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「定窯ー窯址発掘成果展」 大阪市立東洋陶磁美術館

大阪市立東洋陶磁美術館で開催中の「定窯ー窯址発掘成果展」に行ってきました。中国との国際交流企画展第4弾です。第1回は忘れもしない「北宋汝窯青磁 - 考古発掘成果展」、2回目は「幻の名窯 南宋修内司官窯-杭州老虎洞窯址発掘成果展」、3回目は「明代龍泉窯青磁(みんだいりゅうせんようせいじ)-大窯楓洞岩窯址(だいようふうどうがんようし)発掘成果展」そして700年の歴史「定窯ー窯址発掘成果展」です。

汝窯の展覧会も良かったですが、本展もまた定窯の白磁の色あいの変化や歴史を探る新知見が沢山の素晴らしい内容でした。陶片といって侮ることなかれ、失敗作と判断され廃棄された欠片でも色味や文様は当時のまま。特に宋代以前の完品は残存数が少なく、かけらであっても当時の作品の状態を知る上では貴重なもの。

展示は時系列に唐時代のものから金代のものまで約66点(リストは同館の展覧会サイトに掲載)。
最初定窯の白磁の色味は青色を帯びていた。青磁→白磁の流れがわかる。
元々定窯の近辺では高アルミニウムの粘土を豊富に産出、可塑性強く、鉄分少なく白磁に適す。釉薬の原料である長石、石英、白雲石も豊富だった。
やや青みを帯びた白があの乳白色になるのは、焼成方法の革新による。釉薬の材料が豊富だっただけでなく、焼成に必要な燃料の石炭を豊富に埋蔵している土地。五代までは燃料に薪を使用する還元焼成であったが、宋代より石炭を焼成に使用することで熱効率が上昇し、酸化焼成が可能になった。酸化焼成により釉薬は黄身がかった牙白色(アイボリーホワイト)になる。還元焼成は青味を帯び、酸化は黄身がかる。この青みがかった白が乳白色に変わりゆく様を目で確認できるのが本展の素晴らしいところ。
北宋中期に伏せ焼きによる重ね焼きが開始。金代では環形支圏を用いた覆焼法が盛んになり生産量は増大する。模子と呼ばれた陶範を用いた印花文も大量生産に適した施文技法として盛んに用いられた。展示では、定窯で使用された支圏も数点展示されている。腕形支圏、還形支圏、盤状の盤形あり。一回限りの使い捨て。窯址には廃棄された無数の支圏片が出土されている。支圏の形状も多種あることから、定窯では様々な種類の器が制作されたことが伺われる。

出展された窯址は既に土を盛り穴は封じられてしまっているが、現在の様子が動画(3分)で紹介されていた。古墳のようにこんもりと盛り上がる小山が物原で窯道具の破片の堆積されたものだそう。

形状は青銅器に範をとったものが幾つか見られた。文様も同様で吉祥を表す獅子や牡丹などもあるが蓮花文、唐草文が多い。その中で、これはと思うのはユーモラスな顔をした白磁亀はいったいどんな目的で作られたものなのか。水滴?水差し?胴部も丸っこい形状でこの愛らしい顔を作り出したのが名もない陶工たちかと思うと、このセンスはどこから生み出されたものかと首を傾げる。
北宋代の作品に心惹かれるものが多かったが、《白磁仏像》の一部は顔面のわずか四分の1しか残っていないがそれでも十分に美しさが伝わる。菩薩だろうか。図録論考によれば、こうした白磁仏が出土は仏教との密な関係を示す証拠として研究成果が述べられていた。

北宋代の出土片では徽宗帝の代に設置され金代にも設置された尚食局(しょうしょくきょく)の銘が入ったものが発見されていて、時代をある程度特定できる点、皇帝が使用する器類が定窯で制作されていることを示す。尚食局(しょうしょくきょく)は皇帝の膳食を掌る役所で尚薬局というのもあって、北宋の帝の司政制度をここで知ることができたのも興味深い。

陶片ばかりでは少しさびしい、完品も見たいと思ったら、最後に東洋陶磁美術館所蔵の白磁コレクションがしっかり出迎えてくれた。

定窯が常に技法の革新に積極的でかつ大量生産をも可能にしていた高い技術がよくわかる展覧会。大変勉強になりました。

本展チラシのデザインも素敵で、保存必須。3月23日まで巡回はありません。

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