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明治の傑人 岸田吟香 豊田市郷土資料館

岸田吟香を回顧する展覧会が豊田市郷土資料館で開催されている。

例によってTwitterで本展開催を知り行ってみることにした。何より、展覧会のチラシに惹かれてしまった。

岸田吟香は岸田劉生の父である。そこまでは良いのだが、なぜ豊田市郷土資料館で吟香展が開催されるのか?行ってみたらよく分かりました。
現在の豊田市は江戸時代に挙母藩だったのだが、その飛地が岡山(美作)にあった。既にこの段階で「知らなかった・・・」状態になったのだが、美作で生まれた吟香は当地で神童と呼ばれる優秀さで、飛地美作で挙母藩士となったのだった。というのは、ほんの人生のとば口に過ぎない。わずか5年で脱藩(このとき銀香28歳)。
明治時代は、吟香のような傑物にとって思う存分活躍できる土壌があった。
まさに八面六臂の大活躍で、大政奉還前の1864年5月に文字通り『新聞紙』を横浜で発刊。ヘボンと日本初の英和辞書を作ったかと思えば、東京日々新聞の記者として文筆をふるい、そうこうするうちに新潟(越後)で石油採掘!、ヘボン博士直伝の液体目薬「精錡水」を製造販売。吟香は広告戦略に優れ、販売も好調。
目薬をはじめとした薬類販売店「楽善堂」を創立し、隣国清にも進出。更には目の見えない人のために日本初の盲学校「訓盲院」設立にも一役買う。

「ままよ」(なんとでもなれ)の心意気で人生乗り切ったのは、人物もさりながらやはり明治という時代を思わざるをえない。

四男:岸田劉生や五男:岸田辰彌(宝塚少女歌劇団の演出家)に受け継がれた芸術肌は、吟香がのこした大量の日記や前述の広告戦略を観るとよくわかる。今年は岡山と都内で吟香、劉生、岸田麗子の3人展の開催も予定されている。

本展は、吟香の人生を沢山の関連資料や解説パネルで非常に丁寧かつ分かりやすく案内。其れ程大きくない資料館だが、結局全部を見終わるのに二時間以上かかったし次々に繰り出される展開に息もつかせぬ面白さがあった。
更に素晴らしいのは図録で、豊田市の助成が大きいのだろうがなんと千円でフルカラー196頁。出展されていない資料も多数掲載されていて、吟香決定版と言える内容。コラムも豊富で読み物としても資料価値も極めて高い。

もうひとつすごいのは郷土資料館で展覧会にあわせて発行された「ままよ新聞」(こちらもカラー)。吟香展の内容を新聞記事風にレイアウトし内容がうまくまとまっている。展覧会の記念として完全保存版すべき出来映えです。


閑話休題。
豊田市郷土資料館の道路を隔てた反対側にかつての豊田市中央図書館だった建物があった。最寄り駅の梅坪駅から徒歩で資料館に向かった際、間違えてそちらの建物に入ってしまった。
入った瞬間、懐かしい思い出が一気に蘇ってきた。小学生だった私は当時豊田市内に在住していた。近くの公民館には本が少なかったので、2週間に一度中央図書館に連れて行ってもらうのを楽しみにしていた。古い建物には人の記憶が宿っている。取り壊してしまうのは簡単だし経済的なことだろう。日本は地震大国で耐震性能の問題もある。しかしながら、非効率なリノベーションという手段をとって建物を活かす試みをすることも大切なのではないかと思う。


明治の傑人 岸田吟香 ~日本で初めてがいっぱい!目薬・新聞・和英辞書~ 豊田市郷土資料館 2月2日〜3月10日

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