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「日本画」の前衛 1938-1949」 東京国立近代美術館

nihongazenei

今年に入って観た展覧会の中で、もっとも感銘を受けた展覧会は、現在東京国立近代美術館で開催中の「日本画」の前衛 1938-1949」展である。

この展覧会は、昨年の9月~10月にかけて京都国立近代美術館で開催され、この1月8日から東京へ巡回して来た。昨秋、京都市美で「京都日本画の誕生 巨匠たちの挑戦-」という、京都日本画壇の名品の数々となぜ京都日本画が一大潮流を築きあげたかについて京都美術学校の設立他、様々な資料をもとに展観する素晴らしい内容だった。
この展覧会では、1939年作の上野松篁の作品で締めくくっていたが、その後京都の日本画はどうなっていったのかが疑問として残った。

その一つの答えを本展が教えてくれた。もちろん、ここで紹介されている画家や彼らが参画した歴程美術協会が全てではない、むしろこれまであまりスポットが当たらなかった点を考慮すると亜流の位置づけになるのかもしれない。しかし、1938年から1949年という第二次世界大戦前後に、このような前衛日本画の活動や制作が行われていたとは!!!驚嘆に値する。これまで、戦前戦後の美術と言えば、戦争画など限られた作品の紹介が多かったように思う。本展では、もちろん戦争画や前線に赴いた影響下から描かれた作品も紹介されているが、しかし、戦争の影を感じさせないような前衛表現の方が圧倒的に多い。

たまたま、日本橋の西村画廊に行った際、オーナーの西村氏も本展について「こんな日本画の世界があったのか」と本展を非常にお薦めされていた。
西村画廊と言えば、日本で最初にオットーディックスの個展を開催するなど、海外の芸術作品を数多く日本に紹介してきた老舗画廊。そのオーナーをして感動させるのだから、如何に本展が稀有で貴重な展覧会であるかを改めて感じた。

私自身、既に2回観に行った。1回目も相当時間をかけ約2時間じっくり作品と対して来たが、どうしても再訪したくなったので。

展覧会の構成は次の通り。
Ⅰ.「日本画」前衛の登場
Ⅱ.前衛集団「歴程美術協会」の軌跡
Ⅲ.「洋画」との交錯、「日本画と洋画」のはざまに
Ⅳ.戦禍の記憶
Ⅴ.戦後の再生、「パンリアル」結成への道

冒頭に展示されている山崎隆≪象≫1938年。
この作品を観た時の衝撃と言ったら・・・言葉に尽くしがたいものがある。
バウハウス的な要素をもつ幾何学風抽象画であるが、モチーフの形態にも驚いたが、黒と赤と白のコントラストの使い方、そして何より目を奪われたのは、赤色のリボンのような部分のテクスチャーだ。これは絵具で描いたのか?画材は岩絵具なのか、まるでビロードのような質感を湛えているのだ。更に驚くのは下地である。
通常の日本画では見られない、蝋で固めたような質感が、赤のビロードや黒のモチーフを平面でありながら立体的に見せている。

この絵を描いた山崎隆は、本展で初めて知ったが、今回圧倒的な印象を私に植え付けた。
彼の画風はこの後、様々に変遷していくが、特に後半のⅣ.戦禍の記憶以後の大作では、シュルレアリスム風絵画へと推移している。その一方で、山崎は出征したが、負傷したため召集が解除された。しかし、戦地での鮮烈な記憶を多くの絵画に残している。
特に、≪戦地の印象≫シリーズが其五まで、ズラリと並ぶ展示風景は、まるで私自身が戦地に赴いたような疑似体験をしたような感覚を味わった。
何もない。ただ、空と荒れた大地があるだけの作品。しかし、これ程までに強く惹きつけられるものは一体何であったのだろう。
本展での出展はないが、香月泰男のシベリアシリーズとはまた違う、日本画で描いた戦地は、何とも茫漠とししかし絵の中に山崎の思いがすべて塗りこめられているかのような印象を受ける。

彼の作品は戦後、ますます新しい表現へと向かう。
最終章では、≪ダイアナの森≫1946年、続く1949年の≪森≫と妖しさがどんどん増していく。1948年、1949年に描いた≪海浜≫は明らかにシュルレアリスム的手法を見せている。

順序が逆になってしまったが、山崎隆(1916-2004)とつい7年前まで存命されている画家で、京都市に生まれ、1933年京都市立絵画専門学校(いわゆる絵専)に入学。在学中に、これも後述するが田口壮らと新日本画研究会の結成に参加。1937年に応召され、翌年負傷により解除。そしてその1年後の1939年に第2回歴程美術協会展に出品し会友となる。戦後、1948年の「パンリアル」結成に際しては三上誠らと中心的役割を果たす。1958年にパンリアル美術協会を離れ、以後無所属で活動を続けた。

この展覧会は山崎の足跡と作品の変遷に焦点を当てて観て行くのも面白いと思う。

歴程美術協会についての詳細はここでは長くなるので割愛する。関心がある方は展覧会に行って、更に図録にその成立過程の詳細な論文が掲載されているので、一読をお薦めする。

歴程美術協会の歴程は、やはりこの時代の思想家である批評家であった瀧口修造が命名したもの。
シュルレアリスムがアンドレ・ブルトンの思想に基づくのであれば、瀧口の存在や活動もブルトンに等しいものがある。この歴程美術協会において重要な画家は、山岡良文と船田玉樹であろう。
船田の作品は、本展チラシ(トップ画象)にも使用されているが、私はこの≪花の夕≫1938年より、≪暁のレモン園≫1949年、本作は第2回歴程美術協会展に出品した作品を加筆したものである。元々の作品≪檸檬樹≫は右隻が戦争で焼失し、遺された左隻がこの≪暁のレモンの園≫であった。
まだ薄暗闇の中で、ぼうっと光をもらす黄色い檸檬が何とも言えない幻想的な雰囲気を醸し出す。

また、山岡良文の初期作品はカンディンスキーを彷彿とさせるようなとにかく斬新なデザインと構図。
しかし、彼は前衛表現に取り組みつつも日本画の伝統も忘れてはいない。その一端が≪矢叫び≫1940年。本作とよく似た作品を以前、藤井達吉の絵画で見たことがある。
藤井と山岡にはどこかで接点があったのだろうか。
会場には歴程美術協会展の芳名録まで遺されていたので、如何にこの時代の文化人知識人に、歴程の活動が注目されていたかが良く分かった。知った名前では柳宗理や寺田政明などのも展覧会を訪れている。

山岡作品では、≪放鳥≫1938年である。

そして、田口壮。彼の作品も忘れられない。まるでマティスのドローイングのような線描が特徴的。

他には丸木位里の独特の絵画世界、今回出てい場≪馬(部分)≫1939年。

もうひとつこの展覧会で重要な点は、如何にして西洋絵画が日本画へ影響を与えていったか。特にシュルレアリスムの取り入れ方における顕著な事例が第Ⅲ章では国内西洋画、日本画と並行して観て行くことができる。この時代を通り抜けた結果、現在へと至る。ちょうど戦前戦後とすっぽり抜けていたパズルがしっかりはまったような感じを受けた展覧会です。

*1月31日まで開催中。お見逃しなく。なお、本展はこの後広島県室美術館に巡回する。

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一村雨さま

こんばんは。

山崎隆の画風の変遷には実に興味深いものがあります。
ここには書きませんでしたが、丸木位里の作品も意外性
(こういう作品もあるのか!)をはじめとする驚き満載の
展示でした。

No title

不覚にも冒頭の「象」の作者と後半の大作の作者が同一人物とは気づかずにいました。なるほどそうだったのかと、memeさんのブログを拝見して、理解しました。
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