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「佐藤忠良展 ある造形家の足跡」 世田谷美術館

佐藤忠良

世田谷美術館で3月6日まで開催中の「佐藤忠良展 ある造形家の足跡」に行って来ました。

佐藤忠良は、宮城県に1912年に生まれ、北海道で育ち、20歳で上京、その後東京美術学校彫刻科に入学。以来80年近くの歳月を具象彫刻に費やした彫刻家で、白寿になられたとのこと。

本展は、宮城県立美術館と世田谷美術館、各館コレクションの交換展として企画開催されたものです。
展示品の中心は、宮城県立美術館所蔵作品になっていますが、この機会に、佐藤忠良の仕事を徹底的に調べて検証され、まさに同氏の仕事を網羅して検証するまたとない展覧会。
出品作品は、ブロンズ彫刻約80点をはじめ、素描・約70点、絵本・挿絵原画・約70点、初期作品や関連資料合わせて約250点で展観します。

今回、とても気持ちよく作品鑑賞ができたのは、絵画作品の展覧会では閉じられている窓のシェードが開放され、外光が差し込み、外部と一体化したような空間で、佐藤忠良の彫刻作品を鑑賞できたことが大きい。
そして、壁面は白で統一。
ブロンズ彫刻が映える空間になっていた。

また、作品とともに添えられた佐藤忠良の言葉(文章で発表されたものの引用)が添えられているのも好ましい。
下手な(失礼をご容赦)解説より、作家本人の言葉の方が説得力があり、また作家の考えていることが分かるので、鑑賞の助けになる。

・「冬」
冒頭は、佐藤が育った北海道や冬にちなんだ彫刻作品が並ぶ。
チラシに採用されている≪ラップ帽≫1982年もそのひとつ。他に≪蝦夷鹿≫1971年のダイナミックな動物彫刻、これは佐藤にしては珍しい作品例だと思うも、忘れがたい。

・「頭像および初期女性小像」
注目すべきは、戦後取り組んだ≪群馬の人≫1952年。
佐藤は、終戦を迎えた時、満州にいたため、そのままシベリアに抑留を余儀なくされた。
辛く厳しいシベリアでの生活が、運よく帰国できた後に、どのような影響を与えるのか、先日観た東近美の「日本画の前衛」展での山崎隆や香月泰男など、絵画の場合は、影響度合いが直接的に表出しやすいように思う。しかし、彫刻の場合、それはどうなるのか。
昨年、版画家:浜田知明展で、彼の版画でなく彫刻作品を観たが、見事に戦争の記憶が彫刻化されていた。戦後の風景や兵士の姿がそのまま立体になっていて、これは分かりやすかった。むしろ、立体に形を変えてはいるが、平面の延長線上にある作品ととらえて良いだろう。

一方、佐藤はその点が異なる。
彼の場合、戦争や抑留の記憶が直接的な表現に表れていないことが特徴。
最後まで、シベリア抑留時代を物語る作品が少ないなと感じた。素描で何点かと、抑留時代に制作した線刻で表面に絵を描いた小さなケースくらいだ。
いずれも、平面的な仕事である。

彼は、戦争体験で得た経験が、思想の変化から始まったようだ。
社会の末端で働く人々に目を向けた。モデルに農民や個人的に親交が厚かった人たちが、なぜか偶然群馬県出身者が多かったため、本作≪群馬の人≫の制作契機になっている。

・女性像 1970年以前
・女性像 1970年以後
ここでは、1970年を境に、佐藤の女性像がどのように変化していったかを観ていくと楽しめる。
当初、いわゆる近代彫刻の象徴ともいえる女性裸婦像であった彫刻が、徐々に変化を見せる。
彼の女性像には面白いポーズが多く、どうやらそれは、佐藤本人が希望してとらせたものではなく、モデル本人の奔放さに任せているような所があり、それがまた興味深かった。

佐藤の代表作≪帽子・夏≫や≪帽子・冬≫は制作期間が半年以上にも及んだという。
彼が、この作品で目指したものは、帽子を頭に軽くのせた感じを如何に彫刻で表現するかであった。本人の言によれば「できれば、無常緑状態にまで持っていきたかった。随分苦心したが、それは所詮無理であった。」から、思いが伝わる。

足の指先の位置から腕の角度、手の組み方、細部に亘り何度も繰り返し試行錯誤を重ねた結果が、この作品である。やはり、他作品を圧するような完成度の高さを感じた。

・子供の像

佐藤の彫刻を考えていく上で、とても重要な柱の一つであると思う。そして、私は彼の子供の像が一番好きである。
≪オリエ≫1949年は、実の娘の彫刻作品。現在は、ご存知女優の佐藤オリエさんである。この像を観ていると、彼女の面影がよくあらわれていて、子供の頃から現在とあまり変わっていないような、それ程までによく特徴を捉えている証ではないか。

他に、朝倉摂の娘をモデルとした作品も多く手掛けているが、子供の像では、動きがついたポーズの作品も数点登場する。どれも生き生きとして、彼の子供への眼差しを感じさせる作品ばかりだった。
中では、≪風の子≫が私の好み。

そして、奥のコーナーに非常に面白い作品があるので見逃さないように。
メダル型の彫刻小品で「動物」24点、「人物」29点、「鳥」24点。
いずれも小品ならではの味わい深さ、そして愛らしさ。
こんな小品も作っていたのかという驚きとともに、むしろこれが欲しくなってしまった。
これらの商品は残念ながら図録に掲載されていない。

・油画
自画像をはじめとし、若き頃画家志望だった時の作品群。佐藤は上京して川端画学校に通っていた。
しかし、油画には失礼ながら魅力を感じない。

・素描
ここからが、佐藤の絵画における真骨頂発揮。
彼の彫刻のためのエスキスや水彩などによるスケッチ類は実に素晴らしい。
油彩では出し切れなかった才能が、水彩や素描で発揮される。

これだけ魅力ある線を描けたからこそ、戦後金銭を得るための挿絵画家としての仕事も依頼があったに違いない。

・挿絵、絵本原画
彫刻作品とは別にもうひとつの本展ハイライトと言って良いだろう。
ロシア民話『おおきなかぶ』、『ゆきむすめ』、またモノクロ(墨と水彩)で描いた中村草田男原作の絵本『ビーバーの星』などは、前述の素描から更に進んだ作品で、彫刻家佐藤のまた別の素晴らしい一面を見せて貰った。

また戦中に発刊された初期絵本4冊『ウシヲカフムラ』『マキバ』『リンゴ』『ウミヘ』は必見。
北海道出身の詩人、吉田一穂が幼児教育のために必要だと企画し、挿絵、と言っても単なる文章の挿絵にとどまらない程、ページの大部分を占める絵に、佐藤を指名して実現した絵本である。
物資のない時代に、これだけのものを作ったのだから、その先見性は驚異としか言いようがない。
また、佐藤自身も子供の美術教育に強い考えと信念を持っていたことが良く分かる。

このあたりの詳細は、図録(1300円)の学芸員氏による論文に詳しいので是非、ご一読ください。

佐藤忠良が小学校美術教科書の企画編集に携わっていたこともまるで知らなかった。

*3月6日まで開催中で巡回はありません。お薦めします。

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世田谷美術館で「ある造形家の足跡 佐藤忠良展」を観た!

「ある造形家の足跡 佐藤忠良展」チラシ画像は「ラップ帽」1982年 「佐藤忠良展」案内板と世田谷美術館 世田谷美術館展示室「蝦夷鹿」が見える! 世田谷美術館で「ある造形家の足跡 佐藤忠良展」を観てきました。副題には「彫刻から素描・絵本原画まで:...

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