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「川合玉堂展 描かれた日本の原風景」 神奈川県立近代美術館 葉山

玉堂展

「川合玉堂展 描かれた日本の原風景」 神奈川県立近代美術館 葉山 10月22日~11月23日
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2011/gyokudou/index.html#detail

川合玉堂(1873-1957)は、現在の愛知県一宮市木曽川町に生まれ、その後岐阜へ転居、望月玉泉門下、後に幸野楳嶺門下で円山・四条派を学び、23歳で上京し橋本雅邦に師事。
玉堂は、円山四条派と狩野派を融合し、新たな境地を日本画に開拓したとされている。

地元愛知県出身の画家であり、本展にも複数出展されているが、岐阜の「鵜飼」を描いた作品をよく見かけるのですっかりお馴染みの日本画家になった。
元々、花鳥画より山水画の方が好きな私にとって川合玉堂は好きな日本画家のひとり。

本展では、玉堂の生涯を「山水画」の時代、「風景画」の時代、「情景画」の時代の三期に分け、約100点で紹介するものです。

第1章「山水画」の時代(~明治30年代)
初期作品で驚くのは≪家鴨図≫東京国立博物館蔵(本日まで)の構想力。
単に写生して描くだけではない、画面構想の力をわずか20代前半で既に身につけている。
横幅172.0、縦253.0センチの大幅である。並々ならぬ才能の持ち主であると分かる1点。

写生帖が多数出展されており、風景だけでなく、仏具の写生も余念がなく、そして言わずもがな非常に上手い。

また「晩帰」「奔瀑遊猿」などを観ていると、余白が画面の半分を占めており、もちろんそこには空気や大気、雲、空といったものを描いているが、画面びっしり描きこんだ作品が出展されているものに限れば少なかった。

第二章 「風景画」の時代(明治40年代~昭和前期)
ここからがいよいよ玉堂の油が乗ってくる時代。
「二日月」で入選を果たし、「深山濃霧」東京国立博物館蔵、これも大幅であるが、白く樹皮の剥けた大木を中心に据え、濃霧のたちこめる山の風景を描く。山間に流れる小さな川のせせらぎまで聴こえてきそうな素晴らしい水墨画。

同じく「瀑布」、思わず頭を突っ込みたくなるような激しい2段の滝、水煙があがる迫力。

墨の使い手としての卓越さは金屏風「湖村夕照」光記念館蔵でも発揮。墨のみで金屏風に描いた夕照の風景は墨の濃淡で遠近や空気を描きだしている。

ところで、葉山館での近代日本画展を初めて拝見したが、葉山で日本画?と最初驚いたが、さすがは神奈川近美。
しっかり作品がおさまる特注ケースに入れるか、もしくはケースなしで展示されている作品もかなりあって、ガラスなしで日本画を拝見できる喜びを味わった。

玉堂と言えば私の大好きな「行く春」東京国立近代美術館蔵(重文)を忘れてはならない。
本展では小下絵も合わせて出展されており、水車の配置を苦慮していた様子がうかがわれた。
それにしても、何度見ても素晴らしいの一言に尽きる。
ゆったりとした空間で見る「行く春」は、殺伐とした日常を忘れさせてく7れる。
散りゆく桜の花びらがいとおしく、物悲しく、1枚1枚の花弁がガラスを越えて鑑賞者に降り注ぐような気持さえして来た。

異質な作品としては「小雨の軒」個人蔵。筆者はどこからこの場面を観ているのか、その視線の位置が気になる。
俯瞰しているような構図。

玉堂の描く風景には、ほぼ必ず小さく人物が描かれている。
日本のミレーと呼びたくなるような、田植えの風景だったり、農作業や漁を終えて家路につく人々であったり。
玉堂の視線は自然とともに山村、漁村の人々にあったことが良く分かる。
第二章に描かれている人物はほとんど、ごく小さく描かれている。
しかし、第三章以後では、そこに変化がみられる。

もうひとつ、1941年から1945年の太平洋戦争のさなかにおいても玉堂は風景画を描いている。よく材料が手に入ったものだと思う。
中に1点、戦時の風景を描いた作品「祝捷日」。祝捷とはお祝いの日という意味。
戦勝の報に湧く、これも農村の風景を牧歌的に描く。戦時中というのに、どこかほのぼのとした印象を損なわないのが実に玉堂らしい。

しかし、気になったのは戦時中の玉堂の作画である。国威高揚のための制作はなかったのか、「祝捷日」のような穏やかな作品だけを残したのかが分からない。本展のサブタイトルは「描かれた日本の原風景」ということもあり、最初から最後まで作品を追っていくと似たような風景の作品が多い。
原風景の中になぜ富士山を描いた作品が含まれていなかったのも疑問だった。私は日本画に描かれた富士山を見るとどうしても国威高揚をイメージせずにはいられない。
検索すると、玉堂も富士山の絵を描いているので、1点でも展示していただきたかった(展示替えであったのだろうか?)。

第三章 「情景画」の時代(昭和後期)
この頃にあると、初期そして第二章で見せていたような画面の緊張感や厳しさが和らいでくる。
そして、人物が画中に対して徐々に大きくなってくることに気が付く。

玉堂は戦後、風景メインでなく人物メインで景色を背景に取り入れているように見えた。
「夏川」個人蔵、「秋晴」西宮市大谷記念美術館、「屋根草を刈る」東京都蔵、などこれまでにない人物の詳細な描写があり、より人々の生活に寄り添っている作品が頻出する。

1957年(昭和32年)「出船」で絶筆。
海原に向かおうとする船は、玉堂を浄土へと運んでくれただろうか。

葉山で玉堂展を観ることができて良かった。気持ちよく、ゆったりと鑑賞できました。それこそが、玉堂作品を味わうには必要な環境だと思います。

*一部の作品に展示替えがありますのでご注意ください。

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