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「鈴木清写真展 百の階梯、千の来歴」 東京国立近代美術館

suzuki

東京国立近代美術館で開催中の「鈴木清写真展 百の階梯、千の来歴」展に行って来ました。

鈴木清は1943年福島県いわき市に生まれた。
当初、漫画家を志し上京したというが、1969年 東京綜合写真専門学校卒業。同年から翌年にかけ、『カメラ毎日』に「シリーズ・炭鉱の町」を発表、写真家として出発。以降、看板描きを生業とし、写真家活動を展開。
以後、個展開催と並行しつつ4~6年に1回のペースで写真集を自費出版で続ける。
1982年 写真集『天幕の街』刊行、翌年同書および同題の個展により第33回日本写真協会賞新人賞受賞。
1994年 写真集『修羅の圏』刊行、翌年同書および同題の個展により第14回土門拳賞受賞。
上記が主な受賞歴である。

今回の展覧会では、鈴木が刊行した8冊の写真集それぞれからの作品を紹介するとともに、写真集のダミーや個展会場の手描き図面など、鈴木独特の手作業を通じた制作プロセスにも注目しつつ、彼の作品世界について紹介するものです。

なお、会場では8冊の写真集すべてを実際に手にとって見ることができる点が素晴らしい!
もちろん、白い手袋が用意してあるので、それらを着用した上で、写真集のページをめくっていく作業の楽しいことと言ったら。
最近私の関心が写真に向いていることはここでも繰り返し書いているが、特にオリジナルプリントと写真集とは全く別次元の作品世界なのではないか、写真集そのものも作品として捉える必要性を強く感じるようになった。
少し前にアップした記事「中藤毅彦による写真集をみる」ワークショップで尚更、その思いを強くした。
あそこで手にとってみた、ウィリアム・クラインの{New York」はまさしく写真を使ったアート本そのもの。
オリジナルプリントにはない、別次元の作品性、芸術性を遺憾なく発揮している1冊だった(あ~やっぱり、あれは欲しい)。

さて、展覧会では、思った以上にオリジナルプリントの展示が多く出ていたので、見ごたえがあった。
写真集別の展示写真数は次の通り。
・『流れの歌』 35点
・『ブラーマンの光』 13点
・『天幕の街』 38点
・『夢の走り』 32点
・『愚者の船』 12点
・『天地戯場』 12点
・『修羅の圏』 14点
・『デュラスの領土』 8点
その他 2点、および写真集ダミー7点、展示プラン6点。

毎度のことながら、2階のギャラリー4の展示リーフレットは非常にデザイン性に優れていて、これも毎回の楽しみである。今回も鈴木清の写真集に収録されたテキストから抜粋された言葉の数々が様々なタイポグラフィーによって表面を飾り、裏面は作品リストになっている。

私が一番惹かれた写真集は『修羅の圏』、次に『夢の走り』であった。
個々のプリントで言えば、どの写真集シリーズにもそれぞれ、グッとくる1枚、2枚はあったが、写真集を1冊の作品として観た時、圧倒的にこの2冊に惹かれた。

『天空の街』シリーズのコラージュ作品が、実に鈴木らしい、これが今回の展覧会のチラシやポスターにも使用されているのだが、鈴木の直筆と思われる色鉛筆か何かのマークが彼の写真集作りの試行錯誤や制作過程の一端を見せており興味深い。

関連イベントとして、本日11/19(金)18時より写真家の金村修氏と批評家の倉石信乃氏による鈴木清を巡る対談があったので聴講した。
司会は本展担当学芸員の増田玲氏である。

対談の内容は、写真集についてより鈴木清その人をクローズアップしたものだったので、若干私が期待していた内容とは違っていたが、東京総合写真専門学校で1年間、鈴木清の指導を受けた金村氏のお話が面白かった。
数々のエピソードや実際に鈴木が語った言葉の数々が、彼の人となりを表しているように思う。

・教育者としての鈴木清
通常は生徒の写真についてあれこれと指導する先生が多いが、鈴木の場合は自作を生徒に見せ、感想を語らせるなど、一風変わった教育手法だった。(金村)

彼からは、写真家はビジョンを持つということの大切さを学んだ。写真に対して盲目であっても良いとすら思う激しさに震撼した。

・鈴木清の展覧会
本展に個展レイアウトスケッチが展示されているが、あの通りに展示がされることなどなかった。すべて会場でインスピレーションをもとにどんどん展示を変えて行った。緻密なようでいて、反面破壊的であった。破壊的というのは、、綿密なプランニングスケッチまで描いておきながら、結局毎日通って写真の配置を変えたり、あげく、枯葉を集めて来て写真の上に枯葉を置いてしまったり、写真の上に写真を重ねるなど、およそ通常では考えられないような手法の展示だった。鈴木がいなければ、彼の個展の再現は不可能だ(金村)。

・鈴木清と読書
非常に多くの本を読んでいたことは間違いない。特にフランス文学に詳しく、ヌーボーロマンを読んでいて、その頃ちょうど、写真集『愚者の船』が刊行され、それとヌーボーロマンがどう結びつくのかが分からなかった。アトリエに呼ばれて行くと、ものすごい量の本があった(金村)。
現実にインスパイアされることもあるのだろうが、鈴木の場合は、本、書物にインスパイアされることもあったのだと思う。
鈴木の配偶者の方が、彼にとっては写真も書物も生きていく上で欠かせないものだと語っておられたたという(増田)。

・鈴木と音楽
鈴木は、ブルース・スプリングスティーンとジョージ・ハリスン、ベートーベンが好きだった。特にジョージ・ハリスンへの傾倒ぶりはすさまじく、手紙まで出していた。歌詞に対する共感が大きかったのではないか(金村)。

視覚芸術における音楽は語りにくい。鈴木の作品に言えることは水辺に対する感受性の強さである。どの写真集においても水辺のイメージは一貫んしているように思う。また、鈴木の作品は根源的に労働と結びついているものがあるように思う(倉石)。

・鈴木の性格
或る日、電話がかかって来て、会いたいと言われ、写真集にテキストの寄稿を依頼された。あまりにも性急で、事態はどんどんと進んで行く。周囲のものを巻きこむ力はすごいものがあった。
良い意味でも悪い意味でも他人や仲間とつるんでいない。
現状の自身に対する評価には不満を持っているが、それを隠さない。そういう欲求は強い人だった。

・鈴木はどういう世界を写真で見せようとしていたのか?
観る人が勝手に解釈すれば良いと思っている。ビジョンがあるようでない。むしろ空っぽだから何でも入る(金村)。

旅を撮ったのではないかと思う。空間的な旅。鈴木清のまなざしには両性具有的なものがある(倉石)。
鈴木清の世界には2つの次元が入り込んでいる。
ひとつは、出版物や書物を展示して行く。
もうひとつは、立体的なものを創ることができる人だった。立体物を創ることもできる人で、空間演出か的な要素を持っている人だった。

図録も秀逸きで、ポケットサイズの太めの辞書のようなデザインと装丁でとてもカッコイイ。
場所も取らない上に、写真の印刷もとても良い。これで1500円はお値打ちだと思う。この展覧会は巡回なし。買える時に買っておいた方がお得。郵便局を利用するなどして通信販売も可能

+12月19日(日)まで開催中。

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