スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「小谷元彦展 幽体の知覚」 アーティストトーク続編

昨日の森美術館で開催中の「小谷元彦展 幽体の知覚」の続編です。
今回のアーティストトークは、最初にキュレーターの荒木夏実氏より、挨拶と小谷氏の紹介などがあり、1時間弱は小谷さんによる幽体についての考察などの解説。その後、荒木氏から小谷氏への質問、そして観客からの質疑応答という構成になっていました。

前回は、この質疑応答を中心にまとめた(*全ての質問について記載しておらず一部割愛している。)のですが、今回は、前半部分について記憶をたどって纏めてみました。スライドを使用し、特に文章のスライドは写しきれなかったので、分からなかった所は省略し、前回と一部重複する箇所があることをご容赦ください。


今後の作品の方向性のとっかかり、気になったフレーズを集めつつ話して行く。
幽体はファントムと置き換える。
古典的題材の中でのファントム。自分は古典的考え方があり、それを踏まえて進めていて、今後は更に複雑になって行く。

例1:シェイクスピア作品『マクベス』からの引用 第2幕第1場インヴァネス、マクベスの城の中庭
目の前に見えるのは短剣ではないか
柄が私の方に向いている
よし、掴んでみよう。いや、できない、それでも、まだ見えている。
おそろしい短剣の幻よ、おまえは目には見えるが、手に取ることはできないのか?

⇒ 目には見えない幻の短剣

例2:クラシックバレエ 「ジゼル」 アドルフ アダン作
クラシックバレエに興味がある。第二幕では処女の精霊たちが踊る。
人間が求める厳格なフォルムをバレエでは求めている。
自分を超えることへの憧れがファントムの形。日本では耳なし芳一なども範疇に入る。

ここで、バレエ:ジゼル第二幕の映像(群舞シーン)がスライド上映される。

古典的な方法で亡霊を現す。
ファントムとはゴーストではない。

例3:ヌミノース
絶対他者との遭遇
ルドルフオットーは著書『聖なるもの』でヌミノースを「戦慄的な神秘」と「魅力的な神秘」二つの切り口に分けて説明している。

以下は私個人が勝手にWikipediaよりヌミノースについて引用。
『たとえそれが予期していたものであっても、絶対他者との遭遇は逃げ出したくなるような恐怖を伴うものである。それと同時に、恐ろしい、身の毛もよだつような体験とは、「こわいもの見たさ」と言われるようにしばし魅惑を含んだものとなる。このようにヌミノースは戦慄と魅了という二律背反的な要素を内包する。オットーは聖なるもの、あるいは神そのものを議論の俎上に載せるのではなく、それが人間の感覚にどのように影響するかを重要視した。このような価値観は、その後の宗教学や文化史に大きな影響を与えた。』

霊4:ニーチェ 『善悪の彼岸』146節より
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。
おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

怪物で考えるのではなく、どんな人にも深遠な部分があると思う。それを掻き出し彫って行って、到達したいという意思がある。
これを分かりやすい例でいうと、ハンニバルレクター『羊たちの沈黙』に出て来るクラリス。殺人犯のプロファイリングをする役がジョディ・フォスター。
こをの映画のレクターのキャラクター作りに参考にされたと言われているが連続殺人犯のテッド・バンディ。
FBIの捜査官によれば連続殺人犯を類型化できる。
バンディは二度脱獄していたり変わっている。自分で自分の弁護を行たり。
プロファイルする捜査官に、ニーチェの言葉が出てくる。
連続殺人犯には思えないような力を持った人物で、見た目はスマートで外見は連続殺人犯には見えないような人物。
こういう人物と接見するのは怖いが、それを深く掘り下げて行作業が具象なのではないかという考え。

彫刻は不可能性のあるメディアだと思っている。
アニミズムや魂をこめるということもあるが、生命体に近いものもできるかもしれないが、恐らくそこには到達しない。生命体まで作れないが、逆にそれが面白いメディア。

実体≠存在という考え方。

具体例として仏像を考えてみる。
聖林寺十一面観音像が好き。
矛盾した中で偶像崇拝の存在を作らざるを得なかった。宗教上の理由のために像が必要になる。それを表すものとして、人を超えたエネルギーを持ったもの、仏教のエフェクト。
藤井寺の国宝千手観音菩薩坐像は幼少時含めに二回観に行っている。手の形は残像に見える。

三十三間堂も好き。寺のつくりや配置の仕方がエフェクティブにできている。当時の人々の知覚に効果を与える。
直線的に並んでいることによって、正面性の強さがある。正面性の強さは西洋の空間にはない。

同時に日本古来のものの中でファントムを感じるのが養源院の血天井。養源だけでなく京都には血天井はいくつかあるが、養源院は小さい時に観て、養源院の美意識は一筋縄ではくくれないと思っている。切腹した武士の血だと思うが 天井に血が飛び散る。
身体の軌跡が残っている。日本的な美意識を感じる。
ファントムの存在が定着している場だと思う。

実体が存在ではなく、存在はエフェクトではないかと考えている。
エフェクトという考え方ににファントムという概念をあてはめた考え方。

絶対他者の出現。認めたくない自分。
影の概念には無意識の全体が反映されているのではないか。
影という概念に興味を持っている。

ユング
影にも興味を持っている。
二重身にドッペルベンガー
影法師などがその例で、これもひとつのファントムだろう。
分かりやすく考えると、あしたのジョー。 二重身の例
自分自身を他者を鏡として映し出す。
最終的にホセメンドーサは、俺は幻影と闘っているのではないかという台詞がある。さっきのシェイクスピアと同じような台詞を言っている。
ジョーとは真逆の存在として描かれる。ラストでは真っ白になる。メンドーサとは鏡の裏表の関係で同一化しているように思う。

鏡や影で具象彫刻を考えると、ジャコメッティが挙げられる。
正面から対象物までの距離を測定し制作している。距離を彫刻化し。正面性も強い。鏡や二重身を考える時外せない。
ジャコメッティのあり方は具象彫刻として正しいように思う。切実なアプローチに見える。
空間に出現して来た形状、純粋的なアプローチに共感する。

・鏡像段階論
初期ラカンを代表する発達的論点からの理論。
例? ファイトクラブ、スタンリーキュービックのシャイニング。
シャイニングは顔面映画だと思っている。
キューブリックの映画舞台であるホテル内部を描き起こした。この映画には何かあると気になり過ぎた。
ジャックニコルソンは小説家の役。
田舎にあるホテルに家族と自分だけ。小説を書き続けるニコルソンが狂って行く。ホテルにはニコルソンしかいなかった、もしくはファントムしかいなかったと考えられる。観れば観るほど顔面映画だと思った。、

映画の中で迷路の表札に書かれている図。迷路の俯瞰図。
脳の抽象化されているものに見える。
ニコルソンがホテルの模型を見つつ、俯瞰すると脳の中を見ているという入れ子構造。テレビにトレーシングペーパーを貼りつける描き写した。⇒実際に写した小谷氏の図がスライドで上映。
迷路模型を見ているうちに複雑化していく。
ファントムという概念を彫刻に入れて行く例としてこれまで話をしてきた。

*本展はこの後、静岡県立美術館、高松市美術館、熊本市現代美術館に巡回します。

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
ブログ内検索
twitter
最近のエントリ
カテゴリー
最近のコメント
最近のトラックバック
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。