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立ちのぼる生命 宮崎進 展 神奈川県立近代美術館葉山館

宮崎進さんの作品を見たい一心で、神奈川近美葉山館に行って来ました。

何年か前に日曜美術館(2010年8月放送)での特集をたまたま拝見して気になっていた作家さんです。美術館にこれだけ足を運んでいるのに宮崎進さんの作品を見る機会はなかなかありませんでした。あってもせいぜい1点。いつかまとめて拝見したいと思っていたところ葉山館での単独開催です。

いつもなら感想がすっと出てくるところなのですが、2巡しても言葉にできない。特に精神論で語ってはいけない、形式的に作品を客観視したいのですが、作品すべてが宮崎進さんの生き様そのものが表現、表出されていて作家の人生経験なくしてこれらの作品は生まれなかっただろうことは間違いないでしょう。

美術館のエントランスホールには本展タイトルになっている大型立体作品《立ちのぼる生命(いのち)》が置かれのっけからただならぬ雰囲気がありました。

展覧会構成は次の通りです。展示順序がややわかりにくく制作年代がいつもと逆まわりでした。
1.原風景
2.忘れえぬ人々
3.花咲く大地
4.立ちのぼる生命
5.創作の現場

1950年、1960年の作品は少なかったのですが、初期作品はシュルレアリスムを思わせるような油彩で最後に分かるのですが、取材写真をもとに制作されているようです。
麻布を板に貼付けた作品は1950年代に始まっていたとのことですが、作品が大きくなりかつ制作の中心になっていくのは1980年代以後。展示作品の中では1988年《絶望》や同じく1988年《ラーゲリの壁》が早い時期の作品でした。
1990年以後、麻布を使用した作品は大きさにも圧倒されますが、何とも言えない重苦しさが漂っています。最近亡くなられた山崎豊子氏著『不毛地帯』で読んだ凄惨なシベリア抑留生活を思い出しました。麻袋は重い土嚢を思わせ、凍てついた大地で生きるか死ぬか希望のない日々を生き抜いた作家の拭いされない過去を象徴させます。作家は作品制作によって自己の経験を昇華させんとしているのかもしれません。

板の下地には着彩されていますが、麻布にも着彩されているため、僅かにのぞく下地の色や麻布の上や板上に走る線描は立体と絵画の境界を試すような作家の意図を感じました。
決して抽象一辺倒ではなく、よく見ると作品全体が大地そのものであったり、人の顔や人体だったりとモチーフが見え隠れしています。特に印象に残っているのはチケットやチラシに使用された《花咲く大地》・《黄色の大地》《荒地の花》など春を迎えた頃のシベリア風景の作品群でした。そこには、それまで見て来た重厚感が薄れ、唯一希望の光が差し込んでいた短い春の息吹が感じられたのです。

4章の立ちのぼる生命での展示作品《すべてが沁みる大地》には材料として蜜蝋が使われています。蜜蝋の使用意図が生命を意図してなのか質感だったのかは分かりませんが、《すべてが沁みる大地》はサイズは小さめですが、もし1点好きな作品をいただけるなら、私はこれを選びます。

要所要所に配置された立体作品も非常に重要で、平面のための立体なのか、特に頭部や人体の立体作品に感銘を受けたのですが、その理由はうまく言葉になりません。平面では見えにくかったものがより可視化されていたと言えるでしょうか。

最終章の展示室にあったおびただしいデッサン、ドローイングの数々は、宮崎進の制作過程を知る上で貴重な資料ばかりでほぼすべて作家蔵です。
一見、無作為に貼付けているように見える作品は綿密なデッサンや構図、マケットによる試行錯誤の賜物であることが明らかになっています。

展示作品の多くが作家蔵、個人蔵となっています。
貴重な宮崎進の作品群を見ることができるまたとない機会です。本展は巡回がありません。

6月29日まで開催中です。なお、5月18日は無料観覧日となっています。

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