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「内藤 礼 展」 sagacho archives (3331 Arts Chiyoda)

佐賀町アーカイブ COLLECTION plus,2
「内藤礼 展」 sagacho archives (3331 Arts Chiyoda) 9月16日~12月4日


現在でこそ、展覧会を追いかけて東奔西走する毎日ですが、元々美術には全くご縁のない人間だった。
美術館に出かけるようになったのは10年前くらいだろうか。
それでも頻度は月に1度行くかどうかといった程度だったと思う。人間変われば変わるものです。

そんな私は90年代の美術シーンがどんな状況であったかまるで知らない。
佐賀町エキジット・スペースの存在も3331 Arts Chiyodaにsagacho archivesができてから初めて知りました。

佐賀町エキジット・スペースは東京都江東区佐賀1-8-13にかつてあった食糧ビル(さすがにこのビルの名前は何度か目にしたことがある)にあったが、ビルは既に取り壊されてしまった。

ここでは、企画展が開催され、内藤礼さんも1991年に個展「地上にひとつの場所を」が開催された。

本展では、インスタレーション「地上にひとつの場所を」のために描かれた当時のドローイングを10点、更に新作2点を合わせて展示している。

1990年のドローイングであるが、内藤さんのドローイングは初めて拝見した。
ピンクや赤といった暖色系の色を使って、丸、円弧、花びらのような描線。
女性器に見えなくもないし、乳房にも見える。いずれにしても、女性性や母性を感じさせるものばかり。

1点1点を見ていると、ドローイングのモチーフに包みこまれるような感覚がある。

ドローイングのスペースの手前に新作2つが対峙している。
ひとつは、壁に貼られた内藤さん自作の詩「あま つち ゆび あし」が。
もうひとつは、その詩に向かっている小さな小さな5センチほどの人型。
人型にはこれまた針であけたような穴があって、顔のように見える。
詩を読んでいるかのような人「ひと」


新作の詩は、生活の中で悦びを感じる時をひらがなで単語だけで綴られている。

先日、本展関連企画として、内藤礼さんと2009年に内藤礼さんの「内藤礼 すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」展を担当された神奈川近美学芸員・三本松倫代氏の対談が開催されたので拝聴した。
(参考)過去ログ「内藤礼 すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」展

内藤さんの作品は、言葉にするのはなかなか難しい。
対談は、話が進むにつれて徐々に不可思議な世界へと、やはりこれも内藤礼さんらしい世界へと進み、内藤さんご本人も「なんだかおかしな話になってきましたね(笑)」と苦笑される場面もあり、作品もそれを生み出す作家さんご自身も作品の一部であるかのような印象があった。

対談相手の三本松氏とは2007年に写真家の畠山直哉氏のアトリエで偶然出会ったとのこと。畠山直哉氏と言えば、神奈川近美の展覧会図録、ポスター、チラシの写真だけでなく、その前の入善町発電所美術館の「母型」展図録の写真も畠山氏による撮影だった。(畠山氏と内藤氏は90年代頃から作品の写真を撮影するという関係から始まったようで、この対談にも畠山氏が来場されていた。)

今回のドローイングについては、脳にあるものを自覚するために描いていた。後になってみると自分の風景を作ろうとしていたのだと思ったが、当時は何をしているのか分からないままただ手を動かしていた。
配置(ものの置き場所)することが好きだった。

ドローイングは3種類くらいのスケッチブックをちぎりながら描いた。その後り、立体で作るものになる形が出ているものもある。
空間のためのドローイングでなく、それ自体のための絵。エスキースは意識的に描かないようにしている。

新作の人型の顔は、鎌倉での展覧会で中庭にあったイサムノグチの彫刻「こけし」の顔と似ているボタンがあることに気付いた。(このボタンは確か展覧会に使用されていたと思う。)ボタンはこけしの精霊だと思った。彫刻「こけし」を見守るような形にしたいと思った。

今回は具象として、裸の小さい人を作った。

自分が活性化され、育てていく制作のための方法は、立体ならいきなり素材に触れる。環境の中でモノがどういう国、どういう状態にあるのがそのものとして一番自然で安らいでいるか。
他の理由で力がかかっていたりしないか、考える。

あまり事前にエスキスなどを描くとアートとして自分の中で育てていく大切な部分が固定されてしまう危険性がある。
最後の最後まで固定しないために絵や言葉にはあまりしない、決着させない、完成させない。

今回の新作について。

模型を絵の前に立たせたり関係を持たせたりしているうちに、模型が人に見えて来た。
模型は2月ごろから制作を始め、詩は震災後3月下旬くらいに作った。

自分以外の人がそこにいるのを見たかった。自分以外の生を見たいと思った。
地上の生の貢献を見たかった。

詩の形式は4つの単語が並ぶ。
中世に聖母絵の祈りが書かれていた時、聖書の中の単語を連ねて行くだけの祈りがあった。
日常生活の中の母と子の1日を書いた。
ひらがなにすべてしているのは、声に出すことを意識し、それが大事だったから。普段詩を書く習慣はないので書かない。

人を作ることで、この人が生きているのか、この世を去ってしまった人なのかは分からないが、5月からは人を沢山作り始めた。
最初服を着ていたが、1か月版くらいで裸ということが浮かんだ。

自分が何をしているか、何をしようとしているか分からない気持ちはなくさないようにしたい。

以上対談の中から内藤礼さんの言葉を拾ってみました。*( )書きは筆者追記。

アーカイブには、91年のエキジット・スペースでの展示風景資料もあります。

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テツ様

最初の個展をご覧になったのですね。
羨ましい。

ドローイングと新作の組み合わせで新しい思い出を。

noel様

返信遅くなりました。

少数展示ですが、新作詩は必読です。
ドネーションで100円以上必要なのを書き忘れました。

想い出の個展

佐賀町エキジビット・スペースは古ぼけた食糧ビルの雰囲気を味わえるアートスペースでした。
「地上にひとつの場所を」を観たのはたしかエキジビット・スペースをはじめて訪れたときのこと。
内藤礼のことはまったく知らなくて、偶然の出会いでした。
近年のシンプルで研ぎ澄まされた作品に比べると
より多くの要素があふれ夢の中の光景のような美しさでした。

ずっと後に直島の「きんざ」を目にして
エキジビット・スペースの印象が蘇り、内藤礼の個展を自分は観ていたのだとようやく気づきました。

忘れられない個展です。

No title

こちらは全くノーチェックだったので情報うれしいです! 内藤礼信者の末端?としては駆けつけたいと思います^^
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