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森村泰昌 アーティスト・トーク 豊田市美術館

requiem

豊田市美術館で開催中の「森村泰昌ーなにものかへのレクイエム」展関連イベント、森村泰昌アーティスト・トークに行って来ました。

豊田市美術館での同展は、東京都写真美術館で既に終了した展覧会の巡回ですが、写真美術館での展示をよりパワーアップした内容になっています。
第一部:戦場の頂上の芸術(オトコ達へ)
第二部:全女優(おんな達へ)
の二部構成で、特に第二部展示作品は東京展では出展されていなかった女優シリーズが未公開作品含め多数展示されています。

東京展でも関連イベントで森村氏と作家の平野啓一郎氏との対談が行われ、こちらも参加しましたが、平野氏が三島由紀夫の研究家でもあることが幸い(災い?)して、終始濃厚な三島論が展開され、三島由紀夫に思い入れのない当方としては呆然と聞き入るばかりとなりました。

今回は、森村氏の未公開作を含む映像作品を作家自身による解説付きで特別上映するという企画。
私は森村氏の映像に強い関心を持っているので、これは行かねばと豊田市美に向かったのでした。

午後12時より整理券配布。定員172名であったため、15分前に到着したが、既に長蛇の列。何とか134番目の整理券を入手してホッとする。
入場まで時間があったので、早速展覧会を観て回ったが、ここでも見どころは二階の高い天井を活かした巨大2面スクリーンで映し出される《なにものかへのレクイエム(独裁者を笑え/スキゾフレニック)》だろう。恐らく写真美術館で観たスクリーンの6倍程度のサイズではないだろうか?ド迫力で、臨場感抜群。演説に酔いしれた。これだけ大きいスクリーンだと二つのスクリーンの動と静がより明確に感じられる。

第二部では、往年の名女優たちを演じた写真がモノクロ、カラーとズラリと並ぶ。イヤが応でも「女」たりえること、「女」という性について考えさせられた。

前置きが長くなったが、本題のアーティスト・トークについて。
担当学芸員の都筑氏(ヤノベケンジ展の担当して記憶に残る)の進行、司会でトーク開始。開始前には森村氏の手だろうか?両手をバチンと鳴らす短い映像がリピートされていた。

以下の7作品が森村氏の解説と共に上映された。
(1)《炎のピアニスト》2002年 13分
森村氏自身によるピアノ演奏を映す。赤坂の草月会館内・草月ホールでロケ。草月ホールにはベーゼンドルファーの赤いピアノがあるが、草月会館はオノヨーコ、ベーゼンドルファーのピアノは、ヨーゼフ・ボイス来日の際、彼はピアノが堪能だったにも関わらず敢えて弾くことがなかったとして曰く付きのもの。戦後の美術を考える上で非常に重要な位置付けをされる場所でありピアノ。
ベーゼンドルファーのピアノは草月会館の他に、日本では川崎市民ミュージアムにあり、通常のピアノより更に低音を出す4つの黒鍵が特徴的。
森村氏は楽譜を読むことはできないが、1999年にピアノと出会い我流で弾き始める。2002年に自身の演奏に行き詰ったが、最新作の映像《海の幸・戦場の頂上の簱》で久しぶりにピアノを演奏した。

ピアノは叩けば音が出る。音の残響に浸り、音の生成の現場に出会うと、楽譜は後付け。音の美しさを残すために編み出された技法が楽譜であって、本来は音が先にあった。即興演奏⇒楽譜。

炎のピアニストでの演奏は、とても即興とは思えぬ適当に弾いていても立派なメロディーを奏でていた。

(2)《フリーダとの対話3》2001年 13分
この作品では「演技する」という要素について、森村氏が会得した頃に制作された。原美術館で展示された作品の抜粋。
森村氏は1999年シアターコクーンで野田秀樹作「パンドラの函」に出演。大竹しのぶ等名だたる名優たちとの共演により、演技の技術を学んだ。
本作品では、1人の人間の中にいくつもの個性があることを表現して見せる。

(3)《星男》1991年 ;13分
パフォーマンス現場をフィルムで撮影した作品。デュシャンとマン・レイへのオマージュに見えた。星型を自身の頭髪を剃り込んで何故か、京都見物に繰り出す。写真を撮影している現場自体がパフォーマンス的要素を含む。

(4)《銃をもつ私》1998年 3分
映画の絵画化を目指した作品。精神的な3Dを実現しようとした。
アニメーション的であり、実験的作品のように思えた。

(5)《夢の家》1995年
今回上映された作品の中で一番印象的だった作品である。8ミリビデオで長回しで撮影されている。
上野の池の端にかつてあったフブラー氏の個人宅をロケ場所として使用。登場人物は森村氏と成山画廊のオーナー、そしてフブラー氏の娘さんの3名。広大な屋敷を使って、あちこちに同じ人間が登場するという遊びをした。長回ししているので、カメラが向いているのと逆方向で、次の出没先目指して出演者は走る。
この作品の映像美が凄い。出演者3名の怪演ぶりも忘れ難い。都筑氏曰く「シュール」とのことだが、私は最新作の映像美をこの作品に観た。
フブラー邸は、女優シリーズのエリザベス・テーラーになった時の撮影に使われた。後で、同写真作品を見直してみたが、なるほどと納得。

(6)寺田園
最新作に登場するお茶屋さんの映像。実は森村氏のご実家。これは写真美術館のトークでも上映されていたので今回で2回目。
自然音だけのシンプルな作りだが、それゆえ余計に情緒的でしんみりとする。

(7)《京都での路上ライブ》
ミレニアムを迎えた京都での路上ライブを撮影した作品。過去の森村作品が次々と映し出され、最後を締め括るに相応しい内容だった。

以上の7作品により、本展覧会に観る映像作品のルーツをたどることができる。
それにしても、ひとつとして同じ傾向の作品が見られないことに関心した。常に実験的であり、新しい試みを行う姿勢に感服した。

*展覧会は9月5日まで開催中。

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