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「アンドレ・ケルテス写真展」 メルシャン軽井沢美術館 はじめての美術館87

ケルテス

「アンドレ・ケルテス写真展」~日常が芸術にかわる瞬間~ メルシャン軽井沢美術館 7月17日(日)迄
http://www.mercian.co.jp/musee/exhibition/index.html

ハンガリーの首都ブダペストで生まれたアンドレ・ケルテスは、パリ、そして、ニューヨークと移り住み、それぞれの街を舞台に、91歳で亡くなるまで精力的な制作活動を続けました。
本展は、フランス文化・コミュニケーション省建築文化財メディアテークの特別協力のもと、パリにあるジュー・ド・ポーム(Jeu d Paume)国立ギャラリーによって企画されたもので、フランス政府が所蔵するネガの中から、189点の写真作品を通して、初期から晩年に至るまでのアンドレ・ケルテスの世界を紹介するものです。

アンドレ・ケルテスの写真を意識したのは、昨年の陰影礼賛展。思えば、この展覧会の周囲での評価はいまひとつだったが、個々の作品、特に写真をよく知らない私にとっては、先日のクーデルカ、そして今回のケルテスと未知なる作家への扉を開けてくれ、とても感謝している。

ケルテスは、陰影礼賛で≪モンドリアンの家で≫パリ1926年を観て、その絵画的な構図と影の効果的な使い方で好きになった写真家。この後、すぐに1995年に東京都写真美術館の「アンドレ・ケルテス展」の図録で他の写真も拝見し、やっぱりいいなと。
今回はモダンプリントとはいえ、プリントが189点とまとめて観ることができたのはとても嬉しかった。これを観たいがために、軽井沢に行ったのだった。ケルテスのオリジナルプリントももちろん残されているが、世界中の美術館に少数ずつ点在しているそうで、それをかき集めて展覧会を行うのは非常に困難だと伺った。

さて、展覧会は以下の4部構成で、撮影年代順になっている。最後は2階の展示室にて、彼の展覧会のオリジナルポスター、古いものでは1927年~1990年のパレ・ド・トーキョーで開催されたものまで13点も合わせて展示されている。こちらも写真を使用したグラフィックデザインとして非常に興味深かった。

第1章 ブダペスト 1894-1925
ケルテスは、ハンガリー・ブダペストでユダヤ系中流家庭に生まれ、6歳の時に見た写真雑誌がきっかけで写真撮影を開始。20歳で招集され、塹壕の中での日常を撮影するが、戦争という非日常の中での日常-すなわち、彼と同じ兵士仲間の普段の何気ない表情や出来事を捉えている。

解説には、「日常の事物を淡々と見たまま写す手法で、後のパリでのフォト・ルポルタージュにおけるスタイルへと確立される」とあったが、淡々と写されたかもしれない写真は、抒情的に見えた。また、静謐な雰囲気を湛えているものも多い。
概してケルテスの写真は、ピクチャリズムにつながるような絵画的雰囲気を湛えている。

≪ロマのこども≫、≪水面下の泳ぐ人≫、≪がちょうのひな≫、≪ボチュカイ広場≫、≪やさしく触れる≫、≪ドゥナハラスティ≫などなど。
特に、≪水面下の泳ぐ人≫は、ケルテスの写真に特徴的な俯瞰した構図と影を見せる写真になっている。
全体を通じて見ていくと、俯瞰した構図が多いことにすぐに気付く。

既に、初期作品でケルテスは生涯に通じる自作の特徴を備えた写真を撮影していたことに驚く。

第2章 パリ 1925-1936

1925年、ケルテスはパリへ向かう。当初、『ヴュ(Vu)』などいくつものグラフ雑誌に作品を発表。ここでも、ブダペスト時代と同様、好んだモチーフは同郷の仲間や友人、芸術家、パリの街並みやそこで生活する人々だった。
そして、私がケルテスに強く惹かれるきっかけとなった写真≪モンドリアンの家で≫を1927年に初個展で発表。これをきっかけに注目を集め、写真家として知られるようになる。

・幾何学的な構図
・光と影の明確なコントラスト 
・俯瞰

繰り返しになるが、これらは生涯を通じたケルテスの写真の特徴だろう。
特に、パリ時代の写真はこのいずれかの特徴を何かひとつ備えていると言って良い。
影が主役といえる写真の代表例としては≪エッフェル塔の影≫だろう。影によりその物自体を暗示することを試みた。同様に≪モンドリアンの眼鏡とパイプ≫1926年は本人不在の肖像として著名。この写真にモンドリアン本人は不在だが、彼の身の回りの品々、眼鏡やパイプを机上に乗せた写真は、本人が撮影されている以上に、その存在を強く感じさせる。

影を意識した写真として、他に印象に残ったのは≪フォーク≫、≪影を描く人≫、≪シャンゼリゼ≫、≪パリ≫。
≪シャンゼリゼ≫は並んだ椅子の影の形態が面白く、椅子そのものも橋に写っているが、ここでの主役はあくまで影だ。

俯瞰した写真としては、≪ジョリヴェ広場≫、≪サン・ジェルヴェ・レ・バン≫、≪トゥーレーヌ≫など非常に多い。これが後の、広場シリーズにつながっていくように思った。

曲線美を面白く捉えた写真は、こちらもケルテスの写真では著名だが、≪おどけた踊り子≫シリーズ。ポーズ違いで複数枚撮影。脚の描く曲線にいやでも目が行く。

また、「手」をクローズアップした写真も数点あり、これらも気になった。

第3章 ニューヨーク 1936-1962
ヨーロッパは、ヒトラーにより反ユダヤ主義が高まり、ユダヤ系のケルテスは1936年アメリカのキーストン社との契約を機にニューヨークへ渡る。
この時期、彼の本意ではない仕事、ファッション雑誌やインテリア雑誌などの仕事の依頼が続き、次第に制作意欲を失っていったという。勝手な推測だが、同胞への強い迫害も彼の心情に追い打ちをかけたかもしれない。
しかし、1954年に撮影された雪の≪ワシントン・スクエア≫から、窓という新たな視点を見出す。

ニューヨーク時代の写真では、幾何学的な構図、特に直線、曲線を強く意識した写真が目立つ。
これらは、ニューヨークという街を形態的に捉えた証だと思われるが、緩やかなカーブを描いて伸びていく鉄道の線路を撮影した≪プラットフォーム≫、摩天楼の高層ビルを垂直線で見せる≪ニューヨーク≫など、これらの写真では、ブダペスト、パリ時代の写真にあった抒情性がやや排除されている。

また、前記の≪ワシントン・スクエア≫においても、柵が描く曲線を上手くとらえていることに注目した。

≪メランコリーなチューリップ≫1939年もまた興味を惹かれる写真で、首を垂れ、花が下を向いたチューリップは、ケルテス自身ではないかとキャプションにあったが、メランコリーな気分にあったのは彼自身であったのだろうと想像する。

1951年撮影≪ソファ≫は、主不在の肖像画を思わせる。

また、第3章ではこれまで全てモノクロだった写真にカラー写真≪ビーチ・ヘブン≫、≪パーク・アベニュー≫、≪近代美術館≫(いずれも1969年前後に撮影)などが加わる。

第4章 そして、世界で 1963-1985

1963年、ヴェネツィアの国際写真ビエンナーレとパリでの回顧展開催により、ケルテスは20世紀を代表する写真家として世界的に知られる。1968年に来日、1977年に最愛の妻を亡くし、1985年9月に91歳で亡くなるが、最期まで制作意欲は衰えることがなかったという。

とはいうものの、晩年の写真はやや印象に薄い。これまでの写真同様に器楽的な構図と影を捉えた写真≪ニューヨーク≫≪ストリート・シンガー≫≪ハワード・ビーチ≫などは健在。
妻のエリザベスへの強い思いを感じる≪エリザベスへの花≫1976年と、日本で撮影された≪彫刻≫1968年、これは仏像の手と着衣の袖だけをクローズアップしているが、この1枚に強く惹かれた。

ケルテスは、渡米後亡くなるまでパリに戻ることはなかったのはなぜなのだろう。
しかし、彼のネガとスライド、そして書簡などの資料はケルテス自身の意思により、亡くなる約1年前にフランス政府に寄贈されているというのに。

私がケルテスに惹かれたのは、彼の写真に絵画的なものを感じたからだろう。そして、モノクロならではの影を強く意識した写真、構図、どれもが好ましかった。


メルシャン軽井沢美術館は、今年の11月で閉館してしまいます。
お庭の美しい美術館で併設のレストランやカフェも立派です(残念ながら時間の都合で食事できませんでした)。
前回アップした彫刻展と合わせて、お薦めします。

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