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ゴヤ展 「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」 国立西洋美術館

ゴヤ展

「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」 国立西洋美術館 10月22日~1月29日
展覧会公式サイト:http://www.goya2011.com/news_topics/waiting-time

「マハって人の名前だと思ってたけど、違うんだね~。初めて知った。」、私が一番よく耳にしたゴヤ展の感想です。

それ、解説に書いてあったのでしょうか。
あまり、解説を読まなかったので気付きませんでした。

マハ(maja)とは、名前でなくスペイン語で『小粋な女(小粋なマドリード娘)』を意味します。
このような不特定多数を意味するタイトルが付されているため、モデルの特定については現段階でも確定できず、二転しつつも現在ではスペイン宰相マヌエル・ゴドイの愛人ペピータ・トゥドーというのが有力。

ゴヤは、高い身分の人間から恐らく着衣と裸婦で同じ女性を全身像でそれぞれ1枚ずつ描いて欲しいと依頼を受けたのでしょう。この時、ゴヤは病により46歳で聴力を失っていました。この頃、既にスペインの宮廷画家として名声を誇っていたため、聴力を失っても肖像画などの注文は途絶えることがなかったようです。
こうして描かれたのが≪裸のマハ≫と本展出品作の≪着衣のマハ≫です。
来日していませんが、≪裸のマハ≫は、スペイン史上初めてアンダーヘアが描かれた作品であり、裸婦自体も1648~1650年頃にベラスケスが描いた≪鏡を見るヴィーナス≫以来150年ぶりでした。

依頼主は、並べて展示したのではなく、着衣の後ろに裸の方を飾っていたのではないでしょうか。
人気もしくは愛するモデルその人と共にいる時にのみ普段は隠されている≪裸のマハ≫を表に出す。何とも淫靡な世界です。≪着衣のマハ≫はやけに胸の谷間が開いている・・・と思ったのと、女性の表情、特に瞳が印象的で、着衣やクッションカバーなどの布類の描写はまずまず。両の瞳はどう見ても男性を誘っているようにしか見えません。

結果、エロティックなポーズとヘアが問題となり、ゴヤはカトリック教会により異端審問所にかけられます。

展覧会は以下14のセクションから構成されています。
1.かくある私-ゴヤの自画像
2.創意と実践ータピスリー用原画における社会批判 → 油彩メイン
3.嘘と無節操-女性のイメージ:<サンルーカル素描帖>から私宝の絵画へ   → 素描と版画
4.戯画、夢、気まぐれ-<ロス・カプリーチョス>の構想段階における自由と自己検閲  → 素描と版画
5.ロバの衆:愚鈍な者たち-<ロス・カプリーチョス>における人間の愚行の風刺  → 素描と版画
6.魔物の群れ-<ロス・カプリーチョス>における魔術と非合理  → 素描と版画  
7.「国王夫妻以下、僕を知らない人はいない」-心理研究としての肖像画  → 油彩メイン
8.悲惨な成り行き-悲劇への眼差し   → 素描と版画
9.不運なる祭典-<闘牛技>の批判的ヴィジョン   → 素描と版画
10.悪夢-<素描帖C>における狂気と無分割  → 素描
11.信心と断罪-宗教画と教会批判   → 油彩と素描
12.闇の中の正気-ナンセンスな世界の幻影  → 版画、油彩
13.奇妙な寓話ー<ボルドー素描帖G>における人間の迷盲と動物の夢  → 素描
14.逸楽と暴力-<ボルドー素描帖H>における人間たるものの諸相  → 素描

蒸気をみれば、版画と素描中心であることがほぼ分かってくる。
ロス・カプリーチョスは、ゴヤの版画の中でも取り上げられることが多い。

正しくは、「版画や素描からゴヤの思考や嗜好について考えてみた。」ではどうだろうか。
版画はあちこちの美術館で展示されてるが、素描はなかなか観る機会が。
版画では、人物はじめモチーフだけがクローズ・アップされていて、どっきりするような場面をとらえていた。

クローズアップ手法であるため、ドキュメンタリーの中から溢れだす人間の本性、業がより濃厚に画面に漂ってくる。
また、本展の見どころは版画とあわせて素描が多く出展されていること。
ゴヤの線を見る貴重な機会。
素描も版画も画面上の光と影だけでなく、描かれた人間の光と影を反映しているようだった。

次に油彩について。
タペストリー工房時代の作品は、あれゴヤってこんなに下手だっけ?と思ってしまった。画面がのっぺいりしているというのだろうか。逆に良かったのは肖像画。肖像画。宗教画には良いものが数点あったが全体的に油彩は少ない。

人気と実力を兼ね備えた宮廷画家であったゴヤが、≪ロス・カプリ^チョス≫、≪戦争の惨禍≫をはじめとして風刺画、戦争における人間の残虐さなどを描き始めたのはなぜだったのか。
特に≪闘牛技≫シリーズでは目を見張った。
牡牛に突きあげられた馬はまだしも、落馬して牡牛の下敷きになったピカドール、市長が牛の犠牲になる、残酷なまでに闘牛場での悲劇を観察し描く。
その理由は、11章でみられる宗教画と教会批判にあるのではないか。
この章で、一番心惹かれたのは≪荒野の若き洗礼者ヨハネ≫1808-12年頃。
筋肉の盛り上がりが美しく、さりとて過剰でもなく、宙空を見つめる洗礼者ヨハネの姿。荒れ果てた野で休むではなく、困り果てているのか、でもその目は絶望していない。

ゴヤの時代、カトリック教会は腐敗しきっていた。
ゴヤは教会批判と共に、世相を政治を批判しようとした。地位に甘んぜず自らの信じる道を進んだのだと思う。

冒頭では、「ポロック展」と同じくゴヤの自画像が展示されている。
意思が強そうなその相貌には、ゴヤの性格がよく出ているように思った。

プラド美術館には未踏ですが、いつか行って≪裸のマハ≫と≪着衣のマハ≫が並んでいる所を見てみたいものです。

*2011年12月17日21時半一部修正と追記

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国立西洋美術館で「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」展を観た!

「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」展、チラシ画像は「着衣のマハ」1800-07年頃 国立西洋美術館「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」展、案内板 「プラド美術館」正面外観 右はゴヤの銅像 2007年12月19日に行った「プラド美術館」の正面外観写真です。...

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