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「山田 純嗣展 絵画をめぐって-`A Mon Seul Désir-」 日本橋高島屋美術画廊X

山田純嗣201110

「山田純嗣 展 絵画をめぐって-`A Mon Seul Désir-」
日本橋高島屋美術画廊X 10月12日~10月31日

高島屋ブログ:http://blog-tokyo.takashimaya.co.jp/art/201110/article_2.html
*展示風景等が紹介されています。

山田純嗣さんの個展が、2年ぶりに日本橋高島屋美術画廊Xで始まっています。
思えば、私が山田さんの作品を初めて拝見したのも日本橋高島屋美術画廊X「VISIONS 増殖するイメージ」展でした。

山田さんが私の地元愛知県在住の作家さんであったため、その後続く、新橋の東京ステーションギャラリー、あいちアートの森(ナゴヤインドアテニスクラブ会場)、アイチ・ジーン(豊田市美術館会場)、そして今年の春の「TOUGEN 現代作家による桃源郷へのアプローチ」(masayoshi suzuki gallery/岡崎)と追いかけて来ました。

さて、今回の個展タイトルは絵画をめぐって。副題の「`A Mon Seul Désir」はフランス語で日本語に訳すと「我が唯一の望み」となります。
これは、フランスの中世美術館にあるタピスリー≪貴婦人と一角獣≫の6連作のうちの1枚のタイトルになっていて、「我が唯一の望み」とは何であるかは不明で、「愛」とか「理解」と解釈されているようです。~本展パンフレットより。

山田さんは、この個展で「絵画」とは何かということを改めて考え直されたのではないだろうか。
絵画は視覚芸術であるがその本質を目で観ることは難しい、私が拝見した彼の作品には、絵画のあり方や絵画とは何かという問いに対するひとつの答えが提示されていたように思う。

眼前にあるのは、一般的な絵画の範疇に加えて良いものか、しかし、版画でもなく、写真でもない、メディウムによる分類が困難な平面作品。メディウムによる分類など不要ではないのだろうか。少々乱暴な言い方をすれば、絵画も版画も写真も、表象視覚表現の平面化にある点において共通している。山田作品の最大の特色はこれら3つの手法をすべて用いたアウトプット作品であることに尽きるだろう。それゆえ、単独メディウムでは表現しえない複層性が絡み合ったオリジナリティを生み出しているのだ。

本展では、立体から平面へ、そして平面の上に転写されている銅版画の線、その下図220×193cm(以下画像)と完成作を構成してきた要素をひとつひとつ剥がすような展示がされている。

garden of

更にギャラリー最奥の白いカーテンの向こうには、今回東京で初のお披露目となる完成作に至る過程で制作される立体群が来場者を待っていた。立体は大小様々で、新作に使用されているものもあれば、旧作に使用した、例えば愛犬:花子をはじめ、ウサギなど愛らしい動物たちもいて、それらを見つけるためにしばし時間を忘れる。

これまでは敢えて制作過程で生まれるものは展示せず完成作のみを展示されていたが、中京大学Cスクエアでの個展において、立体インスタレーションを初めて行い、それ以後立体展示が継続し、本展では銅版画の下図までも展示し販売されていたのには驚いた。
注:立体作品は非売

モチーフになっているのは、ここ数年名画シリーズとでもいうべきか、西洋東洋問わず、山田さんの琴線にひっかかった名画である。これを立体で再現、再構築して、モノクロで写真撮影することで再び平面化し、典拠となる原画にはないオリジナル線描をエッチングによって画面に施す。

前述の≪貴婦人と一角獣≫とは別に、今回の目玉になっているのがあのヒエロニムス・ボスの≪快楽の園≫(1480-1500年頃、プラド美術館)をモチーフとした作品≪GARDEN EARTHLY DELIGHTS≫220×195cmの大作である。少し前に、テレビ東京『美の巨人』でも取り上げられていたこの名画を再現するのは気が遠くなるような作業であったに違いない。
何しろ、人なのか獣なのか、訳の分からない生物が画面上に跋扈しているだけでなく、背景には草花、建築物?遊具のようなものが画面一杯に描きこまれている作品。

あまりの大作のため、本展開催までに間に合ったのが中央部分でまだ左右の部分が残っているとのこと。
全体が完成するとすれば2年がかりとなるだろう。

そして、昨年頃から画面に付された偏光パールを使用したオリジナル塗料での着彩。
今回は室内なので、光の変化による見え方の違いを感じるのは難しいが、外光によって画面のニュアンスが変わるのも作品の見どころのひとつ。照明であっても左右上下と鑑賞者が動くことによって画面は表情を変えることだろう。白を基調とした作品ゆえに、色の使い方には細心の注意が必要で、これを上手く使いきった作品はまた格別。

さて、今回は上記2つの大作とは別に、非常に存在感の強い作品があった。
高橋由一の著名な≪鮭≫をモチーフにした≪Sirmon≫である。

salmon

実際の由一が描いた≪鮭≫以上のふてぶてしさと肉々しさを感じるとともに、オリジナルの要素として鮭の尾に注目したい。猫がかじったように身がなくなって骨だけになっている。
更に、鮭の中央上部の内臓が見えている部分は、魚の骨が滝のように見え、旧作≪NACHI FALLS(B)≫を思い出す。

一方で極限まで細密な画面を作り上げ、もう一方で大胆かつ骨太な鮭の作品を制作する。この振れ幅が、個人的には好ましい。しかし、「絵画」とは何かという答えを提示するには、必ずしも細密に創り上げた作品でなくても良いのではないかという疑問も持ちあがる。特にサイズの大きな作品になると気になるのはパネルの接ぎ目で、細かいことだけれど、作品の完成度が高まれば高まるほど接ぎ目の部分が目立ってしまう。

私がもっとも強く作家のオリジナリティを感じるのは、銅版画部分である。
主題となっている名画とは無関係の要素が満載で、例えば前記の≪Sirmon≫における銅版画では蝶やカブトムシといった昆虫などが描かれていたり、遊びの要素が強く何が描かれているのか見つけるのが楽しい。この部分があるからこそ、鑑賞者の視線は作品により長く留まる。同様の効果は昨年から始まった着彩によって一層強化された。

銅版画描写について、山田さんご本人がtwitter(10月15日)にて呟いておられるので、少々長くなるが以下転用する。

「絵画は構造として、「形式」(構図、色彩、マテリアルなど)と「内容」(コンテキスト、物語など)の要素を持つわけだけど、自分はそれらを自覚的に分解して制作しているんです。

自作の「描写の軽さ・かわいさ」というのは、いわゆる作品における物語性に関わる部分で、人は何かを見たときに、自分の経験と照らし合わせてそれとは別の想像力を働かせるようなことをすると思うのですが、それは日本の余白の文化というか、李禹煥がもの派で出会いという言葉を使って言ってたようなことに近いのかもしれないけど、何か一つ物があった場合、他は描かれていなくても、見る人の内面に勝手に描かれることがある。というようなことについて、自分はそれを自覚的に描いてしまおうと。

ただ、自分は形式の方向から作品について考えていくタイプだと思うので、物語性ということに関しては、それほどはまり込んではいないのです。ゆえに描写が軽く見えたり分離して見えるのだと思います。また、絵画の要素を解体してもなお作品になっているシュポール/シュルファスのヴィアラ(*)の試みにも感銘を受けたのですが、そういった解体の試みを通過し、物語性とギリギリの所に見た目を整えて作品を再構築してみようと。だから軽いように感じられる部分も必要だと、現状では思ってます。」


*シュポール/シュルファスのヴィアラ=クロード・ヴィアラ(1936‐、フランス、ニーム生まれ)は、 1960 年代末にフランスで起こった芸術運動「シュポール/シュルファス(支持体・表面)の中心メンバーとして活躍した現代美術作家。


展示会場入口近くには円形ボードの作品≪RABBIT≫が3種類展示されている。名画の一部を引用されているのかもしれないが、愛らしいウサギの仕草や動作はオリジナルだろう。名画シリーズばかりでなく、こうしたモチーフ自体のオリジナル作品も継続していただければと思っています。

作家さんは会期末10月29日(土)~31日(月)に在廊されている予定です。twitter(アカウント:@JunjiYamada)で確認できます。

*写真は作家さんご本人の許可を得て掲載しています。

*10月17日、18日に再々修正追記。10月17日にアップしたものがなぜか消失したため、再々修正となりました。

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