スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「荒木経惟 往生写集 顔・空景・道」 豊田市美術館  

豊田市美術館で6月29日(日)まで開催中の「荒木経惟 往生写集 顔・空景・道」に行って来ました。
雨天の中、館内は大勢の来客で賑わっていて客層の年齢幅が広いのも荒木経惟の写真展だからでしょうか。

約1000点もの写真で初期から本展のための新作まで一挙に紹介しています。

会場を一周して、生と死が交互に現れる展示構成で、生きていることは死と常に背中合わせなのだと強く思わずにはいられない。公式サイトで荒木本人が語っている「生と死や彼岸と此岸とか、この道を往ったり来たりして、よろよろしながら日記をつけるように撮っている感じなんだね。」(一部抜粋)そのままが展示に体現されているのはさすが。

シリーズ単位で展示され、各シリーズでプリントサイズはほぼすべて変えている。生を感じさせる写真、死を感じさせる写真、両者を往還するような写真をまじえ、1週すると荒木の言葉が反芻される。

三重県美でのア・ターブル展で食が生死をわかつものと書いたが、荒木の愛猫チロの死に行く様子を刻々と捉えた写真はやせ衰えて行くチロ、食事もとれなくなっている様子が明らかで、猫の瞳に光る涙のようなものに焦点をあわせた1枚は何とも言えないせつない気持ちにさせられる。

新作「道路」と「8月」の2シリーズのうち、後者は何をどう撮影しているのか抽象的な画面のモノクロプリント。これが一番不思議だった。

やっぱり「さっちんとマー坊」1964年、画面からほとばしるエネルギーと生が荒木の写真の中では一番好感を持っている。一瞬のこどもの表情や動きを絶妙に捉え思わずこちらも笑顔になる写真。このシリーズを初めて観たのは同じ豊田市美術館で開催された「内なるこども」展でチラシに採用されていたのでよく記憶している。

対照的に「センチメンタルな旅」から「冬の旅」へと続く私小説的な写真はひとりの女性の刹那が1枚1枚に写し出され、陽子さんはなぜいつも憮然とした表情なのだろうとこのシリーズを見るたびに不思議なのだった。

展覧会の最後は、「三千空」、仏教の「三千世界」を意識しているのは本展タイトルからも明らかだが、荒木の撮影する空は1989年から撮影を続けている「空景」シリーズ、近作の「遺作 空2」と常に空を見上げて生きて来た写真家の生き方を垣間みるようだ。この空景こそ彼の日記なのではないだろうか。

公立美術館ということもあり、いつものSMチックなヌード写真はさすがに展示されていなかった。

美術館の庭園にある菖蒲園のしょうぶが満開でした。

<関連イベント>
・対談 「寂聴とアラーキーの往生漫談」 5月11日(日)13時〜15時半 *チケット受付終了 
・映画上映会 「うつしみ」園子温監督/荒木経惟出演 2000年 108分 *当日正午から整理券配布
・学芸員によるスライドレクチャー 5月31日(土)15時〜16時

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
ブログ内検索
twitter
最近のエントリ
カテゴリー
最近のコメント
最近のトラックバック
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。