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「複合回路」Vol.5 青山悟展 <トークイベント 青山悟×森村泰昌> ギャラリーαM

aoyama

ギャラリーαMで開催中の「複合回路」Vol.5 青山悟展 に行って来ました。
開始後すぐに観に行って、12月8日に開催されたトークイベント:青山悟×森村泰昌も拝聴したので、簡単にその様子を以下まとめてみます。内容に誤り等ございましたら、遠慮なくコメント欄にてご指摘いただければ幸いです。
また、トークの内容についての記載に際し、敬称は省略させていただきます。

まず、本展キュレーターの高橋瑞木氏による今回の展覧会の説明。
詳細は、ギャラリーの以下公式サイトに掲載されていますのでご参照ください。
http://www.musabi.ac.jp/gallery/aoyama.html

高橋:今回誰とトークしたいかと聞いたら森村さんだった。なぜ、森村さんと対談したかったのか?

青山:2010年は十年経過し、社会的にも芸術的な意味でも時代の変わり目で模索の時代だと思っている。その中で森村さんは過去から未来まで言葉にして説明するのと同時に展覧会で「レクイエム」や「まねぶ美術史」では学ぶ所が多かった。特にまねぶの方には私的なアートヒストリーが語られていて自分のアプローチと重なる部分画あると思ってお願いした。まさか本当に森村さんが来て下さるとは思っていなかった。

「六本木クロッシング」でもご一緒させていただいたが、森村さんはヒトラーや三島を出しておられて、自分はウィリアム・モリスと言う19世紀の社会主義者かつ芸術家を登場させ労働について語らせた。そこでも、個人的には森村さんと重なる所があったと思っていた。


高橋:「まねぶ美術史」について説明すると、森村さんが高松市美術館のコレクションのキュレーションを依頼され、ご自身が学生時代に練習した作品と高松市美のコレクションを並べて展示した。(赤々舎刊行の図録を掲示しながら解説。)非常に見ごたえのある内容で、若い時の作品なので恥ずかしかったのではないかと思ったり。

森村:展覧会もさることながら、一冊の本にしたかった。今年出した本の中では非常に気に入った1冊。
中学時代に高校入学後は油絵をやりたいと思っていた。高校1年生から絵を描くようになって10代からの試行錯誤の結果現在に至るが、かなりの私事で人に見せるものではなかった。カンディンスキー風の絵を描いていたりしたが、とても恥ずかしいし見せることは全くなかった。。しかし捨てずに残していて、なぜかサインをしていた。
サインをするのがいい。作品を作っている気分になる。サインの練習を一生懸命その頃したという1人遊び。自分は展覧会などできる人間だと思っていなかったので画家遊びしていた。授業中に1人で小さな絵を描き切って並べたりして、1人展覧会をしていた。

そんなことから始まったが、最近、かつての作品をもう一度引っ張り出して見たくなる心境になった。
スポーツもそうだが、自分が好きなものに出会った時の出会いのフレッシュな喜びはピュアなものだと思う。へたくそとは別に、それをやっている喜び。
1人遊びの頃の精神の在り方が、そこに出ている気がして、自分にとって大事なものだし、再評価できるようになった。最終的にそこに戻りたいために、これまでやってきたのではないか。

なぜなら、展覧会を行ったり芸術家としての形があってその美術家の森村が、やった作品として皆が見てくれる。
10代から後のプロセス抜きにして戻れなかった。ゴーギャンの遺作の「我々は…どこへ行くのか・・・」というタイトルの作品のどこは、後戻りできない時間のように思えるが、実は未来を目指していて時間はループしている実感がある。過去の作品だが未来の作品にくっつく気がする。
そこに青山さんが興味を持ってくれているのと、自分のおじい様の小さい時に知っている祖父の作品と自分の絵、
入口の作品は小学校四年の絵だそうで、青山さん曰く、「彼の油彩としてピークの絵」だそうだが。
青山さんは祖父の作品と自分の絵を結び付けたが、自分と少し重なるかなと思った。

青山:「まねぶ美術史を出すのは恥ずかしい」という森村さんの言葉があったが、自分もこれは恥ずかしかった。家族の絆を見せる展覧会ではないし。祖父は90歳代まで描きで同じような絵を描いていた。
幼少期は憧れの存在だった。毎年二科展に連れて行かれるのが家族行事だが、似たようなテイストの作品が多く飽きてくる。その家族行事が苦痛になり、そうこうするうちに新しい情報が入って来た。例えば、高校時代にステラやニューマン、ウォーホルが、入って来る。森村:結構、アメリカだね。それは何年代か?

青山:80年代後半から90年代。そういうのが入ってくると祖父の絵がかっこ悪いものに見えて来た。イギリスに行っていて、日本に帰国したのは五年前だが、今回の展覧会まで祖父の絵と向き合おうとしていなかった。

森村:なぜ、そんな心境になったのか? 割と唐突ですよね。冒険的で思い切った展示だから。

青山 :この風景画はロンドン時代の作品で叙情的なものが多かった。この頃、ホームシック状態になっていた。だんだん抒情的なものがなくなり血も涙もない作品になっていて、元々ミシンで機械的だし。このままやっていると行きつく所が見えなくなりつつあって、過去作から現在に至るまでの作品を同時に眺める展覧会をしようとした時、祖父の絵がその装置にならないかと思った。

高橋:この展覧会の話をした時、最近のペインティングについて批判的で抒情的じゃだめ。ナイーブで、そこと祖父の絵が重なっているから、それと自分は戦うという話だったが、最終的に青山さんは変わった。

青山:絵画に対するいらつきがある。ペインターの話は、独特だと思うし、空間が色がと語る時、排他的に思えることがある。ペインティングとそうじゃないものが二極化している。それが自分では気持ち悪いと思っている。

高橋:ペインティングを嫌いだとは言ってなかった。好きだと言っていた。

森村: 青山さんは絵が好きな感じを受ける。自分は青山さんの祖父のような絵を描く人を優しい目で見られるようになった。
今、みんな何をやっているんだろうということに興味があり、油絵みたいなのは「何やこれ」と思っていた。一方で日本画専攻、京都画壇が京都にはあり、ひたすら日本画を描く学生がいた。疑わずにこの道に進んでいる。自分は日本人であり、日本の伝統的な芸術をやっていくんだという正しさを認めていた。そういう人たちを疑いつつも羨ましいと思っていた。土台は疑いようもなく日本画であり、そこでスタートさせる。洋画でもそう。最近では、
銀座のBLDギャラリーで辰野さんの絵を観たが無茶苦茶良い絵だった。ある種羨ましさを感じた。自分が油絵を描くということについて疑わずに追求して行く。まさに画家。

私なら、まず油絵って西洋の絵じゃないのと思ってしまう。日本の文化の中で育った自分にとっては、油絵は憧れて絵を描いてきたが、外国のボキャブラリーではないのかと絵を描くことの土台を揺るがされる疑問を持ってしまう。かといって、日本画にすればというと、日本画は自分と江戸時代は切れてるしと疑いが出てしまう。日本文化を大切にしますという精神的状態に真摯にもなれず自分はその土台がグラグラしている。疑わなくていいから、他の人は突き進めるが、自分はとりあえず写真という、メディアを使った。グローバルで二十世紀型のメディアを使った。
青山さんはそれをミシン刺繍に置き換えたのかと。ミシン刺繍の芸術史などないから、何処の国の誰がやっているのかは問題にならず、ミシン刺繍のメディアの発見は面白い。その手法を使えば結構何でもできる。
写真をミシン刺繍しても良いし。
もの作りの喜びは油絵は駄目でもミシン刺繍ならOKなんじゃないか。祖父の絵とやはりどこか似ている。似ているから、祖父の絵は嫌だったのかもしれないが、嫌いではなかったのだと思う。

青山: 刺繍の場合はすぐに気を抜くと工芸だと言われてしまう。自分は芸術をやっているつもりなのだが、油断するとアートですらなくなってしまうという危機感があるが、ペインターには危機感がないように思える。そこに特権的なものをふるまわれている気がする。なぜなら自分には、画家としての才能がないと気づいてしまった。
小学性四年頃までは神童だった。

森村:どうして小学校の絵が続かなかったの?

青山:父も絵を描いていてキュビスム風の絵を描いていた。小学校2・3年の時にキュビスムが入って、ある日、父親の影響で画面分割をした絵を描いたたら、友達に「馬鹿じゃないの」と苛められ突っ伏して泣いた。感性が違うと気付いた。
それを契機に、絵が描けなくなってしまった。立体的にものが見られなくなってしまった。その頃の絵がうまいという評価にあった柔らかい線も石膏デッサンもできなくなった。

森村:それはキュビスムやったからじゃないよね?立体的に戻れなくなったということではなく、自分の中にある感受性が平面だと気付いてしまった。

青山:その頃、父がヌードを描いていt、家庭訪問で担任がそれを見てクラスに言いふらした。

森村:美術的な家庭にあって、それが良い方向にいかずネガティブに入って行く面があった。それで美術から離れた?高校の時は何をしていた?

青山:高校時代にはイギリスで寮生活をしていた。駐在員の息子がいたり、教育方針やシステムは日本的で、英語が話せるかと思って行ったが、日本人の先生しかいないし、外出禁止で親の許可がいる。勉強も全然しないし、毎日どうやって楽しく過ごすかを考えないとやってられない。500人全員が日本人のイギリスにある高校で、今はない。

森村:それはいつのこと?(80年代)間違ってそこに行ってしまったのか?

青山:刑務所と同じで、友達とは今でも仲が良い。スポーツや音楽、その日その日の楽しさを見つけるながら生活してたが勉強は全然しなかった。高校は3年間。絵はやっていなかった。
イギリスの美術学校は入るのは簡単だが、出るのは難しい。とりあえず、そこに入ろうと思った。とりあえずロンドンでもう少し遊んでいたかった。

森村:ゴールドスミスを選んだ理由は?

青山:ゴールドスミスはそんな良い大学とは思わなかったが、大学に入る前に外国人向けの準備コースがあり、当初は彫刻家志望だった。美術離れしていて絵は描けないと思ったが、ドナルドジャッドなら自分にもできると思い、ジャッド的なものを準備期間中に作っていた。ゆがみまくっていたりとか。

森村:工房はあるのか?

青山:工房はあった。本学部の生徒と一緒にやらせてくれる。

高橋:ジャッドがどうしてあの形態だったかは知らないで?

青山:知らない。形態だけ真似した。気に入ったのもある。シュッとしてるなと想った。ジャッドの具象っぽい感じ。ピアノのキーボードをジャッド風に作ってみた。

準備コースは終了したが、上がれなかった。「テキスタイルなら空いている。」と言われたので、そこに入った。

森村:他に定員が空いている学科はなかったのか?

青山:ポップミュージック科はあって、見学に行ったが楽譜がかけないのは駄目だと言われた。

森村:その頃はロンドンにいたいという気持ちが大きかったのか?

青山:テキスタイルの学科でもアートヒストリーとかある授業があって、全くついていけず一年留年し、そこからこのままでは駄目だと思い、生まれ変わったように勉強を始めた。今ではもうその学科はない。それで、漸く美術に気持ちが戻って来た。

森村:テキスタイル学科では他の人は何をやっている?

青山:学生はみんな女性で男性は僕一人。機織り、手織り、ニット、タフティング、シルクスクリーンとか。
自分の髪をおってみたり。かなりコンテンポラリー。


森村:一般的には、京都市芸などではメインは伝統工芸。ファイバーアートとか。ちょっと変わった人が時々出てくるけど。
そこはコンテンポラリー的な意識を持っている学校だった?そこで自分の意識が明確になったの?

青山:女性と言う表現が強い。女性ばかりの中で日本人男性ただ1人のマイノリティ。その時代はアイデンティティーと言われていて、自分は男性のアイデンティティーでなく日本人のアイデンティティーを貫こうとした。
そこで、漫画的なものを考えた。シルクスクリーンでマンガの自分とミッキーを対峙させたり。ポップアートに目覚めていて。そういう表現をしていた。卒業したのは98年で1年間準備期間を置いて、99年にアメリカに行った。

森村:アメリカに行ったのはなぜ?

青山:習いたい先生がアメリカに行った。シカゴに行ったがそこもファイバーマテリアルの学科。憧れの先生は髪の毛を縫うゴッドマザーみたいな人だった。ずっとシカゴにいるアーティスト。
テキスタイル系アートで現代美術の評価を得ているのはその女性しかいなかった。

森村:その時にペインティングの先生がいたのか?

青山:いました。ペインティングの先生や授業も受けられたが、議論が多かった。言っていることがバラバラで、その時もペインターたちは何を言っているのかと馬鹿にしていた。

森村:その時もペインティングいいなとは思わなかったんだ。その後、改めてペインティングいいなと思ったのは?

青山:その頃、ルシアン・フロイドが良いと思い始めた。そうするとそこから見えてくる面白いペインティングがあると思い始めた。

森村:このスタイルはいつから?

青山:イギリスの二年目位から今のスタイルになり、シカゴの頃には確立されていた。最初はパッチワーク風のものが凝り始めて今のようになった。最初は額縁にも入れていなかったし、絵を描いている気分はなかった。

森村:絵を描いている気分はいつごろから?

青山:風景の作品の頃にあった。初期作品。近作は絵だという意識を持たないで作っている。

森村:絵を描いているような絵的な感覚はあると思うが、風景の頃の作品と今の作品、金糸、銀糸の作品との違いは?

青山:風景の頃は自分で写真を撮って刺繍にしていた。最近は、ニュースなどからイメージを取り出す。現在のテクノロジーとの関係性との繋がりで銀の糸で光らせている。自分としてはイメージの墓場。イメージが溢れかえる。

森村:金と銀、特に銀は葬式をイメージさせる。イメージの墓場というイメージに銀糸は近いね。

青山:クロッシングの作品は表は任意を色で選んで、裏は紙媒体を切り抜いて刺繍している。それでモノクロ。何も意味がない物が残ってしまう。

森村:労働という言葉の意味は?

青山:単純にミシンでの作業は身体的な苦痛を伴う作業だと思っているし、女性の労働のシンボルでもある。リーマンショック以後、景気が悪くなり、明らかに自分の美術家としての生活も危ういとを思った瞬間がある。ウィリアム・モリスを引用したのも、資本主義システムへの疑いがあり、モリスの言葉で「労働の無駄は終わるであろう」というのをエディットしてひたすら労働の無駄を繰り返す作品を作った。

森村:刺繍に出会ったのは大きいですね。作業のプロセスは働いている感じがある。モノづくりの気分と重なり、自分の問題としても、これからどうなるのかということにつながっている。面白いのは、政治問題、本来芸術問題ではない。どう感動するかは金銭に関係のないもの。売れる売れないに関係なく良いものを創る。もしかしたら油絵を描いていたかもしれない。自分が油絵を好きだったのは油絵の匂いだった。
水彩画は、あまり良い匂いはしないが、夏休みに1人だけ油絵を出した子がいて、良い匂いで憧れで大人の匂いがした。
芸術は特殊なことをしている位置付けになってくるが、青山さんの家庭環境はものすごく芸術的だったが、ミシン刺繍は芸術的でない労働。本来は非常に安い賃金で売る。
自分も、随分昔に作品を刺繍にして売りませんかという話が出た。それをやっていたら青山悟はなかったかも。ちょっとぐらっとしたけど。今から思えば、実際に刺繍をする人にとっては労働。

青山さんの場合、テキスタイルに行ったのも刺繍で芸術をやろうと思うのもたまたまだったんだろうね。

危うい。自分の作品が芸術作品でなく労働になってしまう。一方で労働としての刺繍にリアリティを感じている。その間で揺らいでいるように感じる。
裏表はいささか分かりやすくなりすぎる展示だが、青山さんの思いが正直に出ている展覧会だと思う。コンセプチュアルではなく、思いが正直に伝わる展覧会。

青山:高橋さんと話し合っていくなかでコンセプチュアルすぎるのは避けたくて、危険性をずっと感じていて、最終的には正直にベタな展示になってしまった。

高橋:この展覧会はおじいさんの絵がいいねと展覧会を観て言っている人が多い。祖父の絵からの絵への抵抗感もきっかけだったが、結果的に祖父の絵も再評価できて良かったと思う。
青山さんは、美術家になるのを諦めてしまうきっかけは何回もあったが、結局芸術家の道を進んだ。古いのを出してきたのが新しいのにつながる。逆に新しい感じが生まれたり。

青山:「まねぶ美術史」展は大型のビエンナーレに対抗する手段になるという発言があったが、今の美術を森村さんはどう見ている?

森村: 芸術は1人でコツコツやるもんじゃないかなと思っている。個人の話。他の人はよく分からない。
芸術はそんなに簡単に理解できないものというひとはいるが、人と人より芸術とのコミュニケーションは可能。
個々人が好きに解釈すればいい。自分達の思いを一人一人表すのが芸術領域。

大型のイベントは集客力が評価になる。
イベントと表現はどこかで線を引くべきではないか。

万博のあった年。 三島由起夫のクーデタ事件があった。
どの位人々の心に影響力があるかを考えると、三島のクーデタはある種の芸術活動だった。一枚の絵を二三千万で作って、小さくても人の心に残るのが表現力。

長谷川りんじろうの画文集を祖父の絵を見て思い出した。
りんじろうの文章の中で、それは安保闘争の年だった。(神宮外苑でのエッセイを朗読)

この非常時に絵を描いている人物がいるとは。
自分も安保の時はイロイロ自己追求した、そんな時代に長谷川さんはもくもくと絵を描いていた。なんやこいつ?と思われても絵を描いていた。

警官とデモ隊と長谷川さんの誰の肩を持つのか。
自分に引きつけていうなら、許してもいいかな、裏表の関係だけど確実にくっついているからね。ある種の和解を感じさせる展覧会。クリスマスシーズンにぴったりだと思った。


*12月18日まで開催中。なお、最終日にも以下の通りトークイベントが開催されます。
■トークイベント 青山悟 x 眞島竜男(アーティスト)■
日時:2010年12月18日(土)18時~
予約不要、参加無料
会場:gallery αM

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