深い感動に誘うものがある。

さて、会場に話を戻す。
舞台には、可動式4段程の手すり階段がひとつとスクリーンが設置されている。
階段の手すりのひとつには針金で作られたコップ受け(これが良い味を出していた)と中に水の入ったグラスが入っている。

予定開始時間を数分過ぎたところで、広島市現代美術館担当学芸員氏とケントリッジ氏が一緒に登場。
学芸員さんが関連各位にお礼を述べる中、ケントリッジ氏は、やや厚めの紙ファイルを手に持ち、舞台に設置されたスクリーンの前を右に左に歩く。
そして、歩いているとファイルの中の紙束が数枚、はらりはらりと床に落ちていく。落ちていくペーパーに一瞥くれたかどうか記憶が定かではないが、拾おうとはせず床に落ちた紙はそのまま。

既にケントリッジ本人が登場した時点でパフォーマンスは開始されていたのだった。
学芸員氏の開会挨拶もパフォーマンスの一部のように思えてくる。

本パフォーマンスは、基本的にケントリッジ作成のテキスト朗読劇と考えて良いだろう。
基本的にとしたのは、単に座って朗読するわけではないということ。
表情豊かに、しかも歩いたりはしご階段に登ったり、座ったり、映像の中のケントリッジと共演したりと忙しいのだ。

最初の方で、複数人の自分がいると語る行があり、たとえとして「昨夜泊まった広島のホテルで明日は本番だもう寝たほうが良いと言っている自分とまだまだ宵の口。バーはすぐそこ。さぁ夜の街に飲みに行こうとする自分」とアドリブが入る。
てっきり京都と同じパフォーマンスだとばかり思っていたので、アドリブもありなんだと驚く。

ケントリッジ氏は俳優業を志したこともあったはず。
その演技力、表現力は映像作品やドローイングのみならず、パフォーマンスにも十分に感じられた。
たとえば、言葉と言葉の間合い、発音の強弱などは言うまでもなく、約1時間弱観衆を引き付けておくだけの演技力はあった。

最初はゴーゴリの『鼻』の朗読のようだったが、それが終わるとどんどん難解になり、再びチラシから引用させていただくと、ケントリッジ最新作《俺は俺ではない、あの馬も俺のではない》の制作過程から本パフォーマンスは生まれた作品で、”一種の不条理劇の中に「アトリエの美術家」、「分裂した自己」(前述のホテルの複数の自分)というほかの作品に通底するテーマと同時に、弾圧され歴史から消し去られたロシア・フォーマリズムのユートピア運動への限りない共感と愛惜が込められている”。

大変だったのは、字幕を担当された京都国立近代美術館サイドだっただろう。
何しろ、ケントリッジの言葉の間合いがコロコロ変わるので、字幕を出すタイミングも本人が難しい。
ただ、以前国立西洋美術館で拝聴した同時通訳よりは、はるかに分かりやすい素晴らしい字幕で、ケントリッジ氏の英語発音が明瞭だったこともあり、両方見ながら理解していたが語り内容をきちんと把握されつつ適度な長さでまとめる訳になっていたことに感心する。

背景に流されていた映像作品は、2008年制作のもので、《俺は俺ではない・・・》作品の一部を抜粋していたり、ケントリッジ本人が何人も登場し、様々なポーズをする。
舞台上のケントリッジが映像の中のケントリッジとからむシーンが何度もあり、まさに分裂する自己そのもの。
ケントリッジが映像の中で行っていた様々なポーズは、アトリエでの日常の一場面なのかもしれない。

展覧会場で見た時には気付かなかったが《俺は俺ではない・・・》の中の影絵のようなアニメーションで、レーピンの《ヴォルガの船曳》を引用していると思うような箇所もあった。

ロシアの歴史、フォーマリズムの何たるかを知らないため理解不足は著しいが、やはり足を運んだ甲斐はあったと思う。

パフォーマンスの後に、短時間でも良いから質疑応答の時間を設けて下さったらと残念。
最後の学芸員さんによるあいさつが中途半端で、終わったのか終わってないのか分からないしまりのない終演が気になったけれど、ケントリッジ氏は至って気さくなお人柄のようで、舞台が終わった後、観客からのサインや記念撮影に快く応じておられる姿をお見かけした。


広島市立現代美術館サイドに、今回のパフォーマンス開催に合わせて展覧会閉館時間を1時間か30分遅らせるなどの融通さがなかったのは実に残念。容赦なく5時で閉館した上に、現在常設展示の展示替え中で常設展も見ることができなかったのも残念。
遠方からの来客に対してのアピールや心配りがもう少し欲しかった。

個人的には終演後、twitterでケントリッジ展への多大なる応援tweetを連続されているMomakyotoさんにご挨拶できたのが嬉しかった。生協の白石さんのように気配りのきいた、かつ機知に富んだコメントに毎回感心するばかり。
今日の来場者でMomakyotoさんのtwitter上でのtweetで背中を押された人はどの程度いたのだろうか。


なお、今回の講演は世界各地で演じられているが、都度形を少しずつ変えていて、京都展でのパフォーマンスはアドリブ部分だけでなく他にも若干違っている点はあるとのことでした。

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noel様

こんばんは。
広島に払った代償はあまりに大きかったです(罰金含めて)。

ケントリッジご本人を間近で、しかも語り演ずるという
貴重なパフォーマンスを日本で見られたのですから満足です!
でも、ロシアやアヴァンギャルドについてもっと学習せねばと
益々思いました。

さすが!

広島遠征とはさすがmemeさん! さっそくのレポートありがとうございます。昨日とどいた1Q84(3)にもスターリンへの言及があったりするので、このケントリッジの映像を思い出したりもしてました。 確かにMomakyotoさんのツイートで足を運んだ方は多かったでしょうね~
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