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Plastic Memories いまを照らす方法 東京都現代美術館

東京都現代美術館で6/20迄開催していた常設展「Plastic Memories いまを照らす方法 」 を見て来ました。

近頃は、評判の良い展覧会情報をtwitter上で リアルタイムで 入手でき本当に便利になったものです。

今回の常設展示「Plastic Meniries(可塑的な記憶)」では、もとの場所と時間から切り離され、アーティストの想像力のなかで自由に形作られる素材としての記憶をテーマに「現代美術」のひとつの側面に光をあてるものです。

このコンセプトについて、観客に何をどのように見せるのかが、キュレーターの腕の見せ所。本展ではそれが見事に成功していたと思います。私個人が好きな作家である松本竣介や米田知子、ボルタンスキーが出展されていたことを抜きにしても、視点が明確で様々な切り口によって過去から「いま」そして未来へと移りゆく時間を現代美術の表現で見せてくれました。

Prologue The Voice-Over
山川冬樹氏の「The Voice-Over」、この作品を見た本日は父の日だった。偶然にせよ、興味深い符牒だと思う。
山川冬樹氏はフジテレビの元ニュースキャスターであった山川千秋氏の長男。現在は歌手としてパフォーマンスアーティストとして活躍中で、今年のあいちトリエンナーレでも10月に彼のパフォーマンスが予定されている。

この映像作品は、父である山川千秋氏が遺した膨大な録音、録画テープを編集し音と映像からなる約35分の作品を制作した。
真っ暗な室内には大型スクリーンだけでなく、4か所に小型TVが配置されていて、これらは、本作品がたどる16年間の間に製造され、一度は父を画面に映しだしたであろうものが選ばれている。

映像はニュースキャスターとして活躍していた時代から、食道ガンで番組を降板するまでを1年1年、父親のニュースを読み上げる声で当時の世相を振り返りつつ、間にプライベートな子供(息子の冬樹氏と思われる)との対話を間に挟み、人生を時間を1つの映像作品でなぞるのだ。
場面の切り替わりの都度、一旦映像も音もシャットダウンされ、耳と眼には残響と残像だけが残る。
作品観賞中には気付かなかったが、映像途中で「声がお聴き苦しくて申し訳ございません。」とテレビの向うにいる視聴者にお詫びをしている音声が流れて来た。その時は風邪なのか、なぜこのシーンが映像に選ばれたのかが分からなかったのだが、食道ガンに侵され、声が出づらくなっていたのだろう。死病と死期を予告するような前振りなのだと、後に分かった。

山川冬樹氏にとって、この作品は父への鎮魂になったのだろうか。この作品は彼の中にあった父との思い出の結実というには生易しい気がする。もっともっと高い所を山川冬樹氏は目指している。
センチメンタルに陥ることなく、完成度の高い映像と音響を見せた手腕は素晴らしい。35分という時間はあっという間であったが、実際の時間軸は実に長く重いものだったのだろう。

<Chapter 01> もうひとつの「歴史」を語るために

最初に展示されているのは、松本竣介の「鉄橋近く」シリーズ、「ニコライ堂」「運河」などのデッサン作品。
ここで、私たちは松本竣介が描く作品を一人の人間の記憶として残された風景として見て行く必要がある。本来作品は個々人が自由な視点で観て行けば良いと思っているが、本展では企画者の意図を汲み取りつつ作品を鑑賞した方が楽しめる。
竣介がこれらのデッサンを描いたのは戦時中1941年~1943年の間である。戦時色まっただ中の国内状況におかれてもなお、個人的に好きな風景を描かずにはおられなかった松本竣介。だからこそ、彼の作品は時代を超えて、観る者に共感と感動を呼び起こすのだろう。

次はクリスチャン・ボルタンスキー。
彼もまた「歴史」をテーマにした作品制作を行う作家である。
・「D家のアルバム」1971年 写真
・「死んだスイス人の資料」 1990年
いずれにおいても、生死について嫌でも考えざるを得ない状況に置かれる。古びた写真たちは、そこに写されている人々の生を過去のものとして提示するのだ。「死んだスイス人の資料」は過去に何度か展示されているが、ホロコーストを意識させた作品性は見事。

米田知子は写真によって、歴史や記憶の存在を可視化する。先日原美術館で彼女の写真展図録を購入したばかり。図録で見た作品が目の前にあるのはとても嬉しかった。プリントはプリント、印刷物は印刷物なので、できるだけプリントされたものを見ておきたいと思っている。

最後にタイのアピチャッポン・ウィーラセタクンの「エメラルド」2007年は幻想的な夢見るような世界観があった。
そして、羽枕の羽根と思われる白い物体がおびただしい数で、画面上に浮いている。雪のようにも見えるが、その白い羽によって、現実世界と境界が引かれているように思う。強いインパクトはないが、美しい映像の作品だった。

≪Chapter -02≫ いまを刻印するために
リチャード・ロング、土屋公雄らのオブジェ作品とランドスケープ派の写真家ハミッシュ・フルトン(ゴールズワジーとの関連性は?)の写真を展示されている。
この空間は、展示室の中でも一番クールだったのではないか。1章2章と展示を見るにつけ、3章の意味合いがより大きくなっている。ロングの石の円環と土屋の陶器の月のような形の展示が印象的。時間とその繰り返しを意識させられる。

≪Chapter -03≫ 喪失にあらがうために
この章では、先日6月1日に亡くなった大野一雄の皮膚を撮った石内都の写真を展示。この展示は4月24日から始まっているのだが、これもまた不思議な符牒である。
また、三木富雄の「Apple Yard」1971年があるが、本作品は非常に貴重。三木富雄と言えば「耳」の彫刻であまりにも有名だが、彼は晩年この「耳」のモチーフから逃れるために試行錯誤を繰り返していたという(常設展解説リーフより)。彼にとって耳の彫刻は「死体みたいな感じのする」ものだった。そこから逃れ、制作行為を留める方法を見つけ出そうとしていたという解説はあまりにも深い。

≪Chapter -04≫ 時空を超えて
最後は木村友紀の写真と前田征樹の「UNIVERSAL LOVE」。正直この章がもっとも意図するものが伝わって来なかった。前田の作品はシュタイナーの色彩論が参照され、光を通して個と宇宙が交感するような過程を再現したというが。これはう~ん?といった感じだった。

*本展は終了しています。

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