スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

開館20周年記念展 「伊東深水-時代の目撃者-」 平塚市美術館

開館20周年記念展 「伊東深水-時代の目撃者-」 平塚市美術館 10月22日~11月27日 
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/2011206.htm

伊東深水(1898-1972)と言えば、美人画の巨匠として知られる日本画家であり、女優:朝丘雪路の父としても有名です。

東京印刷の活字工として働いていたが、日本画家の中山秋湖に日本画を習い、1911年わずか13才でにこちらも美人画の巨匠と名高い鏑木清方に入門。めきめきと力を付け、1913年には巽画会1等褒状、1914年に再興第1回院展に『桟敷の女』が入選し、漸く印刷会社を退職している。

本展では、長らく不明であった出品作など初公開を含む初期から晩年までの約100点で、女性風俗画家としての側面、社会の労働者や貧困層を写し取った社会派画科としての一面、また大正新版画運動への取り組みなど新たな深水像を紹介するものです。

基本的には制作年代順に並んでいるが、テーマごとに分かれており多少の前後はある。

冒頭は13歳の墨画「枇杷」、ここまではまだ良かったが清方への入門後に描いた「新聞売子」1912年に目を見張る。
勤労少年をとらえた作品で、無論美人画ではないが、モチーフの選択に自身の境遇を重ねたのではないか。
なお、この時代の作品でかの関根正二(早逝の天才画家と言われている)と交流があり、関根をモデルにした作品もあるそうで、図版は図録に掲載されていたが出展はない。記憶がおぼろげだが、所在不明だったかもしれない。
関根正二と伊東深水の交流、こちらも非常に興味深い内容ではあるが、ここではひとまず脇に置いて先に進む。
「乳しぼる家」「寒鮒釣り」では、風景画とも言えるような農村風景などが牧歌的な雰囲気を湛えつつ暗い色調で描かれている。

初期作品で、それ以前もそれ以後でも見られない作風の1点「大島の黎明」1916年愛知県美術館蔵が印象に残った。
愛知県美の所蔵作品に伊東深水の日本画、しかも縦が156.0センチとかなりの大幅で、画面一面に雨なのか、クレバスのような筆触の線で一杯になっている。
解説によれば、当時人気の今村紫紅の影響とのこと、言われてみればそんな気もするが、他の作品と比べると違和感が大きい。自分の画風を得るまで、様々に試行錯誤していたのだろう様子がうかがわれる。

美人画として最初に本展で登場するのは「笠森お仙」1917年。茶屋の娘だろうか、何とも言えない色香が襟元から立ち上がる。
そして、どんどんこの路線を突き詰めていった結果、「指」1922年(平和記念東京博覧会美術展2頭銀杯)を完成。

これぞまさしく着エロの極みだろう。
平塚市美訪問の前日夜、名古屋の朝日カルチャーセンターで藤原えりみ氏による「西洋絵画を視る?-裸体表現の歴史」第2回講義後、参加者の皆さまがtwitter上で議論を交わされる中、「着エロ」の存在を知った。
*第2回目講義は、体調を崩したため受講できず。
裸体ではなく、薄い黒の単衣をまとっている日本髪の女性。単衣と言ってもあまりに薄い、夏物なのか、単衣の下に来ている白の下着とほのかに赤く染まるやわ肌が透けて見えているではないか!
漆黒の日本髪の女が長台に座ってじっと見つめる左手の薬指には指輪が。。。
はぁ、たまりません。モデルは深水の妻である好子氏、新妻の姿を描いたということだろう。

これが、前日に知った「着エロ」というものか。西洋美術だけでなく日本画の世界にもしっかり取り入れられている。
本作を観て、喜多川歌麿の美人画、彼もまたこうした透けを活かした色気表現が上手い絵師、を思い出した。

同じく透け感を出すのが上手く美人画の巨匠として名高い上村松園、彼女の美人画と深水の美人画を比べると明らかに受ける印象が違う。深水の方にはしっとりとした、しっとりし過ぎる程の情緒がある。
松園はきりっとした美人、気品ある美人もしくは、妖艶といっても妖しい美を描くのが上手かった。

こうした美人画が深水を美人画の巨匠とされた所以なのですが、それだけでは終わらない。

「婦女潮干狩図」1929年(昭和4年)の6曲1双屏風では、大画面に9人もの若い女性の群像を描きあげる。構想力にひいでているのが本作でよく分かる。
9人中2人は洋装、洋装2人のうち1人は当時流行していたモダン・ガールそのまま。
頭にぴたっとした赤い帽子、ローウェストのワンピース、頭髪は短めのボブ。
その一方で和装の7名は職業も様々だろう、芸妓、茶摘み?の女性、ご令嬢風と和装は和装でもてんでに違う。
9名の女性達は当時の日本女性でよく見かけるスタイルを反映しているのだろう。

なぜ潮干狩りなのかは不明だが、潮干狩りする9名の女性全身像、中央の女性が後ろ向きであること、女性の帯が鮮やかな黄色地に菖蒲紋であり着ものの裾をあげており赤い襦袢が目にも鮮やか。

そして、これが深水の日本画!?と驚いたのは「さくら」1939年6曲一双屏風の大作である。
大島に2度出向いて取材した作品。何と言っても右隻全体を覆っているような桜の巨大な樹幹、根に目を見張る。
桜と言えば、通常桜の花をメインに描いたものが多いが、深水が注目したのは、花を咲かせるために絶対的に必要な樹幹の生命力だった。
故に、巨大な根元と幹をクローズアップし、枝は画面に描かずとも、鑑賞者の頭の中でイメージが浮かぶであろうことまで考え及んでいたのかもしれない。いや、そんなことはどうでも良かったのだろう。
図録によれば、この「さくら」御舟の桜の作品を意識して描かれたものらしい。速水御舟という天才が与えた影響の大きさは計り知れない。

新出作品のひとつ「皇紀二千六百二年婦女図」は、戦時下での女性の服装をデザインしお手本とされた。
3名の女性のうち1人が着用している洋服の小豆色は、業者が誤って作りだした偶然の産物らしい。深水は、本作品を描いた直前に描いた作品を「戦時体制において不適切な表現」として指導されている。
汚名挽回というと言葉が過ぎるかもしれないが、深水にとって、太平洋戦争の戦前、戦中は画家生命の危機を感じずにはいられなかっただろう。

戦後の深水作品は、徐々に肖像画の比率を高めていく。

師の鏑木清方を描いた「清方先生像」、ベルナール・ビュフェの作品を彷彿とさせる「黒いドレス」-モデルは大内順子氏など、著名人の肖像画も多く手掛ける。

ところで、戦後作品の中で新出作品として紹介されている「巷は春雨」1955年(第6回日月社展の習作)は4面の額で展示されているが、本作は習作であって、完成作は、福富太郎コレクションの「戸外は春雨」なのだろうか。
両作品とも日劇ミュージックホールの舞台裏を描いており、両方並べていないので分からないが、同内容が描かれていると記憶している。福富太郎コレクションは、今年の3月にそごう美術館の展覧会でも公開されているので、新出作品とはならないだろう。本図と習作との関係と考えて良いのだろうか。

展示会場前半には、深水が手がけた新版画のコーナーと後半には、1943年戦時下に南方に出かけた際の風俗スケッチの展示がされている。

深水の新版画は、大正新版画の展覧会で既に何点か見ているが、本展ではこれまで見たことのない作品も含め22点も出展されていたのは嬉しい。
美人画だけでなく、「近江八景のうち 粟津」、「神立前」、「真昼」、「屋上の狂人」など風景画、詩的表現とモチーフは非常に幅広いことが分かる。

興味深いのは、深水が版画制作に向かったきっかけで、前日にアップした川合玉堂(深水とは25歳玉堂の方が年上)のアドバイスで、当時既に人気が出始めていた日本画を離れ、挿絵や版画を手掛けたという。

版画制作では色彩への試みを行い(本展でも色の異なる摺違いの版を紹介しているので要注目)、その成果を日本画に戻った際に活かしていく。
深水にとっては画業を深める上で、その表現の幅を広げるに版画制作が有効だったといえよう。

なお、11月13日(日)14時~15時半 ミュージアムホールにて、以下の講演会が開催されます。
「伊東深水の芸術」(申込不要、先着150名) 講師:平塚市美術館館長 草薙奈津子

また、11月12日(土)、11月26日(土)いずれも14時~ 展示室にて担当学芸員による解説があります。

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
ブログ内検索
twitter
最近のエントリ
カテゴリー
最近のコメント
最近のトラックバック
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。