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「五百羅漢 増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」展 江戸東京博物館

狩野一信

「五百羅漢 増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」展 江戸東京博物館 7月3日まで
公式サイト → http://500rakan.exhn.jp/top.html

千載一遇のチャンスとはまさにこのこと。
まさか、全100幅+新発見の成田山新勝寺の「釈迦文殊普賢四天王十大弟子図」を一挙に拝見できる機会を得ようとは!

そもそも、狩野一信の「五百羅漢図」が全部で100幅もあること自体、本展開催のアナウンスがあって初めて知ったくらいで、過去に一信の「五百羅漢図」は観ているものの、展示されているのが1幅とか有名な第55幅「神通」他でバラバラとは観ていた。

しかし、100幅通しで観た時の感動と驚きは生涯忘れられないのではないかと思う。日本古美術の展覧会でありがちな展示替えが一切ない!いつ行っても会期中に全作品を観ることができる喜びと有り難さに感謝してもしきれない。
まず、2幅一対(後半はそうではなくなってくるが)で描かれていたことさえ初めて知った。
その特徴を活かすために、展示方法はよく練られており、展示ケースは2幅1セットになるように特注されていて、更に素晴らしいのは、この展示ケース、作品とガラス?アクリル?との距離が非常に短いため、単眼鏡なしで裸眼で細部まで確認することができる。
しかも、一番気になる照明の反射が殆ど気にならない。よく作品を観ようと思って、展示ケースにブタ鼻覚悟で近づいても、観えてくるのは自分の顔ばかりということがあるが、今回は最小限の反射に留まっているのが素晴らしい。

twitter上での呟きで、100幅横一列で観たかったという呟きを目にしたが、私はそう思わなかった。
寧ろ、一信の描く羅漢の想像の森を奥深く探検していくようなスリリングな展示方法で楽しめる。ただ、「神通」だけ、半円形に囲んで見せたのは良かったけれど、ここの展示だけ全体照明が暗く、ケース内に仕込まれたスポットだけだと、作品全体を均等に照らすことができず、端っこの方に照明が不足していたように思う。
個人的には、作品への照明はフラットなものが好みなので、それだけが気になった。

動線が分かりづらくなりがちだが、床にしっかり白い→テープが貼られているし、自然な流れで歩いても順番を間違えそうな個所は、通常の展示ケースを使用していた奥の横一列の個所だけである。
あそこだけは、真ん中から観れば良いのか、左奥から観れば良いのか竣順した。

2回目の訪問時には普段借りない音声ガイドも借りてみた。
理由は大滝秀治さんが起用されているからで、大滝さんは幼少の頃、TVの再放送で大変お世話になった(なぜか、彼が出演すると泣けて来る。)ためで、久々にお声を聴いてみたくなった。しかし、大滝さんは羅漢に扮しておられたようで、思ったより出番が少なく、これにはがっかりした。

さて、100幅もある作品について、1点1点感想をあげる訳にもいかないので、全体としての感想をとどめておきたい。
本展に関しては、芸術新潮はじめ『美術の窓』などで特集が組まれていたが、中で私が注目したのは『美術の窓』4月号掲載の本展監修者:山下裕二氏と板倉聖哲氏(東京大学東洋文化研究所准教授)の五百羅漢を巡る対談である。
中国絵画においても五百羅漢図は東福寺本、円覚寺本、大徳寺本と日本国内に残るものだけで3系統あるが、テーマ例えば「浴室」などは共通すれど。同じ図様であるものはないという。
すなわち、一信オリジナルの図様展開がなされているという点は非常に評価すべき点だろう。

何しろ、普通に観ていて面白いのだ。
私は2回本展を観に行ったが、隣で観ている方々が口々に思わず漏らす感想が面白くて仕方がなかった。
皆さん、ご自身の視点で私の気付かぬ点を指摘されている。曰く「あの背景描写は、水墨画を学んだ人だよね。」とか、第29幅:畜生では「あんなところに、亀が!」とか。。。

恐るべし独創性かつ、活き活きとした表情の羅漢は、最高位の修行者というより彼らもまた人であるかのごとく親近感を覚える。
無論、絵の中のシチュエーションは到底、人間界ではありえない状態なのだがど、その生活の様子(足の爪を切っていたり)や態度、表情がことごとく人間味あふれている。

そして、彩色の美しさもまた特筆すべきだろう。
今回の展覧会のために、全幅修復に出したとはいえ、元々の絵が持つ顔料や彩色方法が良くなければ、如何に修復したとはいっても、これ程の発色は出せない。
伊藤若冲も裏彩色の技法で有名だが、本作も裏彩色が使用されているため、あの奥深い色味を出していると知った。

彩色技法のみならず、西洋絵画の陰影法や透視法、たとえその使用方法に違和感があるにせよ、や前述の山下氏・板倉氏対談では、第33幅~36幅に李郭派風の山水画の技法、枯木や山のもこもことした表現も取り入れているのではないかと指摘されている。
個人的には、第34幅の橋の色調が西洋絵画のようだなと思ったり、この色遣いは普通の日本画では使用しないのではと思った。

そんなこんなで、細密描写を続けた一信は神経衰弱になり、100幅完成の志半ばで亡くなる。
後を受けたのは養子と妻の妙庵だというが確証はない。何幅まで一信の真筆なのかということも、美術史では今後更に研究されていくだろう。

個人的に好きな羅漢図は、第1幅、第2幅「名相」と第21幅~24幅「地獄」、第37幅~38幅「天」。
第1幅、第2幅は図様としての面白見は少ないが、やはり100幅の構想ができて描き始めの最初であるから、一信の気力の充実ぶりが絵からにじみ出ている。着物の紋様や樹木表現など、細部にわたり実に丁寧かつ緻密。
この1対だけを観ていて15分は経過した。

「地獄」は1回目に観に行った時から、とにかく凄いと思った。落下する人や氷地獄にあっている人々が夢に出てきそうだった。第22幅の墨でさっと刷くような描写は、第83幅、84幅の「七難 風」に使用されても良さそうだが、あの軽やかな筆さばきは、既に83幅、84幅には観られない。

地獄に対して「天」を描いた37幅、38幅は束の間、休息と安らぎを与えてくれる。画面の至る所に天女が舞う、華麗な画面。
また、共通して私は彼の描くご飯の描写が好き。胡粉なのか、小さな粒粒が実に美しい。特に第25幅「鬼趣」の羅漢がもつ山盛り御飯の粒粒が気になって仕方なかった。

五百羅漢だけではない。
新発見の成田山新勝寺の大幅「釈迦文殊普賢四天王十大弟子図」もあまりの大きさに、最初びっくりした。
思わず後ずさりしそうな神々しさを湛えていて、水墨に金泥が加えられ、この金泥を美しく見せるため、調光がかけられている。暗転して徐々に明るくなっていく時、またその逆の際の金泥の見え方に要注目。
いつまで観ていても観あきない美しさと迫力である。

若冲も一信も、根底にあるのは寄進、仏を敬う宗教心と、絵師としての性を強く感じる作品群。
彼らを突き動かしたのは、仏のためでもあり、自身の絵師としての性、いずれが欠けても成立し得なかった作品。
時を越えて、現代に相対することができたことを幸せに思う。

そして、震災という不慮の惨事にも関わらず、このような展覧会を開催して下さった増上寺はじめ、関係者御一同さまに心より感謝を申し上げたいと思います。

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