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「岡倉天心と日本彫刻会」 小平市平櫛田中彫刻美術館 はじめての美術館77

tanaka

小平市平櫛田中彫刻美術館で開催中の『岡倉天心と日本彫刻会‐日本木彫の「伝統」と「革新」‐』に行って来ま
した。
美術館の公式サイトはこちら

平櫛田中(ひらくしでんちゅう)は、1872年岡山県に田中家に生まれたが、10歳で平櫛家に養子に出される。本名は、平櫛倬太郎というが、生まれの田中家の苗字を通称として使用していたらしい(Wikipediaより)。日本近代を代表する彫刻家で、何と昭和54年に107歳という長寿に恵まれ、小平市には亡くなるまでの約10年間を過ごした。

小平市平櫛田中美術館は、この平櫛邸を広く後悔するため昭和59年に「小平市平櫛田中館」として開館。平成6年に点時間を新築し、旧邸と展示間の2館を美術館としている。平成17年に遺族から作品寄贈を受けたことを契機に、平成18年4月に現在の「小平市平櫛田中彫刻美術館」と改称された。~美術館リーフレットより~

木彫に関心を持ち始めた数年前から行ってみたいと思っていたが、漸く今回初訪問することができた。
JR中央線の国分寺駅で西部多摩湖線でひと駅、一橋学園駅南口を出て徒歩10分程度。一橋大学小平国際キャンパスに程近い。行ってみたら、意外と近く西部多摩湖線も10分に1本程度で運行されているので、中央線からの乗り継ぎもスムースだった。

2年に1回、隔年の秋に特別展が開催され、本年度は「岡倉天心と日本彫刻界」展を開催中。本展は、これまで取り上げる機会の少なかった日本彫刻会-日本で最初の本格的な彫刻団体-の作品を紹介し、岡倉天心の彫刻振興策を検証するものです。

日本彫刻会の名は、木彫が好きだの何だのと言っておきながら、今回初めてその名を知った。明治以後の近代彫刻家として著名な高村光雲(高村光太郎の父)の高弟である米原雲海、山崎朝雲、平櫛田中、加藤景雲、森鳳聲、滝澤天友ら6名により1907年、最初の文展が開催された記念すべき年に結成されている。

高村光雲には非常に多くの弟子がいたようで、彼らの名前には光雲の「雲」の一字が入っている。平櫛田中は、青年期に人形師のもとで木彫の修業をした後、1897年(明治30年)に上京し高村光雲の門下生になっているのだが、彼の名前には「雲」の一字が入っていない。1907年(明治40年)から1913年(大正2年)まで岡倉天心の指導を仰ぐ。「雲」の字が入っていないのは、私の勝手な想像だが、高村光雲の影響度が小さいことが理由なのかもしれない。

展示作品は、ホール、第1展示室、第2展示室、第3展示室、第4展示室、地下展示室、記念館など全部で約80点と想像以上に見ごたえがある。

平櫛田中の木彫は、東博を中心に他館でも見かけるが、彼以外の作家で名前を知っていた作家が一人もいないのは何とも情けない。しかし、他館で彼らの作品が紹介されることはあるのだろうか?私の記憶が頼りないだけなのか。
出品作家は以下の通り。
米原雲海、山崎朝雲、平櫛田中、加藤景雲、森鳳聲、滝澤天友、吉田白嶺、吉田芳明、平坂芳文、林美雲、山本瑞雲、下村清時、内藤伸、畑正吉、川上邦世、石本曉海、関野聖雲、中谷翫古、松尾朝春、太田南海、三木宗策、長谷川栄作、牧俊高、沼田一雅、西村雅之

近代彫刻家をすべて網羅している訳ではない、例えば、先日三重県立美術館で観た橋本平八も、同じく木彫制作が主体の近代彫刻家の一人だが、彼は「日本彫刻会」に参加していない。橋本の場合、平櫛より25歳年若く、やや彫刻会の活動に加わるには若すぎたか、もしくは橋本は佐藤朝山に師事しており、彫刻会に参加するきっかけや動機もなかった可能性が強い。
しかし、これだけ大勢の作家が何らかの形で「日本彫刻会」に絡み、一度は会員としてその名を連ねたことは、彫刻界の一潮流であったことは間違いないだろう。

印象に残った作家は次の通り。
・米原雲海 ≪仙丹≫1910年 東京国立近代美術館
雲海は、高村光雲の代表作である≪老猿≫1893年・東京国立博物館蔵は、雲海の代作と噂されるほどの腕前の持ち主で、光雲の信任も厚く、息子の光太郎の木彫指導を託される程だったという。
雲海の作は、この他個人蔵の≪竹取翁≫1912年や≪月≫1910年・島根県立美術館など、表情や動きの表現が実に自然で、滑らかな木肌の美しい作品が多い。
光雲の作品より線は細いように思えたが、小品が多かったせいもあるのかも。

・平坂芳文 ≪老農夫と孫童≫1919年 富山県庁、≪伝・中大兄の皇子≫1910年 個人
牙彫から木彫に転じた。
平坂の作品は上記2点しか展示されていないが、日本彫刻会の活動全体を捉えた研究がおこなわれることはなく、また消息の分からない館員が多く、作品の多くが散逸してしまった影響が大きい。今回の2点のうち個人蔵の一点は、本展開催を機とした新出品。
≪伝・中大兄の皇子≫は2階に展示されているが、実に凛々しくもあり格調高い。着彩なしの木彫で、木自体の美しさも作品からにじみ出ている。

・川上邦世 ≪女性立像≫1917年 個人、≪雲≫1915年 熱海市立澤田政廣記念美術館
彫刻会の作家中、もっとも個性的な作風を貫いていたのが、川上邦世だ。彫刻会にも短期間しか関わっていなかった。彫刻会を脱退後、フュウザン会(斎藤与里、岸田劉生、清宮彬、高村光太郎らで結成)に参加し、より新しい作風、表現主義というのか、≪女性立像≫はプリミティブな印象を受け、浮かんだのは「埴輪」だった。
他の作家は、光雲の薫陶を受けた作家が多いせいか、どこか皆似たような作風が多いので、非常に目立っていた。

他に平坂と同じく牙彫から木彫に移行した吉田芳明、中央の彫刻家同士の諍いに疲れ野に下ったというエピソードと彼もまた川上同様、青木繁の≪海の幸≫を彷彿とさせる≪五人の比丘≫制作年不詳 個人が忘れ難い。

日本画家の下村観山と兄である下村清時、両者の合作≪三番叟と稚松図≫大正中期も興味深い。

記念館(旧平櫛田中邸)は国立能楽堂の設計者・大江宏による書院造の名建築。建築を観るのもまた楽しい。
こちらには、田中の晩年の傑作≪鏡獅子≫1965年や個人的に好きな≪気楽坊≫1961年などが展示されているので、お見逃しなく。

玄関脇にある巨木は、田中が100歳で購入した20年後の制作のための材料だそう。
余人に真似のできない制作・生存エネルギーだと感心した。

*10月17日(日)まで開催中。会期中無休。10時~16時。ぐるっとパスが使用できます。
なお、本展は岡山県の井原市立田中美術館へ巡回します。

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またこんばんは。
そういえば平櫛田中美術館は先月でしたかの、月刊展覧会ガイドに取り上げられてましたね。特別展は二年に一度とそこにも書かれてましたが、何か毎年やっている感じがしますがー。ただここは図録作るのは特別展の時だけですね。今回の図録は僕も知らない人ばかりだったので、資料集として使います。
月刊展覧会ガイド、なかなかプレゼント当たりません、今月は太田記念の浮世絵申込んだのですがどうなりますかー

oki様


こんばんは。
お庭の素敵な元邸宅も、もちろんお邪魔しました。
まだ、田中さんがそのまま住まれているような佇まい。
しかも、この日はお庭で野点も開催されていましたので
お抹茶と和菓子までいただけ、大満足。

二年後の特別展に再訪したいです。

おっ、何気無くのぞいたら、小平市平櫛田中行かれましたか、さすがmemeさん!
ここは午後四時で閉まっちゃうのがちょっと難ですね。
お庭が拝見できるアトリエもあり、初めて行かれたのだともう少し時間が欲しかったのでは?
玄関前には樹齢何百年かの木を移植してきて、田中はまだ創作続けるつもりだったんですよね。
あと資料室もありますがいかれたかな?
再訪したくなるところでしょう。
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