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「没後100年 青木繁展ーよみがえる神話と芸術」 ブリヂストン美術館

青木繁

「没後100年 青木繁展ーよみがえる神話と芸術」 ブリヂストン美術館 9月4日迄
10時~18時 休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)前期:8月7日迄、後期:8月9日~9月4日
http://www.bridgestone-museum.gr.jp/exhibitions/

39年ぶりとなる青木繁(1882年-1911年)の回顧展。
28歳と8カ月でこの世を去った青木繁が遺した作品は多くないが、油彩約70点、水彩・素描約170点、手紙などの関連資料約30点という、過去にない大規模な回顧展により青木の全貌を紹介しようというもの。

昨日アップした千葉市美術館の橋口五葉展の記事でも青木繁についてかなり触れたが、昨日この展覧会を観て、久々に大きく気持ちが揺さぶられた。
観終わった後にどこかもやもやした、青木繁は何を思い、どう生きて、どんな絵を描きたかったのか、考えても分からないことを知りたくなる不思議さ。
青木繁の油彩もデッサンも強いものが多かった。
橋口五葉が、東洋と西洋の美術の融合を目指したとすれば、1歳違いの青木は、美術と文学を結びつけようとしたのか。彼の苦闘と苦悩が作品からも伝わって来て、もやもやと気持ちがかきたてられたのだろう。

青木繁、畢生の名作と言えば、≪海の幸≫1904年(重文)であるが、これだけの名作をわずか22歳で描き上げ、名声を博したことが果たして彼にとって良かったのか悪かったのか。
結局、彼はこの作品を乗り越えることができずに生涯を終えてしまった。
画壇からの評価を得られなかったが、後世において評価される作品も多々あるが、青木之場合は、やはり今現在も≪海の幸≫程評価の高い作品はないと思う。そして、私自身好き嫌いは別として、やはり≪海の幸≫の凄さを今回改めて感じた。

≪海の幸≫はひとまず脇において、個人的に彼の作品で一番興味深いのは自画像群。
1903年の背景がまだらになった自画像や東京美術学校卒業制作時の自画像、これと同じく1904年のレゲエ風の≪男の顔≫(自画像)、そして1905年制作の三重県立美術館蔵の自画像。これ以後青木の自画像作品は出展されていない。油彩は恐らく制作されていないのだろう。

1904年までの自画像は、何と言っても周囲を睥睨するような双眸がとにかく印象的で、傲岸不遜だったという(芸術新潮7月号の特集ではゴーマン画家として扱われていた)態度がそのまま現れているように思った。
ところが、1905年の自画像では、一挙に青木が老けこんでしまったようで、瞳に力がない。
この年、青木は福田たねに二人の子供である幸彦が生まれ、青木は父となる。経済的な余裕がない彼らは入籍保留、その上、青木の父親が重篤の病に倒れたという一報が届き、青木は故郷へ戻る。
力のない疲れた自画像が、1905年のいつ頃描かれた作品なのか気になるが、既にたねと幸彦を抱え、途方に暮れていた頃なのかもしれない。

私個人は彼の作品も含めて、その青木繁という人物、人間像に関心を持った。
彼は本当に天才だったのか。宮城音弥著「天才」岩波新書を久々に読み返したくなる。
そして、かの松本清張も「青木繁と坂本繁二郎 私論」新潮社を書いている位だから、青木の人間像に魅了されたひとりなのだろう。それも分かる気がする。

1896年制作≪高良大社≫のデッサン(前期展示)を観ると、既に卓越した画力を持ち、美術学校入学後制作した≪ランプ≫1901年頃、黒田清輝の昔語りのための下絵を模写したという≪舞妓≫1903年(前期展示)、たねを描いた≪おもかげ≫1903年(前期展示)など優れた描写力を見せている。

後に描く一連の神話画シリーズより、こちらがはっとするような作品は、顔だけをアップにした肖像画だった。
≪女の顔≫1904年と≪幸彦像≫1907年は、息苦しくなるように迫りくるものがあって、青木作品の中で私がとりわけ好きな2点。くしくもモデルは福田たねと息子の幸彦。

1904年は青木にとって、一番油が乗っていた時期で≪海の幸≫もこの年の作品。そして1907年は、たねの生家である福田家で描いた青木の勝負作≪わだつみのいろこの宮≫を描いた年。

東京府勧業博覧会に出展した≪わだつみのいろこの宮≫1907年(重文)は、神話:海幸彦山幸彦を題材にとって青木特有の解釈と創造力を加え、水底を舞台に神話の世界を描いたもの。この時代、極端な西洋化への反動から明治復古主義が起こり、神話や古事記などかつての日本古来の文化、宗教への懐古が美術でも見られる。
青木繁に限らず、藤島武二、原田直次郎、山本芳翠らも神話に題材を取った作品を手掛けており、昨日の橋口五葉も同じくだった。

≪海の幸≫のような荒々しさや完成された作品だが、東京府勧業博覧会での評価は二分されたという。
夏目漱石ら文化人からの評価は≪海の幸≫以上だったというが、画壇保守派からは遠ざけられ結果3位に。

本作とは別に≪旧約聖書物語挿絵≫1906年や初期の神話画も個人的には良かった。神話画を描いたと思えば、晩年の≪春郊≫、≪佐賀風景≫は全く別人が描いたかと思うほど違うが、これもまた良い。

海の幸やわだつみのいろこの宮もそうだが、海を題材にした作品が非常に多い点にも注目したい。
本展会場を出た後に、ブリヂストン美術館所蔵品の展示室があるが、≪海≫1904年や≪海景≫(布良の海)1904年などとモネの≪雨のべりール≫1903年は制作年が僅か1年違いだが、青木はモネの印象派技法を自身の作品にうまく消化している。
同じくセザンヌの塗り残し≪帽子をかぶった自画像≫他、未完成という完成ももしやセザンヌ作品を観て、それもありだと考えたか。。。

彼の絶筆≪朝日≫1910年は、私にはどうにも沈んでゆく夕日に見えて仕方なかったが、海に昇る朝日に自身の不屈の魂を視たのだろうかと考えた。

ところで、図録掲載論文(4編)を美術館の図書コーナーで熟読していたら、≪海の幸≫とスイスのフェルディナンド・ホドラーの「マリニャーノからの退却」との関連が詩的されていた。図録にはホドラーの作品画像がなかったので、帰宅後画像検索をしたら見つかった(以下リンク先アドレス)。
http://www.mural.ch/index.php?kat_id=i&sprache=ger&id2=632

う~ん、関連は本当にあるのでしょうか。

小学生の頃、通っていたピアノ教室に画集があって、待ち時間の間よく眺めていた。その画集の中で、1点忘れられない怖い絵があって、タイトルも画家の名前も分からなかったが、青木繁の≪海の幸≫を観て、「この絵だったかもしれない。」と思った。実際は、ロシアの画家:イリヤ・レーピンの≪ヴォルガの舟曳き≫(下画像)で全然違ったのだけれど、ひとり前を向く青年の白い顔が、≪海の幸≫で観る側と視線が合う白い顔の人物(たねの顔と言われている)と記憶ごちゃまぜになったのだろう。久しぶりに≪海の幸≫を観てこの勘違いを思い出した。

ヴォルガの舟曳き

*デッサンや水彩画は、前後期で大幅に入替がありますので、ご注意ください。

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