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「木村友紀 無題」 IZU PHOTO MUSEUM

KIMURA

IZU PHOTO MUSEUMで明日1月11日まで開催中の「木村友紀 無題」に行って来ました。

前評判通り、やはり観て良かったとつくづく思える内容だった。

まず、一番最初に「???」がやってくる。
目の前に現れたのはアルミニウムの脚をもつ四角のテーブルがひとつ、ぽつんと置かれている。
テーブルの上は白い。ただただ白い。
写真がない。見えない。
よくよく観ると、白いと思ったのは綿布で、恐らく綿布の下にプリントされた写真があるのだが、残念ながら極僅かに色の感触が感じられる程度で何が写っているの、まるで分からない。
いっそ、綿布をめくってみたいという強い衝動にかられるが、ぐっと堪える。衝動は帰り際にも、襲われるのでかなりの忍耐を要する。

壁の向こう側の展示室には、これまで写真展として観たことのない景色があった。
通常、写真は壁面に飾られることが多い。しかし、今回壁面に展示されていたのはわずか2点。
他はすべて、最初に観た作品と同様にテーブルに直接プリントされている(?)。
鑑賞者は、上からテーブルに写ったものを見下ろすことになる。
この上下での視点、かつ写真だけでなく、その上にはブツ、「もの」「物質」が乗せられている。

写真と物との関係を鑑賞者に問いかける。

例えば冒頭にあった、神社のお社らしきものが写った写真の上にはいくつもの石が置かれている。
ここから私が想起するのは、神社によくある参道の砂利石。
石には、霊性を感じる。それは、神社の写真の上にあるからなのか、はたまた置かれた石そのものが持つ力なのか。
写真から抜け出たような石達に気持ちが揺さぶられた。

近くの壁面にある写真も同様に、写真に写っている観賞植物が、そのまま写真に触れるように置かれている。
敢えて、写真に触れるように置いているのも木村の意図する所なのだろう。

別のテーブルには古びた木材が。そして傍には木製の椅子がある。
椅子やテーブルの素材となっている木が、同じように木材が写っている写真の上に置かれ、ダブルイメージ。
イメージは繰り返し繰り返し、鑑賞者に重複され、強く印象に残る。
写真+物質。
この両者が生み出す重複したイメージは、どちらか一方だけを観るよりも、一層強く鑑賞者に視覚的、感覚的に訴えるものがあった。

また、スナップショットのようなサイズのクリアアクリルが写真テーブルの上に置かれていたと思えば、本当にポラロイドで撮影した写真1葉が置かれていたり。
だまし効果という仕掛けまで孕んでいるではないか。

抜群に面白い。

杉本博司による中庭に面したコーナーには2枚の飛行機の写真が壁に展示されている(展覧会チラシに採用されている2枚)。このうち、セピアは海外で木村が買い求めた古写真、そしてもうひとつのモノクロ写真は彼女の祖父による飛行機の張りぼてを撮影した写真。カラーと白黒、西洋と東洋など並べておくことで、この2枚の相反する要素を比較する。解説によれば、2枚の写真を並べることで、異なる次元で起きた事柄がひとつの像を結ぶという作品。
この説明を読んで浮かんだのは、アンリ・カルティエ・ブレッソンの「決定的瞬間」であった。
彼の撮影した写真にも重複あるいは相反するイメージが1枚の写真におさまっていたが、木村は2枚を並べることで、時間軸、空間軸での対比を見せてくれた。

最後の展示室にはドイツ国旗を思わせる写真がプリントされたテーブルが。
実際に写っているモチーフは「海」なのだが、黒・赤・黄の順に色が付されている。そして、テーブルの上には赤色のガラスチューブから絞った銀色の絵具、を思わせる蝋燭がぽつりとひとつ置かれている。
ここまで来ると、謎解きのようだ。
この蝋燭は、何のためにここに置かれているのだろう。
逆サイドに一艘の船影が見えた。あの舟に対する、オブジェなのか。

最後の作品は、木製椅子の座面と背面に置かれた写真2枚。座面におかれた写真には黒コショウの粒が沢山点在している。
背面にある写真は、かなり散らかった室内で、胡椒が置かれている写真はタイルのようなものが写っている。

さて、これはどう読むか。
座面の写真は、室内空間の延長なのか。
背面の写真に、木製椅子は写っていたか。

中庭を臨む一木の椅子の上に、本展に関する専門家の皆さんの展評がファイルされていたので、ざっと目を通してみた。は調文明(しらべ・ぶんめい)氏や藪前知子(東京都現代美術館学芸員)とのインタビュー記事で、木村の意図した所がおぼろげに分かった。

木村にとって、写真は「写真」であり、それが自身の撮影さいものであろうとなかろうと、撮影という行為や撮影者は重要ではないのだろう。
彼女が表現したいのは「写真」という表現手段そのものであり、写真から生まれるもの、写真表現で何ができるのかそれが命題なのだ。

そういう点を鑑みると、木村友紀の写真集は記録としての価値はあるが、結局展示を観ないことには話にならない作家なのだとよく分かった。
本展においても、どれが木村自身が撮影した写真なのかは分からない。そして、それはこの展覧会にとって重要ではない。

強烈な印象を残した写真を使用したインスタレーションで、今後の写真を使用した新たな表現の可能性を探る。次回は水戸芸術館で何を見せてくれるか、とても期待している。

明日までですが、強くお薦めします。

2011-01-14

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