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京の美・コレクションの美・明日への美 ~京都市美術館コレクション問わず語り 京都市美術館

前回は大阪市美の特集展示についてつらつら書いてみたが、キュレーション力はほぼないと言っても過言でない展示でも圧倒的な作品のもつ力と質の前に感動することもある。

そして、今回は前回と対極にあるような京都市美術館80周年のコレクション展についての感想を。こちらも新年早々大変感銘を受けた企画だった。

本展に足を運んだのは新年早々の1月4日。京都市美術館の前にある京近美では「皇室の名品 近代日本美術の粋」(1月13日に終了)を開催しており直前のTV放映の影響か狭い会場は大勢の観客でひしめいていた。京近美の「皇室の名品」展は数年前に東博で開催された「皇室の名宝展第2部」とかなり重複していたが、過去のそれとの一番の違いは第6章「御肖像と大礼」であった。神格化された明治天皇の肖像画に関しては、多木浩二著「天皇の肖像」はじめ幾つか著作があるので関心ある方は一読をおすすめしたい。

さて、ぎゅうぎゅうの京近美に辟易して向かったのがその正面にある京都市美術館。
直前に観終わった京近美の展覧会の続きのような導入部が第1章「博覧会・共進会時代の京都の美術と工芸」であった。京都市美術館が美術館として成立するまで、特に明治期において「美術」が「産業」や「工芸」からの自立を強いられたがその道は容易ではなかった。明治8年の第4回京都博覧会では工芸が優位にあり、明治14年の「第十回京都博覧会」で幸野楳嶺の銅牌受賞により徐々に絵画そして油彩が博覧会場に出品展示されることとなった。
ここから美術館設立の道は長い。博覧会内の美術館がその終了後に払い下げを受け、岡崎町美術館と呼ばれることになったが、美術工藝及工芸の発達奨励上に係る諸種の陳列会に使用する」陳列会場だったという。

本展配布資料に掲載されている初代京都府図書館長:湯浅半月の『京都美術』(「京都の新美術如何」明治39年2月)の「京都は美術市である」から始まる文章を以下そのまま転載する。
「美術市といひながら工藝學校はあるが美術學校はない、博物館はあるが美術館はないではないか。よし京都に美術館を建てても、その中に陳列する美術があるまいといふがまことか』。
大正期になると公立美術館設置の気運はますます高まるが設置に至らず。

第1章で展示されている作品は今尾景年、竹内栖鳳、浅井忠、五代清水六兵衛、(初代)龍村平蔵と「皇室の名品」展出展作家との重複も多く佳品揃いであった。
第1章にして、京近美での皇室の名品展と京都市美の密接でありながら、批判的にも思えるこの京都市美の展覧会の方がより深く美術館とは?、美術の自立についてを考えさせられた。名品をキュレーションを無視するような展示方法でバラバラに配置していたあの展覧会と対局をなす素晴らしい企画であるとしょっぱなから痛感した。

続く第2章は「大礼記念京都美術館誕生から京都市美術館へー「収集」と「陳列」で、2−1「公設美術館買上げと寄贈」、2−2「京都の近代から戦後美術の「収集」形成ー戦後の美術館が担ったもの、2−3画塾作家と京都ゆかりの作家の再「発掘」ー2000年以後の美術館の「収集」で、京都市美術館が積極的に作品買い上げを行っていた過程が買い上げ作品の展示とともに伝わってきた。
大阪市美術館が寄贈中心で所蔵品を形成してきたのと比較すると同じ公立の市美術館であっても収集過程、収集方針の違いは実に興味深い。

第3章の最終章では同時代としての美術館ー「展示」から「プレゼンテーション」へをテーマに3−1版画・写真の可能性への「プレゼンテーション」、3−2「見る」ことを「プレゼンテーション」する作品で、鑑賞について観る側に再考を促す結びとなっていた。

3−1では「アンデパンダン」や「反芸術」といったインスタレーションやアース・ワーク、パフォーマンスといった多様化する「美」の概念の再検討を求める同時代美術の展開について触れている。版画表現に関しては何ができるのかを模索する作家が紹介されていた。例えば、次回国立国際美術館のコレクション展で特集展示される郭徳俊が印象に残る。
現代作家の作品として若手のHyon Gyon(作風は強烈)や唐仁原 希の作品も所蔵し積極的な地元若手作家の作品買い入れは意外であり好感が持てた。

本展担当の京都市美術館学芸課長:尾崎眞人氏の文章を引用する。
鑑賞とは自己の経験知をもとに、作品と対峙することであるが、今日において「美術」は同時に「見えない世界」あるいは「内側の世界」を、いとも簡単に呈示してくれる「装置」でもある。私たちは「知覚」として見えない世界との関連を感じとることができる。世界とのつながりを「美術」とするならば、「美術」に終焉はない。終焉があるとしたら、それは作家が新たな創造を停止するか、評論家が御用批評に走るか、美術館人が研究と時間をかけず作品を収集するような時が来たとするならば、確実に「美術」の終焉はもたらされるだろう。


多分に自己批判的な上記文章に京都市美術館は今後も発展、鑑賞者への啓蒙を実践されるであることは想像に難くない。
日頃足の向くまま鑑賞を続ける私にとって啓示であった。
素晴らしい展示とキュレーションに感謝したい。

なお、本展関連イベントも充実している。詳細は下記公式サイトをご参照ください。会期は2月23日迄
http://www.city.kyoto.jp/bunshi/kmma/exhibition/anv80th_beauty.html

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