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「生誕140年記念 下村観山展」 横浜美術館

横浜美術館で開催中の下村観山展に行ってきました。

竹内栖鳳、横山大観と続きいよいよ下村観山の登場。今年は東近美で菱田春草の回顧展も開催されるが、昨年(2013年)は大観、観山、春草が師と仰いだ岡倉天心の没後100年にあたったため、これに関連しての開催かもしれない。

横山大観、菱田春草、木村武山の回顧展は過去に拝見したが下村観山の作品をまとめて観たのは今回が初めて。かねてより各地の美術館、東博などで観山の大作、秀作は折にふれ目にしてきたが、時系列で作品を追うと新知見がいくつもあり大変面白かった。そして、作品の質もさりながら関連資料も多く作品数にも圧倒されて続くコレクション展示は休憩なしで観たがこれは失敗で集中力を欠いてしまい休息をはさむべきだったと後悔している。

本展で初めて知った事実として興味深かったのは観山が両親ともに和歌山県紀州藩お抱えの小鼓方能楽師の家に生まれたことである。父方が幸流、母方が幸清流だったと展覧会の解説パネルに記載があったと記憶している。観山が生まれた明治6年は江戸幕府の崩壊、明治新政府の成立と激動の時代で、大藩に擁護されてきた能楽師も明治において能楽で扶持を稼ぐことは困難になってしまった。

観山がどれだけ能楽の素養や知識を持っていたのか定かではないが、出展作に能の謡曲「弱法師」(よろぼし)関連のものが多いことが気になった。能には観阿弥、世阿弥をはじめとする能作者が書き残した謡曲が数多く残されている。「弱法師」は俊徳丸伝説を下敷きにした能で観世元雅の作。詳細はこちら(Wikipedia)。

東博所蔵の《弱法師》重要文化財に指定され、観山の代表作と言える傑作である。同題の別作品や下絵類、そして弱法師の主役である《俊徳丸》と題した作品もあり、なぜこの弱法師だけをとりあげて描いていたのか、そこに観山は何を意図したのかという疑問が浮かんだ。
そして《三猿》と題した作品を見て、更に疑問は深まる。
見ざる、聞かざる、言わざるの「三猿」を観山は聴覚障害者、視覚障害者、発話障害者の3人を描いて表現した。

余談だが、画家には能楽愛好家が複数いる。例えば、河鍋暁斎(暁斎が描いた能関係の作品だけを集めた企画展が昨年、三井記念美術館と金沢の能楽美術館に巡回したのは記憶に新しい)や上村松園(謡を習っていた)等々。歌舞伎も能もある程度知識として見知っていると美術鑑賞にも役立つ。自分も能楽鑑賞を始めなければ、なぜ観山が「弱法師」を描いたのか疑問をもつことはなかった、それどころか「弱法師」が能の謡曲であることさえ気づかなかったかもしれない。幸いにもまだ数少ない能楽鑑賞経験ではあるものの能「弱法師」は昨年観たので記憶に残っている。

観山には本展未出品作も多くあり、本展出品作だけをしての憶測は危険だが、何らかの個人的経験が関与していたのかもしれない。

そして、晩年になるにつれ画技の高さを誇る観山の作品は技のみに頼ることなく寧ろその逆をいくようなのびのびとした筆致に変化していく。時代の風潮に反するような彼の反骨精神にも好感を持った。
初期作から晩年を通じ、観山は画技だけでなく絵の構想においても卓越した才があり特に屏風ではその才能を如何なく発揮していたように思う。
*会期:2013年12月7日〜2014年2月11日


本展とは別に静岡市の駿府博物館で1月18日から3月2日まで生誕140年記念駿府博物館特別展「KANZAN 第3の男・下村観山」が開催されている。第3の男とはもう言わせない観山像を観たいと思っている。
詳細→ http://sbs-bunkafukushi.com/museum/2013/05/post-21.html

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