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「菊畑茂久馬 回顧展 戦後/絵画」 福岡市美術館・長崎県美術館

福岡長崎

「菊畑茂久馬 回顧展 戦後/絵画」 福岡市美術館・長崎県美術館 
福岡市美術館:7月9日~8月28日 長崎県美術館 7月16日~8月31日

年末の課題として、夏に見た菊畑茂久馬回顧展の感想は書いておかねばならない。
同展は、福岡市美術館と長崎県美術館の共催で、ほぼ同会期に県境をまたいで開催された。秋に埼玉県近美とうらわ美術館の共催で「瑛九展」が開催されたが、「瑛九展」は宮崎会場においては宮崎県立美術館単独で開催されており、埼玉で見るより宮崎でまとめて見たかったと思っている。どうしても会場をわけてしまうと、集中力が一度途切れて、連続性が見えなくなる。殊に「瑛九展」は章単位で半々に分けて2つの館で観ることになったが、やはり一度にまとめて見たかった。確認したいことがあって後で戻ろうにも、会場が別れるとそれができないのが最大の難点。

では、菊畑茂久馬回顧展ではどうであったか。
後で、戻れない(何しろ県をまたぐのだから)のは同じだが、このボリュームだと1つの館で開催するのはほぼ困難だろう。かといって、展示替えで見せるのも後で戻れない点では同じである。

私は飛行機の関係で、長崎県美術館会場を先に見ることになった。展示内容を考慮すると福岡市美→長崎県美がベストだったが致し方ない。
長崎会場では、大型のタブロー中心に初期から最新作までが並ぶ。
この初期から最新作までの変化に翻弄され、菊畑が生み出した壁面一杯のタブロー画面からは、光、風、そしてなぜか温度までも感じた。絵画を観て温度を感じるとは、絵を観ていて自分の周囲を取り巻く環境の温度が変わって行くそんな印象を受けた。なお、長崎県美でも同館所蔵品の初期作オブジェやルーレット絵画などの展示コーナーもあったことを付け加えておく。

福岡会場では、菊畑の九州派時代の作品(1950年代-61年)から時系列的に作品を展観している。
「第1章九州派の時代 1950年代~61年」においては、東現美所蔵の≪奴隷系図(貨幣)≫1983年の再制作、≪葬送曲
NO.2≫19602年は、古代のお祭りを主題とした作品という初期の土俗的作風がうかがわれる代表作と言える。

「第2章 時代の寵児として 1962-65年」では、奴隷系図シリーズの平面化が進み、そこから≪ルーレット≫シリーズへ短かいして行く様子がよく分かる。ルーレットシリーズは絵画性が徐々に曖昧になり、物体が板に付され、オブジェ的要素が強まるのもまた菊畑の作品を観ていく上で重要であろう。そして、ルーレットシリーズはアメリカの美術館においても展示され、続く≪植物図鑑≫シリーズと共に菊畑の評価は高まる。

本展図録第3章解説から菊畑の言葉を交えて引用すると、
「絵を描くためにオブジェを作った」という菊畑にとって、オブジェは「タブロー」への到達途上に立ちふさがる、避けて通れない課題であった。その中から次第に、のちの「天動説」につながる道筋が見えてくる。
「第3章 雄弁なる沈黙 1960年代後半-70年代」
第3章では自作絵画の仕事から一旦離れ、美術史家的な仕事として戦争記録画についての論考や山本作兵衛の炭鉱画模写壁画制作、そしてこれらと平行して200を超すオブジェ制作を行っている。この時代は「沈黙の時代」とされているが、本展監修学芸員氏はむしろ多弁な時代だと評しているのが印象的だ。
なお、展示では山本作兵衛の炭鉱画や戦争記録画についての論考原稿が展示されている。また、美術館外ではあるが、1969年に菊畑は福岡市立中央児童館のモザイク壁画も手掛けており、これは現存していて、私も福岡市美へ行くバスの車窓から見ることができた。

また、第3章で圧巻なのは、大量のオブジェ展示である。菊畑にとってオブジェはどういう意味を持っていたのか、何を意図して制作し続けたのか、このあたりは図録掲載のインタビューで詳細が語られている。

菊畑の発言の中で興味深いのはオブジェを作っていてもなお、「平面のある種の絶対性、平面の永遠性というようなものに対しては、恐れるほどに心服を持ってたんだな。だから、どんなに平面を否定しようと、オブジェの中に浸っていようとも、あぁ、平面というのはどうしようもない、いかんともしがたいという、神に対する気持ちみたいなものがあったんだろうと思うね(中略)平面に対する心服がどこから出て来たのかわからないんだけど、要するに明治から近代というものに半端に汚染されて、-汚染という言い方は悪いけど、そういう日本特有の近代美術に惑わされることがなくて、西洋に巡礼するコースを辿るなんて論外で、そこに立って絵画で産声をあげたときは、僕はぐれたような形になっていた。だからなおさら平面に対する気持ちが強かったのかな。」

「第4章 ≪天動説≫への到達-オブジェからタブローへ 1970年~87年」
オブジェ制作に一応の区切りがつくのが1976年頃、その後ドローイングや立体を写真に撮って版画化するといった手法によりオブジェを平面化する動きを手探りで始める。それが、≪天動説≫へ結実していく過程が見える。
≪天動説≫においては、平面タブローと言えど、必ず物質的側面をはらみ、単純純粋絵画と言い難いものがあった。菊畑のタブローからこうした物質要素がなくなるのは、長崎県美術館に展示された最新作≪春風≫ではないだろうか。
もちろん、≪月宮≫、≪天河≫、≪月光≫、といったシリーズは絵具以外の物質付着は見られないが、絵具の存在が非常に大きい。存在というのは、彩色道具としての絵の具の役割だけでなく、絵具を塗り重ねることで相当な厚みを持って支持体に存在する、物質的な要素を意識したうえで用いられている。また、絵具の盛り上がりは画面全体に施されていることは稀で、画面の一部例えば、上部だけに用いられているのもまたオブジェの代替的仕事を果たしているように見えた。

「第5章 ≪月光≫から≪春風≫への道程 1968年-現在」
前述の通り、ここからは長崎県美術館会場にて展示されていた作品が主である。なお、作品数は少ないものの福岡市美でも展覧会構成に支障がないように新作やそこに至るまでの大型タブローの展示もある。
ゆえに、全体のまとまり感がやや薄まってしまったことは否めない。
新作≪春風≫を観つつ、冒頭で挙げた≪奴隷系図≫などの巨大立体作品などを浮かべると同じ作家が、ここまで変化するかという強い感慨にふける。
≪春風≫は、バーネット・ニューマンもしくはフランク・ステラを思わせるような絵画で色面で構成され、一部ジップのような縦のストレートなラインにグラデーションや複数色彩を使っている。これまで見られたような絵具の盛り上げはなく、ただ、物質要素としては蜜ろうがここでも使用されているが(かつてのタブローにも使用)、言われなければ一見しても分からない。

何かをふっ切ったような、これまでにない明るく軽やかな色彩を眺めていると、いよいよ「解脱」に境地に至ったのか、それ程の変化である。

以上、振り返るにはあまりに長大な内容であったが、菊畑茂久馬の今後の活躍を期待し、そして回顧展に相応しい展観を見せてくれた両美術館に感謝をこめて終わりとしたい。

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