「カンディンスキーと青騎士展」 三菱一号館美術館

カンディンスキー(1866-1944)には、並々ならぬ思い入れがある。
パウル・クレーへの思い入れもかなりのものだが、展覧会として先に体験したのはカンディンスキーだ。
思えば、2002年に東近美の50周年記念およびリニューアル記念で開催された「カンディンスキー展」が東京で初めての美術館巡りとなった。
(参考)東近美カンディンスキー展概要:http://www.momat.go.jp/kandinsky/index.html
この時は、カンディンスキー展が目的というより、雑誌てみた所蔵品のパウル・クレー≪花ひらく木をめぐる抽象≫がどうしても観たくて、東近美に行ってみようと思い立ったという記憶がある。
そして、たまたま開催されていたカンディンスキー展を観たのではなかったか。
この時の衝撃と感動は今でも忘れない。
美術館や美術とはほとんど縁のなかった私に、カウンターパンチを見事にくらったというべきか。
何なのだ、この大画面の抽象絵画とそして色彩の美しさは。。。
あまりにも感動して、大作2点の前で呆けたように立ち尽くした記憶がある。
美術館の図録やポストカードも初めて購入したのは、このカンディンスキー展だった。
蛇足だが、その後観た常設展がまた素晴らしくて、ここで岸田劉生と運良くクレーの目当ての作品を観て、現在の私があると言っても良いだろう。
劉生、クレー、カンディンスキーは、私の目を開かせてくれた大恩人のような画家なのだ。
さて、本題に戻る。
本展は、昨年末の大晦日に観に行った。
日中に三菱一号館美術館に行ったのは初めてで(いつも夜間に行っていた)、昼と夜ではまた美術館の建物や内部の風情もまるで変わるなぁと改めて感動してしまった。併設のカフェも初めて利用したが、天井も高くレトロな雰囲気でとても落ち着く。明治時代にタイムスリップしたような感覚も味わえた。
展覧会は、ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館の所蔵品より、カンディンスキーはじめ、ガブリエル・ミュンター、フランツ・マルク等の油彩60点で構成され、カンディンスキーを中心として、「青騎士」の名のもと展開した20世紀初頭の革新的芸術活動を振り返ります。
展覧会の構成と感想は次の通り。
序章 フランツ・フォン・レンバッハ、フランツ・フォン・シュトゥックと芸術の都ミュンヘン
ここでは、カンディンスキー以前の画家と彼が師事したシュトゥックの作品を振り返る。
レンバッハの硬い画面はいかにもそれまでの伝統を踏襲して来た重々しさがあり、シュトゥック≪戦うアマゾン≫1897年の作品はミュンヘン分離派として、新しい方向性を模索している動きが観られる。例えば額の絵にも注目。
第1章 ファーランクスの時代-旅の時代 1901-1907年
ここからいよいよ、カンディンスキーの登場。初期作品はここ最近観ていないので、それだけで貴重な機会。
・≪ミュンヘン-イーザル川≫1901年
・≪コッヘル-シュレードルフ≫1902年
ペインティングナイフを使用した表現方法と力強い色彩は既に健在。
中でも≪花嫁≫1903年は、後のカンディンスキーの作品につながる記念碑的な作品。大きめの点描と言うか、面を用いた画面構成はまだ具象性を保っているが、その実、既に単なる具象から離れ、線と面と色の微妙なバランスを保った作品。
≪ガブリエル・ミュンターの肖像≫1905年は、そんな新しい絵画の手法を探っていたカンディンスキーにしては珍しく写実的に描いた肖像画。
いかにミュンターがカンディンスキーに特別な女性であったということか。
≪サン・クルー講演-秋Ⅱ≫1906年
この頃、カンディンスキーは支持体にボードをよく使用している。本作品もカードボードに油彩。後年の抽象画への移行を想起させる色遣い、黄色、赤、緑、青。
カンディンスキーは、モスクワに生まれ、モスクワ大学にて法律と政治経済を学んだ後、1896年にミュンヘンに移り絵画の勉強を始める。ロシア生まれの画家と言えば、シャガールを思い出すが、シャガールもカンディンスキーも黄色、赤、緑、青とこれらの4色を使用する色彩あふれる画面がどこか共通しているように思う。
彼らの祖国ロシアとこれらの色彩は、どこかに関係があるのだろうか。
第2章 ムルナウの発見-芸術的総合に向かって1908年-1910年
カンディンスキーは美術学校の教え子であったミュンターと恋に落ちるが、彼には既に妻があり、ロシア正教会では離婚は許されなかった。
許されぬ恋と感情をとめることはできず、二人はミュンヘン郊外のムルナウを訪れ、1909年にはミュンターに小さな家を購入させ二人で生活を共にする。
第2章ではこのムルナウ時代の作品が紹介される。
・≪ムルナウ-家並み≫1908年
ムルナウ滞在の最も早い時期の作品でやや写実的。
・≪ムルナウ-グリュン小路≫1909年、≪ムルナウ金工の鉄道≫1909年、≪オリエント風≫1909年、≪山≫1909年と制作に励むカンディンスキー。
ミュンターの作品は個人的にはぱっとせず、印象に残らなかったが≪マリアンネ・フォン・ヴェレフキンの肖像≫1909年が強いて言えば良いかなと思った。
寧ろ、同じくムルナウに集まって来た青騎士メンバーとなるフランツ・マルク≪薄明のなかの鹿≫1909年、ヤウレンスキー≪ムルナウの風景≫1909年の方が個性的で面白い。
アウグスト・マッケは次章以後にも作品が登場するが、彼はマネを賞賛し、画面構成がやや幾何学的ではあるが奥行き感のある作品≪遊歩道≫1913年を遺している。
第3章 抽象絵画の誕生-青騎士展開催へ 1911-1913年
・カンディンスキー≪印象Ⅲ(コンサート)≫1911年
本展のマイベスト。サイズはそれ程大きくない(77.5×100.0cm)であるが、音楽のリズム印象をそのまま視覚化した表現は見事。目の覚めるような黄色が画面の大半を彩る。
後のコンポジションへつながる大きな一歩。
同じくカンディンスキーの≪コンポジションⅦのための習作2≫。これはあくまで修作。コンポジションシリーズは前述の東近美には展示されていた。
・ガブリエル・ミュンター≪テーブルの男(カンディンスキー)≫1911年
黒の縁取り線が印象的。どこかカンディンスキーの影響下から脱したような感がある。
最終章の第3章は青騎士メンバーの才能が開花した見事な作品が並ぶ。
・フランツ・マルク≪牛、黄-赤―緑≫1911年 ≪虎≫1912年 ⇒ キュビスム風
・アレクセイ・ヤウレンスキー ≪成熟≫1912年頃 ≪スペインの女≫1913年
ヤウレンスキーの成熟は「クロワニゾニスム」(暗い輪郭線によって分けられたくっきりしたフォルムで描かれた、ポスト印象派の様式)で描かれている。
全体として作品は小粒なものが多い。
また。青騎士年間の表紙絵のブルーと黒のデザイン(↓)がとても美しかった。

ミュンターがナチスの迫害から青騎士メンバーの作品を守り、レンバッハハウス美術館に寄贈。
カンディンスキーを愛していたと共に、芸術を心から愛していた一人の女性に敬意を表したい。
*2月6日まで開催中。
本展はこの後、以下に巡回します。
2011年2月15日(火)~4月17日(日)愛知県美術館
2011年4月26日(火)~6月26日(日)兵庫県立美術館
2011年7月5日(火)~9月4日(日)山口県立美術館
愛知県美のあの高い天井だと、更に作品が小さく見えるのではないかと危惧・・・。