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「アルプスの画家 セガンティーニ-光と山-」 静岡市美術館 はじめての美術館90

セガンティーニ

「アルプスの画家 セガンティーニ-光と山-」 静岡市美術館 9月3日~10月23日
http://www.shizubi.jp/exhibition/future_110903.php

開館1周年を迎えた静岡市美術館に行って来ました。
かつて南口側にあった静岡アートギャラリーには数回行ったことはありますが、静岡市美術館開館後は初めて。

静岡アートギャラリーも駅近でしたが、静岡市美術館も静岡駅と地下で直結。雨が降ってもぬれずに行ける美術館です。静岡駅から徒歩3~5分程度の複合ビル「葵タワー」3階にあります。

広々とした玄関、玄関はオープン展示スペースになっていて、現在は袴田京太朗「人と煙と消えるかたち」展が開催されています。ここは写真撮影可能。
新作、旧作が壁面や床、あちこちに置かれ来館者を出迎えてくれました。

メイン企画展は「アルプスの画家 セガンティーニ-光と山-」。
セガンティーニの名前を聞いたことのない方も多いことでしょう。
日本国内では国立西洋美術館、大原美術館が彼の作品を所蔵しています。

展覧会冒頭の開催の辞を読み進むにつれ、まず気になったのはセガンティーニがどこの国の画家とされているかでした。
彼はアルプスの山や自然を多く描いています。てっきりスイスの画家かと思ったら、そうとも言い切れないようで、イタリア(イタリアで生まれた、更に、生地アルコは現在はイタリア領だが、セガンティーニ誕生時はオーストリア領だったためオーストリアも絡んでくるという、国と国のしがらみを目の当たりにするという。

展覧会構成は、静岡市美術館のサイトに詳しいのでご参照ください。→ こちら

17歳でブレア美術学校に入学し、若き日の作品は非常に沈鬱で画面は暗い。しかし、暗い画面の中で必ずどこかひとつ光の差す場面を作り出している。明暗の対比は若い頃の作品でも顕著。
加えて、ミレーに影響を受けているため、羊飼いをはじめ農村、農民の日常の風景をモチーフとしている。
羊を描いた作品では《羊たちへの祝福》1884年、《羊たちの剪毛》1883-1884年が初期作品では印象深い。
ただし、日常風景を描きつつ宗教的な内容を描いていることも見逃せない。生涯、セガンティーニにとって信仰や宗教は関心事であったが、彼が信じていたのは教会ではなく、自然神であったようだ。
教会に対しては寧ろ懐疑的、批判的立場をとっていたようで、彼の4人の子供たちには洗礼を受けさせていない。

28歳でサヴォニンに移住してから、彼の画面はがらりと変わる。
この頃からセガンティーニ独自の色彩分割技法を用いて、光と色彩あふれる画面へと移行を果たす。
本展チラシ表面に採用されている《アルプスの真昼》《水を飲む茶色い雌牛》など代表作が並ぶ。

同時期にフランスでは点描法で有名なスーラもその技法によって作品を発表していたが、スーラとセガンティーニの間に交流はなく、セガンティーニは当時スーラの作品も見ていないとされている(図録解説による)。

線を重ねてその隙間を補色で埋めるのがセガンティーニの分割技法だが、少し離れたところからみると視覚の中で色は混ざり合い、画面ではなく自らの鑑賞者の脳内で色彩はひとつになる。
彼の描く山々や草、そして岩や山肌の質感と色は、近くで見ると刺繍にも似ていた。

36歳でスイスのマロヤに移住し、この頃ウィーン分離派との交流を始めた。→セガンティーニ略年譜

ウィーン分離派の影響を受け、自然を描いていた画面の中に、象徴主義的な構想画面へとシフトしていく。
《生の天使》では、中央に聖母子と思われる母子の姿を描く。
また、《虚栄》1897年では、裸婦が水に映る自分の姿を見ている。すなわちナルシズム批判の場面を描く。
この裸婦の髪をかきあげるポーズが当時流行したジャポニスムを取り入れているのではないかという論もあるようだが、果たしてどうか。

カロヤ移住後に、セガンティーニの名声は高まり、第1回ベネツィア・ビエンナーレでイタリア政府賞を受賞する。

そして、40歳前後にアルプス3部作に取り組む。
アルプス3部作は《生》《自然》《死》と最初題されたが、後にウィーン分離派により《生成》《存在》《消滅》
として発表された。
この3部作はセガンティーニ美術館蔵で門外不出といわれており、本展への出品はないが、下図が来日している。

3部作といえば、黒田清輝の「智」「感」「情」を思い出す。
黒田は観念を絵画化せんと試み、セガンティーニは自己哲学、もしくは人生観を絵画化しようとしたのではあるまいか。

セガンティーニ作品を語る上で欠かせないのは、彼の不幸な生い立ちである。
幼い頃に両親をなくした彼は、少年院で育ち、基本教育を受けぬまま美術学校に入学した。
母への思いは生涯尽きぬようで、たびたび絵の中に聖母子や母子が登場するのはそれゆえだろう。
女性への崇拝は母への思いでもあった。
また、両親の死の衝撃ゆえかセガンティーの作品には生きているものの死を描いた作品も散見される。本展でも初期の作品で何点か紹介されているが、中で《白いガチョウ》1886年は優れた技量を示している。
セガンティーニは生と死を自然の中に見出し、結果、アルプス三部作への結実をみせた。

セガンティーニは山でアルプス3部作《自然》制作中に腹膜炎を起こし亡くなる。最期の言葉は「我が山をもう1度見たい」だった。
前々回記事をあげた犬塚勉もまた、山や自然に魅入られ山で遭難し亡くなってしまった。
犬塚の最期の言葉とセガンティーニの最期の言葉が重なった。

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