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「春草晩年の探求-日本美術院と装飾美-」展 飯田市美術博物館

春草晩年

「春草晩年の探求-日本美術院と装飾美-」展 飯田市美術博物館 9月3日~10月2日迄
http://www.iida-museum.org/

今年は菱田春草が没後百年にあたる。飯田市美術博物館では、春草の最後の画風となった装飾的傾向に焦点をあてた展覧会を開催している。本展では、初期から晩年までの春草の画業を概観しつつ、明治40年代に描かれた名品の数々を紹介。また春草を深い影響関係にあった横山大観や下村観山、木村武山の大作も展示して、春草たちが明治40年代を通じて探求した「装飾美」を展観するものです。

9月21日(水)の日経朝刊文化面には、同時に開催されている長野県信濃美術館の「菱田春草展」の紹介が掲載されていたが、長野県信濃美術館では、前半生での画風「朦朧体」をテーマに春草作品を展観している。

順序としては、信濃美術館の「菱田春草展」を観てから飯田市美術博物館の「春草晩年の探求」展を観るのが良さそうだが、長野市と飯田市は同じ長野県でありながら、かなり離れている。
飯田には、名古屋から高速バスが毎時1本出ているので、今回は名古屋を起点にバスで往復飯田に出かけた。

私が行った9月19日は玉蟲 敏子 氏(武蔵野美術大学教授)による講演「明治の琳派と春草・大観」があり、合わせて聴講した。1時間半パワーポイントで多数の画像を交えての解説で、春草と琳派作品の関係のみならず、千葉市美術館での「酒井抱一展」を控え琳派の予習復習にもなった。また、大観と春草の画の違いについての考察など本当に興味深い内容だった。以下講演内容を踏まえつつ本展を振り返る。

展覧会構成は、
第一章 菱田春草の生涯
第二章 日本美術院と装飾美
の二部構成で3つの展示室により、約40点を展示している。40点と言っても、4分の1は屏風などの大作なので非常に見ごたえがあった。

春草、初期作品の中で見どころは、「菊慈童」1900(明33)年だろう。朦朧体で描かれた約1.8mの大作掛軸で、明治33年春の日本美術院総合展に出品された。高階秀爾著『日本近代美術史論』ちくま文庫(講談社文庫絶版)によれば、本作品は春草の優れた色彩感覚を示す最良例のひとつと高階氏が評価している作品。

と引用してみたものの、作品を見た時には知らなかった。
しかし、知らなくてもこの絵の素晴らしさは感じることができる。朦朧体は色が濁ると批判されたそうだが、本作品についていえばどこが濁っているのか分からない。的外れな批判だったのではと思ってしまった。
遠近が色の明度彩度、色相の変化によって表現されている。
手前には小さな人物が中央にひとり描かれているが、この配置と大きさが却って、人物に視線が向くように考えられている。

その後、春草は朦朧体から新しい画法探求を続ける。
琳派風作品の萌芽は「月下遊鴨」1901年で明らかに見てとれる。「月下遊鴨」は。銀泥で左上に月が、そして水辺は横に長い楕円上でデザイン的な構図。
月光への関心は、酒井抱一「月に秋草図」MOA美術館蔵にも半分隠れた銀泥の月が描かれており、抱一作品との類似性を玉蟲氏が指摘されていた。曰く、月光に対する鋭敏さが春草にも抱一にはある。

また「花あやめ」1905年は、ここでも抱一の「燕子花図屏風」1801年出光美術館、「十二か月花鳥図」五月・畠山記念館、でこれらの類似点としては水面下にあったりり、水から出た状態を描いている点を指摘されていた。
春草のあやめでは、葉の色の薄さに特徴がある。

そして、文展第1回に出展された「賢首菩薩」1907(明40)年・東京国立近代美術館も出展されている。
没線描法と点描技法が駆使された作品で、文展では物議を醸したのだという。
春草の斬新な技法に審査員の方がついて行けなかったということだろう。前述の高階氏の著作によれば春草はこの時「よしッ。来年はもつと程度を下げて審査員に解る絵を描いてやらう」と負けん気の強さを発揮した発言をした。

「賢首菩薩」については、下絵が何枚か合わせて展示されており、完成作までに構図が如何に変わっているかを見比べると春草の構図、作品についての探求度が伝わってくる。

また、本展最大の見どころは、「落葉」1909(明42)年(六曲一双)・福井県立美術館と「落葉」1909(明42)年・滋賀県立近代美術館(二曲一双、前期展示、後期は茨城県近美所蔵作品が出展される)だろう。
重要文化財に指定されている永青文庫所蔵「落葉」は展覧会「細川家の至宝」に出展予定のため、本展での展示はないが、永青文庫所蔵作品以外に、これ程「落葉」が沢山描かれているとは知らなかった。

福井県美の「落葉」は永青文庫蔵のものより後に描かれたもの。
永青文庫の落葉と比較すると、左と右が逆になったようなモチーフ、そして濃淡は福井県美の方がはっきりしている。樹木の幹も、永青文庫の方は地面に対して垂直だけれど、福井の方は屈曲しているものも見られる。

玉蟲氏によれば、「落葉」は、池田狐邨「檜図屏風」19世紀半ば・バーク・コレクションと構図の類似が見られる。狐邨は抱一門下である。また、構図だけでなくたらしこみなど琳派技法の導入もみられる。
それにしても、落葉の葉の色の美しいこと。
遠く離れて見ると、カサコソと落葉が音を立てるのが聴こえて来るような作品。

永青文庫所蔵の春草の名品と言えばもうひとつ「黒き猫」がある。
「黒き猫」は、「落葉」と同じく「細川家の名品」展に出展されるが、ここでは、「柿に猫」1910年・個人蔵が出展されていて、これも必見。葉脈は金泥で描かれ、猫はこれも黒猫。毛並みはふさふさ、目は金。
本展チラシ表面に採用された佳品である。

猫をモチーフにした作品をもう1点。「猫に烏」1910年・茨城県立近代美術館は、奥行き感がほとんどなく平面的、で中央が抜け、左上から右下に斜め下に視線が向くように配された構図が巧み。

春草は、1911年36歳の若さで亡くなるが、最晩年の作品は目の状態が悪かったのか「松竹梅」などのっぺりして、銀地屏風であるが魅力が感じられない。
眼病さえなければ、もっともっと素晴らしい作品を遺したであろう春草。
玉蟲氏は、春草と琳派の中でも特に酒井抱一作品との共通性を指摘されていた。春草は、自然主義、写実と装飾の融合を志向していた。抱一作品の理解にも優れ、抱一の作品世界に惹かれるものがあったのだろうとのことだった。
講演の最後に春草も「風神雷神図」を描いていたと、画像を見せていただいた時には驚いた。
現在は行方不明の春草の「風神雷神図」は、畠山記念館蔵の酒井抱一「風神雷神図」(双幅)を転用したものと推測されている。ぜひ、発見されんことを願う。

第二章は、春草以外の日本美術院の画家たちの大作がずらり。
個人的には初見の作品は少なかったが、福井県美の横山大観「春飽きず」(六曲一双)、同じく大観の個人蔵「秋色」(六曲一双)、下村観山「獅子図屏風」水野美術館、「竹林七賢図」茨城県立近代美術館。
第二章は、日本美術院の画家たちも琳派の影響を受けていることが分かる装飾的な作品、しかも六曲一双の屏風が殆どなので、こちらも日本画好きにはたまらないと思う。春草との琳派の取り入れ方の違いを感じる。

内容充実の素晴らしい展覧会でした。
講演会当日には高階秀爾氏も出席されており、講演後の質疑応答で司会の方から指名を受け、2つ質問をされていたのも印象に残りました。

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