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「イケムラレイコ うつりゆくもの」 三重県立美術館

ikemura


「イケムラレイコ うつりゆくもの」 三重県立美術館 11月8日~2012年1月22日
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/catalogue/leiko_ikemura/ikemura_shosai.htm

東京国立近代美術館で開催されていた「イケムラレイコ うつりゆくもの」展が、三重県立美術館に巡回している。

既に東近美での展覧会は拝見したものの、結局感想は書かずじまい。
三重県美での展覧会は、東近美に出展されていない作品が出ていて、構成も違うと聞いていたので、やはり三重まで行くことにした。
同じ展覧会を再訪しようと思うきっかけのひとつは、所蔵品展にある。
三重県美の常設は、蕭白作品があったり、毎回良いものを見せてくれるので、多少遠くても行こうと思わせる。今回は、今年亡くなられた元永定正氏の追悼特集展示が12月25日迄開催されていたことも大きい。
そしてもうひとつ。全く美術とは関係ないが、私は三重県美に入っているレストラン「ミュゼ・ボンヴィヴァン」が好きで、毎回こちらでランチをいただくのを楽しみにしていることも付け加えておく。花より団子は否めない。

さて、三重県美での展覧会は東近美のそれとはかなり変わっていました。
三重展では次の通り。各章での展示作品はこちらをご覧ください。
1. 魚と猫の神話 Fish and Cat Mythology
2. アルプスのインディアン Alpen Indianer
3. 原始のかたち Emerging Figure
4. 地平線にむかって
5. うみのへや Seascapes
6. 人物から風景へ Figure-Scape
7. やまのへや Landscapes
8. うかびながら Floating
9. やみのへや Lying Figures
エントランスロビー

両会場での展覧会を見ている人はそれ程多くはないと思うので、ここでは2会場での相違に焦点を絞って感想を書いてみようと思う。
全体の印象がまずまるで違った。
三重では、外に開くような印象を持った。その理由のひとつに窓から射し込む外光を利用したり、庭の彫刻を意識した作品配置をされていたことが大きい。つまり、展示室外の空間を取り入れた展示となっている。各展示室は、東近美と比較すると天井が高く、空間もゆったりしている。ただし、展示室同士がつながっていないため、一旦展示室を出て廊下もしくは踊り場に出て次の展示室へ移動することが数回発生。ここは、本館と増築した新館(柳原義達記念館)があり、どちらも館外に出ることなく往復できるが、展示室外に出ないと移動できない。このた、集中力が、途切れてしまうことは残念だった。

逆に東京では、展示室内に集約されていて、東近美は展示室に外窓はなく、各展示室もつながっているので、胎内めぐりのように美術館の中をくねくねと作品を鑑賞しつつさ迷う。また、東京では、「進化」のコーナーで蓮沼執太の音楽(効果音)がかすかに流れていた。しかし、これが三重ではなかったのが残念。

上記のような両会場の違いを踏まえて考えると、各館での展示それぞれ良い点があり、各館でのお気に入りの展示室が違う。

三重会場で良かったのは、7.「やまのへや」。は展示品によっては日よけをしめるので、今回のように屋外彫刻をこの展示室から見たのは初めてかもしれない。
テラコッタ製の「ヴーさん」、「マーさん」2004年は、外の屋外彫刻に呼応していた。形もどこか似ている。
この部屋に新作の「山水」シリーズが展示され、わずかな外光の中で作品自体が気持ちよさそうに伸びやかに見えた。
陶彫と同様に、外界と一体化するような、恐らくこの部屋を「やまのへや」に割り当てたのもそんな意図があったのではないかと邪推してみる。

両会場共に忘れがたいのは「うみのへや」。
理由は完全な主観によるもので、単に私が海好き、水モチーフ好きだからに他ならないが、イケムラ作品と言えば、これまで赤い色のシリーズ、本展でももちろん出展されているが、の印象が強かった。ところが、本展で海のシリーズを見て、海から生まれ海にかえる、生物の根源的な生死を感じた。

いきとしいけるもの、万物の生成についての感慨は、三重会場より東京会場の方にコンセプトを感じ、それは、蓮沼執太の音があった「進化」や最後の展示室などでも思いを強くした。

いずれにせよ、ドローイング、ペインティング、写真そして陶彫、ドローイングによる映像など、多様な手法を使って自身の思い描く世界を作り出していた。
疑問が残ったのは写真の使い方である。特に、三重では写真コーナーとして独立していなかったので、その必然性、なぜ写真でなければならなかったのか、が分からなかった。本展での少女の写真は過去を見せているのだろうか。
そういえば、イケムラは講演の際に「私は無垢でありたい。」と語っていた。
必ずしも少女=無垢tの図式は成り立たないが、少女の写真はいつまでも失いたくない無垢な自分の表象であったのかもしれない。

展示についてはキャプションを極力目立たなくし、解説なし、作品間のゆとりを多くとり、余韻のある空間を創出。
昨今、特に若手作家の展示を見ていると、狭い空間にびっちり作品が展示されているが、この引き算の美学は見習うべきなのではないだろうか。
足すより引く方が余程勇気がいるに違いない。

なお、常設ではイケムラが日本を出てスペインに留学していたことから、三重県美所蔵のスペイン絵画が展示されていた。
特に、ムリーリョの「アレクサンドリアの聖カタリナ」1645-1650頃は、国内ではお目にかかれないムリーリョの大作(165.0×110.4cm)掌を天に向け、上方を見上げるポーズは、宗教的法悦を表す際に用いられるという。
普段は、かかっていない作品だと記憶している。合わせて鑑賞できて良かった。

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