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「写真家・東松照明 全仕事」 名古屋市美術館

東松

名古屋市美術館で6月12日まで開催中の「写真家・東松照明 全仕事」に行って来ました。
詳細は本展公式サイトをご参照ください。→ こちら

オープニング初日は記念鼎談が開催され、合わせてそちらにも参加。出演は、中平卓馬(写真家)、倉石信乃(明治大学理工学部准教授、写真史)をゲストに迎え、東松照明も出演予定だったが、年明けより体調を崩し、現在入院中。当日は、1日外出許可を得て、電話での出演鼎談となった。

時間は1時間半だったが、そのうち約1時間しっかりした口調で自身の写真について、出演者や司会の名古屋市美術館学芸員・竹葉氏からの質問に答えていた。
中平卓馬は、一言もマイクに向かって話さなかったが、彼を指名したのは東松照明氏自身で、曰く「非常に気になる写真家だった。アル中で、記憶喪失になったが、その前は論客だった。体調を悪くしてどうなっているのか気になったので、ぜひあって話したかった。」とのこと。

東松氏本人が出席されていたら、また状況は変わったかもしれないが、今回は東松氏が、中平氏との出会いから当時の交流の様子を思い出話のように語っておられたのが印象深い。その時、中平氏は何を思っていたのだろう。

さて、本展はタイトルそのもの、写真家・東松照明の全仕事を振り返る回顧展である。

展示構成は次の通り。
1.記憶の肖像、廃墟の光景
2.占領/アメリカニゼーション
3.投影ー時代と都市の体温
4.長崎ー被爆・記録から肖像へ
5.泥の王国
6.太陽の鉛筆ー沖縄・南島
7.“他者”としての日本への回帰ー京・桜
8.“インターフェイス”ー撮ることと作ること

総展示作品数約550点と非常にボリュームのある内容になっている。通常、常設展で使用する地下一階の展示室も使用しているので、見落としのないように。動線が分かりにくいのも要注意です。
いわゆるビンテージプリント、モノクロなら大半がゼラチンシルバープリント(一部インクジェットプリント)、カラー写真はタイプCプリント最終章の《プラスチックス》はポラロイドを使用した組写真になっている。

ここでは、詳細を割愛し感想に留めたいと思う。
全体としては、回顧展に相応しい内容で、私の知っていた東松照明の写真などごく一部であったと分かった。かつて見た一部の写真の印象で写真家のイメージを定めてしまうことの愚かさ、恐ろしさをこの回顧展で思い知らされる。

恐らく私が初めて見た東松照明の写真は、第1章の廃墟の光景だったと思う。愛知県出身で、愛知大学時代より写真を始めた東松氏にとって最初の被写体は地元名古屋の光景だった。
岩波写真文庫の仕事を手がけるようになり、やきものの町・瀬戸や、伊勢湾台風、敗戦の記憶が愛知などの写真群の印象が非常に強い。
これら1950年代の写真は初期作品で、その後、一気に飛んで長崎シリーズを知っている程度。

しかし、全体を通じて、東松照明の中には常に占領、敗戦国日本のイメージがつきまとっていたのと、彼が愛知県で住んでいたのが、名古屋市守山区とかつて米軍基地があったため、日本国内の米軍基地がある土地に行き、そこに滞在し撮影するというスタイルを貫いている。彼にとって日本の歴史は占領=アメリカニゼーションだったという。

特に長崎では、「好きな女性との付き合いに似ている。」とご本人が
電話で語ったように、滞在するうちにどんどん引き込まれて、慣れ親しみ打ち解ける、長崎の人々との関係が浮かび上がる。

その中で、異質な作品が東京シリーズ。
東京新宿の風景を撮影した《エロス》、《アングラ酒場》、《東京・新宿》など1960年代の写真は時代背景をモロに象徴しており、学生運動が盛んだった当時の様子を《全学封鎖》《プロテスト》で発表。

この時の出来事で興味深い話を東松氏は語った。
「ある日、突然西新宿の自宅に匿名の電話がかかって来た。何日の何時にこの線路で事件が起きる。とだけ告げて電話は切れる。
実際に、指定された日時にその場所に行ってみると、そこで警官と学生の衝突が起きる。
恐らく、当時教員をしていた大学もしくは早稲田大学の学生が自分に写真を撮影して欲しくてかけて来たのだと思う。もしかすると、黒幕は中平だったかもしれない・・・。」

そんな血生臭い、暑い時代がモノクロプリントで迫る。
そして、中平卓馬を被写体にした写真が2枚あり、ひとつは編集者としての中平卓馬(1964年)、もう1点は写真家中平卓馬 東京・新都心(1967年)。当時、東松は中平は詩人になると思っていたそうだ。
結果、意に反し中平卓馬は写真家になる。
鼎談では、東松氏が中平氏の面倒を見ていたような話題があがっていた。本来、東松がすべき学生への授業を中平に任せたとか。当時の授業の内容については倉石氏が、「写真集1冊コピーして来い」という大胆なものだったと一例があがっていた。

そして、「泥の王国」シリーズ(1963年)。
東アジアを撮影したこの有名なシリーズも私は知らない。
東松照明という写真家に強い関心がそれまでなく、写真をしっかり見るようになって日が浅いとはいえ、今回初めてこの一連のシリーズを見て、別の感慨が浮かぶ。
そしてそれは、占領地を撮影地としてライフワークにして来た集大成としての沖縄の写真「太陽の鉛筆」に続く。
離島や海の写真にはただただ圧倒される。沖縄ではカラー写真がどんどん増えていることが分かる。
キャプションに「自分のモノクロ写真には常にアメリカが見え隠れする」とあったが、カラーを選択することで、そこから解き放たれたのだろう。
1980年代、京・桜シリーズでもカラー写真が選択されているが、中で埼玉・荒川村(1982年)の写真に惹かれた。

最終章の近作で、新たな境地を見せていることにも驚く。
《ゴールデンマッシュルーム》と題された3点の写真は明らかに創造写真へと向かっている。
同様に千葉・九十九里浜で拾ったプラスチックを再構成し海の生き物に作り替え撮影したシリーズ砂浜「プラスチックス」(1987~1989)は、最初に見た廃墟シリーズとの違いに歴然とするのだった。

鼎談の最後に、写真がドキュメントかクリエイションかという話題が上ったが、東松照明にとってはどちらも彼にとっての写真だったのだ。
写真は時間を止める。見て貰う人によって時間を復活させる。岩波文庫時代から培った組写真は、最終的に、観る人の感性で生まれ、完成する。見る人に自由に感じて貰うための方法だと語っておられた。

自由に感じ、考えるるためにじっくりともう1度、東松照明の仕事を見たい。

図録は2500円307頁。

*本展の巡回はありません。オススメします。

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