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「小谷元彦展 幽体の知覚」 森美術館

otani

森美術館で開催中の「小谷元彦展 幽体の知覚」に行って来ました。

私が小谷元彦の名前と作品を初めて接したのは、岡山県の大原美術館での≪ロンパース≫2003年だった。
最初に観たのが映像作品であったため、まさか彫刻科出身の方だとは夢にも思わず。しかし、不気味なんだけれど、全く目が離せない面白い映像であの初見の印象は今でも忘れられない。

その後しばらくの間、彼の名前を忘れていたが、ここ数年とても気になる作品や展覧会を拝見し、再び映像の記憶と共にその名前が蘇って来た。

そして、彼の作品についての思いや考え、背景にあるものに関心を持ち、昨年は京都造形大学神宮キャンパスでの小谷元彦×名和晃平対談や本展イベントである小谷元彦アーティストトークに参加し、本人の言葉で語られるものを伺って、小谷元彦が創り出そうとしている世界が漸く少し分かって来たような気がしている。

六本木ヒルズのフリーペーパー『HILLS LIFE』46号が小谷元彦特集で、小谷本人へのインタビュー記事も掲載され内容が充実しているので、見つけたら読んでみることをお薦めする。

以下、アーティストトークの内容、特に後半の質疑応答を中心にまとめてみました。
上記フリーペーパーや他の媒体にも記載されているように、展覧会サブタイトルの「幽体」とはファントムと置き換える。
ここで小谷の言うファントムとは
1.不可視なるもの 感覚領域 目には見えないけれど存在しているもの
2.怪人、異物、変異体
3.脳化 デジタル環境により身体と脳のバランスが崩れ遊離していく現象。感覚器官の分断麻痺。
4.自分自身にとって認めたくない私 自分の中の他者性 絶対他者

彫刻は不可能性のあるメディアで、魂を込めるということもでき、生命体に近いものもできるかもしれないが、恐らくそこには到達しない。生命体までは作れないが、逆にそれが面白い。

彼にとって実体≠存在であり、実態はエフェクトではないかと考えている。そのエフェクトにファントムという概念をあてはめた。
これだけだと何を言っているのか皆目分からないが、小谷の言うエフェクトとは、例えば仏像。仏像に金箔を貼るのもエフェクトのひとつ。直訳すれば効果。
前半トークは、バレエのジゼルの映像が紹介されたり(小谷はバレエが好きだとのこと)、ニーチェにドッペルベンガー、ハンニバルのレクター、鏡像段階論など、非常にアカデミックな内容だった。

展覧会構成として考えたのは、なるべく具象的でないものから始まり、具象化し、再び解体して行く、循環していくように組み立てた。マクロからミクロ、広角から狭角。

後半1時間は本展キュレーターの荒木氏による質問や会場の観客からの質問に小谷が答えるという形式をとった。

荒木:拘束具を使用して表現しようとしたきっかけは?
小谷:バレエか拷問器具に関心があった。自分の身体を痛みつける純粋性、そこから見えて来る風景に関心があった。彫刻作業自体にサドマゾ的なものがある。バレエは姉がやっていたこともあって影響を受けた。

荒木:≪Dying Slave:タービュランス≫≪ラッフル≫2010年について解説して欲しい。
小谷:タービュランスは等身大の人間を作った。ラッフルは真ん中に身体がない。同じ展示室に2点を置いたが、手前に体があり、向う側には身体がない状態。更に、向う(ラッフル)は水がないと浮かない状態、手前は滝業や水責めのように、頭上から水が落ちて来る、そんな拷問的なものと精神修養的なものを組み合わせ、更に両作品を対極的な位置づけで組み合わせた。
頭蓋骨を使用するのは、分かりやすい大きさだから。実際の頭部の形状に近い大きさで単位として設定しやすい。身体を再構成する意味合いで設置した。

この展覧会では聴覚的なものも仕込んでいる。インフェルノ(滝の鏡面を利用した映像)、チェーンソーの音、最後にNo44(小谷自身の血液を利用した映像)とどこにいても3つのいずれかの作品の音が耳に入るようにした。

木彫作品が置かれている展示室だが、直線的な並びが勿体ないという人もいるが、自分としては像を直線的に並べて正解だと思っている。三十三間堂もそうだが、古来より日本人は直線的に並べるのが好き。

Q.コンセプトは、どうやって思いつくのか?
小谷:作品のアイディアが降りた時、1日か2日でぱっと描く。数日後それを眺めてK点を超えているかどうかは分かる。作っている時はテンションが低い。作業は地獄のような、特に今回の木彫作品はきつかった。
作るまでのテンションが最高潮でアイディアを実現しようとすると、大体無理が出て来て気分が悪くなる。
常に裏切られたいので、追いかけて自分の思った設計図通りにしかならなかったらダメ。現場で見つける発見や可能性を常に放射状にあるような状況にしたい。制作過程でイメージが変わることもあり、二回、三回とイメージが変わって行く方が上手く行く。造形化する一方向の過程は苦手。

騎馬の作品は実体と存在を象徴。死んでいるのに生きている。生きているのに死んでいる、ゾンビのつもり。
仏像の保存修復は、延命行為、ゾンビ的なものとしても考えられる。死をそのまま見せるのは危険。
生と死は反転していると思う。自分自身の生地は三条河原町だが、かつては処刑場で今は繁華街になっていて、そんなことからイメージの反転を経験した。

Q.制作は同時進行か?
小谷:同時進行で制作している。木彫ばかりやっていると苦しくなるし、一方のアイディアがもう一方の作品に役立つこともある。同時進行の方が新鮮だし、作品と対面する時にクリアになる。

Q.木彫の並んだ部屋は、最初の話の中で、近代彫刻に小谷印を押してやろうと思ったとのことだが、そのあたりをもう少し詳しく教えて欲しい。
*木彫のある部屋の最初に金印を模した作品があるが、良く観ると印影は「小谷元彦」になっている。
小谷:今回あの部屋では降霊術をやろうと思った。平櫛田中もロダンを模した作品を遺している。一種の冗談も交じっている。これで近代彫刻についての引用は終わるつもりで、もうやらない。

Q.≪インフェルノ≫(滝の映像)について詳しく意図などを教えて欲しい。
小谷:映像の方が自分にとって彫刻に近い気がしている。具象彫刻で、あの作品を制作した時には、死の問題を考えていた。作品はちょっと先の未来を暗示している所があり、インフェルノはまさに死の問題と直面するような感じで制作した。


以上だが、近代彫刻作品を引用している展示室は、私にとってもっとも興味深い作品群が並んでいた。
前述の昨年開催された名和氏との対談の中でも、近代彫刻についての話題が出ている。

名和:近代彫刻史を捉えなおそうとしているのは、東京藝大(小谷氏が卒業)のスピリットを感じる。造形を愛でるという探求はされている。それをひっくり返して、現代美術の文脈に読み直すことをやった方が良い。京芸にはその歴史がないので素材だけが出て来る。
小谷:近代彫刻をどこかでまとめなければいけない、残そうと思っている。近代彫刻を誤解されたままなのが嫌だ。言語化しようと思えば出来るが今は話せない。

また、この時の両名の対談で対照的だったのはフィギュアに対する考え方の相違。
小谷は、当初フィギュアを作らないつもりでいたが、仏像の保存修復に関心を持ち始め調べるうちに、フィギュアを作らなければいけない状況になったと語り、名和は、フィギュアをなぜ作るのだとドイツ留学時代に師から言われ、トラウマが残った。今は観に来る観客をフィギュアに出来ないかと思う。

最後に個人的な感想として、やはり1人のアーティストが写真に映像から木彫、FRP、液体を使用したミクストメディアとメディウムの異なるアプローチで一つの幽体をテーマとする展覧会を作り上げたことは驚くべきこと。
手法は違っても、一貫したテーマ性は貫かれていることもすごい。
私は木彫のある近代彫刻を模した部屋の作品に一番関心を持った。
基本的な彫刻技術の素晴らしさは、たとえ、パロディー化しようとも作品の強度、完成度としてのレベルは非常に高い。
また、各展示室ごとのメリハリの良さ。黒から白、更にはトークを聴いて知ったが聴覚的な仕掛けまで仕組んでいたとは。
目に見えない感覚、それを「エフェクト」とするのであれば、存分にそれが伝わってくる展示だった。
また、いいなぁと思う作品の大半が高橋コレクションであることにもちょっと驚いた。

*2月27日まで開催中。

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