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畠山直哉 「Natural Stories」 東京都写真美術館

畠山直哉

畠山直哉 「Natural Stories」 東京都写真美術館 10月1日~12月4日

今日で終了した畠山直哉「Natural Stories」の感想を遅ればせながら残しておこうと思う。

私はかねてより畠山氏の写真が好きで、いやご本人も好きなのだが、そのお名前を知って日が浅い。
内藤礼さんの発電所美術館での個展図録の写真が、実際にその場で観た以上に美しく繊細で、図録自体が作品のような素晴らしい写真が掲載されていた。この写真は一体どなたが撮影されたのだろう、と奥付を見るとそこに畠山氏のお名前があった。
それ以後、私の記憶に深くその名前が刻みこまれた。

なかなか個展を拝見する機会がなく、清澄のギャラリーでの個展を拝見したのが最初だろうか。
ただ、畠山氏が岩手のご出身であることは知っていたし、昨年出版された『話す写真』もしっかり買って、ABCでのトークショーにも参加。プリントの美しさ、抜群の構図は比類なきものがある。
今回の個展は開催が決まって以来ずっと楽しみにしていた。

そうして、3月11日の震災が発生。
岩手県の畠山氏のご実家は被害がないのだろうか。
そうこうするうち悪い予感が的中し、お身内が亡くなられたことを知って衝撃を受ける。
そして、新聞に掲載された畠山氏による被災後の岩手の写真。
被災した場所とは思えないような静けさで、そして悲しいくらい美しいプリントだった。

本展は、被災後の畠山直哉による初の個展。
冒頭は、もう一つの山と題して、目もくらむような澄んだブルーの「シュタイン氷河」や「ユングフラウヨッホ」をはじめとしたアルプスの風景が撮影された写真を展示。
そして、新作「テリル」と続く。

ナチュラル・ストーリーズに展示された写真から、自然と人間の営為とを考えさせられる。
特に冒頭の一連の写真には大自然に対して、卑小な人間の姿が含まれている写真が多かった。
そして、続くシリーズでは人間の行為によって出現したボタ山や工場をとらえつつ、人間の手(行為)を感じさせない。むしろ、自然の一部のように見える。

果たして人間は自然に対していかなる行為をして来たのか。
そして、人間と自然はいかに接して来たのかを問いかけられているような気がした。

コントロールしようにもどうにもできない抗えない力を持つ自然界。

会場の4分の3の所に、仕切られた一角があった。
震災後に畠山氏が撮影した岩手県陸前高田の写真と震災前に撮りためた写真がスライド上映されている。
震災後の写真は60点、あの「等高線」と同じサイズだと思う。
「等高線」は写真による辞書を作ろうという意図のもと撮影された。
今回の震災後の写真は、発表することを意識して撮影されている。
失われてしまったものたち、残されたものたち、見えなくなったものと、今見えているものをとらえている。
撮影地は、意識的にせよ無意識的にせよ、かつてそこに何があったのかを知っているその目がカメラを通して撮影している。かつてここで育った畠山氏であるからこその選択と視線だ。

震災後のこの個展で、被災地の写真を出展することは、畠山氏にとっては必然であっただろうと思う。
むしろ、出展しない方が不自然ではないか。

最後にブラストシリーズがコマ撮りアニメーションのように大スクリーンに連写されて行く。
巨大石灰石がはっぱにより破壊されていく。人智によって破壊されていく自然。
それとは逆に、自然災害によって破壊されていく人間のコミュニティー。

私たちは今一度立ち止まって考えて見る必要があるだろう。そして、展覧会は私たちに問いかけ続けていた「これから何をなすべきかを」。

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